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(´・_ゝ・`)白天、氷華を希うようです('、`*川
1
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:00:05 ID:yFlHhZ5Y0
四方八方から聞こえる楽しそうな歓声に耳を塞ぎつつ、人にぶつからないように道を歩く。
三年間の高校生活を華々しく飾るはずのメインイベント、修学旅行。
そんな素晴らしい機会を一人寂しく消費していただけの私は、運良く空いていたベンチを見つけるやいなや、そこにゆっくりと腰掛けた。
眼前には、明るい色の私服に身を包んだ高校生たちが和気藹々と走っていくのが見える。
どの子も見覚えのある顔ばかり。
一度も話したことはない、普通科クラスの男子たちだ。
ポケットから取り出したスマホを一瞥する。
“一緒に回ろう”と約束をしたものの、今朝突然体調を崩し、ホテルで一人休んでいる数少ない友人からのメッセージはなかった。
そもそも電波を示すアンテナは小さな一本が辛うじて立っているのみ。おそらく、この人込みのせいで繋がりにくくなっているのだろう。
"これが遊園地というものか"と新たな学びを得たことに嘆息しつつ、私は使い物にならなくなったスマホをカバンに戻した。
2
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:02:31 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川(……流石に、いくらなんでも)
('、`*川(あれに一人で乗るのもなぁ)
夕暮れの茜に染まっていく観覧車を見ながら、私はふぅと溜息を吐く。
11月後半かつこの地域特有の冷たい外気が溜息という名の憂鬱を可視化させたかのように、白く濁って霧散した。
先ほどまではまぁまぁ楽しかったのにな、と今日の出来事を思い返す。
ゴーカートやお化け屋敷、バイキングにジェットコースター。
幼少期からずっと憧れていた施設とアトラクションに、それも修学旅行というイベント中に一人で挑むというのはそれなりに物悲しいものがあったが、それ以上に楽しさが勝った。
“普通の家の子”は、こういう経験が出来るのか、とも感じた。
3
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:04:01 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川(……父さまが見たら、怒るんだろうけど)
楽しい思い出に水を差すが如く、父の仏頂面が脳裏に浮かぶ。
事あるごとにやれ家柄だの品位だのと壊れたテープレコーダーのように口にしては、昭和染みた下らない価値観で物を言う父。
そして、それに頷くばかりの母と、下らない見栄の張り合いと家財を食い潰すことにしか能がない親戚たち。
高い位置にある園内の時計を見ると、時刻は既に17時を回っていた。
あと30分もしないうちに集合時間となり、それなりに楽しかった修学旅行は終わりを告げる。
一人じゃなかったとしてもそもそも観覧車に乗る時間なんてなかったのだと、サワーグレープのような言い訳を心中で呟いた。
明日から、いや、正確には今日の夜から。
またあの息苦しい家での生活が再開するのかと思うと、途端に両脚が鉛にでもなったかの如く重く感じた。
4
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:05:36 ID:yFlHhZ5Y0
ふと、一組の家族が目に入った。
未だ小学校にも入っていないだろう女児の両手を、優しそうな顔をした男女が握っている。
両親としっかりと手を繋いだ少女は、こちらを一瞥することもなく目の前を通り過ぎて行った。
( 、 *川(……みっともないな、私)
あんな小さな子に嫉妬したところで、何の意味もないというのに。
なんだか自分がひどく矮小に思えて、視線を眼下のアスファルトへと下げる。
すると、年頃の女の子らしいネイルも手入れも、何も施されていないガサガサの手が視界に入った。
クラスメイトの女の子たちがやっていて、こっそりネイルを試してみようとした日の記憶が唐突に脳裏に浮かぶ。
いつの間にか、居間に出されていたネイル用具とファッション雑誌。
無駄に記憶力だけは良い脳が、覚えていたくない父の言葉を一言一句、違えることなく勝手に再生する。
5
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:08:26 ID:yFlHhZ5Y0
『伊藤家の女が、そんなみっともない――』
『爪の装飾だと!?飯に入ったらどうするのだ!全く、いつまでも馬鹿みたいなことを――』
『伊藤家の人間として0点だな、兄たちを見習って――』
うるさい、うるさいうるさいうるさい。
耳を塞いで丸まったところで、紙をビリビリに破くような、頭の内側から響く声は塞ぎようがなくて。
せっかくの修学旅行だったのに。
ずっとずっと、憧れてた遊園地に来れたのに。
楽しかったはずの思い出を、海馬から離れない父の怒号がかき消していく。
ちょっと一人で回っただけで。ちょっと、乗りたかった乗り物に乗れなかっただけで。
たったそれだけでこんな風になる自分が、惨めで、恥ずかしくて、明日が辛くて。
何の温もりもない家に帰りたくなくて。独りぼっちになりたくなくて。
(;、;*川
ああ、もう、いっそのこと。
もういっそ、あの夕日がこのまま、沈まないでいてくれたら――。
6
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:11:41 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「――何してるんだ、お前」
ビリビリに裂かれて捨てられた紙をそっと拾うような、
そんな声が、頭上から響いた。
7
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:13:18 ID:yFlHhZ5Y0
('、`;川「……盛岡、くん」
顔を上げると、上背のある青年が無表情で立っていた。
パッと見ただけでも本能的に“汚してはならない”と思わせるような、上質な紺のコートに身を包んでいる。
『盛岡デミタス』、同じクラスの男子生徒だ。
(´・_ゝ・`)「数日前から散々“楽しみだ”のなんだの言っていたくせに、一人でなにを休んでいるんだ?」
(´・_ゝ・`)「お前が乗りたいと言っていたアトラクションがそのベンチのことなら合点がいくが」
私の心中を慮ることなど一切する素振りすら見せず、ズケズケとした物言いが頭上から降りかかる。
修学旅行でも、彼は普段通りであった。
いつもと同じ通常運転だ。彼が誰かを気遣った場面など、この高校三年間の生活で一度も見たことがない。
8
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:15:07 ID:yFlHhZ5Y0
('、`;川「え、えっと…ちょっと、疲れちゃって」
('、`;川「スマホも、誰とも連絡つかないし」
そう言って、私は言い訳をするかのようにスマホを取り出す。
アンテナが一つしか立っていない私のスマホを見た彼は、フンと小馬鹿にするみたいに鼻を鳴らした。
(´・_ゝ・`)「そんなオンボロスマホ使ってるからだ。買い替えを勧めると言った筈だが…」
(´-_ゝ・`)「いよいよ自慢の記憶力もなくなったか?そうなら俺としては嬉しいんだがな」
癇に障る言葉をあえて使いながら、彼はどすんと遠慮会釈なく私の隣に座り、偉そうに腕と足を組む。
彼の態度と無駄に良いスタイルに少しムッとした私は、カウンターのカードを切ることにした。
何もない空の左手を目一杯開き、「ん」と言って彼の方に差し向ける。
私の手のひらを見た彼は、不思議そうに目を細めてこちらに視線を向けた。
9
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:16:58 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「なんだこの手は。お前に渡すものなんてなにも…」
('、`*川「“第二回全国模試”」
(´・_ゝ・`)
(;´・_ゝ・`)
澄ましたような表情に陰りが差す。
まさに好機。ここぞとばかりに私は追撃をしていくことにした。
('、`*川「全科目?理系科目だけ?総合点?偏差値?別に私はどれでもいいけど」
('、`*川「負けた方は勝った方に…なにするんだっけ?」
みるみる渋くなっていく彼の表情とは対照的に、私はなんだか楽しくなる。
('ー`*川「しまったど忘れしちゃったなぁ、君が言ったように記憶力悪くなっちゃったかもなぁ」
