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化学物質過敏症についての掲示板

1NATROM:2008/09/09(火) 19:26:54 ID:l07eR0mg
化学物質過敏症に関する覚え書き
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/CS.html

化学物質過敏症についての掲示板(URL:ttp://tcup7009.at.infoseek.co.jp/natrom/bbs)が2008年9月いっぱいで使用できなくなります。新しく別の掲示板を借りるほどアクティブではないので、進化論と創造論の掲示板3の一スレッドとして再開します。

(多種類)化学物質過敏症や臨床環境医学について科学的、懐疑的な観点から議論する掲示板です。化学物質過敏症に限らず、天然物/人工物のリスクの過小/過大評価についてもご意見をおよせください。

150mortan:2013/05/12(日) 01:00:29 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>136

>>試しに、PAMを静注してもらったことがあるのですが、てきめんに意識が明晰に戻ったことがありますので、おそらく有機リン農薬中毒症状もへいはつしていたものと思われます。

>試しにPAMを静注するというものなかなかすごい医師ですが

私の書き方がわかりづらかったようです。

「試しに」打ってもらおう、打ってもらうことができるはずだから、と判断したのは、私です。

それで、当然、静注ですから、急性有機リン農薬中毒と診断し、点滴の本数を処方したのは、いうまでもなく医師です。

その時は、相当、普通の状態ではありませんでした。

>(本当にPAMだったのかな?)、

当然です。カルテにも書かれましたが、アンプルのラベルの表記も筒数も、意識が遠い状態でしたが、私自身のことですので、自分で確認しました。

>PAMで症状が改善したのは有機リン農薬中毒症状であったという可能性以外に、プラセボ効果であったという可能性もあります。

その可能性はないですね。

当初は、北里研究所病院(化学物質過敏症の診断・治療の予約が半年待ち状態なので)の処方の方針に従ってもらえる市井の医院で、アスコルビン酸とグルタチオンの点滴を定期的に受けていましたが、残念ながら、何の変化も感じませんでした。

(家族からすると、少しずつ元気になっているように見えるとは言われますが、私としては、冷徹で恐縮ですが、それはただの励ましの言葉に過ぎず、本人の自覚症状としては、直ちに体調の変化を感じられるような種類のものではないように感じました。)

本当は、この段階では治りたい一心で、北里への絶大な信頼と、強い期待感と、親密なラポールもありましたので、プラシーボ効果がもし出るなら、ここで、効果を発揮するはずですね?

ところが、PAMは、血中に入ってしばらくすると、大昔のそれこそ、馬用の注射器のような、ぜんそくの気管拡張剤を注入してもらった時のように、てきめんに、意識が明晰になり、体はすぐには元には戻りませんでしたが、運び込まれた時ほどではなくなっていました。

ただ、PAMは、副作用がものすごく、日常生活を別の意味で不可能にするくらいのだるさ、というか、もろもろの不調が出ますので、極力、避けたいですが。

>>「私が反応する物質は、どこにでもあるような、つまり、どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではありません」という主張と矛盾するように思います。

>>なるほど。お詳しいんですね。

>というか、mortanさん自身が、「ホームセンターでも販売されているペット用用品や園芸用品に、ネオニオチノイド系の殺虫剤のが含まれている」と書いているではありませんか。

いえ。お詳しいんですね、と言ったのは、それらの薬剤(おそらく購入の際には記名したりするタイプだと推測しますが)をホームセンターで販売できる薬剤と含有量などを管理している管轄局の許可基準とともに、農水省と全農がおそらく所轄しているであろう(詳しくは知りません)農薬の販売・流通についての双方について、お詳しそうだったので、そう言っただけです。

私はそこは門外漢ですので、きっと、そちらが農耕地域か何かで、服毒や誤飲などに対応するために、薬事法と共に、救急救命の対処法などを含めて、ご存じ、ということかと推察した次第です。

>そのカーペットの使用終了日は特定の限定的なある日ですが、その日から苦痛はぴったり止まりました
>記憶の上書きがあったのかもしれません。よくあることです。どちらにしろ客観的な証拠にはなりません。

そうですね。こちらのメモと、2階の方の購入記録(レシート)は一致すると思いますが、それも、NATROM氏にとっては、「客観的材料」としては採用しない、というスタンスですね。
あくまで、化学物質過敏症は否定したい、という立場ですからね。信じられないことですよね。というか、ここで、私の、立言を信じてしまったら、今までの苦労が一瞬にして水の泡になりますからね。それは、よく、わかります。
裁判などの物証としてはもちろん有効なものだとは思いますが。

151mortan:2013/05/12(日) 01:24:21 ID:e7MRQzJU
>>137

>>提唱者と出典を教えていただけますか?

強いて出典を揚げるならば、認知バイアスのなかの確証バイアスに分類されるでしょう。
地震雲なんかが典型的ですね。
こちらは「原因探し」ではなく「結果探し」になりますが。
心理学としてはごく基本的な部類に入りますので提唱者は特定されていないと思います。
出典は、日本語でわかりやすいものなると、たとえば『不思議現象 なぜ信じるのか―こころの科学入門 菊池 聡 (著)』などがいいと思います。

理解しました。
コミュニケーション論での「原因帰属バイアス」というジャーゴンは知っていましたが、不勉強のためか、「原因探しバイアス」「結果探しバイアス」という言葉は、初めて聞きました。

あまり、ほかの書籍や論文では見かけませんね?
英文でならピンと来るものがあるでしょうか?

いずれにしても、上記された菊池先生の著書の中で提示されている「認知バイアス」「確証バイアス」という観点・視点から、
NATROM氏が、独自に、ご自身の研究を進められ、化学物質過敏症の否定論の強力な根拠として使用されるため、
これらの用語を拝借されて、「原因探しバイアス」なる用語をお作りになった、という理解でいいでしょうか。

その定義と、対象とする範囲は、どの分野のどの領域などに設定されましたか? 教えてください。

>確証バイアスについてはP24〜、記憶の不正確さについてはP50〜です。

なるほど、そちらにつきましては、およその概念の推測は付きます。

>>NATROM氏へのこちらからの質問には答えがまだ返ってきていないものがありますね。

>mortanさんの書き込みは長文で

なるほど、長文であることは認めざるを得ません。
しかし、学的に、より厳密に、誤解が生じないように<記述>するためには、この方法しかどうもなさそうです。
なかなかHAIKUのようにはいきません。

>曖昧で私にとっては無意味なものが多いため、

ここは理解を超えた発言でしたので、驚いています。
掲示板の書き込みとしてはですが、可能な限り厳密に、精細に、詳述してきたつもりですが、
例えば、私が<記述>してきたディスクールのどこに、そういう「あいまい」で「無意味」な部分がありましたか。

現象学的記述に徹してきたつもりの私としては、不覚にも、厳格性、厳密性から離れて論じてしまった部分があったのかもしれません。

どの部分かご指摘ください。
さらに、厳密に<記述>させていただきます。

なお、理解できない部分があった、ということでしたら、遠慮なく言っていただければ、よりくだいた方法で、再記述のチャレンジをしてみます。

>見落としがあるかもしれません。

そうかもしれないと思い、今回、【質問1】から【質問10】まで、はっきり判別できるよう、整理させていただきましたので、
それぞれの10の質問に、一対一対応する形で、答えていただければと思います。(そもそも、設問に対しての「解」とは、そのようにして、記述せられねばなりませんよね?)

>>ところが、NATROM氏に受診した患者は、「化学物質過敏症」の概念自体が受け入れられていませんから、患者の主訴自体を、無意識に変形させて記述してしまう、ということは起こり得ませんか?

>まあ、統合失調症が疑われる患者の主訴を変形して記述するように、「超微量の化学物質の暴露によって症状が出た」という患者の主訴を変形して記述する、なんてことは起こり得ますね。

なるほど。主訴は主訴として記述するというのが診察の義務だと思いますが、主訴はきちんとカルテに書かれた後、それについてのコメントなり、診断なりをカルテに書き残される、ということですね。ここは法律的な事なので、厳密にお聞きしました。

>>【2】客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには、二重盲検法による負荷試験を行うしかない。

>>なるほど。それは同意します。
>>人体実験ですので、壁はあるでしょうが、いずれは研究されなければならないでしょうね。

>「いずれは研究されなければならない」ではなく、既に研究されて、ネガティブな結果が出ているのです。「化学物質過敏症に関する覚え書き」はお読みにならなかったので?

NATROM氏の立場および論述は理解しています。
納得はしていませんが。

152mortan:2013/05/12(日) 01:54:42 ID:e7MRQzJU
>>138

>>>【3】これまで複数行われてきた負荷試験はいずれもネガティブな結果であった。

>>ネガティブというか、プレーンな結果ではなかったですか?

>逆にお尋ねしますが、どんな結果が出たら「ネガティブ」とmortanさんは判断されるので?
>mortanさんがどうお考えになっても自由ですが、医学界のコンセンサスは、プレーンではなく、ネガティブな結果です。

そうですか。見解を認識しました。

>>NATROM氏の公式見解として、
>>「化学物質過敏症はきわめてまれに存在し得る疾病である」
>>という結論をいただけて、頼もしい限りです。

>mortanさんは論理的に考えることが苦手なので、

ここは、ジョークの所ですね?

>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。

いいえ。
「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
「Aである」と同時に「Bである」ということです。

これは数学でも、法律(契約)の叙述法でも同じだと思います。

ああ、もしかして「もしくは」というのは、数学的、学的に厳密な意味ではなく、日常用語の用法のような形で使われたのですか?

>>NATROM氏としては、それでは、
>>「アレルギーが原因として、突然、神経系がなんらかの誤作動、あるいは、正常だが過剰な反応を引き起こして、化学物質過敏症として、病態が慢性化することは絶対にあり得ない」
>>という立場に立たれている、ということで、いいのですね。

>いいえ。「絶対にあり得ない」ことを証明するのは不可能ですから。「きわめて考えにくい」とか「証拠はない」とか「他にも合理的な説明はつけられる」とか、そういう立場です。

お立場を認識しました。

>>つまり、私が、倒れる演技をしたり、ふらつく芝居をするメリットは
>>まったくない状況です。
>>というと、NATROM氏は、おそらく、私がその場に居たくなかったから、
>>そのように振る舞った可能性があるとか言われるのでしょうか?

>普通にパニック障害とか、てんかんとか、一過性低血圧とか、低血糖など、別に化学物質過敏症以外の疾患でも説明しうる病態だと思いますが。

いいえ。CTも取りとりあえず脳に異常はなく、パーキンソン病でもなく、そのほかの精神疾患であるという診断はされていません。

>これ聞こうかどうしようか迷うところですが、mortanさんは精神科に受診したことはありませんか?
>何か病名はつきませんでしたか?

もちろん、最初は「化学物質過敏症」という病態があるとは知りませんでしたので、精神科や心療内科にも行きました。
結論は、病名なしです。
一言、北里研究所病院でしか検査できないから、そちらにいってください、と言われました。
紹介状は、かかりつけの呼吸器科に書いてもらいましたが。

>もし、これまで精神科に受診歴がなければ、一度受診してみることを強くお勧めします。

おそらく、NATROM氏は、そこを疑われる(人格的な意味ではなく、病理学的に)と思いましたので、

>>46
>>>45
>>ちなみに、そちらが誤った認識・解説をしないためにあらかじめ言っておいた方が親切だろう。
>>私の、柔軟、かつ、明澄な<意識>、言い換えれば、認知神経系において、「訂正不能な確信」など存在し得ない。
>>なぜならば、科学的態度とは、修正し、訂正しつつ、真理に近づくものだからだ。
>>また、今、現にある現実世界と矛盾する妄想や幻覚・幻聴などはない。
>>これは確かに他者には証明しにくい内的な事柄だが、通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない、といえば十分だろうか。
>>ただ、反応する物質に暴露する時に、倒れてしまう、ということ以外は。

と釘を刺しておきましたが、それこそ、かなり前の書き込みで、長文の中に埋れて、読み飛ばされたのでしょうか。

・認知神経系において「訂正不能な確信」がない。
・現実世界と矛盾する妄想や幻覚・幻聴などはない。
・通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない。

と、少しぼやかしていますが、こう書けば、何を意味しているのか、臨床医なら、お分かりになるとばかり思ったのですか?
まさか、精神医学上の諸定義の説明などは、私からは必要ないですよね?

153mortan:2013/05/12(日) 02:21:38 ID:e7MRQzJU
>>139

>>【質問1】憶測の仮説ともいえない机上での、似非科学者ぶった作文での、ヤブらしい診断無視、問診無視の予断ありき、の「結論」を公表した、この緑色のサイトの表現について「恥ずかしい」という感覚は本当にないのか?

>憶測の仮説であるというのが間違っている。
>似非科学者ぶった作文というのも違う。
>「ヤブらしい診断無視」というのはむしろ臨床環境医たちの主張である。
>そんでもって、「化学物質過敏症に関する覚え書き」の表現については、まったく「恥ずかしい」という感覚はない。

見解を認識した。

>>【質問2】目の前に現に、患者の苦痛を伴う一連の反応群が、再現性をもって存在するという事実を、どういう思考的欺瞞をもって、目をそむけ続けられているのか?

>「患者の苦痛を伴う一連の反応群が、再現性をもって存在する」というのが事実であることは認めている。その反応が、必ずしも化学物質の暴露よって起こっているとは限らないと言っているだけである。

なるほど。そこは理解した。

>よって、「患者の苦痛から目をそむき続けている」という指摘自体が事実誤認である。

それは了解した。
ということは、そちらに「化学物質過敏症」だと思われる症状でで日々苦しんでいるのですが、という患者が診察室に現れた場合は、NATROM氏は、抗うつ剤か精神安定剤を処方されるのだろうか。
それは、何を根拠に?

>>【質問3】「もしこのような疾患が本当にあるのであれば、なんらかの対策が必要です。しかし、「多種類化学物質過敏症」という疾患は、医学界では公認されていません。」という、いかにも、化学物質過敏症の対策が必要だと主張するかに見せておいて、実は、言いたいことは、後半部分に隠してあるという、初歩的な詭弁(マインドコントロールに頻繁に使われている論理のすり替え)について、これは、意図的に記述した「詐欺」的な論法なのか?
>>あるいは、無意識のうちに本音がにじみ出てしまった誤謬論法なのか?

>既に何度も指摘しているが、普通の日本語を初歩的な詭弁であるとmortanさんが勘違いしているだけである。

それは根本から間違った認識である。

もし、こう言うなら、いた仕方ないが、許そう。

「確かに、論理学的には、詭弁と受け取られてもしかたのない論法で、何気なく、普通の文章として書いてしまった。今後は、詭弁論法と読み間違えられないように、その箇所を適切な文章に書き直そう」

>NATROMのほうが間違っているというのであれば、ホームページでもなんでもつくって、NATROMが「初歩的な詭弁」を使っていることを宣伝されるがよかろう。多くの読者が「なるほど、NATROMは詭弁を用いている」と理解すれば、mortanさんの目的は達成されるであろう。

前の書き込みに答えた通り、私は、個人的活動に関しては、ホームページなどを公開しない方針なので、残念ながら、それはできない。
ただ、普通に論理学を学んでいる学部生でも、気づきそうなものだとは思うが、そこは認識が違う、ということで、平行線になるところだ。

>(私としては、mortanさんがいくらホームページをつくって主張したとして、たいていの読者はNATROMが詭弁を用いてないことなど理解できるであろうと考える)。

どう主張されようと、論理学的に、詭弁論法に酷似している事実は覆い隠せない。
老婆心だが、化学物質過敏症の病理概念と真っ向からぶつかるつもりなら、こういう「穴」は埋めておいた方がいいのではないかと思われるが、どうか。

ただ、NATROM氏の憶測する通り、訪問者のほとんどが、その論理が隠れされているということには気づかないだろう。

だからこそ、たちが悪いわけで、初歩的な詭弁論法とは指摘したが、「マインドコントロール」とか「詐欺だ」とは断定はしていない。というのは、この程度の論理の過ちで、そう断言できるものではないからだ。
もし、そうなら、学生のリポートのほとんどを「詐欺」だと言わなければならないだろう。

繰り返すが、こちらは、「マインドコントロールに頻繁に使われている論理のすり替え」があるが、「これは、意図的に記述した「詐欺」的な論法なのか?」と聞いただけだ。

=続く=

154mortan:2013/05/12(日) 02:25:11 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>139

>>【質問4】読者、特に、日々、多種多様な反応症状に苦しんでいる化学物質過敏症患者をバカにしていること甚だしいと思われるような、この程度の論理表現のサイトを書いておけば、多くの愚昧な大衆はだましおおせるとでも、本気で思っているのか?

>むしろ逆で、医学的、論理的な思考が苦手な読者にはご理解していただけないかもしれないと危惧している。
>大学教養部レベルの教育を受けた人の多くには、私のサイトの内容は理解できるであろう。

もちろん理解できるだろう。
問題は、それを読んで熟考した人たちが、NATROM氏と同じだと「化学物質過敏症・否定論」の立場に結果として立つかどうか、ということだ。

>既に指摘したが、医師も含め、研究者その他の方からも当サイトを読んだいただいたが、特に大きな批判は受けていない。

はあ、そうですか。

>>【質問5】もしNATROM氏が医師であるなら、真剣に向き合い、謙遜と冷静さをもって、その主訴に耳を傾けることこそ、本来の「問診」であり、診断・治療の模索のスタート地点となる重要な、病という<現象>そのものではないかと思われる。その診察態度の基本姿勢について、場合によっては、医師としての社会的・倫理的「資格」が根底から疑われなければならないことになると思われるがが、これについて、どのような見解を持たれるか?

>患者の主訴については「謙遜と冷静さをもって、その主訴に耳を傾けること」は重要であるが、それと同時に、患者の主訴を客観的に評価するのも医師としての責任である。たとえば、統合失調症の患者の訴えについて、「謙遜と冷静さをもって、その主訴に耳を傾けること」と同時に、その訴えは事実ではなくて妄想である可能性について評価するのが正しい診察態度である。

それについては異論はまったくない。

統合失調症の方のカウンセリングをする機会があったが、幻覚・幻聴と訂正不可能な確信にある程度、付き合わざるを得ず(否定したら、また大変な状況になるので)
医師は処方を済ませて、その場で別れるのだからそれでいいだろうが、一緒にい続ける、例えば、家族は大変な状況に巻き込まれてしまうだろうなとは感じた。

155mortan:2013/05/12(日) 02:50:06 ID:e7MRQzJU
>>140

>>【質問6】多くの化学物質過敏症患者を含む訪問者にとって、反論できない形で、未確定・不完全な情報に基づくホームページを一方的に立ち上げて、あたかも、一介の「科学者もどき」っぽい理屈めかした主張をネット上で主張し、広げて行けば、それで、あたかも「真理」なるものが醸成できるとでも思っていること自体が、片腹痛いが、「真理」の発見、そして検証は、そのように安易に、俗論に訴えるような形では絶対、なし得るものではない。世論を味方につけることで、自分の思った通りの見解を押し通そうとし、それとは異なる(本人にとっては「矛盾する」と錯覚している)事実自体、化学物質過敏症と称さなければ説明がどうしてもつかない<現象>そのものを否定しようとしている、卑劣極まりない、科学者の風上にも置けない存在だと感じる。そんな安直な、思索、思考、想像力、分析力、総合判断力では、そして、真の意味での、本質直感、現象学的還元の絶え間ない格闘なしには、到底、病者の痛み、化学物質過敏症という病態の<現象>自体には、決して肉迫することなどできない。つまり、患者を、医療を、医学を、科学を、そして、目の前に起きつつある事実としての<現象>をなめている、としか思われないが、この意見について、自らの立場から反証せよ。

>「反論できない形」というのは事実無根である。mortanさんが今現在行っているように掲示板で反論可能である。

理解した。私の著作物である書き込みを含めた、基準を満たした多くの書き込みが、今後も永続的に、将来にわたって、一方的な理由で削除されないのである限り、「反論」を受け入れる余地は保証されていると認識した。

>「未確定・不完全な情報に基づく」というのはmortanさんの主観に過ぎない。

その立場を認識した。

>また、「真理」なるものが醸成できるなどとは思っておらず、単に医学界のコンセンサスを伝えているだけである。

認識した。

=続く=

156mortan:2013/05/12(日) 02:50:38 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>140

>「化学物質過敏症と称さなければ説明がどうしてもつかない<現象>」については既に論じたとおり、患者が主観的にそう思い込んでいるだけで、客観的には化学物質過敏症の疾患概念を用いなくても説明可能である。

認識した。
ただ、もう、主客二元論、や、認識論と存在論、認識と存在について、再び論じるのは、重複になるので、ここでは避けるが、
「説明が可能であると診断すること(認識)」と、「その病態が事実、ありのままにある、そのこと(存在)」とは、違う、ということくらいは、わかるであろうか?

