したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

3508マターリ:2007/08/04(土) 14:55:09
こちらのスレッドに書いて良いものかわかりませんが、鎌倉時代について、
3冊ほどの本を読んでみましたので、感想を述べさせていただきます。

日蓮聖人を歴史上の人物として客観的に考えるには、まず鎌倉時代につい
て調べなくてはならないと思いました。

まず、鎌倉時代の武士についてですが、3通りに分けられるようです。

1.荒々しい武士
2.貴族化した武士
3.信仰を求める武士

1.荒々しい武士については、国立博物館蔵、男衾三郎(おぶすまさぶろう)
絵詩によく表れています。男衾三郎は鎌倉時代末期の、武蔵国の武士です。

彼は、美しい妻を迎えた武士は命が短いと考え、八ヶ国の中で最も不美人
を嫁に迎えたいと探します。そして迎えた妻は、髪は縮れ毛で、鼻が大き
く、口はへの字に曲がっています。原文によると、「顔には鼻より外、又
見ゆるものなし」と書かれています。

男子3人、女子2人の子供が生まれましたが、女子は二人とも母に似て不美
人で、「偏に鬼にぞ似たる」という有様でした。つまり、母も女子も鬼に似
ているような、恐ろしい顔をしていたということです。

これは現代人にも通じると思います。男は、美しい妻を迎えたいと願います
が、美人薄命という言葉もあり、不美人の方が、たくましい生命力をもって
いるとも考えられます。また、美人の妻がいることで、他の男性から、ねた
まれる恐れもあります。

男衾三郎の兄は、美人の妻を迎えましたが、旅行中、三郎と共に山賊に襲わ
れ、三郎は助かりましたが、兄は亡くなりました。

私もこれから結婚をする身ですが、不美人と結婚しなくてはならないと
180度、考えが変わりました。

また男衾三郎は「馬庭の末に生首たやすな」と称し、門前を通る乞食や修行
者を捕まえ、犬追い物の犬に代わる的とせよ、と命じました。武士の屋敷
の門前は、武士のテリトリーであり、通る人々は、まさに「獲物」だった
ようです。

現代からは、全く想像できないような別世界が、広がっていると思いまし
た。日蓮聖人も、この時代に生きていたわけです。小松原の法難のさい、
武器を身につけた弟子を引き連れていたのも当然と思います。

また、日蓮聖人の場合、初期の信徒に武士が多くいました。師匠と弟子は
お互いに影響しあうものです。日蓮聖人が武士の気風に影響され、教義的
な面でも、武士風の激しいものに変わっていった可能性もあると思います。

次に鎌倉幕府の宗教観についてです。国民の尊敬を得るには、戦に勝って
腕力を見せつけるだけではだめです。世界で流行している最新の物を日本
にもってきて、最初に人々に見せる必要があります。

当時の宋は、世界最先端の国でした。そして、宋の宗教は禅宗でした。
禅の中核にはもちろん教義がありますが、それに付随した文化がありまし
た。水墨画・お茶・生け花・文学などです。

鎌倉幕府は、禅宗とともに、付随した世界最先端の文化を輸入したのだと
思います。幕府は、宋から多くの中国人の僧を迎えて、優遇しました。
日本の禅宗、曹洞宗を開いた道元が、鎌倉を訪ねて北条時頼に会いました。
しかし時頼は、渡来僧を重んじ、道元に冷たかったようです。

鎌倉幕府から見れば、法華経は聖徳太子のころから重要視されてきた経典
ではありますが、既に古い教えと考えたのではないでしょうか。

幕府は、中国の最新文化とともに、最新仏教である禅宗を、重んじたと思わ
れます。日蓮聖人の仏教に対する深い洞察力・行動力・勇気・予知能力には
大いに感銘したと思います。

しかし、仏教を求める考え方の次元が、日蓮聖人と幕府では全く違っていた
ため、立正安国論ほかの名著をもってしても、その差を埋めることはできな
かったのだと思います。

3509みれい:2007/08/06(月) 01:49:45
マターリさん

時代の背景と言うのは私こそ、日本宗教の歴史を学生時代にまったくといっていいほど学んでこなかったので、
興味を持ちました。
よろしければ、その読まれたご本のタイトルなど教えていただければ幸いです。

また、ウィキペディアでざっと、鎌倉各宗祖を年代順にまとめてみました。
http://mirei2007.blog88.fc2.com/blog-entry-45.html
(まちがいあればご指摘いただければ幸いです)
鎌倉時代といっても、各宗祖の生まれた年代にかなりばらつきがあることが(今更ながら)わかってきました。
当時将軍に近かった禅宗は臨済禅(栄西)、また今は亡き日本達磨宗(能忍)のようですね。
曹洞宗は目立つのを嫌い、地味に暮らしていた模様。
ちなみに臨済宗では法華経は扱わず、曹洞宗では法華経を扱います。
こうして並べてみると、日蓮の出生はかなり後半であり、ゆえに他宗派に批判のしやすい土壌であったこともみえました。
また当時の仏教と政治権力の親密さも垣間見える気がします。

3510犀角独歩:2007/08/06(月) 08:18:10

史学的視点は、事実認識には大いに役立ちます。

さらに、それぞれの主立った活動場所としていたところなどの考慮も必要でしょうね。日蓮の真蹟遺文で、みれいさんが挙げた諸師たちを検索すると、以下のような結果となります。

法然…100回
栄西… 0回
親鸞… 0回
能忍… 0回
懐奘… 0回
道元… 0回

つまり、日蓮は法然以外は意識していないか、その存在も知らなかったかように思えます。また、「鎌倉時代」ということですが、これは武家が勝手に開いた幕府であり、このとき、京都は閉鎖していたというわけではないですね。教科書で習った歴史は、この点で信用できず、また、視点を鎌倉地域に絞ってしまう憾みがあります。

また、いまでこそ、鎌倉新仏教(新興宗教)の祖師と謳われるものの、生存当時、一天下にその名前が知れ渡っていたのかといえば、上述の日蓮の引用から見ても、どうやらそうでもないのでしょう。これは日蓮も同様で、ほとんど、流罪生活を送っていたわけですから、初登高座から逝去までの30年間で日蓮を知っていた人は、どれほどいたか、かなり少なかったのではないでしょうか。むしろ、その没後、徐々にその名が知れていったのだと思います。この点は日蓮に限らず、親鸞しかり、その他も同様ではないでしょうか。
また、武家に招来された禅僧は、パトロンたち(武士)の間では、有名であっても、では、庶民はといえば、禅を組み生活の余裕があるはずもなく、その名すら、聞くこともなかったのではないでしょうか。

なお「日蓮が折伏をした」という表現には異論があります。また、日蓮は京都という日本の本拠地で、その最高学府(比叡山)で学び、しかし、その権力構造に入らず(「入れず」が至当か?)、それでも、武家の暫定政権の地、鎌倉にやって来て、伝教の往古を仰ぐ、いわば天台原理主義のような活動を行った法華宗(天台宗)“天台僧”からの出発でした。また、日蓮の根本といわれる「本尊」もその現存は130舗ほど、実際にどれほど図示されたかはわかりませんが、それでも数百を超えることはなかったでしょう。となると、日蓮を知り、「なむめうほうれんぐゑきゃう」と口伝えに唱えた人々にとって、その本尊はないに等しい存在であったと類推されます。

情報通信で、もっとも早いのは、陸では馬、海では船、人の移動は徒歩、さらに身分制度の時代で、その身分ごとの生活内容は、他からはほとんどブラックボックスのような関係、また、武士といっても数人に1人しか識字能力がなく、渡来僧が、では、日本語に堪能であったかと言えば、そうは思えない等々、わたしたちが単純に考え「歴史」としてまとめられた‘物語’と事実は、大きく異なっているのだろうと思えます。

そんな実像を見る、第一歩として、みれいさんのまとめは足がかりになるでしょう。

> 当時の仏教と政治権力の親密

政教一致は中国からの一環で、神仏習合は聖徳太子?の時代から。
いまの仏教と政治の関係が、ここ2000年からみて劇的変貌ということでしょう。

3511マターリ:2007/08/07(火) 20:36:02
>みれいさん、借りてきた3冊の本ですが、1冊は「梅原猛、日本仏教をゆ
く」です。聖徳太子から明治の僧まで説明してありました。他の2冊は、
図書館に返してしまいましたので、タイトルは覚えていません。「鎌倉時
代と武士」だったような気がします。

犀角独歩さんがおっしゃるように、日蓮聖人在世とうじ、鎌倉と佐渡の
わずかの人たちが、日蓮聖人を知っていただけだと思います。六老僧を
はじめとした、弟子が教えを広めて、相当な年数(百年単位)をかけて
日本全国に知れわたるようになったのではないでしょうか?