これはもちろん真っ赤な嘘だ。
意気揚々と出した彼の試験結果は、それこそ偏差値から点数にいたるまで、小数点や端数までしっかりと記憶している。
どの科目も、私にギリギリ届かなかったことも、彼の校内順位の欄に記された“2位”という順位も、私の“1位”という順位も。何もかもハッキリ覚えていた。
そして当然、その後にしていた"約束"のことも含めてである。
10
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:19:29 ID:yFlHhZ5Y0
('ー`*川「ごめんね盛岡くん、負けた方って……何しなきゃいけないんだっけ?」
('ー`*川「あ〜〜なんだか寒いなぁ、喉も乾いたなぁ〜?」
さっきまでの陰鬱な気分はどこへやら。
私のわざとらしい声色とジェスチャーを前に、彼は小さく舌打ちをした後、ガサゴソと鞄を漁る。
再び現れた彼の右手に握られていたのは、黒いパッケージが特徴的な缶コーヒーだった。
(´・_ゝ・`)つ□「………ん」
('ー`*川「あら、あらあら!」
('、`;川「………えっ、うわ、冷たっ」
満足げに受け取ったそれのヒンヤリした感触に、意図していなかった声が反射的に上がる。
今の時期への考慮も人への配慮も一切感じられないその温度に、私は些かの反感を覚えながらプルトップを開けた。
11
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:21:25 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川「普通、この時期にこんな冷たいモノ買う?それも人に渡すのにさぁ……」
(´・_ゝ・`)「俺が好きなのはソレだ。恨むなら俺じゃなく、温かいバージョンのそのコーヒーを用意していなかったこの遊園地の管理者に言ってくれ」
('、`*川「なら、温かい別の飲み物買うって選択肢はないわけ?」
(´・_ゝ・`)「俺はコーヒーが飲みたかった」
('、`*川「15点。次はあげる人を主体で考えるように。それとブラック以外でお願いね」
「覚えていたらな」とぶっきらぼうに呟く彼を尻目に、コーヒーを飲む。
期待はしていなかったが、当然のように無糖だ。私には少し苦すぎる。
一口で飲むのを中断し、未だ不満そうな彼の横顔を盗み見る。
端正で、同い年とは思えないほどに大人びて見えるその造詣。
芸術品という例えすら烏滸がましく思えるそれを歪ませたのが自分だと思うと、形容し難い優越感のような、達成感のようなものが胸の中に広がった。
(´・_ゝ・`)「なんだ、じろじろと。お前が望むような飲み物は他にないぞ」
いつの間にか取り出していたコーヒーに口をつけつつ、彼が言う。
なんだ、やっぱり私にあげるように二本買っていたのか。
そんなことに気が付きつつも口にはしないまま、私は慌てて視線を逸らして再び缶コーヒーを飲んだ。
12
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:22:36 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川「…ところで、森岡くんこそどうしたの?一人でいたのは君も同じじゃない」
私にまた言及されるのが嫌で、今度はこちらから質問をしてみる。
(´・_ゝ・`)「…デルタとの合流中にお前を見かけたんだ」
('、`*川「あぁ、関ケ原くん?やっぱり彼と回ってたんだ。何乗ったの?」
(´・_ゝ・`)「別に。ジェットコースターとか、ゴーカートとか、その辺だ」
(´-_ゝ-`)「どれも子供じみたものばかりで然程面白くはなかったな。これなら前に行った夢の国の方が多少は――」
('、`*川「うわ、20点。斜に構えたお坊ちゃん発言がアウト」
缶コーヒーから口を離した彼が恨みがましそうな目をこちらに向ける。
私は素知らぬ顔をしたまま視線を明後日の方向へと変えた。
(´・_ゝ・`)「いつも思ってるんだが、お前のその採点方式はどうにかならないのか?」
('、`*川「減点方式なもので。というか、いつまで経っても無礼な君が悪いのよ」
(´・_ゝ・`)「この俺を勝手に採点するお前は無礼じゃないのか…」
子どもみたいに不貞腐れる彼を尻目に、私は良い気分のままコーヒーを飲む。
口を開けばとにかく失礼な彼との会話は、何だかんだで嫌いではなかった。
13
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:24:20 ID:yFlHhZ5Y0
“盛岡デミタス”。
江戸時代から続く豪商をルーツに持ち、戦後の財閥解体後も主にユーラシアやアジア諸国との貿易で財を成した家の跡取り息子。
要するに、私の家とは比較することすら不敬に値するレベルの、“本物”の御曹司である。
世間的には上の方とはいえ、うちの高校も所詮は“庶民の私学”に属する学校だ。
それなのに彼のような人物がうちにいるのは、話を聞くに“家の方針”らしい。
“事実は小説より奇なり”とはよく言ったものだと感心する。
彼のような人物と接するなど、本来なら私程度の人間にはあり得ないことだ。
14
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:25:28 ID:yFlHhZ5Y0
彼と出会ったのは、高校一年生の夏頃だった。
一学期の終わり際、帰り支度を済ませて自習室を出たその瞬間、自分よりずっと背の高い少年にいきなり道を塞がれた。
ただでさえ異性に慣れていない私にとって、上背のある、それでいて校内でも有名人だった彼にどれだけの恐怖を覚えたのかは容易に想像できることだろう。
(´・_ゝ・`)『あんたか、伊藤ってのは』
('、`;川『……へ…?』
(´・_ゝ・`)『だから、あんただろ。学期末1位だった“伊藤ペニサス”って』
最初は、氷の精霊のようだと思った。
女の私からも羨ましくなるくらいに色素の薄い肌、短く揃えられていながらも艶やかさが分かる黒の髪。低音ながら、どこか安心感のある声。
そして吸い寄せられるように透き通った大きな瞳。シュッと通った高い鼻。
美しく、儚く、脆そうながらしっかりとした、相反するはずの様々な魅力を全て包含しているような。
家柄も見た目も才能も、何もかも中途半端だったり、人並み以下だったりする私とは全く違う。
そんな、“選ばれた”って感じの人。
だが、私の一連の感想は次の瞬間、薄氷を割られたみたいに儚く散ることになる。
結論から言えば彼はまるで、孤独な旅人すら容赦なく凍てつかせる、猛吹雪のような人だった。
15
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:26:11 ID:yFlHhZ5Y0
“さっさと学生証見せろ、本人か?”だの、“思ってたより地味な顔してるな”だの、とにかく失礼なことばかりを呼吸するみたいに口にする。
ほぼ初対面に近い女子生徒に向ける言葉ではないような発言を、マシンガンみたいに羅列してきたのだ。
その時の心持ちをサッカーで例えるなら、そうだ。
試合開始30秒でレッドカードを食らったにもかかわらず、図々しくも退場しないままフィールドを走る選手を見るようなものだろうか。
そんな無意味な妄想をしたまま、呆けていた私の口から出たのは、
('、`*川『……………0点』
という、極めて簡素な採点結果であった。
16
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:26:55 ID:yFlHhZ5Y0
彼との交流が始まったのはそれからだ。
いや、果たして“交流”と呼べるのかどうかという点については疑問が残る。
少なくとも、友人同士が日常的にするような取り留めのない話などはしない。ましてや年頃の男女がするような、休日に何処かに二人で出かけるといったこともない。
では何をしていたのか。それは“点数の競い合い”であった。
一応は進学校であるうちの高校で、日常的に行われる小テスト。
それから期末試験は勿論、強制的に受けさせられる全国模試まで。
“1点でも勝った方が、相手の簡単なお願いを聞く”というルールの下、3年もの間、そんな下らないにも程がある小競り合いが行われてきたのである。
盛岡くんは、非常にプライドの高い人間だ。
彼がとにかく、“自分の上に誰かがいること”を嫌う。家の方針なのか彼自身の生来の性格なのかは分からないが、兎角、自尊心が高いのだ。
厄介なのは、そのプライドに相応しい才能を持つことだった。
事実、容姿や要領の良さ、運動神経に勉学まで、遺憾なくその存在感を現した。
“道徳”という一科目を除けば、まさに“天才”と呼ぶに相応しい実力とポテンシャルを発揮する。
“天は二物を与えず”という言葉がいかにハリボテなのか、私は齢18にして知ってしまった訳なのである。
