[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「記者クラブ」関連スレッド
1
:
カマヤン
:2004/02/21(土) 18:43
「記者クラブ」関連の情報を集めます。
2
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:44
縁側日誌 2002.12.21 記者クラブと「個人情報保護法案」
今一度、〔2002年に一度〕廃案となった「個人情報保護法案」の<適用除外>の条文をみていただきたいと
思います。
===〔以下、引用〕===
第六章 雑則
(適用除外)
第五十五条 個人情報取扱事業者のうち次の各号に掲げる者については、前章の規定は適用しない。
ただし、次の各号に掲げる者が、専ら当該各号に掲げる目的以外の目的で個人情報を取り扱う場合は、
この限りでない。
一 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関 報道の用に供する目的
二 大学その他の学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者 学術研究の用に
供する目的
三 宗教団体 宗教活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的
四 政治団体 政治活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的
===〔以上、引用〕===
「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」というのは、この法案が閣議決定された当初は
『日本新聞協会』(会員リスト)に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などであり、その会員以外の
全国の様々な「新聞」や、ケーブルテレビなどの「テレビ」、またインターネットでニュースの配信などを
行なっている企業などはそこには含まれないと言われておりました。
当然『日本新聞協会』に加盟していない「出版社」も、たとえ大手で名が知れた雑誌などを出しては
いても、上記条文の「報道機関」には入らないと言われていました。フリーのジャーナリストもそうです。
また、海外メディアの特派員で構成されている『外国特派員協会』も何故かその「報道機関」には
入らないとし、しかも、日本で活動する以上は「法案」の「基本原則」や「義務規定」の対象にはなる、
とのことだったのです。
このなかの出版社とフリージャーナリストについては、法案反対の運動が進むなかで、衆議院議員の
北川れん子さんが2001年6月に国会に提出した《個人情報の保護に関する法律案」に関する再質問
主意書》において以下の如く政府は答え、上記の「その他の報道機関」には、出版やフリージャーナリストも
含まれるとの解釈を示しました。
3
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:44
===〔以下、引用〕===
法案第五寿五条第一項第一号に規定する「報道機関」とは、報道を業として行う者をいうが、一般に
出版社が行う事業は文芸その他の広範な出版活動を含むものであり、「出版社」を報道機関の典型例
として位置づけることは適当とは言い難いことから、「出版社」を例示していない。 また、報道機関が
報道を業として行う者をいうことからすれば、団体に属さず個人で報道活動を行う者が個人情報取扱事
業者に該当する場合であって報道の用に供する目的で個人情報を取り扱うときに、当該個人情報の
取扱が法案第五十五条第一項第一号に規定する報道機関が行う報道の用に供する目的での個人情報
の取り扱いに該当することは明らかである。
===〔以上、引用〕===
ちなみに、与党3党が公明党の修正案を下敷きにして作成し、今月12月6日に野党に示した”修正案”は
次に示す通りであり(これが来年の通常国会で提出される新しい「個人情報保護法案」の下敷きになるのだ
そうですが…。それにしても、「政教分離」の憲法違反というのを指摘するのに、あの大臣らは創価学会員
だと言ったり書いたりすることが”法律違反”とされるような世の中になるのでしょうか?)、
フリージャーナリストに関しては今度は一応は条文にそれらしく明記はされそうではあります。とはいえ、
書かれたものが「報道」ではない、と判断されれば、「義務規定」の適用を受けることに変わりはありません。
===〔以下、引用〕===
<個人情報保護法案の行方>与党3党修正要項 2002年12月6日
■個人情報の保護に関する法律案関係
1 第4条から第8条までの基本原則を削除する。
2 第40条において、報道機関等への情報提供者に対し、主務大臣は関与しないことを明記する。
3 第55条において、報道の定義を明記する。
4 第55条において、第5章の適用除外となる報道機関に個人を含むことを明記する。
5 第55条において、著述を業として行う者を第5章の適用除外とすることを明記する。
■行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案関係
1 行政機関の職員等に対して次の処罰規定を設ける。
・自己の利益を図る目的で職権を濫用した個人の秘密の収集
・個人情報の盗用または不正目的での提供
・コンピューター処理されている個人データの漏洩
===〔以上、引用〕===
4
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:44
この中に、「報道の定義を明記する」とありますが、これは政府の国会答弁を踏襲して次のような定義と
するということになっています。
===〔以下、引用〕===
「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること又(また)は客観的事実を知らせると
ともにこれに基づいて意見若(も)しくは見解を述べることをいう」
===〔以上、引用〕===
うーん。これでは、突然「二丁目の田中花子は妾の子である」と新聞やテレビで書いたり言ったりするのも、
それが「事実」であれば純然たる「報道」ということになってしまいますね。
こういう定義を大真面目にする人たちが、人間の根幹にかかわる法律を作っているということには驚きを
禁じえません。
ただ、昨今のマス・メディアの人たちに、この「報道」の定義を、自らの信条、哲学から、ちゃんと言葉に
できる人たちが果たしてどれだけいるのかそれも僕には疑問に思われることではあります。
さて、話を戻しまして、「個人情報保護法案」の<適用除外>にあげられた機関は、実質は『日本新聞協会』
に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などであり、これはそのまま日本の「記者クラブ」のメンバーで
あるということなのです。
ということは、2001年3月27日に閣議決定された「個人情報保護法案」なるものは、『日本新聞協会』に
加盟していない団体は個人が特定できることを言ったり書いたりすることは許されないという意味で、
『日本新聞協会』以外の機関や個人は事実上「報道」をする資格がなくなるということであり、ひいては
世の中を全て「記者クラブ」という利権の場にしてしまうということを内包した恐ろしいものでもあったという
ことにもなるわけです。
そしてそれからいきますと、この法案が閣議決定された時に『日本新聞協会』に加盟している新聞社、
通信社、テレビ局などが、毎日新聞の一部の記者の記事を除き、全く批判せず沈黙を守り通したというのは
恐ろしい、謀略のようなものでもあったということにもなるわけです。
5
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:44
それで思い出すのが、1996年に鎌倉市が既存の「記者クラブ」を廃止し、広く、『日本新聞協会』加盟団体
も含めその他のメディア機関や個人にも市政のアカウンタビリティーの場を提供すると宣言した時、
「記者クラブ」の一員の新聞社がこう言ったことであります。
「記者クラブの廃止は、”国民の知る権利”をおびやかすものである」
この時の鎌倉市市長は竹内謙氏で元朝日新聞の記者でした。筑紫哲也氏の旧知の後輩だそうで、
筑紫氏はNews23ではこんなコメント
http://www.tbs.co.jp/news23/taji/s60213.html
を残しております。
ともあれ、その竹内謙氏は元「記者クラブ」のメンバーの一人であり、現場にいた者としてその
「記者クラブ」の弊害もいやというほどわかっていたのかもしれません。
しかし、ならば朝日新聞にいる時に有志らが集結し「記者クラブ」批判が何故できないのだろうか、という
素朴な疑問もおこるわけですが…。何故って、新聞って他の企業にいつもそういう自浄作用を説くではない
ですか?
