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教 学

1匿 名:2008/06/16(月) 23:15:24
>大日経は、どこの誰が書いたんですか?

真言宗の祖師としては不空が有名。
彼は量質 共に中国訳経史上一時期を画するものを訳出したとして高く評価され、四大翻訳家の一人に数えられている。
またもう一人注目しなければならないのは恵果である。
恵果は不空が七十歳で寂した時まだ二十九歳であり、含光・慧朗・覚超・慧超・元皎等に比べると最年少であり、
不空の晩年における最も優れた弟子であった。

しかしながら密教の源流は未だ詳細は分らず、かろうじて訳者が記されるのみ。
翻訳家の中には、五世紀初頭の優れた翻訳者であり偉大な呪術者である鳩摩羅什・曇無讖なども含まれており、
密教の中国への定着を確固たるものにした。
呪術者が仏典を訳するのは奇妙であり、それがほぼ意訳であることも、恣意を感じずにはおれない。
中国の密教の高僧らは、
密教は、仏教というよりもインド土着信仰に近いという事実は知らなかったようだ。

2匿 名:2008/06/16(月) 23:33:26
>呪術者が仏典を訳するのは奇妙であり、それがほぼ意訳であることも、恣意を感じずにはおれない。
それを抜きにしても、中国伝来以前に、インド内部ですでに仏教は密教へと変異していて、
それは仏教がインドで生残るためにはやむをえない「適応策」であり、
それをもってしても、密教がインドで滅亡してしまったのは皆さんも知るところ。

インド仏教発生→(社会適応のため変遷)→密教成立→(世界に伝播)
→中国伝来→(地理的、思想的条件により、意訳、改変)→日本伝来→(主に最澄が、大改変)

つまり、宗教における求心力は、より呪術的であるほど強いわけであり、
それは多くの客集めカルト宗教をみても判る。当時のインドでもそれは一般的だった。
それに対して釈迦は神秘的事柄(輪廻・霊言など)を排除したわけで、それははっきり革命的行為と言える。

仏典は、その多くが創作された物であり、釈尊直説のものは希少で、今現在でも探求は続いている。
六道(極楽―地獄)は仏教では一般論ととらえられているが、これも脆弱な説であり、
マトモな仏教者ならば「方便と限定してならばみとめている」ことだろう。

3匿 名:2009/01/10(土) 20:58:50
キリスト教の隣人愛とここの利他が似てるから、ここがキリスト教に接近するのですね。
ニーチェはキリスト教の隣人愛をルサンチマンだと言って否定してるね。
真如の教義も結局のところ19世紀にニーチェに論破されてるのと同じなんだが、苑側からは反論しないのか?
それともバカ相手に金を巻き上げてるから哲学的反論は無用なのか?

4匿 名:2009/01/10(土) 21:02:56
>キリスト教の隣人愛とここの利他が似てるから、ここがキリスト教に接近するのですね。

似てるのじゃなくて、真乗が作ったときにキリストの色々なところをパクッたからだろ。

一如の道で友一が生まれるあたり読んでみな マタイによる福音書のイエス生誕の雰囲気と何となく似ている。
それは抜苦代受に持ってゆく事を意識して、聖書を参考に書いたと思えるよ。
自分のとこのタヌキ夫婦の事実を捏造創作美化神話化しての、一如の道の記述だろ。
一如の道はもう真乗の脳内ごった煮ストーリーなんだけど、信者は事実と考えてるのな。

天理教とキリスト教と占い技法混ぜて上から真言宗振りかけた創価学会が真如苑なんだよ(w

5匿 名:2009/01/10(土) 21:04:22
キリスト教では人は原罪を背負って生きているわけだが、
仏教では原罪に相当するものが見当たらないので、
先祖の因縁を生まれながらに持っているということにしたわけですよ。 簡単なストーリーだなぁ(失笑)。

6匿 名:2009/01/14(水) 11:29:41
智流学院にいっている真如苑信者に「大般涅槃経は釈迦が自分で書いた最後の経典だ」
と言われ、勧誘されたが、真如苑ではこう教えているのだろうか。 学校の倫理授業では、仏典は釈迦の死後、弟子が書いたと習ったが。
この真如苑信者は低偏差値短大の出身で、仕事もできないので、本人の勉強不足かもしれんが、
真如苑自体が歴史的事実をねじ曲げるいい加減な団体なのかと思えてくる。

7匿 名:2009/01/14(水) 11:31:17
キリスト教においてもどの福音書を採用するかという問題があるな。 ダビンチコードではキリストの血脈が中心にされたが、
苑ではさすがに仏陀の血脈は持ち出せないので、法脈を採用したわけだ。実際は呆脈だろうけどw
グノーシス主義の香り
まで混ぜ込んだオカルト宗教だと思ういますね。 そのうち、釈迦が自分で書いた経典が苑の敷地内で見つかったりしてw

8匿 名:2009/02/05(木) 23:58:29
智流(学)院[ちりゅう(がく)いん]【真如苑内の私塾】週11回半日ぐらい伊藤家の成り立ちを主体に学び、
3年ほど学ぶと「権律師」という位の僧侶になれます。しかしそれは真如苑という新興宗教により与えられた僧侶資格で、
苑内のだけで通じる階級付けです。特典は「教」バッチを首からさげてるケサにつけられ、平信徒に尊敬され、偉ぶることもできます。
でもそれは、外の世界では決して言えません。言ったら・・「この人ちょっとオカシクない??」っていうことになり
その後の勧誘時には不利なので、他人には秘密の僧侶です。勧誘(時)後、「実は私は・・・」とこっそり話すときはあります。

