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投下用SS一時置き場4th

1名無しさん:2014/04/21(月) 22:13:58 ID:FM0uhBto0
規制にあって代理投下を依頼したい場合や
問題ありそうな作品を試験的に投下する場所ですよ―。

40エンドロールは流れない -broken gold gear- 7:2014/08/29(金) 23:48:26 ID:4bhZgOjE0
だけど。
――――――――――――だけどそこにあったのは、絶望を知らぬ一人の男の大きな背中だったのだから、運命とは本当に分からないものだ。

















「おう。元気か、兄ちゃん」

















圧縮された時が、その一言で融解する。世界が元来の速度を取り戻す。
金髪を靡かせ、桃色のマフラーと藍のマントはためかせ、大きな、本当に大きな背がそこにあった。

41エンドロールは流れない -broken gold gear- 8:2014/08/29(金) 23:51:29 ID:4bhZgOjE0
頭を後ろにもたげ、正義のヒーローが、シルエシカ首領がにたりと嗤う。
背にはガラス片や木片が刺さり、頭からは血がどくどくと流れていたが、全くダメージを感じさせない何かがそこにはあった。
「なあ」私は言った。上空約1200m。瓦礫が、迫っている。「私は夢でも見てるのか?」
がはは、と笑い声。あちこちから爆発音が響き、土と木々が舞い上がった。大小のクレーターが出来てゆく。
……いや、訂正だ。私は思った。夢でだって、こんな景色は見た試しがない。

「夢ならアレだったんだがよぉ、兄ちゃん、こいつはその、アレよ! アレだぜ!」
フォッグが肩を揺らして声を張り上げ、続けた。
「いいか、ついでにアレを教えてやる! リーダーってのはよォ、ピンチにこそどっしりアレして笑ってなきゃいけねぇんだ!
 兄ちゃんも笑え! 笑うとよ、不思議とアレな気がしねェのさ!」

私は息を飲む。瓦礫の雪崩は上空1000。十秒待たず直撃だ。それをこの男は、どうすると?

「俺様の後ろに隠れてな、怪我すンぜぇッ!!」

マントを翻し、腰から取り出すは緑褐色とブロンズが光る巨大な砲身。
職人の町ティンシアとシルエシカの技術が誇る、最強の晶霊銃メガグランチャーが、絶望を運ぶ天に歯向かう。

「おうおう、いい度胸じゃねェか! 俺様を誰だと思ってやがる! 未来の総領主、フォッグ様だぜ!!」

派手な安全装置を外し、がちゃりと銃を肩に掲げ、フォッグはそれでも笑った。上空500。五秒後の自分の死を恐れぬ笑みに、私は震える。
人の身で天変地異に抗うなど、誰が考えよう。通常人にある感情を、恐怖を、フォッグは知らないのだ。
私は大きな勘違いをしていた。この男に正気など、疾うにありはしなかったのだ。
それが、フォッグ。彼が不死身の二つ名を持つが故の、人が到達する限界をも穿つ純粋過ぎる精神。
でも、だからこそ、彼には不可能を可能にしてしまう力がある。だって彼は、ある意味で誰よりも狂気じみているのだから。

「俺様をアレしたきゃ――――――――――――――――――軍隊でも持ってきな!!!」

42エンドロールは流れない -broken gold gear- 9:2014/08/29(金) 23:54:18 ID:4bhZgOjE0
口上を終えるとフォッグはどかりと足を前に出し、砲身を構えた。銃口は光り輝き、晶霊の残滓が大気に弾ける。
距離200。二秒後、運命の壁。生と死の狭間で、私は吹き飛ぶ帽子を追う事すら忘れ、彼の背をぽかんと見ている事しか出来なかった。
刹那、ごどん、と重い何かが何処かに嵌る音。頭の隅でぎりぎりと歯車が回り、胸の奥でぱちぱちと何かを刻む様な感覚。
あぁ、知っている。私は思った。この感覚を、私は知っている。
網膜の裏側で、火花が散った気がした。
がり、がり、がり。
幻聴の向こう淵で、軋みながら円盤が回る。一定のリズムで、金属が旋盤の上をゆっくりと回る。
かち、かち、かち。
頭の中で、秒針が何もない空間を叩く。遅くもなく、早くもない。決して止まらず、螺旋を描いて針が周る。
きら、きら、きら。
円盤の縁に沈むのは、黄金の巾木。光に照らされて、瞬きの様に不規則に輝く。
ちりちりと、額の真ん中が熱を持っていた。
こち、こち、こち、こち―――ごどん。
刻む黄金の時計の中で、再び重い何かがはまる様な感覚。





「エレメンタルゥウゥウゥッッ!!! ッマァアァァアアァスタァアァァァァアァァァッッッッッッ!!!!」




爆音と共に、虚空が揺らぐ。衝撃波で辺りを吹き飛ばし、放たれた晶力の弾丸が空を喰らった闇を穿つ。
紅蓮の緋色が隕石を溶かし、疾風の翡翠が土煙を吹き飛ばし、泡沫の蒼穹が闇を浄化し、大地の黄金が全てを砕く。
そして最後に放たれた極太のレーザーが、どこまでも、どこまでも突き抜け、天へと伸びていった。

43エンドロールは流れない -broken gold gear- 10:2014/08/29(金) 23:57:43 ID:4bhZgOjE0
知っている。私は再び思う。

そう。あれはきっと――――――運命の変わる音だったのだ。








「おう。俺様にかかりゃあ、こんなもんよ」








夜の世界に、光が差した。ぽっかりと空いた円形の大口の遥か彼方、成層圏まで突き抜ける様な青が、目に染みる。
午前9時27秒。降り注ぐ絶望と星々の弾幕に、運命の歯車に、砲身から放たれた希望の光が風穴を開けた瞬間だった。

44エンドロールは流れない -broken gold gear-:2014/08/30(土) 00:00:03 ID:EtXRVuEc0
投下終了です、短いですが!

45名無しさん:2014/10/01(水) 21:35:52 ID:CSHND38c0
投下します。

46エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:38:57 ID:CSHND38c0
広がる淡い青、彼方に浮かぶ白銀の火球、流れる掠れた白。地に落つ崩れた茶。辺りに吹き飛んだ緑。上がる黄塵、地を這う紅蓮。
照らす光が、じりじりと肌を刺す。

丸くくり抜かれた空は、我々二人と半壊した館だけを照らし、周囲数百メートルを天災から守っていた。
光はまるで結界のように我々を中心にその範囲だけを照らし、結界より外は、天地とも全て荒れ果てた荒野の様な有様だった。
余りに浮世離れした景色に、私は終始見とれてしまっていた。
暫く轟音は止まず、辺りから降り注ぐ樹木の破片や岩石の驟雨の残滓を、フォッグは銃で、或いはその体で受け止める。
私は尻餅をついてそれをただ呆然と見ていただけだったが、やがて自分が主人公に守られる薄幸のヒロインの様な気がして、酷く嫌な気分になった。
だが、どれだけ嘆こうが私が後衛術師である以上その関係は揺るがない。
私は守られる立場であるという事実を素直に受け止めざるを得なかった。
……フォッグが礫を受け止める度に、彼の身体には赤い痣が出来ていった。
私はただ、瓦礫の雨と大地の震えが終わるまで、腰を抜かしている事しか出来なかった。
それだけしか、出来なかったのだ。





気付いた時には、空には一面の紺碧が敷き詰められていた。まるでさっきまでの豪雨が悪い夢だったかの様だ。
私は全身に入っていた力がどっと抜けてゆくのを感じた。強張っていた肩が、酷く凝っている。
固く閉じた拳の中は、汗でじとりと滑っていた。
私は大きく溜息を吐いて、辺りを見渡す。広がる惨状は、まるで本で読んだオールドラントの魔界<クリフォト>の様だった。
穴だらけの大地。燃える荒野。横たわる大樹達。積み上がる岩。砕けた煉瓦の山。上がる土煙。
我々の周囲に参加者が居れば、間違いなく死んでいると確信出来る様な凄まじい有様だった。
エミル君達が無事だといいが、と思った。

「……馬鹿げてる」

死に損なって、まず最初に出た言葉が、それだった。歪んだ唇から、無意識に乾いた笑みが出る。

「おう、違いねェな」

フォッグが力無く言った。私は見上げる。彼は背に刺さったガラスの破片を自力で抜くと、踵を返してこちらを向いた。
そして、それを皮切りに我々はふっきれた様に笑った。最初は微笑だったが、後に腹を抱えて転げ回った。身体を土屑だらけにしながら、我々はひぃひぃとのたうち回った。
地面を叩き、涙を零し、息が出来なくなるほど爆笑した。
いつまでも、いつまでも。
辛いことも悲しいことも忘れて、我々はあの悪夢を前に生き残れた奇跡を、今を分かち合った。

47エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:42:20 ID:CSHND38c0
それにしても、フォッグの有様は酷かった。痣は青紫色に変色し、全身は細かいものではあったが傷だらけだった。
それでも本人曰く傷のうちにすら入らないと言うのだから、本当に末恐ろしい。

「おう兄ちゃん、しかしアレだ、良かったなぁオイ。あのまま家ん中居たら、アレだったぜ」

笑い疲れて、瓦礫に腰を下ろしながら休憩していた時の事だ。フォッグは思い出した様に私に言った。
「アレ?」私は首を傾げる。「なんだ、アレとは?」
埃だらけになってしまった帽子の手入れをしながら、私は対面の丸太にどかりと腰を下ろしたフォッグに問うた。
「おぅ、アレだ、その……アレはアレよ!」
フォッグはがはは、と笑うと顎で私の後ろを指した。私が振り返ると、そこにはまるでガラクタを詰め込んでミキサーにでもかけた様に崩れたリビングがあった。
吹き飛んできた樹木に薙ぎ払われたのだろう。長く太い杉の幹が、リビングの床を見事に抜いていた。
今の今までそれに気付かなかった自分を内心訝しく思ったが、よくよく考えればあの緊急事態で冷静に周囲の状況を把握出来るかと言われれば限りなく否だ。
何はともあれ、成程と私は苦笑を浮かべる事となった。

「……あのまま私が扉を開けずに戻っていたら、死んでいたという事か」

その惨状を見て、あぁ、と一人ごちる。あの何処かから聞こえた歯車の音は、やはり運命の変わる音だったのだ。
もしもあの時あの場所で、私が扉を開けずにいたならば、きっとこの五臓六腑四肢百骸はあのリビングよろしく粉微塵になっていた事だろう。
……そう、“そちら”だったのだ。
あの時、私は閉まった目前の扉を開き、外へ進んではいけない様な気がしたが、逆だった。
進んではいけないのではなく、戻ってはいけなかったのだ。元に戻れなくなっていたのは、扉を開けない方の選択だった。
もしもあの時、私が外へ出ず、フォッグの元へ戻っていたら―――想像しただけでぶるりと背筋が震えた。
運命とは恐ろしいものだ。

「……というか、あの現場に居合わせて無事なフォッグが明らかに常人離れしているのだがね」

私が苦笑しながら肩を竦めると、フォッグは身体を揺らしながら豪快に笑い、自分の胸を拳で叩いた。

「そりゃぁアレよ。俺様は、アレだからよ!」

フォッグが言う。私の口から自然と笑みが零れた。
不思議と、話しているだけで元気が貰える。そんな人間、世界広しと言えど片手で数える程しか居ないはずだ。

「無敵、か?」
「そう、ソレ!」

埃を叩いた帽子を被りながら、私は目の前で豪快に笑う、そんな片手で数えるべき一人の男を見た。
屈託など毛程もない眩しい笑顔がそこにあって、額からどくどくと……。
……。……ん? どくどくと?

48エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:45:11 ID:CSHND38c0
「―――って、オイ! ち、血! 血ィ! 血が出てるんだが!?」


諸手を挙げてあたふたとする私を見て、フォッグは目を白黒させた。
まるで焦っている私の方が可笑しな人間の様に思えて、私は眉をしかめる。
「いや、血が出てるぞ……」
堪らず私が指を指すと、フォッグは思い出した様に顎まで流れる血を拭い、驚いた様に目を丸くした。
普通なら痛みの方が先に襲ってくるものだが、どうやらこの人の場合は、血を見て初めて怪我に気付くらしい。
私は出鱈目なその反応に呆れた。豪快というより、これでは鈍いだけじゃないか。

「おう。こんなもんかすり傷だぜ。唾つけときゃ治る」

フォッグはそんな私に、あっけらかんとした声色で言う。
さしもの私も、その発言には吹かざるを得なかった。
それがかすり傷だと言うならば、大概の怪我はかすり傷で済むし、治癒術師など必要無いだろう。
「いや唾って、そんな……」
私は呟き、フォッグを見る。今度は額の輝眼が発光していた。私は不思議に思って、彼の額を観察する。
輝眼――エラーラと言うのが一般的らしい――は、確か感情によって色を変えたり、意思疎通によって発光するのだと書庫で読んだ。
この場合は……もしかしなくとも後者だろう。

「ところで、そのエラーラの発光は?」

私は質したが、フォッグは腕を組んだまま、ブラックソディをかけ過ぎた料理を食べた時の様な表情で押し黙る。

「……おう、坊主の方もアレみてぇだな」

沈黙がしばし続いたが、やがてフォッグは腕組を解くと、顎髭を摩りながら低い声で応えた。
「坊主?」
私は質す。坊主とは?
「おぅ? 言わなかったか?」
フォッグは小首を傾げる。
「いいや」
私は首を振った。
「アレよ、アレ。ほら、あのよ……その、海のアレ……あの、ア……アイ……アイフ……あー、海賊のよ……アレ!!」

あぁ、成程。私は頷き納得した。というよりも、よくよく考えれば彼が通信できるセレスティアンなど名簿には一人しか居なかった。
額にエラーラを持ち、彼と同郷で、仲間且つ坊主と呼ばれる様な外見をした人間など。

「つまり、このチャットとかいう少年の事だな?」

私が懐から四つ折りの名簿を取り出し短い金髪の少年に指を差すと、フォッグは“そう、ソレ!”と言い力強く頷いた。
私は少年の顔を見る。短髪、大きな目、しっかりとした自信ありげな表情。利発そうな子供だな、と思った。

「その坊主がアレだかんよ」
「ふぅん……? まぁ、アレなんだな?」
「おう! アレよ!」

今回の“アレ”が何を指しているのかは皆目見当がつかなかったが、
時折フォッグが笑顔の合間に見せる真面目な表情が、芳しくない状況であろうという事だけは物語っていた。
まるで子を想う親の様だな、と思う。真逆本当に子供ではないだろうかと一瞬疑ったが、それはないかと一人ごちた。
飼いミアキスのデデちゃんや妻のリシテアさんの件から考えて、恐らく彼は自分の子供を溺愛するタイプだろうと思ったし、
それにチャットという少年の首は、まるでワジールレイピアの刀身の様に細く貧弱だったからだ。
フォッグの子供だというにしては、悪い意味であまりにか弱過ぎた。

「……はは。しかし、アレだな」

ふと呟いた後に、私は少し自嘲した。口を閉じてから自分が“アレ”と言っている事に気付いたからだ。
フォッグのが移ったかな、と思う。
「おう?」
フォッグがそんな私を訝しげに覗き込む。私は自分の両手に視線を落とした。

「いやね。見てくれ、まだ手が震えてるんだ。怖かった。本当に。頭がどうにかなりそうだった。
 貴方からすればあんなものただの夕立かもしれないが、私にはそれこそこの世の終わりに見えたぞ。
 幾ら何でも滅茶苦茶過ぎだ。さっきまで死ねないとかほざいていたのが恥ずかしくなるくらい、あっさりと死を受け入れたよ。
 私はここで死ぬんだと、そう思った。それくらい怖かった。
 やはり幾ら覚悟や決意を立てたところで、目前に迫った死の恐怖と理不尽さには敵わないな」

私は目の前で拳を開き、両手を晒した。小刻みに震える掌に、恐怖がローンヴァレイの谷より深く刻み込まれていた。

「おう? そうか?」

フォッグが首を傾ける。私は力無く笑った。

「普通、アレを大砲で全部砕こうだなんて思わないさ。
 流石に……もう駄目だと思った。背中は打身が痛むが、それでも今、五体満足にこうして話しているのが信じられないくらいだ」

49エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:48:18 ID:CSHND38c0
だけど、気付けた事もある。私は震える両手を再び見て、思う。
死を享受し諦めた身体に抗うように、脳は、心は、死にたくないと願った。
どこまでいこうと、私は血潮の流れた一人の人間だ。それ以上でも以下でもない。
死ぬのは嫌だし、生きたいと思う。当たり前だ。
きっと誰もがそうだった。クレスも、すずちゃんも、ダオスさえも。誰一人、死ぬ事を臨んだ人間など居ないだろう。
最期まで、生きていたいと思ったはずだ。そんな、当たり前を知った。そう思うと、胸の奥が無性に苦しくなった。
私が無力だったからなんて自虐は言わないが、それでも、側に居てやりたかった。
最期を看取ってやりたかった。手を握っていてやりたかった。仲間として、友として。
しかしきっと、その場に居ても自分の無力さに後悔する羽目になるのだ。
なんという事は無い。今朝、エミル君に言った通りだった。どの道を選んだところで、人は後悔する難儀な生き物なのだ。
だから彼が決めたように私も、迷いながらでも動ける人間にならなければいけない。
思考停止は、それこそ死人と変わらないのだから。

「……死が怖くない人間など、この世には居ないな」

言ってから、はっとした。それは完全に無意識の、口を自然について出た台詞だった。
何を言ってるんだ私は。
気恥ずかしさを慌てて取り繕うように、帽子の鍔を下げる。

「おう、きっとそういうもんなんだろうな」

何か言いたげな煙を含んだ様な声が私の耳に届いたのは、それと同時だった。
「……そういうもの?」
私は立ち上がるフォッグを見上げ、質した。フォッグは困った様に眉を下げ、小さく笑う。
こんなに寂しそうな笑い方もするのか、と私は少しだけ驚いた。
失礼にあたるだろうが、そういった感情とは無縁の人種だと思っていたからだ。

「俺様は正直アレはよくわからねェからよ」フォッグは口を開くと、丁寧に言葉を選ぶ様にぽつぽつと零した。「昔からそうだった」

昔から? 私が訊く。おう、とフォッグは言った。
珍しいな、と思う。昔の事を語る様な人だっただろうか。

「セレスティアってのは、アレが当たり前でよ。人がアレしちまうなんて事は日常みてェなもんだった」
フォッグは何かを懐かしむ様に目を細めると、そんな私を尻目に言葉を続けた。
「俺様は、アレやダチを何人も亡くしてきた。
 だが、俺は生き残る。毎回なんでか知らねェがよ、アレしても、アレしたって、生きちまう」
「今回みたいに?」
私が言う。フォッグはこくりと頷いた。
「おう。だからよ、アレよ。
 アレに置いていかれる事ばかりだったんだぜ。あんまり毎回アレしてるからよ、怖がるアレもいたくれェだ」
確かに、と思った。
余りに死なさ過ぎるのも考えものだ。何故って、人は自分から能力が離れれば離れるほど、その相手を嫌悪するものなのだから。
私が魔術の才を産まれた時から持つエルフと、狭間の者達を羨み嫌う様に―――自分よりもあまりに強いフォッグを認めたくない者も、少なからず居た事だろう。

「大変だったろう」

私は言った。上から目線などではない。本心からそう思った故の言葉だった。
それでも今の彼が笑っていられるのは、やはり心の強さと、天性のカリスマがあったからだろう。
しかし私は少しだけ、彼に対する想いを改める事にした。
その強さとカリスマで、今まで全ての負を砕いてきたかと思っていた。辛い過去も何も無いと思っていた。
……馬鹿だな、本当に。
私は自分を呪うか、モーリアの下層にデモンズシールと裸で放り出してやりたい気分になった。
大きな間違いだったのだ。
ここまで沢山のモノを喪って、沢山の傷を受けて来たはずだ。数え切れないくらいの出会いと別れがあったはずだ。
これだけ強くて生き残ってきた彼が、辛くないわけがない。苦労していないはずが、なかったのに。
剰え、彼は革命軍の首領なのだ。
彼は誰よりも強く、誰よりも笑顔で豪快に生きていたが故に―――きっと誰よりも喪って、誰よりも嘆く表情を見て、誰よりも弱さに苦しむ者を見てきたのだから。

「ただよ」

しかし、フォッグはそんな私の気持ちを裏切る様に、口を開いて言うのだ。

「ただ、アレだとか、辛いとか寂しいとか、死ぬのが怖いとか、そんなアレを思った事は一度もねェぜ」

50エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:53:24 ID:CSHND38c0
思わず、呆気にとられる。理解出来なかった。
「何故だ」
私は震える口で問う。目の前の男は、仲間を喪って苦しくないのだと言う。
正気ではない、と思った。



「――――――あいつらは、ここに居るからだ」



ペイルティの海に浮かぶ流氷の様に厚い胸板を、心の臓がある位置を、紅蓮の拳がどんと強く叩く。
痺れる様な何かが私の中を走り抜ける。思わず、息を飲んだ。飲まざるを得なかった。
クレスでさえ言わない様な暑苦しい漫画の主人公の様な台詞を、何故こうも容易く、三十路過ぎのこの男は言えて。
―――――――――そして何故、こうも誰かの魂を、熱く揺さぶる事が出来るのだろう。

「簡単なアレだろ?」

フォッグはにかりと笑う。私に返す言葉など、あるはずがなかった。

「それからよ」
フォッグは何も言わない私を前に、言葉を続ける。
「俺様の事を不死身だとかなんだとか言うアレがたまにいるが、ありゃあ違ェ」

フォッグは断言した。私は動揺を押さえ込み、彼の話に黙って耳を傾ける事にする。

「俺様は生き残ったぶん、アレしてった奴等のアレをよ……魂みてェなアレを、受け取ってるつもりだ。
 だから何だ。その、アレよ。人よりアレが図太いし、ちょっとだけ頑丈なんだ。そんだけよ」

成程、とどうにか回転させた頭で思う。その理論なら不屈の精神も肉体もまだ少しは納得いく。
要するに彼は―――究極の偽薬効果人間なのだ。
それが元来から持つ異常な体力と合わさり、極限且つ無尽蔵のエネルギーを生み出している。
誰かが自分に命と力をくれている。だから倒れる筈がない。だから誰でも倒せる。だから、何も怖くない。



嗚呼、それはなんて羨ましくて―――――――――――――――――――――どこまで、狂っているんだろう。



私はそう思った。思ってしまった。そう。フォッグは疾うに正気を通り越してしまっていた。
あまりに現実離れした思考に、無尽蔵の体力に、卓越した精神力。
私は恐怖の念すら抱いた。背筋が凍るくらいの狂気の沙汰へ、彼は片足を突っ込んでしまっている事を、今初めて気付いてしまったのだ。
あんまり浮世離れしているものだから憧れてしまうが、それは手放しで喜べるものではなかった。

ある意味で彼は――――――“この島で最も現実を見ていない”からだ。

……でも。
そう、でも、だからこそ彼はシルエシカの首領たり得たのだろう。
そんな漢でなければ、皆を導き世界を統一する為に、王をぶっ潰すなど有り得ない。
何かを喪っても、犠牲を厭わず憎しみすら持たず前を向き、ただひたすら目標の為に進み続ける事など出来ない。
そう、彼からは一切の憎しみや負の感情が見えないのだ。およそ人間が持つ闇を持っていないのだ。
妹を奪われたチェスターや、故郷を失ったクレス、親を亡くしたすず、そして友を奪われたアーチェの様な、黒い感情が無かった。
それをどうして、常軌を逸していないのだと言えようか。
私は生唾を飲み込んだ。

... .........
英傑は、狂人と紙一重なのだ。

51エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 21:59:01 ID:CSHND38c0
「死ぬとか、アレだとか、そんなのはよく分からねェ。俺様の魂はアレしようがあいつらを忘れねぇしな。
 だから死ぬ事と生きる事に大した違いはねェよ」

フォッグはそう締め括り、顎鬚を触りながら私の顔を真っ直ぐに見た。眩し過ぎる、とだけ思った。
そんなフォッグへ、まず最初になにを告げるべきか、私は迷った。何を言ったところで彼は意に返さないだろうが、言いたい事は幾つかある。
私はしばし悩んだが、やがて口を開く。
何よりも一番言いたかった事を、まずは告げる事にした。





「フォッグ、人は死ぬよ」





人は、死ぬんだ。
私はそう繰り返した。それが彼の完璧すぎる精神力に寸分の影響すら及ぼさないであろう事を私は当然知っていたが、それでも、続ける。
理屈ではないのだ。彼の理論と同じ様に、私にだって、理屈では動かないそういう想いはある。
それが正しかろうが正しくなかろうが、善だろうが悪だろうが、嫌われようがどうだろうが、白だろうが黒だろうが、
人の性格が一朝一夕で変わらぬように、ダオスとクレスの正義が最期まで交わらなかった様に。
何よりも優先して貫きたい思想は、誰にだって一つくらいはあるのだ。

「……私は、生と死は全く違うものだと思う。貴方の言う精神死ではなく肉体死は避けられないからね。そして、死は不可逆だ。
 リッド=ハーシェルもそうして肉体的に死んだうちの一人だ、そうだろ?
 死と生が同義だと言うなら、どうして」

そこまで言って、震える唇で息を飲んだ。原因不明の動機が、私の言葉を喉の奥で詰まらせていた。
私はその何かを踏み超えるように、かぶりを振る。遠く、白銀の太陽が薄い白雲の隙間に隠れた。

「―――どうして私は、こんなに寂しくて、悔しくて、虚しくて、やるせなくて……心を痛めなければならない?」

私は全身から血を絞り出すように言った。フォッグは口を固く閉ざして私の言葉を真剣に聞いている。
私はそんな真っ直ぐな視線から逃げる様に、帽子の鍔を下げた。

「何度も言ったと思うが、私はそんな風に受け止められない。強く立っていられない。
 大切なものを残してこの世を去るのが堪らなく怖くて、いつ自分に降りかかるか分からない死に怯えるような……ごくごく普通の弱い人間なんだ。
 今にも絶望と憎しみが其処まで来ている。奴等が私の首に、手を回して嗤っている。いつでも黒い道に進めるように、と私を惑わす。
 ……正直に言うとな、ミラルドじゃなくて良かったと思う自分がどこかに居るんだよ。
 あいつじゃなくて、生贄になるのがリッド=ハーシェルで良かったと胸を撫で下ろす自分が居るんだ。
 貴方にとって彼が大切な友だと知った今ですらそう思う……どうだ、最低だろ?」

52エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:01:15 ID:CSHND38c0
ぽつぽつと、冬のローンヴァレイに降る雨のように、私は呟いた。視線は地面を泳いでいる。
地面に拳大の石が落ちていた。私はそれを蹴る。石はハーブ達が植わる花壇へ飛んで行った。
私は自嘲する。今日はずっとこんな調子だ。
まるで思春期の餓鬼だな、と思う。

「でもそんな死に怯え醜くくすんだ感情すら、死と生が同義故に価値が無いと言うなら。
 それなら弱者足り得る我々の生きる道など、最早無いに等しいじゃないか。
 私は、そんな死や感情をゲーム扱いして愉しむサイグローグは、やはり赦せない……赦せないんだよ」

ようやく震えが収まった両手を開き、生きている事を確かめる様に、私は掌を閉じては開いた。
私は、そうして覚悟を決めて顔を上げる。情けない顔をしているだろう私を見ても、フォッグは眉一つ動かさなかった。
残酷だな、と思った。

「だから、なぁ。頼むよ。貴方だけはどうか、逝かないでくれ。嘘でも、誰かの前で生きるのと死ぬのが同じなんて、言わないでくれ。
 そうじゃなきゃ、フォッグの強さが怖くなってしまう。
 私は、この島にいる奴等をまとめられるのは、最早貴方しかいないと思うんだよ。
 ……向かうべき灯台の光を失ってしまったら、果たして船はどこへ向かえばいい?
 フォッグ、私にはそれが分からないんだよ……灯火一つ無い闇の中では、舵を取る勇気の無い人間の方がきっとこの世には多い」

私は懇願する様に言った。アセリアの旅で私はクレス達をまとめたが、本来それは柄ではなかった。年長だからか自然とそうなったが。
……私は、他人があまり好きではない。縛られる事も嫌いだ。知識だけはそれなりにあるが、言ってしまえばそれだけだ。
根本は餓鬼のまま。それをこの島に来て、フォッグと出会ってから嫌というほど知ってしまった。
フォッグの熱さもある意味では大人らしからぬが、しかしその器と力には、どうやっても敵わない。
だから、喪うわけにはいかない。
けれど危う過ぎるのだ。生と死に囚われない、究極のポジティブさは―――いつか、彼自身を殺すと思った。
死に無頓着な彼は、恐らく率先して前線に立つだろう。きっと敵の攻撃から仲間を守るのだろう。
その結果自分が死ぬのだと理解しても、止まらないのだろう。
今まで怪我をしても、何を失くしても喪っても、理想も足も止めなかった筈だ。
そうしてきたからこそ、彼は皆から慕われている。

しかし、人は死ぬのだ。

今までが奇跡だった。フォッグが言うように彼は不死身ではないし、その恐怖や力に立ち向かう勇気故に、死の危険は常人以上に付き纏う。
そして彼が死んだら、きっと数多くの人は向かうべき道を失ってしまう。かくいう私がそうである様に。
私がそれを彼に言ったところで彼は止まらないだろう事は先程も言った。
だが、しかしそう思う人が居る事を、彼には知って欲しかった。それ自体は無意味ではないはずだ。
誰もがいつかは、死ぬ。
フォッグ、貴方も死ぬのだ、と。

