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靖国問題について考える

1剣恒光:2005/09/30(金) 22:56:57
賛否両論様々な意見のある、靖国参拝について、勉強したいです。

自分は神道は宗教というより、自然や先祖を敬う日本人の民族性に則った文化のような気がするのですが。

893上田 勝:2006/09/05(火) 02:37:46
>>873

>しかしながら現実に前の方では「申す」と敬語を使っています。
>これは上田さんの言われることと矛盾しますね?

矛盾はしてませんよ。「申しました」の部分はそれだけで十分簡潔だからそのまま
表記しても不自然ではないでしょうと述べております。敬語表現を含んだまま記すか
省いて簡潔に記すか、厳密に規則性を要求することでもないと思いますよ。メモの
書き手が判断することですからね。

>そして、上田さんは「歴史的な発言だからしっかりとメモをした」と言われていますが、
>そうなると当然この言葉にも敬語を残しますね。

どうして当然なのでしょうね。陛下と富田長官以外の第三者が書き残したメモであれば、
両者の発言を敬語表現も含めて記録するかもしれませんが、このメモは富田長官が書いた
ものです。意識の上では主従関係にあるわけですから、主である陛下の発言は可能な限り
言葉どおりに記し、自らの発言は簡潔に記録するでしょう。

大神さんはメモの表記上の規則性にこだわってらっしゃいますが、そもそも「表記上の規則」
というのを意識してメモをとる人などいないでしょう。メモの内容こそが書き手にとって
重要なのですから。ここで重要なのは自分の発言部分の文頭に「=」を付けて区別して
いることであり、敬語表現を含めるか否かはさほど重要な論点ではないということです。
あまりそこにこだわりすぎると逆に誤った解釈を導きやすくなるでしょう。

>「敬語の一つが間違えていた」という次元ではなくて、「敬語が全くなされていない」
>という話なので、

そう極端に考えずに、常識的に考えればいいだけのことだと思いますけどね。
4.28のメモだけでなく他の日付のメモや日記の表記なども参考にしないと。
「敬語表現がないから冨田氏の発言ではない」などという理屈を採用してしまった
ら、富田長官と陛下だけでなく、陛下に「タメ口をきくことのできる地位の人物」
が別にいた、という話になっちゃいます。それって現実的な解釈ですか?

894上田 勝:2006/09/05(火) 02:52:38
>>874

>二人の発言ならば、それを区別するために片方に何らかの符号(「=」)を入れたりすることはあるでしょうという至極単純なことですよ。
>それとも上田さんはそれまで否定されますか?

それを指摘したのは私なんですけどね。お忘れですか。>>839

>藤尾氏(文相)の発言と書いておきながら、それは関係ない、とりあえず
>書いただけとは言えません。

だったら「前にもあったね」と述べたのは一体誰なんですか。まさか藤尾元文相が
その場にいて、奥野発言に関連して「前にもあったね〜」などと発言するのですか。
そもそも藤尾氏の発言がそこに出てくること自体、脈絡がないでしょう。その矛盾
をあなたはこれまで一度も説明していませんが、そろそろ述べていただけませんか。

今のところあなたの論法というのは、昭和天皇の発言である可能性を否定した上で
消去法的に誰の発言かを適当に推測しているだけでしょう。最初は徳川侍従長の
発言ではないかと考えていたようにも見えましたが、現在はどうも藤尾氏の発言だ
と結論付けているように感じられますが。

>上田さんの言う「書き手の自由だ」論は余りにもご都合主義です

というか、メモの書き手の側に立って読もうとしないと、メモの中身を正確に理解
できないのは当然でしょう。書き手にとって理解しやすい記述の仕方をするはずです
からね。それに対して読み手の都合で自由に判断しちゃったら、こっちの方が問題
ですよ。「敬語を使わないのはおかしい」というのはあくまで読み手の主観の問題
ですからね。

895上田 勝:2006/09/05(火) 03:07:19
>>875

>十数時間の間に各紙が検証することは物理的に不可能

日経報道の翌日に掲載しようとすれば実物を確認の上写真をとって日経記者に取材し
記事を書くぐらいしかできないでしょうね。しかし他社がその気になればその後も
検証報道を続けることも可能です。そうするかしないかはあくまで新聞社の判断ですよ。