17
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:29:07 ID:yFlHhZ5Y0
('ー`*川「……結局、最後まで私の勝ち、だったわね?」
私の言葉に彼の眉間のシワがより一層深くなる。
超が付くほどのお金持ちで、家柄が良いなんてものじゃない。
勉強も運動もなんでも出来る、なんでも持ってる盛岡くん。
そんな彼に対して、私が唯一持っているアドバンテージ。
(;´-_ゝ-`)「…たった1点の違いで、よくもまぁそんな自慢気に出来るものだな」
('、`*川「あら、99点と100点満点の差は1点じゃないってこと、ご存じないの?」
私の言葉にまた押し黙る。
ちなみに、今の理屈は二年生の頃、彼自身が突っかかってきたクラスメイトに向かって放った言葉だ。
本人も覚えがあるのだろう。いつものようにサッと反撃に出ることなく、悔しそうに口元をモゴモゴと動かすばかりであった。
18
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:29:59 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川「ちなみに、今までの勝負ぜーんぶ合わせた私と君の差点、知りたい?」
(;´-_ゝ-`)「要らん。……全く、ちっとも劣る気配がないな。なんなんだ、お前のその化け物染みた記憶力は」
いつもと違ってこれっぽっちもキレのない皮肉に、私の口角が自然に上がった。
“完全記憶能力”と呼ばれる代物。それこそが、私の持ちゆる唯一の才能。
“これは覚えよう”と少しでも意識したものは絶対に忘れない。まるで映像を再生するかのように、自分が視界に収めた風景をいつまでも覚えていることが出来る。
それこそ、教科書の小さな句読点から、今朝すれ違った車のナンバーまで。完璧にいつでも暗誦可能だ。
もっとも厳密に言えば、“完全”という訳ではない。
オーストラリアにいるらしい女性は、生まれる前の頃から記憶を保持しているという。私の記憶力というのは流石にそこまでではない。
とは言っても、少なくとも高校生が受けるテスト程度なら、いつでも満点が出来る程度の代物ではあった。
19
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:30:42 ID:yFlHhZ5Y0
幼い頃から自覚していた、唯一の長所。
だが私は、昔からずっと、この才能が嫌いだった。
『こんなことも出来ないのか』
『伊藤家の恥だな全く。0点だ。辛気臭い顔をしおって』
『何度言えば分かる、いいからお前は大人しく隅で座っておけばいいんだ』
『余計な口を挟むなと言わなかったか。黙ってニコニコすることも出来んのか、女としても使えん奴だな』
覚えていられるということは、つまり、忘れられないということ。
言われた嫌なことも、痛いことも、辛いことも全て、風化しないということ。
そもそも女の私がテストで多少良い結果を残したところで、うちの人間は誰も良い顔をしない。
それどころか、『女の癖に生意気だ』だの、父や兄に小言を言われる始末。
母にすら『男を立てろ』と言われるだけのあの家では、私の才能は“祝い”ではなく、“呪い”だった。
それが、初めて役に立った。初めて認められた。
中学でも“気味が悪い”だの“がり勉”だのと揶揄されるだけだった日々が、急に色づいて見えた。
憎まれ口ではあるものの、正面から認めてくれたのは盛岡くんが初めてだった。
20
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:32:09 ID:yFlHhZ5Y0
(;´∩_ゝ・`)「…いや、まだだ。まだセンターが残ってる」
('、`*川「え〜まだやるの?どうせ結果は変わんないと思うけど?」
(;´・_ゝ・`)「いいや今度こそ俺が勝つ。多少記憶力が良くても、計算ミスとかはあり得るだろう。この俺が負けっぱなしで終わるなんてあり得ない。なんなら国立の二次試験でも…」
('、`*川「25点。しつこい男は嫌われるって、お家で習わなかった?」
(#´・_ゝ・`)「おまっ…意趣返しのつもりか?自分だって家のこと突っ込まれると嫌がるくせして…!」
('、`*川「人の嫌がることは言っちゃいけないって忠告したのに、一向に治る気配がないからですー」
いつの間にかすっかり空になった缶コーヒーを置く。
さっきまで一人寂しく落ち込んでいた少女はどこへやら。いつの間にか、楽しそうな私の笑い声と、悔しそうな盛岡くんの声が遊園地の中で響いていた。
21
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:33:16 ID:yFlHhZ5Y0
('、`*川「将来人の上に立つって人が、そんな喋り方じゃダメだって言ったでしょ?その絶望的な語彙のチョイスはもう諦めるとして…」
('、`*川「せめて一人称くらいはねぇ。君、ただでさえ威圧感凄くて人を怖がらせるんだから」
(´・_ゝ・`)「なんでお前の言う通り矯正しなきゃならんのだ。俺は俺だ。好きなようにやるし、好きなように人を使う」
('、`*川「そんな頑固だから、私に負けっぱなしなんじゃないの?」
(´・_ゝ・`)「関係あるか――…いや、まさか、あるのか…?」
顎に手を当てて何か深慮する素振りを見せた彼を見ながら、私はじっくりと彼を見る。
本来ならこうして話なんて出来ない人。本当なら、私は彼の隣にいる資格のない人間だ。
それを、嫌っていたはずの記憶力という才能と、クラスメイトという地位に甘んじて手にしている。
こんな都合のいい時間が、長く続くはずがない。
さっさと離れた方が彼の為でもあると、痛いくらいに理解しているはずなのに。
('、`*川「……?」
ふと、何か冷たいものが鼻先に触れた。
さっと指で払うと、指先に小さな白い粉みたいなものと水滴が付いているのが見て取れた。
22
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:34:04 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「―――雪、か」
空を見上げた彼がボソッと呟く。
同じように視線を上にやると、曇った空から、ゆっくりと雪が降ってくるのが分かった。
別にこの地方なら雪はそう珍しいものではないが、やはり少し時期外れではある。
上を見たまま、今朝の天気予報を想起する。
あの笑顔が素敵な女性キャスターは、雪が降るなどとは一言も発さなかった筈だ。
(´・_ゝ・`)「…というか、そろそろ時間だな」
('、`;川「そ、そっか。もうそんなに経っちゃったのね」
森岡くんの左手首に付けられた時計がキラリと視界の隅で光る。
そこらの軽自動車なら買える代物だ。そんなものを修学旅行に付けてくるなと思うと同時に、やはり自分とは住む世界が違うのだと改めて認識した。
23
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:34:51 ID:yFlHhZ5Y0
近くのゴミ箱に、空になった缶を二人揃って投げ入れる。
振り返ると同時に、降ってきた雪が直で目に入る。
慌てて目をこすって再び視界を開くと、ちょうど視界の中心に、大きな観覧車が現れた。
('、`*川(……結局、乗れずじまいで終わっちゃった、か)
呆けた目で観覧車を眺める。
昔、無駄に広い居間でテレビを見ていた時。
画面の向こうに映し出されていた大きな観覧車と、乗っている楽しそうな人々。
そして、頂上から撮影したらしい、空から見下ろした街並みの風景。
忘却という機能がなく只管積まれる記憶の中でも、“それ”は特に眩く光っていた。
いつか私も乗ってみたい。ビルよりも高い景色から、荘厳な街を見下ろしてみたい。
…まぁ、そんな期待を胸に膨らませて臨んだ修学旅行も、目標は果たせないままに終わりを告げてしまうのだが。
(´・_ゝ・`)「おい、何ぼーっとしてるんだ。放っていくぞ」
振り返った盛岡くんがこちらに寄ってくる。
はっと意識を引き戻された私は慌てて「ごめん、今行く」と返事をした。
24
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:36:01 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「……なんだ、あれに乗りたかったのか?」
彼の言葉に、私は少し恥ずかしくなりながらコクリと頷く。
すると彼は、面白いモノを見たとでも言うように、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
