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『web「生命の實相」輪読会』 板

1トキ ◆UMw6UoGELo:2016/03/15(火) 11:09:09 ID:lgv9ASqI
 このスレッドは、生長の家信徒の人達の『web「生命の實相」輪読会』のために作成したスレッドです。『web「生命の實相」輪読会』についての話題は、このスレッドでお願いします。

(注意点)

 基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。

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 このスレッドは、「生命の實相」輪読会という目的だけの使用するスレッドです。それ以外の投稿はできません。目的外の投稿はすぐに削除します。

 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」ならびに輪読会リーダーの判断になります。ご理解下さい。

 目的外の投稿を繰り返す人は、管理人ならびに輪読会リーダーの判断で、投稿禁止にさせていただきます。

 それ以外の注意点は、他のスレッドと同じです。

 ご不明の点は、「コメント」板で管理人または輪読会リーダーへお尋ね下さい。

では、このスレッドを利用して、生命の実相の勉強をお楽しみ下さい! よろしくお願いします。

201a hope:2016/07/31(日) 19:52:51 ID:vdNCBnG6

みなさん こんばんは。

今日で7月も終わりますが、第8巻が終わらないので第3回「生命の實相」輪読会をこのまま継続させていただきます。

「われらの祈願および修養」は、生長の家の信徒の「神の子」としてとしての心構えや、なすべきことが確認できる素晴らしい内容です。
みなさまのご参加を心からお待ちしています\(^o^)/

202a hope:2016/07/31(日) 19:53:24 ID:vdNCBnG6

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第3回 web「生命の實相」輪読会案内 改訂版

期間   平成28年6月1日〜8月31日まで
テキスト 第28巻 久遠仏性篇 下
内容   8月1日〜「われらの祈願および修養」p43〜
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

203a hopea:2016/08/04(木) 18:09:38 ID:vdNCBnG6
十二、吾らはすべての人類をして健康と幸福と安住との生活を得しめんがため、この光明思想『生長の家』をひろめ全人類に真理を伝えん事を期す。

【第十二条 説明文の抜粋】 副題 「真理を伝えるのは愛の道」
生命の實相第28巻 p53 10行目〜

さて、この光明思想「生長の家」を人類に弘めるということは、何も自分が物質的利益を得るために弘めるのでもなければ、自分は人に道を説くところの第一番の高き導師(どうしであるという名誉心を満足せしめるために弘めるのではない。ただわれわれは、自分が仏であるという自覚を得たときに、そうしてまた他の人々も同じく仏であるということを知った時に、その仏であるべき人間が仏でないような相(すがた)の現われているのを見た時に気の毒になってたまらない、自分は仏である、あの人も仏であるのに、あんなに仏でないと思って、あんなに貧しい相(すがた)をし、あんなに病める相(すがた)をしている、あんなに悲しい相(すがた)をしている、とどうも気の毒でならない、とこう気がついた時に、どうしてもその人が仏であるという実相を知らせてあげなくてはならない衝動に駆られるのです。

これは結局「自分と他とは本来一体である」事実から出てくる衝動であって、自分が仏であるということがわかったら相手に対しても仏であるということを知らせずにおれない。

自分が神であるということがわかったら相手に対してもまた神であるということを知らさずにはおられない――これが自他一体の愛――仏の愛であり、神の愛である。

そしてそれを実行するのは菩薩の行であるわけであります。
(つづく)

204a hopea:2016/08/04(木) 18:10:45 ID:vdNCBnG6

>>203 a hope 所感)

ここに、真理を大悟された谷口雅春先生が、人類の苦悩を見て大慈悲心をおこされ、
「生長の家」の火をかざさして人類の前に起たれた時の心境が述べられています。

「気の毒でならない… 実相を知らせてあげなくてはならない… 衝動に駆られる…」と、
心の内側から湧き起こってくる感情(慈悲心)に突き動かされた様子がとてもよく伝わってきます。

まことに「自他一体」を悟ると、自分の利益や名誉などどうでもよくなり、人類救済のために起たずにはいられなくなってしまうようですね。

206a hopea:2016/08/08(月) 12:55:30 ID:xVBwxesw
(>>203つづき)
「生命の實相」第28巻 p54 7行目〜

ですから、この「生長の家」を弘めるというと、何か雑誌を弘めるというようにお考えになる方もあるかもしれませんけれども、これは雑誌を弘めるのではない、「仏」を弘めるのである、「神の子」をひろめるのである。

すべての人間を「仏」にし、「神の子」にする言葉の響きを弘めるのであります。

キリストは路傍で説教した。日蓮は辻説法した。

これは何も自分自身のためにするところの運動ではない。

辻で説法するのは下品だとか何だとかいっておれないのは人類を愛するからなのです。

すべての人間を、われ自らのごとく愛するから、その悟った真理を伝えずにはいられないので、世間から見たら格好が、悪いのいいのといってはいられないのです。

自分自身が「神の子」であり「仏」であると悟ったらそれを全人類に弘めなくてはいられない。

ですから今までいろいろ宗教が現れてきておりますが、すべての教祖はその已(や)み難き衝動に駆られて「仏」を伝え、「神の子」を伝えたのであります。
(つづく)

207a hopea:2016/08/08(月) 12:56:54 ID:xVBwxesw

>>206 a hope所感)

本当は「仏」「神の子」を人類に伝えるのが、「生長の家」の人類光明化運動なんですよね…。

ですが、

<<すべての教祖はその已(や)み難き衝動に駆られて「仏」を伝え、「神の子」を伝えたのであります。>>

とありますから、悟り切れていないわたしたち信徒には、その<<已(や)み難き衝動>>が足りないのかもしれませんね。

谷口雅春先生が起こされた「生長の家」も、谷口雅春先生が天界に昇天された今はこのように混乱してしまっています。

つづけて謹写していきます。

208a hopea:2016/08/08(月) 17:03:17 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第28巻 p55

しかしそれぞれの時代、その環境に応じて、その教えを伝え広める形式は変わってきたのであります。

過去の時代には、通信機関や印刷機関が不便でありましたので、おおむね直接説法によらなければならないから、説法のコトバの力で「仏」を大量生産することができなかったのであります。

ところが、現代においてはこの「生長の家」が出現して、印刷物によって「仏」をヒビキ伝えるという不思議な、現代応現の用(はたらき)というものが出てきたのであります。

現代のようにこんなに人口が殖え、そうして学問が進歩し、印刷術が発達している時代に、今までのような姑息な、単に教会という一つの建物、あるいは寺院という一つの建物の中で牧師や坊さんが喋っているというだけでは、なかなか人類全体に「仏」を伝えることはできないのです。

ですから、この時代に最も相応(ふさわ)しく、活字の力というもの、印刷の力というものを以て、また大量生産的に「仏」の響きを出させて、したがってまた大量生産的に救われるということになったのであります。


そんなわけで、この「生長の家」からでる出版物は、活字を組んで列(なら)べてあるだけでありますけれども、その列んでいる言葉そのものは「仏」のヒビキでありますから、解脱して自由自在になった生命のヒビキでありますから、『生長の家』がある誌友のところへ着いただけでその誌友の病気がよくなったとか、あるいは乱視が治ったとかいうふうな不思議なことも往々起こってくるのは、「生長の家」の出版物が単に活字を列べて紙の上に印刷してあるというだけのこのではない、そこに文字に「仏」の自在無礙の響きがあり、言葉に「神の子」の解脱の響きがあるからであります。

その言葉の響き、文字の響きを全世界に弘め、これによって全世界が光明化され、それを受け取りそれを読んだすべての人が自己のうちに宿っている仏の響きに共鳴して、発現されて、そうしてみなみな自分が仏であるということを自覚することができる。

こうなれば「仏陀(ほとけ)」の大量生産が成就するのであります。

209a hopea:2016/08/08(月) 17:04:24 ID:xVBwxesw
>>208 a hope所感)

そうなんですよ。
たとえ、谷口雅春先生がもうこの現象界にいらっしゃらなくても、わたしたちには「生命の實相」を始めとするたくさんの聖典があるのです。

たくさんの聖典を残して下さった雅春先生に心から感謝します。
ほんとにわたしたちは幸せですね!

210a hopea:2016/08/09(火) 19:10:17 ID:xVBwxesw
十三、吾らは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝(ようはい)し奉り、次いで一家の祖先の霊魂を祀れる祭壇又は仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、且つ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年の如く生きんことを期す。

【第十三条 説明文の抜粋】副題 「皇室および一家の祖先を礼拝せよ」
「生命の實相」第28巻 p65 後から3行目〜

このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、生長の家の真理の根本を貫くところのものであります。

これがハッキリわからなければ「皇霊を遥拝(ようはい)し」ということの意義もわかりません。

皇霊を礼拝するということも虚礼ではありません。

いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。

そしていろいろの日本国の興隆浮沈(こうりゅうふちん)はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展してきました不倒翁(おきあがりこぼし)の重心のごとくドッシリとして、その中心がどんな時にも日本国が立ち直ることができた重心は天皇がましましたからであります。

われわれは歴代の天皇のこの御恩沢(ごおんたく)を忘れてはならない。

恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。

だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠(まこと)を捧げるのであります。

211a hopea:2016/08/09(火) 19:11:16 ID:xVBwxesw

>>210 a hope所感)

天皇陛下が生前退位に関するお気持ちを表明された映像を拝見しました。

一つ一つのお言葉に気持ちをこめられて、丁寧に文章を読みあげられている天皇陛下を拝見していて、
たいへん不遜ではありますが、わたしの心に肉身のお父さんの言葉を聞いているような不思議な感情が湧き上がってきました。

天皇陛下は、全国民のことを、自分の肉身の子供のようにお感じになっておられるのではないか・・・?

お言葉の中に、「とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」という件がありましたが、
天皇陛下におかれましては、わたしたち全国民が家族であるとお感じになって、
その家族の心からの安寧を思っての今回のお気持ちの表明だったのではないかと感じました。

わたしは、天皇国日本に日本人として生まれたことを誇りに思っています。

そして、天皇陛下、皇后陛下を心から敬愛しています。

212a hope:2016/08/13(土) 11:26:20 ID:xVBwxesw
>>211 訂正

肉身→肉親と置き換えて読んでください。大変失礼しましたm(__)m

213a hope:2016/08/13(土) 11:26:55 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第28巻 p68 6行目〜

「実相の生命」には来世ということはない、生まれ更(か)わるということはないのでありますが、仮存在としての生命は生まれ更わるのであります。そうしてこの肉体の世というものもこの仮存在の一つであります。さて、その仮の世というものが何でできているかと申しますと、業でできているのです。業というのは何であるかというと、「念波」であります。「念波」の集積が業であります。

そこでわれわれの肉体というものは、科学的にはこれは物質の体(たい)で、物質の体とは何であるかというと、エーテルの波の中にできた渦巻の塊(かたまり)である。そのエーテルも本来無いというような最近の説もありますが、結局「何もないもの」無の一種の波であることになっているのであります。

そんなわけで、この肉体というものも何もないものも一種の波であるのでありますが、肉体として現われている波と、霊魂として現われている波とがあるのです。眼に見える波動(すなわち肉体)だけを存在すると思ってはなりません。眼には見えない、われわれの五官に触れない無数の波動が存在することを知らねばなりません。赤外線でも紫外線でも眼に見えませんが、眼に見える可視的光線よりもかえって強い働きを現わすのであります。

われわれはこの地上の生活においては肉体という眼に見える波動的体を現わして、この物質界という波に触れることによって、この波の世界ならでは体験するできない経験を得て、だんだん修行しつつ、この地上の生活によって「有」の第一段階を終えると、今度は肉体という粗雑な波動の体を脱いで、そうしていっそう精妙な霊体の波だけになるのであります。これがいわゆる日蓮上人のいわれた「魂魄(こんぱく)」であり、霊体の波だけになってそうしていろいろまた霊界において活動するということになるのであります。

われわれの祖先も肉体を滅しても霊体の波はやはり存在しておりますので、その霊体の波たるや、その人の悟りの程度にしたがって千差万別の状態を現わしているのであります。それは現世においてもこの肉体という波動的存在がその人の悟りの程度にしたがっていろいろの波を現わして、健康であったり病気を顕わしたりしているのと同じことであります。