>前もって各紙も知っていたのなら日経に各紙申し合わせで「日経に一番乗り」にさせたのか

申し合わせたわけではないでしょう。遺族から日記等を入手したのは日経記者です。当然ながら
日経記者が最初のスクープを書く権利がありますよ。他社が富田メモに関して独自の記事を書こう
とすれば、遺族の許可を得た上で日経に了解をとるのが常識でしょうね。日経新聞社が富田メモの
所有権を取得したということになると話は別ですけど。

896上田 勝:2006/09/05(火) 03:26:17
>>876

>それは私が上田さんの言っていることが論理的におかしい(立証の際に、立証すべきこ
>とを根拠にしている)と指摘してからですので、失礼ながら出し遅れた証文のように言
>うのは間違いでしょう。

入江日記や徳川侍従長の回顧録とも照らし合わせて検証する必要があるというのは、わざわざ
言わなくても当たり前のことだろうと思うんですけどね。別に後出ししたわけじゃ
ないですよ。そもそも富田メモだけしか読まずに「私」が昭和天皇か否かなんて議論
できるはずがないじゃないですか。

>・ 「藤尾氏の発言」は何の脈絡も無く書いただけ。
>・ 敬語表現は「書き手の自由だ」
>は余りにもご都合主義でしょう。と言うよりも、たった一枚の紙の解釈で、これだけ
>二つも矛盾点が出る解釈には意味が無いでしょう。

それはあなたが読み間違えてるんですよ。まず「富田(文相)の発言」の文言にはきちんと脈絡が
ありますよ。「前にもあったね どうしたのだろう」に関連しているからです。あなたは意図的
なのかどうかわかりませんが、「前にもあったね」の部分を考慮せず、脈絡のないものとして
決め付けてしまっています。敬語表現の有無に関しては既に述べた通りです。

>先ず、私は 「藤尾氏の発言の根拠を藤尾氏の発言があるから」 ということ
>はしていませんよ。「藤尾氏の発言」というのを、「藤尾氏の発言と書いているから」
>持ってきているのであって。

だからといって「私」が藤尾元文相だということにはなりませんよ。そのためには
靖国神社への参拝をA級戦犯合祀以降中断したと藤尾氏が発言したことを合理的に
説明するための推論が必要です。例えば過去の取材等で実際に藤尾氏がそのような
発言をしていたなどの合理的な説明ですね。今のところあなたはそれについて何も
語っていません。

それと、大神さんは実際に藤尾氏が文相辞任のきっかけになった発言を調べてみましたか。
「藤尾(文相)の発言」の後に続く「私は或るとき〜」以下の内容とは全く違いますよ。
そうしたことを調べた上で、「私」が藤尾元文相のことだとあなたが認識した根拠を
述べてください。私の反論はそれからですよ。

897上田 勝:2006/09/05(火) 03:40:04
>>877

>それなのに、私にメモの真偽の根拠を求めるのは言っていることはおかしいで
>しょうということです。

私はあなたに、富田メモ事態の真贋について科学的に証明せよと述べたことはありません。
私が質問したのは次のことです。

>>842
>ところで、私に対して富田メモにおける昭和天皇の発言が真正であること
>の証明を求めるのでしたら、大神さんはそうではないことの証明を何に
>よって行おうとするのでしょうか。

とこのように述べたのです。筆跡鑑定しろと述べたわけではないですよ。「私」
が昭和天皇ではないことの証明を何によって行うのかと尋ねたのです。

898上田 勝:2006/09/05(火) 04:48:10
>>878

>「だろうと思いますよ」は単なる推測です

私たちはお互いに推測を論拠として議論しているのではありませんか。確実な
証拠を提示して議論できるとすれば、それができるのは既に亡き昭和天皇と富田
長官しかおりませんからね。ですからより「確からしい」推測をもとに議論しよう
としている。それを否定してしまうとあなたも何も言えなくなりますよ。

>何か勘違いされているようですが、上田さんが藤尾氏と奥野氏とを混同されていたことに
>対してのレスですよ?