武士の識字能力ですが、鎌倉時代は、ハイレベルの武士しか文字を読めな
かったようです。例えば四条金吾の四条は中流以下ですので、本人は日蓮
聖人の手紙が読めなかった可能性が高いと思われます。

なお、京都の人から見た鎌倉は、単なる田舎に過ぎなかったようです。
源頼朝が兵を起こしたときも、山奥で山賊が乱を起こしたくらいにしか
みていなかったとのことです。

また、京都の人たちは、東国の武士を、東夷(あずまえびす)と呼び、恐ろ
しがっていました。

蒙古襲来の危機が迫ってきても、京都の公家たちは、どこ吹く風で、
源氏物語のような、王朝絵巻の世界にひたっていたようです。

3512富士川一郎:2007/08/07(火) 21:40:41
横レスです。
四条金吾さんは、純粋な武士ではありません。元来は公家の四条家です。
一条、二条、三条、四条などは全て公家です。
四条さんは薬師であり、京八流の流れを汲む武術の達人でもありました。
四条家は、宮将軍と共に鎌倉にやってきた一族のようです。
ですから、江間家の「正式な家臣」では無く「かかりびと」であったと言うのが史実のようです。

それが日蓮門下では宗祖の御妙判には単なる武士としか無いから、いつの間にか武士だと誤認されたようです。

ですから、当時の最大の有識者です。
そもそも字が読めなければ漢方の書籍が解読できませんので、薬師に文盲などは考えにくいですがね。

また、当時の京方では、武士は侮蔑の対象で、狂犬を恐れるように武士を恐れていたに過ぎません。
鎌倉幕府の実質的な支配者である北條家には相模守しか与えず、官位は与えなかった事がそれを物語ってます。

3513犀角独歩:2007/08/07(火) 22:33:20

面白いですね。日本史で「鎌倉時代」とされる歴史の表舞台の役者が、京という視点からすると、これだけ違っています。

日蓮が鎌倉へやって来たのは、どのような心境だったのでしょうか。

「誰をか法華経の行者とせん。寺塔を焼て流罪せらるゝ僧侶はかず(数)をしらず。公家・武家に諛ひて、にくまるゝ高僧これ多し。此等を法華経の行者というべきか。仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり」

公家・武家にもへつらわなかった日蓮として、評価できそうですね。
さらに天皇を嶋の長として、釈迦の下に置いた日蓮の気風は豪快と言うほかありません。

3514富士川一郎:2007/08/07(火) 23:20:09
厳密に言うと鎌倉時代と言う表現方法が間違っているのです。
当時の法制史では「御成敗式目」をもって、法度としましたが、式目の適用範囲は武家のみで、公家は公家法、荘園の中では本所法が効力をもっていました。
江戸時代に武士は全体の7%に過ぎなかったと言いますが、鎌倉時代も似たり寄ったりでしょう。
つまり、武士の社会などと言っても、全体の1割にも満たないわけです。
その1割にも満たない階級を中心に歴史を紐解いても真を得ていないのは当然でしょう。

3515パンナコッタ:2007/08/08(水) 22:54:31
四条金吾は手紙が読めないどころか、蓮祖に文章を送っていますね。
 四条金吾釈迦仏供養事 「御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云」
    該当部分真蹟欠

 四条金吾殿御返事   「はるかに申し承り候はざりつればいぶせく候いつるに
   かたがたの物と申し御つかいと申しよろこび入つて候 又まほりまいらせ候、
   所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御消息引き合せて見候い畢んぬ」
      該当真筆断簡現存

武士と言っても古来より土着の豪族の子孫もいれば、摂関時代あたりからの
中央から地方に下った貴族の末裔もいるわけですし、一概には語れないですね。
頼朝の旗挙げは治承四年(1180)ですが、皇嗣争いが発端で京都御所周辺で武力衝突した
保元の乱(1156)、清盛の留守を狙ったクーデターの平治の乱(1159)での
中心人物・義朝の伊豆へ流された三男ですし、後白河法皇の"寿永の宣旨"などでも判りますし
(権謀家の処世術ではありますが)単なる田舎の山賊ではないでしょう。

元寇時の亀山上皇は、伊勢神宮に勅使を送り敵国降伏をを祈願していますね。
又後に出家して、離宮を禅寺にしたのが南禅寺の起源みたいですね。

3516マターリ:2007/08/08(水) 23:50:41
>富士川一郎さん、犀角独歩さん、パンナコッタさん、レスありがとうご
ざいます。四条金吾は、文章が書けたんですね。

四条金吾については、深い意味で書いたわけでは、ありません。四条とい
う名前が中レベル以下の家柄を指す、と書いてありましたので、想像をた
くましくしてみた次第です。

>富士川一郎さん、
>つまり、武士の社会などと言っても、全体の1割にも満たないわけです。
その1割にも満たない階級を中心に歴史を紐解いても真を得ていないのは
当然でしょう。

私は図書館で、鎌倉時代に関する本を探してみました。しかし、天皇と公家
、鎌倉幕府と武士、そして僧侶に関する本ばかりでした。一般庶民に関する
本が無いので、調べようが無い状態です。

日蓮聖人の初期の在俗の信徒に、武士が多いので、そこから日蓮聖人との師
弟関係を考えてみました。

鎌倉幕府は文化的な面で、京都の文化に対して、大変なコンプレックスを
抱いていました。

そのため、中国の宋から禅宗と、それに付随する文化を輸入し、京都文化
に対抗しようとしたようです。

>パンナコッタさん、
>武士と言っても古来より土着の豪族の子孫もいれば、摂関時代あたりか
らの中央から地方に下った貴族の末裔もいるわけですし、一概には語れな
いですね。

おっしゃる通りです。1.荒々しい武士 2.貴族化した武士 3.信仰を求め
る武士と3種類に分けられるようです。

男衾三郎(おぶすまさぶろう)について書きましたが、彼は荒々しい武士で
す。しかし、兄は貴族的な武士でした。近くに住んでいる兄弟でも、天と
地ほどの差があったようです。

信仰を求める武士についてですが、やはり源平合戦の、むごたらしさに
無常を感じ、念仏で往生することを願う武士が続出したようです。

鎌倉の武士の多くは、禅宗でしたが、亡くなる前は念仏を唱えていたと
いいますので、念仏の影響力はすざまじいものだったと思います。

3519きゃからば:2007/10/11(木) 14:35:44
本当に素朴な質問です。
『弘法大師の法華経』大倉隆浄氏著を今頃になって読みました。
そしてその口絵に梵字の法華経がありました。
説明には「平成7年8月、東京に建立された平和観音像に刻まれた法華経真言題目の拓。」とありました。
そこでちょっと実物を拝見したいと思い、連絡先に電話しましたが現在使われていないようでした。
どうかこの東京の平和観音像についてどなたか教えてください。
いったいどこにあるのでしょうか?

3520きゃからばあ:2007/10/11(木) 14:37:41
つまらないところで間違いました。

×名前:きゃからば
○名前:きゃからばあ

3521とんび:2007/10/21(日) 20:44:34
みなさん、こんばんは。とりあえずここに書きます。

十一界論の推奨

昨年でしたか、熱心な法華講から聞いた話の再度の紹介です。
彼は、はじめ11界論を話し、その後16界論をのべるのですが、さすがに16界論になると
ついていけません。

 10界論では、観心の本尊抄だったかな、仏界ばかりはげんじがたし...で、私自身のこころを
よく感じると、地獄界から菩薩界までは、感じ取ることができるのですが、さすがに仏界...と
なると、わかりません。正宗では、お題目をとなえれば「仏界」がゆげんする...
御本尊に縁をすれば、「仏界」がゆげんするとなるのでしょう。

 11界論では、法華経観、涅槃経観を取り入れて、仏界よりも「諸仏界」が上なのだ...と
いうことになれば、ペットや草木国土を含め、「私自身」よりも「他の人が上」なんだ...と
いうことになります。
 というと、不軽菩薩の「24文字」に繋がりまた、「南無妙法蓮華経」にもつながります。

 ここでは、幸福の科学の信者さんは、ロムしていないだろうと、思い発言しますが、やはり
12界論で「南無妙法蓮華教界」を最上位にしてしまうと、大川隆法さんなんていう人が、出て
きてしまいます。
 
 「諸仏界」なら、だれでも「ああ他人や自然を尊敬・敬う気持ちぐらい持っているよなあ..」
とだれしもが、思うと観じます。

 顕正居士さんなど、犀角独歩さんなり、博学な人に、後生に伝えてもらいたいような気が
致します。
 
 さすがに、11界論は、いまでも、お見事..と思っています。

3522とんび:2007/10/23(火) 06:57:13
訂正です。

御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱えれば、仏界がゆげんする..あらわれる..
ということでしょうか。

 しかし、顕正会時代に、一度でもあらわれたかどうか、はなはな疑問でわかりません。

3523しゅんかん:2007/11/19(月) 21:21:23
日蓮宗電子聖典と云う物が在るそうですが購入方法・購入資格等、
ご存知の方おられますでしょうか?

3524犀角独歩:2007/11/19(月) 21:51:57

> 日蓮宗電子聖典

わたしが応えるのは何ですが、わたしは、現宗研から受け取りました。
受け取りに際し、住所・氏名他の告知をした記憶があります。
日蓮宗僧侶に、配布したもので、それ以外では、受け取りの証を残して受け取るもののようです。
現宗研、もしくは、宗務院、または、日蓮宗僧侶の方に問い合わせてみてはいかがでしょうか。

3525しゅんかん:2007/11/19(月) 23:43:33
独歩さん
早速のご教示ありがとうございます。
知人のご僧侶の方に問い合わせてみます。

3526きゃからばあ:2007/11/22(木) 14:24:37

素朴な質問をさせてください。

「題目」「唱題」「題目を唱える」
これらの英語を教えてください。できればスペルも。
日蓮系の外国の方々に通じる英語を希望します。
よろしくお願いします。
ちなみに「御本尊」「勤行」はそのまんまと聞いていますが、他に英語があったらこちらもお願いします。

3527犀角独歩:2007/11/22(木) 19:26:40

わたしが創価学会や、SGIのサイトを紹介するのは変ですが、きゃからばあさんの疑問に以下のサイトはある程度役立つかも知れません。
ただし、こちらの英訳はこちらの英訳ですから、他との比較はもちろん必要だと思いますが。

http://www.sgi-usa.org/

3528きゃからばあ:2007/11/23(金) 09:04:09

独歩さんへ

毎度、ありがとうございます。

「唱題」は「chanting」となっていました。
海外では唱題は歌う感覚なんですね。

3529犀角独歩:2007/11/23(金) 17:41:17

きゃからばあさん

英語に関しては、人に語る知識がありませんので、応答は控えさせていただきます(笑)

