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聖典引用 板

2555a hope:2013/09/20(金) 07:41:53 ID:dyDQLtZQ

▣ 家庭祝福の祈り

わが家は″神の子″の家である。
わたしの家族はことごとく″神の子″ばかりである。
わたしの家庭には神の愛が充ち満ちているから、みんな調和して仲がよいのである。
わたしの家庭には神の知恵が充ち満ちているから、みんな調和してまちがいをすることはないのである。
みんな″神の子″であり健康で善い人ばかりである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2556SAKURA:2013/09/22(日) 21:56:58 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>> の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――

■最後の目的とする真実の願い・・・・・ その④

 そこで、この婦人は、マン女史のすすめに従って“子供達を愛をもって世話することが
できる仕事を与えたまえ“と祈ったのであります。そうしますと、間もなく、その祈りは
きかれて、二人の子供をもった若い検事の家に子供の世話係りとして雇われることになっ
たのです。矢張り女の人は、子供の世話をする愛情の表現のある仕事というものに、非常
に価値を感じ、生き甲斐を感じるものなのです。

 そして、そこで働いているうちに、その検事の宅に出入りする法律家とが仲良くなり、
終いにはその法律家と恋愛関係になって、やがて結婚して本当の魂の願いである愛と平和
と調和との良き良人と善き子供に囲まれた、婦人として、女として真なる願いを満足す
る境遇に入ることができたという話であります。

 皆さんも、女として真なる願いを直接的に求めることにして、“既にそれを与えられて
おります。“有難うございますと毎日感謝しておられましたら、やがて、それが実現して
くるということになるのであります。
                            つづく

PS:「トキ様」 へ ・ 「観覧者の皆様」 へ
私も、やはり!いささか【心のふらつき?】が多かったようにも、この事を反省しております。
モット〜モット〜「神 様」に甘えていかなければ〜〜〜♫ と?深く思うのです。
まずは【祈り…】の捉え方が〜〜〜まだ〜まだ〜【 “我”は ?? われに?? 】でしょうか?

もっと【心の法則…】に従いまして「神 様」へ〜〜〜
【授ける“心…”!!お任せの“心…”】このように展開していける自分自身の【 心…】かと。

すべては「神 様」に向けて、私の“心…”は、アケスケニ〜〜〜“素直な心…”でもって行く感じで
ひたすら「神 様」に向けて【祈り…】ましょうかと。
まだ!まだ!【成就できない…願い】この意味が?「マン女史のお話」で〜〜〜
実に!ほんのり〜♫ ほんのり〜♫ と、解りかけてきましたでしょうかしら〜〜〜ン!!
今回!切なる心の奥底からの“願い…”で【病気が治る】事は、『神様の御心』に叶いましたのでしょうか?

■まだ!まだ!修行中の“心…模様”なので〜〜〜す。
モウ〜〜〜モウ〜〜〜【真剣に!益々と!神様と神地一体!!】です。
                                        再合掌

2557かぴ:2013/09/24(火) 10:56:53 ID:oEnYKIyI
過去の不幸を心の中で繰返すな。過去は既に過ぎ去ったのであり、未来は自分の心の中にあるのである。朝々が新生である。新たなる人生があなたを訪れるのである。未来はあなたの掌中にある。

夜の帳はあなたの過去のすべての嘆きを拭い去ったのである。この朝、あなたは新生したのである。新しき機会があなたを訪れる。これこそが真理である。

昨日までの一切の不幸を嘆くな。一切の病弱を、一切の貧苦を。それは過去のあなたの想念の影に過ぎなかったのである。

過去は、あなたが心でそれを捉えない限りはあなたを最早や苦しめることは出来ないのである。

過去を捨て、現在に生きることが光明生活の極意である。今ここにあなたが、人々の幸福のために何物かを与えれば、未来にあなたの幸福が実って来る。あなた自身が未来を創造りつつあるのである。

(  谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」   )

2558a hope:2013/09/25(水) 08:11:50 ID:dyDQLtZQ

▣ 悦び無限の祈り

神はこの世界を、歓びの心をもっておつくりになりました。
太陽も月も星もことごとく、神の悦びの感情の表現であります。
神の悦びの最高のきわまりの時に、人間は生まれたのであります。
それゆえ、私は常に悦びの感情に満たされております。

私は何を見ても神の悦びの芸術に見え、何を見ても神の悦びの言葉にきこえるのです。
悦びは悦びを呼び、毎日私の悦びはふえるばかりであります。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2559かぴ:2013/09/25(水) 10:25:24 ID:oEnYKIyI

すべてのものは先ず心の世界に発生し、それが形にあらわれてまいります。

よき意味の歌を合唱又は斉唱しますと、その合唱又は斉唱の際に於ける精神統一の刹那に、そのよき想念が、潜在意識界に根をおろし、やがて芽を吹き、実を結ぶのであります。

潜在意識の奥底は、深く宇宙意識のの創化作につながっており、潜在意識に印象したことを、宇宙意識が実現してくれるのであります。

( 谷口 雅春先生著 「幸福生活論」   )

2560かぴ:2013/09/25(水) 10:28:34 ID:oEnYKIyI

×創化作→○創化作用 (失礼しました。)

2561a hope:2013/09/26(木) 09:35:11 ID:dyDQLtZQ

▣ 歓喜の祈り

神は神罰の神ではありません。
神は、歓びの神であり、幸福の神であります。
その歓びの神、幸福の神の子が私であります。
したがって、私はつねに幸福であり、歓びであります。

私は常に愉快なうれしい顔をしておりますから、
人から好かれるのであります。
私は常に、ニコニコしています。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2562かぴ:2013/09/26(木) 18:09:49 ID:oEnYKIyI

すべての人間は神の子であり、互いに兄弟であるから、互いに理解されることを望んでいるのである。

愛されることと理解されることと、この二つを失った人は真に孤独であり、寂寥感に襲われずにはいられないのである。

しからば愛と理解とを失って、この世に生きる希望を失った人々は如何にすべきであろうか。

愛と理解とを与えられることを求めるな。先ず愛と理解とを与えてあげることを試みよ。人々を愛せよ。憎い人でも愛せよ。

愛すると云うことは必ずしも感情ではない。その人のためになることを隠れて熱心にしてあげよ。本当に愛が湧いて来るに違いない。

( 谷口 雅春先生著 「 新版 幸福を招く365章 」)

2563SAKURA:2013/09/26(木) 21:08:24 ID:pMLLKHKU
トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2556 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   

■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その①

 最近、私は朝日新聞に載っている井上靖の『潮』という小説を読んでいます。この人の
小説は、非常に人情の機微を穿っているので、私は井上靖の小説が好きなのであります。

 この小説の中に伊沙子という女主人公が出て来ますが、彼女は光一という戦災孤児の少
年に、夜学へ行くための学資を一度供給してやったことがある。少年が何かの問題で警察
へ引っぱられた時、警察へもらい受けに行ったりする。ところが伊沙子の良人は、そのこ
とに余り賛成していない。

 けれども子供のいない伊沙子には、子供を愛したい願いというものが矢っ張りある。良人
に内緒で少年に白いセーターを買ってやったりするが、少年は、このセーターに同僚(少
年は会社で給仕をして昼間働いて夜学に通っている)からインクをつけられて、喧嘩をす
る。この時も警察沙汰になって、伊沙子が又貰い下げに行くのですが、家へ連れて帰ると
良人が嫌うので、この時には鳥巣という音楽家の家へ少年を預けるのです。

 鳥巣という男は、前に伊沙子に恋愛遊戯をしかけたこともある人物ですが、少年も預け
たことから二人が又段々親しくなってゆくという筋なのです。

 この少説を読んで感ずることは、良人が嫌っていることを、内証でしようとするところ
に伊沙子の心にすきが出来ている。そこへもってきて、良人の側には、若い宗方律子とい
う女が、人知れず恋愛感情をもっていて、良人に対していろいろ誕生祝いなどと言って贈
物をしているのです。

 家庭の中でこうした三角関係のようなものが始まる微妙な心理は、お互いに秘密をもっ
ていることがもとになっているのです。良人が嫌がっていることを内証でしてみたり、奥
さんの知らない女から、夫が贈物をもらったりするようなところから始まるのです。良人
があんなことをしているんだったら、私もというような気持ちになるんじゃないかと思うの
ですが、兎も角、御婦人というものは、愛されたい、特に良人に愛されたいという願いが
強いものだと思います。

 女と云うものは、一度肉体的関係を結んだところの男性に対して非常に愛着を観ずる
ものなのです。本当の恋愛でなくても、そんな関係の後には強い愛着というものを感じて
離れ離れなるような傾向があるものなのであります。

                            つづく
PS: 「トキ様」「観覧者の皆様」へ
正直申しますと?【女性の認識・本質】此処昨今では?随分変わってきておりますでしょうか?
「雅春先生…時代」は?やはり〜〜〜世間一般で申します〜〜〜
或る意味では【男尊女卑…】という事で封建的な考え方が根強くありましたでしょうか?

さて!かといって?今日の若い女性の或る面での【ドライな考え…】これも?両者を比較しますと
随分考えさせられます点が?ありますネ!
一言云えますのは 最高の“男女間の愛…”とは〜〜〜? 『魂…向上の結びつき!』でしょうか?

■「古事記…」に示されております処の…「日本の国の法則」と申しますか?
『 夫まず唱え、妻これに従う 』というところの大八洲国すなわち日本の国の法則…
男女の役割、男女の生き方の役割とでもいいますか?アメリカの民主主義が入ってきましてから
女性優先〜〜〜或る面では“離婚”を増やす要因になるかと…。亡き「雅春先生」が?
懸念されていました事柄〜〜〜でしょうか?

再合掌

2564a hope:2013/09/27(金) 08:41:36 ID:dyDQLtZQ

▣ 幸福と健康の祈り

私は神の子である。
神は完全であるから健康そのものである。
その神の生命が私に宿って私の生命となっているのであるから、
私は健康であるほかはないのである。
神は常に私を護って私を健康に幸福にしていて下さるのである。
このことを神に感謝いたします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2565うのはな:2013/09/27(金) 16:59:18 ID:mCQxOykY
昭和二十二年五月二十六日 京都より東京へ

       輝子様    雅春

  これは第三信です。第二信は名古屋のヤマトホテルで五円札一枚出して切手をかつて
貼つてもらふつもりで「出してください」と云つて渡しましたが、今日は京都の講習会の三日目です。
京都の講習会の員数は約五百五十人かと思ひますがハッキリした数は唯今わかりません。

 広い相国寺の方丈に一パイになつてゐまして、一日千円の室料であります。
今に相国寺は生長の家の道場になつてしまふと相国寺の信徒総代が云つてゐたさうです。(中略)

  死せるに非ず生けるなりとラザロに云ひし耶蘇のごと現象の奥に実相を見んかな

  善悪総じてもて存知せざるなり、ただ礼拝すべしと教へられける

   『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

2566 SAKURA:2013/09/28(土) 22:42:12 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… 】
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【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その②

 その一例として、先夜、林芙美子の『放浪記』のラジオ放送の一節がフッと耳に入って
きたのですが…… それは、林芙美子がアパートの部屋代が拂えないで困っていた頃の話
で、彼女を非常に愛していた青年が、その部屋代にと言って無理に置いて行ってくれた十
円札(今なら五千円程度)を、部屋代に費わずに、それ以前に尾道でカフェ―の女給をして
いた頃に関係のあった男に逢いにゆくために費うという筋でした。

 林芙美子はその中で、“とも角、あの人は私を女にしてくれた人なんだ。だから何とな
く逢いたくてたまらないんだ“というようなことを言っています。こうした感情が「女と
云うもの」にはあるものなのです。實際に恋愛を感じていないでも、一編でも肉体関係を
結んだところの男性に対しては非常に心をひかれる。それはどういう訳かと言いますと、
女性というものは生理的に、普通ならば一年間に一人しか子供を産むことができないから
なのです。

 一年間に一人しか子供を産むことができないから、男をいくら変えてみても何の役にも
立たない。結局、ただ一人なる男性、しかもやがて自分が産むべきところの子供の唯一人
なる父親になる男性を願い求める欲求が、自然に「女というもの」の恋愛感情として出て
くるものなのであります。

 恋愛と性慾とは複雑に交錯していますが、人間の性慾というものは、何のためにあるか
というと、これは人間の魂の欲望じゃないのです。聖書にも“我々が霊界へ行っても肉體
的な夫婦関係があるか“と弟子がキリストに聞いたら、”霊界へ行ったら、そういうものは
ない“と答えたとかかれていますが、結局、魂が地上に降りてきて、ある使命を果たすため
の作業服が肉体なのです。その作業服に、男と女の二種類がある。肉体が「女である」と
いうことは、その女の作業服をつけて人生劇場の舞台に現われたというわけになるのです。

 今、女に生れている方でも、必ずしも、毎回女ばかりに生れるわけじゃないのです。現
在男に生まれている人も、やがて、女に生れ変って、女でなければ體験できない體験を積む
ことによって、魂が、それまで知らなかった経験を通して磨かれるということになるのです。

 そういう訳ですから、我々の肉体というものは、人間そのものじゃなくて、人生劇場で
割り当てられた其の配役にふさわしい人間の衣装である。だから、女の衣装をつけて、この
地上に生まれてきたら、女らしく振る舞うのが、神様のみ旨(こころ)である。人生を劇場に
みれば、歌右衛門のように男であっても、女形として舞台に現れたら、女以上に女らしく振
舞うのが名優であると言われるのと同じことです。女と生まれたら、女らしくなければなら
ないのであります。また男に生まれたら男らしくなければならないのです。

                                つづく

2567 SAKURA:2013/09/28(土) 22:43:54 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 肉體・性別は人生劇場の舞台の姿・・・・・ その③

 「女らしい」と云うことはその肉體と云う衣装が示していますように、肉體の動作も、言
語も、表情も、柔く温く潤いがあってゴツゴツしていない優美な愛情のあふれた感じをもっ
ているべきなのです。

現代は戦後の反動時代で、女性が男性化しようと云う傾向が強いようですけれども、いくら
女性が男性化しても、“男性そのもの”には成り切らないで、“男性の贋(まが)いもの”が
できるばかりで、贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男
性には真似のできない優しさの愛の美徳を発揮していただきたいものであります。

                               
PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

最近〜〜〜思うのですが
【 女性化した男性の方が〜〜〜多い!! ニュハーフの時代?? 】を感じる此処昨今です。…が?
見ていますと“動作…”が〜〜〜最近!「女性…」以上に【女性らしい?】と見られる現役の方が?
いますでしょうかと?? これには〜〜〜複雑ですかと。又?この逆もありますモノ…?

