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お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

223カイザー:2002/10/07(月) 23:30
トラヤヌスの父親って、ティトゥスと同時代人なんですね。ブリタニクスのお友達だ
ったり、何げにティトゥスって有名人の親類と接点があるんですね。

テオドシウス1世の父親の大テオドシウスもイスパニア出身の軍人だったみたいで、
ヴァレンティニアヌス1世時代に活躍していたそうです。次代のグラティアヌスの時
に冤罪(?)で処刑されてしまうのですけどね。良く分からないのは、有能だとして
もそういう罪人の子をグラティアヌス自身が、西ゴート族との戦いでヴァレンスが戦
死した為に空位となった東の皇帝として指名してること。
ギボンにはこの辺の経緯がちゃんと書いてないんで、良く分かりません。塩野女史が
こういうマイナー時代をちゃんと書いてくれると、心底嬉しいなあ。

224マッティアス:2002/10/08(火) 00:20
そうですね。塩野女史が萌えてくれれば、かなり詳しく書いてくれるかな。
ギボンもそのうち、ちゃんと読まなくっちゃなあ。PHPのほうが読みやすそうだけど、
持ち運びには文庫なんですよね。その辺り、ジレンマ。

トラヤヌス父の生没年はまだ調べてませんが、おそらく66年時点で法務官経験者だった
と思われるので30代にはなっていたでしょう。ネルウァやオトくらいの年齢かと。
だから、ティトゥスより5〜10歳上じゃないかな、と推測してます。
もっとも、トラヤヌスがドミティアヌスと2歳しか違わない事、多くの議員が法務官級
どまりだったことを考えると、上の分にはいくらでもありえますね。
ちなみにティトゥスはまだ20代後半で財務官しか経験せずに、父親が特別司令官
になったから、法務官になる前に軍団長になってるんですよね。だから、
「同時代史」でもスエトニウスでも書いてあった気がしますが、ガルバへの恭順の
意を表明に赴いた時、法務官に立候補するため、という説があったくらいで。
よく本に載っている任官順序は、きっとフラウィウス朝か五賢帝時代に確立した
コースなんだな、となんとなく思ったものです。

225カイザー:2002/10/08(火) 17:33
そうか、ウェスパシアヌスのユダヤ(シリアも?)軍が忠誠を誓う代わりにティトゥ
スの法務官や執政官の就任を交換条件として持ち出すぐらいのことは、十二分にあり
そうですね。ウィテリウスがいなければ、オトの下でそれなりの安定政権が誕生した
のかもしれませんね。

「ローマ帝国衰亡史」のPHP版は省略しまくっているので、お奨めしません。初心
者でも比較的読みやすいという意味では悪くないのですが、折角なら全10巻のちく
ま文庫版を読んだ方がいいと思います。
博学なマッティアスさんなら多分大丈夫ですよ。私は読んだ端からどんどん忘れてし
まってますが(笑)。

226マッティアス:2002/10/08(火) 23:11
博学でも勤勉でもないから、学士どまりなんです。(←いばることじゃない)
本を読むのがマジでトロくさいので、友人に奨められた「ウェルギリウスの死」なる
小説に1ヶ月を要しましたからね。ギボンも2,3ヶ月必要かな。資金も。
ちくま文庫や中公文庫、講談社学術文庫って高いですよね。「アラブが見た十字軍」は
今は亡きリブロポートの写真付きの75%くらいの値段でした。

いま「ガラリヤからローマへ」という本を読んでいるのですが、なんとなく笑ったのが
コンモドゥス、エラガバルス、ウァレリアヌスの三人が古今東西のお約束暴君的行動を
取っていた事です。っていうか、有名なことなのかも知れませんけど。
少年をいけにえにしたり、妊婦の腹を開いて見る、というアレです。
やっぱり、ただの暴君と電波ではやることの格が違いますね。

227カイザー:2002/10/09(水) 00:26
「ローマ帝国衰亡史」のお値段はちくま文庫版なら、1300×10、PHP版なら
2,700ですね。文庫本を2、3ヶ月で読破出来たら、凄いと私は思います。時間
的には楽勝でしょうが、私なら気力が続きません。トルコで1人旅してる時に2、3
冊持っていったのですが、日本語が恋しくて仕方なかったのに1回通して読むのが精
一杯でした。

ヴァレリアヌスまで、そんなアホタレなのですか?
キリスト教徒の迫害をしてたことが、不当に評価されてるのではないかと思うのです
が、そうでもないのでしょうか?少なくともコンモドゥスやエラガバルスと比べられ
る様な、(結果はともかく)真のダメ皇帝とは違うと私は評価してるんですけどね。

228マッティアス:2002/10/09(水) 12:12
ダメ皇帝というより、残虐だったのかなあ。雄略天皇のようなカンジ?
キリスト教迫害に関しては、ネロ時代の大火以後、皇帝が率先して国家規模で行われた
のは、ディオクレティアヌスが最初らしいです。そうなんだ〜、って思いました。
松本宣郎先生と弓削達先生は、フラウィウス朝〜五賢帝は迫害の事実ナシ、という
主張ですね。ドミティアヌスの場合、むしろ対象ユダヤ教でしょ。

229カイザー:2002/10/09(水) 23:02
ディオクレティアヌスの時にしても、西の副帝コンスタンティウス・クロルスがキリ
スト教徒を保護していたりしてて(裏切りちゃうんか?)、全然徹底した迫害が出来
てないのですけどね。
基本的にローマのキリスト教迫害は手ぬるすぎますよね。踏み絵から始まり、蓑踊り
でケジメを取らせたという、江戸時代の鍋島班のキリシタン弾圧をもっと見習って欲
しいもんです。(←危険発言)

日本のキリシタン禁令政策はこれ以上ないというぐらい完璧に成功してますよね。歴
史の授業では、あたかも間違ったことをしたかのように教えられていましたが、基本
的には大正解の政策ですよね。確かにキリシタンの人達には同情しますが。

230マッティアス:2002/10/10(木) 00:57
あはは。確かに危険思想だと言われそう。授業とかで教えたら、始末書ものかも。
でも、ローマが日本くらい徹底してクリスティアノイを弾圧していれば、西欧世界も
もうちっと面白い事になっていたかも知れませんね。
実際、何であんまり迫害されなかったかといえば、キリスト教徒自体があまり数多く
なかったことと、初期には大した影響力もなかったことが原因でしょうね。
ユダヤ教徒のように反乱するでもなく、まあだからこそ気味悪いってのもありますが。
そうやって野放し(暴言)にしている間に、教会のシステムも整い、信者の数も増えた
わけですが、実はコンスタンティヌスが公認する前は、さほど多くなかったという、
最近の見解があるようです。↑が元凶か(笑)。

231カイザー:2002/10/10(木) 22:39
聖アンブロシウスがテオドシウス1世を破門して、皇帝が泣きついて許しを請うたと
いう情けないエピソードの頃にも、人数の上ではキリスト教徒は完全な少数派だった
ようです。
完全にキリスト教徒が多神教勢力を凌駕するのは、西ローマ帝国の消滅後ではないで
しょうか?絶えず、蛮族の襲撃にさらされ市場経済が失われると共に、地方共同体の
中核としての教会の存在意義が高まっていったとかいう論文(コラム?)に、成る程
と思っていたことがあります。

ヴァレンティニアヌス1世〜グラティアヌス時代に元老院議事堂でローマ古来神の彫
刻を撤去するかしないかで、キリスト教派と多神教派が散々揉めてたりとかもしてま
すね。最終的にキリスト教徒側の言い分が通るのですが。

232マッティアス:2002/10/10(木) 23:12
なんだよ〜、偉そうなコト言って、やってることイスラム過激派と一緒じゃん!
とか言うと、クレーム来そうですね(苦笑)。
キリスト教も初期は多神教の偶像を、徹底的に攻撃してましたからね。途中から
ずいぶん妥協したけれど。
キリスト教やイスラム教によって、ギリシア・ローマの彫像はだいぶ破壊されましたが、
アウグストゥス像は数も多かったので、結構残っているという話は有名ですよね。
肖像関連で、ふと思ったのですが、アウグストゥス像とアンティノオス像はどっちが
より多数作られたのでしょうね。ちょっと気になります。

233カイザー:2002/10/11(金) 22:34
イスラム教にはシーア派という、カトリックに対するプロテスタントの様な存在が
あるんですが、宗教改革らしきものがないのは不思議なところですよね。イスラム
世界では未だに教義解釈権の独占の様なものがあるのでしょうか?

アウグストゥスの石膏像はローマのテルミニ(中央)駅で買ったやつが、我が家に
飾られています。もちろんレプリカですが。(←当たり前)タオルにくるんで、旅
行中一月ほど持ち歩いてました。

234マッティアス:2002/10/14(月) 22:18
この間まで、うちの両親が会社の企画のイタリアツアーに行っていました。
母から見ても、アンティノオスは美形だったようです(笑)。
でも、ワタクシ的にはアグリッパかドミティアヌス(ありえねえ)が欲しいです。

イスラムも、シーア、スンニ両派ともまた細かい解釈の違いで、いっぱい教義が
あるんですよ。神学はムツカシイので、パス1です。
しょっちゅう新しい宗派ができたりしているところをみると、あんまり独占はない
と思われます。基本的に、個人の信仰ですからね、イスラムって。

スエトニウス岩波文庫下巻を見返しながら、ウィテリウスも電波なので好きではない
けれども、やはり面白いエピが多いなあ、と思いました。
彼が太ったのは、大食漢だったせいばかりではなく、カリグラとハマりまくった戦車
競技でのケガ(片足故障)による運動不足もあるんじゃないかと、ふと思いました。
ウェスパシアヌスも法務官時代、カリグラに追従してかなりえげつないことをやって
いるので、人間、やっぱ最後さえ良ければなんでもアリだと感慨深し。

235カイザー:2002/10/15(火) 20:58
イタリア旅行いいなあ。アグリッパの彫像のレプリカは私も欲しいです。(ドミティ
アヌスはどっちでも・・・ごめんなさい〜)
そういえば、大英博物館でローマ皇帝の生首の彫刻を写真に撮ってる筈です。もしか
したら、ドミティアヌスはその中にあったかもしれません。虫眼鏡で拡大しないと生
首の下に書いてる名前が何て書いてるか読めないのです(笑)。さすがに、顔では見
分けつかないなあ。