3530偶ロム偶ログ:2007/11/23(金) 19:31:23
貞永さん時代のNSAの合言葉は「もあ ちゃんていん(ぐ)」でしたよ。
日本国内でも、米軍基地のある地域の組織では普通に使っていました。
唱題は、おそらくゴスペルのような感覚で受け止められていたのではないでしょうか。
マントラもchantingだったと思います。

3531eigo:2007/11/23(金) 22:21:15
「chant」には、繰り返して同じ言葉を唱えると言う意味があります。例えば街頭デモで「○○反対」と繰り返し唱えたり、スポーツ競技で応援する選手の名を連呼するのも「chant」です。

3532ABC:2007/11/24(土) 06:38:06
ご本尊の安置はinstallでした。
当時installはパソコンにあたらしいソフトをインストールするときしか使わなかったので、
??と思いましたね。

3533きゃからばあ:2007/11/24(土) 10:53:07

偶ロム偶ログさん・eigoさん・ABCさん、貴重な御教示ありがとうございます。
きっと英訳御書を和訳すると、原文とは違ったものになるのかもしれませんね。

3534いちりん:2007/11/25(日) 05:58:14
むかし、とっくに出た質問かもしれませんけど。

日蓮さんは、たくさんの消息文を残していますよね。
日本仏教の祖師たちのなかでは、おそらくこれほど手紙を書き送った人はいないんじゃないでしょうかね。
そして、これほど後世に手紙が残っている方も珍しい。パウロや蓮如と比べても、はるかにその数は多い。

で、ひとつ疑問なんです。

日蓮さんのこれら手紙というのは、弟子檀那の手紙、あるいは贈り物に対する返事が多いですよね。

ところが、弟子の手紙というのは、おそらく一つも伝えられていない。現存しているものも、書き写されたものも残っていないんじゃないでしょうか。
数編くらいは、あるのかなあ……。

どうして、弟子の手紙が残っていないのでしょうか?

・当時の日蓮さんには、紙がなかったので、弟子の手紙の裏に返事を書いたからだとか?
・紙を漉きなおして、手紙にしたからだとか?
・たくさん手紙があったが、後世の弟子たちが、これは大切じゃないとして、捨ててしまったからだとか?

あるいは──。
後世の人が、日蓮さんの手紙に仮託して、いつくか勝手に偽書をつくったから、弟子の手紙がのこっていると具合が悪い、とか。

3535パンナコッタ:2007/11/25(日) 14:22:36
いちりんさん、
弟子の書簡は、かなり流用された可能性が高いようですね。
仮託した偽書の存在は、むしろ蓮祖直筆の方が被害を受けているかもしれません。

蓮祖宛の書簡ではないのですが、ご参考に紙背文書の紹介。
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/rekihaku/ronbun/yuasa/yuasa97.htm

3536犀角独歩:2007/11/25(日) 16:04:34

れんさん パンナコッタさんほか 諸賢

『日蓮宗教学史』に「日代の本尊論に就いては、日代が上行日尹、並に保田の日郷へ与へた書状に依つて窺はれる。大曼荼羅を以て仏像造立の解説図と見做し、戒壇の本尊には仏像本尊を主張してゐる。また修行論に於ては一部唯本の立場から、本迹二門の読誦を行体の用とし認める。且つ日満記に依れば、日興の遷化に当つて、その増道損生の為め、自ら書写したる一部の石経を埋納したといふのである。これを要するに日代の教学は一致派教学に近いものがあり、上野系の教学と異なりがある。こゝに日道一派からは本迹一致の迷乱と評せられた所以も存するのである」(P42)という記述があります。

ここでいう書状とは具体的に何を指すのでしょうか。また、その原文はどのような内容でしょうか。ご教示いただければ有り難く存じます。

3537れん:2007/11/25(日) 18:32:52
犀角独歩さん
お尋ねの資料については日代消息「葦名阿闍梨御房御返事」だと思います。日興門流上代事典によりますと日蓮宗宗学全書第二巻所収本並びに石山蔵古写本(東大影写本)では宛名を“宰相阿闍梨”としますが、西山蔵の日代真筆には“葦名阿闍梨御房”と明記されているとのことで、“宰相阿闍梨”は伝写の誤りで“葦名阿闍梨”が正しいと思います。ですから、“教学史”が本消息を日郷師宛てと解するのは誤認に属すると考えます。
さて、本書には「佛像造立事本門寺建立時也、未無勅裁、国主御帰依之時三ケ大事一度可令成就給之由御本意也、御本尊図為其也」とありますから、“教学史”の言うところは上記の文と思います。
現在、西山の一部?では房山蔵の文永十一年十二月の日蓮自筆“大本尊”を戒壇本尊としておりますが、当の西山開山の日代師は三位日順師の心底抄における見解とほぼ同様の本門寺造立時の“仏像造立”であって、私としては、何時から西山が漫荼羅を戒壇本尊と位置付けるようになったのかが“素朴な疑問”です。

3538れん:2007/11/25(日) 18:57:41
追記です。
“葦名阿闍梨御房御返事”は、日尊門流の京都上行院の日印からの質問に対する返状で、内容としては、先に引用した文の通り、広宣流布時の本門寺における日蓮が図した大漫荼羅による仏像造立と、日興筆の御遷化記録にある日蓮の“御遺告”を引用して「一体仏、大聖御本意ならハ墓所傍被棄置哉、又造立無過者何大聖時、此仏四菩薩・十大弟子不被副造哉、御円寂之時件漫荼羅被出尋奉懸事顕然也、勿論也、惣して如此事等、御書始末を能々可有御了見候歟」と記して、未広布時においては大漫荼羅正意とすることを示しています。
以上ご参考まで。

3539犀角独歩:2007/11/25(日) 19:02:42

れんさん、早々のご教示有り難うございました。
教学史の批正、大変に参考になりました。

> 何時から西山が漫荼羅を戒壇本尊と位置付けるようになったのかが“素朴な疑問”

まさにこの点での疑義でした。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

3540ふうてん:2007/11/28(水) 13:51:23
すみません。またよろしくお願いします。

石山の御守り御本尊について教えてください。
この本尊は礼拝の対象ではないと聞きました。

で、僧侶とか法華講の人たちは、出張先や旅行先では、どうやって勤行してい
るのですか? 遙拝勤行ですか?

それとも、御守り御本尊に向かって勤行唱題しているのでしょうか?
それとも、別に携帯本尊というのがあるのでしょうか?

よろしくお願いします。

3541偶ロム偶ログ:2007/11/30(金) 16:04:12
>3510 ふうてんさん

通常、旅先での勤行は、大石寺の方角に向かって行なうものです。
戦前の法華講は、身に付けたまま勤行をしていました。
それから、「遙拝勤行」とはいいません。
石山であろうと、自宅であろうと、旅先であろうと、ただ、勤行です。

江戸期からの信徒で、小さな厨子に板本尊と御影が設えられたものを持って
いる方もおられますが、これはかなり長期間の旅のためのものかと思います。

また、守本尊は身に付けたまま、携帯できる大きさの御影に向かっての勤行
もあったといわれています。

3542犀角独歩:2007/11/30(金) 21:22:06

ふうてんさん
偶ロム偶ログさん

わたしは法華講のころ、「旅先では、大石寺の方向に向かって勤行すればよいのでしょうか?」と指導教師に質問したことがあります。
すると「なんで、御本尊様のないところで勤行するんだ?」と、とても不思議そうに返答されました。

ついで、「歩いているときも、車を運転しているときも、を題目を挙げています」というと、「なんで、御本尊様のないところで題目を唱えるんだ?」と、とても、不思議そうに言われました。

まあ、いまとなっては、石山の常識など、まるで関係ありませんが、以上が、石山大本営の、法華講時代に見聞した常識でした。

「御守様」は文字通り、御守りですね。

それにしても、勤行というのは、本来、それぞれの尊体の前でするものですね。それがないところでなしていったいどうするのでしょうか?

目の前に人がいないのに、丁寧に頭を下げて、挨拶の言葉を出すようなものだというのが、石山の感覚ではないでしょうか。

石山には、「戒壇の大御本尊の方向に向かって?」といったイスラム教のメッカに向かうお祈りみたいなものはありません。これをはじめたのは、創価学会ではないでしょうか。

3543ふうてん:2007/12/01(土) 12:11:02
偶ロム偶ログさん

> 通常、旅先での勤行は、大石寺の方角に向かって行なうものです。
> 戦前の法華講は、身に付けたまま勤行をしていました。

情報ありがとうございます。では方位磁石がいりますね。
今のGPS携帯は大石寺の方角は示してくれるのかな。
貧乏人なのでGPSは持っていません。(^_^;)
外国からだとさらにむつかしくなりますね。だから太陽が昇る東に向かって勤行でもいい。
と指導されているのでしょうか。でもロサンゼルスだと東より西に向いた方が日本は近い。

> それから、「遙拝勤行」とはいいません。

内得信仰と遙拝勤行の解説がバラバラで統一されてないので困っています。

> 携帯できる大きさの御影に向かっての勤行もあったといわれています。

なるほど、携帯本尊というのは御影のことですか。


犀角独歩さん

> すると「なんで、御本尊様のないところで勤行するんだ?」と、とても不思議そうに返答されました。

マジですか。僧侶は旅先では勤行してないんですか?

