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素朴な疑問
3515
:
パンナコッタ
:2007/08/08(水) 22:54:31
四条金吾は手紙が読めないどころか、蓮祖に文章を送っていますね。
四条金吾釈迦仏供養事 「御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云」
該当部分真蹟欠
四条金吾殿御返事 「はるかに申し承り候はざりつればいぶせく候いつるに
かたがたの物と申し御つかいと申しよろこび入つて候 又まほりまいらせ候、
所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御消息引き合せて見候い畢んぬ」
該当真筆断簡現存
武士と言っても古来より土着の豪族の子孫もいれば、摂関時代あたりからの
中央から地方に下った貴族の末裔もいるわけですし、一概には語れないですね。
頼朝の旗挙げは治承四年(1180)ですが、皇嗣争いが発端で京都御所周辺で武力衝突した
保元の乱(1156)、清盛の留守を狙ったクーデターの平治の乱(1159)での
中心人物・義朝の伊豆へ流された三男ですし、後白河法皇の"寿永の宣旨"などでも判りますし
(権謀家の処世術ではありますが)単なる田舎の山賊ではないでしょう。
元寇時の亀山上皇は、伊勢神宮に勅使を送り敵国降伏をを祈願していますね。
又後に出家して、離宮を禅寺にしたのが南禅寺の起源みたいですね。
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