スエトニウスはあんまり、ウェスパシアヌスは好きじゃないのかな、とは思ってまし
た。カリグラ時代に出世してた筈ですから、相当おべっかはつかってそうですね。カ
リグラの機嫌を損ねたりしたら、命とりだからしょうがないとは思いますが。

236マッティアス:2002/10/15(火) 22:09
そうでしょうとも。しかも新人ですからね。いっそ小気味いいですよ。
友人と話していたんですが、一見ノンケなウェスパシアヌスも、カリグラやネロとの
付き合いにおいて、美少年と懇ろになったり、うっかりアグリッピナあたりと関係
したりしたかもですよ。なかなか見上げた根性ですよ。
ていうか、電波ともうまくやってけるのね、この人。
フラウィウス朝の人たちは、本宮ひろ志に描いてもらいたいものです。マジで。
いま読んでるホガード「さいごのとりでマサダ」という児童書は、ユダヤ少年視点
だからってのもありますが、卑怯なカンジのぬぐえないヨセフスと、凶悪なローマ
軍の最高司令官ティトゥス(言いすぎ)が、設定的に面白いです。

237カイザー:2002/10/16(水) 01:04
本宮ひろ志のドミティアヌス!?
見てみたいなあ(笑)。

どっちかというと、頑張って虚勢を張ってるという感じのドミティアヌスも本宮先生
お約束のビッグマンとして描かれるとどうなるのでしょうか?

「皇帝はなあ、自分が殺されるまで、己がテロの標的だなんてぬかすこたあできね
えんだよ!!文句ある奴ぁ、前に出てきやがれ!!」

というイメージでOKでしょうか(笑)?

238マッティアス:2002/10/16(水) 13:56
…私的にはティトゥス主人公で想像してました。ウェスパシアヌスは想像しやすい。
ドミティアヌスは「雲に乗る」の阿修羅王みたいの想像してました(爆)。
でも、↑のイメージも面白いかも。私は悪役かなあ、と思っていたので。
ドミティアとかフラウィア・ユリアあたりがすごそうだなあ。脱ぎっぷり良さそう。
ユリアちゃんをいびるドミティア(「赤竜王」の呂太后みたいなの)とか。

239カイザー:2002/10/17(木) 00:39
誰を主役にするかで、イメージは大夫変わりそうですね。

本宮ひろ志ではないのですが、「蒼天航路」の董卓の死ぬ間際のセリフを紹介します。

「天下万民!我を尊ぶべし!呂布!おまえごときにわかろうはずはない!およそ天下
の悉くを自らの手に有し、天下の悉くを意のままにふるまい、欲望・快楽を極め尽く
す!贅の限りをつくし、善悪さだかならぬ果てに届いてこそ尊重な王となるのだ!我
はその王の姿をかいま見たにすぎぬ!!」

長い〜。
これ、呂布(とその他大勢)に斬り殺されてる時にこんだけペラペラ喋ってるのです。
ドミティアヌスの死に様もかくあるべきではないかと(笑)。

ちゃんと覚えてないんですが、吉川英治版とかだったら、「裏切ったな、呂布!!」
ぐらいのセリフだったと思います(笑)。

240マッティアス:2002/10/17(木) 00:52
素敵…。少々太めすぎるけど、格好いいなあ。ボウクンスキー発動中。
「蒼天航路」はあまりにも演義の描写どおりのキャラ容姿(特に孫権)にびびって、
読んだ事ないのですよね。やはり必読ですか。

フラウィウスは少年漫画とか少女漫画じゃなくって、青年誌でやってほしいです。
劇画調が似合いそうだから。キラキラしくて細身のティトゥスはダウト!です。
ウェスパシアヌス主人公も、リーマン向けっぽくていいな、と思います。
ドミティア主人公で、女性誌(女性セブンとか)連載とかなら、まあアリかな。
ちゃんと絵を描く練習して、投稿してみようかしら(笑)。って、ドコに?

241カイザー:2002/10/17(木) 23:59
「蒼天航路」は必読です!!(断言)
曹操が死ぬほど嫌な奴なのを見ないことにして、敵役に感情移入するとグッドなの
です。袁尚(袁紹の三男)が微妙に格好良かったです。

ドミティアのマンガですか?私のHPで良ければ、デジカメで撮影して掲載させて
いただきますよ(笑)。

242マッティアス:2002/10/18(金) 00:14
じゃあまず、レディコミ(しかもやや古め)風の絵柄を身につけるため、3年ほど
修行をしてまいります(笑)。ドミティアヌスとの愛欲ドロ沼系(爆死)。
それともハーレクインでも読んで、ものすごい色ボケした話を書けるようになるべき
なのでしょうかね(イヤすぎ)。

「蒼天航路」読んでみます。昔、「東周英雄伝」なら読んでいたのですが、あれより
話はキツそうですね(笑)。孫策の髪型にもちょっとビビり気味☆
敵役がキャラ立っていないと、話は盛り上がらないッスよ兄貴(馴れ馴れしい)!
なので、今度気合入れて読んできます。ハイ。

敵役にされがちなオクタヴィアヌス(いきなり話題が変る)ですが、実は悪役の彼を
見てハマったんですよね、子供の頃(笑)。何でだったか忘れたけど。
でも実はガンダムで喩えると、カエサルはシャアでオクタはカミーユ系ですよね。

243カイザー:2002/10/19(土) 11:40
「蒼天航路」の諸葛亮は、今まで見てきたどの三国志ものよりインパクトでかかった
です。何をここで書いても信用して貰えそうにないので(笑)、実物を見るのが一番
だと思います。でも、エロ大魔人の孔明も、あの作品の中ではしっくりくるのが不思
議な所。

オクタヴィアヌスもののフィクションって、あんまりイメージ沸かないんですよねえ。
敵対者に情け容赦がなかった辺りは、悪役向きの人物ではありますよね。カエサルみ
たいなエセ善人より、余程人間らしいです、ハイ。

こう見えても、「ローマ皇帝伝」のハチャメチャな記述を読んで、ローマ史に傾倒す
るようになった経歴の持ち主なのです。その割には、皇帝伝の内容がすっぽり頭から
抜け落ちてますが(笑)。E・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」にも同じことが言える
のです。(←あかんやろ)

244マッティアス:2002/10/19(土) 21:01
スエトニウスは面白いですよね。通史もわからず、これ読んでみよう、と思った
高校生時代はティベリウスの途中で挫折しましたが。
カエサルの「ビチュニア王の厩」ってのが生々しく頭に残っていました(笑)。
まともに(?)ローマ史関連の本を読むようになってからはまだ2年くらいですが、
何故か最初に手にとったのが「ローマ帝国愚帝列伝」というあたりで、私の進むべき
道が(笑)決まりました。

カエサルのことを「エセ善人」なんて言って、クレーム殺到しても知りませんよ。
私はもっと穏当に「偽善者」とよんでいますけど(笑)。←同じだよ。
カエサルファンは大勢いるし、熱そうですからね。

245カイザー:2002/10/19(土) 21:57
クレームが殺到するほど、ここを見てる方はいないので心配無用です(笑)。もちろ
ん、だから何を書いてもいいというつもりはありませんが。

ローマの本って、10年以上に渡ってちょっとずつ読み続けているので、きちんと頭
の中で整理が出来てないのですよね。それと、全時代を通史的に俯瞰出来るような本
がないんですよね。
それで、とりあえず全時代の概略史を簡単に見れるものを作って見ようかと思って作
成しているのが、「ローマ帝国史略」なのです。内容の薄さに割に時間がかかりすぎ
ていますが。
というか、共和制時代が完全に無視されてるのはダウトっぽいですね(笑)。

246マッティアス:2002/10/19(土) 22:13
共和政か帝政のどっちかにしないと、キリないですよ。アリ×2〜。
一番人気の時代が共和政末期ですから、その辺は他の方に任せておけばいいでしょう。
むしろ、帝国末期というかユリアヌスより後になると、やってる人も少なそうなので、
カイザーさんがそこは押さえるっていうことで。

ローマ関連、10年以上ですか。そりゃあ、昔に読んだのは忘れますよ。
その頃だと、私はイスラム中世というかヨーロッパ中世というか、十字軍関連の本を
漁っていた頃ですね。当時読んだ本、かなりウロです。
最近読んだ本でも、興味なかったりするとすぐ忘れちゃうし。基本的にいい加減。
でも、Webサイトだと多くの人の目に触れることが想定されるから、結構大変そう
ですよね。私にはできなそうです。

247カイザー:2002/10/19(土) 23:23
10年前なんていうと、高校生ですからねえ。当時のパソコンは98(もちろんPC
9801のこと(笑))の5インチフロッピードライブでハードディスクもなしとい
う、今からは想像も出来ない時代です。

どの分野の歴史でも言えることでしょうが、詳細に記述がある時代と、数百年の営み
をたったの1行で終わらされる時代があって、何か納得できないことありますよね。
確かに西ローマの皇帝全員の名前を空で言える人は、何かが間違っているのかもしれ
ません(笑)。

248マッティアス:2002/10/20(日) 00:18
すごい!言えるんですか?アンタ間違ってます(笑)!
一般人は受験の知識もウロになるので、五賢帝をさらさら言うだけで引くのに。
ちなみに私はコンモドゥスまででいっぱいいっぱいRev.です(爆)。

っていうか、↑の発言でカイザーさんの年齢が大体、わかりますね(笑)。
めっちゃ同世代(誤差は最大2歳)やないですか。急に親近感湧いたわ〜。
ちなみにその頃うちはまだ88でしたよ。10年近く使ったんじゃないかな。

249カイザー:2002/10/20(日) 16:41
言えるのは西ローマ皇帝だけですんで、ご心配なさらないように(←何の)お願いし
ます。軍人皇帝時代は結構あやふやなんで、そこさえクリア出来ればイサウリア朝ぐ
らいまでは大丈夫です。(多分)