> これをはじめたのは、創価学会ではないでしょうか。

思うに、戸田会長が独房でも勤行していたというのが学会のバックボーンにありますから、
そこから、遙拝という行為は崇高な行為だと認識しているのでしょうね。
また、熱原の法華講衆も御本尊のないところで唱題したんですよね。
ちょっと僧侶の言い分はおかしいですね。自分が収監されたらどうするんでしょうか。

3544問答迷人:2007/12/01(土) 12:38:41

ふうてんさん

>また、熱原の法華講衆も御本尊のないところで唱題したんですよね。

日蓮聖人は、佐渡流罪以前は、曼荼羅を顕していません。その時の信徒・僧侶はどうしていたのでしょう。
曼荼羅を知らない訳ですから、曼荼羅を思い浮かべることも出来ません。
それでも只南無妙法蓮華経と唱える事は出来ますが・・・

3545パンナコッタ:2007/12/01(土) 12:42:55
過去に戸田さんの質問会で、こんなのがありました。

 "御本尊様に向かわず仕事をしながら題目を唱えても、功徳は受けられるでしょうか?"
         ↓
 戸「読誦の功徳と言って御本尊様に向かっては読、無い場合は誦〜云々」
   (昭和三十二年十一月十五日 品川公会堂での最後の一般講義にて)

 "関西の人が東に向かって題目を唱えるのは、大石寺が途中にあるから という事ですが?"
         ↓
 戸「ああ、それでもいいですね」
   (いつの発言だったかは、失念。諸天善神についてだったかな)

内容自体はともかく、こうした指導があったのは事実ですね。

3546しゅんかん:2007/12/01(土) 16:48:25
石山の勤行経典、初座は東に向かってですね。
私は子供の頃、住居が石山より西に位置しているから東なんだと思っていました、ですから西に向かって勤められる方もおられるんだと。
昨日再度、経典を見ましたが初座、東(総本山以西の場合)とは記していません。
朝五座、夕三座も合わせて以前より疑問に思っていました。
要山の勤行経典(教・・・・すいません、出先でして思い出せません)には五座、三座は記されていませんし東に向かっての下りもございませんね。

3547んっ?:2007/12/01(土) 17:29:50
>戸「読誦の功徳と言って御本尊様に向かっては読、無い場合は誦〜云々」

首題を能生たる末法の法華経と見れば正しいのかも?

>住居が石山より西に位置しているから東なんだと思っていました

初座は「東天に向かいて」で大日天王を代表として法味を差し上げる事。
此れに関しては笑い話があります。
A:朝の勤行をしようっと。
B:もう、昼だぞ?早く起きないから上に行ってしまってる。
私:Bさんは元旦勤行会のとき初座は下向くの?
B:・・・・。

3548しゅんかん:2007/12/01(土) 21:30:29
要山の勤行要典は「信行正軌」でした。

ふうてんさんの疑問と重なる部分があり、失礼とは思いましたが割り込ませていただきました。

3549犀角独歩:2007/12/03(月) 06:55:35

3543 ふうてんさん

> ちょっと僧侶の言い分はおかしいですね

ええ、わたしが3542で記した石山僧の言うことはたしかにおかしいと思います。
問答さんが仰るとおりです。漫荼羅正意を煎じ詰めるとこうした考えになるということでしょうね。

わたし自身は漫荼羅を勤行唱題の法具と考えていませんから、唱題はどこでも行える方法だと考えます。

ただし、観念文から読経の性質を考えれば、それぞれの尊体の御前に詣でることから、勤行は始まっているということは忘れてはならないと思います。
たとえば、いまの時代に日蓮が生きていたとし、東にある隣の建物に住んでいたとします。では、東に向かって「おはようございます」と挨拶をしても、その声は日蓮に届きません。やはり、御前に行き、挨拶をするでしょう。没後、日蓮は御影として崇敬され、その徳を賞嘆供養、つまり勤行をするわけです。御影堂に詣でず、日蓮に挨拶してどうするのだ、ということになりますね。

3550天蓋真鏡:2008/01/10(木) 01:46:27
漫荼羅が設計図なら、 宝塔・三国四師・四天王or宝塔・御影堂・四神殿

3551しゅんかん:2008/01/27(日) 03:03:53
本重寺の板本尊(南アルプス市の市指定文化財)
と言うのをネット上で知りましたが
この本尊は鏡文字に彫られていますが版木なんでしょうか?
版木としますと、御形木御本尊の作成に用いたと思われますが、
HP内の説明に「正中二年(1325)に秋山与一光定に日興が与えたものといわれている。」
と記されております。
http://www.city.minami-alps.yamanashi.jp/site/page/info/bunkazai/shi/chokoku/honju/

秋山与一光定とは檀越でしょうから、御形木御本尊作成に使用される版木を興師が授与
する、又、秋山与一光定が授持するの腑に落ち無いのですが。
この件ご存知の方ご教示、宜しくお願い致します。
又、本重寺とはどちらの派の寺院でしょうか?

3552犀角独歩:2008/01/27(日) 07:46:20

>3551


南アルプス市というのは、ずいぶんと思い切った市文化財指定をするものですね。

少しばかり、画像を修正し、見やすくしてみました。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo02/honjujihanboku.html

まあ、弘安5年の筆といえば、そうかもしれませんが、不動愛染と四大天玉が離れてしまっていますし、その原本はどんなものでしょうかね。
ただ、仰るとおり、これは判木で、これがいつごろのものであるのか、特定できれば、形木本尊の研究の参考にはなるかもしれません。

それにしても、「弘安五年(1282)に日蓮が日興に与えたものと同じ様式」というのは、どんな根拠によるのでしょうか。

3553れん:2008/01/27(日) 09:53:39
これは面白い版木ですね。説明の中の弘安五年云々は、身延曽存の弘安五年八月の伝日蓮筆漫荼羅でしょうか、似ていると言えば似てますね。
ただ、日興は印刷漫荼羅を否定していると伝承されているので(富士一跡門徒存知事)、どうかなぁ?という感じです。

ただし、犀角独歩さんが仰る通り、この版木は形木本尊の研究の材料の一つにはなると思います。

3554パンナコッタ:2008/01/27(日) 12:19:56
どうも、お世話になります。

本重寺は、椿城跡という事らしいんですが
 http://shitteta.jugem.jp/?cid=1
伝承の類らしく確実とは言えませんね。
ただ、小笠原盛長という人は、波木井実長とは遠からずの親族だったみたいですね。
 http://homepage2.nifty.com/nihon-castle/TOUKAIDOU/kaigenji.htm

3555大縫 薫:2008/01/27(日) 12:25:03
この本重寺は現在は日蓮宗ですが、無住です。
この版木は現在は区所蔵というかたちで近隣の檀家衆によって保管されているそうです。
嘗て、石山細井日達上人が現地を訪れ直接この版木を見分したと聞いた事が有ります。

3556しゅんかん:2008/01/28(月) 00:41:40
独歩さん、れんさん、パンナコッタさん、大縫 薫さん
ご教示有難うございました。

秋山与一光定とは、日華師か讃岐本門寺と関係の在るお方かな?と私の浅い知識ですが
考えております。
と、しますと秋山与一光定に興師が本尊(曼荼羅)を授与したとは辻褄は合いそうですね。

ただ、興師が授与した板本尊(版木)なのか?
と、真偽が定かでない代物を地方公共団体が不特定多数の人が拝見できるネット上
で記すのには学術的鑑定が必要では、と、思ったしだいです。
※学術的鑑定をされているのかな?

確かに、御形木御本尊の研究にはなりそうですね。

今回、本重寺の板本尊は先日、日本でも営業を開始したの検索サイト(百度)に於いて
「板本尊」で検索ヒットしたものでした。

ちなみに同じく「板本尊」をGoogleでは36番目にヒット、Yahooは200番目でも
ヒットしませんでした。
今後は百度でも検索してみる価値はありそうですね。

3557問答迷人:2008/02/14(木) 22:30:26

御本尊集に収められた大石寺所蔵の日蓮聖人の真筆曼陀羅は何幅有るのでしょうか、ご存知の方、お教え下さい。

3558犀角独歩:2008/02/14(木) 22:42:07

>3557


以下、3舗です。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/082.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/111.html
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/116.html

3559独学徒:2008/02/14(木) 22:45:57
問答名人さん、ご無沙汰していました。

>御本尊集に収められた大石寺所蔵の日蓮聖人の真筆曼陀羅は何幅有るのでしょうか、ご存知の方、お教え下さい。

富士学林図書館長であった、故山口範道師の「日蓮正宗史の基礎的研究」によれば、82、111、116の3幅のようです。

3560問答迷人:2008/02/15(金) 06:44:43

犀角独歩さん
独学徒さん

ご教示有難うございます。

驚きです。

大石寺は日蓮上人の唯一正当の宗派と聞かされてきたのに、たった3幅しかないというのは、極めて不可解な事ですね。なぜ、こんな僅かしかないのか、理由が知りたいと思います。どなたか推測で結構ですのでお教え下さい。

3561れん:2008/02/15(金) 07:42:17
問答名人さん

石山に日蓮御筆大漫荼羅が少ないのは、日道が日興や日目から日蓮御筆大漫荼羅を相伝されなかったことが大きいと思います。実際、日道が日目から“相伝”されたのを確認できるは日興から日目に授与された日興書写大漫荼羅のみですね。
日目が日興から授与された日蓮御筆大本尊(文永十一年十二月付け)、また他門に流出しましたが日目が日蓮から授与された大漫荼羅(弘安二年二月付け)などは、日目から日郷に相伝されたのですから、日興・日目に係る日蓮御筆大漫荼羅は日道に一舗も相伝されなかったというのが史実のようです。

今、石山にある確実な日蓮御筆大漫荼羅三舗(弘安三年三月付けのも授与書が削られた跡がある)は、それぞれ日興・日目以外の個人授与のものですから、日道以降の日道門下の首長の歴代が、門下僧俗等に伝承されていた日蓮御筆大漫荼羅を石山に寄進させものと見て間違い無いと愚考します。