実際、本物の僧侶でも、建築士とか税理士のような公的な資格とは全く違うもので
たとえば本物の伝統仏教の浄土宗や浄土真宗とかでも教団(私的組織)の示す条件に合致すれば僧侶となれます。
ただ、本物の伝統仏教の場合、階位により住職(一般人のイメージとしての本物のお坊さん)にもなれますが
真如苑の住職って言うのはないですね。まあ、こちらの場合は教団が作る宗教ごっこのアイテムと思うとわかりやすいです。
しかし、それを取るためには一定人数の勧誘ノルマが条件づけられており、一般人には、はた迷惑なだけの真如苑の僧侶です。

9匿 名:2009/02/09(月) 23:55:48
教団内で、「真如苑の教学」という本が頒布されたことがあるのですが、頒布当初、ものすごい列が出来たのを覚えています。
列に並んだ教徒さんは、一般教徒も含まれますが、お袈裟に教師のバッジを付けた人も多かったです。
智流学院といっても、原則3年で、週1の半日だけで、どれだけの「教学」が学べるのだろうか?と
思うところもありましたが、バッジを付けていても、「教学」に疎い教師の方々も大勢、おられるのでは?と思う瞬間でした・・・とにかく、教師になるには、「教学」に疎くてもいいから、「お救け人数」がものをいうように 私は感じていました(だから、被害が出るのだけど)。

>さわりだけを教えてあとは、とにかく内側での実践と盲信を勧めることで 進ませます。 たまに外側に出る場合は 勧誘作業に就かせます。
上記の点から、そうかも知れないなと思います。

10匿 名:2009/02/12(木) 00:26:15
漢検が文部科学省お墨付きで受験者を増やし、公益法人が巨額の富を得ていたようですね。
あれっ。「文部科学省お墨付き」?
どこかの宗教法人もそこの開いている学校を出ると「文部科学省お墨付き」の僧侶の資格が取れると嘘をついていませんでしたっけ?

11匿 名:2009/02/14(土) 03:24:33
お釈迦様の教えは素晴らしいが、だからといって私は、釈迦を完全無欠な超人だとは思っていない。
釈迦も我々と同じ人間。そのことは歴史的事実である。その釈迦の前でひたすらひ伏し、
その言葉や行いの、なにからなにまで、全てを一切疑うことなく受け入れる、そう言う生き方は正しいとは思えないのだ。

この私の考えに、反発する人も多い。「宗教というのは、教祖様の言葉を理屈抜きに丸ごと信じるものだ。
それができないというのは、信仰がない証拠だ」、といった批判である。
もし仏教が、「信仰によって成り立つ宗教」なら、この批判は正しい。
釈迦だって、時には間違うことがあったと考えている私は、けしからん不信心ものである。

しかしそもそも釈迦の仏教は、信仰で成り立つ宗教ではない。仏教でも「信じなさい」と言うが、
それは「釈迦の説いた道が、自分を向上させることに役立つ」という事実を「信頼せよ」という意味である。
仏教の「信」とは、信仰ではなく信頼なのだ。この違いは大きい

信仰とは、「絶対に正しい存在がこの世にいる」と考えて、その前に自分の全てを投げ出し身を任せることである。
だから神や超越者に救いを求める宗教では、信仰がなにより大切な原動力となる。
一方、釈迦は絶対者の存在を認めなかったから、そこには信仰の対象というものがない。
すべてを任せればすくってくれる、そういう者はどこにもいないのである。

釈迦自身は、普通の人間だ。ただ常人よりもすぐれた智慧があって、
「超越者のいない世界で、生の苦しみに打ち勝つ道があること」を独力で見つけ出した。
そしてそれを私たちに教えてくれた。だから私たちは、その道を信頼する。
釈迦という人物を信仰して「助けて下さい」と祈るのではない。釈迦が説いたその道を「信頼して」、
自分で歩んでゆくのである。だから、釈迦が完璧な絶対者でなくても少しも構わない。
道を信頼する気持ちがあれば、それだけで仏教は成り立つのである。

花園大学教授 佐々木閑 日々是修行 より

12匿 名:2009/02/14(土) 23:59:02
朝夕のおつとめ、のなかに(確か後ろの方)あるお経のことです。
毎日読経する時に、途中の部分に病気の人の名前を入れて読めば、その人の病気が治る、と言われました。
特別接心のときその事を確認したら、
「一般信者はそこを声を出して読んではいけない。黙読をするように」とのこと。
教えてくれた人は、黙読ではなく、読経しているけれど、と尋ねたら「教師の人は声に出して構わない」そうです。

人の事を祈ってあげようとしていたのに一般と教師の違いなるものを思い知らされた。
念じる方法の違いなんかあるものですか。

13匿 名:2009/02/24(火) 00:07:40
〃真言密教〃だと言って入信させ、〃涅槃経〃を説く。 般若心経は唱えるようだが、大日如来は特徴立って崇拝していない。
そしてどうも大日経、大日如来は一切黙殺のようだ? そして奈良時代以前の〃聖徳太子〃を特徴立って崇拝する。
そして、在家のままで〃密教〃の修法ができる、と説く。

