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非武装信仰板

1トキ:2013/02/01(金) 16:51:56
*教団側、本流復活派、和解を唱える人達・・・・とどの立場の人も関係なく、信仰について投稿する板です。
*この掲示板では、バトルはご遠慮願います。また、特定の立場の運動に関する投稿もご遠慮下さい。
*生長の家の信仰について、純粋に感動した事、感じた事を投稿して下さい。
*体験談、聖典の紹介等、自由にお使い下さい。
*その他、不明な点は、管理人が皆様と相談をして決めます。

1926神の子様:2020/06/03(水) 01:12:10
生長の家を信仰する上で、聖使命会に入会する義務はありますが、組織会に入会する義務はありません。事実、聖使命会員の内で組織会に入会しているのは、一割未満のはずです。

その、信者の中でも一割未満の組織会に入会して、会費まで支払うということは、組織の方針を積極的に支持する意味合いがあるわけです。同じ金があるならば聖使命会の什一会員や特志会員になる方が功徳はありそうなものですが、わざわざその分のお金を(或いは、さらに加えて)払ってまで組織会に入会するわけですから。

もしも総裁先生や本部の方針が「大日本神国観の実修を許さない!」みたいな、トンデモナイ方針であると本気で思っているならば、その組織を止めればいい、と言うか、むしろ「辞めないといけない」と思いますよ。

どうしてわざわざ「大日本神国観、禁止」の組織にお金を払ってまで所属するのか、と言う話です。貴方の懐が痛むだけで、何のメリットもありません。龍宮住吉本宮に祈ってほしいならば聖使命会員だけで充分なんですから。

正義にも反し、利益にもならない行為をする、それは精神異常者です。そういう人間が教区の役職について「左翼路線」を推進していると、教団の腐敗を如実に感じます。彼らは総裁先生に中心帰一などしておらず、わざわざお金まで払って自分の妄想にしがみつき、他人を巻き込んでいる極悪人です。

1927神の子様:2020/06/03(水) 01:12:43
宇宙浄化の祈りと大日本神国観についても教えてくださり、ありがとうございました。
教化部により早朝行事では実修しないところもあるという程度で、公的に本部が朗誦、実修を禁止している事はないのですね。

これは私の想像ですが、谷口雅宣先生のお言葉の背景を忖度し過ぎる一部の教化部や幹部があって、そういう一部の例を本流派が誇大に取り上げたりしている事もあるのではないかという感じがしています。想像が当たっているかどうか分かりませんが。

谷口雅宣先生の『宇宙浄化の祈り』の文言の改訂(?)に個人的には賛同できませんが、それでも『宇宙浄化の祈り』そのものを禁じているのではないこと、「大日本神国観」が宇治の練成道場で実修され続けていることを知って安心いたしました。

1928神の子様:2020/06/03(水) 01:13:47
 『観世音菩薩讃歌』が『甘露の法雨』と同じ功徳のある経典であることは一度それを読誦すれば一目瞭然であり、失礼ながらtapir様はホンリュウ派の偽情報を信じてしまい、『甘露の法雨』を読誦されたことが無いのだと思います。

 また、『観世音菩薩讃歌』には立派な「現証」もあります。

 ご存知の通り、私は女性に縁のない男として著名でありました。tapir様も御存知のことと思います。何故実際あったこともない人間がそれを知っているのかは不明ですが、訊けさんの投稿を見ると私が女性と縁がないことは「会わなくとも判る」話なのでしょう。

 そんな私ですが、ここ最近は先祖供養で読誦するのは主に『観世音菩薩讃歌』であって、『甘露の法雨』は全く読誦していません。そんな中、奇跡みたいな出来事が起きたわけで、昨日もこんな感じです。

 ・・・こんな奇跡、そうそうないので、幸せ自慢をすることをお許しください。あるリア友にも「嘘でしょ」と言われました。これを見ている読者の方も驚かれていることでしょう。

 誰がどう考えても、これは『観世音菩薩讃歌』で先祖供養をしていた功徳です。私の力のわけ、ありません。

1929シャンソン:2020/06/08(月) 06:25:53


 シャンソンの投稿ではありません。

1930シャンソン:2020/06/08(月) 06:27:18

 「神に出来ないことは何ひとつない」
 新型コロナ肺炎 神への祈り トランプ大統領
 https://the-liberty.com/article.php?item_id=16936

1931神の子様:2020/06/08(月) 11:56:23
この?韓国の政党?日野ボンボンが、党首の関西の政党と似てる名前だね。
⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩
⇨⇨保守系最大野党「未来統合党」が27.5%、⇦⇦

⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩
日野ボンボンて?在日朝鮮人の関西右翼政党の3代表の1人だし?
日野ボンボン大好き、在日朝鮮の女もいたし?関東在住の日吉の在日朝鮮人の金志恩の仲間だな。

1932神の子様:2020/06/11(木) 15:13:37
ふぇらちおって、生長の家の御教えに適う行為なのですか?

1933シャンソン:2020/06/12(金) 18:20:55
       生命の尊重

 かつて生長の家の青年大会のスローガンに
「吾らは生命を尊び、生命の正しい生き方を人類に弘めよう」
という個条がありましたが、生長の家のこの運動は、「生命尊重」の運動であるのであります。
何故労働というものに値打ちがるのかというと、人間の生命は神の生命の発言であり、従って生命というものが
尊いものであり、その生命の生産的あらわれが労働であるから、労働は値打ちがある、ということになるのであります。

生命のない自働操縦機械ばかりの世の中がもしあったならば、いくら物が出て来ましても、それは労働が注がれていないから値打ちはないわけであります。
もっとも、現在のオートメーション装置が進歩しまして、全生産工場が自働操縦機械で動きましても、その機械は生命がそれに注がれてこしらえられたのですから、
そしてその生命は神より来たものでありますから、全然それは自働的ではない。

 神から来たれる生命によって作られた機械とか、いろいろの道具をとかを通してつくられた商品であるから、いくらオートメーション装置によって、それがつくられていても、
間接的には神の生命が注がれているのですから、価値があるということになるのであります。

 それが必ずしも商品でなくとも、ありとあらゆる芸術にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、すべて生命を注がれて出てきたものは、これは値打ちがあるのであります。
 何故なら生命は尊いもので価値があるからであります。

 『人間そのものの発見とその自覚』 谷口雅春先生著

1934転載:2020/06/12(金) 23:50:19

不透明で不確実な時代。
だからこそ現場に出掛け、現物に触れ、本人に会うことでしか得られない、本当に貴重な学びや知恵が大切なのだ。

主体的に当事者として行動することで初めて獲得できる「言葉にできない何か」が大切なのだ。

『行動格差の時代 心の勢いで壁を突破する8つの力』
(遠藤 功 著/幻冬舎) より

1935転載:2020/06/15(月) 07:51:10

《実相の完全さを礼拝せよ》 - 伝統
2020/06/15 (Mon) 04:58:31

      *『 生長の家 』(昭和44年12月3日の法語)より

   万物に内在する絶対価値を見出すには、
   浮雲(ふうん)のように去来する現象の不調和な姿に、
   心を引っかからせてはならないのである。

   浮動変化して常なき有様が ー 時には現象の表面に
   不完全な様相をあらわすような事があっても、それは唯、
   外見であって、内には完全円満な“ 如来 ”を蔵するものである。


   その内に埋没せる“ 如来 ”は、
   外面の不完全さのみを見ていては 現れて来ないのである。

   どんなに不完全に見えても、その外見に眼を閉じて、心の眼をひらいて、
   実相の完全さを見るとき、

   それをジッと見詰めて礼拝する毎日をつづけるとき、
   “ 内在の如来 ”の完全さがあらわれて来るのである。

   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7f575134098da0c0f7b97d38f01fab3f

            <感謝合掌 令和2年6月15日 頓首再拝>

1936転載:2020/06/15(月) 14:39:26

神仏と名づけられている宇宙霊なるものの心の中には、真善美以外に、心配や悲観というような消極的な心持ちは、夢にもない。
私はその宇宙霊の心と通じている心をもつ万物の霊長たる人間である。したがって私がこの自覚を明瞭にした以上は、下らぬことに心配したり、悲観したりする必要はさらにない。
人はどこまでも人としての面目を発揮せぬと、人間の、第一つらよごしである。
人間が人間らしくあるときにのみ、人間の恵まれる幸福を享け得る。だから私は、宇宙霊の心と宇宙霊の力に近寄るために、心配や悲観という価値なきことを断然しないことにする。そして、真理に則した正しい人生に活きよう

     中村天風

1937うのはな:2020/06/15(月) 20:39:13
       祭祀とは宗教なのか?

