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素朴な疑問
3537
:
れん
:2007/11/25(日) 18:32:52
犀角独歩さん
お尋ねの資料については日代消息「葦名阿闍梨御房御返事」だと思います。日興門流上代事典によりますと日蓮宗宗学全書第二巻所収本並びに石山蔵古写本(東大影写本)では宛名を“宰相阿闍梨”としますが、西山蔵の日代真筆には“葦名阿闍梨御房”と明記されているとのことで、“宰相阿闍梨”は伝写の誤りで“葦名阿闍梨”が正しいと思います。ですから、“教学史”が本消息を日郷師宛てと解するのは誤認に属すると考えます。
さて、本書には「佛像造立事本門寺建立時也、未無勅裁、国主御帰依之時三ケ大事一度可令成就給之由御本意也、御本尊図為其也」とありますから、“教学史”の言うところは上記の文と思います。
現在、西山の一部?では房山蔵の文永十一年十二月の日蓮自筆“大本尊”を戒壇本尊としておりますが、当の西山開山の日代師は三位日順師の心底抄における見解とほぼ同様の本門寺造立時の“仏像造立”であって、私としては、何時から西山が漫荼羅を戒壇本尊と位置付けるようになったのかが“素朴な疑問”です。
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