(略)

p70 後から6行目〜
ですから、われわれが自身が霊界に行きましても、この世で生活が下手な人は霊界でも生活が下手である。霊界で病気している霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。それはちょうど、下手な画家であれば板の上に描いても布カンバスに描いても依然として下手であるというのと同じであります。ですからわれわれ自身がまたは他(ひと)の霊界における生活状態というものを良くしようと思うと、やはりどんなカンバス――現世とか来世とかいうカンバスがどんなに変わっても――どんな画布(カンバス)の上に描いてもいい絵がかけるようにしておかなくちゃならない。

われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに何でも絵を描くかというと、念波で絵を描くのであります。念波といる絵具をもって絵を描くのでありますから、その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。

最もよい念波は何であるかと申しますと、悟りの念波なのであります。この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施というものでありまして、最も尊い施しであります。われわれは人に物を施すのは、物施といって物を施すのと、それから法施といって悟りの念波を施すのとがありますが、真理(さとり)の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。
(つづく)

214a hope:2016/08/13(土) 11:28:49 ID:vdNCBnG6

>>213 a hope所感)

本当に不思議に感じるのですが、ここで聖典「生命の實相」を学んでいると、その時の状況にピッタリの内容を学ぶように導かれていきます。

わたしは、この輪読会板(web誌友会板)では、ただひたすら第1巻から順番に何の作為もなく聖典「生命の實相」を学ばさせていただいています。

ですが先日、ちょうど天皇陛下が生前退位のお気持ちを表明された映像を拝見した直後に開いたページには、
日本において皇室がどれほど大切なものであるかが述べられていて驚きました。

そしてお盆の入りの今日、謹写した部分には、まさに先祖供養の重要性が書かれています。

本当にわたしは、何かに導かれてここでお勉強をさせていただいているとしか考えられません。

心をこめて、聖典「生命の實相」のお言葉を謹写させていただくことも、とてもよい先祖供養になると思われます。

謹写をつづけさせていただきます。 合掌。

215a hope:2016/08/13(土) 13:02:32 ID:vdNCBnG6
>>213つづき)p71 9行目〜

むろん、われわれは霊界へ行きましても、しばらくの間はこの地上における薫習(くんじゅう)が脱げないのでありまして、地上において御飯を食べておったような霊魂たちは、霊界へ行っても「御飯を食べたいな」というふうな感じがするのであります。

そういう霊魂たちに対して食物をお供えしてあげるということは必要であります。

「食物をお供えしても、お下がりを見ると何も食っておらん。何も食っておらんからあんなことはただ形式的である」とこうお考えになる人もあります。

けれども本当はそうじゃない。

霊魂は何を食べるかというとわれわれがこれをお供え申したいという「念波」を食べるのであります。

それでリンゴならリンゴをわれわれが持って行って「リンゴをお供え致します」と、本当にその念を切実に念ずると、われわれの心にリンゴというものが念によって描かれ、そうして念に描かれたリンゴと、あの人にあげたいというすなわち念送の原動力が結合する。

すなわちリンゴを祖先の霊(みたま)に送ろうという念波の放送により、供える人の念によって造られたリンゴというものが霊魂の世界へ念波の放送に乗って行くということになるのであります。

すると霊界には念によって仮作されたリンゴが出来上がる、そうすると「あれはわたしに供えて下さったのだからいただこう」という気が起こると、すっと自分の口へ入ってしまって、そうして「おいしい、ああ満足した」という気持ちが起こるのであります。

その状態は「無量寿経」に書かれている極楽浄土の状態のようなものであります。

霊界は念波で作られた世界であって、われわれは供養の念を供えて、食べていただくということになるのであります。

むろんもっと向上した霊魂――肉体は無い、何も食べなくてもわれわれは神の生命によって生かされているのであるという自覚を得た霊魂たちは決して何も食べたいとは思わないのでありますけれども、しかし、自分に対する愛念をもって供えて下さったという愛の念(こころ)はやはり喜びとなり、その人を生長させることになるのであります。

霊界は念の世界であって霊魂たちというものは何を食物として生きているかというと、念を食物として生きているのです。

善念は最も生長せしめる滋養物となるし、悪念は霊魂を低下せしむる害物となるわけであります。
(つづく)

216a hope:2016/08/13(土) 13:03:19 ID:vdNCBnG6
>>215つづき)p72 後から1行目〜

ですから、われわれは近親者が旅行でもするという時に、陰膳(かげぜん)というのを据える人がある。

あれもまたはなはだよいことであって、迷信ではないのであります。

その人を目当てに陰膳を据えて、「どうぞおあがり下さい。どうそ健康でいらっしゃいますように……」と念ずると、必ずその念波がその人に通じて、その人が食物に不自由しない、あるいは不自由するようなことがあってもあまり腹が減らないで、念波の食物を吸収しているから腹が減らないで、不思議に元気で働けるということになるのであります。

そういうふうに霊魂の食物というものは、われわれから与えられる善念をもって最も滋養物とするのであります。

ことに、われわれが真理(さとり)の念波を放送して、真理の念波を相手方の霊魂に吸収させてあげるということは霊魂には絶大な供養になる。

それですから、この『甘露の法雨』のようなお経でも、『生命の實相』でも、また真理が書いてあるものならキリスト教の聖書でも、仏教のお経でもよろしいのです。

それを先祖の霊魂に、意味がわかって読んで誦(あ)げるということは大変よろしい。

ただ意味の分からぬ漢文の棒読みを、何が何やら分からないで誦(あ)げているのでは、供養の愛念の放送としてはいくぶん効果があっても、それはサトリの念波ではないから最高の救いにはならないのであります。

最高の救いは、やはり真理のお経を意味が本当に分かって読むに限るのです。

そうしますとそのお経を捧げられる相手方の霊魂は非常に心が富み、心が満腹し、生命が生長するということになるのであります。

ですからわれわれは暇があれば朝晩は必ず「祖先の霊魂の悟りのための供養として……」といって生長の家の聖経『甘露の法雨』を誦(よ)むなり、先祖から伝わっている宗教の経典を読むということにされることが祖先に対する子孫の務めなのであります。
(つづく)

217a hope:2016/08/13(土) 13:04:22 ID:xVBwxesw
>>216つづき)p74 4行目〜

よく病気の方で、あんたは祖先の障(さわり)りがあるからこれを誦んであげなさいと申しますと、治ったら読まなくてよいかというようなことを考えておられる利己主義者の人もありますけれども、これは自分が病気でなくても、病気が治っても、治らなくともわれわれは祖先というものがあって今ここに生きている機縁を与えられているのでありますから、その祖先に対してわれわれが供養する、お経をよんで真理の念波を供養する、実相のサトリを供養するということは実に大切な子孫の務めであります。

この子孫の務めを行うことそのことが善事であって、その結果自然とわれわれに幸福が恵まれてくるということは、これは副作用とでもいいますか、随伴的な功徳であって、その功徳そのものを目指すのではないのであります。

しかし実際上祖先に対してよく真理を施しておられる人々は、祖先の守護も多く、また自分の善念の具象化として不幸というものがないのであります。

218a hope:2016/08/13(土) 13:05:42 ID:vdNCBnG6
>>215>>217 a hope 所感)

生長の家の信徒の方だったら、当然先祖供養には「甘露の法雨」を読誦されておられると思いますが、
わたしは聖典「生命の實相」をじっくり拝読することもまた、最高の先祖供養になるのではないかと感じています。

祖先は木の根っこ、そして両親は幹、わたしたちは枝であると教わりました。

わたしたちの生命はいつも祖先と繋がっている・・・本当にありがたいですね!

合掌。

219浄円月:2016/08/19(金) 19:57:57 ID:USIpXU9o
私も生命の實相や、真理の吟唱を拝読することも、ご先祖供養に繋がると思います。
この板は、素晴らしいですね。
以前投稿したことがありましたが、久々の投稿です。

220a hope:2016/08/20(土) 11:02:05 ID:xVBwxesw
十四、吾らは実在の実相のみを見、移り変わる仮の相(すがた)にとらわれず、常に光風霽月(こうふうせいげつ)の如き生活を営みて情(こころ)を動ぜざらんことを期す。

【第十四条説明文の抜粋】副題 「ものの内在生命の尊さに目覚めよ」

「生命の實相」第28巻p79 後から3行目〜

生長の家でよく「肉体はない」「物質はない」などと申しますと、何もないかのようにお考えになり、何物も無いと思って、「物質なんて粗末にしてもいいんだ、物質は無いのだから」というような人があります。

これは空思想に捉われた断見であります。

何も無いのではないのであって、そこに実相があるのであります。

物質は無い。物質は無い代わりに実相があるのであります。

「物」を見て「物質」だと思うからいけないのです。

神の生命だと見るのであります。

(略)

p81 5行目〜

……物質と見えるものの観方にも、それを単に「物質」と見る観方と、生命の表現として見る観方と二つあります。

生長の家の教育は物質を物質と観ないで生きた生命の表現として観、そこから生命を引き出すという芸術的観方であります。

(略)

p82 2行目〜

すべてのものは物質を見ていると善さが分からない。ジッと実相を見るとそのよさがわかってくるのであります。

芸術家は表現の上に生命の善さを現わし、教育家は生活の上に生命の善さを引き出すのであります。

すべての人々の実相を見るという立場になった時に、すべての人間がすなわち生命である――神の子であるということが感得されるのであります。

そういう立場において、はじめてすべてのものが、なるほど美しいものである、善なるものである、調和したものであると感じられるのであります。

こう感じるように生命を引き出すのが本当の教育であり本当の宗教であり、本当の芸術であります。

生長の家の生き方はすべての事物に対してその奥底にある善さを見出して、それを生かす生活であります。

221a hope:2016/08/20(土) 11:03:18 ID:vdNCBnG6
(a hope 所感)

「物質なし」の教えを「何もない」って解釈すると、虚無感だけが増してたいへんなことになってしまいます。

つまり、わたしたちが物質だと思っているものは「影」に過ぎないけれども、その影を映しだしている実相は確実に実在している、
だから、「物質を物質と見ずにその奥にある実相を見よ」というわけなんですね!

222a hope:2016/08/20(土) 11:12:05 ID:vdNCBnG6
>>219 浄円月さま

輪読会ご参加、そしてあたたかいお言葉をありがとうございます。
とてもマイペースですが、ここでお勉強を続けさせてただくことが生活の励みになっています。

浄円月さま、またいつでもご参加くださいね!

223浄円月:2016/08/20(土) 13:31:46 ID:pWbnGXMw
a hope様

ありがとうございます。また参加させてください。
物は物ではなくて、神の生命の現れなのですね。
生長の家の生き方は、すべての事物に対してその奥底にある神を見出してそれを生かす生活であるとのこと。。家庭も会社もすべてに通じますね。
目の前に自動車がありますが、この車をどう観て使用していくか。。
何に対してでも言えますよね。
午後もすべてに神を観て生活していきます。

224a hope:2016/08/20(土) 21:15:24 ID:xVBwxesw

>> 233 浄円月さま

<<物は物ではなくて、神の生命の現れなのですね。
生長の家の生き方は、すべての事物に対してその奥底にある神を見出してそれを生かす生活であるとのこと。。家庭も会社もすべてに通じますね。
目の前に自動車がありますが、この車をどう観て使用していくか。。
何に対してでも言えますよね。
午後もすべてに神を観て生活していきます。>>

素晴らしいご指導をありがとうございます。合掌。

お恥ずかしいのですが、わたしは「実相」や「神」のことは頭では理解できているんですが、、
なかなか実践できないのが現状なんです(/ω\)

それに、最近はちょっと新しい事をはじめたりして、生活(心境?)に余裕がなくなってきてしまっています。

でも、こんなときこそ、もっともっと聖典を拝読して神想観を実修したいと思います。

浄円月さまの<<午後もすべてに神を観て生活していきます。>>のお言葉で目が冷めました!

またのご参加を心からお待ちしています!