谷田川 皇室祭祀は政教分離に反していると左派勢力は言いますが、
天皇の国民への祈りは宗教ではないと思います。

竹田 宗教の定義にもよるでしょうか。キリスト教やイスラム教のような経典や教義が
あるということでいえば、確かに宗教ではありません。

谷田川 天皇陛下が国民全体のことを祈ってくださっていることについてなんの問題があるのでしょうか。
世界的に見ても、元来、政教分離というのは、特定の宗教を優遇したり、弾圧したりすることを防ぐことを目的として
生まれてきた考え方です。天皇陛下が国民全体のために祈ってくださることにおいて、何か宗教的に問題が出るわけではありません。

竹田 私はあえて逆ばりになるかもしれませんが、天皇陛下が祈っていらっしゃるのは立派な宗教であるという言い方をしています。というのは、
あまりにも日本人は無宗教だという認識の人が多いからです。多くの人は毎年初詣に行くし、子供が生まれるとお宮参り、七五三、受験のときには合格祈願など頻繁に神社に
出向いて祈っています。家に神棚や仏壇があるというのは欧米では考えられません。お墓参りもお盆やお正月をはじめ頻繁に行います。これほど足繁くお墓に出向く民族も世界にはありません。

これは立派な宗教的活動であるということを気づいてほしくて、あえて天皇の祭祀を筆頭に、国民が祈ることも宗教であると言っています。
純粋に祈るという行動は、宗教的行為なのだということを言ったほうがいいのではないかと考えています。「神道はただの文化で全然宗教ではない」と言ってしまうのは良くありません。
確かに神道は教義のあるような宗教ではないし、その気持ちもわかりますが、神に祈るということは立派な宗教行為なので、祈りを軽んじないためにもあえて宗教的行為であると言ったほうが
意義のあることだと思っています。

 だから天皇の祭祀もあえて宗教と言っています。宗教について狭く定義をすれば天皇の祈りは宗教から外れるし、広く定義をすれば祭祀は宗教になる。
憲法上の定義では、天皇の祭祀が宗教であっても、憲法の中の原則と例外として説明できます。政教分離は憲法の原則であるが、例外はあると。人を殺しても、正当防衛や過失の度合いによっては
罪に問われないことがあります。また、仏像や寺院の補修も例外として認められています。

 政教分離に反するかどうかが問われれば、例外に当たるかどうかを考えればいいのです。天皇の存在は祭祀と切り離せないわけですから、それがわかっていて憲法に天皇の規定があるということは
例外に該当するというのが私の立場です。

  『「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか』 竹田恒泰 ・ 谷田皮惣 著

1938神の子様:2020/06/16(火) 04:07:06
>>1937在日朝鮮人の金志恩婆さん達が、日本人全滅作戦の為に、利用してる?こんな、天皇陛下についての記事に、脳みそ洗脳されて、横浜から、遠隔操作されまくりの、関西人のシャンソン人形女史。(笑)。志恩が、嫌いとか、コメントしても、こんな記事で、洗脳されてりゃ、在日朝鮮人の仲間じゃないかね(笑)⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩⇩【遠隔操作に、気がつかず。毎日洗脳記事の虜になる。関西人のシャンソン人形女史。】1937 : うのはな 2020/06/15(月) 20:39:13
       祭祀とは宗教なのか?

谷田川 皇室祭祀は政教分離に反していると左派勢力は言いますが、
天皇の国民への祈りは宗教ではないと思います。

竹田 宗教の定義にもよるでしょうか。キリスト教やイスラム教のような経典や教義が
あるということでいえば、確かに宗教ではありません。

谷田川 天皇陛下が国民全体のことを祈ってくださっていることについてなんの問題があるのでしょうか。
世界的に見ても、元来、政教分離というのは、特定の宗教を優遇したり、弾圧したりすることを防ぐことを目的として
生まれてきた考え方です。天皇陛下が国民全体のために祈ってくださることにおいて、何か宗教的に問題が出るわけではありません。

竹田 私はあえて逆ばりになるかもしれませんが、天皇陛下が祈っていらっしゃるのは立派な宗教であるという言い方をしています。というのは、
あまりにも日本人は無宗教だという認識の人が多いからです。多くの人は毎年初詣に行くし、子供が生まれるとお宮参り、七五三、受験のときには合格祈願など頻繁に神社に
出向いて祈っています。家に神棚や仏壇があるというのは欧米では考えられません。お墓参りもお盆やお正月をはじめ頻繁に行います。これほど足繁くお墓に出向く民族も世界にはありません。

これは立派な宗教的活動であるということを気づいてほしくて、あえて天皇の祭祀を筆頭に、国民が祈ることも宗教であると言っています。
純粋に祈るという行動は、宗教的行為なのだということを言ったほうがいいのではないかと考えています。「神道はただの文化で全然宗教ではない」と言ってしまうのは良くありません。
確かに神道は教義のあるような宗教ではないし、その気持ちもわかりますが、神に祈るということは立派な宗教行為なので、祈りを軽んじないためにもあえて宗教的行為であると言ったほうが
意義のあることだと思っています。

 だから天皇の祭祀もあえて宗教と言っています。宗教について狭く定義をすれば天皇の祈りは宗教から外れるし、広く定義をすれば祭祀は宗教になる。
憲法上の定義では、天皇の祭祀が宗教であっても、憲法の中の原則と例外として説明できます。政教分離は憲法の原則であるが、例外はあると。人を殺しても、正当防衛や過失の度合いによっては
罪に問われないことがあります。また、仏像や寺院の補修も例外として認められています。

 政教分離に反するかどうかが問われれば、例外に当たるかどうかを考えればいいのです。天皇の存在は祭祀と切り離せないわけですから、それがわかっていて憲法に天皇の規定があるということは
例外に該当するというのが私の立場です。

  『「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか』 竹田恒泰 ・ 谷田皮惣 著

返信

1939神の子様:2020/06/16(火) 04:26:57
>>1938現在の天皇陛下の儀式の内?前漢帝国の高祖・劉邦の真似をしてる所が、沢山ある事が?分かって来ている。草薙剣 などは、その真似の典型的な、例の一つだとわかる。劉邦は、赤龍の王とも呼ばれる。前漢帝国の皇帝は、龍と鳳凰の化身と言われるのも?劉邦=龍鳳と書ける事として、興味深い。北極星が、皇帝を表す様に、日本の天皇も、北極星で、表すときもある。その昔は、我が国の天皇だけが、神では無く、支那の皇帝、蒙古の大ハーンなども、神であったわけだ。洗脳されると?日本だけ特別とか?つい、洗脳されている事に、気がつかない。因みに?米食をする国は、日本だけでは無く、世界中に沢山ある事実を良く知りましょう。でないと、シャンソン人形女史の様に、在日朝鮮人の金志恩婆さん達に、遠隔操作されますよ(笑)

1940シャンソン:2020/06/20(土) 07:34:58
       宗教はなぜあるの?

 あなたの宗教は何ですか?日本人の多くは仏教徒ということになっていると思います。
日本にはお寺や神社が本当に沢山あります。その意味では日本は昔から神さまの国だったのかもしれません。
万物に神さまが宿っているという考え方は僕にとってはとても受け入れやすいものでした。

 では宗教は何のためにあるのでしょうか?
人々が神さまや仏の世界と繋がり、信心深くなり、幸せになるために宗教ができたのではないでしょうか?
ところが世界を見回してみると、残念なことですが、もうそんなことはとうの昔に忘れ去られ、宗教が権力の道具になったり、
争いの元になったりしています。

 宗教が違うからという理由で、いろいろな差別がまかり通っています。
キリスト教圏とイスラム教圏の対立は世界的な悲劇です。そこにユダヤ教がからんできて、物事はさらに複雑な様相を帯びています。
しかも、キリスト教、イスラム教の中でもそれぞれが分派して対立の原因になっています。

 日本でもいろいろな宗派があって、仏教と言ってもいろいろな宗派があります。
多くの宗教が形骸化してしまい、葬式とお墓と政治的な利権のためのものというお粗末な状況になっている場合も多いように思います。
宗教が本来の意味を忘れて俗世界にまみれてしまっているのも事実でしょう。本当にスピリチュアルなことを探究したいのであれば、宗教とは関係なく勉強する
ことができます。あなたの中に本当の神さまを探せば良いのです。

 これからの時代は自分の中を探究し、自分が神さまであることを発見する、ひとり宗教を目指す時代だと、僕は思っています。
あなた自身の中を探究して、自分自身が神さまの一部であることに気づいていけばいいのです。自分の中の神性を発見した時、日本の仏教やキリスト教の言ってることがより深く理解
できるのではないかと思います。

 僕はいずれの宗教にも入信していませんが、自己探求の結果、イエスや聖フランシスコなどに興味が向かい、とても信心深くなりました。
自分は教会に属さない隠れキリシタンなのではないかと思っています(笑)。

  『神さまに愛される最高の生き方!』 山川鉱矢 山川亜希子 著

1941神の子様:2020/06/24(水) 13:30:52

   守護神に対する礼拝感謝
 https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/aa8948202583bd140df04cf711b21c34