例えばです。…が? 「郁子」さん……この方の最初の“イメージ!”は、失礼ながら〜〜〜最初は?
なよなよした感じの“イメージ!”個人的には抱いておりました。
どうかしますと【 男性==>女性化 】なのですが?当初は?まだまだ“荒削り…”でしたでしょうか??
処が???この頃は“磨き…”がかかった彼女?彼氏?と言いますか〜〜〜
最近みました「写真画像…」では、見る限り〜〜〜
■【ワァ〜〜〜!!こんなに、女性らしくなったの〜〜〜ネ!】〜〜〜と、思わず“賛嘆…言葉”
思わず〜〜〜或る「広告…」で見た時の私の感想でありますが、これは〜〜〜
現状の『視覚的…捉え方』となりますが〜〜〜♫ この範囲内での中からの“イメージ”を
「郁子さん・・・」らしく感じた気持です。さらには「男性…」から見た『視覚的な描写…』でしょうか??

ですので、本当に女性らしく?不思議な気持ちなのですが〜〜〜どうしても見えてしまいますかと??
平均的に、男性は〜〜〜外部上の“表面…”を造ろう傾向が?女性より強いように思えます。
その「研究…」と申しますか?「観察…」と申しましょうか〜〜〜(微笑)
ですので、ある面では【男性の眼…からの“女性像…”になるのでしょう〜〜〜ネ!】

そうしますと、やはり“生活感の無い…女性像”にある面では感じてしまいますから〜〜〜果して?
その奥底の❤【女性の特有の母性本能…本質部での“女性らしさ〜♫”】は、ないように見えてきます!!

>贋いものは真物(ほんもの)ほどの価値がないから、女性は女性として男性には真似の
できない優しさの愛の美徳を発揮<<   (一部抜粋)
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆

まさに創立者「谷口 雅春先生の言葉」の意味が理解できますかと思う次第です。!!
ここでは〜〜〜?
■□【表 面 に 惑 わ さ れ る 事 の な い よ う に 〜♫ 】と云う事でしょうかと。

                                 再合掌

2568a hope:2013/09/29(日) 07:06:19 ID:dyDQLtZQ

▣ 無限力発揮の祈り

私は神の子である。神は無限の生命(いのち)である。
神の子たる私は神の無限の生命と、
無限の力をうけついでもっているのである。
無限の生命、無限の力をもっているものが、
疲れたり、病気になったりするはずがないのである。
それゆえに私はいくら勉強しても、いくら運動しても、
健康で、疲れるということを知らないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2569志恩:2013/09/29(日) 09:21:29 ID:.QY5jUA6
晴れときどき競馬とホークスより

 肺結核と祖国反逆

2013/9/28(土) 午後 0:06

 祖先の霊の念波は、現実世界にいる子孫の運命に影響を及ぼすということであります。

 (1)祖先または自分に関心ある縁者の霊魂の好まないところを子孫が行えば、
    祖先または縁者の霊魂の反対観念を受けて、その人の運命が妨げられます。

 (2)祖先、または自分に関心ある縁者の霊魂が迷いにとらわれ、信ずベからざるを信じ、
    妄執にとらわれていますと、
    現実界の子孫たるわれらがその反対観念の掣肘を受けて、正しいことを行なっていても、
    それがおもしろくいかないことになるから、
    祖先の霊魂にはすみやかに真理を悟らしてあげる必要があります。


 この第一の原理により、われわれは父祖が現世になくなっていようとも
  、父祖の期待に背くということを行なえば、

  その父祖の霊魂の反対観念によって制裁を受けることになるのであります。

 さらに父祖に対して反逆の行動をとるようなことをすれば、
 必ずその子孫の運命はよくゆかないのであります。 

・・・・・ 祖国に対して反逆的行動をとろうとするような思想の人たちの健康を
調べてみると、肺結核にかかっている人が多いということを誰かが発表していましたが、

肺結核の原因は本全集の 『實相篇』 にも述べましたように、
いろいろの原因がありますから、一概にはいえない。 

 概して申せば、肺病は狭量な極端にサバク心、
切る心が自己の肉体にその形をあらわしたのでありますが、

祖国愛するをわれわれの祖先の霊魂の反対観念によって制裁されている
場合が多いことも明らかな事実でありまして、

親不孝の人に胸を患っている人が多いのであります。


                     谷口雅春師 『生命の實相』 生命篇より

2570かぴ:2013/10/01(火) 17:30:46 ID:oEnYKIyI

受ける者よりも、与える者の方が幸福である。与えると云うことには幸福感を伴う。

神の愛は「与えてやまぬ愛」であるから、与える心の中には神の愛が目覚めて来るのである。しかし受ける者があるので与える悦びが完了するのである。

だから受ける者を軽蔑してはならぬ。受ける者を軽蔑したとき、与える悦びは減ってしまうのである。

受ける者を愛し祝福する気持ちになったとき、与えた悦びは増大するのである。

与える喜びも大切であるが、何事にても受けるときに真にそれを神の恵みとして感謝するならば、受けることも大なる悦びに変化して来るのである。

自分が与える悦びばかりに固執していて、他に与えさす機会を与えないのは他の人の魂の進歩を妨げることがある。

( 谷口 雅春先生著 「幸福を招く365章」  )

2571SAKURA:2013/10/01(火) 22:22:03 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その①

アメリカのステラ・テリル・マン女史のところへ、また別の婦人訊ねてきました。そ
の婦人は、富を実現したい、金持になりたいという願いをもっていたのでした――

 彼女の叔母(寡婦)という人は、大した富豪でありました。それで、その財産の全部を
貰いたいと思った訳じゃないのですが、その叔母さんから三千弗貰って、ささやかな自分
の住宅を建てるか、又は買いたいと思っていたのです。

 ところが、最近になって、その叔母さんが或る法律家と恋愛関係になって、逢い引きを
しているという噂がある。そして、間もなく結婚するんじゃないかと言われている。もし
叔母さんが結婚して了ったら、叔母さんの死後には、その若い法律家が財産全部を後継し
て、自分には一文も入らなくなる。それでは困るので、叔母がその法律家との恋愛が破れ
て自分に三千弗を与えてくれるように、祈って下さいと言って頼みに来た訳なのです。

 そこで、マン女史は、こう尋ねました。

「ところで、あなたはその叔母さんに家を買う金をもらいたいと言ったのですか?」

「いいえ、叔母は、それはそれはけちん坊で吝嗇で何時も機嫌が悪くてとても私叔母にな
んて、そんなこと言えませんわ。言ったって、とても聞いてくれたりなどしませんわ」

「あなたは私に祈ってくれるお願いになる必要はありません」
とマン女史は答えました。
「あなたの祈り――祈りとはあなたがもっとも深く心の中で信じていることです――それ
は必ずきかれるのです。とてもけちで吝嗇で私のいうことなど決してきいてくれないとあ
なたが叔母さんのことを祈っていられる限りは、きっとその通りになるのです……」

 祈りというものはを、“何々して下さい”と泣きついて頼みこむことだと思っている人があ
りますが、常に心の中で深く信じていること、思い続けていることが、本当の祈りという
ものなのです。ですから“あの叔母さんは、けちん坊で吝嗇で、とても私になんかお金を
くれるものか。財産を譲ってくれたりするものか、三千弗も貸してくれるものか“と思っ
ていたら、それが祈りなのです。つまり“叔母さんは、けちん坊でお金を貸してくれませ
んように“と祈っているのと同じことになるのです。

                           つづく

2572a hope:2013/10/02(水) 08:01:31 ID:dyDQLtZQ

▣ 安全の祈り

神は私の魂の親さまである。
父母は私の肉体の親さまである。
魂の親さまなる神は私を内から導いて下さるのであり、
肉体の親さまなる父母は、外からいろいろの助言をして導いて下さるのである。

その導きに素直にしたがっているならばけっして危険なところに近づくことはないのである。
私は常に安全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2573かぴ:2013/10/02(水) 11:41:18 ID:oEnYKIyI
   ○
他人が喧嘩をしているのを見るのは、自分の心の中に喧嘩があるから見るのである。

自分の心の中に喧嘩がなくなれば、他人の喧嘩も消滅する。私に対して遠隔思念をして病気を癒してくれと言って来る人があるのは私の心の中にまだ病気があるからである。

  ○
自分ひとりが浄まったなら、世界は浄まるのである。自分の心がきよまらざる故に世界はきよまらないのだ。

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。

  ○
魂の切なる願いは、かならずかなえられる。というよりも、既にそのことがかなえられているが故に、それが切実な欲求となってあらわれるのであるとも言える。

(  谷口 雅春先生著 「叡智の断片」  )

2574うのはな:2013/10/02(水) 18:00:51 ID:91cj0URY
     カンサス・シティ

 ユニティ本部はカンサス・シティ東郊、車でおよそ30分ほどのところにある。
昭和24年市内にあった本部をここに移して、今日のユニティ・ヴィレッジができた。
1400エーカー即ち5平方坪余りの広大な敷地、中に三つの湖をもち、詩情漂う美しい田園の村を
形づくっている。

 ユニティは、1892年チャールズ・フィルモア夫妻によって創始された「人間・神の子」を説き、
キリスト教の各派の万教帰一を唱道する真理運動である。
 ユニティの発祥は1886年に遡る。その頃マートル・フィルモア夫人は大変健康を害していた。
或る春の夜のことであった。夫人は講演を聞いて帰る道すがら、ある一つの考えが心の中に何度も繰返して閃めいてくるのであった。

 その考えというのは、「私は神の子だ。だから病は本来ないのだ!」ということであった。
自分が神の子であり、神の御心は完全であるという真理が彼女の全存在を満たした。
そして神癒が直ちに始った。そして一時間もせぬうちにマートルの病弱の身体が変ってしまった。
この奇蹟の治癒体験を知った人々が彼女に救いを求めて集まって来た。そして多くの人が神のいのちに
触れて癒された。チャールズはこれを目のあたりに見て心をひかれ、夫妻協力して、すべての人の内に宿る真理キリストを通じ、
人々を健康、繁栄、幸福に導く運動に献げることになったという。

 ユニティのことについては谷口先生が夙に御紹介下さっており、生長の家との提携は久しいものがある。
しかし、谷口先生が実際にユニティ本部を御訪問になり、現教主チャールズ・フィルモア氏(創始者の孫になる)をはじめとする幹部の方々と
親交を深められたのは今回が初めてであった。

 4月13日はカンサス・シティ御到着後、直ちにユニティ・ヴィレッジを御訪問。
本部の塔、本館、年中休みなく続けられる神癒祈願局、コンピューターを導入した印刷、出版、教育部門等を視察され、更にホテル、モテル、宿舎等各種施設を
含む美しい敷地を車でご覧になった。
 更に夜御講演に先立って、教主チャールズ・フィルモア氏、教主の叔父ロウェル・フィルモア氏等にお会いになり親交を深められた。御講演はユニティ本部の講堂で開催された。

 講堂を一杯に埋めて集まった600名の聴衆を前に、先生は、ユニティを讃えられつつ、生長の家の独自の面をお話になった。その内容は浄心行、聖経の功徳、ハワイ日系二世第100大隊、442部隊の偉勲、
『心と癌』所載の奇蹟的治癒体験、中心帰一、夫婦調和と広い範囲にわたり、聴衆ひとしく感銘したのであった。

    『真理は民族を超えて』 P20−21

2575a hope:2013/10/03(木) 09:06:19 ID:Zlo2YeaM

▣ 幸福な家庭の祈り

私の家は神の子の家、神の子の家は神に愛され、神に護られているのであから、
いかなる悪しきことも近づいてこないのである。

父母も兄弟もみな神の子であって、
悪い人は一人もないから争いはけっしてなく本当に幸福なのが我が家である。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2576うのはな:2013/10/03(木) 16:39:41 ID:AgGUbAB6
      再開された巡錫 『こころの旅路』 谷口恵美子 先生編著

 戦後の巡錫は、終戦の翌年、昭和二十一年から始まりましたが、交通事情も悪く、長期の本格的な
巡錫が再開されますのは、昭和二十二年の五月からでした。この二ヵ月前に父は福岡に行っていらっしゃいます。