勘違いされているのは大神さんだと思いますよ。藤尾氏と奥野氏を私は混同などして
おりませんからね。もうお忘れなのかもしれませんが、あなたは>>836でこう述べて
います。

>素直に捉えたら「=」以下が 奥野文相の発言 になりますよ。
>また、仮に=が富田氏の発言でも、
>奥野文相の発言→「=」(富田氏の発言)→奥野文相の発言
>になりますよ。何故なら場面転換したとか何も書かれていないのですから。

あなたは最初、
>「前にもあったが どうしたのだろう
> 中曽根の靖国参拝もあったが
> 藤尾(文相)の発言。」が藤尾氏の発言、
と述べていたんですよ。

大神さんは主に4ページの部分だけを材料として議論されていますが、当然
ながら3ページ目との関連で考えなくては誤解のもとです。3ページ目の最後
にある「“嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっか
けて云った積りである」の部分から「前にあったね〜」と内容的には続いて
いるのです。しかし大神さんは「脈絡がない」の一点貼りですよね。

既にあなたも以前の発言で、4.28のメモが書かれた当時、奥野発言が問題視されて
いた時期であることを認めていたはずです。どうして問題視されたかと言えば、奥野
発言が歴史認識について国内のみならず海外、特に中国の批判を受けたからですね。
藤尾発言も同様ですよ。この二つの間にはきちんと脈絡があるんです。

>前述していますが、つまり3日後になって書いているのですね?

25日の3日後、つまり28日に「言上」したというのは日記のスケジュールにも記載
されています。つまり3日前の記者会見の内容を記録したのではなく、28日に行われ
た言上の際に、3日前の記者会見の様子についても会話の中で触れられたのだという
ことです。単に25日の記者会見での会話を3日後の28日に書いたものだと考えると、
「“嫌だ”と云ったのは奥野国土庁長の靖国発言中国への言及にひっかけて云った
積りである」という話がどうして出てくるのかということになります。

>それは途中から変わっているのですね。
>前からそうではありません
>靖国神社に最初に行った時は御幸になっていますよ。

違いますよ。行幸の読み方の問題です。古語表現では行幸の読みは「みゆき」です。
それを漢字にしたのが「御幸」で、行幸と同じ意味です。古くは上皇の場合は「御幸」、
天皇の場合を「行幸」と区別しました。

靖国神社の神社年表では全て「行幸」になっていますが、正しくは「御親拝」です。

899上田 勝:2006/09/05(火) 05:24:29
>>879

>これも単なる推量です。

推量には違いないですが、常識的に考えればそうなりますよ。残念ながら文頭に
「=」のついた箇所が他にもあるかどうか、他のメモの実物の画像があればもう
少しはっきりするんですけどね。

>富田氏が仕事で拝謁するのは当然です。が、それからメモがその言上のちょうど
>その時に該当するかは別物ですよ。言われなくとも分かると思いますが。

8月3日の日経新聞で報道されてますので、図書館などで調べればわかると
思いますが、富田長官の手帳の当日のスケジュールにはこうあります。

28(木) 10:00-11:00 外務次官 11:00-12:00 (言上) 15:30-16:30 皇太子
メモの1ページ目の冒頭にあった時間は11時17分から11時53分になってます。

>プライベートで謙譲語がさらに必要ではない時に、使っているのですか?

私は陛下がプライベートでどういう会話をしていたかなど知りませんよ。
公式の場で謙譲語を使うこともあった、という話をしたんですから。

>そういう点が、上田さんは「謙譲語を使わないと陛下は英霊に敬意を払っていない
>に無理に持っていく」と私に言われるのですよ。

そういう解釈をするからおかしくなるんでしょう。私は「英霊に対して参拝を使わな
くてはならない」と言っているのではありません。英霊に対しへりくだって参拝という
言葉を使ったとしてもそれは不自然ではないと述べているんです。どこをどう読んだら
「謙譲語を使わないと陛下は英霊に敬意を払っていない」なんて解釈になるのですか。
小学生相手の議論なら、そういう短絡的な反応を示す場合もあるでしょうけど。

900上田 勝:2006/09/05(火) 05:57:35
>>880

>・ 上田さんは陛下の場合は御親拝という言葉を使うといわれていました
>・ 上田さんは陛下は「参拝」という言葉を皇太子時代に慣れ親しんだ
>と言っています。が、1988年の時には皇太子時代よりも在位時代の方が長いので
>慣れ親しんだという点からも参拝という言葉を使うことはありません。

あなたは勘違いされてますよ。陛下自身が「親拝」という言葉を使ったかどうかは
私は知りませんし、実際に使ったとする発言の記録があるのかも知りません。「親拝」
は天皇が神社等に詣でる場合に「一般的に」使われる言葉で、使うとすれば陛下以外
の人間です。要するに陛下自身が「参拝する」と言っても、報道記事では「御親拝される」
として表現される類のものです。