そんな事を思っていると、目の前の彼は、おう、と小さく呟いた。

「そりゃあ、そうだな。悪ィな、余計なアレしちまったぜ。でもよ、アレを許せねェのはアレよ、俺もだぜ?」

フォッグは腕を組みながらそう言った。
私の科白に対する答えとしては、それは余りに不親切で不充分だったが、期待など始めからさしてしてはいなかったし、
私としては彼に気持ちを吐露出来ただけでも充分だった。

「……あぁ、分かってるさ」

私は呟いて、空を見た。嘘みたいに静かになった景色の中に、中腹で折れ、煙を狼煙のように上げている塔がある。

「だがよ」

フォッグが私の視界の外で呟いた。私は目線を彼の顔に戻す。太陽の様な底無しの笑顔がそこにはあった。

「力を合わせりゃアレなんてねェだろ? なぁに、俺様達なら朝飯前よ。いいか、御託が言えるうちがアレだぜ!
 そのアレで、アレよ! サイグローグをぶっ潰そうぜ!!」

53エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:05:08 ID:CSHND38c0
肩を揺らし、馬鹿笑いをしながら、フォッグはそう叫んで私の肩をバンバンと叩く。
加減知らずの馬鹿力に私は肩を脱臼させそうになりながらも、あぁ、と思った。
そうだ。これでこそ、フォッグだ。
どれだけ人間離れして、弱者から離れていようとも、決して図に乗りはしない。
天真爛漫。ありのままで嫌味がないこの姿だからこそ、私は、いや、皆は彼の元に集うのだ。

「はぁ〜〜〜。まったく、毎回悩んでいるこっちが馬鹿らしくなるよ。
 やめだ、やめやめ! 下手な考え休むに似たり、ってね」

私は立ち上がり、帽子を被り直して伸びをした。背がびりびりと熱を持った様に痛んだが、彼の傷に比べれば些細なものだ。

「おう、それでいいんだよ。……しかしアレだ。悪ィな、アレが長くなっちまって。
 アレしたらぼちぼちアレしに行くぜ。坊主が呼んでるからよ」

フォッグはそう告げると、サックを背負い立ち上がる。
「さっきのエラーラか?」
私はサックを持ちながら訊いた。
「そう、ソレ! セレスティアンはな、アレだからよ……その、エラーラがな。
 アレだ……そのよ……アレよ。アレが、その、アレを知らせるアレだからよォ!」
「……ふむ? エラーラを使ってセレスティアンは互いに意思疎通出来る、って件の事か?」
「そう、ソレ!」

がはは、とフォッグは高らかに笑った。
私はサックの中身をまさぐる。
書斎の必要性が高いであろう本――私にとってレオノア百科全書は物理的な意味でも良い武器になりそうだった――や、
館にあった日用雑貨、調味料、衣類、救急箱、食器……その他諸々が詰まっていた。
どうやらサックの中はバテンカイトスの様な構造になっているらしく、
容量は無限、重量は一定、欲しいものは探れば必ず手に触れる、という仕組みになっていたのだ。
その中から、晶霊技師ガレノス著の “輝眼が持つ可能性と謎”を探り当て、私は取り出した。
厚手のヌメ革のしっかりとした表紙と日に焼けた羊皮紙を捲り、エラーラフォンの根底理論の頁を見る。

「エラーラ、か……首輪の感知と似た様なシステムかもしれないな。
 もしかしたら、そこにこの悪趣味な首輪を解除する鍵があるかもしれん。
 この筆者が言うように、インフェリアで言うドカターク効果の様なものが作用しているのか、或いは……」
「おう、考えるのもいいが坊主がピンチだ。行くぜ」

不意にフォッグが私から本を取り上げ、私のサックに無理やり押し込む。私は肩を竦め、やれやれと溜息を吐いた。

54エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:06:56 ID:CSHND38c0
「ふう。おちおち考察や休憩すらできやしない……此処で待機してるんじゃなかったのか?」

嫌味ったらしく私が言うと、フォッグは髪を掻き上げながらどかりと大砲を、メガグランチャーを担ぐ。

「おう、馬鹿言ってんじゃねぇぞ兄ちゃんよぅ。アレも救えねぇで、自由が掴み取れるわきゃねェだろう」
「自由、か……」

私は呟く。そういえば、昨晩フォッグは王政を下らない窮屈な制度だと言ったんだったか。
……驚かざるを得なかった。そんな事、考えた試しがなかったからだ。
私は、いやアルヴァニスタの国民だって王政にはあらかた満足していたし、それを不自由だと思った事もない。それが当たり前だったからだ。
国があって、王が居て、政治家が居て、民が居て、法がある。それが必然で、当然だった。縛られるのが嫌だった私ですら、王政に疑問を感じた事が無かった。
しかし、彼はそれが不自由だと言う。私が一切不自由だと感じた事のない世界を、不自由なのだと。
……分からなくなった。自由とは何だ? 不自由とは何だ?
明らかな事は、一つだけ。私にとっての自由と、フォッグにとっての自由が異なるという事だ。
世界が違えば、言葉や人種、文化と共に価値観も違う。当然だった。
しかしそんな彼の謳う自由とやらを、見てみたい。そう思ったのも本当だった。

「自由な心、自由な争い。
 好きに喧嘩して、酒飲んで美味いもんたらふく食って、
 女と遊んで死ぬほど暴れて、遊んで疲れてよーーーそんで好きにくたばりゃァ、人生それでいい」

フォッグがこちらに背を向け、空を仰ぎながら独り言の様に呟いた。
風にばさばさと靡くマントを見ながら、私はそれが真理だな、と思う。
だけど、そう上手くはいかないのが人生だ。人は、現実を知りそれを学んで年を取り、老けてゆく。

「はは。本当にそうできれば、幸せだろうな」
「……するんだよ」

私が肩を竦めて笑うと、フォッグは間髪入れずに言った。私ははっとして、彼を見る。
頭をもたげ、背後の私へ顔を向けていた。眼光は鋭い。茶化す気は起きなかった。
彼は、この後に及んで本気だったのだ。

55エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:09:39 ID:CSHND38c0
「俺達ァ、自由なんだ。縛られちゃいけねェ。だから、アレは気に入らねェよ。
 さっきも言ったアレだがよ、そこは兄ちゃんと一緒なんだぜ。アレは、許せねェ」
「サイグローグ?」
私は尋ねた。おう、とフォッグは頷く。
「おめェはどうだ? 気に入らなきゃぁ、どうする?
 アレするか? アレか? おぅ、いいぜ。そいつも“自由”だかんな。
 だがな、俺は単純だ。そいつぶっとばして、好きにする。アレがアレしてりゃあ、全力で助けてやる。
 そんだけよ」
「それだけ、か」私は呟いた。「その“それだけ”をするのが、どれほど難しいか……」

フォッグは少しだけ表情だけで笑うと、再び前を向いた。私の何倍もある大きな背は傷だらけで、しかし真っ直ぐ天まで筋を伸ばしている。
誰よりも現実を見ず夢を求めてきた彼の言葉に痺れるのは、やはりその夢を現実にしてきたからだ。
……今でもまだ、分からなくなる。彼がこのゲームには最も適しておらず私が知る現実から乖離しているのは間違いなかったし、
しかしそれでも彼の姿と台詞には胸を打ち感動させる力があり、その理想を実現させる説得力もあり、その夢は誰もが羨むほどに輝いていた。
強過ぎる光に私が目を眩ませているだけなのか、疑心暗鬼になっているだけなのか。
どうにも答えは出なかったが、それでも一つだけ分かる事があった。

「行くぜ、兄ちゃん。俺様を死なせなくないんだろ? だったら、着いてこい。
 悪いがよ、俺様は無茶するぜ。それでも死なせなくねェんなら、アレしてみせろ。
 そんでアレが終わったらーーーーーー浴びるほど酒飲もうぜ。それで全部、いいじゃねェか」



――――――――――――彼が、格好良いという事だ。

56エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:11:20 ID:CSHND38c0
「ミアキスを、胸にッ! 前を見ろ、足を進めろ、拳を握れ、剣を取れ、自由を掴め、夢を持て!
 走れ、抗え、争え、戦え! その手で敵をぶッ潰せッ!!
 自由軍シルエシカ!!! 出撃だァァァッ!!!!!」

天をも劈く正義の咆哮が、荒れ果てた世界をびりびりと揺らした。
どこまでも、どこまでもその声は遠く轟く。それはまるで世界に対する戦線布告だった。
振り上げられた拳は、真っ直ぐに天を居抜き、両足は大地を確りと踏み締める。ブロンズの髪が揺れ、マントがはためく。
きっとそれは、誰もが夢見たヒーローの姿だった。
私は何か熱いものが胸に込み上げるのを感じた。魂が、震える。

「全く、貴方という人は本当に……」

私は震える喉で溜息を吐いて、崩れた塔を見上げた。
黎明の塔。嘗て人は、神の住む天界を目指して大地に石を積み上げた。
しかしそれも遥か遠い昔の物語。どれだけ高く積み上げ天を目指しても、やがては神の怒りに触れ、天の雷に崩れ地に伏し朽ちてゆく。
それでも、いつの日だって人は空の向こう側へと手を伸ばし、夢を見た。光を見た。
その自由を奪う権利は、誰にだってありはしないのだ。
中年にだって、夢はある。三十路にだって、理想はある。
現実を諦めて大地に眠るには、私の未来と広がる世界は大き過ぎるじゃないかと、彼の天へ突き上げた拳が語っていた。

「……いいだろう。旅は道連れ、世は情け。私も答えを見つける為に、その覚悟、見届けよう」

私の名前は、クラース=F=レスター。29歳、身長176センチ、体重62キロ、中肉中背、ユークリッド出身、王立学院首席卒業。
召喚術の研究がライフワーク、宝物は、師の帽子、旅の思い出。大切な人は、どこかのお節介な助手。
甘さ控えめのチェリーパイと兎のシチューが好物の召喚士。そして。


今日からは、無茶をするリーダーを補佐する、自由軍シルエシカの参謀だ。






「ーーーーーーミアキスを、胸に」






私は生きるよ、クレス。私は諦めないよ、すず。私は帰るよ、ミラルド。
だからどうか、どうか待っていておくれ。
帰ったらお前に伝える事が、山ほどあるんだ。
きっとお前も驚くぞ。
なにせ隕石相手に大砲一本で挑み、戦場で私相手に一緒に泥酔してくれた、そんな馬鹿でお人好しで。

――――――死なせなくないなら自分をサポートしろとほざく様な呆れたリーダーが、そこには居たんだから。

57エンドロールは流れない -自由軍、我等の胸にはミアキスを-:2014/10/01(水) 22:13:01 ID:CSHND38c0
投下終了です。館パートは、ひとまずこれにてしばし休憩に入ります。

58名無しさん:2014/11/08(土) 00:59:33 ID:xQG7g5jE0
ゆっくりと投下します。

59エンドロールは流れない -空穿つ暗銀の騎士-:2014/11/08(土) 01:04:47 ID:xQG7g5jE0
【第一章・海は哭き、月は嗤う】


邪神は終ぞ蘇り……母は遥か泥の底……。
……世界を凍てつかせし銀の騎士……船を飛び出す金の騎士……残る満月の王女は、果たして何処へ征かん……。
魔獣は欠月に嗤い海に消え……残る行方は……煌髪の姫……恋に盲目な少女は……はてさて銀の騎士が堕ちればどうならんや……。
……弓士と獣は姫の手を取り……先にあるのは絶望か……希望か……。
フフ……誰も彼もが選択しなければならない……今宵は月も浮かび……良い“選択”の宴となりましょう……。
……話数は二百八十八……エンドロールは……まだ流れません……。
第三譜……『海は哭き、月は嗤う』……本日のメインディッシュは……“仔羊の選択、三種の希望のソースを乗せて”……味は約束致します……。
さて……これより再び幕は上がります……拍手喝采の御用意を……。
わたくし名をサイグローグと申します……。
さぁ……寄ってらっしゃい見てらっしゃい……頂きますはその肥えた舌のみ……。
……豈図らんや……お代は少しも取りません……ええ……取りません……取りませんとも……。
……わたくしは……ただ物語を読み上げるだけ……そう……ただ……全てを叶える眼と……繋ぎ止めし楔と……世界の器を差し上げただけ……。
……ええ……わたくしは何も……ククク……ゲームに意味は……何も求めないのです……ただの……暇潰し……。
……それだけの事……。


【9:00'00"00】


枝世界の覇者たる汝等に問おう。“神は、いつ死ぬ?”

曰く、人が争いを始めたその時である、と幻想の魔王は答えた。
曰く、私が死んだその時じゃないかしら、と天命握りし黒剣は答えた。
曰く、信仰が無くなった時である、と孵化せし運命は答えた。
曰く、最初から死んでいる、と交わり響く天の使いは答えた。
曰く、世界が無くなってしまった時である、と再誕せし獣王は答えた。
曰く、相対する者が居なくなった時である、と伝説の導き手は答えた。
曰く、星の記憶を造った時である、と栄光を掴みし深淵は答えた。
曰く、故郷が滅びた時である、と荒れ狂う嵐の王は答えた。
曰く、愛する者に刃を向けられた時である、と無垢なる絆は答えた。
曰く、空虚なる裂け目に世界が飲まれた時である、と世界樹の使いは答えた。



曰く、神は殺せないのだ、と永遠の邪神はその問いを嗤った。



永遠の時、永久の孤独。変わらぬ想い、変わらぬ強さ。
そこには誰も居なかった。争いなど無かった。人は居なかった。信仰など無かった。
物質も命すらもが無かった。死という概念が無かった。世界など無かった。愛する者など居なかった。
好敵手など居なかった。後から現れそれはただ邪魔な存在だった。
全てが平和で、平等で、差別も怒りも憎しみも悲しみもありはしなかった。
変化など、進化など、要らなかった。朽ちる事などあり得ない。
ただ極光色を反転させた底無しの無だけが、忘れられた様にそこにあった。
そう、それは叶う事の無かった永遠の物語だけれど、でも。
それだけで、充分だったのだ。

邪神は他の物語を嗤いながら語る。貴公らは神が何たるかをまるで解っていない。




阿呆共め。神は―――――――――――――――――――――死なぬが故に、神なのだ。

60エンドロールは流れない -空穿つ暗銀の騎士- 2:2014/11/08(土) 01:08:17 ID:xQG7g5jE0
【9:00'00"09】




色が、無かった。
ただ何色なのかと尋ねられれば、それは恐らく白と形容する他は無いな、と漠然と思った。
白。
見渡す限りの白が、少年の視覚を責める様に網膜をちくちくと刺している。
その正体は果たして光だった。晶霊の弾丸が放ったむせ返るような閃光が、くたびれた体を痛めつけんと乱暴に差していた。
恐慌にして狂光。白達は涎塗れの牙を剥いて並べられた現を皿ごと喰らう。
一片の躊躇や優しささえそこにはなく、あるのはただ一方的な暴力だけだった。
その暴力的な光に影すらもが慄いた。光はまるで生きているかのように万物に絡み付き、その肌を弄び、無様に逃げ惑う影を貪り尽くした。

僅かに遅れて、風圧のような何かが少年の体を虚空に叩きつける。
熱や風、重力の類では決してなく、気配や存在感の塊の様な、そんな何かだった。
しかし暫くして光は腹を満たしたか飽いたのか、すんなりと世界から身を引く。
同時に、堰を切ったように細い黒線が大地に群がり、影が現れ、地平線へ競うように伸び、やがて焼き付いた様に中空で静止していった。

世界が、色を取り戻した瞬間だった。

少年は瞳を閉じる。
光の驟雨を耐えたのだ、開けている事だってきっと出来ただろう。それでも彼は自ずから光を閉ざした。
何かから逃げるように、或いは殺す様に、ゆっくりと鈍く光る瞳を閉じる。

命は、諦めていた。
運命なんかこれっぽっちも信じちゃいなかった。けれど多分、此処で自分は死ぬのだろう、と。
矛盾しているが、そんな定めじみた何かを確かに感じていた。
だから目を開けたら、そこはきっと罪深い自分に相応しい焔渦巻く煉獄なのだと。
そう少年は信じていた。

一筋、視界に白い線が入る。深い闇を鋭い刃で切り裂くように、その線は太く強くなった。
地平線と光の筋が重なり、空と大地の境目が無くなる。海が、向こう側に見えた。揺蕩う波が白銀に煌めいている。
一対の硝子玉が、ゆっくりと露わになった。
青い空と、銀の海。金の太陽。身体を焼き尽くす業火は、望んだ煉獄は、遙か彼方宇宙の向こう側に浮かんで世界に光を満たす。

――――――あぁ、そうだったのか。

少年はそこで漸く理解した。

今更、本当に。光から目を背けても、そこにあるのは、光だったなんて。

開いた硝子玉の曲面に映ったのは、海と空と光と、なんの事もないただの陳腐な崩れた家屋と壊れた用水路と、
割れた石畳と、砕けた名も知らぬ英雄の石像と、罅だらけの型板硝子と、剥き出しになった錆びた水道管と、水路に沈んだ女神の絵画と、砂だらけの絵本と……そんなものだった。
必死になって生きてきた世界は、守ってきた居場所は、たかだかそんなものだったのだ。
愛しいあの人の、ステラ=テルメスの姿は、名残は、その世界の何処にも無かった。
少しも、ありはしなかった。

荒れた息遣い。耳の内側から鼓膜を揺らす鼓動。黴臭い土。流れる汗。そよぐ髪。痛む怪我、流れる血潮。
輝く太陽の光は骨の髄まで染みるようだった。
なんだ。そうだったのか―――少年は空を仰いで大の字になり、やれやれと溜息を吐いた。
疎ましい光はいつも天が照らした。太陽は、煉獄はいつも天にあった。
死んだらそこへ行けるだなんて、誰が言ったんだ。光が神の象徴だなんて、誰が言ったんだ。
あまりに、この世界は。こんなに綺麗な景色のくせして、最初から、ずっと―――――――――――――。




瞬間、思考を遮断するように衝撃波が襲う。身体は吹き飛ばされ、ごろごろと転がって瓦礫の山にダイブした。
体の中から何かが弾ける音がして、口から嘘みたいな量の血が溢れる。
なんだよ、と。少年は痛みに喘ぎ血に噎せながら、諦めたようにへらへらと嘲った。結局、生ききってしまったのだ。

視界の隅、砂埃と共に舞う石畳の向こう側。共に心中した筈の悪魔がそこに、立っている。

簡単な話だ。死んだらそこに行くんじゃない。嗚呼、今になってそれに気付くのかよ。
地獄は――――――生きているだけで、そこにずっとあっただなんて。

いつだってそうだ。

取り戻すのも、気持ちを伝えるのも、戻る道を探すのも、誰かを愛する事も。

全部、遅過ぎるんだよ。

なぁ、ステラ。

61エンドロールは流れない -空穿つ暗銀の騎士- 2:2014/11/08(土) 01:12:12 ID:xQG7g5jE0
【9:02'12"99】


閃光が走り去り、モノクロームに染まっていた街は、忘れてしまった記憶を思い出したように色を取り戻す。
しかしそこは疾うに人の生きる世界ではなくなってしまっていた。
大地は遥か遠く見える船の砲身から、一直線に潰されたように大きく抉れ、地の層はその柄を露わにしていた。
子供が砂場に水を流して作った川のように、大地から10メートルほど
の深さの小さな峡谷が向こう側まで続いている。
2エリア分余りにその爪痕を残し……そしてそのまま軌道を上空に逸らして、晶霊砲は、黎明の頂を砕いていた。

十数キロ先で上がる土煙を背に、片膝を地につき、黒煙を上げる両手を震わせ……邪神がそこに居る。
肩で息をしながら、血反吐を吐きながら―――それでも、神は生きていた。



【9:0--------------0'00"59】



時は僅かに逆巻く。

リングシールドとアイスニードルの二重防壁をやすやすと突破し、
反射的に展開した低威力の闇の極光すら押し退け、王が放った雷鎚は神を穿たんと迫った。
耐える事も、弾く事も、防ぐ事すら出来なかった。
セネル=クーリッジのクライマックスモードは、避ける為の一瞬の隙すら奪ってしまったのだ。
肉迫する雷鎚。刹那、邪神は無意識に下級術を紡いでいた。
瞬きすら許されぬ圧縮された時の狭間で、何故そんな無駄な事をと問われれば、それは“なんとなく”なのだと、そう言うしかなかった。
本当にただなんとなく、邪神ネレイドは―――ほぼ無詠唱で下級水晶霊術を発動させた。
アクアエッジ。
インフェリア三大精霊のうち、最も気性が穏やかで扱い易いが故に、初心者晶霊術師がまず教わる、基本中の基本の水属性初級術。
だが成程確かにネレイドが紡ぐアクアエッジならば、ネイルシュトローム程度の威力はあるだろう。
ほぼ無詠唱でそれならば、避けられやすい術とは言え、対人ならば牽制にしては十分過ぎるくらいだ。
だがこの場合、相手は兵器。目前の弾丸にそれは糠に釘を打つより遥かに無意味な、あまりにもか弱過ぎる豆鉄砲だった。

解せぬ。

それ故ネレイドは真っ白になった頭の中で、先ずそう思った。何故自分がそんな行動を取ったのかが分からない。
アクアエッジは当然、成す術なく前方の弾丸に衝突すると同時に蒸発し、跡形も無い。
しかし結果的に、その下らない反射的行動が功を奏す事となる。

他属性の晶霊が結合することは、同属性、若しくは極光術以外では基本的に有り得ない。対属性ならば尚更だ。
無論フリンジにおいての複合晶霊術という例外もあるが、その場合でも基本的に術の属性は単一であり、
この事からもエターニアにおける晶霊の解釈が他世界とはやや異なる事が分かる。
晶霊には、活力というものが存在する。対応する属性を多用する事で、ケイジ内の大晶霊ないしは群晶霊が力を蓄えてゆく。その際のクレーメルパワーを活力と言う。
しかし、その活力も減少する場合がある。
一つ、大晶霊の具現結晶化、二つ、対属性の行使。
背反する対極の晶霊術は、非常に相性が悪い。互いに性質を避け合い、同時に存在はしない。
最も顕著なのが環境だろう。火山と氷山は絶対に同じ場所には存在しない道理と同じ様に、
対属性は無意識に――いや、或いはファキュラ説を真とするなら意識的に――避け合うのだ。
それが目前に迫る晶霊砲にどう関係があるのかと言えば、
この一撃の属性が、トレインケイジを利用したが故に純粋な雷であったという一点に尽きるだう。
発射からコンマ5秒。真面な人間ならばその刹那に弾丸の属性が何かなど到底理解出来るはずもないが、
ネレイドは無意識下且つ本能レベルで、それが雷属性であると理解していた。
それは勘と言い切るにはあまりに天文学的確率であり、ネレイドが手練である事のアドバンテージか、或いは天が神に味方をしたと説明するしかなく、
その全てを一つの理由に収束させるなら、ネレイドが“神”であるから、という漠然とした言葉で表現する他なかった。
かくして、ネレイドは水属性を濃縮した下級術を、雷属性の弾丸に放ったのだ。

そうして起きた結果は“晶霊砲の雷弾は僅かに左へ軌道をずらした”。
一秒を薄く引き伸ばした刹那、目測でははっきり分からないほどごく微少な変化ではあったが、
それが致命的な一撃を与える圏内から外れた事を、ネレイドは理解した。

62エンドロールは流れない -空穿つ暗銀の騎士- 4:2014/11/08(土) 01:15:54 ID:xQG7g5jE0
【9:00'00"81】



しかし理解するのと同時に、ネレイドは唸る猛追に体を焼かれるのを、皮膚の下の神経が脳に伝えるよりも遥かに疾く悟った。
僅かにずれた軌道は本来ネレイドの全身を喰らうはずだったが、左半身だけを撃ち抜く程度へ変わっており、
ネレイドの左目は、網膜は、その猛追が左腕の皮膚に到達する瞬間を捉えていた。
コンマ一秒待たず半身が撃ち抜かれる未来は見えていたが、ネレイドはその刹那、顔色一つ変えず、瞬き一つせず―――――――――“跳ねた“。

一言一句違わずそれは文字通りの表現だった。ネレイドの体躯は雷撃に撃ち抜かれるのとほぼ同時に、右側へ跳ねたのだ。
吹き飛んだシゼルの胸には、沈む光弾が四つ、いや、五つ。
ネレイドが神速で放った肉を穿つ魔弾が、ソウルショットが、自身の身体をずらすため、ゼロ距離でシゼルの肉を貫いた結果だった。
左半身を食い損ねた弾丸は、しかしソウルショットによる衝撃でネレイドが吹き飛び切る前に、その肉を穿つ。
左腕を焼き、左足を燃やし、脇腹を喰らう。到底軽いとは言い難いダメージを左に負ったものの、雷撃の被害を最小限に抑える事に成功したのだ。
砲撃から、ジャスト一秒。
闇の極光、リングシールド、アクアエッジ、ソウルショット。
5つの防壁を以って、邪神ネレイドが死の運命を変えた瞬間だった。



【9:0--------------4'15"02】



そして、逆巻いた時は元に戻る。
正確無慈悲にネレイドの五体を粉砕するはずだった一撃は、ネレイドを生かし遥か彼方へ突き抜けた。
塔を犠牲にし、館を砕き、閃光は海の向こう側へと駆け抜け、掻き消える。
砲撃から、135秒。
煤けた街を包む黄塵が晴れ、同時にシゼルと感覚を共有しているネレイドが、興奮から冷め激痛を思い出しもがき苦しみ出すには充分な時間だった。
時を同じくして、セネル=クーリッジは砂に痛む両目をこすり、ゆっくりと目を開いた。
―――眩しい。
セネルが開眼一番に思った事が、それだった。
太陽が、光が、殺したくなるほどに眩い。
蒼穹に浮かぶ白銀の太陽の周りには雲一つ無く、むせ返るくらいの光の驟雨が大地を打っていた。
恨むように眉間に皺を寄せ、大空から目を反らす。視界に入った大地は、どうしようもないくらいに死にきっていた。
煙は風に運ばれ、砂は流され、砕けた街が露わになっている。
かつて見せた賑やかな水の街の名残は一切残っておらず、そこにはただ徒らに虚無感だけが置き去りにされていた。
その土色の残骸の中心で――――――肩で息をしながら、邪神が片膝をついている。
瓦礫のソファに身体をあずけ、身体中から血を流しながら、セネル=クーリッジは一瞬驚いたように目を大きくし、それから小さく肩を揺らした。
くつくつと小さな笑い声が、しんと静まった街に響く。力の抜けた微笑だったが、やがてそれは少しずつ大きくなり、喘ぐ邪神の耳に届いた。
そして―――セネルは不意に口を閉じ、溜息を吐く。


「へえ、神の血も赤いのか」


片目を血で潰され、何処で打ったか青痣を顔面に幾つも付けて、息も絶え絶え―――それでもセネルは、唾を吐き捨てる様に呟いた。
瞬間、びくん、とネレイドの、シゼルの身体が小さく跳ねる。掠れた女の声が、乾いた空気を揺らした。

『ギ、さ、まァ……よくもォ……我は、神ィ、だぞォ……それを……ッ』

カカカ、と嗄れた声が辺りを包む。草臥れきった風貌だったが、腹の底からセネルは愉しそうに哄笑した。
目尻に涙を浮かべ、腹を捩り、足をバタつかせ、セネルは笑う。
痛みにのたうつ神を見るだけで、一泡吹かせてやっただけで、本当に可笑しかった。
だから、もう、いい。
セネルは肩を揺らしながら、そう思った。思ってしまった。もう十分だ、と。
これでもう、こんなおかしな世界ともおさらばだ。
無駄に生ききってしまったが、どうせ殺される運命である事に変わりはない。
あの閃光から生き残っても、その先に控えるのがこの化け物とあっては些か分が悪過ぎる。
“勝てない”。試すより前に、それを本能で理解してしまった。
優勝を目指すと決めた狂戦士にとって、それは心を折るには十分過ぎる理由だった。
殆ど確定した死の運命に抗うほどの気力と体力は、心の折れた今のセネルには微塵も無く、
一瞬でも目前の悪魔に屈してしまった精神は、到底次に迫る死の瞬間までの僅かな時間で立て直すことは出来ないだろう、という確信もあった。

(……なんだ。はは。そうか、そうだったのか)

63エンドロールは流れない -空穿つ暗銀の騎士- 5:2014/11/08(土) 01:18:16 ID:xQG7g5jE0

セネルは己の諦めと絶望を再認識し―――瞬間、表情だけで嗤う。
例え地の底まで堕ちても、戦士として相手の力量を計りかねるほど腐ってはいないつもりだった。
でも、だからって、こんなにも簡単に諦めたのは何故だろうか。
ふいに湧いた疑問の答えは、すぐに解った。
愛する人を生き返らせる事と、大切な妹を護る事。その二つよりも、自分にとっては“この化け物を倒せるかどうか”の方が大切だったのだ。
倒せないと分かった瞬間、自分は全てを諦めた。敵を一泡吹かせて、満足してしまった。
ステラを生き返らせるという結果も、シャーリィを守りこのゲームで優勝させるという目的も。全部、都合良く消してしまった。
自分にとってそれは所詮その程度のものだったのだ。
今まで拳を振ってきた理由は、たった一度勝てなかったくらいで砕けるような、そんな陳腐な代物だった。
それを悟った瞬間、セネルの全身からどっと力が抜ける。
一瞬でも愛する人という目的を忘れ、力量で劣るから無理だと諦めてしまった。
その結果が、これかよ。その本質が、これかよ。今更どうしてそれを解っちまうんだよ。何で気付いたんだ。
知らない方が、よっぽど幸せに逝けたのに。
嗚呼、本当に、ほんとうに――――――――――――――――――どこまで、滑稽。

『図に、乗るなよッ……餓鬼がッ! その脆い身体、微塵も残ると思わぬ事だ!!』

何処かから、叫び声が聞こえた。
泥色の思考の沼から意識を浮上させ、セネルはぼやけた視界の隅に映るそいつを見る。
膝を立て、揺れる身体をなんとか支えながら、邪神が牙を剥いていた。
思わず、温度の違いに溜息を吐く。血走った目がこちらを睨んでいる。恐怖はちっとも感じなかった。
生きたいと願わなければ、恐怖という感情は産まれない。至極当たり前で、単純な話。
セネル=クーリッジ。
愛を喪い戦う理由を落とした少年に、生への執着など、最早無かった。

「業火に焼かれ、苦しみながら灰塵に帰すがよい!!」

神の怒りの彼方を、曇った眼が恨むように睨んだ。焔の様に激しい気配が揺らめき、深紅の魔力が混沌と大気で渦を巻いていて。
きっとそれが自分を焼き殺すであろう致命的な一撃であると理解していたが、ただただセネルは光の消えた双眸で虚ろを見上げた。
口を半開きに、合わぬ焦点で、灰色の空を仰ぐ。
青い海が脳裏に過ぎた。息を飲むくらいに綺麗だった。どこまでも澄んで、終わりなんて、ずっと無い。
底も無く、濁りも無い。憎しみも、痛みも、あらそいも。
かなしみも、うらみもふくしゅうも、つみもばつも、なにもない。なにもかもが、きっとそこではゆるされる。
そんな海に沈むのを夢見るように、セネルは穢れた瞳をゆっくりと閉じる。

「フィアフル――――――」

あぁ、と。
セネルは死を前に、思考の淵で諦めたように嘲った。
漸くだ。漸く、全部終わる。やっと、くそったれな世界から消えられる。人間を、辞められる。
もう、疲れたんだ。生きる事にも復讐をする事にも、誰かを殺そうと、もがく事も。
こんな汚れた両手じゃ、ステラを抱いてやる事は、きっと出来ない。あの世で会う事すら、俺にとっては拷問だ。
そんな事、分かってたはずなのに。

自分の死を見る為に、静かに瞼を開く。その瞬間からだけは、目を逸らしてはいけないと思ったから。
しかし、これだけ絶望して死ぬ事を享受したというのに、現実とは本当に分からないものだ。
開けた世界、広がる景色。その中にあったのは、迫っていたのは、空でも闇でも、煉獄でもなく。



【9:05'---------------------------------------------------------------------------------------Xe-l Ne-l Fe-s---------------------------------------------------------------------------------------16"18】



――――――そう、それは夢に見たような、蒼い海。

64名無しさん:2014/11/08(土) 01:19:53 ID:xQG7g5jE0
投下終了です。

65名無しさん:2014/11/22(土) 15:03:17 ID:.aJ578Io0
投下します。

66エンドロールは流れない -胡蝶之夢-1:2014/11/22(土) 15:05:33 ID:.aJ578Io0


―――第1章 海は哭き、月は嗤う―――





【9:05'16″19】





そこは陸の上であり、また海の底だった。

一秒、瞬息、弾指、刹那。或いはそれよりも遥かに短く、神の第六感を以ってしても知覚できないほど、“突然”の出来事。
中空を並々と満たすその悪魔の海原は、何も無かった空間に突如として具現した。
幾重もの魔波がうず高く天まで積まれ数十メートルの壁となり、景色を手当たり次第に舐めている。
その様は正に圧巻、いや、最早異様という他なかった。

      何 だ 、 こ れ は ?