この”国民の知る権利”については、長野県知事の田中康夫氏が今度は県として初めて「記者クラブ」を
廃止したおりに表明した言葉がありますので参考にしていただきたいと思います。無論田中知事もその
おりには『日本新聞協会』の加盟団体からは謂れのない誹謗を数多く受けております。
田中康夫長野県知事 「『脱・記者クラブ』宣言」会見
http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/20010515.htm
「新聞が面白くない理由」岩瀬達哉著は次のような辛辣なエピソードで始まります。新聞もこの本のような
面白い、ためになるものを書くことを僕も願っている次第であります。
6
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:45
===〔以下、引用〕===
「社会の木鐸」とは、言うまでもなく「新聞」の代名詞として使われている言葉である。
世に警告を発し、社会を正しい方向に教え導くと解されている言葉だが、日本人にとって常識ともいえる
この言葉の意味も、外国人にはなかなか理解しがたいものがあるようだ。友人の米国人女性が、音を
発するための道具(木鐸)が、なぜジャーナリズムを象徴する言葉として使われているのか、その由来が
わからないとしきりに首を傾げていたからだ。この米国人女性、ローリー・フリーマン(カリフォルニア大学
サンタバーバラ校助教授)は、日本のマスメディアを研究している少壮の学者で、だからこそ、「木鐸」の
意味にこだわったのかもしれない。
その彼女が、ある日、皮肉な笑いを浮かべながら、「木鐸」の意味がわかったと、わざわざ伝えにきたことが
あった。それまで誰に聞いても、要領を得なかった彼女は、自分で漢和辞典を引き、そこに「むかし、法令を
しくとき、木鐸を振り鳴らしてふれ歩いた」という説明を見つける。その瞬間、まさに日本の「新聞」を
象徴している言葉だ、と膝を打ったという。
「だって、そうでしょう。日本の新聞は、政府や官公庁の発表をそのまま記事にしているだけじゃない。
政府が知らしめたいことを書くんだから、文字どおり木鐸よね」
外国人研究者として、「平河クラブ」(主に自民党取材を担当する記者クラブ)のオブザーバー会員でもあった
彼女は、日本の「新聞」の実態をつぶさに観察し、「日本の新聞は、『読者の知る権利』に応えようとする
姿勢に乏しい」との実感を得ていた。その思いと、「社会の木鐸」本来の意味が一致したことを面白がった
のである。
実際、日本の「新聞」は、紙面のほとんどが政府や官公庁などが発表する、”発表モノ”で埋め尽くされて
いる。記者会見などで当局が配るニュースリリースをもとに、多少の周辺取材を加えたそれら”発表モノ”と
呼ばれる記事については、元共同通信編集主幹の原寿雄氏も、自著『新聞記者の処世術』の中で
こう述べている。
7
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:45
「日本中どこにも記者クラブが在って毎日、多くの発表や懇談会という名の非公式発表があり、そこから
出るニュースが報道全体のほぼ九割を占めている。…私が編集局長の時、発表モノには印をつける
運動を提唱してみたが、それでは一目瞭然、独自取材モノの少ないことがわかりすぎるとあって実現
しなかった」
このように、日本の「新聞」の紙面が”発表モノ”で埋め尽くされているのには理由がある。
明治以来、上意下達のコミュニケーション手段として政府は「新聞」に政策や方針を説明し、「新聞」は
それらの情報を全国に、しかもスピーディーに拡散するという役目を担ってきた。すでに使い古された
言葉だが、独立したジャーナリズムとして歩むことより、”官報化”することで、「新聞」は官庁情報を独占
するとともに市場での存続を容易なものとしてきた。当然のこととして、”発表モノ”中心の紙面作りが
なされることになる。
そして、この両者の関係を繋ぐパイプ役が「記者クラブ」であった(「記者クラブ」は、明治の頃、第二次
大戦前、敗戦後でその性格に多少の変化が見られるが、基本機能はほとんど変わっていない)。
「記者クラブ」は、原則的に日本新聞協会に加盟している新聞社、通信社、テレビ局などによって組織
される”業界団体”である。その業界団体が、政府や官庁などから、あらゆる情報をほぼ独占的に入手
し得るのは、何か法的根拠があってのことではない。ひとえに「新聞」と公的機関との、明治以来の
”相互依存関係”に支えられてのことである。
当然のこととして、この世界に例を見ない、政府と「新聞」のもたれ今いは欧米の記者の目には
信じられない姿と映る。
かつて、フランスの『ル・モンド』紙は、「強者にはうやうやしく弱者には無情な日本のプレスは、権力との
曖昧な関係を維持している」うえ、「その激しい競争は、慎重さよりもむしろ、政財界勢力との暗黙の
申し合わせに基づく自制と情報操作への加担に結びついている」(九三年十一月三日付)と、酷評した
ことがある。また、同じフランスの『リベラシオン』紙も、日本の新聞記者を、「ジャーナリストと、役所の
広報課員との中間の位置にある」(九三年六月二十二日付)と揶揄している。
===〔以上、引用〕===
8
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:45
「まだ旧体制下の新聞社と月極契約している人たちへ」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/
という
Webサイトでは、次のように最近の興味深いニュースを紹介してくれています。このサイトの管理人のかたは、
元日経の社員のかたで、日経に在職中に個人的にホームページで真摯にジャーナリズムについて
自問自答していたところ会社側にそのホームページの閉鎖を命じられ、その後会社から悪質なイジメなどに
あい、意を決して退職し訴訟を起こしたという経緯をおもちです。
===〔以下、引用〕===
2002年12月12日 国境なき記者団 、日本政府にKisha Clubs廃止を要請
KishaClubsは「報道の自由の脅威」
言論の自由やジャーナリストの権利を守るための活動をしている市民団体「国境なき記者団」
(Reporters Without Borders ,本部パリ)は10日、日本政府に対して記者クラブ制度の廃止を求める
声明を発表したが、読売、毎日、日経の各メディアはこれを無視した。asahi.comがかろうじて報じた。
声明は、「Reform of Kisha Clubs demanded to end press freedom threat」と題され、記者クラブが
当局に都合の悪い報道を阻み「情報の自由な流通に重大な障害となっている」と指摘。欧州連合(EU)が
今月、日本政府に、記者クラブ制度を改革し、日本の大手メディアと同じ権利を外国の記者や日本の
大手でないメディア、フリーランスにも認めるよう要請したことを評価している。
声明はさらに、今年5月29日にも小泉首相に改革を要請したのに回答がなく、日本のメディアも無視。