これは、どちらかと言えば明らかに、
真言密教と言うよりも、鎌倉時代に奈良仏教つまり聖徳太子に回帰した、浄土真宗に近いのではないだろうか?
従って、少なくとも密教ではない、と断言する正統真言僧も多いようだ。
通常、密教では出家もせずに在家のままで修法などできるわけが無い。
密教の修法は厳密且つ厳格すぎるほど厳格・緻密である。
大日経を修法する正当真言僧がいて、その僧にパラサイトした、〃涅槃経同好会〃と言うのなら説明が付き、
ある程度は理解はできる。

さらに、教祖の子供を拝むのは全く論外で理解の範囲外である。 信者の抜苦のために〃死んでくれた〃と真如苑信者は言う。
真言密教は自己の宇宙的根源からの霊力を大日如来より招請してもらい、加持を受けるのが正当である。
つまり縦割り的ピラミッド体ではなく、個々のアラヤシキや個々の宇宙的パワーを地上の個人に取り入れる手法が加持であり、シリアルなものではなく、本来はパラレルなものだ。

〃涅槃〃とは釈迦の滅時の状態を言う。従って涅槃尊とは釈迦が体を横たえ、片手で自分の頭を支えた状態である。
これは現世ではすでに力を持たずに来世に行く姿である。

14匿 名:2009/02/24(火) 00:08:27
少し付け加えれば、真如苑では独自の修行法である「接心修行」を「涅槃経に記されている修行である」とこじつけている。
また、何かといえば出てくる「因縁論」も
仏教が本来述べている「因果説」とは違い、霊界や先祖供養を妙に強調したものだ。
大体、真如苑ではまともに涅槃経の原文を読んでいる信者など殆どいない。
内部では「バイブル」と呼ばれる教書「一如の道」にも、出ているのは開祖が訳したものの抜粋だけ。
大体、原文や原典など「読む必要がない」と公式に言われてるしね。(精舎内部の売店でも売っていない)
信者はこれに関し「難しい教典だから、勝手に解釈して誤った理解をしてはいけない。
教主(開祖)様が分かりやすく訳して下さった涅槃経にこそ、お力がある」などという。
教典の解釈などにつき、仏教学的な観点できちんとした議論ができる信者が皆無なのは、そういう事情によるね。

15匿 名:2009/03/07(土) 00:55:25
>真言宗とも天台宗ともいっしょで密教ですね
オウムも密教です。
>オウムは堕落した後期密教です 日本密教の中期密教と異なります

なるほど。 オウム真理教のルーツは密教か。さて天台宗って 未だに非仏教で有名な「法華経」を奉じている
らしい。
そして 教相判釈も認めているらしいな。 やれやれ。随分と遅れた仏教理解だね。
そして最澄というのも 破戒僧として認められている。もう少し、本物の仏教を、大事にしてもらいたいものだ。

16匿 名:2009/03/13(金) 13:07:35
ある宗派の檀徒 <> 9 Oct 2002 23:32:10

真言密教は、出家得度しないと学べない。真如苑を興した伊藤真乗大僧正は、
どうしたら一般の人に日々感謝に生きられる道がつけられるか模索し続けた。
み仏様は、大僧正に
2人の男の子の死と奥さんの死と2人の女の子が家を出てみ仏の世界から去るということを与えた。
 お釈迦さまの遺言である大般涅槃経を発見し、それにより、多くの在家生活をする人に
真言密教を、大般涅槃経を中心にすれば説ける 事が解った。
我が子に向ける親の心と一般信者のどちらを優先するのかいつも迫られ、我が子は後回しにされた。
 その親子一体のぬくもりは多くの人の心に燈を与えた。
常に、肉親の親子よりも教えの親子を優先された。
とらわれを脇に置くのが仏教なはず。難しいかも知れないが、なんとか人間関係を気にしないようにすればよい。
自分と伊藤真乗大僧正の一対一が存在するのみ。




↑↑↑
まず、大僧正かどうかは、仏教に関係ない。仏教は 非・権威主義。何ものにも従うことは無い。
真言密教は、大般涅槃経を中心にしようがしまいが 在家では無理。
真如霊界は実在するそうだが、カルトに貢献せねば入場不可。2人の息子は早死。 権力争いがもつれ、2人の娘は離反。

伊藤フミアキ氏は、教えの親子よりも肉親の親子を優先された。
信者の献金や、お胡麻料は、伊藤家の贅沢費として消える。
教義は非仏教でカルト事項が多い。 そして批判は無視する体質。信者は人間的に破壊される。
とらわれを脇に置くのが仏教なはず。 信者はノルマや位階に固執し、偽善を撒く。

無知者が、伊藤真乗大僧正の詐欺に掛かっただけ。 それが真如苑。

17匿 名:2009/03/13(金) 13:11:11
>とらわれを脇に置くのが仏教なはず。
>難しいかも知れないが、なんとか人間関係を気にしないようにすればよい。自分と伊藤真乗大僧正の一対一が存在するのみ。

これはまさにカルト構造。
彼らの関係は、お互いの心を見つめあう関係ではなく、皆が教祖(トップ)を見ているという関係です。
http://www.geocities.jp/sonomama_da/mc.html

伊藤の園では今日も パワハラが営まれている。

18匿 名:2009/03/14(土) 23:15:41
空海は、やり手だよ。
「十住心論」によって、真言密教が、他宗よりも上、最上の物だと示したわけだな。

彼は、力を得るために、宗教を「利用」しようとした。 そのチョイスがまたまた上手くて(略)、
結局どえらい坊さんの最澄を、コテンパンにしちゃうほど偉くなった。その弟子も採っちゃったりしてな。
個人的には、空海は悪い奴だとは思わん。 むしろ世のために色々やった、イカシタ奴じゃあないかな?