    昭和二十二年三月二十一日  福岡から東京へ
      輝子様      雅春

 昨年の十二月も今年の一月も、そして三月十八日の出発の九州講習会も私が出発する日になると、急に温度が高くなるのである。
私は恵まれてゐる気がする。私はまだ若い気持ちでゐるけれども、既に還暦を過ぎた私は、もつと身体を大事に取扱はなければならないと
深切に誠心をもつて注意して下さる人もあるので、汽車もあまり遠距離は成るべく一気に飛ばないことにしてゐるのである。
私が一日多く長生きしてゐることは、それだけ人類にとつて何等かの貢献をなし得ると信じてゐるからである。

 人間は「生命」であつて物質ではないから、肉体など大切にする必要はないと云ふことはないのである。
人間が念の力によつて、地上生活の営みのための道具として「肉体」を物質的にあらはした以上は、その肉体は或る程度物質界の法則に
支配されるである。足の裏は使へば使ふほどその皮膚は厚くなり、ただの物質の摩滅の法則とは異るやうにあらはれる。

 それは生命が働いて「物質の法則」を超えながら、「物質の法則」を利用して新たに細胞組織を増殖するからである。
しかし「生命」が細胞を新たに増殖することが出来る以上に、足の裏の皮膚を磨滅させたら、皮膚はやぶれ肉は露出し擦過傷を生ずるのである。
例へば、目の疎い鑢で間断なく擦つたら、幾ら部厚い足の裏の皮でも破れて血が出るのである。
肉体はただの物質ではないから、単なる物質の磨滅の法則には従はないが、同時に物質として物質の法則に従ふ面もあるのである。

 だから吾々は食物も食べねばならないし、入浴すれば垢も落ちるのである。
単に精神統一をして「吾が身体は清浄なり」と念じても、一年に一回も沐浴しないでは垢はとれないのである。
何でも心で思ふとほりになると云ふので、物質の法則を全然無視してしまふのは極端な観念論であつて、生長の家の唯神実相論ではないのである。

 唯神実相論と云ふのは、実相界には既に完全な世界(人間及事物を含む)があつて、それが「念」を媒介として自然界(物質界現象界)にあらはれて来ると
云ふのである。例へば私の出発する日になると大寒中でも稍々暖かくなり、旅行しやすくなると云ふ風にである。
「何もしないでただ精神統一して念じてをれ」と云ふのではない。精神統一して念ずることは、一定時間にやるが、それを契機として、現象界には生命の「自然に動きたい衝動」が
起こつて来て、現象界に自然に「行動」及び「生理作用」「自然のめぐり合せ」等としてあらはれるのであり、「念」が正しい程度に従つて吾々の「行動」や「生理作用」や「自然のめぐり合せ」が
順潮に行くやうになるのである。これを私は嘗て「生活の円滑化現象」として
『生命の實相』に書いたことがあるのである。

 自然によき食物が口中の入るやうになり、自然に環境が整ひ、天候なども自然の巡り合はせがよくなるのである。
「何もしないで念じてゐる」のではなく、行動と「発して行ふことが悉く節に中るやうになる。これを自然の和と云ふ」(「中庸」による)
のである。「無量の勝方便は実相を想ふより得」(普賢菩薩行法経による)であつて、何の方便もないのではなく、最も適当な方便があらはれて
来るのである。

 兎も角、現象界の知恵を無視するのが実相智のあらはれではない。現象界の最も勝れたる知恵が湧いて来るのが、実相に一致したときに得られる結果なのである。
だから無理に頑張つて鑢で皮膚を擦り減らさねばならぬことはないと同じやうに、無理に肉体を駆使しなければならぬと云ふこともないのである。
と云つて懶けて労力を惜しむと云ふのも感心しないのである。そんな訳で私は、帰心矢の如き帰京の時以外は夜汽車を使はぬことにしてゐるのである(下略)

2577かぴ:2013/10/03(木) 17:24:34 ID:oEnYKIyI

   ”光は暗(やみ)を消す”

子供は暗を恐れる、

しかし本当は恐るべき何物もないのである。

光をとぼせば暗が消える。

光をとぼさないでいて、”暗を恐れるな”といっても、

それは子供には無理なのである。

人類はまだ子供である、

彼らには光が必要なのだ。

真理の光が必要なのだ。

真理の光をもっているのはあなたではないか。

(  谷口 雅春先生著 「神と倶に生きる真理365章」  )

2581うのはな:2013/10/05(土) 13:38:13 ID:l9K9RG/Y

「身体も国も共に、観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の
存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。
天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る.......」

 この神示によりますと、観られる対象は、「観る心」の反映であり、その感情想念又は自覚が、対象に移入されて、対象をそのように
感ずるのでありますから、吾々が国家に於ても、「変らざる永遠の中心者」を要請するのは、人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を
要請する理念があるからであります。

 人間自身の生命に「変らざる永遠の中心者」を要請する理念が宿っているのは、人間生命をつくった「大生命」(神)御自身に、「変らざる永遠の中心者」を
要請する根本要求があるためであって、そのためにすべての造られたる物には「変らざる永遠の中心」が備わっているのであります。
即ち原子には原子核があり、細胞には細胞核があり、樹木には幹があり、人間及び高等動物には脳神経中枢があり、太陽系統には太陽という「永遠に変らざる中心」があるのであります。

 このような宇宙萬物を造った「大生命」の生命を宿し生れている人間の心の中に「変らざる永遠の中心者」を求める要請が宿っているのは当然のことであります。
だから、「観る心の要請が、身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首となる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである」と
示されているのであります。
 この神示に於て注目すべき点は「無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇」とあることであります。

天皇は単に「一切の主」であるだけではなく、「無にして絶対」なのであります。
他の国の色々の人間団体にも中心者や主宰者はあります。しかし「無にして絶対」なる中心者は殆ど全く存在しないのであります。
だから常に権力争いが附き物であり、権力候補が選任争いをするか、実力闘争によって中心者の座を占めようとするのであります。

 ところが日本天皇に限り、権力争いというようなことがない。自己を主張しようとはせられないし、対立がないのであります。だから「無」なのであります。

   『秘められたる神示 神示講義 秘の巻』 谷口雅春 先生著

 (原文旧漢字、旧かな遣い) 投稿者現代字に変更入力  拝。

2582SAKURA:2013/10/05(土) 17:37:29 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571 の 投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その②

叔母さんから、お金をも貰おうと思ったら、“叔母さんはとても寛大で裕で恵み深くて、
貧乏人にお金をやるのが好きで……“という風に念ずれば、叔母さんが心広々と豊かな気
持ちになって、お金でもくれることになるわけです。

 マン女史は、続けて、こう言われたのです。

「叔母さんのことなど忘れてしまいなさい。自分の運命は自分で掌中にあり、自分の心
の通りに成就するのです。先ず自分が変ることが必要なのです。受けるためには与えなけ
ればなりません。それが法則です。」

 ここが大切なところです。与えないでいて、受けようというのは、泥坊です。銀行へ行
ってごらんなさい。預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。

 だからマン女史は、その婦人に言われた。

「所で、あなたはその叔母さんに、その叔母さんでなくともこの世界に、何か与えるべき
ものをもっていらっしゃいますか。他の人では与え得ないような、あなたでなければ与え
ることのできないようなものを?」

 これも亦大切な点です。誰でもが、ざらに与えられるようなものでは、本当の値打がな
いのです。神様がこの地上に別々の顔をして、別々の個性をもった人間を生み出されたの
はその人でなければならない価値=値打を創り出して人生に与える使命のためなのです。

 だから、その人でなければ与えることのできないようなあるものをもっていますか。与
えることができますか、マン女史は聞いた訳なのです。

                            つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

そう〜〜〜ですネ!『 与えよ!さらば与えられん! 』
「生長の家…」では〜〜〜必ず!信者として“真理の言葉…”の代表たる“コトバ…”でしょうか?
「神様…」からの【無現供給をいただく…!】のは、「神様」との“パイプ…”をしっかり……
バトンする事と思うのです〜〜〜ョネ!!

「マン女史」の文章の中から『預けてない金を貰おうと思ってもくれません。だから、買おうと思っ
たら、与えなければならないのです。…云々…』そうなのです〜〜〜ョネ!!

■それと同様に、【 普及活動… 】も今までの“供給…”が枯れていましたら、当然ながら
“普及…”も枯れているわけですから??此処で“元…”をただせば「ステラ・テリルマン女史」の
おっしゃる通りに、先ず!【 銀行に行ったら、預ける事からスタート…!預けることは???
人に与える事と!!】これは?分かりやすい【法則の論理観】を私どもに説いて下さいましたかと。
個人個人の“個性…”もありますでしょう。…が?まず!!〜〜〜♫
『 与えよ!さらば与えられん! 』この“法則の展開”からでしょうか??当に【スタート…!!】

此処で自問自答しながら
❤【私の使命…は???】と今!今!今!〜〜〜私の「ベストフレンド」と?問いかけ中???

 それでは“次回”ヘ…

2583a hope:2013/10/06(日) 08:16:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 霊長の祈り

神さま、あなたは宇宙のすべてのものをお造りになりました。
すべてのものは神さまから生まれたのであります。
そのなかで人間は万物の霊長として、最もすぐれた知恵を与えられ、
すべてのものを自分の兄弟として、どんなものでも大切にあつかうのであります。
大切にするものはこわれないで長持ちします。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2584かぴ:2013/10/06(日) 17:44:39 ID:oEnYKIyI

    神にこうして導きをうけよ

 人間のなすべきことは空っぽになることである。自分が空っぽになってその中に神の御心を入れ、自分は唯道具になって神の御心通り動くと云うことである。

「借金なら支払ったら好い。お前には支払えないかも知れないが神なら払える。今日からお前の商売を自分の商売だと思わず、神の商売だと思い、お前は神の番頭となれ、そして神のお指図のままに動くのだ。」

このやり方が即ち自分が空っぽになって神の御心通りに動く生活である。神は全智にして全能なるが故にその導きに間違はない。

( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2585a hope:2013/10/07(月) 07:48:35 ID:Zlo2YeaM

▣ 神への感謝の祈り

神さま、毎日のお導きとお護りとに感謝いたします。
神さまあなたは私に必要な日光も空気も水も食物も、あらゆる必要ないろいろの物も、
私がお願いする前からゆたかに与えて下さっているのです。
おかげで私はこうして今日まで生かされて生長してきたのです。
感謝がおくれてすみません。
神さま本当にありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2586a hope:2013/10/08(火) 09:10:41 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

神さま、私は神の子であります。
神は無限の知恵と能力とをもっておられ、それが常に進歩というすがたで形にあらわれてまいります。

私も神の子として、神の無限の知恵と能力を内にやどしていて、毎日それが進歩というすがたで形にあらわれてまいります。
ありがとうございます。


「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2587a hope:2013/10/09(水) 08:43:05 ID:Zlo2YeaM

▣ 努力勉強の祈り

神は私たちの親さまであり、私たちの生命は神より来ったのである。
神は天地万物をつくりたもうてから、
今日にいたるまで常に働きたもうてけっして休みたまうことはないのである。
それゆえに地球は自転し公転し、春夏秋冬はめぐり来たって美しい景色は生じ、
豊かに作物は実るのである。
それゆえ、私も休みなく勉強するのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2588かぴ:2013/10/09(水) 11:35:03 ID:oEnYKIyI

あなたは何らかの使命を神から与えられ、何らかを神から尽すべく命ぜられて此世に生まれて来たのです。

自分の使命が何であるか、あなたはまだハッキリお判りににならないかも知れません。しかしあなたが今いられる其処にあなたが全力を尽すと云うことが、今のあなたの使命なのです。

それはもっと大なる貴方の使命に比べたら、唯の踏台にしかならないような小さな使命であるかも知れません。

併しあなたはその踏台である使命を通過することによって、更に一層大なる使命の座につくことが出来るのであります。と云って、現状の状態に甘んぜよと云うのではありません。

現在を忠実に尽す者のみ、次の昇進の機会があたえられ、また機会が来たときに、その機会を摑む能力が練成されていることになるのであります。

  ( 谷口雅春先生著 「新版 幸福を招く365章」 )

2589SAKURA:2013/10/09(水) 20:33:08 ID:j7IGF7Cw
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2590SAKURA:2013/10/09(水) 20:40:13 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                                                再合掌

2591a hope:2013/10/10(木) 07:58:08 ID:Zlo2YeaM

▣ 堅忍不抜(けんにんふばつ)の祈り

私は″神の子″である。
神の子にとっては、すべての出来事が、自分が向上し進歩し、きたえられる好機会なのである。
悦びが来るときは、私の魂が明るくなる好機会であり、
試合や勝負やテストのあるときには、私の中にある″無限力″が呼び出される好機会であり、
困難が来たり、だれかが圧迫を加える時には、忍耐の力を養成する好機会である。
私は決してくじけることはないのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2592a hope:2013/10/11(金) 07:56:01 ID:Zlo2YeaM

▣ 感謝の祈り

毎日毎日が″神の日″である。
なぜなら、神はすべての造り主であって、すべての日は神によって造られ、
神によって祝福され、神によって護られ、神によって運行せしめられているからである。
それゆえに毎日毎日は善き日であり、幸福の日であり、成功の日であるのである。
このことを神に感謝したてまつる。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2593かぴ:2013/10/11(金) 18:13:26 ID:oEnYKIyI

