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悟りを科学する

1管理者:2004/07/21(水) 06:22

新しいスレッドテーマの提案が有りましたので、立ち上げます。提案文は以下の通り。

43 名前: 雖念 投稿日: 2004/07/20(火) 20:48

「鰯の頭も信心から」から分離して、「悟りを科学する」といった、テーマのスレッドはどうでしょうか? 秘薬や密儀、瞑想によって何が得られているのか? 悟りと病的な心理体験はどう違うのか? 悟ったあとも、なぜ修行や布教が必要なのか? そんな内容で話し合いたいと思います。

「悟り」という言葉を用いましたが、宗教的な超常体験、幻覚、異常心理という程度の意味です。

17雖念:2004/07/22(木) 06:32
>10 愚鈍凡夫さん:

 >薬物によってドーパミンが強制的に分泌させられるとき、大脳新皮質にある神経細胞が覚醒して暴走し、幻覚を見るようになります。外からの刺激を過剰に感じてしまうため、色が鮮やかに見えすぎたり、いつも聴いている音楽がまるで別の曲のように聞こえたりもします。

薬物と「幻覚」の関係を研究する難点は、「全身投与」で「人間」を対象とした「実験」しかできないことだと思います。動物実験が可能なら、もう少し解明が早いと思いますが。
動物実験で、ある種の部分を代替することは可能ですが、その結果を人に外挿することが可能かどうかの解釈で意見が分かれるため、結局人での実験しかできないこと。また、人での全身投与は、薬物の全身作用や副作用を伴うためその解釈が難しいという難点もあります。つまり、「薬物によってドーパミンが強制的に分泌させられるとき」、よそ(体の他の部位、脳の他の部位)では何が起きているのかわからない、ないしは無視しているということです。
 じゃあ、どうすればいいんだ? と、お叱りを受けそうですが、いい代替案がないので、結局茸やLSDなどで実験しているのだと思います。

18みかん:2004/07/22(木) 08:06
ためしにベニテングダケ食ってみたらいかがですか?
渋谷あたりの合法ドラッグ屋で普通に売ってますよ。
サイケマッシュとかエックスマッシュとかセックスマッシュとか
そういう商品名で。
気分悪くなるだけで飛べないという、專らの評判ですが。

2年前に違法になったマジックマッシュルーム(シロシベクベンシス)
の方が飛べたみたいですね。

19犀角独歩:2004/07/22(木) 09:29

例えば、空海は丹生と深く関係し、また、丹(水銀)を使用する虚空蔵求聞持法で神秘体験をしたことは、たぶん、確実なことであると思います。
空海が修法したところでは、火が焚かれていたといい、これが水銀摂取の方法と大きく関わっていたという指摘もあります。この場合、では、ただ水銀を呑めば幻覚が生じるかといえば、そんな単純なことではないはずです。

以上のことは、それが茸、またその他薬草であっても同様なのではないでしょうか。
どのように摂取すれば、どのような効果が得られるのか。そのノウハウこそが重要なのだと思います。単に野に生えているベニテングダケを囓ったり、干して食べたところで中毒症状を起こすだけでしょう。適切な摂取の仕方で再現性のある幻覚を得る方法、さらに秘儀(修法)という場の雰囲気・舞台装置も整えて初めて効果を発揮するところもあると思います。

たぶん、いままでの議論の如く、使用された薬物、茸、草などはある程度、特定することはさほど困難なことではないにせよ、では、その「効果的な摂取法」となると、この実証は困難を極めると思います。ですから、まずは宗教儀礼に、隠れて薬物・茸・草などが使用されたか否かを見るだけでも意義は大きいと思います。是一

また、神秘体験、託宣、神憑りなどと言われるものが、神仏の力を介し、その人の宗教的な高まりの結果起きたものか、あるいは単なる精神異常なのかを見ることは、実はきわめて重要なことであると思います。また、それが実は仕組まれた虚偽であって人を誑かす詐欺であるかどうかを見極めることも重要です。この点は先に紹介した高橋師『宗教病理と犯罪』でも言及されています。

また、近年の法の花三法行の福永は教義まで仕出しで文筆家に作らせたうえ、足裏診断という本人すら虚偽であるとわかっていた方法で人々から金を騙し取りました。ライフスペースの高橋は定説などと嘯いて重症患者を死に至らしめたばかりではなくミイラ化した遺体の復活を信者に解いたわけです。統一協会の霊感商法では、霊能力があるように見せかけ、壺や五重塔を売りつけました。オウム真理教の前身・神仙の会では偽薬を販売し処罰されたりしたわけです。

これらは、実行犯側が、このような宗教商売を継続していく中で集団幻想に陥り、実際に特別な霊力が発揮されるという妄想に取り憑かれることもあるでしょうし、祈祷精神病、あるいは二人組精神病という‘感応’を来すこともあるように窺えます。

以上の点につき、真相は糾明されてきたわけですが、これらと、各人が得た、所謂「体験」をそれら詐欺商法、精神異常と混同すれば真相の半分は捨てられてしまうことになります。
ですから、上述の糾明と並行して、各人に起きた‘体験’を科学的見地、あるいは宗教的見地から考証してみようというのが、当スレッドの目的であると考えます。是二