実は、まさに、これこそ、人類史の中で常に絶え間なく追求され、その答えを探求され続けてきた「認識」のかなたにある「存在そのもの」との間隙である。
フッサールが、事象そのものへという思いを持って、その理論を精緻に組み上げてきた、まさに、「認識」と「存在」の問題はなのだ。

>「医療を、医学を、科学を、そして、目の前に起きつつある事実としての<現象>をなめている」というのは、既に論じたように、臨床環境医たちであろう。
>というかですね、「科学者の風上にも置けない存在だと感じる」とか、「到底、病者の痛み、化学物質過敏症という病態の<現象>自体には、決して肉迫することなどできない」とか、既に質問じゃないですよね。
>この掲示板のやり取りを読む物好きがいたとして、おかしな人だと思われるかもしれないとか思わないんですか?

それは、読まれた方が、公平公正な立場で、それぞれの視点から、判断されることだ。
私は、世界地平で、同時代をともに生きるそれらの方々の、<良識(コモンセンス)>に信頼している。

>>【質問7】
>>この疑惑について、そうではないというなら、反証せよ。

>既に反証した。

>>109
mortanさん以外の人にはご理解いただけるものと思う。「いいや、NATROMは詭弁を呈している」とお思いなら、ホームページでもなんでも作って宣伝してくださっても結構だ。

残念ながら、それは論理学的に対して、「普通の文章なんだから、これくらいの筆の滑りは許して」とただ、言ったに過ぎない。
論理学的な立証にはなっていない。

これについては、こちらの体調がもう少し良くなってから、それでは、さらに、誰にでも、もっとわかりやすく書けそうなら、チャレンジしてみよう。

(ちなみに、この書き込みを書いている私は、ただ普通の健康な状態で書いていると思っていませんか? 通常では想像し得ない苦痛が、全身にある中で、自分自身に課せられた使命だと思って、苦しみを超えてタイプしている。ミスタイプも増えてきている)

157mortan:2013/05/12(日) 02:56:06 ID:e7MRQzJU
>>141
>>【質問8】

>化学物質過敏症とされるような患者さんについて「医学会全体をかけて探求、研究しなければならない重大な事柄である」というのは確かにその通りであり、実際に探求、研究されている。「化学物質過敏症」という病名がついていないだけで。客観的には明確な異常所見が認められないが、身体的・精神的な苦痛を訴える疾患群については常に議論されている。『化学物質過敏症を治療すること自体が「主流ではない」と読者に印象付けるような論法が隠されている』については、臨床環境医たちが主流でないのは詭弁でもなんでもなく単なる事実である。

そちらの見解を認識した。

>>【質問9】

>>NATROM氏は、「科学的に不正確な記述が散見され、あるいは十分な科学的根拠のない主張がなされている」と決め付けているが、
>>実際は、その書籍では、化学物質過敏症の機序が明らかに解明されていない今、患者さんの<今、ここにある苦痛>から解放してあげられるなら、そのような方法もある、という切実な思いをもった、臨床医の立場としての、患者の立場に立った言葉でしかない。
>>それについて、上記のような「読後感想文」を提示することで、あたかも、化学物質過敏症の存在自体を、非=科学的であると主張できるのだ、とどのような根拠で、思い込むことができるのか、その根拠を示せ。

>臨床環境医の主張が非科学的である根拠は「化学物質過敏症に関する覚え書き」で既に提示してある(mortanさん以外の方には概ね理解していただいている)。「非科学的な方法であっても患者さんの苦痛をとるためなら非科学的な方法もあり」という議論はありうるが、実際のところ、必ずしも患者さんの苦痛はとれていないどころか、苦痛を増していると思われる事例もある。

見解を認識した。

>>【質問10】

>「日本の医学界で認めてもらえるとでも意図しているように感じられる」もなにも、主流の医学会の見解を述べているだけであるから、ことさら「日本の医学界で認めてもらえる」ことを目標にする必要はない。臨床環境医のほうこそ、医学界で認めてもらうように努力したほうがいいのではないか。

見解を認識した。

158mortan:2013/05/12(日) 03:51:36 ID:e7MRQzJU
>>142

>【1】「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない

「原因探しバイアス」の定義と領域が示されない以上、何とも答えようがない。

というか、アレルゲン探索と同様、化学物質過敏症患者が、自らの身体の苦痛から逃れるために、仮説と失敗を繰り返しながら、時には、自分自身の行動変容を伴いながら(食事の変更や、引っ越しなど)、その苦痛を伴う反応の「原因を探索」するという作業、というか、日常的行為は、極めて、理にかなった、普通の、防衛反応だと思われる。

それを、たかだか「原因探しバイアス」などという「造語」(ですね? 今のところ、出展と主唱者の明示がないので)ごときで、苦痛から逃れることの現実生活に強いられるやり場のなさを「否定」することなど、まったく不可能である。

その上で、言われているように、「それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない」と言いたいという意図は理解する。ただし、なぜ、あくまで、その意図に固執しなければならないか、については、まったく理解できないし、同意できない。

>>【2】
>客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには、二重盲検法による負荷試験を行うしかない。については同意いただけたわけですね。

それ以外の有効な試験法が開発されない現時点では、その方法は有効だと考えられる。

ただ、アレルギー皮下注射テストのように、検査による負担が皮膚の限定した部分であるというなら、被験者の安全を確保できるが、
一つの反応物質を吸引するだけで、意識喪失し、倒れてしまうということが起きる場合は、次の試験には、同じ条件では移れなので、その点を加味して、公平正確なデータを計測できるような工夫が必要だとかんがえる。

=続く=

159mortan:2013/05/12(日) 03:52:59 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>142

>>【4】
>よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。という主張には反論はないようですので、お認めになったと考えていいですか?以下の主張には同意できますか?

あなたのこの文章を論理学的に分解すると(文法的に分解すると、という非科学的、非数理的な話ではない)

--------------------------------
よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しない

または

(化学物質過敏症が)存在したとしてもきわめて稀であると言える。
--------------------------------

と分解できることは理解できるだろうか?

>という主張には反論はないようですので、お認めになったと考えていいですか?以下の主張には同意できますか?

ということで、「反論はないようですので、お認めになったと考えていいか」という質問は、意味をなさない。

上記のように、論理的に分解できる二つの事柄は、NATROM氏は公言したことになる。

つまり、

A「NATROM氏は、現時点では、化学物質過敏症は存在しない」と主張している。

と同時に(数学的な「または」で結合した文ですから)

B「NATROM氏は、化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀であると言える、と主張している」

そして、A または B 真偽を確認すると、Aも、Bも、両方とも、真である。

従って、
B「NATROM氏は、化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀であると言える、と主張している」

という文章を、意味を変えずに、誰にもわかりやすく並べ替え、

C「NATROM氏は、きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在すると主張している」

と言い換えただけですが?

A も B もともに真であると同時に、Bをただ言い換えただけの同じ文意(主張)の C もまた真でなければならない。

論理的にみて、当然ではないですか?
何か、おかしいことが起こっていますか?
もしかして、理解が及びませんか?

>>【5】
>「これまで複数行われてきた化学物質過敏症の存在を証明しようとする負荷試験はいずれもネガティブな結果であった」というのが(mortanさんがどう考えるかはともかくとして)医学的なコンセンサスである。

認識した。

=続く=

160mortan:2013/05/12(日) 03:53:34 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>142

>>【6】
>「化学物質過敏症は存在しないか、または、存在したとしてもきわめて稀である」であれば、臨床環境医たちの診断は「全部不適切」であるか、または「ほとんどが不適切」である。

それは論理学的にまったく間違いです。
同じことをもし言いたいなら、こう言わなければなりません。

--------------------------------
化学物質過敏症は存在しない<真>
または、
化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀である<真>
(この主張が真であるなら、上記の二つとも真でなければならない)

であれば、

臨床環境医たちの診断は、

i)化学物質過敏症は存在しない<真>の場合

すべてが不適切である<真>

ii)化学物質過敏症がまれに存在した場合<真>

すべてが適切である<真>
--------------------------------

です。わかりますね?
高校生でもたぶんわかると思います。


>>【7】
>「客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには二重盲検法による負荷試験を行うしかない」以上、負荷試験を受けていない人が『私自身は、どう見ても、「真性の」化学物質過敏症、です』と自己申告したところで、その主張は客観的には正しいとは言えない。

「客観的」と言ってしまったことで、すでに、医学において、医療において、臨床の現場において、「客観的」とは何か、という根本的な問いが、提示されてしまった。

この問題について、すでに何度か語ってきたが、もし、本気で答えを求めているなら、以下の著作に当たりなさい。

まずは、「主客二元論」からの脱却のために、フッサールから読みなさい。

<身体性>という視点を得たいなら、メルロ・ポンティを読みなさい。

変わったアプローチになるが、実存主義的に、精神疾患を捉えたいなら、R・D・レインを読みなさい。

その上で、精神科医でもあるポスト構造主義的なアプローチの必要を感じたらジャック・ラカンを読みなさい。

ジル・ドゥルーズ(哲学者)とフェリックス・ガタリ(精神科医)の協働思索による問題解決が必要になったら、ドゥルーズ=ガタリの共著を読みなさい。

そうすれば、あなたも、<他者>である「患者」を、ただの「客体」「客観視するモノ」「即自存在」としてではなく、
同時代に、世界内存在として、同じ受苦を持って、この世界地平に存在する、「主客二元論」を超え得た、新たな知のエピステーメーへといざなわれることだろう。

そうして、医療の現場に向かうあなたは、もはや、ただの「認識」するものから、「対自意識」として、共時的に、患者の意識と存在そのものを<記述>し、解放へと導く、新たな使者として、その現場に立つことになるだろう。

161mortan:2013/05/12(日) 11:08:21 ID:e7MRQzJU
NATROMさん、あなたは
議論や討論はされたことがありますか?
(もちろん日々のサージカル・カンファレンス以外でですが)

正直言うと、「あ、この人、主=客二元論、物=心二元論だよ」という
視点を垣間見せてしまった瞬間から、「この人、何時代の人だよ(現代の問題に渡り合うための共時性の地平を獲得していないという比喩です。決して社会進化論に立った、古い人・昔の人差別ではありません。つまりは、ドン引きされたという意味のジョークです)」と取り合ってくれなくなるか、逆に、議論なら、
歴史的にすでに視点問題としては破綻してしまっている、そこのポイントに
集中砲火される目に遭うことになると思いますので。頑張ってください
(あるいは、すでに、そういう場面に遭遇されて、痛い目に合われていますか?)

162mortan:2013/05/12(日) 12:23:02 ID:e7MRQzJU
>>161

>歴史的にすでに視点問題としては破綻してしまっている、そこのポイントに

もちろん、その現代の重大な喫緊の課題について、NATROM氏ほか臨床医「個人」に負わせては非常に酷な話ですね。

「主客二元論」の超克の問題、ものそれ自体へと近づく新たな<存在論=認識論>の創出へと至る、知のエピステーメーへの不断の戦いの責務を負うべきなのは、我々、自然科学者、人文科学者、社会科学者、経済学者その他の知を結集しての、総体としての絶え間ない学的議論の積み重ねであるわけですから。

163mortan:2013/05/12(日) 16:12:16 ID:e7MRQzJU
今、少しざっと調べてみましたが、確かに、医学界で、主客二元論をテーマにした、あるいは触れられた論文は少ないように見受けられました。
(見落としがあったら、教えてください)

ただ、それは、必ずしも、医学界が前近代的システムである、ということではなく、
おそらく、医師(診る意識=主体=Subject)と患者(診られる存在=客体=Object)という、旧態以前の構図が動かし難く現前と存在しており、
なおかつ、対象物である病理について、医師の方が圧倒的情報強者となっており、患者の方が情報弱者である、というその「病院」という近代的なシステム自体に内包する構造だと思われます。

であるならば、イヴァン・イリッチの『脱病院化社会医療の限界』 などがその突破口の可能性を指し示しているでしょうか?

ただ、近年の、看護学などを中心とした、患者へのエンパワーメントの視点は、その間隙を埋めつつ、新たな、老いや病と共存する社会システムの構築の可能性を感じさせます。

ぜひ、生理学者や病理学者をはじめとした基礎医学部門、臨床医学部門、および、衛生学などの社会医学部門からの問題提起とともに、医学会、臨床医などの現場からの問題提起にも期待したいところです。

ただ臨床医学分野においては、目前にある患者の傷病に可及的速やかに対応しなければならないという喫緊の業務に日々、追われていることと思いますので、そうした、学的基礎について省みたり熟考したり思索を深めたりする時間が取れないだろうということも理解しています。その意味では、医師の職務の改善についても広く社会的な問題として捉え、考えなければならないことでしょう。

とはいえ、医学の基礎学問からは、医師―患者に典型的に現れている「主客二元論」をどのように超克するシステムを将来に向けて構築のするか、という、医療行為全体の総合デザインは提起されてきているのではとも思います。

「化学物質過敏症」について考える上で、どうしても、この「医師(病院)」
と「患者(日常生活)」との、主客乖離の問題、患者の病理実態を、医師会側がどう捉えるのか、どのような検査を実施して、さらに健康な社会を構築することに寄与するのか、という問題は避けて通れないように思われます。

164mortan:2013/05/12(日) 16:22:48 ID:e7MRQzJU
>>163
>イヴァン・イリッチの『脱病院化社会医療の限界』
→イヴァン・イリッチの『脱病院化社会 医療の限界』 でした。
それは些細な修正ですが、以下、重大な事を落としていました。

>ぜひ、生理学者や病理学者をはじめとした基礎医学部門、臨床医学部門、および、衛生学などの社会医学部門からの問題提起とともに、医学会、臨床医などの現場からの問題提起にも期待したいところです。

というのは、まさに当然の期待ではありますが、厚労省や政府の、今後の、保険制度の問題も含めた、社会福祉システムをどのように進めていくのか、という、くにづくりに関わる医療政策、医療行政の問題を視点から落としてはいけませんでした。

国、行政、医師会を挙げて、化学物質過敏症を含めた、新たに社会生活に悪影響を及ぼしつつある疾病の、病態解明、原因究明、薬剤開発などを含めた一貫した一連の対応策を、今後もぜひ協議し、実施し、豊かな社会づくりへのプロセスを進めていただきたいと念願します。

165mortan:2013/05/12(日) 19:26:41 ID:e7MRQzJU
>>111
>ネオニコチノイドについては、中毒による症状があるかもしれないし、ないかもしれませんが、化学物質過敏症とは別枠で考えた方がいいと私は思います。化学物質に対する耐性については個人差がありますので、mortanさんの自覚症状がネオニコチノイド由来である可能性は必ずしも否定はできないと思いますが、mortanさん以上にネオニコチノイドに曝露する農家の方々でかような症例を聞かず、一般的には哺乳類に対する毒性は低いとされていることから、

ところで、そう言えば書き漏らしていたと思いますが、私は、この大穀倉地帯の出身ではありません。

農家の方で無事育ってきた方たちは、もしかして子供の頃から耐性を獲得しているのかもしれません(あるいは私たちには分からない病変などが実は隠れているのかもしれませんが…)

まず、赴任先がまずかったというか、巡り合わせなだけなのですが、
日本で、つまり、世界で最も濃厚にネオニコチノイド農薬が使用されている、
あの有名なU産コシヒカリの地域でした。

そこは豪雪であること以外は、想像以上に開発されていて住みやすく、国立大学もあります。
そこに住むことになったのは、車でも新幹線でも、東京にも新潟にもほぼ同時間で行ける中間地点だったためです。

ただ、そのうち、新潟での仕事に専任するようになって、新潟市に引っ越し、
そうこうしている数年のうちに、発症してしまった、というわけです。

ですから、発症原因が、除草剤なのか、農薬なのか、ほかの消毒薬なのか、
確かに、NATROM氏の言われるように「原因探索」の結論は出せない状態です
確かなことは、間違いなく、多種化学物質過敏症(MCS)としか表現できない
さまざまな苦痛を伴う症状を示すようになったことです

ぜんそく歴が長く、気管支粘膜が肥厚しているため、何らかの形で、
農薬が血中や、認知神経系に、入り込んでしまったのかもしれません

最初は、新潟と東京を車で行き来して仕事を何とかこなしていましたが、
発症後は、新潟での仕事は1週間に1日にと、やりくりしてもらって、
東京に居を定め、発症後も、新潟と往復しながら、病気と闘いつつ、
結局、東京での講義中心の生活に戻った形です。療養にもなって感謝です。

東京では、近郊花き生産地や、狭山の茶畑などに近づかなければ、
ほとんど農薬の影響はありませんが、それでも、家庭菜園や家庭園芸で
間違って、というか、良かれと思って、ネオニコチノイド殺虫剤を使っている
家庭があるようで、そういうところでは、車の中で、倒れてしまいます。

公園や街路樹でいうと、ツツジとサクラが厳しいですが、
何か特殊な消毒などをしているのでしょうか?