ある人は毎日必ず五人以上の隣人を祝福してあげることにしたという。その祝福は心の中で、「神よ彼に本当の幸福を与え給え。彼は神の愛に守られて本当に幸福になります」と静かに合掌するような気持ちで一二分間祈ってやるだけのことであるが、それは誰も知らない所の本当に隠れたる愛の奉仕であるのである。

けれども、このような祝福が目に見えないだけにかえって尊いのである。

もし全世界の人間が、このような気持ちで隣人を、そしてどこの国の国民をも祝福してやる気持ちになれば全世界に戦争というようなものは再び起こらないのである。こういう小さい行ないの中に本当の報い求めぬ与えるばかりの愛があるのである。

そしてそれは神の前に大いなるものとせられるのである。

( 谷口雅春先生著  信仰の活人剣【「生活と人間の再建」より】 )

2594かぴ:2013/10/12(土) 14:01:54 ID:oEnYKIyI

他の人を扱うのに冷酷をもってしてはならない。他に冷酷なものは、酷(きび)しく人を縛るがゆえに自分自身の組織を縛られて、組織が硬くなり、血管が硬化して老衰するのである。

老衰しまいと思うならば柔かな温い愛深き心を常に保っていなければならない。愛は潤滑油としてあらゆる部分の摩擦をやわらげ、組織を柔軟にし、生理作用を円満にするのである。

他に対する心は直に自己に帰って来るものであるから、人につめたければ自分の身体も冷たくなり「冷え」に関連する病気を患うのである。

手足が冷えるのは手足(部下とか家族とか)に冷たい証拠であり、腰が冷えるのは夫婦関係がつめたい。お腹が冷えるのは、人々との仲が悪いのである。みんな自分の心の影である。

( 谷口雅春先生著  「新版 幸福を招く365章」より )

2595うのはな:2013/10/13(日) 20:46:46 ID:fKKb1Zok
   金婚、喜寿を迎えて  昭和四十年代

 金婚奉告式 本部にて(昭和四十五年十一月二十二日 谷口雅春先生七十八歳 輝子先生七十五歳)

   金婚の夫婦たたえて 祝福の いのち 花降る 千代に 生きよと
  
                               雅春
                               輝子

《 ・・・・・五十年前の春五月、私たちは婚約をした。
  その時、結婚式はいつにしようかと相談した。相手の人は「僕の誕生日が一番良いですよ」
  と言われた。大安も、黄道吉日も問題ではなかった。当時は、一枚の着物に縄の帯をしめていた
  ような貧しいその人が「僕の誕生日が一番良い」と言われた時、私は不思議な気がしてその人の
  顔を見つめた。大安が良い、仏滅が悪いという世間の常識を無視して、自分の誕生日が一番良いと
  いうこの人は、ずいぶん自信があるのだなあと私は思い、そのまま素直に同意したものであった。
  ・・・・・四十五年十一月の金婚式は、五十年前とは雲泥の差であって、生長の家本部道場で挙式され
  白髪まじりの夫と私とは、新調の紋附を着て、「實相」の掛軸の前に頭を垂れた。
  その二人並んで立った背後には、階下も階上も信徒でいっぱいであり、二階の後方には立っている人も
  沢山居られた。老いも若きも、男も女も、みんな私たち二人を祝福して、清らかな眼を輝かして見つめて居られた。》

 (『人生の光と影より』) 『光を見つめて』 谷口輝子先生九十年の足跡 編集・発行 生長の家温故資料館

2597a hope:2013/10/15(火) 07:19:50 ID:Zlo2YeaM

▣ 完全の祈り

今わたしは自分のいのちが神のいのちを、父母のいのちを通していただいたことを知ったのであります。
だから私は父母の子であると同時に″神の子″であります。
″神の子″というのは、神の生命がわたしに宿っていることでありますから私は完全であります。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2598a hope:2013/10/16(水) 07:29:11 ID:Zlo2YeaM

▣ 進歩の祈り

私は神の子である。
だから無限の力が私の内にはやどっているのである。
その無限の力が常にますます多く発揮されるがゆえに、私は常に進歩するのである。
神の力は、学校でも家庭でも、山でも海でも、ますます発揮されるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2599a hope:2013/10/17(木) 08:33:06 ID:Zlo2YeaM

▣ 調和を得る祈り

神は愛であります。
神は調和によってまっとうせられます。
調和のないところには争いや憎しみや嫉妬があって愛はありません。
神は愛であり、愛は調和であり、私は″神の子″でありますから、
私はすべての人々に調和してなんでも行います。
他の人が私に反対をとなえれば、その人が調和してくれるように祈ってけっして争いません。
したがってその人もきっとわたしの味方になってくれます。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2600SAKURA:2013/10/17(木) 10:39:22 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その③

 婦人は、こう答えました。
「何ももっていません。私は貧しいのです。私には四人の幼い子供があるんです。叔母は
大きな家に住んでおって、召使を沢山雇っているし、使っても使いきれない程のお金をも
っているんです。所があの狡猾な法律家が叔母に愛情を感じているかのように見せかけ
て、叔母をたぶらかそうとしているんです。叔母は淋しいもんですから、その法律家と一
緒に散歩に出掛けたりなどしているのです……」

「そんな男女的な愛情を別として、あなたはその叔母さんの唯一の生きている血縁なのだ
から、あなたには、あなたでなければ与えることのできない肉親のものからの愛情がある
筈だ。それを与えるのには、金がなかったら与えられないとか、貧しくては駄目だなどと
いうことはない。一文もなくても、叔母さんに対して優しい言葉、深切な行い、親身な思
いやりというようなものは、与えようと思えば与えられる。叔母さんも本当は、そのよう
な愛情を受けたいのが本心なんですよ」
とマン女史は言われました。そして、

「真理の生活をその叔母さんに対して実践してごらんなさい。愛行をしてごらんなさい。
それを実践するのにお金を目的にしたり、何かの種類の助けを求めてはなりません。天と
地とを創った宇宙大生命、そして凡ゆるよきものとよき考えとで満たされている大生命に
求めるのです」
と、 善きことを与えておいたら、それが天の倉に貯えられる、その天の倉なる大生命に
蘄田=蘄の田として貯えられるのだから、叔母さんに対して無条件に、貰おうと思わない
で、天の倉に貯えられるために、叔母さんの求めている、唯一の肉親の者としての愛情を与え
てあげなさいということを教えられたのです。

“愛情讃歌を与えなさい。叔母さんを勇気づけるような優しい讃め言葉で、出来るだけ叔
母さんの善き性質をみつけるように努めてあげなさい。叔母さんも神の子であって凡ゆる
善き性質をもっているんですよ“とマン女史は訓えました。ところが、彼女はこんなこと
を言いました。

「叔母さんが、あんななのに、私が叔母さんにそんなに深切にしなければならない理由が私
わかりませんわ」
                             つづく

2601SAKURA:2013/10/17(木) 10:41:13 ID:FIUIhwU2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんにちは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その④   【引用編…】
>>2589投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ

■今日のお話から〜♫
過去にさかのぼりますが〜♫ 当時!或る「東京の教化部長」の事を思い出します。
❤〜【 その教化部長先生の体験談なのです。…が? 】
それは『青年会の頃…』その時の事です。当時!御年配で、身寄りのいない方でしたでしょうか?
但し、身体が不自由なご様子でしたので、御夫婦二人で…つまり「奥様…」と一緒に【介 護!】を
なされたようです。この時、先生は、全ての介護を〜〜〜したそうです。…が?
今日の【介護…】と同じく、【その全部の介護!!】でしたかと。相手の方は、身寄りがいない事…ふびんに
思われ、更に、寂しく「あの世」に行かせる事は、出来ないと、当時!純粋なる気持で、
『青年会で出会った奥様』と一緒に【介護の日々…】ですかと。その後、とうとう亡くなられて…><
この時に、相手の方(この方…)がなされた“真心…”は、この“お礼…”として、全て〜〜〜
当時でいいますと〜〜〜私が若い頃ですから「昭和40年〜〜50年代」になるのでしょうか??

その頃!【遺産の土地…?お金…?】をいただき!金銭価値として『一億…』いただいたそうです。
この様な事をお聞きしましたが?この頃で❤【 奇 蹟 】と騒いでいましたようです。…が??

■「ステラ・テリルマン女史…」での答弁では〜〜〜??【当たり前…】と言われそうですネ!
当時の私は“スゴ〜〜イ!”と思って、何で?如何して?そのような“大金…”が入るのでしょうか??
…と、ひそかに思いましたので〜〜〜す。…が?今!ようやく分かるようになりました。

【お金…】この希望成就でしたら?当然ながら、その前提として「神様の御心に叶った願い…」である事は?
いうまでもありませんが 〜♫ 当に!
■「与えよ!さらば…与えられん」の法則……にのる事でしょうか??

「トキ様…」は、このお話を御存じですかと思うのですが〜〜〜?尚!このいただいた【お金…】の一部は、
現在の「生長の家…献金」なさったとの事を耳にしております次第です。…が?この先生でも「献金…」後は?
「末端信者・・・」ですから〜♫ 気になりますのは・・・!
今ではこの「教化部長先生」は、何処にいらっしゃいますのでしょうか???知るよしもありません。…が?

                                              再合掌

2602a hope:2013/10/18(金) 08:11:30 ID:Zlo2YeaM

▣ 人々に愛される祈り

私は″神の子″である。
″神の子″であるから、″神″なる親さまの″光の心″が宿っているのである。
その光は愛の光である。
私の心は神の愛の光に照らされて、すべての人々のあやまちを赦すことができるのである。
愛の光の行くところ、憎しみの暗(やみ)は消え、すべての人々となかよくなることができるのである。
私はすべての人を愛するがゆえにすべての人に愛されるのである。
ありがとうございます。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2603うのはな:2013/10/18(金) 18:03:59 ID:csrtWQ46
   「わたしは金剛不壊である。わたしは不変である。わたしは生命そのものである」

『無限の生命』 浄め

 日本人は早くから海は神聖なものと信じて来た。禊や祓をすれば身のけがれが取り除かれるものだと
疑わなかった。藻塩や塩を浄めのために使うのは、すでにわれわれの中で日常化している。
 われわれ日本人は海から生まれ育ち、海と共に生きてきました。周りを海に囲まれた環境からいって自然のことです。

 その海にみなぎる水は水平に平等に横たわり極まるところがありません。
そして清らかに澄む水に穢(けがれ)を除く神秘さがあると昔から信じられてきました。
 水に身体を浸し、身体についた穢れを洗い流す禊(みそぎ)はその精神を端的に物語ったものです。
海水から生まれる塩にも神聖さがあるとするのは水の浄化力を具象化したものです。

 あるいは海藻や潮水を神前にささげるのは、塩が穢れをはらうと信ずるからです。
所によっては潮水のかわりに海砂や川砂を使います。それが「お潮井」の行事です。
われわれの日常を見回してみましょう。相撲の仕切りの時に力士がまく塩。弔いのあとに五体を清める浄め塩などの
習俗が思い出されます。

 また瀬戸内海や九州の漁村では一家の主人が早朝、浜辺に行き潮水桶に海水を汲んできて神棚に供えたり、門前にまいて
辺りを浄める風習があります。農村の中には早稲の刈り入れの時、最初に刈る稲に潮井をかけ「神の穂」にする儀礼が残っています。
先にふれたみそぎの例ですが、祭礼の前に潮掻(しおかき)といって、潮垢離(しおごり)つまり潔斎をする習わしが、ほうぼうの漁村で見られます。
この「浄」のイメージは、われわれの古典「古事記」や「日本書紀」の中のイザナギ、イザナミの神の物語りに見ることができます。

 イザナミの神は火の神を生んだので黄泉国(よもつくに)に帰りました。
イザナギの神はその后(あと)を恋しく思い黄泉国に行ってみると、そこは暗黒と汚濁の世界です。
イザナギの神は奥へ行き、頭にさしていた櫛の歯の一本を折って火を灯し、中をご覧になるとイザナミの神の体にウジがいっぱい湧き、頭、胸、腹などに
八種の雷神がいる、といったものすごさです。イザナギの神は一生懸命になって、そこを逃げ出されました。

 生と死の戦いからやっと解放されたイザナギの神はいのちの根源である心身を浄めねばなりません。
明かるく健やかな生命こそ、限りない幸せを生み金剛不壊(こんごうふえ)の境涯をささえるものだからです。
イザナギの神は禊(みそぎ)の場所を求めて筑紫(つくし)の日向(ひむか)橘の小戸の阿波峡(あはき)が原に行かれました。

 筑紫は日本文化の発生の地であり、日向はやがてさし昇る太陽を迎えることのできる陽明の方角であり、橘は良き今の続く常世(とこよ)の
めでたさを象徴する霊木であり、その青々として緑なす地帯が阿波峡(檍)が原だったのです。
 イザナギの神は、その神聖な海辺の中つ瀬を選んで身を沈め、体についたけがれを振り落して浄められました。
すると最初はマガツヒノカミなど汚い神々が生まれました。

 禊祓というのは洗濯ですから汚い汁が出るというわけです。最後に生まれたのがウワツツノオ、ナカツツノノオ、ソコツツノオの
三柱の神でした。「古事記」では「三柱の神は、墨江の三前の大神なり」と書いています。
これが住吉の大神で禊ぎという浄めによって天照大御神が誕生されました。

   希望をもて夢を描け そして前進せよ  生長の家 』

○このような全面広告が西日本新聞にも長崎新聞にも出たのである。

 (原文旧漢字・旧仮名 投稿者 現代字に変更)

