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フェイク『男』のチラシの裏

1フェイク『男』:2005/11/21(月) 00:33:20 ID:Xekm5jMQ
私の鑑定文の中にたまに出てくる前置きのジョジョ考察だとか一口メモなど、
自分自身でも何を書いたか把握してない文章の数々を保存するためのスレ。

その他、私への質問などがあれば受け付ける予定。

218フェイク『男』:2008/09/28(日) 22:59:03 ID:gOQ2j5PE
494 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/09/28(日) 20:42:05 ID:Qxu+2oP+
超能力物において定番の「瞬間移動」能力について、しばしば問題となる「移動先に既に何かあった場合の処理」については、
既に様々な作品において解釈がなされており、中には破滅的な(いわゆる「石の中にいる」などの)解決方法も存在するのだが、
SBRの「チョコレイト・ディスコ」にて起こった「瞬間移動させた物品が対象のマス目に高速で落下・衝突する」という現象も、
そのような「移動対象と移動先の衝突」を、適度な強さで再現したものと考えられる。
また、上記の問題に関連して、瞬間移動能力には「移動先の座標」の決定方法にも気を遣う必要があるのだが、
(何せ移動先を少し間違えれば「衝突」が起こるのだから、非常に精密な決定が必要になるはずだ)
「チョコレイト・ディスコ」のマス目を展開するという手段も、それに則ったものだと言える。

219フェイク『男』:2008/11/10(月) 21:53:50 ID:pOpalgDw
658 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 20:23:47 ID:GLOrFZYi
タロットカードは中世に作られた遊戯用の絵札が起源であり、別にそんな大して神秘的な出自ではないという説が有力だそうだ。
だがジョジョの世界ではタロットは本当に神秘性を有しており、それを用いた「占い」は運命を読む技術として実在している。
「タロットの起源」として作られたエジプト九栄神という独自の設定は、そのような歴史の補完にもなっているといえる。

649 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 19:59:47 ID:GLOrFZYi
ツェペリ一族の鉄球が、死刑にしても医術にしても、単独の対象を取る技術であるのに対し、
ウェカピポを始めとする王族護衛官の鉄球技術は、「護衛」という目的上、対多数との戦闘を想定していると考えられる。
そう見ると、ツェペリ一族の鉄球は非常に強力なパワーや精密性を持つが、一投で仕留められる相手は精々二人までである一方、
王族護衛官の鉄球は多数の刺客でも一気に制圧できるし、「黄金長方形」のような環境による制限も無いという長所があるのが判る。

645 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/11/10(月) 19:54:20 ID:GLOrFZYi
ジョジョのテーマは「人間賛歌」だが、言葉の上では一部で初代ツェペリが言い残したのみとなっている。
言葉で示すだけでは、いかに「勢い」だとか「熱さ」のある、いわゆる「名言」だろうと、一度言い放ってしまえばそれでお終いだ。
重要なのはそれを(論理的な意味でなくとも)証明することであり、またそれを発展させて新たな答えを導き出すことであろう。
「人間賛歌」という基本を確かにしているからこそ、更にそこから「運命」だとか「正義」だとかといった次なる問題に取り掛かれる。

220フェイク『男』:2008/12/13(土) 21:16:05 ID:qjimNv6U
726 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 21:12:48 ID:hdXUZCp1
【スタンドの次の話、1】
超能力を視覚化した「スタンド」という概念が誕生して十年近くも経ち、
ジョジョ本編でも手を変え品を変え多くのスタンドが登場して現在に至るが、
スタンドは飽きた、マンネリだ、という声もやはり聞かれるようになってきた。
ではスタンドという設定が終わり次のものと置き換わるならば、それはどういうものがありえるだろうか?
まず始めにハッキリさせておくべきことは、何でもいいからとにかく別の設定を作ろうなどという精神では通用しないということだ。
大切なのは真実に向かう意志であるが、自分がどこを目指しているのかも考えないようでは話にならない。

727 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 21:14:01 ID:hdXUZCp1
【スタンドの次の話、2】
ジョジョでかつて起こった波紋編の終了は、まずテーマ的な理由としては、
波紋を通じた戦闘描写では「肉体賛歌」になってしまうため、精神を重視する「スタンド」に移行したと作者は説明している。
またエンターテイメント的理由として私見を述べると、波紋での戦闘描写には限りがあったと考えられる。
(そもそも二部のジョセフからして、波紋は道具の一つと割り切り、戦闘の主軸はトリックだった。
 力のジョナサン、技のジョセフで完結しており、波紋でこれ以上やってもどちらかの二番煎じにしかならないだろう)
しかしスタンドならばどんな描写でも吸収できるため、娯楽面においても波紋より遥かに応用が利く。
以上のことを踏まえて、テーマ面・娯楽面で「スタンドで表現できないこと」があれば、
それを表現するための新たな設定を作り出す価値が出てくるだろう。

221フェイク『男』:2008/12/13(土) 21:16:42 ID:qjimNv6U
717 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 20:53:24 ID:hdXUZCp1
ジョジョ六部脱獄後におけるエルメェスのモチベーションは、リキエル戦後の心情吐露を見る限り、
徐倫との友情のためというだけでなく、プッチ神父との遠まわしな因縁に拠る所が大きいと思われる。
つまりプッチ神父がDIOの骨を復活させるために、スポーツマックスが刑務所に収監されるという「引力」が働いたのだが、
あんなヤクザ者が刑務所に入る理由なんていくらでもありそうなものなのに、
その役割に最も適任だと「運命」が選び、「引力」が引き寄せたのがグロリアだったのだ。
プッチ神父の引力理論から考えられるこのような理屈は、ただ単にヤクザに姉を殺されたという以上に侮辱的だと捉えられたのだろう。

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2008/12/13(土) 20:42:56 ID:hdXUZCp1
自動操縦や暴走型ではなくあくまでも本体がスタンドを操作するというのに、
スタンド自身が本体とは異なる「自我」を持つ場合、その理由は総合的に考えて、
「本体の精神だけではスタンド能力を扱い切れないため」と纏められるが、更に以下のような傾向に細分できる。
一つは未熟な本体にスタンド能力を説明し、指導・教育するためのもの。
最初のうちは本体がスタンドに口頭で命令し、それからスタンドが動くという形式だが、
本体が成長すればスタンドを自在に操れるようになり、スタンドの自我は目立たなくなる。
「エコーズAct3」と「スパイスガール」がこれに当たる。
二つめは、スタンド能力自体があまりに複雑な要素を有するため、その情報を本体の思考とは別に処理する必要からのもの。
複数の弾丸を全く別々に動かす「セックスピストルズ」、暗殺風水理論を100%実践する「龍の夢」が該当する。
三つめは、スタンドの自我そのものが何かを担当しているわけではないが、能力自体が人間の精神を超えてしまっているもの。
無差別殺人ウィルスの「パープルヘイズ」、本体すら能力の全容を知ることはない「ゴールドエクスペリエンスレクイエム」、
強力かつ非倫理的な能力を背負う「ホワイトスネイク」、天国へ行く方法の最終過程「C-MOON」がこれであろうと思われる。

222フェイク『男』:2009/01/18(日) 20:15:22 ID:74pGx9.E
764 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/01/18(日) 20:03:55 ID:Bq7l/F6G
スタンドの中には、単なる応用技ではなく、だからといって「レクイエム」のように全く新しい力を授かるというわけでもなく、
そのスタンドの本質のところから新たな発展技を編み出すことで、更なる段階へと到達したものが存在する。
これらは言わばスタンドの「奥儀」であり、そうそうたやすく得られるものではないため、
多くの場合スタンド使い自身の明確な成長によって獲得するものだが、最初から暴走めいた形で備わっているものもあるようだ。
パワーや精密性に加え類稀なるスピードを有し、その究極として時間よりも速くなった「スタープラチナ・ザ・ワールド」、
自らが光速を超え時を支配するだけでなく、世界そのものを加速させ運命を支配するための手順「ザ・ワールドの天国へ行く方法」、
未熟な卵から始まり次々と成長する中で、音の能力という固定観念をも乗り越えて進化した「エコーズAct3」、
犯罪の証拠を消し去る爆弾能力の延長として、時間をも爆破して追跡者を消し去る「キラークイーン・バイツァダスト」、
黄金長方形から見い出される無限の回転を追及し、ツェペリ家も想定しなかった段階を切り拓いた最新型「タスク」、
空間を超え養分を奪う能力の一環として、空間操作や養分操作を応用して罠を作り出す「ハイウェイスターの幻覚の部屋」、
天候を操る能力から、天候レベルのサブリミナル現象にまで至った「ウェザーリポートのヘビーウェザー」などがこれに当たる。

223フェイク『男』:2009/02/15(日) 18:05:45 ID:qIkrPLmY
643 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/02/15(日) 18:02:26 ID:+4BpoRBJ
スタンドはときに成長や進化をするものだが、そのほとんどは本体の土壇場の精神力による本能的なもので、成長後の姿は選べない。
スタンドが成長したら、そのスタンドが新たにどういう能力を得たのか、当の本体自身が解き明かさなければならないくらいだ。
しかしDIOとプッチ神父が目指した「天国へ行く方法」は、明らかにこれからどういう能力を得るかを見据えて行われていた。
そこが最も恐るべきところだ。自分のスタンドを自分の思い通りの姿に進化させられるならば、それこそまさに「万能」であろう。

640 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/02/15(日) 17:58:06 ID:+4BpoRBJ
人間社会を一つの「生物」と見なし、その中に住まう人々の生き死にを細胞の新陳代謝と捉えれば、
不老不死の人間とは丁度、社会に対する癌細胞と言えるだろう。どんな精神を持つ人間でも、
ずっと社会に干渉し続ければ、社会の成長はその人間の程度までで停滞してしまうからだ。
そこでジョジョではそのような永遠の絶頂を追い求めたり、不老不死となった者は、
明確に死亡したり、何も出来ない状況で封印されてしまうのが大筋となっているようだ。
世界を自分だけの思うがままにしようとした究極カーズ、全人類の精神を一意に染める「天国」を目指したDIOとプッチ神父、
まるで全身が癌細胞であるかのように何も出来なくなった億泰の父親、
アンジェロ岩、エニグマの本、考えるのを止めたマジェント・マジェントなど。

224フェイク『男』:2009/04/02(木) 22:25:21 ID:pCmjYpiw
675 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 22:12:52 ID:PXylHPbY
欧米版ジョジョにおいて、ホリィを呪縛するあの茨のスタンドには「ゴースト・イン・ザ・マシーン」という名前が付いているとか。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 22:05:18 ID:PXylHPbY
有名な「柔よく剛を制す」という成句は、「剛よく柔を断つ」と続く。
スタンドにおけるこの二点、即ち「破壊力」と「精密動作性」において、
両方とも最高評価Aが与えられている能力は、原作では「星の白金」のみとされている。
最高の性能を持つこのスタンドは、同じく作中のキャラクターでは最強の精神力を持つ「空条承太郎」を本体とすることで、
「正義」戦や「アヌビス神」戦など、力業で小細工を圧倒することが許された唯一のスタンド能力であったと言えるだろう。
(その究極が、光の速さを超えて……つまり力尽くで時を止める「スタープラチナ・ザ・ワールド」の修得というわけだ)
これは漫画上では、スタンドが初出となる三部で戦いをシンプルに描くための手段であると考えられる。
作者いわく「神話のヒーロー」のイメージで描かれた承太郎も、全盛期を過ぎた四部以降はそれほどの無茶はしなくなるし、
承太郎の娘・徐倫を本体とし、柔剛併せ持つスタンドと評された「ストーンフリー」も、よりテクニカルな運用を必要としていた。

669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:20:07 ID:PXylHPbY
承太郎が離婚した理由、徐倫が不良に育った理由、徐倫が愛の無い彼氏に騙され投獄された理由については、
明確に「DIOの因縁」という原因があり、六部はその因縁から始まり、その因縁が解消された世界で終わる。
それを通じて、四部辺りから描かれた「運命と人間賛歌との相対」の問題に決着をつけることが出来たのだが、
七部で同じような因縁を抱いているかもしれないジョニィについては、「ニコラスの死因は本当にダニーだったのか?」、
「その裏にはDioの陰謀があったのか?」という疑問に「解答」が明示されることは恐らく無いだろう。
過去の因縁を都合よく解決できる状況というのは多分に理想的・漫画的なものであり、その必要があった六部ならば良いが、
今となってまで同じことを繰り返しているだけでは進歩が無いからだ。

225フェイク『男』:2009/04/02(木) 22:25:35 ID:pCmjYpiw
667 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:17:16 ID:PXylHPbY
【スタンドの成り立ちについて、1】
大まかに考えて、スタンド能力は「本体の性格が判りやすいもの」「能力の内容が判りやすいもの」
「本体の目的が判りやすいもの」の三種類に大別することが出来る。(勿論、その複合もあるが)
かつて一人で三種類のスタンドを扱ったプッチ神父で例えれば、
順に「ホワイトスネイク」「C−MOON」「メイド・イン・ヘブン」となるだろう。
この内「能力内容が判りやすいもの」については、本体の精神性の何が能力に影響しているのか判りづらいものも見られるが、
そうしたものは、人類に普遍の共通認識や集合的無意識のようなものが反映されているのではないかと思われる。

668 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/04/02(木) 20:19:03 ID:PXylHPbY
【スタンドの成り立ちについて、2】
そもそも、スタンドの成り立ちを作中に表現された本体の性格や過去話だけで百%解釈できる事例は少ない。
漫画内の描写はあくまでもキャラクターの人生の一部に過ぎないのに対し、
人間の精神というものは人生全てに起こる出来事が複雑細密に絡み合って構成されているものであり、
スタンドはその精神を強く反映して誕生するものなのだから、それも当然の話だ。
ジョジョは物事の因果を重視した作風であるが、因果や因縁が作中で明示されるのはあくまでも物語上、
創作上の必要からであり、現実ではそうしたものが表面化すること自体、稀なことだ。
従って、スタンドの成り立ちなどの脇の出来事に付いては、現実同様関連性を薄っすらと窺わせる程度で丁度良いのだろう。

226フェイク『男』:2009/05/30(土) 23:00:22 ID:ixPl0bpg
734 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 22:52:09 ID:+0bXXlLM
人間の抱く「感情」には、その人間の今までの経験が無意識の内に影響しているという説がある。
つまり、感情とは人間の理屈では説明できないほどミクロな理屈の塊だということだ。
この観点から見れば、ルーシーに宿る「遺体頭部のスタンド」の「涙で切って奇跡的出来事を起こす」能力は、
まさしく、感情(=細かな理屈の塊)の象徴である「涙」でもって、細かな経緯の塊である「奇跡」を起こす能力であると見なせる。
(余談だが、この能力の使用時に「涙を引きちぎる」のは、感情や運命に流されるだけでなく、
 己の知性や意志によって行動するという決意の表れであると考えられる)
また、ヴァレンタイン大統領の自論「男女が惹かれ合う基準は『吉』かどうか」も、
感情という説明できないミクロな理屈を、この世に存在する最も小さな論理である「引力」及び「幸運」に、
(恐らく大統領の感覚的、あるいは経験則的に)結び付けて考え出されたものと言えるだろう。

731 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 22:47:37 ID:+0bXXlLM
絶対のルールというわけではないのだが、運命や運勢を扱うスタンド能力は、
自分自身も含めて運命を動かすために、第三者からの「客観性」を必要とする傾向があるようだ。
例えば「バイツァダスト」は(そして恐らく「シンデレラ」も)本体自身は使えず、
「トト神」や「ローリングストーンズ」も本体自身は(その性格上の問題で)動こうとしなかった。
「キングクリムゾン」は本体が二重人格(魂が二つ)であり、「竜の夢」と「ポコロコのスタンド」はスタンド自身に自我がある。
「マンダム」は本体のみならず周囲の者全ての記憶が残ったまま(つまり相互に「客観性」を保持し合う状態)であり、
そして「メイド・イン・ヘブン」はDIO、プッチ神父、多数の罪人の魂から構成されたスタンドだったという具合だ。

227フェイク『男』:2009/05/30(土) 23:00:37 ID:ixPl0bpg
726 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/05/30(土) 20:13:52 ID:+0bXXlLM
今までのジョジョのパラレルワールドを舞台とする七部のラスボスである大統領のスタンド能力は、
パラレルワールドを行き来する能力だった。ここだけ見れば非常にシンプルな発想というか、
ジョジョは案外こういうお約束的な設定が多いのだが、それはさておき、
ジョジョがパラレルワールドに突入する六部終盤から現在において、
本誌掲載時からコミックス収録に当たっての修正・加筆が増えてきたり、
七部においてキャラクターの過去話やら初期設定やらが覆ることが多々見受けられるのは、
大統領のスタンドで説明できる、という与太話を思いついた。
例えば砂男、「わたしの息子は乗馬の天才だ」、スティールの過去話、デブの大統領、
更には女顔のアナスイだとかロベルト・プッチ神父の「天国への階段」に至るまで、
全ては「隣の世界」の出来事だったんだよ! まさにいともたやすく行われるえげつない行為。

228フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:41:57 ID:FJjraBys
795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 21:37:11 ID:SVpHKIoT
法の抜け穴をくぐろうとする悪党が絶えないように、たとえ非現実的な超能力であっても、
そこに「ルール」があるのなら、その「ルール」の穴を突こうとする者が出てくるのは必然だろう。
パワーと射程距離が反比例するならば、本体の外部からパワーを補い双方を両立させるスタンドだとか、
本体の意思でスタンドを自由に操作できるという要素をパワーの代わりに捨て去った「自動操縦型」のスタンドが出てくるし、
「運命」があるならば運命を操るスタンドが、「引力」があるならばそれを利用する「天国へ行く方法」が、
「平行世界」があるならばそれを利用するスタンドが、(恐らく本能的に)発生する。

