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非武装信仰板
1942
:
転載
:2020/06/25(木) 23:45:33
生長の家のみ教えが素晴らしいのは「実相の自由」を得られるからです。この「実相の自由」は、現象世界を超え、現象世界の霊的根底となっている“真実の自己”をさとりそれと一体化することによって得られる自由です。この現象の世では、現象的な事物を“神のいのち”と見抜けず“物質である”と錯誤する迷い心から生じる“神”ならざる想念が原因で生じる“罪と病と死”の業の流転から逃れることは、普通なら至難の業なのです。しかし現象世界は実は“視えない神の国”であるという真理を説いて人々を現象苦から救済すべく挺身したのが、釈迦でありキリストであったのです。さらにその易しくて難しい唯神実相哲学を分かり易い言葉で生涯、聖典として書き残したのが、谷口雅春先生なのでした。この現象世界は、実は“視えない神の国”つまり実相世界(神の理念)なのであって、自分の“いのち”の現われなのです。“いのち”あって肉体の自分がいて自分の現象世界がある。その“いのち”世界こそ“実相世界”であり、“神の子理念”なのです。例えばアジサイの花は視えない“神のいのち”であり、私も、視えない“神のいのち”としてここにいます。時間・空間非実在と知ったときに、まさにその現象のその位置に“神のいのち”在りと分るのであります。藤原敏之先生は宇治錬成のユーチューブ動画で「目に見えるものは心の影で本当にあるものではなく、目に視えないもの(神)が本当にあるのです」と教えています。真理の探究と神想観が不可欠なのは、“真実の自己”と現象の心が一体化し“実相の自由”を得るためなのです。
【人間が自由であるのは、“神の子”であり、至上者(いとたかきもの)の子であるからである。それであるから、己が人生、己が環境を支配する権を与えられているのである。今まで自縄自縛していた自分自身の直ぐ今此処に、“神の子”としての実相の自由があることをわれわれは見ることができるのである。ひとたび、われわれが、自己内在の自由を見出すならば、外界は常に内部の自由に一致したものとなるのである。それを奇蹟と見るならば、それはまことに奇蹟でもある。まことに奇蹟の時は今であるのである】(奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳)
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