その空海をチョイスした伊藤フミアキも、なかなか大したものだよ。
密教って、金、人集めにはモッテコイだからなー。(笑)

でもその真言密教の教義といえば、とても仏教とは言えない代物で、まったく別物 と言っていいだろう。
「仏教の最も堕落した姿」と言えるのかもね。

同じ宗教を利用するのでも、空海と伊藤、 ・・・この差は何なんでしょうかね。

19匿 名:2009/03/16(月) 22:46:01
※創価なんかとまったく違うし今度一緒にきてみなよ!真言宗と同じだよ

そのマインドコントロールの手法は創価や統一やエホバと全く同じであり 真言宗にマルチネズミ講の要素は在りません。

20匿 名:2009/03/16(月) 22:49:56
※空海から伝わる正統な真言密教で新興宗教ではない。真言宗各派には残ってない奥義が唯一継承されてる。

醍醐寺そのものが修験道が混じっている。 「奥義」とはマルチ的な物だろうか。

21匿 名:2009/03/16(月) 22:54:58
※ローマ法王の葬儀に唯一招待されたのが真如苑

もちろんそこにはお金が介在しています。
そもそも「虐殺宗教であるカトリック」に招待されることが 仏教として喜ばれるべきことでしょうか。
しかも真如苑によれば、キリスト教では霊魂は救われない、と、蔑視している存在であるわけです。
権威付けに利用している割りに蔑視している。 まったくどうにも都合が良すぎます。

22匿 名:2009/03/16(月) 22:57:57
※仏教を教えないという書き込みをみたが、智流学院に試験に受かり入れば深く教えてくれる。

伊藤家賛嘆、そして曲がった仏教理解を仕込まれます。  形式だけは仏教的ですが。

23匿 名:2009/03/16(月) 22:58:53
※仏教って、「仏の教え」でしょ。 真如苑って、お釈迦様の説かれた教えにまっすぐなんです。

その中身は全く違います。そもそも「密教」とは仏教から最も離れた仏教であり、
釈迦仏教を「顕教」と呼び蔑視しています。 そして釈迦は「護摩」を否定しています。

まずは 「小乗」や「顕教」という蔑称の存在意義を 知り得るべきでしょう。
そして「密教」を名乗るのに顕教である「涅槃経」を奉ずるのは全くメチャクチャです。

24匿 名:2009/03/16(月) 23:00:54
※教主様のお話や、プルーフがあるのは、どうやって教えを生かしていくか、日常の生活の中に体現していくか、
※そして、教えをまっすぐに理解して貫くってどういうことなのか を、わかりやすくするためだと

伊藤フミアキの教えを、まっすぐに理解して体現するのは自由ですが、
プルーフの内容とは、貫いた結果の「ご利益」と、貫かなかった場合の「因縁の恐ろしさ」(脅し)です。 そして、貫いても不幸になった場合は、、、
公にはなりません。

25匿 名:2009/03/20(金) 05:51:48
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1195960569/107

「真如苑のお力」とは
「歓喜・お救け・ご奉仕の3つの歩み」を実践することによって「先祖から流れている因縁・自分が作った因縁等が浄められ、幸せになれる」
と言うもの。

「智流学院」では「仏教そのものの定義や歴史」はほとんど学びません。
「伊藤真乗という宗教家がいかに立派な人間で、どれほど多大な功績を残したか。又その妻摂受院、二人の息子が
今なお真如苑という教団の為に真如霊界でどれほどの働きをしているか。」という伊藤家の歴史に終始します。

ですから「智流学院」を卒行して「教師バッジをつけた偉い人」も「釈迦の本来の教え」や、「般若心経」の意味
を知らない人は大勢います。
なにしろ「伝統仏教」と言い張っていた教団が、この度発売された本の「日本の10大新宗教」の中に入ってるのですからバリバリの「新興宗教」。
しかも「資金力」ではほぼトップに近いでしょう。

真如継主の夫が実権を握るようになり、益々「金が物言う真如苑」に成り果てるでしょうね。遠巻きに見させてもらいます。

26匿 名:2009/05/12(火) 12:13:51
「テープレコーダーの様になってはいけない。」と教授しながらそのような信者を作り出す。
「霊、因縁のせいにしてはいけない。」と教授しながら信者にそのように思わせる。
「霊位が上がると霊言が変わる。」これはカルトがレベルが上がるにつれて与える情報を変えるため。
「先祖を救うため認められた選ばれた人。」確かに選ばれた人。教団利益を守るため。大海中の盲亀浮木の孔に遭うが如く。