(´-_ゝ・`)「あんなモノにか?夢を壊すようで悪いが、そんな御大層な景色は見えないぞ?」
(´-_ゝ-`)「そもそも一人で回っていたのなら乗るチャンスなど幾らでもあったろうに。…あ、あれか?“観覧車に一人で乗るのは嫌〜”ってやつか?」
( 、 ;川「……っ」
(´・_ゝ・`)「おいおい図星か。お前がそんな意志薄弱の女子高生みたいなことを思うとは、全く計画性も合理性もあったもんじゃないな。お前がそんな奴だったとは、やはり俺にもまだまだ勝機が――」
立て板に水を流したように喋りだす盛岡くん。
随分と脂がのっていると見えるその舌と無駄に整った顔に対して、私は精一杯の悪意を瞳に込めて口を開いた。
25
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:37:50 ID:yFlHhZ5Y0
( 、 #川「……0点」
(;´・_ゝ・`)「なっ…!?ふ、ふん。一人で観覧車にすら乗れない女子からの採点など今更別になんとも――」
('、`#川「えぇそうね、私も“同い年とのテスト勝負に一度も勝てないボンボン”に、何言われたって響かないわ」
途端に彼の言葉が止まる。
ざまーみろと舌を出し、スタスタと彼の前を通り過ぎる。
そろそろ集合時刻。遅れて無駄に怒られるなんてまっぴらごめんだ。
(;´・_ゝ・`)「ま、待て!いいか、今までのは偶然だ。そもそもな、たかが数点の差異でよくもまぁこの俺にドヤ顔出来たもんだ。まったく、その厚顔がもはや尊敬に値するが、次こそ…」
('、`*川「30点。負け続けた言い訳としては面白いけど、そろそろ別のパターンが聞きたいかな。“次こそ勝つ”なんてもう87回は聞いてるけど?」
(#´・_ゝ・`)「と、というかなんだ、たかが観覧車如き!俺は将来、あんなチンケな観覧車よりも更に高いビルに腰を落ち着けるんだ!それに比べればあんな…」
('、`*川「22点。たらればの話だけはお上手ね、私に勝てないお坊ちゃんに出来るかしら?」
(#´・_ゝ・`)「〜〜っ!!…あぁ、なら、次はこうしよう!」
彼はぐるっと私の前に先回りしてくる。
次は何を言うのだろう。今までのパターンだと、なにかとんでもないものを賭けの対象にしてくるだろうな。
前は土地を賭けようと言われたのだったか。もちろん勝ったのは私だし、律儀に権利書や登記移転の契約書を持ってきた彼に“そんなもの貰えない”と突っ返したのだが。
26
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:38:08 ID:pxLFC9gs0
支援
27
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:39:29 ID:yFlHhZ5Y0
さて、今回はなんだろう。
余裕綽々の態勢で、彼の次の言葉を持つ。
すると、彼は突然、私の肩をぐっと掴んだ。
('、`;*川「…………へ」
大きな二つの手が、私の両肩をがっちりホールドしている。
常日頃から、それこそ三年間見続けて、見慣れているはずの彼の両手。
――その手が随分とゴツゴツしていることに気が付いたのは、間抜けにも今日が初めてだった。
28
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:40:47 ID:yFlHhZ5Y0
(#´・_ゝ・`)「いいか!次はセンターだ。センターの合計点で勝負するぞ!」
('、`;*川「…へ!?ちょ、ちょっと、ち、ちか――」
(#´・_ゝ・`)「どうせお前と俺なら大学には余裕で受かる。なんなら二次試験の結果でもいい!どうせそっちも点数の開示はあるだろうしな。いや、その合計で勝負しよう!それで…」
( 、 ;*川「わ、わ、わかった!する、勝負、するか、ら!離して――」
(#´・_ゝ・`)「それで、もし、それでも、お前が勝ったら」
ぱっと肩から手が離される。
ようやく解放されたという安心感と、ほんの少しの名残惜しさに胸をなで下ろす。
勝ったら、何だ。一体なんだというのだ。
無駄に動悸が激しくなった心臓を押さえながら、改めて彼の方を見る。
すると、彼の長い腕は、集合場所とは全く別の方向に伸びていた。
29
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:42:17 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「――あれに、一緒に乗ってやる」
彼が示した先には、雪が舞う中でも関係なしにゆったりと廻る、大きな観覧車があった。
(´-_ゝ-`)「別に俺はあんなものに興味など全くないが、お前は違うんだろう?」
(´-_ゝ・`)「“一人で乗りたくない”なんて考えも理解できないが、お前がもし高校最後の勝負も勝ったのなら、ま、協力してやらんこともない」
(´-_ゝ-`)「なんなら、もっと大きいやつを用意してやる。それも1周だけじゃないぞ。お前が満足するまで、何周でも付き合ってやる」
(*´・_ゝ・`)「この俺がだ!どうだ?俺にとっては詮無いことだが、お前にとっては好条件だろう!」
('、`;川「……………」
世紀の大発明をしたかのような、そんなドヤ顔で話を続ける盛岡くんを見つめ続ける。
降りしきる雪も、迫る集合時間も気にせずに喋る彼から、私は視線を逸らせずにいた。
30
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:44:46 ID:yFlHhZ5Y0
――彼は、自分が何を言ったのか、理解しているのだろうか。
私だって一応、平凡な年頃の少女だ。
それが、クラスメイトの異性から、“二人きりで観覧車に乗ろう”などと誘われたら、どう思うか。
彼が私のことをどう思っているのかは分からない。というかそもそも、私自身、彼のことをどう思っているのかも判然としない。
女の子として意識されたと思えるようなイベントなんて今まで一度もなかったし、”友人”と思ってくれてるかどうかについてすら自信はない。
だが、でも、この申し出は、誘いは、傍から見れば、まるで――。
31
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:47:23 ID:yFlHhZ5Y0
一瞬、一際強い風が吹いた。
少量の雪を含んだそれは、火照った私の頬を撫でるように通り過ぎる。
その冷たさにハッとなった私は、何かを誤魔化すように髪をいじった。
( 、 *川「………いい、よ」
ポツリと、決して大きいとはいえない承諾の返事。
それでも、せめて、風の音には負けないくらいの声量で。
( 、 *川「……次、もしまた、私が勝ったら」
( 、 ;*川「…………絶対、乗せてもらうからね」
どうにもこうにも気恥ずかしくなって、顔を逸らす。
声は上ずっていなかっただろうか。震えていなかっただろうか。
最後の方に呟いた“忘れないでね”という言葉まで伝わったのかは分からない。
それを確かめるため、意を決してちらりと彼を見た。
32
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:48:18 ID:yFlHhZ5Y0
(*´・_ゝ・`)「――よし、決まりだ!」
(*´・_ゝ・`)「次こそ、次こそ絶対に、お前に勝ってみせるからな!」
森岡くんは、プレゼントを貰った子どものような笑顔を浮かべていた。
楽しみで堪らないといった様子で、再び私の前を歩き始める彼。
……なんだか、意識していた自分がバカみたいに思えた。
恥ずかしさが怒りに転じるのに、要した時間は秒もない。
自分よりずっと広い背中目掛けて、私は力強く握りしめた拳を当てる。
「ぐふっ!?」という彼の驚いた声にだけは、100点あげてもいいな、と思った。
33
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:49:42 ID:yFlHhZ5Y0
*
('、`*川「……なんてことも、あったなぁ」
壁に背を預けたまま、もはや日課のルーティンと化していた記憶の整理を中断する。
また随分と、懐かしいことを思い出した。
あれは高校三年生の頃であるから、逆算すれば今からもう、10年も前のことになる。
高層ビルの28階。そこらの遊園地の観覧車よりも高い位置の窓からは、ミニチュア模型かと勘違いするほど小さな無数のビルが見える。
しばらくその景色を見つめた後、焦りを覚えた私はエレベーターの前へと移動した。
左手首につけた腕時計は、午後4時半を過ぎている。
私が想定していた時間から、とっくに30分は経過していた。
34
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:51:02 ID:yFlHhZ5Y0
('、`;川(……!やっときた!)