1942転載:2020/06/25(木) 23:45:33

生長の家のみ教えが素晴らしいのは「実相の自由」を得られるからです。この「実相の自由」は、現象世界を超え、現象世界の霊的根底となっている“真実の自己”をさとりそれと一体化することによって得られる自由です。この現象の世では、現象的な事物を“神のいのち”と見抜けず“物質である”と錯誤する迷い心から生じる“神”ならざる想念が原因で生じる“罪と病と死”の業の流転から逃れることは、普通なら至難の業なのです。しかし現象世界は実は“視えない神の国”であるという真理を説いて人々を現象苦から救済すべく挺身したのが、釈迦でありキリストであったのです。さらにその易しくて難しい唯神実相哲学を分かり易い言葉で生涯、聖典として書き残したのが、谷口雅春先生なのでした。この現象世界は、実は“視えない神の国”つまり実相世界(神の理念)なのであって、自分の“いのち”の現われなのです。“いのち”あって肉体の自分がいて自分の現象世界がある。その“いのち”世界こそ“実相世界”であり、“神の子理念”なのです。例えばアジサイの花は視えない“神のいのち”であり、私も、視えない“神のいのち”としてここにいます。時間・空間非実在と知ったときに、まさにその現象のその位置に“神のいのち”在りと分るのであります。藤原敏之先生は宇治錬成のユーチューブ動画で「目に見えるものは心の影で本当にあるものではなく、目に視えないもの(神)が本当にあるのです」と教えています。真理の探究と神想観が不可欠なのは、“真実の自己”と現象の心が一体化し“実相の自由”を得るためなのです。
【人間が自由であるのは、“神の子”であり、至上者(いとたかきもの)の子であるからである。それであるから、己が人生、己が環境を支配する権を与えられているのである。今まで自縄自縛していた自分自身の直ぐ今此処に、“神の子”としての実相の自由があることをわれわれは見ることができるのである。ひとたび、われわれが、自己内在の自由を見出すならば、外界は常に内部の自由に一致したものとなるのである。それを奇蹟と見るならば、それはまことに奇蹟でもある。まことに奇蹟の時は今であるのである】(奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳)

1943シャンソン:2020/06/25(木) 23:56:31

 ◆神は生命そのものであり、愛そのものである。天使や人間は、その生命を受ける器である。(『神の愛 と知恵』)

1944シャンソン:2020/06/26(金) 00:00:42

 真理の研究ブログ https://ameblo.jp/eliyahx/entry-12355549373.html

1945シャンソン:2020/06/26(金) 08:03:00

  畜類なお恩を報ず

 祖師伝法の深恩、ねんごろに感謝すべし。
 畜類なお恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。
 もし恩をしらずば、畜類よりも愚なるべし。

 祖師方がこの法を伝えてくれた深い恩に懇切に報い謝せねばならない。
 動物たちでさえ恩に報いる。人たるものが恩を知らずであってはならない。
 もし恩を知らなければ動物たちより愚かである。

    『道元一日一言』 大谷哲夫 編

1946神の子様:2020/06/26(金) 19:44:02

「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物(たまもの)を持っていますから、
預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。」

‭(‭ローマの信徒への手紙‬ ‭12:6-7)

1947神の子様:2020/06/26(金) 19:45:54

「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。
それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。
洪水(こうずい)になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。
しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」

‭‭(ルカによる福音書‬ ‭6:46-49)

1948神の子様:2020/06/26(金) 19:52:46

君の中には
必要なすべてがある。
「太陽」もある。
「星」もある。「月」もある。
君の求める光は
君自身の内にあるのだ。

 by ヘルマン・ヘッセ

1949聖書:2020/06/26(金) 20:10:28

 年老いた者が賢いとは限らず、年長者が正しいことを悟るとは限らない。

1950神の子様:2020/06/27(土) 14:10:36

 仏教のとらえかたでは、生と死はひとつで全体なるものとされる。
 そこでは死は生の新たなる章の始まりにすぎない。
 死は生の意味の全貌を映し出す鏡なのだ。

    ソギャル・リンポチェ

1951神の子様:2020/06/27(土) 14:19:04

 あなたはひとりで歩いているのではない。
 神の天使たちが見守っている。
 神の愛があなたを包んでいる。

 そして、安心していなさい。
 私も決してあなたを慰めもなく放っておくことはしない。

   イエス・キリスト

1952シャンソン:2020/06/29(月) 17:29:31

   心の新陳代謝 嘲笑の罪
 https://ameblo.jp/kansya-houon/entry-12046346615.html

1953神の子様:2020/07/01(水) 09:34:20

 詩集『夜半の祈り』より
 https://byakko.or.jp/wp-content/uploads/2014/05/goi_tanka_natsu.pdf

1954うのはな:2020/07/01(水) 09:43:22

   五井氏も生長の家の信徒だった?
 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「世界人類が平和で…」あの柱の正体は%EF%BC%9F-〝創始者〟の教祖に焦点、本出版の博士に聞く/ar-BB11QL1U

1955転載:2020/07/01(水) 09:58:53

  宗教的テーマ 第二掲示板より
 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3003

1956転載:2020/07/05(日) 22:24:13

「生命の実相と申候事はこの世界が此のまま神の国であり、
人間はそのまま神の子なりと申す事に候なり・・
観ずればそれが顕るるものに候、感ぜざれば顕るる事無く
さればこそ心を静めて実相を見よと申すに御座候
現象に如何なる悪顕れ候とも何れも神の作り給える実在には
無之候間(これなくそうろうあいだ)気にかけずに唯実相円満なる
相のみを観ずれば結局は円満なる実相顕わるるものに有之候」

(昭和23年1月、伊予新居浜地方ご巡業の時秋月照子様方に
ご一泊された時に障子紙に筆をとられた名文・・であると言う)

1957転載:2020/07/05(日) 22:29:17

 生長の家 神は愛なりブログ
 https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/

1958シャンソン:2020/07/09(木) 19:21:33

 私は別に戦争を謳歌するというわけじゃないのですけれども、
起るべきして起こっているものを、日本民族の侵略だと
言うのは間違いなのであります。
 
(現代仮名遣いに変更して筆記)

 『神ひとに語り給ふ』神示講義 教の巻 谷口雅春(先生)著

1959他から一部転載:2020/07/09(木) 21:26:07

「世界平和を祈ると共に300万の胎児を見殺しにできない 」

 生長の家創始者 谷口雅春先生

 吾々が政治運動に踏み切ったのは、中央にただ一つの中心があり、その中心は神意を受けたる神聖中心であり、すべての民族、国家、国民、悉くその神聖中心に帰命し奉りて調和して繁栄せる萬徳円満の理想世界の招来を希望して、その実現を心に描いて神想観し、祈りつづけて来た結果、その実現の行動化の過程として内から“催し”て来たところの自然的運動にほかならないのである。

 宗教家が山に籠って坐禅瞑想のみに終始し、或は教会で祈っているだけで、何の行動をも起さなかったならば、毎年300万人前後の胎児が母胎の中で惨殺されて引きずり出され、コマ切り肉のようにして棄て去られている悲惨な出来事を停止させることもできないのである。

 われわれが祈っておれば「誰かが行動を起してくれるであろう」などと、責任を他に転嫁して自分は何も行動を起さないのは卑怯なのである。吾々は卑怯であったり、偽善であったりしてはならないのである。

 人類救済に誰かが行動を起す必要があるならば、先ず自身が行動を起すべきである。地上天国実現に、誰かが行動を起さなければならないならば、先ず自身が行動を起すべきである。

  「生長の家」 昭和43年5月号 10p〜11p

1960神の子様:2020/07/10(金) 22:20:16

 都内・富岡八幡宮の神様からのメッセージ
 http://midorif7.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-4fed.html

1961伝統版:2020/07/13(月) 15:14:21
【北海道神社庁、7月のことば(平成29年文月)】 - 伝統

2020/07/12 (Sun) 23:51:40


 とこしえに国まもります天地の

    神の祭をおろそかにすな

            〜 明治天皇御製 〜

  (説明)

明治天皇は、その御一生の間に、
十万首近く教育上必要な道をお詠み遊ばされた。

大体は日常の教えであるが、この御製のように神祭りの道についても、
根本の道を示されている。

「天地の神の祭」を、おろそかにしてはならない。

天地の神々のお陰によって、日本の平和も、日本国民の幸福も、
はかられていると、知っている。

それ故、日本全国に奉斎されている神々は、天つ神と国つ神とに別れて、
それぞれの地域の守り神とされている。

一般には氏神という神は、氏族の守護神とされている。
神はそれぞれの土地の守護神とされるので、
別に産土(うぶすな)の神ともいわれている。

ここにいう天地の神は、天つ神、国つ神であると共に、
天つ地域、国つ地域を、それぞれ持ちわけて守ります神としても
信仰されている。

広くみれば全国の神々と考えてもよい。
敬神崇祖の道、ここに国体(国柄)の真の姿がある。

       (続神道百言  一般財団法人神道文化会編より抜粋)

            <感謝合掌 令和2年7月12日 頓首再拝>

1962ジンギスカン:2020/07/24(金) 15:03:53

    パフォーマンスは危険です
 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/b9eee43b087bc2ab3cda538f3f285c3a

1963転載:2020/07/28(火) 20:56:10

クリスチャンサイエンスのネット布教 (28960)
日時:2020年05月09日 (土) 11時51分
名前:アクエリアン

『生命の實相』第一巻、第二巻、の中で、詳しく紹介されているクリスチャンサイエンス。

今現在も、積極的にネットで、クリスチャンサイエンスの教えを発信しています。

クリスチャンサイエンスについては、日本教文社から出ている『ニューソート』の中で、非常に詳しく紹介解説されています。

ご興味のある方はは、視聴してみてください。

Never Alone
https://www.youtube.com/watch?v=fZtjC0ClRwI

Finding God, Finding Health
https://www.youtube.com/watch?v=UGP5DpJVrfg

Michelle Nanouche, CSB, explains the nature of God as being good, only good, good itself, and how we can experience today more of the relationship we have with this all good God, including better health.

