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反・反戦派の方々へ
え-、よく晴れたゴ−ルデンウイ−クにネットに向かってるのもネクラなんですが、時間のあるうち、ということで。
今更ですが、反・反戦派、まあ、戦争容認派、反戦懐疑派、いいかたはなんでもいいんですが、の方々の主張は、まとめるとこんなところでしょうか。
1・戦争に賛同するわけでも推進するわけでもないが、無くす手段が無い以上、容認せざるをえない。
2・だから、反戦運動は、無駄である。
3・人間は利益、利害で動くものだから、関係無い他者がいくら死のうが関係無い。
4・もし戦争になって、自分や家族が死んでも、その時は、仕方ない。
ミスを訂正しておきます。
巧妙なマシューズ女史⇒高名なマシューズ女史
>>584 そういう理解をした上で、中葉氏の主張の問題点を僕が挙げるとすれば、
ここは>>587 で修正提案したように、
そういう理解をした上で、マシューズ女史の主張の問題点を僕が挙げるとすれば、
と読み直すことになります。
そして、587で申し上げたように、「高名なマシューズ女史の主張の問題点を挙げられた」とすれば壱学生さんを尊敬します。
そして、恥ずかしながら、マシューズ女史に替わって回答申し上げることとします。
最近ジェッシカ・マシューズ氏と同じような主張をするフランス人で
アラン・ジョックス氏というのがフランスに現われ、
5月30日付け朝日でインタビュー記事になっている。
簡単には
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2500&KEY=1046014709&START=26
に紹介しておいたので、見ておいてください。
)壱学生氏
確かに、未来が現在よりも優れていると断言は出来
ませんが、それを理由に脱構築を拒めば、正当性は
確保できたとしても、正統性が確保できない為に、
社会にエントロピーが増大して、結果社会秩序は崩
壊します。
壱学生氏における人間モデルにおいては、ホッブスの
言う生命を懸けてリヴァイアサンに立ち向かう契約論
的な人間は考慮されていないのでしょうが、権力行使
において重要な事柄は強制もさることながら、自発的
服従をさせる正統性を提供することにあると言えるの
です。
>>583-584
ご無沙汰していますm(__)m
>>583 が中葉さんの主張だとする、として。
そうならば私もやはり>>584 と同じ疑問が出てきます。
>>591
何が言いたいのか分かりません。
>592
つまり・・・
「俺わ加護ちゃんが肉まんを好きなことを理解している。俺の肉まんについての意見は
加護ちゃんと同じ意見である。だがそれは俺の意見でわない。しかし、肉まんが好きな
ことに対する意見については俺が聞いて答えよう。」
ちうことじゃぁないかと。
ようわからんが。
しかし、初めてのケースでつねぇ。
「これは自分の意見じゃないけど、俺が代わって答える」
ちうのわね(笑)
あ・・・「なんたら教の信者」もそうかぁ・・・
>中葉氏
えーと、じゃあ仮に>>562 が中葉氏の意見じゃないとして、それでは中葉氏が何のために
このスレで発言をしているのか、僕には全く理解できませんが?
僕が昔読んだ「大学入試小論文の書き方」って本には、「引用だけで自分の意見を述べていない論文は不合格」って書いてあったけどなー。
いくら引用内容が高度でも、自分の意見を述べないようでは(あるいは伝わらないようでは)
修士論文どころか大学入試の小論文テストにすら通らないでしょうね。
後もう一つ、>>587 のような
「偉い人の言うことには反論できないだろ!」的な回答の仕方は、かなり態度が悪いですよ。
と言うか、「お前はその人の言ってることを理解できてないだろ!」だとか「権威主義者だね」だとか
「偉い人だろうが何だろうがそこに批判的検討を加えるのが『学問的態度』ですが、それが何か?」とかのツッコミを入れられますよ。
もっと端的に言えば、「お前頭悪いだろ?」って思われかねませんよ?いくら引用が高度な内容を含んでいても。
このスレは書評スレじゃないですし(書評にしたってそこには「評者の見解」が含まれるものですが)、
「自分の意見」があるならそれを判り易く書くことは必要不可欠な行為ですが。
>>562 が中葉氏自身の意見じゃないとするならば、僕もヤスツ氏も緑装薬4氏も中葉氏の意見を理解できていません。
もう少し他人の目を意識してレスをしてはいかがでしょうか?
>>591
前段については、
「そうなるだろう」と「そうなるべきだ」との違いを理解できていないようですね。
僕はそれを区別して「『そうなるだろう』、だけどそれが『そうあるべき』かについては楽観すべきではない」と述べたのですがね?
ナンでもカンでも「脱構築」すれば良いってモンじゃないでしょ?
それに「脱構築」自体を否定してる訳じゃないんだしさ。
後段についても、
「国際社会と人間社会を単純な比喩関係で比較する」というミスを犯していますし。
「個々人の力」にそれほど大きな差がない人間社会と
「国家間の間に致命的に大きな差がある」国際社会とを比較すれば、
単純にホッブズ・モデルを国際社会に適用するわけにはいかないのは明らかでしょう。
このような国際社会においては、「力のある覇権国」のルールがそのまま「国際社会のルール」になりやすい構造があります。
このような国際社会の構造が「覇権国のルール」を否定する方向に移行するとすれば、
「全ての国家が大量破壊兵器を保有して国力の差が関係なくなる」ような「単位拒否システム」とか、
「非国家アクターが大量破壊兵器を保有して主権国家システムそのものが崩壊する」ような「暗黒的世界無秩序(僕が命名(w)」
などが(力との関係においては)考えられますが、あまり理想的な未来ではないようですね(w
結局の所、「覇権国を束縛するシステム」ってのは「システムそのものからのしっぺ返し」か「システム外の要素(宇宙人とか)」
しか考えにくいのが現状ではないでしょうか。
「国際社会」というシステムは「外部社会」を持たない閉鎖的なシステムですから。
あぁ、もちろん「単位拒否システム」において「国際社会のリヴァイアサン」、つまりは超国家が成立する可能性も否定できませんが、
それが成立するまでにはおそらく何回かの核戦争を経なければならないでしょうね。
>595・596
添削乙でつ。
昔、小松左京(だったかな?)のSFで、ゴエモンちう妙な日本びいきな宇宙人がやってくる
小説がありまして、同じよーな話をしとった記憶が・・・(笑)
「超大国が核ミサイル持ってるから問題なんだ。各家庭が核ミサイル持てばええ」
みたいな問答が・・・
もう2・30年前に、すでに結論が出てるなぁ・・・なんて思ったりして(笑)
)壱学生氏
なんでもかんでも脱構築しなさいと言っているので
はなく理念においては脱構築、現実においては実践
主義、この両方を同時進行で行うべきだと言ってい
るのです。
国際政治においては、政治の分野においてはホッブス
モデルは絵空事と笑われますが、国際秩序を語る上で
死を恐れず権力に抵抗する独立人が、どれほど影響を
及ぼすかは9.11以降の世界情勢で実証されています。
国家間の関係のみにおいて国際秩序が構築されていた
時代は過去のものになりつつあるのです。
この様な事実から見れば、壱学生氏の言われるリアリズ
ムこそ、実は架空の理論であり、カーの指摘するユート
ピアンそのものではありませんか?
あと、壱学生氏はあまりにも政治学がとる前提根拠を過信
しすぎだと思われます。あくまで理論はモデルに過ぎない
事を忘れてはなりません。
自己決定の話でも同様でしたが、自己が個人の内部にある
と『決めつけて』論理を構築されていましたが、自己は社
会的な関係性により決められるものですから、自己決定論
は、社会的に自己を構築することを認められる背景がない
と成立しない論理なのです。
>598
>死を恐れず権力に抵抗する独立人
ビンらディンひとりで、アメリカの市民殺したとでも?
「話し合いという解決手段をとらないで、金に物言わせて自己主張する」
ことが、そんなにええことなのかのぉ。
いあ、大した平和主義さんだね(笑)
「殺し合いに至る以前に、さまざまなチャンネル通して話し合いで解決」する
ための枠組みなんだよねぇ。
<国家って
「国家」がすべてをコントロールするから、話し合いしとるときに勝手に戦争
始めないんじゃぁないのかえ?(笑)
つまり、そーいった秩序を破壊するから、テロやらその他どんな美名のもとにおいても
そーいったこたぁ許さない、ちうわけでねぇ。
>>598
またちゃんと読まないでレスをしてるね。
貴方の問題提起は既に>>596 において僕が触れていますよ。そしてその問題点についても。
それに貴方の言いようだと、「テロリストも秩序構築が出来る」と言っているかのようですが?
僕は「テロリストは既存の秩序の破壊はできても、新たな秩序を意図的に構築するのは不可能」だと考えているのですが。
総じて貴方に言える事は
「ちゃんと相手の発言を読む!
自分が分からない事は相手に聞くか口を挟まない!