27匿 名:2009/05/12(火) 12:28:07
そう、表にだって言うこと、文字になって残る物 それは宗教らしく大変真っ当なことを言う。
しかし、組織内 経親(すじおや)導き親導き子の内々に伝える命令と、秘密にして他言しない命令。言外のニュアンスで伝える内容、それは記述と全く逆。
信徒はコード化され、巨大なコンピュータ管理システムを持つのに、そしてこれだけ信徒数を抱える実質日本第3位の教団になっても、
このような非効率な経(スジ)制度を維持するか。それを守ることに、教団にとっての大きな利益が存在するからに他ならない。
表面は穏やかで、人格者。その裏にはまず隠すこと、嘘を言うこと。
そして根本の矛盾に肉薄すると、怒鳴り散らすか、唐突に泣きだして話を分断するかの特異な行動。
これが真如苑信徒の普遍的な人格改造後の特質。口で言う内容と、行動が全く逆。システムによるこの真如独特の二重人格ができあがる。
これがいわば、組織の保全をしつつ、金儲けをするための真如カンパニーの構築されたノウハウの一端

28匿 名:2009/05/15(金) 00:38:57
「一如の道」149ページ
古い教徒の方々でも、十年、十五年と教えをつらぬいている方々は、皆さんもご承知のように
みんなよくなっています。それにひきかえ、教えの中に歓楽のよろこびを求め、自分の求めるものが成就しないと、
探し物の場から去って行くように教えを離れていった人々が今日、どのような結果になっているか、
それは皆さんが、実際に見聞している通りであります。

これじゃ、一種の脅しだよね。

29匿 名:2009/05/15(金) 00:39:55
「一如の道」136ページ 教主親教

他を非難する宗教団体では、信者が非常に窮乏して「救われないから止める」とか
「お金がかかるから・・・」などといえば「とんでもないことだ。仏を冒涜するのも甚だしい。
バチが当る、まだまだ導きが足りないからだ・・・」とおどかされ、
「このように救われた、あのように救われた・・・」と虚言を並べたてて導きにまわるのです。
−これは、その教団にいた人から聞いた話です。
なぜ、そのように嘘までいってお導きするのかというと、それを「方便」と教えているということです。

自分たちのことみたいね。

30匿 名:2009/05/15(金) 23:21:52
>「おばちゃんには、仏様がついている。脅かしても怖くない」
釈迦は涅槃に赴いたのだから、もう現世には居ない。 仏は常住 とか言うが、生き仏は存在しない。
それは「ダンマ=法則」が常住なだけで、「ダンマ=法則」は人ではないから、「様」をつけるのはおかしい。
釈迦が居ようが居まいがダンマ=法則は、地球が生まれる前からここに在る。
立川に居るのは、仏でなく、自分を拝ます単なる詐欺師と、その家畜のみ。

ニュートンは、「万有引力」をリンゴのおかげで発見したが、「万有引力様」と言うだろうか?
あるいは法則の発見は、リンゴのおかげだから「リンゴ様」と言うだろうか? w

釈迦は自らを拝むことを禁じ、本人が、ダンマを知ることにより、本人の力で覚る 助けをしたに過ぎない。
釈迦に感謝はすれど、
尊ぶべきは人や建物やその書物などではなくダンマであることは、仏教の基本である。
ここに在るダンマを自らが知り、自らを救うのであって、大概釈迦は関係ない。

新宗教は、信仰すれば困難が減り救われる、などとマヤカシを言い、鴨を釣るが、仏教とは甚だ遠い。
かなり徳を積んだらしい釈迦でさえ、食中毒で亡くなったのではないか??
腐った?食物を食せば食中毒をおこす。 それが因果のダンマであり、=真理=真如なのであり、「当たり前の道理」で、
金、人、労力を提供し、信じれば救われる というのは、単なるありきたりの新興カルトに過ぎない。
悪業を反省して善行を行う ことは、先祖や前世に無関係で成立し得る。
自分の深層を認識するために接心修行をする ならば、
そのためにさらにお金を支払え(護摩、施餓鬼)と指令されるのはおかしい。

真理を知ることが尊いのであり、誰かを崇めるなど、ズレていて話しにならない。

31匿 名:2009/06/19(金) 21:08:41
だいぶ以前から感じていたことですが、霊能者のお話でも、プルーフとかでもそうですが、物理的な因縁(因果律)の話と信心がごちゃまぜになっているのではないでしょうか?
たとえば肺癌を病む因を持った人が喫煙等の縁に縁って癌という果を得るというのが判っているのなら、その方の因縁を切る
(その言い方は仏教的でないのだし、既存の因縁に違った縁をブレンドして因縁の性質を変え、結果を当初予想された極めて悪いものから少しはマシなものに変換するとでも言い換えましょうか)
には教えを歩むのではなくて喫煙を止める等の医学的に有効な対処をすることだと思うのですが、霊言で喫煙をやめるように言われたりした人はいないのでしょうか?
いくら3つの歩みをしても、悪い縁をどんどん追加して行くだけでは全く
関係ないことではないでしょうか? まあ関係ないことも全部修行の糧にしよう、というのも一つの信心のやり方なのかも知れませんがね。

霊言も鵜呑みにすれば毒となる
こともあるとぞ 知れよ世の人

32匿 名:2009/06/19(金) 23:07:40
ああそうですね。 
本来の因果律であるなら、原因行動を消しなさい、ということになりますが、真如苑の場合はなんだか雲を掴むような勧誘だの献金だの、
関係無い様なことを指示されますからね。
そのためにある、伊藤家の妄想。  そうでないと、倍々∞の組織拡大には繋がりませんから。

そして、鵜呑みは美徳とされますし。w

33匿 名:2009/06/26(金) 13:42:13
おやさと  ―  親苑 には昔、笑った思い出がある 「へ〜???」って感じだった
天理時報 ―  内外時報 なんていうのもね。
あとは、教団施設に入ると「おかえりなさいませ」と言われるのも全くの天理のコピー