圧倒的な気配と世界の暗転に息を飲むと同時に、ネレイドは視線だけをぎょろりと上げて天を睨む。
蒼い、と。ネレイドは網膜に焼き付く景色に、先ずそれだけを思った。そして次に、海、という単語が思考の水面を揺らす。
目を疑うまでもない。紛れもなく、是非もなく、狂いもなく、寸分違わず相違無く、そこにあるのは海そのものだったのだから。
しかしそれは明らかに自然の摂理を無視した常軌を逸している現象であり、その状況を瞬時に咀嚼し嚥下する事は、
いかに非物質世界を統べるネレイドと言えど至難の技であった。
それ故ネレイドはその摩訶不思議な現象の理解に至るまで、僅かながら思考に空白を作らざるを得なかった。
指先が動揺に動き、艶めかしいドレスが僅か3.4ミリ右に靡いた瞬間だった。

大地には土、天には空、虚空に風、海原には海、森には草木、焔に熱、生物には命、星には重力、宇宙に星、日向に光、影に闇。
それらはセイファートがその神力で定義した、あるべき世界の正しい姿だった。
ところが現実問題、空に海が広がってしまっている。理が、まるで最初からそうであったかの様に捻じ曲がってしまっていた。
万物の摂理を無視した天より降りし海。これが人為的な事象である事は誰の目から見ても火を見るより明らかで、
そしてそれが自然現象ではない以上、魔術の類である事も重ねて明白であり、
更に一般的な魔術師が行使出来るレベルの範疇を軽く数倍は超えているであろう事実くらいは、
魔術や戦闘を僅かでも齧った事がある者であれば、誰しもが少し考えれば辿り着く事が出来る解だった。
それがただのタイダルウェイブやセイントバブルであれば、ネレイドとてここまで顕著な反応はしなかっただろうが、
なにせ相手はネレイドの虚ろを突く秘奥義相当の晶霊力。

とりわけ異様なのは、この術から感じる属性が“光”であるという一点に尽きた。
ネレイドの、もといエターニアの常識では水は微小の水晶霊が、それこそ気が遠くなるほど無数に結合して生まれる魔術的なものであり、
その塊でもある海は、当然の如く水属性である。
しかしシャーリィ=フェンネスの世界における海は水属性ではなく海属性であり、
また海属性は、光属性と等価であった。
それは彼女の世界において海こそが神そのものであり、崇められるに足る存在だったが故にである。
水は転じて海へ、更に転じて聖なる属性へ。そしてやがては神々を象徴する光へと昇華した。
人の想いと願いが、歴史と共に世界の理を造った典型的な例である。
しかしながらネレイドにとってそんな常識は埒外も同然であり、それ故に混乱せざるを得なかった。
水から感じる晶霊が光。そんな馬鹿な話があるものか。
得体の知れぬ現象。理解の範疇を超えた術。
クライマックスモード、クレーメルキャノン、そしてこの光の海。
たかが300秒たらずで己の身に降りかかる三度の秘奥義級の術技。
後に控えるは、セイファートの使者の極光。挙句、発動者がそれぞれ違うときた。
あまりに、偶然が過ぎる。ネレイドは思った。いかに神とは言え、動揺しないほうがおかしな話だ。

神を戦かせるか、人の子よ。

非物質世界の神であるネレイドは自らに降り注ぐ災厄を恨めしく睨み、けれども口元を歪ませた。
恐怖、否。憎悪、否。悲哀……否。愉悦。そう、ネレイドはこの状況を愉しんでいた。
認めよう、とネレイドは発動寸前のフィアフルフレアを詠唱待機へと移行する。
認めようぞ、人の子ども。貴公等の醜い足掻き、その強さ。限界、そして制限ある物質世界の分際で、天晴ぞ。

『ヒュ、ヒャは、ハハははカカカッ!―――――――――――――――好かろう。 来 る が よ い ッ ! !』

67エンドロールは流れない -胡蝶之夢-2:2014/11/22(土) 15:07:30 ID:.aJ578Io0
哄笑と同時に、ネレイドは構えをとった。シゼルの体もその動きにシンクロし、四肢の筋肉を強張らせ、
左足を後ろに引き、構えの姿勢を流れるような動きで取った。
それはフィアフルフレア程度ではこの術を相殺出来ない事をネレイドがこの瞬間に理解したからである。
海が天に召喚されてから、凡そここまで0.6秒フラット。
しかしそのたかだか半秒とコンマ一秒がセネル=クーリッジの死の運命を覆す。
それは間接的に、謀らずともシャーリィ=フェンネスの意思が兄の危機を救ったとも言えた。
一瞬の静寂ののち、大気が水圧に震え出す。びりびりと大地が怯えるように揺れた。
邪心すら慄く、魔海の天蓋。憎悪と愉悦と混乱が入り混じり、
誰しもが慌てふためくその混沌の渦中で――――――――――――――――――――




【9:05'17″00】




――――――――――――――――――――セネル=クーリッジだけが、冷静だった。

その光景を前にして、セネルはしかし眉一つ動かさず天を見ていた。
ネレイドの周囲の高濃度の火晶力が空間を捻った瞬間と、その海が現れたのは、ほぼ同刻。
砲撃から、317秒。突如として天を覆った荒れ狂う海が、街を、空を、大気を、その口で平らげんと覆い尽くした。
星を照らす太陽すらもがその姿を濁流の向こう側に消し、世界は瞬きするよりも早く、青黒い闇の淵。
ドーム状に弧を描いた海の塊が、陸を喰わんと脳天から落ちてくる。
セネルはそんな異様な光景を、しかし息を乱さず受け入れる事が出来た。

その理由はと問われれば、セネルが本能的にその原因を悟る事が出来たから、という他無い。
このエリアに居る人数はセネル陣営三、シゼル、殺し損ねた子供が二、その他不明が二の計八人である事は、先のレーダーから明らかだった。
不明の二人は不確定要素だったが、それ以外は割れていたし、
恐らくは剣士と弓兵であろうあの子供達の実力から、こんな大規模な攻撃術をしかけられるとは思わなかった。
ジルバにおいては水属性術は殆ど持っていないし、唯一のディバインセイバーもその性質の殆どが水とはかけ離れている。
そして何より、セネルは誰よりも長くシャーリィと共に過ごしてきた。
妹の魔力の“匂い”を嗅ぎ間違えるほど勘は鈍ってはいなかったし、目前に広がったこの異常な海は初見のうえ、明らかに妹のキャパシティを超えていたが、
それが妹がなにかしらの箍を外して放ったであろうものである事は、理解の為の回路を通らず半ば本能的に察する事が出来た。
微かに感じる滄我は、目を凝らせば妹の聖爪術の象徴でもある翡翠色の光を放っており、
またそこから感じる本質は明らかに“静”ではなく“猛”であった。
それは辛くもかつてのメルネスとして覚醒した妹のそれと酷似しており、
即ち、その海が強い敵への怒気と深い現実への絶望を孕んでいる事実を示唆していた。
“大切な妹が、そこまで追い詰められる何かがあった”。
目の前に広がるものはそう想定するには充分な根拠を持った光景で、
また、その予想はセネルの中で諦めかけて燻った何かを再熱させるには、十分に足る理由となった。

――――――死に尽くしたはずの心に、堕ちたはずの英雄に、僅かではあるが火が焚きつけられた瞬間だった。





【9:05'17″56】

68エンドロールは流れない -胡蝶之夢-3:2014/11/22(土) 15:08:47 ID:.aJ578Io0
サニイタウン。
崩壊したその町に追い打ちをかけるようにして現れた海に対して最も反応が遅れたのが、
かつてのインフェリア王国元老騎士であり、手練の筈のレイシス=フォーマルハウト当人であった。
実際のところ彼の剣の腕は、霊峰ファロースでリッド=ハーシェルとその仲間達を前にして遅れを取らぬほどであり、
現在彼の持つ武器がデッキブラシである事を考慮しなければ、単体近接戦闘能力においてこの町の八人の中で最も高く、
また“海”の発動者であるシャーリィ=フェンネスを除けば、本来なら真っ先に異変に気付くであろう人間であった。

にも関わらずそれが何故“海”の発動から今に至るまで全く気付けなかったかと言えば、
彼の眼中に“ネレイドを殺す”という目的しか無かったから、と説明するしかないだろう。
その執心さは、天を海が覆う直前の静寂に気付かず、発動の瞬間の轟音すら耳に届かぬ程であり、
その血走った双眸は、目前のただ一点に穴を開けんと睨み続けていた。
妄執とも言うべきその意識は並々ならぬ殺意の波動となってぎらりと光る視線に乗っていたが、
しかし幸運にもシャーリィ=フェンネスの底知れぬ現実への憎悪と絶望によって、この町に上手く溶け込んでいた。
そうでなければネレイドに勘付かれ、ここまで迫る三秒前には、
遠距離からフィアフルフレアかナッシングナイトを撃たれて灰か氷漬けになり終わっていた事だろう。

しかし今のレイシスには、その可能性すらもが遙か埒外だった。
犠牲を出さないためにネレイドを討つ筈が、犠牲を出しても討てなかった。
その事実はレイシスの精神を崖の縁まで追い詰め、文字通り周りを見えなくするには充分だったのだ。
故に本当に、彼が今生きているのは“運が良かった”と言わざるを得ない状況だった。
更にレイシスの視線の先には既にネレイドが見えており、その事実も併せてレイシスの“海”への注意力を散漫させてしまっていた。
直線距離にして約150m。レイシスの鍛え上げられた体力と脚力ならば、5秒弱で切っ先が喉を掻き斬る距離である。
その疾さはまさに、電光石火、疾風迅雷。
げに恐ろしきは、レイシスの奇妙な冷静さであった。
ここまで精神を乱しながら、けれども本人は距離と秒数、その両方の数値を正確に把握していたのだ。

しかしながらそれは何も意外という訳でもなかった。
何故ならば今のレイシスは、ネレイドを殺す事意外に何も見えておらず――――――逆に言えばそれは“かつてない程に神経が研ぎ澄まされていた”からである。
無論ここで言う研ぎ澄まされた神経とは、殺すことに特化した第六感であり、
それは偶然ではなく、人間の奥底に潜む獣としての生存本能に近いものだった。
他の意識をシャットアウトし、それらに回していた意識とメモリを殺す事だけに集中する事で、
レイシスは火事場の馬鹿力にも近い集中力、攻撃力、判断力の結晶を手に入れていた。

しかしその代償ら計り知れず、現に視野はレイシスが自分でも驚くくらいに狭く、ネレイドとその周囲50cm以外はブラックアウトしており、
匂いは何も感じず、音は自分の荒い呼吸と心音だけが、まるで水の中に居る時の様に鈍く反響していた。
触覚は、右手だけが異様に敏感で、僅かな旋風が当たる感覚さえ、火に炙られる様だった。
右手は獲物を動かし最短で敵を殺す道を最初から知っていたかの様に、
網膜の裏側に何百回とそのイメージをフラッシュバックさせた。
それは僅か半秒の事であったかもしれないし、数分もの間だったのかもしれない。
しかしそれは、ネレイドの息の根を止める上でさして重要ではなかった。
何れにせよ確かなのは、レイシスにとって今の惚けているネレイドを討つ事は赤子の手を捻るより遥かに容易いという事であり、
イメージでは喉を斬るまでの一連の動作を一度も失敗をしていないという事実だった。
無論、ネレイドが何故こちらに気付かず空を見上げているのか、といった疑問がレイシスに無かったわけではないのだが、
それを考えるよりも遥かに早く、レイシスは足で大地を蹴り上げ、敵までの残りの歩数と、
そこから導かれる合理的な体の動き方、それに至るまでの最短のプロセスを脳内で弾いていた。
その五臓六腑百骸九竅をネレイドを殺す事のみに特化した精密無慈悲な生体プログラムとしたレイシスに、
その程度の疑問など昨日の晩飯を思い出すよりも遥かに些細な問題であり、
そしてそれ故に、レイシスは天に浮かぶ海に全くもって気付く事が出来なかったのだ。

喉の皮膚を穿つまで、5秒フラット。
確信と同時に、レイシスは武器の柄を握る右手に力を込める。動き方は、シミュレートの通り。
いかに獲物がデッキブラシと言えども、極光でコーティングすれば剣にも劣らぬ威力だった。

69エンドロールは流れない -胡蝶之夢-4:2014/11/22(土) 15:10:03 ID:.aJ578Io0
閑話休題。レイシス=フォーマルハウトに晶霊術の才は無い。

クレーメルケイジはレイシスを嫌うかの様にまるで反応をせず、晶霊達は終ぞその力を貸すことは無かった。
尤も、レイシス自身晶霊術士になりたいと言うわけではなかったため、その才の無さは別段困る話でもなかったのだが。
しかしながらその対価か、レイシスは生まれながらにして魔的な剣術を扱う事が出来た。
剣は雷を帯び、風は切っ先に集い、またある時は光を歪め残像を見せ、爆発を起こした。
大多数の王都インフェリア民は、クレーメルケイジ無しで属性を操るその技術を異端と蔑み悪魔の子と囃したが、
何事にも誠実なレイシスのその姿勢から、やがてその噂は表面上ではなりを潜めた。
尤もその裏では国王が平民の娘に手を出して生まれた彼を汚らわしく思い、
また若輩の分際で、国王が惚れた女の息子故に特別扱いされる事をやっかむ者共が居た事も、勿論レイシスは知っていた。
しかし、レイシスは賢しい子供であった。
母を不幸にし、死へと追い込んだグルノーレ2世への恨みを滅し、
人前では極力その力を封じ、他人には本性と能力を見せないよう努めた。
そう――――――リッド=ハーシェルに、出会うまでは。

バロールにてリッド=ハーシェルに出会い、その剣術を目の当たりにして、レイシスは我が目を疑った。
片田舎に住むリッドは、周囲と本人の知識の浅さ故に、それこそその力を異端と思ってはいなかったが、
王都に住まうレイシスにとって、リッドは産まれてから今に至るまでの人生で初めて出会う“対極の世界の同類”であった。
リッドが扱う剣術もまた、魔的とも言うべき属性を付与された――雷神剣、風雷神剣を始めとする――ものであった。
そしてその技能の正体が、他ならぬフィブリル、もとい真の極光術であった事を、レイシスはセレスティアに渡り知る事になる。
本来人間はクレーメルケイジを介してのみ術を行使出来る。
しかし極光術のみがその例外であり、媒介を必要とせず体内でフリンジする事により、晶霊力を引き出す事が出来た。

その極光の力を使い、レイシスはこの瞬間、デッキブラシに光属性をコーティングした。
それは彼独自の最終奥義・爪竜残光剣を発動する為であり、レイシスは走りながらも姿勢をより低く、抜剣の姿勢へと構えを移行する。
その流れの滑らかさは最早達人の域のそれであり、ネレイドを討つという言葉が現実になるのだ、という説得力すらあった。

ただ、この時のレイシスに油断があったとするならば、
それはネレイドが防御姿勢を取り、得体の知れぬ魔障壁――正体はリングシールドであったがレイシスはその存在を知らなかった――を、
展開した事に些かの疑問も抱かなかった一点と、
最も奇襲に対してクリティカルダメージを受けやすい、技の発動前の姿勢で走っていたという一点であろう。
二点ともネレイドを討てるという過信と驕りが招いた油断であり、そしてこの死の島は、それを見逃す程都合が良くもなかった。
故に不幸にも、この油断が彼にとって致命的なミステイクへのトリガーとなってしまう。

距離にして100。時間にして3秒弱。
圧倒的速度で迫る騎士、否、鬼神の身体を、

「爪、りゅ―――――――――」

シャーリィ=フェンネスの憎悪が、その残滓が、希望を砕く様に横薙ぎにした。

70エンドロールは流れない -胡蝶之夢-5:2014/11/22(土) 15:13:33 ID:.aJ578Io0
【9:05'19″10】




空を、見ていた。

轟音の中で、セネル=クーリッジは、ただただ空を仰いでいた。

心に火は灯ったとしても、それだけで敵が倒せるのかと問われれば、それは論じるまでもなく否である。
勇気と無謀が異なる事くらいはセネルは重々承知していたし、
この場合その二択の無謀にカテゴライズされるであろう事は、自身の経験が“やってみなくとも分かる事である”と示していた。
ただそれでも動く理由があるとすれば、それは理屈を超えた“何か”であり、
この瞬間のセネルにはその非合理的な“何か”など微塵も無かったが、コンマ3秒後にその虚ろな目に蒼い光が写り込んだことで、
図らずともその“何か”を持つ事となる。
闇の極光、真の極光。違いが目を見開き、海を認識している中で、ただ1人。
ただ1人、セネル=クーリッジだけが、壊れたように中空を見ていた。
海を目前に立ち尽くす彼の目の前に現れたそれは―――――――――そう、青く輝く、一匹の蝶。

「……シャー……リィ……?」

ぼそりと妹の名前を呟いて、手を伸ばす。脚を動かす何かを求める様に、拳を振るう何かを探す様に。
そうして触れたその蒼は、その意思に応える様に、或いは知っていたかの様に、ぐるりと体を“何か”に変える。

その内容に、少年の目の色が変わった。





【9:05'19″20】



(な……ッ!?)

まさにそれは、虚を突く一撃。
胴体を横から殴り、足を取り骨を軋ませ、内蔵を揺らす、一撃。
刹那すら永い圧縮された時間の中で、レイシスの視界はがくんと“左に回転した”。
喋る暇も疑問も許さない。思考の処理が間に合わぬまま、レイシスは揺れる焦点で数千の線となり回転する世界を追う。
少し遅れて、体に衝撃が走った。スプーンで内蔵をかき混ぜられる様な激痛を自覚する頃には身体の自由は最早無く、
口の中は砂利と血の匂いが混ざった泥水で満たされていた。

砲撃から、319秒。荒れ狂う濁流が何もかもを飲み込み、世界が海色になった瞬間だった。
蒼穹の水楼、猛りの滄我。街を飲み込む海のドームは、しかしジルバ=マディガンのみに狙いを定めて軌道を変え、
まるで渦に吸い込まれる様に、或いは磁石の如く引き合う様に一気に落下した。
これが水でなく、氷や炎、或いは雷ならば、街にここまでの被害は出なかっただろう。
しかし辛くもシャーリィ=フェンネスの秘奥義は破壊に特化した海であり、ジルバを食らっただけではその波は、怒りは終わらなかった。
ジルバの五体を顎で砕き、その身を深紅に染め上げた悪魔の津波は、そのまま彼女等を中心に街へと拡散してゆく。
骨肉を血液一滴残らず皿まで食らい、泥と瓦礫を巻き込んだ死の波が、まだ足りぬ―――全てを飲ませろと、大地を駆け抜けたのだ。
神も騎士も鬼も、その速度と威力を前にしては成す術を持たず、皆が等しく無力。
秒速5.5メートル。高さ80センチメートル。凄まじい勢いで迫る濁流の弾丸に身体を撃たれ、レイシスは泥の波間に溺れてゆく。
半秒にすら満たぬ、一瞬の出来事であった。



【9:05'20″01】

71エンドロールは流れない -胡蝶之夢-6:2014/11/22(土) 15:14:43 ID:.aJ578Io0
【同刻、ネレイドの見る景色は――――――紅蓮に燃えていた。

その正体は海ではなく果たして炎であり、その発生源は他ならぬネレイド当人であった。
天に出現した海を認めた瞬間、ネレイドが最も最初に考えた事は、“防御”ではなく“破壊”であった。
正常な思考ならば不定であり広大な海を“壊す”などと思う事はあり得ないが、ネレイドは奇しくも“破壊神”であった。
コンマ2秒で1000ミリ。猛スピードで迫る波を前に悩んでいる暇など微塵も無く、
脳に破壊という二文字を浮かべたコンマ1秒後には、リングシールドを展開させると同時に詠唱を始めていた。
晶霊術は先程詠唱を中断したフィアフルフレアであり、水の塊に対して火属性であるそれの相性は御世辞にも良いとは言えなかった。
それでもネレイドがその術を選んだ理由は、大きく分けて三つあった。

一つ、どれだけ一瞬であろうが無駄に出来ない危機的状況において最も重要なのが対処速度であり、
いかにこの島で詠唱速度随一のネレイドとは言え、その速度と比例した強力な術は碌になかった事。
ネレイドは下級術の連発と、中級以上は手数による足止めを狙った術を主に放ち、
近接では晶霊弾、また中距離からはフィアフルフレアやプルート、シューティングスター、ナッシングナイトで相手を遠距離に押し込み、
十分な距離があればアブソリュート、ホーリーランスなど強力な術を放つという、
言わば、中距離から遠距離にかけて相手を近付けない事に特化した戦法を主軸にしている。
その中でも最も速く強い術を求められたが、下級術では太刀打ち出来ないし、上級では時間が掛かり過ぎて話にならない。
しかしながら、幸運にも詠唱を“破棄”でなく“中断待機”していたフィアフルフレアならば、最短で発動でき、
なおかつ下級よりも遥かに高威力であった。
水に対して火とうい最悪の選択ではあったが、故にネレイドは海への対処にフィアフルフレアを選択した。

二つ、街を襲う海が“本体”ではなく“余波”であった事。
シャーリィ=フェンネスの放った怒りの滄我<ゼルネルフェス>は、あくまでも濁流で獲物を押しつぶすまでの術で、
それ以降は術者の命令外であり、操作対象外だった。即ち、今現在街を襲う海は、行き場を失った海の“物理現象”なのである。
ライオットホーンによる地割れ、フレイムランスで燃え移った炎、インブレイスエンドで凍った水溜まり。
規模こそ違えどそれと同等であり、故に魔術対処には極めて弱かった。
世界は変われどそのルールはほぼ同じであり、より顕著なのが、ヴェイグ=リュングベルの世界のフォルスである。
何れにせよ魔術には物理ではなく魔術にて対抗するのは常識であり、故に物理に対しては魔術は有用であった。
これは彼らの世界にて純粋な銃火器が殆ど発達しない理由でもある。
物理属性の銃火器は牽制や不意打ち程度のレベルでしか意味が無く、その開発コストと成果が伴わない。
尤もそれがすべての世界での共通認識であるかどうかをネレイドは知る由もなかったが、しかし博打に出る事となる。
その質量と速度故に物理的な威力こそあれど、その波が既に術者から手放され晶力を帯びていないならば、
属性相性のリスクはぐんと減少するのは確かであったし、ネレイドは自分の勘と実力を信頼していた。
故に、フィアフルフレアでも十分対処可能な範囲内であると踏み、そしてその考えは結果として的の中心を射抜く事となる。

三つ、その海の元々の属性が“水”ではなく“光”であった事。
もし、術者の手元を離れたこの波の正体が、光の塊であればどうなるか?
そう、それならば勿論火との相性が悪いとは限らない。あくまでも水と火の相性が良くない事はネレイドの常識であり、
異世界の住民が入り混じるこの島では、現実として海から光を感じる常識外の晶霊術が存在している。
その時点で自身の常識が通用しない可能性がある事をネレイドは理解していた。

『フィアフルッ、フレアァァァァァァァァァッッ!!!』

海の出現から、僅か4秒。
以上三点の見解を以って、ネレイドは海を滅するべく術を紡いだ。
しかし、ネレイドはこの瞬間、気付かない。気付けない。気に掛ける必要すら、感じていない。
ネレイドの6m前方、炎の初弾が水の弾幕の戦闘へ着水し、その飛沫が跳ねた瞬間、そのネレイドの5m後方で。

――――――――――――セネル=クーリッジが、血塗れた拳を光らせ立ち上がっていた事を。






【9:05'20″95】

72エンドロールは流れない -胡蝶之夢-7:2014/11/22(土) 15:16:32 ID:.aJ578Io0
予想すらしなかった出来事に対処する事は、如何に手練であろうと難しい。それが元老騎士の称号を持つ者であっても、例外ではなかった。
それでも時間にして僅か2秒でレイシスが濁流から脱出できたのは、偶然という表現で済ませる他なかった。
流されること、距離にして28ランゲ。精神統一をし、一瞬すら数十秒に感じていたレイシスにとって、
その距離と時間は永久にも等しく、その集中を欠くには十分であった。
その二つの数値を最小限で抑えることに成功したのは、“偶然”残っていた家の外壁に“偶然”レイシスが引っかかり、
“偶然”その外壁が波の水圧に耐え、“偶然”レイシスが五体満足であったからである。
それらの偶然が果たして本当に偶然であったのか、セイファートがレイシスに与えたチャンスであったのか、
或いは定められた惑星の記憶であったのかは定かではなかったが、何れにせよレイシスにとって、それは天に感謝すべき偶然であった。
本来はこのまま町の端まで流され、全身を砕かれているであろう未来からすれば、幸運どころではない話である。

レイシスは僅かに残された家屋の煉瓦外壁に体を殴打した瞬間に、まず無意識に近くにあった鉄柱を掴んだ。
それが基礎から生えていた躯体であったこともまた幸運であった。
何が起きたのかはさっぱりであったが、このままこの流れに流されては拙いということだけは、レイシスにも理解できた。
必死に濁流に流されぬよう体を瓦礫に預け、レイシスは中腰のまま目を開ける。気を抜けば流されてしまいそうな流れと暴風の中、
そこで初めて、レイシスは世界を見た。

そこにあったのは、声を失うような地獄絵図。

崩れる家屋、流れる木々、泥の波に飲まれる大地。降りしきる炎の雨、荒ぶ旋風、上がる土煙。
思わず閉口して思考を止めざるを得ないレイスの視線が、状況を理解するために景色を舐めるのは当然であり、
故にネレイドを再発見するまで時間さして掛からなかった。

この瞬間のレイスに誤算があったとすれば、それはネレイドを発見した時点で周囲の状況を確認することを辞め、
第三者の介入の可能性を捨て去り、警戒を怠った事である。
もしここでネレイドの背後数メートルの位置で立ち尽くすセネル=クーリッジを発見出来ていたならば、
レイシスの取るべき選択は変化していただろうが、現実としてレイシスはセネルを発見できず、再びその憎悪を剥き出しにする事となった。

――――――――――――――――奇妙な蒼い蝶がレイシスの目前を横切ったのは、それとほぼ同刻である。





【9:05'22″98】

73エンドロールは流れない -胡蝶之夢-8:2014/11/22(土) 15:17:19 ID:.aJ578Io0
前述したように、結果としてネレイドがフィアフルフレアを選択したのは正解であった。
これが例えばエクスプロードやインディグネイション、アブソリュート等の一撃単位の属性晶霊術であれば、
その瞬間は波をしのげても、直に体は波に飲まれるが、フィアフルフレアは時間にして約3.2秒もの間、炎弾で相手を拘束する。
それはプルートやブライティストゲート、エタニティスォーム等と比較して決して長時間とは言えなかったが、
少なくともこの状況においてその3秒は金銀財宝よりも価値がある時間であり、ネレイドにとっては十分であった。
数百度の熱の驟雨と水の弾幕が混ざり合い、水蒸気が辺りに立ち込めてゆく。
炎の雨は波を瞬く間に次々と蒸発させ、ネレイドの前方3メートルから後方に濁流を寄せ付けなかった。
それでもやがては波に押され直撃は免れないことを、ネレイドは理解していた。たかだか3秒の弾幕で凌げる量など、たかだか底が知れている。
しかしながらその頃には波の勢いは幾分収まるであろうこともネレイドは知っていたし、
そうなればリングシールドだけでも十分対処しきれるであろうと踏んでいた。

レイシスと同じようにこの時ネレイドに油断があったとすれば、それは海に意識が向いていたことでレイシスを完全に意識の外へ置いていた事と、
セネルをただの死に損ないの雑魚としてしか見ていなかった事、そしてリングシールドが前方を半円状に護る魔術防壁武装であり、
背後もを護る360度カバー出来る様な高尚な代物では無かった事、最後に、ネレイドがフィアフルフレアにて波を抑えていた事により、
その背後のセネル=クーリッジが全く波の被害を受けることが無かったという四点である。

フィアフルフレアの効果時間が終了し、相殺しきれなかった濁流達がリングシールドの表面に達するコンマ1秒前、
ネレイドの視界に、上から蒼い光がちらりと映る。

……光?