何でもカンでも自分の狭い論理に引きつけて全てを説明しようとしない!」
とかの、「人とコミュニケーションをする上で当たり前の事」に欠けている、ということでしょう。
レスするならちゃんと>>596 の発言を読んだ上でして欲しいものですね。
>>640 大神さん
> わざわざ関与について調べる必要はないのでは?
>>597
> 日本軍の関与を問題にしているのではなくて、日本軍が主導して
> 慰安所設置を行ない、慰安婦派遣に於いても主体であり、業者は
> あくまでも従でしかない事を確認しておきたいのです。
慰安所を設営したのは、日本軍である証拠を提示してきました。
何故ならば、この問題は日本軍・政府の責任が問われているか
らです。
>>641
> 先ず、中田さんは日本の遊郭の公娼制度の枠組から外れる=だから違法
>
> と思っているのでしょうか?そしてそれは
>
> 中田さんが独自に考えられた事でしょうか?
>
> 先ずはそれをお聞きしたいのですが。
公娼制度と私娼問題を詳しく考察していく過程で従軍慰安婦制度
そのものが公娼制度の形式から逸脱したもので違法行為だと分か
ってきました。
> それと食堂を戦地で開くに際して、保健所のように日本内地から営業の
> 許可をする役人が来てからでないといけませんね。中田さんの言っている
> ことだと
>
> と言った事に対して反論がないのは何故でしょうか?
戦地だけでなく当時の国内で食堂をオープンする場合、どのような手続き
をしなければならないのか知りませんので即答できないです。
> >食堂と慰安所を同列に扱うのは、単なるはぐらかしでしかありません。
>
> 反論できないからといって「はぐらかし」といっても仕方ないですよ。
> 同じサービス業なのですから
>
> そ れ と も
>
> 中 田 さ ん は
>
> 職 業 差 別 す る ん で す か ?
職業差別はしていません。同列に扱えないと言っているのです。
当時、廃娼運動が行われていて、それなりの成果を上げていた事はご存じ
ですか。
中公新書版の竹村民郎『廃娼運動』から引用します。
----------------------------------------------------------------
一九二八(昭和三)年埼玉県議会が廃娼決議を可決した。一九三○(昭
和五)年十二月二七日、埼玉県知事丹羽七郎は県会の廃娼決議どおり、
ついに公娼制度廃止を指令した。
この結果、廃娼実行県は群馬、埼玉の二県となった。北海道および三
府四十三県中すでに廃娼決議を宣言した県は、秋田、福島、福井、新潟、
長野、神奈川、沖縄の七県に達した。一九三一(昭和六)年現在で、全
国の約五分の一の県が廃娼実行県または廃娼決議県となったのである。
この他、一九三○年末の各地県会においては否決になったが、廃娼意
見書の提出されたもの、または廃娼質問が提出されたものは六、七県に
もおよんだ。
----------------------------------------------------------------
食堂の女子従業員を廃止せよという運動は、寡聞にして私は聞いたこと
がありません。当時の社会状況を踏まえて考察しなくてはなりません。
同じサービス業だからという大神さんの見解は今の時代から過去を裁断
しているのではありませんか。
> それと水交社って何か分かっています?もちろん戦後の水交社ではないですよ。
海軍の親睦団体です。
>>602
間違って投稿してしまいました。どうもすいませんでした。
管理人の方で削除出来るのでしたら、お願いします。
>>601
私は、壱学生氏が政治学の理論で物事を語られている
事は理解していますし、貴方が問題提起をされている
ことも承知しています。
それを踏まえた上で私が申し上げているのは、政治学
モデルで説明できない事例に対して、どの様に対応し
社会秩序を成すのかを尋ねているのです。
それに対しての回答がいつも頂けないから対話の流れが
淀むのではありませんか?
自己決定の対話にしても、自己なんて社会的に所与された
ものに過ぎない事実性を無視して自己が自明にある事を前提
にして論理を構築して一方的に話を進めるから、対話が淀ん
だでしょう?
社会科学の理論はあくまでモデルです。例えばビルを建てる
際に模型や図面を造るのと同じで、模型は模型であり実物で
はないのです。
>>604
でも、社会学はできあがったビルを外から写生してるだけでしょ?
>>604
えーと、いつも「対話の流れが淀む」のは、適切な読解と返答ができていない
貴方のせいだと僕は思うんですが?
例えば今回にしても「モデルの抽象性」だけを理由にしてモデル批判するなんて僕には理解できないんですが?
そんなことこちとら百も承知なんですが。貴方、ちゃんとゼミとかで討論したことはありますか?
「事象Aについてモデルαで説明します」と言っているのに
「でもモデルαは現実ではないですよね?」っていう批判をされたところで、
「そうですがそれが何か?」としか返すことができないんですが。
この場合なら「でもその分析では事象Aの中の小事象bについては説明できないんですが?」とか
「モデルαは理由βによりモデルとして使用するのは不適切」だとかいう
「 適 切 な 論 理 に よ る 批 判 」なしにはモデルのモデル性だけを理由に批判してもしょうがないでしょ?
その程度のことすら理解できてないから「対話の流れが淀む」のです。
もう少し判り易く言えば、
>社会科学の理論はあくまでモデルです。例えばビルを建てる
>際に模型や図面を造るのと同じ
という例えに則れば、貴方は
「でもそれは設計図でしか過ぎませんよね?」と言っているに過ぎないんですが。
だから何?
>>606
私は、理論を用いることに対して批判をしているわけ
ではありません。理論を用いる点では私も同様なので
す。
私が批判しているは『壱学生氏の理論では説明しきれ
ない事柄がありますよね?』(例えば>>598 のホッブス
問題)とする私の問いかけに対して、壱学生氏の回答が
旧来の政治学理論を前提にしてしか回答しない、つまり
『そんなことは、ありえない』と事実を否定している点
についてなのです。
現に生命を捨ててまでリヴァイアサンに立ち向かう契約
論の中の人間、今までは非現実的とされてきた人間が、
現前しているではありませんか?
壱学生氏は何か思い違いをしておられる様ですが、私が
貴方の理論の前提に同意をするとは限りませんし、仮に
対話の末に合意しても、それをどうやって現実社会に持
ち帰り合意形成を行うのか?複雑なシステムを様する社会
では、その様な事はほぼ不可能ですし、そもそも合意形成
を行う為の討議の前提すら討議なしでは合意できないでは
ありませんか?
つまり、政治学理論を社会が受け入れるか否かは正統性な
しでは不可能なのです。政治は下位システムの一つにしか
過ぎず、他の下位システムが政治学理論を前提にするとは
限らないのです。
まして、事実を無視した空論を振り回しても、仮に正当性
は得られたとしても、正統性が得られませんから、エント
ロピーが増大し社会システムにとってははなはだ面白くな
い事態になるのです。
で、何を言いたいのでしょうか?
ザッとの理解で言うと。
(そして、猫氏には「ザッと説明し、概要をわからせる説明」は100%絶対にできないのですが(笑))
政治学>「これからどうするかについて、過去のノウハウを鑑みて理論、計画を立てる。実用性が高くて現実的。社会にコミットするための方法論を考える」
社会学>「すでに起きていることに意味づけをする。自説の説明に都合のよい事柄を過去の類例から探し出して当てはめる。未来については考えない(観察対象である社会にコミットしない)」
まあ、猫氏はどう言ったところで自分と同じ言葉を同じように使わない限り「そうではありません」「全然分かってない」と、歴代民主党代表のように答えると思いますが(笑) 過去の経験から推測すると。
社会学の定義を私も紹介しよう。
(こんなことで自己主張する気はないから、例によって引用だが、結構役に立っている。)
別冊宝島176「社会学入門」より
大澤真幸:「社会秩序はいかにして可能か」は社会学の基本的な問いである!
橋爪大三郎:(少し定義が多いから羅列する。)
・社会学は人間と人間の「関係」を扱う学問である。(私はこれを組織学と理解している。)
・20世紀の社会学のキーワードは「システム」(私の専門は社会システム論の応用)
・(最後に)社会学は19世紀から20世紀、やがて21世紀になろうとする社会の変化を長い目で見て、その制度が変わりうるための条件を明らかにしていく――社会学はこうしたスタンスで問題を研究していくことだと言えるのではないだろうか。
私が共感しているのは橋爪氏の最後の示唆。(政治学と近いね。)
それをやった学者で私淑しているのは、古くは知識社会学のカール・マンハイム、新しくは「善い社会」などのロバート・ベラー。
社会学については、「これ、という定型はない」とも聞きましたが。
極論すると、社会学者の数だけ「社会学」というものがあり、時代の趨勢やブーム(笑)で「社会学の本流」と言われるものも変わる、と。
猫氏の社会学については、「20年くらい前の流行」ということですが、中葉さんの捉えた社会学というのは、いつ頃の流行のものでしょうか?
>>610 の橋爪大三郎氏の引用の末尾にある( )は、中葉さんの解釈でしょうか?