軽快な機械音が、エレベーターの到着を告げた。
“どこで油を売っていたのか”とむかむかする気持ちを抑えて扉の前から退き、サッと手元の資料を確認する。
大丈夫、書類やデータ等に関する不備はない。
仮に想定外の事態に陥ったとしても、必要な情報の記憶は全てこの頭に入っている。
他になにか、心配事があるとするならば――。
最新型のエレベーターの扉が、静かに素早く開かれる。
スタイリッシュな内装の箱の中には、一向に出ようとしないまま呑気に話を続ける二人分の影があった。
35
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:52:44 ID:yFlHhZ5Y0
(´・_ゝ・`)「なぁ、やっぱり明日もう一回見に行ってもいいか?もしかしたらもう一つのほうが部屋に合う気がしてきたんだけど」
( “ゞ)「ダメだ。そうやってテーブル一つ選ぶのに何か月かけてる。今日だって2時間もかけた挙句に、無駄な家具まで選ぼうとして……」
(´・_ゝ・`)「僕はただ妥協したくないだけだ。この前の工場買収の時だって、僕のこの“妥協しない精神”があったお陰で上手くまとまったんだろう?」
( “ゞ)「インドまで行って責任者と実際に話をつけたのは俺だ」
(´-_ゝ-`)「いやいや、そもそもあそこに目を付けたのは僕であってだな――」
( 、 #川「――あのっ!!」
開ききったエレベーターに向かって大声を張り上げる。
壁に凭れたままの長身男性二人の肩がビクッと揺れる。
今になってようやく、エレベーターが到着していたことに気が付いたらしい。
36
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:54:40 ID:yFlHhZ5Y0
('、`#川「……もうアポの時刻から30分以上過ぎてますけど、どういうことです、社長?」
必死に冷静を装おうとしながらも、隠しきれない怒気が声に漏れる。
盛岡くん……いや、盛岡“社長”はポリポリとバツが悪そうに頬をかいたかと思えば、あっけらかんとした表情でこう言った。
(´・_ゝ・`)「……“迷子になってた”って、いけるかな?」
(‘、`#川「いける訳ねぇだろ」
エレベーターから無理やり社長を引きずり出す。
ちらりと隣のデルタさんを見ると、彼は申し訳なさそうに両手を合わせていた。
( 、 #川「デルタさん。貴方がいながら、なんでこんなに遅れたんですかね…?」
(; “ゞ)「いやぁ…面目ない。でも、君も知ってるだろ?デミタスの凝り性具合。ちょうどあいつの部屋にピッタリ合いそうなテーブルが二つもあってさ…」
('、`#川「もう五ヵ月と18日かけてるアレですか。それに注意してくださいと申し伝えた上で、本日のアポについて貴方にもお知らせしておいた筈ですが?」
私の非難染みた言葉に“そうだっけ?”と恍けてみせるデルタさん。
かつてはどこかのお坊ちゃんより紳士的だと思ったクラスメイトも、いつの間にか随分と毒されてしまったようだった。
37
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:56:27 ID:yFlHhZ5Y0
(´-_ゝ・`)「ま、デルタも伊藤も居るんだ。30分程度の遅刻、なんのハンデにもならないさ」
相応の地位を持つ社会人とは思えないような発言をしながら、呑気に伸びをする社長。
その隣にデルタさんが一切の焦りを見せない様子で並ぶ。
人を待たせているとは思えない二人の雰囲気に、私は一瞬押し黙ってしまった。
(-、-*川「…くれぐれも失礼のないように。前みたいなフォロー、私もうしませんから」
わざとらしい咳払いをしつつ、一応の注意喚起をする。
彼ら二人にしたこの類の勧告が役に立ったことなど一度もないが、立場上、言っておかねばならないのだ。
私の言葉に、デルタさんは笑いながら「大丈夫だよ」と言い、社長はヒラヒラと手を振ってみせる。
“こんなので本当に大丈夫にしてみせるからズルい”と思いながら、私は彼ら二人の背後に続いた。
38
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:57:10 ID:yFlHhZ5Y0
( “ゞ)「……よし、じゃあ」
(´・_ゝ・`)「行くか」
慣れた様子で、互いの拳を合わせる二人。
彼らに続いて廊下を歩くその最中、ふと、窓から見える大きな観覧車が目に入る。
この街のシンボルでもある、112.5mもある大観覧車。
――守られたの、”観覧車より大きなビル建てる”ってことだけだったな。
そんな10年も昔のことを思い出しながら、私はかつてのクラスメイトであり、今では上司となった二人の背中を追った。
39
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 00:57:59 ID:yFlHhZ5Y0
今回は一旦ここまで。
2024年最初のブーン系作品の座は貰ったぜ!
40
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 01:03:54 ID:rAYKjh6U0
乙!最初どうなるかなって思ったけど凄く良かった!
41
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 19:55:57 ID:xIIsttdA0
乙……続きものか!?
42
:
名無しさん
:2024/01/01(月) 23:09:14 ID:yFlHhZ5Y0
>>41
短編ですが、一応続きものです。
数日後にまた続き投下するので、よろしくお願いします〜。
43
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:06:17 ID:KKTQDt7.0
*
静かに、それでいて轟々と迅速に国道を駆ける車の助手席。
頬杖を突きながら、凄まじいスピードで窓の外を流れていく景色をじっと眺める。
かすかにガラスに映った自分の顔は、それはそれはさぞ不機嫌そうであった。
(´-_ゝ-`)「――さっきから、なにを不満そうにしているんだ」
社長の車に乗り込み、目的の駅に向かって走り出すこと数十分。
車内に充満する沈黙に耐え兼ねたのか、無言のまま車を運転していた社長がようやく口を開いた。
(‘、`#川「不満“そう”じゃありません。不満なんです」
窓から視線を外さずに返答をする。
視界の先では、この街を代表する観覧車がどんどん小さくなっていくのが見える。
ふと、見覚えのあるビルが通り過ぎるのが見えた。ということは、この車が目的地に到着するまであと十分といったところだろう。
44
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:08:21 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「だから、なんでだ。今回は何も問題なくスムーズに終わっただろう?」
('、`#川「商談自体はそうでしょうけどねっ」
溜息交じりの発言にカチンときて、私はさっと運転席に向き直る。
彼にとっては慣れた道だ。多少私が隣で文句を言ったところで、事故を起こすような集中力を切らすことはないだろう。
そう勝手に結論付けた私は、感情のまま言いたい事を言うことにした。
('、`#川「30分ですよ!?30分!あなた方お二人が呑気に家具選びをしている間、あのちょ〜大企業の社長さまと、その秘書の方を一人でお相手してたのは誰だとお思いで!?」
煮えくり返りそうになる腸を必死に理性で抑えつつ、言いたいことを吐き出していく。
うちの企業は確かに目を見張る急成長を続けているとはいえ、昭和の初めからこの令和に至るまで存在し続け、ついにはこの国を代表するほどになった大企業とは比べるべくもない。
そんな大企業を動かす社長と、それを支える秘書。対してこちらは役員でも重役でもないどころか、多少記憶力が良いだけのギリギリ30歳にすら満たない小娘。
サバンナを生き抜いたライオンたちを前に、動物園育ちのウサギが相対するようなものである。
どれだけ私の胃が痛んだか、人並みの優しさを持つ人なら想像は易いはずだ。
45
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:09:33 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「たかが30分程度雑談してただけで何を怒る必要があるんだ?そもそも、この国を代表する企業の代表取締役様が、数十分遅れた程度でキレるような人間な訳ないだろう?」
(-、-#川「……はぁ〜〜〜……」
あぁそうだ。残念ながら隣でハンドルを握っている彼は、“人並みの優しさ”すらない男なのであった。
淡い期待が弾けると共に、背凭れに預けていた背中がズリズリと滑る。とても一企業の代表権を持つ取締役の発言とは思えない。
“何百人もの従業員を雇っている社長としての自覚がまだ身に付いてないのか”と思うやいなや、腹の底からマグマのような熱がせり上がってきた。
('、`#川「普っっ通は!!キレるん!!ですよ!!私が怒らないようにず〜〜っと間を保たせてたから許して頂けただけです!!」
(;´・_ゝ・`)「ちょっ、痛っ……殴るな!運転中だぞ僕は!」