3562問答迷人:2008/02/15(金) 07:54:40

れんさん

ご教示誠に有難うございます。

>今、石山にある確実な日蓮御筆大漫荼羅三舗(弘安三年三月付けのも授与書が削られた跡がある)は、それぞれ日興・日目以外の個人授与のもの

やはりそうでしたか。唯授一人血脈相承は、曼陀羅相伝の史実・事実の上から、史実・事実に反するといわざるを得ませんね。

3563れん:2008/02/15(金) 08:50:56
問答名人さん

仰る通り、大石の寺の唯授一人血脈相承なるものは、日蓮御筆大漫荼羅相承の上から見ても、史実・事実に反すると愚考します。

日有の雑雑聞書に「大石寺は四帖の聖教とて先師の作これあり(中略)去れば此の大事は門徒の首長計り伝へて本尊を書くべし余は書くべからず」とありますから日有以前に日道門下において、日有の先師…おそらく日行・日時の時代に石山の唯授一人血脈相承の原型の思想が形成されたのは間違いないと思います。

日道門下がかくの如き思想を胚胎するにいたったのは諸賢の以前からのご指摘の如く、仙波における中古天台の血脈義の摂取と、このような思想を主張し展開することによって、日目の跡を継承した日郷門跡に対して優位に立とうとしたと言うことだと考えます。

3564れん:2008/02/15(金) 19:52:51
伝教大師最澄は、比叡山の大乗戒壇について「一乗戒建願記」を残していますが、あれだけ筆達者であった日蓮が戒壇に関して、最澄の一乗戒建願記のような記述を残さなかったのは何故でしょうか?日蓮自ら「本門戒壇」の名目を挙げながら、最澄の一乗戒建願記的な記述を残さなかったことが、さまざまな異見を生んでいる温床だと思うのですが…。

3565顕正居士:2008/02/15(金) 22:11:12
将来建立の戒壇(事壇)は天台宗山門流の中の日蓮党が一定の勢力を形成した後に
三井の戒壇の先例に擬し比叡山戒壇から別立する思想が生じたのでありましょう。
日蓮自身は天台宗山門流を自分の新思想に説得したかったのであり、親鸞に別宗派
を創始する意思が無かったと同様でしょう。また三秘中戒壇の一秘は後世に託したと
評されるように日蓮には本門戒の具体的構想はまだ皆無でした。日蓮に事壇の思想
が無く理壇主義であったというわけではないが、本門戒の構想自体がなく、山門戒壇
から独立するしないというような勢力はまして彼の一代には全然形成されませんでした。

3566犀角独歩:2008/02/16(土) 07:24:36

日蓮の本門戒壇観に関しては、彰往考来山から提示された『大崎学報』154号所載の都守基一師「『法華取要抄』の草案について」が参考になりました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50434021.html

3567独学徒:2008/02/16(土) 08:20:43
犀角独歩さん、おはようございます。

都守基一師といえば、つい先日バレンタインデーの日に、法華宗本門流の研究発表大会にて、立正安国論諸本に関する研究発表をされました。
これがまたすばらしい内容でした。今後、法華宗本門流の機関紙「無上道」に掲載されると思います。
宗祖真蹟断簡で、中尾先生が判読困難とされた箇所を判別され、結果、その判読困難とされていた箇所は、「日秀日弁」および「浄行」と判読されたようです。
「日秀日弁」の連名が見え、丁付けに「五」、その他の内容から、『伯耆殿並諸人中御書』(全十九紙)の一部ではないかと推測されています。
以前、冨士教学研究会にて、久成寺蔵「御血脈次第」を紹介し、そこに「浄行」の名が見えましたが、今回の真蹟断簡の判読によって、宗祖が弟子を「浄行の一分」と見ていた事実があったことに驚きました。
いずれ関連項目を、冨士教学研究会のブログか談義所にて紹介したいと思います。

今日は天気も良いので、これより家族で誕生寺に出向いてきます。

3568れん:2008/02/16(土) 18:50:17
顕正居士さん
ご教示有難うございます。寺門と言えば、日興門流上代に見える薗城寺申状につき石山日有は「江州薗城寺の天下えの申状は叡山に迹門の理の戒旦を立つ上は薗城寺にも又迹門の事の戒旦を立つべしと申状なり。然間是こそ末代本門の事の戒旦の立つべき証拠なれとて大石寺の重宝と仰せられ給ふなり云々」と述べており、顕正居士さんの仰るように、日蓮党ことに日興門流では、文献上は室町期まで時代は下りますが、三井寺すなわち薗城寺が朝廷に提出した戒壇建立勅許申請の申状の先例を、日蓮党・日興門流の未来本門の事壇建立の証拠としていたことが読み取れ興味深いものがあります。


犀角独歩さん
御提示の都守師の論文のコピーは私も所持し、存じておりました。都守師の論文に示されてあるように日蓮は本門戒壇を密事としますが、日蓮が本当に本門戒壇、ことに事壇建立を真剣に考えていたならば、最澄が一乗戒建願記に自身が建立を目指す戒壇院の儀相とその意義を明確に述べた如く、日蓮も自ら記した本門戒壇の特に事壇の儀相・意義を明確に記して残して置くべきだったのではないかと思いました。日蓮党の中で日本全国に広く教線を伸ばした日興とその門下には事壇論が見えますが、悩ましいのは、日興門下の事壇の儀相は、重須系の日代・日順、ならびに日目系でも尊門は仏像安置としますが、日目系でも日郷の後継の日伝には仏像ではなく法華経一部安置とする異見があり、一枚岩とは言えぬ部分が存することです。ですから、日蓮もいかに密事とはいえ、戒壇について最澄の一乗戒建願記に準ずる著述を残すべきだったのではないかと思った次第です。


独学徒さん
新出の日蓮御筆断簡ですか。伯耆殿並諸人御返事の一部である可能性が高いとのこと、日蓮の場合、一種の筆癖でしょうか、上行と書くべきところ浄行と記している真蹟がありますので、その御筆写真を見ないと何とも判断ができませんが、これまた興味深く思いました。

3569明了曰解:2008/02/18(月) 20:42:31
応答のの途中に申し訳ありません。
素朴な疑問を提示させていただきます。

戒壇の御本尊は、
紙幅の真筆御本尊を模写するのでなく、
なぜ直接に刻印したのでしょう。
戒壇の御本尊を未来永劫に残したいとゆう動機はわかります。
技術として彫刻を選んだことも自然と理解できます。
しかし、真筆の御本尊に刃を入れることがどうしてできたのか。
(日蓮大聖人が自ら刻印されるなら解りますが)
御本尊に対する当時者の心理と考え方がどこにあったのか。
わたしの理解のいたらないところです。

御意見をお聞かせください。

(今の宗門なら、仏師が彫刻し、御内証を相伝された猊下によって開眼されて、
日蓮大聖人が彫って魂を垂れたと同じ正真の戒壇様ですと言いそうですが、
開眼本尊が戒壇の御本尊では、
真偽など、どうでもよい論理になってしまいます。)

3570犀角独歩:2008/02/18(月) 21:17:29
>3569

はじめまして。なかなか興味深い問題提議ですね。
この点を考えるのに、では、一体、いつ頃から、漫荼羅を彫刻することが起こったのかを考えてみる必要があるでしょう。

3571驢馬くん:2008/02/18(月) 21:57:46
犀角独歩さんのブログや独学徒さんのブログに記されていた蒋野寅道師という方はどのような方なのでしょうか。教えていただけませんでしょうか。

3572犀角独歩:2008/02/18(月) 22:02:10

> 3571

さて、このリクエストは、どうしましょうか。
この界隈では、著名な方で、こんなご質問がくるとは思いませんでした。

3573独学徒:2008/02/18(月) 22:47:15

明了曰解さん、はじめまして。

>しかし、真筆の御本尊に刃を入れることがどうしてできたのか。

ご期待に添えない回答となりますが、本門戒壇之大御本尊は、底本は大石寺・北山本門寺の宝蔵にあります。
真筆の御本尊に刃を入れてなどいません。

犀角独歩さんのブログを拝読されることをお勧め致します。

創価学会は嘘をついて、私たちを騙してきたのです。
せっかくのチャンスですので、この機会に真実を見聞されることをお勧め致します。

>>3572
犀角独歩さん、個人情報に関することは、ネット上では控えた方がよいと思います。

驢馬くんさん、はじめまして。
オフ会などにご参加されれば、ネット上では出せない話も聞けますよ。
機会があったらご参加なさって下さい。

3574驢馬くん:2008/02/18(月) 23:21:03
投稿さえもなかなか勇気のいることで、毎日、このブログなどを拝見して学んでおります。やはり個人情報になりますね。書籍などにもあたってみます。ご投稿の皆様のように、詳しくないものですから、一度お尋ねいたした次第です。

3575犀角独歩:2008/02/19(火) 03:17:49

驢馬くんさん

独学さんのご指摘のとおりであると存じます。

3576パンナコッタ:2008/02/19(火) 13:51:34
明了曰解さん、
事実は独学徒さんのおっしゃるとおりですね。
仮に言われているような事があったとしても、漫茶羅の文字の重なりは板彫りでは
どんな細工をしたとしても表現し切れない事に作成者は、ぶち当たるでしょう。
それ故にレイアウトをずらした配置の板漫茶羅は、蓮祖真筆を当てて彫り込むという
事は、製作に当たっても無かった公算が強いでしょう。
むろん文字の重なりに意味を持たせた蓮祖の意志とは、存在意義も含め無関係なのですが。
拳骨和尚さんのブログ2月5日付けに、No.123 御本尊集成の物がupされており
 http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/?PageId=1
金泥や版物とは違う、蓮祖の筆がどういうものであるかが判ると思います。

