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『web「生命の實相」輪読会』 板

251a hope:2016/09/24(土) 07:56:29 ID:xVBwxesw

「生命の實相」第28巻 p168 後から1行目〜

三 色盲癒ゆ、前途洋々

僕は東京府立四中の五年生です。

木枯らしの風の吹きすさぶ去年の冬休みのある日、僕は多摩川近くの鵜ノ木の高台にある叔母の家を訪れたのでした。

その時にはちょうど八月の海軍兵学校の体格検査に色盲の故をもって、はねられて、父の後を継いで海軍の人となることにほとんど定めていた僕の前途は、突然、大暗礁にのりあげた船のようで、いったい僕はどの方向に進路をとろうかしら、と考えては前途の暗雲にただ拱手(きょうしゅ)してすっかり悲観していたのでした。

その日の午後のこと、叔母が「この本を読んでごらん」と言って、出してくれたのが、聖典『生命の實相』でした。

ただなんとなく心に惹かれるものを感じて、披(ひら)いてみたのです。

するとその本には従来のわれわれの思想と、あまりにも懸隔(かんかく)のあること――すなわち、「肉体は本来無い。病気も本来無い。」というようなことが書いてあったのです。

ですから病気のうちでも遺伝で不治だとされていた色盲でもって、目的に勇往邁進(ゆうおうまいしん)できず、前途を悲観していた僕としては、どうしても反駁(はんばく)せずにはいられませんでしたし、もちろん信ずる気にはなれなかったのです。

ことにその頃の僕は、わがままいっぱいの少年だったので、今考えてみれば、実に下らない反駁ですが、その時は大真面目で『生命の實相』に書かれてある事々が、本当に荒唐無稽(こうとうむけい)のように考えられて、『生命の實相』を持ち前の強情から投げ出して、放りっぱなししておいたきり、それきりになってしまっていたのでした。

それから四カ月後、機縁が熟したというのでしょうか、母が再び「生長の家」の話を、僕に伝えてくれました。

その時はまだ突っぱっていてちょっと行ってみてきてやれ、というような気持ちで、四月二十八日に母と共に家をでたのです。
本部へついてから、母が谷口先生に色盲について質問させていたただいたのに対して、先生は次のようにお答え下さったのです。

「要するに目というのは、心の窓のようなものであって、それに色盲が表われて色が見えないというのは、君にはすべての色を万遍なく受け容れる心が無いからだ。あれは気に入らん、これも気に入らん、という心が、窓である目に表われて、色盲が形を現わしているのだから、すべての物と和解して、何でも受け入れるような心になりなさい。親には孝行をし、目上の方々の言われることをよく聞き入れ、世の中のあらゆる物に、ありがたいという気持ちをおこすようにしなさい。そうすればなおりますよ」

ということでした。

そこで考えてみると、先生のお言葉とおりの僕であることが、ひしひしと感じられて、先生のおっしゃられたとおりの心になれるよう、聖典をもっと何回も拝読しようと、自分に言い聞かせたのでした。

一日おいて二十九日には、本部の神想観に自分から行くようにまで、突っ張りが和らいだのでした。

しかし何としたことか、翌三十日の午後に、叔母と妹とが有名な映画、「未完成交響曲」と「ながれ」を観に行くと言っているのを聞いて、どこからともなくわがままが飛び出して、三人で大喧嘩をしてしまったのでした。

その時でした。

母が静かに二階から下りてきて、僕たちの険悪な空気の中で、仏壇に向かって聖経『甘露の法雨』を読みだしたのです。

「或る日天の使い生長の家に来たりて歌い給う――」と。

するとどうしたことか、僕はどうしても仏壇に向かい、合掌せずにはおられなくなったのです。

ただ、涙――。

ありがたいような、温かいものが僕の全身を包んでくれたような気でいっぱいでした。

やがて、母の朗読は終わりました。
(つづく)


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