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『web「生命の實相」輪読会』 板
232
:
a hope
:2016/08/29(月) 10:56:21 ID:xVBwxesw
>>229
つづき
「生命の實相」第28巻』p112 3行目〜
ところが、「この子は百合の花でもなんでも毀す悪い子供だ、子供というものはどうも乱暴なもので、美しいものでも何でも毀すもので、悪い者だ」こういう言葉を持ってゆくと、そこにせっかく愛撫の気持ちをもって行動した、そのことが悪いことだった、と子供にとっては実に変な矛盾した感じになって、子供の内部生命の愛が芽を吹こうとしているのが迷ってしまうことになるのであります。
だから人間は本来悪人はない、いわんや子供に本来悪人はないと知って、実相を見るようにし子供が花を愛撫するために花を摑んでもこれは愛撫する心でしたのであるから決してわるい心でない、どの程度に摑んだらいいのかわからないために失敗したのだ。
傷ついたら、傷ついたのを機会に本当の愛撫の仕方へ誘導する。
子供の頬っぺたを軽くつつきながら「可愛い坊ちゃんだね、可愛い可愛い」と言葉で言うと、「お母さんは可愛いね」と言って子供もお母さんの頬ぺたをつついて撫でる。
そこで愛というものが本当にどんな気持のものであるかということがわかってくる。
お母さんにそうしてあげると、お母さんがまたうれしそうな顔をする。
こうして、その子供は、自分の喜びは母親の喜びである、あるいは自分の喜びは百合の花の喜びである――百合の花に触れれば百合の花も喜んでいるものであるということがわかってくることになるのであります。
こういうようにして、この自と他と、自分と外界とのすべてが一つの生命に支配され、愛の世界に融け込んでおって、自分の喜びはすべてのものの喜びであるということが幼児の時から自然と感ぜられるように仕向けるということによって子供の愛の本能を本当に大きく生長さしてゆくということができるのであります。
大きな大人になってから「本来自他一体である」なんて言っても、理屈みたいで、かえって素直に這入らないのだけれども、赤ん坊の小さな芽生えの時には、自他一体ということが実によく理屈なしにわかっているのであります。
「ああ、可愛い」と言って自然と花でもなんでも撫でる、そうするとまた、母親から撫で返してもらって「ああ可愛い」という愛撫の善さがわかる。
この乳児の体験が成長してからのすべての愛の基(もとい)となってくるのであります。
そういうふうにして子供を教育して行きますと、自然と内部に宿っている神なるもの、神性、仏性というものが現れてきて、悪とか、冷酷とか、憎悪とかいうようなことを自然考えないなってしまい、この世からすべての悪というものが形を消してしまうのであります。
こうして言葉の力というものが実に偉大な感化を及ぼすものだということがわかってきましたならば、善き言葉の書籍にまとめたものを読ませるということの大切さも、類推されるのであります。
子供が十歳か十二、三歳にもなると聖賢の書物を読ませる、偉人の書物を読ませるということは尊い感化をその子供に及ぼすことになるのであります。
お伽噺の選択を誤ってはなりません。
悲惨なもの、憂鬱なもの、恐怖を感ぜしめるものはいけません。
聖賢の話を読ませると、自分のうちにもやはりこういう偉い人と同じ素質があるものである、自分もこうなれるという心持が内部から勃然と湧き起こってくる。
どんな聖賢の偉人も皆自分と同じものである。
みんな神の子である、自分のもできないことはないのである、という自覚が子供を高め上げて、ついにそれらの子供が聖賢偉人の足跡を辿(たど)るようになるのであります。
この生長の家式の新しい教育法については『生命の實相』第七巻、第十三巻および第十五巻(頭注版では第十三・十四・二十五・二十六・二十九・三十巻)に詳しく書いてありますから、ご併読下さるよう希望します。
久遠佛性篇 「常楽宗教の提唱〈下〉」終わり
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