786 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:39:25 ID:SVpHKIoT
従来の近距離パワー型のスタンドは大概、弾丸を「見てから摘める」ほどの性能を持っているため、
拳銃での撃ち合いが見所の西部劇的舞台に向かないのは自明のことで、七部ではそのようなスタンドはほとんど出ない。
しかしこれまででいうところの「付かず離れず戦うタイプ」とか「殺られる前に殺る」スタンドばかりでは作劇も苦しいのだろう。
そのためか七部のスタンドには、格闘のためのパワーは無くとも「本体の身を守る」性能には優れるものが多く見受けられる。
具体的には、身体をバラバラにして攻撃をかわす「オー! ロンサム・ミー」「キャッチ・ザ・レインボー」、
時を戻す「マンダム」、仲間の死体を盾にする「タトゥーユー!」、防御専門の「20thセンチュリーボーイ」、
殺されてからが本番の「シビル・ウォー」、穴の中に身を隠す「タスク」、飛道具を瞬間移動させる「チョコレート・ディスコ」。

229フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:43:22 ID:FJjraBys
783 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:35:56 ID:SVpHKIoT
矢や拳銃といった「飛道具」は、その操作の僅かな乱れで、目標から大きくブレてしまう。
それは当人の肉体的技術とか精神的修練の問題のみならず、周囲の環境などによっても大きく左右されてしまう。
従って、およそ「風を読む」ほどの超絶的技術を持たないほとんどの者にとって、「射撃」の成否には運不運の要素が絡まざるをえない。
しかし漫画などの創作物内での運不運というものは、やはり作者の胸先三寸で決まるという印象を与えてしまうだろう。
ジョジョでは、そもそも運不運自体に対し「引力」などに原因を求め、作者の都合ではなく作中の要素として取り上げているが、
特に、ジョジョに登場するスタンド使いの「ガンマン」には、それぞれ「飛道具の運不運」を扱いやすくする工夫が見て取れる。
例えば、ホルホースの「皇帝」は弾丸の軌道を自在に操れる、即ち射撃について「運不運」が除外されていることが判る。
また、ミスタは基本的に幸運や運命を信じる楽観主義者にして銃の天才だが、「4」という数字が絡むと途端に駄目になる。
当然、銃を使えば残弾数など「4」という数字が絡むことが常にありえる状況となるので、
調子が良ければ当たり調子が悪ければ外れる、という不確かな「飛道具の運不運」を、「4」の有無という具体的要素で演出できる。
あるいは、リンゴォの「マンダム」は本体が致命傷を負ってさえいなければ、本体の重傷だとか戦いの相討ちだとかを巻き戻せるので、
どれほど自分が強かろうと常に無傷のまま勝利できるとは限らない(「運不運」の絡む)「銃の決闘」において、
本体の不本意なリタイアを(相手にも「公正」に)防ぐという効果があったと考えられる。

230フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:43:41 ID:FJjraBys
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:30:52 ID:SVpHKIoT
「矢」を取り扱っていたスタンド使いは数多いが、その中で「レクイエム」の存在に気づけたのはポルナレフだけだった。
彼がそれに気づいた直接の原因は「家具の裏に落ちた矢を拾おうとしてスタンドを傷つけた」という全くの偶然だったが、
この偶然が何故起こったかを考えれば、そこには「矢」を所有していた他のスタンド使いには無い、ポルナレフだけの事情がある。
彼がそのような無様な失敗をしたのは、ひとえに彼が肉体に障害を負っていたからであり、
更に言えば、肉体的に再起不能になりつつもディアボロに屈することを良しとせず、潜伏と忍耐を続けていたからだ。
これもまた、再起不能になりながらも真実を追い続けるという意志の継続が、
偶然と合わさり真実に到達したという、一つの「奇跡」と言えるだろう。

231フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:44:10 ID:FJjraBys
785 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 19:38:00 ID:SVpHKIoT
一つのスタンドが何度も進化して新たな能力を身につけ、そして同時に使い分けも可能という点において、
「エコーズ」というスタンドはジョジョ全体を通じて非常に特異な存在であるといえる。
この「エコーズ」の特異性は、恐らく本体の広瀬康一にも共通して存在する「未熟性」の表れであると考えられる。
康一は未熟児として産まれ七日間カプセルの中で育ったという経緯を持つが、(「漫画家の家に遊びに行こう」編参照)
同様に、「エコーズ」も「クレイジー・D」の助力によってようやく誕生し、
更に発現後しばらくの間は「卵」のままで、外に出てくるどころか何も出来ない状態だった。
ついでに言えば、(漫画上のデフォルメもあるとはいえ)康一が極端に小柄な体格として表現されていたり、
「エコーズ」というスタンドの能力がその一つ一つを見てみればそこまで大したことのない能力であることも、
己の誕生そのものに問題を抱え、発育が阻害されざるをえなかった「未熟児」ゆえの特徴と言えるだろう。
しかし一方で、いつまでも成長しきれない「未熟性」は、どこまでも成長の余地を残しているという「成長性」でもあり、
作中では「エコーズ」のみ、追い詰められた本体の精神力だけを由来として「進化」することを可能としていた。

232フェイク『男』:2009/07/15(水) 21:44:20 ID:FJjraBys
792 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/07/15(水) 21:29:03 ID:SVpHKIoT
「人の性格がそんなに簡単に変えられ成長できるなら誰も苦労はしません」(トト神)

ジョジョ作中で、追い詰められた己の精神力のみを理由として進化できたスタンドは「エコーズ」だけだった。
(なお、真っ当なスタンド像を備えない状態からそれを発現させた最初期の「ストーンフリー」「キッス」などや、
 一時的に射程距離が伸びただけの「銀戦車」は、能力面での進化は無いため含めない)
それ以外の、能力面で進化できたスタンドの理由は以下の通り。
「星の白金」:仲間の努力により「時を止める」という概念をあらかじめ理解した上で、「世界」としばらく殴り合う。
「キラークィーン」:本体に「矢」が刺さる。
「黄金体験」:敵との戦いにより人体を「部品」として捉えるという概念を学習する。
「世界」:あえて一度スタンドを捨て去り、新しいものを生み出すという「天国へ行く方法」を実践。
「ホワイトスネイク」:同上。
「タスク」:ジャイロの教えと己の努力により「回転の技術」への理解を深める。

233フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:23:43 ID:HZzZ1qyU
743 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:08:07 ID:R3trt1dc
ヴァレンタイン大統領のスタンド能力「D4C」には、複数の世界で同じ状況にあるものは(大統領自身を除き)同じ展開に至ったり、
複数の世界を一つに収束させる際に生物の記憶が混合し時には混乱が起きたりするという特徴がある。
また、物事は全て「遺体のある世界」が基準であり、それ以外の世界に起こる物事は「捨てる」ことが出来る。
これらの要素を用いて、スタンド使いの癖に何だか回りくどい「ジョニィ銃撃」の詳細は、以下のように解釈できる。

まず、基本の大統領は隣の世界Aの大統領にジョニィ銃撃を依頼する。大統領AはジョニィAを銃撃する。
ここでもしも大統領Aが失敗したら、基本大統領は基本の世界に戻り、隣の世界Aや大統領Aを捨てて、次の機会を待つことが出来る。
大統領Aが首尾よく成功したら、基本大統領は基本世界に戻り、基本世界のジョニィの周辺に銃を設置するなどして、
ジョニィに近づくように誘導した者(作中ではウェカピポ)にジョニィを銃撃するように仕向ける。
状況が整えば(世界Aでジョニィを撃った拳銃がある、ジョニィがそこにいる、拳銃を撃てる者がいる)
ウェカピポはジョニィを銃撃せざるをえなくなる。また、Dioが大統領らを追跡しており、
横槍を入れられる危険性があるため、もう一つの隣の世界Bでは、DioがジョニィBを銃撃するように仕向けた。
(このとき、基本の世界ではジョニィを銃撃したウェカピポは、隣の世界BではDioを撃つことになる。
 また、Dioが一連の状況に組み込まれることで、基本の世界のDioも余計な物事を起こすことは出来なくなる)
ここで世界が一つに戻り、記憶の混乱が起きる。
目撃者たちの証言は食い違い、ディエゴとウェカピポは自分がジョニィを撃ったと思い込む。
(続く)

234フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:23:58 ID:HZzZ1qyU
(続き)
744 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:13:34 ID:R3trt1dc
この七面倒な襲撃方法の長所は、まず誰にも大統領のスタンド能力の正体がバレないであろうことや、
大統領自身の行いを他者になすり付けられることが挙げられるが、
最大の特徴は、最初の襲撃は基本的に失敗しない(失敗が起こった世界を捨ててやり直せる)ことであろう。
一方の欠点は、まず複数の相手には通用しにくいこと、(最初の襲撃に失敗する可能性が上がるし、
何より状況を再現するための「条件」が多くなるため。作中では、ジョニィがコンビを組むジャイロにはディスコを向かわせたし、
Dioがウェカピポやホットパンツとコンビを組むとこの襲撃方法は使わなくなった)
そして何といっても、大統領自身の判断ミスは防げないことだ。(ジョニィは致命傷だと思ってたのに、実はなんと普通に生きていた)

隣の世界で危うい物事の試行を行い、不利な展開を切り捨て、有利な展開だけを基本の世界に持ち込む。
それが可能なヴァレンタイン大統領は、既にこの世で最も「ナプキンを取れる者」に近い立場にあると言えるだろう。
(あたかも、大天使ルシファーが神に最も近しい存在であるかのように)
しかし、(運命の落とし穴を避け絶頂を目指したディアボロですら、そのスタンドは十数秒の運命を支配する程度だったのと同様)
所詮「D4C」が支配できる物事は己の手の届く範囲内の物事に過ぎないし、それすらも自身の判断ミスで台無しになってしまったりする。
だからこそ、「予期せぬことが起こらぬようにすること」を重視し、真にナプキンを取ることを目指しているのだろう。

235フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:24:25 ID:HZzZ1qyU
740 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 21:00:42 ID:R3trt1dc
現実的に考えればかなり有効な手段となるだろうが、ジョジョには爆発物や毒物などの罠を中心として主人公を倒そうという敵は少ない。
それは漫画的な理由としては当然、盛り上がりのある戦いにならないためなのだが、
作中の理由としては、主人公を始めとするスタンド使いたちは、罠や待ち伏せを見破る程度は軽くこなせる手練であったり、
何より、強い「引力」から発生する「強運」を有しているためだと解釈できる。
そのため(漫画的にも、作中的にも)罠などの現実的な仕掛けを用いてスタンド使いを攻撃するには、
やはり自身もスタンド使いとして、己のスタンドをその仕掛けの運用に活かす必要があるということになる。
(この辺りは、スタンド使いがあまり「武器」を使わない理由にも通じる)
漫画的に盛り上がりにくいとはいえ、だからといって全くこれらの卑怯な要素を取り上げないのでは現実味に欠けるため、
ジョジョでは定期的にこのような現実的な仕掛けを用いる敵が登場するようだ。
具体的には「オインゴ&ボインゴ」「アンジェロ」「スクアーロ&ティッツァーノ」など。

236フェイク『男』:2009/08/23(日) 21:24:36 ID:HZzZ1qyU
738 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/08/23(日) 20:56:11 ID:R3trt1dc
限られた手段の中で工夫や小細工を凝らすことを第一とするジョジョの戦いにおいては、
「複数の技能を併せ持つ」者はあまり推奨されるものではないようで、それぞれ様々な仕組みが見て取れる。
たとえばジョセフは波紋使いかつスタンド使いだが、老いのため波紋のパワーやテクニックは衰え、スタンドも強くないとされる。
DIOとヴァニラアイスは吸血鬼かつスタンド使いになったが、彼らは最も強敵として立ちはだかるべきラスボスとその最側近であるし、
更に、吸血鬼としての能力は再生力や五感、あるいは戦闘とは直接関係ない「肉の芽」など限定されている。
ミスタやジョンガリAなどは銃使いかつスタンド使いだが、彼らは武器とスタンドを併せて一技能として成立しており、
ジャイロは回転使いかつスタンド使いだが、遺体を手放すことでスタンドは使えなくなったとされる。
なお、以前はジャイロの「回転」が技術の域を超えた物事をたびたび起こしていたり、
作中でも「回転」技術がスタンド能力に進化しつつあるなどの言及も成されていたが、
ジャイロが遺体を得てひとたび正式なスタンド使いとなり、また改めて遺体を手放しスタンドを失うことで、
そうした便利すぎる回転の技術からスタンドめいた部分を切り離し、ある程度制限された一技術として成立させている感もある。

237フェイク『男』:2009/10/10(土) 07:21:18 ID:4ykX.WWQ
799 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/10/09(金) 22:26:53 ID:kyEzR9S8
よく話の種にされる「ジョースター家の乗物運の悪さ」について作劇の観点から考察してみると、
恐らく、その原因は戦いにおける状況設定の工夫にあると思われる。
ジョジョにおける戦いとは、自分たち自身の力のみならず、その場にあるあらゆる状況を利用し、全力で小細工を尽くすものだ。
(もしかするとそれは、力業だけでは到底敵わない存在、たとえば作中世界においては吸血鬼・柱の男・強力なスタンド使いなどを、
 現実世界では人間よりも遥かに強い猛獣や災害を、努力と工夫で乗り越えてきた人間の知恵に対する賛歌なのかもしれない)
従って、ジョジョにおいて戦いの舞台とはただの背景ではなく、自分や敵の武器にも弱みにもなりうるものだ。
しかし、この理念に沿って状況を設定するのは意外と難しい。
ある場所に何があって何がないかなどは、基本的にかなりばらつきが大きいだろうし、
偶然、その環境に存在していたものがどちらかにとって一方的に役に立ってしまったりすれば、
どうしても作者の御都合主義を感じさせてしまうだろう。
その点、乗物の中ならば、何が有って何が無いかはある程度周知のことだし、
下手に乗物を降りられないとすれば、他の場所から何か持ってくるといったことはしにくくなり、
限定された舞台におけるサスペンスを演出できるというわけだ。
更に大概の場合、乗物にはスピード感だとか、振り落とされたら危ないという判りやすい恐怖もある。
そして必然的に、物語の主人公であるジョースター一族は、乗物に乗っている最中に戦うことが多くなり、
その場にあるものを利用し尽くす極限の戦いの中で、乗物事故が次々と発生するのである。

238フェイク『男』:2009/12/01(火) 23:43:44 ID:qi7DemIM
760 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/12/01(火) 19:06:16 ID:78UdrZxz
「熊を巴投げした」って事件には理由がある。
熊に限らず、ほとんどの動物は四足歩行が基本。
だから、人間に慣れてない動物は、人間と出あった時、「背の高い四足獣を正面から見ている」と思い込む。
それこそ、ケンタウロスを真正面から見た時のように。
で、熊が人に襲い掛かる時は、その背後に「死角に入っているはずの」
後半身と後ろ足があるという前提で、勢いをつけて飛び掛ってくる。
けれども、実際にはそこには何もないわけで。
勢い余った熊は人間を押し倒し、その勢いのまま人間の「向こう側」に吹き飛んでしまう。
熊としては予想外の出来事に混乱してしまい、訳も分からないままとりあえず逃走する。
この状況を人間の側から見れば、結果として「熊に巴投げをかけた」ように見えるわけで。
実際、ニュースになるこの事件で、「巴投げ」以外の決まり手があった試しがない。
大外刈りや背負い投げで投げたら、本当に熊殺しになれますよ。
(以上コピペ)

757 名前: フェイク『男』 投稿日: 2009/12/01(火) 18:58:07 ID:78UdrZxz
スタンドの能力の中で特に多いのが「スタンドで触れたものに対して何らかの影響を及ぼす」ものだが、
具体的に触れた部位からどこまでが能力の効果範囲なのか、どれほどの大きさのものにまで影響があるのか、
また触れたものといっても気体や液体、あるいは煙などの微粒子の集まりに対してはどうなのか、その辺りが明らかでないものも多い。
そこでそのようなスタンドの中には、接触した対象、能力の効果がある対象を、
どこまでの範囲なのかを明示するようなギミックを持ったものも存在する。
例えば「キッス」は「シール」を貼ったものが対象であり、
シールを貼れないものや、シールを貼った面から不連続なものは対象とならないと言える。
「オエコモバのスタンド」は「部品」を付けたものが爆弾となり、
部品が付くという視覚的表現が出来るならば、水面やタバコの煙なども対象となる、といった具合だ。
また、「キラークイーン」における「爆弾化した対象の状態が固定される」という特性も、
爆弾化の範囲がどこまでなのか、という境界面を視覚化したものと捉えられるだろう。

239フェイク『男』:2010/01/28(木) 01:34:36 ID:HXcjHfE2
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 01:14:10 ID:3QUtphpg
「人間は何かを破壊して生きているといってもいい生物だ。
 その中でお前のスタンドはこの世のどんなことよりもやさしい。
 だが……生命の終わったものはもう戻らない。どんなスタンドだろうと戻せない……」(空条承太郎)

