レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
スタッカート!
-
.
.
.
.
スタッカート!
.
.
.
..
.
.
.
テーマソング
【Silent Siren】「KAKUMEI」MUSIC VIDEO FULL ver. 【サイレント サイレン】
ttps://www.youtube.com/watch?v=crGzlCuaTGg
金曜:21:00
-
この作品では、決して鬼は良い人ではない。
田畑は荒らすし、鶏は略奪するし、牛だって取って食おうとしたんでしょ?
ここまでやれば、人さらいの汚名無しでも、いずれ山を追い出されるだろ?
鬼によって赤子が育てられる? いや、それはハッピーなのか?
牧歌的で純と思われるそこすらも追い出される、消えていく。ああ、鬼は忘れさられていくのか……的な哀愁はかすかに残る。
が、先のサービス精神の連打と、そんな悲哀すらも忘れちゃう鬼のコミカルなオチによって、
ああいった負はパッと消えた感じで、なんとなくいい話で閉じられる読後感。
これが中編になったり、連載の土台に成ったら、おそらくはそういう深いテーマに切り込んだだろうし、
「少年誌らしく」という体裁が無ければ、けっこーそこを曖昧にしないで、突き詰めれていた気もする。
そういう意味で、うーん、一番ふつーの作品だけど、それはなにか違うなという感じも。
森と人。
互いにあるがままに生きる。共存が理想だけど、人が生きるには、ぶつかり合うよね。
これと似たようなテーマでは、蟲師とかもののけ姫あたりですかなー。
そこらへん、よくわからんけど、そういうスケールで描けるお話だけど、ちまちまと身近に描くという本作も、また良いな。
忘れっぽい鬼 雑感 了
-
たとえ火の中…/感嘆
◇それが答えか
鬼と人の関係は、「問題自体を忘れられちやいました」のように曖昧に終わらせたのが前作ならば、
今回はそのアンサーまでをしっかりと描いている。
っていうかアンサーまで突っ走って描けてしまったために、少年誌の連載を前提とした短編としては失敗カモ?
でも、一つの作品としては、ひじょーに読みごたえがある。
はなしをすすめるね。
鬼はやっぱり人から何かを奪って生活をせざるを得ないし、偏見もある。
今回違うのはヒロインで、前回はよそ者のフツーの人でちょっと傍観者的な役割だったけど、
今作はヒロインにも業を背負わせる。
それは血統というもので、彼女には文字通り罪はないんだけど。
「いやだ…こんな風に死にたくない…命蓮、お前のせいで、こんな」
この言葉はその通りなんだよね。彼女が居なければ死なないで済んだ命だった。
それはミニマムな視点でも決定的で、
鬼の男子にも自分のせいで母親が死ぬという業を背負わせるけど、そこには慈愛に満ちた覚悟の表情があるじゃん。
それも重いけど、この犠牲もまた重い。
そういう風に似た業を背負うものとして、
鬼として生きることの答えを、鬼が誰かから与えられるんじゃなくて、他者を肯定するために自分で導き出す。
「人を喰ってでも生きのびろ……それでも生きなくちゃいけないんだ」
人も牛や鶏を食って生きなきゃいけないからね、
それはたとえ自分が食われると思っても否定はできない命の仕組み。鬼のような権力とか、大きな力にとか。
この言葉には自身の体験があるから、軽くは響かないし、
自分自身の迷いを断ち切るのを、そのきっかけが二人の出会いなのを、カーブしながらストレートに描いている。
それは修羅の道。
それに少女は答える。
「(極楽へ)行くのは…今でなくてもいい…! 極楽へはきっと…いつでも行けるよね」
死にたいと思っていたような現実を生きることのアンサーだし、宗教の一つの本質をついているような気もする。
と同時に、前半の鬼への何気ないセリフ
「お前はイイヤツなんだな! きっと極楽へ行けると思うぞ!」
「やはりお前 イイヤツじゃ! いつでも極楽へ行けるぞ!」
のアンサーでもあって、鬼のあなたもきっと人生は報われるよという勇気づけだ(本人は無意識なのかもしれないが)
つまり相手のことを気遣っているようで、自分の迷いを断ち切るようで(まさにその決断は鬼のように)
自分を励まし肯定するようで、相手に救いを与えてくれているようで(まさにその一言は尼のように)
そういう風にそれぞれの答えが似たような二人それぞれに照応し共鳴し、
「死なばもろとも」の関係を形作っていく。
「ヨメになりたいぞ」あたりは、ちょっと飛躍し過ぎて、明るくライトになり過ぎている気もするが、
そこらへんは少年漫画のラインなんだろう。
でも、最後の展開は、ほんとうは長編漫画で描いても不思議ではない濃度だしパワーがあるし、
実際に前作の忘れっぽい鬼で曖昧にした消化不良の部分を真摯に悩んだ末の答えなのだろう。
-
◇漫画としても上達、ただもっと大きな舞台で観たかった
もちろん漫画としても、ぐっと奥深くなっている。
画としても可愛らしいキャラはそのままに、背景がしかりと描かれ、鎌倉時代は知らないが、
海に近く山もある鎌倉という土地を上手い事、絵で表現しているように見えるし。
死者とかも、きちんと立ち向かって描いたし。
壁ドンなんて、今の時代でもマックスに近い惚れ度の壁ドンを描いたと思うし。
手をつなぐ画一つで、「俺が怖くないのか」という信頼を描いたり。
ストーリーと一体となった萌えのポイントを描けるようになった。
移動は主にコマの奥から手前への動きを繰り返しながら、終わりの方のコマで、奥の山々の背景へ向かう二人を描くことで
これからの未知と、背景にある乗り越えなきゃいけない山々と二人をおおらかに包む大地を描いていると思うし。
水面に浮かぶ自分を見て、そこから水底に沈む自分へと飛び、夢か、とさせシーンを転換させる。
そこもまた、母親と尼の女の子がどこか似ている、また鬼の男子が二人を重ねて観てしまっていることを上品に暗示している。
そういう風に綺麗な絵から、漫画としてのストーリーというか文法を踏まえたテクニックへと脱皮している。
ただその成長が急速過ぎるような気がして。
連載漫画として、本当は忘れっぽい鬼から始まり、
その連載を追いながら作者そのものや、彼女が書けるキャラの深みの成長のようなものを楽しみながら追うというのが、
ふつーの幸せなんだと思うけど。
リアルの時間は分からないけど、短編集で続けられるとその急カーブに、うわってなる。
作品単品でも、ちょっと急ぎ足で纏めているような感じもして。
最後、ものたりないという人もいると思う。
火をつけた悪人貴族との直接バトルや成敗というのを少年漫画としては期待するし、
逃走劇ももっとページを割いて、いろいろなドラマを立たせて、
この結末へと至るのが、オーソドックスだろう。
そういう意味で、プチキングクリムゾン感はあって、前半後半の二本立てくらいのボリュームで、、
館からの脱出、その後の逃亡劇のあれこれを、しっかりと描けば、文句ない作品になったと思う。
ただ、そこは想像で補うのも味だと思う。尼さんの髪の有無もほんとはネタバレしないで、うやむやな方がイイと思う。
つるぴかハゲ女最萌え選手権とかで有力候補になれてたかもしれない。なんじゃその選手権?