真如苑は、天理教に占いとキリスト教を混ぜて
上から仏教(といっても、加持祈祷がある真言宗醍醐派)をトッピングして再構築した創価学会

まあ、お金を集めるには、このようにいいとこ取りして組み上げれば何でもコイ。
小説「仮想儀礼」でもそこらの教義をつぎはぎで金のために教団を作っていくのをリアルに再現してるでしょう。

34匿 名:2009/07/22(水) 10:05:55
白は全てを含む

仏教とは  無我を知り、そこに至ることで偏り無い境涯を目指すのですが、大乗仏教ではそこに多く「添加」するので
白では在り得ませんね。

まあ 添加こそが商売の真髄ですからね。

35匿 名:2009/07/23(木) 12:09:15
http://shinnyo-sanmaya.info/
>つまり、日本人の宗教DNAの伝統的な神仏習合が通常感覚としてあり、霊能接心も一面でとてもわかりやすく魂で受け留めれるのです。

神仏習合とは、日本人の、便宜的、政治的な思惑により成立した概念なので、それが通常感覚としてあるのは恣意的なものです。
日本人の認識が「ごった煮」だから、

霊能接心も、とてもわかりやすく、漠然と受け留めれるのです。ね。 いい加減って 素敵ですね。

36匿 名:2009/08/04(火) 10:31:13
>ただ脅すわけではないのですが、真如苑の仏様から守っていただけなくなります。

明らかに仏教のシステムではないですね。新興宗教です。
しかも、守ってもらいたくないのに「守ってもらえる守ってもらえる 勧誘しろ献金しろ・・」ですからね。

いえ、守護も要りませんし献金もしたく無いんですけど・・・・・・

37匿 名:2009/08/07(金) 14:41:39
漏れも詐欺商法とはすぐには解らなかった信者なのだが、
真言密教の阿闍梨が釈迦に誓約して新しい密教を築いたと解釈してしまった。
異常な教祖崇拝であることにもすぐには気が付かなかった。

今考えると、導き親も含め苑の信者のほとんどが、苑の教化を良く理解していない事、
これが、接心のマイコンに引っかかる原因でもあったと思う。
教祖のカリスマ性が、インチキを撹拌してしまい、無知な幹部ばかりになったのか、
無知で肩書きが立派な人ばかりを幹部に引き上げたのか、質問してもまともに回答出来る人がいない。

怪訝に思うことを詮索する度に、接心で注意された。 真如霊界とやらにインチキがバレないように、徹底した嫌がらせをされたのだろう。

38匿 名:2009/08/12(水) 18:24:11
>摂受院さんには私はおキツネさんを感じるのですが、如何なものでしょうか?
>継主さんには教主さんの手下のタヌさんですかね。

真如苑の霊能は、伊藤家の病筮霊の系統を天霊系、内田家(摂受院さんの実家)の狐霊の系統を地霊系と呼び、
2系統あります。 タヌキはどっちに属しているのかを知りませんが、継主 真砂子さんは地霊系です。
病筮霊とはどんな霊の集まりなのかを聞いて回ったことがあるのですが、誰も知りませんでした。
祭り方から観れば、明らかに蛇系のようです。 弁天様も、白蛇の化身ですが、
霊感の弱い私には黒蛇と精霊 白蛇が、どう違うのか、あまり実感が湧きません。 
が、黒蛇の気色悪さだけは解ります。 時々、体験していましたが、当時は何処からやって来るのかが解らなかったのです。

ちなみに、鑑定霊能者が鑑定に用いているのが病筮霊です。
真如苑の霊能の世界での最高位は、甲斐武田の軍易に用いていた病筮霊のようです。
他の密教から観れば、末端の眷属程度のレベルを崇めているのかも知れません。

39匿 名:2009/08/21(金) 00:08:35
>>真言密教も釈迦の禁止した護摩を焚き、道を外している。

ーマッジマニカーヤ大獅子吼経『パーリ仏典1−1』ー
また、サーリプッタよ、ある沙門 バラモンで、つぎのような説をもち、つぎのような見解をもつ者たちがいます。
「火祀りによって清浄になる」と。しかし、サーリプッタよ、そのような得易い火祀りはありません。
私が、この長い間、正しい王族の潅頂王として、あるいは大家のバラモンとして、そのような火祀りをこれまで行ったことがないからです。

40匿 名:2009/08/21(金) 13:58:44
苑(だけじゃないかも、だが)の護摩がまったく効能が無いと思わざるを得なかったのは、
兎に角幾らお護摩を御願いしても何時まで経っても接しんで同じことを示され続けた人がいたことで、
おそらく10年以上は同じことの繰り返しで、本人は大歓喜位までは行ったから本人の気持ちはよかったかも知れないが
(しかし外面的には全く変化が感じられない方だった)いったいお護摩って何なのやと、はたからも見えた。
また偉い霊能者で(まだ生きてる?)大勢の前で苑は家族で歩まないと救われないと、はっきり言った爺さんがいたことで、
そういう掟があるんなら、きちんと入信時に説明しなさい、でないと詐欺だよ。如何言い訳しても。

