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素朴な疑問

3549犀角独歩:2007/12/03(月) 06:55:35

3543 ふうてんさん

> ちょっと僧侶の言い分はおかしいですね

ええ、わたしが3542で記した石山僧の言うことはたしかにおかしいと思います。
問答さんが仰るとおりです。漫荼羅正意を煎じ詰めるとこうした考えになるということでしょうね。

わたし自身は漫荼羅を勤行唱題の法具と考えていませんから、唱題はどこでも行える方法だと考えます。

ただし、観念文から読経の性質を考えれば、それぞれの尊体の御前に詣でることから、勤行は始まっているということは忘れてはならないと思います。
たとえば、いまの時代に日蓮が生きていたとし、東にある隣の建物に住んでいたとします。では、東に向かって「おはようございます」と挨拶をしても、その声は日蓮に届きません。やはり、御前に行き、挨拶をするでしょう。没後、日蓮は御影として崇敬され、その徳を賞嘆供養、つまり勤行をするわけです。御影堂に詣でず、日蓮に挨拶してどうするのだ、ということになりますね。


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