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『web「生命の實相」輪読会』 板

215a hope:2016/08/13(土) 13:02:32 ID:vdNCBnG6
>>213つづき)p71 9行目〜

むろん、われわれは霊界へ行きましても、しばらくの間はこの地上における薫習(くんじゅう)が脱げないのでありまして、地上において御飯を食べておったような霊魂たちは、霊界へ行っても「御飯を食べたいな」というふうな感じがするのであります。

そういう霊魂たちに対して食物をお供えしてあげるということは必要であります。

「食物をお供えしても、お下がりを見ると何も食っておらん。何も食っておらんからあんなことはただ形式的である」とこうお考えになる人もあります。

けれども本当はそうじゃない。

霊魂は何を食べるかというとわれわれがこれをお供え申したいという「念波」を食べるのであります。

それでリンゴならリンゴをわれわれが持って行って「リンゴをお供え致します」と、本当にその念を切実に念ずると、われわれの心にリンゴというものが念によって描かれ、そうして念に描かれたリンゴと、あの人にあげたいというすなわち念送の原動力が結合する。

すなわちリンゴを祖先の霊(みたま)に送ろうという念波の放送により、供える人の念によって造られたリンゴというものが霊魂の世界へ念波の放送に乗って行くということになるのであります。

すると霊界には念によって仮作されたリンゴが出来上がる、そうすると「あれはわたしに供えて下さったのだからいただこう」という気が起こると、すっと自分の口へ入ってしまって、そうして「おいしい、ああ満足した」という気持ちが起こるのであります。

その状態は「無量寿経」に書かれている極楽浄土の状態のようなものであります。

霊界は念波で作られた世界であって、われわれは供養の念を供えて、食べていただくということになるのであります。

むろんもっと向上した霊魂――肉体は無い、何も食べなくてもわれわれは神の生命によって生かされているのであるという自覚を得た霊魂たちは決して何も食べたいとは思わないのでありますけれども、しかし、自分に対する愛念をもって供えて下さったという愛の念(こころ)はやはり喜びとなり、その人を生長させることになるのであります。

霊界は念の世界であって霊魂たちというものは何を食物として生きているかというと、念を食物として生きているのです。

善念は最も生長せしめる滋養物となるし、悪念は霊魂を低下せしむる害物となるわけであります。
(つづく)


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