結構、微妙なのがコンスタンティヌスという名前の皇帝達。
最後のブリタニア軍を率いてガリアとイスパニアを占領したコンスタンティヌス、第
4回十字軍にコンスタンティノポリスを占領される時に一夜だけ帝位にあったコンス
タンティヌス。この2人を皇帝として扱うかどうかで、最後のコンスタンティヌス・
パレオロゴスを何世にするかが変わってしまうのです。ちなみに私は前者は×で後者
は○なので、ラストエンペラーはコンスタンティヌス12世パレオロゴスと主張する
予定です。

250マッティアス:2002/10/20(日) 17:07
う〜ん。第4回十字軍、ロベール・ド・クラリとか読んだのに忘れてる…(汗)。
とりあえず、占領したコンスタンティノープルに、皇后としてフィリップ2世の妹が
いたことだけは憶えてるんですが。

軍人皇帝はもうゴチャゴチャでわかんないっす。(投げやり)
個人的にはアウレリアヌスにちょっと興味はあるけど。教科書に載ってなくていいよ。
ディオクレティアヌスも、皇帝4人とかややこしいことするなよ、っていうくらい、
暗記のニガテな学生でした(爆)。

ビザンツも末期頃だと、完全に私はイスラム方面しか教わった記憶がないです。
まあ、東洋史(西アジア史)専攻だったから、そういう講義だったんですが。
我らがアル・ファーティヒ、まだ21くらいだったんですね、ビザンツ終焉の時。

251カイザー:2002/10/20(日) 22:00
ラテン帝国の家系はあんまり私も分かってないんですが、アンジュー家とは建国当初
から(ボードワン1世でしたっけ?)血縁関係があったんでしょうか?
末期のラテン帝国がシャルル・ダンジューと姻戚関係を結んで同盟したりしてたイメ
ージは何となくあったのですが・・・。私も勉強が足りないです(汗)。

軍人皇帝時代の人名なんて、教科書に載ることはさすがにないでしょう。日本史でも
歴代全天皇を暗記させたりしませんもんね。(本当はしてもいいと思うけど)

ところで、アル・ファーティヒっていうのは、メフメト2世のことなんですか?

252マッティアス:2002/10/20(日) 23:20
そうです。すみません、イスラム仲間ではそう呼んでいます。征服王ってイミなんですが。
あと、フィリップの妹はどうもコムネノス朝だか何だかわからないけど、ビザンツの
皇帝だったか皇子に嫁いでいたみたいなんですよね。妹なんていたんだ、と思った。
ラテン帝国ではないんですよ。あんまり細かい事憶えてないんですけどね。

ビジュアル重視な意見で恐縮なのですが、ディオクレティアヌスの4皇帝共存を
イメージした像、キショいですよね?おっさんが4人ひしっと抱き合ってるヤツ。
スクール・ウォーズか?と思いました。

253カイザー:2002/10/21(月) 22:08
以前にも私は主張したことがありますが、あの4人は絶対に出来上がってます(笑)

ディオクレティアヌス、マクシムス、ガレリウス、コンスタンティウス・クロルス
の4人はイリリクム出身の軍人で、熱い友情パワー(笑)で結ばれていたそうです。
実際にディオクレティアヌスが主導権を握っていたころの四分統治は、良く機能して
いたようで、各国境での防衛や征服に成功しています。
史上名高いキリスト教の迫害を4人仲良く行ってれば良かったのに(←本当か?)西
方副帝のコンスタンティウス(1世)・クロルスは、逆にキリスト教徒を保護すると
いう裏切り行為に及んでます。

俗説ではあるのですが、このディオクレティアヌスの大迫害をマネージメントしたの
は、東方副帝のガレリウスでディオクレティアヌスの意志ではないという逸話もあっ
たりします。

254マッティアス:2002/10/21(月) 23:05
いや、やはり四人仲良く迫害すべきでしたよ!クロルスの裏切り者め。そして…
ディオ様(笑)が迷信深いナザレ人どもを保護なんてしようとしちゃダメ☆(←誰だよ!)
あの四人出来てるって兄さん、どうしてそんな面白い発想をなさるんですか!
私如き者の浅知恵では、到底そんなことは思いつきません。ダメ、負けました(笑)。

キリスト教迫害というと必ず出てくるユリアヌス。辻さんの小説で、アンブロシウスと
対話するシーンが結構好きだったんですよね。どちらも頑なでまっすぐで。
いい文章だったと思うんですが、だからってそれを引用するのはどうかと思うよ、
「ユダヤ教とローマ帝国」(とかいうタイトルの講談社現代新書)。
塩野さんもユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」から引用しまくってたけど。

255カイザー:2002/10/22(火) 22:32
同時代人の書いたものならともかく、最近(ってこともないけど)の小説から引用し
てもいいのは、素人だけですよね。一応、一次資料に近いのを何とか探してくるのが
学者先生の専門家たる由縁ですもんね。
塩野七生が学者かどうかは疑問ですが(笑)。

アンブロシウスはユリアヌスと面識があるんですね。(小説の中だけなのかな?)
ガチガチのキリシタンとストア派的な理想主義者のユリアヌスは、宿命のライバルに
なったかもしれません。結局、ユリアヌスが戦死してしまったので、アンブロシウス
の不戦勝ですね。

256マッティアス:2002/10/22(火) 23:21
多分、小説の中だけだと思いますが。興味深いからって、そんなもん使うな!
しかも小説ではやたら「う〜む」「え〜む」を連発するうざったいしゃべりは省略。
半端な引用の仕方するなあ、この人、と思いました。大学のレポでやったら叱られます。

塩野さんは本人も言ってるけど、あくまで売文家なので、学者でも専門家でもないです。
でも、彼女の本だけを参考文献にゼミ・レポート作ってきた馬鹿者がいて、先生に
叱られていました。(ちなみに「コンスタンティノープルの陥落」でした)
だから、彼女が学術系の文庫やら新書、選書に執筆することはまずないでしょう。
させたとしたら、出版社の不勉強ぶりをさらすだけだと思います(毒)。

257カイザー:2002/10/23(水) 23:47
そういえば、「ローマ人の物語」を参考文献に入れてて怒られてた学生がゼミでいま
したね。
塩野七生は自称専門家という位置づけで私は見ているのですが、小説家の範疇で満足
されてるんでしょうか?だとしたら、ちょっと塩野七生の評価が変わってきますね。
何にしても、政治家が塩野七生をちやほやしてるのは、どこかが間違ってる気がしま
す。

コンスタンティウス1世って何げに重要人物なんですよね。キリスト教の保護につい
ての是非は置いとくとしても、彼の死が四分統治体制崩壊のきっかけとなってる訳で
すからねえ。

258マッティアス:2002/10/24(木) 00:01
ああ、そうか。彼が父から共同統治者にされていた親族を打ち破って、まずは2人
(正帝・副帝)体制にして、彼の死後また単独皇帝になりましたよね、確か。
結構エウセビオスやらなにやらの言いなりになってる、イヤなイメージもありますが。
無能では決してないし。わりと強運な気もします。

塩野さんは「ローマ人」の10巻で、私は売文家だから専門家とは違う自由な発想が
できることもあるのよ、みたいなことを言っていたような気がします。多分。
政治家や、はては北野たけしまで塩野さんをちやほやしているのを見ると、何かが
間違ってるなあと思いますね。彼女に素っ気無い態度を取ったヒデはすごい。
(友人に聞いた話ですけどね。ヒデの件は)

259カイザー:2002/10/24(木) 22:56
マッティアスさんの思っておられるのはコンスタンティウス2世(1世の孫)じゃな
いですか?
コンステンティウス2世は、初めにハンニバリアヌスとかダルマティウス(2人とも
コンスタンティヌス1世の甥)といった、予定では共治帝の候補者を含む皇族の大粛
正を行ったと言われていますね。この辺の事情は検証の余地は大いにあるかと思いま
すが。
コンスタンティウス1世の構想では、自身の3人の息子と2人の甥による5分統治を
計画していたようですね。その反動という意味はあると思います。

コンスタンテヌス2世とコンスタンスの内戦も、マグネンティウスやヴェトラニオと
いった対立皇帝との争いもどっちかというと、偶発的な気はしますよね。何しろ、コ
ンスタンティウス2世は臆病風に吹かれて教会でお祈りに明け暮れてた(本当か!?)
とか書かれてるし。

ヒデはイチローと並んで嫌いなスポーツ選手だったりするんですが、塩野七生に無関
心だというのは、真っ当な人間の反応ですね。そもそも、彼女の小説を面白いと思わ
ない人がちやほやする必要なんてどこにもないですよね。
中田が「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んでるイメージが沸き上
がって来ないのは偏見でしょうか?