たとえ火の中…/感嘆 了
-
七つの海/再考
これはジャンプでも屈指の読み切り短編の名作。
自分もアスキーアート化したりした。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/nanaumi.html
その時に言いたいことの殆どは語り終えたんで、そこをリピート。
-
350 名前:名無しのAA書きさん[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 22:14:34
七つの海 岩泉舞短編集
七つの海
ネットの「漫画図書館Z」で無料で読めます。
ttps://www.mangaz.com/book/detail/74341
ジャンプ読み切りでは屈指の知名度の作。
ユージは、ゲームにはまり、勉強が苦手で、運動もダメな、「のびたくん」な男の子。
そんな彼が、あるスーパーマンな少年と出会って……
果たして、「七つの海」の冒険は、ユージに幕を開けるのか。
逃避すること、自分の弱さを認めること、老いと成長。
様々な要素が絡み合い、ドラマが積み重なり、
読後、不思議と爽やかでいて明るくも、ほんのりビターな余韻を残す。
-
351 名前:名無しのAA書きさん[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 22:15:04
ネタバレリーノ
大人になること。
自分の場合、受験教育と言うかアルバムの作文や卒業文集制度の影響と言うか、
大人になることは、何かしらの成功や達成をして、子供から大人にステップアップするものだと思っていた。
一方でオトナよりも純粋な子供のままが優れている、なんてピーターパンにも思っていたりしたから複雑だ。
本作での大人になること。
それは地道な勉学成果でも、スポーツの活躍でも達成されず、恋愛が叶うわけでもなく、ゲームをクリアするのでもない。ゲームは始まりすらしない。
あるのは失敗の連続だ。
漢字テストで居残りし、跳び箱に失敗し、憧れの先生にはカッコ悪いところしか見せれず、アトピーに悩み、家族の問題を抱えだす。
そんな暗い色調が続く物語に光を与えるのが、おじいちゃんの童心との朗らかなやり取り。
それでも、やがて楽しいおじいちゃんとの交流、ファンタジーへの没入を否定しなければならない。
それはうちひしがれた小学生の自分の現実を、その中でパッとしない自分を認めることだった。
この転換が上手い。
現実での成功、リアルの素晴らしさをもって、ファンタジーや子供の時代と、別れを告げるのではない。
むしろ逆で、現実のしんどさを受け入れることで、立ち向かうことを決心することで、輝かしいファンタジーと惜別する。
ここに共感する。
何故なら自分もそうだったからだ。
垢ぬけない自分、もてない自分、暗い幼年時代、ユージと共感する振幅の幅は、いわゆる少年漫画的人物、悟空やルフィよりも、彼の方が広い。
彼ら漫画の主人公は努力して、それが認められ、仲間を得て、成功する。
努力をさほどしない場合は、才能や血筋に成功を、約束される。
七つの海はゲームだけど、王道的ファンタジーそのもののメタファーにもなりえ、要するにそれは少年ジャンプ的な漫画だったりもすると思うのだが、どうか。
でも漢字が上手くならないみたいに、報われない努力だってあるよね。
AAを何年やっても、全くコピペAAしか出来ない人だっているよね。
悩み、もがき、弱さを思い知り、時には逃避をし、それでも弱い自分を受け入れ、決定的なシーンからは逃げず、そして少しだけ成長する。
ユージは共感できる主人公だ。
跳び箱を飛べる。
だけど、クラスで最後で、おしりをゴツン。
この決して安易なハッピーエンドではなく、しかしそのエンドに込められた作者のユージへの惜しみない祝福に、温まる。
肉体はもうとっくに大人になっている自分でも、自身をふりかえり心を大人にしようと、後押ししてくれる余韻が、清々しくも力強い。
そして少年漫画であって、少年のユージの物語なのだから、大人になることへは温かい肯定的な視線があって、それが素晴らしいのだけど。
同時に大人の暗さみたいなもの、ボケが進行して逃避してしまうおじいちゃん、そのおじいちゃんの異変の真相を知らぬまま翻弄され泣くお母さん。
それでも生活していく。
大人になることを肯定し、でも大人になっても弱い部分は弱いままなんだとする、少しシニカルな視点が、また後味をほろ苦く、豊かにしている。
-
◇七つの海とは
これは七つの海は何がモデルかというと、FC、SFC時代のRPG。
特にここではドラクエ3が真っ先に浮かぶ。
ドラクエ3は七つの海がある現実の世界地図の上を探検するし、
その際に船を手入れるイベントがあって、その時に冒険の舞台がわっと広がるトキメキがあって、
ここらから一つのストーリーから、どこからもやれるフリーシナリオなオーブ集めになって、自由に冒険する感じになる。
そこらへんの体験が「七つの海」のベースにあると思う。
その後に、ゲームでは海洋冒険ものの傑作、「ゼルダの伝説 風のタクト」。
そして皮肉なことに少年ジャンプの王道漫画「ワンピース」が出てしまう。
長期連載物になったワンピースなんて、ゆうじのように卒業できなかった大人を生むような作品にもなっている気がして、
そのカウンターとしても、今の視点の方が輝くのは皮肉だ。
もちろん、ゆうじのようにゲームは決して「現実逃避」だけじゃない。
ドラクエ3だって、行列が起こり学校での話題になったし、
その船をとっての攻略の手順なんて、口コミを明確に意識した感じだ。
ワンピースだって作品だけの評なら必ずしも満点でなくても、ルフィの旅仲間の妄想や次の島、最強論争など、
その漫画を通しての学校での話題の提供、白熱の展開予想など、そこでの盛り上がりが稀有なのだろう。
実際「ワンピースとはなにか?」 という最大の謎と最終回について、何かしら友人と語り合った人は多いと思う。
そういう現実とリンクするファンタジーという要素が足りない岩泉の視点は、ちょっと共感しきれない部分もあるが。
作を振り返ると、それでも世代の違いすぎるゆうじとおじいさんの間を「七つの海」は泳ぎ繋ぐタネとして機能しているし、
ゆうじは旅立つことを諦めたが、使者への想いや海そのものへのあこがれは持ち続けて生きていくように読める。
それでも、社会のようなものに出る時に、そういうファンタジーは理解されない、
人によっては、世代によっては、実の娘にすら理解されないで「ボケている」で片づけられてしまうようなのもまたファンタジー。
という視点はめっちゃ冷たい、それは少年誌の漫画作者のものとは思えないほどの冷徹さが匂う見方。
あったかい絵と雰囲気の作品だけど。それだけじゃない特異な作品だろう。
ここで本家ドラクエの映画、ユアストーリーのネタバレを描いてしまう。
ゲームはゲーム。現実とは違うんだ。「大人になれよ!」
そんでまー、「思い出は消えない」とかなんかカッコいいこと言って、
主人公さんはボケ爺よろしく、七つの海に逃避するわけです。そんでゲームをクリアしてハッピーエンド。
気持ち悪いね。
しょうじき、この漫画くらい吹っ切って、「コンティニュー?」→「NO!」ぐらいやってもと。
それはそれで某ゲームのパクリだって叩かれるだろうが。
そういう意味でドラクエファン(特に3)には刺さる、二次創作的な要素というか、
社会問題としてのゲームだったり、ファンタジーと人の在り方とか、そういうところまで踏み込めるパワーを感じる作。
-
あと「七つの海」は、先に挙げたような「ピーターパン」の印象もある。
フック船長に代表される海洋冒険の感じとか。
あとがきで作者は、
「テレビの主人公は年をとらないから(例外はありますが)
いつのまにか主人公を追い越して自分だけが大人になっていってしまう
それが虚しくて悲しくて……そんな頃の気持ちを思い出して書きました」
と言っているが、
ネバーランドはずばりそのものだよね。
ttp://imi-nani.fenecilla.com/neverland/
ゆうじの立ち向かう精神の危機は、文字通り「ピーターパンシンドローム」と符合するし。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ピーターパン症候群
そういう意味で社会心理学と上手くコミットしている部分があって、
それは意識したのか、たまたま普遍的な心の在り方を、学問が捉えたのと、作者自身が捉えたのが符合したのか、
そこはわからないけれど、
そうでありながら、今でも通じる根っこを突いているところもあるというか、今の方がけっこうネバーッてない?
