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『web「生命の實相」輪読会』 板
213
:
a hope
:2016/08/13(土) 11:26:55 ID:vdNCBnG6
「生命の實相」第28巻 p68 6行目〜
「実相の生命」には来世ということはない、生まれ更(か)わるということはないのでありますが、仮存在としての生命は生まれ更わるのであります。そうしてこの肉体の世というものもこの仮存在の一つであります。さて、その仮の世というものが何でできているかと申しますと、業でできているのです。業というのは何であるかというと、「念波」であります。「念波」の集積が業であります。
そこでわれわれの肉体というものは、科学的にはこれは物質の体(たい)で、物質の体とは何であるかというと、エーテルの波の中にできた渦巻の塊(かたまり)である。そのエーテルも本来無いというような最近の説もありますが、結局「何もないもの」無の一種の波であることになっているのであります。
そんなわけで、この肉体というものも何もないものも一種の波であるのでありますが、肉体として現われている波と、霊魂として現われている波とがあるのです。眼に見える波動(すなわち肉体)だけを存在すると思ってはなりません。眼には見えない、われわれの五官に触れない無数の波動が存在することを知らねばなりません。赤外線でも紫外線でも眼に見えませんが、眼に見える可視的光線よりもかえって強い働きを現わすのであります。
われわれはこの地上の生活においては肉体という眼に見える波動的体を現わして、この物質界という波に触れることによって、この波の世界ならでは体験するできない経験を得て、だんだん修行しつつ、この地上の生活によって「有」の第一段階を終えると、今度は肉体という粗雑な波動の体を脱いで、そうしていっそう精妙な霊体の波だけになるのであります。これがいわゆる日蓮上人のいわれた「魂魄(こんぱく)」であり、霊体の波だけになってそうしていろいろまた霊界において活動するということになるのであります。
われわれの祖先も肉体を滅しても霊体の波はやはり存在しておりますので、その霊体の波たるや、その人の悟りの程度にしたがって千差万別の状態を現わしているのであります。それは現世においてもこの肉体という波動的存在がその人の悟りの程度にしたがっていろいろの波を現わして、健康であったり病気を顕わしたりしているのと同じことであります。
(略)
p70 後から6行目〜
ですから、われわれが自身が霊界に行きましても、この世で生活が下手な人は霊界でも生活が下手である。霊界で病気している霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。それはちょうど、下手な画家であれば板の上に描いても布カンバスに描いても依然として下手であるというのと同じであります。ですからわれわれ自身がまたは他(ひと)の霊界における生活状態というものを良くしようと思うと、やはりどんなカンバス――現世とか来世とかいうカンバスがどんなに変わっても――どんな画布(カンバス)の上に描いてもいい絵がかけるようにしておかなくちゃならない。
われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに何でも絵を描くかというと、念波で絵を描くのであります。念波といる絵具をもって絵を描くのでありますから、その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。
最もよい念波は何であるかと申しますと、悟りの念波なのであります。この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施というものでありまして、最も尊い施しであります。われわれは人に物を施すのは、物施といって物を施すのと、それから法施といって悟りの念波を施すのとがありますが、真理(さとり)の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。
(つづく)
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