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『web「生命の實相」輪読会』 板

229a hope:2016/08/28(日) 07:35:35 ID:xVBwxesw
十六、吾らは常に善と愛と智慧と光明とが人の実相なることを信じ、常につとめて善に還(かえ)り、愛を行い、真理の書を読み、全人格の雰囲気と心の習慣とを神の如く完全なるものたらしめんことを期す。

【第十六条 説明文抜粋】 副題「善と愛と智慧と光明とを生かせ」
「生命の實相」第25巻 p110 後から3行目〜

これを要するに、人間は本来善であって悪人というものはない。物を破壊するというようなことでも、それが自然に出て来たときにはけっしてそれは悪ではないのであぅて、それが大人の立場、経済的の立場から考えたら、悪に見えるために、「お前こんないたずらをして悪人である」こう言葉で宣言するために悪というものが出現して悪童、悪い子供というものが出来上がるのであって、それまでは「わるい子供」というものはないのである、こう申しましたが、赤ん坊がだんだん生長して、乳児期から少年期に移るというふうな時代になりますと、だんだんものを愛撫するというふうな心持が起ってくるのであります。

ものを愛撫する心持ちが起ってきて、たとえばここに百合の花があるとしますと、その百合の花を見るとそれをなんとなしに摑(つか)んでみたいというような心持が起ってくる。

ところがこの百合の花を摑んでみるということは子供にとっては百合の花を愛撫するということなのです。

しかし大人にとっては美しい花を引っ掴まれてたまるものか、摑んだら毀してしまうというふうなことを考える、「そんなことをしてはいかぬ、お前はまたわるい子である」とこういうふうにともすれば言おうとするのです。

これは子供の内に動いている愛というものを押し消している教育になっているのです。

最初は愛撫するつもりでも、どのくらいに摑んだら毀れるものであるかということがわからないのであって、ただかわいいから摑みたいというふうな気持ちが起ってくる。

摑んでみて毀れたら、その時はじめて、「ああ、この花は毀れてかわいそうだ」という感じが子供にも起こる。

この時「ああ、かわいそうに!百合さん」と言って、お母さんが残った百合の花を毀さないように軽く撫でる格好をする。

するとその程度の愛撫では花は傷つかないことが子供にもわかる。

そこで子供は真似をして、「かわいそうに、百合さん」と言って愛撫の真似をする。

こうすると愛撫の心は押し消されないで、かえって愛撫の心が養われながら、物の大切な扱い方というものが解ってくる。


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