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素朴な疑問

3516マターリ:2007/08/08(水) 23:50:41
>富士川一郎さん、犀角独歩さん、パンナコッタさん、レスありがとうご
ざいます。四条金吾は、文章が書けたんですね。

四条金吾については、深い意味で書いたわけでは、ありません。四条とい
う名前が中レベル以下の家柄を指す、と書いてありましたので、想像をた
くましくしてみた次第です。

>富士川一郎さん、
>つまり、武士の社会などと言っても、全体の1割にも満たないわけです。
その1割にも満たない階級を中心に歴史を紐解いても真を得ていないのは
当然でしょう。

私は図書館で、鎌倉時代に関する本を探してみました。しかし、天皇と公家
、鎌倉幕府と武士、そして僧侶に関する本ばかりでした。一般庶民に関する
本が無いので、調べようが無い状態です。

日蓮聖人の初期の在俗の信徒に、武士が多いので、そこから日蓮聖人との師
弟関係を考えてみました。

鎌倉幕府は文化的な面で、京都の文化に対して、大変なコンプレックスを
抱いていました。

そのため、中国の宋から禅宗と、それに付随する文化を輸入し、京都文化
に対抗しようとしたようです。

>パンナコッタさん、
>武士と言っても古来より土着の豪族の子孫もいれば、摂関時代あたりか
らの中央から地方に下った貴族の末裔もいるわけですし、一概には語れな
いですね。

おっしゃる通りです。1.荒々しい武士 2.貴族化した武士 3.信仰を求め
る武士と3種類に分けられるようです。

男衾三郎(おぶすまさぶろう)について書きましたが、彼は荒々しい武士で
す。しかし、兄は貴族的な武士でした。近くに住んでいる兄弟でも、天と
地ほどの差があったようです。

信仰を求める武士についてですが、やはり源平合戦の、むごたらしさに
無常を感じ、念仏で往生することを願う武士が続出したようです。

鎌倉の武士の多くは、禅宗でしたが、亡くなる前は念仏を唱えていたと
いいますので、念仏の影響力はすざまじいものだったと思います。


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