以上、概ね2点。なるべく議論を拡散しないようにして、効率のよい議論が出来ればと希望するものです。

20犀角独歩:2004/07/22(木) 10:47

以下、資料として呈示します。

『病を癒す・唱題行のプロセス』影山教俊(現代宗教研究所研究員)
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/001/001_02.htm

21犀角独歩:2004/07/22(木) 11:05

もう1冊。以下の本は、まだ読んでいないのですが、当スレッドからすれば必読書かと思っています。

小西照夫著『精神医学からみた日本の高僧』牧野出版

いのちの電話総主事・齋藤友紀雄師(牧師)は、同書を以下のように推薦しています。

「日蓮、親鸞といった日本の高僧を病跡学的に研究した、優れた本です。小西先生自身、仏教者でありますから、決して仏教を否定するものではありません。しかし、日本の高僧と言われる人たちには例外なく心の課題・心の危機・病理的な課題がある、けれども彼らはこれを乗り越えて宗教の本質に近づいたというのです。病理性を抜きに、彼らの宗教を語ることはできないというのが小西先生の結論でございます」(JDCC公開講座メモ)

22愚鈍凡夫:2004/07/22(木) 12:23

**************************************************
◆薬物の作用はドーパミンを過剰分泌させることだった
 脳に強い作用を及ぼす薬物として、「コカイン」「アンフェタミン」「モルヒネ」などが知られています。それぞれ薬物によって作用する場所や、働き方が違います。
 コカ葉から抽出される「コカイン」は、前頭連合野と側坐核に作用します。覚醒剤の「アンフェタミン」は側坐核とA6神経という脳全体に通っている覚醒性神経に働き、「モルヒネ」は側坐核、視床下部、中脳に働きます。それぞれ直接、間接的に、あたかも神経伝達物質が分泌されたかのように働いて快感を感じさせます。また脳内の作用メカニズムから、薬物によって恐ろしい"依存症"が生じることも実証されています。
 アンフェタミンなどはA10神経系が分泌する快感ホルモンのドーパミンとそっくりな分子構造もっていて、いかにもドーパミンが分泌されたように脳の各所に錯覚させ、理由もないのに幸福な気分にさせてしまうのです。なおかつ、これらの薬物はドーパミンの過剰な分泌を促します。偽ドーパミンとして働きつつ、本物のドーパミンを誘い出す効果があるのです。

「そこが知りたい! 脳と心の仕組み」より
**************************************************

前頭連合野に覚醒剤が働くと、斬新なアイデアやイメージが浮かび、創造的能力を触発する作用があるようです。しかし、あまりにも強烈な快感を得られるために、「側坐核」がその快感を強烈に求めるようになり、更に強い快感を求める欲求を抑えがたくなります。これが薬物性依存症の恐ろしさですね。

23愚鈍凡夫:2004/07/22(木) 23:53

普通、目で見た情報などの体から脳へ送られる情報は、視床を通って前頭葉へ送られ、前頭葉で知識や経験による判断が加味されて視床に返され、視床はその判断に従って外部からの情報を取捨選択する仕組みになっているそうです。
ところが幻覚キノコを食べると、幻覚キノコの成分であるシロシンなどが脳内の神経伝達物質の一つであるセロトニンの代わりに前頭葉のセロトニンレセプターと結合し、前頭葉から視床に送られ情報を遮断するようです。すると、視床の働きが弱まり、情報のコントロールができなくなり、オーバーフロー状態に陥ります。外部の情報は脳内にあふれ出し、普段は遮断されている情報までが前頭葉に流れ込み、結果、脈絡のない幻覚症状を引き起こすようです。

24愚鈍凡夫:2004/07/22(木) 23:59

訂正

誤→前頭葉から視床に送られ情報を遮断するようです。

正→前頭葉から視床に送り返される情報を遮断するようです。

です、悪しからず。 m(_ _)m

25雖念:2004/07/23(金) 05:27
>18 みかんさん:

ハインリックはベニテングダケで幻覚を見るまでに壮絶な苦労をしています。友人と二人で実験し、はじめは生のまま食べて友人は瀕死の状態に陥りました。
ついで、十分乾燥させたものを食べ始めましたが、はじめの30日間ではエネルギー、霊性、吐き気、多幸感以上の体験はできなかったということです。30日目に一日断食後、茸を10本食べて、その後排尿しお互いの尿を飲んだ後に至福のときを体験したとあります。
31日をついやして、人のおしっこを飲まないといけないということになるとちょっと踏み切れません。
シロシべクベンシスは生のキノコ10ないし30グラムが、最小有効投与量だということがわかっているため「飛べる」のだろうと思います。

27雖念:2004/07/23(金) 05:50
>26 改行がなく、判読しにくいので再投稿いたします。管理人さま。すみませんが 26 を削除ください。

> 19 犀角独歩さん:

議論の拡散ということですが、こうした御書に記載されていないような内容の場合、①参加者の背景知識の質・量に関する差が大きい。②教科書的な内容であっても、日本語のサイトで利用可能なものが限られている場合がある。③脳科学の発展の著しさ などがあり、どなたの発言もたいへん有益で、示唆的、発展的であると感じています。