2606うのはな:2013/10/20(日) 22:32:54 ID:tk5vccSQ

  国のいのち 人のいのち
  http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32

2607かぴ:2013/10/21(月) 11:27:29 ID:oEnYKIyI

心と行動に太陽を持て

あなたは一分一秒といえども、暗い想念や陰鬱な感情で自分の心をみたしてはならないのである。常に積極的に、前進的に、物を考え、明るい心をもって、常にいまよりも一層善き状態が顕れて来ることを信じて、勇気を以って仕事に取りかかるのがよいのである。

あなたは、あなたの仕事を金銭の価値をもって考えてはならない。あなたは自分の”生命エネルギー”を情熱をもって献(ささ)げなければならない。

豊かに献げることをもって歓びとせよ。豊かに献げるとき、報い求めずしてかえって一層大なる報いが返って来るのである。

( 谷口 雅春先生著 「信仰の活人剣」より )

2608SAKURA:2013/10/21(月) 21:57:58 ID:A5psoVbE
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
 
憎みながら叱る心で軽く打つと子供は泣く。同じ強さで打っても愛撫する心で愛慰(あいい)
すような形で打ったら子供はかえって喜ぶだろう。痛さは心にあるからである。

 かって野村義隆さんが道場で指導していた朝のことである。禅家の道場破りを仕事に
しているような物凄い格好の修行者が来た。そしてたずねた。
「生長の家では肉体は無いというんですね。」
「そうです。」
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「では痛みは肉体にはないんですね」。」
「そうです。」
「それではあなたの肉体を打っても痛くありませんね。僕はこれから君を打ってやる!」
殺気がその修行者の眼から一閃、野村さんの方へ走った。そのままいたら野村さん
を殴りでもしかねるまじき姿勢である。

 と、たちまち野村さんの方が起ち上がってその修行者の方へ近づいていったかと思う
と、ピシリとその修行者の頬を打った。痛いか痛くないか冷暖を自知せよというのにあ
ったらしい。やがて野村さんは元の座へ還って来て、何事もなかったように別の修行者
と話していた。

 野村さんが打たなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者がうたれたのあった。
 打つ心は打たれなかったら、野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。野村さ
んの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので修行者が打たれたのであった。

 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった。

 そのころ、道場には夜も指導があって、夜間はわたしが受け持っていた。その同じ修
行者がその夜も来ていて同じようにわたしに問いかけた。
「肉体は本来無いんですね」
「そうです。」わたしは朝の出来事を知らないので何心なくこう答えた。
「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」
「それでは先生の肉体を僕はこれから撲りますが、傷みはありませんね。」
修行者は今にも撲りに来そうな姿勢である。
「それは痛いにきまっている」とわたしはとっさに答えた。
「なぜ痛いんだ、無い肉体がなぜ痛いんだ。痛ければ、今後肉体に痛みは無いなどと言うな。」
 
恐ろしい剣幕で修行者は詰めかける。わたしは静かに答えた。
「肉体そのものは傷まないが、お前の心が痛いのだ。人を譲ろうとするお前の心には痛み
がある。『五官は心の影を見るに過ぎず』と『甘露の法雨』にある。五官は心の痛みを映すものだ」
『ウーム、よし!』と言ったきり、修行者は立ち上がりかけた膝を畳に落ちつけて俯向
いたまま動かなかった。そしてわたしが他の修行者と話しているうちにその修行者はど
こかへ姿を消してしまった。
                          つづく

2609かぴ:2013/10/23(水) 10:38:41 ID:oEnYKIyI

”目無堅間(めなしかつま)の小船”は大乗至彼岸の神秘行

 目無堅間の小船と云ふのは、時間空間の目盛りがなく空間なく、無空間にきしっと堅く詰っている堅間の小船であって、時間、空間十字交叉の十字の中心の時間、空間いまだ顕はれざる「無」の一点の、一点もない超時空の世界ーーそれが竜宮海であって、そこへ運んで行く船が目無堅間の小船であって、それは、「我れ今五官の世界を去って、実相の世界に入る」といふ神想観によって、ズーッと何物も失はれてゐない実相世界に入って行くことです。

 それを入竜宮不可思議境界といふのです。

 つまり、目無堅間の小船に乗るといふことは、塩椎神さまより神想観を教へられて、実相の世界、言ひかへると竜宮海へつれて行かれたわけであります。

 彦火火出見尊が竜宮海へお出でになりますと、そこに一尾の鯛がちか頃、喉に何かひっかかって喉が痛い痛いといってゐるさうであるといふので、「彼を呼んでこい」と、いふことになりまして、その鯛を呼んで来て口を開けてのぞいてみると、ちゃんとそこに釣針があったといふのであります。その彦火火出見尊様が豊玉姫命即ち謂ゆる竜宮の乙姫様と結婚をなさいますことが古事記に書かれております。

( 谷口 雅春先生 神武建国の系譜とその理想   古事記の彦火火出見尊が釣り針をなくしてなげいて泣いておられた時に出てこられた塩土神様の話より )

2612a hope:2013/10/25(金) 07:37:15 ID:Zlo2YeaM

▣ 神と一体感の祈り

神はすべてである。
神はいたるところに満ちみちていられるのである。
私の周囲に、上にも下にも、前にも後ろにも、右にも左にも、
すっかり神が私を包んでいるのである。
私は神の中に生き、神は私の中に生きているのである。
私の生命が神の生命なのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2613SAKURA:2013/10/25(金) 20:32:48 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編… &  引用編… 】

■□ 今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

   二 月 十 日
>>2608 の投稿の続きです。

■□ 野村さんの捌き方と、わたしの捌き方とどちらも個性が出ていておもしろいと思う。野
村さんが道場に出れば「叱られる、叱られる。野村さんはこわい」と修行者は噂する。と
きには「道場であんなに憤怒の形相をされては生長の家の名にかかわるから一日も早く道
場へ出ないようにしてほしい」と投書して来た人もあった。

 しかし野村さんに叱られて悟ったと喜ぶ人も、叱られて病気が治ったと感謝する人も
たくさんあった。相手を愛しなければ、公な心であんなに思うままに修行者を叱りう
るものでない、損得を考えたらあんなに叱りうるものではないと批評する人もあった。
「そんなに叱ったら生長の家へ修行に来なくなりますよ」と忠告する人があると、「指導
の最中には相手を指導することきり考えない。修行者が増えるとか減るとか、損得のこ
とを考えて指導する奴があるか」と野村さんはその人に一喝したこともあったと噂にきい
たことがある。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ

>> 打つ心は打たれる心である。打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手
を打つ。相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つので
ある。阿難が釈尊に対って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、その憎んだ心はどこへ行
きますかと尋ねたときに、釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け
取らなかったらその贈り物は誰のものになるか」と問い返された。阿難は「それは贈った
人に返ってきます」と答えた。釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった<< (抜粋文)
◆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◆

■ほんとうにそうです〜〜〜ネ!!【 贈物 】をしまして、仮に相手が、受け取らない場合?
その時はと?――>その【 贈物 】は、自分に戻ってきますョネ!!
この事は、案外と普段?気付かないものなのでしょうかしら〜〜〜ン??

昨日は【フエス・ブックにシェア―】が紹介されていました。その方の文章から〜〜〜♫

【 相手を変えようと思う前にまず自分が、先に変わらないといけませんですね!!】と…
同感しましたので〜〜〜す。簡単なようで?これも相手に【変・化】を求める前に、此方が
変わらないと〜〜〜何の進歩も見出せないと思えたのです!!ですので【恨む事…】このような
ネガティブ感情は、何の“役…(プラス)”にもならないものでしょうかと。!!まず【恨む前…】
更に【裁く…】前に、相手の〜〜〜【重・要・感・は??】考えますと〜〜〜
此処に人間関係のつながりがみえて来ます。(相手の方から、素敵なメッセージ頂きました…。感謝)

■□昨日・・・「総裁先生…」は〜〜〜しつこく?(微笑)【キノコシリ−ズ…】です。

皆様は、これに関して〜〜“うんざりした事ばかり”の“きのこ…”繰り返し投稿記載が書かれています。
これは?まず!相手を優先に〜〜〜裁いているのです〜〜〜ョネ!
相手を裁く事は〜〜〜その本人がどれだけ裁く事の“人格…”があるのでしょうか?
当然その権利は〜〜〜「神様だけ…?」・・・正直!“人格…”見えませ〜〜ンョネ!
その前に、まず!どうしてこのように【 キノコがエコ運動】に繋がるかを、相手の【重・要・感】を
見る“心の目”がベターのように思います。

私は、昨日〜〜〜【再・発・見…】この気付を頂きましたので〜〜〜す。

                                   つづく

2614SAKURA:2013/10/25(金) 21:24:51 ID:pMLLKHKU
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】

■□今日は、久しぶりに「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜投稿とさせて頂きます。

>>2608>>2613投稿の続きで〜〜〜す。

■【 キ・ノ・コ は“エコ運動=ノ−ミート”で〜〜〜す。 】

【 肉・食 】ではなく!これも【エコ運動】だと!更に【お肉なし??】でも、こんなに
“ボリューム”たっぷり美味しくいただけるョ〜♫ と… そうなのです〜〜〜ョネ!

このように「皆様方」に一つの“提案…お知らせ”をしていただいていると分かったので〜〜〜す。
こうして考えてのいきますと…こちらも【心が豊か…】になりますでしょう。 (微笑)

                                     再合掌
PS:「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
この投稿の続きは 〜〜〜♫
■□ 更に【ブログ…】にて“一両日中…?”に投稿させて頂きます…。
↓     ↓     ↓     ↓
■ ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE
http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/  ブログ名…・URL…

【徒・然・物・語…】にての“投稿…”とさせて頂きます…。 のんびり〜〜のんびり〜〜♫

2615アクエリアン:2013/10/26(土) 20:12:23 ID:F2iFe02Y
ラルフ・ウォルドー・トライン著
「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む


Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

第二章
宇宙における至高の真理

THE great central fact of the universe is that Spirit of Infinite Life and Power that is behind all, that animates all, that manifests itself in and through all; that self-existent principle of life from which all has come, and not only from which all has come, but from which all is continually coming.

宇宙における最も目をみはる中心的事実は何といっても無限の生命、無限の力を有する宇宙霊というようなものがあらゆるものの背後に存在して、それがすべてのものに生命を賦(あた)え、すべてのものの内に、すべてのものを通して、それみづから顕現しつつあるということである。それは第一原因として、それみづから存在する原理であって、その原理から万物が生じ来ったのである。否、単に生じ来っただけではなく、今も尚、こんこんと湧き出づる泉の如く万物がそこから発生しつつあるのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」より

宇宙の中心にある偉大な事実ーーそれは、すべての背後には「無限の生命と力のスピリット」が働いていてすべてを動かし、すべてを通じて、すべてのなかに現れているということである。すべては、この自立した生命の原則から生じた。すべてが生じたばかりではなく、いまも生じ続けている。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」より

2616アクエリアン:2013/10/27(日) 14:34:39 ID:N1gtCt5s
ラルフ・ウォルドー・トライン著
「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

第二章
宇宙における至高の真理②

There is then this Spirit of Infinite Life and Power behind all, which is the source of all. This Infinite Power is creating, working, ruling through the agency of great immutable laws and forces that run through all the universe that surrounds us on every side. Every act of
our everyday lives is governed by these same great laws and forces. Every flower that blooms by the wayside, springs up, grows, blooms, fades, according to certain great immutable laws. Every snowflake that plays between earth and heaven, forms, falls, melts, according to certain great unchangeable laws.