225るん吉:2016/08/21(日) 12:53:26 ID:Bu2jtqiM

ちょっと忙しかったので久々に来させていただきました。(*ノωノ)ohisa
沢山の心にグッとくる文章、有難うございます。
来てよかったー。

>>最近はちょっと新しい事をはじめたりして、生活(心境?)に余裕がなくなってきてしまっています。

そうなんですか?具体的なことは解らないけど、頑張ってくださいね。
人生、色々ありますね。自分も(ここに書きませんが)色々ありまして「しんどいなぁ」って思うことがあるんですけど
それが人生なんですね。
>>午後もすべてに神を観て生活していきます

それ、すごいですねぇ。(*^。^*)物を神の生命だと見るんですね。

えっと、私がいま、しっくり来るのは「、たかが現象ぽっち。(こんなの無いのだから)無いものに、とらわれないよーだ!」
ですね。アハうまく書けないけど。実相には存在しない状況が現象に表れてる時ね。

うまく書けないや。ごめんなさいね、とりとめのない書き方で・・。

毎日、お忙しいのに、本当に有難うございますね。
お身体ご自愛くださりませね。

226a hope:2016/08/21(日) 15:10:12 ID:vdNCBnG6

>>225るん吉さま

ご参加ありがとうございます。

わたしが始めている新しいことって、具体的には書けど、すっごくインターナショナルなことです。
だから、英語ももちろん使ってるし、世界各国のいろんな人とお話する機会があって、
特に、途上国の人たちと話ていると、自分がいかに恵まれた環境で生活をしているかに気づかされます。

「たがが現象ぽっち」ほんとにそうですね!
たかが現象、だから現象は本物ではないから決してとらわれないけど、
でも、自分がこの現象で生かされていることにも大切な意味があるような気がします。

つまり神さまからの課題は、この「現象で何を学んでどう生長しますか?」なんだと思うんです。

もしかしたら、神さまは、生長する能力のある人間には特に大きな試練を与えるのかもしれませんね。
だから、わたしはどんなに現象が悲惨でも、神さまの愛を信じたいです。
そして、この与えられた現象の中で思いっ切り神の子を表現して生きていきたいです。

るん吉さまのご参加にはいつも励まされています。
あー、わたし一人じゃなかったって・・・(#^^#)。

 これからも、ご参加どうぞよろしくお願いいたします!

227a hope:2016/08/25(木) 19:01:08 ID:vdNCBnG6
十五、吾らは今日一日出来る限り強く明るく正しく充分生き抜き生き尽して悔いなき生活を送らん事を期す。

【第十五条 説明文抜粋】副題 『「久遠の今」の生命を発掘せよ』
「生命の實相」p82 後から1行目〜

 この「今日一日をできるかぎり強く明るく正しく」生きるという――生きるというのは「生命を引き出す」ということであります。

「今日一日」ということが大切でありまして、明日からやろうというようなことでは駄目なのであります。

われわれが今、ここに生命を享けて生きているということは、今生きているのであって、この「今」を看過したらわれわれは永久に生命を引き出す機会というものを失ってしまうのであります。

「今生きる、」――「今、生命を引き出す」――この「今」が大切であります。

(略)

本当の教育の仕方、生長の家式の教育の仕方といいますと、この今を生かすということなんです。

228a hope:2016/08/25(木) 19:03:01 ID:vdNCBnG6
>>227 a hope 所感)

第十五条の説明文は、このあと「生命の教育」に関して述べられています。

日本で「教育」というと、親や教師が子供や生徒を指導するというイメージがありますが、本当の教育とは相手の「生命を引き出す」ことなのですね。

でも、相手を「良くしよう、良くしよう」と思っても駄目ですね。
まずは自分の生命を引き出して自分が良くならないことには、相手の生命も引き出せない・・・。

今ふっとそんなことを思いました。

229a hope:2016/08/28(日) 07:35:35 ID:xVBwxesw
十六、吾らは常に善と愛と智慧と光明とが人の実相なることを信じ、常につとめて善に還(かえ)り、愛を行い、真理の書を読み、全人格の雰囲気と心の習慣とを神の如く完全なるものたらしめんことを期す。

【第十六条 説明文抜粋】 副題「善と愛と智慧と光明とを生かせ」
「生命の實相」第25巻 p110 後から3行目〜

これを要するに、人間は本来善であって悪人というものはない。物を破壊するというようなことでも、それが自然に出て来たときにはけっしてそれは悪ではないのであぅて、それが大人の立場、経済的の立場から考えたら、悪に見えるために、「お前こんないたずらをして悪人である」こう言葉で宣言するために悪というものが出現して悪童、悪い子供というものが出来上がるのであって、それまでは「わるい子供」というものはないのである、こう申しましたが、赤ん坊がだんだん生長して、乳児期から少年期に移るというふうな時代になりますと、だんだんものを愛撫するというふうな心持が起ってくるのであります。

ものを愛撫する心持ちが起ってきて、たとえばここに百合の花があるとしますと、その百合の花を見るとそれをなんとなしに摑(つか)んでみたいというような心持が起ってくる。

ところがこの百合の花を摑んでみるということは子供にとっては百合の花を愛撫するということなのです。

しかし大人にとっては美しい花を引っ掴まれてたまるものか、摑んだら毀してしまうというふうなことを考える、「そんなことをしてはいかぬ、お前はまたわるい子である」とこういうふうにともすれば言おうとするのです。

これは子供の内に動いている愛というものを押し消している教育になっているのです。

最初は愛撫するつもりでも、どのくらいに摑んだら毀れるものであるかということがわからないのであって、ただかわいいから摑みたいというふうな気持ちが起ってくる。

摑んでみて毀れたら、その時はじめて、「ああ、この花は毀れてかわいそうだ」という感じが子供にも起こる。

この時「ああ、かわいそうに!百合さん」と言って、お母さんが残った百合の花を毀さないように軽く撫でる格好をする。

するとその程度の愛撫では花は傷つかないことが子供にもわかる。

そこで子供は真似をして、「かわいそうに、百合さん」と言って愛撫の真似をする。

こうすると愛撫の心は押し消されないで、かえって愛撫の心が養われながら、物の大切な扱い方というものが解ってくる。

230a hope:2016/08/28(日) 07:37:21 ID:vdNCBnG6


>>229 a hope所感)

最近、日本では少年や大学生、芸能人にまでおよんでリンチ殺人や強姦致傷等の痛ましい犯罪が横行しているようで、
いったい日本はどうなってしまっているのだろう・・・と不安が募ります。

この、幼児期における「ものを正しく愛撫する心持ち」が犯罪を起こしてしまった青少年たちにきちんと育っていれば、生身の人間を暴行したり、
強姦したりするような気持ちは決しておこらなかったのではないかと感じてしまいます。

また、「友だちが大切」というも一考する機会なのではないかと思います。

日本で「引きこもり」が多いのは、しかるべくして起こっている社会現象なのではないでしょうか?
こころの優しい青少年が社会にでれば、その優しさに付け込んで利用しようとする悪の手があちこちにあります。
ですから、彼らは引きこもることによって自分自身を守っているのかもしれません。


今の日本にこそ、「生長の家」の「生命の教育」が必要なのだと感じてしまいます。

でも、でも、でも、、、「生命の教育」は「生命の尊さ」「和解の重要性」を体得した覚者にしか施せない・・・。

まずは、谷口雅春先生の弟子であるわたしたち「生長の家」の信徒が和解をして、
手本をしめさなければ誰も感化することはできないと感じています。

231tapir:2016/08/28(日) 21:36:01 ID:Cw7YWKn2
>>230

a hope様

初めまして。

先日、知人の年配の女性信徒が、「なぜ15,6才の少年がリンチ殺人など起こすのだろう」
と嘆いていたのですが、以下のa hope様のコメントに、その答えがあるように思いました。
今度、その女性に会ったときに、このような話をしようと思います。
ありがとうございました。

>最近、日本では少年や大学生、芸能人にまでおよんでリンチ殺人や強姦致傷等の痛ましい犯罪が横行しているようで、
いったい日本はどうなってしまっているのだろう・・・と不安が募ります。

この、幼児期における「ものを正しく愛撫する心持ち」が犯罪を起こしてしまった青少年たちにきちんと育っていれば、生身の人間を暴行したり、
強姦したりするような気持ちは決しておこらなかったのではないかと感じてしまいます。

232a hope:2016/08/29(月) 10:56:21 ID:xVBwxesw
 >>229つづき

「生命の實相」第28巻』p112 3行目〜

ところが、「この子は百合の花でもなんでも毀す悪い子供だ、子供というものはどうも乱暴なもので、美しいものでも何でも毀すもので、悪い者だ」こういう言葉を持ってゆくと、そこにせっかく愛撫の気持ちをもって行動した、そのことが悪いことだった、と子供にとっては実に変な矛盾した感じになって、子供の内部生命の愛が芽を吹こうとしているのが迷ってしまうことになるのであります。

だから人間は本来悪人はない、いわんや子供に本来悪人はないと知って、実相を見るようにし子供が花を愛撫するために花を摑んでもこれは愛撫する心でしたのであるから決してわるい心でない、どの程度に摑んだらいいのかわからないために失敗したのだ。

傷ついたら、傷ついたのを機会に本当の愛撫の仕方へ誘導する。

子供の頬っぺたを軽くつつきながら「可愛い坊ちゃんだね、可愛い可愛い」と言葉で言うと、「お母さんは可愛いね」と言って子供もお母さんの頬ぺたをつついて撫でる。

そこで愛というものが本当にどんな気持のものであるかということがわかってくる。

お母さんにそうしてあげると、お母さんがまたうれしそうな顔をする。

こうして、その子供は、自分の喜びは母親の喜びである、あるいは自分の喜びは百合の花の喜びである――百合の花に触れれば百合の花も喜んでいるものであるということがわかってくることになるのであります。

こういうようにして、この自と他と、自分と外界とのすべてが一つの生命に支配され、愛の世界に融け込んでおって、自分の喜びはすべてのものの喜びであるということが幼児の時から自然と感ぜられるように仕向けるということによって子供の愛の本能を本当に大きく生長さしてゆくということができるのであります。

大きな大人になってから「本来自他一体である」なんて言っても、理屈みたいで、かえって素直に這入らないのだけれども、赤ん坊の小さな芽生えの時には、自他一体ということが実によく理屈なしにわかっているのであります。

「ああ、可愛い」と言って自然と花でもなんでも撫でる、そうするとまた、母親から撫で返してもらって「ああ可愛い」という愛撫の善さがわかる。

この乳児の体験が成長してからのすべての愛の基(もとい)となってくるのであります。

そういうふうにして子供を教育して行きますと、自然と内部に宿っている神なるもの、神性、仏性というものが現れてきて、悪とか、冷酷とか、憎悪とかいうようなことを自然考えないなってしまい、この世からすべての悪というものが形を消してしまうのであります。

こうして言葉の力というものが実に偉大な感化を及ぼすものだということがわかってきましたならば、善き言葉の書籍にまとめたものを読ませるということの大切さも、類推されるのであります。

子供が十歳か十二、三歳にもなると聖賢の書物を読ませる、偉人の書物を読ませるということは尊い感化をその子供に及ぼすことになるのであります。

お伽噺の選択を誤ってはなりません。

悲惨なもの、憂鬱なもの、恐怖を感ぜしめるものはいけません。

聖賢の話を読ませると、自分のうちにもやはりこういう偉い人と同じ素質があるものである、自分もこうなれるという心持が内部から勃然と湧き起こってくる。

どんな聖賢の偉人も皆自分と同じものである。

みんな神の子である、自分のもできないことはないのである、という自覚が子供を高め上げて、ついにそれらの子供が聖賢偉人の足跡を辿(たど)るようになるのであります。

この生長の家式の新しい教育法については『生命の實相』第七巻、第十三巻および第十五巻(頭注版では第十三・十四・二十五・二十六・二十九・三十巻)に詳しく書いてありますから、ご併読下さるよう希望します。

久遠佛性篇 「常楽宗教の提唱〈下〉」終わり

234a hope:2016/08/29(月) 11:00:00 ID:xVBwxesw
(a hope所感)

<<「ああ、可愛い」と言って自然と花でもなんでも撫でる、そうするとまた、母親から撫で返してもらって「ああ可愛い」という愛撫の善さがわかる。
この乳児の体験が成長してからのすべての愛の基(もとい)となってくるのであります。>>

「乳児期の母子間の愛着形成(attachment)はその後の発達に大きく影響する」、とかつて大学の心理学で学んだ記憶があります。
まさに、ここではそのことが述べられていますね!