精神の力によって現実を超越するスタンド能力が何故わざわざ死者を生き返らせることだけが出来ないのか、
それは死というものが全ての生命にとって不可避かつ正体不明な物事であるからに他ならない。
その存在だけは誰もが知っていて、誰もが大なり小なり気を揉んでいる、最終的にはどうにもならない物事の筆頭だからだ。
「時を止める」ことも「死者を生き返らせる」ことも現実には共に不可能だろうが、
前者に比べ後者を切望した者の数は、今までの歴史でどれほどに達するだろうか。
「出来て当然」と思う心こそがスタンドの原動力なのに、これほどまでに「やっても無駄」と脳裏に刻まれた物事は他に無いだろう。
とはいえ、死者を生き返らせる「能力」は存在しないものの、限定的にそういう「効果」を現すスタンドは皆無ではない。
例えば絶望の最中に時を戻すことで「早人」の死を無かったことにした「キラークィーン・バイツァダスト」、
あるいは決闘の中で切羽詰って時を戻し、「ジャイロ」の死を無かったことにした「マンダム」、
更に相手の罪の中から「アクセルRO」や「ジョニィ」を蘇らせた「シビル・ウォー」……、
死者復活の効果を持つスタンドの本体が、誰も彼も人死にをものともしない異常者ばかりなのは何とも皮肉な話だが、
人命を超越した意志を持つ彼らだからこそ、死者復活を「ついで」に行うようなスタンドを発現するに至ったのだろう。

240フェイク『男』:2010/01/28(木) 01:35:10 ID:HXcjHfE2
777 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 01:09:42 ID:3QUtphpg
「ミッキーってなんだその名前は!? どこのミッキーだ!」「ミッキーっていったらミッキーじゃん」
「女性の裸体となりますがボカシはいっさい入れず放映されています! この美しすぎる映像は録画できないからです!」
「作者が創ったストーリーをつぶすことは誰にもできない!」「これを失う日本経済は壊滅的な……」
「『充実感』だ……これが俺の『燃える』目的だ!」「おまえいい画家だな……才能あるぞ……なかなかの絵を描いてくれた」

ざっと台詞を上げるだけでも判るとおり、近年の(といってももう八年も昔だが)創作業界を取り巻く様々な出来事を、
風刺混じり冗談混じりで駆け抜けて見せた「自由人の狂想曲」は、ジョジョ史上二番目に無茶苦茶なスタンド能力だったと言える。
(なお、一番は問答無用で「メイド・イン・ヘブン」)
ここまでの暴走が許されたのも、プッチ神父にとってウンガロが何をしようと「自分を押し上げる」運命であることを、
自分の喉にハサミを突き刺してまで確信していたからであろう。


771 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/01/28(木) 00:52:27 ID:3QUtphpg
「催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」(ポルナレフ)

バトル漫画のインフレは漫画家の技量の限界まで留まることを知らないが、例えばパンチのスピードならばどうだろうか。
0.1秒にパンチを一発放つ、0.01秒にパンチを一発放つ、0.001秒にパンチを一発放つ……言葉で書くだけならいくらでもきりがない。
計算上、光速で動けばおよそ1.5億分の1秒にパンチを一発放つことになる。
そして光速を超えて時を止めるとは、0秒に一発パンチを放つということなのだろう。インフレの限界を超えた新境地といえる。

241フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:30:01 ID:.BaEitnU
743 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 21:18:52 ID:8+BWPPBk
「人に対し何かをしてあげるということは……全て『見返り』を期待しての行為だ。
 人に親切にするのは自分も親切にしてもらうためであり、無償の愛というものはない。
 無償の愛とは……天国へ行くための『見返り』だからだ」(プッチ神父)

現代の心理学では、少なくとも人間の意識的な意味での「無償の愛」というものは存在することが明らかになっている。
例えば赤ん坊には、隣で寝ている別の赤ん坊が泣き出すと一緒になって泣き出す習性がある。
まさか赤ん坊が、自分も一緒になって泣いていた方が都合がいいなどと意識的に考えたりはしないだろう。
人間には、他人が喜んでいれば共に喜び、他人が悲しんでいれば共に悲しむ本能があるのだ。
そもそも、そのような感情は人間のみならず、類人猿などにも観察されるものだという。
かつて類人猿はその凶暴性ばかりが注目され、その残虐さが進化する人間の原動力になったのであり、
愛などは打算が形を変えたものに過ぎないという理論などもあったそうだが、今ではそのような学説も否定されている。
そのような本能は生存目的に根ざした、ある意味打算的なものであるということも言えるのだが、
(隣の赤ん坊が泣いているということは、それだけ何らかの危険が迫っているのであり、
 自分も泣いた方が親に危険を知らせられるというように、他者に感情を合わせるのも本能レベルでは打算である)
だからといって本能的な反応が即刻、現実的な打算に結びつくわけでもないし、
現実的な打算をもって本能的な反応を全く消し去ることが出来るわけでもない。
そこのところを高度に両立させ、打算も本能も共に満足させることこそが人間の知性の見せどころであろう。
(とはいえ、そのような理想が現実にどれだけ実践されているかと考えれば、プッチ神父の言葉も判らないではない)

なお、以上のことはあくまで心理学的な話であり、キリスト教でいうところの無償の愛、
アガペーに当てはめていいものか、そもそもプッチ神父の言葉にそのような宗教的意図はあるのか、
そこら辺は私の知ったことじゃないが、およそ面白半分にそれらの意味も含まれると見なすことにする。

242フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:32:18 ID:.BaEitnU
737 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 20:54:57 ID:8+BWPPBk
デッドマンズ・クエスチョンズに登場する幽霊の暗殺者・吉良は、
ジョジョ四部に登場する吉良から少し変化した考え方をしている。
何故わざわざ、ジョジョではない短編の主人公にジョジョの重要人物を据えたのだろうか。
この設定は、幽霊の主人公が己の今までの「人生」を失っていることを明確に指し示している。
ジョジョ四部を知っている者ならばもちろん、吉良のあまりの変貌振りに驚くだろうし、
それを知らない者でも恐らく、幽霊の吉良の「生前の自分」に対する執着の無さは見て取れるだろう。
恐らく、幽霊の吉良が今後、己の過去の全容を知ったりしても、何ら心を動かすことはないと思われる。
(つまり、今後デッドマン・Qの続編が新たに作られることがあっても、ジョジョ四部を過度に引っ張ったりはしないと推測できる)
幽霊とはただ身体が透けているというだけではなく、「生き甲斐」を無くした存在であるということだ。
そして「生き甲斐」をなくしても、それでも新たな「生き甲斐」を求め、
この世に自分の「居場所」を確保しようとする心は、幽霊であっても人間と同じだ。

243フェイク『男』:2010/04/10(土) 22:32:37 ID:.BaEitnU
731 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/04/10(土) 20:43:05 ID:8+BWPPBk
ジョジョのキャラクターの名前には、その当人に繋がる意味が篭められていることがある。
それは例えば、地面を操る能力だから大地君だとかそういう安直なことではなくて、もっと大局を暗示するようなものだ。
例えば「空条承太郎」の「承」は受け継ぐ、うけたまわるという意味だと作中で明示されているが、
承太郎はまさにその通り、三部までのジョジョのストーリーをうけたまわり、四部以降に受け継ぐキャラクターであるといえる。
(ジョジョは当初、三部で完結する予定だったというのに、まったくよく出来た話だ)
他にも「東方仗助」(「仗」は武器、頼りにする、守るなどの意。東方つまり日本で戦いによって町を守る、頼りになるジョジョ)、
「ジョルノ」(イタリア語で明けた白日。即ち朝一番の太陽光であり、太陽の光は生命活動の根源である)、
「徐倫」(「徐」はゆっくりと、静かに。「倫」は守るべき道、仲間。運命に対し自然体で挑む生き様を示す)など、
取り分け主人公については、わりとストレートなネーミングを行っているようだ。

244フェイク『男』:2010/07/16(金) 22:36:00 ID:Fiba6bYU
860 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/07/16(金) 21:34:01 ID:f5TBApYg
スタンドの中には、まるで本筋の能力とは無関係に見える副作用を持つものがある。
例えば「天国の扉」の「ページを破り取ると体重が軽くなる効果」だとか、
「ホワイトスネイク」の「生物に幻覚を見せてDISCを奪う最中、対象を溶かしていく効果」などだ。
(なお「ホワイトスネイク」の「幻覚」効果については、本来の能力「精神のDISC化」とは無関係ではなく、
 DISC化を通じて対象の記憶に干渉するという応用技術として説明できる)
漫画的に見れば、これはただ単に多忙な週刊連載の中で打ち捨てられた初期設定というだけのことだが、
(特に上記の二つについて)もう少し細かく言えば、これらは生物の精神に対する攻撃を物質的に表現しているものだと言える。
生物の精神と肉体には密接な繋がりがあり、精神がダメージを受ければそれは何らかの形で肉体にも表れるものだ。
しかし、例えば「身体中に裂傷が走る」とか「体力を消耗して立っていられなくなる」などの単純な表現ばかりではつまらない。
更に言えば、精神と肉体の関係というものは非常に複雑であり、この二つの相互作用において何が起こるかなど判ったものではない。
そして上記のスタンドのような非常にユニークな精神攻撃ともなれば、それが肉体に及ぼす影響など何が起こってもおかしくない。
スタンドが超能力の視覚化であるように、これらの副作用は精神ダメージの視覚化であると言えるだろう。
何にせよ、これらは(読者の視点からも、スタンド使いの視点からも)ただの副作用・表現の一環であり、メインに扱われることはない。

245フェイク『男』:2010/10/30(土) 23:39:31 ID:YAucOgo6
820 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 23:30:38 ID:k4INjHR7
スタンドとは超能力の視覚化であり、たとえ像の無いスタンドでも視覚的効果は存在しているのが基本だ。
そこから敵の能力の推理を行ったりするのが、スタンド戦闘の定番と言えるだろう。
作中に存在するスタンドの中には、どうにも不可視の攻撃などもしばしば存在しているが、
それでも何らかの手がかりはあるものだ。スタンド能力も人間の行いであり、全く痕跡を残さない人為などありえないからだ。
(メタな視点でいえば、手がかりのない謎の攻撃なんて攻略しようがないからだが)
例えば「グレイトフルデッド」の老化ガスや「グリーンデイ」の食人カビ胞子は事実上不可視の攻撃だが、
どちらも攻撃対象の方に発動条件(体温の変化、位置の移動)があるし、
「メタリカ」の不可視の磁力攻撃などは鉄分のみの操作というところから能力内容を推測できる。
更に「パープルヘイズ」の殺人ウィルスや「ヘビーウェザー」の太陽光サブリミナルは不可視の上に回避不可能だが、
ウィルスは本体すらも巻き込む、サブリミナルは本体にも制御できないなど、更なる欠点も付随している。

816 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 20:24:24 ID:k4INjHR7
ファンタジーな創作物に登場する主要な超能力には、最早お約束といえるシチュエーションがいくつかある。
その中の一つに、「予知能力者が自分の死を予知したらどうすればいいのか?」というものがあるのだが、
「キングクリムゾン」の「不都合な予知の起こる時間帯を消し飛ばす」能力は、その解答の一つであろう。

246フェイク『男』:2010/10/30(土) 23:39:45 ID:YAucOgo6
809 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/10/30(土) 20:12:52 ID:k4INjHR7
情報収集を行えるスタンドというものは、その強さに注意する必要がある。
例えば、敵のスタンド能力の謎を解き明かすというのは、ジョジョの戦いにおける見どころの一つだが、
敵の正体を何のリスクもなく見破れる能力がこちらにあれば、謎も何もあったものではない。
また、ジョジョ作中における戦いはその多くがギリギリのバランスで成立しており、
前提条件が少し違えばどちらかの圧勝・瞬殺に終わる事例も少なくない。
そして敵の詳細が事前に判っていれば、それだけ有利に戦いを開始できるだろう。
(特に、攻撃力はやたら高いが防御力はほぼゼロというスタンド使いは、このような状況に極めて不利である。
 「天国の扉」「ハーヴェスト」「メタリカ」など)
自分自身やその接触対象に関連あるものしか念写できない(と思われる)「隠者の紫」、
リプレイ中は無防備な上、素の格闘能力もそれほど高くなく、未知の敵を追跡するにはあまりに危険な「ムーディーブルース」、
本体がある程度知っていることしか掘り起こせない「アンダーワールド」などがこれに当たる。

247名無しさん:2010/12/17(金) 18:24:24 ID:rQr7OUGQ
いつだったか鑑定してきた数が多すぎて同じようなスタンドもあるかもしれないと言っておられましたが
今まで鑑定してきたスタンドの中で
こいつはまさに主人公だろうだとか、これは自分でも上手くできただとかで
印象に残ってるスタンドってあります?

248フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:30:35 ID:vAVHW6Gs
718 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:20:50 ID:MdmAxUj/
世界の運命と個人の意志が一致したときに、人は真実に辿りつく。その体験が「奇跡」である。
(参照:奇跡とは…>>210
それと同様に、世界の法則と個人の意思が合致したときに、人は「スタンド」を発現させるのかもしれない。
例えば「クレイジーダイヤモンド」の「自分だけは治せない」という特徴は、
本体個人の面から考えると、明らかに自分の学ランを犠牲にして幼少の仗助を助けてくれた恩人の姿が反映されているが、
世界法則の面から見ると、「マクスウェルの悪魔」という概念と丁度一致する。
(参照:マクスウェルの悪魔…>>91の最下段)

716 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:15:22 ID:MdmAxUj/
ジョニィのスタンド「タスク」は、ただの模倣からリスペクトを経てオリジナルへと至る創作の段階を踏襲している。
(参照:タスクAct1〜3…>>211
そこで最新形態の「タスクAct4」をこれに当てはめるならば、
差し詰め、馬乗りの家系ジョースター家と回転の家系ツェペリ一族のコラボレーションであり、
更には、この二者の協力によって失われた古代の技術を再生させるルネサンスとでも言えるだろう。
(なお、馬乗りでなければ「騎兵の回転」は行えないとジャイロは説明したが、
 ジャイロは既に「光り輝く道を進む」ほどの乗馬技術を確立しているため、実際には彼も「騎兵の回転」が行えた。
 これは元を辿れば、3rdSTAGEゴール・湖越えでのジョニィからジャイロへの馬乗りとしての忠告が発端なので、
 一応、これもまた二者の協力によって成立しているということに変わりは無い)

249フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:31:03 ID:vAVHW6Gs
714 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:11:48 ID:MdmAxUj/
スタンドとは本体の精神性を反映しているものだが、
だからといって全てが本体の精神の根本のところで決まってしまっているというわけではない。
その例として、まるで正反対の精神性を持つ本体でありながら同じタイプのスタンドに至った「星の白金」と「世界」、
本体の精神の一部のみを色濃く反映した「パープルヘイズ」や「マンダム」、
その時の本体が特定の体験に強く影響を受けたためにスタンドの能力が決まった、
(その体験が無ければ全く別の能力となっていたであろう)「タスク」や「スケアリー・モンスターズ」(ディエゴ版)などが挙げられる。
逆に言えば、たとえ異なる人生を歩む別人であろうとも、その精神のどこかに一貫したものがあれば、
例えば十九世紀の競馬騎手でも二十世紀の吸血鬼でも、同じスタンドを発現させるということもありえるようだ。

712 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 21:05:52 ID:MdmAxUj/
女性スタンド使いの能力には、大別して「柔軟な変形を行う」「対象の心身を支配・制限する」という特徴がある。
(参照:女性のスタンド一覧…>>40の二段目)
これは前者が男性から見た女性の肉体的イメージ、後者が精神的イメージであると想像できる。
この考察は七部、ホット・パンツの登場以前に書いたものだが、彼女の「クリーム・スターター」もこれに含められるだろう。

250フェイク『男』:2010/12/19(日) 21:31:16 ID:vAVHW6Gs
708 名前: フェイク『男』 投稿日: 2010/12/19(日) 20:58:14 ID:MdmAxUj/
かつてジョジョ七部ではスタンドのヴィジョンそのもので格闘を行うスタンドはほとんど存在せず、
舞台が西部劇時代であるため、拳銃の弾丸を素で防御できるような奴ばかりでは興ざめだからだ、とか、
スタンドとはこういうものだという固定観念をいったん解体してもう一度組み立て直そうという意図だ、とか、
その理由を様々に想像したものだったが、大統領の「D4C」、ジョニィの「タスクAct4」、Dioの「The World」と、
物語の最終局面に至って連続でパワー型のスタンドが登場するというこの展開は、
人型スタンドの初出である三部よりも更に百年ほど過去の、人類の技術や思想がまだまだ成長段階にある時代において、
彼ら少数のスタンド使いたちが、遺体の入手や度重なる戦い、宇宙が一巡しようとも不変の精神性などでもって、
その意志の力を遂に現代へと届くほどにまで推し進めたのだということを思わせる。
(参照:周辺環境から見るスタンド能力の変遷…>>166-167

251フェイク『男』:2010/12/19(日) 22:26:31 ID:vAVHW6Gs
>>247
私の鑑定の中には、原作には存在しない独自のスタンドの分類のようなものがいくつかあって、
それぞれのスタンド個々についての思い入れより、そういう概念のようなものの方が、
私の嗜好をよく反映しているような気がして、よく心に残っている。

例えば
「超高速で何回も同じ行動をいくらでも試し続けることで、時間をかければいつかはどんな行動でも成功する」スタンド
「身体の内側に無限の大きさがあるから、どんな傷でも倒れない(でも精神攻撃には弱い)」スタンド
「身体中に全て異なる形状のナイフを無数に装着していて、それぞれのナイフは一種類の行動に完璧な適性がある」スタンド
などを鑑定した覚えがあるが、これらは全て、
「スタンド体が何か一種類の事物を無限に保有する。そのことで技術的に様々な結果を派生させる」スタンドだと言い表せる。

このようなスタンドは様々な状況に独特な手法で対処できるだろうから、出来るだけ色々な戦いを描写するべきだという意味で主人公的だが、
同時に、よほど上手く演出できなければ、強すぎて面白みを失ってしまうとも考えられる。少なくとも、私は出来る気がしない。

あともう一つ、ジョジョ原作のスタンドを描写の曲解によって全く別の能力に読み解いてしまうとか、ああいう遊び心のあるやつ。

252名無しさん:2010/12/19(日) 23:00:19 ID:Egkwjk86
なるほど、わざわざありがとうございました

253フェイク『男』:2011/02/23(水) 21:14:10 ID:Sd8CocRs
791 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/02/23(水) 20:54:09.27 ID:jOzLD3od
重力を支配することであらゆる異次元間を突き抜け、どういう理屈か時の止まった世界にまで入門した「タスクAct4」は、
その攻撃をいったいどこまで貫き通すことが出来るのだろうか。
「鏡の中の世界」では? 「時間の飛んでいる中」では? 「幻覚を見せられている夢の中」では?
それどころか、ひょっとしたら全ての生物の精神を支配する「レクイエム」すらも突破できるだろうか?
少なくとも、いかに「タスクAct4」が重力を支配しようと、それは回転運動から生じるエネルギーに過ぎず、
時が止まれば回転も止まるために、「The World」の前には「タスクAct4」は無力、とはならなかった。
それは恐らく、「タスクAct4」がひとたび重力を支配してしまったら、
それはもう回転の力を超えており、(最低でも「時を止める」原理より)更に上位の力でもって、
敵を追跡する数秒間だけ(そして敵に命中すれば無限に)持続するものだからだろう。
従って、いかに「タスクAct4」が重力を支配しようと、それは人間の精神から生じるエネルギーに過ぎず、
あらゆる精神を超越した「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」の前には無力、とはならない可能性がある。
もちろん、誰も断言は出来ない。しかし個人的には、今まで出てきたスタンドの中では一番可能性があるように感じる。

254名無しさん:2011/02/25(金) 02:37:15 ID:fPULAekc
フェイク氏の鑑定は、3レスに及ぶものもあれば、3行で終わるものもあるようですが
何か違うはあるのでしょうか?テーマ的なものがある場合だったり、パッと思いついただけの場合だったり?
それとも全部にテーマがあっても、上手く表現できないものはバッサリカットしてしまうとか?