('、`#川「ならさっきからチラチラ株価見るのもやめなさいよ!」
ポカポカと彼の左肩を叩き、カーナビの前に置かれたスマホを取り上げる。
人が真面目に説教をしているというのに何を見ているのか。そもそも運転に集中しろ。
46
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:11:30 ID:KKTQDt7.0
('、`#川「ああいう人たちの…というか、他人の時間がどれだけ貴重なものかまだご理解が足りないんですか!?はぁ〜あ!」
(#´・_ゝ・`)「ちっ…たかだか数十分ご歓談してただけの身分で随分と偉そうだな!そもそも、今回の商談を取り付けたのも、無事円満に終わらせたのも、お前ではなく僕だろう!」
('、`#川「デルタさんにこっそりフォローしてもらってたくせに!」
(;´・_ゝ・`)「うぐっ…!い、いや、省庁とのやり取りについてはあいつの担当というだけで……」
('、`#川「それに社長、お相手さんの秘書の方のお名前、一瞬ド忘れしましたよね?助け舟を出したのはどなたでしたっけね?まさか、それもお忘れですか?」
(;´・_ゝ・`)「…いや、まぁ、それは……」
私の追加口撃に社長はにべもなく黙り込む。
別に、社長の記憶力が悪い訳ではない。というか、寧ろ良い方だ。
人格的欠点が多すぎるのは事実だが、単純な能力や才能という面から見れば、寧ろ彼に出来ないことや苦手なことを見出す方が難しい。
47
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:12:57 ID:KKTQDt7.0
だが、こと“対人関係”という点に着目すれば、あれよあれよと粗が見つかる。
一際特徴的なのが、人の記憶だ。
彼は昔から、興味のない人間の顔と名前を覚えようとしないのである。
大学生活を経て高校時代に比べれば随分とマシにはなったものの、それでも社会人としては合格と言えるレベルではない。
にもかかわらず一企業の社長業をしているのだから、傍から見ている私からすれば常にハラハラものだ。
毎日、薄氷の上でタップダンスをする子どもを見ている親のような心境である。
(-、-#川「……次回の会議は来月です。それまでに、向こうの取締役全員の顔と名前くらいは把握しておいてください」
(;´・_ゝ・`)「ぜ、全員!?いくらなんでも過剰だろ!どうせデルタやお前も出席するんだ、なんでそんな無意味なことを僕が……!」
喚く社長に何か言うことはなく、ただ無言で彼を睨みつける。
私の眼光に怯んだ彼は瞬時に押し黙り、悔しそうに眼前に視線を戻した。
48
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:13:33 ID:KKTQDt7.0
(;´-_ゝ-`)「……一応言っておくが、僕はお前が勤めている会社の社長だぞ?」
('、`#川「最低限のご自覚はあるようで何よりです。これからは、その役職に恥じない言動をより心掛けてください」
“より”の部分を厭味ったらしく協調し、私は再び口を閉じる。
ついに何か言う気力もなくしたのか、蚊の鳴くような声で彼は「……はい」と呟いた。どうやらお灸程度の効果はあったらしい。
ふんと鼻を鳴らして窓の外を見てみれば、既に目的地に入るところであった。
目に飛び込んできた、“新横浜駅”と書かれた大きな文字。
わざわざ東京まで行かなくても新幹線に乗れるのは、個人的にとてもありがたいことだった。
49
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:15:19 ID:KKTQDt7.0
車のスピードが落ち、路肩に止まる。周りにはタクシーやバスもない。
ようやく到着した、降りなければ。
そう思うと同時に、横から“なぁ”と声をかけられる。
隣に視線を移すと、社長は前を向いたまま、少し遠慮がちに口を開いた。
(´・_ゝ・`)「今日の僕は、何点だった?」
唐突な彼の質問に、私の口からはふふっと小さな笑い声が漏れた。
高校時代から変わらない。
彼が何かを成すたびに、その都度私に聞いてくる“採点結果”
私の悪癖である“採点”に端を発する、私と彼の“決まり事”だ。
('、`*川「うーん……“65点”!」
(;´-_ゝ-`)「…今回の減点事由は」
('、`*川「商談中にお相手の名前をド忘れ、スーツの背中側の汚れ、専門用語についての説明の欠如。…なにより、30分の遅刻で大幅減点です」
(;´-_ゝ・`)「…なぁ、そろそろ加点方式に変えてくれないか?受験生のニーズに応えてやり方を変えるのも採点側の義務だろう?」
('、`*川「採点の趣旨を鑑みると、減点方式の方が適切なので」
ハンドルに両腕をかけたまま、彼は小さな溜息をつく。
今までの最高得点は78点。これでも、企業を立ち上げた大学生の頃に比べれば、倍以上に点数は伸びた方だ。
50
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:16:34 ID:KKTQDt7.0
いつものやり取りも終わり、シートベルトを外す。
「ありがとうございました」と声をかけて車を降りようとした途端、視界の中心に大量の紙の束が差し出された。
('、`;川「……なんですかこれ」
女性の私ですら羨ましくなりそうなくらいに、白く、それでいて力強そうな手。
それに握られているのは、私の鞄にギリギリ入るか怪しいレベルの量のプリント。
(´・_ゝ・`)「デルタから頼まれてたんだ。明後日の会合に来る奴らのリストと、各部署への通達についての注意書きだ。全部暗記しておいてくれ」
('、`;川「……PDFにしてくれれば…」
(´・_ゝ・`)「あー、あとお前のサインが必要なやつも混じってるらしい。僕はよく知らないが、ま、それも含めて確認して欲しいんだろ」
悪びれもなく答える様子にまた苛立ちを覚え、軽く舌打ちをしてから奪うように紙の束を受け取る。
“デルタさんから頼まれた”ということは、少なくとも今日昨日に決まったことじゃない。遅くとも、1週間前には出来上がっていた書類だろう。
“もっと早く渡せ”と言いたいが、仮にも相手は上司、それも社長である。いくら元クラスメイトとはいえ、そんな文句を軽々しく言える立場ではない。
51
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:17:53 ID:KKTQDt7.0
('、`#川「もっと早く渡せやボケ…」
(´・_ゝ・`)「口に出てるぞ」
口に出ていたらしい。それも中傷も含めて。やっべ。
反射的に口を抑えたがもう遅い。というかまぁ、別に取り繕う意味もないだろう。
足元に置いていた鞄に書類を丁寧に入れ、車のドアに手をかけ開く。念のため、大きめの鞄にしておいて正解だった。
未だに少し慣れないヒールに少しふらつきながら、私はゆっくりと車を降りた。
最低限、二言三言かけてから行こうと車の方に振り向く。
夕暮れの茜色が車体に反射して少し眩しい。二ヶ月前に購入したばかりの社長の新車。
今回は赤。この前はコバルトブルーの車を買っていた。車など一台で充分だと思うのだが。
もう知り合って10年以上経つが、金持ちの思考、とりわけ“盛岡デミタス”という人物の思考は未だに理解できないままである。
('、`*川「それじゃ、行ってきま……」
(´・_ゝ・`)「待て」
開かれた窓から掛けた挨拶が、彼の低音に遮られる。
なんだろう。まだ何か用事があるのだろうか。
目を瞬かせながら待っていると、彼は先ほど渡されたものと同じくらいの紙の束を出してきた。
52
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:20:00 ID:KKTQDt7.0
('、`;川「うわっ…!?ま、まだあるんですか!?こういうのは早めに出してくれって言ってるでしょ!?まとめて一気に出されるのが一番困るんですって…!!」
(´・_ゝ・`)「仕方ないだろ。それは昨日やっと完成したばかりなんだから」
('、`#川「やっぱり最初のやつは早めに出せたんじゃないですか!バカ!無能!」
(;´・_ゝ・`)「む、む、無能!?こ、この僕が、む、むむ、無能!?おま、お前、お前な、言って良いことと悪いことが…!」
(-、-;川「あーもうはいはいすいません。…で、なんですか、コレ」
突然バグりはじめた社長を尻目に、渡された紙の束を見る。
そこで、ふと小さな違和感を覚えた。
('、`*川(……なんか、良い手触り)
ただのコピー用紙とは違う。ツヤツヤとしていて、それでいて丈夫さを感じる。
最初に渡された束や、普段から業務で使っているどの紙とも違う。
だが、覚えがあった。それも視覚だけでなく、触覚でも。
私は数回、こういう紙に会社で触れたことがある。
…思い出した。これは確か、大切な契約の締結の際に使うような――。
53
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:20:52 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「あぁ。婚約証書だ」
('、`*川「はぁ、婚約………」
“婚約”。オウム返しのように口に出してみた途端、脳が単語の意味を理解する。
私の言葉の認識に、誤りが齟齬がないのなら。
婚約、こんやく、つまり、要するに、それは――