それだから、すべての物の背後には、すべてのものの本源なるところの無限生命・無限力なる「霊」が存在するのである。我々を取り巻いて至るところに遍在するこの無限力者は、一定不変の大法則と力とを媒介とし、創造し、働き、支配しつつあるのである。我々の日常生活のあらゆる行動もこの同じ大法則と力とによって支配されているのである。路傍に咲きいでる名もなき花の一つ一つも、この一定不変の法則に従って萌え出で、生長し、花咲き、やがて萎むのである。また天と地との間にひひとして降る雪も、一定不変のある大法則によって形成せられ、降りつもり、やがて融けるということになっているのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

そうだとすれば、すべての背後にある「無限の生命と力のスピリット」はすべての源なのである。この無限のパワーが不変の法則を通じて創造し、作用し、支配している。そして、その力がたしたちを取り巻く宇宙全体に貫かれているのだ。日常生活のあらゆる行動も、その偉大な法則と力が律している。道端に咲く花々は偉大な不変の法則に従って芽生え、育ち、咲き、枯れていく。天と地のあいだを舞う雪のひとひらひとひらも、偉大な不変の法則に従って形づくられ、舞い落ち、消えていく…。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より

2617a hope:2013/10/27(日) 14:59:08 ID:/9IAdiFk

生命の實相 第27巻 久遠物性篇上 

第七章 久遠を流るるいのち

十 トライアンの著作について (より抜粋 P166 7行目〜)

・・・わたしがトライアンのニュー・ソートの本の一つを得たのはわたしに悟りの精神革命が起って「生長の家」をはじめてから後、偶然の機会に、それを古本屋で見出し、立ち読みしてみると、生長の家の思想にソックリのことが書いてあるので、買う気になって持って帰ったのが最初である。

そののち彼の行文がわたしが『生長の家』を書く参考に大いになったものであるが、読み行くにつれて、三十年前日本で『ブッシング・ツー・ザ・フロント』などで有名であったマーデンの著書の文章の一節を始めから終りまでソックリそのままの文句がなんら引用符をもなしに転用させられているのにわたしは驚いて、マーデンの本を引き出して対照してみたこともある。

マーデンとトライアンとは全く同じことが書いてある。

マーデンは平易で通俗的であるが、トライアンは文体が高尚で哲学的である。

その後、わたしの手許に他の著者のニュー・ソートの著書も多く集まって来、それらを読破するにつれて、これらの本はどの著者も悉く同じような文体で、少々ばかり表現を変えていて、実例や比喩までも往々同一なものが混って同じ思想を述べているものであることを発見したのである。

したがってもしわれわれがニュー・ソートを援用する場合において「何某の著述はかく言う」ということはかえってその独創者を誤らしめるくらいである。


ニュー・ソートはかくのごとく十九世紀の前半において米国の書籍店中の書籍の半ばを席巻するほど広く氾濫したらしいのであるが、それが仏教と称せずして実は仏の教えの英国への浸潤であったことはすでに述べたとおりである。

しかし、それはたとい、仏の教えであっても、ラジオの受信機が異なるごとに、その音声に一種の癖をもっているように、その神髄は仏の教えであっても、その悉くが、(その雑音までもが)仏の教えであるわけがない。

ニュー・ソートの著者においても、物質無をといているものもあれば、物質有として汎神論を説いているものもある。

仏教においても、真言宗も、天台宗も、禅宗も、浄土宗も、真宗も、日蓮宗も、そのいずれも仏の教えであるに相違ないが、その悉くが(その雑音までもが)仏の教えであるわけはない。

われわれはただそのうちから「久遠を流れるいのち」を見出し、それに触れ、それに合流すればよいのである。

2618a hope:2013/10/27(日) 15:00:46 ID:/9IAdiFk
>>2616アクエリアンさま

『ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む』をご紹介くださりありがとうございます。
つい最近、わたしは>>2617に謹写させていただいた箇所を拝読していまして、アメリカのニュー・ソートに関してお勉強したばかりだったので、
とても興味深く、この二つの日本語への翻訳文を拝見できました。

それにしても、同じ英文を翻訳しても、こんなにも表現が違うというのは興味深いですね。
一見、吉田利子さん翻訳文の方が、余計な脚色がなくて簡潔で分かりやすいように感じますが、
雅春先生の御文章には、その宇宙の真理をまことに体得した人でなければ表現できないような説得力というか、
ご文章自体に真理の波動が感じられるように思いました。

2619アクエリアン:2013/10/27(日) 19:47:05 ID:yh1CrJ.I
hope様

コメントありがとうございます。

雅春先生と吉田利子さんの翻訳に対するコメント、私も同感です。

こうして、コメントをしてもらうと、トラインの紹介者として、嬉しいかぎりです。

吉田利子さんは、世界的ベストセラーとなった、「神との対話」の翻訳者で、さすが、トラインの文章の意味を的確に捉えられて上手い日本語に訳されているなと勉強になります。

雅春先生の翻訳は、かつて、ヴァキュームオイルカンパニーで非常に厳密な翻訳を要求される部所で翻訳を担当されておられた方だなということを感じさせられます。

一言一句を決しておろそかにされない翻訳姿勢、そして、トラインの真理の言葉を日本人の読者に漏れなく十全に伝えようという情熱に感服するばかりです。

同じ文章に対して、複数の翻訳を読み比べる作業というのは、非常に勉強になりますし、面白いですね。

2620SAKURA:2013/10/27(日) 20:45:29 ID:bdP2hNg2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 引用編…】
>>2608>>2613>>2614 投稿の続きで〜〜〜す。

┃■■━┳━━【 お知らせ 】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【 回復力…湧く 】〜〜それは【 真理は一つだからです!! 】
■□−「生命の実相」を“37巻”からの〜〜〜♫
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2608 (第一回)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2613 (第二回)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2614 (第三回)
※転載・引用(一部)を【聖典板】に投稿していました。…が?この【 続き投稿 】を【ブログ…】に記載!
↓     ↓     ↓
■ ゆ・と・り・す・と…『真理』SEICHO−NO−IE
http://hert1706-go4snbs3yts.blog.so-net.ne.jp/  ブログ名…・URL…

━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━−■■

再合掌

2622SAKURA:2013/10/27(日) 21:40:48 ID:bdP2hNg2
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載・引用編】
>>2608>>2613>>2614>>2620 投稿の続きで〜〜〜す。

★♪/
 ┏∞┓ ■ 【 幸せへのパスポート!! 】   谷口清超 著 ■
 ┗┻┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━‥・

❤ 【 心 で 作 り だ す 】

 人間はすばらしい「心」をもっている。この「心」で自分の運命を、どのようにでも操縦する。
たとえば、右に行こうと思えば右に行けるし、寝ようと思えば、ねむれるし、山に登ろうと思え
ば、登山することができる。

 それと同じように、自分の肉体も、どうにでも支配することができるのだ、強くなりたい人は
強くなれるし、病気したい人は、病気ばかりするようになる。少しなまけて、
「こんなに忙しいのはいやだ。ゆっくり一日中寝ていたい」と思うと、すぐカゼを引いて、
「一日中寝る」ようになるのは、そのせいである。

 しかし、「心」で自由に支配できるといっても、やはりそれには練習がいるし、努力もいる。
ボーッとして何の努力もせず、なまけながら「支配する」ということはできない。それでは
人間を「なまけもの」にするばかりだからである。人間は本来、「神の子」で、努力家で、
しっかりした心の持ち主であり、多くのことをやりぬく力をもった人格だ。

 病気を治す場合でも同じである。「心」で自由にできるが、それには努力が必要である。と
いうのは、病気をつくり出したのも、「心」であるから、もとの「心」を支えなければならな
いからだ。 (一部抜粋)
                             つづく 

PS: 「トキ様」 へ    「観覧者の皆様」 へ
■□「 心 … こころ」で、すべてが思う様になるのは〜〜〜やはり【訓・練】ですネ!!
「SAKURA」も今回・・・前回の投稿コメント>>2608>>2613>>2614>>2620からの続きから・・・

やはり! やはり! 【 心…こころ 】で、駆使する事を学びました次第です…。
更に、現在もまだ!まだ!続行中で〜〜〜す。!!
【 幸せへのパスポ−ト――> こころ… 】 その素晴らしさを生みだす事が出来ます〜〜〜ョネ!
                              
再合掌

2623アクエリアン:2013/10/27(日) 23:40:21 ID:f9aisZqc
ラルフ・ウォルドー・トライン著 「幸福はあなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-011.htm#TopOfText

第二章 宇宙における至高の真理③

In a sense there is nothing in all the great universe but law. If this is true there must of necessity be a force behind it all that is maker of these laws, and a force greater than the laws that are made. This Spirit of Infinite Life and Power that is behind all is what I call God. I care not what term you may use, be it Kindly Light, Providence, the Over Soul, Omnipotence, or whatever term may be most convenient. I care not what the term may be as long as we are agreed in regard to the great central fact itself.

ある意味では、この大宇宙には法則のほかに何ものもないとも言えるのである。もしこのことが真実であるならば、その法則の背後にはこれらすべての法則の創造者である「力」が存在しなければならないし、その「力」は創造せられたる法則よりも偉大なるものでなければならないのである。この凡てのものの背後に存在する“無限生命”にして“無限力”なる“霊”を私は称して「神」とよぶのである。私は諸君がそれを何と呼ぼうと意に介しない。大慈、光明、摂理、超越霊、全能者又は諸君が最も便宜と思われるどんな名称で呼んでも差し支えないのである。宇宙には一切の本源者が存在するというこの中心的な大事実を、私たちが一致して認める限り、その名称如何は何ら意に介する必要はないのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

ある意味では、壮大な宇宙にあるのはその法則だけだともいえる。それが真理なら、その法則の背後に何らかの力があってさまざまな法則を生み出しているはずだし、その力はさまざまな法則よりもさらに偉大なもののはずだ。すべての背後にあるその「無限の生命と力のスピリット」を、わたしたちは神と呼ぶ。呼び方は何でもかまわない。「優しい光」でも「恩寵」でも「至高の魂」でも「遍在」でも、わかりやすい言葉なら何でもいい。その偉大な中心的な事実についての理解が一致している限り、呼び方は何でもかまわない。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より

>>2615
第二章 宇宙における至高の真理①
>>2616
第二章 宇宙における至高の真理②

2625アクエリアン:2013/10/28(月) 20:52:23 ID:f9aisZqc
ラルフ・ウォルドー・トライン著 「幸福はあなたの心で」を日英両語で 読む

Chapter 2 - The Supreme Fact Of The Universe

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-011.htm#TopOfText

第二章 宇宙における至高の真理④

God, then, is this Infinite Spirit which fills all the universe with Himself alone, so that all is from Him and in Him, and there is nothing that is outside. Indeed and in truth, then, in Him we live and move and have our being. He is the life of our life, our very life itself. We have received, we are continually receiving our life from Him. We are partakers of the life of God; and though we differ from Him in that we are individualized spirits, while He is the Infinite
Spirit including us as well as all else beside, yet in essence the life of God and the life of man are identically the same, and so are one. They differ not in essence, in quality; they differ in degree.

【語句】partaker:苦楽などを共にする人

そういう訳で、私はこれを神と呼ぶが、神はこの無限者なる太霊であって宇宙の至るところに遍在し給うのである。そしてそれゆえに、一切のものは神より生まれたものであり、神の内にあり、神の外にあるものは一つとして存在しないのである。さればまことにも、真理をもととして論ずれば、神の内に私たちは生き、動き、我々の存在を保っているのである。「神」こそは私たちの「生命の生命」であり、我々の「生命」そのものであるのである。私たちは私たちの生命を神より承けた、そして今も間断なく生命を注がれ承けているのである。私たちは神の生命を分かち有(も)つものである。私たちは「個性化した霊」として出現したという意味で「全体生命」から分離したようではある。神は、我々及び諸他の一切のものを包容する無限者なる霊であり、その精髄においては、「神の生命」と「人間の生命」とは全然同一なのである。だから「神の生命」と「人間の生命」とは一体であるのである。それはその精髄においてその性質において異ならないのであって、その程度において異なるに過ぎないのである。

谷口雅春先生訳「幸福はあなたの心で」(日本教文社)より

神とは神ご自身のみによって宇宙全体を満たすこの「無限のスピリット」なのである。すべては神から生まれ、神のなかにあり、神でないものは何もない。したがって、わたしたちは神のなかで生命を得て、動き、存在しているわけで、神はわたしたちの生命であり、人生そのものなのだ。わたしたちは神から生命を授けられたのだし、いまも授けられ続けている。わたしたちは神の生命の一部なのだ。わたしたちと神は違うが、それはわたしたちが個々のスピリットであるのに対し、神はわたしたちすべてもわたしたち以外のすべても包み込む「無限のスピリット」であるからで、本質的には神の生命と人間の生命は同じひとつのものなのである。本質的な違いがあるわけではなく、それは程度の違いに過ぎない。

吉田利子訳「人生の扉をひらく「万能の鍵」」(サンマーク出版)より


>>2623
第二章 宇宙における至高の真理③

2626a hope:2013/10/29(火) 08:14:11 ID:/9IAdiFk

▣ 自然の祈り

ああ、神は偉大なるかな。
見わたすかぎり無限にひろがる大宇宙に数知れぬ多くの星を造りたもうたのである。
その星の中には太陽の二十万倍も大きな星があるのである。
それが、宇宙があまり広大なために小さな星に見えているのである。

ああ、神は偉大なるかな。
偉大なる″神の生命″を私は宿して人間として生まれてきたのである。
ああ、私の生命は偉大なるかな。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2628a hope:2013/10/30(水) 09:03:48 ID:/9IAdiFk

▣ 礼拝の祈り

神はすべてである。
すべてのものは神から生まれたのである。
だから神がこうしていろいろのものの姿にあらわれていられるのである。

机も鉛筆もペンもインキも紙もことごとく神のあらわれである。
だから私はすべてのものの内に神が宿ることを知り、一枚の紙、一本の鉛筆でも大切にする。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2629うのはな:2013/10/30(水) 11:14:28 ID:wCSq1zyk
      急ぐと焦ると

 生長の家本部へ修行に来ている「ひとのみち」信徒がある時「ひとのみちでは急ぐということは善くないと
申しますが、昔から『善は急げ』という諺がございます、善事は急ぐべきでしょうか。それとも善事でも急いでは
ひとのみちに反くことになりましょうか」とお尋ねになったことがあった。

 生長の家では、「常に時は今である」と言う。それは今の瞬間に久遠永劫の力がかかって、動こうとしていることを知れという
ことである。水道の栓を一つ捻らねば永劫にその栓を捻じる時はこないのである。
われわれの行動の支点は常に「今」にかかっている。「今」よりほかに何事も成す時はない。

「今」を見逃す者は永劫に実行の機会を見逃すことになる。だから「善は急げ」である。
しかし、現象界は一定の時間的順序で展開するから、今水道栓を捻じっても、ただちには浴槽の水が一杯になるものではない。
水道の栓を捻じった時、心の世界ではすでに浴槽の水は一杯になっているのである。

 それが形にあらわれるには時間経過を要する。すでに満たされている心の世界を信じないでその時間経過を待ち遠しく焦る者は
事を破壊するのである。種子を播いた時、すでに心の世界でその種子は芽が出ている。形の世界ではある時間経過の後芽が出る。
その時間経過を待たずに急いで土を掘り返して見る者は事を破壊する者である。
だから焦らず、善は急いで今を生かせである。

  『生命の實相』第23巻 宗教問答篇  谷口雅春 先生著

2630かぴ:2013/10/30(水) 11:24:21 ID:oEnYKIyI

   逆境に処して斯く祈れ

 若しあなたを不正にいじめる者があったり、不正に待遇する者があったり、正しいあなたの収入を不正に少くしたり奪ったりするものがあったり、あなたを誤解する者があったとしても、その相手を直接怨んだりしてはならないのである。

 キリストは斯う云う場合「悪に抗する事勿れ」と教えている。

 悪の存在を見てそれに抗したり、悪を認める心によって悪は消えることはないのである。

 あなたの信仰を変えよ。そして「自己にとって相応しき善なる者は自己の心の波長によって引寄せられて来るのである。自分は彼らを愛するが故に、彼らは決して私を害することはないのである。今彼らが私に敵対しているように見えても、それは一層善なるよき物が来る過程である。」かく思念することによって実際一層よき物が来るのである。

( 谷口 雅春先生著  「新版 幸福を招く365章 」より )

2631アクエリアン:2013/10/30(水) 18:29:25 ID:hIJRxoBg
ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸福は あなたの心で」を日英両語で読む

Chapter 3 - The Supreme Fact Of Human Life

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-016.htm#TopOfText

第三章人間生活における最大の真理①

From the great central fact of the universe in regard to which we have agreed, namely, this Spirit of Infinite Life that is behind all and from which all comes, we are led to inquire as to what is the great central fact in human life. From what has gone before, the question almost answers itself.