谷口雅春先生は、宗教的天才だっただけではなく、心理学、教育学、芸術、科学・・・ありとあらゆる知識を幅広く学ばれるという努力もされています。

だからこそ、雅春先生のお残しになった聖典はどんな人をも感動させるし、感化する力があるのだと思います。

あ〜本当にありがたいな〜 聖典読めて幸せだな〜、わたしは谷口雅春先生が大好きです!

236a hope:2016/08/29(月) 11:07:15 ID:xVBwxesw

>>231 tapir さま

輪読会ご参加ありがとうございます!

俳優の息子が捕まった女優さんの会見なんかを拝見していますと、同じ母親として胸がつぶれそうになります。
どんな親だって自分の子どもは可愛いですから、「よく育てよう」と努力しているんだと思うんです。

でも、それがうまくいかない・・・ なぜ?

これは、わたしにとっても永遠の課題なんですが、不思議なことに子育てに躓くたびに、聖典に回答があります。

たとえ、子供が成長してしまっていても、犯罪を犯してしまったとしても遅すぎるということはないと思います。

だって「生長の家」の教えのすごい所はそういう人たちをも、「人間神の子」に目覚めさせて救済できるところですものね!

大切なのは「正しい教え」の伝道…ですね・・・やっぱり。

237どっちもどっち:2016/08/30(火) 06:06:37 ID:OyLgcxCA
<だって「生長の家」の教えのすごい所はそういう人たちをも、「人間神の子」に目覚めさせて救済できるところですものね!>


a hope さんから見ると雅宣総裁は救われていないのでしょう。
誰も救ってやることが出来ない教えということを証明しているのではありませんか?

まして教えをよくわかっているという本流派の人達には。辞めろ辞めろの合唱しかできないのですから。

238トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/08/30(火) 09:09:00 ID:/A76/nJM
>>237

 誌友会の内容に不適当な内容だと思います。
誌友会リーダーの指示があった場合、削除または移転をします。

合掌 ありがとうございます

管理人

239tapir:2016/08/30(火) 20:49:37 ID:Cw7YWKn2
>>230

a hope様

素晴らしい輪読会のリーダーをつとめていただき、ありがとうございます。

『生命の實相』の真理の言葉と、a hope様のやさしさあふれるコメントを
読ませていただき、心が清まる思いです。

「継続は力なり」ですね。良い言葉を積み重ねていくことがきっとよい実を
結ぶと思います。

これからも時々参加させていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

240a hope:2016/09/01(木) 13:54:40 ID:xVBwxesw

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第4回 web「生命の實相」輪読会  案内

期間   平成28年9月1日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第28巻 真理體験篇
内容   近眼・色盲等は治るか p117〜
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

241a hope:2016/09/01(木) 13:55:53 ID:vdNCBnG6

みなさま こんにちは。

9月に入りましたので、第4回 web「生命の實相」輪読会 開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、「本流復活」を考える 『web「生命の實相」輪読会』 板 に於ける
生命の実相 輪読会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

242a hope:2016/09/01(木) 14:04:17 ID:vdNCBnG6

この「近眼・色盲等は治るか」という体験篇は、聖典の真理の身体への影響が特によく実感できるところではないかと思います。

実はわたしはもう老眼になってきても全然おかしくない年齢なんですが、
なぜか先日の健診では「近眼」が進行していると言われてしまいました・・・(;´∀`)

でも、わたしは焦りませんよ。
だって、わたしには聖典がありますから・・・\(^o^)/

また、丁度よいタイミングで、この「近眼・色盲等は治るか」の体験篇が勉強できます。
わたしにはこの篇を読み終わる頃には、自身の視力がグーンとupするという確信があります。

でも聖典を肉眼の視力upを目的に読んだのでは効果は期待できません。
「心の生長」あっての「視力up」ですから、まっさらな素直な心で拝読することが大切だと思います。

素晴らしい体験談がたくさん紹介されています。
みなさんもぜひ拝読してみてください、心の扉が開いて目の前が明るくなりますよ!

243a hope:2016/09/05(月) 08:15:49 ID:xVBwxesw

「生命の實相」第28巻 p120 4行目〜

谷口―― 私は眼の治った人であり、また治した人であるわけであります。

この、五官における障害――目が見えないとか、耳が聞こえないとか、臭いが嗅げないとか、あるいは皮膚の感覚の麻痺、食物の味覚の麻痺とかいう、すべての感覚器官の障害は、要するに自分に与えられたる恵みをありがたく受け取らない人が、肉体を投じ出した姿でありますから、まずありがたく受け取る気持ちが起こりさえすれば、そうした障害は自然と消え去ってしまうのであります。

美しいというものは何か、といいますと、そこに生命が顕われていることであります。

生命が顕われているというのは神の光、神の恵み、神の愛をありがたく受け取らないで、半分くらい受け取って、不平ばかり言っているような心を持っていると、それが目に現われれば目が見えなくなったり、色盲になったりするのであります。

また目の先の現象だけを見て、現象の奥底を流れる神の愛、神の恵みが分からないと、その人は近視眼になるというぐあいになるわけなので、こういう私も以前には近眼であったのでありました。

244a hope:2016/09/05(月) 08:17:30 ID:vdNCBnG6

>>243 a hope所感)

わたしは今、この雅春先生のご文章を謹写しているだけで聖典やパソコンの文字がハッキリ見えはじめましたよ!

大切なのは信じること・・・。

あ〜、今日も聖典謹写できて幸せだな!
今日も家族が健康でいてくれて幸せだな!
今日は仕事がお休みで、掃除やお料理がたくさんできて幸せだな!
午後にはママ友とお茶できて幸せだな!

神さま、ありがとうございます\(^o^)/

245a hope:2016/09/11(日) 05:21:34 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第28巻 p131 3行目〜

四 色盲たちまち癒(い)ゆ

柳沢―― 僕は色盲でした。

僕は谷口雅春先生に「色盲は、あれは嫌い、こらは気に入らんと撥ねつける心の現われだ」ということを教えていただいて、とても心をうたれました。

僕は子供の時から非常にわがままで少しも母のいうことをきかなかったものですから、いつも母と喧嘩ばかりしていました。

それでみんなから「お代官様」って呼ばれていました。

まるで強情の凝り固まりみたいな人間だったんです。

家では母が「生長の家」に入る前から叔母が入っていて、始終僕や母に「生長の家」の話をきかせてくれていました。

けれど「肉体は無い」なんてだいたい馬鹿にしていると思って叔母の言うことをちっとも聞かないですっぽかしていました。

そしてそのまま月が経って今度は母がとても「生長の家」に熱心になってきました。

それで僕に熱心にすすめるのです。

僕もそれなら行ってみようかという気になって、実は最初はひやかし半分にお山に来たのでした。

そしたら先生が僕のことをきいてこういわれたのです、「要するに目は心の窓であって、あれは気に入る、あれは気にいらんという片よった心の現われで色盲になっているんです。目上の人の言うことをよくきいて、選り好みをしないで、満遍なく受け入れる心になりなさい」と言われたんです。

それを伺って僕は、「ああそうか」ととても心をうたれて帰りました。

それは四月の二十六日だったと思います。

その翌日のことです。

ちょっとしたことから僕は叔母と、妹と三人で大喧嘩をしていました。

その時母は二階にいました。

僕たちは下で喧嘩をしていました。

そしたら、僕たちの怒鳴り声をききつけた母は、二階から降りて来て何とも言わずに僕たち三人の険悪な空気の真只中に坐りこんで、やがてのほどに大声で『甘露の法雨』を読み出したのです。

僕は黙ってそれを聞いているうちに、どうしても仏壇に向かって手をあわせなければならない気持ちになってきました。

それで仏壇の前にいって合掌しました。

そしたら涙が出て涙が出て、どうにも止まらないんです。

「昨日(きのう)先生にあんなにいっていただいたばかりじゃなかったか、それにまた頑固な心を起こして喧嘩してしまったか」と思うと、本当にすまない気がしてくるのでした。

僕は合掌したまま悪かったと謝りました。

それから二階の自分の書斎に上がって行って、窓を開けて外を見ると庭に咲いている夾竹桃(きょうちくとう)の赤い花がとても美しく見えるんです。

おやっと思って自分の机に帰って、色盲の検査本を開けて見ました。

そしたら一等むずかしいところが出て来たのです。

だけどちゃんと見えるんですね。

緑色に赤色のアの字がちゃんと浮き出して見えるんですね。

それから夢中になって色盲検査の本を一枚一枚めくって見ました。

どれも完全に見えます。

それっきり僕の色盲は治ってしまいました。

その時のありがたい気持、どのくらい嬉しかったか分かりません。


立仙――大変いいお話でございました。

色盲は医学上からはとうてい治らないものとされているのに、実にすばらしい御体験ですね。

世間には色盲で悩んでいる方は大勢おありでしょうに、その方たちにこのお話を知らせてあげることができたらと本当に思いますねえ。

246a hope:2016/09/11(日) 05:23:05 ID:vdNCBnG6

>>245 a hope所感)

ほんとうに、色盲が治ってしまったのですね・・・。

先日マザーテレサがカトリック教会の聖人認定をされましたが、その条件のひとつに自身の死後に二つの奇跡をおこしたこととありました。
マザーテレサに祈ったことでインドの女性が自身の腫瘍を消し、ブラジルの男性が脳腫瘍を回復させたそうです。
http://okutta.blog.jp/archives/6197438.html

わたしたち生長の家の信徒が天界の谷口雅春先生に「病気を治して下さい」と祈るということは在り得ませんね。

「生長の家」の教えからすると、病気が治るというような奇蹟が起こるのは「唯心所現」「現象は心の影」という真理の悟り、つまり自分自身の心の変化によるものですから、
このマザーテレサの例のように他者に依存心を起こしているような信仰は本物ではないと感じてしまいます。

ですがもし、患者がマザーテレサを思うことでマザーテレサの深い信仰心に自身の魂が共鳴し、
心が洗われて奇跡が起きたのだとすれば、それは「唯心所現」の真理の悟りであったのかもしれません。

上に謹写した青年の場合を考えみても、 色盲が治るという奇蹟が起きる前日に谷口雅春先生に直接ご指導を受けられています。

そして谷口雅春先生の深い信仰心と悟りのオーラに彼自身の心が影響を受けたのだと考えられます。


いずれにしても、奇跡が起きるのは「真理」を知ったことにより心に、懺悔、感動、感謝・・・という大きな感情の変化が起こるからなのだと思います。

その「真理」に満たされているのが聖典ですから、聖典を拝読することが奇跡を起こす一番の近道なのだと思います。

247a hope:2016/09/17(土) 07:37:12 ID:xVBwxesw

「生命の実相」第28巻p152 7行目〜

鈴木――じゃ私がよし子に代わりまして話させていただきましょうか。

この子の母親が二度の近眼なんでございまして、この子も幼稚園に通っております時から目が悪く、小学校に入ります時には、もう眼鏡をかけておりました、今度双葉女学校の二年ですから、八年間眼鏡をかけていたことになりますね。

それがまた追々度が進んでまいりまして、昨年は大変不自由になりましてね、春日町の明々堂で四日がかりで検眼していただいて眼鏡を変え、やっと見えるようになっておりました。

そんなふうでございますから、始終陰気な子でございました。

それがね。

このお休みになりまして、私の家へ泊りに来たのでございますが、私が毎晩お山にお伺いいたしますのを、ある夜女中と一緒に迎えにまいりまして「伯母さま、毎晩お通いになるけど、何していらっしゃるの」って聞きましたのでございます。

それで私、いろいろと「生長の家」のことを話してやりました。

そうしましたら、「伯母様の話伺って、自分と肉体というものは全然別であることがはじめてわかって、それを大変感じた」と申しました。

それで私が「あなた肉体無しということが、そんなによく解ったのだったらこれを読んでごごらん」と申して『甘露の法雨』を読ませたのでございます。

半分ほど自分で読んでおりましたが、眠そうにしていますので、よし子を寝さしまして残りは私が読んでやりました。

それで翌日六時半頃でございましたが、目を醒ましましてね。

眼鏡なしで廊下に出まして庭を眺めておりましたが、急に「伯母様、伯母様」って私を呼びますんで、びっくりして何事かと行ってみますと、「伯母様、私、眼鏡をかけてないのにお庭の百合に花がちゃんと見える」って申しますの。