('、`;川「――婚約!?」
自分でも驚くくらいの大声が、新横浜駅中に木霊した。
周りを歩いていた人たちの視線が、一気にこちらに注がれたのが分かる。
だが、社長はそんな周囲の様子にも、私の狼狽にも気付いていないかのように、「そうだ」とだけ言って頷いた。
54
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:21:59 ID:KKTQDt7.0
('、`;川「は、はぁ、そうですか…婚約…へ、へぇ……」
全く動じてなさそうな社長の様子に、却って冷静になってきた。
頭に昇った血と熱が、サッと引いていくのが分かる。
そうだ。いくら人の気持ちが分からない傍若無人な男といえど、世間から見れば江戸から続くあの森岡家の長男であり、御曹司。
そして今や、学生時代に立ち上げたベンチャーを10年足らずで時価総額3500億の企業にまで成長させた、天才若手社長。
寧ろ、そんな男がまだ結婚していないという、今までの状況がおかしかったのだ。
( 、 ;川「……お、おめでとう、ござい、ます。はは……」
なんと言っていいか分からず、形だけの祝いの典型文だけが零れ出る。
ふと、無意識に書類を力強く握っている自分に気が付き、慌てて書類を持ち替えた。
('、`;川「…で、でも、私なんかに知らせて、いいんですか?…こんなのまで、見せようとして」
声の震えを必死に隠そうとしつつ、書類を自分の顔の前に持ってくる。
……どうしてだろうか。気を抜くと、すぐにでも泣いてしまいそうだった。
55
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:24:48 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「……いや、だから、中身をお前にも確認しておいて欲しいんだが」
( 、 ;川「…私にではなく、デルタさんとかの方が、良いでしょう」
泣きそうな顔を見られまいとしながら、必死に言い訳を探す。
書類の内容のチェックなどは、私なんかより、いくらでも適任がいる。
誤字脱字のチェックも、PDF化した書類をスキャンすればすぐだろう。
それなのに、どうしてわざわざ私に見せようとするのか。
嫌がらせか。それともまさか今回も、本当に何も考えていないのか。
瞬きをする。世界が途端に水分で滲む。
あぁ、ダメだ。何か、何か違うことを考えなくては。
そうだ、もうそろそろ新幹線の時間なのではないか。
とりあえず、乗ったら化粧室に行かないといけないな。取引先に行くまでに顔、直さなきゃ。
別の思考を巡らせて自分を騙そうとするも、すぐに嫌な考えが脳を塗りつぶしていく。
水中に垂らされた墨汁のように、真っ黒な感情が広がってしまう。
……私、この後もちゃんと仕事出来るかな。向こうでいきなり泣いたりしないかな。
明日以降も、いつも通りでいられるかな。
56
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:25:40 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「…?いや、デルタにはもう見せた。後はお前の確認が欲しいんだ」
( 、 川「………」
あぁ、なんで、どうして、こんなにデリカシーがないの。
なんで今なの。こんな、意味分かんないタイミングで、意味分かんないもの見せようとしてくるの。
私が、本当に、ただの義務感とか元クラスメイトのよしみとかだけで、君の隣にいると本当に思ってるの。
( 、 川「………」
書類を握る手に力が籠る。大事な書類だと、丁寧に扱うべきだと、そんなことは理解しきっているのに。
目頭が熱い。胃の中のものが、全て逆流しそうになるような吐き気すら感じる。
地面のアスファルトが溶けたみたいに、立っていることすら辛くなってくる。
あぁ、いっそ、はっきりと。
「お前に興味なんかない」と、もうこの場で、言ってくれたら――。
57
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:26:40 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「…とにかく、読んで何も問題なければ、サインして持ってきてくれ」
( 、 #川「……っ、だから」
( Д #川「だから、なんで、わたしがっ…!?」
書類を下げ、顔を上げる。
瞳に溜まった涙が零れないよう、必死に上を向く。
眼前には、予習していない範囲について先生から質問された生徒のような、そんな困り顔をしている社長の顔がある。
彼は私の顔を見た後、ゆっくりと首を傾げる。
何を言おうか考える素振りを見せた後、彼はゆっくりと、瞬きをしながら口を開いた。
(´・_ゝ・`)「…なにをそんなに怒ってるんだ?そりゃあ、いるだろ。だって」
(´・_ゝ・`)「――お前との婚姻なんだから」
('、`;川「…………………へ?」
58
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:28:13 ID:KKTQDt7.0
溢れそうになった雫は垂れず、瞬きと共に奥へ引っ込んでいった。
今、彼はなんと言ったのか。
自慢の記憶力を頼りに、数秒前の発言を再生する。
まさか、この馬鹿社長は、目の前にいるこの唐変木は。
“お前との婚姻”と言ったのか?
“お前”とは誰だ。誰のことだ。
周りをキョロキョロと見る。人こそちらほらと見えるものの、みな我関せずといった風体で駅構内へと入っていく。
社長の視線も、まっすぐにこちらに向いている。
そして、社長と会話をしているとみられるような距離感に現在いる人間は、たった一人しか認識できない。
それは、なんというか、要するに、つまり。
彼の、婚約の相手というのは、それは――。
σ('、`;川「………わた、し?」
書類を下げ、社長を見る。
運転席に座ったままの彼は、まるで出来の悪い子どもを見るような目つきでこちらを睨んでいた。
59
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:29:37 ID:KKTQDt7.0
(´・_ゝ・`)「他に誰がいる。そうでなければ、お前にわざわざ見せるはずないだろ」
(´・_ゝ・`)「…それじゃ、読んで文句なければ、サインと印鑑押してから持ってきてくれ。おかしな所があればその都度教えろ。どんな些細なことでもいい、遠慮するな」
放課後に公園で遊ぶ約束をした小学生みたいな声色で、とんでもないことを言う社長。
そして、その発言に理解が追いつかず、呆然としたままの私。
あれだけ零れそうだった涙はいつの間にか、一滴残らず引っ込んでいる。
(´・_ゝ・`)「…というか、あと10分足らずで新幹線出るぞ。急げよー」
間延びした声が鼓膜に届くと共に助手席の窓が閉まり、静かなエンジン音と共に発進する車。
瞬く間にスピードを上げ、駅から遠ざかっていく赤い光沢を、私は呆としたまま見つめ続ける。
('、`;川「…………え?」
左手にある書類の重さを感じながら、空いている方の右手で頬をつねる。同時に、鋭い痛みが頬の神経を伝って響く。
“痛い”と思うと同時に、コートのポケットに入れていたスマホが鳴る。
液晶画面を見てみれば、そこには今から乗る予定の新幹線の時刻のリマインドが表示されている。
11月の夕方特有の、少し肌寒い風が頬を撫でる。
“婚姻”と”婚約”という二つの熟語で茹った顔の熱がさっと冷えていく。
……少なくともここは、夢の中ではないようだった。
60
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:31:28 ID:KKTQDt7.0
*
从^―^从「はいはーい!それじゃ…カンパーイ!!」
( "ゞ)「かんぱーい」
('、`*川「……乾杯」
从'ー'从「いやテンションひっくぅ〜〜!!!」
義務的に上げたジョッキに勢いよく同僚のジョッキがぶつけられる。
テーブルに散らばったビールの泡も気にせず、彼女はその可憐な容姿からは想像もつかない飲みっぷりを発揮した。
“渡辺アヤカ”。年齢が1つ下の、大学時代の後輩であり、今はデルタさんの部下でもある。
その類稀な言語能力とコミュニケーション能力に目を付けたデルタさんが、既に幾つも内定を持っていた大学四年の彼女を口説き落としたというのは本当の話。
庇護欲を搔き立てられるそのふわふわとした見た目に反し、れっきとした才女である。
61
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:32:58 ID:KKTQDt7.0
从'ー'从「いえ〜い唐揚げいただき〜!あっ、お刺身も〜!!」
('、`*川「それ、ナベちゃんが頼んだやつ?」
( "ゞ)「いや俺のだね。あ、結構がっつり持っていくね…」
ジョッキの中身を一気に飲み干したかと思えば、稲妻の如きスピードで料理に箸を伸ばす彼女。
ちびちびとビールを含みながら彼女の隣を見ると、デルタさんがも黙々と電子パネルを操作しているのが見えた。
ちなみに、追加されていた生ビールの数は”3”。言わずもがな、全てナベちゃんの胃に入る予定である。
( "ゞ)「…まぁ、今月もお疲れ様でした。伊藤さんも」
('、`*川「あ、うん。ありがとう、デルタくん」