それで、どなたか化学物質過敏症の掲示板で、私の書きっぷりで、症状が軽そうに見えたのか、うらやましいと言っていた人がいましたが、
多分ですが、おそらく、外で働けているその方よりも、私の方が、反応の重症度、反応の頻度、反応物質の種類、食べ物の制限(無農薬のもののみ)などからみて、重度なのではと感じています。(その人の気持ちはもちろん十分わかります)

もっと重症の人は、おそらく寝たきりで、ネットにも向かえず、何も書き込めない状態だと思います。
なぜ、分かるかといいますと、私がそのおそらくボーダーライン、あるいは、本来は書き込みなどできる体調ではないのに、無理やり使命感のみで書いている、という状態だからです。キーボード作業だけは慣れているので。

少し前に、ホームページもブログも立ち上げない方針だと伝えましたが、実際は、それを継続する気力、体力がないというのも現実です。

化学物質過敏症の、発症原因・発症機序が早急に解明され、薬効ある薬剤が開発され、多くの患者さんの苦痛が早く少しでもやわらぐよう、求めたいと思います。

166mortan:2013/05/12(日) 19:41:47 ID:e7MRQzJU
>>165
>あの有名なU産コシヒカリの地域でした。そこは豪雪であること以外は、想像以上に開発されていて住みやすく、国立大学もあります。

すみません。訂正します。
直接関係がなく、分野も違い、隣町にあり、海外からの奨学金留学生や
国費留学生のような外国人が非常に多かったため、今までてっきり国立とばかり思い込んでいました。
今、Wikipediaであらためて調べたら私立なのに、国レベルの交換留学を進めていたんですね。外国人が非常に多く、田舎町という雰囲気とは少し違う印象でした。

私にとっても、農薬でのだるさや頭痛がなければ、豪雪も体験できたし、外国人と友達にもなれたし、最高の町だったのですが。

167mortan:2013/05/13(月) 02:56:37 ID:e7MRQzJU
【質問11】「化学物質過敏症」患者が、自らの苦痛を取り除くために、無意識また意識をもって自己防衛するため「原因探索」し、その「原因を排除」し「原因から回避」することは正当で自然で、しかも苦痛の回避からは当然の行為であると私は判断するが、
その行為が不当で、無意味なものであり、その結果、得られる「原因」は、「素人」である患者が行ったものであるがゆえに無意味で蓋然性がなく、むしろ「専門家の医師から見て、素人である患者自身が行った原因探索と除去には、因果関係が疑われる」ということを立証するために、
NATROM氏は数度にわたって「原因探しバイアス」という用語・概念を使用して来た。

それで、何度か、その用語の提唱者と出典について質問したところ、NATROM氏は、「強いて出典を揚げるならば、認知バイアスのなかの確証バイアスに分類されるでしょう。地震雲なんかが典型的ですね。こちらは『原因探し』ではなく『結果探し』になりますが。心理学としてはごく基本的な部類に入りますので提唱者は特定されていないと思います。出典は、日本語でわかりやすいものなると、たとえば『不思議現象 なぜ信じるのかこころの科学入門 菊池 聡 (著)』などがいいと思います」と答えた。

ところが、コミュニケーション論での「原因帰属バイアス」という述語はよく使われるが、「原因探しバイアス」という言葉は心理学分野の論文などでもあまり見かけない。

そのため、化学物質過敏症・患者による「原因探索行為」の不確定性を否定する使用するための「根拠」として、NATROM氏が、菊池先生提唱の「認知バイアス」「確証バイアス」という概念を援用・流用し、しかも「原因探索」の不当性をことさらに強調するために、独自に「原因探しバイアス」なる用語を造語したという疑義が消えていない

「その用語の定義と、対象とされる範囲・領域」についての質問にも答えておらず、ただ、前述著書から「確証バイアス」「記憶の不正確さ」についてのみ出展と提唱者が示されたのみだからだ。

「アレルゲン探索」と同様、化学物質過敏症・患者自身が、自らの身体の苦痛から逃れるために、仮説と失敗を繰り返しながら、時には、自分自身の行動変容を伴いながら(食事の変更や、引っ越しなど)、その苦痛を伴う反応の「原因を探索」するという日常的行為は、極めて、理にかなった、普通の、防衛反応だと思われる。

それを、たかだか「原因探しバイアス」などという用語で、苦痛から逃れることの現実生活に強いられるやり場のなさを「否定」することはできないと考えるが、いかがか?

また、あらためて聞くが、「原因探しバイアス」という用語は、化学物質過敏症の患者の「原因探索」を否定するために都合よく、NATROM氏が独自に、既存用語を援用・流用・変形させた「造語」ではないか、と疑うが、いかがか?

質問のポイントをまとめると、以下の通り。

1)「原因探しバイアス」いう用語ごときで、化学物質過敏症の「原因探索」行為自体の有意性を否定したり、探索された原因物質と反応物質との因果関係自体を否定したりできないはずだが、どうか?

2)そもそも「原因探しバイアス」とは、化学物質過敏症の「原因探索」自体の意義を否定するために、NATROM氏が作り出した「造語」ではないか?

168mortan:2013/05/13(月) 03:00:50 ID:e7MRQzJU
【質問12】
>>159 で証明された結果から、

「NATROM氏は、きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する、と主張している」

という命題は「真である」と言わざるを得ないはずだが、いかがか?

169mortan:2013/05/13(月) 08:01:02 ID:e7MRQzJU
【質問13】次の「原因探索」のトリックをあばいてください。
--------------------------------
1)一人の人が3階に住んでいました。

2)それまでは通常の苦痛はあるとはいえ、何とか暮らしていました。

3)ところが、ある日、居ても立っても居られない体調になりました。

4)特に、1階に庭園がある側を開けると、意識喪失し、全身痛が起こりました。

5)そのため、部屋でも防毒マスクフィルターマスクをしていました。

6)それでも、それ以上、部屋にい続ける自信がなかったので(苦痛に耐えられないため)車で飛び出し、避難しました。

7)まず、症状がきわめて有機リン殺虫剤のものに似ている体感覚があったので、病院に行き、診断の結果、PAM点滴をすると、少しは意識が戻りました。

8)ただし、それでも残る苦痛があり、ネオニコチノイド殺虫剤のものに似ていると感じました。

9)それから1〜2週間、車中泊で、避難生活をしました。

10)入院は消毒薬があるため、避けました。ホテルはリネンの柔軟剤で泊まることができません。ネットカフェはたばこなどで入ることができませんでした。

11)食事は、水と、無農薬のものを家族に運んでもらいました。

12)ところが、あの建物で、こういう農薬に反応することはあり得ないと感じていました。
1階にある庭園では、殺虫剤は使わないようにさせますと、その家族である2階の親切な人から言われてきたからです。
しかし事実、部屋に戻れず、しばらくして車でも近づいても、戻るのは無理と感じ、避難生活は長期にわたりました。

13)それで、1階の庭園を管理している人に、2階の親切な人に、私の家族から、主人がこういう状態になって車中泊で避難しているのですがと、理由が理由なので、恐縮しつつ、「もしかして、庭園で、殺虫剤などは、まかれませんでしたか?」と聞いてもらいました。

14)ところが、2階の方は親切な人で、私が化学物質過敏症で、農薬中毒であることをよく知って、理解されていたので、1階の家族には、そのことを伝えて、できるだけ3階まで届かない種類の殺虫剤を使い、半径1キロに蒸散されるとされているネオニコチノイド殺虫剤は使わないようにと、家族に言ってあります、と答えが返ってきました。

15)それで不思議に思いつつも、車中泊を続けていました。意識が戻ってからは、体に不調はありましたが、ネットでできる仕事に集中していました。

16)そうこうするうちに、2階の人から家族には電話がかかってきました。
私の体を配慮して、1階の家族に、これとこれとこの殺虫剤は絶対に使わないでねと言って、倉庫にしまってあったそうです。
ところが、1階の家族の方が、高齢のこともあって、毎年の習慣で、それらの取り出してきて、実は、使ってしまっていました、というのでした。

17)1階の方が庭園に殺虫剤をまいた日は、私が苦しみ始めた日とまさに同じその日です。
もちろん、私は、そのスプレー散布、液体塗布の作業をしたそうですが、3階からはベランダがあり、庭園はわざわざ覗き込まないと見えませんが、
たばこなどを含む外気を避けて、いつも窓を閉めており、その位置では、庭園は見えにくいし、事実上、作業を見ていません。

=続く=

170mortan:2013/05/13(月) 08:02:35 ID:e7MRQzJU
=続き=

18)それで、たまたま、そのご家族の親戚の方が著名な園芸関係の専門家の方で、しかも、一方的に農薬メーカー側に立つことができない、公平な立場の人だったため、その方の指導の元、「これもダメだ、これもダメなやつだ」と、親切にも、原因となる差駐在を全て密封し、処理してもらったそうです。

19)その中には、有機リン農薬もあり、ネオニコチノイド成分を含んだ殺虫剤スプレーもあったそうです。

20)通常、有機リン農薬の蒸散距離は半径10〜100メートルで、3階に届くことは考えにくいのですが、風の影響で、届いてしまったのかもしれません。
散布(塗布)した濃度にもよるかもしれません。

21)蒸散距離半径1キロに及ぶネオニコチノイド農薬が3階に到達していたことは、想像できました。

22)一時は、原因不明の体調不良に、生きることをやめたいと決断するほどの全身の激痛が続きましたが、何とか、生きることを選ぶことができました。

23)殺虫剤なしで育てるのが難しい花の種類で、立派な庭園なのですが、今後は、親戚の園芸専門家の指導などで、自然系の殺虫剤なしでで、花を育てることに挑戦してみるということでした。

24)車での避難生活から帰ったらのは、1カ月くらいだったと思いますが(記憶がありません)、殺虫剤がある程度、蒸散し切っていることを確認して、帰宅しました。それでも、苦痛はしばらく続きましたが、車中泊の生活に疲れ果てていたため、部屋で寝込んで、療養することにしました。
--------------------------------

さて、問題です。この人とは、私は、mortanのことです。
NATROM氏が主唱する「原因探しバイアス」はどのように働いたでしょうか?

もちろん、殺虫剤は、無味・無臭です。
1階の人は高齢で使ったため、2階の人はまさかと思ったぐらいで、その事実は後で判明しました。

また、1年目の経験から、もうその殺虫剤は使いませんということでしたので、それを信じていましたので、つまり、当然、1階の人からも、2階の人からも、殺虫剤をまくという情報は事前に知ることができませんでした。

もちろん、事前に知ることができたら、相談しながら、著名な園芸専門家の親戚の方にも指導を仰ぎながら、自然系殺虫剤を使うなどの方策を共に考えたことでしょう。

<質問は、こうです>

1)私は、どういう「トリック」を使って、使っていないと思い込んでいる2階の人の思いを超えて、有機リン農薬とネオニコチノイド農薬の苦痛を身体に感じるということを通して、知ることができたのでしょうか?

2)私は、どういう「トリック」を使って、その苦痛が始まった日と、1階の方が庭園に静かに(大きめですが家庭庭園ですから)作業し始めた日は、完全に一致していますが(というのは、その作業をした日も特定の日であり、私が避難した日は記録してありますので)のようにして、その日付を一致してみせたでしょうか?

ということで、「原因探しバイアス」のような仮説で説明できるというなら、このトリックを解き明かしてみてください。どうぞ。

さて、日付が完全に一致したのは、前に紹介した「ネオニコチノイド成分入りペット用ダニ対策カーペット」以来、2回目です。

実は、こういうことは、当然、「原因探索」の過程で、日常茶飯事ですが、個人情報を含むため、その数十の例を全て提示するわけにはいきません。

ただ、あと数件なら、個人情報とは関係なく、さらに提示できる用意がありますので、その全てに、矛盾なく、答えていただくことができるか、拝見させていただきます。

171mortan:2013/05/13(月) 13:15:02 ID:e7MRQzJU
お忙しいことと思いますので、mortannからの投稿を整理します
NATROM氏がまだ反応しておられないレスは、
 「143」 からです。
内容は、NATROM氏からの「回答」に対する、mortannの「反証」です。
これらについて真摯な「見解」をお待ちしています。

なお、その中でも、
「167」には【質問11】
「168」には【質問12】
「169」「170」には【質問13】
が新たに提示されていますので、お答えください。
真摯な「回答」をお待ちしています。

172NATROM:2013/05/13(月) 13:16:08 ID:???
>したがって、<狐憑き>の<現象>に対して、現実的・医療的な対応ができる分野(精神科、か、心療内科か、その他)を紹介するとともに、その<現象> に対して、霊的に対応することができる(悪霊の追い出しの実践、訓練がなされ、実績においても、歴史においても、十分、検証されている、異端や、新宗教ではない、プロテスタント系の信頼できるちゃんとしたキリスト教会に行くことを勧めます。

私も同様に、mortanさんに、<化学物質過敏症>の<現象>に対して、(「霊的に対応」はともかく)現実的・医療的な対応ができる分野(精神科、か、心療内科か、その他)を紹介すればよかったのですね。


>その段階になってまで、化学物質過敏症についての非在性を証明しようとまではなさらない、という待ちの立場である、ということですね?

というか、「非在性を証明」は不可能です。いわゆる悪魔の証明です。不可能なことしようとするほど私は暇ではありません。


>さすがに、ここまで話せば、ご理解いただけますね?

いいえ。「mortanさんには論理的な思考をする能力に欠けている。話は通じない」と私は判断を下しつつあります。もっと正直に言いますと、「もしmortanさんが私の身近な人であったら、私はmortanさんに対して精神科医への受診を強く勧めるであろう」と認識しはじめております。最初に述べましたように、私はこれでも評判を気にするほうで、論理的に話している人に対して「論理的に考えろよ。精神科に受診すれば?」などと言い放ったら私の評判は地に落ちるでしょう。しかし、今回のケースではそのような心配はまったくしておりません。


>>PAMで症状が改善したのは有機リン農薬中毒症状であったという可能性以外に、プラセボ効果であったという可能性もあります。
>その可能性はないですね。

mortanさんがそう思い込んでいるだけですね。「プラセボ効果であったという可能性がない」という根拠が書かれていません。


>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>いいえ。
>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>「Aである」と同時に「Bである」ということです。

mortanさんが論理的な思考をする能力に欠けていることが読者にも一発でわかるよう、証拠として引用しておきます。「Aである」と同時に「Bである」は、「AもしくはBである(A or B)」ではなく「AかつBである(A and B)」です。

173NATROM:2013/05/13(月) 13:16:53 ID:???
>いいえ。CTも取りとりあえず脳に異常はなく、パーキンソン病でもなく、そのほかの精神疾患であるという診断はされていません。

器質的な疾患であればCTで除外診断はできますし、神経学的診察にてパーキンソン病の除外診断はできます。ですが、「そのほかの精神疾患」については除外診断はきわめて困難だろうと思います。「確定診断されていない」だけで除外診断がなされているわけではないか、あるいは(「血液検査では、農薬への耐性が弱いとは言われました」と同様に)mortanさんが誤解しているだけだと私は考えます。


>もちろん、最初は「化学物質過敏症」という病態があるとは知りませんでしたので、精神科や心療内科にも行きました。
>結論は、病名なしです。

精神科医がいったいどのような方法でパニック障害を除外したのかに興味があります。別の病名がついているものの、mortanさんにはそのことが告げられていないという可能性もありそうです。


>・認知神経系において「訂正不能な確信」がない。

mortanさんとやり取りした限りでは、mortanさんに「訂正不能な確信」があるかもしれないと私は判断します。「訂正不能な確信」を持った方は、『自分には「訂正不能な確信」がない』という「訂正不能な確信」を持つこともあるでしょう。


>・通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない。

少なくとも掲示板でのコミュニケーションでは著しく問題が生じていると私は判断しています。2ちゃんねるの書き込みをなんら注釈つけずに転載していたかと思うと、意味不明な長文を書き込む。客観的にどう見えるのかもご考慮されたほうがよろしいですよ。


>ということは、そちらに「化学物質過敏症」だと思われる症状でで日々苦しんでいるのですが、という患者が診察室に現れた場合は、NATROM氏は、抗うつ剤か精神安定剤を処方されるのだろうか。

ほとんどの場合は、処方しません。外来が混んでなければ症状について時間をかけて訴えを傾聴いたします。これで問題が解決するケースもあります。抗うつ剤か精神安定剤の処方が必要であるという病態だと判断すれば、自分で処方せずに、精神科医に紹介状を書きます。

174NATROM:2013/05/13(月) 13:17:24 ID:???
>前の書き込みに答えた通り、私は、個人的活動に関しては、ホームページなどを公開しない方針なので、残念ながら、それはできない。
>ただ、普通に論理学を学んでいる学部生でも、気づきそうなものだとは思うが、そこは認識が違う、ということで、平行線になるところだ。

あまりこちらの話が通じていないようなのではっきり言いますが、mortanさんとのやり取りは無駄であり、mortanさんの長文で意味のわからない投稿は迷惑であると私は認識しつつあるのです。「通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない」ような人であれば、「迷惑だからよそでやれ」と言われているのに気付きそうなものですが。


>>【1】「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない
>「原因探しバイアス」の定義と領域が示されない以上、何とも答えようがない。

「そりゃ、その通りですね」と>>122で仰っていますけど?いちいち指摘はしていませんが、mortanさんの主張は単に間違っているのみならず、相互に矛盾しているものが多いです(「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言いつつ「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」ものであったりとか)。定義と領域がどうとか言うなら、以下のように言いなおしましょう。

【1’】「確証バイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない。

確証バイアスについての一般的な定義や領域についても説明が必要ですか?


>その上で、言われているように、「それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない」と言いたいという意図は理解する。ただし、なぜ、あくまで、その意図に固執しなければならないか、については、まったく理解できないし、同意できない。

確証バイアスがあるのに、患者さん自身の体験談だけで、「我こそは真の化学物質過敏症である」などと主張する人がいるからですよ。


>A「NATROM氏は、現時点では、化学物質過敏症は存在しない」と主張している。
>
>と同時に(数学的な「または」で結合した文ですから)
>
>B「NATROM氏は、化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀であると言える、と主張している」
>
>そして、A または B 真偽を確認すると、Aも、Bも、両方とも、真である。

論理学についてごく基本的なこともmortanさんがご理解していないことを明確に示せて満足しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%92%8C

175NATROM:2013/05/13(月) 13:17:58 ID:???
>臨床環境医たちの診断は、
>
>i)化学物質過敏症は存在しない<真>の場合
>
>すべてが不適切である<真>
>
>ii)化学物質過敏症がまれに存在した場合<真>
>
>すべてが適切である<真>

臨床環境医が化学物質過敏症であると診断した患者群の(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば、臨床環境医たちの診断のほとんどが不適切であることは、高校生でもたぶんわかると思います。ラカンとかガタリとか以前の問題ですよ。


>NATROMさん、あなたは
>議論や討論はされたことがありますか?

ありますよ。証拠を示しましょうか?というか、mortanさんのほうこそあるんですか?あるとして、客観的にそのことを示せますか?


>【質問11】
>1)「原因探しバイアス」いう用語ごときで、化学物質過敏症の「原因探索」行為自体の有意性を否定したり、探索された原因物質と反応物質との因果関係自体を否定したりできないはずだが、どうか?

「原因探索」行為自体の有意性は必ずしも否定はしていません。探索された原因物質と反応物質との因果関係は否定できます(より正確に言えば、否定できるというより、『「原因探索」行為だけでは因果関係を肯定できない。別の証拠、たとえば盲検下負荷試験が必要である』ということである)。理由は(mortanさんがご理解できたかどうかはともかくとして)既に説明しています。


>2)そもそも「原因探しバイアス」とは、化学物質過敏症の「原因探索」自体の意義を否定するために、NATROM氏が作り出した「造語」ではないか?