255名無しさん:2011/02/25(金) 03:00:13 ID:fPULAekc
あ、後安価を変換結果の書いてあるレスにだけ付ける場合と
その前のテストのレスも含めて付ける場合にも何か違いがあるんでしょうか?

256フェイク『男』:2011/03/12(土) 21:56:08 ID:EUAfMXeg
>>254
スタンドの鑑定は文章だけで行われるものなので、
そのスタンドを表現するために書けることは何でも書いておくようにしているのだが、
あまりにシンプル過ぎて説明の余地が無かったり、むしろ説明が邪魔に思えるものは短文で終わる。

>>255
スタンドの鑑定の結果が、テストのレスの内容に関係があるような気がするときは、そこにもアンカを付けている。
積極的に関係性を持たせようと努力しているわけではないが。

257名無しさん:2011/03/14(月) 11:08:42 ID:XekvL9gc
>>256
なるほど
ただの「テスト」等では安価を付けず
何か意味有り気な文章の場合は付けるわけですね
ありがとうございました

258フェイク『男』:2011/04/29(金) 19:42:12 ID:Ef2FjSZM
492 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/04/29(金) 19:38:12 Ef2FjSZM
ジョジョ七部終盤では、ようやくと言うか遂にと言うか、スタンドの格闘攻撃と本体からの銃撃による二面攻撃が登場した。
とはいえ、やはりこのような攻撃はいくつかの問題を抱えるものであり、常用できるものではない奇策の類に見える。
特に敵のスタンドがパワー型の場合、本体とスタンドが同方向から攻撃したのでは、
銃撃など余裕で防御されてしまうだろうし、むしろ自分のスタンドの動きを邪魔する危険性すらある。
だからといって本体とスタンドが別方向から攻撃しようとするなら、本体は大きく隙を晒すことになるのだ。
作中では大統領やDioがジョニィに対してこのような攻撃を行ったが、どちらの場合も、
「ジョニィはスタンドを防御に使いにくいため、本体が行う銃撃でも充分な攻撃となる」
「ジョニィからの攻撃を防御することは出来ない」(撃たれる前に撃つのみ)
この二点があって成立している。

259名無しさん:2011/05/05(木) 23:33:41 ID:dANSSSKE
フェイク氏に質問です
フェイク氏はスタンド鑑定以外の時は、
普通に名無しとしてIDテストしてスタンド変換結果をスレに書きこんだりしてますか?

260フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:28:34 ID:YQXTvkJs
508 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:23:27 YQXTvkJs
【スタンドの次の話、3】
(参照:スタンドの次の話、1と2…>>220
ジョジョに登場するスタンド以外のファンタジーが、スタンドでないことの理由として、
例えば「回転の技術」には、一族が担う目的を果たすために、先祖代々、そしてジャイロからジョニィへと「継承」されるという要素がある。
人間の文明や文化の発展、精神の成長において、この「継承」という要素はかなり重要なものだが、基本的に個人の精神である「スタンド」にこの要素を盛り込むことは難しい。
もちろん、DIOからプッチにといったように、スタンドを交えた「継承」もあるにはあるのだが、これを人間の精神というにはあまりに特異すぎるだろう。
ちなみにスタンド以前の話ではあるが、「波紋の技術」についても、吸血鬼や柱の男といった人類の天敵に対抗するため一族が伝えてきた技術として、同じことが言える。

506 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:22:22 YQXTvkJs
全人類が運命を覚悟するという「天国」も、幸福のみが集まるという「千年王国」も、作中で明示されたのは大まかな未来予想図のみであり、
結局のところ、それがいかなるものであるかの完成形が示されることはなく、正誤も善悪も判明することはなかった。
それも当然の話、それらは言ってしまえば漫画の中で描かれただけの、ただの作り話だ。設定次第、解釈次第でどうとでも出来る。
重要なのは、そのような考え方に対しどのように立ち向かうかであろう。

261フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:28:55 ID:YQXTvkJs
504 名前: フェイク『男』 投稿日: 2011/06/20(月) 23:21:33 YQXTvkJs
「人の性格がそんなに簡単に変えられ成長できるなら誰も苦労はしません」(トト神)

特に、心の死んだ人間が「再生」するには並々ならぬ犠牲を払わなければならない運命のようだ。
例えば花京院やブチャラティは、「再生」したものの最後まで生き抜くことは出来なかった。
ウェザーやアナスイは新たな世界の新たな彼らが生きてはいるものの、かつての彼らが死んだことに変わりは無い。
そしてジョニィは「再生」した上で生き延びることが出来たが、親友は死亡、レースは失格、聖人の遺体も失ったままと、
およそ良いところは何も無く、当人の望みの通り「マイナスの人間がゼロに戻る」ことだけが成就した状態となっている。

262フェイク『男』:2011/06/20(月) 23:29:59 ID:YQXTvkJs
>>259
まったくしない。

263フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:55:51 ID:6388MFX2
515 :フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:49:19 ID:6388MFX2
正義をなすことこそが運命だが、何が正義なのかはそう簡単には解らない。
しかし、例えば自分を取り巻く全てのものに敬意を払い、あるいは自分の敵に対してすらも謙虚に振る舞い、
自分が正義であるように、即ち運命に適うように「祈る」ことで、たとえ正義でも邪悪でも、人は「清らか」に生きていけるのだろう。
薄っぺらな邪悪との戦いではなく、そういった清らかに生きる者同士の戦いでこそ、勝者は価値あるものを得られるし、敗者の存在も肯定される。

522 :フェイク『男』:2011/08/18(木) 19:51:56 ID:6388MFX2
ジョジョ四部で「幽霊」の存在が明示されたため、以降のジョジョではただ肉体を殺害するだけでは真に敵を倒したとは言えなくなった。
特に歴代ラスボスについては、肉体のみならずその魂すらも明確に敗北している様子が描写されている。以下に具体例を挙げておく。
四部、吉良吉影:振り返ってはいけない小道に連れ去られる。
五部、ディアボロ:レクイエムの力で永遠に死に続ける。
六部、プッチ神父:アイリンたちの生きる新世界は、明らかにプッチ神父の存在しない世界である。恐らく不完全な宇宙一巡の余波で、存在そのものが消滅したのだろう。
七部、ヴァレンタイン大統領:ジョニィの推測では、Act4の無限の回転は魂すらも残さず消滅させるという。

264フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:04 ID:i7X36LKs
535 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:42:24 ID:i7X36LKs
「ブンブーン一家のスタンド」と「TATOO YOU!」は、SBRにて初めて登場した、本体が複数存在するタイプのスタンドと見なすことが出来る。
一応、どちらのスタンドもリーダー一人(ベンジャミン・ブンブーン、11人組のリーダー)だけが「本来の本体」であり、
他の仲間たちは能力を付与されているだけという見方も出来るが、それでも「ブンブーン一家のスタンド」においては、
「本体よりも仲間(アンドレ)の方がスタンドの操作がうまい」「本体を交代できる(ベンジャミン死亡後、LAだけでスタンドを使用)」など、他のスタンド能力には見られない特徴がある。
六部までのスタンドの発現方法といえば、矢やDISC、あるいは生まれつき、果ては修行の賜物、どれも個人的なものだったのに対し、
SBRの「悪魔の手の平」は、一度に複数の人間が巻き込まれることが出来る「場所」であるため、このような複数の本体を有するスタンドが発現できるようになったのかもしれない。
とはいえ、精神力の表れであるスタンド能力を複数の人間で操るというのは、よほど強力な精神的結びつきがなければ不可能だろう。
例えばブンブーン一家には「歪んだ家族愛」があり、11人の男たちには各々の馬の足音をピタリと一致させるほどのチームワークがある。
(参照:ブンブーン一家の家族愛…>>163の一段目)

265フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:33 ID:i7X36LKs
537 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:43:15 ID:i7X36LKs
五部小説「恥知らずのパープルヘイズ」の麻薬チームのスタンドは、四体中三体が無形の中〜遠距離攻撃を主体とした能力である。
彼らの能力は、拳で直に殴ったり、弾丸を飛ばしたり、あるいは周囲の全てを巻き込むような無差別攻撃とは異なり、
同士討ちの恐れがかなり少ないため、積極的に複数で一体の敵を攻撃できるという長所がある。
(唯一同士討ちの恐れがあるのも、短剣の刃に写った対象にダメージを返す「ドリー・ダガー」程度で、
 このスタンドの本体は戦闘に際し積極的に敵に向かっていく性格・戦法であるため、やはりこの能力が仲間に誤爆する危険性は低い)
ジョジョ原作における複数人での戦いもほとんどが精々コンビで挑む程度、それも少なくとも片方は遠距離攻撃主体のものばかりであることを考えれば、彼らの能力の強さが解るだろう。
とはいえ、前述の「ドリー・ダガー」以外の二体は防御力ゼロのため、単独で戦うにはうまく立ち回って相手をハメなければこちら側が即死という、
原作でもよくあるトラップ型スタンドの類型であり、そこまで極端に強い能力というわけでもない。
問題があるとするならば、無形の遠距離攻撃などというものは明らかに漫画として見栄えが悪いということくらいで、まさに小説向けのスタンド能力といえる。

266フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:49:49 ID:i7X36LKs
539 :フェイク『男』:2011/10/20(木) 22:44:09 ID:i7X36LKs
五部小説「恥知らずのパープルヘイズ」に登場するスタンド能力には、対象の感情や感覚への攻撃など、精神攻撃を行うものが散見される。
ジョジョ原作においては、超能力による精神攻撃をそのまま描くのは漫画演出的に難しいためか、精神攻撃はもっと物理的・可視的な現象を伴って行われることがほとんどだ。
(個々の例は説明しないが、オシリス神、アトゥム神、錠前、天国の扉、ボーイⅡマン、エニグマ、マリリンマンソン、ホワイトスネイク、自由人の狂想曲、シビル・ウォーなどがそれに該当する)
また小説では、スタンド能力の一つ一つに、本体の精神性の何が原因となってそういう能力になったのかが全て明記されているが、
原作ではやはりそこまで詳しい説明をしているものは一握りだ。いちいち全てに説明を付けていては、逆にリアリティが損なわれるという感覚かもしれない。
とはいえ小説のストーリーでは、主人公フーゴのスタンド、パープルヘイズの「本体の精神の一面を反映している」という要素が重要な意味を持つので、
それに関連して、スタンド能力には本体の精神にルーツがある、という設定を強調するのは妥当な演出と言えるだろう。

267名無しさん:2011/10/22(土) 12:23:14 ID:???
>>264
ブンブーン一家はただ『似過ぎている3体のスタンド』ってだけで、
『3人で1体のスタンド』じゃないですよ。
原作を見てみるとわかりますが、3人のスタンドはそれぞれデザインも能力も違います。

アンドレのスタンド:本体が触れた生物に磁力を付与する能力。そのパワーは対象同士が近寄ったり、本体の家族で囲んだりすると増幅される。
ベンジャミンのスタンド:磁力を操り鉄を変形させる能力。また、本体の体内に鉄を取り込める。
L.A.のスタンド:砂鉄と同化しているのが能力の、不定形のスタンド。

268フェイク『男』:2011/10/30(日) 19:14:49 ID:MSzAxaJ2
>>267
もちろん作中で明言されていない以上どんな見方も自由だし、今後公式にどういう設定が成されるかは判らないが、現段階でのその解釈には色々と不可解な点がある。

1、個々の能力について
ジャイロがアンドレに鉄球を投げて攻撃する際の彼及びLAの反応を見ると、ベンジャミンのような「鉄球を空中で削る防御法」はアンドレにも出来るようだが、それは何故か。
また、その解釈ではアンドレの能力はジャイロたちを殺害するための最重要能力に見えるが、それなのに他の二人がアンドレの脱落を放置していたり、
そうでなくとも能力が別々ならばそれぞれに使い道があるはずなのに、上二人のLAに対する対応が酷かったりと、扱いがぞんざいなのは何故か。

2、演出について
三人の持つスタンドが本質的に別物であるにしては、「ワシらのこの『鉄』を操る能力」「ヤツらの鉄の能力」などの台詞が示す通り、
ベンジャミン、ジャイロ共に三人の能力を一纏めに扱っている点、更に能力の内容はまだしも外見まで似過ぎている点など、漫画の演出上好ましくない描写が多いのは何故か。
(続く)

269フェイク『男』:2011/10/30(日) 19:15:04 ID:MSzAxaJ2
(続き)
もちろん、ベンジャミンはともかくジャイロ側はブンブーン一家の能力の詳細など知らないから「同じ能力」だと誤解した、と考えられなくもないが、展開上は無意味な描写だ。
(ジョジョという漫画における作中のキャラクターの「推理」の類は、特に「推理を間違うこと」が戦闘や物語に大きな意味を持つ場合でない限り、基本的には「正しい」ものとして話が進む傾向にある)
また、同じような能力でも本当は異なるスタンドであるならば、その外見は全く別物になるという前例がある。
(「オシリス神とアトゥム神」、「星の白金と世界」など。更に言えば、>>267の言うブンブーン一家のスタンドそれぞれは、
 「ゲブ神とアクアネックレス」「バステト女神とメタリカ」「リトルフィートとグーグードールズ」ぐらい離れているように思える)
外見も能力も全く同じスタンドならば、「『食う』『寝る』『子供を産む』この三つしかしない」とまで言われた鼠二匹の「ラット」、
ココ・ジャンボとジョルノが作ったそのクローン亀による「ミスター・プレジデント」、異なる世界の同位置の人物であるDIOとDioの「世界」など、
本体の方にも何らかの同一性があるのが通例だが、さすがにブンブーン一家は殺人趣味やら「歪んだ家族愛」を共有しつつも、そこまで同一の存在には見えない。
(これの例外として、DIOとジョセフの「隠者の紫」があるが、スタンドの設定そのものが固まっていない時期の話であるため、ブンブーン一家のスタンドと同列には考えない)

3、意味について
そしてそもそも、三人の能力が実は別物であるということに、漫画として何の意味や面白さがあるのか。無駄にややこしくなるだけではないのか。
三人全員が同じ能力ということにしておけば、敵スタンド使いが同時に三人も襲い掛かってくるという状況でありながら、
戦闘の内容をなるべく単純に展開させることが出来るという長所がある。(>>57の最下段参照)

270フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:27:48 ID:q2q/vgTs
767 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:47:06.53 ID:BaqvFCmb
スタンド能力の中には、作中で明示されていない存在意義があると思わしきものも存在する。
例えば「天国の扉」の、生原稿を最初に読んだ者にのみ作用するという困難な発動条件は、明らかに本体・岸辺露伴の「担当編集者のありのままの感想を聞きたい」という目的から生じたものだろう。
(参照:スタンド能力の最初の存在意義…>>43の三段目、>>136の上段)
作中でこういう類の裏設定が披露される機会など滅多に無いので、これに関連する話を始めると、多分に妄想とも願望とも付かないものが入り混じってしまうものだが、
それでも果敢に考察をすると、東方大弥の「カリフォルニア・キング・ベッド」が有する各種の特徴──気を遣うと発動、身体に一時的な傷が出来る、相手から記憶を一つだけ抜き出す、
チェスの駒に記憶を封じる、影を踏むと解除される、公正に相手に能力を教える──という、てんでバラバラな要素は、全て本体の「障害者としてのコンプレックス」に関連付けられる。
このスタンド能力は元々、本体が障害者だということで誰かに気を遣ったり遣われたりした「記憶」を抜き取り、健常者相手に「心の負い目」の無い生活を行うことが目的だったのかもしれない。
(続く)

271フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:28:13 ID:q2q/vgTs
(続き)
身体に傷が出来るのは(既に各所で考察されている通り)本体の「心の傷」であり、だから相手の「記憶」を奪う段階になると、「負い目」が無くなって傷が癒える。
(後に東方大弥は、単に「気を遣われた記憶」を奪うのではなく、相手と思い出を共有することでの「幸せ」を目指すことで、「心の傷」を癒しつつ、スタンドの更なる有効活用を試みるようになる)
「チェスの駒」は視覚障害者でも手触りで種類が解りやすい、一揃いの品物であり、それでいて点字を使うなどの「気を遣った」品物ではない。
「影を踏むと解除される」のは、影を踏むという行いに相手への失礼がある(自分から相手に気を遣わせる行為である)という意味合いと、
影を踏まないという健常者なら普通に出来ることを障害者である自分が行うことで、健常者と対等であろうとする自負心の表れである。
「公正に能力を相手に教えることが強さに繋がる」のも、もちろん自分と相手が対等であるためだ。
しかし何とも皮肉なことに、このスタンドは発現と共に本体が視力を失っていったという経緯がある。
この経緯、及び「障害者としてのコンプレックス」がスタンドに直結するという現象は、どちらも今までの障害者のスタンド使い──生まれつきスタンド使いで生活に不便の無いンドゥール、
復讐心でそれどころではないジョンガリ・A、回転の力を希望と捉えるジョニィなど──には無い特徴であり、新たな独自性なのかもしれない。

272フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:28:48 ID:q2q/vgTs

770 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:52:31.80 ID:BaqvFCmb
スタンド能力の中には、作中で明示されていない存在意義があると思わしきものも存在する。
例えば「エボニーデビル」は、相手の目の前に姿を現し傷を付けられ、更に殺されずに逃げ出してようやく発動できるスタンドであり、
それでいて極端に強いわけでもなければ特殊な能力も無いと、遠隔操作型のスタンドとしては明らかに異色の弱さである。
漫画作品上の理由としては、単にジョジョ三部初期、スタンドという設定の黎明期の能力であるため、強さの調節がまだまだ手探りだったというだけの話なのだが、
作中の理由をあえて考察するならば、このスタンドは本来「本体デーボがその人生で真に呪うべき相手に復讐するため」の能力であると考えることが出来る。
真に復讐すべき相手に対し、「エボニーデビル」はまさに無敵であり、戦闘面でも心理面でも相手に絶望のどん底を見せることが出来るスタンドなのだが、
そのような復讐を全て終わらせ、何もやることがなくなって、しかも今までの人生で復讐だけを目的に生きていたため、このスタンド以外に何の取り得も無いデーボは、
仕方なく「相手にわざと攻撃されてその復讐を行う」という回りくどいスタンドの使い方によって、殺し屋として生計を立ててきたのだろう。
あるいはもしかしたら、「復讐」という行いのカタルシス、恨みを晴らすために相手を殺すという行いの気持ちよさに憑りつかれ、内心嬉々としてそのような道を歩んでいる可能性もある。
これはいわゆるSMプレイに似ている。SMというものはやり過ぎてはただの暴力であり、快感を得られるギリギリのところをわきまえなければならない。
「エボニーデビル」も同様、相手を恨める傷を付けられつつ、殺されてはいけない。ちなみに、その辺の限度を無視して突っ走ってしまうのが「ノトーリアスBIG」だ。カルネはガチだ。
……妄想が激しくなってきたので、この考察はここまで。

273フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:29:06 ID:q2q/vgTs
773 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 18:57:46.35 ID:BaqvFCmb
ジョジョ八部主人公、仮称・東方常助のスタンド「ソフト&ウェット」は、何だかどこまで出来るのかよく判らない能力をしている。解釈次第ではどこまでも強くなりそうな恐れもある。
こういう応用性のやたら広そうな能力を主人公側が持つ場合、擬音の数だけ応用性のある「エコーズAct2」はパワー自体はさほどでもなかったり、
生物の数だけ応用性のある「黄金体験」は小型の生物か単純な樹木しか作れなかったりしたものだが、「ソフト&ウェット」はその辺りがまだ掴めない。
あるいは、この能力の掴めなさを主人公の正体不明さと合わせているのかもしれないし、そもそも八部は単に強い能力だけではどうにもならない敵ばかり出てくるのかもしれない。
例えば、今現在の連載で交戦中の東方大弥は、明らかに敵だからといって殴り倒していい相手ではない。取り敢えず、今後の動向に注目。

774 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 19:00:26.77 ID:BaqvFCmb
敵が人類の捕食者・天敵である「吸血鬼」だとか、その吸血鬼の更に上、人類などゴミ扱いの「柱の男」だった波紋編とは異なり、
敵の大多数が主人公と同じ「人間」である三部以降においては、各部の最初の敵との戦いで、犠牲となる一般人の姿が必ず描かれている。
それもただ戦いに巻き込まれて傷ついたり死ぬというだけでなく、スタンド使いに操られるとか、利用されるとか、
スタンドという超能力に対して一般人がいかに無力であるか、そんな暴力を振るう悪党がどれほど主人公にブチのめされるべき存在であるかを強調するような表現だ。
その具体例は以下の通り。

三部:花京院に狂暴化させられた女医。あるいは、グレーフライによる大量殺人の犠牲者
四部:アンジェロに操られコンビニ強盗させられた男。及び、殺害された東方良平
五部:ブチャラティが潜伏し、ジョルノが作った蠅の反撃エネルギーで気絶したヤク中の少年。五部はピカレスクであるため、主人公もここに入る
   あるいは、ブラックサバスの犠牲になった掃除夫
六部:グェスに虐待及び殺害された「インコのピーちゃん」の中の人
七部:ブンブーン一家による猟奇殺人の犠牲者三人
八部:笹目桜二郎に利用されたバスルームの女性

274フェイク『男』:2012/02/05(日) 19:29:22 ID:q2q/vgTs
779 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/02/05(日) 19:11:12.13 ID:BaqvFCmb
「公正な振る舞いがスタンドの強さとなる」という主張により、相手にあえてスタンド能力を教える者たちがここ最近のジョジョに散見されるが、
この理屈が全てのスタンド使いに適用できるとは思えないし、それどころか作中に出てきた主張も、全てそのまま鵜呑みには出来ない。
少なくとも、「シビル・ウォー」の本体アクセル・ROは、「水が弱点」であることを教えはしたが、もっと重要な「アクセル自身を殺すと危険」なのは何も伝えていない。
明らかに、自分を殺させるために特定の情報を伏せて相手を誘導しており、公正な態度とは言えないだろう。
あるいは「罪を他人に負わせれば自分は浄められる」などという、かなり歪んだ思想のアクセルが考える、自分勝手な公正さなのかもしれないが、どちらにせよ真っ当なものではない。
(そんなアクセルを所有者として認めかけた「聖人の遺体」も異常だが、あれもジョニィよりディエゴを所有者としてふさわしいとしている節があり、人間の道徳とは異なる価値観があると見える)
「公正な振る舞いがスタンドの強さとなる」という主張を最大限好意的に解釈しても、「公正な振る舞いが強さになるスタンドがある。そうならないスタンドもある。
公正な強さを得られるスタンドと、そうでないスタンドとでは、最終的に公正さのある方が強く成り得る」程度であると、私は解釈する。
正直なところ、この言葉を言い訳にして、敵が自分の能力を主人公にペラペラ喋るような、脳味噌の少なめな展開が増えることを危惧しているのだが、さすがに天下のジョジョに対してそれは考え過ぎか。

275フェイク『男』:2012/04/28(土) 11:45:07 ID:S549QR/I
789 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/04/28(土) 06:30:43.10 ID:UeYANsVR
あんまりこんなことばかり言っていても仕方ないのだが、ジョジョのスタンド表現にはキャラクターの視点からの「見間違い」が含まれていると解釈できるものもある。
例えば、「ノトーリアスBIG」戦でトリッシュが目撃したサッカーボールが、飛行機を追跡してきた「ノトーリアスBIG」そのものであることは割と知られていることだろう。
それと同様に、もしかしたら「ホワイトスネイク」のドロドロに溶かす攻撃は、夢からの目覚めかけで意識の混濁した徐倫や承太郎たちにとって、周囲がああいう風に見えたというだけだったり、
あるいは「カリフォルニア・キング・ベッド」の本体、東方大弥が脚に謎の傷を負ったのは、目からチェスの駒が飛び出しつつある定助の視覚的な異常だったのかもしれない。

790 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/04/28(土) 06:43:16.63 ID:UeYANsVR
「正義をなすことこそが運命」とは言うものの、「力なき正義は無能」という言葉もある。
実に身も蓋も無い話になってしまうのだが、運命を切り拓くには運命に匹敵するだけの力が必要なようだ。
その視点で歴代のジョジョを振り返ってみると、ジョセフがカーズを地球から追放できたのは、エイジャの赤石、カーズ自身の波紋の力、火山の力によるものだったし、
承太郎たちがDIOを倒すためには、承太郎自身も時を止める能力に目覚めなければならなかった。早人がバイツァダストを攻略できたのは仗助たちという戦力が控えていたからこそであり、
ジョルノがディアボロを倒したのは矢によるレクイエムの力であり、エンポリオがプッチを倒した直接の力はウェザーリポートのDISCであり……
そしてディオに肉体を乗っ取られたジョナサンは、自身の子孫という力でもってディオを葬り去ったのだ。

276フェイク『男』:2012/06/26(火) 20:44:12 ID:dBorqTxc
768 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/06/26(火) 19:44:29.00 ID:hjMobQW7
「トト神」や「エピタフ」といった予知能力が登場する際には、しばしば決定的な状況において、予知の画像の見間違いや解釈違いが発生する。
例えば、承太郎が爆弾仕掛けのオレンジに吹っ飛ばされたり、承太郎の額を銃弾が貫いたり、ドッピオの頭が切り飛ばされたりする場面だ。
漫画的な意味では、これは単に話を盛り上げるための演出なのだろうし、あるいは現実に存在する予知や占いの強引な解釈を揶揄したものとも取れるが、
上記の事例はいずれも、オインゴやホルホース、ディアボロの努力次第では、予知の画像そのままが達成されていた可能性があるとも捉えられる。
これらの状況は、まさに彼らの判断と精神力、そして彼らの敵の帯びる運勢がせめぎ合い、運命を左右するギリギリの状態、ネットに弾かれたボールだったと言えるだろう。
(もちろん、ボールの行方も運命によって既に決定されている物事なのだが、それは「神」の領域の話だ)

277フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:12:51 ID:mh0GkFmo
787 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 19:55:53.25 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部終了後、「聖なる遺体」はどうなってしまったのだろうか。作中ではこれといって確たる証拠は無いのだが、
例えばジョニィがネアポリス王国に持ち帰ったとか、Dioの死体と共にシェルターに封印されたとか、そういう展開ではなさそうだと言える。
何故ならば、彼らは「遺体」の所有者として選ばれていない(と、少なくともルーシーはそのように考えて行動している)からである。
ルーシーは「遺体」をジョニィから盗んだ者が、より「遺体」に選ばれた者であるという可能性を危惧し、
また盗人がDioであることを知ると、対策として基本世界のDioの生首を回収し、ジョニィの敗北に備えてシェルターに向かった。
そしてルーシーの予想通り、ジョニィはDioに敗北し、そのDioはルーシーに敗北した。つまり、「遺体」に選ばれた順位はルーシー>Dio>ジョニィとなるのだ。

795 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/18(土) 20:15:22.72 ID:8jsYB6ek
ジョジョ七部はレースの物語として始まりながら、結局のところレース要素はスタンド戦闘の味付け程度で終わってしまったようにも見える。
「スティール・ボール・ラン・レース」とは一体何だったのだろうか。私はそれを、ジョジョ世界における「表の歴史」の象徴だと考える。
このレース、発起人こそ純粋にレースを成功させたいと願っているが、その最重要後援者が黒幕となって「裏の世界」の策略を張り巡らせ、
一方で参加者もスタンドだの鉄球だのといったほとんど反則みたいな技能で上位に食い込んだり、遺体争奪戦にかまけてレースなど二の次に扱っていたりしていた。
そして遺体の入手という「裏の世界」での成功は、レースの優勝などという「表の歴史」での成功などよりよほど価値があるものだというのである。
しかし結局のところ、「表の歴史」に「裏の世界」の連中の出番は無い。レースの最終的な上位入賞者が全員、遺体の争奪には無関係な人々であることは特筆すべきだろう。

278フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:13:06 ID:mh0GkFmo
802 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:07:04.49 ID:Zvc3PJoi
「スティール・ボール・ラン・レース」の優勝者はポコロコだった。彼はスタンド使いでありながら遺体争奪には全く関わらないという、最も「幸運」な立ち位置だ。
しかし日程上、レースの終了時にはとっくに「幸運」な期間は終わっていたはずだ。彼は確かに「幸運」に味方されてはいたが、最後には自分の力で勝利したのかもしれない。
あるいはこの世の運命において、「ラブトレイン」のような幸運よりも、「ポコロコのスタンド」のような幸運の方が強いということだろうか。

803 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/08/19(日) 00:08:22.39 ID:Zvc3PJoi
ところで、作中の「スティール・ボール・ラン・レース」は何故あれほどまでに人気が高く、しかも大統領にも方々から賛辞が贈られたのだろうか。
それはスティール氏の発想と努力の賜物であり、「遺体」の力など無くとも世界中の尊敬を集めることは出来たという証明だと思いたい。
だが、ルーシーの所有する「遺体」がそのような幸福を引き寄せたという可能性も否定できない。「裏の世界」の出来事がどこまで「表の歴史」に絡んでいるのか、誰にも判らないのだ。
東方憲助が記した「レースの記録集」によると、このレースは一度しか開かれなかったそうだが……

279フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:14:03 ID:mh0GkFmo
色々と目に付いたところを追記。

>>4一段目
「ウェザーリポート」は元々「ヘビーウェザー」と一体のスタンドであり、強いだけでなく非常に傍迷惑なスタンドでもある。
作中の便利な「ウェザーリポート」は、プッチ神父が記憶を抜いて「ヘビーウェザー」を封印したために成立したものだ。

>>129二段目
また、ジョナサンの波紋技に色が付いているのも同様の理由かもしれない。

>>152上段
「ブラックサバス」を追加。
本体は刑務所から出ることすら出来ないが、他者をスタンド使いの部下にすることで、間接的に何でもすることが出来る。

>>154上段
岸部→岸辺

280フェイク『男』:2012/08/19(日) 00:14:54 ID:mh0GkFmo
>>164下段
「隠者の紫」はこの分類からは外れるが、これは本体ジョセフが昔から他者の心理を読むことに長けていたためと解釈できる。
つまり「隠者の紫」は「自分の短所を埋めるためのスタンド」(>>137上段)ではなく「自分の長所を伸ばすためのスタンド」(>>106二段目)なのだ。

>>215二段目
台詞を言ったのはジョセフではなく承太郎

>>232
康一は最初から「やるときはやる」性格である。つまり、彼は精神力において最初から強かったのであり、スタンドの方がそれに合わせて徐々に進化していったのだろう。

>>240下段
時を止める能力とは、スピードのインフレを超越した概念である。
すると次には、時を止める持続時間に対するインフレが発生するかのように思われるが、
実際には、時を止められる時間の短い承太郎がDIOを倒したことで、単純ながらも明快にインフレは否定されている。

>>273一段目
常助→定助

281名無しさん:2012/10/12(金) 19:42:22 ID:Zq3p5Fg.
てすす

282フェイク『男』:2012/10/26(金) 00:04:23 ID:JvTHlk9o
742 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:47:50.93 ID:wV1lhk4I
【スタンドの次の話、4】
(参照:スタンドの次の話、1〜3…>>220,>>260
「人間賛歌」という漫画のテーマに対して、及び漫画を面白く描くための手段として、スタンドという設定は非常に優れているため、
これまで部が進むごとに様々な新境地に挑戦してきた「ジョジョの奇妙な冒険」でも、今なおスタンドという設定が使われ続けている。
とはいえ、「スティール・ボール・ラン」「ジョジョリオン」「岸辺露伴は動かない」などの最近の作品では、補助的ではあるが、スタンド以外の要素も加えられつつあるようだ。
これらはいずれも、基本的に個人の精神の表現であるスタンドでは表せない物事のための設定と考えられる。以下にそれを分類する。

1:技術の継承…鉄球の回転の技術。また、後付けの説明ではあるが波紋の技術もここに含まれる。「スタンドの次の話3」を参照。
2:超常的な生態の生物…六壁坂の妖怪、ルーブル美術館の最も黒い絵の正体など。
  以前の部においての、吸血鬼や柱の男、幽霊、ロッズなどもここに含めることが出来る。
3:人為を超えた超常現象…悪魔の手のひら、壁の目、富豪村の山の神々など。聖なる遺体もここに含められるかもしれない。

744 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 20:50:45.83 ID:wV1lhk4I
スタンドの中には、極限に達して「次元の壁」を破るかのような飛躍を見せるものが散見される。
現実的に考えれば有り得ないことのようにも思えるが、あくまで精神の表れであるスタンド特有のことなのか、あるいはこれらのことが実際に起きえるような構造の世界なのかもしれない。
自分自身を飲み込んでいって最後には全く消えてしまう「クリーム」、光速を超えると時が止まる「スタープラチナ・ザ・ワールド」、爆破したものは塵も残さず完全に消滅する「キラークィーン」、
本体に向かい続けるものを捕まえてどんどん縮小し最後にはゼロにしてしまう「緑色の赤ん坊のスタンド」、時を無限大に加速して宇宙を一巡させる「メイド・イン・ヘブン」など。