ちなみに、文物芸術の流行や衰退も社会学の範疇に入るわけですが、それらにしても「社会という対象を観察することで、その法則性を見出そうとする(私が「写生」と言ったのはそのあたりを指してですが)のが社会学」かな、と。
例えば、18世紀の歴史や政治を見て、そこから法則性を導き出すことはできるでしょう。
でも、あくまで「社会の動きから法則性を見出す」のが社会学だとすれば、社会学は「後付けで意味づけ」をする以上のことはできないのでは?
(社会学者自身が観察対象にコミットすることで、観察対象を質的に変えてしまう、というのは、社会学の研究スタイルとしてはOKなんでしょうかね?)
ただ、社会学というのは本当に「いろいろなスタイル」があるらしく、いわば「社会学者です」と言ってしまえば、人文系はなんでもやれそうな感じすらしてしまうのですが(^^;)
猫氏の主張は当人の説諭能力の低さによりなんだかよくわからないので(いつものことですが)置くとして、中葉さんの念頭に置かれている「社会学」は、究極には
「人間の行動は技術・文明上の差異があったとしても、行動の法則性を見つけ出すことによってある程度、歴史の展開を統計的に予測できる。これを踏まえて、今後起こりうるできごとを段階を踏んで予測し、備えることも可能だ」
とする、心理歴史学者ハリ=セルダンの思想と一致するようなものでしょうか?
えーと、トコトン物分かりが悪いようですが、
貴方が>>598 で指摘している(と思い込んでいる)批判は
既に>>596 で僕が述べている中で検討済みなんですけどね。
ちゃんと読まずに批判してたら、そりゃマトモに相手されませんって。
例えるなら
「10階まで書いてある設計図について、図面上で検討する段階」で「その設計図では2階について書いてませんね」という的外れな批判をした挙句、
「ちゃんと設計図を読めよ!」と言われても「それは設計図でしかありませんね」と言っている馬鹿のようにしか僕には思え無いのですが。
もう少しちゃんとした批判、例えば「設計図での強度計算の根拠は?」とかいうような感じの内容なら
こちらとしてもちゃんとした対応を取るのですが、「設計図を正しく読み取れない」者が批判をしたところでチャンチャラ可笑しいのですがね。
>>611 中葉さんの捉えた社会学というのは、いつ頃の流行のものでしょうか?
主観的には21世紀だと思っています。
客観的には:
宝島掲載のものは20世紀のサブカルチャーだと思います。
マンハイムのものは1947年死去時の未完成原稿で、知識社会学創始者の遺言みたいなもので、その後の発展はないようです。
私が知っている唯一の後継者はUCLA名誉教授のJohn Friedmannによる
Retracking AmericaとPlanning in the Public Domain
でやはり少数派、社会学とは言えないでしょう。
ベラーについては、やはり社会学から見れば異端だと思います。内容は預言的です。いわば、社会学一般に対する批判の書。
私に影響を与え、役に立っているだけの意味です。
余談になりますが、同じ「第三の道」に関する本でも、ギデンズのものとマンハイムの「自由・権力・民主的計画」とではずいぶん違います。
上記を書いてアップしてから気になって確かめてみたのですが、私の立場はイカフライ氏の以下に近いようです。
>>2 5・現行の反戦運動に疑問があり、それを解決して欲しい。
見落としたヤスツさんの質問に対する簡単な回答です。
>>611 >>610 の橋爪大三郎氏の引用の末尾にある( )は、中葉さんの解釈でしょうか?
イエス、サーテンリー。
>>614
>>2 の5であれば、おそらくは私も同じかと。
ただ、それに対するアプローチが、おそらく皆さん(私も中葉さんも)異なる、ということではないかと思われます。
談話室での議論に関わって、もう2年目(そろそろ3年目?(^^;))になりますが、ここに至るまでの間に「複数の異なる立場・視点からのアプローチ」が存在するにもかかわらず、「自分のアプローチと異なるものは、すべて排斥する」という態度を採る論者を何人も見てきました。
中には「自分の視点と異なる意見に対しては、理解する努力すらしない」という人もおりました。
これではいかんだろう、と思いました。
また、多くの智慧に長けた方々の意見を拝聴する機会にも恵まれました。
このことは、自分の拙い思考を鍛え育てる上で、ずいぶんと勉強にもなりました。
しかし、当人が持つ知識を、他人に分け与えることが極めて不得意な論者もいる、ということを知りました。
対立する意見、異なる視点を共有できて、相手の視点からものを見ることができるようになってこそ、「相手を理解した」と言えるのでは、と思うようにもなりました。
自分自身の視点を相手に「盗まれないように」と、わざわざ理解されにくいように振る舞う人もたまにいますが、それでは「相互理解」や「異なる視点を共有する」ことからは遠のくばかりだとも思いました。
私としては、「引用と文献の紹介」だけがある方(ほど、そういう「知識の独り占め」的傾向が強かったので)に、少々の警戒がありますが、やはり多くの深い知識と知恵とも学ばせて頂ければと思っています。
中葉さんにおかれましては、「文献名、文献の著者名」「文献の内容の引用」に留まらず、「その文献を引用する意図」や「どのような思想・思考、主張をお持ちであり、その補強のために文献をどのように引用なさっているのか」までをご教示いただければと思います。
くれぐれも、過去に(そして実は今も)いたような、「文献を羅列して、自身の文献に関する知識をひけらかすことで満足してしまう」ようなことがない方であることを期待しております。
別のスレですが、
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1062679957/766-767
にあるように、私の趣味のひとつに「パズル」があります。
自分及び自分以外の人の思考を読み解く経緯はパズルの解法を探すのにも似ています。
が、議論そのものは「パズルを解くこと」が主眼にあるわけではなく、「パズルを解くのと似た概念や技術を要求されるが、目的は相互理解(少なくとも相手の理解)にある」と考えています。
相手の立脚点、相手が根拠とする文献、思想、相手の思考、そうしたものを理解することによって、相手が「次にどのような主張を持つか」を知りたい、と考えています。
相手を理解することで、自分と共有できる点があるか、ない場合でも共存できるかどうか、そうしたものを見つけることができれば、世の不理解はひとつずつでも解決していけるのではないかと、切に願っております。
>>616 >>614 >>2 の5であれば、おそらくは私も同じかと。ただ、それに対するアプローチが、おそらく皆さん(私も中葉さんも)異なる、ということではないかと思われます。
なるほど、おっしゃることは大体分かります。
そこで、私の違いを明確にすることができそうです。私の主張ではなく実践指針は以下のような感じです。
6.現行の反戦運動に疑問があり、私は疑問のない反戦運動を実践しています。
逆に言えば、理論闘争には、実践に関係ない限り、興味を持つゆとりはありません。
>>618
>現行の反戦運動に疑問があり、私は疑問のない反戦運動を実践しています。
疑問のない反戦運動、これは具体的にはどんな運動でしょうか?
>>618
疑問のない反戦運動、それには大変興味があります。
自分の選んだ行為に対してまったく疑問を差し挟むことなく没入できる反戦運動というのは逆に危険ではないですか?
>>620
>自分の選んだ行為に対してまったく疑問を差し挟むことなく没入できる反戦運動というのは逆に危険ではないですか?