> では、その「効果的な摂取法」となると、この実証は困難を極めると思います。ですから、まずは宗教儀礼に、隠れて薬物・茸・草などが使用されたか否かを見るだけでも意義は大きいと思います。

 これは、宗教上の修行の中での(修行と一体となった)「効果的な摂取法」という意味でしょうか? 幻覚誘発物質自体は、分離精製されていてたとえばLSDなら75-100マイクログラム、シロシビンなら数ミリグラムと投与量も確立され、かつては心理療法の場で用いられたこともあります。

>ですから、まずは宗教儀礼に、隠れて薬物・茸・草などが使用されたか否かを見るだけでも意義は大きいと思います。

 これも、変性意識(意識の拡張)に到達するのに、①薬物のみ。②修行のみ③併用 の3通りがあると思います。また、修行の内容にも①経文などの読誦②太鼓など③長時間の歩行④断食⑤不眠⑥瞑想⑦呼吸 など変性意識の獲得のための有力な手段が多く、しかもこちらのほうには標準化が難しい項目もあります。発言のご趣旨は、「(日本の伝統宗教の)開祖が」と、いうことでしょうか?

28みかん:2004/07/23(金) 08:48
>>25
ハインリッヒ(ハインリック)氏が、ほかの幻覚性食品ではなくて、
問題の物質がズバリ「ベニテングダケ」だと主張している理由はなぜ
なんでしょうかね。

幻覚を見る可能性のある食品はベニテングダケに限ったものでは
ないし、シロシベなんかだったらベニテングより簡単に幻覚が
見られるわけでしょう。

ハインリッヒ氏がドラッグカルチャーに詳しい人なのかどうか判
りませんが、30日も苦しんで、ベニテングにのみ執着する理由
がよくわからないのですが。当該書籍にベニテングであるとする
理由が書いてあるのですか?

29犀角独歩:2004/07/23(金) 09:23

> 雖念さん:

> どなたの発言もたいへん有益で、示唆的、発展的

仰る範囲の投稿であれば、特に異論はありません。

> 「効果的な摂取法」

その前文で上げたとおり、たとえば空海が虚空蔵求聞持法で水銀を用いたことはたぶん確実であると思います。しかし、では、どのようにそれが用いられたかはまるではっきりしていません。そのように薬物・茸・草などが秘儀でどのように使用された=効果的な摂取法を明確にしていくことはかなり困難だろうという意味です。

なお、それが宗教圏である場合、薬物によって神秘体験がもたらされているとは考えてこなかったはずです。秘儀を授ける師(集団)によってもたらされたと授者は認識したことは確実ではないでしょうか。この点もより明らかに出来れば、議論の成果とわたしは考えています。

> …分離精製…心理療法の場で用いられた

これは現在に属することで、ここから、古代以来行われてきた秘儀の「効果的摂取法」を類推することは可能であると期待しています。
また、薬物その他の活用法ばかりではなく、その時に起きている脳内代謝の変性を科学的に説明する、愚鈍凡夫さんの如き資料の呈示も大いに興味があります。

>> 宗教儀礼に、隠れて薬物・茸・草などが使用されたか否か
> 変性意識…到達…①薬物のみ。②修行のみ③併用 の3通り

ええ、このような類推はもちろん可能でしょう。
しかし、それを確実に特定することはかなり困難ではないかと記したわけです。
けれど、類推、予想を一蹴する記は毛頭ありません。むしろ、あれこれと知識を傾けて議論に花が咲くことを期待しています。

> 標準化が難しい項目もあります。発言のご趣旨は、「(日本の伝統宗教の)開祖が」

違います。それこそ、東洋・印度におけるバラモン教の時代から、また、そこに留まらず、西洋の『聖書』圏、また、黒魔術なども含めて、どんな形で、変性意識が重視され、また、それが宗教で利用されたかも含めて、ということです。
「悟りを科学する」といえば、「悟り」の宗教・仏教とその後変形宗教に留まりますが、所謂「神憑り」といった憑依現象も含めて、ということです。

もちろん、標準化など出来るはずはありません、洋の東西、各集団、それぞれ遣り方が違うわけですから。

わたしが「議論の拡散」と言ったのは、当スレッドで立っているテーマ自体を否定し、自己の信念体系の押しつけに終始し議論自体を攪乱する愚は受け入れないという意味です。

30犀角独歩:2004/07/23(金) 13:03

『素朴な疑問』1618、1620に関連しますが、内容から、こちらに投稿します。

ここのところの議論で少し前の出来事ではっとすることが想起されました。
数年前、ある新宗教情報筋の方から「教祖」を紹介されたことがあったのです。その方とは一度きり、その後、お会いすることはありません。
鼎談した折、「教祖はよく山には入る」という話になったのです。

「教祖は山に入る」、その話を聞いた時、「教祖になっても熱心に修業しているわけなんだ」とわたしは感心したのですが、いま振り返ると、その教祖さんはともかくとして、過去の修行者が山に入った理由は、単に修業のためであったのか?と疑問が沸いてきました。
空海も山岳修行者で、入山修業したことが知られます。しかし、それは純粋に修業目的のみではなく、水銀採取と深く関係があったといいます。
山には各種の鉱物資源があり、これは向精神系の薬物に生成できたでしょうし、また、同じ作用をもたらす茸・薬草も人知れぬ山谷に群生していたのではないのか? 実はこれらの採取を、山岳修業は兼ねていたのではないのか?という疑問です。案外、この類推は当を得ているのではないのかと思ったりします。

