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悟りを科学する

45雖念:2004/07/29(木) 07:18
>44 カタルシスとか、法悦と称される、宗教の一つの極致…、それを「さとり」と言ってもよいのですが、それらが一種の継続的‘中毒症状’であるとは考えづらいのです。

「脳内麻薬」が発見されたときも、最初は驚きといぶかしさを持って迎えられ、非難が相次ぎ、時間がたつにつれて「ランナーズ・ハイ」など、一般人にも納得できる事例が相次ぐことにより、次第に受け入れられてきました。

 修行という名のもとに、演出される孤独、空腹、疲労困憊、感覚遮断等々、そしてその結果として得られる「聖別された変性意識」、「神聖な意識の拡張」と単なる特殊な条件下での労働その他における同様の現象を区別すべきなのかどうか?

背景文化や背景意識に宗教的なものがあれば宗教的な幻覚を体験する可能性が高いだけであると、冷静に判断すべきではないでしょうか?

もっとも、脳内で起きている現象の機序と、その現象を契機として生み出される内容の価値はまったく別物であると思います。

要は、こうした「変性意識」「意識の拡張」はひとつの縁、ひとつの引き金に過ぎず、それを経験する人物の背景意識と、行動の方向性こそが重要なのではと思います。

特段の背景意識のない人にとっては、単なる極彩色の幻影に過ぎないものが、観音様に見えたり、大日如来にみえたり、阿弥陀如来の来迎に見えたり……と、いう認識でいかがでしょうか?


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