-
あと七つの海は最初の3ページのカラーも雰囲気があって良いんだよな。
テーマの夕やけの海とか、二人遊びの緑がかった海とか。
ちゃんと作者の色を感じるよなー。
次のコムコップの時計台のシーンも、カラーで描いてたらどんな雰囲気だったんだろうなとか。
それでも単行本じゃ見れなかった色を観れる、ネットとか漫画村とか、こういう形で無料で読ませてくれる作者に感謝したいよなー。
-
漫画村は違法サイトでした。
まんが図書館でしたよね。お里が知れるわい。
-
COM COP(優しい物語)
◇あまりにも優しい語り口、光るセリフ回し
構成が真っすぐ進んでいると思いきや、それが主人公コムの幽霊へのストーリーテリングだったという
その展開の驚きと共に、敢えてこの物語を語らせたことによる、独特の余韻。
現在で進行する物語の一つ一つのセリフそれぞれが、実に味わい深い。
「お母さんの気持ちわかるよ。大切な人を失うのは本当につらいね。
でもそういう悲しさはいつか必ずやわらぐものなんだよ」
「あたしからも何かしてあげたいのに あたしの姿は見えないし声も届かないの」
「でも想うことはできるよ 一生懸命 想ったことはきっと伝わる」
ここらへんはカウンセリングの域で、頑張れとか立ち直れとかじゃなくて、「わかるよ」という共感をまず伝えてあげる。
それで「明日があるさ、良い未来がある」じゃなくて、「傷は痛いね。だけど必ず和らぐ」という
物凄く当たり前だけど、悲しみに震える当人は見えていない未来をガイドしてくれる。
その彼は幽霊を成敗するだけじゃなくて、癒すしるべとなるその幽霊課の役割を読者に教えるとともに、
主人公コムの成熟した人間像と、あたたかなやさしさを染みるように伝えてくれる。
そこからエピソードが挿入されて。
「悲しい気持ちがやわらぐ時は……きっと遠くから誰かがぼく達を想ってるんだ。
元気になれって…… だから元気になれる」
そこで悲しさがやわらぐのは……ここ、泣けてしまう。
自分は冒頭でのそのセリフの根拠、哲学は、苦しみはいつか忘れるもの、過ぎていくものだから。という。
ちょっと忘却的なある種の何かが消えることによる、否定的なニュアンスを持っていたが。
「人の想いは何よりも強い」
その誰かの想いがその傷を和らげてくれる。そのプラスによる治癒という、栄養というものによる回復という、
その太陽のようなトムの信念に、底抜けの優しさに打たれてしまう。
あの「ふろん」では天に消えていく幽霊に不安定な悲しみを感じたが、
今回の彼女はきちんと天国に行けたような安心感があるのは、コムの仕事、天に導くことが達成された安堵感によるものか。
彼の語っているエピソードよりも、そこに込められた想いが彼女を打ったのだろう。
だからそのエピソードは少年誌らしい平凡なもので良いし、時によって癒されるには悪役の市長候補が外道過ぎる、
というのも、ある種の語りの不器用さ、それはコムにもその陰にいる作者にも、かえって親しみを与える。
完ぺきに癒されるエピソードを配置していたら、より効果的になるものもあるだろうが、失われるものは取り返しがつかない。
そのような絶妙なバランスのコムの優しさは、やがて悲嘆にくれる少女にも連鎖していく。
-
最後のセリフ。
「(天国での)奥さんによろしく言っとくね」
は彼女が立ち直ったばかりではなく、優しさを与えられ、それを少しでも帰そうという彼女の生来の優しさが戻ってきたこと。
自分の母に何も伝えられない無力に嘆く彼女の、幽霊だからこそ出来る役割を見つけたことでもある。
ほんとうにさり気ないセリフで、ワンピな泣きのセリフと比べたら流れてしまいそうなセリフだが、
その流れつつも感じるやわらかな余韻。
やわらぐ。なんて美しい言葉だろう。
あまりにも現在時でのエピソードは綺麗で哲学に満ちて、それ以上の優しさで包まれていて、
セリフがまた登場人物から自然に出た声になって生きている。
最後のありきたりの鐘の音「ゴーンゴーン」にすら少し切なく、限りなく優しく地味な音が聞こえはしないか。
それに比べると、言ったように過去回想エピソードはありきたり感はあるし、そこまで練度は高くない。が。
その凹凸があるからこそ、現在の話が引き立ったし、得難い雰囲気や、
両エピソードのタッチの違いによる時の経過の実感、それこそ悲しみが和らぐ時の集積を感じてしまう。
ほんとうに美しい短編。
打たれたメッセージの形や他にない社会的なタッチとしては「七つの海」に自分は軍配をあげるが、
雰囲気とか世界観のようなもの、コムコップの優しさの余韻は極上のところにある。と思うのだ。
-
COM COP2/優しいトムくん
1で読者の心を打っただろう幽霊課刑事コムの優しさ。
そこに二つの試練が降りかかる。
息子トムくんの反発
「全然オヤジらしくないその性格だ!!
だいたいオレはすぐチャブ台をひっくり返すような男気のある父親が良かったんだ」
もう一つ、優しさだけでは解決できそうもないシリアスな人斬りもありうるシチュエーション。
この二つがずばりと作中で解決する。
だから少年漫画としてのカタストロフはちゃんとある。
にもかかわらず、優しさではどうしようもなかった、もう一つの隠された事件。
母親へのカーリーの事件が、ふかいふかい悲しみとして横たわっている。
その最も悲しい部分を、トムくんはあまり考えないで、それでも核心を突く質問を投げてしまう。
「なあ、父ちゃん
母ちゃんの時はどうしようもなかったんだろ?
母ちゃんは体が弱ってたの。病気か?」
答えは。
「――父ちゃんは何も言わずに オレの手をつないで歩き始めた。
だけど……オレには何となくわかってしまった。
ああ、そうか、オレを産んだからだ」
コムは何も言わない。それは何も言えないのだろう。君のせいで妻が死んだ、なんて幼な子にはあまりにも悲しすぎて重い。
でも同時に彼の優しさは、それを受け流すとか、ごまかすことも許さない。だから無言で手をつなぐ。
だけど、コムはだからこそわかってしまう。
そのわかるには相手のことを思いやるイマジネーションに支えられた気持ち、
第一話冒頭の「お母さんの気持ちわかるよ」と言えるトムの優しさに通じるものがある。
理解に支えられたやさしさをまた、トムも持っている。
と同時に読者はそこに救いを感じはしないか。母の喪失の中で、コムの想いはちゃんと二人の間の息子に育まれている。
その優しさのメロディ。
続くコムの質問には、「君が居るからかな」と応える。そこで物語は閉じられていく。
個人的に、ここで良くなったと思うのは今までの作にはどうしても男女の甘酸っぱい恋愛を過剰にクローズアップするというか、
強調し過ぎてオチに繋げる傾向があったのが、上手く親子愛として自然とまとまっているところ。
コムの妻への愛の気持ちも読者には明かし過ぎないで、それとなく余韻に上品に含ませているところ。
またこの2は、1話目をより引き立たせる、理想的な続編になっていることにも注目したい。
「悲しい気持ちがやわらぐ時は……きっと遠くから誰かがぼく達を想ってるんだ。
元気になれって…… だから元気になれる」
このメッセージは第二話の主人公コム自身の悲しみ、そしてそれを元気にしてくれる誰か、トム君がいるという、
そこを知るとに俄然、服雑味と実感のあるセリフとして伝わってくる。
ちゃんと一話目を引き継いで物語を展開している。
だが、同時に時を飛び越し過ぎているし、見せ場を惜しみなく語っているため、週間連載への幽霊刑事課ドタバタ話の道を犠牲にして開いた。
そういう美しい物語だろう。
あとがきで構想をふれた「コムコップ3」はジャンプで読み切りとして掲載され、それこそ幻の作品となってしまったが、
気を付けたいのはこの作品には原作者がついている、
それがこの世界観を築き上げて大切に紡いだこの作者にとって、いかに厳しい事だったか、
よそ様がうわべの設定を借りて、仕立て上げるにはあまりにも丹念なハンドメイなド作だったのか、
を考えると無理をしてまで見たいと思わない。
そういう原作者付きという判断をしたジャンプは、やっぱり岩泉には合わなかったんだろう。
これだけの作者だから読み切りにせよ、連載にせよ、
他紙で人知れず別のペンネームを使って活躍した、活躍していることを願って、彼女の想いが叶っていること願って、ここに所感を終える。
COM COP2/優しいトムくん 了
-
臭い話を創って感動させようとわたしは思いましたが、思いっきり名前を間違えているという薄っぺらさにより、台無しに。
底が見えたな。そこそこ。
あー、でも、コムという名前はユニークだけど、少年誌らしいカッコよくてそれでいて優しい人柄も伝わるネーミングだったら、もっと受けたかもしれない。
トムコムコンビとか、そういうの好きなんだけど、そこらへんは、わかりやすさ、という点では損をしているかも。
-
漆原友紀「蟲師」長文感想
狩房文庫異譚
ttp://shira-yawa.sakura.ne.jp/tyoubun/mushishi-karibusabunkoitan.html
ほんとうは分析なんて言ってたから、これくらい濃く語りたいんだよな。
でも、それは自分は無理だよね。
丹念に丹念に読めば作者の世界観のマクロも一コマ一コマの演出のミクロも読み取れる、
それがあってはじめて皆に通じる言葉が生まれる。
そしてそこにその人の持つ漫画知識や社会通念を織り交ぜながら、所感を述べていく。
その素晴らしさがある分析だし、実際に蟲師を合わせて読んでも違和感がないことから、2回3回のような自分のような浅い繰り返しじゃない、
読みに支えられているのが分かる。
たぶんアプローチとして漫画批評として正しいこの人は絵を見れて、自分はストーリーとか妄想を脳内で膨らませて思い込んで書いているという違いはあるものの、
自分もこれくらいしっかりと読めば、もう、こんなに恥ずかしい思いはしないと思うのだけど、
けっきょくのところその漫画を読んでいて楽しいとか勉強になるとかのと、感想を書いている自分に酔って浸る感じを両立するのが一番な、趣味というか自慰の文章しか、
描けないと言う感じで。
七つの海の感想は、もうちょっと引いたクールな分析であったまいいなーって言われそうなものになったらとかもくろんだんだけど、
こういうファンレターになるというのが、
たぶん自分の見方で、
そのキモさが読み手を遠ざけ、一歩も二歩もひかせ、過疎山形成の儀というか、そう思うならこういう自分語りは止め―って感じなのに、
ためらいなく描き込めてしまうのは、無責任な名無しさん万歳な、にちゃんの悪いところしか影響を受けていない自分というものなんだろう。何言ってんだか。
これは推敲してませんので、ここらへんが自然な感じの文として、あんまり上の感想と変わんないというのは、そんだけしっかりと感想を描けない人なんでしょうね。ねねねねねんええんええn。
終わりゅ
-
クレープ漫画……アナ雪……そっか。
エッセイ的な作品を描く人は、作者への信頼ってのは土台のベースの味だから、そこは敏感になんないと危ういのかな。
あっ、はい。すいません。
黙っていたことがあります。
「七つの海」レビューは無料でネットで観させていただき、セルフアピールで書かせていただきました。
深く反省しています。
わたしを応援してくれる方々や、「七つの海」をはじめ岩泉舞ファンの方々の気持ちを、わたしの認識の甘さにより踏みにじってしまいすいません。
そしてまんが図書館Zさんへ。頂いた図書券でエロ本を大量購入してしまいすいません。、
本当にごめんなさい。
また皆様に楽しんでいただけるように、これまで以上に努力してたまるか!