「いくらなんだって昨日までのひどい近眼が、そんなことがあるものか」って申しましてね。

はじめは私たちでさえも信じなかったんですの。

けれども白い百合の花が一輪と、つぼみが二つちゃんと見えるって申しました。

それから部屋に入りまして、掛額の字が見えると言っておりました。

次に柱時計の長針と短針が見えました。

ちょうど七時半でございましたが、その次に時計の小針がみえて……十時頃でございましたね、それは、本当にびっくりいたしました。

よし子もびっくりしておりました。

前夜私の話を聞いた時も別にどこも治りたいなどと思わなかったそうでございます。

それに近眼が治ってしまいまして、その時つくづく、肉体は心の影ということが解ってハッと思ったと申しますから、「それなら あなた ここを読んでごらんなさい」と申しまして、『生命の實相』の一部を示してやりましたら、夢中になって読んでおりました。

そしてしばらくしましたら、とても臭いハナがたくさん出てまいりました。

ところがそれで蓄膿症が綺麗に治ってしまったのでございます。

それからその翌日、ひどい咳をしきりといたします。

痰を吐きます。

どうしたんでしょうと話しておりましたら、間もなく止まりました。

それで気がついてみますと、長年痼疾(こしつ)の左右の扁桃腺がすっかり治っておりました。

滝内――よし子さん、えらいですね。

谷口――そうだ、本当に自分の悟りで治したから偉いのだ……・

248a hope:2016/09/17(土) 07:38:31 ID:vdNCBnG6

>>247 a hope 所感)

よし子さんは、伯母さんの話を聞いて「自分と肉体が別物である」と悟った後に『甘露の法雨』を読んで近眼が治ってしまって、
その後『生命の實相』を拝読して、蓄膿症も、扁桃腺も治ってしまいました。

雅春先生もおっしゃっていますが、よし子さんは「近眼や病気を治すこと」が目的ではなく、
伯母さんの導きはあったにせよ自分の力で真理を悟られた、だから偉いのですね。

249a hope:2016/09/18(日) 05:32:41 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第28巻 p159 9行目〜


十七 近視や、斜視や、乱視の起るわけ


立花――時間がずいぶん延びましたが、最後に先生に少しお話を願いとうございます。


谷口――今日おいでの方の中に、遠視が治ったという方が大分おありのようでしたが、こうしてみると、遠視はなかなか多いらしいですね。

私がよく近視は、この現象界のことばかり見て実相を見ないチカメだということを申しますと、それでは遠視は何か、とお問いになる方がありますが、老人の遠視というのは、日暮れて道遠しという感じで、先のものを先のものをと焦る心の現われです。

年を取ると、老後のことばかりを考えて、取越し苦労をして「今」を完全に生ききらないことが多いのであります。

「今」を完全に把握して生きることができたら、それはすぐに治ってしまうのであります。

私の申しました「今」というのは、現象の目の先の今のことではないので、この「今」の中にはいっさいのものが含まれている――永遠生きとおしとしての実相の「今」であります。

もう一つは遠視が老衰から起こってくることがありますが、人間が老衰するというのは、永遠生きとおしの今にわれわれは生きていて、永遠の若さを持つものであるということの分からないためであって、老衰して血管が硬化するのは、すなわち心が頑なになる――人のいうことをきき入れないとか、心の融通がきかないとかいうようなことから起こってくる。

人間の目はどっちかというと遠視であることが普通だそうです。

それがわれわれの目に直接機能があるためにうまく調節されて、ちょうどよく見えているのですが、老衰して心が頑なになってしまうと、直接機能も固定してしまって、その働きを失ってします。

それで調節を失った目がもとの遠視に戻ってしまうのです。

また、見たくないものがある場合に起こることもあります。


また、斜視、乱視というものがあります。

これはものを見るのにまともに正しく見ないで、斜めの方からひねくれて見る心の現われであり、乱視もやはりまん丸いものを丸く見ないで楕円形に見るというような心の現われたのでありますから、よく人を見て、その点を指摘してさしあげて、まるいものは円いと、正しく、真正面から見る心に調節してゆかれれば、すぐに治ってしまうのであります。

結局私が今話しましたようなことをよく摑んで、人を見て機に応じて上手に相手にそれを話してあげるようにすれば、近視でも、遠視でも、また斜視でも、乱視でも、完全に治してあげることができるわけですね。


服部――私も人の目を治したという話をたくさん持っておりますが、それも目を治すのが目的で、直接目に向かって呼びかけて治したという経験は一度もないので、ただ私の宅に集まりになる方々の実相を観て、その方たちが本当に実相をお現わしになることができるように、谷口先生のお言葉をお伝えしているだけなのであります。

そしていつも皆様の心に向かって呼びかけていますうちに、この間も一晩に五人も近視が治られた、というようなことがございました。

先生のお話を伺っているうちに、眼鏡がいらなくなってしまったというようなことがこれまででもあまりに頻繁にあったものですから、私は目の治ることは枝葉の、ごくあたりまえのことのように思って、別に何とも思っておりませんでした。

人様にお話するという場合でも、目のことなんか、ちっとも気にかけていなかったようなわけです。

しかし先生の先ほどおっしゃっていました「今」を完全に摑んで生きるということ、その「今」ということは本当に解れば、体の病であろうと目であろうと、また病気であろうと、すべてがよくなってゆくのでございます。


谷口――そうですよ。

ここに来られる方でも目を治したいと言って来られる方はほとんどありませんよ。

それで私の話を聞いたり『生命の實相』を読んだりしていられるうちに心の目が開いて、その結果として自然に現象のこの目もよくなってくるのですね。


立仙――先生、お忙しい時間をお割(さ)き下さいましてありがとうございました。

みなさまありがとうございました。

これで閉会にいたします。

250a hope:2016/09/18(日) 05:34:45 ID:vdNCBnG6

>>249 a hope所感)

【近視、遠視、斜視、乱視の原因まとめ】

・近視――この現象界のことばかり見て実相を見ないからおこる。

・遠視――取越し苦労をして「今」を完全に生ききらないからおこる。

・斜視――斜めの方からひねくれて見る心の顕われ。

・乱視――まん丸いものを丸く見ないで楕円形に見るというような心の現われ。


医学の試験で上の回答をしたら、完全に不合格ですね(笑)。
でも、この真理を悟り、心(実相)の目を開いたことで、本当に目が治ってしまったという実例がたくさんあるわけで、
その事実は、わたしたちが眼科に行って治療を受けたり、眼鏡やコンタクトレンズを毎日つけて生活したりという煩わしい手間を完全になくしてくれます。

信じるも勝手、信じないも勝手、わたしたち日本人には「信仰の自由」が認められていますからね(*^▽^*)

251a hope:2016/09/24(土) 07:56:29 ID:xVBwxesw

「生命の實相」第28巻 p168 後から1行目〜

三 色盲癒ゆ、前途洋々

僕は東京府立四中の五年生です。

木枯らしの風の吹きすさぶ去年の冬休みのある日、僕は多摩川近くの鵜ノ木の高台にある叔母の家を訪れたのでした。

その時にはちょうど八月の海軍兵学校の体格検査に色盲の故をもって、はねられて、父の後を継いで海軍の人となることにほとんど定めていた僕の前途は、突然、大暗礁にのりあげた船のようで、いったい僕はどの方向に進路をとろうかしら、と考えては前途の暗雲にただ拱手(きょうしゅ)してすっかり悲観していたのでした。

その日の午後のこと、叔母が「この本を読んでごらん」と言って、出してくれたのが、聖典『生命の實相』でした。

ただなんとなく心に惹かれるものを感じて、披(ひら)いてみたのです。

するとその本には従来のわれわれの思想と、あまりにも懸隔(かんかく)のあること――すなわち、「肉体は本来無い。病気も本来無い。」というようなことが書いてあったのです。

ですから病気のうちでも遺伝で不治だとされていた色盲でもって、目的に勇往邁進(ゆうおうまいしん)できず、前途を悲観していた僕としては、どうしても反駁(はんばく)せずにはいられませんでしたし、もちろん信ずる気にはなれなかったのです。

ことにその頃の僕は、わがままいっぱいの少年だったので、今考えてみれば、実に下らない反駁ですが、その時は大真面目で『生命の實相』に書かれてある事々が、本当に荒唐無稽(こうとうむけい)のように考えられて、『生命の實相』を持ち前の強情から投げ出して、放りっぱなししておいたきり、それきりになってしまっていたのでした。

それから四カ月後、機縁が熟したというのでしょうか、母が再び「生長の家」の話を、僕に伝えてくれました。

その時はまだ突っぱっていてちょっと行ってみてきてやれ、というような気持ちで、四月二十八日に母と共に家をでたのです。
本部へついてから、母が谷口先生に色盲について質問させていたただいたのに対して、先生は次のようにお答え下さったのです。

「要するに目というのは、心の窓のようなものであって、それに色盲が表われて色が見えないというのは、君にはすべての色を万遍なく受け容れる心が無いからだ。あれは気に入らん、これも気に入らん、という心が、窓である目に表われて、色盲が形を現わしているのだから、すべての物と和解して、何でも受け入れるような心になりなさい。親には孝行をし、目上の方々の言われることをよく聞き入れ、世の中のあらゆる物に、ありがたいという気持ちをおこすようにしなさい。そうすればなおりますよ」

ということでした。

そこで考えてみると、先生のお言葉とおりの僕であることが、ひしひしと感じられて、先生のおっしゃられたとおりの心になれるよう、聖典をもっと何回も拝読しようと、自分に言い聞かせたのでした。

一日おいて二十九日には、本部の神想観に自分から行くようにまで、突っ張りが和らいだのでした。

しかし何としたことか、翌三十日の午後に、叔母と妹とが有名な映画、「未完成交響曲」と「ながれ」を観に行くと言っているのを聞いて、どこからともなくわがままが飛び出して、三人で大喧嘩をしてしまったのでした。

その時でした。

母が静かに二階から下りてきて、僕たちの険悪な空気の中で、仏壇に向かって聖経『甘露の法雨』を読みだしたのです。

「或る日天の使い生長の家に来たりて歌い給う――」と。

するとどうしたことか、僕はどうしても仏壇に向かい、合掌せずにはおられなくなったのです。

ただ、涙――。

ありがたいような、温かいものが僕の全身を包んでくれたような気でいっぱいでした。

やがて、母の朗読は終わりました。
(つづく)

252a hope:2016/09/24(土) 07:57:37 ID:vdNCBnG6
>>251 つづき)

先刻の喧嘩こそ、僕にとって、また皆にとって、自壊作用だったに違いありません。

すると、僕の唇をついてでたのは、ただありがたいという一語だったのです。

喧嘩の相手だったとてその喧嘩の結果、僕の気持が和らいでくれたとすればなんとありがあたいことではありませんか。

これだったのです。

谷口先生のおっしゃられた「ありがたいと思いなさい」とは。

そして、その時は三時頃だったのでしょうか。

僕は二階の勉強部屋へ行って、何の気なしに色盲検査票を披いてみると今までもやもやして分からなかった字が浮き上がって鮮やかに見え、と同時に庭の夾竹桃(きょうちくとう)の花が、実に美しく見えるようになっていたのです。

ああ僕の色盲は消えたのです。

本来の無に戻ったのです。

これがありがたくなくてどうしましょう。

ただ、ありがたいあるのみです。

僕の前途は輝いてきました。

僕は前途に対して叫ぶのです。

「ああわが進む前途よ。お前はすでにわたしにとって実相の前途なのだ。私はこの輝きに満ち、光明に満ちた前途を、ただ神に我身をお任せして進むのだ。ああ我が前途は洋々たり」と。
(東京、○○、○○町○○ 柳沢○○)

253a hope:2016/09/24(土) 08:17:53 ID:vdNCBnG6

>>251 252 a hope所感)

この体験談は>>245に謹写した体験談と同じものですが、体験者の柳沢さんがあらためてその時の体験した内容を詳しく文章にされたもののようです。

<<喧嘩の相手だったとてその喧嘩の結果、僕の気持が和らいでくれたとすればなんとありがあたいことではありませんか。これだったのです。谷口先生のおっしゃられた「ありがたいと思いなさい」とは。>>

