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化学物質過敏症についての掲示板

160mortan:2013/05/12(日) 03:53:34 ID:e7MRQzJU
=続き=

>>142

>>【6】
>「化学物質過敏症は存在しないか、または、存在したとしてもきわめて稀である」であれば、臨床環境医たちの診断は「全部不適切」であるか、または「ほとんどが不適切」である。

それは論理学的にまったく間違いです。
同じことをもし言いたいなら、こう言わなければなりません。

--------------------------------
化学物質過敏症は存在しない<真>
または、
化学物質過敏症が存在したとしてもきわめて稀である<真>
(この主張が真であるなら、上記の二つとも真でなければならない)

であれば、

臨床環境医たちの診断は、

i)化学物質過敏症は存在しない<真>の場合

すべてが不適切である<真>

ii)化学物質過敏症がまれに存在した場合<真>

すべてが適切である<真>
--------------------------------

です。わかりますね?
高校生でもたぶんわかると思います。


>>【7】
>「客観的に化学物質過敏症の存在を証明するには二重盲検法による負荷試験を行うしかない」以上、負荷試験を受けていない人が『私自身は、どう見ても、「真性の」化学物質過敏症、です』と自己申告したところで、その主張は客観的には正しいとは言えない。

「客観的」と言ってしまったことで、すでに、医学において、医療において、臨床の現場において、「客観的」とは何か、という根本的な問いが、提示されてしまった。

この問題について、すでに何度か語ってきたが、もし、本気で答えを求めているなら、以下の著作に当たりなさい。

まずは、「主客二元論」からの脱却のために、フッサールから読みなさい。

<身体性>という視点を得たいなら、メルロ・ポンティを読みなさい。

変わったアプローチになるが、実存主義的に、精神疾患を捉えたいなら、R・D・レインを読みなさい。

その上で、精神科医でもあるポスト構造主義的なアプローチの必要を感じたらジャック・ラカンを読みなさい。

ジル・ドゥルーズ(哲学者)とフェリックス・ガタリ(精神科医)の協働思索による問題解決が必要になったら、ドゥルーズ=ガタリの共著を読みなさい。

そうすれば、あなたも、<他者>である「患者」を、ただの「客体」「客観視するモノ」「即自存在」としてではなく、
同時代に、世界内存在として、同じ受苦を持って、この世界地平に存在する、「主客二元論」を超え得た、新たな知のエピステーメーへといざなわれることだろう。

そうして、医療の現場に向かうあなたは、もはや、ただの「認識」するものから、「対自意識」として、共時的に、患者の意識と存在そのものを<記述>し、解放へと導く、新たな使者として、その現場に立つことになるだろう。


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