いーかげんに、低燃費に、他の趣味やりながら、遊びながらヤッテ、ダイヤの指輪を貢いでもらって、がははと笑いたい。
そういうことを言いながら、「こいつ真理ついている、深いこと言ってるな」とか一方的に尊敬されて、「わたしそんなつもりないのに」って一方的にアイデンティティークライシスに陥って思春期のラッタッタ女子みたいに浮かれ悩み甘く浸りたい! DEATH!
ああ、こんなこと書いてもここは超過疎で誰も見てないんで、炎上どころか、ホッカイロにもなんないんだろう。
孤独は辛いよ。
-
☆★告知★☆
クリスマス会 告知 でっす
12/25日 午後あたりから深夜までを目安に
AAや動画をお楽しみ会っぽく、発表する予定 でっす。
たぶん、はるか以外はやる夫短編板に投稿すると思うんですけど、でも、なんとなく、ギコ連合での活動のひとまとめ的な。
現時点でのスケジュール
AA しな蕎麦 こうや
AA 夢うつつ
AA あなたと東武動物公園で
AA はるか(北村薫の短編をAA化)
モナカラ動画①②
こまごまとした補助動画たち
プラスアルファ
現在書いてる、AA短編集
(クリスマスが終わる前に間に合わんかったら、小説の形で)
-
ネコのAA集(動作集?)をまとめてみました。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/nekonoaasyuu.html
と言っても、「夏への扉」と「猫のいる生活」だけからしか、採取できなかったのだけど。
他に良さげな猫ものがあったら、教えていただければ。
(しぃ総合スレで山奥さんがネコもの書いてた記憶があるのだけど、どこにあるんだろう。今はそこを探しきるまで手が回らない)
つーても、ネコを使うAAって、マニアックだけど。
使い方としては、夏への扉みたいにふつうのAAを使ってもいいだろうし(でもあれはテクとして人を使う時に服を着せて差異を際立たせている)、
猫のいる生活みたいに八頭身と併用すると、猫の小ささみたいなのがリアルになって見えるかもしれない。
その頭身の差を使ってペットと飼い主の人間を表現するというのは、「モナーを飼いたいのですが」系の発想だと思うのだけど。
-
深夜便り。
すごくぼやぼやしてるんだけど。この話、けっきょくマニアックな自分語りなるんで、読む価値なしです。
キャラクタの死ってどうなんだろう?
大きな流れは、人は死んでも生き返るピースな世界のドラゴンボールがあって、ダイの大冒険があって。
その前に旧キャラがどんどん復活するキン肉マン、男塾あたり。
そんで多分バトルロワイヤルの映画、小説の、人をばったんばったん殺す一つの流れが出来て。
それが黄金時代編のベルセルク、キメラアント編のハンタあたりから、サバイバルな話が生まれてきて。
そのはざま辺りに不殺の「るろうに剣心」があって。
そこを殺すことに葛藤があった作品で。
殺さない主人公、戦うカウンセラーの前半のるろ剣の良さはあるけど、物語が盛り上がったのは、殺し屋志々雄が大暗躍するところで。
やっぱり殺しからは逃れられない。
そこを何とか脱皮したかと思ったら、過去回想編で、剣心の殺しシーンがどんどん入ってきて、そこもサムライエックスとして海外を中心に人気があるところ。
あと、蒼紫というキャラが人気出たが、あれはお庭番衆、皆殺しというのがあって、復讐の鬼になってから。あのルックスは神だけどね。
不殺というテーマながら、けっこう人は死んでいる。
でも肝心な人は殺せなかったのは、賛否両論のジンチュウ編の薫。
これ、殺した方がテーマは確かに引き立つし、名作になりうるけど、あれを殺さないのが「和」月の剣「心」なんだよなっていう想いがあって。
勝手ながらの一読者の独断さえ出来ない本当に迷ってしまう。
-
その「剣心」を、自分も自作AAで、けっこう大事な見方役に使った。
なんか無意識ながら自分の中であったのだろう。
スタッカートなんだけど。
あれは絶対に設定に負けた作品で。
ジョンRというよりも、人の命を奪ってエレキをチャージするエレキギター。
という強すぎる設定だよ。
これがあったら、人が死なないと物語は進まないし、でも使いようによっては物凄く面白い。
この設定を使ったスピンオフとかどんどん浮かぶもん。
主人公に持たせて、仲間と死のバランスを作ったり。
悪役にしても超弱い奴が、これと出会って、殺人を経験して、どんどん壊れていくストーリーとか。
浮かぶっしょ。
たぶん、どっかの漫画とかで使われていると思うんだよねー。
一番近い影響を受けたのが、タクティクスオウガのNルートに出て来るネクロマンサー?
でも、これ人が死なないと進まないから、のほほんと書こうとした自分にはとことん相性が悪かった。
だから、それと対になる、主人公たちにさ、「助けて、不殺の剣心さんー」って悲鳴を上げたのかな。自分は。わからん。
スタッカートは中断したのもあって、途中から感想がつかなくなったのも、つまんなかったんでしょうね。自分が思ってたような手応えなんて幻想で。
だから自分が描いても生きるもんじゃなかったんだろう。
それこそ、虐殺AAとか、葬式の話とか死刑囚の話とか、アスキーアートって死ぬ話ってものすごく良い傑作ってあるからな。自分はそんなに読んでないけど。
それでも波及効果として、「送る」「鳴き声」あたりでシリアスに間接的でも死を書けたのは、収穫なんだろう。
-
でも、憧れるのは大きな社会とか文化の創作物での「死の傾向」を受けつつ、敢然と信念をもって、
そのトレンドとかじゃなくて、なんか、ストーリーとかそういう必然として死を描きつつ、
なんか舞台によってその性質を変えるような。
吸血鬼編では大虐殺が起こるし、ロードムービーでは比較的穏やかに生き返りも許しつつ、日常系では毎日に潜む殺人鬼を描き、
マフィア編ではまた人がどんどん殺し合うとか。
そういうさ、第一部から主人公を殺してしまい、騒然とさせつつ、信念をもってそれを描いていく、荒木神みたいな。
そういうのに憧れます。
でも、和月的な葛藤ってどうなったんだって言うと、そのアシスタント系譜で織田信長の「ワンピース」があるけど、
あれは不殺を徹底しつつ、稀代の名シーンは「エースの死」だったり、大量に増えすぎた仲間とか歪みだしたし。
でも、ジャンプの大きな流れは、あれだーな、ハンタのタイタニック編が、おそらくこれから10年くらいかけて大虐殺を起こすと思うんで、
そこでまた殺伐派が息を吹き返すような。
そういう流れを影響を受けるんだろうけど、それも含めてそういうの意識過ぎないで書きたいものを書きたいし、
その時にあるていど死というのは避けられない要素だってわかったし。
-
今のモナギコ界隈は、ひじょーに平和な空気が流れてるけど。
ほんとに人が死ぬAAって少なくなって。
AAって死にまくるじゃん。虐殺AAが一ジャンルになってたし、制服モララーだってベスの死がピークだし、
ほのぼのの顔が濃い山奥アトリエさんだって、ひじょーにキツイ死のものをしぃ総で描いてた覚えがあるし、
のんきな一人暮らしの1さんだって「意味なしちょうちょ」とか、ものすごくキッツイ死を描くんだよね。
そういう人を殺さないまたーり派はたぶん自分はそうなんだろうけど、決してメジャーじゃなかったのだけど、全体的に今はまたーりしている。
だから、「袂を分かつとき」だっけ? あの妖怪の話で濃い死を語られるとギャラリーに衝撃が走る。
いや実際名作だけど、死に飢えているような空気って、今あると思うんだよ。
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1560064977/37
で、残念ながらそれをぶち壊す力はないし、作品も書かないけど、書きたくないけど、
人が増えまくっている「ホーリー愛」だって、それを一つ曲げれば大虐殺だってありうるだろうし、ラスボスの緊張感もそこにあると思うけど、
この二つが爆発するにはもう少し時間がかかるだろうし、
ほんとうに、逆に、死の無い極致を描けたら、そっちの方が衝撃的にさえ思える感じだけど。
と今のところの死の爆発のフラストレーションはあると思うんだけど、やっぱりAA関連の死は自分の中ではめっちゃハードル高いんで、
ほんとに「意味なしちょうちょ」をAAツールにコピペして見てくれよー。
こんなん書ける人、プロの人だってそんなにいるかー?