説明のための「造語」です。内容は一般的な「確証バイアス」のことです。患者による「原因探索」行為が、患者の確信を強める理由にこそなれ(著しい場合はこの確信は「訂正不能な確信」となる)、化学物質過敏症の因果関係の証明にはならないことは自明なことです。ゆえに化学物質過敏症の疾患概念は、一部の非科学的な自称医学者を除いて、主流の医学界では受け入れられていないのです。この自明なことをわかりやすく説明するための用語ですよ。


>【質問12】

論理学の初歩を勉強してからまたおいでください。


>【質問13】

化学物質過敏症における典型的な「原因探しバイアス」で説明可能です。造語が気にいらないなら、確証バイアスで説明可能です。こういう例をいくら出しても、化学物質過敏症の疾患概念を証明したことにはならないのです。何度もそのことを説明しているのですが、mortanさんがあたかも「訂正不能な確信」を持っているかのようです。

176mortan:2013/05/13(月) 14:40:47 ID:e7MRQzJU
>>172
>>したがって、<狐憑き>の<現象>に対して、現実的・医療的な対応ができる分野(精神科、か、心療内科か、その他)を紹介するとともに、その<現象> に対して、霊的に対応することができる(悪霊の追い出しの実践、訓練がなされ、実績においても、歴史においても、十分、検証されている、異端や、新宗教ではない、プロテスタント系の信頼できるちゃんとしたキリスト教会に行くことを勧めます。

>私も同様に、mortanさんに、<化学物質過敏症>の<現象>に対して、(「霊的に対応」はともかく)現実的・医療的な対応ができる分野(精神科、か、心療内科か、その他)を紹介すればよかったのですね。

いいえ。典型的な論理の飛躍、または、論理のすり替えですね。
意図して、そうされているのですね。これまでの議論の仕方で、NATROM氏の立論の癖がわかってきました。

それは、あなたが設定した山田さんという方についてで、しかも、その山田さんが、現象学的還元によらずに、自分自身の実際の<存在>ではないものとして、自分自身を<意識>している場合(分かりやすく一般的な言い方に言い直しています)の対応を言っています。

それが、いつ、私、mortanの話にすり替わったのですか?

私、mortanの話でいうなら、山田さんの時と同じく、厳密・厳格に、私が、現象学的還元を経て、さまざまなイドラから乖離しているか、などの確認が必要です。

その厳格・厳密な<現象学的>作業を、いつ、どのように、されましたか?

>>その段階になってまで、化学物質過敏症についての非在性を証明しようとまではなさらない、という待ちの立場である、ということですね?

>というか、「非在性を証明」は不可能です。いわゆる悪魔の証明です。

なるほど。論理学はお苦手のようでも、その述語はさすがにご存じなのですね。

>不可能なことしようとするほど私は暇ではありません。

それは認識しました。

>>さすがに、ここまで話せば、ご理解いただけますね?

>いいえ。「mortanさんには論理的な思考をする能力に欠けている。話は通じない」と私は判断を下しつつあります。

なるほど。「話は通じない」ですか。正直ですね。面白い。

つまり、私が提示した、分かりやすいように、日常意識の比喩も交えながら、一つ一つ、説明した、論理学的な説明を理解できなかった、ということですね。

ただ、私は、「論理的な思考をする能力に欠けている」とは言いません。なぜなら、それは「能力」の問題ではなく、理解しようとする「意志」の問題だからです。

教育学で言うと何というでしょうか。少なくとも教育現場では、「やる気」「わかる気」があれば、わかるようになりますから、安心してください。

それでは、後で、論理の話はでてきますので、もう少し、ゆっくり、じっくり考えて見ましょうね。

=続く=

177mortan:2013/05/13(月) 14:41:43 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>172

>もっと正直に言いますと、「もしmortanさんが私の身近な人であったら、私はmortanさんに対して精神科医への受診を強く勧めるであろう」と認識しはじめております。最初に述べましたように、私はこれでも評判を気にするほうで、論理的に話している人に対して「論理的に考えろよ。精神科に受診すれば?」などと言い放ったら私の評判は地に落ちるでしょう。しかし、今回のケースではそのような心配はまったくしておりません。

あなたの診断パターンには興味がありませんし、ここでは関係がありません。

>>>PAMで症状が改善したのは有機リン農薬中毒症状であったという可能性以外に、プラセボ効果であったという可能性もあります。

>>その可能性はないですね。

>mortanさんがそう思い込んでいるだけですね。「プラセボ効果であったという可能性がない」という根拠が書かれていません。

なるほど。それでもいいでしょう。私は、殺虫剤吸入による嘔吐や激しい頭痛、錯乱、全身痛などの苦痛から解放された訳ですから、患者として、治ったなら、それでかまいません。

この時、生理食塩水でも治ったとお考えですか?
緊急の際に、そうすることは危険でしょうが、それで治るなら、プラシーボ効果でしょうね?

ところで、すでに書いたように、グルタミン酸とグルタチオンの溶液の点滴では、苦痛が急に改善したという感覚はありませんでした。慢性的に肝臓の解毒機能を助けるということだからでしょうか?

PAMの場合は、そのようなことを考える前に、身体ないで、パチンと効果があった、という実感がありました。
直前まで感じていた、嘔吐や激しい頭痛、錯乱、全身痛、などが治まったからです。

ただ、それをプラシーボ効果というなら、私は、別にそれでもかまいません。
苦痛から抜け出せるなら、それでもいいということです。

ただ、また機会があったなら、生理食塩水の点滴で、そういう薬効が生じるか、試してみるのもいいですね。
万一に備えて、聞かなかったら、すぐに、有機リン農薬中毒の中和剤を用意しておいて。

=続く=

178mortan:2013/05/13(月) 14:46:19 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>172

>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。

>>いいえ。

>>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>>「Aである」と同時に「Bである」ということです。

>mortanさんが論理的な思考をする能力に欠けていることが読者にも一発でわかるよう、証拠として引用しておきます。
>「Aである」と同時に「Bである」は、「AもしくはBである(A or B)」ではなく「AかつBである(A and B)」です。

「Aである」と同時に「Bである」と言ったのは、言うまでもなく、
「Aであることが真である」と同時に「Bであることが真である」
ということをいったのです。
それは、その後の、説明で、きちんと、一つ一つ、書きましたね?

それを、飛ばして、自分の都合の良い箇所だけを引用して、そこを追及する、というのが、どうもNATROM氏の癖のようですね。

非常に面白いです。それでは、わかりやすいように、例えで示しましょうか?

i)「AまたはBである」ことが真である場合(つまり偽りとしてではなく、公言された場合)

「私は日本人です」または「私は医者です」
このどちらも「真である」とします。わかりますか?
そうすると、「私は日本人です」ということも真です。
また、「私は医者です」といことも言うまでもなくともに真です。

ii)「AかつBである」ことは真である(つまり偽りとしてではなく、公言された場合)

「私は日本人です」かつ「私は医者です」
このどちらも「真である」とします。
そうすると、「私は日本人です」ということも真ですし、
同じく、「私は医者です」といことも真です。

問題は、日本人で意志出ない人、医者だが外国人の人が排除されたにすぎません。

あなたは、>>114で、こう言われました。これは、当然、偽りとしてではなく、自分が発言されていることが正しいと、つまり、真であるとして、公言されたわけですよね?

--------------------------------
【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。
--------------------------------

これは、二つの文に分割できます。

A)「現時点では、化学物質過敏症は存在しない」と言える。

または

b)「(現時点では、化学物質過敏症は)存在したとしてもきわめて稀である」と言える。

それでは、NATROM氏の言われた、この二つの文章をつなぐのは「かつ」ということですか?

意味がわかりません。

「存在しない」かつ「(稀にでも)存在する」という事象は、この宇宙法則の中では、あり得ない。

ここで排除されるものは何もありません。つまりφです。

この論理問題が、集合概念で解けないのは、ここに秘密があります。
つまり、こんな立言をする人はあり得ないのです。

ですから、あなたは、こう言ったです。

「存在しない」または「稀にでも存在する」と。

=続く=

179mortan:2013/05/13(月) 14:46:53 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>172

そして、これが、偽りのつもりで言ったのではく、真である、正しいことあると言ったのなら、

A)NATROM氏は、「現時点では、化学物質過敏症は存在しない」ことは真であるとして、主張した。

または

b)NATROM氏は、「(現時点では、化学物質過敏症は)存在したとしてもきわめて稀である」ことは真であるとして、主張した。

ということです。

もしかして、「または」が、日常でよく使われる用語なので、勘違いされましたか?

ですから、この問題について、論理学で、ご自分の主張を翻そうとすることは、学的は、つまり、理性では困難、というか、不可能です。

ただ、この余地は、私は、人間として残します。

--------------------------------
勢いで、

【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。

と言ってしまったが、こう言い換えたい。

【4】よって、現時点では、化学物質過敏症患者の多くは真性ではない可能性がある。ただし、稀に真性の化学物質過敏症患者も存在する。
--------------------------------

と。
そうされますか。そうであれば、今後は、
「NATROM氏は化学物質過敏症という病理概念は稀に存在すると主張した」というツイートはなくなるでしょう。

今後は、こう言われることになるでしょう。

「NATROM氏は稀に真性の化学物質過敏症患者も存在すると主張した」

と。

つまり、【4】で、NATROM氏が主張されたかったのは、

<単数であるところの>化学物質過敏症という病理概念について、それが存在するか、存在しないか、ということではなく、

<複数母集団があるところの>化学物質過敏症の<患者群>について、多くの場合はそれは「真正」ではないという理由で「存在しない」、しかし、その、<複数母集団>のうち、「真性」であると認められる化学物質過敏症<患者>は、あくまで「稀にではあるが」「存在」する、と言える。

ということですね?
ここまで、具体的に、教育的に、細かく分解して話せば、ご理解いただけましたか?

>>172 については以上

180mortan:2013/05/13(月) 15:33:33 ID:e7MRQzJU
>>173
>>いいえ。CTも取りとりあえず脳に異常はなく、パーキンソン病でもなく、そのほかの精神疾患であるという診断はされていません。

>器質的な疾患であればCTで除外診断はできますし、神経学的診察にてパーキンソン病の除外診断はできます。

はい。できます。

>ですが、「そのほかの精神疾患」については除外診断はきわめて困難だろうと思います。

はい。そうでしょう。

>「確定診断されていない」だけで除外診断がなされているわけではないか、あるいは(「血液検査では、農薬への耐性が弱いとは言われました」と同様に)mortanさんが誤解しているだけだと私は考えます。

そうかも知れませんね。
ですから、私は、周りの医学者の進言に従って、北里研究所病院での検査を受けたまでです。

>もちろん、最初は「化学物質過敏症」という病態があるとは知りませんでしたので、精神科や心療内科にも行きました。
>結論は、病名なしです。

>精神科医がいったいどのような方法でパニック障害を除外したのかに興味があります。

それは、患者である私にもわかりませんが、おそらく、反応が限られていること、また、東京にいる時と、新潟にいる時では、はたから見ていて、明らかに違う反応(症状)を示していることを、追跡調査的に感じられたからではないでしょうか?

私は、反応物質がある場合以外は、普通に生活していることを知っていますので。

>別の病名がついているものの、mortanさんにはそのことが告げられていないという可能性もありそうです。

面白いですね。診察した以上、何らかの診断は必要ですね。
カルテも拝見し、診断書も書いてもらいましたが、「喘息、化学物質過敏症」でした。
そのほかに、私に隠さなければならない病名とは?
CTは取りましたから、脳腫瘍の可能性はないですね?
精神疾患や、不安神経症や、うつ、仮面うつ病などの病変も、東京と新潟を往復する状況からは、見えなかったということでしょね。
なのにわざわざ北里に行った方がいいという個人的な進言をしてくれた、ということですから、それに従ったまでです。

>>・認知神経系において「訂正不能な確信」がない。

>mortanさんとやり取りした限りでは、mortanさんに「訂正不能な確信」があるかもしれないと私は判断します。

そうですか。私は、議論の末、こちらが間違っていた、修正すべき部分があった、という場合は、このスレッド内においても、そう行動してきたと思いますが、違いますか?

まあ、NATROM氏の発言によって、自己の認識を新たにするということもあったと思いますが、記憶にないですか?

=続く=

181mortan:2013/05/13(月) 15:35:19 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>173

>「訂正不能な確信」を持った方は、『自分には「訂正不能な確信」がない』という「訂正不能な確信」を持つこともあるでしょう。

それは確かです。カウンセリングで経験がありますので。
ただ、統合失調症の場合は、現在の知見では、ご存じのように、妄想のパターンもきわめて平板・単調になる傾向があり、
「盗聴されている」とか「自分の心の中が知られている」とか
「透視されている」とか「どこかにカメラやマイクが隠されている」とか、まれに「テレビが自分の心を放送しようとしてくる」
という、一見して、現実にあり得ないことを、言ってくることが常ですが、そこでの興味深いことは、誰であっても、示し合わせてもいないのに、同じような典型的なパターン認識を告白してくることです。
個人情報であり、守秘義務がありますので、これ以上は話せませんが、いずれにしても、妄想に平板な、つまり、現実世界が持つ豊かさが感じられない、主張を繰り返す、というのが特徴のようです。

その中で、興味深いことに、「自分には「訂正不能な確信」などない」と発言してきた人は一人もいませんでした。
おそらく、その方々にとって、重要なのは、対自意識について、遡及的に、つまり、メタレベルで<意識>するということができないのではないか、という感覚があります。

もし、私が「統合失調症」なら、新しいパターンになりますね。
ただ、周りの医者たちは、そう診断はしませんでした。
これが事実です。私には分かりません。

>>・通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない。

少なくとも掲示板でのコミュニケーションでは著しく問題が生じていると私は判断しています。

なるほど。それで、伺ったのです。
議論や対論に慣れておられますか、と。

確かに、私の文章は、より精密、厳格、正確に書こうとするあまり、長文になりがちであることは理解しています。

そういう本格的な議論になれておられないということでしたら、
それでは、今後は、それこそ「訂正不可能な確信」を柔軟に訂正して、今後は、数行でやりとりすることにしましょう。

それなら、お互い忙しい身ですので、議論も深まるかもしれません。

これまでのやりとりの中で、NATROM氏の主張の概要について理解しましたし、NATROM氏独特の、論理の進め方、言説の癖についても把握させていただきましたので、ご迷惑にならないように、今後は、短めの発言に変更しましょう。

>2ちゃんねるの書き込みをなんら注釈つけずに転載していたかと思うと、

それはすでに理解していただいた通り、著作権者である私の許諾なく、書き込みが削除される、特に、ご自分に不都合な発言が削除される可能性があるため、
やむなく、そういう戦略を取りましたが、それについては、こちらの掲示板に直接書き込むことにする、ということで、
お互い納得し、契約した通りですが、そこを持ち出すというのは、理解し兼ねます。

=続く=

182mortan:2013/05/13(月) 15:37:28 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>173

>意味不明な長文を書き込む。

なるほど。それでは、今後は、理解可能なら短文を書き込みましょう。
その上で、不明な点は、聞き返していただければ、よりわかりやすく、正確に、短文で、伝えることにします。

実は、こちらも忙しいので、この掲示板が、長文は分割して送らなければ、システムが受け付けないようになっているのが、作業的にはやっかいでしたので。ちょうど、何分割すればいいかを、こちらで字数計算する必要がありましたので。

>客観的にどう見えるのかもご考慮されたほうがよろしいですよ。

それはもちろんです。「客観」と言われると、思わず現象学的に反応してしまいますが、いわゆる、日常意識における、他者、第三者、つまり、掲示板をROMしている人がどう見ているか、ということですね。

考慮しましょう。

ただ、この掲示板を見る人は、「化学物質過敏症」否定派の人が多いでしょうか?
化学物質過敏症の重度の患者は、サイトも開けないと思いますので、もしかしたら、否定派の人の方が多いかもしれませんね。

ですので、これまで、それらの方々の「理性」に訴えてきたわけです。
何があっても「化学物質過敏症」は「否定しなければならない」という「訂正不可能な確信」を持っている人以外には、
じっくり読めば、わかるように書いてきましたので。

>>ということは、そちらに「化学物質過敏症」だと思われる症状でで日々苦しんでいるのですが、という患者が診察室に現れた場合は、NATROM氏は、抗うつ剤か精神安定剤を処方されるのだろうか。

>ほとんどの場合は、処方しません。外来が混んでなければ症状について時間をかけて訴えを傾聴いたします。

なるほど「傾聴」ですか。その米国から入ってきてなかなか医学会に理解してもらえなかった患者さんとの対話の概念を理解しておられ、さらに実践しておられると聞いて、感心し、また、安心しました。

>これで問題が解決するケースもあります。

そうでしょうね。「精神疾患患者の最良のくすりは、主訴を聞いてくれる主治医が決まることである」という趣旨の、有名な、精神医学・カウンセリング心理学の言葉がありますよね。

>抗うつ剤か精神安定剤の処方が必要であるという病態だと判断すれば、自分で処方せずに、精神科医に紹介状を書きます。

なるほど、その対応の姿勢については理解しました。

(なお、短文でのやりとりは、この、NATROM氏の長文に対してのお答えが終わってから、ということで、よろしくお願いいたします)

183mortan:2013/05/13(月) 16:25:05 ID:e7MRQzJU
>>174
>>前の書き込みに答えた通り、私は、個人的活動に関しては、ホームページなどを公開しない方針なので、残念ながら、それはできない。
>>ただ、普通に論理学を学んでいる学部生でも、気づきそうなものだとは思うが、そこは認識が違う、ということで、平行線になるところだ。

>あまりこちらの話が通じていないようなのではっきり言いますが、mortanさんとのやり取りは無駄であり、mortanさんの長文で意味のわからない投稿は迷惑であると私は認識しつつあるのです。

理解しました。先のメールに書いた通りです。
今後は、短文でのやいとりということで、構いません。

>「通常のコミュニケーションで何ら問題が生じていない」ような人であれば、「迷惑だからよそでやれ」と言われているのに気付きそうなものですが。

通常なら、そうですよね。和やかなパーティーの席上で、延々と自説を述べる人はいません。それは、わかります。

ただ、ここは、「化学物質過敏症についての掲示板」ですよね?
ですから、当然、MCS否定派(NATROM氏を含めて)もいれば、MCS肯定派もいる。
であれば、当然、お互いが納得いくまで議論する、というのが普通ですよね。「朝まで激論のテレビ」ではありませんが。

>>>【1】「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない

>「原因探しバイアス」の定義と領域が示されない以上、何とも答えようがない。「そりゃ、その通りですね」と>>122で仰っていますけど?

あなたは、相手の言い間違いや、短絡部分を突くのがうまいですね。
ただ、それは論理学的推論とは別の要素です。
しいて、弁論学の領域でしょうか? それでも何でもかまいませんが、

私は、この時点で、前半の、

<「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに>という復文に焦点を当てていなかったのは確かです。

むしろ、後半の、

<患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない>

の方に着目しました。
患者さんが自分で語る自分物語だけによって、それだけでは当然、「化学物質過敏症」だと診断もできませんし、まして、その病理学的存在を証明できるはずがない、と言ったまでです。

前半に付記されている、
<「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに>
という、正しいか、正しくないか確認されていない方法論は、ここでは事態の<本質>ではありません。

=続く=

184mortan:2013/05/13(月) 16:27:27 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>174

>いちいち指摘はしていませんが、mortanさんの主張は単に間違っているのみならず、相互に矛盾しているものが多いです

そうですか?