かつての「生長の家」では、未成年の青年ですら「生長の家」の『感謝』が何であるかを自ら悟り、家族と和解をして色盲を治してしまっていたのですね。

今、わたしは柳沢くんを見習わってすべてに感謝しなくては・・・と感じています。

ですが一方では、わたしにも「感情」がありますから、喧嘩の相手にすら感謝するなんてとても難しいことのようにも感てもいます。

でも、「ありがとう(有難う)」とは、『難しいが有る』とも読めますね。

わたし「生長の家」の信徒だもの、がんばろうっと・・・。

254a hope:2016/11/01(火) 07:43:04 ID:xVBwxesw

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第5回 web「生命の實相」輪読会  案内

期間   平成28年11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第29巻 女性教育篇
内容   母、妻、娘の聖書 
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま、おはようございます。
11月になりましたので、第5回 web「生命の實相」輪読会を開会したいと思います。
10月は事情があり輪読会を継続できませんでしたが、今月からまた開会させていただきます。
これからも「生命の實相」の素晴らしさを、一人でも多くの方と共感させていただけたら幸いです。
それでは、いつものように祈りの言葉を掲載させていただきます。

255a hope:2016/11/01(火) 07:44:02 ID:vdNCBnG6

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、「本流復活」を考える 『web「生命の實相」輪読会』 板 に於ける
生命の実相 輪読会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆

256a hope:2016/11/01(火) 07:45:43 ID:xVBwxesw

はしがき

生命の在るところ必ず道がある。

生命とは道であるからである。

それは一切所(いっさいしょ)に充ち満ちているからコレだといって凝縮して見せうるような形はない。

しかし生命をわれわれが宿しているとき、おのおのの生命の顕現の位置に従って、その道の現われ方は異なる。

亭々(ていてい)たる松の樹の伸び方には松の木にあらわれたる生命の道がある。

聱牙(ごうが)として磐屈(ばんくつ)する梅の古木には梅の古木としての道がある。

あるいは絢爛なる桜の花、あるいは純潔なる百合の花、あるいは触れれば散らんばかりの罌粟(けし)の花、あるいは濃艶情趣(のうえんじょうしゅ)を滴(したた)らす牡丹の花、皆それぞれに道がある。

道は形なく一つなれども、その顕れは無限である。

男性には男性の道があり、女性には女性の道がある。

ひっくるめて人の道を守ればそのままで人生は幸福だということはできないのである。

人のみちも一つにして同時に多く岐(わか)れているからである。

わたしは既刊の『生命の實相』において、男性にも女性にも子供にも大人にも老人にも当て嵌(は)まる総括的な人の道を説いてきた。

男性にも女性にも子供にも読まれるべき人生光明化の一般的教えにおいては特に女性のみに関する特殊の道を説くことができなかった。

それを補うために出たのが本書二十九巻である。……

(略)

……男性の専制に対して立ち上がっても、女性は真に幸福にはならないのである。

われらの使命は女性がより多く女性であるがゆえに、男性が専制になろうとしても専制になりえないような大調和の世界の創造にある。

昭和四十年五月十日  

著者しるす

257a hope:2016/11/02(水) 07:36:50 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第29巻 p4 8行目〜

男性にとっての第一の幸福は、自分が女性の心を純粋に摑んでいるという自覚です。

妻である女性が、経済的な功利的観念から、生活手段として自分に愛情を示しているかもしれぬという疑いのあるほど、男性にとって不安な不愉快な家庭生活なないのであります。

家庭生活の長い期間には、時たま、夫婦喧嘩をした時などには、「もしわたしの経済生活が独立しているならば、こんな良人に世話にならないで、家を飛び出してしまうのに」とお考えになる奥様もおありでしょう。

飛び出したくなっているのに、経済生活が独立していないために、やむをえずに良人に隷属(れいぞく)している奥様をもっている良人ほど不幸な者はありません。

258a hope:2016/11/02(水) 07:43:20 ID:xVBwxesw

>>257 a hope所感)

最近は「離婚」はあたりまえになってしまいましたが、昔は世間体などの問題も関係して、愛情が冷めても仮面の夫婦を演じている方は多かったのでしょうね。
ですが現代でもまだ、こういう打算的な考えで結婚生活をされている女性は意外に多いのかもしれません。

以前のわたしはたった一度の人生だから困難はできるだけさけて楽に生きたいと思っていました。
ですが、「生命の実相」を知った今は、”すべての環境は自分の心の影”であることがわかりましたから、
自分が変わることで環境を変えられると信じられるようになりました。

「生命の實相」拝読し続けます!

259神の子さん:2016/11/03(木) 12:20:04 ID:CxVXlSJM

>>256 
>>257  a hope 様


『生命の實相』輪読会、再開していただき、ありがとうございます。

真理の言葉は、何度も読むことで、新しく生まれ変わらせていただくことができます。


>>われらの使命は女性がより多く女性であるがゆえに、男性が専制になろうとしても専制になりえないような大調和の世界の創造にある。<<


以前は「男性に伍する」とか、感じ方や意見を男性に合わせる女性の活躍がもてはやされた時代だったと思います。


最近は、男性に優るとも劣らない才能を持ちながら、女性的な感性を持ち合わせている女性の活躍が目立つようになりました。

ファッションも女性的で美しくなり、より自然のままになっていることは、とてもよい事だと思います。

「より多く女性的である」ことを、この機会に、考えていきたいと思います。



>>男性にとっての第一の幸福は、自分が女性の心を純粋に摑んでいるという自覚です。<<

何よりも夫婦の間で、このことを知っていることは、真の幸福をもたらすのにとても重要ですね。

これが実行できた時、夫婦の間の問題は、根本から解決できますね。


素晴らしい御文章を書写していただき、ありがとうございます。

260トキ:2016/11/03(木) 12:36:08 ID:I6WXgJAI
>>259

素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

厚かましいのですが、ハンドルネームをご利用いただけると助かります。
宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

261tapir:2016/11/03(木) 14:25:54 ID:CxVXlSJM

トキ様、a hope様


>>259でハンドルネームを入れ忘れたのはtapirです。失礼いたしました(^^;)。

他の板では自動でハンドルネームが入っていたので油断しました。

ご迷惑をおかけしてすみませんでした。以後、気を付けます。

262a hope:2016/11/03(木) 20:53:02 ID:xVBwxesw

Tapirさま

輪読会ご参加ありがとうございます。
実はこの1か月、いろんなことがありまして、わたし自身の夫婦関係についてもちょっと悩んだりしていたのです。

ですから、今回の輪読会のテキストが「女性教育篇」であることも、神さまのお導きのような気がしています。

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>>259
>>われらの使命は女性がより多く女性であるがゆえに、男性が専制になろうとしても専制になりえないような大調和の世界の創造にある。<<

以前は「男性に伍する」とか、感じ方や意見を男性に合わせる女性の活躍がもてはやされた時代だったと思います。
最近は、男性に優るとも劣らない才能を持ちながら、女性的な感性を持ち合わせている女性の活躍が目立つようになりました。
ファッションも女性的で美しくなり、より自然のままになっていることは、とてもよい事だと思います。
「より多く女性的である」ことを、この機会に、考えていきたいと思います。

-----------------------------------------------------------------------

ほんとですね!

最近は、女性が女性らしくありながらも男性とおなじように社会で認められるようになってきているような気がします。

“自然のままに生きる” ということが大切なのかもしれません……。


とてもマイペースになってしまますが、これからも輪読会を続けさせていただきます。
よろしかったらTapirさまも、お気に入りの聖典の箇所などご紹介くださるとうれしいです。

そしてもちろん、a hopeはこちらをご覧のみなさまのご参加も心よりお待ちしていますよ!

263tapir:2016/11/04(金) 09:11:36 ID:CxVXlSJM

>>262 :a hope様


お気に入りの聖典の箇所をというお言葉に甘えて、ご紹介させていただきます。

私は『生命の實相』29巻8頁〜9頁の以下の御文章が好きです。


『女性が男性に凭(よ)りかかる心を捨てたとき、女性的ななよなよしい魅力がなくなるとあなたはお考えになるかもしれません。しかし凭(よ)りかかる中風患者や猫背の美は本当の美ではないのです。それは病的な美であって、本当の女性美ではありません。女性は一人で街路を闊歩(かっぽ)しても、女性そのものの美を失うわけではありません。「美」そのものの本質は永遠的の存在ではありますが、時代の推移に従って顕われとしての女性美も進歩するのです。元禄娘のなよなよとした姿態の美よりも、近代の男性は、もっと知的な美を愛します。教養が明眸(めいぼう)に輝いているような美を愛するのです。内から生気が輝いているような女性美を愛するのです。どんなに目鼻立ちがすぐれていても無知な表情の女性はしだいに男性を魅する力はなくなりつつあります。』


特に「女性は一人で街路を闊歩しても、女性そのものの美を失うわけではありません。」の個所が好きでした。

『アナと雪の女王』など、勇気ある女性が活躍するアニメがたくさんありますね。
オリンピックの、レスリングや柔道でも活躍する女性たちをとてもたのもしく思います。
強いけれども、試合の後に見せる笑顔は若い女性らしくて、とても愛らしく思えます。


「近代の男性は、もっと知的な美を愛します。教養が明眸(めいぼう)に輝いているような美を愛するのです。内から生気が輝いているような女性美を愛するのです。」

ここも素敵ですね!


本当に自信のある男性は、女性が教養を身につけることや知的に進歩することを、心から応援してくれます。

そういう男性と女性の支え合いによって、日本がますますよくなっていくとよいなと思います。

264tapir:2016/11/05(土) 13:02:27 ID:CxVXlSJM

>>262  a hope 様


コメントの順番が前後しますが、私のコメントに共鳴していただきありがとうございました。

>>“自然のままに生きる” ということが大切なのかもしれません……。<<

“自然のままに生きる”ことがそのまま神さまの御心にかなっていたら素晴らしいです。
 特に家庭の中は“自然のままに生きる”安らぎの場でありたいですね。


ちょっと話がさかのぼりますが以下の言葉について、谷口雅春先生が書いていらっしゃることに関連して、感動した話をいたします。


>>男性にとっての第一の幸福は、自分が女性の心を純粋に摑んでいるという自覚です。<<


生長の家の行事で、奥様が心の底から旦那様を愛していることを表現することについて、奥様が心をこめて「うちのお父さんは世界一」とか「うちの旦那様は世界一の旦那様」とか「世界で一番あなたが大好き!」と言うとよいですよ、という話を聞きました。

「世界一!」って素晴らしいですよね。

70億人の人類の中からたった一人、縁があって結ばれた伴侶なのですから、「世界一」と遠慮なくいってよいのだと思いました。


言われた旦那様は照れて黙ってしまうこともあるようですが、気難しい方が一日でやさしい旦那様に変わる話もたくさんありますね。

もちろん旦那様が先に御教えを知ったら。「君はいつもきれいだね。美人の妻を持ってうれしいよ!」とか「料理上手だね!」とか「良くできた妻だ!」とかほめれば、奥様がとてもやさしくなられるという話もあります。


生長の家で、「効き目抜群」の言葉を教えられて幸せです(^^)

265神の子さん:2016/11/06(日) 01:02:38 ID:WEtcG5fg
a hopeさま

266るん吉:2016/11/06(日) 01:09:59 ID:WEtcG5fg
上、送信してしまいました。

a hopeさま

おかえりなさい。良かった。体の具合・・悪いのかなって・・違う違う,えんぎでもない。って

とにかくよかった。お身体やお心しんどくない?大丈夫でしょうか?無理しないでね。しんどい時は。

それにしても>>インターナショナルな活動、英語も勿論使います。 か・・イイナ!(*^-^*)

私は・・私は・It is not going so well these days.とほっ。でも頑張りますね!

267a hope:2016/11/11(金) 19:38:26 ID:vdNCBnG6

>>263 >>264 tapir さま

お気に入りのご文章の紹介と、素晴らしいご文章をありがとうございます。
返信が遅くなり大変失礼しました。

夫婦の調和がすべての基本なんだということを、今実感しています。
特に、夫婦の中が険悪だと子供にすぐに影響してしまいますね(;´∀`)

<<「君はいつもきれいだね。美人の妻を持ってうれしいよ!」とか「料理上手だね!」とか「良くできた妻だ!」とかほめれば、奥様がとてもやさしくなられるという話もあります。>>

こんな言葉を主人にかけられたら、わたしの人生バラ色に変わるんですが・・・(笑)、主人に心からそう言ってもらえるように自分磨きを続けたいです。

268a hope:2016/11/11(金) 19:40:48 ID:vdNCBnG6

>>266るん吉さま

お久しぶりです。
ご心配をおかけしましたm(__)m
わたしは元気なのですが、家族に色々変化がありまして忙しくしてました。

英語の勉強は続けていらっしゃいますか?
英会話力は語学力も勿論ですが、コミュニケーション能力が低いとなかなか上達しません。
わたしはコミュニケーション能力の高い人はみな、他者に対する好奇心がとても強いと感じています。

「生長の家」の「人間神の子」の教えはこのコミュニケーション能力も高めてくれる素晴らしい教えだと思います。

これからも一緒に学んでいきましょうね!