31雖念:2004/07/24(土) 05:33
>28 みかんさん:

>ハインリッヒ(ハインリック)氏が、ほかの幻覚性食品ではなくて、
問題の物質がズバリ「ベニテングダケ」だと主張している理由はなぜ
なんでしょうかね。

形態上の特徴と、成長・分布の様式が特徴的であることを例示して論証しています。
自ら撮影した多くの写真を掲載し、「燃える柴」に見えるのはこんなとき、「聖杯」に見えるのはこんなとき、といった風に写真を示しています。

>幻覚を見る可能性のある食品はベニテングダケに限ったものでは
ないし、シロシベなんかだったらベニテングより簡単に幻覚が
見られるわけでしょう。

100%すべてベニテングダケと主張しているわけではなく、「幻覚」の内容や様式に相応して、これは麦角、ここはシロシベ(で、あろう)といった使い分けもしています。

>ハインリッヒ氏がドラッグカルチャーに詳しい人なのかどうか判
りませんが、30日も苦しんで、ベニテングにのみ執着する理由
がよくわからないのですが。当該書籍にベニテングであるとする
理由が書いてあるのですか?

上記の繰り返しになりますが、リグヴェーダや聖書を読んで、ベニテングダケの形態や発生・増殖について研究することにより、各聖典に暗示されていたものが、ベニテングダケ以外にありえないと確信して本を書いたようです。著者は、宗教学者でも植物学者でもなく、その意味では不思議な本です。

32雖念:2004/07/24(土) 06:17
むかし、よく一人で山歩きをしていました。高山の稜線をよく晴れた日に歩いていると、見渡す限り人の姿が見当たらないことがあります。
そんなとき、よく岩陰から人の声が聞こえてきます。そこへ行っても、当然だれもいません。
岩陰で腰をおろすと、こんどは自分の後ろから声が聞こえてきます。話し声だったり、歌声だったりします。
こうした声は、おおむね2時間以上一人で歩いているときに聞こえました。途中で人とあったりすると、急に聞こえなくなります。また、物思いにふけって歩いているときには、声は聞こえません。
山登り、山くだりのときは、まったく平気です。
山に登って、数日しないとなかなか、こうした声が聞こえるようにはなりません。
山歩きをすると、こうした晴れて、見晴らしがよく、人がいないときにもっとも恐怖心が強くなります。声がきこえるからです。
霧がかかっていたり、木立の中を歩いたりするときには、こころは安らぎます。霧がかかると、今度は視界が断たれ、遭難の可能性がでてきますが、不思議にこころは落ち着いてきます。
山道をあるいていると、ところどころに小石を積み上げたケルンがあります。
ケルンを見つめて合掌すると、しばらくは声が聞こえなくなります。
この声をきくのが怖くて、山歩きをするのをやめようと思ったこともありますが、山歩き自体の魅力もあり、結局また出かけることになります。
のちに、こうした体験は感覚社団による幻聴であることを知ったわけですが、宗教上の修行として山を歩いていたりすると、またちがった声が聞こえるのかもしれません。

33雖念:2004/07/24(土) 06:21
>32 訂正

誤: こうした体験は感覚社団による幻聴
正: こうした体験は感覚遮断による幻聴

34愚鈍凡夫:2004/07/24(土) 09:31

歴史上世界最大の国家を築き上げたモンゴル帝国の兵士たちは、戦に出る前に「ベニテングダケ」を食したと聞いたことがあります。言うなれば、トランス状態で敵陣に突っ込んでいったわけですね(そら、勇猛果敢になるわな)。
20本も食べなければ命に別状ないわけですから、今でも合法ドラッグとして世界各地で使用されているようですね(過度の摂取による統合失調症と背中合わせですが)。
日本では、長野は「ベニテングダケ」の産地として有名で、中毒を起こさない食べ方が確立されているそうです(なかなかの美味とのこと)。
ひょっとして、甲斐の武田軍団が強かったのは「ベニテングダケ」の効能だったりして。

35雖念:2004/07/25(日) 21:46
「戒」について調べていたときに、「必得好相」のことが、気にかかりました。
これこそ、まさに「変性意識」ではないでしょうか?