41匿 名:2009/08/23(日) 21:36:55
ちょっと聞いた話だが
醍醐寺さんのところで前、お堂が燃えちゃったよね
だからまた苑が寄付するようなのだけれども どうやら信者さんは10万〜100万単位寄付する人もいそう
勿論1万とか1000円でもいいそうだが、
入信したばっかりの人は置いといて 熱心な人なら10万は出す事になるのではないだろうか
100万って人もいるかもね どうやら10万なら記念品、100万なら現地の法要? か何かに出れるそうな。

真如苑というとそんなに多額ではなく、多くても1万くらいを多くの人から長期間という考えだったと思うけど
今回は随分と気合入ってるね

しかしどうして燃えてしまったのだろうかとかは考えないのでしょうかね
そもそも昭和40年代頃に苑の寄付で建立しそれが今回燃えてまた再建という話だと思いますが・・・ 
それこそ何かのリブライではないでしょうか?
京都には数多くの寺院がありますそれこそ何百何千とその中で何で・・・とは思わなかったのでしょうか。
確かに今回の件で再度の再建は上手くいくでしょうけど ちょっと不思議ですね。

42匿 名:2009/08/24(月) 09:07:53
>>41
カネカネと執着して金がホントのご本尊みたいですね
プールしてある莫大な金をそのままてことは考えにくい
投資してるということは十分考えられます。先頃の金融危機の影響でもあるのでしょうか?
とにかく感謝が足りない足りないとせっついて、感謝=金なんですから

43匿 名:2009/08/24(月) 15:49:12
信者は 尊いから=払うのは当たり前、と思っていますね。そしてそこで思考停止。おかしいとは考えない。なぜならそれが 信者なのですから。

ところで伊藤さんに払うって、とても楽しいのですよ。喜んで(騙されて)支払うのですから素晴らしいシステムですよね。 体験者より。

44匿 名:2009/09/05(土) 02:02:23
>> 60歳のとき大僧正位となる

この僧位は、醍醐寺の観音堂復建の依頼に教団として応じ、
真如苑の精舎内に「醍醐寺観音堂復建寄進」の募金箱を設置し 信徒の募金を募り、それを醍醐寺に寄付して贈与されたもの。

それ以前は、醍醐派から独立してからは、醍醐寺との縁はほとんどなかった。

醍醐寺幹部が真如苑に寄付の依頼に来たときは、
「いまさら、来られた義理ではないが・・」という思いだったという。

この時、教主夫妻が、「かつて世話になった祖山・醍醐寺への恩」ということで 寄付の依頼を受け、信徒に募金を募ったわけです。
つまり、一度は絶たれたような醍醐寺との復縁は、当初から金銭絡みだったわけです。

45匿 名:2009/09/09(水) 00:15:04
647 :名無しさん@3周年 :04/07/19 10:27 ID:gSGKkykT
今日は、真如開祖恒明報徳法要。 教主さまのご命日です。
平成元年の今日、午前零時23分、教主さまはこの世でなすべきことを全てなされ、大宇の本座に還られました。

昭和天皇の没後、教主は体調を崩したね。 教団側の説明だと、

昭和と言う時代に命を捧げ死んでいった霊が、昭和天皇の霊にすがったが救われず、教主にすがったらしい。
それと、その後の、東西ドイツの統一、ソビエト連邦の崩壊も、教主没の賜物だそうだ。

46匿 名:2009/09/17(木) 16:25:04
【深刻】真如苑スレVol.13【宗教被害】 より  「あらかじめ予定された罠」

770 :名無しさん@3周年 :03/03/21 08:35
>700 :蛍光灯 氏
レスありがとうございます。私は、苑の脱退者なんですが、他のカルト含め、いろいろ調べてみたんですよ。
そうすると、どこも皆おんなじシステムなんですよ。

「辞めると不幸が襲う/勧誘が最も尊い/教えは縦のつながりで流れる/選民意識/脱退者=脱落者」とか、
切りがないですが。

そこから出た結論は、オウムとか創価とか統一が邪教であるなら、「苑も例外ではない」という事です。
信者に言わせれば「まさか!!」と言うところですが、
「徹底して調べれば」明白なのです。「実践が大事」ということですね。

信者の反論の仕方も酷似していますよ。(笑)

で、「迷惑勧誘などの問題(社会との軋轢)は、あらかじめ予定されたもの」である。
ですが、これは元信者の私の経験からすると、
「勧誘に失敗→(自省の思考を促されているため)自らが足りなかったと思う→さらに修行ガムバル」
となり、新興宗教的ノルマに没頭」
「勧誘に成功→親となり責任増し、信念固まる→新ステージの修行ガムバル」
となり、新興宗教的ノルマに没頭」

どちらにしても行き着く先はおなじで、これは「あらかじめ予定された罠」としか思えませんね。
だから
散々言われている「システムをちゃんと管理しろ!」という意見は、
吸血コウモリに「草食え!」と言ってる様なもので、無駄な発言と思いますねえ。

サラ金業者に、「金利ゼロにしろ!」って言って診ましょうか?(笑)

773 :名無しさん@3周年 :03/03/21 12:53
>770
> 吸血コウモリに「草食え!」と言ってる様なもので、> 無駄な発言と思いますねえ。
なるほど。
・辞めると不幸が襲う(恐怖心を惹起することによる離反の抑止)
・勧誘が最も尊い(教団の自動増殖システムに+)
・教えは縦のつながりで流れる(細かい違法行為から本部は免責される)
・選民意識/脱退者=脱落者(成員の団結力強化)   はカルトや(少しいじれば)マルチまがい共通のようですね。