260マッティアス:2002/10/25(金) 13:40
確かに思い浮かびませんね、ヒデが塩野小説を読みふける姿。
村上龍とは友人なのにねえ。彼も謎の多い人物です。

コンスタンティウス、完全に2世と間違って書いてます。ヤバイ、注意力散漫。
1世の5分割って、どこをどう分けるつもりだったんでしょう。
2世のほうは教会でお祈りに明け暮れている、というよりも陰謀家ってイメージが
何故かあります。
しかし、ユリアヌスの兄・ガルスの顛末はなんかお粗末。

261カイザー:2002/10/26(土) 12:01
ガルスは別に野心があったわけでもないでしょうし、皇族として生まれたことが不幸
だったということかと思います。

ちなみに、コンスタンティウス2世が実際に対立皇帝と戦争したのは、ゲルマン人の
僭帝マグネンティウスとだけです。マグネンティウスに勝利したムルサの戦いは古代
最大の戦いの一つと言われている(らしい)です。この時に前線から放れた教会で、
お祈りしていたということを、ギボンが書いています。
ちなみに、コンスタンス1世とコンスタンティヌス2世との内乱の時には、ササン朝
のシャープール2世とアルメニアやシリアを巡って紛争の真っ最中だった筈です。

262マッティアス:2002/10/26(土) 13:52
シャープール2世というと、狩りをしている図柄のコインが思い浮かびます。
だからって、別に優雅な生活してただけじゃないんですね(爆)。そうかあ、あの時代
なんだ〜。もうすっかり何もかも忘れている気がしてなりません(泣)。

いま、フラウィウス・ヨセフスの『アピオーンへの反論』を読みながら、ユダヤ人は
中世のキリスト教徒よりも余程、論理的な考えを持っていたのだろうかと検討中。
ヨセフスがちょっと教養人すぎて異端だという噂もありますが。
戦争に勝とうと負けようと、それは神の摂理で、信仰が薄いから負けたとかじゃない、
というのにいたく感動していました。
でも、帝政後期の皇帝とか一般信徒って、何でもかんでも信仰心の問題に帰してしまい
そうなイメージありませんか?(←思いっきり偏見)

263カイザー:2002/10/27(日) 11:06
フラウィウス・ヨセフスが当時の一般的なユダヤ教徒とは思いにくいですね。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んだ記憶しかありませんが、ローマ軍に包囲
されてしまい降伏せずに集団自決する中で、自分だけが生き残ってウェスパシアヌス
(ティトゥスかな)に降伏して協力したというのは、一神教徒らしからぬ日和見ぶり
に思えてしまいます。
私も宗教方面の知識は完全に素人なんで断定する気はありませんが、ヨセフスは(本
人の意志はどうあれ)裏切り者以外の何者でもないんじゃないでしょうか。

後期帝政の皇帝達は以外に思うかもしれませんが、キリスト教一辺倒の政策を採って
いるという事でもないんですよね。
一番、酷い(って書き方もどうかと思いますが(笑))テオドシウス1世にしても、
聖アンブロシウスに脅迫されて渋々キリスト教絶対主義的な政策を打ち出していると
いうのが、当たらずとも遠からずという所かなと思います。

264マッティアス:2002/10/27(日) 11:44
ああ、中世以降なのかな、そういうあほな考えに染まって行くのって。
皇帝たちとか議員とか、知識のある人々はそれなりにもうちょっと広い視野も持って
いたのかも知れませんね。宗教関係者が必要以上にのさばるのは、大帝国にとって
あまり望ましい事態じゃないのかも。

ヨセフスは、当時どころか死後1900年経った今でさえ、ユダヤの同胞達の多くに
許してもらえていないそうですね。そりゃそうか。
著作を読むと、彼なりのジレンマやら自意識やらが垣間見えて、なかなか切ない
のですが。でも、ちょっぴり御用史家なので、「ユダヤ戦記」のウェスパシアヌス、
ティトゥス両帝はカッコよすぎて嘘です。

265カイザー:2002/10/27(日) 12:12
やはりヨセフスは売国奴扱いなんですね。しょうがないと言えばしょうがないですね。
ローマから見れば、信仰と現実の両面に柔軟に対処出来るヨセフスタイプの人材がい
っぱいいれば、ティトゥスのエルサレムの破壊とかハドリアヌスのユダヤ人追放政策
なんてことはしなくてすんだんですけどねえ。
そんなんだったら、ユダヤ教のアイデンティティが軽く2000年以上も続くことも
なかったでしょうが。

ウェスパシアヌス時代のイスラエルって、ローマからみればキリスト教徒はユダヤ教
の一宗派みたいなものだと「ローマ人の物語」に書いてました。それが正しいとすれ
ば、ネロ帝のキリスト教迫害ってユダヤ教も一緒に迫害されてたんでしょうか?

266マッティアス:2002/11/01(金) 21:46
キリスト教徒って言い方は、多分ネロ時代頃には出てきたんじゃないですかね。
始めは「ナザレ派」「イエズス派」みたいな呼称でユダヤ教の異端みたいな扱い。
パウロの伝道あたりから、クリスティアノイという括りで認知されるようになった
ように思います。イエスの弟を中心にする、原始ユダヤ教への回帰を説く一派と、
ユダヤに限らず他民族へも伝道する方針のパウロの一派に分かれたようです。
なのでネロに迫害されたのは、多分、キリスト教徒のみでしょう。
ユダヤ教徒は近親憎悪で、キリスト教をとても憎んでいたようですね。

こうしたユダヤ教とキリスト教の考えの違いと、写本作成者の恣意的な挿入により、
ヨセフスの著書がキリスト教世界に生き残ったわけですから、不思議です。
(「ユダヤ古代誌」ヨセフスのキリスト証言というやつです)

267カイザー:2002/11/02(土) 00:41
イエスの弟なんていてるんですね。
聖書や伝説でしか確認できない人物なのか、実在が間違いない人物なのかどうなん
でしょうか?

12使徒の中で歴史学的に実在が疑いないのはパウロだけらしいですね。パウロは
イエスと面識はないんですよね。幻覚が説教をかましていたというマンガみたいな
設定。
ティトゥスの行ったエルサレムの破壊がなければ、原始キリスト教の史料も現存し
ていたんでしょう。本当に残念なことです。

268マッティアス:2002/11/02(土) 13:43
イエスの弟、だと伝えられてる使徒ヤコブってのがいるんですよ。
まあ、マリアもイエスのあとヨセフの息子を産んでいるので、それと同一視される
人物ですね。
この人とパウロが、非ユダヤ人改宗者の割礼を強制するか否かで、分裂したんですよ。

イェルサレムの破壊は、ティトゥスもやったけど、なんだかんだであの後復興して、
決定的に破壊されたのは、第2次ユダヤ反乱のとき、ハドリアヌスによるものですね。
原始キリスト教資料かよくわかりませんが、いわゆる死海文書なんかに含まれていそう
ですよね。ユダヤ商人の実態とか。気になるけど、全然手付かずです。
基本的に、ネロやドミティアヌスの迫害が騒がれだしたのって、3世紀以降らしい
です。実際には、同時代のキリスト教徒は皇帝による迫害を、特別記述してないという
のはよく話題になりますね。

いま友人に貸したきりなんですが、ちくま学芸文庫『ヨセフス』(秦剛平)はそのへん、
結構いろいろな推論が載っていて面白かったです。

269カイザー:2002/11/04(月) 02:45
マッティアスさんの読まれている「ユダヤ戦記」もちくま文庫ですよね。訳本は読む
のが骨だなあと思うと、なかなか手を出す勇気がないんですよね。
いつか読まなければいけないと、心に誓うだけに留めておきます(笑)。

ネロやドミティアヌスの迫害は小規模なものなんでしょうね。もしかしたら、今で言
う南京大虐殺みたいなものなのかもしれませんね。

初代ローマ教皇とされるペテロ(が実在したかどうかはおいとくとして)が死んだの
は、一般的にはネロ帝の迫害とされていますが、ウィテリウスのローマ占領〜アント
ニウス・プリムスのローマ占領の間のゴタゴタに巻き込まれたという説もあるようで
すね。

270マッティアス:2002/11/04(月) 10:55
そうそう、後代になって教父作家の人たちが、暴君に迫害された人を無理やりキリスト教徒
にしちゃったり(ドミティアヌスの従兄弟クレメンスなど)、殉教物語を華々しく創作したり
してますからね。年代のズレなんかは小さな作為にすぎませんよ。

むしろ、ドミティアヌスはユダヤ教徒を迫害ってイメージだし。実際には、税を取り立てる
ために割礼チェックを細かくしたってだけですが。

271カイザー:2002/11/04(月) 15:30
現代のキリスト教徒って、刑死後のイエスの復活とかを素朴に信じてるんでしょう
かね?
ローマへ伝道に行く途中のペテロやパウロの前に突如現れて啓示を与えてまたすぐ
消えてしまうとかの伝説なんかもありますよね。
西洋人の聖書に対する意識っていうのも良く分からない。ルターとかだと原理主義
的に全部信じてそうで、かなり怖いです。

日本人なら古事記に記述されてる神話を真面目に信じてるなんて、考えられません
もんね。

272マッティアス:2002/11/04(月) 22:40
研究者と宗教者は微妙に考え方も違うみたいですね。
素朴であまり教育を施されていない人ほど、聖書の記述をそのまま信じているカンジ。
ものすごい偏見ですが。キリスト教徒でも、イエスの行為や言葉は認めつつ、使徒らの
言葉や教会には疑問を持つ人とかもいるみたいです。
いかんせん、自分が不信心な人間なので、あまりよくわからない感覚ですね。

そういえば、(単に勉強不足なのですが)皇帝が死後神格化されたのって、大体、いつ頃
までなのでしょうね?とりあえず、始まりはカエサルの神格化だとして。
キリスト教を公認したコンスタンティヌス以後は、まず削除。ああ、急に気になって
きました!

273カイザー:2002/11/05(火) 00:10
コンスタンティヌス1世までは死後神格化されてますね。
それ以降のキリスト教皇帝達は多神教の神格化はされてなかったと思います。ユリ
アヌス辺りは神格化しようという動きがあっても良さそうですが、聞いたことはな
いですね。

コンスタンティウス2世はアリウス派信徒なんで、聖アタナシウスを迫害してるん
ですよね。3兄弟の領地をたらい回しにされてるという不憫なお方です。

274マッティアス:2002/11/05(火) 10:25
聖アタナシウスがどうなろうと、知ったことではありませんが(笑)。
正統派による異端の迫害って、凄まじいものありますよね。近親憎悪?
イスラムでいうシーアとスンニ以上。ほとんど虐殺に近いでしょう。怖いっす。
十字軍のときは、イスラム教徒よりもユダヤ教徒や東方教会の信徒のが殺されてたし。

コンスタンティヌスって神格化されたんですか。じゃあ、やっぱりキリスト教改宗は、
教会側のでっち上げ?聖人に列するならわかるけれども。
ユリアヌスやその部下の軍人皇帝は長期にわたらなかったし、一般民衆の支持がない
から、神格化は難しかったでしょうね。

275カイザー:2002/11/05(火) 22:49
コンスタンティヌス1世が洗礼を受けたかどうかは、最近では疑問視する見解を良く
見るようになりましたね。
私も詳しくは知りませんが、2次史料・3次史料でしか記述がないんでしょうね。
あってもキリスト教徒の偏見だらけの史料だったりしたら価値が低いでしょうし。