あなたが私の論を否定するためには、少なくとも天皇に践祚されてから天皇自身が
公式に「親拝」という言葉を使っているということを客観的に証明する必要があり
ます。それができないならば、天皇になってからも、私的には「参拝」という言葉を
使用していた可能性を否定できません。

>このように上田さんは、片方で言っていることともう片方で言っていることとが
>矛盾しています。さらに、「行く」と「参拝」が可能性が等価と言っておきながら、
>「英霊に敬意を表して使う」と言われていますが、英霊に敬意を表するのと、参拝という
>言葉を使うのは別です。

どうもあなたは私の発言を歪ませて別の意味にしちゃってますよね。「行く」と述べる可能性
もあるし「参拝」と述べる可能性もある。「行く」というのは神社に限らず幅広く使える言葉
ですが、目的地が神社である場合、「行く」よりも「参拝」を使用する方がなお自然であると
私は言っているんですよ。

靖国の英霊は護国の神です。護国というのは、「国体護持」をも含んだ意味がある。
つまり靖国の英霊は国のみならず天皇陛下をもお守りしているわけです。その靖国の
英霊に対して「参拝」ではなく「行く」という言葉を使うはずだと、大神さんは考えて
いるわけですよね。

それでは視点を変えて考えて見ましょうか。伊勢神宮に詣でる場合、天皇は「行く」を使う
でしょうか。それとも「参拝」を使うでしょうか。まさか自ら「御親謁する」とは
言わないだろうと思いますが、「行く」と「参拝」のどちらを使うと思いますか?
伊勢神宮に対し、「参拝」を使うとして、これは自然なことだと私は感じます。ならば
靖国神社にも「参拝」という言葉を使うことも「ありえる」でしょう。いかがですか?

>普通に書いていれば私が陛下が言ったのではないと言っているのは分かると思いますよ。

ええと。陛下ではなく藤尾氏の発言だ、と大神さんが考えておられるとばかり思って
いたんですが違うんですか?では「私」が陛下でないとしたら、誰なんでしょうね。
推測でかまいませんので教えてください。

>4/28(4)が問題のページですが、pressは4/28(3)ではないのでしょうかね?

それなら詳細にメモをつける習慣のある富田長官が、スケジュールや日記に
書かないはずがないと思いますけどね。3ページ目で記者会見での発言について
述べた部分と、天皇誕生日である4月29日に報道された内容とは一致してます。
そして4月29日に報道された記事は4月25日に陛下から直接取材したものである
ことは既に証明済みの事実で、これに関しては疑いようがありません。

901上田 勝:2006/09/05(火) 06:09:24
>>881

>よく間違えられますけど

いいえ。一般的に「致す」というのは「する」の謙譲語と認識されています。

>おそらく上田さんは「致します」を一つの丁寧語と勘違いされているようですが、
>前述のとおり「致し」+「ます」であって、「致します」という一つの動詞では
>ありません。ちなみに謙譲語+「ます」で丁寧語になるんですかね?

謙譲語である「致す」に丁寧語の「ます」をつけて丁寧語として使われる場合が
あるということですよ。活用方法の違いです。

902上田 勝:2006/09/05(火) 06:23:52
>>882

>これを克服しないと、「都合の悪いところは単に切り捨てた」
>ご都合主義になってしまいますので。

私としては「前にあったね」の文言を切り捨てて理解されているあなたの方こそ
ご都合主義的ではないかと思うんですけどね。まあこの点についてはさんざん
述べましたので、一応お考えに入れておいていただくだけで結構です。

>しかも藤尾文相の発言なんて入ると余計に分からなくなります。そしてそれを理解
>しているから日経新聞も「藤尾文相の発言」という文字を外した文を掲載しているの
>でしょう。

それは穿ちすぎだと思いますよ。さすがに靖国参拝中断に関する発言が、昭和天皇
ではなく藤尾元文相の発言だなどと解釈する人がいるとは思わなかったのだろうと
思いますね。

ちなみに、富田長官と陛下の会話が記録されたメモは他にも数多くありますが、
「私の発言」「陛下の発言」と全て注意書きのようなものはないみたいですね。
日経に連載された記事には(富田)(天皇)と注釈がついてますが、これは日経側
でつけたもののようですから。富田長官にとつては陛下との会話かどうかなど
自明のことであったはずですから、注釈がつくかつかないかはあまり大きな問題
ではなさそうです。