驢馬くんさん、
昨年夏のオフ会で自分がお会いしたときの印象は、大変聡明な方と感じましたよ。

3577鳥辺野:2008/02/19(火) 19:13:38
明了曰解さん、

はじめまして、宜しくお願い致します。私も犀角独歩さんのブログを推薦いたします。特に
こちら、http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
及びhttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
によって、私の本佛感は180度変わりました。

また、日蓮大聖人真筆御本尊集はこちらです。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

そして、独学徒さんのブログです。私も時々参加させていただいております。
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index

3578明了曰解:2008/02/20(水) 21:05:03
ご意見ありがとうございます。

>3570 犀角独歩さん
 板本尊自体は戒壇の御本尊は別にして、大聖人滅後には製作されていたようですね。
 身延に日向の小さな板本尊があると、日亨上人は話していました。

>3573 独学徒さん
 日禅授与本尊が2つあるとは、知りませんでした。
 本尊をめぐる人の思惑と身勝手さとゆうものが浮彫りにされているようで、
 興味深いですね。
 
>3576 パンナコッタさん
>3577 鳥辺野さん
勉強させていただきます。
 
 大聖人直筆、日興書写、模写、模刻、形木、写真版と様々な本尊。
 ん〜ん、分身散体とはいえ、本尊とは何なのでしょう。
 難しい問題を含んでいますので、結論が出せるとは思いませんが、
 核心に一歩でも近づきたいと思っています。

 日亨上人が、
『わしの紫宸殿の御本尊は立派じゃ。写真からとったんじゃから、すっかりそのままです。
 写真からとって、それを引伸ばしてやったんですから御正筆とすこしも変わらない。』。
 なんて自慢していましたが、そうゆうもんなんでしょうか。

3579独学徒:2008/02/20(水) 21:27:55

明了曰解さん、

「分身散体」は当然ながら御伽噺の世界の話ですが、それにしてもコピー曼荼羅とは全く無縁の事だと存じます。
それを信徒会員を騙すための言葉として使ってきたのが創価学会ですね。

所謂「本門戒壇之大御本尊」は、日禅授与の御本尊の「分身」かも知れませんが、創価学会員が拝んでいるものは、「本門戒壇之大御本尊」の分身でもなければ、相貌も全く別物の、日寛のセンスで書かれた日寛の曼荼羅の製版印刷物ですね。
したがって、創価学会配布の印刷物を拝んで得られる功徳は、顕正会配布の印刷物でも、正信会配布の印刷物でも、日蓮宗配布の印刷物でも、同様の功徳が得られることでしょう。
どうせ同じ功徳ならば、日寛の独自センスで書かれたものの印刷物よりも、宗祖日蓮大聖人図顕の大曼荼羅の印刷物の方がよろしいかと存じます。
『本尊とは勝れたるを用ゐるべし』(本尊問答抄・日興写本現存)、よく創価学会を含む大石寺信仰圏で使われる御書ですね。
日蓮大聖人御図顕の大曼荼羅の印刷物と、日寛曼荼羅の印刷物、勝劣は誰の目にも明らかですね。
ご友人には、創価学会配布の印刷物よりも、宗祖日蓮大聖人御図顕の大曼荼羅を印刷して、表装してプレゼントしてはいかがでしょうか。

本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ主張を変える、創価学会の本尊義であろうと存じます。

3580偶ロム偶ログ:2008/02/21(木) 00:09:09
明了曰解さん

「分身散体」(ぶんしんさんたい)の語は比較的新しいものと思います。
戦後は昭和三十年代の半ばくらいから多用されていますが、このころの「分身散
体」語は、白土三平の忍者漫画の影響もあるかもしれません。
大石寺では古来「分身散影」(ふんじんさんよう)と言われてきました。

日向氏の所謂「日蓮幽霊板本尊」については後世のものとの説もあります。

堀上人の紫宸殿本尊については、退座後に写真製版されたもののようです。
つまり「時の猊下」の「開眼」はされていません。
隠尊だからそれでもOKと考えてのことでしょう。

>>本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ主張を変える、創価学会の本尊義であろうと存じます。

おっしゃるとおりだと思います。
また、日蓮正宗についても、
「 本尊をめぐる身勝手さは、その時々の情勢で、ころころ板を変える、日蓮
正宗の本尊義」
は看過することはできません。

3581明了曰解:2008/02/21(木) 19:54:16
>3579 独学徒さん
 友人に宗祖日蓮大聖人図顕の大曼荼羅の印刷物をプレゼントをとのおすすめ、
 今のわたしには、日蓮大聖人の真筆を写真に撮ったり、印刷をして配るなど、
目を瞑って運転をすることのように思われますのでいたしません。
 また違った意味からも私自身はそのような事はいたしません。
 
 日禅授与本尊の件は、本来は、盗難や焼失に備えて、
あるいは、秘蔵のための影武者的な存在として作られたかもしれない事が、
当時は責任逃れのためなのか、心配のためなのか、よい知恵と思ったのか、
時代を経ると真偽や正統の喧騒と不確実の元になってしまう危うさ。
行為が思惑とは違った捉えかたに変遷してしまう主観性。
その意味で興味深いと思っております。

>3580 偶ロム偶ログさん
 「分身散影」。勉強になりました。
 “影”との表現は御本尊七箇相承の文からきているのでしょうね。
  
身延にある日向の板本尊がそれかどうかは別にして、
富士一跡門徒存知の事にみられるように、
日向・日頂・日春等が形木として彫ったようなことはあったようですね。
また、他宗でも図顕の板本尊は以前からあったとなにかで読んだ記憶があります。


ご意見の内容すべてについて返事をしたいのですが、
論点が広がり、私自身わけが分からなくなる恐れもありますので、
なにとぞ、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
(別な機会で触れることもできると思います。)

地球史上未曾有の日蓮大聖人図顕の真筆の御本尊、いずれは消失も免れ難いですが、
総て、人間の宝として1箇所に護持されてほしいと願っております。
また、伝説、憶説、風説、推説が真実といわれていても、事実は1つしかないでしょう。
虚心坦懐・衆賢茅茹の心を持って事実に迫っていきたいと願ってもおります。

物理学などでは1つの事象にたいして、真実に迫るにはまず仮説から入ります。
よく、仏法は演繹法的で科学は帰納法的だと創価などではよく耳にする言葉ですが、
科学もじつは演繹的なアプローチなのです。帰納的なのは実証方法がといえます。
Aという仮説を立てるときは、必ず反Aという仮説も同時に、
ひとつひとつ実証的に確認しながら仮説に迫っていきます。
そのため一人の人生では証明しきれないことも普通です。
化城のごとく新たな登攀の峰を望むこともあるからです。
私達が学校で習う物理学は仮説を真実のように習っていることも多いのです。

日蓮大聖人の本尊とは?
ただの文字、文書としか見えない。
紙であり、墨であり、
木であり、樹脂であり、金箔であり、
化学繊維であり、インクである。
盲目ではもちろん、光がなければ見ることすらできない。
その事実から真実は見えてくるのでしょうか。
長くなるのでやめますが、いまひとつの仮説がわたしを支配しています。
知識を集め、勉強し、考えてみたいと思います。

3582独学徒:2008/02/21(木) 20:33:35

明了曰解さん、創価学会の信徒さんには、一寸飛躍しすぎた意見でしたね。
失礼しました。

しかし創価学会の日寛曼荼羅の印刷物は、正直、3000円は高すぎですね。
おまけに好き勝手に改竄しているので、写真製版と違って、創価学会製変造日寛曼荼羅であることは動きませんね。
お金まで取られて、このような印刷物をわたされ、おまけに選挙、新聞、財務に会合と、ろくな目にあいません。
このような団体の被害者を出さないためにも、これ以上創価学会に入る人を出さないことが大切ですね。
創価学会に入会しなくとも、日蓮の教えは実践できますし、創価学会の信仰で得られる「功徳」は、創価学会に入らなくとも得られるものばかりですからね。
ご精進をお祈り申し上げます。

3583パンナコッタ:2008/02/21(木) 22:39:02
明了曰解さん、
 >盲目ではもちろん、光がなければ見ることすらできない
蓮祖は、弘安三年太才庚辰卯月十三日"盲目 乗蓮"に、漫茶羅を授与していますよ。
(No.091)これが仮説でも何でもない、厳然とした事実です。
まずはきっちりと、事実を認識なさるのがよいのではないでしょうか。

また、宗教社会学的な面から見ると、
【法則1-1】
  宗教とは、本来自明ではない超自然的なものに関する事柄を自明なものに変換し、
  人々をそのようにふるまわせる社会的装置である。
  (岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)
これも、厳然とした事実です。

3584明了曰解:2008/02/23(土) 15:51:48
>3583 パンナコッタさん
 御書に「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、
 例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、」
 とあります。
 日蓮大聖人の本尊とは?を思推するうえで、人が当り前に捉える事柄を挙げただけです。
 なにか思いこみがあるようなので誤解をとくと、
 私は、御本尊はそのまま日蓮大聖人であり、生命根源の法であると思っています。
 また創価には自在会という目にハンディをもつ人達のコミュニティーがあり、
 私には私の使命があるんだ、と地涌の菩薩の自覚に燃え、
 信心根本に友の励ましや社会への貢献に汗する、
 困難に挑戦する勇者たちが、功徳に輝いていることも知っております。

