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ジュセリーノ預言について語るスレ

81でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/09(火) 15:38:13 ID:taPIsFPg
AD20081202-08044-00128
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

ようやくでちゅねぇ、僕ちゃんたちプロテスタント福音主義−福音派が、
信仰の先輩方−弟子や初代教会ー原始キリスト教団の人たちとおんなじ、
正統なキリスト教信仰を継承するまっとうな教派であることが認められてきたようでちゅ。
うれしいでちゅよねぇ〜〜。ほんと誇る者は主を誇れ、でちゅよ!!!

   ☆きょう2008年12月9日の僕ちゃんのレスでちゅ〜〜
               ↓
              >>77-81

 あんちゃん、ねぇちゃん、そちて僕ちゃんの3兄弟は、正統なキリスト教信仰を継承する
(日本福音同盟所属)のプロテスタント福音派の信徒でちゅ。
 穏健なプロテスタント福音主義の立場に立っていまちゅ。

日本福音同盟所属の教団なら安心でちゅ。
 イマヌエル総合伝道団、救世軍、日本イエス・キリスト教団、
 日本同盟基督教団、日本福音自由教会、日本ホーリネス教団など、
 主だったところでありまちゅ。あと日本基督教団(福音主義教会)、
  日本ナザレン教団、アッセンブリーズオブゴッド教団もよいです。

☆日本ナザレン教団におられた天皇陛下の叔父にあたる方も、
 福音派の牧師先生をしてらっしゃいまちゅ。その牧師先生のお話抜粋他はこちら
               ↓
■■日本宣教と天皇制〜皇室に流れるキリストの命
☆★☆http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1215676891/1-13☆★☆
 救世軍の山室軍平氏などご存じの方もいらっちゃいまちゅよね。
 みなちゃん、どうじょお越しくだちゃいね〜〜
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

82でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/10(水) 18:22:58 ID:p7mjrdgY
きょうの僕ちゃんのレスでちゅよ〜〜
        ↓
★AD20081203-08045-00129
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210736093/171-185
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210736093/187-196

83でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/15(月) 14:39:37 ID:l6VTH9BU
きょうもいい天気でちゅ〜〜

あの「予言者?」の人(前回→>>77-81、このお方のこと「預言者」と書きまちたが間違えでちゅ)
ほんとうに自分のこと、予言者だと思っているんでちょうか?
だとしたらちょっと信じられないことでちゅが。。。

逆説的なことを言うようでちゅが、
「当たる」と信じる人たちがいてからこちょ、預言された事柄を回避しようとの動きもでてくるわけでちゅよねぇ。
聖書もそのような意味でまさちく「預言書」とちての役割を果たしているわけでちゅが、
もち、その聖書を、みんなが単なる作り話だと思ってしまったなら、どうなるか?
聖書の御言葉を信じる人が少なくなればなるほど、キリストの教えなどバカバカしいと思う人が増えれば増えるほど、
聖書の「預言」が現実のものになる可能性は、皮肉なことに、どんどん高まっていくのでちゅよねぇ。
ほんとに神ちゃまのご計画、御心のうちは、計りしれないと思うでちゅよ。
人々が聖書の預言を今のように軽んじているなら、
まさちくまんまとこの世界は破滅してちまうかもしれまちぇんよねぇ。
そのような意味で、神ちゃまが立てられた、聖書のお国−アメリカちゃまは、
ほんとうにいままで神ちゃまの御手とちて、大きな働きをなしてきてくれたことを思いまちゅ。
僕ちゃんたちのお国、日本も、原爆を二発落とされて、
民主的な国家とちて新生することができまちた。現在においては、
イ○ク、アフ○ニスタンしかり、北○○にもにらみをきかせて従わせようとしてくれていまちゅ。
これからも元気いっぱいに、アメリカちゃまには世界の警察とちて、
がんばっていただきたいと思う者でありまちゅ。
信仰に篤く、信仰に生きる、アメリカちゃまだからこちょ、神ちゃまの御手とちて、
聖書に預言されているあぶない国々、あぶない人間の台頭を防ぐことができるのだということを、
あらためて深く感じ入ったようなしだいでありまちゅよ。
今期の大統領ちゃまも信仰篤い立派な姿勢で外交に臨まれまちたが、次期大統領ちゃまも、
あぶない国には断固たる姿勢で臨んでいただきたい、と切にお願いしたいものありまちゅ。
日本も、原爆落とされて、民主化されまちた。

84でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/15(月) 15:02:18 ID:l6VTH9BU
>>83よりちゅじゅく 原爆をもっと早くに落としてもらえていたなら、10万人以上亡くなった沖縄の地上戦、
同じく10万以上が犠牲になった東京大空襲など、僕ちゃんたちのお国の人たちが300万人以上も、
亡くなることもなかったでちょうが、それは仕方ありまちぇん。
軍部の独走をゆるした当時の議会、ひいては議員を選んだ僕ちゃんたち国民にすべての原因がありまちゅ。
そう、「戦争は国民ひとりひとりの心によって引き起こされる」んでちゅよねぇ。
けっちてひとりの偉い人や、軍人さんたちのせいだけではなかったのでちた。
すべては僕ちゃんたち、国民に、あの第二次大戦で味わった日本の悲劇の根本原因があったのでちた。
戦争をして負けた相手がアメリカちゃまでほんとうに良かったと思わざるをえまちゃん
シベリアでは、約60万人の日本兵が捕虜として長期間抑留され、強制労働によって多くの犠牲者をだちまちた。
もち主戦相手国がかのお国だったら、って考えるとほんと怖いでちゅねぇ。
現在にいたるまで、アメリカちゃまが覇権国家とちて世界をリードしてくれてきたことの幸福を、
良識ある市民とちてかみ締めたいと思うものでありまちゅよ。
沖縄などアメリカちゃまの軍事基地がおかれているところの人たちには複雑な思いもあるでちょうが、
それはいたし方ありまちぇん。
なじぇなら、戦争をして「負ける」というのは、こういうことなのでちゅから。
基地をおかれたくなかったのなら、まじゅは「敗戦」に終わった、あの戦争をしかけた自分たち国民を、
責めるべきなんでちゅよねぇ。罪を自覚すべきでちゅ。
僕ちゃんたち日本人はあの戦争からほんとうに学ぶべきこと、
すなわち戦争に負ける、ということがいかに「惨め」で「哀れ」であるかということを、
ほんとうに理解したのでちょうか?もし理解してきてたなら、
沖縄基地やほか各基地の廃絶など訴えることなどできたはじゅもないでちょうけど。
戦争に負けるとどうなるか、ということを学べただけでも良かったのではないでちょうか?
アメリカちゃまは、今、ちょっと元気を失いかけてるようでちゅが、きっとこれからも、
世界の警察とちてがんばってくだちゃるものと思いまちゅ。
世界の平和と安定のために。ほんとアーメンでちゅ!!!

きょうの僕ちゃんのレスでちゅよ〜〜
        ↓
■■米国防総省(ペンタゴン)想定予測−M9超巨大東海地震とは?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210736093/201-206

85でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/15(月) 15:04:53 ID:taPIsFPg
AD20081205-08047-00131
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ようやくでちゅねぇ、僕ちゃんたちプロテスタント福音主義−福音派が、
信仰の先輩方−弟子や初代教会ー原始キリスト教団の人たちとおんなじ、
正統なキリスト教信仰を継承するまっとうな教派であることが認められてきたようでちゅ。
うれしいでちゅよねぇ〜〜。ほんと誇る者は主を誇れ、でちゅよ!!!

   ☆きょう2008年12月15日の僕ちゃんのレスでちゅ〜〜
               ↓
              >>83-85

 あんちゃん、ねぇちゃん、そちて僕ちゃんの3兄弟は、正統なキリスト教信仰を継承する
(日本福音同盟所属)のプロテスタント福音派の信徒でちゅ。
 穏健なプロテスタント福音主義の立場に立っていまちゅ。

日本福音同盟所属の教団なら安心でちゅ。
 イマヌエル総合伝道団、救世軍、日本イエス・キリスト教団、
 日本同盟基督教団、日本福音自由教会、日本ホーリネス教団など、
 主だったところでありまちゅ。あと日本基督教団(福音主義教会)、
  日本ナザレン教団、アッセンブリーズオブゴッド教団もよいです。