ヨヴィアヌスはペルシア遠征の敗戦処理も満足に出来ずに死んじゃったんで、仕方
ないでしょうね。というか、この人はキリスト教徒じゃないんでしょうか?
次のヴァレンティニアヌス1世と弟の共治帝ヴァレンスはキリスト教徒の皇帝なん
でやっぱり神格化されてないでしょうね。
このヴァレンスがハドリアノポリスの戦いで西ゴート族に無謀な戦いを挑んで、ゲ
ルマン人のローマ領定住化を決定的にしたお方なのです。

276マッティアス:2002/11/05(火) 23:42
ヨウィアヌス、「背教者ユリアヌス」ではなんかユリアヌスに心酔してる部下、って
印象があるのですが、手元にないから確かな事は何も言えません。

ヴァレンティニアヌスって名前の響きが好きなんですけどね。兄弟で共同統治、そこは
うまく行っていたんですか?兄弟って、めっちゃ仲良いか仲悪いか、どっちかですよね。
実は途中までしか読んでいなかった、クリス・スカーも読みたいのはやまたまですが、
現在借りている図書が多すぎて、手が回らないんです(泣)。

277カイザー:2002/11/06(水) 21:10
ヴァレンティニアヌス1世とヴァレンスは仲良し兄弟でしたよ♪
ヴァレンティニアヌス1世は死ぬほどマイナーな皇帝ですが、名君と呼ぶに相応し
い人物です。ゲルマン人との戦争中に講和の使者の生意気ぶりに激怒して、脳卒中
で死んでしまったという、おもろい人です。
ヴァレンティニアヌス1世はキリスト教徒でしたが、古来からの多神教にも寛容だ
ったそうです。西方領土を基盤とする最後の強力な皇帝としてギボンもベタ誉めし
ています。タイプで言うならハドリアヌスが近いかな?

弟のヴァレンスはコンスタンティヌス家の生き残りの僭帝プロコビウスにコンスタ
ンティノポリスを占領されるという屈辱を味わいながらも、東方領土を維持してい
たという所まではなかなかのものだったのですが、西ゴート族のドナウ渡河の阻止
に失敗し、ローマ軍との軋轢から暴徒化したゴート人にグラティアヌス帝(ヴァレ
ンティニアヌスの息子)の援軍を待たずに、戦端を開いて討ち取られる
という致命的な失敗を犯したのが全てを台無しにしています。

ちなみにクリス・スカーではこの両帝の記述はおざなりでした。

278マッティアス:2002/11/06(水) 21:26
ああ、やっぱり。
何か、クリス・スカーの叙述も、コンスタンティヌス以降、いや五賢帝あたりから結構、
おざなりになってる気がしたのは気のせいじゃないんですね。
っていうか、やっぱりタキトゥスとかスエトニウスとか、割に近い時代の人が書いた
史料残ってる時代のが、まとめやすいんだろうなあ。ユリウス・クラウディウス朝は
どの本見ても、それなりにきちんと書かれてますよね。
塩野さんも今年の分は苦労したんだろうなあ。

何と!ヴァレンティニアヌスは憤死ですか。ローマ教皇にもいましたねえ、憤死した人。
高校の授業のあと、あほな相方が「憤死って格好良いよね。憧れだわ」とかぬかして
いましたが、私はちょっぴり格好悪いと思います。ある意味、格好良いのか?

279カイザー:2002/11/06(水) 23:41
軍人皇帝以降がおざなりなのは、どの本も共通ですね。
四分統治制→コンスタンティヌス1世の統一戦争前後とユリアヌスの宗教改革に若
干の記述があって、残りは手抜きという本の何と多いことか(涙)。
テオドシウス1世以降は教会関係に偏ってるけどそれなりに史料もあるらしいので
すが、普通に売ってる本ではいいのがないんですよね。

ヴァレンティニアヌス家の怒りんぼうは家系だと思います。
 ヴァレンティニアヌス1世:アレマンニ族の使者に激怒して憤死
 ヴァレンティニアヌス2世:側近のアルボガストの専横に怒って殺害を実行した
              ら返り討ち
 ヴァレンティニアヌス3世:功臣アエティウスの野心を疑って自ら惨殺、後に残
              党によって殺される

 みたいな感じです。
 ちなみに、血縁関係は2世は1世の息子で3世は1世の曾孫です。
(1世の娘ガッラがテオドシウス1世の後妻となって3世の母親ガッラ・プラキ
ディアを産んでいます)

280マッティアス:2002/11/07(木) 21:46
なんか素敵ですね、その一族。脳みそと筋肉直結してそうだ。ぱちぱちぱち☆
ガッラ・プラキディアもキレやすい女性だったのでしょうか?どきどきです。
しかし、怒りっぽいけど仲良し兄弟の喧嘩と仲直り、日活ドラマ並に激しそうで、
ゼッタイ家族や主君にはいてほしくないです。

今日、なにげに買ったダンテの「神曲」を読み、ルカヌスやらキケロがキリスト教
信仰がないゆえに天国にいけなかった高潔な人々に入っているのがどうにも合点が
行きません。セネカやカエサルもいましたが。彼らは果たして廉潔と言えるのか?

281カイザー:2002/11/08(金) 20:20
ヴァレンティニアヌス1世はしばしば気にくわない家臣を処刑してしまうという、
気性の激しさもあったようですね。ぶるぶる・・・(笑)。

ダンテや中世西欧の知識人がどの程度正確な歴史を知っていたのかは怪しいところ。
歴史学の確立なんてされてなかったでしょうし、ヘロドトス(読んでないんでイメー
ジですが)の物語的な歴史観の延長じゃないかなと思います。
史料の正当性を検証するなんて作業が行われたのは、ルネサンス以降の話かなと想像
しているのですが、私にも良く分からないです。
ちなみにE・ギボンが「ローマ帝国衰亡史」を執筆していたのはフランス革命直前で
す。

ちなみに、ちょっと前にも書きましたがセネカやカエサルはエセ善人という評価をさ
せていただきます。オクタヴィアヌスもその延長ですね。
案外、小カトーとかブルートゥス辺りが本当の善人かもしれません。
塩野七生とは相容れない価値観かな?(笑)

282マッティアス:2002/11/09(土) 00:16
ヴァレンティニアヌス、ほんとに同じ国にいたくない人だなあ(笑)。
そういう君主(無能ではないけど暴君)を見ると庶民でよかったよ、と思いますね。

ブルートゥスも属州民からは相当搾取してますから、善人とは言い難いと思います。
サラディンがそこにいるのは良いんです(えこひいき)。
ダンテは詩人として、ウェルギリウス、ホメロス、オウィディウス、ホラティウス、
ルカヌス(順番どおりに登場)を尊敬していたのと、キケロやセネカの文章に影響を
受けていたらしいです。まだ第3の地獄までしか読んでいないのですが。
トラヤヌスが天界にいるらしい、というのは有名な話ですよね。

カエサルは、そうですね。偽善者というか、多分、他人を自分より下に位置付けて
いたから、寛容になれたんだと思います。そういう意味でとても傲慢。
オクタウィアヌスは、第一人者の地位になるまでは結構冷酷。余裕があれば、人間、
寛大になれるものです。
セネカだって貧乏だったら、あんなに悠長に哲学してないんじゃないの?と思うのは
貧乏人のひがみ根性です(笑)。

283カイザー:2002/11/09(土) 23:46
カエサルは金持ち喧嘩せずの典型ですね。
塩野七生さんのルビコン以前・ルビコン以後を見るまでは、いわゆる英雄タイプの
イメージだったのですが、今では三国志演義の口先ではキレイ事を言うけど腹の中
はドス黒い劉備玄徳の悪い部分を抽出した人物(でも有能)を想像してしまいます。
カエサルが他人を見下してるっていうのは、本当にその通りでしょうね。

哲学者が必ずしも金持ちということもないでしょうが、キケロもセネカも超金持ち
だったというのは注目すべき部分ですね。軍人皇帝時代ならともかく古代世界で貧
乏人が知識人になるなんてありえないでしょう。
豚飼いから皇帝の登り詰めたユスティヌス1世なんかも死ぬまで無学文盲だったそ
うで、自身が援助して教育を受けさせた甥のユスティニアヌス1世が補佐役でした。

284マッティアス:2002/11/10(日) 11:06
ユスティヌスって豚飼いだったんですか。オペラ「ジュスティーノ」では羊飼いだった
から、そう思い込んでいました。(粗筋読んだだけですけどね)
無学文盲だろうと、名君になれる人は結構いますよね。学があっても理想家で終わる人
と対照的に。

カエサルは何故か、声と雰囲気がシャアなんです。私の中で。好きになれない部分が。
劉備ってよりも、人当たりがよく如才ない曹操ってカンジです。
オクタウィアヌスはガンダムで言えばカミーユ(笑)のイメージ。
カエサルが寛容に振舞えなかった相手、ラビエヌスがちょっと気になっています。

285カイザー:2002/11/10(日) 15:17
ユスティヌス1世やユスティニアヌス1世の士官する前の職業が何かなんていうの
は、はっきり証明はされてないと思います。豚飼いでも羊飼いでも、歴史を学ぶ上
では大差はないのですが。
テオドラのサーカスの踊り子兼娼婦時代の記述が「ローマ帝国衰亡史」にちょっと
ありましたが、これもどこまで本当のことやら。ベリサリウスの太鼓持ちプロコビ
ウスの「秘史」辺りが原典なのかもしれませんね。

ちなみに、ユスティニアヌス1世と皇后テオドラとの間に子供がいなかったので、
クーデター的に大帝の妹ウィギランティアの息子ユスティヌス2世が帝位を掴むこ
とが可能になっています。

286マッティアス:2002/11/10(日) 22:25
この辺りの皇帝の話をしていると、何だかイスタンブールに行きたくなって仕方ないです。
ブルーモスク、綺麗やったなあ。地下宮殿の柱の土台にされたメデューサとか。
はっ!つい脱線。
テオドラ様は踊り子でいいです。ロマンです。肝がすわったゴージャス美女です。
はい、決定!(ゴーイン)そういえば、姉さん女房なのかしら、やっぱり。

ある意味、皇后と相撲部屋のおかみさんは、適性が似通っている気がします。

287カイザー:2002/11/11(月) 01:22
イスタンブルいいですよね。
でも、私はイスタンブルに何だかんだで10日以上も滞在してたのにアヤ・ソフィア
に入場していなかったりします。確か入場料金が高かったから、ケチって外からの写
真だけでOKということにした筈。今なら絶対に中に入ってますが。
トプカプ宮殿は見に行きました。そこの換金所が円→トルコ・リラの換金レートが一
番良かったのが印象的でしたね。

その内、ローマのページに写真の追加をUPしようと思いつつ軽く1年以上が過ぎて
いるのは多分気のせいです。ティトゥスの凱旋門とかもあったりします。

288マッティアス:2002/11/11(月) 11:04
うわ〜ん☆アップしてください。遊んでくれなくてもいいですから。
ティトゥスの凱旋門、ちゃんとデジカメで撮ってね、と親父に言ったら、お約束で、
コンスタンティヌスの凱旋門を一生懸命撮って来やがったんですよ。もう!