903上田 勝:2006/09/05(火) 06:34:08
>>885

>「致す」については丁寧語、謙譲語、尊大語でありました。

ちょっと前述で触れましたが、活用法や人称変化で変わります。
「〜致します」で丁寧語(美化語)。「〜致す」で謙譲語。「致す」
を二人称・三人称で用いると尊大語、いわゆる自敬表現になります。
辞書等では「〜致せ」という表現で解説されているはずです。
なお、丁寧語というのも、元を正せば謙譲語が転化したものですからね。

904上田 勝:2006/09/05(火) 06:52:20
>>886

>例えば、上田さんは「前にもあったがどうしたのだろう」は前のページ
>の文調に比べれば違いがあるのはお分かりになられると思います。

そんなに気になりませんけどね。日経新聞の連載記事には4.28以外の日付に
ついても紹介していますが、親しげに会話されている部分もあり、硬軟とり
まぜて記述されてますね。同じ88年の4月16日の部分をちょっと引用して
みましょう。

 (富田)「今週一連の人事で拝謁に今日まで出ませんでしたが、何かご不自由は」
 (天皇)「忙しいであろうから、特に不便という程ではないが、あれこれも多少あるのでね」
 「只今多少のことをやっているというものの、以前とは大部控えている。弟たちのように太く短くがいいのか。高松(宮)さんはそう短くなかったが。細く長くがいいのか、考えることがあるよ」
 (富田)「国民は先の大戦のご対応始めについて陛下の御苦慮と大事の折りの明晰果断なご苦労を承知しており、既にお太い、太く長くお願い申し上げます。弱気なお気持ちに決しておなりになってはいけません」
 (天皇)「そうか、そうか」

()書きの部分は日経が入れた注釈と思われますが、親しげな様子で話されている箇所は
他にも多く散見されますね。

>「脈絡」:(前と文調が変わっている。大体、そもそも前の語調から考えたら
>「どうしたのだろう」ではなくて「どうしたのか」のような語調に
>なるはずでしょう?)

細かいですねぇ(笑)。文調よりも中身の方が大事だと思うんですけどね。
脈絡、つまりはストーリーを読み込んで理解しているのかということですよ。
文調がどうであるか、敬語を含むか否かというのはこれは主観的な問題です
からね。大神さんがどういう主観で読み解くにしても、これはもう大神さんの
自由ですから、私としては大神さんと私のこれまでの議論を、読む人が客観的
に判断してくれればいいことだろうと思っていますよ。

富田長官が最後までこの日記や手帳をどうするつもりだったのかは今となっては
わかりません。入江日記のように出版されることを望んでいたのか、それとも焼却
しようとして悩んだ末に後世に判断を委ねようとしたのか。ある皇室担当記者の証言
では「お棺に入れて焼却してもらうつもりだ」と述べたことがあったそうですが、
しつこく食い下がる記者を追っ払うために言った言葉かもしれませんしね。

いずれにしても富田長官は罪なことをしたなぁと思いますね。出すなら出すで
もう少し整理してくれていたらよかったんですが(笑)。

905上田 勝:2006/09/05(火) 07:30:17
>>887

>確かに三人に中国の問題があるというのは共通ではあります。が、それはそれ
>以上でもそれ以下でもありません。何故なら、中国には触れていないでしょう?

触れていますよ。3ページ目の最後のところ。「 "嫌だ"と云ったのは 奥野国土
庁長の靖国発言『中国への言及』にひっかけて云った積りである」この部分です。
中国への言及がどんなものであったのかは、奥野発言、藤尾発言をそれぞれ調べて
みればわかるかと思います。ここは以降の発言に関わる重要な部分ですから、「意味が
ない」と考えるのは拙速ですよ。

>・「という「伝言」」があった。
>・対立が嫌と合祀が嫌は別物
>・A級合祀には陛下に対して以前からお伺いがあった。反対は無かった。

伝言については中曽根元首相が自ら明かしたことですからね。事実でしょう。
「対立が嫌と合祀は別物」という点についてですが、中曽根の公式参拝以来、
合祀が対立の原因となってきている情勢が現にあるわけですからね。中国は
別物とは思っていないし、そのことを陛下もよくわかっていたでしょう。宮中で
新聞を一切読まないとかでない限り。

