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非武装信仰板
1998
:
シャンソン
:2020/10/27(火) 22:45:53
本有種子 意識以前の深い流れ
自分の宗教以外を異教徒と呼んで門を開こうとしなかったキリスト教が、
2000年の歴史を破り、諸宗教との対話を打ち出したのが昭和37(1962)年。
東西霊性交流という形で具現化したのは昭和54年以降。
当時46歳の私は「日本の尼僧を代表して是非に」と推薦され前後3回にわたり訪欧。
禅や禅文化としての茶・華道の紹介を兼ね、修道院生活を体験する機会を得た。多くの学びや考えさせらえることの
中から一つを取りあげてみたい。
ベルギーの修道院での講演のあと、日本の修道女が次のように語ってくれた。
「頭では承知でカトリックのシスターとなり、ヨーロッパに骨を埋めようとして何十年の歳月が過ぎました。
どうしたことかわかりませんが、年を経るほどに、仏教の話を聞いたりお経の声を聞くと、私の中に流れている血が休まります。
百年という永い間、仏教の話やお経の声を聞いた血が、私の中に流れていて、その血が休まるんですね」
シスターの言葉を聞く私の脳裏を、岡潔先生の言葉であったかと思うが、よぎった。
「先祖7代、日本に住んだ者なら、本人は初めて日本の文化にふれても、理解することができるであろう」
仏教の深層心理学ともいえる『唯識』ではこれを本有種子と呼ぶ。例えば生命を河の流れにたとえる。
大きくは太古から、時を経ては東洋、西洋という、更には日本という、もっと近くはわが家の家系という流れを、
始めから頂いてこの世に生を受ける。これを本有種子と呼び、意識以前の深さにおいて流れ、支配されている。
音一つでも教会での往復鳴る音より、寺の梵鐘の音色のほうがしっくりくるように。
ローマで活躍された尻枝神父、カルメル会の奥村一郎神父、諏訪におられた押田神父、そして渡辺和子シスター等々。
多くの方々と親しくさせていただいてきたが、欧米のカトリックの方々とどこか違う。
又、私もしばしばカトリック系の大学や修道院へお話に出かける。彼らや彼女らが語る。
「ヨーロッパから招いた神父の話より、先生の話のほうがシックリくる」と。
日本に仏教が伝わって1500年。日本人という、その上に1500年の長きにわたって薫習されてきた仏教という本有種子の流れが同じだから、
ということができるのではなかろうか。意識以前の深い流れとして頂いてきた本有種子というものの働きを大切にせねば、と、和子先生のお話を聞く度に
思ったことである。
『さずかりの人生』 青山 俊董 著
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