危険、ということに関して思うことですが。
ヤスツさんの言われることは解るつもりですし、また、懐疑派(という呼び方、分類ももはや意味が無くなってきていますが(^^ゞ)の方々の意見も、ここにあるのかな、とも思います。
反戦運動、に関らず、運動と言うものを行う時、当事者は疑問を持っては出来ない、という部分はあるとは思うんです。
これは運動に限らずなんでもそうかも知れない、学歴社会に疑問を持ったら受験勉強なんぞ出来ないだろうし、体育・スポーツの意味の運動にしても人より速く走れることになんの意味があるの?車に乗ればもっと速いよ、なんて思ってしまったら、苦しい練習なんて耐えられないでしょうから。
実際に市民運動的なものに携わっている人は、時間やエネルギーやお金をなんらかの形で犠牲にしていますね。
その行為に上記のような疑問を持ってしまったら、やってらんなくなる、ということはあると思うんです。自分の行動が無意味になるんだから。
とは言え、自分が今行っていることを、常に自問していくことはすごく大切だし必要だと思うんですよ。
新しく運動に加わろうとしている人間の疑問を、否定したり、自分達の主張通りに取りこもうとしていくのではなく、その立脚点から解いていこうとすることこそ必要だと思う。
ヤスツさんが616-617で言われているような事ですが。
ただ、反面、疑問を持つと何も行動できなくなる、ということも確かではあるのですよね。
反戦運動とは少し違いますが、前に掲示板でこんな意見を読んだことがあるんです。
ある主婦の方ですが、どうもその人はいわゆる「裕福な奥様」らしいのですね。
で、主婦業をしているだけではなくなにか社会に貢献したい、という気持ちがあって、ボランティア活動とかに興味は持っている。
ただ、そういう所でいわゆる「プロ市民」みたいな人にオルグされたりするのはたまらないなあ、という警戒心があって、と。
どういう活動を選べばよいのか迷っている、ということだったんですよ。
随分前に「偏った反戦運動」云々、という話を出したのもそのあたりの感覚はあるのですが。
私は裕福な奥様でありませんが、時間とお金の許せる範囲で出来ることがあるならしたい、と思っています。
実際、私の周辺にも全くそういうことに興味無い、という人も居ますが、ごくごく小さなことですが地道になんらかの事を行っている人も居ます。
具体的に言えばユニセフのカード買ったり、定期的な募金をしたり、使用済みポリペイドカード集めたり、程度のことですが。
そういう事以上に、というか、プラス何か出来ないか、と思っている人は多いと思うんです。
疑問を持ちながらの反戦運動というのがあれば、私も賛意を表します。
そういう主義者にお目にかかりたいです。また、そういう論を聞きたいです。
ハッキリ言ってしまいましょうね。
私がこれまで付き合った中では、クエーカーの人々が長い間続けている反戦運動は、もっとも疑問の少ない運動でした。
しかし、疑問はゼロではありません。そこを修正したのが私の反戦運動です。
詳しくはお目にかかった折にでも。
私の方法論の弱点は、言葉ではほとんど説明できないことです。
つまり、文脈依存性(コンテクスト ディペンデンシー)が極めて高いことです。
もう一度言っておきます。
理論闘争には、実践に関係ない限り、興味を持つゆとりはありません。
>623
何やら闘争が好きな反戦活動家さんらしいが(笑)
>私の方法論の弱点は、言葉ではほとんど説明できないことです。
言葉で説明でけんなら、それは「ようわかってない」ちうことだよ。
言葉が難しいなら絵で説明してもええし、踊りで表現してもええが、おそらく
わからんままだろうなぁ(笑)
人に説明できて、説明された人が賛否は別にしてもとりあえず理解できて初めて
「あなたは、理解している」と言えるんだよね。
>つまり、文脈依存性(コンテクスト ディペンデンシー)が極めて高いことです。
ようわからんが、言葉で説明でけんで文脈で説明してるってことかえ?
つまり、「なんとなく分かれよこの野郎!」ってな意味でつなぁ。
>理論闘争には、実践に関係ない限り、興味を持つゆとりはありません。
つまり、理論のない実践がお好きだと?(笑)
お掃除するんだって「どこからどのように掃除を始めるか」ちう「理論構成」が
ないとでけんだがなぁ・・・
>624
まあ、何やらようわからんが、とにかく行き詰まりちうか悩んでるこたぁようわかったわ。
あんたの主張わようわからんが、とりあえず「自己矛盾」起こしておるようだから
よう整理してみるとええぞ。
「何も考えずにただただ何か正しいことを黙々としたい」ちうなら、宗教でもやったら?(笑)
「神様わエライ、ただただエライ、ありがたやありがたや」ちうのわ、楽だからな。
「自分の伝えたいことを相手に分かるように説明する」ちうのわ、それこそ
世界平和の第一歩だと思うがな(笑)
>>622-624
>私がこれまで付き合った中では、クエーカーの人々が長い間続けている反戦運動は、もっとも疑問の少ない運動でした。
この運動に付いては、無知ゆえ存じておりません。
クエーカーの人々、というとアメリカにおける反戦運動なのでしょうか?
で、中葉さんはクエーカーの運動を修正した活動を行っている、ということですか?
具体的な、なんらかの組織があるのでしょうか? あまり具合名を出すと個人情報上、問題があるのでしょうか?
>理論闘争には、実践に関係ない限り、興味を持つゆとりはありません。
お忙しい、と言う理解でよいのでしょうか?
実際リアルでの活動があるので、ネットにはそう時間を避けない、ということでしたら、リアルの活動の方が勿論重要ですので。
ただ、なにかヒントだけでも教えて頂けないのでしょうか?
私も、中葉さんからどう見えるかどうかは解りませんが「実践」ということは常に考えています。
>>621 で書いたことも、そういう気持ちで書きました。
>>627 「自分の伝えたいことを相手に分かるように説明する」ちうのわ、それこそ世界平和の第一歩だと思うがな(笑)
無条件で賛成。
ところで緑装薬4さんは私の説明(講義や論文)を聞いたり読んだりできますか?
できるのだったら無料で提供しますよ。
>>628 クエーカーの人々、というとアメリカにおける反戦運動なのでしょうか?
反戦運動とは限りません。もう少し広い、一般的な社会改革における非暴力直接行動の方法論です。
今調べてみたら私たちが昔手ほどきを受けた団体のThe Movement for a New Societyに関する割に詳細な説明が見つかりました。
http://www.free-definition.com/MNS.html
をご覧下さい。30年前からは相当変わっているようです。
私と一緒に1972年に日本で初めて彼らから勉強した人たちの一部は
非暴力平和隊・日本 (Nonviolent Peaceforce - Japan)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/index.html
を組織して活動しています。私は現在全く無関係ですが、役員名簿を見ると懐かしいです。
>>628 お忙しい、と言う理解でよいのでしょうか?
いいえ、歳は言いませんが、忙しいということは全くありません。
優先順位とお考え下さい。
>>612
私は、壱学生氏の理論を理解できていないのでは
なくて理論の問題性を指摘しているのです。
契約論的な人間モデルは、現実とは関連性が低い
と言う反論は、9.11以降の現実を見れば非現実的
であると述べる事のどこが理論を理解していない
のですか?
実際に、壱学生氏の構造機能主義的な方法論では
社会秩序を安定・維持させることは困難ではあり
ませんか?
環境の変化に合わせて社会システムを柔軟に変化
させて、その都度に相対的に見て安定性を有する
構造を造る方が、社会秩序を構築する上で合理的
なのです。
>>628 ただ、なにかヒントだけでも教えて頂けないのでしょうか?
ご質問をありがとうございます。真面目に答えます。
>>613 UCLA名誉教授のJohn FriedmannによるRetracking AmericaとPlanning in the Public Domain
Retracking America http://dogbert.abebooks.com/abe/BookDetails?bi=297255360
Planning in the Public Domain http://pup.princeton.edu/titles/2594.html
の2冊は、私にとってほとんどバイブルです。
>632
「現状にあわせてとりあえず対処する」ちうのわ、状況判断としてわ正しいと思うが、
「行き着く先」をよう考えないと、真の状況判断たぁ言えないわな。
時間的レンジをどう見るかによって、結論が違ってくるんじゃぁないのかねぇ。
>>628 >>621 で書いたことも、そういう気持ちで書きました。
そういうお気持ちで書かれたことは、文章によく現われています。
>629
笑った!
>ところで緑装薬4さんは私の説明(講義や論文)を聞いたり読んだりできますか?
あんたの講義や論文かえ?
そら、ここに書いてくれりゃ読むことわ出来るがな。
<多少不自由だが日本語わ出来るつもりだからな。
>できるのだったら無料で提供しますよ。
はあ、無料でねぇ・・・
あんた、物売りかえ?(笑)
時々くるうさん臭い物売りと同じようなもったいぶった言い方が笑えるんだが。
まあ、好きに書いてみてよ。
疑問質問わするかもせんからねぇ。
>>634
行き着く先?
壱学生氏の様な構造機能主義的な方法論だと
テロは増えこそすれ減りません。
テロを抑止したいのであれば、彼らかテロを起
こす背景を、その前提を替えなければほぼ不可
能でしょうね。
皆が正しい価値規範を共有させる事により平和に
なると言うのは、もっともですが、これもほぼ不
可能。少人数での対話を通して合理的な合意がなさ
れたと仮定しても、複雑なシステムを有する社会で
は、そんなことありえません。又、議論をすると言う
てもお互いの前提すら合意できるかどうか疑問ではあ
りませんか?
価値合意などなくても、システム統合さえすれば問題
はありません。システムにコミットすると言う最低限
の合意は常に脱構築する機能構造主義的なもので対応
すれば良いのではありませんか?
>637
めずらしいねぇ、俺にレスするなんて(笑)
前提条件については、同意だね。
>価値合意などなくても、システム統合さえすれば問題
>はありません。システムにコミットすると言う最低限
>の合意は常に脱構築する機能構造主義的なもので対応
>すれば良いのではありませんか?
これの意味がようわからんが。
価値観が違う御仁同士が、どうやって共通のシステムの傘下に入れるもんなのかねぇ。
てか、システム(仕組み)って、具体的にどんなもんなの?
あと
「脱構築する機能構造主義的なもので対応」
って・・・
構築から脱する、機能構造主義的??
