「目的に繋がっている。あるいは、そこに至る道がある程度見えている」>>43では「to」のイメージとしては弱いのではないかと思います。 COBUILD English Usage に次のような説明があります: you do not use `to' to indicate the general direction in which someone or something is moving. You do not say, for example, `The boat was drifting to the shore'. You say `The boat was drifting towards the shore'. この例の場合、「そのまま流されていくと岸『に至る道がある程度見えてい』」たけれども、「to」は使えないということですね。単に「目的に繋がっている」だけでよいのではないでしょうか?
ヨシカワさんご紹介のページの「toの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまる」>>39も、「A と B との結びつきを、B に重心をおいて、示す」と解釈したいですね。この B に重心をおいた「結びつき」を A から B への「矢印→」と見なせば「矢印→の終点を示す」となりますし、「矢印→」を「動き」と解釈すれば「到達点を指し示す」となります。文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ、>>26でも書いたように、 to の直後の B は『目的』でも『終点』でも『到達点』でもOK、と考えます。したがって、「矢印/動き」+「終点/到達点」を(実際にそうしたかどうかは問わない)文法説明として『到達』としても問題ないと私は思うわけです。もちろん、ニャンコヴィッチさんの『到達』という説明に対する違和感は私なりに理解しているつもりですよ。
「His house looks to the East.」の場合>>36も、私は『到達』でよいと考えます。 to the East なら、「家の正面から仮想の線が東に伸びる」という感じではなく、方位磁針が北を指すように「家の向きが(方位として)東を指す」ような感じに思えるからです。ただ、ネイティブに聞けば、文法学者でもない限り、「この to は toward(s) と同じ」と答えるでしょう。そのくらい「指し示す」感じが弱く toward(s) との違いがない例文ではないでしょうか。 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8450/1254827423/7 にも書いたように、 to と toward(s) のイメージの違いも、他の語句とのコンビネーションによってニュアンス程度の差しかないこともあるということでしょう。
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「目的に繋がっている。あるいは、そこに至る道がある程度見えている」>>43では「to」のイメージとしては弱いのではないかと思います。 COBUILD English Usage に次のような説明があります: you do not use `to' to indicate the general direction in which someone or something is moving. You do not say, for example, `The boat was drifting to the shore'. You say `The boat was drifting towards the shore'. この例の場合、「そのまま流されていくと岸『に至る道がある程度見えてい』」たけれども、「to」は使えないということですね。単に「目的に繋がっている」だけでよいのではないでしょうか?
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`The boat was drifting (to/towards?) the shore'.
この状況は、それこそ「general direction」な状況であって、
岸のどこにthe boatが着くかまでをある程度計算している状況、つまり「岸に至る道がある程度見えてい」る状況だとは思えません。
算数Kさんがこのボートに乗っていらしたら、the boat から the shore まで、「general」では"ない"線(道)が引けるでしょうか?
それ故に you do not use `to'なんだと思います。
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「His house looks to the East.」の場合>>36も、私は『到達』でよいと考えます。 to the East なら、「家の正面から仮想の線が東に伸びる」という感じではなく、方位磁針が北を指すように「家の向きが(方位として)東を指す」ような感じに思えるからです。ただ、ネイティブに聞けば、文法学者でもない限り、「この to は toward(s) と同じ」と答えるでしょう。そのくらい「指し示す」感じが弱く toward(s) との違いがない例文ではないでしょうか。
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「His house looks to the East.」
私もこの場合、「この to は toward(s) と同じ」と思っています。
だからこそ、私は110さんに、この場合の「to」に『到達』のイメージがあるか?と繰り返し問うていたわけです。(110さんは、眼科で Look to the right. と言われたら、視線が左の風景に『到達』する、つまり、いちいち左の風景を意識したイメージのようですが。)
それで、算数Kにもお尋ねしますが、「家の向きが(方位として)東を指す」に、実際のところ、『到達』のイメージをハートに感じますか?