「意味なしちょうちょ」
ttp://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/009.html#R8
-
いやー、意味なしちょうちょは鬱だわー。
あれハッピーエンドにも出来たけど、逆に悲劇としてドラマチックにも書けたよね。
もうさ、主人公をもうちょっとカッコよく書いたり、優しい人として書いたりして、
殺すのを彼じゃなくて事故とかにすれば、
タイタニックじゃん。
でも、そういうのすら許さない、この人はふつーに意味のないしょーもない人で、殺しつつそれでも生きていくけど、やっぱ彼には意味がないよねっていう、
そのドライすぎる視点というか、
もちろんハニーさんはそこまで割り切れる人じゃないのはなんとなく思うんだけど、
こと創作モードに置いてはそこを徹底して書ききれるそういう上手さ、
2chやすげーマニアックなところだと許されないからこそ輝く上手さ、
みたいなものは。
自分にはなくて。憧れたけど。手に入らないもの。
これと双璧をなす鬱ストーリーが。
【 we can fly リアルで。 】
ttp://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/011.html#R37
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 自分の翼を用意すれば |
( (_ヾヽ /)″ .| 幸福は約束すると言ったのに 、 |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) \_____________/
し し//∧_∧ノヾヾ
し///ヽ( ・∀・)ヾ″
し(////( )`″
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 残念なことにそれは君の翼ではない、 |
( (_ヾヽ /)″ .| 私の翼から落ちたゴミに過ぎないのだよ。 |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) \__________________/
し し//∧_∧ノヾヾ
し///ヽ( =∀=)ヾ″
し(////( )`″
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 『強い信心』? |
( (_ヾヽ /)″ .| そんなモノは弱い人間が持ったところで |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) | ただの依存心にしかならず受けて喜べるモノでもない。. |
し し//∧_∧ノヾヾ | 同族の人間からすら愛や感謝を受けられなかった者が |
し///ヽ( -∀- )ヾ″. | 何の根拠を持って私の特別な慈愛を得られると考える? |
し(////( )`″ \_______________________/
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
今の自分には刺さるわー。honey神様、ホームレスゴミ漁りな自分も飛んで逝って良いですかー。
-
なんか深夜に衝動的に書いても、思考も文章もしっちゃかめっちゃかでダメだね。
でも、誰もつっこまない。
しょーじき、クリスマス会だって、後から見るよって人を最大級見積もって5人、リアタイじゃおそらくノーメンバー。
いやー、そんな寂しいシチュエーションでも、なんとなく「きっと君は来なーい」みたいに自己陶酔して書けるのは才能かしら。←哀しすぎる才能だよな。
☆★告知★☆
クリスマス会 告知 でっす
12/25日 16:00あたりから深夜までを目安に
AAや動画をお楽しみ会っぽく、発表する予定 でっす。
-
みんなにシカトサレル僕の感想文。せんべい食べたい。
-
鹿踊りのはじまり
◇前置き
鹿踊りは、岩手の伝統芸能らしく、それは宮沢賢治もそのファンというか、親しみがあって、この作品を書いたのだと思う。
今だとyoutubeにいっぱいそういう動画があるので、観るとまたイメージが広がっていく。
いろいろあるみたいけど、自分はこれを見て、リズミカルで動きがきびきびしていて、
なんか盆踊り的なものを思ってたのが、変わっていくね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=rIE_RLWiSfI
やっぱり今の時代は良いなっ。
この小説自体も青空文庫で、読めますし。
ttps://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43760_17902.html
-
◇描写
宮沢賢治の情景が浮かぶ、その筆運びのタッチは美しい。
すすきが一面に生えていてちょっと光るようなそういう銀の感じの、なんか、それが風に揺れている感じ。
鹿だってコミカルに動いて、鹿っぽい姿が、動きの描写の連続から、自然と浮かんでくる。
そういう、すすきと鹿がそれぞれ浮かぶ描写を積み重ねて、それを最後に掛け合わせた
このシーンはやっぱり鮮明に浮かぶというか、なんか絵として良いよね。
鹿はおどろいて一度に竿のように立ちあがり、
それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだを斜めにして逃げ出しました。
銀のすすきの波をわけ、かがやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、
そのとおったあとのすすきは静かな湖の水脈のようにいつまでもぎらぎら光って居りました。
ここ、凄く上手いよな。
こう、すすきを、竿、波、流れ、湖と、水と関連付けて描写して、そこをこうかき分けるように、波紋を残して、
さっと男の向こう岸に行ってしまうような、そういう感覚とか。
-
◇解釈
これは鹿がコミカルに、コントみたいに手ぬぐいを大げさに怖がってつんつんするところから始まり、
何時の間にか、鹿のあの高く澄んだ声で聞こえてきそうな歌の、なんか揺さぶるシーンに移っていく。
鹿の鳴き声もまたyoutubeで聞けるので、今の時代の方が却って、都会っ子には分かりやすい作品なのかもしれない。
ttps://www.youtube.com/watch?v=VrRpFr2II68
それで自分もそれに加わろうとすると、鹿が逃げちゃって、その前述の鹿とすすきのシーンで、終わっちゃう。
それを自然と人の断固としてある境目を描いている、という解釈も見つけたのだけど。
自分的には、なんだっけな、こっちの解説にある説を推したいです。
新潮文庫「注文の多い料理店 P405より
……鹿たちの感動的なパフォーマンスを目撃し、ほとんど自分も同化して踊りに加わろうとした若者は、
鹿たちの去ったあと、「ちょっと苦笑いをしながら」その場を立ち去ったまでが語られている。
つまり、このあと嘉十が家族や近所の人たちにしたであろう目撃談から、
鹿たちの行動を模した「踊り」が発生するまでの敬意や過程が、
私たちの茫漠とした想像のすぐ向こうに、ぼおっと煙ったまま残される。
もちろん、人は鹿に交わることが出来ないが、拒絶されてもなお、彼の情熱は消えない。苦笑いしつつ語るんだろうね。
それが話として伝わり、やがてそのように踊ろうとするものが生まれ、それが伝統となり、宮沢賢治の心をとらえ、
この小説を風の語りとして書かせて、宮沢の小説は新潮文庫にも広がり、ここで一読者の自分と出会い、
そして自分もまたあなたに出会わせようとする、そのナウシカ、
その鹿踊りは現在まで生き続け、youtubeで、自分の目の前にもあなたの前にも映し出される。
行ってリアルで観たいとすら思わせる。
自然に焦がれるという見方をもう少し広げるのは、暴論だろうか。
何でもいい、何かに焦がれるその情熱が、人を動かすし、たとえそれと一体となることが叶わなくても、
語り継ぐことは出来るし、それが魅力的ならば周りにも伝播するだろうし、
それはまたもっと大きな祭りのような動きになるかもしれない。
そういう風に伝統も作られるし、未来も開かれる、そんな爽やかな余韻を、風の語りかけの締めのモノローグに感じた。
ごめんなさいポエムです。
この小説自体も、その鹿踊り的なものへの愛のようなのを感じるし、
鹿を擬人化して人間臭くコミカルに描くこと自体、
なんとか鹿というものを鹿踊りや人の方に手繰り寄せようとする、情熱の力学みたいなのを感じる。
やっぱポエムだな。
こういう風のは、いろいろと読者ひとりひとりが好きな形に妄想するのが楽しいんだよね。たぶん。
そういう文章は、好きなんだよな。やっぱ、そこは再確認するな。
自分が書くとワケワカメになっちゃったり、これみたいに野暮ったくなっちゃうんだけどさ。
-
三解のフェイスレスの、「三解」
分解
溶解
理解
ってものすごく、使える技な気がするな。
-
分解
一つの創作物、人生の体験を、一つ一つのパーツに分ける。
そこから分析を行う。
ここで止まると、こいつマニアックなオタクだなーとか。言われがち?