請現前一傳戒師。以爲現前師。若無傳戒師。千里内請。若千里内無能授戒者。至心
懺悔。必得好相。於佛像前。自誓受戒。(現前の一人の傳戒の師を請じて、以て現前の師と為す。若し無傳戒の師無くんば、千里の内に請ず。若し千里の内に能く戒を授ける者無くんば。至心に懺悔して。必ず好相を得。佛像の前において、自誓受戒せよ。
(最澄:山家四條式天台法華宗年分度者回小向大式)
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/txt/txd/017.htm

この好相を得るための修行は、現在も比叡山に千日回峰行の形で残っています。

****************  引用開始 *****************
厳しい籠山行であるが、侍真になるためには大きな関門を通らなければならない。それは「好相行」と呼ばれるもので、「一仏に対して一々焼香、供華し、各仏名を唱えながら五体投地の礼法を一日三千回、不眠不臥して繰り返す行法」であると言われている

五体投地というのは全身を床に投げ出して行う礼拝行で、この行は過去の罪を懺悔し、身を清浄にして仏の好相を感得するまで無制限に続けるもので、(中略)「好相を見る」とはどういうことかと言えば、「梵網経」によると、「好相とは、仏来りて摩頂し、光を見、華を見る種々の異相にして、便ち罪を滅することを得るなり」と説かれている。(中略)

意識が朦朧とし、無我の状態になったとき、あたりは光と華に包まれ、その荘厳な世界に仏が現れるのだろうか。その劇的な瞬間をまわりのものも感じると言う。
こうして好相を見た後、戒壇院で釈迦如来の前で、自ら誓い、受戒(自誓受戒という)し、十二年の籠山に入ることが出来るという。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~yuyujuku/hiei/syugyo.htm
****************  引用終了 *****************

上記は、当スレッド12で述べた変性意識を誘発する手法のうち、「舞踊」「単調なリズム」「疲労困憊」を利用しています。

****************  引用開始 *****************
700日を終えると行の山場である堂入りと呼ばれる儀式を迎える。
堂入りは生き葬式ともよばれ九日間、不眠不休、横になることも許されず、水も食物も一切口にできない。(中略)カメラは徐々にやせ衰えていく酒井さんを記録していた。
5日目にはいった。この時、酒井さんの目が変化しているように見えた。
酒井さんの瞳孔が開いたままである、と世話の僧がつげた。

9日目。
最後の水くみに向かう酒井さんを信者達が前日から徹夜で迎える。(中略)
酒井さんの姿は死体のようでもあり、限りなく無であるように見えた。
http://blog.main.jp/tkm/archives/000443.html
****************  引用終了 *****************

また、こちらの場合も瞑想法、疲労困憊、絶食、激痛などが応用されています。
まずはひとつ、変性意識獲得のための標準的な修行の概観です。

36顕正居士:2004/07/26(月) 12:35
ソーマはベニテングダケではないかという説は与太話ではないようです。
「祭司とシャマン」(吉田禎吾:「宗教人類学」)
http://www.htokai.com/chiikisozo/mabuchi/a10.doc

合法ドラッグの効果、ベニテングダケもあります。
http://www.420.ne.jp/saike/drug/01.html

経費のかからない娯楽として「体外離脱」も最近は普及しています。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/arisu/

37雖念:2004/07/26(月) 18:06
うーん、びっくり

体外離脱が「普及」しているというのには、びっくりしました。
でも、このひと「体外離脱道」を追求したのはえらい。
離脱までは、難しくないと思いますが、長続きする方法などを自分で工夫したのには、感心しました。出眠時の方がコントロールしやすいというのもそのとおり。
小生は、ヘリコプターに乗るようになってから50〜60メートルの高さを「体外離脱時に」飛べるようになりました。

38顕正居士:2004/07/26(月) 21:10
チベットには「デロク文学」というものがあるそうです。臨死体験の文学です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/daslok.html
『チベットの死者の書』(バルド・トェドル)は臨死体験の教訓の集大成でしょう。
臨死体験も体脱体験の一種であると考えます。体脱者の「幻体」の説明は倶舎論の
「中有身」とほぼ一緒です。「常行三昧」などの過激な行は覚醒時の幻覚までを
喚起するでしょうが、それらの体験は体脱や明晰夢であることも多いでしょう。
仏教、特に「唯識」の教えではあらゆる現象は「如幻如化」であり、実体がないのだ
といいます。つまり現実の世界も夢のようなものだという。現実の世界でも
「人々唯識」(にんにんゆいしき)、おのおのの脳中にあることを経験している
のに変わりはない。夢でない現実の世界では外界の情報が入力されますが、脳は
いろいろに補って全体像を描写します。たとえばものが倒立して見える眼鏡をかけて
幾日も経つと正立して見えるという実験があります。例のサイトの人は偉大だなと
わたしもおもいます。「体脱」が純粋な夢あるいは入眠時の幻覚であると断定を
しているからです。体脱して友人を訪れた場合、現代ではメールや電話で「俺は
そちらに行った?」と聞いたり、見た部屋の説明をしてそれが現実と合っているか
直ぐにチェックができます。体脱体験は永い間、いろいろな宗教の教義ができる
もとになっており、「如幻如化」などの発想はありましたが、結局そう断定できず、
あるいは宗教商売の都合から断定しなかったとおもうのです。

39雖念:2004/07/27(火) 20:32
体外離脱やドラッグによる変性意識の獲得がHow toものとして、軽く語られるレベルになってしまう(すでになってしまっている!)と、宗教はどう変遷せざるを得ないのか?
各宗派の開基・開山上人と言われる方々や、新興宗教の教祖の中にも夢のお告げにより創始者となった方々が多いと思いますが、ありがたみが薄くなってしまいますね。
 麻原「尊師」も、サリンをつくるよりも、ベニテングダケのソーマ成分の分離抽出の研究でもしたほうが、はるかに安上がりだったのでは?
 でも、ベニテングダケの分離精製はどうして誰もやらないのでしょうか?