Love without limit, Life without fear
https://www.youtube.com/watch?v=OR2BpZ4ZEKU

Fujiko Signs, CSB, brings out that God, divine Love and Life itself, helps us each day, especially during times of transition.

1964転載:2020/08/27(木) 20:43:57
一遍上人語録

門人伝説
 門人伝説68

また云(いわく)、「生きながら死して、静かに来迎を待つべし」と云々。万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死するとはいふなり。生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。されば人と共に住するも独りなり、そひはつべき人なき故なり。又わがなくして念仏申すが死するにてあるなり。わが計ひをもて往生を疑ふは、惣じてあたらぬ事なり。

1965転載:2020/08/27(木) 20:46:43

 野の百合は http://kamenoko4126.livedoor.blog/archives/6928323.html

1966転載:2020/08/28(金) 06:27:10
スウェデンボルグ 霊界からの手記(中巻 より)

※死後、地上での著名人、有名人に会ったという会話(通信)の記録はたくさんあります。
それらを読むにつけ、地上で成功した人が必ずしも霊格が高いわけではないということと、無知と怠惰によって誤った信念を自分に植えつけてしまうことのまずさがわかってくると思います。

<宗教界のリーダーたちは地獄(※)に落ちていた>
(※ 正確には、霊の世界には地獄などなく、低級霊たちがいる、地上に最も近い、幽界の低級層(凶霊や邪霊が多い層)を指しています)

スウェデンボルグは霊界で宗教界の有名人たちと出会った際の記録を、日記に残しています。


【マホメッド】
自分の所に押しかけていた霊たちに向かって「わしのところにくるな! キリストの所へ行け!」と怒ってどなりちらし、追い払おうとしていた。

【ダビデ】
彼は自分こそが天国の主となるべき者と考えていたことが、私にはわかった。
そして死後、彼は、霊界の上層部に行こうとするが、そのたびに強い力で押し戻されていた。

そこにダビデと共にいる、ある司教の霊も現れた。
この司教も、自分を神として他の霊たちに崇めさせたがっている人物だった。

そしてダビデは彼に、自分こそが神だと、権威を使ってねじ伏せるように従わせていた。
さらにダビデは、自分を神と崇めない霊たちを、高い所からほうり投げて落としていた。

ダビデも司教も自分を神として崇めさせたがっている点は同等だったが、ダビデの狂信のレベルの方が一層ひどかった。
彼は、神さえも彼に従うと錯覚していたのである。

ダビデは死後も、霊界で、熱狂的な激しさと巧みな話術や説教によって、他の霊たちをたぶらかしていた。
そうして上級界に進んでゆくのだが、遅かれ早かれ、上級界にいる霊たちにはその本質が見破られてしまう。

このように、ダビデは上級界に上がろうとするたびに、地獄へ突き落とされているのであった。

1967神の子様:2020/09/05(土) 16:07:07

  旧版の『聖光録』という御本の中にこんな話が書かれています。
米国の開拓時代にナスマッチよいう大変腕の良い船大工がいて、木造船工場で働いていました。
彼は、将来自分の工場を持ちたいという夢を持っていて、一所懸命に誠実に働くので給料もどんどん上り、
信用も高まり終いに待望の工場を開設するに至りました。

 彼は嬉しくて一層勢いを出して、奉仕的に仕事に励みましたが,時が経つにつれ次第に仕事よりも、金儲けに
夢中になってしまったのです。
 そうしたある日、突然火災がおこって、彼の工場は全焼し機械も製品も材料も一切が灰塵に帰してしまいました。
彼に残ったのは莫大な借金だけでした。何ということでしょう。焼け跡に立った彼は、茫然自失して、働く意欲を失ってしまいました。

彼はその悲しみをまぎらす為に酒の中にのめり込んでゆきました。彼の腕を見込んで高給で雇ってくれる人もあったのですが、
昔の様に真面目に働く意欲がおこらず、毎日酒ばかりのんで、怠けている為に、誰もが愛想をつかしてしまい、遂に泊るところも無く、まるで野犬の
様に迷い、食をあさる迄におちぶれてしまいました。

彼に残された道は、只死あるのみとなりました。そんな或る日、彼は飢えと寒さにふるえながら、或る倉庫の隅で木屑にくるまって触れていました。
ふと気が付くと彼の傍で、赤々と薪を燃やしながら、一人の紳士が立っているではありませんか。見るからに堂々としてかつ、自身にみちたその態度に彼は声をかける勇気がなく、
只、じっと見つめているだけでした。やがては朝がきてその紳士は街に出ると立派なレストランで食事をして、以前彼が働いていた会社に入っていってしまいました。

そして、又夜になると彼は昨夜と同じ様にその紳士が薪の傍で手をかざしているのを見い出しました。ナスマッチは、恐る恐る声をかけました。
「あなたはどうして、私の後をつけるのです。一体あなたは誰方ですか」
「私がつけるのじゃない。お前が私についてくるのだ。私は、昔お前の中に居たのだ。私はお前の実相であり、プラスの人間である。最初、お前は私の言葉に従い懸命に働き幸せになることが出来た。
しかし、次第にお前は私を裏切り、欲が深くなり、私のコトバに従わなくなった。お前の心は汚れ、どぶ川の様に異臭を放ち,最早、私の建えられる場所で無くなってしまった。
とうとう私はお前から飛び出してしまったのだ。

1968神の子様:2020/09/06(日) 09:53:18
>>1967  管理人殿へ削除要望します。

上記と今のこの投稿の削除をお願いします。

1969シャンソン:2020/09/06(日) 22:14:24

 怒らなくてよかった
 傷つけなくてよかった
 思いすごしをしなくてよかった
 微笑んでいてよかった
 理解してよかった

  一燈園 石川洋先生の詩

1970レビュー:2020/09/07(月) 13:12:27

 人はなぜ、他人を許せないのか?
 https://www.flierinc.com/summary/2245

1971転載:2020/09/18(金) 19:27:40
生長の家創始者 谷 口 雅 春 先生


神よ、生きとし生けるものを生かし給える吾等のみおやなる神よ。

わたし自身の本来のものでない願いを、わが胸より去らしめ給え。

わが心を浄め給え。

わが魂の切なる願いのみを願うことが出来るようになりますように ーーー (今日の祈り)。



自分が真に何をもとめているかを知らない人が随分多いのである。

そして自分のものでないものを憧れ求め、それが成就しないからとて嘆き悲しみ、それが成就したからとて図に乗って悪く働く。

ああ迷える人々よ。

『光明法語』道の巻

1972転載:2020/09/18(金) 19:29:18
>>1971 👆 引用元

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/c/e5eb5f43082c3b540a9070e18dc4b6ba

1973神の子様:2020/09/18(金) 19:40:13

 なぜ生長の家教団は左翼エコ団体へと変わったのか
 https://ameblo.jp/hirohirobbb2000/entry-12327764541.html

1974シャンソン:2020/09/24(木) 14:02:34

    生長の家「今昔物語」
 https://www.welovek.jp/watcher/archive.md/DOlwQ

1975神の子様:2020/09/25(金) 00:27:11

私が祈りを捧げる唯一のものは、健康と家族の安全の2つです。
そこに幸せや希望を付け加える人もいますが、私はしない。
この2つ以外のすべては、自分次第だと思うのです。
健康と安全を確保できたら、それで万全。
他のことはすべて、自分で創りださなければ。

出典元:https://www.imdb.com/name/nm0186505/bio?ref_=nm_ov_bio_sm#quotes

1976シャンソン:2020/09/25(金) 13:13:41

 皇居勤労奉仕に行ってきました
 https://yurikimura.jp/?p=787

1977転載:2020/09/28(月) 13:52:38


苦しいときほど
祈りの効果がよくでる

アメリカのイノイリ州にスピンドリフトという研究機関があり、10年以上祈りの効果を研究しています。

そこでは麦の発芽と祈りの時間の長さ等を客観的に調査。
その結果、祈られてたグループの種子の方が発芽率がはるかに高く、祈りは発芽との成長に効果があるとわかり、さらに、今度は発芽しにくいように麦の種子を浸している水に塩分を加えストレスを多く与えて実験してみたところ、濃度を増やすほど祈り効果は大きく、時間についても祈る時間を2倍にした場合、発芽率も2倍になったという結果が出ています。