>(「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言いつつ「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」ものであったりとか)。

再度、そこを蒸し返してまでの応戦ですか。苦しいですね。
この問題は、すでに解決しています。

これは、ただ、私が、ネオニコチノイド農薬=殺虫剤の製品ごとに、
耕作地については、農水省と全農がどのような指針を持っており、
家庭用として販売される製品については、農水省など所管の機関がどのような基準を設けているのか、私は知らなかっただけだ、と伝えたばかりです。

ちなみに、それは当局に確認すれば、答えは出ることです。
ただ、私は、その時間と体力がないだけです。

あえて調べましょうか?
そのことで、あなたの、
「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と私が言った意味合いと、
「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」と私が言った意味合いが、理解できる、というのなら。

そうすれば、明確に、私は、矛盾を語ったのではなく、
日本の農薬=殺虫剤の製品使用・販売許可の、縦割りになった、あるいは、使用目的に応じた、正確な基準(おそらく細かな規定があることでしょう)を知らなかった、ということがわかるでしょう。

本当に調べてみましょうか?
それほど、ルートによっては、難しいことではないような感じはします。

>定義と領域がどうとか言うなら、以下のように言いなおしましょう。
>【1’】「確証バイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない。

上にすでに書いたように、<「確証バイアス」があるがゆえに>の復文の部分には、この時点では、焦点を当てていませんでしたが、結果として、言い換えていただても、その方法論がどうであれ、そこは<本質>ではありません。

確認の方法論がとちらであれ、
患者本人による「原因探索」のセルフ・ナラティブのみによって、「化学物質過敏症」であると診断できたり、病理学的存在を実証できたりするものではない、ということが、ここでの<本質>ですので。

ただ、私との議論に「勝つため」に、複文のあいまいさを微修正され、「原因探しバイアス」をここであえてカットされた、ということは、
やはり、「原因探しバイアス」は、NATROM氏の「造語」であった、ということで理解していい、ということですね。

>確証バイアスについての一般的な定義や領域についても説明が必要ですか?

必要ありません。ここでは、主文の方の<本質>の方が重要といいうだけですので。

=続き=

185mortan:2013/05/13(月) 16:28:20 ID:e7MRQzJU
=続く=

>>174

>>その上で、言われているように、「それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない」と言いたいという意図は理解する。ただし、なぜ、あくまで、その意図に固執しなければならないか、については、まったく理解できないし、同意できない。

>A確証バイアスがあるのに、患者さん自身の体験談だけで、「我こそは真の化学物質過敏症である」などと主張する人がいるからですよ。

ああ、なるほど。
そちらの医院では、有効な検査法を開発・獲得できていない、ということですね。理解しました。

--------------------------------
<論理学的結論 A>
>>A「NATROM氏は、現時点では、化学物質過敏症は存在しない」と主張している。
>>と同時に(数学的な「または」で結合した文ですから)>>B「NATROM氏は、化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀であると言える、と主張している」
>>そして、A または B 真偽を確認すると、Aも、Bも、両方とも、真である。
--------------------------------

論理学についてごく基本的なこともmortanさんがご理解していないことを明確に示せて満足しています。

面白いですね。
しかも、引用されたのがWikipediaなどの不確定なソースを引かれるとは正直、驚きました。
手元の『論理学概論』でも何でも、引用すればいいだけじゃないですか。

それから、上の、<論理学的結論 A>の正しさは、すでに、先のメールで論証しましたので、そちらをご参照ください。

さらに、付け加えると、それに対するNATROM氏の思考パターンについて、

1)「数理学的な意味ではなく、日常意識でかわされる『または』『もしくは』の語感に固執しておられるらしい」ということと
(ちなみに、法的に発効される「契約書」でも、この「または」「もしくは」は、日常会話の意味で捉えると大変なことになりますので、ご注意ください。

2)「集合概念と、論理式概念を混同されているらしいこと」

については、理解しました。

>>174 については以上

186mortan:2013/05/13(月) 18:05:25 ID:e7MRQzJU
>>175
--------------------------------
<論理学的結論 B>
>>臨床環境医たちの診断は、
>>i)化学物質過敏症は存在しない<真>の場合
>>すべてが不適切である<真>
>>ii)化学物質過敏症がまれに存在した場合<真>
--------------------------------

>すべてが適切である<真>臨床環境医が化学物質過敏症であると診断した患者群の(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば、臨床環境医たちの診断のほとんどが不適切であることは、高校生でもたぶんわかると思います。ラカンとかガタリとか以前の問題ですよ。

なるほど。全ての謎が解けました。
NATROM氏は、論理学の問題を、日常会話や日常意識で使用する言葉に引きつけて、考えようとしておられたのですね。

あなたが、言われた、

--------------------------------
発言(い)
「臨床環境医が化学物質過敏症であると診断した患者群の(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば、臨床環境医たちの診断のほとんどが不適切である」
--------------------------------

というのは現実世界では、まさのその通りです。

上記の、<論理学的結論 B> は、それぞれの場合は「真である」(偽ではない)とした場合の「結論」ですので、
すでに「結論」は出ていますので、あとは、NATROM氏がじっくり考えてみていただければ結構です。

ところで、そうした「論理学的な遊び」よりも、今、ものすごく重要な<本質>的な発言が飛び出してきましたので、
私は、そちらの方に関心が移っています。

それは、NATROM氏の、
--------------------------------
発言(い)
「臨床環境医が化学物質過敏症であると診断した患者群の(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば、臨床環境医たちの診断のほとんどが不適切である」
--------------------------------
という発言の一部です。

あなたは、はっきりと、

「ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば」

明言されましたね?

つまり、ごく一部でも、真の化学物質過敏症患者は存在する、という見解でしょうか?

これは、例えればの問題です、ということを超えています
なぜなら、

(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)

という補足まで、わざわざ付記しているのですから、
現実問題としては、

「臨床環境医」が診断している患者のうち、(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)「ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば」

と言われましたね。

この論理設定では、「臨床環境医」は「偽である」という結論になっても、まったく異論ありませんが、
今、問題にしているのは、その発言の内容です。

=続く=

187mortan:2013/05/13(月) 18:09:41 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>175

ということは、NATROM氏は、

「臨床環境医」が診断している患者のうち、(「全部でなくても大半が」や「半数近くが」ですらなく)「ごく一部でしか真の化学物質過敏症患者でなかったならば」

と考えておられる、と理解していいですね?

>>NATROMさん、あなたは
>>議論や討論はされたことがありますか?

>ありますよ。証拠を示しましょうか?

そうですか。それでしたら、安心です。
ここでは根拠は不要です。そちらの個人的な情報が公開されてしまうことになるでしょうから。

>というか、mortanさんのほうこそあるんですか?
>あるとして、客観的にそのことを示せますか?

もちろんありますが、その情報は公開できません。

>>【質問11】
>>1)「原因探しバイアス」いう用語ごときで、化学物質過敏症の「原因探索」行為自体の有意性を否定したり、探索された原因物質と反応物質との因果関係自体を否定したりできないはずだが、どうか?

>「原因探索」行為自体の有意性は必ずしも否定はしていません。

それはそうでしょう。
患者の苦痛から回避という意味では当然だと思います。

>探索された原因物質と反応物質との因果関係は否定できます(より正確に言えば、否定できるというより、『「原因探索」行為だけでは因果関係を肯定できない。別の証拠、たとえば盲検下負荷試験が必要である』ということである)。

それは、これまでの立論から理解しています。

化学物質過敏症の患者ではなく、普通の例えば、いわゆる「風邪」の患者さんなら、すでに確立した所見があるので、それに応じて、対応される、ということですね。

また、アレルギー鼻炎(花粉症)の患者さんなら、これもすでに確立した検査法があるので、それに応じて、アレルゲンを遠ざけ、除去するように指導されるはずですね。

ということは、ますます、化学物質過敏症の確実な検査法の確立・開発が急務である、ということですね。
科学製品メーカーや新建材メーカーなどの問題があるので、スポンサーはなかなか付きにくい分野ではあると思いますが、
同様の症状を訴える患者が増えてきたら、国としても、医療行政としても、そのまま黙っているわけにはいかないでしょうね。

>理由は(mortanさんがご理解できたかどうかはともかくとして)既に説明しています。

認識しています。

>>2)そもそも「原因探しバイアス」とは、化学物質過敏症の「原因探索」自体の意義を否定するために、NATROM氏が作り出した「造語」ではないか

>説明のための「造語」です。

なるほど、やっぱり。
「原因探しバイアス」は、NATROM氏の造語でしたか。
ビンゴですね。

あなたの一連の「文脈」からのある「違和感」を<直感>ましたので、<現象学的還元>によって、さまざまなイドラなどを排除する中で、立ち上がった<本質直感>によって、そのように感じていましたが、それがただしかったと確認できて良かったです。

>内容は一般的な「確証バイアス」のことです。

なるほど。やはり、思ったとおり、紹介された書籍からの述語の援用だったわけですね。
想定の範囲内です。

=続く=

188mortan:2013/05/13(月) 18:11:16 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>175

>患者による「原因探索」行為が、患者の確信を強める理由にこそなれ(著しい場合はこの確信は「訂正不能な確信」となる)、化学物質過敏症の因果関係の証明にはならないことは自明なことです。ゆえに化学物質過敏症の疾患概念は、一部の非科学的な自称医学者を除いて、主流の医学界では受け入れられていないのです。この自明なことをわかりやすく説明するための用語ですよ。

まさにこの患者による「原因探索」にカウンターアタックするための、恣意的な(つまり学的ではない)「造語」であろうとは<本質直感>していました。

とはいえ、患者さんの側に目を向けると、
確かに、ある患者さんに思い込みの精神性がもしあった場合は、「原因探索」は、言われるように、まったく違う方向にいく恐れがあるのも確かでしょうね。
そして、「著しい場合はこの確信は『訂正不能な確信』となる」という事態にまでに陥っていると診断された場合は、
適切に、精神科にかかってもらって、適切で、本人の症状に合った、メジャートランキライザーなどを処方するなどして、改善されるといいですね。

その上で、今度は、患者ではなく、言われている、病理学レベルの「化学物質過敏症」という病理概念があるかないかが、患者個人による「原因探索」行為だけに基づくものではない、というのは、当然のことです。

ちなみに、私自身も、患者の自己申告による、セルフナラティブによって、「化学物質過敏症」という病理概念を説明できるなどとは考えていません。

再度、言うことになりますが、
--------------------------------
<一個人による「化学物質過敏症」と思われる病状認識 I>

私、mortan は、自分自身の、明澄な<意識>によって以下の事態を、身体=内=体験として<把持>している。
つまり、現在、世界中に存在する病理概念の中で、「化学物質過敏症」という概念こそが、自分自身に起こっていることを、唯一、説明し得る概念であると認識しており、
その事実を、日々、自分自身の日常生活における「再現性」をもって確認している。
--------------------------------
という事実を述べているにすぎません。

いうまでもなく、「化学物質過敏症」の病理概念をさらに確固たるものにし、その患者への適切な検査法と、処方薬剤の開発を考える責務は、患者個人ではなく、国と、医療行政側にある、と考えています。

> の因果関係の証明にはならないことは自明なことです。ゆえに化学物質過敏症の疾患概念は、一部の非科学的な自称医学者を除いて、主流の医学界では受け入れられていないのです。この自明なことをわかりやすく説明するための用語ですよ。

あなたの立場は理解しています。
質問があります。

万が一、今後、何らか偉大な医学的発見によって、
「化学物質過敏症」という病理概念が、医学界の主流に、受け入れられるようになった、その時は、
NATROM氏は、やはり、それはインチキであると、反論し続けられ、
この掲示板を閉じられるおつもりですか?

気になっているのは、私の知的生産物であり、著作物である、この掲示板での書き込みが一夜にして、消えてなくなってしまうことです。

NATROM氏は、今後も、決して「化学物質過敏症」は、医学界の主流に認められるはずがない、という立場でしょうか?

もし、意見をひるがえして、「化学物質過敏症」は、新たに発見された何がしの知見によって、医学界の主流に認められることになった、ということを、主張されるなら、
この掲示板は、「化学物質過敏症」肯定論のものに変更されるでしょうか?

その際に法的に問題になってくるのが、私の知的生産物である掲示板の書き込みです。

今後も、いかなることがあり、意見をひるがえすことがもしあったとしても、この掲示板を、何らかの形で、歴史的な論議のログとしてでもいいですが、残されますか?

もし、残されないと決められたなら、ミラーリングコピーによる保存を考えるしかありません。

=続き=

189mortan:2013/05/13(月) 18:12:13 ID:e7MRQzJU
=続く=

>>175

>>【質問12】論理学の初歩を勉強してからまたおいでください。

古典的な論理学についてはさんざんやってきましたので、正直、関心はありませんが、今の、コンピューターネットワーク理論全体を総括的に捉えるためには、
やはり「数理論理学」や「量子論理」「数学的直感論理」の行方については、非常に興味が湧いています。
今後は、それを、どのように、現象学の分野と基礎付けられるかですが、さらに、それこそ「原因探索」による「原因除去」「原因回避」を通して、体調管理をしていくことにかかっています。

>>【質問13】化学物質過敏症における典型的な「原因探しバイアス」で説明可能です。造語が気にいらないなら、確証バイアスで説明可能です。

「造語」が気に入らないも何も、もし、「原因探しバイアス」なる言葉を、学術用語として用いたい、ということなら、
まず一番に気になるのが、それが、どのような「定義」のものであるのか、そして、それが、何を対象に、どの範囲で使用される術語であるのか、というのは、議論を進める上で、当然の共通基盤でしょう。

それで「議論」に慣れていない方なのかなと思った次第でしたが、違う、ということなので、それは理解しました。

>こういう例をいくら出しても、化学物質過敏症の疾患概念を証明したことにはならないのです。

再度、言います。あなたにとっては「化学物質過敏症」の疾病概念を否定することしか頭にないので、そういう答えになっているのだと思いますが、
私は、別に、化学物質過敏症の疾病概念を実証しようとしているのではありません。

私の日常生活で、苦痛(それは今までかかった病気のような苦しさではありません。死んだ方がましというくらいの苦痛です)からの解放が、こういう「原因探索」と「原因回避」「原因除去」によって、できてきている。

そして、それは、毎日、日々の出来事を通して、再現性をもって、確認されている、と言っているだけです。

再度、言うのも気が引けますが、私が疾病概念を肯定しようとしている、あるいは、疾病概念を否定しようとしている側を論駁・論破しようとしている、と勘違いされているようですので、再掲します。

--------------------------------
<一個人による「化学物質過敏症」と思われる病状認識 I>

私、mortan は、自分自身の、明澄な<意識>によって以下の事態を、身体=内=体験として<把持>している。
つまり、現在、世界中に存在する病理概念の中で、「化学物質過敏症」という概念こそが、自分自身に起こっていることを、唯一、説明し得る概念であると認識しており、
その事実を、日々、自分自身の日常生活における「再現性」をもって確認している。
--------------------------------

これが、全てのです。

>何度もそのことを説明しているのですが、mortanさんがあたかも「訂正不能な確信」を持っているかのようです。

残念ながら、それはありません。
それは、医事法的な「診断」ではなく、当然の「憶測」ですね。

では、その「憶測」が許されるとすると、

私には、また、「化学物質過敏症」患者、および、その予備軍、その家族、
そして、その苦痛を取り除こうと苦心している工場、職場、学校の担当者、
さらに、この疾病について、どう対処して行こうかと日夜、悩み考えている医療行政の担当官にとっては、

NATROMさん。あなたは「訂正不能な確信」というか「訂正不能な意志」をもって、「化学物質過敏症」という疾病概念をあくまで「否定」しようとしているしている、というふうに多くの人には見えています。

学的根拠がある、データがある、ソースがある――。
そう言い返されるであろうことは、理解しています。
問題は、その「姿勢」です。

とはいえ、これまでの議論と、ホームページが外注したようなデザインではないことなどから、
特定の大手などの科学製品メーカーからの援助や圧力、または友好関係のようなものは、おそらく存在していないらしい、ということは認識しました。

>>175 については以上

190mortan:2013/05/13(月) 18:19:52 ID:e7MRQzJU
以上、NATROM氏からの長文の質問に、誠意をもって回答させていただきました。
これ以降は、お約束通り、数行程度の短文で、議論を深めさせていただきます。

ただし、
NATROM氏は、あくまで「化学物質過敏症」という疾病概念の「否定」に主眼があるという、一臨床医師というより、なぜか、病理学的立場に立っておられ、

こちらmortanは、自分自身の苦痛について、説明し得る疾病概念が現在のところ「
化学物質過敏症」しかなく、その指導のもと、原因探索・回避・除去の方法によって、何とか苦痛を軽減して、生活していることができている、という患者側の実感を伴った観点に立っている、ということです。

それが前提の議論ということになります。
最初ですので、当然の、「定義」しておく必要から、少し長くなりました。

191mortan:2013/05/13(月) 18:36:01 ID:e7MRQzJU
>>190
>NATROM氏は、あくまで「化学物質過敏症」という疾病概念の「否定」に主眼があるという、一臨床医師というより、なぜか、病理学的立場に立っておられ、

こちらから議論の端緒を拓きましょう。

NATROM氏は、なぜ、一臨床医師としてではなく、
病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっておられるのでしょうか?

192mortan:2013/05/13(月) 19:38:40 ID:e7MRQzJU
>>189

>とはいえ、これまでの議論と、ホームページが外注したようなデザインではないことなどから、特定の大手などの科学製品メーカーからの援助や圧力、または友好関係のようなものは、おそらく存在していないらしい、ということは認識しました。

もちろん何らかの利害関係があるかどうか、までは
ご本人の弁を待つまではわかりません
(私は人の心を読む「超能力者」や「メンタリスト」ではありませんので。ちなみにジョークです。言説された文体や論理は読めますが)

193mortan:2013/05/14(火) 16:17:05 ID:KsY33h9c
>>114 で、NATROM氏は、
>【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。

と明言されました。

NATROM氏の立場として、前半の「現時点では、化学物質過敏症は存在しない」は理解できるのですが、後半で「存在したとしてもきわめて稀であると言える」と明言されたということは、
NATROM氏の立場は、「化学物質過敏症・全否定」説ではなく、「化学物質過敏症・部分否定」説ということでしょうか?
つまり、「化学物質過敏症は稀には存在し得る」という立場でしょうか?

194mortan:2013/05/15(水) 08:10:12 ID:KsY33h9c
突然、掲示板専用ブラウザで閲覧できなくなりましたので
試しに、Webから書き込ませていただきます
このままでは、学的向上のための議論の絶対条件としての対話自体ができなくなってしまいますので

195mortan:2013/05/15(水) 14:04:08 ID:KsY33h9c
2ちゃんねるブラウザで、したらばの「化学物質過敏症についての掲示板」を表示できないトラブルが起きていましたが、一度、削除して、再度登録し直したところ
、復旧しました。お騒がせしました。

NATROMさん、お返事をお待ちしています。
今度はお約束通り短めの文章で質問させていただいていますので、
お忙しいNATROMさんでも、お答えいただけるのではと思います。
よろしくお願い申し上げます。

196mortan:2013/05/16(木) 05:23:11 ID:KsY33h9c
しかし、よくも「確証バイアス」という他人の著書のすでに定義された術語をうまく流用して「原因探しバイアス」という造語を作り出して
「化学物質過敏症患者」の「原因探索」の重要性(それがなければ「原因回避」ができない)を否定できるかもしれないとよく思いつきましたね?