☆日本ナザレン教団におられた天皇陛下の叔父にあたる方も、
 福音派の牧師先生をしてらっしゃいまちゅ。その牧師先生のお話抜粋他はこちら
               ↓
■■日本宣教と天皇制〜皇室に流れるキリストの命
☆★☆http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1215676891/1-13☆★☆
 救世軍の山室軍平氏などご存じの方もいらっちゃいまちゅよね。
 みなちゃん、どうじょお越しくだちゃいね〜〜
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86でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/15(月) 17:08:08 ID:p7mjrdgY
あ〜〜、でちゅけど、沖縄の嘉手納空軍基地(Kadena Air Base)に、
ぜひ「F-22Aラプター」を配備していただきたいものでちゅよねぇ。
僕ちゃん、まえに配備されたって書きまちたけれど、
2007年2月17日からの3ヶ月間だけだったんでちゅね、暫定配備。
もうバージニア州ラングレー空軍基地に帰還しちゃったらちいけれど。
とにかく性能がすごいでちゅもんねぇ、アメリカに帰っちゃったのはほんとに残念でちゅ。
なんでも「1機でF-15を5機同時に相手にできる」
訓練中の模擬戦闘で「F-15を相手として100戦以上行われた模擬戦闘で無敗」
「アグレッサー部隊のF-16が300回もの模擬戦闘出撃を行ってついに一度もミサイルの射程内に捉えられなかった」
「F-22のパイロット4人をF-15に乗せて1対4の模擬格闘戦を行い4機を全滅させた」等の逸話が生まれている。という、
とにかく無敵のスーパーハイテクステルス戦闘機でちゅよ。
日本に配備してもらえないものなんでちょうか。
次期主力戦闘機とちてもぜひお願いしたいものでちゅね。
そうすれば極東アジア地域のお空をアメリカちゃまといっちょに守ることができまちゅ。

★きょうのレスに関連した参照レス、下にあげておきまちゅ
           ↓
■■創造論について学ぶ−科学が聖書に近づいた
★AD20081009-08031-00115 アメリカちゃまは信仰篤い聖書のお国
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210054784/243-248
★AD20081010-08032-00116 ヨーロッパ連合から反キリストがでてくる
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210054784/261-266

プロテスタント福音派−正統信仰者の集い:PART2
★AD20070201-07007-00078 卑弥呼と、雄略天皇の果たした国家統一 
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/992-995
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1109041772/962-969

87でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/16(火) 16:57:27 ID:tiOWe5Z.
きょうもいい天気でちゅ〜〜

先日のレスのなかで→AD20081202-08044-00128 >>77-81→「携挙」にちゅいてふれまちたが、
実は「携挙」していただく時期にちゅいて2つの説があるんでちたよねぇ。
ひとちゅは「艱難前」にしていただけるという説、もうひとちゅは「艱難後」なのでちた。
今の僕ちゃんはどちらの説がただちいのかよくわかりまちゃん。

「●世界終末預言について」のなかで紹介している、
3冊のご本の著者の先生はみな、艱難前携挙説をとっておられまちゅ。
          ↓
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/729/1210054784/282
          ↓
●改訂新版 「これからの世界情勢と聖書の預言」 高木慶太先生 芦田拓也先生
●近づいている世界の終焉  高木慶太 先生
●「いつキリストは再臨されるか」  山岸 登 先生

いっぽうで『子羊の王国』いのちのことば社刊の岡山英夫先生、
またレムナント出版の久保有政先生などは、艱難後携挙説をとっておられるようでちゅ。

いじゅれにしろ、信仰によってイエス・キリストちゃまの救いにあじゅかった、
僕ちゃんたちクリスチャンにとって、終わりの時、神ちゃまが約束してくだちゃっている大切な事柄でちゅ。
お祈りして、イエス・キリストちゃまの再臨をいちゅまでもお持ちしていたいものでちゅよねぇ。
そのときには主の御前にふさわちいものでありたいものでちゅ。
ほんとアーメンでちゅ!!!

●携挙
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E6%8C%99

●再臨(携挙)って何ですか
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4738/QA.htm#1000

88名無しのひつじさん:2008/12/17(水) 11:20:55 ID:p7mjrdgY
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教がおこり、
不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」(テサロニケ2章3節)
この背教について考えてみましょう。
(この項は、ダラス神学院発行の論文誌ビブリオセカ・サクラ1957年発行
 114巻・第453番・ケネス・S・ウエスト師の論文を参考にいたします。)

「この「背教」のギリシャ語はアポスタシアです。そしてそれには冠詞が付いています。
さてアポスタシアの原形の単数能動態はアフィステミです。これはアポとイステミの合成語です。
イステミの本来の意味は、立たせる、建てる、置く、据える、(役に)任じる、動かなくする、などです。
それにはアポという接頭語が付いて意味が、離して置く、取り除く、遠ざける、移す、となったのです。
この語自体には背教という意味がないのです。」
 