前章において私たちがその結論に同意したるところの宇宙における最大なる中心的真理ーー即ち、凡てのものの背後には無限なる大生命の霊が存在し、それからして万物が発生したのであるという真理ーーよりして私たちは人間生活における最大の中心的真理は何であるかの提題に導かれて行くのである。既に前述したところの真理よりして、この問題に対する回答は自然に引き出されて来るのである。曰くーー

(谷口雅春先生訳)

先にお話しした宇宙の中心にある偉大な事実、つまりすべての背後に「無限の生命のスピリット」があって、そこからすべてが生じるという事実。そこから生まれるのは、人生の中心にある偉大な事実とは何かという問いかけである。これについての答えは、その前提を考えればすぐにわかるだろう。

(吉田利子さん訳)


The great central fact in human life, in your life and mine, is the coming into a conscious, vital realization of our oneness with this Infinite Life, and the opening of ourselves fully to this divine inflow .

人間の生命ーーあなた方の生命も私たちの生命も引っくるめてーーその最大の中心的真理はわれわれの生命はこの大生命と一体である、したがって、私たちはこの真理を意識的に生き生きと自覚すれば、意識的に神の生命の聖なる流れに充分完全に自分の心の窓を打ち開き得るはずであるということである。

(谷口雅春先生訳)

人生の偉大な中心的な事実、あなたの人生やわたしの人生の偉大な中心的事実とは、わたしたちがこの「無限の生命」とひとつであることに気づき、肝に銘じて、充分に自分を開いて聖なる流れを受け入れることだ。

(吉田利子さん訳)

>>2625
第二章 宇宙における至高の真理④

【参考資料】
■アマゾンブックレビューより転載

新選谷口雅春選集 9 幸福はあなたの心で

これは素晴らしいです。 By きらく- 2011/6/15

謝 世輝氏著「願望をゼッタイかなえる信念の魔術」に この本は良書と紹介してあったので、読んでみま した。 これは素晴らしいです。 引き寄せの法則 などの本を読み、ある程度の理 解のある方なら、 きっと気に入ると思います。 訳者が、昭和41年に訳されたからか?
旧仮名遣い、旧漢字が多くて、ちょっと読みにくいかもしれませんが、 漢字には全部ルビがふってあるので大丈夫です。 「人生の扉をひらく「万能の鍵」」という本は、 他の方の訳により、新たに出版された本だそうで す。

2633a hope:2013/11/01(金) 08:52:57 ID:/9IAdiFk

▣ 歓びの祈り

神は光である。
神は光であるから明るい歓びの心をもちたまう。
私は神の子である。
神から明るい心を譲られていて、暗い陰気な心はけっしてもたないのである。
だから私は何を見ても愉しいのである。
歓びばかりがやって来るのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2634a hope:2013/11/01(金) 09:13:28 ID:/9IAdiFk

▣ 善き言葉の祈り

神は言葉によって一切のものを造りたもうたのである。
言葉で話す通りのものが自分の周囲にあらわれてくるのである。
私は人の欠点を話さない、美点のみを話すのである。
だから自分には善きことのみが集まってくるのである。

「ジュニア希望の祈り」谷口雅春先生著 (日本教文社 )

2637SAKURA:2013/11/01(金) 19:36:52 ID:3/pn4/Pc

「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
>>2601 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑤   【転載編…】
>>2589投稿の続きです…。

「その理由は、その叔母さんが、あなたが好まない所の唯一人の人であるからです」
とマン女史は答えました。
何故叔母さんに深切にせんならんかと言うと“貴女が叔母さんを憎んでいるからだ。憎
んでいるから、深切にしなければならない“というのです。

「貴女は本当に叔母さんを好まないのではないのです。誰でも人を憎む時には自分自身に
憎むべきものがあって、その罪を相手に映して、相手を悪いと思うのです。あなたは自分
のよき住居をもち、それ相応の立派な家具や調度をもつ権利があると思っているのにそれ
が得られない――その自分に対して腹立たしいのです。その腹立たしさを叔母さんに罪を
かぶせようとするのです」


 誰でも人を憎む時には、自分自身に憎むべき欠点があって、自分を憎んでいるのだが、
その罪を相手に移して肩替りさせる。彼女も叔母さんに罪をかぶせて叔母さんは吝嗇坊で
私に金をくれないという風に憎むようになっているんだということを指摘した訳です。自
分が憎んでいる者程愛しなければならないということは、これは非常に大切なことなのです。

 愛している者を愛したって、何の値打もない。自分が生んだ子供を母親が愛する――当
り前のことです。別に徳が高いというものでない。むしろ、子供を愛しないのは気違い
か馬鹿かであって、愛する者を愛するのは当り前のことなんです。

 愛というものは、センチメンタルな“ 好き ”というような感情ではないのです。愛とい
うのは、実じ實相の中から出てくるところの自他一體の自覚なのです。自他一體、即ち自分と
他、相手と自分とが、肉體は別れているけれども、本来一つであるという自覚なのです。

 その本来一つであるところの自覚が出てこない間は、表面のセンチメンタルな心では
“あいつは虫が好かん”とか“叔母さんはけちん坊”だとか言って離れているけれども……
然しその奥底は、互いに一つの生命である神から生まれたのです。その内部から出てくるとこ
ろの、本来一つの自覚に基づいた意志の實践―何々せんと欲すという意志を實践する時
に、魂の進歩というものがあるのです。

 我々の魂の底には、通俗の言葉で言えば、“良心”という良き心が宿っている。佛教的
な言葉で言うと、所謂 “実相”とか“佛性”とかいうものが宿っているのです。實相にお
いては、皆佛であって一體でる。ところが表面のセンチメンタルな心では“好き”だと
か“嫌い”だとか色々言って、反撥したりしているのです。

                              つづく

2638SAKURA:2013/11/01(金) 21:42:37 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。【 転載編…&引用編… 】
>>2500>>2501>>2504>>2507>>2522>>2523>>2539>>2554>>2563>>2566>>2567>>2571>>2582>>2589
>>2601>>2637 の投稿の続きです…。       

【  女性の本質  】             谷口雅春著
――― 女というもの ―――   
■ 愛は一切のものを産み出す母・・・・・ その⑥   【引用編…】
>>2589>>2637 投稿の続きです…。

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
此処で「気に入らない人!!」 「嫌がらせされている人!!」……
そのような人こそ【相手の実相…】を見なさいという事……これって!本当に、難しいです〜〜〜ョネ!!
何故なら〜♫〜 まず!私の【視・界…外の方達】から、非常に関わりたくないのに ><
【 尾・行 】とか?いろんな形で、【 四面楚歌 】つまりは〜♫ 一日中の見張りに見えます。…が?
これって?まず【情・報 を先・取・り】したい為なんでしょうかしら〜〜〜ン!首をかしげながら?

私にしますと、このような人は、まず【切・る…事】と〜〜〜更に!まず【この世に存在していないモノ】
このように見るようにしています此処昨今です。実は?“三日前…”でしたか?
「タタキ男の奥さん」でしょうかと。??一瞬!一瞬!変な感じ〜〜〜♫と思いながら?更に“マスク…”
をしていましたのが?雰囲気的にそのしぐさから?こちらに向けて〜〜〜♫フン!フン!と見せつけるように
近づいてすれ違いました。かなりの「形 ・ 成 経由…」でしたが?この女性の好みから〜♫
「タタキ男の嫁さんでしょうか?」との判断に至り〜〜〜【若さ…とは】若作りを本人はしているつもり?
外見上のみの様な感じが、こちらから見ますと見えて致し方なく?【心は〜〜〜何処〜〜〜】

■□ 何か〜〜〜“おかしな世界観…” その様に感じてしまうのです…。

まず!!興味がない訳ですから?私は、そのように一人一人の各自の個性がありますし、
【世界観…】は全くもちまして異なるのですモノ!!ですから〜〜〜♫ このような
人達の【 実・相 】を見る事より、【ノータッチ…かかわらない】まず!心で〜〜〜
唯今【 10月31日 ハロウイン……悪魔払い 】に徹する事でしょうかと??

【続々甘露の法雨…】にも、すべて〜〜〜が【心で作る世界…決定】します。
心!まずトラの“例え話…”を思いました。
■□ 良いも〜〜〜悪いも〜〜〜まず“切・る!!”事から始まる予感でしょうか???
最終的には〜〜〜今回の「マン女史」のお話の方は…【 実・相 】をみる訓練かと…
ケ−ス!バイ!ケ−ス!という事でしょうか???このように思いますネ!!!

再合掌

2639アクエリアン:2013/11/02(土) 12:11:26 ID:6oAY2dpc
ラルフ・ウォルドー・トライン著「幸 福は あなたの心で」を日英両語で読 む

Chapter 3 - The Supreme Fact Of Human Life

http://newthoughtlibrary.com/trineRalphWaldo/inTune/pages/in-tune-with-the-infinite-016.htm#TopOfText

第三章人間生活における最大の真理②

This is the great central fact in human life, for in this all else is included, all else follows in its train. In just the degree that we come into a conscious realization of our oneness with the Infinite Life, and open ourselves to this divine inflow, do we actualize in ourselves the qualities and powers of the Infinite Life.

これこそが人間生活における最大の中心的真理であって、この中心的な事実のうちに他の一切のことは含まれており、爾余の一切は付随的に発生するのである。私たちがこの無限の大生命と一体であるという真理を意識的に自覚し、自分自身を大生命の聖なる流れに、自分の心を打ち開き得る程度によって、私たちが実人生において大生命の徳と力とをどの程度現実化し得るかということがきまるのでる。

(谷口雅春先生訳)

これが人生の偉大な中心的な事実であり、すべてはここに含まれるし、すべてはここから始まる。どこまで意識して「無限の生命」とひとつになれるか。この聖なる流れにどこまで自分を開けるか。その度合いに応じて、わたしたちは自分のなかにある「無限の生命」の資質と力を実現することができる。

(吉田利子さん訳)

>>2631
第三章人間生活における最大の真理①

2640a hope:2013/11/04(月) 22:11:42 ID:/9IAdiFk

類纂・生命の實相 『人類無罪宣言』谷口雅春先生著
編者 楠本加美野先生


   罪業もとよりかたちなし
   妄想顛倒のなせるなり
    ――― 親鸞 ――――

編者のことば①  (p1〜)

人間の不幸は、最近の精神分析の新しい発見によると潜在意識の深層に淀んでいて消えない ″罪″の観念の自己処罰だと解釈されています。
この意識の深層に横たわる罪の意識が消されるならば、自己処罰による人間の不幸が生じないで終熄(しゅうそく)する筈である。
戦争の発生すらも罪の意識を焼却するための自己処罰だと精神分析学者は言います。
多くの人たちが『生命の實相』を読むことにより、不治の病から癒された実例が体験としてあらわれているのは『生命の實相』の説く
「人間、本来、神の子にして罪無し」の真理が同書の雄勁(ゆうけい)なる文章の力となって読者の潜在意識に浸透し、
意識の深層にある罪の観念の蓄積即ち ″業″が消去せられるからなのです。
罪業本来無し、それはただ観念的存在なのであることを私は自分の体験によって実証したのです。
(つづく)

2641a hope:2013/11/04(月) 22:15:45 ID:/9IAdiFk
>>2640つづき)

編者のことば② 

私は昭和三十一年、宇治修練道場に於いて練成の手伝いに励んでいた頃、
後に述べるが如き家系に係る業因について悩んでいたのであるが、練成局長である徳久克己理事から、
『生命の實相』の各章から「罪本来なし」に関する文章を系統的にまとめて抜粋筆写して
潜在意識の中にある ″罪″の観念を徹底的に消去するよう勧められました。