1978神の子様:2020/10/05(月) 12:00:04
まず神の国と神の義を求めなさい  マタイ伝より、(私のキリスト教遍歴ノートより)

作者:夢野御堂 純聖
まず神の国と神の義を求めなさい、マタイ伝より。







人はお金だ、愛情だ、友情だ、財産だ、家がほしい、結婚相手がほしい、



などなどいろいろなものをほしがり求めますね。



人はほしがる存在なのです。



あれがほしいこれがほしい。



しかし、イエスは言います。



まず神の国と神の義をもとめなさい。と。



そうすればその他のものなどは、自然と、付け加えられてあなたに与えられるであろうと。



重要なのは神の国です。



神の国とは神が支配している国という謂いです。



すなわちそこでは神の義が行われているということをさします。



私はこれを、このイエスの言葉をスピリチュアル的にこう解釈します。



まずあなたの心に神の国を打ち立てるのです。



神の国とは、博愛と、信仰と、善心と、完全な美と、希望です。



あなたの心をこれらで満たすのです。



偏屈であったりねじれていたり、恨みがましくあってはいけません。



これが神の国を求めるということだと私は思います。



神の義とはなんでしょう?



神の義とは神の律法と言ってもいいでしょう。



すなわち混迷の中にあっても染まらない一筋の正義の心です。



それが神の義だと思います。



こうした神の国と神の義を求めるあなたには、



まさにイエスの言うようなすべての神の栄光と歓喜が与えられるのです。



「剣を持つものは剣で滅びる」という言葉を聴いたことがあるでしょうか?



これはイエスキリストの言葉として有名ですよね?



イエス・キリストは使徒ペテロが神のみ子を守ろうとして「剣」を使った時,



「あなたの剣を元の所に納めなさい。すべて剣を取る者は

剣によって滅びるのです」と言ってペテロを叱責されました。



そうです。

剣に生きるものはいつかきっと、剣で滅びるのです。



ですから剣を取ってはなりません。



剣で解決しようとしても、結局それは暴力の連鎖反応を呼ぶだけで

解決にはなりえないことが多いのです。



そして重大なカタストロフに終焉するしかないのです。



其のことは歴史が教えている通りですね。



「くれぐれも私はあなた方に言っておく。



おおよそ、持てる者はますます富み栄え、反対に持たざる者は



そのもてるものさえも取り上げられるであろう。



これが天の奥義なのである」   マタイ伝13章

1979効果:2020/10/05(月) 18:10:06

 とほかみえみため 言霊について調べてみました
 https://tsuiteruzo.com/tohokamiemitame/

1980シャンソン:2020/10/07(水) 01:04:59

 日本教文社の『ひかりの語録』は品切れになっているそうですが、

 雅春先生の「聖詩」の数々は以下でも読めるようです。

 https://www.hmv.co.jp/artist_%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5_000000000692805/item_%E6%96%B0%E7%B7%A8-%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%AF%A6%E7%9B%B8-%E7%A5%9E%E7%A4%BA%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%8F%E3%82%8B%E8%BF%84-%E4%B8%8B-%E3%83%BB%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E7%AC%AC33%E5%B7%BB-%E8%87%AA%E4%BC%9D%E7%AF%87%E3%83%BB%E8%81%96%E8%A9%A9%E7%AF%87_9498438

1981転載:2020/10/09(金) 01:26:25

  国籍・宗教に関係なく届く写経
 https://ameblo.jp/holypurewhite/entry-12287403759.html

1982転載:2020/10/09(金) 01:39:57

   宗教界の震災支援が報道されない理由
 https://www.circam.jp/reports/02/detail/id=2007

1983シャンソン:2020/10/15(木) 23:56:28

『人間には聖性と魔性の両面がある。聖性を優位にし、魔性を劣位にする、という闘いこそがジ・ハード(聖戦)なのである。』

1984シャンソン:2020/10/15(木) 23:59:41

 過去を思い出せない者は、過ちを繰り返す運命になる

  ジョージ・サンタヤーナ (哲学者)

1985転載:2020/10/16(金) 00:03:43

 👓色眼鏡を外さないと、真実は見えない フッサール

 先入観があるとそれが邪魔をして真実が見えません。

常識や先入観に流されず、冷静な視点で対象物を見なければならないわけです。では、その対象物が『結局何であるか』ということを認識するためにはどうすればいいか。それはこの場合、『多くの人がなんと言っているか』という事実と照らし合わせながら決めるわけです。意見はそれぞれの確信に基づくものだから、確信の合致がすなわち『認識』ということになります。もちろん、その人たちの確信すべてが間違っていることもあります。だからここで言われているのは『認識』であって『真実』とは言っていないのです。真実を見極めることはそれだけ難しいということですね。

1986転載:2020/10/16(金) 00:09:48

ソクラテス『大きな湖も少しずれた高い丘から見ると、その形がわかるように、この裁判も少しずれたところから眺めると、真実が見える。』

1987転載:2020/10/16(金) 00:13:09

キリスト『そもそも人間が、誓いなど出来ない。もしそれが出来ると言うのなら、偽善者である。』(超訳)

1988シャンソン:2020/10/16(金) 21:24:50

パスカル『真理が支配しているときに平和を乱すことがひとつの犯罪であると同様に、真理が破壊されようとしているときに平和にとどまることも、やはり、ひとつの犯罪ではないか?』

1989転載:2020/10/16(金) 21:26:45

ベンジャミン・フランクリン『今日のたいていの読者は、自分の読む文章の作者が誰であるか、何をしている人かということをある程度知らないうちは、なかなかその文章を褒めたり貶したりしたがらない。』

1990転載元:2020/10/16(金) 21:29:02

 ヒトを最適化しよう 人生の黄金律を
 https://www.a-inquiry.com/category/goldenrule/

1991転載:2020/10/17(土) 00:50:48

   「神の国はあなたがたの間にある」

 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17・20-21)

1992シャンソン:2020/10/20(火) 20:35:59
  自分で自分を拝めるような生き方をする

    嘘ひとついい得ぬほどに変りたる
     身の愛しさを尊く思ゆ

 これは三十三歳で死刑になった島秋人の歌です。
 鬼も仏も出す材料のすべてを持っているお互いが、
 よき縁に会うことで、自分で自分の生命を拝みたくなるような
 人生へと転換することができた島秋人のことを、変えられないと
 嘆く若者に私はよく語ります。

 島秋人は満州で生まれ、戦後、両親と共に引き上げてきました。
 非常に困窮していて、お腹が空いて押し入った農家の主婦に抗われ、
 思わず首をしめて殺してしまった。

 死刑囚として獄中につながれる身になり、ようやく静かに自分の人生を振り返る
機会を持つことができたのです。三十二年の生涯のうち、ほめられたのはたった一度、
中学のときの絵の先生に「お前は絵は下手だが、構図がいい」とほめられたことを思い出し、
なつかしさのあまり、獄中より手紙を出しました。

 先生よりすぐ返事がきた。その返事には、奥さまの作られた歌が添えられてありました。
この歌がきっかけとなり、歌人で国文学者の窪田空穂について歌を作るようになり、歌に導かれ、また、
キリスト教と出会いもあり、人生観が大きく転換してゆきます。

 身に持てる優しさをふと知らされて 神の賜わる生命と思う

 世のためになりて死にたし死刑囚の眼はもらい手がなきかもしれぬ

おくればせながら生命の尊さに目覚めることができた。何かよいことをして死んでゆきたいと思う。
けれど獄中の身、何もできない。この眼はまだ三十三歳で若くして使える。アイバンクに届けて、死刑の後、
使ってもらおうと考える。しかいこの眼の持ち主が死刑囚とわかったらもらい手がないだろうか....。
そんな思いが伝わってきます。

 あるお寺の本堂に「五尺の躰、借用証文」と書かれた額がかかげられており、
思わず書きうつしてきました。「煩悩具足の身、右は仏法聴聞のご用につき、借用つかまつり候。しかるに老少不定の
世界に候間、無常の風吹き次第、何時にても御返済申すべく候、云々」

 差し出し人は「娑婆国の念仏行者」、宛て名は「閻魔大王殿」。
「煩悩具足の身」、つまり鬼も仏も、何でも出す材料のすべてを持っているこの身心。まずは何に使うか。自分の生命がほんとうに愛しいと
思ったら、鬼は出せなくなります。仏を出さないでおれなくなります。

 最高の生き方を、島秋人が、「神の賜わる生命」と自分で自分を拝めるような生き方をしないではおれなくなります。
そのためにはよき縁に出会わねばならない。よき師に、よき師を通してよき教えに出会うことで、
択ぶ目を育てなければならない。そのために、この身心をしばらく拝借したいのだということです。