今年9月の同首相の北朝鮮訪問でも、多くの外国のメディアなどが取材を阻まれたと批判している。
ロベール・メナール事務局長は5月、「W杯を取材するために数千人もの外国人記者が日本を訪れている。
その日本で外国報道機関の特派員が50年近くにわたり日本の記者クラブの大半から排除されている
のは衝撃的なことだ」と指摘していた。
国境なき記者団はフランスの元ラジオ記者だったメナード氏が1985年に設立。89年以来、世界各地で
報道活動によって投獄されている記者に関する年次報告を発行している他、報道抑圧の現状調査も
行っている。
記者のコメント
既得権を享受するばかりで改革しようとしない朝日新聞だが、これをニュースとして取上げたのは、
良心の呵責に悩んだ末の決断だろう。「朝日にも五分の魂」とでもいうべきか。
===〔以上、引用〕===
9
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/21(土) 18:46
===〔以下、引用〕===
2002年12月16日 日本のマスコミのバカさを批判 スウェーデン王立アカデミーなど
「Yomiuri online」(12/10)によると、スウェーデン王立科学アカデミーやスウェーデン外務省は、
ノーベル賞を受賞した田中耕一さんに対する日本メディアのワイドショー的な取材を批判し、日本の
マスコミに対し「科学的な質問を」などと要請した。朝日、毎日、日経の各グループはこの事実を黙殺した。
記念講演後の記者会見で、あるテレビ局の女性記者が「賞金を何に使うんですか」と質問すると、
スウェーデン王立科学アカデミーのエバ・クルトマイヤー広報担当部長は「科学的な質問を」と要請。
「田中さんはまるで“ポップスター”のように扱われ、正直なところ困惑している」「受賞者は国王や政府、
財団のゲストだということを、理解してほしい。授賞式を人生最良の思い出としてもらうために招待して
いるのだから」と日本のマスコミを批判した。
スウェーデン外務省のカイ・ラーニウスさんも、「田中さんを人間扱いしてほしい。ノーベル賞は世界最高の
栄誉で、芸能人取材とはおのずと違いがあるはずだ」と声を荒らげて抗議したという。
スウェーデン外務省は、田中さんと小柴さんの翌日日程を邦人記者にブリーフィングする島津製作所と
東大のやり方も「不適切なこと」と指摘。9日以降、ブリーフィングは打ち切られたとのことだ。
記者のコメント
マスコミが自ら報じられない事実なので、あえて記しておく。いかにも、という話。結局は、それで視聴率が
上がってしまう日本人全体の問題だから、日本人全体が注意を受けたようなものだろう。
===〔以上、引用〕===
10
:
カマヤン
:2004/02/21(土) 19:39
>>2-8
現在は消えてしまったところからのコピペ。
11
:
カマヤン
:2004/02/21(土) 19:39
記者クラブ、赤坂警察署不祥事、盗聴法、ジャーナリスト寺沢有
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/1274/1047118893/13-15
12
:
引用@カマヤン
:2004/02/21(土) 22:03
欧米には、ジャーナリズムの独立性に疑問を抱かせる「記者クラブ」のようなシステムは存在しない。
代わって、ジャーナリストならば誰でも、情報源への自由なアクセスを保障する制度を設けている国が
多い。米国の「ホワイトハウス記者証」、フランスの「プレスカード」が典型例だ。
米国の「ホワイトハウス記者証」はホワイトハウス・各省庁への取材を可能にする記者登録証で、
基本的にジャーナリストであれば差別なく発行される。登録にあたり米国財務省管轄下のシークレット
サービスで、身分経歴などチェックを受けなければならないが、テロリストやテロリズムとの関係がなければ、
まず記者証は発行される。日本のように、日本新聞協会加盟社の記者でなければ記者会見などへの
出席まで認めないという差別は行なわれていない。
『赤旗』記者は、日本の各官庁から排除されていたが、ホワイトハウス記者証を受領し、上下両院の
プレスギャラリーを自由に使うことができた。
フランスの場合、1935年に法律によりジャーナリストの身分が確立され、ジャーナリストなら等しく
「ジャーナリストとしての最低賃金の設定、休暇制度、退職金金庫、失業保険金庫、税金の基礎控除
(30%)、鉄道運賃の半額など」の恩恵に浴している。ジャーナリストの定義は「フランスで発行される
定期刊行物またはフランスの通信社でジャーナリストの仕事を定期的に行ない、報酬を得、それを
主な職業活動とし、その収入が主収入である者」。
「プレスカード」発行には、新聞・雑誌・テレビ・ラジオの経営者と、ジャーナリストの代表が、
ともに同数の委員を出している「プレスカード委員会」によって審査される。審査ポイントは
「本当にジャーナリストとして働いているかどうかの一点」「ジャーナリストの能力・質・信条については
一切判断を下さない」。
米国の「ホワイトハウス記者証」もフランスの「プレスカード」も「国民の知る権利」を代行する
ジャーナリストに、公平に情報源へのアクセス権を保障しようとするものだ。
日本の「新聞」のように新聞協会加盟社だけでアクセス権ばかりか、官公庁から経済的便宜供与をも
独占しようとするものではない。
日本の「記者クラブ」のような「利権化」を、欧米では政府も社会も許していない。
これらの事実を前に、日本の「記者クラブ」の弊害に目を移すと、日本の「記者クラブ」がいかに
異常なものであるかがわかる。
『新聞が面白くない理由』82-84p。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062732858/qid=1077355130/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-8691264-2743440
13
:
カマヤン
:2004/02/21(土) 22:09
四国新聞社 「民主主義の風景」 第1部 「記者クラブの功罪」
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/fuukei/index.htm
14
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/22(日) 02:48
日本の真実の報道は、不愉快な制度「記者クラブ」によって組織的に妨害されている。
改善の見込みはないから、外科手術のようにスッパリ取除く以外にない。
「記者クラブ」こそ、ニュースと情報の管理統制において主役を演じている。
記者クラブは、1945年以前軍人と社会統制官僚の影響力が強かった時代に、
戦時プロパガンダと検閲の道具として出発した。そしてずっと自己検閲システムの中で
最も効果的な機能を果している。
自己検閲は、何を報道し、何を報道してはならないかについて集団合議によって成し遂げられる。
検閲の力の強さはクラブによって違いがある。記者仲間からの圧力がそれほど強くない場合でさえ、