( "ゞ)「…やっぱり、タメ口の方が安心感あるタメ」
ジョッキをぶつけて軽く鳴らし、お互い顔を見合わせて笑う。
“関ケ原デルタ”。あの盛岡デミタスの右腕であり、弊社の取締役執行役員の副社長。
社長と同じくらいの背格好であるが、その大人びた顔つきと雰囲気は、応対した人間全てに安心感を覚えさせる。
謙虚さとハングリーさを併せ持ち、対局を見通すその目でずっと社長を支えてきた、うちの二本柱の一角。
彼もまた、社長に勝るとも劣らない時代の傑物の一人に数えられるだろう。
だが、それはあくまで世間からの評価の話。
私にとっては、尊敬する友人で、高校時代のクラスメイトで、大学の同期で、そして。
一人の傍若無人な天才に、10年以上振り回されている稀有な同士であった。
62
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:34:04 ID:KKTQDt7.0
从'ー'从「あ!先輩のそれ、美味しそう!いっこも〜らお!」
(; "ゞ)「だから、食べるなら自分で頼めって……」
苦笑いを浮かべながら、優しく後輩を嗜める彼の横顔は高校時代と変わらない。
優しい眼差しを後輩に向けつつ、空いた手で汚れたテーブルを巧みに拭いているその様は、なんとも手本にしたい見事な気遣いであった。
('、`*川(…こうして見ると、普通の人たち、だよねぇ)
真っ赤な顔でグビグビとビールを呷る後輩と、楽しそうに軟骨の唐揚げを咀嚼する友人。
こうして見ると、方や一企業の副社長で、方や五か国語を操るマルチリンガルだとはとても見えない。
能力だけの話に留まらない。
デルタくんは言わずもがな、ナベちゃんもまた目を見張るほどの美人だ。
首元まで丁寧に揃えられたサラサラの髪、パッチリとした二重に、通った鼻筋。
身長も150cm前半と小柄。まさに、“男性が想像する理想の女性像”をこれでもかと詰めたような外見だ。
楽しそうにケラケラと笑う後輩の指先を見た後、自分の手に視線を落とす。
彼女と違い、必要最低限に手入れしかされていない手。
可愛らしいネイルもない。さほど白くも細くもない。毎日大量の紙を捲ったせいか、よく見れば細かい傷跡が残っている。
…高校生の頃から、何ら進歩していないままの指先。
もし、私が彼女のような見た目なら。
彼女のように、女の子らしい長所が何か一つでもあれば。
もし、そうだったなら、あの人も――。
63
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:35:21 ID:KKTQDt7.0
从'ー'从「…せんぱーい、聞いてますかぁ?」
('、`;川「……へ?あ…ごめん、なに?」
从'へ'从「あ〜!やっぱり聞いてなかったぁ〜!」
いつの間にか呆けていたのか。
すっかり出来上がってしまっている後輩に向き直り、慌ててただ持っていただけのジョッキを置く。
あれほど綺麗に立っていた泡は既にほとんど消え去っていた。
どうやら自分はそこそこ長い間、物思いに耽っていたらしい。
从'ー'从「だからぁ、先輩は何か最近、面白い話ないんですかぁ〜!?」
('、`;川「お、面白い話…?」
おじさんみたいに枝豆を貪りながら、とんだむちゃぶりを投げかけてくる。
これが年配の男性上司なら舌打ちをした後すぐさま人事にぶちこむのだが、可愛い後輩となれば話は別だ。
顎に手を当て考える。
記憶力には自信がある。最近どころか、物心付いた頃からならば日付を含めた些末なことまで思い出せる。
だが、巡っても巡っても特に彼女の興味を惹けるような話など見当たらない。
ここ最近は、新しく決まった大型業務の対応で手一杯だったのだ。
それに加えて、省庁への応対や社長のスケジュールの修正まで並行してこれまで通りにやらねばならないのだから、それはもう大変で――。
64
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:37:16 ID:KKTQDt7.0
『婚約書類、確認したらサインと印鑑押して――』
('、`*川「――あ」
考えないよう、頭の奥底に仕舞っていた記憶を引き出してしまい、無意識に言葉が漏れる。
慌てて口を塞ぐも、もう遅い。
さきほどまで胡乱な目をしていた筈の後輩の両眼が、星空のような輝きを放って爛々とこちらを向いていた。
从*'ー'从「ちょっとその反応!なんですなんです!?」
('、`;川「い、いや…別に、面白くはないから…!!」
从*'ー'从「隠そうとするってことは、私が面白く感じる話でしょ〜!?白状して下さいよ〜!」
“迂闊”という漢字二文字がグルグルと脳内を回る。完全にやらかしてしまった。
“よく分からないプロポーズをされた”、そんな恋愛色の強い話は彼女の極上のエサになることなんて容易に想像がついたというのに。
少しでも情報を漏らせば最後。根掘り葉掘り聞かれることになるに決まっている。
そうなれば二軒目…いや三軒目までハシゴすることになるのは明白。
良くて終電逃しタクシー帰宅コース、下手すれば始発で朝帰りコースだ。
65
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:40:15 ID:KKTQDt7.0
視線を横に移し、助けを求めようとデルタくんにアイコンタクトをとる。
あの唯我独尊男の隣に10年以上立ち続け、果てには副社長となった男だ。
彼のその有望ぶりは仕事だけにとどまらず、人付き合いでも遺憾なく発揮される場面を何度も見ている。
あの頭の固い官僚や役人ですら忽ち篭絡させるその手腕、いま頼らずにいつ頼るのか。
私の念が通じたのか、デルタくんは小さく、それでいてしっかりと頷く。
よし、勝った。これで後は彼が話の流れを上手く私から逸らしてくれる筈。
その後はナベちゃんを飲ませ続ければ終電帰りも夢じゃない。
('ワ`*川(ごめんねナベちゃん……でも、勝った…!)
明日も定刻通り仕事なのだ。ただでさえ最近はまともに寝ていないし、少しでも睡眠時間は確保したい。
ナベちゃんには悪いが、ここで流れを断たせてもらおう――。
66
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:41:58 ID:KKTQDt7.0
( "ゞ)「…あー、そういえば」
( "ゞ)「伊藤さん、デミタスからのプロポーズどうだったの?返事した?」
('ワ`*川
('、`*川
('、`;川
从'ー'从「……………ぷろぽーず?」
一瞬だけキョトンとしたナベちゃんの顔が、みるみる内に明るく変わっていく。
まるで、花が開く瞬間をハイスピードカメラで見ているかのように。
騒がしい居酒屋の中、私たちのテーブルだけが途端に静寂に包まれる。
急に閑かになった雰囲気にようやく違和感を覚えたのか、デルタくんは「あれ?」とでも言いたげな顔をする。
彼が自身の発言のミスに気が付いたのと、ナベちゃんが立ち上がったのは、全くの同時であった。
67
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:43:27 ID:KKTQDt7.0
从;*'ワ'从「プロポーズ!?!?!?!?」
店の中で、一際大きな叫び声が響き渡る。
同時にこちらに向けられた驚きと非難を込めた視線の数々。
私とデルタくんは慌てて周りに頭を下げるも、ナベちゃんは構わず話を続けた。
从*'ワ'从「えっえっ、つ、ついにですか!?社長から!?うわ、うわうわうわ〜!!」
('、`;川「しっ、しーー!!ナベちゃん止めて!お店だからここ!ねっ!?」
わざとらしく口に手のひらを当てながら、少女のように燥ぐ彼女に頭が痛くなる。
隣に恨みがましい視線を向けると、デルタくんは縮こまりながら両手を合わせてこちらに頭を下げていた。
もう遅い。今度絶対仕返ししてやる。
68
:
名無しさん
:2024/01/19(金) 00:46:24 ID:KKTQDt7.0
从*'ー'从「え〜!?どんな感じだったんですか!?やっぱりあの人のことだから、ちょ〜お高いレストランで…とか!?」
从*^ワ^从「あ、分かった!社長室だ!あそこからなら綺麗な横浜の夜景一望できますもんね〜!!うわわ、ロマンチック〜〜!!」
('、`*川「……え、あ、いや、そういうのじゃなくて」
('、`*川「なんか車で、“はい”って書類渡されただけだけど」
从*^―^从「え〜!?車で!?いいじゃないですかそういうのも……」
从'ー'从「……え、書類?何それ?」
火力を最大まで上げたヒーターよろしく盛り上がっていた彼女の熱が一気に冷める。
あぁよかった。あまりにも普通に渡してきたから、逆に私の感覚がズレているのだろうかと心配だったのだ。
('、`*川「いやだから…いきなり“サインと印鑑押しとけ”って言われて、書類の束渡されて…中身はちゃんとした、婚約についての文章だったけど」
从;'ー'从「へ……書類の束?え?花束の間違いじゃなくて?」
('、`*川「いや紙だったけど」
从#'ー'从「おいどういうことだ保護者」ドゴッ
(; "ゞ)「うぐっ!?」
無表情になったナベちゃんがノールックのままデルタくんを小突く。
彼の箸に捕まれていた唐揚げは無常にもテーブルを転がり、重力に従ってそのまま床へと落ちていった。
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