 御書に「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの侭と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云。」
 とあります。
 一般的な論理と理解はしますが。
 私は仏法は超自然的なものでなく、まったく自然そのものと捉えています。
 どこかの話でなく、この現実にこそある、そこを離れてありえないと思っています。
 自然なものでも自明でないものはいっぱいあるものです。
 ”自明なものに変換”する作業を今私やりたいと思っています。
 目で見ることができない物資が核分裂や核融合するとき膨大なエネルギーを発散します。
 ウランやプルトニウム以外でも、環境条件がととのえば何でも膨大なエネルギーを発散します。
 超新星爆発で何が起こっているでしょう。ブラックホール、ホワイトホール、ワーム・・・。
 時間も空間もゆがみ、物質も光も秘められ、とても想像できないような世界。
 でもこれも自然なのです。

3585明了曰解:2008/02/23(土) 18:01:25
疑問の最初に戻ると、
A、真筆に直接刃を入れて彫ったのが今の戒壇の御本尊。
  A−A 他に彫らせ、日蓮大聖人が開眼。
  AーB 他が彫り、時の貫首が開眼。

  推測:1、彫った人は墨染の漫荼羅を仏と思ってなかった。
     2、大聖人(時の貫首)も開眼しないかぎり、ただの紙と文字と位置づけていた。
  儀問:不信の人(?)が刃を入れたのか。
     御書を読む限り、2、は信じがたい。
     1、2、の推測を裏づける御書や相伝があるのか。

B、真筆を写しとり(もしくは模写)それを彫ったのが今の戒壇の御本尊。
  B−A 他に彫らせ、日蓮大聖人が開眼。
  BーB 他が彫り、時の貫首が開眼。 

  推測:1、真筆の御本尊を時を待ち秘蔵するため。
     2、彫った人は写しとった漫荼羅を仏と思わなかった。
     3、大聖人(時の貫首)は写し取った漫荼羅は開眼しないかぎり、ただの紙と文字と位置づけていた。
  儀問:1、であるとすると、日興授与の弘安2年の真筆はどこにあるのか。
     3、の推測を裏づける御書や相伝があるのか。

となりますが、A・Bを全否定する命題もありますが。後日にします。
ご意見を賜りたいと思います。
ちなみに、私はB-αに近い考えです。

3586独学徒:2008/02/23(土) 21:10:32

明了曰解さん、

本門戒壇之大御本尊は、平成16年の10月に、真っ赤な偽物であることが、誰の目にも明らかなように図形鑑別を持って証明されているのです。
貴方の質問は、この掲示板には馴染まず、未だに本門戒壇之大御本尊を、本物と勘違いしている人たちの集まる場所にてされたほうが、よろしいかと存じます。

難しい教学や理論理屈などは必要ないのです。
目で見て明らかな図形鑑別にて、偽物であることが証明されている現在にあって、貴方の質問内容は全く意味を成しません。

3587独学徒:2008/02/23(土) 21:20:40

まあ、パンナコッタさんへのレスではありましたが、恐らくパンナコッタさんも御義口伝は御書とは認識されておらず、偽書と考えていらっしゃるのではないでしょうか。

所詮、創価学会も日蓮正宗も、顕正会も正信会も同列で、偽書・真偽未決書ばかり引用します。
ここでは私が参加し始めた時にはすでに、真蹟現存以外は文証として扱わないルールで議論がすすんでいるのです。

引用前に、まず自身が引用しようとしている御書が、真蹟現存かどうかぐらいは確認して投稿すべきだと思います。
真蹟現存御書をもとに、勝手な解釈を加えずに論証できたならば、きっと一目おかれると思いますよ。

3588明了曰解:2008/02/23(土) 21:25:19
>3582 独学徒さん
>しかし創価学会の日寛曼荼羅の印刷物は、正直、3000円は高すぎですね。
>おまけに好き勝手に改竄しているので、写真製版と違って、
>創価学会製変造日寛曼荼羅であることは動きませんね。

わたしは、破門された以上けじめとして、
お預かりしていた日顕の特別御形木様を寺にお返しました。
今は創価から授与していただいた日寛上人の御形木様を御安置しています。
私には日蓮大聖人の御本尊の優劣をことさら言う神経が釈然としません。
日蓮大聖人は総ての人を仏にしたいと願って御本尊を遺し、
広宣流布の誓願を私達に託したのに、
それを、お前の御本尊は直筆じゃない、時の猊下書写でない、
古臭い印刷物じゃないかと笑う心が卑しく思えます。
優れた御本尊なら題目1篇で成仏でき、
劣った御本尊では題目5000万遍・折伏1万人でないと成仏できないとでも言うなら、
私は題目5000万遍・折伏1万人のほうを選びます。
自分のためは当然として、人の幸せを願ってできるだけ多く唱題したいし。
より多くのひとにこの仏法を語り、御遺命である広宣流布に近づけるなら、
それのほうがいいと思うものです。

>お金まで取られて、このような印刷物をわたされ、おまけに選挙、新聞、財務に会合と、
>ろくな目にあいません。

選挙も、新聞も、財務も、会合も、折伏も、守る会も自らの発意からやっています。
修行なのだから多少汗を流すくらいは厭いません。
見栄や背伸びして嫌々やることはありません、できる範囲でやればいいのです。
私の師匠は、私にそう指導してくださいました。

>このような団体の被害者を出さないためにも、
>これ以上創価学会に入る人を出さないことが大切ですね。

申し訳ありません、500m四方の地域ですが今年に入って3人の方が入会いたしました。

>創価学会に入会しなくとも、日蓮の教えは実践できますし、
>創価学会の信仰で得られる「功徳」は、
>創価学会に入らなくとも得られるものばかりですからね。

そのとうりです、創価学会員でなくとも、
御本尊を抱きしめるようにして、広宣流布に生きる勇気と慈悲の人なら同志です。
日蓮大聖人の子であり、地涌の菩薩です。
御書に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして
南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、
然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、
剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」
とあるとおりです。

3589明了曰解:2008/02/23(土) 22:00:34
>358 独学徒さん
あまりに思いやりのないお言葉ですね。
素朴な疑問スレッドに書いてる意味がありません。
それに、今の戒壇の御本尊が本物と私は断定していません。
本物と偽者の主張の両面を伴いながら疑問を晴らしたいと思っているのです。
それよりも、本尊とは何かに軸足をおいてさぐっているのです。

3590明了曰解:2008/02/23(土) 22:03:55
訂正 3589の
>358 独学徒さん は >3586 独学徒さん に訂正します。

3591明了曰解:2008/02/23(土) 22:06:58
>3587 独学徒さん

>真蹟現存以外は文証として扱わないルールで議論がすすんでいるのです。

了解いたしました。

それと、私は、一目おかれなくてもいいです。

3592パンナコッタ:2008/02/23(土) 22:17:46
こんどは御義かよ、やれやれ・・・

明了曰解さん、
「此の経の文字は〜」は、日興を初めとする上代弟子の写本もない録外文であり
真偽は未決です。此処の掲示板は挙証を明示せばならず学会の御書そのままに
日蓮遺文としては受け取れない所です。
また、自分が提示した御本尊集No.091をチェックすれば、稲田師の推察から"盲目"の意味が
お分かりになるはずです。

個人的な思いこみの部分に関しては、不問です。

「久遠とははたらかさず〜」は、御義口伝ですので此処の掲示板では問題外です。
蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽についての過去スレを良くお読みになると良いでしょう。

「総じて日蓮が弟子檀那等〜」の生死一大事血脈抄も、上代写本のない録外であり
文永九年の法義には疑義がありますし、中古天台の"天台法華宗牛頭法門要纂"の引用等から
日蓮の名を騙った偽書でありましょう。

板漫茶羅に関しては、蓮祖は一切関係ないでしょう。
また疑問の点に関しては、形木の版を考えてみればいいでしょう。
信者が見れば尊びはしますが、御本尊として奉るような事は誰もしないでしょう。

3593独学徒:2008/02/23(土) 22:31:18

明了曰解さん、

>私には日蓮大聖人の御本尊の優劣をことさら言う神経が釈然としません。

ところが、これは他でもない創価学会がやってきたことなのですよ。
貴方の家には、「折伏経典」はありますか?
本尊の優劣を主張し、他宗・他門を卑下してきたのは、創価学会であり池田先生です。本当に酷い団体であり、酷い先生ですね。
それが今になって、自分たちにとって都合が悪くなると、本尊の優劣を論じることを問題視する。
まったく創価学会のいい加減さはここにあります。つまり過去に自分たちがしていたこと、言っていた事を、今は都合が悪くなったから、同じ事をする人を悪しく扱う。
今さら何をいうかといいたいですね。
明了曰解さんは、御書を学習する以前に、創価学会が過去にどのような主張をし、どのように他宗・他門を非難していていたのかを学習ることが先だと思います。
私でも昭和30年代から昭和50年代までの大白蓮華を150冊以上は所蔵しています。52年路線のころの資料も山ほどあります。
創価学会が、その時々の情勢で、いとも簡単に主張をころころ変えてきたことが、創価学会の出版物だけで良くわかります。
貴方も人に創価学会をすすめる以上は、せめて創価学会の出版物ぐらいは、過去にさかのぼって学習することですね。

>本物と偽者の主張の両面を伴いながら疑問を晴らしたいと思っているのです。

偽物であることが証明されている以上、疑問が晴れることはありません。

>できる範囲でやればいいのです。

お笑いですね。私は少なくとも貴方よりは学会の役職を経験していると思いますよ。
その経験からいって、「出来る範囲」なんて大嘘です。
青年部の人材グループや、金○会などが、どのような活動を強いられているかご存じ無いのでしょう。

>御書に「総じて日蓮が弟子檀那等・・・・

すでに指摘の通り、真筆不伝の真偽未決書です。
引用の前に真蹟現存かどうかを確認の上、ご投稿戴けますと幸甚です。

3594問答迷人:2008/02/23(土) 23:11:19

明了曰解さん

>それよりも、本尊とは何かに軸足をおいてさぐっているのです。

僕は、日顕師書写の特別御形木本尊を安置しています。日蓮正宗に本人は席を置いているつもりでいましたが、寺院参詣をしないからか、行方不明にされてしまっています。それゆえ、もはや何等の連絡も来ません。