疑問に思うと同時に眼球を動かして、空を仰ぐ。
水圧を腕に感じると同時に、蒼く光る数十匹の蝶が、何かから逃げるように、或いは探すようにぱたぱたと虚空を泳いでいた。
それは余りに、今の状況とはそぐわぬ現象。次から次へと訪れる意味不明な現象の連続に、
ネレイドはその瞬間呆気に取られた事を否定できるはずもなく、
その隙こそが第五の油断となった事を、ネレイドはコンマ3秒後に知る事となる。

「魔神拳、」

蝶に気を取られ、更に声が直ぐ背後で聞こえた事で、二重にネレイドは対処速度を遅らせる事となる。
何故、と、拙い、がネレイドの脳裏で交互に浮かび、振り返ろうとする瞬間、視界の隅で既にセネル=クーリッジは拳を振り抜いており、
ネレイドはその血走った焦点の合わぬ目で、己の体が強化された拳で貫かれる瞬間を、網膜に焼き付けた。
不運にも、或いは幸運にも、この時ネレイドが背後を振り向いたことによって、図らずともレイシス=フォーマルハウトがその視界に映り込む。
極光術使い二人の視線が衝撃波越しに交差し、それはヒルアングラー族をも上空へと打ち上げる渾身の一撃が、無防備な神の背へと放たれた瞬間だった。


「……竜牙」




【9:05'25″79】

74エンドロールは流れない -胡蝶之夢-9:2014/11/22(土) 15:18:46 ID:.aJ578Io0
血を吐きながら打ち上がる神、拳を振り抜く銀の騎士、暗殺に失敗した金の騎士。
東の空に蝶の波、死んだ大地に泥の波。吹き荒れる疾風、終わらない絶望、流れないエンドロール。
西には王女、煌髪の姫、剣士と弓兵。

三日月を討ち、幕を下ろすはずだった戦を世界が嗤う。まだだ、まだ終わらせない、と煉獄に堕ちた月が口を歪めた。


【9:05'25″80】



島の最果ての地にて。血肉を争う混戦が――――――――――――――――再び、幕を上げた。

75エンドロールは流れない -胡蝶之夢-:2014/11/22(土) 15:20:22 ID:.aJ578Io0
これにて、投下終了です。

76名無しさん:2015/02/07(土) 22:24:53 ID:PqWi6qMk0


77エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁-:2015/02/07(土) 22:26:32 ID:PqWi6qMk0
あ、投下します。

78エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁-:2015/02/07(土) 22:35:29 ID:G2P.Bfi20
―――第2章 自由軍シルエシカ―――



岩山を超えるのは大層骨が折れた。

というのも、自慢ではないが、私は元々体力がある方ではない。
アルヴァニスタでたまたま第300回記念レースに参加した時だって、本当に偶然一位でゴールしただけに過ぎないし、
剰え司会者からは中年扱い、挙句の果てに翌々日に遅れて筋肉痛ときた。骨折り損のくたびれ儲けとは、まさにこの事だ。
孰れにせよ、私には凡そ“筋”や“力”と名の付くものに関してはとんと縁がない。
例外があるとすればそれは“学力”と“記憶力”くらいのものだった。

いや、何が言いたいかというと、そんな私にその“筋”と“力”を体現したかの様な男と共に、
同じペースで岩山を超える事など、どだい出来るはずがなかった、という事なのだ。
一体何処の誰が、三十手前にもなってこの霊峰ファロースの楽しい楽しい下山マラソンに参加するなどと言うものか。

「はぁ、はぁ……ちょ、はあっ、ちょっと……。
 ……ひぃ、ちょっと、まっ、ぜぇ……待っ、っゲホッ! がっ、はぁ、はぁ! んくっ……待っ、てっ……く、くれっ……お、おいっ」

ただでさえ大柄な男が無尽蔵な体力に身を任せて急げば、それは私でなくともこうなって当然だ。やっとの事で言の葉を捻り出しながら、私はそう思った。
どかり、と意識とは無関係に腰が砕ける様に落ちる。情けなくも膝が笑い、べったりと身体を濡らす汗は服を少し絞れば滝のように溢れそうだった。

「おうおぅなんだぁ? お前それでもアレかぁ? 情けねぇなぁオイ」

腰に手を当て、私より十数歩先に進んでいた彼はこちらを振り返る。困ったような笑顔のまま、やれやれと肩を竦めてみせた。私は突っ込む気力すら半ば失っていたが、悲鳴をあげる体に鞭を打って口を開く。

「う、げほっ、うるさ、い……走る、だなんて、聞いてッ、な……ぜぇぜぇ……それに……はぁ、はぁ……わ、私はっ、生憎……げほっ……だ……誰かみたいにっ……。
 ほ、骨までっ、ぜえ、ぜぇ……筋肉なわけじゃ、ない……からなっ……はぁ、はぁ……」

苦し紛れの皮肉を理解したのかしていないのか、彼はがはは、と笑った。雲を裂くような豪快な哄笑だった。

「おぅおうおめぇ、アレよアレ! 肉を食え肉を!
 肉食っときゃお前……アレよ……俺様みてぇな、アレになるからよォ!」

尻餅をついて天を仰ぐ私の元へ駆け寄り、彼は私の頭を帽子ごとがしがしと乱暴に撫でる。私は帽子を取り、やれやれと汗を拭いながら溜息を吐いた。

「む、無茶を言えっ……私だって、並の人間より、は、鍛えているっ、つもりっ……なん、だぞ……。それより、ちょっ……じ、十五分でいいから、なぁ……とりあえずっ……」

私は大の字になって岩肌に横たわる。身体が酸素と水と充分な休息を求めていた。風は涼しく、火照った肌に心地良かった。

「おうおう、仕方ねェなぁ」彼の呆れた声が聞こえる。「まぁそろそろアレにするか」

私は息を整え、ゆっくりと上体を起こす。岩影に向かって荷物を置き、何処かへ歩き始めていた彼の背が見えた。

「何処へ?」
私は訊く。
「おう、ションベンだ」彼は含み笑いをしながらこちらに頭をもたげ、肩を竦めて答えた。「一緒に来るか?」
「やめておくよ」私は少し考えたが、首を振って言った。「男としての自信すらなくしてしまいそうだ」

79エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 2:2015/02/07(土) 22:38:34 ID:G2P.Bfi20
私は唇を歪める。ジョークでも言わないと、また無駄な事を考えてしまいそうだった。
がはは、と彼は下品な笑い声を吐き出すと、踵を返し手をひらひらとさせながら岩陰に消えていった。

ふう、と溜息を零す。
私が吐いた息は山の空気に晒され、白く染まりもやもやと不穏に漂ったが、やがて空中で掻き消えていった。
肌に張り付いた髪を掻き上げ、額の汗を拭う。汗ばんだ身体は早くも山の風に冷やされ、全身の体温をひんやりと半濡れの衣服が奪った。ぶるり、と思わず体が震える。
あっという間にかじかんでしまった指を太腿の隙間で温めながら、私は空を見上げる。
晴れていた。不気味なくらいの快晴だった。
トールから見た海の天蓋の様に碧く澄んだ空は、しかしその三分の一が欠けている。
永年の風化でくり抜かれた岩壁が、まるで大波がそのまま化石になってしまったような見事なアーチを作っていて、その先端が空を隠してしまっていたのだ。
岩肌に触れると、経年劣化したペンキの様に、ぼろぼろと石が剥がれた。私はふと反対方向の景色を、南を見る。ちょうど私の左手の方向だった。
そこは、絶壁だった。2メートルほど先からは地面が無く、落ちれば命どころか肉片すら残らないような断崖だった。
落ちる時の滞空時間の長さを考えただけで酷い目眩がしそうだ。
私は重い腰を上げ、その崖に腰掛ける。高い所は別に苦手ではないのだ。
中空にぶらぶらと浮かぶ足で空を蹴りながら崖の側面を叩くと、剥がれた石がからからと音を立てて遥か崖下へと消えていった。
ふと耳を澄ませる。しん、と無音が辺りを飲んでいる。
私は遠く広がる景色を、ぼんやりと眺めた。下の景色は地図では砂漠のはずだが、何やら雪原の様な白銀一色に見えた。
そこから天を貫くように伸びた巨塔は中腹でばきりと折れてしまっている。……我々の館を襲った隕石の元凶だ。
遥か向こうに広がる南の港街、恐らく塔を砕いた魔術が居るであろうそこからはもくもくと煙が上がっており、森のそばにある西の城はよく見えないが殆ど壊れてしまっているようだった。
森の中心には、大樹があった。遠目での判断だがどうやら無事のようで、私はほっと胸を撫で下ろした。

「……運が良かっただけなんだな、本当に」

私は何の気なしに呟いた。その一言で済ませてしまうにはあまりにも壮絶な2日間だったが、本当にそうなのだ。それ以外に形容しようがない。
私は、運が良かった。
港街ではきっとまだ誰かが闘っているのだろうし、城は壊れるほどの何かがあって、砂漠が雪原に変わるほどの事があり、塔が砕けるほどの砲撃さえあった。
無力な私が居たところで誰も助けられなかったのかもしれないが、それでも後悔ばかりが私の胸を締め付け、離さなかった。
やれやれと溜息を吐いて、地面に視線を落とす。枯れ草がかさかさと寂しげに岩肌から顔を出していた。
中空で遊んでいた足を上げ、私はごつごつとした岩肌の上で胡座をかく。ついでに片肘をついた。指の隙間から、白い息が溢れる。
……休憩がてら少しだけ、このゲームの脱出条件を考えた。
クレス亡き今、エターナルソードでの脱出は不可能かもしれないと思ったが、よくよく考えればオリジンと契約したのは他でもない、私だ。
アーリィで私はエターナルソードを使って過去を見た。実際、クレスが居なくとも私にエターナルソードを扱うことは出来るのだ。
私が主神とすれば、言わばクレスは陪神のようなもの。
すると此処にダイヤモンドとエターナルソードがあるかどうかは別として、残るは多重契約の問題だけとなる。
英雄ミトス物語、世界再生伝説、古代大戦の書。モリスン邸にて読み、持ち出した情報諸々含め、このゲームに参加するミトス=ユグドラシルが英雄ミトスである事はまず間違いないだろう。

80エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 22:43:15 ID:G2P.Bfi20
そしてルイン復興物語にある、世界統合を果たしたロイド=アーヴィング。世界を分け、世界を一つに。この二人のした事は私の知る中ではエターナルソードを利用する以外に考えられない。
彼らの世界が我々より遥か過去ならば尚更だ。となれば最も未来の契約者である私が優先されるのが必然ではあるが、
我々の世界と彼らの世界が直線上ではなく平行線上の関係であるならば、私がロイドやミトスの世界軸の未来でオリジンと契約をしているとは限らないので、
話はまた少し変わってくるだろうし、何より同じ世界に三人契約者が同時に居る事は明らかなイレギュラーで、如何に私が最も未来の契約者と言えど少々勝手が異なるかもしれない。
誰もが契約は破棄していないと言い張るならば、精霊王とて私に肩入れする事は難しいだろう。そうなればむしろ一番過去の契約者であるミトスが優先される可能性だってあるのだ。
三人が口を揃えて契約破棄していないと言うならば、最も過去の人間の契約が優先されるのも、また道理であるからだ。
そしてそのミトスは、恐らく敵。ミトスとロイドが呼ばれた時間軸にもよるが、なかなかどうして一筋縄ではいかなさそうだ。
挙句、この世界は精霊を拒絶している。そもそも言葉だけの一方的な破棄宣言が、存在出来ないであろうオリジンに対して伝わるかすら定かではない。
断絶された世界で三人がどう考えようが、それを窺い知れぬオリジンにとっては、多重契約そのもの以上でも以下でもないのだ。
となれば予想される確実な答えは、一つしかない。
英雄ミトス、英雄ロイド、そしてしがない召喚術士の私。三人のうち誰か一人になればよい。そうすればカラスのパラドックスに嵌る事はないのだ。
―――いや、綺麗事はよそう。端的に、冷酷に、断言しよう。
即ち、それは。

.....
二人殺せば、時空剣は応える。


その意味を考えれば考えるほど、何かがざわざわと心の中で蠢いてゆく。黒い何かの大群が、頭の中で揺らいでいる。
もし、仮に。仮にその三人が全員対主催のいい奴等だったとして。仮に神の奇跡による脱出が不可能で、時空剣に頼るしかなかったとして。私は。

私は――――――過去の英雄である2人を、彼等の未来を、殺せるだろうか?

嗚呼。ならばサイグローグは、私にそれを選択させる為に私を利用しているのか。常識的に考えて一番力がなく、意思が弱く、反骨的で、残酷な考えが出来る弱い人間を。
私に彼等を卑怯な手で陥し入れるそのさまを、悩み苦しみ堕ちる様子を見ようとしているとでもいうのか。

81エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 22:45:10 ID:G2P.Bfi20
そこまで考えたところで、私の視界に影がかかる。私は帽子を被りなおしながら、後ろに頭をもたげた。マントをはためかせ、用を済ませた彼が立っている。
「考え事か?」
彼が私の目を見ながら問うた。
「…まぁね」
私は目を逸らしながら答える。
「アレし過ぎるのはよくねェぜ」
彼は言った。
「まったく」
私は相槌を打ちながら溜息を吐く。そんな事は百も承知だ。
「たまに学士の兄ちゃんに似てるな、おめェはよ」彼は小さく笑った。「時々、頭が良すぎんだよ」
「キール=ツァイベル?」私は立ち上がり、肩を竦めた。「まさか。貴方の話を聞く限り彼は私が最も嫌いなタイプだよ」
頭が硬い奴は嫌いでね。私がそう締め括ると彼は困った様に眉を下げて笑い、そして何かを思い出したような表情で口を開いた。

「ところで兄ちゃん、ちょっとアレもっかいしてみてくれるか?」

アレ? 私が小首を傾げると、彼はおう、と力強く頷いた。
「アレよ、アレ。あの風のアレ!」
あぁ、と私はごちる。
「……シルフの事かな?」
「おう、ソレ!」
がはは、と白い歯を見せ、彼は豪快に笑った。私もつられて、少しだけ笑う。

「ま、別に構わないがね……しかしそんなに珍しかったか? 貴方の世界にもシルフは居ると聞いたが?」

私は尋ねる。彼の要望が疑問だったからだ。
威力も控えめ、おまけに精霊も居ないただの鎌鼬。そう何度も見せるような大それた代物ではないし、
おまけに召喚術師としての優位性というか、説明し辛いが何やら大切なお株を奪われているようで私も気分が良いわけではないのだ。

「おう? まぁアレよ! いいじゃねェか細かい事気にしてんじゃねェぜ!」

そんな私に彼は言う。彼に嫌味がこれっぽっちもないのは分かりきっていたので、私は諦めて肩を竦めた。

「やれやれ。全く、貴方という人は……」

私はサックから本を出した。埃っぽい古書の表紙には、見たこともない字で“ナコト新書”と書かれている――見たこともない字で、というと解せないが本当に見たことがないのだから仕方がない――。
それはさておき、私は左手を背表紙に添え、右手を中空に滑らせた。身体が覚えている動きだった。右手の指先が本の頁にふわりと触れ、ぱらぱらと羊皮紙が捲れてゆく。
古本のどこか、祖母の家のような懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。

「……この指輪は御身の目、この指輪は御身の耳、この指輪は御身の口。
 我が名はクラース……クラース=F=レスター……」

ぶわり、と大地から風が巻き上がる。魔力圧だ。描かれた魔法陣から空へ空へと競うように迸る翡翠色のマナが、私の周囲で唸り声を上げた。
からから、ぱらぱら。本の頁が捲れ、鳴子が踊る。

「指輪の契約に基づき、この儀式を司りし者なり!
 我ここに盟約を受け入れ、我に秘術を授けよ! 我が手の内に、御身と、力と、栄えあり!!
 出でよ―――――――――シルフ!」

ぶわり、と大地から風が巻き上がる。魔力圧だ。描かれた魔法陣から空へ空へと競うように迸る翡翠色のマナが、私の周囲で唸り声を上げた。
からから、ぱらぱら。本の頁が捲れ、鳴子が踊る。

「指輪の契約に基づき、この儀式を司りし者なり!
 我ここに盟約を受け入れ、我に秘術を授けよ! 我が手の内に、御身と、力と、栄えあり!!
 出でよ―――――――――シルフ!」

82エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 22:50:36 ID:G2P.Bfi20
右手が空を走り、本がぱたりと閉じられた。昇華した翡翠色のマナが可視化して、たまゆらのように虚空に浮かび上がる。解放された風属性の結晶が、ぱちぱちと岩壁に泡沫の様に弾けた。
翳した掌の5メートル先で、圧縮された真空波が空を切る。2、3、4、5。全部で5発の刃達が舞い踊り、大気はびりびりと僅かに震えた。
ただそこには、本来あるべき精霊の姿は無い。無いのだ。
……出でよシルフ、か。
滑稽な詠唱台詞だ、と表情筋の裏で私は嘲った。

「……さて、この出来損ないの召喚術がどうかしたのか?」

私は顎鬚を触りながら神妙な面持ちでこちらを見ていた彼に問うた。

「おう。やっぱりよ、アレが違ェな」

彼は言った。私は小首を傾げる。一体何が違うと言うのか。
「違う?」私は眉をしかめる。「違うとは?」
「アレよ、上手く説明出来ねェけどよ、アレだ、アレ……あー、そうだ兄ちゃん、コレでアレを試してみてくんねぇか」
彼はもどかしそうな表情をして、形容できる言葉をその少ないボキャブラリーの中から探し出そうとしているようだった。
しかしそれも諦めたのか、彼はふと思い出した、或いは話題を逸らそうとしているかの様に私に言う。
彼は手袋を外して、それを指から抜いて私に見せた。指輪だった。
黒く燻んだ古ぼけた銀の指輪で、よくよく見ると掠れてはいるが蔓のような植物のレリーフが施されている。
中央には、プリンセスカットをされた小さな青い宝石が座していた。フリーズキールの街を閉じ込めたような、深く寂しく青だった。

「これは?」

私は彼からその指輪を受け取り、指輪を掲げ太陽に透かしながら問う。片目をつぶって見る青い宝石越しの太陽は、その光を石の中で乱反射し、ちりちりときれかけのフィラメント電球のように踊っていた。

「炎のアレよ」

彼は頬を人差し指で掻きながら言った。

「ほのお」

私は指輪を下げ、彼の目を見ながら問い直す様にその言葉を繰り返した。何故って、その言葉のイメージとあまりにも手元の宝石の色がかけ離れていたからだ。
炎と言えば、誰もが文字通り燃えるような赤を思い浮かべる。先入観無しにしたって、それはこの世の真理の様なものだった。
この青は炎と呼ぶにはあまりに冷た過ぎる。まるでーーーそう。それは炎と真逆の、氷のよう。

83エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 22:55:57 ID:G2P.Bfi20
「俺様の世界の契約の……ほら、アレだ、アレ。真っ赤に燃えるアレよ」

彼は怪訝そうな私の顔を見て、僅かに頷いて言葉を続けた。けいやく、と私は言葉の意味を理解していない赤子の様に繰り返した。

「昔、空の向こうのアレから落っこちてきたって言われてたアレだ。
 だからインフェリアンに因んで、“イフリートの涙”って名が付いた。あっちでは契約ん時にこれをアレしてたんじゃねぇかって昔アイメンのアレが言ってたぜ」

ほぉ、と私は呟く。成程、涙だから青色という訳か。
ふとウンディーネでは駄目だったのか、と私は問おうとしたが、彼の口から続けられた言葉にその質疑は遮られた。

「まぁ、俺様がまだこーんなにかわい子ちゃんの頃に聞いた話よ。だからそれも眉唾なアレだがな」

彼は掌を腰くらいに下げ、このくらい、と何度か示した。私は彼の小さな頃を少しだけ想像しようとしたが、吹き出してしまいそうだったのでやめておいた。

「つまり、それがイフリートの契約の指輪だった……という事か?」

私は訊く。彼は頷いたのでそうなのだろうが、どうにも個人的に解せなかった。

「だが、インフェリアもセレスティアも契約の指輪は無いと聞いたぞ?」

そう。何故ならエターニアに契約指輪は存在しない。
フォッグの情報、レオノア百科からの情報、それらからも彼等の世界の契約は戦闘で力を認めさせ、彼等の住処であるクレーメルケイジさえあればよい事は明らかだった。
しかし、それは分かっている、と言わんばかりに目前の彼は笑い、口を開く。

「おう、そりゃそうだ。なにせ俺様がアレするず〜っと前のアレらしいからな。
 文献に残ってなけりゃ証拠すらねェアレなんだよ」
「……ふむ。成る程、仮説の域を出ないという訳だな。しかも太古ではそうしていたかもしれない、という下手をすれば妄想の類の」

彼の言葉に私は顎を撫でながら答えた。よくある話だ。古代遺跡の壁画やオーパーツを信仰や伝承の類の物語にする為、よく出来た話で脚色する。
我々の世界のラグナロックだって似たようなもので、エルフの言う古代戦争が隅から隅まで事実なのかと言えば、確かめる方法こそ失われているが答えは限りなく否だろう。
しかし、こと今のこの話では嘘か否かはさしたる問題ではなかった。私の手で実際に試す事が出来るからだ。彼の世界の指輪が私の世界と互換性があるのか否かは分からないし、限りなく低いだろうが、それでもやってみる価値はある。

「……よし、やってみよう」

だから私は本を再び開いて、彼にそう言った。灼熱の劫火を纏う炎の巨人、イフリートを呼ぶ為に。

84エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 22:59:27 ID:G2P.Bfi20
結論から言おう。彼の指輪は本物だった。

私の詠唱にイフリートが召喚される事はなかったものの、溶岩が地面に沸き、中空からは火の玉が降り注いだ。魔術で言うイラプションそのものだ。
私は当然驚いた。
真逆こんな冗談みたいな偶然があるはずないと思っていたし、呼べたとしてそれは彼の世界と私の世界の精霊が同一である可能性を示唆したもので、学術的な観点からも非常に興味深かったからだ。
しかしそんな私よりも驚いていたのが、意外にも彼だった。狼狽とまではいかないが、並々ならぬ動揺が表情から見てとれた。動揺。あのフォッグがだ。
私が心配して話しかけるまでの数秒間、彼は口を開け言葉を失っていた。そんな彼の様子を初めて見た私もまた、更に動揺した。
しかし彼は私に声をかけられると弾かれたように馬鹿笑いし、いつもの様子に戻った。
私はそんな彼にほっと一安心したが、彼の表情から垣間見られた何やら胸にもやもやと陰る暗雲の様な何かは、晴れることなくずっと残ってしまうこととなった。

我々はそれから直ぐにその場――後で聞いたがリッド=ハーシェルがキャンプした場所と同じだったらしい――を発った。
途中、悪意しか感じない様な絶壁とロープ軍の迷路――アミダくじかよ、とフォッグも呆れた――等に手間取りつつも、我々はファロース山の下山を急ピッチで終えた。
「この先に地下神殿があんだぜ」ふと彼が下山途中に右手方向を指差して私にそう言った。
「今はそれより温泉と酒場に行きたいよ」私は汗を拭いながら答える。「マクスウェルでも祀られてるなら行くがね」
「いやソレが祀られてたんだが」彼が答えた。私が目を丸くして「ならば行こう」と言ったが、「それより坊主だ」と彼は頑なに首を縦に降らなかった。
私は憤ったが、餓鬼のように駄々を捏ねてもしようがない事は分かっていたので、しぶしぶそのまま下山した。

まぁ、そんなこんなで我々は今、砂漠の前に立っている。砂漠と言えど、砂一粒見えやしないのだが。

「これは……」
「おう、雪だな」

私が呟くと、間髪入れず彼が言った。私は屈んで、足元の雪に触れる。幾つかの足跡があることから、そこまで危険ではない事は分かっていたからだ。
雪はぎくりとするぐらい冷たかったが、しかし指先で溶ける事は決してなかった。

「触っても消えない雪、か」

私はちくちくと無精髭が映える顎を摩りながら、ふむ、と思った。素人目に見ても到底自然現象とは言い難い。魔的なものでまず間違い無いだろう。
私は腰を上げ、辺りを見渡す。上から見た景色と同じ、見渡す限りの雪原だ。

「罠だな」
私は言った。
「罠?」
彼が訝しげに訊き返す。
「あぁ」
私は頷いた。
「それも普通のトラップじゃない。この範囲、継続時間、特性、恐らく……フォルスだろうな」
「フォルスっつーと、あのボウズのアレだな」
ボウズ? 私は疑問に思ったが直ぐにあぁ、と理解した。
「ん、ああそうか。貴方はマオと会っていたんだったな。
 そう、そのフォルスだ。因みに樹のフォルスは、森の中に草木を生やし人を感知出来るのだという……攻撃の意図がないなら、或いは監視用かもしれないという事だ。
 フォルスは魔力に反応するらしいから私のイフリートで消せなくもないだろうが、これだけ広いと徒らに貴重な魔力を消費するだけで意味もないだろう。
 ま、こちらは戦力に乏しいから極力この罠には迂闊に踏み入らず避けるべきなのは間違い無いがね。命惜しくばくれぐれも余計な真似はしない事だ」

私は掌の粉雪を払うと、後ろの彼の方を振り返る……振り返ったはずだった。いや、何故って彼が私の視界から消えていたからだ。
同時に私は、はっとして再び雪原の方をがばりと振り返る。嫌な予感ほど良く当たるものなのだ。
私は目の前に広がる景色に頭を抱えた。忠告を理解したのかしていないのか、彼は悪びれもせずにずかずかと雪原の上を進んでいたのだから。

85エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁- 3:2015/02/07(土) 23:01:07 ID:G2P.Bfi20

「……。……あー、うん。おーい……フォッグ……? ……私の話は?」
「おう? あぁしっかりアレしてたぜ!」
「いや、だったらだなぁ……」

やれやれ。私は肩を竦めて苦笑した。いや、分かっているのだ。この人にそういう理屈は通じない事くらい、理解している。

「おうおう細けェ事は気にすんな! 罠だとかアレだとか知るか! コソコソこういう事をする奴には、特攻して正面からそのツラぁぶん殴るのが一番良いんだよォ」

それみた事か。私は足元を見ながら思った。
黒く滲んだ砂と白い粉雪の境界で、私はやがて一歩を踏み出す。
諦観か、或いはそうでないのかはまるで分からなかったが、私は雪原に足を乗せた。ぼふり、と粉雪が舞う。
この人について行くと決めたからには、覚悟を決めなくてはならない事だけは明らかだったからだ。
かつての私であれば決して踏み込む事のなかったであろう、罠の上。踏み心地は世辞にも良いとは言えない。
選択肢にすら無かった道の上に、私は今立っているのだ。
私は、項垂れた顔を上げる。太陽を背にした彼がこちらに手を差し伸べていた。