ティトゥス…ヨセフスに書かせた(語弊)「ユダヤ戦記」の素敵すぎる姿はかなり嘘だと
思います。あんなに良く描かれれば、「この戦争についての記述は君の独壇場サ☆」
くらい言うでしょうね。なかなか良い性格です。
この間まで読んでいたヨセフス研究の本に、ドミティアヌス時代、宮廷でもてはやされる
ようになったタキトゥスが、ヨセフスをいびっていた、という推測が書かれていて、
大変面白かったです。ユダヤ人に関する悪意ある説を喜んで採用、とか。

289カイザー:2002/11/11(月) 23:23
リクエストにお答えして、ティトゥスの凱旋門だけローマのコンテンツのTOPに
追加しておきました。
ついでに使っていたのに追加してなかった参考文献を載せておきました。実際には
他にもいっぱいあるのですが、年号を調べただけとか人物名を確認しただけとかの
しょうもない使い方なんで載せていません。

ヨセフスの「ユダヤ戦記」はそんなに偏っているんですか?そりゃ、ユダヤ教徒に
裏切り者扱いされますよね(笑)。
タキトゥスいじめっこ説というのは、私初めて聞きました。
タキトゥスってどことなく人を見下してそうなイメージがあったのですが、気のせ
いではなかったのですね。スエトニウスが好奇心だけで好き勝手書いてるのと凄く
対照的。

290マッティアス:2002/11/12(火) 00:27
見ましたよ〜♪ありがとうございますvカイザーさん大好き☆

タキトゥスはヨセフスの著作に目を通しながら、ユダヤ教への弁明を気に入らず、
ギリシア人が悪意を持って書いた嘘記述を採用したそうです。多分、ユダヤ人嫌いを
ストレートに出していたんじゃないか、と推測されるらしい(笑)。
ヨセフスの著作は、同時代のユダヤ人にはほとんど手にもしてもらえなかったようです。
しかし、ティトゥスはとっても高潔な人物だし、ウェスパシアヌスがやった悪どい
好意も、誤魔化して書いている、とか。実際には降伏したユダヤ人を、街から追放する
フリして途中で虐殺、とか結構えげつないことしてるんですよ、おっさん。
ティトゥスだって、イェルサレムの神殿が崩れた時、そんなに心を痛めたと思えないし、
部下の略奪・残虐行為を悲しんだりたしなめたりしたとは考えづらいっす。
『戦記』の最終巻にいたっては、ローマでの若きドミティアヌスの勇敢さ、(明らかに
失敗だったはずの)ゲルマニアでの武勲などが語られる始末です。
いや、それはそれでヨセフスの立場がわかろう、ってものですが。

291カイザー:2002/11/14(木) 01:19
大好きなんて言われると、こっぱずかしいですね(笑)。
昔撮った写真を更にデジカメで撮影という、作業は微妙にめんどくさいもんです(笑)。

ヨセフスも外様ですから、フラウィウス家へのおべんちゃらは欠かすわけにはいか
ないですよね。生きるための処世術ということでしょう。でも、それではヨセフス
は永遠にユダヤ教徒に赦して貰えそうにないですね。

292マッティアス:2002/11/14(木) 13:03
けれども、ヨセフスの著書なくして、旧約聖書以後の時代のユダヤ史はわからないのが、
またジレンマですよね。第2次ユダヤ戦争(バル・コホバの反乱)は叙述残ってないし。
上で、ヨセフスの著作を同時代のユダヤ人は、ほとんど読まなかったと書きましたが、
アグリッパ2世とか、まあそれなりの知識人は読んだみたいです。
彼の著作への反論として(?)ティベリアスのユストスというアグリッパ2世の元祐筆が
ユダヤ戦争の歴史を書いたそうです。彼のがギリシア語に堪能だったから、実はヨセフス
かなり売上にダメージを受けたとか。ドミティアヌスに年金打ち切られてるし。

あと、ヨセフス自身は信仰を捨てたわけじゃないので、ギリシア人の著作家に対抗する
ために、ユダヤ教の歴史の古さや、教えの素晴らしさを説く著作をしました。
大体、著作を捧げている相手がエパフロディトゥスなんですよね。
そういうこと考えてくと、彼の生涯を追うのはフラウィウス朝ファンの義務ではないか
ちょっと悩みます。『古代誌』文庫12冊読むのはめんどくさい(暴言)。

293カイザー:2002/11/16(土) 03:03
古代人の翻訳本を12冊も読むなんて、誰でもめんどくさいでしょう(笑)。

読んでみたいのがキリスト教史家オロシウスの「異教徒を駁する七巻の史書」。
よく、ゲルマン人のローマへの考えを代表する意見として紹介される西ゴート王ア
タウルフのセリフが載っています。(ローマのコンテンツの名言集にUPしてます)
アタウルフとガッラ・プラキディアの結婚の前後にアタウルフ、オロシウス、ヒエ
ロニムス(教科書にも出てくる聖人)の3人が語り合ったという、歴史的一夜が
あったというのは、マイナー系ローマ史ファンの私の憧れ。
翻訳本があれば買うと思うのですが、多分挫折してしまいそう(笑)。

294マッティアス:2002/11/16(土) 23:08
翻訳家にもよりますね。ヨセフスは現在(というか文庫版)中心に訳されている秦剛平氏が
読みやすくてオススメです。彼自身の研究本『ヨセフス』(ちくま学芸文庫)も面白い。
あと、ガリア戦記を岩波のほうで読んで、あ!と思ったのは、ローマ共和政末期〜帝政初期の
歴史記述は、どうも国原文体に慣れると、他の人の文体に違和感を感じてしまうようです。
『指輪物語』ファンが『ホビット』の新訳よりも瀬田文体のが、読みやすいのと同じです。
でも、人によって合う文体合わない文体、ってありますからね。

とりあえず、日本人の作家で文章力が無い人の本を読むより、よい翻訳家による、海外の
著作を読むほうが私的には気分がラクです。
ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』やアントナン・アルトー『ヘリオガバルス』の訳を
やった多田満智子さん、ご本人も詩人なだけあって、結構好きなんですよね。

思いっきり脱線しました(汗)。

295カイザー:2002/11/17(日) 12:36
アルトーの「ヘリオガバルス」の名前はよく聞きますけど、まだ未読なんですね。
売ってるのも見たことないんですが、どこの出版社が発行してるんですか?やっぱ
り、岩波とか筑摩かな?

つん読状態の本を全部読み切ろうと思ってるのに、欲しい本があればすぐに買って
しまうという悪循環に苦しむ今日この頃。学生の頃はお金がなかったから欲しくて
も買えなかったけど、今は中途半端にお金だけはあるんで衝動会の誘惑に負けてし
まうんですよね。
1万円ぐらいした「欧州共通教科書」とかも、ローマの関連ページだけに目を通し
て、残りはほったらかしというのは超もったいない!!

296マッティアス:2002/11/17(日) 21:10
なんですと〜?もったいなかとですよ!>「欧州共通教科書」
十字軍とかイスラムの扱いも気になりますだよ、旦那!(←ていうかどこの人だよ)

アルトーのは別に、読まなくても良いのではないでしょうか(爆)。謎の哲学書というか、
アンダーグラウンド系っぽいです。幻想小説といったほうが近いかも。
ちなみに、出しているのは白水社uブックスだったと思います。新書版です。
置いてあるのも、海外文学とか幻想文学の棚です。シェークスピアとかと並んでる事も。

つん読状態の本の多さでは、多分負けてないと思います。たまにそのまま古書店行きとか。
手に入れちゃうと妙な安心感があって、人に借りてるとか、人に貸す、とかないと、
なかなか読まないですよね。
あと、買ったときはものすごく欲しかったのに、実際中見ると、ふ〜ってなっちゃうのが
洋書。中世西欧とかイスラム関連、何冊か綺麗なまま書棚に並んでます。

297カイザー:2002/11/18(月) 00:03
つん読よりも、つんゲーの方がやばいような気がします。
何本あるんだろうって思っても数えたりしないようにしています(笑)。

「欧州共通教科書」読み応えありますよ〜。
私が印象的だったのはコンスタンティウス1世時代のローマ領内のゲルマン人共同
体の資料が掲載されていたこと。別に大したことは書かれてなかったのですが、ゲ
ルマン関係のことを調べてる時だったので妙に嬉しかったです。

298マッティアス:2002/11/18(月) 15:43
なるほどね〜、ゲームですか。CDやビデオ、DVDならそういうの結構ありますが。
オペラとか、買ったはいいが、気が乗らないとかリブレットが読めないとか、様々な
障害が待ち構えています。で、しばらくすると飽きていたり(爆)。

「欧州共通教科書」周辺というか、ギリシア・ローマ以外を調べたい時、良さそうですね。
そういえば、結構分厚い本で「東欧の歴史」という本がありますが、それもつん読に
入っているのですか?本屋でパラっと見たら、オスマン朝出現以前に80頁くらい
費やしていましたが。
プリニウス「博物誌」も分厚い訳本が出ていて、大変気になるのですが、金銭的にも
精神的にも追い込まれそうな本なので、手が出せません。