その頃宇治では山を崩し、谷を埋める献労を中心とした練成をしていました。
私は昼間は山崩しに全精力を捧げ、夜は『生命の實相』をひたすら読み「罪本来なし」の問題にとりくんでいました。

私は新しい気持ちで『生命の實相』を読みはじめました。
入信まもなくの頃『生命の實相』十回通読を念願にたて、四回までは毎日毎日少しずつ読みましたが、
それからはわかりきった事を読むような気がして、思い出しては読む程度で八回通読しました。
今度はテーマを与えられた事によって、今までと全然違った感激をもって、読むことができました。
すると、今までわかったような気がしていたのが、実は漠然としていてさっぱりわかっていなかったことがはっきりしてきました。
(つづく)

2642a hope:2013/11/04(月) 22:18:38 ID:/9IAdiFk
>>2641つづき)

編者ことば③(p2〜)

先ず罪の問題を全て『生命の實相』から抜き書きしました。
次に谷口雅春先生のあらゆる御本から抜き書きしました。
しかしそれを系統的にまとめる事が難事でした。
何回もあきらめようとしましたが、その度に徳久先生から励まされ、終りに「祈りなさい」と言われました。

私は四時に起きて神想観をすることにしました。
二か月位つづけた時、目次がひらめきました。
それは、″苦行不要″ ″犠牲不要″ ″神罰なし″ ″罪なし″ ″懺悔″ ″因果を超越する″でした。
私は希望に燃えてまとめ出しました。

その頃、それまで三回も流産してその後、子供が宿らなかったわが家に、神の子が宿りました。
そしてこれまでの研究を「人類無罪宣言」としてまとめ上げた時、長男が生まれました。
谷口先生から行孝(ゆきたか)と御命名いただきました。
(つづく)

2644a hope:2013/11/05(火) 00:02:23 ID:/9IAdiFk
 (>>2642つづき)


編者のことば④(p3〜)

この事は谷口先生が、『生長の家』誌三十三年号の「明窓浄机」に次のようにお書きいただきました。

>生長の家宇治修練道場の楠本加美野講師夫人が去年の暮ちかく玉の如き男子を出生せられたことを爰(ここ)に報告しておきたい。
同夫人はこれまで三回も流産された。これについては楠本講師が、まだ青年時代の頃の自分自身の親不孝の罪の具象化、
又は家系につながる両親の跡嗣(あとつぎ)は得られない業因の具象化であって、
もう永久に自分には血のつながれる跡嗣が得られないかも知れないと心配されていたのであるが、
徳久克己理事が飛田給や宇治の職員に『生命の實相』を繰返し精読する機縁を与えるように、
それぞれ或る問題に視点を集注して、特に或る事項に関する抜き書きを職員たちに命ぜられた。
楠本加美野講師に割当てられた事項は、「罪本来なし」という真理に関して記述してある『生命の實相』中の文章を特に注目して、
書き抜いて筆写して整理することであった。
ところが楠本講師がその「罪本来なし」の真理と取り組んで筆写しておる内に、
「自分の親不孝の罪業も家系に伝わる両親の跡嗣となる子供が代々得られないという業因も本来なし」ということが
徹底的に潜在意識に印象されるようになったのである。
そこで今まで潜在意識中につかまれていた流産の業因が消えてしまって、玉の如き男児が得られることになったのである。
この実例によって、業というものは何処に存在しているかといえば、潜在意識の中につかまれているのであって、
聖典読誦の繰返しによって潜在意識を浄化すれば、個人及び家系に伝わるすべての罪業は
消えてしまうものだということが証明されたのである。<
(つづく)

2646再掲:2013/11/05(火) 02:00:04 ID:???

名前:SAKURA 投稿日: 2013/11/04(月) 21:58:30 ID:FDHLkvKk
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ 

■□「古きよき時代…雅春先生の時代の真理の伝・道…」但し?【 回・想】に思いふけるのは?
本当に!今を活かす事に繋がるのでしょうかとも?

2647SAKURA:2013/11/05(火) 03:08:16 ID:aWzD9cbE
「トキ様」へ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……   ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>2637>>2638 の投稿から “思考…範囲” をひろめますと〜♫

■ 類纂・生命の実相   【 人 類 無 罪 宣 言 】     谷口雅春著
                        楠本加美野 編    日本教文社

■□ 第五章 宗教上の 「罪の赦し」 について   P.166〜167頁まで

…中略…
神想観は罪あるままで勘弁する意味では罪を赦すのではありません。円満無罪の実相の中へ溶け込
むことによって、罪(悪念の運動慣性)が無くなるのであります。負債を支払わないで勘弁してもら
うのではなく、実相の富があらわれて来るから、負債が自然に支払われて来るのであります。プラスが
出て来るから自然にマイナスが消滅するのです。貧しいままで、相手から卑屈に負債を免じてもらう
のではなく、自然に富んで来て負債を支払いうるようになるのであります。その例もずいぶんありま
す。悪癖のある人が悪癖のあるがままで人々から我慢されるようになるのではなく、悪念の運動慣性
が破壊されるからその悪癖が無くなるのであります。タバコや、飲酒や、吃語癖などが神想観で自然
に治ったのはそれであります。病気の人が病気のままでもその病気を我慢してもらって、人から迷惑
がられなくなるのではなく、神の子無病に実相があらわれるから自然に病気そのものが影を消すので
あります。その例も無数にたくさんあります。約言すればすべて他から我慢してもらう意味では罪が
赦されるのではなく、罪の運動慣性が消滅せしめられる意味において罪が赦され、罪がけされること
になるのであります。…中略…
                          (一部抜粋)

PS:「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
さて!今回の『聖典板…』上記の皆様方が投稿されています“内・容”に???
【 罪の無罪宣言 】です。…が?最近、よく考えてしまいます。…が?
当時の事です…。私が、まだまだ?新米の頃?という表現になりますでしょうか?
やはり【親・不・孝…】をしておりましたから???当時の私は、一度この書籍を拝読しました時!
この衝撃的な “コトバ…”

■ 【罪・は・無・い!!】
この様に、今では、恥ずかしいのですが?勝手に思いまして、“気…”が楽になりました。何故ならば?
皆様もご存知の「甘露の法雨…」の冒頭に、
【天地一切のものに感謝せよ!!…中略…汝らの兄弟のうちに最も大なる者は汝らの父母である。】と…
此処から、いつも〜いつも〜私の“心の中は?闇の世界”という具合に、暗く打ちのべされていました。
それは ><
■「タタキ男…出・会・い(人をだます手口)」が〜〜〜“原因”です。此処から?
すべての『歯車が狂い…』まさに【人生の汚点…烙・印】でしたでしょうかと。??当時?その時に、
【人 類 無 罪 宣 言】この書籍本を読みまして、しかも“途中…リタイア?”なのでしたが?(微笑)

当時の私の“魂…”では〜〜〜勝手な判断にて「モ〜〜〜ウ!罪が無い!!」のだと思えたのです。
【罪…】これは【包み隠す…表れが…罪なのです】
これに【縛りつけられますと〜〜〜罪は、永遠なのです】この様に思えるようになりました次第です。

そうしますと【罪…】・【罪・業】は?どうしますと無くなるのでしょうか!!
■それは“愛”=“慈愛精神”から始まり、そこから「道…心の扇」が開かれてゆくのでしょうかと??

「楠本先生」の素晴らし〜〜〜イ【愛の精神】そして【慈愛精神】へと繋がり、更には、
そこから【天・国・の・門】が〜〜〜開いたものと、改めて“確信”ができました。『感謝…』です…。
そうです〜〜〜ョネ!強い〜強い〜【意・識】が繋がり…先生の慈愛精神が【罪・業】が消す事になった
のです〜〜〜ョネ!!そして〜多々なる「奇・蹟」が生まれたモノと、思う次第です。
ここが“ポイント”でしょうか?

まず【罪は本来無いとの自覚…】とは〜〜〜?
「無・意・識」の中から、何か“施しの精神”が生まれる【慈・愛】これが【愛…】なのですから?
これが生じますと【人間…神の子!!】の目覚めができ始めて〜〜〜【罪・業】が消えていく!!

ですので【無・罪・宣・言】とは、まず、
相手に対していつも【慈・愛・精・神・が・永・遠・に・つ・づ・く・事!】がカギでしょうかと??
この様に思うのです。
                                再合掌

2648a hope:2013/11/05(火) 09:24:44 ID:/9IAdiFk
>>2644つづき)

 編者のことば⑤(p4〜)

この記事を読んだとき初めて、何故いままで流産していたか。なぜ今回子供が誕生したかがわかりました。
私は生まれるとまもなく実父に離れ、十三歳の時継父が出来たわけですが、その二人の父と母を憎んでいました。
飛田給練成をうける事により、二人の父に母に感謝できるようになりました。

その後、婚約を断りに行った時、そこで二十数年ぶりに実父に再会出来、更に数年後、結婚が成立する時、
楠本家の先祖が明らかになったわけです。

こうして結婚する過程に親とか先祖に調和して多くの人々から祝福された結婚でしたが、
子供が宿ったと喜ぶと間もなく流産しました。
また子供が宿ると不思議に夫婦の間に険悪な空気が流れて、後で考えると馬鹿馬鹿しい事で争い、
その結果流産してしまいました。
二度目の流産の後二人は深く反省しました。
今度宿った時、三度目には調和した生活をして立派な子供を生もうと二人はそれぞれ精進して、
三度目の妊娠に備えました。
そうして三度目が宿りました。
しかしその努力はむなしく、二人の間には又も険悪な空気が流れ出しました。
それは二人の力ではどうすることもできませんでした。
それが業の催しだったのです。
そして終(つい)に流産してしまったのです。
何故流産するか、あらゆる面から考えましたが、その当時は不明でした。
私達夫婦の間には、子供が出来ると不幸になるような不可抗的な力があるように思えました。
(つづく)

2652a hope:2013/11/06(水) 08:49:51 ID:/9IAdiFk
>>2848つづき)

編者のことば⑥(p5〜)

しかしながら真理は私を救ってくれました。
前記のように『生命の實相』の全巻の中から「罪本来無し」の真理を重点にして抜粋し、
その筆写が「人類無罪宣言」の一冊にまとまるほどに原稿用紙に整理された時、
家系連綿とつづいた ″業″が消えたとみえて、私の家庭に長男が恵まれたのです。
本書はこうして綴られた、『生命の實相』中の業因を消去する聖句の部分の類纂であるわけです。

楠本家には何代かにわたって、つねに、もし子供が生まれたら子供一人を遺して親は死ぬ。
親と子とは両立できない恐ろしい業因が連綿としてありました。
私は結婚しました。
そして、その連綿継続した業因が消えないままで、もし子供が出来たら私たちは子供一人を遺して、
生き別れか死に別れの運命にあったのです。
親が死ぬか、子供が死ぬか、それがその時まで子供が次々と流産した深いわけでした。

それは恐ろしい家系につながる ″業″でした。
しかし私が、『生命の實相』の中から「業本来無し」「罪本来無し」の項目に関する文章を抜粋して筆写して、
その研鑽が徹底して「本来、人間・神の子、罪業無し」の真理が私の潜在意識の奥底に印象された時、
その業因が消えて長男が生まれたわけです。
そしてその後、尚、二人の子供も出来、今は全く幸福な家庭に恵まれているのです。
(つづく)

2653a hope:2013/11/07(木) 08:45:24 ID:/9IAdiFk
>>2652つづき)

編者のことば⑦(p6〜)

こうして筆写類纂した「人類無罪宣言」の原稿と子供の写真を谷口先生に献上し、
お礼を申しあげたく先生のお宅にお伺いしましたとき、輝子奥様から「よかったね」と喜びのお言葉をいただきました。
そのとき私はお礼の言葉も言えず、感謝感激のあまり、その場に慟哭するかのように泣いてしまったのでした。
今度、この類纂された『生命の實相』中の「人類無罪宣言」が原著者谷口雅春先生の御厚志で世に出ることになったのです。

私と同じように罪の観念で苦しんでいる人、先祖代々から「悪業」によって苦しんでいる方は、
先ず『生命の實相』の中から特に、 ″罪業本来無し″の真理を抜粋類纂したる本書を読まれて
罪業の観念を消去せられるが良いと思います。
イエスは「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」と言いました。
更に進んで『生命の實相』全巻をくり返し通読されることにより、凡ゆる種類の要素から人間は解放され、
″罪・業本来なし″の真理が心の底に確立され、家庭に幸福は訪れ、事業に繁栄は来たり、
全人類に戦争の業苦なき永久平和の楽園が招来されること疑いはないのです。

ここに、『生命の實相』の説く真理によって家系につづく罪業の束縛から解放されて再び人生に楽園を奪還し得た証し人として、
本書をすべての人類にお薦めしたいと思うのです。

昭和四十七年十二月八日   楠本加美野しるす



以上、

類纂・生命の實相 『人類無罪宣言』谷口雅春先生著
編者 楠本加美野先生  (日本教文社) より

「編者のことば」の謹写をさせていただきました。

感謝合掌

2654a hope:2013/11/07(木) 08:57:42 ID:/9IAdiFk

「罪本来無し」は今月のweb誌友会のテーマでもあります。

「潜在意識が浄まれば、すべての罪業は消える!」って、素晴らしい真理だと思いませんか?

「人類無罪宣言」楠本加美野先生ご講話 
https://www.youtube.com/watch?v=8r5Q7nMza_Q

こちらも素晴らしいですよ!


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