「行こうぜ、坊主が待ってる」

彼はそう言って寒さすらをも笑い飛ばす。私は少しだけつられて笑い、後ろを振り返った。白い道に、私の足跡が、数秒前の軌跡がぽつぽつと残っていた。
黒い道と、白い道。
そう言えば、そんな様な事を道化師は言っていた。どちらを選ぼうが結局は同じなのだ、と。
果たしてそうだろうか。私は思う。勝ち取った勝利も、未来も。失った悲しみも、怒りも、誰のものでもない我々の、我々だけの軌跡だ。
それがどう足掻いても決まっているだなんて、あり得てたまるものか。何が惑星の記憶だ。何が預言だ。
人は、自分の手で草叢を裂き、その足で道を歩ける。未来も、道も、誰にもわかってたまるものか。

「ああ。行こうーーーーーシルエシカの初陣だ」

私の未来は、私が掴み取ってみせる。

86エンドロールは流れない -フリーズキールはキブシの花弁-:2015/02/07(土) 23:03:30 ID:G2P.Bfi20






【魔法を使えなかった人間のお話】





そこは、薄暗い部屋の中でした。外は雪がしんしんと降っていました。後に、フラノールと呼ばれる町の宿屋です。
部屋には、アーチ型の窓が一つ。窓の向こうには、屋根から下がる巨大なつららが三本。その更に向こうに、朧げな月がありました。
冷たい月明かりが、部屋の中に差し込みます。部屋の中にはダブルベッドが一つ。机が一つ。本棚が二つ。椅子が2つ。そして、静かに燃える暖炉が一つ。
ぱち、ぱち、ぱち。暖炉の火がゆらゆらと燃えています。
暖炉のそばには、ロッキングチェアに座る女性。細かく編まれたキルトの膝掛けをかけ、手には古い本が一冊。頬杖をつきながら、本のページを捲っています。

「姉様?」

ふと、ベッドの方から声がしました。透き通るような少年の声でした。

「あら。起こしてしまったかしら」女性は本を閉じて、ベッドの方へ視線を向けます。「ごめんなさい。物語を読んでいたの」
「物語?」少年は寝惚け眼を擦りながらベッドから降りて、尋ねます。「何の?」
「ある世界のお話よ」

女性は答えました。とても優しい、穏やかな声でした。

「ふうん」少年は毛布を抱きながら、暖炉の前に座ります。「面白いの?」
「いいえ」女性は首を振って言いました。「少し怖いお話」
「こわい」

少年は小首を傾げて繰り返しました。女性は困ったように笑いました。

「魔法が使いたくて仕方がなかった、人間の司祭様のお話。きっと周りのみんなが魔法を使えるから、悔しかったんでしょう。
 未来を知る魔法を手に入れようと頑張る、そんな内容よ」

女性はキルトの膝掛けを広げて、少年の肩に掛けながら続けます。
ぎしり、とロッキングチェアが軋みました。

「司祭様はどうしたと思う?」

ぱちり。暖炉の中で蒔が音を立てます。火が揺れて、部屋の中の影がふわふわとダンスを踊りました。

「クラトスみたいにアイオニトスを?」

少年が白い息を吐きながら言いました。

「いいえ」女性は首を振ります。「アイオニトスは、その世界にはなかったの」
「じゃあどうしたの?」

少年が質します。女性は頷いて、悲しそうな表情をしながら口を開きました。

「魔法を使う素養がないのに無理やり魔術回路を身体に組み込んだの。未来を知る魔法の事も忘れて力に溺れて、身体も心も変質して化物になってしまったわ」

少年は顔を顰めます。

「悲しいお話だね」
「そうよ。司祭様は、最期には正気を失って亡くなってしまったの……おいで」

女性は本をサイドテーブルに置くと、両手を広げて少年に言いました。少年は満面の笑みでそれに応え、女性の胸に飛び込みます。

「……なんだか、僕らの魔法を怖がる人間みたいだ」

少年は顔を曇らせて言いました。女性からはその表情は見えませんでしたが、掌で少年の頭を撫でながら、頷きました。

「そうね……でも、戦争だって終わった。いつか、人とエルフとその狭間の者達が手を取り合ってわかり合える日だって、きっと来るはずよ」

女性は笑うと、少年の頭から静かに手を退け、そして、言いました。

「さて、夜も更けたわ。もうお話はおしまいにしましょう。明日は朝早くユアン達と合流するから、もう寝ましょう?」

少年は最後に女性を抱き締めると、名残惜しそうな表情のまま、立ち上がります。

「はい、姉様」

少年は笑いました。でも、幸せは長くは続きません。






だって次の日が、彼女、マーテル=ユグドラシルの命日なのですから。

87名無しさん:2015/02/07(土) 23:04:47 ID:G2P.Bfi20
投下終了です。

88名無しさん:2015/11/22(日) 20:03:24 ID:l39KhIco0
投下します。

89エンドロールは流れない -Common destiny- 1:2015/11/22(日) 20:05:15 ID:l39KhIco0
二人、喪った。

一人は、女性だ。未来のために、現在を捨てることを選んだ人。
その姿と理想の高さに眩しいと思いながらも、その高みより墜ちることを止められなかった人。
そして、もう一人は……少年だ。
たった一つのかけがえの無いものを守るために、仲間も、世界も捨てた誇り高き騎士。



誰かが、俺の事を英雄だと言った。
ーーー違うよ。そんなんじゃない。
俺は毎回のように、そう答える。自分は英雄なんかじゃない。好きだった人も、大切な友達だって、救えなかったのだから。
誰も彼もが、何かを履き違えて、何処かのボタンを掛け違えて、勘違いしているのだ。
何時だって、世界は輝く結果を見て英雄を讃えるけれど、星に住む誰しもが、血濡れた過程に興味はなかった。

嗚呼、何が英雄。何が救世主。殺人鬼、悪魔、それらと一体、何処が違う。
雑破に言って、英雄も愚者も、本質は同じ罪人なのだ。

だったら俺は、英雄よりも愛した人の為だけの騎士になる。






ーーーー第三章・愛をその手に

90エンドロールは流れない -Common destiny- 2:2015/11/22(日) 20:08:03 ID:l39KhIco0
一面の闇を天地に裂く白い地平線が、真一門に走った。ゆっくりと瞼を上げるのと同時に、意識が徐々に覚醒してゆく。
呼吸は寝息の様に穏やかで、心は恐ろしく落ち着いていた。目を擦り、両手を開き、閉じて、感触を確かめる様にもう一度開く。甲冑が擦れ、カチャリと音を上げた。
腰を上げ、頭を掻きながら周りを見渡す。ひんやりとした青白い煙が地表を満たしていた。
ぼさぼさの金髪をくしゃくしゃと手で揉み、天を見上げる。ジェノスの空のような、深く澱んだ灰色に満ちていた。
次に、僅かに視線を落として地平線を見る。深い霧のような青い靄がかかって、壁なのか地面なのか空なのか、果たしてそれが分からなかった。
夢。そう、それは例えるなら、朝方に見る得体の知れない夢の様な空間だった。頭の中は浮遊感で満ちていて、しかし何故かそんな場所に居る事への不安はなく、むしろ妙な安堵感があった。
腰に手を当てると、案の定、そこには剣の柄が下がっている。視線を下げず、右手で握った。いつも通りの触り心地、いつも通りの重さ、いつも通りのグリップ。
鞘を抜くときの音も、構えた時の切っ先の長さも、間合いも、技も。全てが目を閉じていても思い出せる。
苦しい時も、悲しい時も、楽しい時も。ずっと一緒にいて、いつだって力をくれて、叱ってくれて。一番の友達で、一番の兄貴で、一番の父親で。
そして、一番の、相棒。

「……ディムロス」

目を開ければ、ほら、そこはいつか見た紅蓮の魂剣。
ハイデルベルグ城を化粧する雪の様に透き通った白銀の刀身、その中心に、今にも燃え上がる様な焔のレリーフ。
見飽きたくらいのソーディアンは、けれどもそのコアクリスタルを光らせることはない。
問いかけにも応えなければ、小うるさい説教を垂れてくる事もない。
しかしながら、その剣はディムロスとしか言えないほど、あまりに精巧で、あらゆる面から見ても“本物”だった。
感触を確かめる様に、スタンは剣を翻しながら鞘に仕舞う。瞳を閉じれば、そこはいつか見た薄暗く寒いあの城の地下通路。
ぽつんと汚れた石畳に立つ、苔の生えた石碑の文字が、ぼんやりと緋色に光った。

「“吹き上がる炎の奔流、正しくそれは魔王の息吹”」

一つ一つ、文字を確認する様に呟くと、スタンは一気に剣を振り抜く。一閃。軌跡を追う様に花咲く紅蓮の炎が、中空をじりりと焦がした。

「魔王……炎撃波」

91エンドロールは流れない -Common destiny- 3:2015/11/22(日) 20:09:04 ID:l39KhIco0
スタンは溜息を吐くと、静かに瞳を開いた。灰色の空に跳ねる火の粉を手で払うと、空をきりりと見上げる。
“濁っている”。そう思った。まるでそれは、何かを映す事を止めた鏡の様に。

「なあ、そろそろ姿を見せろよ。こっちを見てるのはわかってるんだ」

曇って向こう側が見えない底無しの灰を見ながら、スタンは肩を竦めた。揺れる金髪を掻き上げ、背後を振り返る。
途端に青白い煙が捻れて淀んで、渦を作った。
歪んだ空間の中心が裂けて、その暗がりから、よく見慣れた金髪が顔を出す。
やれやれ、とスタンは思う。
ここに来て、やっぱりお前が来るのか、と。

「よく来たね、“俺”」

何故って、現れたそいつが“スタン=エルロン”そのものだったのだから。
自分そっくりの人間が現れた意味は、スタンにはさっぱり理解できなかった。けれど、何となく何をすれば良いのかは理解できた。
だいいち、そうでなければ、大層な剣など腰に下げ、やってくるはずがあるまいて。

「俺、おまえに会える気がしてたよ」

スタンは先ず、そう言った。本当になんとなく、此処は所謂そういう場所なんだろうな、と思っていた。
目の前のスタンは少し意外そうに目を丸くする。スタンはそんな様子に口を僅かに歪めて、続けた。

「多分、こうなるだろうって思った」

剣を翻し、切っ先をそいつへと向ける。
視界が僅かにぶれていたことに此処で漸く気づいて、左手で片目を触った。穴が空いている。
成程ハンデは大きいな、とスタンは思った。

「そうか……なら今さら、名乗る必要もないよな」

目の前のそいつも肩を竦めてそう言うと、同じに笑う。何所か悲しそうな、影のある笑みだった。
見慣れた剣を見慣れた動きで抜いて、そいつは構える。
スタンは自嘲した。よく知っているからだ。その構えも、その動きも、その強さも。そしてそれは、相手も同じ。
自分と戦うというのは、こうもやり辛いものだったのか。

「スタン=エルロン……お前は、俺だ」

そいつは呟くと、剣を肩に乗せ、不敵に嗤った。
良い感じだ、とスタンは冷や汗を拭きながら思った。戦いの前のこの感じ。火蓋が落ちる前の緊張感。息をする事すら躊躇う様な、張り詰めた殺意。今にも弾けそうな闘気。
油断は即、死だ。何せ相手は自分なのだから。癖も弱点も何もかもを全部把握している。一手間違えば、首が飛ぶ。
溢れる晶力に怯え固まった空気に、思わずスタンは身震いした。
嗚呼、こうだ。
戦いは、こうじゃなきゃあ面白くない。

92エンドロールは流れない -Common destiny- 4:2015/11/22(日) 20:09:38 ID:l39KhIco0
「いい目だ。既に覚悟はできているみたいだな」

ふん、と鼻で笑いながら、そいつが言う。
よくよく考えれば不思議なものだ。スタンは思った。
つい先刻まで雪原で戦っていたはずがいつの間にやら奇妙な場所で目を覚まし、挙句自分が出てきたのに、こうも体は落ち着いて現実を享受している。
或いは、いずれこうなる事を何所かで理解していたのかもしれない。
無い方の瞳の奥に見られていたスタンは、“英雄スタン=エルロン”は、きっと目の前のこいつなのだから。

「勿論さ」

この問答に底知れぬ深い縁の様なものを感じながら、スタンは答えた。

「俺の体は、どうだい?」

そいつは何の気なしに問う。スタンは訝しげに眉を顰めると、小首を傾げた。
何を言っていやがる。俺の体も何も、これは元々俺の体じゃあないか。

「……撹乱するつもりか? どういう意味か分からないけど、妙な問いかけは無用だぞ」

スタンは答えた。へえ、と目の前のそいつはおちゃらけた様に肩を竦めてみせる。スタンは眉を顰めた。腹の中で得体のしれぬ怒りがじわじわと熱を持ち出していた。
どうにも、へらへらと笑う目の前のこいつが気に入らないのだ。

「俺は、俺の名前は、スタン=エルロン」スタンは言う。「英雄崩れの、ただの馬鹿な男だよ。今度こそ彼女を守って、共に生き抜いて、勝利させる事こそ、俺の務めだ」

“英雄崩れ”。腹の中でスタンは繰り返した。それを見透かした様にそいつは表情だけで嗤う。
……やっぱり、気に入らないな。スタンは思った。態度も、容姿も、言葉も。全てが一々癪に触る。
俺に似ているくせに、俺には出来ない顔をするそいつが、心底気に入らない。

「分かった。いや、解らないけど、分かった。
 ま、言いたい事は山ほどあるけどさ。お前の想い、確かに見届けたよ」

そいつはかぶりを振って呟く。やけに煮え切らない声色だった。

「だからまず俺を倒して、その手で勝利を掴んでみせろよ、“英雄崩れ”」

そう言ってそいつが翻した剣のコアクリスタルは、紅蓮色に染まってゆく。意味を問われるまでも是非も無い。そいつはスタンで、スタンはそいつなのだから。

「そうかよ。じゃあ、お前は英雄なのか?」
スタンは問うた。コアクリスタルが熱く滾ってゆく。
「ああ、英雄だ。少なくとも、お前よりはよっぽどな」
そいつは迷わずに言うと、剣を空に掲げた。青白く濁った煙が熱に吹き飛ばされ、切っ先から高く、高く炎の渦が天へと突き抜ける。
目が眩むほどの熱と光に世界は満ち、大地はおののく様にびりびりと震えた。スタンはしかし目を細めずにそれを直視し、剣を、物言わぬかつての友を確りと握り直した。
乾いた唇で、息を吸う。肺が焼ける様な熱気が喉を通った。

「行くぞ、英雄!」
「来いよ、英雄崩れ!」

真っ赤に染まる世界の淵は、濁った海色、イドの底。
天はつぶらに、地平線は弧を描く。目が覚めれば、そこはきっと血に染まる悪意の雪原。
夢幻の渦中の理は、英雄崩れの手の甲の上に。こうこうと光輝く、海原色の石の中。
黒き愛を代償に、無くした意識の沈みし海。
宝石の底の底、エクスフィアの見る夢の深淵で踊ろう。これは誰もが知らぬ、誰もが死なぬ戦争譚。
だけれどこれは、捻れて堕ちた英雄が、自分と向き合う物語で。


ただ一人の為に戦う、愛の物語。

93エンドロールは流れない -Common destiny- 4:2015/11/22(日) 20:12:47 ID:l39KhIco0
投下終了です。

94名無しさん:2015/11/23(月) 03:22:00 ID:YTH1tfEc0
投下します。

95エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-:2015/11/23(月) 03:23:01 ID:YTH1tfEc0
余計な火の粉を浴びて火傷はしたくない。
だから、彼が今することは――――この場から一刻も早く逃げることだった。
シンクという少年はいつだって、そうしてきた。

賢く、巧く生きることがいつだって求められている。

どうせ世界の行く末は最初から決まっている。
雁字搦めに凝り固まった道だ、選択肢など存在しない。
変えられぬ運命であるあらば、いっそのこと突き進むしかなかった。
如何な英雄でも、世界は変えられない。
例え、絶望が待っていようとも、闇へと浸かろうとも。
無力な人間は簡単に掌を翻す。
預言。未来を読むことに縛られた人間がいきなり、何も無き世界で生きるとなれば困難となるだろう。
口を開けば、預言。神よ、どうか我々を救い給え。
導師へと媚び諂い、自らで考えて行動することをやめた愚かな屑共。
シンクはそんな人間を腐る程目にしてきた。
所詮は肉塊、脳味噌に何も詰まってないのだろう。
預言に浸るなど、神に祈るなど――――クソにも劣る所業だというのに。
その裏にある現実に誰も直視しない。
レプリカを、世界を、歪めておいて、何故。
それは青臭い正義感でも赤黒い悪徳でもなく、純粋な疑問だった。
きっと、この問いに対して正確な答えはない。
そして、誰もがその答えを見つけられる訳ではない。
どうしようもなく、預言に頼りきった無知な『子供達』には、難しすぎる。
純粋が飽和した彼らには、もう期待などできなかった。
つまるところ、シンクは何かを願うことに、諦めた。
ただそれだけの話だ。
この殺し合いという舞台上でも変わらず、シンクはけたけたと嘲笑し、最後まで傍観者で在り続ける。
彼もまた、主役であることに気付かずに。







疾走。疾走。疾走。
降り積もった雪を踏み鳴らし、クロエ・ヴァレンスはスタン達との距離を縮めていく。
イレーヌが困惑し、武器を取るが遅すぎる。その時間で自分は接敵を終えている。
上空から落ちてくる瓦礫など知ったことではない。
今はあの殺人鬼達を正義の刃にて断罪するのが最優先事項だ。
さながら今の彼女は狂戦士《正義の味方》。
大義は、我らに在り。刃を振るうに足る理由は既に山積みだ。

96エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-2:2015/11/23(月) 03:25:48 ID:YTH1tfEc0
          
「……ッ」

交錯、火花散る。
槍と剣がぶつかり合う。
何の変哲も無い一撃ではあるがその剣閃は鋭く研ぎ澄まされている。
幼き頃から両親を亡くし、復讐を誓った時からずっと振るい続けてきたこの剣技。
クロエはそれを直情的に実行するだけでいい。
いわば、軽いウォーミングアップのようなものだ。軽く振るった剣閃がイレーヌへと伸びていく。
雪を押し潰しながら放たれた一撃を、イレーヌは取り出した槍で何とか抑える。
刀身と柄によるぎちぎちとした金属音が辺りへと鳴動する。
押し返された刃を袈裟に振るい、弾き返す。
一旦の後退。刺突が繰り出される前に、一足一刀の間合いから離脱する。

「彼への手出しは許さない」

スタンを庇う形で、イレーヌは前へと出ているが、数刻前とはどこか様子がおかしいのだ。
何を怖がっているのか、その表情には薄っすらと恐怖が混じっている。
まるで、魔物を見るかのように。
まるで、彼らが想い合っているかのように。
ふざけている。ふざけているにも程がある。
何故、寄り添い、かばい合う。
貴様らは悪鬼だ、この殺し合いで人を殺すことを是とした屑にも劣る奴等だ。
断じて、生かす価値はない。
だから、自分が『殺す』のだ。

――何かが、矛盾している。

雪を蹴り解し、前へと進む。
槍は慣れぬ得物なのか、イレーヌの手つきは覚束なく、こうしている間にも深くはない傷が彼女の身体へと刻まれていく。
このまま押し切れば、殺れる。クロエの頬が釣り上がり、自然と表情も明るくなる。
スタン達を斬れば、正義が勝つことを証明できるし、彼らへ及ぶであろう危害を未然に防げるのだ。
セネルも、シャーリィも、ロイドも、シンクも、護れる。
ならば、取るべき行動はとっくに決まっていた。
壊そうとする者達を、皆殺しにしてしまえばいい。
動くのは敵だ、剣を取るのは敵だ、声をかけるのは敵だ。
自分へと駆け寄ってくる総てを敵だと思え。

97エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-3:2015/11/23(月) 03:30:37 ID:YTH1tfEc0
                   
間違ってなんか、いない。

斬って、斬って、斬り続けた先にこそ、理想郷はあるのだ。
だから、敵を斬る。理由など、それだけで十分だった。
雪と瓦礫が降りしきる中、クロエは直走る。
頬に付いた一粒の雪は熱ですぐに溶けていく。
まるで涙を流したかのように、痕を残して。
剣閃と刺突がぶつかり、そして弾かれて、再び接触し合う。
術を唱える暇など与えない。攻めて押して、このまま殺し切る。
この敵に楽な死に方などさせてなるものか。
痛みに喘ぎ、苦しみ抜いた末に殺してやる。
笑みか、それとも苦渋か。
そう意気込む自分の表情は、見えなかった。
踏み込んだ足が雪を削り、加速が全身を伝うのが感じ取れる。
鈍い空気振動を辺りへと響かせ、クロエは剣を握り締めた。

「ちょっと何をやってるのさ! 今はこの戦場から逃げ出さないと!」

煩い。近寄ってくる緑髪の少年の顔がよく見えないが、きっと敵だ。
正当なる仇討を邪魔する不埒者も斬って屍と化してしまえ。
そう思った刹那、右腕による剣風を自然と繰り出していた。
手に持つ白金の刃が、加速。緑の少年へと迫るべく、空を切り裂いていく。

「――ッ! 見境ないにも、程があるでしょ! 一発殴って落ち着いて!」

何と少年は素手であるにも関わらず、剣風に蹴撃を合わせ、逆に弾き返した。
横に薙いだ一閃も雪を削り取るにすぎない。
縦横無尽に暴れる刃を少年は意外にも丁寧に捌いていた。
紙一重に一撃が届かない。後に少年は背後へと回り込み、蹴撃。
振るう刃の嵐を潜り抜け、掌底を一閃する。
汚い呻き声を上げながらクロエは吹き飛んでいく。

「詠唱、終わり。雷光よ、震え上がれ。サンダーブレード」

緑髪の少年の後ろからイレーヌが掌を翳し、振り下ろした。
分散した雷がクロエへと追い縋る。

98エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-4:2015/11/23(月) 03:34:19 ID:YTH1tfEc0
         
「邪魔を、するな」

軋み、火花を散らす雷光に苛立ちが混じらせ、クロエはくるりと刀を回す。
乱雑に刀身を地面へと叩きつけ、そのまま擦りつけながら地面へと滑らせる。
滾った力を暴力的に抑えつけ、鋒から斬撃を放つ。
雷光を飲み込み、それでも尚止まらない斬撃の波《魔神剣》は寸分違わずイレーヌ達へと進撃した。
      
「アイスウォール!」

相手が氷の壁を生み出し、斬撃を受け止めるが関係ない。
この瞬間こそが、彼らの隙であり接近する好機だ。
脚部に蓄えた力を破裂させ、イレーヌへと肉薄する。
道中、邪魔な少年は剣で視界の外へと振り払う。
次いで、腹部目掛けて蹴撃をぶち込んだ。
ガードされはしたが、そのまま地面を転がっていったので良しとする。

「ああ、もうっ! 付き合ってらんないよ、生命が幾つあっても足りやしない!」

少年がこの場を離れていくのにも目をくれず、クロエの疾走は止まらなかった。
大切な何かを吐き捨てて、憎悪を掴み取る。
疲弊などないかのように、疾風の如く雪原を駆ける。

「殺さないと奪われるなら、その前に殺してやる!」
「あらあら、まるで私達が血も涙もない殺人鬼みたい。
 まぁ、言い訳はしないけれどね。でも、黙って死ぬ程、私はお人好しじゃないの」

氷壁を斬り上げと斬り下ろしのコンビネーションで脆くさせ、最後には中央へと全力の刺突を撃ち込んだ。
ばりんと心地良い音を立てて氷が崩れ落ちる。
もう彼女を護る防壁は何処にも存在しない。
今度こそ、完全に殺して終わらせる。

「互いの意見がかち合ったなら、それはもう――殺し合うことでしか……私達は解決できない」
「奪ったお前が、元凶が、そんなことを言うなぁぁぁ!!!!!!」

そのまま氷壁ごと斬り抉ろうとするも、相手の魔槍を前に、白銀の刃はその先へと進めない。
切っ先が食い込みつつも、槍は罅割れずに其処にある。
ソーディアン・アトワイトをもってしても斬り落とせない上等なモノだというのか。
しかし、相手の得物を壊して叩き斬る結末が望めないなら、本体――イレーヌを斬ればいい。

99エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-5:2015/11/23(月) 03:37:32 ID:YTH1tfEc0
          
もう、人を斬ることへの躊躇いは何処にもなかった。

戦闘が始まってあまり時間が経っていないというのに、イレーヌの表情からは余裕が削げ落ちている。
以前に見せた表情とは違い、汗と血が滴り落ちている顔は汚く歪んでいた。
意地を張るには限度というものがある。
脚はカチコチにかたまったのか、がくがくと震えている。
槍を握る腕は今にも垂れ下がりそうで、翌日の筋肉痛間違いなしといった具合だ。
肩で息をして、クロエの連撃を躱し続ける彼女の余力は確かに削られている。

「これ以上、奪わせてなるものか」

これまでは巧く戦闘を回避していたようだが、そうはいかない。
チャンスはあまり残されていない。
動くなら、今だ。
後退を待たず、駆け出した。
地面を踏みしめて、一足飛び。敵の心の臓を貫き、五体バラバラに切り刻んでやる。
自分でも驚く残虐な思考に、不思議と嫌悪感は生まれなかった。
鈍い金属音を打ち鳴らせ。この一刀こそが終止符となる。
肌を這い上がってくる狂気に神経が熱く鼓動している。

さぁ、断罪の時だ。

体内に残留する熱を剣へと込めて、クロエが振るう。
触れるもの尽くを斬り伏せる重みある一撃だ、存分に受け止めるがいい。
今の身体は不思議と軽く、何かの恩恵でもあるのか。
平常よりも数段と強靭さを感じるのだ。
少しでも気を緩めてしまえば、絶頂してしまいそうな力が溢れてくる。

それは正義の想いが呼応しているのだろう。

手始めに振るった振り下ろしは弾き返され、お返しとばかりに返ってきた突きは身体を捩らせて躱す。
軽く掠った気もするが、動くのに支障がなければ十分だ。
それよりも、相手を殺すことだけを考えておけばいい。
槍の攻撃範囲の内側へと体を潜り込ませ、斬撃。
予測していたのか、空を切る。
だが、そのままでは終わらせない。
剣から片手を離し、相手の顎へとストレート。
真っ直ぐの拳がクリーンヒットだ。
そして、そのまま腹部への蹴撃へと繋げていく。

100エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-6:2015/11/23(月) 03:40:24 ID:YTH1tfEc0
    
「お前は悪だろう!? 敵だろう!? 理性なくルールを享受した癖に!」

戦況の天秤が揺れ動き、そして徐々に揺れがゆっくりと片方へと堕ちていく。
一進一退の攻防を広げ、傍から見れば互角の戦いではあったが、徐々にクロエが優勢となっていく。
イレーヌを完封できる程の勢いを今のクロエは持っている。
その証拠に頬へと釣り上がる笑みは勝利を確信していた。
自分の猛攻によって相手のペースは崩れがちだ。
それを、意地と体力で何とか食らいついているイレーヌには限界がある。
余力があるからできた状況だった。彼女が消耗していたら、とっくにクロエの勝ちで終わっていた。
体力はともかく、戦闘経験で言えば自分は格上だ。
身体能力、培った技術は差がある。
狂気に蝕まれてはいるが、この程度の判断力はまだ残っている。
相手は後退して、術を詠唱。
止まらず走りながらも生み出した雷光も、氷壁も険しいものではあるが、今の自分なら打ち破れる。

「ならこうして無残に死ぬのも、間違ってないはずだ、違うか!?」
「どうでもいいわよ、そんな理屈。私はただ――幸せになりたかっただけ」

自分が優位に立っている内に斬り殺す。
そうでなければ、後悔するのはとっくにわかっているはずだ。
更に、イレーヌ達が戦場から撤退を許す保証は何処にもない。
前へと進み、想いの果てへと辿り着こう。

「そんな理由で、そんな! 理由で、私の仲間を殺したのか? 手を取り合うこともせず、殺し合うことを肯定したのか?」
「……ええ、そうよ。そして、それは貴方も同じ。所詮、私達は糸で繋がれた操り人形よ。
 何の策もなく、ただベタベタと戯言を述べているだけで、この箱庭から逃れるなんて不可能。
 その程度もわからないの? スタン君よりも、貴方は本当に馬鹿なのね。憐れみを通り越して失笑モノだわ」
「黙れ、黙れ!」

気づけば、口からは憎悪の言の葉が勝手に漏れ出していた。
言葉の応酬などした所で何の解決にもなりやしないのに。

「頑張ったことが報われて、周りが笑顔で、成したことが認められたいってずっと思っていた。
 口では綺麗事を並べていても、中身は自分がよく思われたいって打算もあった」

無論、そんなことはわかっている。
けれど、わかっているからこそ、滴り落ちる汗を拭う手にも力が灯っているのだ。
人には抑えられない激情があり、ぶつけなくてはならない相手がいる。

101エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-7:2015/11/23(月) 03:43:01 ID:YTH1tfEc0
      
「けれど、それって悪いことなのかしら。一言で『許されない』と断ずるのは、今の私にはできない」

交錯を繰り返しながら、二人の女は叫び合う。
共通するのは理不尽への怒りであり、拒絶の意志だった。
湧き上がる渇望は際限なく生まれ、口から吐き出されていく。
涙を目尻に溜め、苦渋と共にぶつけられた言葉は重かった。

「好きな人と結ばれて、桜並木を歩く」

簡単には譲れないし、負けるなんて以ての外だ。
滾った狂気を焼べて、咆哮する。
絶対に、死ねない理由が此処にあるんだ、と。
見たい未来がある、助けたい人がいる、護りたいものがある。
押し通らせたいものの為に、どこまで自分達はエゴをむき出しにできるのだろう。

