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非武装信仰板
1992
:
シャンソン
:2020/10/20(火) 20:35:59
自分で自分を拝めるような生き方をする
嘘ひとついい得ぬほどに変りたる
身の愛しさを尊く思ゆ
これは三十三歳で死刑になった島秋人の歌です。
鬼も仏も出す材料のすべてを持っているお互いが、
よき縁に会うことで、自分で自分の生命を拝みたくなるような
人生へと転換することができた島秋人のことを、変えられないと
嘆く若者に私はよく語ります。
島秋人は満州で生まれ、戦後、両親と共に引き上げてきました。
非常に困窮していて、お腹が空いて押し入った農家の主婦に抗われ、
思わず首をしめて殺してしまった。
死刑囚として獄中につながれる身になり、ようやく静かに自分の人生を振り返る
機会を持つことができたのです。三十二年の生涯のうち、ほめられたのはたった一度、
中学のときの絵の先生に「お前は絵は下手だが、構図がいい」とほめられたことを思い出し、
なつかしさのあまり、獄中より手紙を出しました。
先生よりすぐ返事がきた。その返事には、奥さまの作られた歌が添えられてありました。
この歌がきっかけとなり、歌人で国文学者の窪田空穂について歌を作るようになり、歌に導かれ、また、
キリスト教と出会いもあり、人生観が大きく転換してゆきます。
身に持てる優しさをふと知らされて 神の賜わる生命と思う
世のためになりて死にたし死刑囚の眼はもらい手がなきかもしれぬ
おくればせながら生命の尊さに目覚めることができた。何かよいことをして死んでゆきたいと思う。
けれど獄中の身、何もできない。この眼はまだ三十三歳で若くして使える。アイバンクに届けて、死刑の後、
使ってもらおうと考える。しかいこの眼の持ち主が死刑囚とわかったらもらい手がないだろうか....。
そんな思いが伝わってきます。
あるお寺の本堂に「五尺の躰、借用証文」と書かれた額がかかげられており、
思わず書きうつしてきました。「煩悩具足の身、右は仏法聴聞のご用につき、借用つかまつり候。しかるに老少不定の
世界に候間、無常の風吹き次第、何時にても御返済申すべく候、云々」
差し出し人は「娑婆国の念仏行者」、宛て名は「閻魔大王殿」。
「煩悩具足の身」、つまり鬼も仏も、何でも出す材料のすべてを持っているこの身心。まずは何に使うか。自分の生命がほんとうに愛しいと
思ったら、鬼は出せなくなります。仏を出さないでおれなくなります。
最高の生き方を、島秋人が、「神の賜わる生命」と自分で自分を拝めるような生き方をしないではおれなくなります。
そのためにはよき縁に出会わねばならない。よき師に、よき師を通してよき教えに出会うことで、
択ぶ目を育てなければならない。そのために、この身心をしばらく拝借したいのだということです。
みんないちばんいいものをさがそう
そして ねうちのないものに、
あくせくしない工夫をしよう
と歌った、詩人の八木重吉の心を思うことです。
『泥があるから、花は咲く』 正法寺住職
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