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非武装信仰板
1933
:
シャンソン
:2020/06/12(金) 18:20:55
生命の尊重
かつて生長の家の青年大会のスローガンに
「吾らは生命を尊び、生命の正しい生き方を人類に弘めよう」
という個条がありましたが、生長の家のこの運動は、「生命尊重」の運動であるのであります。
何故労働というものに値打ちがるのかというと、人間の生命は神の生命の発言であり、従って生命というものが
尊いものであり、その生命の生産的あらわれが労働であるから、労働は値打ちがある、ということになるのであります。
生命のない自働操縦機械ばかりの世の中がもしあったならば、いくら物が出て来ましても、それは労働が注がれていないから値打ちはないわけであります。
もっとも、現在のオートメーション装置が進歩しまして、全生産工場が自働操縦機械で動きましても、その機械は生命がそれに注がれてこしらえられたのですから、
そしてその生命は神より来たものでありますから、全然それは自働的ではない。
神から来たれる生命によって作られた機械とか、いろいろの道具をとかを通してつくられた商品であるから、いくらオートメーション装置によって、それがつくられていても、
間接的には神の生命が注がれているのですから、価値があるということになるのであります。
それが必ずしも商品でなくとも、ありとあらゆる芸術にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、すべて生命を注がれて出てきたものは、これは値打ちがあるのであります。
何故なら生命は尊いもので価値があるからであります。
『人間そのものの発見とその自覚』 谷口雅春先生著
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