299カイザー:2002/11/18(月) 21:20
「東欧の歴史」なんて本あるんですか?それは持ってないですね。
すごく読んでみたいけど高そうですね。80ページという分量も多いような少ない
ような微妙さですね。いや、中世以降も読みたかったらそれでもいいんでしょうけ
ど。私が見たいのは中世とそれ以前ですからねえ。
クルム・ハン、シメオン・ハンといったブルガリアの英雄達の活躍が断片的にしか
分からないというのは、何とも切ないものです。

300マッティアス:2002/11/18(月) 21:38
あ、このスレッドもとうとう300ですよ!カイザーさんと私の愛の歴史(笑)です。

それにしてもブルガリアって、ほんとわからないですね。そもそも東欧の地理自体、
相当うといのですが。
「ハン」という称号があるあたり、なんだかトルコやモンゴルの系列っぽいですね。
でもシメオンは聖書の名前。
クルム・ハンとクリミア・ハン国は関係あるのでしょうか?(無知)
イスラムの諸王朝についても、おそろしくわからないですし。
何だかんだで、大きい帝国作らないと、なかなか史書に残らないものですね。

301カイザー:2002/11/19(火) 21:30
2人しか書き込まないで300って、本家2ちゃんねるでは絶対にありえない(笑)。
愛の営み(?)を邪魔するとか思わず、見ておられる方がおられればたまにはカキコ
して下さい〜(笑)。

ブルガール族はもともとはトルコ系です。
フン族(も系統が不明なんですが)とか、エフタル、アヴァール辺りと一緒にヨー
ロッパへは移住して来たみたいです。
アヴァール族がランゴバルド族のイタリア侵入により、その故地をランゴバルド王
アルボインから譲り受けることによってパンノニアへ移動すると、ブルガール人が
その空白地に住むスラブ人を支配する形でブルガリア連合国家的な組織を形成した
ようです。ブルガール族は少数派だったので、次第にスラブに同化してしまって、
現在に至るということのようです。
クルム・ハンはバルカン半島の過半を支配し、東ローマ皇帝ニケフォロス1世を戦
死させています。
ブルガリア最盛期の王シメオンはキリスト教系の名前なんですね。シメオンは異教
よりの前王から王位を簒奪してキリスト教化政策を進めた人物なんで、もしかした
ら洗礼名なのかもしれませんね。
この人もローマと戦って支配地を広げて、皇帝を名乗ってる英雄です。

この辺が現在も続くバルカンの不安定要素で、ギリシアはバルカン中南部と小アジア
を、ブルガリアはペロポネソス半島を除くバルカン全土を民族固有の領土と認識して
いるようで、第一次大戦直前のバルカン戦争とかの原因になっていたりします。
もちろん、それが全ての原因ではないですが。

302マッティアス:2002/11/19(火) 21:42
トルコ系なんですか、ブルガリア。トルコ系グズ(部族集団)の建国というと、オスマン
やセルジュクと近いカンジですね。混血も進んでるし。
キリスト教を選ぶにせよ、イスラム教を選ぶにせよ、だいぶ名前が聖書系というかセム
起源になってしまいますね。トルコ系の人名って、あからさまにトルコ(アルタイ)起源
のものと、セム起源のものと入り混じっていて面白いです。
ミーハイールとかムーサーとかスライマーンなんて、モロですよね。
トルコ系じゃなくてクルドですが、サラディンの個人名ユースフもヨセフですからね。

303カイザー:2002/11/20(水) 23:25
蛮族の固有名っていつの間にかキリスト教系の名前に淘汰されちゃうんですよね。
オドアケルとかテオドリック大王の時代の東ローマ皇帝ゼノンはイサウリア人なの
で、蛮族としての本名はタラコシデッサなんですよね。
ゼノンという名の起源が聖書にあるのかどうかは知らないのですが。

弓削さんの本とかには、当たり前のようにゲルマン人は皇帝になれなかったとか書
いてますが、東ローマではマルキアヌス帝の死後にゴート人のアスパルが帝位候補
に上がったりしてるんですよね。
アスパルが帝位に就けなかったのはアリウス派信徒だったことが原因のようです。
そのアスパルの代わりに帝位についたのが名君レオ1世で、アスパルの傀儡の筈が
ゲルマン人に対抗する為にゼノンを初めとするイサウリア系の傭兵を登用して、ア
スパルの誅殺に成功するという経緯があるのです。

304マッティアス:2002/11/21(木) 12:55
正統派を自認するキリスト教徒ほど、他者に不寛容な人々はなかなかいませんよね。
何度か繰り返して言っているけれど。異端っていってもとっても素朴な信仰もあるのに。
なかにはグノーシスのようないっちゃってるのもありますけどね。
実は教父作家のなかにも後に、極端にストイックな路線に走りすぎて、破門された人も
結構いるんですよね。純潔を保つ為に自ら去勢したオリゲネスなんか有名。

質実剛健とか清貧って、思想としては良いと思うんですけど、技術や生活レベルの発展
には却ってマイナスに働く事も多いですね。貧しい一般大衆と金持ちの差も実は開く
ことのが多い気がします。信仰につけこんで、聖職者が暴利を貪るパターン。

305カイザー:2002/11/22(金) 19:56
別にアスパルはアリウス派という異端が理由で殺されたわけではないですけどね。
ヴァンダル王ガイセリックと密約を結んだという利敵行為(があっただろうという
推測)とレオ1世がアスパルから自立したいという野心を持ったことが問題なので
す。
ゼノンの後を継いだアナスタシウスが単性論者だったり、この時期はまだ正統派の
優位は完全には確立されていないのです。まあ、単性論とかネストリウス派の聖職
者自身は、自分たちこそがニケーア信条を守る正統派だと認識してたことでしょう
が。

306マッティアス:2002/11/22(金) 20:19
レオン、なかなか野心的で素敵ですね。権力さえ握ってしまえばこっちのものですね。
ていうか、最高権力者にとって後ろ盾を自認する存在なんて、うざいことこの上ない
でしょうからね。(悪オーラ発動中)
オスマン朝初期のオルハンだったかな、叔父さんを会議の時に射殺したりしてるし。
オクタウィアヌスだって、法定年齢よりだいぶ若くして執政官になる手助けをしてくれた
キケロを涼しい顔して見殺しですもの。(※非難ではなく、むしろ褒めてます)
そうでなくっちゃあ、乱世の英雄になんて到底、なれやしませんよ!

307カイザー:2002/11/22(金) 23:14
レオ1世は末期ローマ帝国時代の東ローマ皇帝としては特別な存在です。
アルカディウス、テオドシウス2世、マルキアヌスといったテオドシウス朝の皇帝達
が西ローマ帝国の衰退を放置していたのに対し、自身の縁故者とはいえ西皇帝を支援
しヴァンダル族と一戦交えたりもしています。
この対ヴァンダル戦に勝利していれば、もしかしたら西ローマ帝国の滅亡は防げたの
かもしれないという、重大なイベントなのです。まあ、普通の人は知らないでしょう
が。
逆にヴァンダル族にとっては起死回生の大逆転で、東ローマ帝国の後ろ盾を失った西
ローマ帝国の実力者リキメールを脅迫してレオ1世の送り込んだ西皇帝アンテミウス
を殺害させ、自身の縁故者オリュブリウス(64のカキコ参照)を西皇帝に擁立して
います。
この辺のアンテミウス帝の悲劇的な死をギボンはちょっと重要視しています。
その後もレオ1世は西方世界の領土維持を諦めておらず、リキメールの死に動揺する
イタリアに新皇帝として皇后ウェリナの親族ユリウス・ネポスを派遣したりもしてい
ます。

308マッティアス:2002/11/23(土) 21:53
ごめんなさい、女性達の名前があんまり一致してないのですが、オリュブリウスと
結婚したプラキディアって、ガッラと同一人物ですか?
時代とか全然違うかしら。頭悪いんです。似た名前はすぐごっちゃになるし。

リキメールの人生も波乱に満ちてますね。オリュブリウスは、リキメールより先に
亡くなったのですか?それともリキメールの死を契機に、レオがオリュブリウスを
廃し、新皇帝をたてようとしたのでしょうか?
すみません、ほんとにうとくて。ギボン、1巻買ってそのままながってます。

309カイザー:2002/11/23(土) 23:06
ガッラ・プラキディアの孫がオリュブリウスと結婚したプラキディアです。
系図でも書けばよく分かるでしょうが、主要王朝の系図ぐらいなら書いてみようと
思いつつ、パソコンで表現するのがめんどくさくいんで、多分永遠に作らないでしょ
う(笑)。手書きでもいいんでしょうが、私の字は汚いんであんまり公開したくな
いし。

リキメールもオリュブリウスも疫病で死んだのですが、順番で言えばリキメールが先
の筈。オリュブリウスは半年ぐらい後に死んでます。
で、この2人の死後に権力を握ったのがブルグントの王族グントバトで、グリュケリ
ウスを新皇帝に擁立するのですが、レオ1世がダルマティア領主のユリウス・ネポス
を新皇帝として派遣すると、グントバトはあっさりとグリュケリウスを見捨ててガリ
アへ逃亡するのです。

この辺の歴史は超マイナーでギボンぐらいでしか内容が分からないんで、普通の人は
皇帝名さえ知らないことと思います。イコン破壊運動で有名な(?)イサウリア朝は
もっとマイナーな気がしますが(笑)。

310マッティアス:2002/11/23(土) 23:41
すんません、おもいっきしパンピーです(苦笑)。
この時代っていうか、ブルグントとかヴァンダルとか聞いて「ニーベルング」?とか
思ってしまう(しかもウロオボエ)くらい知識ナイです(爆)。

ギボンって、もっと最近の人かと思ってました、ってあたりで終わってるなあ。
文庫に写真ではなく肖像画、しかもウィッグ付き!を見て、かなり驚きました。

イサウリア朝だったんですね。初期ビザンツの、一連の偶像破壊活動を推進したのは。
十字軍のおかげ(?)でコムネノス朝とかパレオロゴス朝は、全然メジャーなんですね。

311カイザー:2002/11/24(日) 00:17
コムネノス朝やパレオロゴス朝がメジャーかどうかは微妙な所ですが(笑)。ヘラ
クレイオス朝も朝マイナー王朝の一つに数えてもいいかと思います(笑)。