体外離脱の自己コントロールは、心理療法にも使えそうですね。
自律訓練法ではリラックスするときに、手の脱力を意識させますが、体外離脱時にリラックスさせるのに、手を意識させるというのが面白いと思いました。

 また、ドラッグによる変性意識の獲得は、非合法として一律に禁止するよりも、許可を受けた有資格者の利用を認め、心理療法への応用を積極的に研究すべきではないかと思います。

結局脳内現象にとらわれずに、その次のことを考えないといけないのですね。

40顕正居士:2004/07/27(火) 22:16
昔、宗教(教会)は労働が済んだあとの余暇に対して、あらゆるサービスを提供する財閥企業で
ありました。教育も娯楽も旅行も全部が宗教(教会)がらみ。イッツ ア ソニーだったのです。
経済が発達した今ではいちばん得意な分野に集中する会社が勝ちます。世界最大の会社マイクロ
ソフトはWindows OS単品の企業です。最近はゲーム機とか少し手をひろげていますが。そして
「世界のナショナル」だった松下電器はあらゆる分野で苦戦しています。宗教(教会)にはもう
葬式とマルチ商法しかやることがなくなりました。しかしそれは宗教(非教会)が衰えたのでは
なく、財閥企業から専門企業になったのです。ドラッグや体脱のノウハウも聖典も相伝も公開が
され、消費者はおのおのの分野でいちばん良いサービスを選ぶ、自分のためにカスタマイズする
時代になりました。
「向精神薬」は精神病の治療だけでなく、一般人の精神的健康増進におおいに役立つでしょう。
しかし宗教(教会)勢力は向精神薬の非神秘化に対して今後も頑強に抵抗をおこなうでしょう。

41雖念:2004/07/28(水) 06:02
>39 自己レスです。

調べてみると、ベニテングダケはドラッグの世界では、大変ポピュラーなんですね。インターネット通販で、濃縮ベニテングダケや乾燥ベニテングダケが販売されているし、上田では炊き込みご飯に入れてたべるんですね。
http://markun.cs.shinshu-u.ac.jp/ueda/imagemap/akaheri.html

それと、精製分離もなされていて、成分はイボテン酸-ムッソモール,シロシジンーシロシ
ン、ムスカリンなど。と、なるとこの組み合わせ(成分比)、用量を研究すればいいわけですね。
http://micro.fhw.oka-pu.ac.jp/microbiology/poisoning/natural-toxin/toadstool.html

より簡単に使用するには、服用に適した方法に抽出することですが、ベニテングダケを食べた人の尿を飲用すればよいとのことですので、これも「生体抽出!」ということで、簡単にすみますね。開発研究費ゼロ!

42犀角独歩:2004/07/28(水) 13:16

薬物中毒症状と言ってよいのか、作用という言葉が適宜はわかりませんが、所謂「トリップ」状態と、鉱物・薬物で擬似的に演出される宗教上の「悟り」、神秘体験は、どこで分別できるものでしょうか。

43顕正居士:2004/07/28(水) 16:47
「悟り」という言葉を、日常の意識からはアクセスできないレベルにある脳のスクリプトを
整理するなどの意味に解釈すれば、LSD(リゼルギン酸ジエチルアミド)がそういう効果を
有する可能性があります。精神病の治療薬として以外に、健常者の知覚拡大に貢献すること
をハーバード大学の教授ティモシー・レアリーは普及しましたが、合衆国政府により、LSDの
合成は禁じられ、レアリーは一級犯罪人としてお尋ね者になってしまいました。後に身分を
回復し、カリフォルニア知事の選挙に出馬したこともありますが。わたしの経験では、LSDは
脳内情報の整理に役立つように感じました。米日欧諸政府の規制によりこの向精神薬の研究
は固く禁止され、現在にいたっています。

44犀角独歩:2004/07/29(木) 06:03

> 43

なるほど。こういう理解の仕方は可能なのですね。
有り難うございます。

薬物に拠る幻覚作用は、中毒性との諸刃の剣ですね。
この点は、脳内代謝物でも同様のことが言えると思うのです。
けれど、たぶん、カタルシスとか、法悦と称される、宗教の一つの極致…、それを「さとり」と言ってもよいのですが、それらが一種の継続的‘中毒症状’であるとは考えづらいのです。

では、この差異は何であるのか、重要な点であろうと思うのです。

45雖念:2004/07/29(木) 07:18
>44 カタルシスとか、法悦と称される、宗教の一つの極致…、それを「さとり」と言ってもよいのですが、それらが一種の継続的‘中毒症状’であるとは考えづらいのです。

「脳内麻薬」が発見されたときも、最初は驚きといぶかしさを持って迎えられ、非難が相次ぎ、時間がたつにつれて「ランナーズ・ハイ」など、一般人にも納得できる事例が相次ぐことにより、次第に受け入れられてきました。

 修行という名のもとに、演出される孤独、空腹、疲労困憊、感覚遮断等々、そしてその結果として得られる「聖別された変性意識」、「神聖な意識の拡張」と単なる特殊な条件下での労働その他における同様の現象を区別すべきなのかどうか?