「アイスキャンディを舐めて、下らないことで盛り上がって笑い合う。ねぇ、間違ってる? この願いはそんなにも否定されるべきものかしら?」

戦わなければならないし、勝ち取らなくてはならない。
ここで負けるということは死と同意義である。
これは互いの想いを懸けた殺し合いだ。
譲れないし、違えない。
ぐちゃぐちゃになった戦場であっても、糧となる想いはもう忘れない。
仲間が死んだ喪失感を、彼女のエゴで塗り潰されてなるものか。
前へと進むだけだ。全力を以って敵を打ち倒す。後のことはそれから考える。









だから、お前は此処で死ね。









返答は、刃で示す。

102エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-8:2015/11/23(月) 03:47:20 ID:YTH1tfEc0
       
「御託はいい。戻れるとも思っていないし、許すつもりはない。
 私はお前を斬りたい。理由などそれだけで、十分だ」

一息の刹那で、クロエは地面を強く蹴り上げイレーヌへと迫った。
放たれた刺突は上へと薙ぎ払い、打ち上げ、続く袈裟で槍をイレーヌの手から吹き飛ばし、攻撃の手を緩めない。
ここからが、攻めの本領だ。
脚部目掛けて、振り払う。躱し切れなかったイレーヌの足が少し抉られ、肉が血飛沫と共に散っていく。
必殺ではない、必勝の一撃。それは何の変哲も無い攻撃であり、それでいて頑強だった。
復讐の炎を燃やし、無心に振るい続け、鍛え上げた剣技だ。
戦闘の巧者であろうとも、安々と逃れられはしない。

「まだ、終われない!」

脚部による斬撃を受けながらも、イレーヌの顔には絶望が塗りつけられていなかった。
どれだけダメージを与えられようが、最後まで諦めない。
彼女が次に取り出したのは可愛らしい戦輪だった。
星空の意匠が施され、グリューネ辺りが見ると喜ぶだろうなと感じた。
直刀と戦輪がぶつかり合う。
イレーヌは刀身の側面に戦輪を滑らせ、首元を掻き切ろうとするが、修羅場を幾つも潜り抜けてきたクロエにとって、そんな攻撃は通さない。
首元へと到達するまでには僅かな猶予がある。撃ち落とすには十分だった。
剣を力のままに振り抜き、イレーヌごと吹き飛ばす。
クロエがした動作はただそれだけ。その程度でイレーヌの身体は吹き飛び、必殺は破られる。
次いで、イレーヌが転がって身動きが取れないと判断し、魔神剣を撃つが寸での所でアイスウォールを発生させ食い止められる。
だが、態勢は崩れたままだ。今なら追撃も容易である。
クロエは即座に速攻。疾走し、イレーヌを斬ろうと迫る。

「■■■■――――!」

もはや、自分が何を口走っているかすらわからない。
クロエの中に残っているのは理不尽への怒り。
そして、大切なものをいとも簡単に奪っていく殺戮者達への殺意。
欲しかったのは強さだ、奪う者を殺す力こそが正義である。

まもるつよさとはなんだったっけ。

今は遠くに置き去りにした想いが微かに脳裏に浮かぶも、すぐにかき消される。
頑張ったから報われるなんて、嘘だから。
憎悪の輪廻は留まること無く広がっていく。
一度断ち切れたと錯覚した念は、まだ残っていたのだろうか。
最初は綺麗だった雪原も、今では瓦礫と血の跡が残る戦場となっている。
けれど、これで終わりだ。
この時、この瞬間。クロエ・ヴァレンスは正義を為す。
振り下ろされた剣はイレーヌを殺さんと銀光を迸らせ――――――。

103エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-9:2015/11/23(月) 03:50:03 ID:YTH1tfEc0
            











「ふぁいあ、ぼーる」













炎球が刃の行き先を妨げる。
否、変える他なかった。
クロエもまさか邪魔をされるとは思っていなかったのか、目を見開いて呆然としている。
彼処にいたのは重傷でもう起き上がれない死に体であったはずだ。
故に、放置していても勝手に死ぬだろうと思い、視界から外していた。
それなのに、何故。
ふと死に体のいた場所に目を向けると、肌にしっとりと汗が浮かんだ。
寒気が強い雪原で熱を感じるなんてありえない。

104エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-10:2015/11/23(月) 03:55:34 ID:YTH1tfEc0
      
「化、物……っ」
「はは。いやだなぁ、化け物だなんて。俺は人間だよ?」

死にかけの周りに漂う魔力の濃度が瞬く間に濃くなっていく。
クロエでもわかる程に、濃密で底が見えない。
一体、何があったというのか。
彼の力をここまで引き上げるピースを自分が揃えてしまったのか。
戦うと、死ぬ。狂気の思考を正気に戻すぐらい、今の彼は恐ろしいのだ。
これまでの戦闘経験が、あの死にかけを唯一無比の戦士と判断する。

「化物、化物ッ! 化、物っ!!!」
「何度も言わなくても聞こえてるって」
「煩い、煩い煩い煩い! お前を化物と呼ばずして何と言う! その力は、それは――――!」
「………そうか。だったら俺は化物でいいよ」

起き上がったのは、果たして《スタン・エルロン》だったのか。
嗚呼、その片方の瞳には燃え滾る業炎が映し出されていて。
まるで、まるで――――大切な何かを切り捨ててきたかのようで。



「化物なら、化物らしく――――押し通るよ」



クロエ・ヴァレンスにとって最悪の形で、正義の味方《英雄崩れ》を呼び覚ましてしまった。
ただ一人、君の為なら。
笑って、そう言い切る彼はきっと――――《世界の敵》だ。
総てを敵に回しても、進むことができるのは、イレーヌに対してだけの《英雄》だから。

105エンドロールは流れない -刃鳴吹雪が舞う頃に-11:2015/11/23(月) 03:59:27 ID:YTH1tfEc0
          





【――――】











想いが朽ちるまで、戦えるのなら。きっと、きっと。後悔なんてない。

106名無しさん:2015/11/23(月) 04:00:18 ID:YTH1tfEc0
投下終了です。

107名無しさん:2016/09/26(月) 03:39:21 ID:L07qfzMo0
投下します

108エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-1:2016/09/26(月) 03:40:01 ID:L07qfzMo0
<始まり>の終焉から如何ほどの時間が経過したのか―――。
たった数秒の話かもしれないし、数分程度かもしれない。
あるいはもう何時間も経過したかもしれない。そんな当たり前の時間の感覚すら
麻痺する程に、この地は空から降り注ぐ絶望に犯され、死が充満しつつあった。

(―――やれやれ、厄介事もここまで来ると意図した悪意にしか感じないね)

そんな絶望の地の真っ只中、烈風――シンクは
時折身体を掠める瓦礫を拳で払い、または回避しながら嘆息した。
視界の先には、剣士と英雄崩れ、佳人の3名―――。
先刻剣士――クロエ=ヴァレンスを止められなかったばかりか、予想外の反撃に遭い、
已む無くその場を離れたシンクであったが、無論クロエを見捨てるつもりはまだ無い。
共に戦う事も選択肢に無かった訳では無かったが、瓦礫が降り注ぐ中では
リスクも大きいし、この状況下で本性を晒すのもまだ早いとの判断で、
瓦礫が然程酷く無い場所で、且つ3人の意識の範囲外の位置まで退避し、
戦況を観察していたのだ。手助けするにせよ、先ずは状況確認してから――。
クロエと佳人――イレーヌ=レンブラントとの戦いを観察しつつ
周囲を警戒していたが、今のところ他に接近する者はいない。
その点は良かったが、今現在、事態は明らかに思わしく無い。
先刻までクロエの優勢で勝敗の帰趨は明らかだった。
だが戦況は瞬時に一転した。既に満身創痍、半死半生の状態で、
最早相手にならない筈――クロエは勿論、シンクも同じ認識だった。
にもかかわらず、英雄崩れ――スタン=エルロンは突如覚醒した。
一体何が起きたのか、シンクには理解出来なかったが、
理解出来ずとも確実なことがあった。

――このままではクロエは死ぬ

歴戦の兵であるシンクならではの結論である。
狂気に染まってる訳でも、恐ろしい形相をしている訳でも無い。
体力や傷が回復した様子も、漲る魔力も、迸るような闘気も一切感じない――にもかかわらず、
相対する者に“死”を予感させる“何か”をシンクはスタンから感じ取っていた。

(――あの時危険を冒してでも自分も戦いに加わるべきだったか?)

そうすれば、覚醒前に殺す事が出来たかもしれない。そう思い舌打ちしたが
時既に遅し。まだ相手が1人だけなら兎も角、2人相手では
仮に今自分が加勢したとしても勝率は3割以下――正直分が悪い。
まだ利用価値が充分ある以上、クロエを此処で死なせる訳にはいかないが、
闇雲に突撃するのは愚の骨頂。慎重に事を起こす必要がある。
シンクは気配を周囲に溶け込ませると、そっと行動を開始した。

109エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-2:2016/09/26(月) 03:40:51 ID:L07qfzMo0







「く、来るな!こ、この化物!!!」
「…何で俺がお前の言う事を聞かないといけないんだ?」

恐怖に怯えるクロエに、スタンは首を傾げながらゆっくり近づく。
決して軽くも無く、早くも無い筈の足取りだが、まるで死刑宣告を突きつけられるような
強烈な恐怖がクロエの身体の奥深くまで浸食していく。

「来るなと言ってるのが聞こえないのか!?」
「聞こえてるよ。だから言ってるだろ?お前の言う事を聞かないといけない必要なんて――」

すっかり恐怖に取り乱してしまったクロエに
やれやれと言った様子でスタンが近づこうとした瞬間、
クロエが手にしている剣――アトワイトから放たれた剣圧が
スタン目掛けて襲い掛かったが、スタンが軽く剣――魔剣ネビリムを
一閃させただけで掻き消されてしまう。
一瞬クロエが恐怖と驚きで固まるが、即座に構え直す。

「魔神剣!魔神剣・双牙!!魔神剣・瞬牙!!!」

クロエから次々と凄まじい剣圧が繰り出され、衝撃波がスタンを呑み込まんと
襲い掛かるが、スタンが溜息混じりに剣を繰り出す毎に掻き消され、欠片すらも
スタンの身体に傷を付ける事が出来ずに終わる。

「―――五月蠅いな」
「………ッ!?」

とは言え、実害は無くとも、次から次へと飛んでくる剣圧は不愉快だったらしく、
スタンは剣を力強く一閃させた。同時に唸りを上げてクロエに襲い掛かる剣圧は
先程のクロエが放ったものの比では無い。防御も回避も間に合わず
衝撃波に巻き込まれたクロエは悲鳴を上げて吹き飛ばされ、地面に転がる。
それでも即座に受け身を取り、何とか剣を構え直す。

「かはっ、あっ、はぁ、はぁ…」

だがクロエの息は激しく乱れ、身体の震えが止まらない。
寧ろ先程よりも酷くなっていた。勿論スタンの一撃のダメージが
無い訳では無いが、致命傷には程遠い。にもかかわらず身体の自由が利かない。
それ程までにスタンに対する恐怖がクロエをさらに深く呑み込んでいた。
もしクロエが凡人なら、或いはそのまま下半身を濡らしていたかもしれない。

「そんなに怯えるなよ。お前も一応剣士なんだろ?」

そんなクロエの姿に、スタンはボサボサ頭を掻きながら苦笑した。
勿論殺意も悪意も込めたつもりは無いが、クロエには
その笑みが逃げ場を失った草食獣に向ける肉食獣の笑みに見えたらしい。
最早イレーヌを相手にしていた時の殺意に溢れた威勢は完全に失われていた。

「…これじゃ話にならないな」

スタンは溜息を吐くと、若干呆れ顔で言った。
どうせ殺すとはいえ、これでは余りにも面白くない。
どうにかして戦う気を起こさせたい、そう思ったスタンは
ふとある事を思い出し、ポンと手を叩いた。

「だったら先にさっきお前を止めようとしていた緑――あの少年から殺すか」

そう言って先程シンクが去っていた方角に視線を移す。
同時にゆっくりとその方角に向けて歩きだそうとした。
果たして予想していたかのような強い殺意がスタンを襲った。
再び視線をクロエに戻すと、つい先程までの恐怖を抑え込み、
射殺さんばかりの視線をこちらに向けるクロエの姿があった。

「シンクに手は出させない」
「…そう来なくっちゃな」

クロエの言葉にニヤリと笑うと、スタンは軽く身構えた。
以前のスタンならば大よそ想像付かなかった行動。
一見すれば却って危険を招いたようだが、今のスタンにとって
大したことでは無い。それが強者の余裕故か、
騎士、戦士道精神によるものかは現時点で判断に悩む所ではあるが。
両者身構えつつ、徐々に距離を縮める。その数秒後―――。
2人は同時に大地を蹴り、斬撃を繰り出した。
交錯した刃から凄まじい金属音が響き渡り、火花が飛び散る。
一閃、二閃、三閃と、次々と繰り出される目にも止まらぬ剣閃。
一瞬でも気を許せば命を刈り取られるような戦いがそこにはあった。

110エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-3:2016/09/26(月) 03:41:29 ID:L07qfzMo0







両者は似ている―――。

勿論性別も違うし出自もまるで違う。
片や田舎も田舎の村の生まれ育ち、片や貴族の名家の生まれ育ち。
青年は性格も超が付くお人好し且つ単純思考で、恐ろしいまでの寝ぼすけ。
騎士道を重んじる少女とは余りに違う。寧ろ寝ぼすけの点だけで言えば
少女の想い人と似ていると言った方が良いかもしれない。


<――激しく剣と剣がぶつかり合う。
どちらも守る為に、目の前の敵を屠る為に――>


似ているのは、共に大切な人を喪ったこと。
力が無かった故に―――守る力が、意思を、運命を変える力が。
己が無力さを呪い、両者は幾度と無く涙を流した。


<クロエの剣は繊細さと正確さ、そしてその速度で
スタンの剣は紅蓮の炎と力強さで――>


時に道を誤る事も、大きく回り道する事もあった。
それでも両者は自分の信じる道を貫き通した。
その結果、それぞれの世界で両者は英雄となった。


<無論、スタンはエクスフィアを装着した事で、
通常よりも格段に力も速度も上がっている。本来ならばスタンの方が圧倒的に有利。
それでも戦闘に支障が出かねない重傷を負ったが故にクロエとの戦いは互角、否、寧ろ不利――>


そして、この殺し合いの舞台に呼ばれた両者に
次々と試練が襲った。本来有り得なかった邂逅、
大切な仲間の喪失、理不尽なまでの殺戮と、鮮血と、苦痛――。


<――その筈が、クロエの剣は徐々に押され、
その表情が苦悶と、焦燥と、恐怖に塗り潰されていく。
それとは対照的に、スタンの表情には余裕と、不敵な笑みが浮かぶ>


絶望に塗れた両者は、守る為に決断した。
手を汚す事も、怨嗟をその身に浴びる事も。
覚悟も決めた。後は一切の容赦をせず、剣を振るうだけ――。
そんな両者を決定的に分けたのは――


<そしてついに、スタンの剣がクロエのガードを抉じ開け、
その命を、血と肉を撒き散らさんと、一寸の躊躇い無く振り下ろされる。
そしてついに刃が――――>

111エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-4:2016/09/26(月) 03:42:11 ID:L07qfzMo0







夢幻の中で、1人の男が地面に仰向けに倒れている1人の男を見下ろしていた。

「…お前の、勝ち、だな………」

真紅の海の中に倒れている男――英雄――スタン=エルロンは、
英雄崩れ――スタン=エルロンに力無く笑いかけた。
だが、勝利したスタンに笑顔は欠片も無い。

「何が勝ちだよ。お前、わざと負けただろ?どういうつもりだ?」

スタンは苛立ちと疑惑を混ぜ合わせたような表情で<英雄>を睨みつけた。
構えも、動きも、強さも同じ――寧ろ視界を片方失ってこちらが不利、
いや実際に戦いは終始此方が押されていた筈なのに、最後の最後で
此方の剣が<英雄>を斬り裂いた。まるで最初からそうなるよう望んだかのように。

「――――俺は、守れなかった」

如何に剣の腕を磨き、英雄と呼ばれても、
たとえどれ程恐ろしく、残酷な世界に放り込まれても
――――となら、――――、―――――さん、――――達となら
きっと何とかなる、そう思ってたのに。
一度守れなかった、喪った人と出会って、色んな感情がぐちゃぐちゃに
混ざり合って引き裂かれ、意識の奥底に沈んでも、必ず戻って、
戦って、守るつもりだったのに、結局守れ無くて、友達を、―――を傷つけて、
どこまでも、どこまでも堕ちて行って―――。

「結局、俺は…色んな大事な物を喪った」

勿論、まだ全てを喪った訳では無いけど、立ち上がるには
余りにも大きな物を喪って、それでも目の前にいるのが“偽物”なら
刺し違えてでも止める事も出来たけど。

「俺もお前も、確かに“俺”だったから」

狂気に蝕まれたとはいえ、大切だった、守りたかった、守れなかった。
片や英雄と、片や世界を混沌に貶めた大罪人と罵られ、
悔しくて堪らなかった、その強い想いを知っていたから。

「…お前がやろうとしている事は絶対に許される事じゃ無いし、俺は認めない…だけど…」

<英雄>の言葉を黙っていたスタンだったが、ふと周囲が輝き始めた事に気付き、
辺りを見渡す。次の瞬間、様々な景色が、人々が映し出された。

「これは…!?」

見覚えのある、とても懐かしい光景――聞き覚えのある、心地良い声―――
その筈なのに、何一つ思い出せない。それはそうだ。それらはスタンが捨て去り、
ここに遺していったものなのだから。

「お前はまだ“喪っていない”…それを…たった1つの大切な物を、何に代えても守り抜くと言うなら―――」

<英雄>がそっと手を上げると、周囲に広がったそれらが光に包まれ、<英雄>の手に集まる。
やがて光は<英雄>の中に染み込み、身体の奥に消えると、<英雄>は再び手を降ろした。

「―――俺諸共“全て”を壊して、行くと良いさ」
「……お前がさっきから何を言ってるかよく分からないけど、最初からそのつもりだ」

スタンは首を横に振ると、血に染まったディムロスを両手で持ち、ゆっくりと振り上げ、そして―――。

112エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-5:2016/09/26(月) 03:44:41 ID:L07qfzMo0







「きゃあッ!?」

突如背後から響いた悲鳴に、スタンの剣がクロエの頭部に届く寸前で止まった。
悲鳴が上がった方向に視線を向け、そしてスタンは目を大きく開いた。

「そこまでだよ、スタン=エルロン。悪いけど大人しくして貰うよ」
「ッ……スタン君………!」
「イレーヌさん………!」

そこにはイレーヌの背後に回り、その細い首を掴み力を加えているシンクの姿があった。
スタンの目に強烈な殺意が宿り、一歩踏み出そうとしたが、
その動きにシンクの手の力が強まり、イレーヌより苦悶の声が漏れると
スタンは動きを止めた。止めざるを得なかった。スタンから舌打ちが漏れる。

「人質に取るなんて陳腐な真似は本当はしたくなかったけどね…さすがに今のお前は危険だよ」

正直誰かに見られたら被り続けた仮面など一瞬で意味を為さなくなる行為ではあったが、
その危険を冒してでも、この男だけは殺さないといけない―――シンクはそう見ていた。
仮にクロエを見捨てて逃げれば、今のこの状況は逃れられるかもしれないが、
後々確実に自分にとって最悪な存在となる―――そんな漠然とした予感があった。
それに自分が死ぬのは如何でも良いが、こうも振り回されたままで終わるのは癪である。

「お姫様が大切なんだろ?先ずは剣を――持ってる物全てそこに捨てなよ」
「…仮に捨てたとして、お前がイレーヌさんを殺さない保証は何処にある?」

以前なら迷わず武器を捨ててただろうが、良くも悪くも
戦い続きでスタンも成長し続けている。安易にシンクの策に乗らず、
静かに、だけど射殺さんばかりにシンクを睨みつける。
だがこれは想定内。シンクは僅かに肩を竦めて言葉を続けた。

「別に良いよ。捨てなきゃお姫様が死ぬだけだよ。試してみるかい?」

そう言いながら、僅かに力を込めると、イレーヌが再び苦痛の呻きを上げる。
その声に思わず駆け付けようとして何とか思い留まると、ふと思い出して
視線を背後のクロエに向ける。その憎しみと殺意が業火のような宿る瞳に、
クロエはぞっとして後ずさりする。

「言うまでもないことだろうけど、お前がそこにいるクロエを殺した瞬間、お姫様の首が捩じ切れるし、
仮に虚を突き僕に向かって来たとしても、お前の剣が僕を斬り裂く前にお姫様の首が地面に転がる」
「……………………」
「これは単なる脅しじゃない。お前が馬鹿な真似をした時に起こる確実な未来だよ。
それを踏まえてよく考えると良いよ」

あ、でも10秒以内に捨てないと殺すけどね、と付け加えると、
イレーヌから私に構わないでと予想通りの言葉が飛ぶ。
よく考えろと言って、たった10秒だけとはどんな身勝手な話だと
スタンは暫しシンクを睨みつけていたが、やがて諦めたかのように
手にしていた剣を、サックを地面に無造作に放り投げた。

113エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-6:2016/09/26(月) 03:45:17 ID:L07qfzMo0

「スタン君………!」
「これで良いだろ?後はどうしたら良い?お前の好きな人でも解放してやればいいのか?」
「クロエは僕の味方だ」

スタンの言葉にシンクが間髪入れず返す。馬鹿を言うな。
こんな無鉄砲女の何処に惚れる要素がある?さっきのさつまいも男じゃあるまいし
女体にも興味は無い。無論別にソッチの意味じゃない。利用価値があるから
利用するだけで、仲間と思ったこともない。それが言葉となって口に出た。

「味方だから、仲間だから助ける。当たり前のことだろ?」
「ふーん…まあ良いけどね。それじゃあ、イレーヌさんと交換だ」

そう言ってスタンはクロエの髪を掴んで自分の前に立たせ、
どんと前に突き飛ばした。思いがけぬ事態と痛みに顔を顰め、
スタンを僅かに睨みつけたが、無手とはいえ仮に今ここで
斬りかかったとしても返り討ちに遭うだけだ。殺すなら
シンクと合流してからだ――そう心に決め、
クロエはゆっくりシンクの元に歩き始める。
それを暫く観察していたシンクだったが、仮にスタンが
行動を起こしても問題無いと判断した距離までクロエが
戻って来たのを見て、イレーヌを解放した。

「ほら、お姫様も行きなよ」

漸く拘束から解放されたイレーヌも
クロエ同様シンクをキッと睨みつけたが、今は急ぎスタンの元に
戻るべきだと思い直すと、スタンの元にゆっくり歩き始めた。

ザッ、ザッ、ザッ

クロエとイレーヌの距離が縮まり、イレーヌの緊張が強まる。
イレーヌを拘束した時点で、その手にあった武器もサックも
シンクが奪いその場に放り投げているが、クロエの手にはまだ
アトワイトがある。すれ違い様に斬りかかって来たら
回避は恐らく難しい。とにかくスタンがクロエから武器までは奪わなかった以上
今は此方が警戒するしかない。イレーヌはそっと全神経を集中させる。
一方のシンクも、クロエとイレーヌを視界に収めながら
スタンを警戒していた。今のクロエの精神状態だと、
その場でイレーヌを殺しにかかるかもしれない。それはそれで構わないのだが、
果たしてスタンがその点を考慮せずにクロエを解放するだろうか?
そこがどうにも腑に落ちない。武器やサックは全て捨てさせたが
全身くまなく調べた訳では無い以上、まだ武器を隠し持っている可能性が残っている。
次は一体どのように動くつもり――――!?

次の瞬間、事態が急変した。クロエとイレーヌがすれ違った直後、
クロエが突如振り向き、アトワイトを真横に一閃させようとしたのだ。
当然警戒していたイレーヌが即座に回避しようと真後ろに跳ぶ。
それとほぼ同時に、スタンが隠し持っていた苦無をクロエ目掛けて投げつけようとする。
ここまでは多少の差はあれ、シンクの想定内だった。想定外だったのは―――。

114エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-6:2016/09/26(月) 03:45:54 ID:L07qfzMo0


「AAAAALLLLLLLLLLLIIIIIIIIIICEEEEEEEECHAAAAAAAAAAAANNNN!」


悍ましい咆哮と共に、緑の化物―――デクスフィギュアが突如飛び掛かり、
その剛腕をクロエとイレーヌの両者目掛けて振り下ろそうとした事だった。
咄嗟の出来事に、身動きが取れない両者に、死刑宣告にも似た一撃が襲う。
そして、一瞬の間を置いて凄まじい轟音が辺りに轟いた。

「…あ……ああ……いや………」

雪上に倒れ込んだイレーヌから、絶望の声が漏れる。
ほんの先程まで自分が立っていた場所を、
デクスフィギュアが何度も何度も剛腕で叩きつけ、
その都度大地が抉れ、辺りに驟雨の如く飛び散る。

「止めて………お願い………」

ほんの半瞬の出来事ではあったが、イレーヌは理解していた。
デクスフィギュアの剛腕が自分に届く寸前、スタンが自分を突き飛ばして
その致命的な一撃を回避させてくれたことを。そしてその結果、
スタンがデクスフィギュアの一撃をまともに受けてしまったことを―――。

「―――――スタン君ッッ!!!!!」







「……大きくなりすぎるとなぁ……足元が……見えないんだ……こうやって、掬われるまでな」

大きくも無いのに、はっきりとしたその声は、轟音の中から不気味な程に耳に届く。
その次の瞬間――デクスフィギュアの両脚が突如両断された。







シンクはその状況をはっきりと視認していた。
デクスフィギュアがクロエとイレーヌ目掛けて飛び掛かった次の瞬間、
スタンは手にしていた苦無をデクスフィギュアに投げつけていた。
その速度、コントロール共に称賛に値するもので、デクスフィギュアの目に
見事に突き刺さっていた。だがデクスフィギュアがこの程度で止まる訳が無いのは
一目瞭然。故に苦無を投げた時には既にスタンは走り出していた。
一挙に加速し、距離を詰めたスタンは左拳をクロエの顔面目掛けて
容赦無く打ち抜き、クロエが口と鼻から血を撒き散らして宙を舞う。
それと同時に右腕を伸ばし、クロエからアトワイトを力付くで奪い取る。
この間1秒足らず―――次に左拳を広げると、即座にイレーヌの身体を
突き飛ばし、デクスフィギュアの攻撃範囲から逃れさせる。
迫り来るデクスフィギュアの剛腕――それをスタンはアトワイトで受け止めた。
無論一撃必殺の剛腕故に、スタンの身体が雪原に沈み、砂礫が舞うが、
それでも柔らかい雪原だったこと、デクスフィギュアの視力を奪ったのが幸いした。
何発かは受け止めざるを得なかったが、視界が無いままの闇雲の攻撃は
スタンに当たらず地面を叩くだけで終わっていたものも多かったのだ。
当たらなければ、スタンには十二分に反撃する機会があった。
そしてそれを実行に移した。只それだけだった。

デクスフィギュイアは苦悶の悲鳴を上げながらも、
再び闇雲に両腕を振り回したが、それをスタンは軽々と回避すると
一閃、二閃させて両腕を斬り落とす。完全に四肢を失い仰向けに倒れた
デクスフィギュアの首を斬り落とさんと剣を構えたが、ふとその胸元に
視線を落とし、何を思ったのか無造作に左腕をデクスフィギュアの胸に
突き刺した。めりめりと何かが剥がれる音、そして悲鳴―――。

115エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-8:2016/09/26(月) 03:47:26 ID:L07qfzMo0

雪を、砂を蹴る音は、その悲鳴に掻き消されていた。

気配を完全に断ち、距離を詰め、そして一気に加速し跳躍したシンク。
狙うは勿論スタン=エルロン。明らかに規格外の化物を圧倒し、
挙句アトワイトを奪われた時点で、最早脅威を通り越して
人の形をした兵器と化したと言っても過言では無かった。
この位置ならば確実に殺れる―――その読みは決して間違いでは無かった。
たった1つの誤算―――スタンがデクスフィギュアから剥ぎ取ったのは
エクスフィア。装着者――寄生者とでも言うべきか、その力を限界以上に
引き上げる無機生命体鉱物。勿論スタンは既にそれを装着しており、
本来ならばもう1つ装着しても変化は無い筈だった。そう、筈だったのだ。

――新たな対象を見つけ、その左の掌に即座に根を張るエクスフィア。

<英雄崩れ>として、新たにこの世界に降り立ったが故か、
守る為に過去を斬り捨てたが故か、或いは道化師の気まぐれ故か――。

――その左腕に熱く、そして激しく脈打つ巨大な力。
気を抜けば爆発し、その腕を喰らい尽くしかねない程に――。

「獅子―――」

首筋を狙った致命的な一撃を寸での所で回避し、
はち切れんばかりに膨れ上がった闘気をシンク目掛けて解き放つ――。

「―――戦吼ッ!!!」

全てを喰らい、暴れ狂う凶獅子の如き巨大な闘気が
シンクのガラ空きになった胴体を直撃し、そして恐ろしい速度で
瓦礫を撒き上げ、砕きながら彼方へと吹き飛ばした―――。







(ここ、は……俺…は、一体如何なったんだ…?確か……?)