クリス・スカーには是非とも末期ローマ皇帝歴代誌とビザンツ皇帝歴代誌を作って
欲しいもんです。
そこそこ売れると思うけどなあ。作るのにかかる手間と費用に見合うかは分かりま
せんが(笑)。

「ローマ帝国衰亡史」を読み始めているのですね。
ギボンはルイ16世とかと同時代人なんですよね。だから、内容的には見直しが必
要な所が山盛りだと思うのですが、基礎知識がない日本人素人の私では注を見るぐ
らいしか出来ないのです。

312マッティアス:2002/11/24(日) 00:57
あ、いや、ちょっとばかし待っててください。まだ読み始めてません(汗)。
持ち歩き用の小説が終わったら取り掛かります。>ギボン

ビザンツ皇帝歴代誌は、マヤの王より売れそうですよね。そんなこともないか?
アンナ・コムネナ小説『緋色の皇女アンナ』は、ティーンズとかヤングアダルトでは
なく、一般の海外小説コーナーに並べた方が売れそうですね。いっそ歴史のトコに
塩野さんの著作のように、中世史とかビザンツ史と並べておくとか。
十字軍関連はまったく割愛されてたりと、いろいろ問題はありますが。

そうやって、ビザンツに対する国内の知名度をあげれば、もっと研究資料の邦訳も
されるかなあと。ダメすかね?
あと、ビザンツ美術というか、イコン展みたいのが開催されれば、いろいろ本も出る
んですけどね〜。

313カイザー:2002/11/24(日) 10:37
いくらなんでも、マヤよりはビザンツに関心を持ってる人の方が多いのでは?
でも、マヤとかアステカなんて本当に限られた情報しか世間ではないでしょうから、
ファンの方は飛びついてしまうでしょうね。

結構、十字軍の本も見ないような気がしますね。
第1回〜3回は比較的情報が溢れてますが、それ以降の十字軍って大ざっぱにしか
私は知らないです。マムルーク朝のバイバルスがクローズアップされていた「物語
中東の歴史」で簡単に説明してあったぐらいのような。あと、塩野七生の「海の都
の物語」でも、ちょっと載ってました。

314マッティアス:2002/11/24(日) 13:26
やっぱり、サラディンやらリチャードやらがいる第三回と、ものすごく残虐な行為を
続けながらキリスト教側が進軍していく第一回くらいしか、メジャーじゃないのか、
十字軍ですら。卒論書くとき、資料少ねぇ〜、と思ったのは気のせいじゃないのか。

ビザンツはやっぱし美術とか、正教会というものに関する興味もあるでしょうから、
それなりにユーザーいるんですね。おっけーです。
マヤ、アステカなど中南米の西欧との出会い以前の、歴史や民族に興味をもたれている
方は、大変アツイ方が多いし資料も限られているので、多少高くても買うでしょうね。

西欧の人間はどの程度、ビザンティンをローマだという認識を持っていたのか気に
なります。中世辺りだとフランク人から見てビザンツ人は、どうもギリシア人、って
いうか別世界な感触を持ってそうなカンジです。
逆に、ムスリムから見たら、コンスタンティノープルの皇帝こそがローマ皇帝なので、
小アジアに開いたトルコ王朝がルーム(ローマ)・セルジュクと呼ばれたり、バルカン側の
オスマン領がルームとかルメリとか呼ばれてるんですけどね。

315カイザー:2002/11/24(日) 19:05
初期のイスラム世界では、カロリング朝の西ローマ帝国とローマ教皇なんてどうでも
いい存在だったんでしょうね。
だから、何度もコンスタンティノポリスを占領しようと大軍を差し向けはしても、イ
タリア半島には見向きもしなかったんでしょう。

コンスタンティヌス4世とレオ3世のウマイヤ朝遠征軍の撃退は、ヨーロッパのイス
ラム化を阻止した歴史的偉業なんですが、イベリア方面軍との遭遇戦に過ぎないフラ
ンク王国とのトゥール・ポワティエ間の戦いの方が遙かに有名なんですよね。

316マッティアス:2002/11/24(日) 20:24
やっぱり、コンスタンティノープルは壮麗で豊かな街だし、交易という観点からも
欲しい場所ですよね。ムスリムから見て、領土を接してるのも大きい。
所詮、トゥール・ポワティエなんて中国史における元寇みたいなもので、来られた側には
大事件でも、遠征した側は、勢いっていうかノリで、そんなに国に影響はないって
カンジですかね。
けれども今、中心の視座が当時は(ビザンツやムスリムからみて)後進だったフランク側
だから、そっちのほうがメジャーになってしまう。

317カイザー:2002/11/26(火) 00:02
ウマイヤ朝のムアーウィア1世やスレイマーンのコンスタンティノポリス攻略戦は
主力を投入した本気の戦争でしたからね。よくローマが勝てたもんです。
敢えてイスラム側の敗因を上げるとすれば、一気に勝負を決めることが出来るコン
スタンティノポリスに固執しすぎて小アジアを完全占領しようとしなかったという
辺りでしょうか。教科書なんかにも出てくるギリシア火の発明もポイントなんで
しょうけどね。

ちなみにカリフ・スレイマーンの遠征軍を撃退したレオ3世はイサウリア朝の創始
者ですが、実際は本人が自称していたイサウリア人ではなくウマイヤ朝統治下のシ
リア出身だったりします。

318マッティアス:2002/11/26(火) 00:34
レオ3世って、そういう経歴だったんだ〜(爆)。教科書で必死に暗記した記憶しか、
残ってなかったです。教皇を破門した人でしたっけ?
ウマイヤ朝下だと、まだアラブ人以外の改宗者も差別されてた時代、ですよね?
で、ムスリムっちゅうかアラブ人がのさばる社会がイヤで、コンスタンティノープル
に仕官したんですか?それとも傭兵とかだったのかしら?
カッコイイわあ。

ムアーウィアも実はちょっとカッコイイかも☆とか思っています。
でも、確かにコンスタンティノープルだけ攻撃じゃ、ダメですよね。
サラディンがイェルサレムを落とす前に、周りの領土を(ザンギーあたりからだけど)
削りまくったのは、正しいですね。
ちょっと脱線しました。

319カイザー:2002/11/26(火) 22:59
私もイサウリア朝は不勉強で大まかにしか知らないのですが、レオはシリアからト
ラキアに移住し軍隊に入隊しています。で、そこで立身出世して小アジアの軍管区
(テマ)の長官に成り上がって、テオドシウス3世(実はゴート人説あり)から帝
位を簒奪したという経歴なのです。
ちょっと、レオ3世自身の思惑とか人物像とかは良く理解できていないので、ちゃ
んと勉強しておくようにします。レオがイコン破壊運動の実施者なのは、イスラム
教の洗礼を受けたシリア出身ということとも関係あるんじゃないかなとは思います。

そういえば、シーア派はムハンマドはアリーを後継者(カリフ?)に指名していた
と主張してるんですよね。ムアーウィア自身はアリーの権威を全然認めてなかった
ようだから、シーア派の主張にはあんまり根拠がないんでしょうか?

320マッティアス:2002/11/27(水) 00:36
宗教にはとっても疎いので(汗)。でも、ムハンマドがアリーを指名してたなら、間
3人のカリフは不当なもの、ってことでしょう?大勢は彼ら3人を支持していたわけ
だし、それなりにうまく行っていたのだから、ムハンマドが死んでから30年以上
経ってそんなこと言われてもさあ、ってカンジ?
それにムアーウィア自身もムハンマドが属していたクライシュ氏族の出身で、家柄は
アリーに優るとも劣らないわけですよね。政治力もあったみたいだし。そこそこ支持
基盤もあったようです。
アリーは確かにムハンマドの娘ファティマを娶っているのだから、後継ぎと見なされ
ていた、って考え方もできるけど、ウンマの中じゃ若僧で、ムハンマドの死の直後は
皆に指導者と認められなかったわけですよね。
そんなこんなで、娘むこが正統か皆の支持を得て指導者となった方が正統か、っての
がシーア(・アリー。「アリー派」)とスンニー(慣習派)の考え方の根本的な違いでは
ないでしょうか。
すみません、いささか不勉強で。

レオ3世のイコン破壊活動がイスラムの影響というのは、何となく思っていましたが、
実際にウマイヤ朝領の出身だというのは、とても参考(何の?)になりました。
テマの長官から皇帝というレオ3世の経歴と、総督からカリフになったムアーウィア
の経歴はちょっとだけ似てませんか?

321カイザー:2002/11/27(水) 21:34
シーア派では当然アブー・バクル、ウマル、ウスマーンの正統カリフ時代の3人の
カリフ位は無効の筈です。
まあ、この3人よりもアリーと戦ってカリフ位を簒奪したムアーウィアや、アリー
の子フサインを殺害したムアーウィアの子ヤジードあたりのカリフ位は全く認めて
なさそうですけど。
ちなみに、ムアーウィア1世時代にコンスタンティノポリスを包囲して、コンスタ
ンティヌス4世のギリジア火で撃退されたのは、皇太子時代のヤジードです。

322マッティアス:2002/11/27(水) 22:13
アブー・バクルはムハンマドよりおっさんだったような。いちばんメジャーなのが
征服王ウマルですね。ウスマーンもコーランやら何やら編纂した、と憶えさせられ
ましたねえ。

ギリシア火。後でイスラム側にも取り入れられませんでしたっけ?
確かビジュアル世界史イスラム世界にそんなことが書いてあった気がします。
ビチュメン(瀝青)がよく取れるんですよ、ジャズィーラ地方。
十字軍が来た頃、ムスリム軍がギリシア火を使っていたっていうのは、気のせい?
こういう敵方のやってた手段をどんどん吸収していくカンジ、初期のイスラム帝国
って、カルタゴ戦争までのローマのようですよね。
そういう勢いと柔軟性のある時代とか国って好きなんですよね。




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