この制度は、ジャーナリズムを育むのに欠かせない自主独立の報道姿勢を損なう。
記者クラブは民主国家に相応しくない。官僚組織と記者たちとの関係は、あまりに居心地がよすぎて、
記者の批判力を麻痺させる。
たとえば、警察の言動について日本で書かれている記事は、全く信用ができない代物だ。
日本の権力体制内の、強力な集団・警察に関しては、自主独立の報道が全然存在しないからだ。
K・V・ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社版)307p
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620310190/qid=1075063955/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-5109701-4238622
15
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/22(日) 02:48
記者クラブは、各種官庁・公共機関・団体・企業内に設置された記者室に溜る記者達の
親睦機関である。起源は、明治時代、1882年太政官にできた新聞社員の溜所が
最も古いそれで、1890年の帝国議会開設時に、「議会出入記者団」という名で国会記者クラブが
誕生した。
新聞側は当初、団結することで 秘密主義の政府から情報を入手しようとした。
政府側は、記者を一括管理でき、記者を手なづけられるという利点から、記者クラブを認めた。
http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~j30065/link.html
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/sotsuron99/kimura99.html
#2
記者クラブの問題点
①閉鎖性、排他性
記者クラブの問題の第一点は、クラブの本質が、報道・取材の独占だということだ。
特定の加盟社が情報を独占し、ほかのメディアの情報源へのアクセスを拒んでいる。
②ニュース・ソースとの癒着、談合
記者クラブは、官庁とマスメディアの癒着談合の場となっている。官庁側からの情報操作や
情報統制の道具としてクラブが利用されやすいし、権力への監視機能を衰弱させ、国民の知る権利を
奪い、逆にその障害、阻害要因ともなっている。
③画一的報道
官庁の広報発表の処理に記者が追われ、どの紙面も似たり寄ったりの画一的な内容となっている。
どの新聞を見ても「報道が横並びで、一過性、表面的」「問題を掘り下げた記事が少ない」のは
記者クラブ問題が存在している。
④アジェンダ・セッティング(議題設定)機能の放棄
この結果、ジャーナリズムの自殺へつながる。ジャーナリズムの重要な役目は、社会の中で何が
問題かの議題を設定してく「アジェンダ・セッティング機能」である。記者クラブはこれを放棄している。
記者クラブは官庁広報やお役所ニュースを右から左へ流すだけである。
16
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/02/22(日) 02:49
「記者クラブ」によって隠蔽された事件
「武富士疑惑」
1;サラ金武富士の実態を告発してきたジャーナリスト山岡俊介たちの自宅をサラ金武富士が
数ヶ月に渡り盗聴した事件。
2;サラ金武富士から警視庁幹部達に千枚以上のビール劵が賄賂として渡り、警視庁
(たとえば月島署長・武田三郎など)からサラ金武富士へ「前科」情報が漏洩していた事件。
3;これらの疑惑は、元武富士の中川一博の告発によって発覚したが、新宿署は事件を隠蔽する
ために中川一博を逮捕した。中川一博への起訴はされなかったが、警察記者クラブは
中川一博を犯罪者であるかのように誹謗する記事を書き、事件の核心を不鮮明化した。
4;武富士へ情報漏洩した警視庁月島署長・武田三郎は、なぜか「収賄」では立件されず、
「地方公務員法違反」で書類送検されただけだった。書類送検日は辻元清美の衝撃的な
逮捕と同じ日にぶつけ、未曾有の警察スキャンダルはベタ記事扱いとなった。
『噂の真相1月別冊 日本のタブー』(噂の真相)36-37p
http://www.uwashin.com/
17
:
カマヤン
:2004/02/22(日) 02:50
>>15
わりと些細なことだけど、「アジェンダ・セッティング」は、
「立論」と呼ぶのが、一番日本語に馴染むんじゃないかな…
18
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:31
http://ugaya.com/column/taisha2.html
ぼくが仕事を共にしたことがあるのは、新聞を作るセクションである「編集局」と、雑誌・書籍の
セクションである「出版局」(現在は出版本部になった)のふたつしかない。日常的に話をしたり
その行状を見聞きしたりするのも、この2セクションに勤務する人々がほとんどである。
というわけで、以下の話は、新聞・雑誌セクションの現場の話だと思ってほしい。
最初に、朝日新聞社の役職構成について注釈を加えておく。
まずヒラのすぐ上には「次長」と呼ばれる人たちがいる。新聞なら「デスク」、雑誌なら「副編集長」と
呼ばれる人たちで、朝日の年功序列人事では、年齢は30代後半から40代前半。ぼくもこの下辺にいた。
エラそうに聞こえるが、ヒラのひとつ上でしかない。朝日新聞社の記者になると、30代後半までずっと
ヒラで、それから少数だけに「××長」という肩書きがつく仕組みだ。次長までは人事権もないし、
予算権もない。会社の中では「管理職見習い」みたいなものだ。
その上が、冒頭に書いた「部長」。40代後半から50代前半くらいで「所属長」とか「管理職」とか、
あるいはただ単に「部長」とも呼ばれる。新聞なら「社会部長」「政治部長」「経済部長」がそれだし、
雑誌だと「編集長」がこれにあたる。
この「部長」以上が要注意である。おおざっぱに言ってしまうと、朝日新聞社の社員は、2種類に分かれる
といえるだろう。部長以上の人たちと、それ以下である。「部長以上の人たち」が「部長以下」と違うのは、
以下に挙げる大きな「権力」を持っているからである。
(1)編集権=どんなネタを採用し掲載するかを決める。また、筆者の同意なしに記事を書き換える権限もある。
(2)人事権
(3)予算執行権=取材経費はもちろん、飲み食い、携帯電話の貸与などフリンジ・ベネフィットを含む。
つまり、記事の「ボツ」や書き換え、転勤や配置換え(人事異動)を決めることができる。
部長職に就いたとたん、ウレシクてしょうがないのか、急にいばり始め、オモチャを買ってもらった幼児の
ように職権を振り回す人がけっこういた。
19
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:31
http://ugaya.com/column/taisha2.html