意識を取り戻したデクスは、おぼろげな意識の中で記憶を辿ろうとした。
館でリヒターと大男と戦ってからの記憶が曖昧なのである。確か想像を絶する激痛の中で、
要の紋を捨て去り、その場から逃げて、その先で何かと戦って、それから―――。

「やあ、俺はスタン=エルロン。気分はどうだい?」

記憶が現在に辿りつくか否かの所で、一聞だけなら相手を気遣うような、
だが実際は死神からの死刑宣告のような明るい声がデクスの聴覚に届いた。
背筋を冷たい物が走り、デクスは咄嗟に逃げ出そうとした。

「まさかあんな化物の正体がお前だったとはなー…さすがに吃驚したぞ」

何やらもがき出した男をのんびり眺めながら、スタンは続ける。
勿論吃驚した等と言っておきながら、そんな素振りなど全く見せない。

「さて…これからお前を殺す訳だけど、その前に聞きたい事があるんだ」

さらに激しくもがくデクスだが、当然ながら逃げられない。
逃げようにも逃げる為の足が2本共無いのだ。
そして両手を使おうにも此方も肘から先が無い。

「以前会った時、お前誰かを探していたよな?確か…ワンダーランド…じゃ無かったな。ええと…」

尤も、仮に五体満足であったとしても、デクスフィギュアだった時に
デクスは既に致命傷を負っていた。それが解除された今、最早デクスに未来は無かった。
それでもデクスは僅かに残された命を絞り出すかのように身体を捩らせ、何とか逃れようとする。

「ジョニーでもデップでも無いし、ハートの女王でも無いし…えっと……あ、そうそう。アリスだ」

捨て去った過去の遺物の中に紛れた名前を、
試験問題に悩む学生のような表情で探していたスタンは、
漸く思い出してポンと手を叩くと、醜くもがくデクスの頭を
ガシッと掴んで静かに問い質した。

「お前、アリスって奴の何処ら辺を愛してる?」

116エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-9:2016/09/26(月) 03:48:04 ID:L07qfzMo0

以前邂逅した時にもスタンが訊ね、そしてデクスが答えられなかった質問。
それをスタンは再び口にした。

「そ…れは………」
「ん?あー、そういえば同じ事聞いたような…まあいっか」

スタンは頭をガシガシ掻くと、再びデクスに視線を落とした。
四肢を失った事で出血が激しいが、それでも意外としぶとく生きているのは
こいつの言う“愛”故なのか、それとも他に理由があるのか―――。

「き、決まってるじゃあないか…ぜ、全部だよッ…!」
「うん、それは確か前も聞いたな。もっと具体的に言ってくれよ。例えば何処ら辺?」
「……た……例えば、だな………………それは………………………その…………」

前回とまるで同じやり取り――だがやはり答えられない。
愛するきっかけとなった出来事も覚えている。命を捨てても守りたい存在でもある。
だが、その理由を答える事がどうしても出来ない。

「やっぱり答えられない、か」

スタンは溜息を吐くと、デクスの左目に突き刺さっていた苦無を
無造作に引き抜いた。思わぬ激痛にデクスから悲鳴が上がる。

「別にいいさ。俺だって具体的に言えって言われても答えられるか怪しいしな。
んで、お前はそのアリスとやらの為に殺し合いに乗って優勝するつもりだったのか?」
「そ……い、いや違うぞ青年…!俺はアリスちゃんを捜してここから一緒に脱しゅ」「嘘吐くなよ」

次の瞬間、スタンは苦無をデクスの右目に突き刺していた。
聞くに堪えない濁った悲鳴が迸る。

「アリスアリスアリスと馬鹿の一つ覚えみたいに連呼して、都合悪くなったら嘘ばかり塗り固めて逃げようとする」

苦無を持つ手をぐりりぐりりと捩じり回し、
その都度血飛沫が飛び散り共に悲鳴が大きくなる。

「お前の言葉はイミテーションガルドよりも安っぽくて軽いんだよ」

ずるり、と苦無が引き抜かれれると同時に、無残な眼球の残骸がゴボリと零れる。

「そんなお前がどれだけ愛を語ろうが、何一つ響いて来ない――いや、そもそもお前の“ソレは”」



「―――“愛”ですら無いんだよ」

何処かで、何かが音を立てて壊れた気がした―――。

117エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-10:2016/09/26(月) 03:48:53 ID:L07qfzMo0







「――――何で、泣いてるんだ?」

そう不思議そうに見つめる<英雄>の言葉に
スタンは五月蠅いと泣きながら喚いた。

「――分かってるんだよ、何となく…!これから…これからやろうとしてる事の結果が…!」

もう思い出せないけど、きっと大切な物だったことを。
凄腕のレンズハンターでさえも見つけられないような、
どんな宝石よりも煌めくかけがえのないものを――。
今ここで剣を振り下ろす事は、それらを全て完全に斬り捨て、
永遠に別れを告げるということを、スタンは何処かで理解していた。
否、スタンにほんの僅かに残された<英雄>の心が、理解させてしまった。
そう、一言で言えば―――――。

「だけど、だけど俺は―――――!!!!!」
「――どっちも、愛してるんだな」

そんなスタンに、<英雄>は静かに、だけどハッキリ言葉を紡ぐ。
思いがけぬ言葉にスタンは驚きを隠せずに<英雄>を見つめる。

「…俺だって、愛する事が、愛される事が、どんな物なのか、俺が…今まで生きてきて感じた範囲でしか
分からないから、多分きっと、上手くは言えないとは思う。けど、お前を見てて、ハッキリ分かった」
「………………?」

ふと周囲に映し出されるのは、今まさに外で行われている現実。
最愛の人の命を刈り取らんと、1人の剣士が牙を剥き、刃を振るう姿――。
勝敗の帰趨は誰がどう見ても明らかだった。

「今の“俺達”では、イレーヌさんを救えない。だけど、今なら間に合う―――」

外の現実が溶けるように消え去り、再び浮かぶのは大切な人達の笑顔――。
間も無く失われるであろう、それら1つ々々を愛しく、名残惜しそうに見つめ、想いながら―――。



「――だって、漸くお前は“自分自身”を愛する事が出来たんだから」

118エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-11:2016/09/26(月) 03:49:35 ID:L07qfzMo0







「う、うう、嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!! やめろ、やめろよ! そんなの違う! 俺は、俺はぁ……!!」
「嘘じゃない。やめない。違わない」

余りに非情な一言に、ポッカリ空いた両目の穴を忙しなく周囲に向け、
血を吐きながら喚くデクスに、僅かな憐みさえ込める事無くスタンは言葉を続ける。

「お前の愛は、“愛”じゃない」
「嘘だ!!これは…これは絶対、愛なんだ!だって、俺は、こんなにも、こんなにもアリスちゃんの事を―――」
「―――どれだけ想おうが関係無いよ。だってお前の想いってのは、中身を全く伴わないスカスカのガラクタなんだから」
「黙れ黙れ黙れ!!お、お前に俺の、俺の、俺の一体何が、分かるっていうんだ!!!」
「―――なら、お前はお前自身のことを分かってるってことだよな?だったら俺に説明してくれよ」

よくこんな死に掛けの態で大声が出せるなと、妙な感心を抱きつつ、
スタンは率直に浮かんだ疑問を投げかける。

「俺は、俺はアリスちゃ」「アリスの事以外で」

ほぼ予想通りの返答を途中で両断して、再び答えを促す。

「あ、アリスちゃんの事、以外で………?お、俺は……………お、れ、は…………………………?」

物心付いた時から、俺の生きる目的=アリスちゃんだけだった。
寝ても覚めてもアリスちゃん。僅かでもアリスちゃんの事が
頭から離れた事は只の一度も無い。どれだけ罵られようが、踏まれようが
叩かれようが冷たい目で射抜かれようが、この想いは永遠に変わることはない。
そう、それが俺なんだ!だから俺の愛は、アリスちゃんへの愛は本物なんだ!
…あれ?でも待てよ…もし―――――俺からアリスちゃんを取り除いたら、
俺に一体何が残る?だって、アリスちゃんは俺の全てだから、そんなことしたら―――――。

「――何も残らないだろ?つまりはそういうことだよ」

デクスの思考を読み取ったように、スタンは肩を竦めた。

「お前がお前自身の事を説明出来ないのは当たり前なんだ。だってお前自身の物が何1つ無いんだから」
「そ、そんな、ことは―――」
「自分を愛せるから、人を愛せる。人を愛せるから、自分を愛せる。だから、人は成長できるし、強くなれる」

先刻までのスタン=エルロンとデクスは似ていた。自分自身を置き去りにして、只々愛を求めていた。
自分自身と乖離した言葉から、嘗ての言葉の重みも、想いが消えていったのは必然の流れだった。
少し前にイレーヌが一時とはいえスタンを見捨てたのは当然の成り行きと言えた。

「俺は“俺自身”と向き合った。捨てた物も重みも、大切さも、全て々々理解して、漸く愛することが出来た。そして――――」

119エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-12:2016/09/26(月) 03:50:07 ID:L07qfzMo0



「愛して、守り抜く為に“殺した”」

静かだけど、何よりも強く、揺るぎない凄烈なスタンの言葉に、
デクスの中で信じていた物が、スタンの覚悟に堪えかねたように
音を立ててゆっくりと崩れ始める。
似ているようで、決して相容れない、届かない決定的な違い――。
それはデクスを打ちのめすのに充分過ぎた。そんなデクスに対して、
まあついさっきまでの俺も俺自身の事がよく分かって無かったから
余り偉そうなことは言えないんだけどな、と、スタンは頭を軽くかきながら
苦笑を零したが、最早言葉はデクスに碌に届いていなかった。

「大体、自分で勝手に捨てておいて、実は大切だったなんて変な話だよな。しかもそれを漸く理解出来たのは
殺す直前だったしな。でも―――」

笑いを収めると、イレーヌに視線を移し、すっと深呼吸する。
どうしても伝えたい、伝えなければならない、とても大切な事を伝える為に―――。

「イレーヌさん、今の俺は、きっと貴女の知る昔の俺ではないです」

望まれなくても、愛されなくても構わない――。

「でも俺はこの先、何があってもこの想いが変わる事は無いです」

“俺自身”を犠牲にしてでも、ここに愛し、守り抜きたいかけがえのない人がいるのだから―――。

「―――イレーヌさん、俺は貴女の事を誰よりも愛しています」







殺し合いの場に似つかわしく無い愛の空気やら、
抱擁し合う男女の仲睦ましい姿も、今のデクスには見えないし
見えてたとしても恐らく何一つ響かない。愛なら負けないと、
ずっと思って来た。愛されなくても、永遠に貫き通せると思っていた。
だけど、今まで自分が愛だと思っていた物は―――。

「―――お前の愛は、“愛”じゃない、只の“依存”だ」

何時の間にかイレーヌから離れ、こちらにやって来たのか、
スタンは、デクスの傍に立っていた。そして再び浴びせられる
事実に、大事な物だと信じていた物が黒く塗り潰されていく。
それでも、何とか抗おうと、僅かに遺された意思を奮い立たせる。

「違う…俺は、俺は、アリスちゃんを愛してる…誰にも、俺の愛は負けない…!」
「勝ち負けの問題じゃないよ。第一、愛なんて比べるものでもないし、そもそも愛し方だって人それぞれだろうし」

でもな、とスタンは言葉を続ける。一聞すれば言い聞かせるように、
だけど真実はその心を完全に挫き、潰し、絶望させる為に―――。

「お前は自分の事すら分からないし、大切な物が何かすら分からない。だから当然アリスって奴の事も分からない。
当然だろ?自分の事が分かって無いのに他人の事が理解出来る訳が無い」

――そう、さっきまでの自分のように。イレーヌの事を理解しようとして、
その実自分自身の価値観を押し付けていた、身勝手な自分のように。

「だから、戦いの腕は幾らでも磨けても、何時まで経ってもお前の心は成長しない。だから覚悟の1つも出来ない」

過去の愚かな自分をデクスに重ねて、その意思を完全に塗り潰していく。

「だからお前は縋り続けるんだ。中身を伴わないお前の存在を認めて貰いたいが為に、在りもしない愛を叫んでるんだ」
「ち、違う………そ、そんな筈が………だって、お、俺は…………………」

欠片も遺さない――希望も遺さない――。

「―――お前は結局、何がしたかったんだ?」
「俺、は………」

絶望の暗闇の中で、デクスは在りもしない手を伸ばそうとする。
何かを探すかのように、助けを求めるかのように。
だけど、もう何も届く事は無い。何故なら―――。

「俺は、ただ、アリスちゃんを、」

その後に続く言葉は一切無かった。
完全にデクスの表情から生気が、そして希望が喪われたのだから。
最早デクスを支えていたいびつで紛い物の愛で塗り固められた虚像は
何も遺されていない。何一つその心を、身体を奮い立たせるものも、
中身を伴わなくとも叫ぶ事が出来た紛い物すらそこには無い。

「…最期に言っておいてやるよ。壱萬歩譲ってお前の“ソレ”が愛と言うなら―――」

スタンはゆっくりと剣を振り上げた。そして―――――。



「お前の愛は薄いよ」

ついに、刑は執行された―――。

120エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-13:2016/09/26(月) 03:50:41 ID:L07qfzMo0







「うっ…ううっ………」

一体何が起きた?クロエはまだ何も見えぬ視界の中、
口と鼻の強い痛み、そして広がる鉄錆の味に眉をしかめながら
ゆっくりと瞼を開けた。確か、変態芋男に襲われて、塔が崩れて、そして―――。

「やあ、おはよう。いい天気だね。君を殺しに来たよ」

ゆっくり身体を起こそうとしたクロエに対して、
恐らく未だかつて無い程の最悪のモーニングコールと共に、
金髪のボサボサ頭の青年の、溢れんばかりの笑顔が至近距離に現れる。
余りの出来事にクロエは跳び上がり、後ずさりする。

「あ、この首いる? お土産だけど」

そう言って突き出されたのは、両目を抉られた男の首―――。
まだ斬首したばかりなのか、真っ赤な血が滝のように滴り落ちている。
余りに非現実且つ残酷な光景に、クロエは一挙に恐怖に駆られた。
だが手に剣の感覚が無い。何処にいったかと慌てて探るが――。

「探し物ってこれかい?」

――既に希望は踏み躙られた後だった。
ひぃっと情けない声が漏れ、クロエは必死に
両手を動かしてスタンから離れようとする。

「何処かで見た事がある剣なんだけど…もう忘れちまったな。でも、まあいいや」

そう言い、剣を一振りすると、クロエの手と足が凍りつき、
途端クロエの身動きが取れなくなる。

「覚えて無くても、お前をこうして捕えて殺すやり方は覚えているから」

そう言い、ゆっくりとクロエに近づく。
逃げも隠れも出来なくなった絶望的な状況に、
クロエの身体が震え、目が潤み始める。

「い、やだ…こ、来ないでくれ…頼、む…」
「…あれだけ俺達の事殺そうとしておいて、今更命乞いか?それってどうなんだ?」

クロエの醜態にスタンは呆れ顔になり、イレーヌに
共感を求めるように視線を移して肩を竦める。

「結局この子もあの変態さんと同じで、覚悟出来て無かったのよ、きっと」

まあだからと言って見過ごすわけにはいかないけど、と
苦笑交じりに話すイレーヌに、ですよねと笑い掛けると
スタンは剣をクロエに突きつけた。

「だ、そうだ。だから悪いけど諦めてくれ」
「ぁ………あああ……い、や……いや……だ………」

一聞には殺意の“さ”の字も感じない程軽く、
だけど絶対に殺すという死刑宣告に、とうとうクロエの恐怖と絶望は
限界に達した。恐怖の余りクロエから涙が溢れ、涎も垂れ、下半身も
完全に濡れて雪が溶け始めていた。

「言い残す事…は、その様子じゃ無さそうだな。それじゃ、これでお別れだ―――」

クロエの醜態に僅かに憐みを覚えつつ、
スタンは先程のデクスと同じように首を斬り落とさんと剣光を煌めかせた。
僅かな慈悲も掛けぬ容赦の無い一閃―――だが。





「―――止めて!」
『―――止めろ、スタン!』

突如響き渡った制止の声に、スタンの剣がクロエの首に届く寸での所で止まり、
その表情に僅かながらの苛立ちが浮かぶ。そしてゆっくりと振り返った。

視線の先に立つのは、英雄を目指す聖女と、英雄が嘗て愛用した炎剣―――。

121エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-14:2016/09/26(月) 03:51:17 ID:L07qfzMo0







(――皮肉、だな…全て、もう、終わった、矢先に、お前と、再会出来るなんて)


闇の中の、真っ赤な海に広がる波紋


(なあ、今の“俺”を見て、お前は、どう、思う?)


静かに、静かに広がる


(俺は、もう――――だから)


さざ波にも及ばない、とても小さな、小さな波


(罵っても、軽蔑しても、構わない。ただ、もし、叶うならば)


祈りにも似た、消え入るような想いを乗せ


(どうか“俺”を―――――)


僅かに遺された<英雄>の断片は、静かに――――――――。







「…チッ、やってくれたね…あの、死に損ないが…」

スタン達から数百メートル程離れた瓦礫の奥から
全身に走る痛みを堪えながら身体を起こしたシンクは
忌々しげに呟いた。折れてはいないだろうが、恐らく至る所で
罅は入っただろう。皮膚も至る所で大きく擦り剥いている。
全てが後手々々に回った挙句、採った手段は全て目論見が外れたのは
余りに大きな失態だった。未だ戦えるにしても、今すぐ戻って
クロエの救援に間に合う可能性は限りなく低い。
無論、通常なら即死してたかもしれない一撃を咄嗟に防御壁を展開した結果、
この程度の傷で済んだのは不幸中の幸いではあったが、やはり駒を失ったのは痛い。

(恐らく手遅れだろうが、念のため戻って―――ん?)

立ち上がろうとして手を瓦礫の上に置こうとした時、
ふと冷たい感触を覚え視線を向ける。そして見つけてしまった。

(…なんだ、こんな所で燃え尽きてたのか)

元同僚ではあったが、シンクに特に感慨は無い。
物騒な肩書はあれど、実体はあのルーク達と同じくお人好しの
聖なる焔の燃えカス――アッシュ。血に染まり、体温を失ったその身体に
既に命の息吹は欠片も残っていない。シンクは鼻で嗤った。

(まあ、生き急ぐ馬鹿が長生き出来るとは思わなかったけど、随分不様な最期だね)

どうせ余計な事に囚われ、塔の崩落よりも早く命を落としたのだろう。
そう結論付け、軽く周囲を見渡しアッシュの手荷物を探したが
見つかりそうになかったので、瓦礫に埋もれた遺体を放置して歩き始める。
漸く瓦礫の雨は落ち着きつつあったが、ほんの僅かな衝撃で再び
崩れかかった外壁が降り注がないとは限らないし、仮に危険が無くとも
壊れた玩具に最早興味は無かった。

だが結論から言えば、興味が無くとも遺体を少しでも調べておけば、
たとえ何も得られなくとも、少なくともこの場での、シンクにとって
不利な状況での邂逅は防げたであろう。

「―――シンク!」

数十メートル程歩いた所で突如背後から響く自分を呼ぶ声。
シンクは内心舌打ちした。振り返るまでも無く理解出来た。
今この状況下で出会いたくは無かった、その声の主は――――。

122名無しさん:2016/09/26(月) 03:52:16 ID:L07qfzMo0
投下終了です。なるべくプロローグには合わせましたが…
確認して頂けると幸いです。

123名無しさん:2016/09/26(月) 20:24:41 ID:E6F7u6So0
あと書き忘れましたが、今回のエンドロールは流れないは第三章の位置付けになります。
お時間ある時に確認して頂けると助かります

124名無しさん:2016/10/01(土) 00:58:46 ID:etTvsJvE0
114 :エンドロールは流れない -希望が災厄になる瞬間-6:2016/09/26(月) 03:45:54 ID:L07qfzMo0

「……大きくなりすぎるとなぁ……足元が……見えないんだ……こうやって、掬われるまでな」

既に使用されていたフレーズだったので、以下に訂正します

「―――もう充分だ。そろそろ終わりにしよう」

あと、その下のデクスフィギュアがデクスフィギュイアになってたので
そちらも変更お願い致します。

125名無しさん:2016/11/01(火) 20:09:25 ID:B7VKotUA0
短いですが投下します

126落丁─或青年之悪夢─ 1:2016/11/01(火) 20:10:43 ID:B7VKotUA0
いらっしゃいませ、ようこそ。当店へお越し下さり、まことに有り難うございます。
このような場所へ来るのは初めてですかな? …ああ、やはり初めてでいらっしゃいましたか。
いえ、わたくしはこの通りの老いぼれでございますれば…最近、お客様のお顔とお名前を覚える事が些か不得手になりましてな。
何か粗相をしてしまわないかと気を付けるべきことが増えたものですから。
……と、ついつい話が長くなってしまいましたな。この老いぼれの悪いクセ、どうかご容赦下さいませ。
初のご来店とあらば、当店が何を扱っているかのご案内をさせていただいても? …有り難うございます。

元来、人は様々なモノを『箱』に入れてきました。
金など即物的なモノを。お気に入りの洋服などの身につけるモノを。
「愛する者から貰った」といった、人の想いがつまったモノを。
己の思い出に関わる、他人からすれば何気ないようなモノを。
時には想いそのものを。時には思い出そのものを。

わたくし共はお客様の様々なニーズに合わせて箱を“作り”、箱同士を“繋ぐ”のが仕事。
そうそう、お客様からお預かりした箱を“管理”する事も行っておりますよ。
尤もこちらは「想い」と「思い出」の箱のみ、他人に“閲覧”されても構わないという確約を頂いたものに限らせて頂いておりますが…。
それでは如何なさいますか? 箱をお作りに? それともお繋ぎに? はたまた…
……まずはどのようなものなのかを見てみたい…成る程、閲覧をご希望ですな。
どうぞどうぞ、お代はいりません。当店では選りすぐりの箱を取りそろえておりますよ。

ほう、その黒い箱に惹かれましたかな? それは……いえ、真に申し訳無いのですが…その箱は未だ『鍵』と出会っておりませんで開く事が…
……なんと。貴方さまこそがこの箱の鍵でいらっしゃいましたか、これも何かの縁なのでしょうな。

127落丁─或青年之悪夢─ 2:2016/11/01(火) 20:15:52 ID:B7VKotUA0
箱を作った記憶はない? 確かに、貴方さまがこちらへいらっしゃったのは今回が初めて。
…ふむ、これはあまり知られていないのですが、箱の作り主が鍵だとは限らないのでございます。
むしろ、『鍵』付きの箱はその鍵の持ち主以外によって作り出される事が多いのです。
さあ、覗いてご覧なさい。その箱は間違いなく、貴方さまをお待ちしていたのですから。

…おや、どうなされましたか? お顔の色がだいぶ優れないご様子。失礼ながら、わたくしめも覗いて宜しいですかな?


これは…運命の糸を紡ぐあの御方も酷な事をなさるものだ……。
どうりで近頃、急に管理する箱の量が…おっと、失礼いたしました。平にご容赦を。
…お客様、これからわたくしが話す事をよくお聞き下さいませ。
この箱に納められていたモノは、今ここにいる貴方さまご自身の■■ではございません。しかし、これは確かに“貴方さまの■■”なのでございます。
ふむ、どう説明したら宜しいのでしょうか…そうですね、この世界をひとつの大樹に例えて説明致しましょうか。
まず、大樹の根と幹をこの世界の『存在』といたします。そして無数の枝葉ひとつひとつが『“今でなくここでもない”同じ世界』。
…成る程、これに関してはお心当たりがございましたか。
それならば貴方さまは既に理解していらっしゃるはず…たとえ認める事ができずとも。
『狂気に陥り、幻想の己自身と争った末に死んだ貴方』も。
『幻想の果てに己を見いだし、善の心を以て悪と化した貴方』も。
『志半ばにして死んでいった貴方』も。
紛れもなく、貴方さまご自身なのでございます………


  ……■■■・■■■■■様。





例エ頁ガ抜ケテイテモ、物語ソノモノヲ読ム事ハ出来ル。

……歴史ダッテ、ソウダロウ?

128名無しさん:2016/11/01(火) 20:18:13 ID:B7VKotUA0
以上、投下終了です

129名無しさん:2016/11/30(水) 01:24:10 ID:tlYwzgK20
投下します

130エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 1:2016/11/30(水) 01:27:13 ID:tlYwzgK20
エンドロールは流れない【第三章・愛をその手に】 -Meaning of Birth-





その時、閃光と共に僕の世界は色と音を失った―――。






(何が…起きた………?此処は………何処だ………?)

今自分が何処にいて、何をしている――否、何をしていたか
キール=ツァイベルには理解出来なかった。
思考の歯車が完全に動きを止めてしまい、身体も全く動かない。
視界に入る物も全てガラスのようなレンズに写すだけで、
思考に何一つ結びつかない。

(―――――そうだ、僕は)

だが、世界に少しずつ色と音が戻り始めると、
思考の歯車がカチリカチリと動きを再開し始める。
同時に漸く身体が動き、上半身をゆっくりと起こす。
その時前方からロイド=アーヴィングが駆け寄って来て
何か言葉を発したが上手く聞き取れない。
再度問おうとしてキールは視界に映る物に違和感を覚えた。
雪原に大きく穿たれた破壊の痕、崩れ落ちる塔、驟雨の如く
隕石の如く降り注ぐ無数の瓦礫―――。

カチカチカチと遅れを取り戻さんと凄まじい速度で回り始める思考の歯車が
その直前に起こった事象を脳内で再生させる。
南西より放たれた巨大な晶霊エネルギー。絶対見間違う筈が無い。



「晶霊砲だと!? 馬鹿な、一体誰が!」






「しょう、れい、ほう………?」

突然の強大なエネルギーの直撃こそは免れたが、
その余波の衝撃波に為す術なく刎ね飛ばされた一同の中で、
即座に態勢を立て直したロイドは、すぐさま仲間の安否を確かめに回っていた。
各々多少は傷を負ってはいたもの無事を告げる声が上がる中、
唯一倒れたままで返答が無かったキールがこうして無事だった事に
安堵しつつも、その焦燥の混じった声に首を傾げた。
ロイドにとって聞き覚えの無い言葉。一体それは何なのか?
キールに問い質そうとした時、突如余所から
取り乱した声と制止しようとする声が響き渡った。

「チャット落ち着いて!」
『落ち着くんだチャット!』
「離して下さい!アッシュさんがッ!アッシュさんがぁッ!」

リアラがチャットの細い身体を両手を使って抱えるように抑え込もうとしてるが、
それを今にも振り解かん勢いでチャットが涙を浮かべながら大声を上げ、塔に向かおうとしていた。
当然リアラとディムロスの制止の声など耳に届いている気配は無い。
慌ててロイドもチャットを止めるべく駆け出す。

「チャット!」
「離してッ!離して下さいッ!!!」
「―――チャット!!!」
「……―――ッ!!」

今までに無く強く、力のある言葉に
チャットがビクリと肩を震わせ、その動きを止めたのを見て
ロイドは軽く息を吐くと、敢えて笑顔を作った。

「――まだあの塔の中にアッシュがいると決まった訳じゃないだろ?」
「…ッ、だ、だけど、もしあの塔の中に―――」
「――大丈夫だ。アッシュはきっと無事だ。だから落ち着いて、今から一緒に探しに行こうぜ」

な?と、ロイドの言葉に漸くチャットが落ち着いたように
無言でコクリと頷くチャットを見て、リアラもディムロスも安堵した。
成り行きを見守っていたリフィルもクレメンテも同様だった。

「――とにかく急ごう。アッシュ達を探しに」

ロイドの言葉にリフィル、リアラ、チャットは頷くと、
崩れ落ちた塔に向かって駆け出して行った。

131エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 2:2016/11/30(水) 01:27:57 ID:tlYwzgK20

(何の目的で?塔の破壊?それとも他に理由が―――?)
「キール!何してるんだ!?」
「あ、ああ…すまない。今すぐ行く」

1人晶霊砲が放たれた方角を睨みつけるように見ていたキールを呼ぶロイドの声に
キールは頭を振るとロイド達の後を追い掛け始める。今考えるべきはそこでは無い。
先ずはロイド達の言う様に、アッシュ達の安否を確かめるのが先決―――。

(もし他に理由があるなら何だ?そもそもどうやってあの砲撃を?)

それでもキールの思考から、どうしてもその疑問が抜けない。
走るのは正直キツイ。この中ではどう考えても
体力と筋肉(それでも一般人よりはあるぞ!)不足で、
しかもここは砂漠の上の雪原。足が取られ易く本当息が切れやすい。
おまけに崩落した塔によって巻き上げられた砂礫の嵐が
視界を遮り、口の中に入って咳き込みそうになり本当不愉快極まりない。
さすがに塔の崩落そのものは落ち着いてきているお陰で
空からの落下物を気にしなくて済むのは幸いではあるのだが。

(話によるとバンエルティア号からは動力が抜かれていた。ならばまず動力の確保が必要)

それでもキールは必死に思考の歯車を回転させる。
その理由が分かれば、この後の行動も変わって来るからだ。

(動力を確保した上で、あの艦の構造を知っておく必要がある)(双方の知識がある者)
(自分が知り得る中で可能性が高いのはフォッグ。チャットと同じ世界で、艦についても知識が)
(だが待て)(確かにフォッグは無茶苦茶な男ではあったが、戦況や状況が読めない男では無い)
(幾ら何でもここまで非情且つ思慮の浅い行動が取れるか)(可能性は低い)

瓦礫の海と化した塔の周辺は酷い有様だ。
死体こそ未だ見当たらないが、燃え盛る炎、上がる黒煙、城のように
巨大な塔の一部が時折轟音と共に崩れ、僕達の行く手を阻む。
地獄のような光景とはこういう事を言うのだろうか。

(次はレイス。だがレイスはインフェリアンだ)(待て、レイスは単身僕らを追ってセレスティアに来た)
(バリル城で再会するまでに、僅かな時間でもセレスティアの文明に触れる機会はあった)
(ならば艦の構造を理解していても不思議では無い)(だが動機は何だ?)