すまん、誰か中学生でもわかる程度に翻訳してくれ(笑)
全く見えん。
>>637-639 すまん、誰か中学生でもわかる程度に翻訳してくれ(笑)全く見えん。
このやり取りと末尾には感服した。実によく判る。ここから私も再スタートしようと思う。
このスレが一日でこんなに動くのも珍しいですね。
>>621
少し昔であったなら、イカフライ女史にこれほどのご理解を得られるということはなかったかもしれません。
同意が得られるかどうかは別問題としても、理解は確実に進んでいるのではないかと「会話」や「対話」に光明を感じてなりません。
私の言う「疑問は常に抱くべきだ」というのは、「結論が出るまでは始めるな」ということではなく、「考えながら次の一歩を出せ」ということかもしれません。
「考えすぎて一歩も歩けなくなる」のは問題でしょうけれども、「歩く方向が間違いなく正しい」かどうかの確信が持てないなら、一歩歩くたびに確かめる、くらいのことはすべきだろうな、と、まあ、その程度の意味で。
>>622
反戦運動について、私の立場を言えば「単純に現象としての戦争を嫌う」ことは無意味である、というものです。
戦争はよくない、という意識は、戦争を「やむを得ない」と支持する側にだってあります。
ただ、「戦争をしてでも」であったり「戦争するしか」といった考えが消えない以上、戦争の発生を完全に抑止することは不可能だろう、と。
それを踏まえると、戦争の起こる原理や戦争でなければならないやむを得ない理由を十分に考慮することなく、現象としての「戦場」を生理的に嫌うだけの反戦運動には大いに疑問がある、ということです。
>>623
これは、>>624 で緑装薬4さんも述べておられますが、「口頭で説明できない方法論」では、方法論や運動の共有は不可能なのではありませんか?
それと、理論闘争をするつもりは特にありません。
うまい方法があるなら共有すべきだろうし、その方法が共有されることで利益を得るならどんどん推進すべきだろう、と考えています。
しかし、それが「広く広範囲に伝え、共有できる方法」であるならともかく、「直接会った人にしか伝えることができない方法」だとするならば、数千年オーダーでの伝播ならともかく、十年以下のオーダーで「具体的な手法として普及定着させる」のは不可能では?
>>629
緑装薬4さんには直接お会いしたことはないので、年齢、性別、本人が自称するのではない本当の職業(笑)の全てを私は知らないのですが、これまでの言動を拝聴する限りではこの方は「情報把握と要素の洗い出し、小難しい理論の要約・意訳」については、相当高い能力をお持ちかと思います。
これを踏まえて言いますと。
理論闘争をしている人や、高度な理論を持っている(と自負している)人の多くは、それを平易にして一般化することが【できない】という人がそのほとんどを占めていました。
>>629 の中葉さんの挑発的な(たぶん自覚はないと思いますが)言葉から、中葉さんもまた「自説を平易に意訳して説明することができない」人なのかな、と不安に感じました。
理論や資料を、難しいままに引用するのは、図書館の司書が書名と著者名から本を選んでくることと変わりありません。
その内容を引用者当人が平易(というか、この場合は相手のレベルに合わせて翻訳ですね)に説明できて、初めて「その引用者自身の理解を、相手に共有させた」ことになるのでは。
多くの「研究者」は、たびたび「自分の理論が理解できないなら黙ってろ」的な言説が多く見受けられたわけですが、「たったひとつの冴えたやり方」であっても相手に説明できなければ、多くの人に広められなければ、まるで無価値なのではと思うのですがいかがでしょうか?
やはり、「たったひとつの冴えたやり方」は、賢い方の専有物であり、それを理解できない下々の者達は、愚かしくも戦いを辞めることはできない、ということでしょうか?
ちなみに、「自分にしか理解できない自分言語」を繰り返すばかりで、「自説を平易に翻訳して一般化すること」ができず、「理論を演説することと、相手の理解を引き出すための説明の区別」がつかない人に、三毛猫ナナという人がいるわけですが。
そういうレベルの話なのでしょうか?
(つまり、相手が自分のレベルにあがってくるべきで、自分が相手のレベルに降りる必要はない、という)
中葉さんの意図はおそらく違うのだろうと思いますが、もしよろしければあなたの崇高で完璧な反戦運動について、門外漢にもわかるようにご説明いただければと思いますがいかがでしょうか。
>>637
じゃ、テロを減らす方法を具体的によろしく。
といって、貴方の口からそういう具体論が出てきたことはありませんから、特に期待はしていませんが。
・共通の価値観は共有できない
・前提すら合意できない以上、議論による対話・理解は不可能
・価値を共有できなくてもシステムを統合すれば問題ない
というのが、>>637 の要約なわけですが。
じゃあ、世界は資本主義に統合すれば無問題ですか?
共通言語としては通用する国が多いという理由で英語にすれば無問題ですか?
価値合意をせずに、システムを統合するというのはそういうことかと思いますが。
>>640
>>642 で「緑装薬4さんは情報把握能力は高い方」と書いていますが、それを越えて「相手に理解させるつもりがまったくない説明の仕方」をする三毛猫ナナ氏のようなやり方だと、仮に猫氏の説が「たったひとつの冴えたやり方」であっても、まったく理解されないし、普及もしない、ということです。
どちらにせよ、重要なのは我々は「年齢、性別、経験、職業(実社会での立場)に左右されずに、意思疎通や意見交換をするシステム」にコミットしている、ということでしょうか。
そういう「相手のレベルがわからない場所」で対話をする場合、相手に「このくらいはわかっているはずだ」という盲目的な基準を求めると、「なんだか呪文を唱えている人」としてしか受け入れられません。
相手に意見、意志、主張を「通じさせたい、誤解されたくない」のは発言者側ですから、相手の理解を引き出し、自分の主張への同意や協調、主張の普遍化を目指すのであれば、「相手の視点に降りる」ことが重要なのではないかと思います。
幼稚園児に道徳を説くとき、大人の視点でモノをいい、大人のリクツを理解しろと言っても通じません。
幼稚園児の目線に降りて、彼らの視点でわかるように説明しなければなりません。
これが大学での授業などなら、「学ぼうとする側が、教える側のレベルに這い上がろうとするのが当然だ」ということになるのだと思いますし、それは理解できます。
が、「反戦運動をしよう」であったり、「世の中をよくしよう」であったりといったテーマの場合、「相手が自分のレベルに上がってくるのが当然だ」という姿勢であるより、「如何にして無知・無理解な相手から理解を引き出すか?」を踏まえて「教える側が理解して欲しい側のところに降りていく」という姿勢が重要ではないかと思います。
反戦運動やそれに関する方法論というものは、ハイレベルな一部の人たちが占有することで、残りの人たちは何もしなくても恩恵を受けられるという性質のものなのでしょうか?
もし、「うまいやり方」を広く共有することで、反戦運動の「目的」が達成されるのであれば、そのやり方は【無償】で広められるべきではないかと思いますし、可能であるなら子供のうち、幼児のうちから理解せしむるべきだろうとも思います。
大人で、学があり、高等教育を受け、恵まれた環境にある人でなければできない方法では、子供で、学がなく、初等教育も受けられず、恵まれない環境にある人には実行できません。
そうした恵まれない環境にある人の人数のほうが恵まれた人より遙かに多く、戦争が発生する場所に居合わせるのも、戦争が発生する原因を抑止できないのも、戦争の影響を大きく受けるのも、その恵まれない環境にある人々であると思います。
反戦運動が、そうした「恵まれない環境の人を救済するためのもの」だとするなら、むしろ多数の不遇な人に理解される説明がなされなければならないのでは? とも思いますがいかがなものでしょう。
「金持ちで学のある恵まれた環境の人こそが、残りの衆愚を救うのだ」という思想であるとしたら、なかなか受け入れられがたいと思いますが(^^;)
>>643 もしよろしければあなたの崇高で完璧な反戦運動について、門外漢にもわかるようにご説明いただければと思いますがいかがでしょうか。
ご期待ありがとうございます。しかし、それこそ難問です。
私は現在、来年7月に愛・地球博で開催される
地球平和フォーラム「地球に生きる人間の使命」
( http://www.child-village.org/PDF/20040331.pdf
のトップ3ページに説明あり)に向けて準備中で、その準備は
地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
でやっているのですが、当然難航しています。
これから数千年オーダーではありませんが、十年以下のオーダーで「具体的な手法として普及定着させる」ことを目指しています。
ご支援いただければ幸いです。 皆様
>>646
なるほど、では、まずは目の前の実務に向けてご尽力いただければと思います。
まあ、押し売りでも布教でも(笑)
「マイナスからのスタート」が基本だわなぁ。
相手が求めてくるよーな物なら、押し売りも布教も必要ないがね。
>>648 「マイナスからのスタート」が基本だわなぁ。
ホントに良いこと言うよ。感心する!
>>632
あぁ、しょうがないな!
