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ジュセリーノ預言について語るスレ
107
:
名無しのひつじさん
:2009/03/26(木) 11:23:12 ID:p7mjrdgY
>>88-89
よりつづく
>>94
>>96-97
>>102-104
よりつづく
●艱難期前携挙説の根拠について−「いつキリストは再臨されるか」山岸 登先生 エマオ出版刊 P32〜 P4〜より抜粋
「キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」(第一ヨハネ3章3節)
このようにキリストの再臨への待望はキリスト信者の世からの分離、聖別の強力な動機であり、献身への根拠であるのです。
ですからキリストの再臨への待望が薄れた時、キリスト教界は俗化し、キリスト教界が世俗化した時、
キリストの再臨への待望が薄れたことはキリスト教界の歴史が証明しています。
第十八世紀のキリスト教会が、キリストの再臨がいつでもありえること、そしてそれが切迫していることを
聖書によって再発見した時、一大覚醒を経験しました。
そして多くのキリスト者が福音伝道のために故郷を離れて世界の果てを目指して出て行きました。
それによって世界伝道が大いに発展しました。
さて現在はどのような時代でしょうか。まさに今はラオデキヤの教会が象徴する生ぬるい時代であり、
世俗化の大波が教会の中にまで押し寄せ、多くの教会はすでに飲み込まれてしまっています。
そして再臨の教理が非常に曖昧にされ、再臨が前兆なしに
いつでもありえるという聖書の教えが忘れられています。
この時にこそ、キリストの再臨の教理をもう一度聖書によって
確認することが緊急に要求されていると信じます。
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