これは要するに自分というものの、レビューとか感想の傾向。
だけど、多くの人はここで勉強を終えるんじゃないの。義務教育とかそうじゃん? 違う?
溶解
それらの各パーツを溶かす。
そして溶けたそれらがまた、どろどろ一つの形に纏まっていく。
これは溶かすのには熱が要る。
ここがすげーとか、ここがムカつくとか、情熱とか。単純に勉強欲とか。
熱を与え続ける時間とか。
応用
Aという創作物、Bという創作物、Cという個人的体験、Dという誰かの体験を、
各パーツに分解し、分析し、
そこから使うパーツを選び抜いて、
それをまた溶かしていく。
するとまた何か他の形のものになる。
たいてい、オリジナル信仰だと無から作り出す才能とか言われるけど、そういうの自分はないので、
こっち方向でやっている気がする。
熱が足りないと、分解したパーツが溶けきれないで、ちょっと武骨になるかも。
理解
そのどろどろになった一つの形に「理」(ことわり)を入れて、なんらかの認識物へと再構築する。
理は、理論でもあるし、物理であろうし、自然法則でもあろうし、なんだろうね。
その「理」は誰か賢人の教えを学んで、そのエッセンス汲んだ使い方をしたり、
数個の「理」を上手いこと組み合わせたりする。
一番いいのは、その素材にあった「理」を自分なりに「解答」を見つけて、それを使うことだけど。
そこまでの胆力は、自分には無いけど、それを真似したい気がする。
創作物Aに「理」Aがついていて、それを分解し創作物パーツAを置く。
創作物Bについている「理」Bを学んで、スキル「理」Bを学ぶ。
創作物パーツAを中心に、いくつかの素材を溶解して、「理」B+自分なりの理を混ぜたもので、再構築すれば、
それなりのものが出来る気がする。
電波でごめんね。なんとなく、はったりを言いたくなったのよ。
-
AAで言えば。
先人の書いたAAがある。それを。
ストーリー。
せりふ。
キャラ。
背景。
世界観。
と分解する。
それで、ストーリーなら、なんだ、大使閣下の料理人のあのエピソード、虐殺系で流行ったあのエピソードの派生、自分の夏休み日記。
キャラAAは、EVIEEYEを中心とした、バトル系AAから、動作AAを分解して、取り出して、用意する。
猫AAは、夏への扉から取り出す。
背景AAは、山奥のしぃ先生から。
小物AAは、AAMZから。
それらを組み合わせて、溶かして、一つの絵にする。
それだけで、一つの作品にはなる。
理解については、AAで、原作への理解だったり、そこからのアレンジとかパロディーとかね。
さまざまに寄り集まって、ごちゃ混ぜになりそうなところに、一つの「理」を置いて、読み手にも「理解」を共有させようとするとかね。
いろいろと浮かぶけど、自分なりにそれこそ「理解」できてない領分なので、
中途半端に終わる。
-
理解の「理」は、
料理が近いかもしれない。調理か。
素材を集めて、熱を加えて一つにするとして、
その素材のバランスとか、火加減の調整とか、フライパンさばきとかを支えるもの。
-
妄想の続き。
分解と理解は、実は他の人もやってくれるし、それを吸収するという形で蓄積できる。
だから初心者の時はそこが他の人と比べてまだまだだーって凹むけれど、それでも追いつこうと向かうことが出来る。
分解は、その分解した素材をAAMZをはじめ、色んな人が置いてくれるし。
ゲームに触れてなくても、ゲーム音楽という形なら、youtubeに誰かが分解しておいてくれたりするように。
理解についても、料理のようなものの、レシピはいろんなことから習うことが出来る、それらは実践をしないと身に付きにくいものが合ったりするけど、
不器用なりにレパートリーを増やす勉強もできるし。
自分はここのレシピ習得がひじょーに下手で、絵心は一向に良くならないし、文章ももう限界が見えている。
だからそれをカバーしようと、
自分なりにレシピ集をまとめていたりして、教えるというわけでもなく、確認という意味で、ここでテクニックとしてレシピみたいなのを置いているんだろう。
でも、やっぱりレシピというには余りに癖があって、役立たないものだよな。
話を戻して。
でも、溶解は、それにかかる熱は、ここが肝なんだろう。
初心者の頃に燃え立っていた熱は、なかなか、どうするか。
一番熱を貰えるのはやっぱり感想なんだろうけど、感想だけで言ったら、AAよりも文章の実の方がもらえるのかなー。うーん。
じゃあ、感想とか誰かのリアクション以外で、熱を持ち続けるには、どうすればいいんだ?
-
そうなると熱に関しては、情熱という形で、「大使閣下の料理人」があったね。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/taisikakkalast.html
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 何かに熱中するためには
| 自分をどんどん焚きつける必要があります
\__ ______________
∨
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| どんどん薪をくべなくちゃ
| 僕の情熱なんてすぐに消えちゃいますよ
\__ ______________
∨
∧∧
(,,゚Д)
ヽノ , `l
29
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| とにかく僕は料理を作るという決断をしたんです
| あとは料理が好きであり続けるよう努力しなくちゃいけない
\__ ______________
∨
∧∧
(,,゚Д゚)
ヽノ , `l
情熱というのは消えていくから、薪を炊かなきゃいけない。
でも、その薪について書いてないじゃんって思ってたんだけど。
やっぱり書いてたわ。
ベトナムの「パインぺオ」が並行されて、語られたけれど。
その時、その場所でしか取れない素材、小麦粉をGETするような。
そういう分解の果てでの、とってもユニークで使えそうな素材との出会い。
そして、その料理のレシピ、それはその土地だけにいる異国人のおばちゃんの秘伝のレシピ。
それをなんとかGETしようとする、その料理法のレシピとそれを譲り受けたい人との出会い。
それは「ベトナムというものへの」理解への挑戦。
その分解と、理解が、溶解する情熱の元になっている。
更にはそれを食べてくれて「うめーっす」って言ってくれる古さんとの出会い。
その料理をどうしても味わってほしい人との出会い。
だから分解、溶解、理解で、溶解だけで止まってしまってエターナルということは過去の自分にあって、
その熱こそがAA職人のなんというか消えていくようものかなとか思うけど、
それは溶解だけでうんうん唸るんじゃなくて、何か素材を探しに分解の旅に出たり、レシピを見つけて、
「この素材で料理を作りてー」「このレシピを実践して料理してー、マスターして―」とかね。
そういうのは何も凝ったものじゃなくて良いし、ほんとうに素朴な小麦粉でもその土地にあるものならなんか素晴らしいものだったりするかもしれないし、
究極のフレンチレシピじゃなくても、家庭料理でも、時短料理やレンジでチンでも良いのかな。
-
大使閣下の料理人のここだけ抜き出しても伝わらないところがあって。
それはここまでのところで、この漫画は料理の魅力の様々な面を写していて。
会話を弾ませるツールとしての料理、コミュニケーションの元の料理、想い出の素材、受け継がれていくレシピ、
限られた調理環境での創意工夫、栄養としての料理、とか。
そういう様々な料理の魅力を伝えていて、それにふれているからこそ、料理が好きであり続ける大沢の言葉なんだろうし。
この大沢だって、料理からは逃げなかったけど、行き詰った時に、日本からベトナムに行って、またベトナムから日本にって感じで、
それ自体が熱を持ち続ける旅なんだろう。
どんなにベトナムの小麦粉に情熱を感じても、やっぱりね、倉木さんとかさ、日本の家族への気持ちとか、そっちの熱を与える薪を選ぶ。
自分もAAでいきづまりゃ、別の道で行けばいいんだよね。っつーても、文章とかそういうのも既にあるよな。逃げ道はある。動画も最近やったりするし。
やる夫、行っても良いよね。
そう言う感じで、山奥さんもhoneyさんも、熱が消えたんじゃなくて、どっかで燃やしてるだろうって。それは祈りだけど。
ああ、でも、なかなか、そう上手くはいかないか。
この言葉を受けた古さんが情熱を持ち続けたいと思ったもの、好きと思ったものはやっぱり。ってことは、そこは大使閣下の料理人のステマってことで。
自分は一方的な思い込みかもしれないけれど、その情熱をぶつけて、ほんと焼き殺したいような殺意のようなものもあるんだろう、
そういう人がいる筈で、それは神かもしれないけれど。
-
っつーこーって、自分のここ最近の熱を、今、形にしてるところ。
以前よりも低温かなって自覚はあるけど、ボリュームのあるAAにはなってきた。
えっ?