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ヨシカワさんご紹介のページの「toの方はどうかと言えば、単にAとBとの結びつきを示すにとどまる」>>39も、「A と B との結びつきを、B に重心をおいて、示す」と解釈したいですね。この B に重心をおいた「結びつき」を A から B への「矢印→」と見なせば「矢印→の終点を示す」となりますし、「矢印→」を「動き」と解釈すれば「到達点を指し示す」となります。文法用語に(物理用語の『力』のように)こだわらなければ、>>26でも書いたように、 to の直後の B は『目的』でも『終点』でも『到達点』でもOK、と考えます。したがって、「矢印/動き」+「終点/到達点」を(実際にそうしたかどうかは問わない)文法説明として『到達』としても問題ないと私は思うわけです。もちろん、ニャンコヴィッチさんの『到達』という説明に対する違和感は私なりに理解しているつもりですよ。
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私は…
A.先の「His house looks to the East.」の場合のように『到達』に「重心」が置かれない場合があるし、
B.ヨシカワさんの紹介してくださったページに「forの目的語とされるものは、…あるいは何かがたどり着く先というニュアンスを見てとれる」とあるように、「for」"にも"「何かがたどり着く先(=到達先、ですよね)」という「ニュアンス」がある
…ので、
「to」と「for」の"違い"を、(私が先に引用した、大西先生が「ハートで感じる英文法」でされている説明のように)『到達』のイメージを使って説明するのは、適切ではない、
と言っているのです。
The boat was drifting.
ボートは漂流している最中であった、ですね。
過去進行形ですから始まりから終わりに動的に向かっている最中です。
その説明に"to the shore"は無理ですね。
過去の動作、動きの説明にto+名詞が使われるとその目的地に
到達しているような感じがします。
ですが、この文は過去進行形・・、なんとも相性が悪いです。。
ニャンコビッチさんの持論である"そこに至る道がある程度見えている"は僕としてはtowardsのイメージが強いです。
The boat was drifting towards the shore.
そのボートは岸に向かって(の方向に)漂流している最中であった。
The boat was drifting for the shore.
そのボートは岸を求めて漂流している最中であった。
とも表現できますね。
後半部分の内容です。
Look to the right.
右を見なさい。
Look towards the right.
右の方向に目を向けなさい。
日本語に訳してもこれだけの違いがありますね。
まずlookは単なる目を向ける動作であるという事です・・。
"Look to the right."ならはっきりしっかり右を見ろって事ですね。
"Look towards the right."なら右の方向に目を向けろと言う事で
実際に見るか見ないか?そんなことまでの意味は含んでいませんね。
まぁ目を向けた結果として実際に見ることは多いかもしれませんが、
それは文法的なお話とは違いますよね。
>A.先の「His house looks to the East.」の場合のように『到達』に「重心」が置かれない場合がある >>55に示したとおり文法的にはtoとtowardsは違うでしょう。
もちろん結果としてこの場合、家と言う動かない物ですから
His house looks towards the East.
目を向けている結果としてそっちの方向を見ていることにもなるでしょうが、
文内容自体にはそんな内容まで含んでいるわけではないでしょう。
それに見晴らしが良さそうな感覚もこの文からはしてきません。
この例文の場合もtoのイメージは対象にタッチして到達して指し示していると思いますけどね。
といいますかtoの持つ基本イメージがいちいち文脈によって変わっていては文法的に成り立ちません。
私は「「文法」用語としては『到達』もOK」、実例には日常語の「到達」とは微妙に異なる場合もあることを考慮し臨機応変に対応すればよい、と考えます。ニャンコヴィッチさんも、物理学用語の『仕事』を日常語の「仕事」と切り離して理解するように、「文法」用語としての『到達』を日常語の「到達」と切り離して理解されれば、私の考えにも「ある程度」同意してくださるのではないかと思っています。(両者の抽象的/具体的という違いが「学習者の「混乱を招く」かもしれないことについては同意し」ています、最初>>26から私は。)そして、もし『到達』に代わる用語をご提案されるなら、「文法」としての一貫性、整合性、簡潔性を考慮していただけませんか。「ハートで感じる英文法会話編スペシャル」で Chris 先生が大西先生との会話で「前置詞の to も不定詞の to も『指す』で同じ」と説明されていたように。