つぎへつづく

89名無しのひつじさん:2008/12/24(水) 12:44:08 ID:tiOWe5Z.
>>87よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

ですからⅠテモテ4章1節「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、
ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」
では、この語は「離れる」と訳されており、「信仰から」ということばを必要としているのです。
この聖句以外でも、このアフィステミという語は新約聖書の次の箇所ですべて「離れる」と訳されています。
ルカ2:32、4:13、13:27。使徒2:10、15:38、19:9、22:29。
Ⅱコリント12:8。Ⅰテモテ4:1、4:2。Ⅱテモテ2:19。ヘブル3:12。
アポスタシアには背教という意味もありますが、
それは本来の「離れる」という意味から派生した二次的なものです。

つぎへつづく

90名無しのひつじさん:2008/12/25(木) 12:40:06 ID:p7mjrdgY
●Rapture(携挙) - End Times
http://www.godtube.com/view_video.php?viewkey=7e18e50b58eb7e0c6ccb&page=1&viewtype=&category=mv
       
■作品説明
 この動画は聖書が説明しているところの「空中携挙」、つまり、全世界が終末を迎える直前、
 キリストが天から再臨するときに、地上のクリスチャンが一瞬のうちに、
 不死の体になり空中に持ち上げられてキリストに会うという出来事を指しています。
 この動画の最初のほうには、聖書が、現在進行形で説明している世界の終末について様々な状況を取り上げています。
 終盤になって、キリスト教の講演の最中、突如、多くの参会者が忽然と消える模様が表現されていますが。
 これが、近未来に起こる「携挙」状況です。
 無論、こうした講演会だけでなく、道路上でも飛行機でも、船上でも、全世界の至る所で、
 大失踪事件が起こるはずです。実際、このときのために、アメリカの航空会社では、
 ノンクリスチャンを機長とするようにとの社命が出るほどです。
 キリストの存在も、また復活の事実も信じられない方々にとって、終末に起こる事件はなおさら信じられないでしょう?
 でも、アメリカ人の多くがこの事件についての知識を持っています。あなたはどうお感じになりますか?

91Rapture(携挙) - End Times:2008/12/25(木) 12:41:13 ID:p7mjrdgY
>>90よりつづく

■根拠となっている聖書の箇所
1テサ 4:14〜5:3
 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
 それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、
 死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
 それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
 このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。
 ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

■鑑賞上の注意
 1分28秒のところで突然大きな音がして参加者がいなくなる場面があります。
 心臓の弱い方は要注意!

92でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/26(金) 17:56:08 ID:p7mjrdgY

★★>>69-72 >>77-91よりちゅじゅくでちゅよ

僕ちゃん、いまお勉強ちゅうでちゅけど、
個人的には「艱難期前携挙説」かなぁ、って思っていまちゅ。

僕ちゃんたちクリスチャン、もちろんイエス・キリストちゃまの救いにあじゅかった、
信仰に歩む人たちだけでちゅけれど、終わりのときには、ちゃんと、
神ちゃまに携挙していただいて、イエス・キリストちゃまとともに、
神ちゃまのお国を受け継ぐことになりまちゅ。
ほんとアーメンでちゅ!!!

93でちゅ☆ぺぬえる:2008/12/31(水) 15:31:27 ID:s2dcyQG2
きょうもいい天気でちゅ〜〜

スピリチュアル関係の本を読んでいるとでちゅねぇ、
宇宙人が僕ちゃんたち人間を助けてくれる、
地球が危なくなったら、宇宙船に乗せてもらえるとか、
そんなことを書いてるものをみかけまちゅ。
ほんと宇宙人っているんでちょうか?
聖書からはいるともいないとも判断できまちぇん。
なじぇなら聖書は地球のことしか書かれていないからでちゅ。

しかし、神ちゃまが宇宙人でないことだけははっきりしていまちゅ。
なじぇなら神ちゃまは被造世界そのものすべてを創造されたお方だからでちゅ。
でちゅからもち宇宙人がどこかのお星にいたとしたなら、
その宇宙人も神ちゃまの創造の賜物−僕ちゃんたち人間とおんなじ被造物ということでちゅよ。
そちて、被造物である以上、神ちゃまではない。
しゅなわち、宇宙人は崇拝の対象にはならない、ということでちゅよ。
宇宙人が僕ちゃんたち人間の神ちゃまのまえに犯してある罪を償うことはできないし、
死んだ人たちをすべて復活させることもできなければ、栄光の体に変えることもおちょらくできない、
そういうことがおできになるのは、神ちゃま−イエス・キリストちゃましかいない。
ゆえに、携挙してくださるのは神ちゃまであって、宇宙人ではないのでちゅよ。
ニューエイジムーブメント・アセンションブームには注意を払いまちょう。

ほんとアーメンでちゅ!!!