宣伝ですか? ステマですか?
ってことで。
12月25日
クリスマス会
3部構成でっす
第一部 (16:00〜)
モナカラ動画「クリスマスが終わる前に」
AA「しなそば こうや」
AA「夢うつつ」
AA「あなたと東武動物公園で」
第二部(19::00〜)
モナカラ動画「遥かなるクリスマス」
AA「はるか」
第三部(22:00〜深夜)
お楽しみプラスアルファ
AA「小さなランタンたち」(全3話+プロローグ、エピローグ)
*
ちょっと、今、急遽、投下にかかる時間も考えないで並べてみたんで、予定が変わるかもしれないけど。
暫定スケジュールでっす。
今年、スタッカートで最終話を投下するだけでも、けっこうキツカッタんだけど。そのボリュームはかなり超えてる。
けっこうヤバいカモね。
深夜ってのも、なんか25日中に終わるかって言うとビミョー。
ぶっちゃけると最後のAAはまだ終わりあたりを作ってないんで、そこ自体も怪しいし。あくまで目安で柔軟に。
その25日というのも延期するかもしれないし。(えーw)
あの、そういう予定を立てて、晒すのも、熱になったりするし、それ自体が楽しいので。
フツーの人は恥ずかしくて晒さないんだろうけど、わたしゃ人間として終わってるので。
-
すいません。
クリスマス会の予定変更します。
コマ数を確認したら、総数500コマオーバーは確実になってしまい、
それに動画でも30分以上時間をとりそうなので。
そうなると一日で詰め込むと殺人的なスケジュールになってしまい、
当初もくろんでいたわびしい中でのまたーりとは遠くなりすぎてしまいそうで。
しょーじき、投下するスタミナを考えると、自分はしんどくてやになってしまったのが一番の事情。
なので、二日に分けます。
24日 18:00〜
第一部 第二部
25日 18:00〜
第三部
にしようと思います。
それでもしんどいかなって気がするけど、AAを殺してしまう投下速度とは思うのですけど。
うん、二日開催にします。
なんだろうね、自分の中で憧れというか2chにどっぷりはまるきっかけになったのが、Flash紅白ってFlash板の動画イベントで、その第一回みたいな感じを出したいんですよねー。
いや、観客がぜんぜんいないのはわかるんだけど。なんかさ、劣化フォロワーイベントとして。
実は去年12/23日にクリスマスを意識したかしないか、1作、投下したんだけど、そういうのがなんというか理想の形の、何時も見ていてくれると(脳内で妄想している方への)プレゼントだと思うんだよ。
今回は自己満足ありきで、とにかくボリュームがあり過ぎてしまい、このイベントはリアルタイムで追うとかは考えないで、なんか後でさ、お弁当みたいにつまんでくだされば嬉しいです。
自分が読者だったら、たぶん、第二部あたりで、振り切られると思う。
その前にハードルが高すぎるか。クリスマス二日、フリーの人ってなかなかねー。それも含めてクレイジーなイベントをします。
現在のAA到達度は95%
明日、明後日をめどに終わらせる。余力があったら、1週間でもう一個おまけをつくる。
そんで、金曜日に詳しいスケジュールガイドを出して、正式な告知というか招待状を出します。
あと、その時にこのスタッカートスレも、1000が見えてきたんで、告知・雑談を中心としたスレッドを立てます。
とか言っちゃって。
-
◇信頼を得る文章
相手を言い負かすという形で、勝ち負けのための文章を書くんじゃなくて、
相手の信頼を勝ち取るための文章や、その周りにいる人たちの信頼を少しでもおまけできる文章を書いていきたいです。
自分は詭弁のレトリックとして、話を自分の得意分野にスライドさせてそこで勝とうとする傾向があって、いやたぶんそれもあるが自分の考えに夢中になり過ぎて話から逸れすぎるのも含め、
そういうのはあからさま過ぎたりして、
けっこう「なに、関係ないこと言ってんの?」な反応になることが多いかな。
ちょっとここの意識を変えないと、いけないなって。
信用を得る文章を書く
ttps://copywriting-arts.net/150.html
信頼を得る文章を書く
ttps://copywriting-arts.net/161.html
これは自分があれこれ悩んでレトリックを変えるだけじゃなくて、相手をしっかり見て相手の今の気持ちやこれから求めるものを察せるように見方を変えてよーって類のものなので、
そこらへんはこのスレでファンを勝ち取れなかった自分にはほんとに苦手な文やなんだろう。
信頼をもらって、それが続いてまた次の文章を信頼して読んでくれるようなファンになってくれて、相手もこちらに信頼して欲しい目的で書いた文章をくれたりするようになって。
そういうのは夢だけど。
-
☆ 告知
今年のクリスマス24、25日にクリスマス発表会を行います。
この日のためのいくつかの短編AA、動画、特別企画などを楽しんでいただければ。レバニラ―。
∧_∧
(*´∀`) よろしくおながいします!
クリスマス会スケジュール
12/24(火)
18:00〜 モナカラAA動画 「クリスマスが終わる前に」
18:30〜 AA 「志那そば屋 こうや」
おまけ動画 「マイベストラーメン こうやのワンタンメン」
19:30〜 AA 「夢うつつ」
おまけ動画 「本棚の上のネコ」
20:30〜 AA 「あなたと東武動物公園で」
おまけ動画 「東武動物公園 探訪記」
おまけ動画 「春日部駅の発車メロディ」
21:30〜 モナカラAA動画 「遥かなるクリスマス」
22:00〜 AA 「はるか」(北村薫「水に眠る」より)
12/25(水)
18:00〜 お楽しみ企画
おまけ動画 「ZAKUROらんぷ家 モザイクランプ製作体験」
19:00〜 短編AA集 「小さなランタンたち」
プロローグ
1 雪のランタン
2 猫のランタン
3 アカデミーのランタン
エピローグ+おまけ
(各話の間に30分くらい休憩を入れたいです、でもここらへんはテキトーに)
-
あー、おまけ動画になるものは全部、動画として発表済みです。
なんで、今から見ても、そこまでネタバレにならないし、大丈夫かなって感じですけど。
でもねー、わざわざ、こんなヤマナシオチナシの素人動画を見る人って、いるんだろうかなー。
FC2動画
ttps://video.fc2.com/account/31087092/content
-
AAの発表は、
たぶん、やる夫系のこの板になると思います。
やる夫系雑談・避難・投下板(緊急避難用)
ttps://jbbs.shitaraba.net/internet/3408/
ただ、はるかという短編は、小説の文章のコピペし杉で、ここまでまるまるの著作権とかそっちではどうなるのかわからないし、ギコ連の方が趣があると感じる雰囲気なので、
それはここの「ヒッキーの野菜棚」での発表となると思います。
著作権とか、自分わかんないんだよなー。そこはリサーチ不足。
やる夫系の方が人が多いというのもあるけれど、投稿間隔の時間制限がこっちの方が短く、大量に投下するときの時間コストが、やる夫じゃないとムリポっぽいなと判断したのもあって。
そうしようと思います。
うーん、いや、やっぱり、自分のモナギコをやる夫にぶつけて玉砕してみたい気もあるんだろうな。
-
まだ確定はしてないんですけど、このクリスマスを機に、やる夫の短編板に自分用の作品発表スレッドを立てようかと思ってます。
地下スレ的に、乗っ取るのもアリかなって気もするけど。
-
と、その前に、雑談なのかわからないけれど、何でも書き込んじゃうような、このスレッドが1000超えちゃいそうなんで。
次スレです。
【へたれ】ジャジャジャジャーンク【雑談】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1576832126/
基本的にこのスレッドとやることは変わんないと思うです。
そんで、クリスマス会の作品リンクとか、発表場所もそこにしようと思います。
わざわざ専用スレとか建てると大げさになっちゃうし、生まれたてでピカピカの新スレだから、イケルかなって思って。
いじょー、告知でしたー。