それでもロイド達の足は止まらない。キールとの距離も離れ始めている。
…僕にしてはかなり頑張って走った方では無いか?常人ならとっくに置き去りにされても可笑しく無い。

(塔の破壊が目的で無ければ、誰かを斃す為に狙った?)
(勿論ゲームに乗った人間の可能性もあるが)(もしレイスが発射したならば)
(無差別な殺戮が目的とは考えにくい)(そもそも戦いになればレイス自らの手で討ちに行く筈)
(それでも撃った――ならば相手はレイス以上の格上)(そしてレイスが晶霊砲を使ってまで討たねばならない相手――)

だがもう限界だ。少し休ませてくれとそう声に出そうとした瞬間、
キールの脳内で思考の歯車が1つの結論を導き出し、再び視線を南西に向けさせる。
状況もまだ把握しきれず、まだ生き残りの者達の情報だって全然足りていない。
だが、もしこれが正しければ、南西の方角には―――――。

「――シンク!」

その時、突如前方でロイドの声が響き渡る。
息を切らしながらも、視線を向けた先にいたのは
キールが最も警戒する敵の1人、烈風のシンク―――。
ロイドの声に振り向いたシンクはほんの一瞬驚いたような表情を見せたが―――。



「――へえ、まさかあの状況から立ち直れるとはね。褒めてあげるよ」



悪意と敵意を全面に押し出したような冷やかな笑み―――。
セルシウスの冷気も及ばないかという位の冷酷な表情に、僕は思わず身構える。
他の面子も同様に戦闘態勢を整える。

「シンク………ッ!………やっぱり………」
「やっぱり?やっぱり信用出来なかった?」

唯一ロイドだけは身構える事無く、何処か縋るような、
祈るような声音で言葉を紡ぐ。だが―――。

「正解だね、ロイド。僕もお前なんか信じて無かったよ」


その僅かな希望は儚くも無残に打ち砕かれた―――。

132エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 3:2016/11/30(水) 01:29:26 ID:tlYwzgK20


正直言って、状況は最悪だ―――。
冷静を装いつつも、シンクは内心激しく憤っていた。
悉く事態は悪化していき、この時の為に仕立て上げた駒を
失った直後の最悪なタイミングでの再会。ロイドだけならば兎も角、
あのリアラまでいたのではどう考えても自分の行為がバレたと思わねばなるまい。

「…意外ね。もう少し偽りの仮面を被り続けるか、或いはもう少し動揺するかと思ったけど」
「俺は悪くねえ!…って慌てふためく姿でもお望みだったかな?それは申し訳ないことしたね」

銀髪の女の挑発にも似た言葉を軽く流しつつ、シンクは欠片も申し訳無さを込めずに返す。
この女は後ろにいるガキと男の術師同様見た事の無い奴ではあったが、
自分を見る目を見るだけで、大よその事態は分かる。勿論リアラとディムロスからの
証言もあったのは間違いないだろうが―――。

「大方死霊使いか赤髪辺りから僕の話を聞いていたんだろ?ならこれ以上仮面を被り続ける必要は無いね」

赤髪って、まさかアッシュさん?とガキが言ったのを男の術師が咎めているが
今は置いておく。とにかく僕が言ったように、恐らく元の世界での正体がバレているのが
此処ではかなり問題だ。事実、僕にこれ以上余計な策を弄されまいとしてか、
今すぐにでも戦いとなりそうな一触触発の雰囲気。確かに連戦続きの状況下で
この人数と戦えば間違い無く此方が敗北となるだろう。勿論ロイドが嘗て言った通りならば
殺される事はないだろうが、戦闘不能にはさせられてしまうだろうし、
下手するとロイドの意思を無視して周りが僕を殺す可能性もあるだろう。
何れにせよここまで振り回された挙句そんな結末を迎えるのは御免だ。

(さて、どうしたものかな)

万一即座に戦闘となったとしても良いように、一見には無抵抗のように、
だけどどんな攻撃にも対応出来るような態勢を取りつつ、一同を見渡す。
無論この間の思考は、嘗てノーマを殺害した時と同じ――否、それ以上の速度で状況打破の術を模索していた。
ロイドとリアラ、ディムロスに、ガキ1人と術師2人、それとあの剣…ディムロスやアトワイト同様に
意思を持つ剣――ソーディアンか?仮にそうだと仮定すると、戦力的にもかなり面倒だ。
戦いが始まる前に、何としても戦力を削らねばならない。その為にまず最初に穿つ楔は―――。
思考の歯車が、シンクの中で1つの解を導き出す。策戦―――開始。

133エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 4:2016/11/30(水) 01:30:12 ID:tlYwzgK20

「―――で、お姫様との連絡は無事についたのかい?ディムロス」
『―――ッ!?』

思いも掛けぬシンクの言葉に、ディムロスはコアクリスタル内で息を呑んだ。
無論此処からではディムロスの状況なんて分かる筈も無い。だが、この手は既に二度目。
しかも先刻のアトワイトとのやり取りで、十二分に状況の予想が付く。
そしてディムロスの表情は分からなくとも、その現マスターの表情を
見ればある程度は分かる。果たしてシンクの読みは的中した。

「アンタ達がロイド達の傍を離れた後、アトワイトもお前と同じ事をしようと必死になっていたけど…
見ていて実に不様で滑稽だったね。とっくの昔に僕の手で踊らされている事に気付かずに、ね」
「あなた、一体アトワイトさんに何をしたの!?」

表情を強張らせ、不安を必死に抑え込みながら声を上げるリアラを見て
シンクは内心ほくそ笑む。矢張り予想通り。さすがにアトワイトのような愚を
ディムロスは犯そうとはしないが、リアラの表情を見れば丸分かりだ。

「僕の手にかかり眠りについたよ。二度と覚める事の無い眠りに、ね」
「そんな………!?」
『貴様―――ッ!!』

此方の言葉に、リアラが蒼褪め、ディムロスから怒りの声が上がる。
思い通りに事が動き始めた――そう確信し、シンクはさらに言葉を続ける。
後は、何処で次のカードを切るべきか。

「くくくく…残念だったねディムロス。アンタが御執心のお姫様はもう起きないよ」
「お前…!アトワイトを何処にやった!?それにクロエはどうした!?」
「クロエ?――――ああ、あの馬鹿女なら」

ディムロスではなくロイドの怒声が飛んできたが、
誰であっても構わない。その言葉に対して返す言葉はこれだ。

「今頃この近辺で参加者を殺しまわってるだろうねェ…アトワイトを使って、ね」
「なっ…!?馬鹿を言うな!クロエがそんな事する訳無いだろ!!」
「そう思うなら見に行って来ればいいさ。あ、でももう駄目かな?」

本当ならばもう少しコイツを揺さぶってやっても良いが、
今はその時じゃ無い。まずはリアラ、ディムロス――お前達に退場頂こうかな。

「さっきスタン=エルロンとイレーヌ=レンブラントに出くわしたからね。さすがにもう殺されているだろうね」

その言葉に、リアラの表情がさらに愕然となる。ディムロスから出鱈目を言うなと
怒声が飛んだが、その声音から十二分に動揺が伺える。シンクは内心の喜悦を抑えつつ
ある方向を指差した。

「嘘かどうか、向こうに行って確かめてくれば良い―――アンタなら判るだろ、ロイド?」

男の術師が騙されるなとか何か喚いているが、あの様子では聞く耳持たないだろう。
それに此方は嘘は吐いていないし、吐く必要も無い。今のロイドならばそれが分かる筈だ。
現にリアラが縋るようにロイドを見つめていて、それに対してロイドが何かを小声で話している。
無論聞こえはしないが大体予想は付く。まあさすがにあの距離ではクロエ達の会話までは聞こえないだろうが、
悲鳴や戦闘音ならば十分聞こえる筈だ。そしてあのお人好しが今の状況下でこの場に留まるよう言う筈が無い。

「―――リアラ、ディムロス。2人はクロエの元に行ってくれ」
「ロイド!?」
「待て!それではあいつの思惑通り―――」

…ほら、予想通り。ロイドの言葉に術師達が何か反論しているが、
最早離脱は確定。何よりリアラは勿論、ディムロスまでもが
この場での戦闘どころでは無い状態だ。それはそうだろう。スタンの本来のパートナーならば
口で何を言おうが放置出来る筈も無い。本当単純な奴らだと、シンクは密かに嘲笑した。

「――ゴメンなさい、ロイド!クロエを助けてスタンさん達を止めたらすぐ戻るから!」
『――すまぬ!我らが戻るまでどうか頼む!』
「心配するな!こっちは俺達で何とかするからさ。だから―――そっちは頼んだぜ!」

此方を警戒しながら、クロエとスタン達がいる方角へ駆け出すリアラとディムロスを
見送るロイドを冷たく見据えながら次に切るカードを考える。とは言っても次は難しく無い。
既に馬鹿がヒントを口走ってくれたのだから――。

134エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 5:2016/11/30(水) 01:30:52 ID:tlYwzgK20


アッシュさんは無事だろうか?そればかりが今のボクの頭を占めている。
ロイドさんは無事だと言ってくれたけど、凄く胸騒ぎがして仕方が無い。
リアラさんとディムロスさんがクロエさんの所に行く所を見た時、
大丈夫だろうかという不安よりも、自分もこのままアッシュさんを
探しに行けたらという思いの方が強かった。今目の前にいるシンクという人が
危険なのは分かってはいるが、今こうしている間に、もしアッシュさんに何かあったら―――。

「――嗚呼、そういえばそこのガキ。さっきアッシュが如何とか言ってたけど…知り合いか何かかな?」
「え―――あ、え、その――」
「――黙れ。これ以上お前と話す事は無い」

本来ならボクはガキじゃありませんとか言っている所なのに、
言葉が上手く出て来ない。そんな自分をフォローするかのように
キールさんが何か言ってくれたが、それすらもロクに耳に入って来ない。

「そう言うなよ。実はさっき偶然アイツを見かけたんだ。良ければ教え――」

突如風の刃がシンク目掛けて襲い掛かり、シンクがステップして回避する。
思いも掛けぬ光景に他の皆さんは勿論、ボクもさすがに驚きを隠せなかった。
シンクも僅かに驚きの表情を浮かべたが、ややあって苦笑しながら肩を竦めた。

「――酷いなぁ。人が親切で教えてあげようとしてるのに。知りたくないのかな?アイツの居場所をさ」
「だま――」
「知ってるんですか!?アッシュさんの事!?」

隣でキールさんの罵声が飛んだが、ボクは構わず続ける。
そんなボクに対して、シンクは笑みを浮かべながら、ある方向を指差した。

「勿論だよ。アッシュなら、あっちの方向にいたよ」
「あっち――」
「――騙されるな!あいつがどれほど危険か分かってるだろ!?」

つい信じ掛けたボクに対して飛んだキールさんの怒声に、
僅かながらボクの中の警戒心が戻るが、次の言葉に一気に霧散した。

「――ただ、瓦礫の下敷きになっていてね。早く手当てしないと助からないだろうね」

その言葉に、ボクの全身の血が一気に冷え切るような感覚に襲われる。
キールさんが何かを叫んでいるが、最早耳に届かなかった。

「嘘と思うなら別に信じなくてもいいよ。僕にとってはどちらでも構わない――選ぶのはお前だよ」

首が爆ぜ飛んだリッドさん、ボクを庇って瓦礫の下敷きとなったアニーさん、ボクが撃ち殺したウッドロウさん、
地面に無残に横たわるアリエッタさんとジェイドさん―――5人の死に様が鮮明に脳内で再生される。
次いでアッシュさんが背中を斬られ、鮮血が吹き出す光景――あの時の地獄を、絶望を、またしても繰り返す――?
今度は、今度はアッシュさんが?アッシュさんが――アッシュさんが――アッシュさんが―――――――。



気付いた時は、ボクの足はシンクが指差した方角に駆け出していた。

135エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 6:2016/11/30(水) 01:31:26 ID:tlYwzgK20


「おい待てチャット!」
「くっ……キール!」
「分かってる!くそっ…!何でこんな事に―――――!?」

突如走り出したチャットに対して、俺はすぐキールに追う様に言おうとしたが、
直ぐに意図を察してキールがチャットを追い掛けて行った。
シンクの真偽は何れであれ、このまま単身危険な場所に向かわせる訳にはいかない。
とにかく2人でアッシュを―――。

「――見つけ出して戻って来る…なんて期待しているかもしれないけど無駄だよ…もうアイツは死んでるしね」
「なっ………!?まさか、お前が………!?」
「だとしたら如何する?」
「お前………ッ!!!」
「―――落ち着きなさい、ロイド」

心境を見透かされた挙句、冷笑と共に突きつけられた冷徹な事実に
俺は思わず血が上りかけたが、先生の言葉に我に返る。

「先生………」
「シンクは挑発してあなたから冷静な判断を奪おうとしている。相手のペースに乗せられては駄目よ」
『リフィルの言う通りじゃ。数の有利はかなり失われてしもうたが、冷静に対処すればまだ十分此方に勝機はある。真偽はどうあれ落ち着くんじゃ』

先生とクレメンテの言葉に、コクリと頷くと軽く深呼吸する。
当初の作戦では、アトワイトと交信しつつ状況を判断し、シンクと出会ったら
即座に抵抗出来ないよう戦闘不能にする―――そのつもりだったのに
気付けば今傍にいるのは先生とクレメンテだけ。それだけシンクの方が
上手だったというべきだが、全く慰めにもならないのは言うまでも無い。
とにかく2人の言う通り、今は気持ちを落ち着かせて―――。

「う…お“ぉぅ………」

その時、突如視界の端に映った影と、濁った声が視界と聴覚が捉えた。
見ればそこには褐色肌で銀の短髪――だけど口元と逞しい体躯が真っ赤に染まった男が
立っていた。俺達の姿を見て、驚きとも怯えともどちらにも捉えられる表情を浮かべた男に、
ロイドは先程リアラから聞かされた仲間の特徴――確かロニ=デュナミスと一致することに
気付き、声を掛けようとした次の瞬間、シンクが舌打ちしてロニ目掛けて駆け出した。

「―――死に損ないが、今度こそ止めを刺してやるよ!」
「―――止めろッ!!!」

咄嗟にロイドは跳躍してシンクの前に立ち塞がると、即座に剣を繰り出す。
シンクも両手に風の魔力を纏わせ、その剣を次々と捌いていく。

「ッ…!先生ッ!今のうちに回復をッ!」

剣閃を弾きつつ、時折鋭く繰り出される拳技や蹴りを受け流し、或いは回避しつつ
先生にロニと思われる男の回復を依頼したが、何故か戸惑いの表情を見せて動こうとしない。

「回復なんてさせないよッ!」

その間もシンクは回復前に止めを刺そうと鋭い攻撃を繰り出しつつも
俺を抜こうと素早く動く。俺はそれを辛うじて抑えながら再度先生に懇願する。

「先生ッ!早くッ!!」

切羽詰まった俺の声に、先生は意を決したように男の元に駆け寄り、
すぐさま回復術をかけ始める。その光景に安堵しつつも
時間稼ぎをするために剣を強く振るい、シンクの一撃を弾き飛ばす。

「シンクッ!これ以上お前に仲間を傷つけさせる真似は絶対させないッ!」

先生の回復が済めば、戦況は再び此方に有利に働く。
その為にも、ここは絶対抜かせる訳にはいかない。
何としてもシンクを―――。

「―――失敗したねロイド」
「………?」

さっきまでの焦りの表情は一体何処に消えたのか、
シンクは黒い笑みを浮かべながら俺に言った。
その言葉の真意を測りかねたが、何か嫌な予感がする―――。

「あの男――今のロニ=デュナミスの回復をさせた事が失敗だったと言ってるんだよ」

136エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 7:2016/11/30(水) 01:32:10 ID:tlYwzgK20



ガッ





その言葉と同時に重く、鈍い音が背後から響き渡る。
咄嗟に振り返った俺は、その光景に目を疑う。


視界に映ったのは、頭部から血を吹き出し雪原に倒れ込む先生の姿―――。

「せッ、先生――――――ッ!!??」






「ふぃ〜…やっと術が使えるぜ。顎やられてまともに喋る事はおろか、回復も出来なかったからなぁ」

男―ロニ=デュナミスは、血に染まった兇器のタフレンズを左手で放り投げてはキャッチするを
繰り返しながら、顎を撫でた。正直武器も無く、回復も出来ない状況であのガキに出くわしたのは
さすがにヤバいと思ったが、運良く見知らぬ赤があのガキを抑え、その間に俺様の好みドストライクの
スーパークールビューティな女性が俺の顎を治してくれたお陰で、何とか術が使えるまでになった。
本当感謝感激血の雨霰って奴だな!

『リフィル!しっかりせいッ!!』
「先生ッ!!…お前ッ!何でこんな真似をしたんだッ!!!」
「何で?そんなの決まってるだろ?」

こんな恩を仇で返すような真似を何故したって?
そりゃ決まってるだろ!俺はタフレンズに付いた血を舐め取ると懐に仕舞い、左親指を上に突き上げた。

「だってほら、魔術を使う奴は殺す。そう決めたからだぜ♪」

目の前の赤が茫然として、次いで何かを喚き出したが知った事じゃない。
そりゃあ美人相手にこんな真似はしたくなかったが仕方無えじゃねえか。
術を使う奴は殺す――てか回復までしてる時点で合わせ技1本、死刑確定なんだからよ。
寧ろ苦しまずに逝かせてやった分、逆に感謝して欲しい位だぜ。
あー、でもどうせ逝かすんだったら先に俺様の<バキューン>で<ドギューン>せてやりたかったなぁ…。
ん?おい画面の前のお前ッ!今俺の事をチェリーと言ったかッ!?俺は世界一の紳士だから
<バキューン>をその時の為に大切に磨き――ゲフンゲフン、まあそれは置いておくとして―――――。

「――にしても、まさかここでソーディアンが手に入るとはなぁ!嬉しい誤算だぜ!」

さっきからソーディアン――確かフィリアさんが愛用していたクレメンテ、だったか?
目の前で血を流して倒れている美人の安否を確かめようとしてるのを無視して
俺は剣を上空に掲げ、軽く魔力を籠める。するとそれに呼応するかのように
衝撃波が前方に向かって放たれ、俺から剣を奪い返そうとした赤を吹き飛ばす。
つまりクレメンテが俺様をソーディアンマスターと認めたって証―――!
ソーディアンマスター=ロニ=デュナミス様の爆誕って奴だッ!!!
これで百人力所か千人力!誰も俺様の進化は止められないぜッ!!!

「さーってと、ソーディアンマスターになったことだし、このままリベンジマッチ!…っと言いたいとこだが」

性懲りも無く赤が俺に挑もうと駆け寄って来たが、軽く剣を一振りして
無数の岩山を隆起させ足止めさせると、俺は岩山の頂に立つ。

「俺にはやらねばならない使命がある!ガキ!てめえの断罪はその後だ!そしてそこの赤!
俺が戻って来た時に余計な真似をするならお前も殺す!分かったな!」

そう言い残し、俺は岩山を蹴り一挙に駆け出す。
ここに来るまでに偶然にも見かけたあのガキ――敬愛するウッドロウさんを殺した奴を
この手で惨殺する為に。生きたまま四肢を落として耳も鼻も全て削ぎ落して苦しめて殺す為に。
傍にキールもいたが邪魔するようなら…って、あいつ術使うか。
回復も使ってたような………よしッ!なら仲良く惨殺決定ッ!!
芋を洗って…じゃ無かった、首を洗って待ってろよッ!!!


老剣の言葉も碌に届く事無く、ロニ=デュナミスは駆け続ける。
狂気にその身を委ねながら、兇器と化したソーディアンを手にする男は、
最早盾では無く、破滅を齎す禍そのものだった―――。

137エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 8:2016/11/30(水) 01:32:47 ID:tlYwzgK20


正直、ここまで事態が思う様に進むとは思わなかった。
シンクは湧き上がる嗤いを堪えつつ、頭から血を流して動かない女の傍で
項垂れる男――ロイド=アーヴィングを冷ややかに見つめた。

「―――不様だね、ロイド」

僕の声にロイドは顔を上げ、睨みつけるような視線を向けたが、
後悔が強く漂う表情では、迫力も威圧感も欠片も感じる事は無い。

「こんなゲームには絶対に乗らない、これから救えるものは全部救ってみせる。大層御立派な決意じゃあないか」

残すはロイドのみ。此処まで来れば、あとはもうチェックメイト。
嘲りの言葉と共に僕はゆっくりとロイドの元に近づく。

「そのせいでお前は次々と仲間を殺す。実現不可能で無謀な理想の為に、ね」
「そ、そんな事―――」「――無いと断言出来るかい?」

ロイドの言葉を遮って浴びせられた僕の言葉に、ロイドの肩がビクッと揺れる。

「お前自身、それが現実的で無いと何処かで理解していた筈じゃないの?相手はお前達を容赦無く殺しにかかるのに、
お前達は殺す事が出来ない。説得も情も何もかも通じない相手であろうと、頭のネジが765本程飛んだ狂人とかでさえ、ね」

武器は一切手に持たない。持つ必要も無い。ロイドが剣を繰り出せるギリギリの線まで
近づき、そこで立ち止まる。

「―――だけどお前は僕相手に説得という手段を取ろうとした。僕の正体を知っていたなら、説得する意味なんて皆無だと
知っていた筈なのにね。実際他の奴等から警告された筈なんじゃないの?説得では無く、斃すべきだ――とね」
「そ、それは―――」

言い淀むロイドの姿に、僕はやっぱりね、と冷笑する。
強い意志は、時に正しい判断さえも歪ませ、過ちへと引き摺りこむ。
シンクは過去にそんな愚者を幾人も見て来た。

「――最初から他の奴等同様に殺すつもりでいれば、こんな事態には陥らなかったのにね。その女を含め、仲間達を傷つけ、殺すのは
あの狂人?道化師?それとも僕かい?………違うね。現実をまるで理解していない愚か者、お前だよ」
「………ッ!」

嗚呼、馬鹿馬鹿しい。信念?愛?それが一体何の意味がある?
余計な物に囚われるから、執着するから愚者は悩み、恐れ、嘆き、そして最後には絶望する。

「…良い機会だからハッキリ言ってあげるよ、ロイド」

僕はロイドの肩に手を置き、力を集中させる。
茶番はそろそろ終幕といこうか、ロイド=アーヴィング。
その耳元に顔を近づけ、呪いの言葉を紡ぐ。



「お前の“下 ら な い”理想では、“誰 一 人”救えやしないよ」





―――絶望と激情の琴線に触れられ、剣が引き抜かれる音に、誰かの声が重なった気がした

138エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 9:2016/11/30(水) 01:33:51 ID:tlYwzgK20


「せ、先生…!?」

怒りに我を忘れかけた教え子が、半ば茫然とした面持ちで此方を見ていたが、
ハッと我に返り、私に対して大丈夫なのかと慌てて声をかける。
大丈夫とは言えないわね…と、力無く応えつつ、何とか立ち上がろうとする。
そんな私にロイドは肩に置かれていたシンクの手を振り払うと、
私を抱えて十数歩下がり、シンクとの距離を広げる。
シンクを警戒しながらも、此方を心配そうに見つめる目は、
この出血量では死んでなくとも致命傷に近いと思われていたかもしれない。
実際、あと一歩で私は死んでいたのだろう。

「…まあ、今回ばかりは、私の慎重な性格が幸いしたわね…」

先刻の情報交換の時点で、ロニ=デュナミスがゲームに乗った可能性を私は考えていた。
それ故に回復を躊躇った訳だったけど、シンクが執拗にロニを仕留めようとしていたのを見て、
私はロニを回復する事を決めた。それでも万が一を考え、防御が取れる態勢だけは整えていた。
それが結果的に功を奏した。クレメンテを奪われてしまったが、咄嗟に防御壁を張れた事で
本来ならば致命傷になりかねない一撃を減殺することが出来、そしてシンクの策により
追い詰められ、剣を抜きかけたロイドに制止の言葉を振り絞る事が出来た。
…尤も、消え入るような声音、ロイドが天使化し、天使聴覚を発動出来てなければ届く事は無かっただろうが。

「ゴメン、先生………俺のせいで………!」

後悔と苦悩が一面に現れた表情を見て、私は内心で溜息を吐く。
ロイドに対する呆れや怒りでは無い。つい先程あれだけロイドの力になると
決めたにも拘らずこの体たらく―――かえって足を引っ張るハメになった
己の不甲斐無さに対してである。ふと脳裏を過るは、ここには呼ばれていない弟や
仲間達、そしてここで命を落とした仲間達の姿―――。

(…ここに貴方達がいれば、もっと良い結果を導けたのかしらね…)

考えても詮無き事であり、今この状況下では逃避でしかない。
この場にいるのは他でも無い私なのだ。この状態ではまともに戦う事は厳しい。
でも、まだ自分に、今の自分にしか出来ない事はある。意識が激痛で飛びそうになるのを
必死に堪えながら、私はゆっくりと言葉を紡いだ。

「…ロイド、貴方の決意は、私の怪我如きで揺らぐ程、弱く、頼りない物だったのかしら…?」
「そ、それは………」
「私は貴方を、貴方の理想を、意志を信じ、託した…だから、この結果も、最悪の事態も最初から覚悟の上よ…。
ロイド…この結果を申し訳無く思う位なら、何があっても貴方の選んだ道を、最後まで貫き通しなさい…!」
「先生……………分かった。ゴメンな、取り乱しちまって。もう大丈夫だ」

少し照れたような表情を浮かべて礼を言った後、その瞳に嘗ての様な強い光が灯したロイドの姿に私は安堵した。
無論、まだ安心出来る訳では無い。私を近くの手頃な瓦礫の傍に座らせ、再びシンクに向き合うロイドに対して、
シンクは僅かな苛立ちと警戒を抱いているように見える。後一歩の所で邪魔が入ったが故か、それとも
他に何か別の要因か…何れにせよ、今は見守るしかない。

139エンドロールは流れない -Meaning of Birth- 10:2016/11/30(水) 01:34:57 ID:tlYwzgK20


「…シンク、お前の言う通り、俺は自分がやろうとしている事が一体どれだけ難しいか分かってるつもりだ。
決意した後でも不安があったし、現に今、俺のせいで先生に大怪我を負わせてしまった」
「――なら、もうさすがに分かっただろう?お前の理想は実現不可能だって――」「――可能だ」
「……可能?」

ロイドの言葉にシンクは眉を不快そうに顰める。
飛びそうになる意識を懸命に堪えつつ、サックの中身を探りながら
私自身もロイドの言葉に耳を傾ける。

「殺し合わなくたって、こんなふざけた舞台は破壊出来る」
「へぇ…僕の力を借りれれば――なんて言うんじゃないだろうね?」

肩を竦めて言うシンクにロイドは首を横に振った。
確かに力を借りれれば力強いけどと前置きし、さらに言葉を続ける。

「協力出来なくても、殺し合いを控えてくれるだけでも良いんだ。その間に俺達が終わらせる」
「終わらせる?この殺し合いを?」
「その通りだ」

シンクはロイドの言葉にくくくと肩を震わせ嘲笑った。シンクにして見れば当然の反応だろう。
だが今のロイドは揺るがないし、迷わない。

「あはッ……あッははははははははははははははははは!どうやって?僕1人説き伏せられない馬鹿なお前が
この歪んだ世界を走り回って一人々々説き伏せるとでも言うのかい?」
「そんな事をしなくたって、終わらせる事が出来る!俺達が殺し合いをしなくちゃいけない、その原因を取り除けば良いんだ!」
「どうやってさ?こんな御大層な玩具を首に填められて、道化師がわざわざ用意したこの舞台から脱出する―――。
殺し合いを今から止めたとして、猶予はたったの24時間で、そんな事がお前に出来るとでも?」
「出来る!今俺達には首輪を調べてる仲間がいる。そいつらならきっと首輪を解除する事が出来る!その道具も揃ってる!
仮に解除が出来なくても―――――」

そこでロイドは、腰に差していたヴォーパルソードを抜くとシンクに突き出す。
怪訝そうな表情を浮かべるシンクに、ロイドは力強く宣誓する。

「空間を、時空を制する魔剣エターナルソード―――俺がその真の力を解放させ、この世界から皆を脱出させてみせる」

目の前の悪意も嘲笑も吹き飛ばすような、
真っ直ぐな視線と、希望を芽吹かせるような強い意志。
これこそ私が――仲間達が惹かれ、信じるロイド=アーヴィングの姿。
狂気と殺戮の舞台でも、今のロイドならばそれは決して揺らぐ事は無い。
さすがのシンクが押し黙り、暫し無言でロイドの剣を見つめていたが、
やがて1つ溜息を吐いて億劫に口を開いた。

「成程…ね、その剣を完成させれば、ここから脱出出来ると?」
「そうだ!元はと言えば、こんな世界に閉じ込められたから、俺達は殺し合いを余儀無くさせられているんだ!
だったらここから脱出さえすれば――――」「――――興味無いね」

ロイドの熱弁を無造作に斬り裂くように、シンクは冷たく言い放つ。
密かに術の触媒となる石を取りだした私はその言葉に違和感を覚えた。
不可能だと断じるでも無く、興味が無いとは如何いう事なのか。
ロイドもその点を不審に思ったのか、シンクに静かに問い質す。


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