じゃあ判り易く解説してやるから耳をかっぽじってよく聞けよ。
そもそも人間社会を対象としたホッブズの社会契約論と国際社会の現状を比較すると
人間社会:アクター/自然人、アクター間の力の差/殆ど無し、よって自然状態(万人の万人に対する闘争)を克服するためにリバイアサン(国家)が必要に
国際社会:アクター/国家、アクター間の力の差/有意なほどに大きい、よってそもそも自然状態にある程度の秩序(それが強者による強制であっても)が生まれる
という違いが有る訳だ。
この国際社会の検討については、そこに非国家間のアクターが加わっても基本的に変わらないと従来は考えられてきた(アクター間に力の差が有るのは変わりないから)。
そういう訳で現状では国際秩序は「力のある者による押し付け」となりやすい構造があると言えるだろう。
で、911以降、そういった国際社会における「力の場」においても非国家アクター(国際テロリスト)が加わったことが問題になっているわけだ。
このような傾向はテロリストの手に大量破壊兵器が渡ったりすると更に加速されるだろう。
そのような意味において>>596 後段において僕が述べた「暗黒的世界無秩序(w」はまさにホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」といえるかもしれない。
しかしながら、ここでもう一つ人間社会と国際社会との違いが大きく現れるのが、「秩序建設」という面において考えられる。
>>601 で既に僕が述べているように、たとえテロリストの手に大量破壊兵器が渡って「暗黒的世界無秩序(w」になったとしても、
その後の「秩序建設」においてはテロリストは国家などのアクターとは違い、なんら建設的関与はできないであろうことが容易に予想できるからである。
米におけるイラク戦争とその後の展開を見ても、「秩序の破壊」は容易にできても「秩序の建設」は容易ならざる事は
世界最大の国家であり覇権国でもある米の現在の苦境を見ても明らかであろう。
そういう訳で、仮にテロリストの力を評価した所で、それが「国際社会におけるリヴァイアサン」の成立の契機に結びつけては考えにくいであろう。
で、ここで三毛猫ナナ(呼び捨て)が問題なのは、
上の>>650 の意見が正しいか否か、という問題じゃなくて、
上の内容は既に>>596 とその補足である>>601 で既に述べている、という事なんだが。
別に僕の意見に批判があってもそれはそれで構わないけど、せめてちゃんと内容は読みとって欲しい。
これが例えばヤスツ氏や緑装薬4氏なら、「あぁ専門じゃない人には判り難かったかな?」と思って
改めて詳しい説明もしようという気にもなるんだが、
(たとえシッタカであっても)専門用語を使用して誤読と的外れな批判をするようじゃ、マトモに相手はされないだろうね(これでもかなり上品な表現)。
そもそもこの「リヴァイアサン」問題については、その発端が中葉氏の>>562 における
「戦勝国の戦争犯罪を裁けないか?」という問題提起であったのだから、
そこには含意として「平和主義」がある訳だ。
という事は、たとえ「暗黒的世界無秩序(w」から「国際社会のリヴァイアサン」が生まれると仮定した所で、
それにはまず現状の「ある程度の(強者による)国際秩序」から「万人の万人に対する闘争」状態への移行を仮定しなければモデルは成り立たない訳。
で、そうだとして、たかが「戦勝国に対して国際法で裁く」のを目的にそのような「万人の万人に対する闘争」状態への国際社会の移行を
肯定できるのか?、それが果たして平和主義なのか?、といった問題意識は当然出てくるはな。
そういった事も含めて、僕は現状では「国際社会のリヴァイアサン」成立には悲観的な訳だ。
で、そういった部分も若干ながら>>596 、>>601 に含ませている訳だが、それも三毛猫ナナは読み取ってない訳だ。
要するに
・テロリストには秩序破壊はできても秩序建設はできない
・秩序建設ができるアクターが存在するなら、それはおそらく国家的なものになるだろう
・国際法を強制するには超国家(リヴァイアサン)がおそらくは不可欠だろう
・しかしながらそれが成立するためには戦争などにより多くの血が流された後か、
あるいはその血の何十倍もの汗が流されなければ無理だろう。
っていうことだ。
>壱学生氏
リテラシーか欠けているのは貴方ですよ。
私はテロが国際秩序を造り得るなどと一言も
述べていません。(影響を与えるとは言いまし
たけどね)
ホッブス問題『万人の万人に対する闘争』状態
を回避しどの様に秩序の安定性と維持を行うか
が課題であるとは前に述べた通りですが、テロ
リストの指導層は意図的に闘争状態を造ること
により既存の社会システムにより構築された構
造の見直しを求めているのです。
それを受けた側が愚かにも更に既存の構造維持
を進めようとすれば抵抗が激化することは当然
の理なのです。
彼らとってテロとは戦略的本質主義に過ぎずテ
ロそのものや、闘争状態そのものを肯定してい
るわけではないのです。
あと>>652 にも批判を加えておきますが、国際
法を強制させるのは超国家が必要というのは非
常に浅はかです。
権力行使において、強制は主要因ではなく、対
象者の自発的服従が主要因なのです。
それに、権力とは国家のみが有するものではあ
りません、権力は下から上へ働くものであるの
です。
大国が国際法を無視した振る舞いをとれば、契
約論的な人間が抵抗し、大国に国際法を軽視で
きなくさせる。旧来の政治学的視点で見れば、
それは有りえないものでしょうけどね。
>653
>彼らとってテロとは戦略的本質主義に過ぎずテ
>ロそのものや、闘争状態そのものを肯定してい
>るわけではないのです。
つまり、「新たな王」になるってことだよなぁ(笑)
「革命」の後は「保守」なんじゃぁないのかえ?
いくら頭が変わっても、結局「国家」ちうような組織が必要だってことに違いわないと
思うんだがね。
それとも、そーいった新興勢力が何か新たな秩序なり制度なりを考えておるとでも?
なら、その「アメリカが守っているくだらない既存の秩序」の先わ、具体的に何?
・・・戦略的本質主義、また出たよ(笑)
なんだっけ?意味わ。
壱学生氏の論理の黄金パターンは、、、
(1)旧来の構造は○○である。
(2)現実を替えることは無理だから、既存の
構造を維持することで秩序を成そう。
ですが、これは構造機能主義的な方法論であり
機能構造主義的な方法論の方が相対的に社会シ
ステムは安定しますよ、とするのが私の主張で
す。
この掲示板は『平和造り』と名打っているので
すから『社会秩序はどの様にして可能か?』を
論ずる事は、当掲示板の本義と言えませんか?
>>655
はっきり言うと、よくわかりません。
理論が理解できないんじゃなくて、三毛猫ナナが何を言っているのかが。
これは私が門外漢で専門知識が無くて頭が悪いから理解できないのか、そうでなければ専門知識のある専門家でなければ、平和というのはそもそも専門家でなければ扱うことができないテーマであり、専門家ではない大多数の人間には平和を実現することは本質的に不可能だ、ということを三毛猫ナナが照明したがっているかのどちらかかと愚考するわけですが。
前々から疑問に感じていたのですが、社会秩序の構築はどのようにして可能か?を論じる気が、本当にあなたにはあるのですか?
A)社会秩序は専門知識(前提となる理論など)が理解できる一握りの専門家によって整備され、それを理解できない大多数の人間は盲目的に服従すべきである
B)社会秩序は専門知識について無知である門外漢にも、基本的な概念を説明することで理解を促すことができ、また年齢、性別、経験、国籍に依らず普遍的に共有できるもので、それを共有することで成立するものだ
C)その他
私は、(A)の方法で平和を実現すべきだということであれば、現在もっとも覇権に近いアメリカの方程式に全ての国が盲従すべきだろうと思いますし、(B)の方式で行くなら門外漢に説明(又聞きで話を聞いた人が、趣旨を違えずに別の人に伝聞で説明できる、ということ)が可能なものでなければ不可能と考えています。
私が伺った方法を、70歳の老人と6歳の姪に説明して、彼ら彼女らが理解できるかどうか?ということですね。
そうした「個人が理解可能な普遍的な理論」ができ得ないのであれば、「専門家とその背後にある権力による強制」でなければ、秩序の構築は不可能であるように思いますが。
中葉さんは(C)のその他の方法について、心当たりがあるということでしたが、それは口頭では簡単に説明ができない(限りなく(A)に近い)ものだということでした。
三毛猫ナナの主張は(A)でも(B)でもないので、おそらく(C)なのだと思いますが、その実態が一言も語られたことがないのは、彼(彼女)が「社会学者」だから、だとするのは、社会学を専門とされている方々に対する冒涜でしょうか(^^;)
>665
いあ、だから、中学生にも分かる程度に具体的に「行く先」を教えてよ(笑)
あんた神様なのかえ?