269トキ:2016/11/11(金) 20:06:35 ID:NZvgqq5Q
 皆様、輪読会ご参加ありがとうございます。

 ネットの良いところは、好きなときに投稿できる点ですね。
お仕事やご家庭など、いろいろと変化がありますが、無理をせず、マイペース
で続けて参りましょう。

 宜しくお願いします。

270a hope:2016/11/18(金) 05:25:00 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」 第29巻 p40 後から6行目〜

谷口――わたしが「物質は無い」というのは、「物質」と見えていても、物質そのものはそこにないので、そこに神の恵みの投影したものがあるというのです。

大根一本抜くのでも「拝んで抜け」と言われた金光教祖の心持ちがそれです。

大根一本を物質であると見れば「拝んで抜く」必要はありません。

拝んで抜く気になるのは、その大根一本を物質は見ないで「神徳」のあらわれとして見るからです。

石炭も神徳の現われであり、机も神徳の現われであるというのに、その石炭を生かすように智慧と愛とで燃やさないで、石炭を殺し、机を殺し、人間の能率を殺すように燃やしている――わたしはそれを見ただけでも、失礼でございますが、あなたのお店の営業成績がこの半期に落ちると判断しました。

それではまったく生長の家の経営法とちがいます。

出せば出すほど殖えるというのは、生かすように、智慧と愛とを出した時に限ります。

271a hope:2016/11/18(金) 05:26:03 ID:vdNCBnG6

>>270 a hope所感)

第四章は「無限供給の経済の立て方」というタイトルがついていて伊田氏という経営者が、
生長の家の「出せば出すほど殖えるという“無限供給”」の教えに従って経営をしてきたが、
実際にはうまくいかない、と雅春先生に反論されています。

それに雅春先生が伊田氏の心持ちの問題点を指摘して、厳しくもとても親切にお答え下さっています。

この章は経営者の方には必読の章だと思いますが、わたしはこの章が第29巻の女性教育篇に収録されているのか最初はよくわかりませんでした。

ですが最後まで拝読してその訳がわかりました。

272a hope:2016/11/18(金) 05:27:34 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第29巻 p45 3行目〜

谷口――(略)―――「空」に執えられ、「物質無」に捉えられ、「無限供給」に執えられ、「空執」によって「神の細心の智慧」をことさらに男子の豪快事とし、無駄をはぶくことをもってケチと称し、泥川へ金銭を捨てるようなやり方を生長の家の経営法だと誤認しているやり方を見ていると、危なかしくて見ていられないのです。

干渉がましところがあったらごめんなさい。

生長の家の「空」の真理は、執えたと思うとき逃げてゆくのですから、ひとかどあなたほどの人でも「空」にとらえられて、事業に処する自由自在の智慧を失ってしまうのです。

伊田――なるほど、これから気をつけましょう。


谷口――これはお店の経済だけではありません。

一家の経済の立て方でも同じことなんですよ。月給取りなどの家庭で「出せば出すほど殖える」と言って生長の家の経済の立て方を生半可に理解して浪費している細君に、「それじゃから生長の家は困る」といって争われる良人が往々にありますが、それはみんなこういう奥さんの「空執」から来るのですよ。

273a hope:2016/11/18(金) 05:29:04 ID:vdNCBnG6

>>272 a hope所感)

この章には、生長の家の「無限供給」の教えを生半可に理解して実行してしまうことへの警鐘があると思います。

それは事業経営を悪化させるだけではなく、家庭の経済をも悪化させてしまうのですね。

「天地一切のものへの感謝の気持ち」これが自然に出て来たとき、初めて生長の家の「無限供給」が実現するのだと思いました。

274a hope:2016/11/20(日) 05:23:59 ID:vdNCBnG6
「生命の實相」第29巻 

p47 9行目〜
不幸な女性を奥様に持った良人ほど気の毒な良人はありません。男性が本当に幸福であるためには、女性が本当に幸福でなければなりません。

   (略)

p47 後から3行目〜
幸福な心の人のそばにいれば、その人はなんとなく幸福な感じがするのです。それは精神波動の感応です。妻のそばにおってもなんとなく幸福な感じがしないのは、家が本当に幸福でないからです。妻たる女性が心に奏でる音楽が幸福なメロディーを韻(ひび)かせることがぜひ必要です。

   (略)

p48 後から6行目〜
多くの男性は女性が幸福の表情をしたら自分の生命でも投げ出すのです。家庭に良人を引き付けておこうとするには、奥様自身が幸福になり、奥様自身が幸福の表情をしなければなりません。

275a hope:2016/11/20(日) 05:25:18 ID:vdNCBnG6

>>274 a hope 所感)

ここまで拝読して、わたしは、ある「生長の家の歌」を思い出していました。
それはわたしの大好きな「歌」で、4年以上前に聖典引用板の方に紹介させていただいています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/210

そうしたら、この29巻の5章の最後にも、ちゃ〜んとその「歌」が紹介されていました\(^o^)/

聖典板の再掲ですが、もう一度紹介させていただきます。

みなさま、素晴らしい日曜日をお過ごしください!

276a hope:2016/11/20(日) 05:26:27 ID:vdNCBnG6

「光明と暗黒」

君は絶えず暗黒を撒いて歩く
不快な人間を見たことはないか、

君は眉をひそめた
悲しい表情の人々に接したことはないか、

君は表情が、
どんなに伝染力の強いものかを
経験したことはないか。


悲しい表情をした人間は
悲しみを撒いて歩く、

不快な表情をした人間は
不快を撒いて歩く、

それは黴菌を撒いて歩くよりも
尚大きな罪悪である。


また君は絶えず光明を撒いて歩く
愉快な人間を見たことはないか。

君は絶えずその唇に
幸福な微笑をだだよわし
逢う人毎に
幸福をうつして歩く人間を見たことはないか。

君は表情が
どんなに伝染力の強いものかを
経験したことはないか。


君は与えるものがないことを
嘆いてはならない。

君は与えるものがなくとも
幸福な表情を与えることが出来るのだ。

子供の顔を見るとき
良人の顔を見るとき
妻の顔を見るとき

兄弟の顔を見るとき
姉妹の顔を見るとき

八百屋に挨拶するとき
風呂場で知った人に遇うとき

君が幸福な表情さえすれば
君は幸福を与えて歩く。


幸福な表情をした人間は
幸福を撒いて歩く、

愉快な表情をした人間は
愉快を撒いて歩く

それは物を与えるよりも
一層好い贈り物であるのだ!

277a hope:2016/11/25(金) 07:35:11 ID:vdNCBnG6

「生命の實相」第29巻 p91 後から2行目〜


「本来無い不幸」がどうして現われるかというとすべて「我(が)」の心が邪魔になるのであります。

「我」というものは「本来一体」のものを取りちがえて分裂感(わかれたかんじ)を起こしたものであります。

ちょうど大海の水のように、われわれの生命は、「神」と「自」と「他」と、その三つは一体である。

それが波と波とのように分れて、本来一体でないと思い、「我(われ)」だけであくせく苦労しなければならないと思う、これが「我(が)」の心であります。

この「我(が)」の心で苦労すると本来一体が一体でなく見える。

大海の水が一体でありながら無数の波に分かれているように見え、満月は本来マン円(まる)いにかかわらず、壊(くだ)けて不完全に見えるように不幸は本来ないにかかわらず、不幸の相(すがた)が表面に現われてくるのであります。

ですから幸福を招きたい人は「我(が)」の心を捨て、引っかからない、素直な心、そのまま受ける心、神様におまかせした、全体の動きにおまかせした、明るい焦らない朗らかな心をもつことが大切であります。

「我(が)」があったら人間は明るくなれません。


「我(が)」をとったら明るくなる。

明るい世界に暗い影は這入ってこないのですから、常に心を明るい浄(きよ)らかな嬉しい嬉しい状態でおきますと、万事都合よくそのままで何でも整うようになるのであります。

278a hope:2016/11/25(金) 07:36:57 ID:vdNCBnG6
>>277 a hope所感)

第七章は「ダリアの花に題して」という副題がついていて、上に謹写した文章は章の最後の文章です。

この章の内容は、一つの見苦しいダリアの球根から美しいダリアの花が咲くことに例えて、
わたしたち人間もその「生命」を素直に発揮すれば、だれでも幸福な人生を送ることができるというものです。

聖典の文章はどこを拝読しても素晴らしいのですが、わたしは今回のような「ダリアの花」や「朝顔の花」の理念の具象化の例え話を拝読するたびに心が洗われています。
過去に「朝顔の花」のお話を「訊け」さまと復興Gさまも聖典引用板の方に謹写してくださっていますので紹介させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/284
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/470

ダリアの花のたとえ話は、今回のテキストのP78にありますのでぜひご拝読くださいね!

279るん吉:2016/11/30(水) 05:44:07 ID:h3ODWWgg
>>278
>>「我(が)」の心が邪魔になるのです。

a hopeさまこれ、難しいですねぇ・・我をなくすのが。

我がなかったらその人はもう 悟りの境地 だし・・。修養でも無理かな・・というより修養なんて却って無理ですね

で、やっぱり 実相の自覚 でしょうか。結局、全て(の解決)は、本当の我は肉じゃない、神の子。という実相独在の根本真理を知ることなんですかね。」

いつも有難うございます。

280a hope:2016/12/04(日) 12:26:10 ID:vdNCBnG6

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第6回 web「生命の實相」輪読会 案内

期間   平成28年12月4日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第30巻 児童教育篇
内容   子供への光
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま、おはようございます。
12月に入りましたので、第6回 web[「生命の實相」輪読会を開会したいと思います。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、「本流復活」を考える 『web「生命の實相」輪読会』 板 に於ける
生命の実相 輪読会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆

281a hope:2016/12/04(日) 12:27:25 ID:vdNCBnG6

みなさま こんにちは

案内がおそくなり申しわけありませんm(__)m
はやいですね、もう12月になりました。
人間神の子の「生長の家」の教えに出会えたことに感謝して、今年最後の1か月も元気に明るく過ごしたいですね!

282a hope:2016/12/04(日) 12:30:04 ID:vdNCBnG6

>>279 るん吉さま

ご投稿ありがとうございます!
るん吉さまにとって「修養」ってどんなことですか?

わたしは今までの人生を自分の「我」のままに生きて来ましたが、その結果起こることがすべて人生の「修養」なんだなって気がしています。

「生命の實相」や「甘露の法雨」を拝読したり早朝神想観をしたりできるのは、「実相とはなにか」を体得できる喜びの行事ですから、
わたしにとって「修養」って感じではなくて、むしろ快い行事です。

でも、最近は仕事や生活に追われてしまっていてその歓びの行事をする時間がなかなか取れていません。

きっとそのうちにまた余裕がでてくると思っていますが・・・
すべては神さまにお任せしています。

少しずつですが、輪読を続けていきますので、またご参加くださいね!