背景文化や背景意識に宗教的なものがあれば宗教的な幻覚を体験する可能性が高いだけであると、冷静に判断すべきではないでしょうか?

もっとも、脳内で起きている現象の機序と、その現象を契機として生み出される内容の価値はまったく別物であると思います。

要は、こうした「変性意識」「意識の拡張」はひとつの縁、ひとつの引き金に過ぎず、それを経験する人物の背景意識と、行動の方向性こそが重要なのではと思います。

特段の背景意識のない人にとっては、単なる極彩色の幻影に過ぎないものが、観音様に見えたり、大日如来にみえたり、阿弥陀如来の来迎に見えたり……と、いう認識でいかがでしょうか?

46顕正居士:2004/07/29(木) 15:49
ざっとはそういうことでしょうね。雖念さんはご存知でしょうが、ブロッケンという自然現象が
あります。自分の影が雲に映るのですが、機序を知らなかった時代の人々にはたいそう神秘的で
あったと想像します。

笠ヶ岳の御来迎
http://gifu.cool.ne.jp/hidachigaku/climate2/climate3/gokou.htm
只見川のブロッケン現象
http://homepage1.nifty.com/tadamiso/brocken.htm

47愚鈍凡夫:2004/07/29(木) 19:46

暑い、暑いと言いながら、エアコンのリモコンの誘惑に今日も打ち勝つ小生であった。 (^_^)v
「それって、単にケチなだけやろ」 (by 外野席) (-_-メ)
そのせいか、小生もパソコンもアホ状態です。

バーストによって、記憶の神経細胞がドミノ倒しのように次々と覚醒されるとき、これと同時に、今まで体験したことのない幸福感で満たされることがあるそうです。
このことはバーストによって快感神経から快感・覚醒を生じさせる働きをするドーパミンの大量放出で説明が付きます。要するに、快感中枢(中脳・腹側被蓋野)であるA10神経は、精神活動をする神経系を中心にネットワークを広げており、こうした脳内現象が起きると同時にスイッチ・オンの状態になり、その状態が継続することによって起こると考えられます。そして、このことが深い快感をもたらします。
まぁ、これは脳が酸欠状態の時にしか起きようですが。

話は変わって、覚醒剤の「アンフェタミン分子」はドーパミン分子と酷似しています。なんと、ドーパミンの水酸基(OH)を取り去っただけでアンフェタミン分子になってしまうのです。
通常、異物は「脳関門」でブロックされて脳内に侵入することは不可能なのですが、アンフェタミンは脂溶性なので、血流に乗って難なく関門を通過し、脳内に侵入してしまいます。
同じように、他の覚醒剤や麻薬は神経伝達物質と似た分子構造を持っており、難なく「脳関門」を通過してしまうのです。

近い将来、脳内現象のほとんどが論理的に説明できる日が来るように思います。それが良いか悪いかは別として、まるで一子相伝の究極奥義のように取り扱われてきたことが、誰にでも簡単にできるようになってしまう時代が来るんでしょうかね。その時、宗教の必要性も変わるんでしょうか。

48雖念:2004/07/30(金) 06:11
>47

> 一子相伝の究極奥義のように取り扱われてきたことが、誰にでも簡単にできるようになってしまう時代が来るんでしょうかね。その時、宗教の必要性も変わるんでしょうか。

以下は、治療・教育目的でのサイケデリックス使用にあたっての、検者および被検者にとっての注意事項として、まとめられたものですが、感覚・知覚遮断や、山岳修行、求聞持法など精神拡張法のいずれにも当てはまるような気がします。したがって、かつては相伝とか先達という表現が用いられましたが、何らかの指導・監督(supervising)が必要かと思います。
 以下に準じて考えると、精神疾患の既往がある場合には、宗教的な修行を通じての精神拡張には危険性が伴うし、また(2),(4),(6)に関しては、指導者の修行者の資質に対する見極めと、指導者の高い能力が要求されるかと思います。

****************  引用開始 *****************
(1)単なる好奇心から、独りで服用しないこと。
(2)心身を保護する鎧が破れても、耐えられるだけの自我の強さを持つこと。
(3)既往歴があれば、互いによく語し合って(ママ)慎重にすること。時に服用量を減らす
(4)潜在的創造力の開発、自己理解を深めたい根本動機があり、しかも強い自我を持っていること。
(5)いつでも中断できるように抗精神薬を用意しておく。予想外の副作用に備えて。
(6)治療、教育状況を直観できるアートが必要であり、状況を操作することは害になる。

加藤清:精神拡張性ドラッグによる治療体験、pp32、サイケデリックスと文化、2002、春秋社より一部改変して引用
****************  引用開始 *****************

49雖念:2004/07/30(金) 06:50
> 46

美しい写真をありがとうございます。
小生は山での生活は60日を越えますが、ブロッケン(やはり、ご来迎と呼んでいました)を見たのは一度だけです。
高山では、下界とは何もかも違って見えますので、ブロッケンとわかっていても大変な感動でした。
古の人たちが、神や仏として拝したのも当然かと思いました。