なら、「俺に黙ってついてこい」でもええがなぁ。
なんか奇跡でも見せてくれるのかえ?(笑)
>>656
ヤスツ氏の論理の問題点は『皆が等しい価値規範を理解
し共有する行為』を自明な前提と決めつけている点です。
そもそも価値規範の共有と社会秩序は別問題なのです。
話し合いを通じて皆が等しい正しい価値を抱く、つまり
行為の前提となる事柄を皆が共有するから社会秩序が維
持れると言うのは、確かにそうなのかも知れませんが、
現実性に乏しく、実際はその様な事により秩序維持がな
されているわけではないのです。
問題は、どの様にして制度にコミットさせるか?その前提
は何かであり、その点は自発的な服従を獲得する事か必要
なのです。
これはあくまで理論の段階の話であり、実践に関しては各
々の議題に併せて行うものでしょうね。
>>630 .633
ありがとうございます。英語は全く解りませんが、翻訳ソフトを使ってじっくり読んでみます。
>>646
>私は現在、来年7月に愛・地球博で開催される
>地球平和フォーラム「地球に生きる人間の使命」
>( http://www.child-village.org/PDF/20040331.pdf
>のトップ3ページに説明あり)に向けて準備中で、その準備は
>地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
>http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
>でやっているのですが、当然難航しています。
>これから数千年オーダーではありませんが、十年以下のオーダーで「具体的な手法として普及定着させる」ことを目指しています。
>ご支援いただければ幸いです。 皆様
影ながら応援していきます。
余裕があれば、このサイトにも来てください。
いろいろお話をお聞きしたいと思っています。
>
>>658
別に「自明的前提」とはしていませんが。
ちゃんと(C)その他 というものも含めて質問していますよ。
考え得るものとして、
A)「価値観を上から共有(強者が弱者に強制)する秩序構築」<トップダウンの秩序
B)「価値観を下から共有(強弱に関係なく)する秩序構築」<ボトムアップの秩序
C)それ以外の方法
があるだろう、としているわけですが。
現行で行われているのは「強国によって下されるトップダウンの秩序」でしょう?
これは、個人が国家を形成し、国家が個人及び(自国より弱い)他国に強制することで構成されていますよね。
で、それに対するもののうちの最新のものが、「個人が国家ではない勢力を形成し、他国に強制する」という方法。
NGOやテロリストは、目的が異なるだけで生成由来は同じだと思うんですが、これはどちらかというと「国家以外(この場合、下)によって秩序(または状況にコミットして変化を強要する)を作る」わけですから、(B)の方法に近いと言えます。
で、三毛猫ナナは(A)を否定し、(B)も否定しているわけですから、(C)その他の方法を示すべきだと思うわけですが、この人はこれを絶対に示せないんですね。
「どのようにして制度にコミットさせるか?」ですが、それこそ「(A)強制」そうでなければ「(B)自発的(この場合の主体/主語って誰ですか?)な服従」になるのでは?
でも、「(B)ではない」のだとしたら、「(C)自発的な服従」ですか?
これは、以前にも何度も議題に上がってはあなたが明言を避けてきた問題ですが、
「意見が異なるAとBがいる。AはBに言うことを聞かせたいが、Bはそれを受け入れない。どうしたらいいか?」
という命題ですよね。(c)緑装薬4さん
で、ここで考えられるのは、
A) AはBに力尽く(暴力、経済制裁、その他)で服従させる(戦争を含めた強制行為)
B) AはBの自発的な心変わりを待つ(基本的には何もしないのと同じ)
C) AはBを消滅させる(対抗者を消滅させることで対立が消滅する)
D) AもBも消滅する(構成要素の全てが消滅することで対立が消滅する)
E) その他
で?
それと、「価値観など関係ない」にしたとしても、一方(それが国家であれ個人であれ)からもう一方への価値なり制度(の価値)なりの強制があって、それに自発的だろうがなんだろうが「服従するかしないか」っていう設問をする時点で、「秩序形成のためには、相手を下らせるか、自分が下るか、それ以外の方法か」にしかならないかとも思うんですが、社会学の世界では違うんですかねえ。
>658
何が問題なのかが、わかった気がする(笑)
1 現状までのねこの認識
(1)問題の前提は共有されている。(ねこ・ヤスツ間)
(2)結論には不同意である。
2 問題の焦点は?
ねこ「価値規範の共有と社会秩序は別問題」
ヤスツ「価値観と社会秩序は同じ問題」
3 方向性
ねこ「自発的な服従を獲得する事」
ヤスツ「価値観の共有による強制」
4 論ずべき点
(1)価値観と社会秩序は同じ問題か否か。
(2)自発的とは何か。
やっと論点が見えたような気がする(笑)
とりあえず
自発性についての意見ね。
1 誰かが「教育」なり「啓蒙」なりしないとならない。
2 自己決定の要因(自発性)は、「価値観」ではないのか?
3 ゆえに、「何らかの方向性に対する強制行為」が必要になる
→相手の価値観を変えることとどこが違うのか?
>>664 ゆえに、「何らかの方向性に対する強制行為」が必要になる→相手の価値観を変えることとどこが違うのか?
これは重要で、かつ答のない問題ですね。
私がごく最近気づいたのは、
The Anxiety of Learning: An Interview with Edgar H. Schein
Mar 1, 2002, Author(s): Edgar H. Schein , Diane L. Coutu, Harvard Business Review Article
でした。
念のためGoogle検索したところ、以下の興味深そうな文献もでてきました。
私は読んでいませんが、ご参考まで。
Critique Of Brainwashing Theories http://www.thefamily.org/dossier/books/book3/chapter2.htm
>665
すまん、日本語に訳してくれ(笑)
>665
>これは重要で、かつ答のない問題ですね。
ん?
「強制しないで価値観変える」ことのことかな?(笑)
簡単だよ。
ドラえもん作って「相手の意思を変える道具」出してもらえばええだけだよ(笑)
俺的にわ
教育も説教も啓蒙も総括も道徳もお導きも
ぜぇんぶ「相手の意思の変更を強要」しとるっちうことで説明でぎるがなぁ(笑)
<本質的に、ね。
>665
昔、ヤスツさんとかと「相手の意思を変える」ことについてお話したことがあるが・・・
ドラえもんが出した道具で、のび太がジャイアンの意思を変えるとき
1 「意思の変更の強要をジャイアンが意識して変更した場合」
2 「意思の変更の強要をジャイアンが意識せず変更した場合」
のふたとおりに分類できるちう前提条件が導きだされたんだよね。
んで、1わ、別にドラえもんに頼らなくても現在でも行われてるよね?(笑)
究極的には、生命財産を脅かすちうことで意思の変更を迫る方法だよ。
2わ、ドラえもんに限らず「意思の変更を強要されていることに気付かせずに、意思の変更を強要する」
ちうことで達成するわな。
例えば、ファッション業界が「今年はこの色の服を流行らせよう」といって、一斉に特定の色の強調した
宣伝をすることとかね。
ファッション雑誌やファッションショー、有名タレントなんかに言わせて
「なんとなくそうかな?」ちうふうに誘導するやり方ね。
ユーザわ、「自分のファッションセンスで決定した」と思っておるが、実はのせられただけ、ちうオチだよ(笑)
>>666 すまん、日本語に訳してくれ(笑)
私は最近、無料でサービスすることは止めました。(笑)
訳しても、どうせ、緑装薬4さんと同じことを書いてあるだけですから。(笑)
>670
うははぁ〜!
相手の意思を曲げるつもりなら、曲げるほうが労力を提供せんとならんのよ。
まあ、意味がわかったからええけどね。
>670
いあ、あんた面白いねぇ。
気に入ったよ(笑)
>671
訂正
「曲げさせるほうが」
だな。
>>653
なぁ、頭が悪いの?
すでにそれは>>650-653 で述べている部分で触れているんだがな?
前段に関してして言うならば
「現在の国際秩序はホッブズ的ではない。
ホッブズのモデルで考えるならば、まず「現在の秩序」から「万人の万人に対する闘争」という状態に移行しなければならない。
それが果たして「平和主義」という視点から考えて、望ましいものなのか?」
という事だし、
後段に至っては国際法すら理解できてない事を露呈してるんだが。
>権力行使において、強制は主要因ではなく、対象者の自発的服従が主要因なのです。
>それに、権力とは国家のみが有するものではありません、権力は下から上へ働くものであるのです。
>大国が国際法を無視した振る舞いをとれば、契約論的な人間が抵抗し、大国に国際法を軽視できなくさせる。
という部分は僕には
「 現 在 の 国 際 法 の 構 造 を 述 べ て い る 」
ようにしか見えないんですがね。
で、「戦勝国に対して戦時国際法を強制する」ような場合には、既存の国際法構造ではそれができないから
中葉氏が>>562 で問題提起しているんだが。
そ ん な こ と す ら 理 解 で き て い な い の か ね ?
さらに>>655 についても述べておくなら、
三 毛 猫 ナ ナ は 現 実 世 界 に 住 ん で い な い
電 子 の 妖 精 か 何 か で す か ?
新しい秩序というのはある日突然できあがるものじゃなくて、今日・この日という「現在・現実」の
延長上にしか存在しないのですがね。
結果的に今より平和的な秩序ができあがるとしても、その過程において多くの血が流されるようなら、
それは「平和的な秩序」と果たして言えるものなのかね?
三毛猫ナナにとって、「未来」とは「現在・現実」とは別次元に存在するものなのかな?