この「権力」を持っている部長職以上を目指すのが朝日新聞社でいう「出世コース」である。
この出世コースを目指す記者がけっこういる。「権力者」を目指すのが彼らの人生の目標なのだから、
ジャーナリズムは反権力であるべきだ、なんてこれっぽっちも思っていないのだろう。
それをいくら隠し、取り繕おうとしても、本物の権力を前にすると、素性がつい出てしまう。その結果は、
記者クラブ制度の病弊としてあちこちで書かれているし、毎日の紙面にもわかりやすく出ているから、
ここでは繰り返さない。
彼らはいい記者になりたいとか、いい記事を書いて読者の知る権利(これは憲法で保障された
基本的人権なのだ)にこたえたいとか、そういう記者、ジャーナリストとしての職業的義務を果たすことが
人生の目標ではないのだ。どうしてこういう人たちが「知る権利」を読者に変わって行使する、重要な職務に
就いているのだろう。
出世レース、権力ほしさに日々を送るような人は、新聞社などに入るべきではなかったのだ。
新聞社内の上層部は権力だけあってチェック機能も明文化されたルールもないから、
「絶対権力」に近いまま野放しである。
20
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
ぼくは彼らが飛び抜けて愚かだとは思わない。会社のカネで高級中華料理を食い、世界のワインを
飲み、しかもハイヤーで送迎してもらえる。そこに何のチェックも入らない。しかも、同僚を見回せば、
みんなそうしている。誰もとがめない(以前に同僚に聞いた話では、朝日新聞社全体のハイヤー・
タクシー代は全社で一日に1200万円。一日です。一ヶ月ではありません)。並の神経の持ち主なら、
誘惑に負け、感覚が歪むのが当たり前だ。彼らは普通の人並みに誘惑に弱く、愚かなだけである。
誰も見てないところであっても、自分の行動を律することができることが「大人」だと思う。そういう
意味では、朝日新聞社の上層部は、大半が、そういう職業的自覚に乏しい、いつまでたっても大人に
成りきれない人々によって出来上がっている。人間として凡庸なのである。そういう意味では、
朝日新聞社といってもほかの日本の腐敗した組織と差はないし、その程度の人々の集まりなのだ
(そういう集団が日本の言論機関の主翼を担っているというのは民主主義にとって不幸極まる事態だが、
それはあまりに大きな問題であり、朝日新聞社だけの問題でもないので、ここでは論じない)。
そして、そういう無自覚な凡人が、誘惑の中で自らを特権階級だと錯覚するのも人間の弱さという点では
自然の流れである。
上層部が腐敗しているだけなら、まだいい。
ぼくがもっとも暗澹たる思いにとらわれたのは、5年ほど上の先輩、同年代の同僚、30代の後輩といった
自分のすぐ上下の層から「自分の仕事をより良くしよう」「よりよい記事を書こう」「自分の職業的能力を
向上させよう」「ベターな仕事環境を作ろう」という向上心が、ごく少数の例外を除いて死滅してしまった
ことだ。若い世代がこれでは、いつまで経っても組織に変化など訪れない。
ノーチェックの権力と既得権益にどっぷりつかった上層部が堕落していくのは、まあ分かる。が、こういう腐敗・堕落というのは、まるでカビか病原菌のように伝染し、組織全体を冒していくものなのだ。その上層部を見た若い層が「あんなもんでいいんだ」とマネを始めるのである。
21
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
99年暮れ、朝日労組で内紛があった。会社に強硬な役員の一人を、妥協派の他の役員が組合員の
同意を取らずに勝手に解任し、それを組合員に知らせずに処理しようとしたのである。
労組の役員といっても、新聞や雑誌のセクションから「代表」のような人が1年交代で出てきて、また1年で
職場に戻る。労組在任中に会社に逆らいすぎると復帰したときに不利に扱われるので、みなさん穏健である。
ここで偶然がふたつ重なった。この解任された役員というが、ぼくのアエラ編集部での先輩にあたる
経済記者だったこと。ぼくが97年から98年まで労組の広報部長をやっていたことである。つまりぼくは
解任された人も、労組の内情も、両方知る立場だった。
この解任された経済記者T氏は、アエラ時代にサラ金やヤミ金融の問題を早くから指摘していた人で、
彼の先見性は、その後の日栄事件やヤミ金融規制法案ですべて証明されていった。鉄鋼会社の経理畑
から朝日の記者になったという経歴のため、数字にめっぽう強く(労組では給与問題の交渉担当だった)、
しかもこういう社会の問題点をいち早く発掘してくる記者の常として、簡単に妥協しない硬骨漢でもあった
ので、妥協的な朝日労組の中では疎んじられたのだろう。
ぼくは、T記者が役員を降りたことを知り、慰労のメールを送った。かつての同僚として「おつかれさま」
くらいは言いたかったのである。すると返信として、彼が意に反して解任されるに至った顛末が送られてきた。
ぼくは仰天した。「辞任」ではなく「解任」だったのである。一般の労組組合員がまったく知らされていない
事実だった。ぼくは労組で広報部長をやっていたので、組合員の代表である役員を解任するような重大な
動きがあれば、すぐに「有権者」である組合員に知らせなければならないことはよく分かっていた。ぼくは
直ちに労組本部に抗議のメールを打ち、ついでに知り合いの社員十数人にT氏から来た解任の顛末メール
を転送しておいた。このメールは転送に転送を重ね、1週間以内には会社中で大騒ぎになった。
ところが、誰かがこのメールを『週刊現代』編集部に持ち込んだのである(犯人は確認できた。
週刊朝日編集部にいたYという人物だった)。というわけで、T氏解任事件は朝日労組のスキャンダル
として週刊誌ネタにまでなってしまった。
この記事の掲載後、新聞の経済部の会議で「誰がネタを週刊現代にタレ込んだのか」が話題に上がった。
なぜ経済部の会議なのかというと、T氏が経済部員だったため、解任後は替わりを経済部から出さなくては
いけないからだ。また、現在の社長が経済部出身なので「経営中枢に一番近い編集現場」ということもある。
ここで経済部長らに向かって(部長以上は管理職なので非組合員)ぼくを名指して濡れ衣を着せたのが、
経済部の記者Yなのである。ご丁寧にも「僕はあいつを大学時代から知っている」という注釈まで付けて。
22
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
Yとぼくは同じ大学の卒業だ。彼は法学部で、ぼくは経済学部だったが、この大学はマスコミに就職する
人間がほとんどいないため、新聞社を受験しようという人間は在学中から顔見知りになる。Yとぼくは
一緒に作文を書いてお互いに見せ合ったりしていた。そして同じ会社に入り、新入社員研修も同じ部屋で
寝泊まりした。ぼくの結婚式には彼に来てもらったし、彼の結婚式にも招待された(リクルート事件取材で
忙殺されて行けなかったが)。その後、彼は経済部を歩み、ぼくは週刊誌畑を歩んだ。
自分が社外秘漏洩の犯人だと名指しされ、しかもそれが旧知のYの仕業だと聞いて、ぼくはYの自宅に