ではではー。
-
これがこのスレ最後の感想文になるかいな
-
ウィッシュルーム 天使の記憶
◇アメリカ場末のモーテル感
大きな何にもない荒野な高速道路にぽつんとあるホテル。
そこに集まった数人のお客のそれぞれのドラマと、もう一つ主人公の探している謎の物語。
舞台はなんだか寂れたところだから、観光名所のような目の見はるものも、大きな出来事も起きない。
ミステリタッチで元刑事の物語なのに、暴力的なシーンはほとんどなく、殺人なんてちょっとした例外を除いて起こらない。
ゲームプレイ中は、ホテルのお客さんと話したり、時に尋問チックに踏み込むときもあれば、
でも奥の奥に踏み込みきれない感じもある。
そういうジレッタイ空気、なんかそのパッとしない空気というのは、エンタメとしては異端だけど、
でも、体験してみると、そういう雰囲気って自分はなんとなく好きです。
とても好きというわけじゃないけど、他の好きとも違う、独特の匂いがなんか良いなって。
グラフィックも写真とCGを合わせたのかな、ホテルの存在感があるし、
キャラの線を中心とした絵もまた、今どきのアニメ路線とも違った、でも、なんだか洒落ていて、凄く好み。
妙に現実感があるグラフィックで、特にメリッサなんて生意気な感じで可愛いし、
電話番さんの私情を控えてビジネスに徹する感じもまた可愛い。
キャラというのは絵の上手さと会話とか、なんかわからんが、ムードみたいなのが出ていて、佇んでいる感じ。生きている感じがする。
そういう意味で、異国アメリカのちょっと過去の出来事のはずなのに、なんだか親しみを感じる近さな作品です。
-
◇かなり贔屓が入ってると思うけど。
繰り返すように、自分の好きなこの味はエンタメとしてありなのか判断しきれず。
人によってはもっと派手に動いてほしい、ドラマチックに物語が脈づいてほしい、この伏線をこうしてわかりやすく。
そういう文句を言いたい人には駄作になるのもわかるけれど。
自分には、この作品は名作かは分からないけれど、とても心に残る作品。
なんかホテルに行った―って言う感じと、良い意味で退屈な旅を楽しんだ感じと、
そんなに深い仲になってないけれど、だからこそか、ホテルを去り別れていく際のキャラとのなんとも言えない寂しさ。
もう、会えないんだろうな、この人とかさ。そういう感じの。
初期DSの作の為、無理やりタッチスクリーンを使い切ろうとしている感じがするし、
それが操作性をこなしきれず、悪くしていて。
ちょっと思ったように動かないところがある。
音楽もどことなくお洒落に徹せれないで、チープな感じは残る。派手ムービーでの、見せ場がないので視覚的には平坦。
でも、そういうのもサービスが良くなくても、なんとか一宿の安らぎを提供しようとしている、
見た目が古びたホテルダスクの雰囲気、ムードへの演出としたならば、
凄くイイ味にはなっているよな。
でも、時折ある謎解き要素やゲームオーバー要素はこなれてなくて、ゲームが止まったりいらいらするかもしれない。
ムズカシイというよりも、不親切な感じで詰まっちゃうのかな。
その時は無理せず、wikiでも攻略サイトをチラ見しながらでも良いんじゃないのー?
あと、脂身の少なそうなアメリカンステーキ、美味しそうだった。
-
振り返ると。
紹介したものはマイナーなものが多いなー.
自分が好みだったり、良くも悪くも印象に残るものを紹介しているのだけど。
そこらへんが偏ってるんだろうな。
あと、なんとなく消えてしまいそうなものは、掘り出し物か分からんけれど、見て見て―っていうようなそういう贔屓アピールは入ってるのは確か。
だからこれはオススメ集としてはあんまり良くないと思うんだー。
でも、んー、これは自分の思い出記録帳のような日記として書いてる感じだから、それでいっかー。
そんじゃー、また、次スレで会いましょー。
ばばばーい。
-
はるか
◇北村薫的な本屋レクイエム
水に眠る、が発刊されたのが1997年。
今では英造が営むような個人による書店ってもうどんどん減っていってて、
(昔は古本屋とか、おばあちゃんが営むような本当に小さな店とかあったんだよね。昔の中古ゲームショップみたいに)
それどころか彼らを駆逐したチェーンの書店さえも、電子書籍やネット通販によって、危ういのが今なのだろう。
恐らくこの先、彼ら英造たちの本屋は潰れてしまい、
英造がリアルに居たら、かなり悲しい晩年を過ごしたのが、今からだと見えてしまう。
古本を愛し、神保町を愛し、アンソロジーを編んでいる、北村薫の本ラブがいかんなく発揮されたエピソードだが、
やはり消えてしまうことへのちょっとした、もの悲しいニュアンスがある。
コンピュータによってデータ管理する、そんなコミカルな笑いのタネは、
実はその先のネット通販やamazonを予見した上での笑いだよね。
そしてクリスマスで流れる、「星に願いを」「きよしこの夜」の切なさよ。
何だか、その音で、店の中は余計静かになるようだった。
だが、太刀打ち出来なくとも、わたしはわたしでやっているという、そのわびしさは、決して悪いものではなかった。
正に消えてしまう本屋のさびしさ、静かさ、わびしさ。
祈りの声すらも、わびしく聞こえていく、そのレクイエムのような。
でも北村薫は、それを「わたしはわたしでやっている」「悪いものではない」と肯定してくれる。
その終わりが見えていながらも、そこへ向こうものへの暖かい目線。
それは、はるか、が、人によってはイラっと来るだろうトラブルや凡ミスに店長は「おいおい」と肩をすくめながら、
その成長を歩みを温かく見守り、また逆に何か、若さなのか、ときめきなのか、何かをもらっているよと言える。
その主人公の店長の目線。その文体全体の北村薫の目線。
それは取りも直さず、本屋への深い愛情と、創出したはるかというキャラへの深い愛情(セルフ萌え)にあると思う。
-
もちろん、本作は本屋に限定するという見方は正しくないだろう。
それは滅びゆく愛おしき何かへの想いの告白、エールともいえるレクイエムとして、大きな普遍性を持っている。
実際に自分がアスキーアートでパクるとなると、
どうしても終わりが見えてしまうモナギコAAへのなにかしらの想いが、どうしても書いている内に溢れてきた。
それがAAに色を添えていれば、ここでパクる意味があったと思うが、そこは自分では分からない。
んー、脱線してしまいすいません。
そういう意味であらゆる終わるものへの愛着の一つの姿勢として、
まさに「きよしこの夜」のような祈りの作と位置付けるのが適切だと思うけれど、
ほんとうに、しゃれにならなく終わりそうな、町の本屋へのレクイエムとして本作を紹介したかった。
でも多くの読者はクリスマスに、そんなしんみりとしたムードを味わいつつ。
最後の最後に「あら?」と笑いというよりも「あっけらかんと、半ば呆然とした余韻」を最後の一節で味わうと思う。
御子と巫女を「ミコ」でかけている。オヤジギャグw
ただ、それは最後にドタバタ本屋ストーリーとして明るく終えたいという以上に、
はるかの視点を「本屋」に狭めないで、彼女には無限の未来がある、
それこそ巫女さんみたいなとんでもないバイトや人生を経験するだろうし、
はちゃめちゃな日本の未来の先を霊感ヨロシク、先取りしていき、乗り切っていくのかもしれない。
空の星のように何か変わらない輝きを放ち続ける人になるのかもしれない。
英造の本屋は滅びる、というのは自分にはやはり分かってしまうが(思い込みだとしても)、
はるかの未来は、読めないし、どうなるかという広がりのような、それに呆然と振り回される店長モードも含めて、
その余韻には、やはり祈りがあると思う。しんみりとしたものじゃないけれど。
はるかは、厳しい冬の中のクリスマスの夜に、春の香を告げる春香というよりも、遥か未来を歩もうとしている。
だから原題のはるかの漢字名は明かされていないが、「遥」であってほしいなと思いつつ、妄想を閉じたい。
-
ってーこって、
1000GETズサー!
と、このスレも役目を終えたのです。
ありがとね。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板