まぁ、法華講の講頭をしながら、日顕師に、クロウ裁判は勝ち目が無いから取り下げたほうが良い、等と直訴した為に、講頭を罷免されました。

本尊とは何か、難しいですが、日蓮曼陀羅は、神力品付属の妙法蓮華経の五字を受持させるための道具建て、だと考えています。本尊は、恐らくは、妙法蓮華経の五字であり、それが、観心本尊抄に述べられる、無始の古仏なんだと思っています。

ご高察を拝聴したいと存じます。

3595明了曰解:2008/02/25(月) 18:46:21
>3593 独学徒さん
私自身のことを例に言っているのに、大嘘とは笑えました。
46年間私はそうしてきました。
会員を慈しみ、守り、励ますのが幹部です。
なにか勘違いしていて、傲慢で身勝手な幹部づらするやつは
師子身中の虫とも言え、創価に居られなくなるよう戦ってまいります。

人材グループは確かに師弟の厳しいものが要求されたでしょうね。
私は覚悟も無いから、入らなくて良かったと思っています。
まあ、社会て戦うのも厳しいものがありましたけどね。

3596明了曰解:2008/02/25(月) 18:48:15
>3594 問答迷人さん
日蓮大聖人の漫荼羅は、
たしかに五字が首題で、南無が境地の冥合を表わし、
日蓮初めに唱うるところの七字となっています。
しかし、それでいいのかというとそうではなくて、
十界を互具と開き、仏界即九界そして九界即仏界としています。
(仏界即九界を5字相対の漫荼羅、九界即仏界を南無相対の漫荼羅とみてもおもしろい)
仏像信仰のように五字でいい、としないのが日蓮大聖人の心でしょう。
仏というも凡夫というも日蓮、人間をはなれてどこにも無い、
生命の実相と成仏の要諦を表わされたのが御本尊ではないでしょうか。

根源の法が南無妙法蓮華経なのですから、
そこから生じた総ては南無妙法蓮華経を父母とした胎内の赤子のようなもので
生じた総てが南無妙法蓮華経の種子を秘しているともいえ、
生じた総てから離れて南無妙法蓮華経は無いと思います。

それと、これはあくまでも仮説ですが、
日蓮大聖人が表わされたように書かれ、彫られ、写された曼荼羅には、
人と法が、自然に例外なく備わるのではないか。
思考するうちにふとその思いが過りました。
凡愚な私にはただの文字にしか見えませんし、仏にしか解からないことなので、
これが真実かどうか判りません。
思索のご参考に。

3597問答迷人:2008/02/25(月) 19:01:38

明了曰解さん

>根源の法が南無妙法蓮華経なのですから

南無妙法蓮華経が法で、しかも、「根源の法」である、という文証は有りますか。明文が有ればお教え下さい。

3598明了曰解:2008/02/25(月) 19:06:27
訂正
私の書込みの「漫荼羅」を「曼陀羅」に訂正いたします。
お恥ずかしい限りです。

3599独学徒:2008/02/25(月) 19:14:13

明了曰解さん、

>私自身のことを例に言っているのに、大嘘とは笑えました。

これはおかしいでしょう、貴方は以下のように云っている訳です。

>>私の師匠は、私にそう指導してくださいました。

つまりあなた自身の事ではなく、貴方の師匠つまり創価学会の永遠の師である、池田先生の指導がそうだということを、貴方は仰った訳でしょう。
しかし、貴方より事実を知っているものから指摘をされると、「私自身のことを例に」とすりかえるのはいかがなものでしょうか。

>なにか勘違いしていて、傲慢で身勝手な幹部づらするやつは

いくら貴方が戦っても、このような幹部は陸続とあらわれますよ。なぜならば、永遠の師たる池田先生がそうだからです。
もし本気で学会浄化を願うなら、諌めるべきは途中の幹部ではなく、最高指導者の池田先生でなければなりません。
しかし、みな怖くてそこには手をつけられないのですね。学会員は。所詮そこが学会員の限界です。

「途中の幹部は悪いが、池田先生は間違いない。」改革派気取りのものたちも、所詮はこのような腰抜けばかりですね。
創価学会の幹部の悪態も、組織悪も、すべての責任は、最高指導者の池田先生の責任です。
責任逃れのように、「名誉会長」の呼称を利養するのは、潔さのかけらもないというものです。
所詮幹部も被害者でしょう。諌めるべき相手を間違えてはいけません。
戦うなら、池田先生を相手に戦ってこそ、真の学会浄化の運動でしょう。

3600独学徒:2008/02/25(月) 19:16:49

また誤字がありました。

誤:利養するのは
正:利用するのは

大変失礼しました。

3601明了曰解:2008/02/25(月) 20:25:57
3597 問答迷人さん
>南無妙法蓮華経が法で

とすると伝えたい事と違ってきてしまいます。
ん〜難しいのですが、もう少しお時間をください。

3602犀角独歩:2008/02/25(月) 22:35:18

>3588>私の師匠は、私にそう指導してくださいました

ここでいう師匠というのは池田さんのことですか。
個人的にこんな話はどこで聞いたのでしょうか。
まさか出版物や、衛星放送で聞いたことを、個人的に受けたと偽った話ではないでしょうね。

>3596

こんな創価学会の影響を、もろ受けたことを自分で考えたことのように描いたうえで、問答さんに「参考に」などと言うのは失笑を禁じ得ません。なんら挙証義務も果たしていませんね。

>3598>「漫荼羅」を「曼陀羅」…お恥ずかしい

日蓮は漫荼羅と書いていますが、すると日蓮の記述は恥ずかしいということでしょうか。

3603独学徒:2008/02/25(月) 22:42:03

明了曰解さんの仰ることは、ナルシストの学会員に特有の考えです。
今の創価学会の現状を、何とか肯定したい気持ちはわかります。
しかし、ここで求められるのは、ナルシストの個人解釈ではなく、明確で確実な日蓮大聖人の御書の裏づけです。
真蹟現存の御書を、勝手な解釈を加えずに、証文として用いることが大切だと思います。
それを抜きに、勝手気ままな言辞を続けることは、これまでの諸先輩方の議論を棒に振るようなものです。
創価学会の信仰を続けられることはもちろん自由ですが、ここではひとつ客観的な思考にたたれて、これまでの諸先輩方の議論を無駄にしないよう、同じ土俵で議論に参加されることを希望します。

3604明了曰解:2008/02/26(火) 19:35:27
問答迷人さん
E=mc²    E:エネルギー
      m:質量
      c:光速
       2:乗数
物体の持つエネルギーを現した物理式です。
厳密に言うとある条件下での式で、物体が運動していたりすれば係数が付加されますが、
質量がエネルギーと等価であることを示したものに変わりはありません。
E=mc²は法則です。 しかしエネルギーと質量と光と乗数は法則ではありません。
これで理解していただけると助かるのですが。

“根源”は生命としても良いのですが、
(生命は色と心、不二をもって体となす実在と機能と作用が伴うもので、
宇宙がそのまま生命だと思っています。)
無始無終、久遠元初、の意味あいに似合う言葉として使いました。
それでも私が思推する内容をうまく表現できません。

3605犀角独歩:2008/02/26(火) 20:29:40

明了曰解さん
もういい加減にしませんか。

管理者さん
投稿規約に明らかに違反していると思います。

3606管理者:2008/02/26(火) 20:59:30

明了曰解さん

貴方の書込みは、以下の当掲示板の書込みルールに違反しています。

【書き込みの基本原則】
1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。 

相手の応答を無視して、投稿を続けないで下さい。独学徒さん、犀角独歩さんの応答を無視して、投稿を続ける事は、ルール違反となります。

さらに、問答迷人は、明文は有りますか、と質問していますが、お答えがまるで噛み合っていません。これでは、話し合いを重んじる事にはなっていないです。

同様の投稿を続けられると、ルール違反で、削除、投稿禁止まで行ってしまいますので、ご注意申し上げます。

3607しゅんかん:2008/02/27(水) 00:38:11
相変わらず頓珍漢(腰砕けされるかも)な問い合わせかも知れませんが、どなたか宜しくお願い致します。

石山や団体が取り上げる蓮祖の御書に付いて真偽云々を記されてますが、その真偽又は真偽未決はどなたが
判断されているのですか?
(公正な判定を下すには宗門外の第三者機関が望ましいと思っておりますが、その様な機関に拠るものでしょうか)
身延や隆門、真門、什門の各派に於いても独自の御書で日々研鑽を積まれている事と思います。
この各派で使用される書にも真偽が掛けられているのでしょうか?

私は現在、執行海秀先生著の日蓮宗教学史(平楽寺書店)を読ませて戴いておりますが、本書中にも
「・・・偽書」「・・・ではなく後世の作」と記されているものがよく見られます。

遺文の書も随分と多く出版されているようですね。
現在、私でも購入可能なものに
1(浅井要麟 編、昭和新修日蓮聖人遺文全集、平楽寺書店)
2(新修略註 日蓮聖人遺文集、清水龍山外編)
3(日蓮聖人遺文集、法華会編)
4(類纂 日蓮聖人遺文集平成版、獅子王学会、桜井智堅監修)
5(昭和定本 日蓮聖人遺文、日蓮教学研究会)
等が在ります。
又、現宗研に於いても真蹟遺文を載せられていますね、これら(5書籍と現宗研アップ)
には偽の御書は含まれていないのですか?

以上、宜しくお願い致します。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板