A級合祀については総代会で合祀対象に含めたところまでは上奏されていたこと
は事実です。しかし宮司預かりとなって筑波宮司の存命中は実施されなかった。
松平宮司になって、徳川侍従長を通じて反対の意向を示していたことは、徳川氏
の回顧録からも間接的に知ることができます。陛下の参拝中断の可能性も松平氏に
伝えていたことも既にわかっています。

>そして何よりも昭和天皇は田中内閣を崩壊させて以来政治的な動きは極力
>控えていました。そんな昭和天皇がわざわざ現職の総理大臣に政治的な
>メッセージを伝えるか?

それだけ靖国神社を巡る状況に心を痛めていたんでしょうね。参拝中止を
決定する前にメッセージを届けるなら問題は大きいでしょうが、決定後に
届けられたメッセージですから、政治的な影響はないでしょう。何より、
これは本来なら内奏の場合の扱いと一緒で、公表すべきものではなかった
はずのものです。中曽根さんとしては自慢したかったのだろうと思いますが。

>そもそもそのような積極性を持たれているのならば、そしてそれがA級合祀
>だからならば、これまで沈黙していることの方が説明がつきません。
>当の昔に何かを言っていますし、現職総理大臣にメッセージを託す以前に、
>最初から反対をしています。

沈黙していたのではないと思いますよ。単に「表に出なかった」だけでしょう。
国務大臣による内奏は戦後も慣例的に続いていますが、そこで交わす言葉を外部に
漏らすことは絶対にあってはならないとされています。一度それで防衛庁長官が
辞任する騒ぎになったことがありましたね。富田メモも本来は表に出るはずの
なかったものです。

>それと、上田さんは話をメモ外に拡散しましたから私も少し外れますが

拡散というか、富田メモに記された陛下の真意を推測したり、本当に述べた言葉
なのかどうか、4.28ではなく4.25の記者会見に関する内容であったなど他の
資料と並行して検討しないと、富田メモだけでの検証は無理ですからね。別の
資料との間で整合性が見つけられないと内容面での真偽は判断できません。

私は陛下はA級戦犯の扱いについては別の考えを持っていたのだろうと考えていますね。
一つの方法論として考えられるのは、鎮霊社の存在です。鎮霊社を作ったのは昭和40年、
筑波宮司の頃ですが、A級戦犯は最初この鎮霊社に祀っていました。他の合祀対象者とは
別に。これには隠された意味があると思っています。靖国神社は詳細を明かしませんけ
れどね。

また、A級戦犯の合祀を実行した松平宮司と昭和天皇の間の確執は相当に深刻で
あったのではないか。松平宮司は東京裁判そのものを不当だとして認めない立場
です。松平宮司の持つ歴史観と昭和天皇の歴史観とは多くの点で対立するので
しょうし、参拝してしまったら、合祀した行為や松平宮司の歴史観にお墨付きを
与えてしまう恐れがあります。参拝を取りやめた理由にはそうしたこともあった
だろうと思いますね。A級戦犯に対しても、当然ながら慰霊はするべきだという
考えは陛下にもあったでしょう。しかしそれは靖国の本殿でなくてもできることです。

>そして更にA級合祀後も、表立った動きはしていませんが勅使を出されたり幣帛料の
>下賜もあります。

それはそうでしょう。A級戦犯合祀に対して納得していないとしても、他の英霊に対する
慰霊・顕彰についてはやはり天皇としてもその責任があると感じていたでしょうから。

906上田 勝:2006/09/05(火) 07:57:31
>>888

>これは戦後の基準ではA級戦犯に限って基準が違うというのは抽出するこ
>とはできませんから除外して良いでしょう。

除外はできませんよ。昭和天皇は戦前にあっては合祀について最終的に裁可を
下す立場でしたからね。戦後においても、形式的に上奏・裁可のしくみは残り
ました。それを完全に無視してしまったのが松平宮司ですよ。法律上は裁可を
無視しても靖国神社は責任を問われませんが、その代わり天皇の参拝中止という
事態を招いてしまった。そう考えれば合祀基準の変更は重要な論点です。