 みんないちばんいいものをさがそう
 そして ねうちのないものに、
 あくせくしない工夫をしよう

 と歌った、詩人の八木重吉の心を思うことです。

   『泥があるから、花は咲く』 正法寺住職

1993シャンソン:2020/10/23(金) 19:50:24
   正しい師匠に出会えないなら、学ばないほうがよい

 参禅会のあと、一人の青年が残りました。
「孤独な学問の淋しさに堪えかね、A氏を正師と見あやまって入信してしまいました。
択ぶ目のなかった私にあやまりがございました。いつはやくその教祖のいっていることの
まちがいに気づき、出て参りました。宗教的無知の中に入ってしまったまちがったものの見方を
訂正するのに必死です。教えてください!」

 大学で宇宙物理学を専攻しているという優秀な青年の、血を吐くような叫びでありました。
夜の十時すぎ、(夜の十時までが講義ゆえ)しんしんと更けゆく夜のしじまを、必死な青年のまなざしを見ながら、
私は語りました。

「道元禅師のお言葉に『正師を得ざれば学ばざるにしかず』(『学道用心集』)というのがあります。
人生の正しい師匠を得ることができなかったら、むしろ学ばないほうがよい、とおっしゃり、師と学人の関係を大工と材木にたとえて
示されました。たとえ材料がどんなによくても、腕のない、目のない大工に出会ったら台なしにされるだろう。

たとえ材料が曲がっていたり節があっても、目のある、腕のある大工なら、その曲がりを生かし、節を生かしてくれるだろう。
だから人生の正しい師匠に出会えなかったら、むしろ学ばないほうがよい、とまでおおせられています。

  茅をつかみそこぬれば
  その手を傷つくるがごとく
  あやまれる求道は破壊に導く 『法句経』

1994シャンソン:2020/10/23(金) 20:10:01
>>1993

これはお釈迦さまのお言葉です。私は若い頃、よく山へわらび狩りやきのこ狩りにに行きました。
足をすべらせてころびそうになったとき、不用意につかんだ草がすすきだったら手を切るように、
人生の旅路でころびそうになったとき、つかんだ教えがまちがっていたら、一生を台なしにしてしまいます。

 ところが問題は、正師か正師でないかを択ぶのは、択ぶ目のない学人のほうにあるということです。
『ころばぬ先の杖』という言葉がありますが、日頃から『ほんとうの宗教とは何か』『正しい信とは何か』を、
心して学んでおかねばなりませんでしょうね」と。

「信は心をして澄浄ならしむ」(『倶舎論』)という言葉があります。
よく「鰯の頭も信心から」などといわれます。たしかに「病は気から」といわれる一面があり、
その気を病むという部分は、この種の信によっても立ち直ることはできましょう。
しかし、冷厳な智慧の裏打ちのない、いわゆる妄信は、迷いを深めるだけで解決にはなりません。

ほんとうの信は、鰯は鰯と見られることです。のぼせあがることではなく、のぼせ下がることです。その人に、その教えに、
その宗教に酔っぱらうことではなく、徹底的に真と偽を、是と非を見分け、択び分けた末に、まちがいなしとそこに落ちつく、澄み浄まることです。
冷厳な智慧を裏打ちとしての信であることを忘れてはなりません。

 何が真か、何が是か、立場が変わると是非が逆転するようなのは、ほんとうの真でも是でもない。
たとえそれが神の名のもとに叫ばれようと。ときと所を超えて変わらぬものこそ、ほんとうの真であることを忘れてはなりません。

   『泥があるから、花は咲く』 正法寺住職 愛知専門尼僧堂堂長

1995転載:2020/10/23(金) 20:29:24

A certains moments de notre vie, notre propre lumière s’éteint et se rallume par l’étincelle d’une autre personne.

-Albert Schweitzer アルベルト・シュヴァイツァー(1875 – 1965) 医師、哲学者、神学者

人生のある時に、私たち自身の灯が消えてしまう時があります。そしてその灯が誰かほかの人の火花によってふたたび灯されることがあるのです。

1996転載:2020/10/23(金) 20:35:12


Le bonheur n’est pas un concept prêt-à-l’emploi. Il vient de nos propres actions.

-ダライ・ラマ14世 Dalai Lama 14th ( 1935 – ) チベットの国家的・精神的指導者

幸福というものは出来上がったコンセプトではないのです。それは、あなた自身の行動から生まれてくるものなのです。

1997転載:2020/10/23(金) 20:37:34

-マヤ・アンジェロウ Maya Angelou ( 1928 - 2014 ) 詩人、歌手

人々はあなたの言ったことを忘れるでしょう。人々はあなたがやったことを忘れるでしょう。でも、人々はあなたが彼らに感じさせたことを絶対忘れないでしょう。

1998シャンソン:2020/10/27(火) 22:45:53
   本有種子 意識以前の深い流れ

 自分の宗教以外を異教徒と呼んで門を開こうとしなかったキリスト教が、
2000年の歴史を破り、諸宗教との対話を打ち出したのが昭和37(1962)年。
東西霊性交流という形で具現化したのは昭和54年以降。

 当時46歳の私は「日本の尼僧を代表して是非に」と推薦され前後3回にわたり訪欧。
禅や禅文化としての茶・華道の紹介を兼ね、修道院生活を体験する機会を得た。多くの学びや考えさせらえることの
中から一つを取りあげてみたい。

 ベルギーの修道院での講演のあと、日本の修道女が次のように語ってくれた。
「頭では承知でカトリックのシスターとなり、ヨーロッパに骨を埋めようとして何十年の歳月が過ぎました。
どうしたことかわかりませんが、年を経るほどに、仏教の話を聞いたりお経の声を聞くと、私の中に流れている血が休まります。
百年という永い間、仏教の話やお経の声を聞いた血が、私の中に流れていて、その血が休まるんですね」

 シスターの言葉を聞く私の脳裏を、岡潔先生の言葉であったかと思うが、よぎった。
「先祖7代、日本に住んだ者なら、本人は初めて日本の文化にふれても、理解することができるであろう」
仏教の深層心理学ともいえる『唯識』ではこれを本有種子と呼ぶ。例えば生命を河の流れにたとえる。

大きくは太古から、時を経ては東洋、西洋という、更には日本という、もっと近くはわが家の家系という流れを、
始めから頂いてこの世に生を受ける。これを本有種子と呼び、意識以前の深さにおいて流れ、支配されている。
音一つでも教会での往復鳴る音より、寺の梵鐘の音色のほうがしっくりくるように。

 ローマで活躍された尻枝神父、カルメル会の奥村一郎神父、諏訪におられた押田神父、そして渡辺和子シスター等々。
多くの方々と親しくさせていただいてきたが、欧米のカトリックの方々とどこか違う。
又、私もしばしばカトリック系の大学や修道院へお話に出かける。彼らや彼女らが語る。
「ヨーロッパから招いた神父の話より、先生の話のほうがシックリくる」と。

日本に仏教が伝わって1500年。日本人という、その上に1500年の長きにわたって薫習されてきた仏教という本有種子の流れが同じだから、
ということができるのではなかろうか。意識以前の深い流れとして頂いてきた本有種子というものの働きを大切にせねば、と、和子先生のお話を聞く度に
思ったことである。

   『さずかりの人生』 青山 俊董 著

1999シャンソン:2020/10/28(水) 02:28:18

    救済の多様性 生長の家➀
 https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs000016b5oe-att/GT197-yamada.pdf

2000シャンソン:2020/10/30(金) 11:38:55

神様はいつも(always)、あなたがどんな道を歩こうとも、すべての道で(all ways)あなたと共にいます。

    ニール・ドナルド・ウォルシュ

2001転載:2020/10/30(金) 19:24:47

    宗教家たちの名言集
 https://meigenkakugen.net/category/%e5%81%89%e4%ba%ba/%e5%ae%97%e6%95%99%e5%ae%b6/

2002シャンソン:2020/10/30(金) 22:04:02
       妻の死に憶う

「先生、案外お元気な御様子に安心しました。」
やまと練成会で沢山な誌友さんから御親切なお言葉をかけて頂いて、
その御愛念に感謝するとともに、自分でも不思議な冷静さに驚いています。

 妻は、平成四年の末から腎不全が進行して、二年振りに人工透析をしましたが、
病状が思わしくなく、約二カ月前から入院、それでも週一回は大好きな入浴に外泊も許されていたのです。
でも去る四月九日、突然吐血を致しまして急変、十四日朝、遂に永遠の眠りにつくに到りました。
享年八十歳の生涯でした。こと切れた後、酸素をとるとあの苦痛に満ちたけわしさがすーっと消えて、
平素の安らかな、少しほほ笑みを感じさせる様な表情に思わず、

「ああ、楽になったやろな、もうお前を苦しめるものは何もないのだよ。さあ、ゆっくりとお寝み」
両掌で妻の顏をじっと抱き抱えて、心の中で話しかけていました。
十五日のお通夜と十六日の葬儀には、夫々驚く程の人々が御参列を賜り、皆様の御愛念に改めて感謝の念を厚く致しました。
葬儀には、特に教化部長の御愛念により教化部道場を使わせて頂き、感激この上もありません。