94名無しのひつじさん:2009/01/05(月) 15:10:53 ID:tiOWe5Z.
>>88-89よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

さて次に、そのⅡテサロニケ二章三節のアポスタシアに冠詞が付いていることについて考えてみましょう。
冠詞があるということは、その「アポスタシア」が何か特別なものであることを示しています。
さらにそれはその「アポスタシア」には先行詞があることを、
あるいはその意味を限定する句が先行していることを示します。
その「アポスタシア」に先行している句は
「私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められること」です。
すなわちこの「(その)アポスタシア(離れる)」とは教会の携挙のことです。
ですからⅡテサロニケ二章三節は「(教会の)携挙があり、不法の人、
すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」であるべきなのです。

95名無しのひつじさん:2009/01/05(月) 17:24:01 ID:eUYeEKH6
あ〜キモ( ̄〇 ̄;)またでちゅが書き込んでる。誰も読まないのに。

96名無しのひつじさん:2009/01/06(火) 12:33:27 ID:taPIsFPg
>>88-89よりつづく >>94よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

英語のアポスタシィ(背教)はこのギリシャ「アポスタシア」から出て来た語です。
それで英語を使っている人々は、ギリシャ語のアポスタシアに英語の意味を読み込んでしまう傾向があります。
不幸にも英語欽定訳ができたとき、翻訳者はこの語を本来の意味から外れて、背教と訳してしまったのです。
しかし1500年代の他の英語訳聖書にはこの語は「背教」と訳されていません。
さらにこの聖句は、教会の携挙の後に、にせキリストが現われ、その後に艱難時代が始まると教えています。

このように新約聖書の全書簡はキリストの再臨がいつでも、予告なしにありえることを、
しかも艱難時代が始まる前にあることを明瞭に教えています。
使徒たちのすべて、新約聖書の書簡の著者たちすべてはキリストがいつでも再臨しえることを信じ、
キリストの再臨を待望していたのです。

97名無しのひつじさん:2009/01/07(水) 10:24:41 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

ではなぜキリストは今まで再臨されなかったのでしょうか。その理由はわかりません。
しかしキリストは再臨することがおできにならなかったのではありません。
今から百年前でも再臨しえたのです。
だが私たちに明らかにされていない何かの理由で再臨されなかったのです。
「主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。
 かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、
 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
キリストがいつでも再臨することがおできになるということは、再臨の前に特別な事件が起きる必要もなく、
またそれを予告する前兆も必要ではないということです。
すなわち終末にあるすべての事件に先立って空中再臨(教会の携挙)があることを意味します。
もし教会が艱難時代の一部、あるいは全部を経験するというならば、
キリストの再臨を待望するということは艱難時代を待つことと同じ意味になります。

98でちゅ☆ぺぬえる:2009/01/25(日) 21:02:55 ID:p7mjrdgY
きょうもいい天気でちゅ〜〜
ジュ○リーノという人の「予言」ほんとじぇんじぇんあたらないでちゅよねぇ。
まぁ、あたらないということは、あのお方のする「予知・警告」が、
間違いなく「預言」ではないということ。神ちゃまからのものではないということでちゅよ。

神ちゃまからのものであれば、必ず実現しまちゅ。
聖書が良い証拠でちょう。聖書の「預言」はすべて現実のものとなっているのでちゅから。

あ〜〜、でちゅけど、まじゅはアメリカちゃまの新しい、
第44代の大統領ちゃまの就任をお祝いしなくてはなりまちぇんよね。
おめでとうごじゃいまちゅでちゅ!!!
第43代の前大統領ちゃまも立派な福音信仰をもって、破滅の種を未然に摘み取り、
民主化を推進して、より良い地球社会の建設に努めてこられまちた。
神ちゃまの御手とちて、アメリカちゃまは精一杯のお働きをされてきたことを思いまちゅ。
きっと第44代の新大統領ちゃまも、第43代、またそれまでの大統領ちゃまとおなじように、
神ちゃまによって立てられたお国、アメリカちゃまにふさわちいお働きをしてくだちゃることでちょう。
聖書のお国、アメリカちゃまは神ちゃまからいただいてきたさまざまなチャレンジの場に、
ひるむことなく立ち向かってきた勇敢な、そちてなにより信仰篤い神ちゃまのお国でちゅ。
前にもいいまちたでちゅけど、僕ちゃんは楽観的でちゅ。
アメリカちゃまが再起できなければ、そのときこちょ、この世の終わりの始まりなのでちゅから。
正統なキリスト教信仰を継承するプロテスタント福音主義−福音派のみなちゃんならおわかりでちゅよねぇ。