本来、戦死者は合祀されても、軍人でもなく戦死でもない戦没者は靖国に祀られ
なかったことは事実です。唯一例外は幕末殉難者として祀られた、安政の大獄で
刑死した吉田松陰ら維新功労者です。A級に限らず、BC級も本来の基準から言えば
合祀できなかった。だからこそ「昭和殉難者」という新たな基準を設けて合祀した
のですね。個人的には東條と吉田松陰を同格にみなすという神経は理解できませんけど。

>ただ、その場合は主に国内がメインでしょうが。米国も韓国もソ連も
>どこも反対しておらず、反対していたのは中国くらいでした。しかも中国の反対も
>現在とはトーンが違います。

昭和天皇が靖国参拝を中断した理由として、三木首相の靖国参拝が公的か私的か
が問題になった時期がありましたね。その時点では周辺国では一切批判の声は
ありませんでした。周辺国への配慮を考慮すると、三木首相の靖国参拝だけで
参拝を取り上げる理由はないのです。しかし、昭和天皇は、戦犯合祀による周辺国
の反応を予想することは十分にできたはずですよ。公式の場で繰り返し過去に対する
反省を述べている以上、言行一致をまず優先しようとするでしょうからね。

>前述の通り、二つ(と文調変化の脈絡)を無視して継ぎ接ぎをしたのでは意味
>がありません。

これが「脈絡」を考えるということです。それが合理的かどうかについては評価
が分かれるところでしょうけれどね。そうでなければ別の合理的な推論でもって
対抗するしかないでしょう。どちらの推論がより合理的かが評価の分かれ目です。
100%真実だと言える証拠をお互い持っていない以上、それしか方法はないですよ。

>無理に関連付けようとしないでいいと思いますし、それが合わないというのは
>それは単に上田さんの関連付けが間違えているのではないでしょうか?

別に無理な関連付けはしていないつもりですけどね。富田メモ以外にも論拠を
見出そうとする努力も重ねてますし。少なくとも私なりに確からしいと思える
筋立ては提示いたしました。後はあなのた番ですよ。

>個人的な参拝をしていないということで別に不明ではありませんね。

私と同様、推測でしょう、それは。推測でないと言うのなら、藤尾氏が「いつから」
参拝に行かなくなったのか、根拠となる事実をご存知なわけですよね。藤尾氏は自分の
口に戸を立てることのできない人物ですから、昭和天皇と違い、A級戦犯合祀に反対
だったとか、合祀したから行かなくなったとか、公に発言しているはずですよ。昭和
天皇には言論の自由はありませんが、藤尾氏は違います。

ちなみに藤尾氏はまだ存命中ではなかったかと思いますが。

907上田 勝:2006/09/05(火) 08:15:38
>>889

ようやくここまで来ました。大神さんもお疲れさまでした。

産経新聞で以前報道された記事によると、今上天皇も靖国神社へは参拝していません
が、護国神社には参拝されているそうです。事前にA級戦犯が合祀されていないかを
確認した上でのことだそうで。

>それを考えると、A級が居るから嫌なのではなくて、
>騒がれるのが嫌ということではないかと思いますが如何でしょうか?

それは当然あると思いますね。合祀は確かに参拝中止のきっかけにはなった
かもしれませんが、松平宮司との間で和解が成立すれば再開できる可能性は
あったろうと思います。ただ、決定的になったのは、中曽根首相の公式参拝
が一番の原因でしょう。あれでA級戦犯合祀を中国が問題にしはじめました。
こうなったらもう二度と行けませんね。

>それと、話は変わりますが、問題の文ですが、上田さんの言われるように
>「御親拝」ならば、「私が親拝しなかったのは・・・」
>の方になりませんか?あえて自分も周りも使わない言葉を使うことは無いですから。

「親拝」という言葉は天皇が神社などに詣でる場合にしか使われませんが、それを
使うのは専ら本人以外の侍従とか皇族とか報道機関などだろうというのが私の考え
です。戦前であれば自敬表現を当たり前のように使っていたかもしれませんが、
そもそも天皇の言葉を国民が直接聞くことなどまずありえませんから、それも推測
の域を出ません。戦後、現人神ではなく人間天皇として国民と向き合うように
なってからは、自敬表現はほとんど使うことがなくなっただろうと思いますね。
戦後、公式に自敬表現で記録された文書としては、日本国憲法の公布の詔が唯一の
ものだろうと思います。それでも終戦の詔勅よりは表現が軟らかくなってますけどね。




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