 妻は、白衣の天使でした。薬剤師として赴任した私と結ばれて、お互いに二十三歳の若さで結婚、今日に至りました。
三人の子宝に恵まれ、素晴らしい嫁や孫にとりまかれて、糖尿病という持病は持ちながらも、本当の幸せな人生であったと思います。
当初は私の母との多少の苦労はあったでしょうが、よく家業を支えて、私の光明化運動に蔭から貢献して頂きました。

 新旧両道場の建設には、矢張り妻の祈りがあったのだと思います。
特に新道場の敷地が思う様に決定しないと言って、嫁と二人で、千羽鶴を三千羽と薬玉を千個,毎夜遅くまで折っている姿が、昨日の様に思い出されます。
健康な頃は旧道場の早朝神想観に、私と偕に毎日参加してくれました。

 生長の家で、人間は霊であり、生き通しであると教えて頂きましたが、有難いことに、今、妻の死を通してそのことが漸く解らせて頂きました。
生きている間は、妻は肉体を通して行動をしていたのですが、肉体が無くなった今、妻の写真を見ていると、その写真を通して私に何か語りかけてくるのです。
特にその瞳は私の行く処に正確に移してきます。思わず写真に顔を近づけて
「お前は私ばかり見ているね。私は何処へも行きゃしないよ。私はお前の中にいてお前は私の中にいるよ」と
思わず叫んでしまうのです。

 私は今少しも淋しいとは思わないのです。でも、四十九日の逮夜もすみ、子供達が毎夜顔を見せなくなったら、
私は少し泣くかも知れない。でも私の心には、妻が霊界に常に生きていると自覚させて頂く為に、今後も大好きな光明化運動に
積極的に参加させて頂こうと思う。それが私達に寄せて頂いた多くの人々の御愛念に報いる道だと思わせて頂いています。

 妻が危篤になった十三日から十七日迄は、市内小・中学校の検尿で、私達は毎日午前中不在になることになっていました。
でも学校に迷惑をかけられないし、何日に変更したら良いかと心を痛めましたが、十五日から十七日に延期して頂き、十四日の検尿を丁度終えたところに
電話がかかり、幸いに臨終に間に合わせて頂き、妻は矢張り私の仕事に迄配慮してくれていたのだと理解させて頂き、嫁とも、しみじみ喜ばせて頂きました。
そして妻は大好きな白鳩会の日に昇天しました。生前御厚誼を頂きました白鳩の皆様に
心から感謝します。(平成五年四月)

    『幸福への階段』 北尾巳代次 著

2003神の子様:2020/11/01(日) 20:36:15

生長の家の信仰 (5530)
日時:2018年09月24日 (月) 21時11分
名前:トキ

 平成が終わりますが、次の時代になると、ますます日本の国は変わるような気がします。

 例えば、昔は人生50年、軍人半額と言われましたが、今は90歳、100歳の人は珍しくありません。また、外国人の姿を見ることも普通になりました。そうするとライフスタイルも変化します。要するに昭和の時代の常識がそのまま通らない時代になろうとしています。でも、人間が悩まないことはありませんから、救済自体は必要になります。

 今までは、生長の家総裁の教義の解釈が唯一無二の存在で、信徒は疑いを持ってはいけないと指導をされていました。しかし、現在の教団の惨状をみると、その解釈が到底正しいとは言えないです。一部の狂信的な人は別にして、もはや総裁の「ご指導」がとんでもないと大半の信徒が感じていると思います。

 すると、次にどうすべきか、という聖典に典拠する姿勢を取るしか信徒に道は残されていないでしょう。これからは、過去に存在しなかった事案に対応する必要が出てきます。その時には、原理原則に戻り、信徒一人一人が祈り、聖典を調べて、自分なりの答を見つけるという姿勢しかなくなるでしょう。

 さらには、私個人は、まずは一人一人の救済から全てが始まると思っています。自分も救われ、周囲の人たちも幸せになる。その姿勢が大事ではないか、と勝手に考えています。

2004シャンソン:2020/11/03(火) 10:52:28
【拝察】 の解説

[名](スル)推察することをへりくだっていう語。「御健勝のことと拝察いたします」

2005シャンソン:2020/11/03(火) 20:13:46
    あの世の受容なくして医療問題の解決なし

 さて、本書のテーマに照らすと、そろそろあの世や魂や輪廻転生についても理解することが
必要でしょう。これらはフェイクニュースではなく実在します。

 私自身、これまで自著で観測気球的にふれるような感じでした。えもこれからは避けることなく語ります。
令和二年はそういうタイミングだと思います。私が在籍した医療の世界では、あの世の存在を理解する人(医師)がほとんどいませんでした。
一般の方のほうが割合としては多いでしょう。仮に診療中に超常現象に出くわしても、なにも見なかったことにするくらいです。

 デビュー作『人は死なない』(バジリコ)で書いた医療現場での不可思議な話はすべて事実ですが、それ以上の情報が医療現場には存在します。
でもそれらの情報を出すことを、現場スタッフは憚ります。なぜか?
頭がおかしい、常識のないおかしな奴、などと噂されるからです。噂には尾鰭がつきます。自分が親しい人や周囲の協力的な人までが変人扱いされると迷惑がかかります。
本来、科学の世界に身を置く人は、自分が見たものや体験したことを冷静に受け止めるべき立場にありますが、体験者である医療人(とくに医師)の大半は否定に終始します。
自分の知識外にある現象を認めたくないのでしょう。

これが日本の医療界、ひいては科学界が持つ「意識の壁」です。
えすが、あの世や魂や輪廻転生を理解しなければ、医療問題は解決しません。現在の医療のうわべを撫でているだけ。
この世界の真実がわからないと解決しようがありません。それにはまず、あの世という存在を認知すること。
ではあの世とは?どこにあるのか?

 そう尋ねられたら、どこか遠くにあると答えるのは間違いです。そうではなく「自分がいる同じ空間で違う次元に存在する」と答えます。
次元とはなにか?それは、空間の持つ性質とか、その広がりを測る指標みたいなものだと考えてください
(漠然としたイメージで大丈夫)。
多次元、多次元世界、そんな言葉を耳にしたことはあるでしょうか?

これは「次元の異なる世界の集合体」を意味します。
異次元といえばわかりやすいでしょうか?物理学の世界(とくに量子論)では多元宇宙という言葉が使われており、海外では著名な科学論文が多数発表されています。
ハーバード大学の物理学分野で女性初の終身教授となったリサ・ランドールさんは、
一九九八年にMIT(マサチューセッツ工科大学)で素粒子の共同研究中の実験において高次元世界(五次元世界)の存在に出くわしました。

著書が世界的なベストセラーとなったので、名前をご存じの方もいらっしゃるでしょう。
最先端科学の世界で、高次元や異次元世界が認知され始めています。

    「ねばならない」を捨てて生きる 矢作直樹 著

2006シャンソン:2020/11/03(火) 21:05:33
     陰謀はあらゆる場所にある

 今、メディアに関する話をしましたが、例えば世間が「陰謀」と呼んで笑い、いじったり、茶化したりしがちな情報には、しんじつも
存在しています。別の表現を借りれば、世界を動かす流れには大多数の人々が陰謀と呼んで信じようとしない要素が豊富に含まれている、ということになるでしょうか。
そう書くと、私も陰謀論者だと自称常識人たちからバッシングされるかもしれません。しかし様々な可能性を考えることは大切です。

陰謀というのは知られないようにするはかりごと。多くの人には隠されて進められる目論見のことであり、簡単にいえば隠し事のことです。
この世界には「高度な隠し事」が星の数ほど存在します。戦争にまつわる隠し事、歴史や文明にまつわる隠し事、メディアにまつわる隠し事、天地創造にまつわる隠し事、
事件や事故にまつわる隠し事、政治や経済にまつわる隠し事、ありとあらゆる場所に隠し事が存在します。

 例えば会社や様々な集団の中にも、大なり小なり陰謀が存在します。すべてをオープンにすることはできません。
その上で一般人が知り得ない高度なレベルの陰謀も存在しますが、そういうレベルになると見抜けません。
でも適度なレベルの陰謀なら、それを知る人たちがヒントを出します。UFOのように膨大な数の偽情報(フェイクニュース)の中に一つだけ本物の情報を混ぜるとか、
そういう方法で世に出されます。先ほど真に一つだけ本物の情報を混ぜるとか、そういう方法で世に出されます。

 先ほど真実が存在すると述べたのは、そういう意味です。
たまにゲームチェンジャーと呼ばれる人が、なにかの陰謀を暴いて脚光を浴びる事がありますが、高度な陰部は決して暴かれません。
庶民にわかるような動かし方をしないからです。ある意味、それもルールです。