ただ、ひとちゅ心配ごとがありまちゅ。
第44代の新大統領ちゃまは、イ○クから軍を撤退されるようでちゅが、大丈夫なんでちょうか?
もちろんテロの主戦場であるアフ○ニスタンに軍を増派されるのは正しい方策でちょう。
でちゅが、イ○クは、神ちゃまからいただいた聖書の預言においても、終末の主戦場ともされる地域でありまちゅ。
もちろん、あのあたりに、アメリカちゃまの影響力を行使できるようにしておければいいんでちょうけれども。
イ○ンしかり、北○鮮しかり、ほんと前途多難ではありまちゅが、就任演説でも言われていたように、
きっと、第44代大統領ちゃまも、にらみをきかちて世界の平和と安定を守ってくれることをお祈りしたいと思いまちゅ。
ほんとアーメンでちゅ!!!

99クリスチャンウシシ:2009/01/28(水) 05:20:32 ID:DEufIE56
 教会で聞いた事ですか゛クリスチャン乱交と言う言うクリスチャンだけのイベントが開催されているらしいです。是非参加したいので詳しい事教えてください。

100クリスチャンウシシ:2009/01/28(水) 08:34:03 ID:DEufIE56
 おはようございます。木村 尊師と言う牧師先生カトリックの先生教えて下さい。

101クリスチャンウシシ:2009/01/28(水) 08:45:12 ID:DEufIE56
 後、木橋 学先生と言う牧師先生の事も教えてください。

102名無しのひつじさん:2009/02/09(月) 16:11:35 ID:l6VTH9BU
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

ということは、今艱難時代が迫っているからキリストの再臨が近い、という論法が成り立つことになります。
しかしもしその論法が正しいと言うならば、艱難時代が未だ迫っていなかった第一世紀のクリスチャンたちが
キリストの再臨を日々待望していたことは間違いであったということになります。
そしてそれは現在でもキリストの再臨を日々待つことの否定になります。
しかも、さらに重大なことは、そのような間違いを教えた使徒たちの書簡は信用ならないということになります。
それは聖書の神のみことばとしての権威の問題となり、私たちは信仰の土台を失うことになります。
使徒たちも、また使徒たちの教えを受けた第一世紀の信者たちも、
この世に神の怒りが注がれる艱難時代の到来を待っていたのではなく、
その前に御自分の民をこの世から救い出してくださる主イエス・キリストが来てくださるのを待っていたことは、
すでに参照した聖句で明らかです。
「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、
 主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」(1テサロニケ5:9)
「というのは、すべての人を救う神の恵みが現れ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、
 この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、
 すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの
 栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。」(テトス2:11〜13)

103名無しのひつじさん:2009/02/09(月) 16:30:04 ID:taPIsFPg
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜より抜粋

★★★結論★★★
空中再臨(教会の携挙)は、予告、前兆なしに、いつ如何なる時にもありえることであり、
終末の全ての事件に先立って起こることです。
新約聖書はこのことをだれの目にも見間違うことがありえぬほど明瞭に、明白に教えています。
このことを否定することは神への冒涜であり、不敬虔であるのです。

「ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、
 あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
 もし死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。・・・
 そして、もしキリストがよみがえられなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、
 あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、
 私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
 しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、
 キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。
 まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、
 権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。」(1コリント15:12〜24)

104名無しのひつじさん:2009/02/12(木) 13:20:47 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102-103よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋

キリストの復活と再臨は絶対に切り離せない真理です。
それはキリスト信者の信仰の土台であるからです。
もし復活がないならば再臨もなく、再臨がないならば復活も意味がなくなります。
キリストの復活の事実は、私たちキリストを信じる者の肉体が、
キリストと同じ栄光の姿によみがえらされることを保証しています。
聖書は、キリスト者のからだがキリストと同じ栄光の姿に変えられることをからだの贖いと呼んでいます。
主は私たちのたましいの贖いのためだけでなく、からだの贖いのためにも十字架の上で死んでくださったのです。
そしてキリストの再臨の日こそ、私たちのからだの贖いの日であり、勝利の日です。
すべてのキリスト者はこの勝利の日を熱心に待ちわびています。

「朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、
『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。
 『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』
 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」
(1コリント15:54〜57)

さらに、「キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられた」ように私たちのからだの贖いも神の栄光の表われです。
神を愛するキリスト信者がこの神の栄光の表われを待ち望むことは当然であり、また健全なことです。
どの花婿が愛する花嫁を迎える婚姻の日を待ちわびないでおれるでしょうか。
キリストは御自分の花嫁である教会を御自分の住まいに迎える日を切に待っておられるのです。
ですからキリストを愛するキリスト者もすべて、キリストの再臨を切に待望しているのです。
そしてキリストの再臨を待ち望むキリスト者の心は、ますますキリストへと捧げられ、清められるのです。

105でちゅ☆ぺぬえる:2009/02/12(木) 15:59:18 ID:p7mjrdgY
きょうもいい天気でちゅ〜〜

僕ちゃんも信仰に歩むクリスチャンの一人とちて、いちゅの日か、お空の上に挙げられ、
栄光のおからだにちゅくりかえられて、イエス・キリストちゃまといちゅまでもいちゅまでも、
兄弟姉妹の人たちみんなでごいっちょに、暮らすときが約束されていまちゅことを、
楽しみに待ち望んでいたいと思うものでありまちゅ。

死んでいたとちても、ちゃんと信仰に歩んでいたクリスチャンは、
復活させていただけるのでちゅから心配いりまちぇん。
この地上でクリスチャンはみな、神ちゃまを賛美しちゅちゅ、
永遠の時を幸せに生きることを約束していただいてるのでちゅから。
ほんとアーメンでちゅ!!!

そうそう、パレ○チナの人たちはまじゅ、イスラエルちゃまにロケット弾を打ち込むのを止めるべきでちゅね。
そうしなければ、神ちゃまもお怒りになられてることでちょう。

106名無しのひつじさん:2009/02/12(木) 16:10:03 ID:???
うるせえよ。邪魔すんな。

107名無しのひつじさん:2009/03/26(木) 11:23:12 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102-104よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋

「キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」(第一ヨハネ3章3節)
 このようにキリストの再臨への待望はキリスト信者の世からの分離、聖別の強力な動機であり、献身への根拠であるのです。
ですからキリストの再臨への待望が薄れた時、キリスト教界は俗化し、キリスト教界が世俗化した時、
キリストの再臨への待望が薄れたことはキリスト教界の歴史が証明しています。
第十八世紀のキリスト教会が、キリストの再臨がいつでもありえること、そしてそれが切迫していることを
聖書によって再発見した時、一大覚醒を経験しました。
そして多くのキリスト者が福音伝道のために故郷を離れて世界の果てを目指して出て行きました。
それによって世界伝道が大いに発展しました。
 さて現在はどのような時代でしょうか。まさに今はラオデキヤの教会が象徴する生ぬるい時代であり、
世俗化の大波が教会の中にまで押し寄せ、多くの教会はすでに飲み込まれてしまっています。
そして再臨の教理が非常に曖昧にされ、再臨が前兆なしに
いつでもありえるという聖書の教えが忘れられています。
この時にこそ、キリストの再臨の教理をもう一度聖書によって
確認することが緊急に要求されていると信じます。

108名無しのひつじさん:2009/03/26(木) 11:46:07 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102-104よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋
★再臨の教理
近代主義者たちは字句どおりのキリストの再臨を信じません。
しかし真にキリストを信じる者たちの中にも
キリストの再臨について幾つかの異なった意見があることも事実です。
ある者たちはキリストの空中再臨と地上再臨を区別せず、それらを一つの事とし、
艱難時代が終わった時にあると信じています。そして彼らの中にも二種類の意見があり、
キリストの再臨の後に千年王国があると信じる者と、千年王国の存在を信じない者たちがいます。
また教会が艱難時代の幾分かを経験し、その途中で携挙されると主張する人たちもあります。
 この書の目的は、聖書が、キリストの空中再臨が艱難期の前に起きると、
しかもそれはいつでも起こりえるのであり、それには前兆がないと教えていることを、
聖書によって証明することです。