なのに「アレルギー疾患患者」の「アレルゲン検査」と並行して日常的に行っている「原因探索」行為については無視しますか?
「アレルギー疾患」がすでに確立してしまっていて、「攻撃」できる対象ではないと無意識に感じ取ったからですか?

197mortan:2013/05/16(木) 08:32:10 ID:A8UEVQ.c
「化学物質過敏症」の解明の国際的な緊急性に応じて
海外あるいは国内の研究機関で、その発症機序などが解明され
日本の医学会で疾病概念として受け入れられた場合
NATROM氏は、どういう立場を取られますか?

やはり、否定論の継続ですか?
それとも、医学会の立場に立たれますか?

もちろんNATROM氏の立場からは、その発症機序を解明した研究の
真偽正誤をまず検証してから、立場表明される、ということでしょうね?

198NATROM:2013/05/16(木) 14:42:18 ID:???
ちょいと多忙でお返事が遅れております。おそらく2〜3日中には返事できるでしょう。

199mortan:2013/05/16(木) 15:02:42 ID:dpFmczy6
>>198
>ちょいと多忙でお返事が遅れております。おそらく2〜3日中には返事できるでしょう。

なるほど。それは理解しました

なお、2ちゃんねるに「偽NATROM氏」(?)が出没してますが
それはまた別問題ですので、もちろんそちらはこっちの責任で
最後まで追及させていただきます

それにつけても、このお返事のタイミングが絶妙で驚きました
天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので

200mortan:2013/05/16(木) 20:29:48 ID:.tKM6m0Q
(ご多忙中、恐縮ですが、忘れないうちに書き込みさせていただいます)
別スレで、

「化学物質過敏症に関する覚え書き」を見た限り、「化学物質過敏症」自体を「否定する」記述は確認できず、彼の主張は否定論ではなく懐疑論に見えた。

という趣旨の書き込みがありましたが、これについて、どう思われますか?

201NATROM:2013/05/17(金) 12:44:29 ID:???
読者のみなさんへ

まあ長文を一瞥するだけでだいたいのところはお分かりでしょう。予想通りというか、予想以上にmortanさんにはお話しが通じません。実例はたくさんありますが、典型的な一例だけを挙げます。mortanさんには、論理和(or)と論理積(and)の区別がついていません。


mortanさんの発言( >>122
>>【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。
>なるほど。NATROM氏の公式見解として、
>「化学物質過敏症はきわめてまれに存在し得る疾病である」
>という結論をいただけて、頼もしい限りです。


上記のmortanさんの発言には単なるうっかりミスや誤読の類ではありません。誤読の可能性念頭においた私の指摘に対し、


mortanさんの発言( >>152
>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>いいえ。
>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>「Aである」と同時に「Bである」ということです。


説明するのも馬鹿らしいですが、「Aである」と同時に「Bである」は「AかつB」です。このあと何度か誤りを指摘したのですが、ご理解される様子がありません。

202NATROM:2013/05/17(金) 12:46:08 ID:???
>それが、いつ、私、mortanの話にすり替わったのですか?
>私、mortanの話でいうなら、山田さんの時と同じく、厳密・厳格に、私が、現象学的還元を経て、さまざまなイドラから乖離しているか、などの確認が必要です。

客観的にはmortanさんの話も山田さんの話もたいして変わらないのです。


>PAMの場合は、そのようなことを考える前に、身体ないで、パチンと効果があった、という実感がありました。

まさしくそのような実感はプラセボ効果であったことを強く示唆します。PAMの特異的効果はもっとゆるやかに効果を発揮します。


>i)「AまたはBである」ことが真である場合(つまり偽りとしてではなく、公言された場合)
>「私は日本人です」または「私は医者です」
>このどちらも「真である」とします。わかりますか?
>そうすると、「私は日本人です」ということも真です。
>また、「私は医者です」といことも言うまでもなくともに真です。

違います。論理学の初歩です。「私は日本人です」も真であり「私は医者です」も真である場合は、「私は日本人です」かつ「私は医者です」、と表現されます。


>意味がわかりません。

mortanさんの理解力の問題です。


>それは、患者である私にもわかりませんが、おそらく、反応が限られていること、また、東京にいる時と、新潟にいる時では、はたから見ていて、明らかに違う反応(症状)を示していることを、追跡調査的に感じられたからではないでしょうか?

パニック障害を除外する根拠にはなりません。


>>(「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言いつつ「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」ものであったりとか)。
>再度、そこを蒸し返してまでの応戦ですか。苦しいですね。
>この問題は、すでに解決しています。

mortanさんにとっては解決しているのかもしれませんが、私にとっては、そして普通に日本語を解する読者(意味不明な長文を辛抱強く読んでくれる読者が存在したとして)そうではありません。

203NATROM:2013/05/17(金) 12:46:58 ID:???
>NATROM氏は、なぜ、一臨床医師としてではなく、
>病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっておられるのでしょうか?

「病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっている」とのが誤認です。病理の話なんてほとんどしていません。一貫して疫学的な話をしています。


>NATROM氏の立場は、「化学物質過敏症・全否定」説ではなく、「化学物質過敏症・部分否定」説ということでしょうか?
>つまり、「化学物質過敏症は稀には存在し得る」という立場でしょうか?

「化学物質過敏症は稀であっても存在しない」という主張を証明することは悪魔の証明であり不可能です。証明できないことを主張しないという至極論理的な態度を取っているだけです。仮に「化学物質過敏症は稀には存在し得る」のだとしても、私の一連の主張の価値は下がりません。


>「化学物質過敏症」の解明の国際的な緊急性に応じて
>海外あるいは国内の研究機関で、その発症機序などが解明され
>日本の医学会で疾病概念として受け入れられた場合
>NATROM氏は、どういう立場を取られますか?

「発症機序などが解明され」たとする論文を読んで自分で考えます。論拠のあやふやな論文しかないのに国際的な医学界で疾患概念が受け入れられるなんてことはほとんどありそうにないので、医学界で疾患概念が受け入れられた場合は、おそらく、私は医学界と同様の立場をとることになるであろうと予想します。

204NATROM:2013/05/17(金) 12:50:42 ID:???
>天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので

いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね。mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、「天文学的な確率」でしか起こらないと誤認したのでしょう。もしかしたら症状の一つかもしれません。


>「化学物質過敏症に関する覚え書き」を見た限り、「化学物質過敏症」自体を「否定する」記述は確認できず、彼の主張は否定論ではなく懐疑論に見えた。
>という趣旨の書き込みがありましたが、これについて、どう思われますか?

別に普通にありうる書き込みでしょう。

205mortan:2013/05/18(土) 05:05:02 ID:lHNktzQ.
>>201
>予想通りというか、予想以上にmortanさんにはお話しが通じません。

それはNATROM氏に先入見、臆見があるからです

>実例はたくさんありますが、典型的な一例だけを挙げます。>mortanさんには、論理和(or)と論理積(and)の区別がついていません。

興味深いですね
私は「NATROM氏と論理和(or)と論理積(and)」の話をした覚えはありません。

これから、精細に説明しましょう

206mortan:2013/05/18(土) 05:18:09 ID:lHNktzQ.
>>201
>mortanさんの発言( >>122

>>>【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。

>>なるほど。NATROM氏の公式見解として、
>>「化学物質過敏症はきわめてまれに存在し得る疾病である」
>>という結論をいただけて、頼もしい限りです。

>上記のmortanさんの発言には単なるうっかりミスや誤読の類ではありません。誤読の可能性念頭においた私の指摘に対し、

まったく意味がわかりません
こちらが指摘したのは、

NATROM氏が、
--------------------------------
現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。
--------------------------------
と主張されたので、ということは、厳密に言い換えれば、

--------------------------------
A) NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している

または

B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
--------------------------------

と言われたのですね?
であれば、

NATROM氏のこれまで主張されてきた「A) NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している」ということについては、
NATROM氏の主張を論駁しようとしているこちらとしては、わざわざあらためて掲示する必要はありませんから、
ただ、NATROM氏のこれまでの主張と「矛盾する」主張、

--------------------------------
B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
--------------------------------

の方だけを抜き出して、あえて掲示しただけです

ここまでの「論理展開」で、間違ったところはまったくありませんね?

207mortan:2013/05/18(土) 05:37:13 ID:lHNktzQ.
>>201
>>mortanさんの発言( >>152
>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>>いいえ。
>>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>>「Aである」と同時に「Bである」ということです。

>説明するのも馬鹿らしいですが、「Aである」と同時に「Bである」は「AかつB」です。このあと何度か誤りを指摘したのですが、ご理解される様子がありません。

なるほど。そういえば、ここでの私の説明は言葉不足でしたね

今、論理和、論理積の話をしているのではなく、

NATROM氏が、それこそ「論理和」の形で語られた「Aは真である、または、Bは真である」というなら、「今、NATROM氏は確かに『Bは真である』」と言いましたね、と確認させていただいただけです。

以上が事実です。

ただ、あえて、こちらの説明不足だった上記の基礎的な説明について補足するなら、

--------------------------------
>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>>いいえ。
>>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>>「Aである」と同時に「Bである」ということです。
--------------------------------

これは、以下のように説明した方が正確かつ理解されやすかったでしょうね。

--------------------------------
「Aが真である、もしくは、Bが真である」というこちらの主張について、「Bが真である」という結論だけが「真である」と判断したのですね。

いいえ。
「Aが真である、もしくは、Bが真である」という文章は、記号論理学的には、
「Aが真である」と同時に「Bが真である」ということを主張しているのですから、NATROM氏が「Bが真である」と主張したことに変わりありません。(「Aが真である」と主張したこととはかかわりなく)
--------------------------------

ということです。
これについて、ご自分が言い間違えられた(らしい)表現を無理に取り繕おうとされて、こちらの説明不足の揚げ足を取っておられるのです。

この点については、何度も表現を変えて説明したのですが、本人は認めようとされません。

ただ、私の論理和でたとえようとした際の説明不足、というか、正確にいえば、「真である」という言葉の不足について、NATROM氏はただ追及することで、この話をまるでなかったことにしたいようです。

なぜなら、NATROM氏のこれまでの主張と、今回、私がNATROM氏の発言から抜き出した発言、

--------------------------------
B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
-------------------------

は矛盾してしまうからです。

(なお、上記ではシンプルにわかりやすくA)、B)としてありますが、実際の発言内容は、

A) =「NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している」であり、B)は上記の通りです

208mortan:2013/05/18(土) 05:49:06 ID:lHNktzQ.
>>202
>>>それが、いつ、私、mortanの話にすり替わったのですか?

>>私、mortanの話でいうなら、山田さんの時と同じく、厳密・厳格に、私が、現象学的還元を経て、さまざまなイドラから乖離しているか、などの確認が必要です。

>客観的にはmortanさんの話も山田さんの話もたいして変わらないのです。

なるほど「主客二元論」から未だ脱却し得ていない自然科学の「客観性」を担保しようとすれば、
つまり、ここで言われている「客観的には」という第三者=観測者の立場に立ってみれば、
NATROM氏の主張されることは、確かに否定できませんね。
だからこそ、<現象学的記述>をもって、この論駁を始めたのですが、ここで外部注入的に「自然科学的客観性」を持ち出されては、こちらの<記述>は頓挫せざるを得ません。方法論自体、というか、出発点自体が異なるのですから。

>PAMの場合は、そのようなことを考える前に、身体ないで、パチンと効果があった、という実感がありました。まさしくそのような実感はプラセボ効果であったことを強く示唆します。PAMの特異的効果はもっとゆるやかに効果を発揮します。

そうでしょうか。「特異的効果」が発現することと、身体感覚がどう感じるかは、別の問題です。

ちなみに、PAMが発現する「得意的効果」を記述していただけますか?

209mortan:2013/05/18(土) 06:04:06 ID:lHNktzQ.
>>202
>>i)「AまたはBである」ことが真である場合(つまり偽りとしてではなく、公言された場合)
>>「私は日本人です」または「私は医者です」
>>このどちらも「真である」とします。わかりますか?
>>そうすると、「私は日本人です」ということも真です。
>>また、「私は医者です」といことも言うまでもなくともに真です。

>違います。論理学の初歩です。「私は日本人です」も真であり「私は医者です」も真である場合は、「私は日本人です」かつ「私は医者です」、と表現されます。

はい。論理積の話はわかっています
今、問題になっているのは、NATROM氏の発言に沿った例を挙げた方が、こういう初歩的な読み間違いを起こさなくて済んだと後悔していますが、下手に例示をしない方が良かったですね

事実はこうです

--------------------------------
A) 「NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している」

または、

B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
--------------------------------

この、A) と B)を「かつ」で結ぶと矛盾が生じることはわかりますね?

だから、これほどやっきになって、反論されているわけですから

別にいいですよ
私は、NATROM氏のこれまでの主張を知っていますから、

「ちょっと口がすべって言い間違えました。言いたかったのは、
--------------------------------
A) 「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」

ただし、

B) 「存在したとしてもきわめて稀であると言える、ということは真であるという場合も否定できない」
--------------------------------
と正確性を期しておきたかっただけだった」と言ってくれれば、それで済むことです

私も、そのくらいの事は理解しています

揚げ足を取って、議論に勝ったとは思う人間ではありません

例外的事実が存在した場合についての逃げ道を確保しておきたい、という無意識な発言というのは往々にしてあることですから

210mortan:2013/05/18(土) 06:07:10 ID:lHNktzQ.
>>202
>>意味がわかりません。
>>mortanさんの理解力の問題です。

これについては、言葉不足だったことを認め、上記で言葉を補足して説明し直しました

211mortan:2013/05/18(土) 06:11:09 ID:lHNktzQ.
>>202
>>それは、患者である私にもわかりませんが、おそらく、反応が限られていること、また、東京にいる時と、新潟にいる時では、はたから見ていて、明らかに違う反応(症状)を示していることを、追跡調査的に感じられたからではないでしょうか?

>パニック障害を除外する根拠にはなりません。

なるほど。それは理解しました

ただ、記述できるとすれば、「その友人が、様子の一部始終を見ていて、精神科への受診ではなく、北里研究所病院への受診を勧めた」という事実があった、というだけです

212mortan:2013/05/18(土) 06:26:14 ID:lHNktzQ.
>>202
>>>(「どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と言いつつ「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」ものであったりとか)。

>>再度、そこを蒸し返してまでの応戦ですか。苦しいですね。
>>この問題は、すでに解決しています。

>mortanさんにとっては解決しているのかもしれませんが、私にとっては、そして普通に日本語を解する読者(意味不明な長文を辛抱強く読んでくれる読者が存在したとして)そうではありません。

それでは再々度になりますが、書きます

私は、どの地域にどの種類の農薬を散布するようにと農水省あるいは全農が指定するはずだと推測して
「(ネオニコチノイド農薬は)どこにでも散布できるよう許可されているような薬剤ではない」と書いた

ただ、それは私が専門外だったからだけの間違いで、もしかして、「特定の害虫を駆除するために、そこまで高価な薬剤を使っても、利益が出せる品種の作物の地域、というだけだったのかもしれない」と言い換えてもかまいません。

真実は、農水省や全農の担当官に確認すれば済むことですから、こだわりは特にありません。

その上で、
「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われる」
というのも事実です。
ただ、ネオニコチノイド殺虫剤にも、製品がいろいろあって、その中で、おそらく農水省かどこかの監督官庁が許可された品目・製品についてのみ販売されている、ということなのでしょう。

これも門外漢なので、別にこだわりはありません。
ただ、監督官庁に確認すればいいことだけですので。

ということで、「農耕地に使用される、特殊なネオニコチノイド農薬の地域は制限されている」という事実と、「ホームセンターの園芸用品やペット用カーペットにも使われるように製品化されたネオニコチノイド系殺虫剤の商品はある」という事実は、論理矛盾もなく、また、現実社会において矛盾なく共在している実際の出来事です。

私は、ネオニコチノイド農薬の製品の使用制限について、それほどの関心はありませんので、もし確認されたいなら、農水省や全農に確認されてはいかがでしょうか?

213mortan:2013/05/18(土) 06:31:51 ID:lHNktzQ.
>>203
>>NATROM氏は、なぜ、一臨床医師としてではなく、
>>病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっておられるのでしょうか?

>「病理学的立場から、疾病概念の否定にこだわっている」とのが誤認です。病理の話なんてほとんどしていません。一貫して疫学的な話をしています。

なるほど。理解しました

>>NATROM氏の立場は、「化学物質過敏症・全否定」説ではなく、「化学物質過敏症・部分否定」説ということでしょうか?
>>つまり、「化学物質過敏症は稀には存在し得る」という立場でしょうか?

>「化学物質過敏症は稀であっても存在しない」という主張を証明することは悪魔の証明であり不可能です。証明できないことを主張しないという至極論理的な態度を取っているだけです。

なるほど。理解しました

>仮に「化学物質過敏症は稀には存在し得る」のだとしても、私の一連の主張の価値は下がりません。

了解です。それで、私の言葉不足で上記の論理積の話題にまで話がずれてしまった、条件付きの主張が出てきたわけですね

納得しました

>>「化学物質過敏症」の解明の国際的な緊急性に応じて
>>海外あるいは国内の研究機関で、その発症機序などが解明され
>>日本の医学会で疾病概念として受け入れられた場合
>>NATROM氏は、どういう立場を取られますか?

>「発症機序などが解明され」たとする論文を読んで自分で考えます。論拠のあやふやな論文しかないのに国際的な医学界で疾患概念が受け入れられるなんてことはほとんどありそうにないので、医学界で疾患概念が受け入れられた場合は、おそらく、私は医学界と同様の立場をとることになるであろうと予想します。

なるほど、至極ごもっともです、理解しました

214mortan:2013/05/18(土) 06:52:51 ID:lHNktzQ.
>>204
>>天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので

>いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね。

そうですか?
この発言と「原因探索」との間に、因果関係はないと思いますが

>mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、「天文学的な確率」でしか起こらないと誤認したのでしょう。

「天文学的な確率」と、私が書いたのは、ほかの掲示板で、私が、このまま返事をされないままだと、私の書き込みが最後に残ってしまって、あたかもNATROM氏が反論できないかのように見えてしまうのでは、と書き込んだ直後だったものですから

そういう意味では「確証バイアス」が働いたんでしょうね
あまりのタイミングの良さに驚いたものですから

>もしかしたら症状の一つかもしれません。

そうですか。それは診断ですか? 観測意見ですか?
そう言われるのでしたら、そちらからは、そう見えるのでしょうね

ただ、その際、観測者の「確証バイアス」が働いていないとは証明できませんよね?
あなたが私に問われているのは、それと同じ問いです

>>「化学物質過敏症に関する覚え書き」を見た限り、「化学物質過敏症」自体を「否定する」記述は確認できず、彼の主張は否定論ではなく懐疑論に見えた。
>>という趣旨の書き込みがありましたが、これについて、どう思われますか?

>別に普通にありうる書き込みでしょう。

それは、NATROM氏は化学物質過敏症について、以下のどの立場だということでしょうか?