283フェイク『男』:2012/10/26(金) 00:04:43 ID:JvTHlk9o
755 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:21:11.67 ID:wV1lhk4I
ジョセフと戦っている辺りの「世界」は、スタンドパワーの強大さの演出のためか、遠近感を無視して非常に巨大に描かれている。

762 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:32:23.39 ID:wV1lhk4I
「リトルフィート」と「グーグードール」は、小さくするという能力こそほとんど同じだが、本体の行動理念において明確な違いがある。
(参照:二番煎じのスタンド?…>>102の下段)
そして、その精神性や能力の利用法の差異を、スタンド自体の格闘性能や射程距離、自身に能力が効くか否かなどといった、基本的なパラメータのみでほぼ成立させているのだ。

763 名前: フェイク『男』 投稿日: 2012/10/25(木) 23:44:50.49 ID:wV1lhk4I
ジョジョは(元)少年漫画であり、やはり少年漫画的なお約束が多分に含まれているのだが、その中でもそれを常に疑う姿勢というか、
お約束に寄りかかったままではなく、そうした当たり前の描写に更なる前進を示すような設定も見られる。
例えば、少年漫画の主人公はいざというときに怒りと気合と精神力で不可能を可能にしてしまうものであり、これは作中でも「ジョースター家の爆発力」という言葉で言及されているが、
仗助の髪型をけなされると「ブチ切れる」性格は、この「爆発力」の負の描写であるとも言える。制御できないパワーには相応の不安定さが伴うべきだということだ。

284フェイク『男』:2013/07/06(土) 20:09:56 ID:xr9vdm7Q
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2013/07/06(土) 19:57:35.94 ID:v4+v9n2a
漫画などの創作物におけるキャラクターのタイプの一つに「気まぐれな超人」とでも言うべきものがあるように思う。
そのキャラクターは超人のごとき力があるから、基本的に何でも出来る。そして気分屋だから、どんな素晴らしい偉業でも、馬鹿馬鹿しい大失敗でもやってしまう可能性がある。
つまり、このキャラクターのせいだということにしておけば、話の中の御都合が全て説明できてしまうという、非常に「ズルい」何でもありのキャラクターだ。
しかしこれは非常に強烈な個性でもあり、表現次第ではとても魅力的なキャラクターとなるだろう。世界各地の神話にも、強くて気まぐれな英雄は多く存在する。
また、既存の概念で言うと、「デウス・エクス・マキナ」、「マッド・サイエンティスト」、「トリックスター」といったものの要素を含んでいると言える。
そして「ジョジョの奇妙な冒険」においては、まさにDIOがこれに当たる。
DIOは何故あんなに強いのか? あんなに強いのに、自分の力を試しながら戦って、油断して何度も敗北したのは何故か? 何人も子供を作ったのは何故か?
「天国に行く方法」なんて何故考え出すことが出来たのか? あんなに邪悪な性格なのに、プッチとの間に本当は真の友情があったのかもしれないと思える表現だったのは何故か?
全ての疑問が「気まぐれな超人だから」で一先ず解決する。(もちろん、より深く考えを進めることも出来るのだが、そこまでせずとも「気まぐれな超人」で話が収まるというわけだ)

285名無しさん:2013/09/12(木) 02:10:35 ID:???
最近IDスタンド変換スレを発見し、フェイク『男』さんの鑑定を見てファンになりました
そして大変ぶしつけな質問なのですが、フェイク『男』さんが今まで鑑定したスタンドを見てみたいのですが、
フェイク『男』さんの鑑定したスタンドをまとめている場所等はあるのでしょうか

286フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:37:58 ID:lgf.h9jI
697 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:23:08.35 ID:hOWxSbk5
以前どこかのインタビューか何かで作者が語っていたところによれば、ジョジョ八部では日常生活のちょっとしたものをスタンド化したいと思っているとのことだそうだが、
例えば、作者が冬に窓を開けたらやたら寒いわバイクの音がうるさいわと散々で、もう朝から不運だなあという経験が「ボーン・ディス・ウェイ」というスタンドになったのではないかと想像してみる。

698 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:24:20.16 ID:hOWxSbk5
ちょっとした下らない疑問なのだが、ジョジョ四部の登場人物、「広瀬康一」の身長は157cmとされている。そして漫画内では、彼の身長はデフォルメによってやたらと小さく描かれている。
それはいいのだが、では「エコーズAct3」の身長は、本当はどの程度なのだろうか? 実はスタンドの方も本体と同じくらいあるのか、それともやっぱりスタンドだけは描かれているままの身長なのか。
四部序盤の康一はまだ設定通りの身長で描かれているが、「エコーズAct3」はあの身長の姿しか描写が無いことや、
「岸辺露伴」と「ヘブンズドアー」のように、本体とスタンドで身長が異なる例も多々あることが、この問題をややこしくしているのだ……!

287フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:38:30 ID:lgf.h9jI
699 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:26:37.44 ID:hOWxSbk5
ジョジョという漫画におけるスタンドという設定は、基本的に奇妙な戦いや冒険を描くための手段に過ぎず、スタンドそのものの設定を捏ね繰り回すことに重点は置いていないようだ。
例えば、スピードワゴン財団が非スタンド使いの視点からスタンド能力を研究するとか、スタンド使いと非スタンド使いとの意識差とか、スタンド能力の社会的な利用とか、
そういういかにも普通の超能力モノの作品ならば定番の展開にあまり踏み込まないことからも、そのような姿勢が窺える。
スタンドという存在そのものが奇妙だから戦いや冒険が起こるのではなく、人間や自然界の奇妙さがスタンドを通じて戦いや冒険となるのだ。
そんなジョジョという漫画で、スタンド能力そのものを研究・分析するような口振りを見せた「八木沼夜露」は結構な新機軸のキャラクターだと言える。
まだ詳細は判らないものの、このキャラクターの鍵は「観察」という行為かもしれない。例えば、目からラップフィルムを出して攻撃対象を拘束するのは「観察者効果」の表現だ。

700 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/14(火) 20:28:55.93 ID:hOWxSbk5
ジョジョ全体を見渡しても直球で強力なスタンドである「クリーム」だが、このスタンドには一つ疑問点がある。
それは、もしも本体が人間である場合、暗黒空間に隠れている間は息が出来ないのではないかということだ。
もちろん、あくまでスタンド能力なのだからあれやこれやの理由を付けて呼吸できると考えてもいいのだが、
むしろ、このスタンドは本来、本体が息を止めている間だけ暗黒空間の中に入りつつ攻撃できる、という能力だったのではないかとも想像できる。
そのような制限を込みで考えれば、このスタンドの驚異的な強さも少しは軽減されるし、その制限を見越した上でDIOはヴァニラ・アイスを吸血鬼にしたのかもしれない。

288フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:38:46 ID:lgf.h9jI
707 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/01/15(水) 00:15:21.92 ID:ypDqfCXE
東方つるぎとそのスタンド「ペーパー・ムーン」が有する各種の特徴は、本体の「男子でありながら女子として育てられた」という「曖昧な境遇」に関連付けることが出来る。
例えば、スタンド能力の対象が「他人の顔を見分けられなく」なり、その中でも「本体であるつるぎだけは見分けが付く」のは、つるぎが自分自身に感じる不確かさの裏返しだ。
また、スタンドの形態である「折り紙」は、同じ色の紙で同じように折れば、ほとんど見分けが付かない同じような形になるものだし、
本体の癖である「駄洒落」は、聞き分けにくい同じような二つの言葉を重ねる遊びであり、これらも本体の自己投影と言える。

289フェイク『男』:2014/01/15(水) 05:43:10 ID:lgf.h9jI
>>285
2chの過去ログを保管しているサイトなどを当たるといい。
……酷い亀レスだ。

290名無しさん:2014/01/17(金) 21:24:55 ID:???
>>289
返レスありがとうございます、早速探してみます!
改めて、ありがとうございました!

291フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:03:09 ID:5RimiDa.
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 21:23:14.39 ID:3oaVCoTN
「首吊り」の死因は、首の動脈や気管を潰されることでの意識喪失からの窒息、及び「絞首刑」ならば刑死者が絞首台より落下することでの頚椎損傷や頚椎骨折が加わるそうだが、
ジョジョ四部に登場する死刑囚アンジェロのスタンド「アクアネックレス」(和名:水の首飾り)は、そもそも「本体が絞首刑から身を守るため」に発現したものではないかと推測できる。


673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:27:43.22 ID:3oaVCoTN
「波紋」や「鉄球」は、スタンドという才能に近づこうとする「技術」と言えるのだろう。
(スティールボールラン、コミックス10巻)

次元を突き抜けていくジャイロの鉄球のエネルギーを視覚化したもの。
鉄球の技術も、最終的にはスタンド能力化したってことですね。
そのことを説明するために登場させたんです。
(JOJOVELLER STANDS、「ボールブレイカー」の作者コメント)

この「ボールブレイカー」に関する作者のコメントは、あくまでこのスタンドに対してだけのものと考えるのが本来の見方なのだろうが、私としては、
「波紋や鉄球の技術を扱う者は後の部では出てこなくなるけど、全く途絶えたり表舞台から消え去ったわけではなく、スタンド使いに形を変えて現代にも繋がっているよ」という解釈を推したい。
つまり、三部以降に登場する生まれつきのスタンド使いとされる者たちの中には、もしかしたら祖先にスタンド使い化した波紋使いや鉄球使いがいたとか、
あるいは波紋や鉄球の才能そのものがスタンド能力として遺伝したとか、そういう者がいたのではないかというわけだ。

292フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:04:22 ID:5RimiDa.
674 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:32:18.80 ID:3oaVCoTN
ジョジョの世界における一般人は、基本的に吸血鬼やスタンド使いなど超常の存在について何も知らず、理解も出来ない。
そして主人公たちも、有名どころでは「全員ブチのめす」「仗助の携帯電話盗み」「承太郎が妻子に何も説明せず離婚」など、一般人からの理解は得られないことを前提に、割り切って行動する。
特殊な能力の無い一般人の中には、例えばスピードワゴン、ポコ、エリナ、スモーキー、スージーQ、家出.少女、川尻早人、スティール氏など、
そうした超常現象を理解する者もいることはいるのだが、彼らはたとえば自分から危険に飛び込むとか、自身や家族が危険に晒されるなどして、
その体験の中で超常現象に関する物事を知っていったわけであり、全ての一般人に対してジョジョ側からそうした理解を求めることは出来ないのだ。
それどころか、上記のポコ、スモーキー、家出.少女のように、当初はジョジョ側を悪人や疫病神ではないかと思っていたというパターンすら見受けられる。

675 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:36:04.99 ID:3oaVCoTN
「ジョジョの奇妙な冒険」本編に登場したスタンドは、数え方にもよるが現在150体余り。その中で「特殊な探知能力」を有しているものは、これも数え方次第だが、およそ40〜50体。
実にスタンド使い全体の30%程が、音、匂い、遠隔視、予知、記憶、熱、振動、DNA、二酸化炭素、凄みなど、探知能力による様々な独自の視点を活かして戦いに挑んでいると言える。
ちなみにこの中で最も多いのが「猟犬並みの嗅覚」で、ハイウェイスター、黄金体験、スケアリーモンスターズ、チューブラーベルズ、キングナッシング、本体も含めればイギーなどの動物も該当する。
(更に推測を含めるならば、例えばペーパームーンキングで何か嗅覚の鋭い生物を作る、などの応用技もありそうなものだが、これが出来るとするとキングナッシングの立つ瀬が無いので微妙なところだ)

293フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:05:01 ID:5RimiDa.
678 名前: フェイク『男』 投稿日: 2014/07/07(月) 23:57:03.55 ID:3oaVCoTN

以下は全く蛇足となるが、私が今まで見たことのある、ジョジョに関する「ソースの無い情報」……つまりデマの類を羅列しておく。
・ジョセフはスージーQと共に老いるためあえて波紋の呼吸を辞めた
・「世界21」はタロットを暗示とする全てのスタンドを使えるという初期設定だった
・「世界」はジョースター家のスタンド全てを使えるという初期設定だった
・ケニーGは連載当時ダニーKという名前だった
・「世界」は本物の世界に「DIOの世界」を挟み込むことで時を止めている
・仗助の恩人の正体は仗助自身という初期設定だった
・仗助の恩人の正体について、荒木は「ああ、そんなのあったね(笑)」と答えた
・仗助は四部終了後バイク事故死した
・デッドマンズQに出てくる「吉良吉影」は実は吉良に殺された川尻浩作
・スタープラチナならGERを倒せる
・アナスイは元々女性の予定だったが、少年誌でレズは描けないので設定変更した
・メイドインヘブンは実はGERによって無効化された
・六部ラストでエンポリオ以外の全人類が消滅して別人になった
・ヴァレンタイン大統領が痩せたのは遺体の力の影響、あるいは隣の世界から痩せている自分を連れてきた

294フェイク『男』:2014/07/08(火) 00:07:19 ID:5RimiDa.
余談だが、この掲示板では何故か「家出.少女」がNGワードになっているようだ。

295フェイク『男』:2015/01/18(日) 20:18:06 ID:Hc.UYabU
669 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:25:37.62 ID:hD2wh23O
スタンド攻撃で発生する現象は、大きく分けて「スタンドを解除すれば元に戻る」ものと「対象を決定的に変化させる」ものがあるが、
攻撃対象の体内の成分を失わせる攻撃に関しては、例外的に「スタンドが解除された後、失った成分を対象が経口摂取などすることで急速に治る」という描写がなされている。
「ハイウェイスター」の養分奪取、「メタリカ」の鉄分奪取、「ソフト&ウェット」の水分奪取がこれに当たる。

673 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 18:51:14.42 ID:hD2wh23O
スタンドの中には、本体の意思が曖昧なのに発現しているタイプのものがあるかもしれない。
本来、スタンドの発現には「やるというハッキリとした意思」が必要なはずだが、本体が精神的に追い詰められていたりして、
何が何だか分からないがとにかくどうにか動かねばならない、という意思だけが存在しているという事例だ。
このようなスタンドは能力の内容も非常に曖昧で、強力だが強引な効果が目立ち、一見してそのスタンドにどこまでのことが出来るのかハッキリしない。
もしかしたら、本体自身にも判っていないかもしれない。スタンド能力は強力だが、本体自身が曖昧であるということを引き換えにしているという「等価交換」だ。
訳の分からない理由で恋人を失った本体の「ヘビーウェザー」、その本体が記憶喪失により自分自身が何者かすら判らなくなった後の「ウェザーリポート」、
同じく本体が記憶喪失で、それどころか元々存在しなかったはずの人間だった「ソフト&ウェット」、劣悪な家庭環境ゆえに悩みを抱える本体の「ペイズリー・パーク」などがこれに当たる。

696 名前: フェイク『男』 投稿日: 2015/01/18(日) 20:07:34.92 ID:hD2wh23O
時間を操るスタンドの中でも、「キングクリムゾン」と「マンダム」には、まるで本体の周囲にいる者だけが時間の異常に気付くことが出来るかのような描写が窺える。
これは例えば、本体であるディアボロやリンゴォが時間の操作により「運命」を逸脱した行動を取った結果、その周囲の者に「運命のズレ」が伝わり、時間の異常に気付けたのだと考えられる。

296名無しさん:2015/07/15(水) 23:25:57 ID:wkXo260I
653 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:03:54.36 ID:hVAOCT0T
スタンドにダメージがあると本体にも同様の影響が現れることは広く知られているが、では本体へのダメージがスタンドに現れるかというと、これは必ずしもそうとは言えない。
作中で明言されてはいないが、どうやら本体が余りに深刻な、医者にかかる程度では完全に治らず、後遺症や障害が残ってしまうほどの重傷を負った場合、やっとスタンドにも同様の影響が現れるようだ。

654 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:04:24.17 ID:hVAOCT0T
川尻早人、エンポリオ、東方つるぎなど、ジョジョには年齢の割にやたらと頭が良くていざという時の行動力も兼ね備える天才児が時々登場するが、
彼らはいずれも自分の出生に疑問を抱き、それに思い悩んでいたという共通点がある。そしてこの疑問が、彼らが戦いに参加することの動機としても機能している。

656 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:05:57.55 ID:hVAOCT0T
やたらと口から血を吐き、打撲と流血を繰り返し、しかし眼球損傷だとか四肢切断の重傷はほぼ回復役がいる状況でしか行われず、死ななければ怪我の大多数は戦闘終了後に軽傷だったことになる。
このようなジョジョの戦闘における負傷描写は恐らく、リアリティよりも戦闘の「徹底」を優先させたものだと考えられる。つまり、決定的なダメージ以外の全てをかすり傷と見なしているのだ。
他にも、ジョジョの戦闘はほとんどの場合、敵味方共に万全の状態で開始し、誰かが前回の負傷を引きずっているとか、条件発動のスタンドが条件を全く満たせないような状況はそうそう無い。
また、あまりに有利な暗殺攻撃の結果、なすすべもなく片方が全滅するということも無い。このようにして、果たして戦う二者のどちらが強いのか、完全な決着が付くまで戦闘が継続されるのだ。
(参照:スタンドは手段…>>287の上段)

297フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:26:47 ID:wkXo260I
657 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:06:45.83 ID:hVAOCT0T
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
例えば二部の「カーズを宇宙に追放する場面」では、ジョセフがカーズに対し精神的優位に立っていることを描写しつつも、やはりカーズの敗北は偶然の働きが大きかったはずだが、
まるで究極生物カーズが地球の意思に逆らい、地球そのものがカーズを宇宙へと追放したかのように表現することで(実際には地球の意思なんて設定は全く無いが)読者を納得させる力を生み出していた。
また、六部で「ジョニィが立ち上がれるようになる場面」では、そもそも車椅子の人間が歩けるようになるなんてどんな理屈を捏ねても御都合設定にしかならないものだが、
ジョニィは(立てるようになったことと直接は無関係でも)この直前にジャイロを喪っており、歩けるようになってもそれほど劇的に喜んでいないという点が重要なところだ。

661 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:22:17.32 ID:hVAOCT0T
ジョルノはDIOの息子なので、彼もまたプッチ神父を天国へと押し上げる宿命である。
しかし同時にジョースターの一族でもあり、康一に言わせればジョセフ、承太郎、仗助と同じ正義の心の持ち主なので、プッチ神父に出会えば「天国へ行く方法」を止めようとするだろう。
従って、ジョルノが最後までプッチ神父に出会わなかったこと自体も、DIOの息子であることとジョースターの一族であることのせめぎあいの結果だったのかもしれない。
(参照:ジョルノとプッチ…>>120の三段目)

662 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:25:29.83 ID:hVAOCT0T
これは原作とは関係の無い話なのだが、個人的に「近距離パワー型スタンド」の力量は、拳銃を持った一般人が真正面から襲い掛かってくるのを撃退できる程度が最低限の目安としている。

298フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:27:08 ID:wkXo260I
666 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:42:56.37 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、1】
かつてプッチ神父は「未来に起こる不幸を覚悟すれば幸せ」という思考法を提唱した。もしもプッチ神父の思い通りの「天国」が完成した場合、彼の言う通りになっていたかどうかは誰にも判らない。
ただ、彼の言う通りの幸せが世界に訪れたとしても、それと逆のこと、つまり「未来に起こる幸せをあらかじめ知ってしまうことは不幸」という視点も発生する。
作中の描写からは断言できないが、もしかしたらプッチ神父はこの世には幸福よりも不幸の方が多いと考えていたのかもしれない。それも無下には出来ない考え方だ。
何かとDIOの狂信者というようなイメージの強いプッチ神父だが、神父という職業を長年こなしてきたからには、それなりに多くの人々の幸不幸を見てきた経験もあるだろう。

669 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:56:28.53 ID:hVAOCT0T
【幸福と不幸、2】
ヴァレンタイン大統領の「ラブトレイン」は幸福と不幸を50対50と見なすことが前提の能力だったが、もしも人々が「黄金の精神」の伝わりによってそれぞれの正義に目覚めていき、
そして「正義や幸せという真実に向かう意思」を保ち続けるならば、「正義を成すことこそが運命」であるからして、最終的には人類全体が不幸よりも幸福を得られるのではないかと思われる。
とはいえもちろん、常にこの世の正義や幸福が邪悪や不幸に打ち勝つわけではなく、むしろ両者はややもすれば互角にも見えるほどであり、数字で表すなら51対49で正義が勝つといったところだろう。
それを体現するキャラクターが、七部のジョニィ・ジョースターだ。彼はしばしば欲望のために言い訳を交えつつ間違いを犯すが、最後には自分が正しいと納得できる道を選ぶことが出来る人物である。

299フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:27:21 ID:wkXo260I
668 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 22:48:43.41 ID:hVAOCT0T
スタンド能力はスタンド使い本人の精神の発露だと言われている。すると自然に、基本的には平和な日常生活を営む四部や八部のスタンド使いたちは日常に使える能力に目覚めることとなる。
だが、四部や八部にも本当に戦闘や攻撃にしか使いようのないスタンド能力というものも存在する。それはきっと、本体の人生がそれだけ戦闘力を欲していて、追い詰められているということだろう。
その代表例は自分の趣味による犠牲者を始末しまくっていると思しき吉良吉影の「キラークイーン」だが、ここで注目するのは、それより少しは穏やかな使い道の「東方常敏のスタンド」だ。
まだ詳細は不明だが、対象に熱攻撃を加えるというどうにも破壊的で攻撃的な能力を、曲がりなりにも己の趣味に有効活用している姿からは、人生を前向きに楽しもうという本体の精神性が伝わってくる。

671 :フェイク『男』:2015/07/15(水) 23:04:09.78 ID:hVAOCT0T
詩人・相田みつをの名言をこよなく愛する「東方常敏」だが、その一方で相田みつをを知らない弟・常秀に冷たい態度を取ったりするなど、どうもその愛にエゴが混じっている気配が感じられる。
もっと直球に言うと、常敏は相田みつをの名言が好きなのか、それとも名言を知っている者同士で盛り上がることが好きなのか、無意識的にどっちの方が割合として上なのかという話だ。
そして更に言えば、これはジョジョという漫画の中の話なので相田みつをを引用してはいるが、実のところジョジョのファンはジョジョが好きなのか、それともジョジョネタで盛り上がるのが好きなのか、
作者・荒木飛呂彦はそんなメッセージを込めている、とまでは言わないが、どうもジョジョが以前のマイナーな扱いから飛び出してメジャーな作品になっている昨今、私などはそんな感想を抱いてしまう。
ちなみに、ジョジョがメディアに取り上げられ始めた時期の本編展開が、金を稼ぎ過ぎて苦労する「シュガーマウンテンの泉の試練」の辺りだったことも、何だか邪推の気持ちを湧き起こらせるものだ。

300フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:07:57 ID:UQUcpYcc
684 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:37:19.77 ID:jfkRD7Wk
説明するのがムズかしいんだけれど、マンガを描いていると『重力』の存在というモノをすごく感じる(唐突ですけど)。
つまり作者はアイデアだとか、主人公の行動をコントロールしてストーリーを進行させていると世間一般で思われているようだけど、
そうじゃあない事が描いてる時にあって、主人公が作者の意に反して行動せざるを得ない時とか、絵にも描かざるを得ない絵というのが出てくる。
これをぼくは『重力』と感じ、『重力』とは『運命』だと感じるのだ。ストーン・オーシャン最終巻、これをちょっと思って読んでほしい。(六部最終巻・作者コメントより)

とある対談によれば、作者・荒木飛呂彦は「スタープラチナより強いスタンドは存在しない」と考えているそうだが、しかし作中の描写ではそこまで言い切るほどの絶対性はあまり感じられない。
対「ラット」「シアーハートアタック」「マンハッタントランスファー」辺りの苦戦は、いずれも敵にとって一方的に有利な状況だったので考慮しないとしても、
例えば「メイド・イン・ヘブン」は明らかに「スタープラチナ」を実力で圧倒している。仮に一対一の戦いなら、承太郎は原作の展開よりも早く敗北していたことだろう。
だが、上記の作者コメントと組み合わせれば矛盾は無い。荒木飛呂彦は「スタープラチナ」を最強だと考えていて、それでも作中では「重力」ゆえにその通りにならなかったというわけだ。
なお、作者的に「重力」とか「運命」という言葉にさほど否定的な意味合いは無いと思われる。むしろ六部以降は、作者自身がそれらの言葉を肯定的な意味で使う場面も散見される。

301フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:08:21 ID:UQUcpYcc
686 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 22:45:43.93 ID:jfkRD7Wk
ちょこっと考えてると、マンガの中に強い敵が出て来る。その次にそれよりも強い敵が出てくる。その次はそれよりも強い。
…となると最後はいったいどうなっちゃうわけですか? 宇宙のハテを考えているみたいになる。(コミックス46巻・作者コメントより一部抜粋)

ジョジョにおける戦闘の原則として「強い力はより強い力に敵わない」というものがある。単純な力を誇るだけの者はそれより強い者に敗北するのみであり、単純な力比べを超越しなければ勝利は無い。
例えば「力」や「アヌビス神」など、いかに強い力を誇ろうと冷静さや判断力の伴わない者はそれが切っ掛けとなって敗北してしまうし、
破壊力・スピード・精密性の全てにおいて最高位の「星の白金」は、早速それ以上のスピードを持つ「灰の塔」と出くわすことになってしまった。
「銀の戦車」や「ホワイトアルバム」の有する硬さだけの装甲は力押しで破壊されるし、より能力的な「黄の節制」や「20thセンチュリーボーイ」なども、本体自身が虚を突かれ対処されてしまった。

689 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:02:56.11 ID:jfkRD7Wk
「てめーの敗因は… たったひとつだぜ… …DIO… たったひとつの単純な答えだ……… 『てめーはおれを怒らせた』」(空条承太郎)

承太郎は何故そこまで怒ったのだろうか? もちろん、仲間や関係の無い人たちが大勢犠牲になった挙句、祖父の身体を弄ばれたからだ。
それはつまり、承太郎はDIOを倒すという結果だけでなく、過程や方法も大切だと考える人間だったということでもある。
もしも承太郎が「過程や方法などどうでもよい」性格だったなら、きっと「星の白金」が「世界」を一方的に上回るほどの怒りのパワーは無かっただろう。
「世界」と「星の白金」との最後のぶつかり合いは、そのまま「結果だけを重視する精神」と「過程をも重視する精神」が、単純な格闘のパワーで激突した光景だったのかもしれない。

302フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:08:35 ID:UQUcpYcc
690 :フェイク『男』:2015/07/16(木) 23:05:17.38 ID:jfkRD7Wk
自分の妻に、そして息子に降りかかる病魔との決着をつけるべく、敢えて自分自身が犠牲となることで家族を守ったジョニィ・ジョースターだが、具体的に彼は最期の瞬間に何をどうしたのだろうか。
作中の描写だけでは正確なところは判らないが、理屈としては例えば、「タスクAct4」は本体の定めた相手を追跡する攻撃能力であり、そのためなら次元の壁や時間をも超えることが出来る一方で、
自分が通過しただけの対象は一時的に穴が開いても最終的には傷一つ残らないという特徴もあるので、あの時ジョニィは息子ジョージを撃ち抜きながらもその弾丸の最終目標を自分に設定することで、
弾丸の銃創が遺体の「等価交換」効果で他の誰かに移りそうになるのを強制的に自分自身へと引っ張り込み、それに乗じて「病気」をも自分にまで移してきた、というような考え方も出来る。
つまり「タスクAct4」と「遺体」を組み合わせれば、ジョニィは自分や周りの不都合を自分の選んだ特定の相手へと押し付けることが出来るということになる。「D4Cラブトレイン」と同じような能力だ。

303フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:00 ID:.A0SWok6
700 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:25:31.34 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、一撃で相手を無力化してしまう能力(そこまで破壊的な能力でなくとも、例えば相手を眠らせたりする能力など)をどう取り扱うかは難しいところだ。
ゲーム作品などでは、例えば眠りの攻撃を受けると一定確率で眠ってしまうとか、キャラクターごとに眠る確率が異なるとか、眠り状態を防ぐ装備品があるとかだが、どれも漫画ではやり辛い設定だ。
(参照:創作物における偶然の取り扱いについて…>>139
例えばかの名作ドラゴンボールでは、超能力が戦闘の主題ではないこともあり、格上の相手には超能力が全く効かない、もしくは効いても無駄という展開で一貫していた。
そしてジョジョでは、超能力を視覚化したスタンドという設定がそのままこの問題の解決となっている。敵に超能力を発動させるということは、スタンドで(主に殴って)攻撃するということであり、
敵の超能力を防ぐ行動は、例えば他の作品では「眠りの波動を気合で掻き消す」みたいな動きの無い描写になりがちなところを、敵の攻撃を自身のスタンドで防御するという活動的な格闘描写で表現される。
あるいは、殴り以外での発動条件があれば、それを通じて更に工夫した知恵比べの展開が描けるのだ。

304フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:20 ID:.A0SWok6
702 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:27:34.54 ID:/VosH7VS
ジョジョのスタンド戦闘では、途中まで工夫と小細工を尽くした知恵比べの戦いを繰り返しつつ、主人公側のキャラクターが優勢になって敵を追い詰めたところで、
最後にガンマンの早撃ち勝負のごとき一騎打ちでもって決着をつける、という展開が散見される。これは、主人公側が理屈のみならず力においても敵を上回っていることの明示が狙いであると思われる。
前述の通り、ジョジョの戦いは「徹底」を追求しているため、敵スタンド使いはおよそ自分の能力で出来るあらゆる手段を講じて攻撃してくる。その多様性がジョジョの大きな魅力であることは間違いない。
とはいえその狙いのために、時には状況の都合によってキャラクターが不自然な判断ミスをしたり、あるいはそのスタンド能力の応用で何でそんなこと出来るの?みたいな疑問が涌くことも少なくない。
そこで、小難しい知恵比べだけでなく単純明快な力による勝利が描かれることにより、読者を理屈のみならず感情から納得させているのであろう。
承太郎vsンドゥール・DIO、仗助vs噴上裕也・吉良吉影、ナランチャvsホルマジオ・スクアーロ、ジョルノvsチョコラータ、ジョニィvsサウンドマン・ヴァレンタイン大統領、定助vs八木山夜露など。

305フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:39 ID:.A0SWok6
705 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:31:49.56 ID:/VosH7VS
主にジョジョ五部から六部にかけて多発していた、無差別に広範囲を攻撃するスタンド能力は、その影響によって多数の人々に生じる混乱や被害が作中で執拗に描写されるという特徴がある。
それはもちろん、漫画的面白さや脅威の演出のためでもあるし、また、そのスタンド能力の規模の大きさを示すためでもあるだろう。これらの能力は、人間全体の社会や意識にまでも被害を与えうる。
「グレイトフルデッド」「グリーンデイ」「チャリオッツレクイエム」「ボヘミアンラプソディ」「ヘビーウェザー」「C-MOON」「メイドインヘブン」「D4Cラブトレイン」などがこれに当て嵌まる。
逆に「星の白金」「世界」「バイツァダスト」辺りは、いくら時を止めたり戻したりしようと、本体と無関係な人々や世界全体はほとんど変わらない。
余談だが、「キングクリムゾン」と「マンダム」は一応、世界中の時を操っているのであろう設定の割りには、その被害描写はやけに狭い。
これらのスタンドによって引き起こされる周囲の人々の違和感は、もしかしたらそれほど広い範囲には影響しないのではないかと考察される理由である。

306フェイク『男』:2015/07/18(土) 23:28:58 ID:.A0SWok6
706 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:33:27.51 ID:/VosH7VS
超能力での戦闘を扱う創作物において、離れた場所にある物体を自由に動かす念動力は鉄板の設定であり、例えばそこら辺にある小物とか岩とかを敵にぶつける戦法などが多用されるものだが、
では何故、その力で敵の内臓を直に握り潰してしまわないのか、という疑問も発生する。もちろん、そんなことが本当に出来たら強すぎて作品の方向性がまるで変わってしまうのだが、
だからといって超能力は生物には効きづらいとか下手に設定を加えると、他の超能力との統一性にも問題が出たりする。この能力だけは例外、のような設定を増やして読者を無駄に考えさせるのも良くない。
さて、ジョジョにおける念動力とは即ちスタンドのことであり、一応スタンドにも物体をすり抜けて内部だけを攻撃する能力はあるが、もちろん敵の内臓を握るより早く敵のスタンドがそれを防御するし、
名言はされないものの、物体を透過して内部だけに干渉するのはそれなりにスタンドパワーの集中力が必要というようなフシもあるので、基本的にそこまで強すぎる戦法は扱われないことになっている。
だが時折、透過と攻撃を併用できるスタンドが登場し、そのような攻撃は作中でも取り分け脅威的なものとして描写される。「アヌビス神」「ビーチボーイ」「ダイバーダウン」などが代表例だ。
また磁力や重力など、現実世界に存在する、物体を貫いて働くエネルギーを扱うスタンド能力は、特にこのような抵抗不能の体内攻撃を行うことが多い。
「メタリカ」「C-MOON」「トゥーム・オブ・ザ・ブーム」「ボールブレイカー」「タスクAct4」などがこれに当たる。

708 :フェイク『男』:2015/07/18(土) 22:39:24.60 ID:/VosH7VS
スタンド使いにとって能力の発動条件を知られることは非常に危険なので、スタンド発動時にちょっとしたパフォーマンスや手品をするよう心掛けることで、
目撃者にそのスタンド能力の発動条件を誤認させるテクニックがあり、指を食べたり目からラップを出したりするのはそれを狙った陽動だった説。

307フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:03:41 ID:Yhd1RBjU
674 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:34:16.46 ID:EtC3ZBNN
「吐き気を催すような邪悪」だとか「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」だとか、ジョジョの世界観では「邪悪とは何か」を割とハッキリ言い切る形で明言されている。
その一方で「正義とは何か」に深く言及することはあまり無かった。特に六部までは主人公自身が正義を語りはせず、周りの者が歴代ジョジョに正義を感じるという描写に留まっている。
(参照:正義とは客観的なもの…>>215の二段目)
しかし、七部以降はそうした正義観にも手を出し始めているように思われる。やはり少年漫画雑誌から青年誌に移ったこともあるのだろう。
また、この正義に対する考え方の移り変わりは、六部までの世界観と七部以降の世界観に当て嵌めて考えることも出来る。
六部までのジョジョの世界は「一つ」しかなかった。世界が一つしかないということは、世界の中の運命も一つだけであり、「正義をなすことこそが運命」である以上、正義も一つだ。
だが、七部以降は無数の「平行世界」が存在する。少しずつ異なる形の世界が無数にあるのならば、それぞれの世界の中の運命も全て異なり、ゆえに異なる形の正義も無数に存在するのだ。

308フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:04:04 ID:Yhd1RBjU
676 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:08.19 ID:EtC3ZBNN
八部「ジョジョリオン」に登場したスタンド「ショットキーNo.2」は、本体をも害してしまうため取り扱いに注意が必要な、毒ガスを発生させる能力だ。
この説明だけだと、まるで五部のスタンド「パープルヘイズ」の焼き直しにも見えてしまうかもしれないが、このスタンドにはそこから更に発展した独自性がある。
と言うのも、「ショットキーNo.2」の本体「エイフェックス兄弟・弟」は、このスタンドをサッカーボール型のバッグの中に入れ、それをサッカーの技術で操り、制御しているからだ。
スタンド能力とは本体の精神の反映であり、自分自身で望みの能力を得られるとは限らない。スタンドとは、言わば本体の「宿命」のようなものとも言い表せる。
(参照:スタンド能力は選べない…>>223の上段)
だが、扱いづらいスタンドが発現してしまったからといって、自分自身の精神を否定するのではなく、創意工夫と技術でそれを上手く操れるのならば、それは己の「宿命」の克服とも言える。
(参照:克服すべきスタンド…>>194の二段目)
また、「エイフェックス兄弟・兄」の方も、そこまでの創意工夫は無いものの、自身の右手の一部が常に岩となっていることで、日常生活が困難になるという不便さを伴う能力だった。
作中では割と呆気なく主人公に敗北した「エイフェックス兄弟」だが、彼らもまた己の宿命に「立ち向かうもの」であり、岩人間といえど「人間賛歌」の一部だったと言えるだろう。

677 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:35:36.81 ID:EtC3ZBNN
ジョジョは「人間と人間以外の戦いを通じて人間賛歌を謳う」物語として始まったが、まさに人間を超えた怪物である「吸血鬼」や「柱の男」に比べ、「岩人間」はそこまで超越的ではない。
彼らは人間社会に寄生する、人間に対しては無益で有害なだけの存在ではあるようだが、それでも彼らには彼らなりの生き方があり、言い分があり、悩みや苦しみを抱えているらしい。
これも「正義と悪」の戦いではなく、「それぞれの正義同士の戦い」を描く、七部以降の作風の一環なのだと思われる。

309フェイク『男』:2015/12/30(水) 22:04:25 ID:Yhd1RBjU
679 : フェイク『男』2015/12/30(水) 21:36:23.02 ID:EtC3ZBNN
ジョジョに登場する「スタンド能力を持たない殺し屋など」はほとんど全員が雑魚である。七部では、戦闘を始めて数ヶ月程度のジョニィが、大統領の送り込んだ殺し屋を余裕で撃退していたほどだ。
これは漫画的には、単にただ銃などで攻撃するだけのキャラクターを描いても面白くないからであり、例えば非スタンド使いのウェカピポが大統領相手に善戦していたのは、
彼の鉄球技術がそこらのスタンドを超えるほどの戦闘力・応用力・意外性などの面白さを有していたからなのだが、少し別の視点からこの現象を考えてみることも出来る。
それは、拳銃など普通の携行武器でスタンド使いとも渡り合えるほどの実力者は、その「技術」が既にスタンド能力にまで昇華されているはずだという考え方だ。
(参照:技術のスタンド…>>106の二段目)
そして、波紋使いや鉄球使いなどの技使いは、それらの技術そのものが進化すればスタンドになるものだと設定されており、これらは技術のままでもそれなりに強いものと考えられる。

560 :フェイク『男』:2015/12/30(水) 21:43:50 ID:Yhd1RBjU
ジョジョの作者、荒木飛呂彦氏によれば、四部の舞台「杜王町」はまるで「こち亀」のように、いつまでも永遠に同じ生活が続いていく世界として表現したかったそうだ。
だが、ジョジョが前へと進んでいく物語である以上、その希望を叶えるにも限界がある。六部開始の時点で既に西暦2011年、四部のキャラクターは12歳分の年を取っていることになるからだ。
しかし、七部以降には「平行世界」という概念があり、(作者自身が狙った効果ではないかもしれないが)これでいつまでも同じままの杜王町を描写することが可能となった。
実際「岸部露伴は動かない」シリーズでは、露伴が年代通りに年齢を重ねている一方、相変わらず高校生のままの仗助たちが描かれており、これらは「平行世界」の物事だとも言われている。

310フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:11:04 ID:2KykemkE
740:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:43:06.64 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの作者である荒木飛呂彦氏は昔から女性のキャラクターを描くのが苦手だったと言われているが、ジョジョの各部に出てくる女性キャラを順番に見てみると、作者の努力や苦労を垣間見ることが出来るかもしれない。
ジョジョ各部の女性キャラの歴史は大まかに分けて三つの時代がある。まず一つ、一部のエリナ・ペンドルトン、二部のリサリサ、三部の空条ホリィ、彼女たちはいずれも「理想のヒロイン」だ。
エリナは理想の淑女であり、リサリサは理想の女戦士であり、ホリィは理想の母親だった。女性キャラクターとして過不足なく完璧であり、例えば理想の紳士であるジョナサンやジョースター卿よりも更に「理想度」は高かったとすら言える。
一方、三部の名も無き家出娘辺りから、四部の山岸由花子、五部のトリッシュ、六部の空条徐倫は「欠点を伴うヒロイン」である。彼女たちはしばしば言動が汚く、ワガママで身勝手で、もちろん長所もあるにはあるが見えにくい。
家出娘は実験的な存在だったのかすぐに退場してしまったが、しかし四部以降の各ヒロインは欠点があるからこそ成長を描くことも出来る、より生きたキャラクターたちだった。彼女たちには自分の人生を迷うことなく真っ直ぐ進む力強さがあった。
そして七部以降であるが、ここからは現在連載中であるため少々推測も混じる。七部のルーシー・スティールとホット・パンツはかなり「理想的な性格」でありながら、ルーシーは何度も殺人を行い、ホット・パンツは無残に死亡する。
八部の広瀬康穂は多少の欠点を伴うものの健気に生きる女性だが、どこかまだ自分の人生に自身が無く、どこへ向かえばいいか判らない迷える存在でもある。このような「穢れ」や「迷い」の中で生きるヒロインの姿があるように思える。

311フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:11:42 ID:2KykemkE
742:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:45:05.64 ID:xUsiZ3VM
以前、私は「シュガーマウンテンの泉の試練」について、ジョジョがメジャーな作品になってしまって不安な作者自身の心が反映されているのではないか、と考察したことがある。
(参照:マイナー作品好きの心理…>>299の下段)
そして八部の「ミラグロマン」は、これまた金を稼ぎ過ぎて逆に金に縛られるというスタンド現象だったもので、作者に何が起こったのか密かに不安だったのだが、なるほど実写化。

743:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:46:53.58 ID:xUsiZ3VM
四部でいきなり登場した「スタンド使いは引かれ合う」という法則は「引力」という形で六部に受け継がれたが、四部だけを見てみるとどうもその場限りのご都合設定という感も否めない。
だが、この設定はその場限りとは言えない便利さがある。四部では「弓と矢」が登場し、スタンド使いが人為的に増やされる存在だと明らかになったが、ならばスタンド使いが増えすぎてしまう可能性もあるということだ。
「黄金の精神」を共有してスタンド使いの犯罪を戒める者などそう多くは無いだろうし、事実、四部で作られたスタンド使いの多くは一般人を食い物にする小悪党に成り果てていた。
しかし、「スタンド使いは引かれ合う」ということは、彼らのような小悪党同士もいずれ引かれ合うということだ。もちろん「黄金の精神」のような協調性の無い彼らは、必然的に戦いとなるだろう。
少し考えてみると、仮に承太郎が杜王町を訪れるのが遅れ、仗助がアンジェロに殺された場合、杜王町はアンジェロ、虹村刑兆を殺した音石明、そして吉良吉影の三者が跳梁跋扈することになる。
アンジェロは「いい気になっている奴は気にくわない」性格で、吉良は「自分の正体を知ったものは抹殺する」方針で、アンジェロと音石は他人の犯罪を目撃しやすいスタンド能力である。この三者がいずれ殺し合いになるのは想像に難くない。
そしてこれは全くの想像だが、そのような犯罪者スタンド使い同士の戦いを制して頂点に立ったのが、現実に照らし合わせると異常な速度で大組織となったパッショーネのボス、ディアボロだったのかもしれない。

312フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:12:26 ID:2KykemkE
744:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:48:39.68 ID:xUsiZ3VM
スタンドの強さの描写には結構なムラがある。これはスタンドに限った話ではなく一部や二部にも当て嵌まる話なので、以下は全くのこじつけなのだが、本体の認識がスタンドの出力に関わるということもあるのかもしれない。
例えば「魔術師の赤」が一瞬で鉄をも溶かす超高温の炎を操るのに対し、「ストーンフリー」は鉄格子を破壊するのに数分かかると判断している。鉄格子の質やスタンドのパワーに差があるとしても、同じパワー型のスタンド使いでこの差は大き過ぎる。
この場合、徐倫は長く刑務所で囚人として過ごしているため、鉄格子を「越えられないもの」「破壊しづらいもの」として無意識で認識しており、それが知らず知らずのうちにスタンドパワーの制限になってしまっているという考え方だ。
「出来て当然と思うことが大切」というエンヤ婆の言葉もある。もちろん、出来ると思えば何でも出来るわけではないが、出来ないと思っていては出来ることも出来ないというわけだ。

313フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:12:48 ID:2KykemkE
746:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:52:27.12 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘の三竦みを考える際に「近距離カウンター型」という分類を考慮してみる。これは簡単に言うと、近距離に位置する相手を一方的に無力化できるが、射撃などで遠距離攻撃してくる相手には全く弱いというものだ。
(参照:近距離カウンター型…>>117の上段)
八部では、指紋の結界により射程内の場を絶大なパワーで制圧できる一方、その外から攻撃されると脆い「ビタミンC」などは、なかなかの近距離カウンター型だったと言える。
なお、八部での「ビタミンC」は東方家での戦闘と過去回想の戦闘共にかなりの強敵として描写されていたが、このスタンドが指紋の結界という「罠の仕込み」を必要とする能力であることには注意を要する。
東方家には東方鳩のボーイフレンドとして侵入し、過去回想では(何の説明も無く)いつの間にか吉良と仗世文の乗るボートに乗り込むことで、指紋の結界を展開する充分な余裕があったことも「ビタミンC」の強さの一つである。
罠を張る時間が充分にあるなら、例えば「ソフトマシーン」だってブチャラティチームを全滅寸前まで追い込んだことはあるのだ。
もちろん、自分のスタンド能力を用いて罠を張ることが出来るということ、また罠を張りやすい能力であることも強みの一部であり、「ビタミンC」はその点では強かったことも事実であるが。

314フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:13:11 ID:2KykemkE
748:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:55:14.14 ID:xUsiZ3VM
ジョジョ八部に登場する「吉良吉影」は、四部の同名人物と全く同じ名前でかなり同じようなスタンド能力を持つが、その性格や来歴は大きく異なっている。何故、八部のあの人物が「吉良吉影」なのだろうか?
まだ八部連載中であるため結論は出せないが、現在までの感想としては、八部の吉良吉影という名前が意味するところの一つは、「漆黒の殺意」の継承者を示す象徴ではないかと考えられる。
八部の吉良吉影の祖先、七部のジョニィ・ジョースターが有していた「漆黒の殺意」とは、社会秩序の外にある無法の荒野を開拓するため、時には人間社会の倫理や法律をも超えて、自分の信じる道を行く「男の世界」の精神だった。
(参照:「男の世界」の価値…>>178
これは、他者に「無償の愛」を与え、その他者をもまた他の誰かに「無償の愛」を与えうる存在として、仲間から仲間へと広がっていく精神、ジョジョ一部から連綿とジョースター家に受け継がれてきた「黄金の精神」とは全く異なる概念だ。
(参照:無償の愛…>>241
これら「黄金の精神」と「漆黒の殺意」は、どちらも結果だけではなくそこへ向かうための過程をも重視する、同じ「真実に向かう意志」でありながら、その社会的性格は真逆であるとすら言える。
そしてジョナサンではなくジョニィの子孫であるジョースター家を見てみると、八部の吉良吉影の母親「ホリィ・吉良・ジョースター」の時点で、既に以前の同名人物とはかなり違っていることが判る。
息子のスタンドが凶悪な爆破能力であることを知った上で、それを医療のために活用させ、責任は自分が負うと豪語するその姿は、これもまた「漆黒の殺意」と言えるものだった。
この吉良ホリィに育てられた八部の吉良吉影は、決して社会的に正義の存在とは言いがたいが、しかし自分が信じる道に誠実であることも事実だ。
彼の性根は万人の愛する「黄金の精神」とは言えないが、しかし四部の頃のような「どす黒い邪悪」でもない、まさに「漆黒の殺意」だったと言えるだろう。

315フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:13:35 ID:2KykemkE
751:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:59:58.02 ID:xUsiZ3VM
ジョジョの歴代主人公は皆その名前を省略してジョジョと読むことが出来るようになってはいるが、物語が進むごとにジョジョと言われなくなっていくことでも広く知られている。
三部「空条承太郎」は話の途中からジョジョと呼ばれなくなり、四部「東方仗助」は最初に一回ジョジョと呼ばれただけで、五部「ジョルノ・ジョバァーナ」は遂に作中で一回もジョジョと呼ばれることはなかった。
だがそこから更に進むと、また別の側面が感じられる。六部「空条徐倫」は「あたしをジョジョって呼ぶな」と、(母親や彼氏などにはその呼称を許しているものの)自らがジョジョであることを否定する台詞が出てくるし、
七部「ジョニィ・ジョースター」の過去回想では、まるでジョジョという呼称を失われた過去の栄光のように扱っているようでもあった。ここに至ってジョジョという呼称は、単に使われなくなっただけでなく、明確に失われた称号なのである。
また、七部以降ではジョースター家の関係者でありながらジョジョという略称にならない人物も目立つようになる。七部ではジョニィの兄「ニコラス・ジョースター」、そして八部ではジョニィの子孫「吉良吉影」に加え、
八部の東方家の男性には代々「常」の字が入っているにもかかわらず、当代の東方憲助の本名「常助」以外はジョジョと読める名前が無いという点も挙げられる。
(ちなみに「東方つるぎ」には「常」の字が入っていないが、これは彼が女子として扱われているからであり、実は彼の本名は「東方常剣」とかである……と予想してみる)
これを踏まえると、八部「東方定助」もジョジョと読める名前でありながらジョジョと呼ばれていないが(ついでにいうと、同じくジョジョと略せる「空条仗世文」の愛称はジョジョではなく「セッちゃん」である)
八部のラストでは、これからどうやって生きていくか目途がついた(呪いの解けた)定助のことを、康穂辺りがジョジョと呼んで終幕、
ジョジョという称号と栄光を取り戻すことが「ジョジョへの祝福/ジョジョリオン」である……とか、これまた勝手な想像である。

316フェイク『男』:2016/10/09(日) 02:19:07 ID:2KykemkE
745:フェイク『男』投稿日:2016/10/09(日) 01:50:01.87 ID:xUsiZ3VM
スタンド戦闘において「強い」能力とはどのようなものが挙げられるだろうか? 一つの目安として、スタンド戦闘には「三竦み」の関係があると考えることが出来る。
スタンドを大雑把に「単純格闘型」「格闘&能力型」「能力重視型」に分類した場合、「単純格闘」>「格闘&能力」>「能力重視」>「単純格闘」>……という強弱関係を見い出すことが出来る。
分かりやすく四部のスタンドで例を挙げると、単純格闘「星の白金」は格闘&能力「クレイジーD」に強く、格闘&能力「クレイジーD」は能力重視「アクアネックレス」に強く、能力重視「アクアネックレス」は単純格闘「星の白金」に強いわけだ。
もちろん実際には戦闘開始の状況にもよるし、同じ「格闘&能力型」の中でもより「単純格闘型」に近いものもあれば「能力重視型」に近いものもあるし、この三分類だけが分類法ではないのだが、まあこういう傾向はあると思われる。

317フェイク『男』:2017/02/01(水) 22:48:47 ID:mZmSwf.g
708:フェイク『男』投稿日:2017/02/01(水) 21:41:12.47 ID:u2upE8kC
ジョジョという漫画に対する感想として、たまに「ラスボスがどいつもこいつも油断しすぎ」とか「ラスボスは主人公より遥かに強いのに油断が原因で負けてしまう」というものがある。
これは間違ってはいないが、しかしあまり正確な言及でもない。何故なら、ジョジョでは敵だけでなく主人公を始めとした味方キャラたちも、往々にして間違いや失敗を犯すものだからである。
では、ラスボスと主人公は何が勝敗を分けるのか。その一つには「仲間の有無」が挙げられる。ラスボスは邪悪ゆえに、単独では強い能力を身につけているが、仲間が存在しない。
使い捨てに出来る手下は多数存在しても、いざという時に背中を任せられる相手がほとんどいない。そうなるともちろん、油断を戒めてくれる者もいないわけである。
それに対し主人公たちは、ラスボスに比べれば弱い能力しかなかったとしても、「黄金の精神」や「真実に向かう意思」などで一致団結して自分たちの失敗を補い合うことが出来るのだ。
失敗しない生物は存在しない。かつてディオ・ブランドーは「策を弄すれば弄するほど予期せぬ事態で策がくずれる」ことを学び「人間を超える」選択をしたが、
その実、人間を超えた吸血鬼どころか、それより更に遥か上の究極生物ですら、下らない判断ミスや偶然の災難から逃れることは出来なかった。
どこまでいっても能力の強い弱いは一面的・局所的なものであり、その人物の生き方をも含めれば、そこにはまた別の大局的な強さが存在するのである。


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