この書が語ろうとしている終末についての見解は、一口で言えば艱難期前空中再臨、
艱難期後千年期前地上再臨説と言えます。
それを詳しく説明すると次のようになります。先ずキリストの空中再臨があり、
その時教会は天に携挙されます。これはいつあるか分かりません。
そのための前兆はありません。それはいつでもありえることです。
その後、艱難時代が始まるまでに艱難時代の準備のしばらくの期間があります。
その長さは、数ヶ月であるのか、数年であるのか分かりません。
しかしその準備の時があることは聖書から判断されます。その準備が終わった時、七年間の艱難時代が始まります。
その艱難期の直後、キリストの地上再臨があり、少しばかりの準備の時の後に千年王国が始まります。
千年王国が終わった時、旧創造の世界は一度、消し去られ、
神は新しい天と地を創造されます。それは永遠の新創造の世界です。
 もしそれらを聖書が語っていないなら、これを信じることは全く虚しいことです。
ですからこれが聖書の教えていることであるかどうかを、
ベレヤの信者のように聖書によって十分にチェックする必要があります。
どこそこの聖書学校の教授がこう言った、だれそれの意見はこうだ、ということは全く無駄なことです。
この学びは時間的順序に従って進めて行きます。

109名無しのひつじさん:2009/03/26(木) 12:07:32 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102-104 >>107-108よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋
★キリストの空中再臨、教会の携挙
先ず第一に、キリストの再臨には二種類あることを知らなければなりません。空中再臨と地上再臨です。
空中再臨は教会を天に引き上げるためにキリストが空中まで下りて来られる、教会のための再臨です。
ですからこれを(教会の)携挙とも呼びます。地上再臨とは、神がアブラハムと結ばれた契約に基づき、
イスラエルの民のために神の国を実現させるためにキリストが地上に下って来られる、
イスラエルの民のための地上への再臨です。先ずこの二つを混同したために、
再臨についての多くの間違った解釈行われ、混乱を与えています。
 空中再臨では、キリストは御自分の教会を地上から引き上げて、
御自分の住まいに迎え入れるために予告なしに、天から空中まで下りて来られます。
ですからこの再臨を、地上再臨と区別するために、空中再臨と呼ぶことにします。
空中再臨がいつあるかは全く分かりません。
第一世紀のクリスチャンもその後のクリスチャンもすべて、
キリストがいつでも再臨することがおできになると信じ、熱心に待っていました。
空中再臨のために予告も前兆も全くありません。
それでは、空中再臨には前兆がない、
いつでもありえるということについて聖書をしらべましょう。

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、
あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ14章2〜3節)
★解説 
四福音書の中で、主イエスが教会を御自分のおられる所にいつでもおらせるために
再び迎えに来られると約束されたみことばが記されているのはこの聖句だけです。
福音書の中の他の聖句はすべて地上再臨について語っています。
主イエスが教会を天に引き上げるために再び来られるための必要条件は、
御父の家に御自分の花嫁の場所が備えられることだけです。

110名無しのひつじさん:2009/03/26(木) 12:23:31 ID:p7mjrdgY
>>88-89よりつづく >>94 >>96-97 >>102-104 >>107-108よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋

「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。
 あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、
 私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。」(ローマ13章11節)
★解説
「今は救いが」の救いとは、ピリピ第三章二〇節が語っているように肉体の贖いのことであり、
私たちがこの地上から救い出されて天に引き上げられることです。
そしてその時が「今」なのです。使徒パウロは
キリストの再臨を今にもありえることとして信じ期待していたのです。

「その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、
 また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、
 最後まで堅く保ってくださいます。」(第一コリント1章7〜8節)
★解説
コリントの信者たちは、主の再臨を今直ぐにでもありえることとして熱心に待っていたのです。
聖書では「主の日」とは、主日(日曜日)を除いて、
常に「主が支配される日、主のさばきの日」を意味しており、艱難時代の全体、
あるいは艱難時代が終わった直後の主の地上再臨、あるいは主の地上再臨後の千年王国を意味しています。
また「主イエス・キリストの日」、「主イエスの日」
あるいは「キリストの日」は主の空中再臨の日を意味しています。

111知井隆一:2012/07/05(木) 10:05:38 ID:EyNUevbU0
2030年イエスの空中再臨です。
その時、クルスチャンだけ、携挙する。
2030年から2037年まで、7年間、患難時代です。
前半3年半、ラッパを吹く
後半3年半、鉢を流す。
2037年、イエスの地上再臨です。
場所は、オーリブ山に再臨です。
その後、1000年王国です。
1000年に過ごしたらサタンを解放して試みる。
サタンは負けて火の池に投げた。
その後、永遠の命になる。


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