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『web「生命の實相」輪読会』 板

256a hope:2016/11/01(火) 07:45:43 ID:xVBwxesw

はしがき

生命の在るところ必ず道がある。

生命とは道であるからである。

それは一切所(いっさいしょ)に充ち満ちているからコレだといって凝縮して見せうるような形はない。

しかし生命をわれわれが宿しているとき、おのおのの生命の顕現の位置に従って、その道の現われ方は異なる。

亭々(ていてい)たる松の樹の伸び方には松の木にあらわれたる生命の道がある。

聱牙(ごうが)として磐屈(ばんくつ)する梅の古木には梅の古木としての道がある。

あるいは絢爛なる桜の花、あるいは純潔なる百合の花、あるいは触れれば散らんばかりの罌粟(けし)の花、あるいは濃艶情趣(のうえんじょうしゅ)を滴(したた)らす牡丹の花、皆それぞれに道がある。

道は形なく一つなれども、その顕れは無限である。

男性には男性の道があり、女性には女性の道がある。

ひっくるめて人の道を守ればそのままで人生は幸福だということはできないのである。

人のみちも一つにして同時に多く岐(わか)れているからである。

わたしは既刊の『生命の實相』において、男性にも女性にも子供にも大人にも老人にも当て嵌(は)まる総括的な人の道を説いてきた。

男性にも女性にも子供にも読まれるべき人生光明化の一般的教えにおいては特に女性のみに関する特殊の道を説くことができなかった。

それを補うために出たのが本書二十九巻である。……

(略)

……男性の専制に対して立ち上がっても、女性は真に幸福にはならないのである。

われらの使命は女性がより多く女性であるがゆえに、男性が専制になろうとしても専制になりえないような大調和の世界の創造にある。

昭和四十年五月十日  

著者しるす


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