283a hope:2016/12/06(火) 04:42:41 ID:vdNCBnG6

第30巻「はしがき」より抜粋

真の教育はしょせん、人格と人格との接触によって行われなければならないのである。

人たるものの人格の本質(実相)は、“仏性”または“神性”である。

教師が内部にある自己の神性を開顕して、児童に接触するとき、児童の内部に宿っている神性が引き出されるのである。

教師みずからがその肉体的労力を賃金によって切売りする労働者にすぎないと自覚して肉体的な利己的、我欲的面のみを露呈して児童を教育するならば、児童は利己的、我欲的な面のみ発達せしめられて円満完全な人格を成長させることはむつかしいのである。(p2 1行目〜)


わたしが本書において唱道(しょうどう)している教育の根本は、まず、「児童に人格の自由をみとめる」ことである。

「児童に行為の選択の自由を与える」のである。

叱責や刑罰で恐怖心を与えて児童を先導しようと思っても、それは反対効果を得るだけである。(p2後から7行目〜)


わたしは三十年間わたしの新しき教育法を多くの教師または父母たちに実践せしめてきて、それが実際に効果があることの実証を得てきたのである。

この革新的教育法は、わたしが創めたところの三十年間においてはもちろん新しかったが、三十年後の今日、戦後の民主主義教育時代にが、なおいっそう適する喫緊(きっきん)な教育法となってきているのである。

今ではこの教育法を中心に多くの大学高等学校中小学校などの教職員と父母の連名である「新教育者連盟」というものができて、それがますます全国に広がりつつある現実である。

本当に新しいものは、やがて古くなるところの流行的新しさではないのである。

常に永遠に新しいものこそ、本当に新しいものである。

そのような意味において、常に新しさを失わない教育法こそ本書に説かれている教育法である。(p3 5行目〜)

284a hope:2016/12/06(火) 04:46:35 ID:vdNCBnG6

>>283 a hope 所感)

「真の教育はしょせん、人格と人格との接触によって行われなければならないのである。
人たるものの人格の本質(実相)は、“仏性”または“神性”である。
教師が内部にある自己の神性を開顕して、児童に接触するとき、児童の内部に宿っている神性が引き出されるのである。」

どんなに取り繕っても、その人の内面の人格というものはにじみ出て来てしまうのですよね・・・。
特に、子供たちは大人の人格を見抜く天才だと感じていますが、同時にとても影響を受けやすく、良くも悪くも感化されてしまいます。
教師(指導者)や親は常に自分を研くことが大切だと感じています。


「本当に新しいものは、やがて古くなるところの流行的新しさではないのである。
常に永遠に新しいものこそ、本当に新しいものである。
そのような意味において、常に新しさを失わない教育法こそ本書に説かれている教育法である。」

『永遠に新しい』ってすごい表現ですね!

例えば、どんなに表面を美しくしてみてもそれは本当の美ではなくて、いつかは醜く朽ちてしまう、虚偽の美しさ・・・。

メリル・ストリープ主演の「永遠に美しく」という映画がありますが、あの主人公はまさに虚偽の美を追求してどんどん醜悪になっていきます。

わたしは、生長の家の教えを学んで、常に『永遠に新しく』を目指したいです!

285うのはな:2016/12/07(水) 00:32:48 ID:R9GcJyNI

人をどれだけ愛したのでしょうか?

 自分の子どもさえ、そうでない子どもであさえ。

 結局信仰って、不出来な私がこれだけ人を愛するつもりになってただかだけです。

 それは実証できないし、やらなくていいんです。

 でも、私は誰かを愛してたっていうことが言いたくて生きている。

 それは大事なことだと思います。

286a hope:2016/12/07(水) 05:21:49 ID:vdNCBnG6

>>285うのはなさま

輪読会ご参加ありがとうございます。

「愛」の定義は難しいですね。

でも、うのはなさまからのメッセージにわたしはインスパイアされましたよ!

わたしは「愛」は「無償の愛」でなければ本物ではないと感じています。
人は「我」があるとどうしても見返りを期待してしまう。
「これだけしてあげたのにお礼もいえないのか・・・」とかね(笑)
でも少しでも見返りを期待してしまったら、もうそれは純粋な「愛」ではなくなってしまいます。


神さまの愛は常に無償です。
本当は、この世界はその神さまの愛で満たされているのに、わたしたちはそれになかなか気づかない・・・。
そのことに気がついて感謝の気持ちが溢れ出て来たとき、それが本当の「天地一切のものへの感謝」の気持ちなのだと思うのです。
神さまとの相思相愛かな?


それは、わたしたちが「感謝しよう」とか「愛そう」とか思ってできるものではなくて、
人間が成熟した時、神の子が自覚できたときに、自然にあふれ出てくる感情ですね。
でも、それって言いかえれば、「真理を大悟」したってことですから、
現象的に生きているわたしたちにとっては、とても難しいことだとも感じています。

「難しい」という言葉を、嫌う人もいらっしゃるかもしれませんが、わたしは反対に「難しい」に感謝しています。

だって、「難しい」があるからわたしたちは生長できるわけですから・・・。

つまりは、「ありがたい(有難い)」=「愛」ってことですね!

287a hope:2016/12/09(金) 05:20:57 ID:vdNCBnG6

生命の實相 第30巻 p34 6行目〜

「生長の家の教育は点取り虫の養成ではない」

かくのごとく、この生長の家の教育法を応用すれば人間の記憶力をじつに大きく伸ばしてゆくということができるのであります。

しかしこの生長の家の教育法を児童の学校成績をよくする――勉強せずにいて点数を余計取る狡い方法だくらいに考えられますと、大変なまちがいであります。

生長の家の教育法の目指すところは、そんな単なる小さな問題ではないのでありまして、もっと大きな問題がある。

それはいかなる困難に遭遇するも決して崩折れてしまわない「大いなる自己」の発見であります。

学校はたとい及第するにしても落第するにしても決してそれによって崩折れてしまわない、挫折してしまわないところの無限の内在する力を見出さしむることが生長の家の教育法の目指すところであります。


必ずしも点数がよくて席順が上がるばかりが能ではないのであって、世界中の人間が皆生長の家へ入って、同じ教育法を受けて、みんな試験場へ臨んで同じような最高点数を取ったら、現在では学校の数は生徒全部を入れるほどには足りないから、誰かがまた落第しなくちゃならぬことになるかもしれません。

そういうふうな時に挫折してしまうのでは生長の家の教育法はなんにもならぬわけであります。

全ての人間は学校を落第した時でも、人生に落第しないところの、どこからでも自己の魂を太らす栄養を吸収する大きな力を摑んでおかなければならないのであります。

この「大きな力」を摑ませておくのが生長の家であります。

288a hope:2016/12/09(金) 05:22:41 ID:vdNCBnG6

>>287 a hope 所感)

<<それはいかなる困難に遭遇するも決して崩折れてしまわない「大いなる自己」の発見であります。>>

どんな困難にも挫けない「大いなる自己」・・・かっこいいですね!

289a hope:2016/12/09(金) 21:43:50 ID:vdNCBnG6

>>286でわたしは、「難しい」に感謝していると発言しましたが、
これは決して「不幸」になることや「受難」することに感謝しているという意味ではありません。

それでは受難礼賛になってしまいます。

本当に人を愛するのは「難しい」つまり本当に悟るのは「難しい」という意味です。

でも、その「難しい課題」があることに感謝しているという意味です。

生長の家は受難礼賛の教えではありませんから、「不幸は無い!病気もない!」ですよね?

でも、そのことを本当に悟るのは「難しい」という意味です。

「難しい」ということを自覚するのは、野狐禅にならないためにもわたしは必要だと感じています。

皆さんはどう思われますか?

290神の子さん:2017/03/01(水) 00:07:47 ID:GFWemD/o
150万円程度の中性子線測定器で正常値が0.00μSv/hのはずの中性子線が特定個人の元ではか不明だが測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=8R0luOy8ce8

新幹線の中やその付近でも27万円程度の測定器で正常値が0.058μSv/hのはずのガンマ線が特定個人の元ではか不明だが最大測定値を上回る形で測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=41lQN7rF3fQ

ベータ線(ガンマ線)を一つ計測すると、一回"ピィ"と鳴る測定器で正常値が約55カウント/min程度のはずが観測者の自宅では大きくそれを上回ってしまって測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=4veAJaorl1s

291トキ ◆NeaLgIQX3w:2017/03/01(水) 00:57:42 ID:WE6FhVws
>>290

すみませんが、同じ投稿を複数回投稿するのはおやめください。
それと、生長の家とどういう関係があるのでしょうか?
ご説明をお願いします。ご返答がない場合は削除します。

管理人

295トキ:2017/04/06(木) 01:03:30 ID:lhwrNPJA

第8回 web「生命の實相」輪読会(日程変更あり) (581)
日時:2017年03月01日 (水) 15時53分
名前:a hope

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第8回 web「生命の實相」輪読会 案内

期間   平成29年3月1日〜4月30日まで
テキスト 「生命の實相」第33巻 随喜篇 
内容   
    
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 以下をご覧ください。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=toki2&amp;mode=res&amp;log=108

298ドキ:2018/12/19(水) 02:03:54 ID:MFd7sHPM
あれ?新羅人の志恩さん (8427)
日時:2018年12月18日 (火) 08時52分
名前:シオン観測隊

何故、ヤオハンの話題をしたら、新羅人=志恩さんだと、バレきたかしら
注目投票をする(0)


1 (8429)
日時:2018年12月18日 (火) 09時53分
名前:トキ

1

299栃木恩:2018/12/19(水) 02:08:08 ID:MFd7sHPM


毎回明確な、検証のシオン観測観測隊 (8431)
日時:2018年12月18日 (火) 16時54分
名前:シオン観測隊

毎回明確に新羅人の志恩さんの検証、分析をコメントしてる、シオン観測隊。志恩さん、日野ボンのコメント出来る立場では無いのである。

3680:志恩

18/04/26(木) 23:06:31 ID:6hRUvSRg
私は、フリーなので、教団の方も学ぶ会の方も、行けるのです。

============
(トンチンカン=志恩さんが、生長の家を、何十年もに、脱会されている、証拠のコメント)

※→私も私で、私が義兄に、「今は 払いたくないんです」と払わないように

お願いしているにもかかわらず、

義兄は、夫と私の二人分の聖使命会費を、「そういうわけには、まいりません」と、


①聖使命を、第三者奉納なので?すでに?信徒?信者で無い亊は?明確な事実です♪

②従って、愛国だろと?トキ掲示版だろと?生長の家や谷口雅春先生や?清超先、雅宣先生、その他谷口家の人や?生長の家の講師や関係者に?対し?コメントするは?出来ないし?資格も無いのです?

③②を侵して、コメントしてるのは、単なる、自己満足者、マニア、愛玩者です♪

============

(何故なら、生長の家無関係者だからで、ある。シャンソンさんに指摘されてる。文句あるなら、傍流に来てみなさい)

NAME
志恩
SUB
ほんと、元信徒様のご指摘するように、この応酬はメビウスの輪、出口のない迷路になってると私も思いました。
MES
ほんと、元信徒様のご指摘するように、
この応酬は メビウスの輪状態....
これを続けても、終わりは無限に無く、
出口のない迷路になってると私も思いました。


それに
本音の時代さまは
教団側と本流側の組織の上層部の方たちのことを指して
おっしゃっておられますのに対して、

日野智貴さまは、
上層部の方たちのことではなく、
組織に属している 部下の方々のことを指して言ってる。

日野智貴さまー
>>これも何度も言うけれど、組織の内部で教団の腐敗を糾すために
戦っておられる方を私は何人も知っています。
組織を見捨てた方よりも、そういう方の方が素晴らしい、と私は思います。<<

この言い方ですと、
教団に残って、教団の上層部の腐敗と戦ってる
教団に所属している部下の人達の方が、

教団という組織を見限って
教団組織から離れて行った 

例えば、学ぶ会に行った部下の人達よりも
より素晴らしい人たちだと思う...と言ってるように聞こえます。

今回のテーマは、
双方の上層部の方たちについてのことであり、

部下や、信徒の、どちらが、素晴らしいか素晴らしくないか、
ということではないと思います。


投稿日時
2018年12月18日 (火) 03時09分

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こんな、嘘コメントは、本人為に、ならない

300神の子さん:2018/12/28(金) 23:04:26 ID:7W2PGskg
「したらば」掲示板一時閉鎖のお知らせ (5323)
日時:2018年09月21日 (金) 10時46分
名前:トキ

 平素は「生長の家「本流復活」について考える」をご利用くださり、感謝申し上げます。

 旧 生長の家「本流復活」について考える(したらば版)ですが、最近、シャンソン様などが書き込みを繰り返しているので、正常な状態ではなくなってしまいました。とはいえ、このまま「掃除」をしても、イタチゴッコです。そこで、一旦、書き込みを停止し、その間にアラシ投稿を削除したいと思っています。閉鎖の日時は後日おしらせします。清掃が終わった後に、再開したいと思います。

 なお、この「生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)」は閉鎖などはしませんので、ご安心ください。
 
 以上、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます。


管理人敬白


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