電話をした。何かの間違いであってほしいと祈ったが、違った。彼は平然と言ったのである。「キミは確信を
持って週刊現代にタレ込んだんだろう。それでいいじゃないか」と。さすがのぼくも頭に来た。こう見えても、
労組の本部役員だったのだ。会社員、労組組合員としての守秘義務くらいは守る。メールを送ったのは
組合員社員だけである。が、Yはぼくをあざ笑った。「何をそんなに怒っているんだよ」と。最後まで、一言も
謝らなかった。彼を友人だと思っていたぼくが傷ついていることに、まったく思いが至らないのだ。ぼくは
暗然たる気持ちで会話を終えた。悲しかった。
大学時代のYは繊細で心の優しい男だった。良識も常識もあった。それから朝日新聞社で十三年を
過ごすと、こうも人間は変貌してしまうのか。出世を目の前にブラ下げられると、こうも醜悪な行動を取れる
ものか。こういう恥知らずな人間が会社の中枢に入っていく幹部候補生なのか。悪寒が走った。
このYは現在ワシントン特派員である。狙い通り、点数を稼いで順調に「出世」しているようだ。
次は経済部デスクになるだろう。少なくとも、経済部長くらいにはなるだろう。編集局幹部か、うまく
立ち回れば取締役にだってなるかもしれない。彼がどうなっていくかで、朝日での「出世」がどういうものか
よくわかるから、ぼくは彼を忘れないつもりだ。
23
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:32
http://ugaya.com/column/taisha2.html
不気味だったのは、同僚やデスクが職場で意見を交わすという光景がぼくの周囲からはほとんど
消えてしまったことだ。みんなそれぞれの机で黙々と仕事をこなすばかり。他愛のない雑談くらいは
するのだが、いま自分たちが直面している仕事のことを話し合おうとしても、みんな逃げる。
よく「95〜96年はオウムや阪神大震災があったからネタに困らなかったでしょう」と後輩に言われた
のだが、これは逆である。オウムや震災のような大事件があると、テレビも雑誌も一斉に報道に加わる
から、他の媒体に出ていない視点をどう見つけるかが極端に難しくなる。だからぼくらは必死でアイディアの
出し合いをせざるをえなかったのである。逆に、こうした大事件のない「平時」は、どういう視点を構えるかで
記事のおもしろさがゼロから問われるので、ネタをいっそう厳密に磨かなくてはならない。どっちにせよ、
ディスカッションを重ねなくてはいい記事はできないのだ。
ところが、このオウム騒動が一段落した96〜97年あたりから、こういうデスク、記者同士の意見交換が
極端に少なくなった。ぼくはこれではヤバイと思って「毎週月曜日午後8時から、編集部応接セットにて
お話会開催。言論の自由保障。院外責任を問わず」などと、張り紙を出し、自腹で飲み物やつまみを
買ってきては、同僚たちを待つのだが、誰も来ない(逆に編集長はちゃんと来た)。同僚や後輩と食事に
行っても、上司や同僚の陰口や社内人事の噂話を延々と続けるばかりで、どんな記事が書きたいとか
どんなネタを持っているとか、そういう生産的な会話がほとんど出ない。社宅の奥様族の井戸端会議
みたいな非生産的な話ばかりしているものだから、つきあうこちらもだんだん疲れてきた。ぼくらは
仕事=生産活動の同僚として席を同じくしているのに、である。98年から99年にかけてニューヨークの
駐在に出かけ、帰ってきたときには、もう編集部内は死んだみたいに静かだった。
どうしてこうなったのか、ぼくにはよくわからない。
24
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
時同じくして、デスクたちの不勉強がひどくなっていった。新しいネタに対する感度が極端に落ちたの
である。だから、新しいネタをこちらがつかんできても、理解できない。こちらも、彼らが全方位十全な
知識を持っているなんて期待していない。理解できないのなら現場の判断を信じればいいのだ(実際、
かつてのデスク判断はそうだった)。それが、自分が知らないものは、はねつける。たぶん、自分が
不勉強であることを認めるのが怖いのだろう。アエラでは五人のデスクと編集長、編集長代理から成る
「デスク会」がネタの採用・不採用を決める権限を持っている。この人たちが「自分の知らないもの」を
ことごとくはねつけていったら、どうなるか。雑誌に並ぶ記事の鮮度が急に落ちたのは、このあたりが大きい。
http://ugaya.com/column/taisha2.html
「同世代の同僚や後輩が、自分の仕事をよりよくしていこうという切迫感を感じさせなくなった」と書いた。
この会社では、向上心に燃え、すぐれた仕事をしようと思って努力しても、何にも評価されないのだ。
例えば「アエラをよりよい雑誌にしたい」と努力に励んでも、3年以上在籍すれば「もう長いから」と機械的に
追い出される。書き手として努力を続けても、40歳前になれば「もうデスク年齢だから」(摩訶不思議な
言葉だ)と書き手を降ろされる。すべてが年功序列、順送り人事、前例、慣習で決まる。特に明文化された
規則があるわけでもないのに「そんなもんだ」という奇怪な共通理解がいつの間にかできあがっている。
ここでは、人並み、月並み、前任者並みの仕事をしてさえいれば、誰も文句は言わない。まるで、4月に
なれば自動的に進級する小中学校教育みたいなシステムだ。
25
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
自己研鑽を積まなくても、新聞というプロダクトはできあがるシステムがちゃんと用意されている。
それが他でもない記者クラブ制度なのだ。以前、ぼくはデビッド・ハルバースタムとの会話の中で
「アジェンダ・セッティング」の機能を日本のマスコミは欠いているという話を書いたことがある。
「アジェンダ」とは「社会が議論すべき問題」のことであり、「何を議論すべきテーマなのか」を提示するのが
「アジェンダ・セッティング」だ。記者クラブに取材の拠点を置いている限り、この「アジェンダ」は取材先の
官庁や企業が決めてしまう。
ぼくも1年だけ、名古屋市役所の記者クラブにいたことがある。一日中市役所の中に缶詰にされて
ウンザリしたが、それさえ目をつぶれば便利かつ快適この上ない。なにしろ、ずっとクラブに座って
市役所の発表を加工して記事にするだけで、一日に記事が2本3本とできあがっていくのである。
紙面もどんどん埋まるのでデスクも喜ぶ。だが「何もないところからニュースを探して歩く」という基礎体力は
どんどん衰えていった。
つまり、「読者以上のサムシング・エルス」を求めて自己研鑽など積まなくても、記者クラブにいさえすれば、
記事がどんどん書けてしまうのである。逆に言えば、記者クラブさえあれば、新聞社は、記者の人材に
投資しなくても、日々の新聞を発行するという業務は成立してしまう。
こうして長年を過ごしてきた新聞社は、記者クラブなしでは読者に商品価値を認めてもらえる記事など
書けない記者を大量に抱えている。もし記者クラブを廃止してしまえば、どんな破局が彼らを待ち受けて
