したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

非武装信仰板

2002シャンソン:2020/10/30(金) 22:04:02
       妻の死に憶う

「先生、案外お元気な御様子に安心しました。」
やまと練成会で沢山な誌友さんから御親切なお言葉をかけて頂いて、
その御愛念に感謝するとともに、自分でも不思議な冷静さに驚いています。

 妻は、平成四年の末から腎不全が進行して、二年振りに人工透析をしましたが、
病状が思わしくなく、約二カ月前から入院、それでも週一回は大好きな入浴に外泊も許されていたのです。
でも去る四月九日、突然吐血を致しまして急変、十四日朝、遂に永遠の眠りにつくに到りました。
享年八十歳の生涯でした。こと切れた後、酸素をとるとあの苦痛に満ちたけわしさがすーっと消えて、
平素の安らかな、少しほほ笑みを感じさせる様な表情に思わず、

「ああ、楽になったやろな、もうお前を苦しめるものは何もないのだよ。さあ、ゆっくりとお寝み」
両掌で妻の顏をじっと抱き抱えて、心の中で話しかけていました。
十五日のお通夜と十六日の葬儀には、夫々驚く程の人々が御参列を賜り、皆様の御愛念に改めて感謝の念を厚く致しました。
葬儀には、特に教化部長の御愛念により教化部道場を使わせて頂き、感激この上もありません。

 妻は、白衣の天使でした。薬剤師として赴任した私と結ばれて、お互いに二十三歳の若さで結婚、今日に至りました。
三人の子宝に恵まれ、素晴らしい嫁や孫にとりまかれて、糖尿病という持病は持ちながらも、本当の幸せな人生であったと思います。
当初は私の母との多少の苦労はあったでしょうが、よく家業を支えて、私の光明化運動に蔭から貢献して頂きました。

 新旧両道場の建設には、矢張り妻の祈りがあったのだと思います。
特に新道場の敷地が思う様に決定しないと言って、嫁と二人で、千羽鶴を三千羽と薬玉を千個,毎夜遅くまで折っている姿が、昨日の様に思い出されます。
健康な頃は旧道場の早朝神想観に、私と偕に毎日参加してくれました。

 生長の家で、人間は霊であり、生き通しであると教えて頂きましたが、有難いことに、今、妻の死を通してそのことが漸く解らせて頂きました。
生きている間は、妻は肉体を通して行動をしていたのですが、肉体が無くなった今、妻の写真を見ていると、その写真を通して私に何か語りかけてくるのです。
特にその瞳は私の行く処に正確に移してきます。思わず写真に顔を近づけて
「お前は私ばかり見ているね。私は何処へも行きゃしないよ。私はお前の中にいてお前は私の中にいるよ」と
思わず叫んでしまうのです。

 私は今少しも淋しいとは思わないのです。でも、四十九日の逮夜もすみ、子供達が毎夜顔を見せなくなったら、
私は少し泣くかも知れない。でも私の心には、妻が霊界に常に生きていると自覚させて頂く為に、今後も大好きな光明化運動に
積極的に参加させて頂こうと思う。それが私達に寄せて頂いた多くの人々の御愛念に報いる道だと思わせて頂いています。

 妻が危篤になった十三日から十七日迄は、市内小・中学校の検尿で、私達は毎日午前中不在になることになっていました。
でも学校に迷惑をかけられないし、何日に変更したら良いかと心を痛めましたが、十五日から十七日に延期して頂き、十四日の検尿を丁度終えたところに
電話がかかり、幸いに臨終に間に合わせて頂き、妻は矢張り私の仕事に迄配慮してくれていたのだと理解させて頂き、嫁とも、しみじみ喜ばせて頂きました。
そして妻は大好きな白鳩会の日に昇天しました。生前御厚誼を頂きました白鳩の皆様に
心から感謝します。(平成五年四月)

    『幸福への階段』 北尾巳代次 著


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板