50らーじ:2004/08/02(月) 07:00
2ちゃんねるの宗教板より飛んできたものです。
変成意識の神秘体験現象のメカニズムを具体的に説明したものとして
苫米地英人先生の
「洗脳護身術―日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放」
が大変お奨めです。
本書は修験道や心霊現象のメカニズムも解説しており、私のバイブルです。
本当にお奨めなので、宣伝ではないです(笑)
それでは失礼です。

51問答迷人:2004/08/05(木) 12:33

らーじさん

らーじさんのレスに興味を持ったので、早速楽天ブックスで取り寄せました。ぱらぱらと興味のあるところを読んでみました。宗教の本質に、全く違う立場から切り込んだ、素晴らしい、目の覚める内容だと感じました。以前より、苫米地英人氏の名前は聞いていましたが、縁無く、読んでみよう、という気持になりませんでしたが、有難う御座いました。熟読してみたいと思っています。叉、読後感想をレスさせていただきます。

55名無し:2006/05/06(土) 12:51:06
>>50
らーじさん、

「洗脳護身術―日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放」という本は
難しくないのでしょうか?

56犀角独歩:2006/05/08(月) 00:48:06

こう言っては何ですが、苫米地英人という人物はカルトというジャンルでは、心ある識者はまったく採用しません。
理由は、ここに書くことも憚れます。

57sonomitoha:2006/10/15(日) 12:18:41
みなさま、お久しぶりです
そろそろ日蓮大聖人さまの「真意」を考えるときではないでしょうか
富士門流を超えた富士門流を考えませんか
私の考え方を記しておきますhttp://sonomitoha.syuriken.jp/

58sonomitoha:2006/10/19(木) 07:11:50
富士門流の皆様、おはようございます
悟りを科学するということは
日蓮さまが何を思ってお題目を悟りとして表したかを科学的に考えようというスレッドですよね
あるいは
お題目という悟りを科学的に説明したりお題目が作り出す功徳という結果を科学的に説明する
ただ信じれば信じるという何かの力が作用して現れたものも
その過程を科学的に考えようと言うスレッドですよね
みなさまのお考えを楽しみに待っております、宜しくお願い致します

59空即是進化:2009/03/23(月) 21:00:10
「死」について議論が進んでいますが、脳科学の視点から‘南無妙法蓮華経’
‘南無阿弥陀仏’‘アーメン’‘その他’を唱えたときに、脳にどのような変化が
現れるかを研究したものがあるのでしょうか?
 ご存知の方がいらっしゃれば、ご教示ください。

60犀角独歩:2009/03/23(月) 22:14:19

脳波ですか。『顕正会についてⅡ』での共著者のお一人ですが、影山教俊師の研究がありますね。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51067935.html
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho30/s30_180.htm

61空即是進化:2009/03/24(火) 22:15:41
 独歩さん。大変ありがとうございます。本当に奥が深いですね。

 できればこれらの研究に加え、最新のMRI等による脳の反応部位の調査などがあればおもしろいですね。
さらに、南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏では違いがあるのか、最も効果が期待できる音声・リズムはどんなものか、
対境(本物・芸術品・複写・立体)により差が出るものなのか。

 釈尊の時代、釈尊及び多くの弟子達が実際に死の恐怖を脱したものと考えられますが、結局何によって解脱した
のか。八正道がそれだと思うのですが、その中の「正定」として、唱題や念仏に大きな力があるのではないか。
中でも大聖人が発見された「南無妙法蓮華経」のリズムが、最高なのではないか。

 本当にすぐれたものであれば、科学の発展がそれを証明していくと思います。

62大縫 薫:2009/03/25(水) 00:10:22
空即是進化さんの要望に応えられる本が東京ライフデザインアカデミーから
発行されている日本仏教という本に出ていますので、一読してみては如何でしょうか?

http://www.geocities.jp/tld_ac/

また独歩さんのブログでも紹介されています。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50985342.html

63犀角独歩:2009/03/25(水) 19:48:11

☆空即是進化さん

> 本当にすぐれたものであれば、科学の発展がそれを証明

おっしゃるとおりですね。

☆大縫薫さん

あ、そうでしたね。自分で書いて忘れていました。

64空即是進化:2009/03/26(木) 00:21:40
大縫さん、ありがとうございました。独歩さん、重ねてありがとうございます。
それにしても、松本修明師とは、あの松本K氏だったんですね。
私らも学会を離脱してずいぶんになり、人生の残りも少なくなってきた。
そろそろ核心部分をつかみたいというのが、共通の思いでしょうか。

65大縫 薫:2009/03/30(月) 22:08:15
現在は代流沙門ですが、昔の事は分かりません。
そんなに有名なんですか?

66斧不一:2009/12/24(木) 10:12:28
>>1

「悟り」は側頭葉に反応が現れることが既に証明されています。てんかん患者は視覚が激変することもあるようです。LSDを服用するとほぼ同じ体験ができるそうです。

 ただ、感覚器官が異様なまでに敏感になったという次元と、悟りや瞑想は異なる気がします。

 天台は「止観」を示し、日蓮は「観心」と説きました。「観る」という営みには圧倒的な静謐があります。私達が中々「己心を観じる」ことができないのは、やはり「悟りたい」という欲望や衝動があるためではないでしょうか。

 僭越ではありますが、参考文献の書評を紹介します――

 http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090113/p1
 http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20091030/p1


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