いるか、想像するのはたやすい。これほど世間から非難を浴びても、新聞社が記者クラブを死守する
理由はこれである。記者クラブの外で生き残れる人材など育てていないことを、彼らはよく知っている。
26
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:33
http://ugaya.com/column/taisha2.html
新聞からアエラに移ってきた記者を見ていると、この「自分でニュースを探して歩く」「人が思いつかない
ような視点で現実を見つめる」という能力が衰えた人が非常に多かった。そういう人は、記者クラブ取材の
ない週刊誌に来ると、気の毒なくらい右往左往する。記者クラブにもいたことのあるぼくは、彼らの事情も
痛いほどわかった。彼らが能力で劣っているのではない。記者クラブしか知らないから、「自分でニュースを
探す」習慣がないし、そういうトレーニングを受けていないのだ(もちろん、朝日新聞社に在籍する記者でも、
記者クラブなどに頼らないくてもいいくらいのニュースソースと学識を持っている人はいた。問題は、そういう
記者が例外的といえるくらい少数で、しかも次第に数が減っていることだ。例えば、ぼくが知るどんな
アメリカの大学院の教授よりはるかに深い知識と洞察力を持っていた田岡俊次編集委員は、定年で
いなくなってしまった。)。
ぼくがラッキーだったのは、新聞社に17年勤務しながら、記者クラブの体裁を整えた記者クラブで働いた
経験が1年しかないことだ。おかげで、「他人とはちがった視点でものを考える習慣」が最後まで殺されずに
済んだ。記者クラブ取材のない週刊誌に10年いたことも大きい。ありがたいことだ。「ニュースのないところ
からニュースを見つけて書かなければ、仕事がない」という毎日を10年も送ったおかげで、ぼくはずいぶん
鍛えられた。神経がおかしくなりそうなくらい過酷な日々だったが、この経験がいま、ぼくのかけがえのない
財産になってくれている(ぼくが内側から目撃した記者クラブ制度の問題は、とてもここでは書ききれないので
稿を改めることにする)。
もし誰か記者が「私はちゃんと自己研鑽を積んでいる」と主張しているなら、その人に尋ねればいい。
あなたはどんな記事を書いたのですか、と。そして、その記事を見せてもらえばいい。そこに、読者が
「こんなものの考え方があったのか」「こういう事実があったのか」という驚きを感じなかったら、その人のいう
「研鑽」は自己満足でしかない。記者の仕事は、記事を読者に判断してもらうことでしか評価されない。
判断するのは読者なのだ。判断を下すのは、あなたなのだ。彼らが振りかざす「権威」や「組織の看板」に
気圧される必要はない。そんなもの、はぎ取ってしまえば、実情はたいしたことはないのだ。
27
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:34
http://ugaya.com/column/taisha2.html
同僚の無関心という点で、これは病的だとさえ思った出来事のことを書いておく。
2001年の春、ぼくがいたパソコン誌の編集長が突然自殺したときの話だ。
M編集長は、ぼくが朝日で出会った中でも、もっとも尊敬できる記者のひとりだった。科学部、科学朝日
編集部で科学記者として活躍しただけでなく、パソコンの将来性を先取りして80年代に『朝日パソコン』を
創刊したという先見性の持ち主でもあった。いつも穏やかな笑顔をたたえた、誠実な紳士だった。人に
向かって声を荒げるのをぼくは見たことがない。連日連夜、新しい雑誌のアイディア出しの会議がそれこそ
午前零時を過ぎても続いたが(泊まりがけで徹夜の会議もやった)、編集長は真摯につきあってくれた。
それが、4月下旬に突然「会社を休む」という連絡があり、自宅で静養しておられると聞いていたのが、
5月初旬に悲報が届いた。
ぼくはM編集長がなぜ自殺したのか、本当の理由は知らない。遺書が残っていたらしいが、内容は
知らされなかった。ご家族も内密を望んでおられたからだ。
ぼくは編集長の葬儀に行った。ご自宅は、千葉県の新興住宅地にあった。白い一戸建て住宅の二階に
書斎があって、勉強家の編集長らしく、科学学術書が壁一面を埋めていた。ふとその中に、彼の著書が
あることに気が付いた。欧米を駆け回り、ノーベル賞受賞者14人に「ノーベル賞の発想」をインタビューした
ルポである。おそろしくおもしろい本だった。ページをめくるたびに、素晴らしいルポであることが伝わってくる。
「サイエンスの素晴らしさを伝えるのが僕の夢だ」と言っていた編集長の言葉を思い出した。ぼくは涙を
こらえることができなかった。
28
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 03:34
http://ugaya.com/column/taisha2.html
問題はこの後である。職場に戻ったぼくたちを待っていたのは、厳重な箝口令だった。現職の雑誌
編集長が自殺したことがスキャンダルになるのを出版局長はじめ上層部が恐れるのは、この会社の社風
として今さら驚きもしなかった。ぼくが驚愕したのは、出版局の同僚が、まったく誰も、例外なくこの悲劇を
話題にすらしなかったことである。しかも、誰が命じたわけでもないのに、こうなるのだ(社外には話すなと
箝口令が敷かれたが、社内で話すなとは誰も命じていない)。まったく完璧に静かだった。
いやしくも同僚、それも現役の編集長が激務のさなかに自ら命を絶ったのである。一人の人間が死んだ
のである。これは、自分たちの仕事環境のどまん中で起きた惨事なのだ。それに完全に無関係と言い
切れる人はいないはずだ。ぼくは彼の自殺を「誰かのせい」にしたいのではない。自殺の原因が完全に
プライベートなことだって、ありうる。が、これほどの重大事が起きたことを真摯に受け止めるなら、命の
重みを誠実に考えるなら、問わずにはいられないはずではないのか。「なぜこんなことが起きたのだ」と。
人間なら、記者でなくても問わずにはいられないはずではないのか。「我々の仕事環境の中に、何か
重大な問題があったのではないか」と。
この問いを、誰も発しなかった。葬儀の翌日から誰もが、また黙々と仕事に戻ってもう話題にもしなかった。
アエラや週刊朝日や書籍編集の同僚が、説明を求めて出版局長室に押しかけたなどという話も聞かない。
説明さえ求めずに、誰もが納得してしまったのだろうか。ぼくは暗澹たる思いに沈んだ。ぼくはそれまで、
朝日新聞社をイヤな組織だと思ったり、居心地が悪いと思ったことはは何度もあったが、「怖い」とまでは
思わなかった。が、この出来事を境に、この上司や同僚たちの無関心と無気力と無作為が文字通り怖く
なった。病んでいるとさえ思った。
29
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 04:21
492 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/03 17:59 1FMbK8H/
記者クラブ制度をご存知ですか?