775 :蛍光灯 :03/03/21 18:30
>657=770さんへ
すべて同意です。
>オウムとか創価とか統一が邪教であるなら、>「苑も例外ではない」という事です。
根本は全く同じだと思います。特に敵対視している創価とは真似してるのかと思えるほどそっくりです。

「迷惑勧誘などの問題(社会との軋轢)は、あらかじめ予定されたもの」である。
についての考えも全く同意です。

苑信者の友人と話をすると、必ず伊藤真乗の苦労話がでてきます。
そんなことはどうでも良く、問題なのは恐怖心を植え付けるやり方やそのシステムに問題を持たないのか。ということで、
いくら話合っても立川で困ってる人たちを占っていた時の話ではぐらかします。

ただの占い師だったころの伊藤真乗がどうだったのか、という点は
あらかじめ予定されたものかどうかわからないというのと同じで、
真如苑のやり方、システムは、「迷惑勧誘などの問題(社会との軋轢)は、あらかじめ予定されたものである。」
という以外にはありません。

>だから散々言われている「システムをちゃんと管理しろ!」という意見は、
>吸血コウモリに「草食え!」と言ってる様なもので、無駄な発言と思いますねえ。
全く同意です。
システム(信者をマインドコントロールする)を変える事はしないでしょう。だとしたら、管理することに意味はないと思います。

しかし、吸血コウモリの例えはすごいですね。
苑に血を吸われると、恐怖心や強迫観念が生まれ、それに対峙すればこころが崩壊し、
そうならないために何も考えずただ盲信するのみ。といったところですか。

一度友人が口を滑らせたことがあります。  「 私も怖いんだ。」 …今でも忘れられない言葉です。

47匿 名:2009/09/18(金) 00:54:26
桐山の方が一枚上手のようだぞ。
チベット仏教より、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂を授かり、チベット仏教の最高僧位と法号 を拝受。

 僧位「金剛大阿闍梨耶」 法号「智勝光明大覚者」 (ンガワン・リクズィン・テンペル)

チベット仏教界の至宝、サキャ・ツァル派大座主、チョゲ・ティチン・リンポチェ猊下を大阿闍梨とし、
チベット仏教の奥義、金剛界・胎蔵界両部の伝法灌頂を授かる。
チョゲ・ティチン・リンポチェ大座主猊下は、現チベット仏教界において、法脈正しい金・胎両部の秘法を伝授し得るただ一人の大阿闍梨。
これまでに、チョゲ・ティチン・リンポチェ猊下より金・胎両部の法を受けられたのは、
サキャ・ティチン(サキャ派大座主)お一人。桐山靖雄管長は二人目。
因みに、第十四世ダライ・ラマ法王猊下は、先年チョゲ・ティチン大座主より金剛界の伝授を拝受、近く、胎蔵界をお受けになるご予定。
今回の授受で、チベット仏教の中核をなす四大宗派のうち、
それぞれ古義と新義の代表であるニンマ派とサキャ派、二つの法脈の継承者となる。
このタンカには開祖以来、チョゲ・ティチン・リンポチェ猊下まで、尊像と法号が記されている。
猊下は第四十一世。桐山靖雄管長は第四十二世となる。

48匿 名:2009/09/22(火) 22:47:27
女性のための十七訓 (旧教書P482)

一.女らしくなること。
一.女であることを忘れない。
一.優しく、強く。
一.自分本位であってはならない。
一.他を悲しませる女となってはいけない。
一.他のことを言うにはまず自らを反省。
一.井戸端会議をしないこと。
一.自分の意見だけを主張してはいけない。
一・ひとの心になって考える。
一.清浄である事。
一.いつも微笑をもって人に接する。
一.惜しまれる人になること。
一.どこまでも正直であること。
一.争いをおこさない。
一.つつましやかであること。
一.ひとを立てていく。
一.必要以上の口をきいてはならない。

伊藤友司作 昭和三二年 と一応 言われる

教団内組織を維持し、勧誘(お救け)のため擬態を行うための行動規範
逆らえば、護法善神に守っていただけなくなり、何が起こるか分らないという教団内の脅しの前提となる。
女性を絡め捕るため上手く考えてある。

49匿 名:2009/09/28(月) 23:35:41
接心で先祖霊が示される際、主系・傍系と言われるよね。

主系・・未婚の場合、父方
    既婚の場合、婚姻後の姓の方
傍系・・未婚の場合、母方
    既婚の場合、婚姻前の姓の方

夫婦別姓を選んだ夫婦の場合 主系、傍系は、どのように示されるのだろうか?

50匿 名:2009/10/05(月) 22:57:31
子供の頃から親に連れられて何十年もやってたけど、真如苑のお護摩なんて御利益感じたことないよ
病気も治らなければ、大願成就もない。境遇は普通以下、人生も普通以下、健康も普通以下。
会社の、学校の、土地の、病院の、行く先の地縛霊のお施餓鬼していきなさい。ふざけるな!!
日本中・世界中の地縛霊の供養するのか?!!
先祖で御利益信仰した人がいます。龍神様・水神様・お稲荷様・神道系の神様・キリスト教・行者信仰・・・
お護摩をして清めていってください。

入会費・年費・お護摩・お施餓鬼ひとつひとつの値段は高くはないが、次から次へと不幸がおとずれ霊が示される。


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