1)その書き込み通り、懐疑論であり、否定論ではない
2)懐疑論に見えるのは誤認であり、あくまで否定論である

または

3)それは普通の書き込みだが、(より深い意味で)懐疑論でも否定論でもない
4)それは普通の書き込みだが、(より深い意味で)懐疑論でもあり、否定論でもある

215mortan:2013/05/18(土) 07:04:09 ID:lHNktzQ.
>>205
>>>201>予想通りというか、予想以上にmortanさんにはお話しが通じません。

>それはNATROM氏に先入見、臆見があるからです

そう書きましたが、まさにその通りなのですが
その前提の事態に触れていませんでした

「話が通じない」ように見える、いつまでも平行線をたどって一つの結論に達しない、そして、議論に勝つためには往々にして、相手の発言の揚げ足まで取りたくなる、とまでいかなくても、重箱の隅を突つく所から議論の戦線を拡大する、ということは、議論ではよく生じることです
ご存じとのことですが

それもあって、NATROM氏は議論や対論をされたことがあるかと最初に伺ったのは、そういう事に慣れている方かどうか確認したいという意図もありました

216mortan:2013/05/18(土) 07:19:01 ID:lHNktzQ.
>>208
>ちなみに、PAMが発現する「得意的効果」を記述していただけますか?

ここはいうまでもなく「特異的効果」の誤変換です

217mortan:2013/05/18(土) 08:42:26 ID:lHNktzQ.
>>208
>なるほど「主客二元論」から未だ脱却し得ていない自然科学の「客観性」を担保しようとすれば、つまり、ここで言われている「客観的には」という第三者=観測者の立場に立ってみれば、NATROM氏の主張されることは、確かに否定できませんね。だからこそ、<現象学的記述>をもって、この論駁を始めたのですが、ここで外部注入的に「自然科学的客観性」を持ち出されては、こちらの<記述>は頓挫せざるを得ません。方法論自体、というか、出発点自体が異なるのですから。

なお、ここでも補足が必要かもしれません
びっくりするような観点で反論できたと思われても困惑しますので

「こちらの<記述>は頓挫せざるを得ません」と言ったのは、いうまでもなく、こちらの<現象学的論駁>の「敗北宣言」などではまったくなく

この時点で平然と『客観的には』というジャーゴン(一般用語としてではなく、学的専門用語として、という意味です)を無批判的に言い出せるということは、
「ああ、この人は『客観性とは何か』『客観的とは何か』を問うたこともなく、『主観=観測者と、客体=対象』の素朴な関係について、ついぞ遡行的に疑う知的エピステーメーに立ったこともない人なんだな」と知覚した、ということです

従って、自然科学の自明の前提である「主客二元論」について疑ってみたこともない人にとっては、せっかくの緻密・厳格な<現象学的記述>も、無為なものになってしまうな、と、ただ「ため息をついた」だけなのです

日常的に無批判的に(無意識に)使われている言葉という「記号」や「概念」を、
<ノエシス/ノエマ>として<異化>しつつ<記述>することによって、
「本質そのもの」を浮かび上がらせようとする、哲学的ディスクール、または、現象学的文体にあまり慣れておられないようなので
ひとこと補足しておきます

218mortan:2013/05/18(土) 08:52:17 ID:lHNktzQ.
>>217
>ついぞ遡行的に疑う知的エピステーメーに立ったこともない人

つまり、

現に今、自分自身が世界内に置かれているところの「日常意識」をいったん「括弧に入れて」、
それを支え、包含する「メタレベル」の意識へと方法論的に遡りつつ、
<世界内存在>として、記述し、問い直し、捉え直すことができる批判的・理性的態度、

とでも言い換えられる、普通に使われる哲学ジャーゴンです
一応、説明しておきます

219mortan:2013/05/18(土) 20:20:03 ID:/OIETyhs
また、思ってもみないような錯覚が起きたりしないように
追加補足して、釘をさしておきます

以下の引用箇所で、========= でくくった部分が追加補足です。

>>207
>ただ、あえて、こちらの説明不足だった上記の基礎的な説明について補足するなら、
--------------------------------
>>「AもしくはBである」というこちらの主張を、「Bである」という結論だと判断したのですね。
>>いいえ。
>>「AまたはBである」という文章は、記号論理学的には、
>>「Aである」と同時に「Bである」ということです。
--------------------------------

>これは、以下のように説明した方が正確かつ理解されやすかったでしょうね。

--------------------------------
>「Aが真である、もしくは、Bが真である」というこちらの主張について、「Bが真である」という結論だけが「真である」と判断したのですね。
>いいえ。
>「Aが真である、もしくは、Bが真である」という文章は、記号論理学的には、「Aが真である」と同時に「Bが真である」ということを主張しているのですから、

====================
★ここの「同時に」という言葉は、論理学でいう「かつ」の意味ではなく(日常会話ではよくそう使いますが)、ここでは「または」の意味で使っています。

つまり、Aも真であり、同時に、Bも真であると主張した、ということです。

「AとBを同時に満たす集合」という集合概念と混乱しやすいところだと思いますので、これをもって、私がよもや「Aと同時にBが真である集合について」語っているなどと、論理を勝手にすり替えたりしないように。
====================

>NATROM氏が「Bが真である」と主張したことに変わりありません。(「Aが真である」と主張したこととはかかわりなく)
--------------------------------
ということです。

220mortan:2013/05/19(日) 04:19:38 ID:4/5VzGQ6
>>204
>>天文学的な確率で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでしたので

>いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね。mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、「天文学的な確率」でしか起こらないと誤認したのでしょう。もしかしたら症状の一つかもしれません。

あれ? これ、よく考えたら、おかしくないですか?

ここの部分は、実は、直感的に、文体が不自然に屈折しているため、何か違和感がある、と感じていた文章なのですが、今、ようやく気が付きました。

「天文学的な確率で」というのは、まさに「よくもまあこんな偶然が、あたかも必然であるかのように重なったものだ」という場合に使う表現ですよね?

例えば、私は、ソバアレルギーで、皮下注射テストでソバがアレルゲンであることが確認されていますが、皮下テストを行う前から当然、そばを食べると100パーセント、気道狭窄とぜい鳴、すなわち、ぜんそくの発作が起きます。
それを表現する際に、ソバと私のぜんそくは「天文学的確率で起こる」などとはいいません。 なぜなら「偶然」ではなく「因果関係」のある「『客観的な』必然」ですから。

また、「自分が反応する農薬や抗菌剤などの化学物質」と「症状」について、私は身体内体験の実感としては「まず、ただ苦しい状態を体験」します。

NATROM氏が想像しているように、何かの物質を「認識」してそれが「『客観的』には天文学的確率でしかない偶然の一致」なのに、「確証バイアス」によって「必然」だと思い込んでしまって、それで苦しむ、という架空の苦痛ではありません。

ある種の「知覚過敏」モデルの症例の一種という仮説も成り立つかもしれませんが、それも患者本人には原因まではわかりません。
後付けで自分でこれが原因だったのかもと思ったり、人からこれが原因じゃないのと言われてそう思うこともあるかもしれませんが、それは第一義的な発症機序ではないと体感しています。
ただ、そこから、原因回避のための「原因探索」の模索が始まります。

この「原因探索」に対して、NATROM氏は「確証バイアス」という術語を「原因探しバイアス」という定義不明な造語に置き換えて否定しようとしています。「確証バイアス」のままだと、自分自身が症状を推測したり否定したりする行為自体の確実性にも論議が及んでしまうので、絶妙な言い換えというべきでしょう。

NATROM氏は、これさえも「パニック障がい」である疑いを拭えないと言うでしょうね。
なぜなら、「『客観的』には天文学的確率でしかない偶然の一致」を「必然」だと思い込むことは「おかしい」「通常ではない」ことなのですから。

=続く=

221mortan:2013/05/19(日) 04:20:31 ID:4/5VzGQ6
=続き=

>>204

ところが、NATROM氏は、何をどう勘違いされたのか、興味深い用例で、この表現を、ご自分の書き込みについて、使われました。

NATROM氏は、「mortanさん以外の人には普通に偶然で説明しうる事象について、『天文学的な確率』でしか起こらないと『誤認』した」と書きました。

しかし、これ、普通のことではないですか? 「まさに偶然のように見える」ことを「天文学的確率で起こった」と言うのですよね? 違いますか? そのほかの用例で使われる人はいますか? 「私の『誤認』」というのは何の誤認でしょう?

私は、ただ「天文学的な確率(のような偶然)で、まさか今日の今、お返事があるとは思っていませんでした」と書いただけです。

なのに、なぜ、それほど過剰に反応する必要があるのか理解できませんが、この「偶然」に驚く私の普通の感性(コモンセンス)について、NATROM氏は、わざわざ「いったいなぜmortanさんが「化学物質」と「症状」の関連性を過度に読みとってしまったのか、明確にわかる発言ですね」と書いてしまいました。

なぜなのでしょう? 皆さんはこの混乱した「偶然」と「必然」の用法を理解できますか?

そして、「普通に偶然で説明しうる事象」について、「天文学的な確率でしか起こらない」と感じるのは「誤認」とは言わず、「偶然に直面して驚く普通の人の感性」だと思いますが、
これをもって、NATROM氏は、「もしかしたら症状の一つかもしれません」とまで結論付けてしまっています。

ただ、百歩譲って、NATROM氏の言うように、「本来なら天文学的確率」でしかない「偶然の一致」を「必然」だと思い込む「確証バイアス」があるために、化学物質過敏症が生じるのだとしたら、むしろ、逆に、ここでのNATROM氏の「偶然」と「必然」の使い方には、主客の不整合があります。

NATROM氏の書き込みのタイミングは、NATROM氏にとっては「偶然」、私にとっても「偶然」、これが普通ですが、
しかし、NATROM氏は、あたかも私がそのタイミングが「必然」であることを知って(?)いるかのように、「本人しか知り得ない感想」を述べています。
NATROM氏は、私があたかも「必然」であるかのように『誤認』していると明言しているからです。
だからこそ、それが化学物質過敏症の症状を表している、とまで言い切れるわけでしょう?

文体が不自然に屈折しているのは、ここです。

誰(主観)にとって「天文学的確率の偶然」なのか「必然」なのか、公正公平な観測者(自然科学でいう『客観』)にとって、それは「天文学的確率の偶然」なのか「必然」なのか、メタレベルに遡行して全体像を俯瞰してみると、何が起こっているのかよく見えるのではないでしょうか?

ちょっと複雑な謎かけに見えますか?

謎はここにあります。
「こんな偶然が必然かのように重なった」という「天文学的な確率で」という表現を、実は、NATROM氏は、人が掲示板に書き込むのは「必然」なのに、私、mortanが「天文学的な確率の偶然の一致」だと「誤認」している、と「主客逆転して」書いてしまっているからなのです。

222谷庵:2013/05/19(日) 08:34:03 ID:???
「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。
でも、mortan氏ならどうするのだろう。ラーメンとカレーの両方を食べるのだろうか。
それとも、ラーメンを食べるかどうかにかかわらず、カレーだけは食べるのだろうか。

ラーメンとカレーだけならよいが、スパゲッティーもいいし、カツ丼も捨てがたい、オムライスも良いし回転寿司という手もある。
こんな風になったら、全部食べるのは大変だ。
「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。

223mortan:2013/05/19(日) 10:25:52 ID:epg2kfEM
>>222
>「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。でも、mortan氏ならどうするのだろう。

非常に興味深い例示ですね。

これを論理学的に整理し、主語(主体)をNATROM氏とし、
さらに「真である(1であるでもいいです)」という結果をわかりやすくプログラミングらしく表示するため、「真の場合、谷庵さんが白旗を上げる」とします。
「偽の場合は白旗を下げたままにします(0であるでもいいです)」

=続く=

224mortan:2013/05/19(日) 10:27:07 ID:epg2kfEM
=続き=

>>222

まず、<または>で結ばれた論理和の場合を考えて見ましょう。
--------------------------------
第三者である「谷庵さん」に対して、
「NATROM氏が、今日の昼、ラーメンを食べたなら『真です(1です)』と言いました。」
 <または>
「NATROM氏が、今日の昼、カレーを食べたなら『真です(1です)』と言いました。

という二つの命題(プログラミングの命令)が与えられたとします。

なぜ、両方「真(1)である」かというと、そうNATROM氏が公言したからです。そこが「出発点」(初期値)です。

ただし、NATROM氏は二つの命題を、明言的に<または>(論理和)で結びましたので、そこに、ご注意ください。

すると、NATROM氏が、実際には、ラーメンを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

当然、ラーメンを食べた時も「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。

また、NATROM氏が、実際には、カレーを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

当然、カレーを食べた時も「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。

さらに、NATROM氏が、今日はカレーとラーメンの両方を食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

論理和で「または」で結ばれていますから、それは「真(1)です」から、谷庵さんは
「白旗を上げ」なければなりません。
--------------------------------

=続く=

225mortan:2013/05/19(日) 10:28:18 ID:epg2kfEM
=続き=

>>222

一方、今度は「かつ」で結んでみましょう。論理積の場合です。
--------------------------------
第三者である「谷庵さん」に対して、
「NATROM氏が、今日の昼、ラーメンを食べたなら『真です(1です)』と言いました。」
 <かつ>
「NATROM氏が、今日の昼、カレーを食べたなら『真です(1です)』と言いました。

という二つの命題(プログラミングの命令)が与えられたとします。

なぜ、両方「真(1)である」かというと、そうNATROM氏が公言したからです。そこが「出発点」(初期値)です。

ただし、ここでは、NATROM氏がこの二つの命題を、実際には明言していない<かつ>(論理積)で結びました。
二つの命題とも、NATROM氏の発言ですから、矛盾はないと考えます。つまり、NATROM氏が、<かつ>と言ったら、二つの命題を同時に満たしていなければ「真(1)である」とはなりません。
なぜなら、もし同時に満たしていなければ、それはNATROM氏の発言に反する(矛盾する)ことになるからです。

すると、NATROM氏が、実際には、ラーメンを食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

確かに、ラーメンを食べたこと自体は「真(1)です」が、谷庵さんは、もう一つの命題、NATROM氏がカレーを同時に食べたかどうかを確認しなければなりません。なぜなら、矛盾が生じるかどうかを確認する必要があるからです。

それで、谷庵さんは、NATROM氏に聞きます。

その時、NATROM氏が、カレーも一緒に食べてきたよと言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

二つの真なる命題が、矛盾なく成立したのですから、それは真ですから、「白旗を上げ」なければなりません。

では、NATROM氏が、カレーは食べてこなかったよと言った場合は、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

二つの真なる命題が、矛盾しており、同時に成立していませから、それは真(1)ではありませんから、「白旗を下げたまま」にしなければなりません。

また、NATROM氏が、今日はカレーも、ラーメンも、どちらも食べてもこなかったよ、カツ丼を食べたよ、と言ったら、谷庵さんはどうしなければなりませんか?

論理和「かつ」で結ばれているものの否定ですので、それは「偽(0)です」から、谷庵さんは「白旗を下げたまま」にしなければなりません。
--------------------------------

>全部食べるのは大変だ。「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。

今、問われているのが、単純な「または(論理和)」と「かつ(論理積)」の区別の問題だけでない、ということに気付かれましたか?

つまり、その二つの命題自体が真であるのか(NATROM氏によって明言されたものなのか)、偽であるのか(そうでないのか)が、初期値として関わっているという、少し複雑な問題になっています。

「命懸け」とは思いませんが、もし電気椅子に電流が通るか通らないかという仕掛けにしたなら、命懸けにはなるでしょうね。

226mortan:2013/05/19(日) 10:36:59 ID:epg2kfEM
>>222
>「今日のお昼はラーメンかカレーにしよう」と言えば、NATROM氏なら、ラーメンかカレーのどちらか一方を食べるのだろう。
>「または」と「かつ」が区別できないと、命がけだな。

でも安心してください。
NATROM氏は、実際には<かつ>とは言われませんでした。
<または>と言われたのです。

ですから、谷庵さんは、NATROM氏がラーメンを食べてきても、カレーを食べてきても、その両方を一緒に食べてきても、無事、「白旗を上げる」ことができます。
命びろいしましたね。

で、最初の話に戻すと理解できますか?

=続く=

227mortan:2013/05/19(日) 10:41:48 ID:epg2kfEM
=続き=

>>222

>>209

で書いた通り、

事実は、
--------------------------------
A) 「NATROM氏は「現時点では、化学物質過敏症は存在しない、ということは真である」と主張している」
 <または>
B) NATROM氏は「現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える、といことは真である」と主張している
--------------------------------
と言われたのです。

ですから、谷庵さんも、私、mortanも、NATROM氏がラーメンじゃなく「化学物質過敏症は存在しない」と再度発言しても、安心して「白旗を上げる」ことができます。真(1)だからです。

そして、事実、<または>とNATROM氏は言われたのですから、NATROM氏がカレーをもとい、「化学物質過敏症は、現時点では、存在したとしてもきわめて稀であると言える」と発言されたとしても、問題なく無事、「白旗を上げる」ことができます。
その命題がが、偽(0)ではなく、真(1)だからです。

228t:2013/05/19(日) 12:59:46 ID:JpffVOHU
NATROMさんのいっていることをまたはを使わずに書くと
「現時点では、化学物質過敏症の患者は累計で10人以下(数字は適当)である。」
のように書き表せます。
だから、別に存在する=「1人以上」でも存在しない=「0人」でも矛盾しない。

229AH1:2013/05/19(日) 13:15:44 ID:S/yYTMOY
「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」
これだけの話だと理解していますが、一体なにがこんなに紛糾するんでしょうね??

230mortan:2013/05/19(日) 14:04:41 ID:epg2kfEM
>>228
>NATROMさんのいっていることをまたはを使わずに書くと「現時点では、化学物質過敏症の患者は累計で10人以下(数字は適当)である。」のように書き表せます。だから、別に存在する=「1人以上」でも存在しない=「0人」でも矛盾しない。

なるほど、そういうことならば、「論理的には」ひとまず納得できはできます

しかし、本当にNATROM氏はそう言われているでしょうか?

つまり、まとめると、

「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数で、それ以外は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」

という主張ということになりますが、逆に、強調点を変えて、言い換えると、

「真の化学物質過敏症と診断される患者は極めて少数だが存在する。従って、化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する。ただし、確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認している場合が多い」

ということになりますよ?

もしNATROM氏が事実、そう言われているなら、それに対する私の立場を表明すれば、

1)「化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する」には『賛成』します

  なぜなら、私自身が、身体内体験として、現象学的還元の手法をもってさまざまなプラシーボ効果などの誤認を排除した上でなお、特定多種の化学物質に対して反応し、苦痛を経験しているからです。

2)「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数」には『反対』します。

  なぜなら、受診していない、他の疾病と誤認している潜在患者数はさらに多くなると思いますが、今、発表されている患者数は妥当だと思うからです。

3)「多くの場合は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」には『反対』します。

  そういう方も確かにある程度はいるだろうことは否定できないと思います。ただ、それは逆に少数か、あるいは、他の疾病を併発していて原因を特定できていないだけという場合が多いと思うからです。

ということになりますが、NATROM氏、いかがですか?

231mortan:2013/05/19(日) 14:11:07 ID:epg2kfEM
>>229
>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、

私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、
ご本人はいかがでしょうか?

>一体なにがこんなに紛糾するんでしょうね??

さあ? なぜでしょうね。
私は哲学、特に、現象学や記号論などが専門のため、確かに論理学は特に教える立場ではないとはいえ、
論理学自体、広い意味では哲学のカテゴリーの方法論ですので、思索慣れはしています。
その私にたぶん弱みと見える表現があったため、これなら勝てそうと思われたら人がいたからではないでしょうか?