あの記者達はみな福田康夫の子飼いです。常に共に行動し、一緒に飯を食い酒を飲み、
官房機密費の分け前をもらい、スピード違反と飲酒運転を見逃してもらいます。
特権的に非公開情報にアクセスし、福田に許されたことのみを記事にします。
あの記者会見は一種の演劇のようなものです。質問も全て前もって各社で割り振ります。
記者会見終了後には、各新聞社で福田の発言がばらばらにならないよう、整合性をもたせます。
最初からヤラセです。
日本も、実は中国や北朝鮮と同じです。近年、韓国は日本の制度をひきずっていた記者クラブ
制度を廃止しました。
フランスでは「日本のジャーナリズムは全部政府広報」という認識が共有されています。
日本のニュースに関しては欧米の新聞(ネットで読める)やBBCを見たほうが正確です。
493 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/03 20:20 5+b4wS9r
俺、某社記者。
福田さんは、歴代の官房長官に比べて、非公開情報を出す度合いは少ないと聞いているよ。
オフレコの懇談でも記者への説教ばかりで情報らしい情報がないうえ、「女は女豹」発言が夕刊紙に
漏れてから、一回やめている。それゆえに長官番の記者から不評を買ったらしい。だから、わりと
記者との距離を置きながら、記者をコントロールするタイプかな。
スピード違反や飲酒の見逃しってのはないと思う。
記者会見の質問を事前に伝えるのは本当。
でも会見で予定外の質問が不可ということはないよ。福田さんは予定外の質問には、うまく答えられない
ことが多いけど。
記者クラブはなくていいと思うね。仕事は確実に大変になる。
30
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/10(水) 04:21
536 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/07 00:34 aRELAJvg
日本のメディアがソース(情報元)を書かないのは組織的なオフレコ懇談に縛られているからですよ。
ニュースペーパーならば、誰による情報なのかを明らかにしてほしい。
書かれていても「政府首脳によれば」「首相周辺によれば」というもの。これは、みんなオフレコ懇談での
ルールです。 これは厳然たる事実です。
そして、記者クラブが他のメディアの加盟を渋るのも、このオフレコ懇談の存在が大きい。
あまり加盟社が多くなると、オフレコ懇談をやってもらえなくなる恐れがあるからだ。
結果として「余計な取材」をしかけてくる他のメディアを「政府のために」排除することになる。
その代わりに自分達は特別な情報をいただけるわけ。 この弊害は意図してのものか、そうでないのか。
もしかしたら、オフレコ懇談を「エサ」として政府に利用されていることに気づいていないのかもしれない。
そして、このオフレコ懇談は引っ切り無しに予定が組まれる。 自分で取材をしなくても、勝手に政府が
どんどん取材の場をセットしてくれる。 新聞はそれを書けばよい。ルールどおりにソースを明かさずにね。
かくしてクラブ加盟メディアは政府に飼われるに至る。裏を返せば、かように政府は記者クラブを
コントロールする。 その結果、新聞の記事は「政府の意図に沿って」みんな横並び。
この一方、政府はクラブ非加盟メディアの取材を必要以上に拒む。記者クラブに情報開示している
エクスキュースがあるからだ。そして国民にはクラブを経由しない情報は届かない。
本当に知りたい情報は届かない。
537 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/07 13:40 lnZRBsnO
結果的に、大本営発表となんらかわらん状況になってる。
情報を流してもらっても、それに対する裏づけ取材をするんだったらまだしも、一言一句そのまま
記事にする従順さ。そら、官庁に大いにありがたがられるよ。
31
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/17(水) 00:29
556 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/09 01:23 /YP/WFyR
自民党のアベとか青木とかの記者会見、何であんな間抜けな質問しかしないのか。
世の中の話題になった話しとか、問題になった話しとかなーんにも質問しない。
記者会見の後、当の会見者を囲む記者どもをみるけど、囲んだときの話やコメントは出てこない。
どうなってんの。このからくり。読者や視聴者を裏切っているんではないの?
559 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/09 23:47 P6vx5nch
彼らは「番記者」(バンキシャ)と呼ばれる。朝から晩までアベとかアオキとかに張り付いて、
彼らの行動を把握するのが仕事だ。 そんで、重要法案の成立とか、国会の開幕とか、何かの
節目にコメントを「頂戴」できるように、彼らに気に入られるのが第一の仕事。
記者会見で、機嫌を損ねるような質問ができるわけがない。機嫌を損ねて「オフレコ懇談に
呼んでやらない」となったら即、バンキシャ失格になる。 同期を蹴落として苦労して「自民党幹事長の
バンキシャ」の「地位」を手に入れたのだもの、そんな馬鹿な真似はしないですよ。
官僚と同じで、無難に自民党幹事長の番記者を経験したら出世コースが待っている。
アベさんの学歴詐称(?)の問題だってバンキシャが守ったようなもんだ。守ったというより、
閉ざされた記者会見で、そのことに触れなければいいだけの話。 アベさんの目を見て、あ・うんの
呼吸で避けて通ればいい。 古賀さんには番記者がいないから。守ってくれる人がおらず、
メディアのリンチに遭う羽目に陥った。 両者もたかが学歴なんで、古賀さんのバッシングも行き過ぎの
感はあったけど、記者の対応には大きな格差があったのは確かだ。 つまり、オープンな記者会見か、
そうでないかの違いだ。現状の権力が守られる構造ができている。
日本に政権交代が起きないわけです(政権交代が起きたら自民党で番記者をやっていたといっても
出世コースではなくなってしまうかもしれないし)。 アベさんの前の山崎拓幹事長も、最終的に
女性問題を認めた(訴訟を取り下げた)けど、幹事長のときの定例記者会見では「山田かな子」の
カの字も出なかったのではないか? 新聞の言い訳は「週刊誌に書かれていることなんか
取り上げられるか」ということだが、ヤマタクは、それで選挙に落ちたところをみると、それほど、
どうでもいい問題であったとも思えないが。
番記者が聞けないんだから、週刊誌を記者会見に入れるしかないだろう。
32
:
・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*
:2004/03/18(木) 22:24
599 名前:文責・名無しさん 投稿日:04/03/18 00:11 0Ao0Pebm
外務省や総理記者会見って、その後、懇談っていう非公式の記者会見がセットなんだろ。
だから突っ込み質問もでない。
606 名前:文責・名無しさん 本日のレス 投稿日:04/03/18 15:43 AloDfWiz
記者クラブで癒着している日本の大手メディアは、国民にとっては何の役にも立たない。
司法もろくに機能せず、最後の駆け込み寺として、日本に常駐している外国メディアの方が
頼りにされている事実に、日本の大手メディアの連中は、少しは恥じたらどうだろうか?
607 名前:文責・名無しさん 本日のレス 投稿日:04/03/18 19:19 cNjBkPGJ
>外務省や総理記者会見って、その後、懇談っていう非公式の
>記者会見がセットなんだろ。
記者クラブと要人の非公式懇談は、定例的に行われている(ただ小泉さんはやってないけどね。
国会演説の解説は定例化しているのでやってるけど)。民主党もやっているんだな。実は。
いずれの非公式懇談も、先方の秘書とか事務方にセットしてもらって、連絡網(小学生みたい!)で
伝え合ってる。 ひどいのは、非公式懇談の予定が記者クラブに張り出されて合ったりするから、
こりゃ「非公式」でも、「懇談」でもなんでもないよね。 「記者会見」だ。
オフレコで話を聞くのは取材のひとつとして意義は認めるけど、先方との人間関係を自分で作って、
その範囲内にとどめるべきではないかね。組織ぐるみの非公式懇談はみっともないよ。
オフレコで話を聞きたいなら自分で人間関係築きな。記者クラブの慣習に頼って取材ごっこしてるんじゃ
ないっての。
ちなみにアメリカでもいくつかのメディアが連合して、要人とのオフレコ会合をやっていると聞いたけど。
だから「日本もいいでではないか」って?記者クラブを潰した上でいいたまえ、そういうのは。
このあたりの比較はうまくできるほど情報がないのだけど、記者クラブ制度がない中でなら、
癒着したい記者は癒着したまえ。人間同士のやることだもの、それもあるだろう。そう思うよ。
記者クラブみたいな保護された仕組みがなく、自由なメディア競争ができる中では、癒着を批判する
メディアも出てくるだろうから。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板