   「ねばならない」を捨てて生きる 矢作直樹 著

2007神の子様:2020/11/22(日) 22:30:28

   シスター鈴木秀子の言葉
 https://ameblo.jp/tenthijin/entry-11366556388.html

2008歌晩:2020/11/25(水) 10:29:58
 ブログ「生命の実相」を生きるより

   人間の明日という日は

  見えないものであるだけに、

  はじめは闇(ゼロ)の状態なのである。

  明日が来て、

  自分が生きる。

  これは闇の中の、

  光の進軍だ。

  何故なら、自分のいのちは神のいのちだから、

本来は光なのである。

  高村光太郎が

  「僕の前に道はない、

  僕の後ろに道はできる」

  とうたったように、

  自分が神の子として、

  道をつくるしかないのだ。

 どのようにして、闇を明るく照らすのか。

 それには「神の子」を生き方をすればよい。

  愛によって、他を生かす、

  そのような生き方を

  善い言葉によって、

  明るい表情によって、

  すればよいのだ。

  人々に希望を与える生き方を

  すればよいのだ。

  それが闇のなかの光の進軍だ。

  結果など考えないほうがよい。

2009神の子様:2020/11/27(金) 14:44:29
>>2008

仏教では

すぐれた魚は

自分からすすんで、

釣られるものだ、と言われています。

「正法眼蔵を読む」に、そのような文章がありました。

宗教的に素質ある者は

自分から求めて指導者のところに行くものだ、

ということであります。

「生命の実相」の真理は本当にすばらしく、

奥が深いものでありますので、

自分から求めていく人は

本当に霊的にレベルが高いことを

示しています。

私は自分の言葉をつかって、

「生命の実相」の真理を伝えようとしていて、

考え方、思想内容も

自分で納得したことだけを

ここに書いていこうと思っています。

なんとしても、

この素晴らしいみ教えは、

人に知らせないわけにはいかないと

思っているのです。

こういう教えがあること自体、

ほとんどの人が知らないのですから。

2010一年ぶりの更新:2020/11/27(金) 16:56:19

 ハナダさん(tokumeiさんではないと思う)
 改宗を考えるようになりました。
 http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-date-202007.html

2011転載:2020/11/27(金) 23:40:57

物に向えば行じ、神想観に向えば神想観を行い、


聖典に向えば拝誦すればよい。


今を素直に行ずることも全ては神のお計らいであると


解れば、素直にはからわれるままに行じ、


機会はいつも今であり、今を殺さないことに


生命をこめることである。(常楽への道 吉田国太郎)

2012転載:2020/11/27(金) 23:43:45

   「生きているだけで丸儲け」は禅の極意
 https://www.ei-publishing.co.jp/articles/detail/others-435540/

2013転載:2020/11/28(土) 00:01:55

マタイの福音書 11:5-6 盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」

聖書には、すばらしい奇跡が多く記録されている。奇跡のある人生は素晴らしい。今も世界中で、イエス・キリストの名前によって、奇跡が豊かになされています。

最大の奇跡は、今朝目が覚めて生かされていることです。私たちが滅びなかったのは主の恵みによる。その真実は絶えることがなく、朝ごとに新しい恵みです。

その生きている、あるがまままの人生が支えられていることも奇跡です。支えてくれる人がいる幸いを感謝します。

イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われ、新しい生まれ変わりを経験し、新しい人生を生きている奇跡です。神の子とされ、平安で幸せです。

何時も書きますが、1999年11月、東京で左脳内出血、2012年堺市で右脳内出血、同年10月には小脳内梗塞。左右脳内出血と小脳内梗塞で、バランスよく整えられ、元気に生かされていることも奇跡です。
今日も快調に毛婚式打ち合わせ。ランチは生駒市内で美味しいと評判の杏樹で鉄板焼きに招かれごちそうさま。
イカ焼きやあわびも。
何時もはママが牧師は少しでええ良いですねと、鉄板焼きは80グラムにされる。今日は行く前から120グラムを予約してくれていたので、笑ってしっかり食べました。ごちそうさま。

福音=良い知らせ=が、今日も世界中で伝えられ、アーメンと信じる新しい人生が、出会いの度スタートしています。

神の愛をいっぱい受けて、奇跡が輝く歩みの日々です。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

2014転載:2020/11/28(土) 13:49:20

   天河神社近くの南朝北朝和解供養塔
 https://ameblo.jp/shokenchan/entry-11072527919.html

2015転載:2020/11/29(日) 19:55:49

 ときみつる會『心のかけはし』誌も購読してください
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/mode=res&log=8840

2016転載:2020/11/29(日) 19:58:20

   オーストラリア法人と「ときみつる会」は今
 http://hikarinoshingun.giri.jp/15-gohou-no-undou/1503tokimitsuru-kai/H15.11australia-houjin-wa-ima.htm

2017転載:2020/11/29(日) 21:41:55

娘は空中にいろんなマークが見えるらしくて、今年に入ってから 太陽のようなマークが見えていて、絵に描かせたらコロナウイルス そのものだったんです。で、そのマークに向かって「ひふみよいむなや ここのたりふるべゆらゆらとふるべ」と唱えると消えることが 分かりました。 不思議です。。こういうことが普通になるのかしら。。
↑の体験談は鈴木さんのYou Tube動画のコメント欄に書かれていたらしいです。
元々、コロナウイルスが流行りだしてから、鈴木さんはこんな動画をアップされていました。

2018転載:2020/11/29(日) 21:46:04
60歳未満は読んではいけない神道の経典
 受講生は20代の若者からシニア世代まで、実に幅広い。なかでも最も多いのが、60代前後の男性だ。岡田先生は「神道を学ぶには、60代くらいからがちょうどいいのかもしれません」と語る。

「神道は、その人自身の生き方に直結するものなので、若い人よりもある程度人生経験を積んだ人の方が理解しやすい学問だと思います。実際、伊勢神宮には『神道五部書(しんとうごぶしょ)』と呼ばれる経典があるんですが、この経典には、『古老伝曰、六十未満不及披見云々』という一説がある。これは、『60歳未満のものは、この経典を見てはいけない』という意味。つまり、60歳くらいにならないと、この経典を読んでも理解できない、ということなんです。

 私は来年70才を迎えますが、自身の経験を振り返ってみると、『日本書紀』ひとつをとっても、20代の時の理解と60代の時の理解では、深みがまるで違います。長年、神道の研究をしてきましたが、若い頃はどれほど勉強しても、そこから得たのはバラバラのパーツの知識でしかなかったのではないかと最近気づくようになりました。それらのパーツが組み合わさっていって、神道の全体像がわかってきたと思えるようになったのは、60才も過ぎたころからでした。神道は60才から、ですよ」

2019転載:2020/11/29(日) 21:55:30
宗教・オカルティズム

朝倉了昌 正信偈鑽仰 (法蔵館 初版)
高津柏樹 禅機世機(東亜堂書房 小型本初版 縮刷名著叢書45)
谷口雅春 心霊現象と宗教思想(小西書店 初版)
水月哲英編 釈宗演、江村秀山、大内青巒、村上専精、清沢満之、南條文雄 明治29年夏期講習会 仏教講話集(大日本仏教青年会 初版)

2020神の子様:2020/12/02(水) 13:56:09

 『生命の實相』を経営に生かす
 https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/484881c3d63667e28f7df8b912075289

2021転載:2020/12/08(火) 19:56:37
どうしても必要なことはみことばに聞き入る事です

…イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。…私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「…あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことは…一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」          ルカの福音書10章38節〜42節

私たちには心配事は山ほどあって、なかなか落ち着いて過ごすことができない現実があります。しかし、そのような中にあっても私たちが本当にしなければならないことはただひとつ、「神のみことばに耳を傾けて生きる」ということであって、これ以外にはないということを改めて学びたいと思います。

2022シャンソン:2020/12/10(木) 23:52:38

  トキ掲示板では、管理人としての格だとか
  輝子先生の側近だとか、格付けはすきだけど
  レッテルを貼られるのはいや、という
  ややこしい人たちが世間話に必死になっていますが、
  (シャンソンあらしさんもふくめて)

  生長の家信徒以外の方でも
  ブログに聖経甘露の法雨についてこういう
  ことを書かれています。
 
  谷口雅春氏 https://ameblo.jp/isagiko/entry-12535124365.html

2023シャンソン:2020/12/11(金) 02:22:41

  谷口雅春氏「副守護神」について
 https://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/06cfe8c872fcb8d75a3da519f24180e6

2024神の子様:2020/12/18(金) 10:29:56

 シベリアのカルト教団
 テレビで見たけど、ベジタリアンで
 教団のルールの一つに「悪口をいわない」
 子どもやみんな大工教育など職業訓練を受けて

 教団の大工建造物は評判がいいらしい。
 トキさんもこういところで「きこり」を
 やったらいいと思う。マイナス50度だそうだけど。
 https://wired.jp/2014/01/01/vissarion-vol9/

2025転載:2020/12/18(金) 16:31:38

  末端信徒様から素晴らしいコメントを頂きました。
 http://tecnopla1011.blog.jp/archives/83568553.html


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