>>663
「自発的な服従の獲得(獲得するのは、服従される側ですよね?(^^;))」と、
「価値観の共有を強制する(強制するのは、服従される側ですよね?(^^;))」と、
どこが違うのか、どうもよくわからないんですよ。
「価値観と社会秩序」ですが、「全部ではないにせよ、共通の価値観を持つことが社会秩序の安定に寄与する」のでは、というのが私の提案ですね。
「人を殺したら禁固10年」が、「禁固5年」でも、「禁固」というところに共通の価値観が持たれていれば、「禁固になるなら殺さないにしよう」という共通の価値観に基づいた秩序安定への寄与が得られるのではないかな、と。
三毛猫ナナは「価値観が別々でも社会秩序は保てる」と言いながら「相手が自発的に服従するようにさせる(させるって時点で自発的じゃないけど(笑))」というのがよくわからないわけです。
自発的ってなんですかねぇ。
>>664
「自発性を期待」で、相手に何のコミットもしないで相手がそうするようになるのを待つ、ということであれば、それは「何もしない。されるがまま」であって、社会秩序の安定に積極的に寄与するための方法とは、およそ言えないかと。
そうすると、「自発性を持って行動するように」という教育なりなんなりが必要になるわけで、結果それは「強制」になりますし、相手の価値観を「強制的に変える」ということと、どう違うのかが、やっぱりよくわかりませんです。
>>666
相手の意志を変える、については、過去に何度となく繰り返され、それなりに「議論の要点」についてのテンプレートもできていますよ。
中葉さんは、↓を読んでおいてください。
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-06.htm
★無料奉仕! 中葉さんのための議論ガイド
以下は、これまでに談話室その他のBBSなどで繰り返し議論されてきたループに入りがちなテーマのうち、議論の骨子/要点について箇条書き、ツリーなどの形で論点が整理されているものです。
論者から新たな指摘や意見、質問が出るたびに補足していますが、ここ1年ほどはほぼ固定しています。
・国家間の政争を解決する方法の要点
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-05.htm
・争いを回避する方法の要点
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-06.htm
・許せる戦争の境界線
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-08.htm
・戦争の対応についての要旨と論点
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/template/senso-01.htm
・絶対と言い切れるものについて
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/absoluteness/body.html
これらをまとめたサイトについて
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/
なお、これらでまとめられたものについては、無料で引用/転載していただいてかまいませんので、ご活用下さい。
個人の収益になるものには対価を設定し、公衆の利益になるものには対価を設定しない、というのがネット生活者の基本的なマナーとなっておりますので、ここでは「反戦問題に関する論議は公衆の利益に与するもの」と見なしています。
)壱学生氏
>>674
平和主義にとり望ましいか否かに関わらず、現実
に生命を捨ててまで権力に抵抗をする契約論的な
人間が存在し、国際秩序に影響を与えているのは
事実であり、それを踏まえてどの様に秩序を維持
・安定させるかを問うているのです。
それに、そもそも平和主義の定義とは何ですか?
その点を私が幾ら問いただしても貴方は明確に返
答されないではありませんか?
国際法とは二次規則を有しない一時的な規則です。
この点、国際法は有効な制裁手段がないから法で
はないと法命令説的な事柄を述べる方もここには
いますが、一時規則とは承認の規則に過ぎないの
ですから二次的な規則、責務、裁定、変更と言う
事柄は各国に委ねられているものです、が9.11以
降は国家単位ではなく、個人単位でこれを成そう
する契約論的な人間が現実に出てきて国際秩序に
影響を与えていますよね?と言うのが私のお話で
す。
>>675
未来は現在の延長線上にあることは当然でしょう?
それに平和を叫ぶなら、壱学生氏の平和の定義を明示
して下さい。
自由主義と言う根源的には暴力性を消せないアイロニ
カルな事柄を正義として、『我々』の利益を守る為に
『我々ならざる者』を崩滅、抑圧する事が平和であると
明言されても構いませんよ?
>>679
テロリストのように、「代表者を選出しての対話に応じず、個人として他の個人が選出した代表者(と、その支持者)に挑戦を挑む」という事態に対する対応は、以下のものが考えられるのでは。
1)テロリストの行為を前例として認めない(犯罪として裁くか、代表者と支持者が対抗する個人を消滅させるための布陣を敷く=現状のテロ戦争)
2)テロリストの行為を前例として認める。以後、同様の行為の存在と正当性を認可する
で、テロリストの行為を「すでにそういう事態があるのだから前例として認めろ」というのが三毛猫ナナの判断である、と。
だとすると、これは「個人が組織(代表者を選出して秩序を構築する方法)と対立することを認める」ということになります。
いわゆる、「万人による万人に対する闘争」の出現を容認し、その方向に進むのが正しい、となりますね。
一言で言うと「無政府状態」を歓迎するのが三毛猫ナナの認識ということですね。
『そうではない。あなたは何を聞いているのですか?』
ということだとする場合、
1)テロリストの行為を前例として認めることなくテロ行為を行わせない方策の提示
2)テロリストの行為を前例として認めた上で再発を防止する方策の提示
3)テロリストの行為を前例として認め、それを「個人の権利」として認めた上で、これまでとまったく異なる方法での社会秩序を作る方策の提示
が三毛猫ナナに課せられた(このスレでの)使命となります。
あと、平和の定義。
これまた何度となく出てきた話ですが、まだ要点が把握できていないんですか?
もしかして短期記憶しか持続できないんですか?(って、それじゃ本物の猫と同じだけど(^^;))
究極的には「世界の全てが平和になる方法」というのは【ない】でしょう?
あるとしたら「対立の原因もしくは対立している当事者すべてを【取り除く】」ですよね。
つまり、「人類滅亡」が「(人類がいない)世界の平和」を築く方法だという。
それこそ、自分を含めた当事者の全てを消滅させるのが、問題を発生させない(解決もしない)唯一の方法だというのは、すでに合意済みだったと思いますが、今さらそれを持ち出して「暴力で解決することを平和と呼ばせようとする」という戦術は、あまり賢いとは言えませんが。
でも、「人類を滅亡させずに、人類がいる世界の平和」を求めようというのは、虫が良すぎ。
となると、「一国または一定の地域内での、時限的な安全」くらいしか作り出せないと思いますが。
その意味では、「世界平和の希求」はあくまでも「建前・名目である」ということを自覚した上で、「自国内及び自国をとりまく周辺の【安定(平和じゃなく)】を求める」のがせいぜいでしょう。
そして、そういうことを希求しているのは、社会学じゃなくて政治ですよね。
どういう状態が平和と呼べるのか?
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/heiwa.htm
地球全体が非武装中立で平和になるためには?
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/hibusou-w.htm
「平和への道(は険しい)」ヤスツ版
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/load-to-peace.htm
世界平和の枠組みを巡る考え方
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/wakugumi.htm
すべて過去に出てきた議題ですが。
何事も記録を取っておくというのは大切ですねー。
>>677 中葉さんは、↓を読んでおいてください。http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-06.htm
ありがたく読ませていただきました。
ヤスツ (CnaUXqoo) さんのご好意に痛み入りました。
>681
まあ、「新たな考え方」ちうのを検証することわ大事ですからねぇ。
ただ、結局「絶対的本質」に帰ってみて、その「絶対的本質」では説明でけん
ことかどうかを比較検討するためにわ、昔の議論・結論が必要になるんですよね。
<無駄な論議を避けるためにも
「否定研究(俺が勝手に命名)」わ、非常に重要だと最近感じておりまふ。
つまり、「OOは、××だから絶対にありえない」ちうようなものですよ。
まあ、実社会じゃぁ、学者さんだってやらんもんだろうけど。
てか、「その研究が金にならない」なら「好きなものが趣味でやろうか」ちう
ことになっちまうんでしょうがねぇ(笑)
>682
ヤスツさんのところは「無料」ですよ(笑)
自分の時間とお金を割いてやってますよね。
>>684
こないだ、これらを作成するのにかかった分量(時間ではなく)を、お金に換算してみました。
純粋に「原稿料」として計算し、部数20000部程度の本の印税に置き換えて考えると、およそ2000万円くらいになりました。
これらを書くのに費やした期間はおよそ半年程度ですので、年収にしたら4000万円くらいの価値がある、ということになるらしいです(笑)
実際に現金に換金して頂戴するアテはありませんが、それに見合うだけの多くのことを学んだ結果としてのあの資料ですから、非常に高価な教材として公衆に再還元して役立っていかないと、私としましては授業料採られ損です(^^;)
>685
まったくねぇ(笑)
俺みたいなパンピーにゃ、出版して金儲けなんぞでけんが、イカフライさん
なんか、それネタにして担当に渡せばお金に換わるわけでね。
いやぁ、4000万円の資料かぁ・・・
ネット社会になって、一番困ってるのわ、出版業界かもせんねぇ。
日本最大のベスト・ロングセラーの「時刻表」(鉄道のね)が、ネット普及
とともに、創刊以来初の下落傾向だそうです。
そら、「OO駅時刻表ホームページ」なんちゅうのやら「運賃・乗換検索ソフト」なんぞ
出来たら、わざわざ買うわきゃないわなぁ(笑)
「情報」を売りにしていた分野は、「情報」に食われる、ということで。
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