232mortan:2013/05/19(日) 16:01:59 ID:epg2kfEM
>>231
>>>229
>>「化学物質過敏症とよばれるものがあり、中には実際に化学物質が原因であるものもあるかもしれないが、他の理由も考えられる」これだけの話だと理解していますが、

>私としては、NATROM氏の主張はそうではないように読めますが、

これだけだと丸投げで不親切なので、時間が取れましたので、
こちらでの理解を書きますと、

--------------------------------
NATROM氏の見解(mortanから見たまとめ)
--------------------------------
1、化学物質過敏症という疾病概念は確立していない
2、とはいえ「何であれある疾病概念が存在しない」という証明はできない(悪魔の証明になるから)
3、むしろ、その実証責任は、提唱者側にある
4、化学物質過敏症は、医学会の主流で認められていない
5、まれに化学物質過敏症の患者も存在する(例の「または」論議で確認したNATROM氏の新しい主張です)
6、ただ、患者の多くの場合は、確証バイアスによって、関係ない化学物質を原因だと誤認して発症している
7、発症機序としては、パニック障がいに似ている
--------------------------------

ということではと思っています。

ホームページを読む限り、その根底に流れている「隠された」思潮としては、
「臨床環境医学」という新しい診療科の存在、または、提唱者、継承者らへの不信感、その方法論、診断方法への不信感と、
それに伴う、査読付き論文がまだなく、それを実証するポジティブな結果を示す実験データが出揃っていない、という「足元すくい」的な『抗議』『不服』のようにしか感じられませんでした。

なお、いうまでもなく、私は上記の全てに『反対』『不同意』の立場です

233mortan:2013/05/19(日) 17:41:49 ID:epg2kfEM
>>232

>7、発症機序としては、パニック障がいに似ている

特に、なぜこういう「診断的な判断」が可能なのかが、不可思議でなりません

守秘義務が当然おありでしょうが、実際に、化学物質過敏症を自称する患者さんが来院されたということでしょうか?
そして、その一例(または数例)だけを見て、患者群全体を怪しいと疑っている、という「心情的な」流れでしょうか?

でなければ、疫学的、病理学的には、つまり、科学的知的・理性的には、
現時点で、発症機序も、認知神経系との関係も、シナプス伝達物質およびその受容体構造との関係も解明されてもいないのに、
「化学物質過敏症患者は、確証バイアスによって、自分の症状を、外界のモノによる干渉であると訴えるものだ」とそこまで具体的に言い切れるのは、何か具体的なイメージの診察対象、観察対象があった、ということでしょうか?

ちなみに、私の身体感覚では、それとはまったく違う実際の苦痛の現実体験として<本質直感>される内容ですが。

もしかして、その患者さんが、電波とか、盗聴されているとか、幻覚・幻聴などのように非在の物質を訴える場合が多いケースで、その中で、たまたま化学物質も原因に挙げたので、疑いを抱いていた、ということでしょうか?

でしたら、その方は、もしかしたら、化学物質過敏症自体ではない方なだけかもしれませんし(つまり、その事例をもって、化学物質過敏症自体を否定することはできない)
その方が、確かに化学物質過敏症であっても、その症状が重積し迷妄が続き精神疾患を併発してしまった、というケースかもしれません。

いずれにしても、動物実験も、個体検査も、集合体の社会実験の実施もこれからの分野だというのに
(というのは、地球上で製造され、人体に影響を及ぼし始めて、無視できないPPM、PPB、PPTで拡散し、まだ50年間しかたっていない、これまで存在しなかった化学物質が、人類にとってはまさに未知な物質であって、
この疾病との戦い、解明には、提唱者の着眼点の洞察力もさることながら、
それを引き継ぐ医学界全体の、まさにこれからの解明努力目標ではないでしょうか。

それを、なぜ、NATROM氏は、いとも簡単に、「化学物質過敏症は存在しない、存在したとしてもまれでしかない」という『結論』を導くことが「できた」のでしょうか?

234GB:2013/05/19(日) 18:31:30 ID:q4/LF7wg
まず最初に聞きたいことは、そもそも、NATROMさんが言っているのは、
【1】「思い出しバイアス」「原因探しバイアス」があるがゆえに、患者さん自身の体験談は、それだけでは化学物質過敏症の存在を証明することにはならない。
【2】客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには、二重盲検法による負荷試験を行うしかない。
【3】これまで複数行われてきた負荷試験はいずれもネガティブな結果であった。
【4】よって、現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える。


【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、
「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、

この文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?

たとえば「現時点での予測では、明日は雨が降らないか、降ったとしてもごくわずかである」という文から、後半を切り離して、「明日はごくわずかではあるが雨が降る」と言い換えるのは正しいですか?

235GB:2013/05/19(日) 18:34:10 ID:q4/LF7wg
次に、現象学の専門家ということなのでお聞きするのですが、
「私の身体=内=体験として、<本質直感>として、自分は「化学物質過敏症」だと<志向的に意識>している」というのがわかりません。

そもそも哲学的思索の方法論である現象学を、科学的活動に応用するというのは聞いたことがありますが、その場合、出来合の概念を括弧に入れたデータの記述ということに限られるのではないですか?

医学の分野であれば、化学物質過敏症に限らず、上記の「記述」をもとに、他の多くのデータとつきあわせてどのような病気であるかを探索するという作業が不可欠になりませんか?
そういう「客観的な」作業なしに、なぜご自分の病気を特定することができるんですか?

236mortan:2013/05/19(日) 19:11:12 ID:epg2kfEM
>>234
>【1】〜【3】できちんと根拠を示した上で、「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」としているわけですが、
>の文の中に、「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」という内容が含まれていますか?

それは、NATROM氏本人に聞かれるのがいいと思います。
そう主張されている方ですので。

論理展開については、すでに書いてきた通りです。

確かに。日常感覚の自然言語で「え。これが真(ON)?」と感じるようなことも、「または(or)」でつないで、二つの命題の真について推論演算させるよう命じた以上、
プログラミング論理言語では「真である」として「ONもしなければならないことは往々にあることです。

237mortan:2013/05/19(日) 19:33:02 ID:epg2kfEM
>>235
>次に、現象学の専門家ということなのでお聞きするのですが、「私の身体=内=体験として、<本質直感>として、自分は「化学物質過敏症」だと<志向的に意識>している」というのがわかりません。

症状を自己内に明晰に知覚している患者として、その意識の側から、その症状を世界内存在として、さまざまな日常意識やプラシーボ効果などの臆見や先入見を排して、実存的に記述できるかどうか、やってみようとしている、というところです。

早い話が、自分で、実感しているが、それは、ほかの疾病の症状とは明らかに異なるため、「化学物質過敏症」という言語によって、構造的に区別された症状を、自分自身で、実験したり、体験したりしているところです。

ちなみに、苦痛が半端ではないので、食べ物には気をつけているのですが、
今、ある物を食べて、農薬を吸引した時の数倍の苦痛と、ミスタイプの症状が出ています。

>もそも哲学的思索の方法論である現象学を、科学的活動に応用するというのは聞いたことがありますが、その場合、出来合の概念を括弧に入れたデータの記述ということに限られるのではないですか?

それは一般論というか、理論としてのチャレンジですね。
私は、偶然にも患者当人になることができましとで、自分自身の意識の内側から、
事態を「観察」している、というより、「志向的に意識」するようにしている、
ということです。

>学の分野であれば、化学物質過敏症に限らず、上記の「記述」をもとに、他の多くのデータとつきあわせてどのような病気であるかを探索するという作業が不可欠になりませんか?そういう「客観的な」作業なしに、なぜご自分の病気を特定することができるんですか?

データが出ると分かりやすいですよね。それこそ「客観的」には。
ただ、今、しようとしているのは、ほかならぬ自分という存在が、
まぎれもなく実体験しているこの苦痛という<事象>を、
注意深く、ほかの疾病の症状と振り分けつつあるところです。
再現性のある日常生活の只中で。

ですから、自分で病気を「医学」のように、特定できるとは思っていません。
ただ、苦痛は<いま・ここに>に、世界内存在しています。
それを記述することで、ほかの疾病の症状とは考えにくい、という
患者の「主訴」の部分を、「主客二元論」を超えた、苦痛を医師に伝える
ほかの患者にも応用できる方法論を構築できるかもしれないと
考えているところです

私にとって、苦痛の症状は事実であり、しかも、一時的であり、
NATROM氏は「パニック障がい」の可能性も十分疑えると言うと思いますが、
私も、パニック障がいの方のカウンセリングをしていますが、
どうも、反応のタイミング、時間、質、量が、暴露した物質と
どうも相関関係、因果関係にありそうだと推定しています

これは、もはや理論ではなくて、苦痛からの回避の止むに止まれぬ必要性からです
そして、再現性をもって、それはある程度成功し、失敗を通して、次のチャレンジに向かっているところです

238mortan:2013/05/19(日) 19:51:34 ID:epg2kfEM
>>237
>ただ、苦痛は<いま・ここに>に、世界内存在しています。それを記述することで、ほかの疾病の症状とは考えにくい、という患者の「主訴」の部分を、「主客二元論」を超えた、苦痛を医師に伝えるほかの患者にも応用できる方法論を構築できるかもしれないと考えているところです

ですから、テーマとしては、
× 患者の「主観的な」主訴を医師はいかに「客観的に」聞き判定し得るか
という従前の方法論の延長や補完ではなく、
○ 患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか
という問いをただ純粋に問うているというところです

239GB:2013/05/19(日) 21:19:45 ID:4gGWytOw
>>236
「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」と、「内容を変えずに言い換えた」のはあなたなので、あなたに聞いています。

プログラミング論理言語はともあれ、この言い換えは誤りである、ということでよろしいですか?

>>238
「主客二元論」というのは、主観と客観を対置する近代哲学の前提のことで、人の認識の構造に関する話ですね。
医者と病気、医者と患者の関係を考えるときに「主客二元論」とは呼びませんので、誤解を与える表現は控えたほうがよろしいのでは?

それに、「患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか」
とはいっても、それをもとに病気であるかどうか、どんな病気かを判断するのは医者であることをお忘れなきよう。

240mortan:2013/05/19(日) 22:03:25 ID:epg2kfEM
>>239
>>>236
「きわめて稀ではあるが化学物質過敏症は存在する」と、「内容を変えずに言い換えた」のはあなたなので、あなたに聞いています。プログラミング論理言語はともあれ、この言い換えは誤りである、ということでよろしいですか?

「現時点では、化学物質過敏症は存在しないか、存在したとしてもきわめて稀であると言える」の後半部分を言い換えないで、主語を補うと、

「化学物質過敏症は、存在したとしてもきわめて稀である言える。」ですね?

ところが、「化学物質過敏症が存在しない(場合)」という命題は前半ですでに十全に語られていますので、再掲する必要はありません。(むしろ、重複すると、命令が単一に分割できなくなります)

ですので、後半から、前半ですでに語られている重複部分を除くと、

「化学物質過敏症は、存在した場合、きわめて稀である、言える。」

となります。これを整理すると、

「化学物質過敏症は存在する場合がある。その場合は、きわめて稀である」

です。これを、自然言語、つまり、私たちの日本語の普通の書き言葉の語順に整理すると、

「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」

です。ですので、前半と後半の二つの重複しない命題にするためには、こうなります。これは、

「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する」

と明言していることと同義です。ですので、言い換えてはいません。
命題として、整理しただけです。

241GB:2013/05/19(日) 22:18:20 ID:4gGWytOw
>「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」

その可能性については、もともと誰も否定していませんから。
科学の手順に従って考えた場合、もしあっても希だろうと考えるのが妥当ということなので。


同じことを言い換えると、
科学の手順に従って考えた場合、

>きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する

とは言えない、ということです。

242mortan:2013/05/19(日) 22:35:19 ID:epg2kfEM
>>239
>>>238
>「主客二元論」というのは、主観と客観を対置する近代哲学の前提のことで、人の認識の構造に関する話ですね。

いいえ。それはあくまで「認識論」側の問題ですね。

認識の構造をいくら調べても、カントがいう「ものそのもの」、フッサールがいう「事象それ自体>は浮かび上がってこないように見えるからこそ、多くの哲学者が頭を悩ませてきたわけです。

存在の問題は、もっぱら、古来より「存在論」(形而上学)の扱う課題でした。

ですので、時に応じて、主体と客体、認識と存在、認識論と存在論と、話題を加えてきました。

主体と客体、見る側と見られるモノ、という構造は、そもそも、一つの理論にまとめることができないのだ、という理論一般を「主客二元論」と呼びます。

243mortan:2013/05/19(日) 22:47:57 ID:epg2kfEM
>>239
>医者と病気、医者と患者の関係を考えるときに「主客二元論」とは呼びませんので、誤解を与える表現は控えたほうがよろしいのでは?

それは「誤解」というより、ただの<異化作用>です。

医師と疾病、医師と患者について、どうしても、
「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。
そのことに気づくこと自体は、決して悪いことではありません。
さらに、よりよい未来の医療へと展開していける萌芽は、その、今の出発点しかないのですから。

ただ、私はそれ自体を否定してはいません。
イリイチのいうような『脱病院化社会』のようなオルタナティブな、理想的な関係が構築された社会が訪れない以上、今の医療行為を無視することは意味がないと思っています。

244mortan:2013/05/19(日) 22:50:20 ID:epg2kfEM
=続き=

>>239
>ただ、その関係の只中に、主体―客体、という関係の壁があることは、良かれ(患者が医師に信頼するという)あしかれ(患者が自分の健康を自己管理できないという)事実です。

(途中で途切れたまま投稿してしまいました)

245GB:2013/05/19(日) 22:56:08 ID:4gGWytOw
そうですね、まさに認識論という哲学の問題ですね。

その範囲では、考え方はいろいろありますし、一部循環していますね。
たとえば現象学の洗礼を受けた後のドゥルーズが、人は自然の生成そのものは捉えることができず、人の認識の秩序に合わせて切り取っている、と言っていますが、
これってカントの「物自体」は認識不能で、人はその認識装置に合わせてだけ自然を切り取るという考えと、同じですよね。

それはともあれ、こういった認識論の伝統的な議論が、どこでどう、「あなたの病気に対する個人的な解釈」につながるのかが、もっとも不明なところなんです。

> 医師と疾病、医師と患者について、どうしても、「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。

あなたの関心はここにあって、現象学なんて飾りでしかないんじゃないですか?

246mortan:2013/05/19(日) 23:09:50 ID:epg2kfEM
>>239
>それに、「患者は主訴をいかにして<明澄な意識>をもって<現象学的還元><本質直感>を活用しながら排他的な<事象そのもの>として<記述>し得るか」とはいっても、

全ての患者が、十分教育され。訓練を受けた現象学者と同じように、自分の症状について、冷徹冷厳に<記述>できるとは思っていません。

今、考えているのは、問診票への、現象学的還元の手法の導入です。

今の問診票は、まさに「客観的なデータを、診る=知る側の医師にとって必要となる形で聞き、それに患者が答える」というものです。
もちろん、それも今のカルテ管理に十分役立っているでしょう。

心理テストや、統計調査の技法で、人が無意識に自分をよく見せたいという答えをしがちである、という傾向に着目して、複数の重複した、角度を変えた質問で、その誤差を無くす努力をしていますね。

それと同じように、問診票に答えるだけで、患者が、自然に、自分の症状に向き合い、記述し、本質直感の手助けができないだろうかとばくぜんと考えています。

もし実現するとしても、次の次の世代かもしれませんが。

ただ、それ自体も、北里研究所病院で受診した時の数十ページ(?)と感じましたが、膨大な質問項目からなる問診票からヒントを得ただけです。

そこでもすでに誤差を小さくする努力はされているようでした。

>それをもとに病気であるかどうか、どんな病気かを判断するのは医者であることをお忘れなきよう。

当然だと思います。
診断をするのは、教育を受け、訓練を受けた医師が当たるべきだと思います。

先ほどの問診票が、その新しい関係の医師―患者との関係の中で、診断にも、信頼醸成にも役立つものとなればと思います。

ただ、膨大な問診票は、やはり、患者にとっては負担ですから、それをうまく引き出すカウンセリングなどの技術がうまく取り入れられ、
その情報を医師が使えるようになれば、理想的ではあるなと思います。

少なくとも、患者自身が自分は化学物質過敏症だと日々の生活の再現性の中で直感しているのに、
そういう疾病概念は認められないという理由だけで、患者にもある良識(コモンセンス)が無視され、
それこそ「客観的に」化学物質過敏症であったにもかかわらず、ほかの精神疾患にさせられた、という誤診は減るものと思います。

247mortan:2013/05/19(日) 23:18:27 ID:epg2kfEM
>>245
> 医師と疾病、医師と患者について、どうしても、「診る側と診られ名付けられる病態」「診る側と診られる患者」の関係の中には、古来から続く、ヒエラルキーが確かに存在します。あなたの関心はここにあって、現象学なんて飾りでしかないじゃないですか?

確かに、現象学は方法論でしかありません。しかし、問題が自分の内側にある
という特殊な条件において、きわめて有効な方法論になり得るのではと感じています。

医師と患者の関係も主客の関係で自ずと出てきただけで、
私の、一番の関心は、自分の苦痛を伴う、反応物質に対する症状です。
この実体験を、自分の意識でどう捉えられるか、というところに関心があります。

というのは、今のところ、つまり、薬効のある薬が開発されていない以上、
原因探索、原因回避の積み重ね、そして、間違っていたら、
さらに真犯人の原因を探し当て、それから回避し、苦痛の症状を軽減させることに
いちばんの関心があります。

これは、全ての化学物質過敏症患者にとって、共通した気持ちではないかと思います。

248t:2013/05/19(日) 23:29:32 ID:JpffVOHU
>>230
順番を入れ替えますが、
>2)「真の化学物質過敏症と診断できる患者は極めて少数」には『反対』します。

いままでの信頼のおける医学的研究の結果では真の化学物質過敏症と診断された患者はいません。

>1)「化学物質過敏症という疾病概念自体は存在する」には『賛成』します
まったく患者がいないものなので存在がそもそも疑わしい。

>なぜなら、受診していない、他の疾病と誤認している潜在患者数はさらに多くなると思いますが、今、発表されている患者数は妥当だと思うからです。
これがあるから限りなく可能性が低いけどあるかもしれない程度。

>3)「多くの場合は確証バイアスによって他の疾病の症状を『化学物質過敏症』と誤認しているだけである」には『反対』します。
いままでの研究結果を見る限りはそうでない患者は見つかってない。

249mortan:2013/05/19(日) 23:29:39 ID:epg2kfEM
>>241

>「きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在する場合がある」その可能性については、もともと誰も否定していませんから。

それはその通りです。
何であれ、誰にも、将来の発見を否定することはできない、という意味で
言われているわけですよね。

>科学の手順に従って考えた場合、もしあっても希だろうと考えるのが妥当ということなので。

すみません。そこの跳躍の意味が理解できません。

>同じことを言い換えると、科学の手順に従って考えた場合、
>きわめて稀ではあるが、化学物質過敏症は存在するとは言えない、ということです。

言われたい意味は分からなくはないですが、
論理学上では、一つの命題にすることすらできなくなります。

それ以前に、どちらでも言い得るなら、何も言っていないに等しいことになります。
私たちは、自然言語を使った日常会話でさえ、そのような無意味な会話は
成り立たないのではないでしょうか?

そこは、じっくり考えてみてください。
私は、言うべきことはすでに語ってきましたので。


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