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アイデンティティと被承認欲求について考える

1松代:2002/08/23(金) 01:22
・性虐待の問題では、アイデンティティのうち、性行為そのものの占める割合がやたらと大きすぎる。他のアイデンティティの不足を性行為で埋めている。
・いわゆる「援交」で得た金は、彼氏に貢ぐ例が多いとされている。裏づけとなる統計資料等は存在していないが、当事者などによる証言や取材では貢いでいる事例が多い。
・子どもの性的搾取という問題において、厳しい「道徳律」が存在している地域なり社会であるほど「道徳的ではない自己」を内心に抱える子どもはおおいとされる。そして、子どもたちは時として内心に抱える「道徳的ではない自己を認めてくれる人」を求める(=被承認願望を満足させてもらいたがる)が、多くの場合子どもを「認める」人が性搾取者となる。

援交で得た金を貢いでいる事例などは、被承認願望を満足させてもらいたがる子どもが、承認を与える年長者に搾取されているのではないかとの予測を裏づける現象と捉えることも可能だ。また、いわゆる「援交」においても、子どもを「認める」人が性搾取者となるといえよう。道徳的な解決法が効果を発揮するとは言いがたい事実として、特に注目しておきたい。

このスレッドは以上のような情況を踏まえて「道徳以外の解決法」を議論するためのスレッドです。

2松代:2002/08/23(金) 01:29
東京都高等学校性教育研究会が1月に生徒の性行動を調査した結果からも、専門家達配下のような興味ぶかい分析を導きだしている。

本文より
>「『出会い系』時代の恋愛社会学」の著者でライターの今一生さんは〜中略〜「これは愛情というよりも、自分を受け入れてくれたかどうか、という見方で答えていると思う」と今さん。携帯電話でひっきりなしに連絡をとりながらも友だちがいないと嘆く女の子は多い。彼女らは性体験に走りやすい、という。「人と親しくなれる手軽な手段だからで、自分が必要とされる人間であることを体感で確かめている」。親も含めた人との関係の希薄さが、高い数値の背後にあるとみる。
>東京都の女子校で、東横学園中・高校教師の原田瑠美子さんは〜中略〜社会の重圧と希薄な人間関係に耐え、性情報の奔流にのまれないためのポイントは、自分は自分でいいんだという自己肯定観だろう。子どもの中に、それをどう育んでいくか。「これは、大人が問われている問題」と原田さんは話している。
http://www.asahi.com/culture/topics/K2002081500847.html

十代半ばごろの女性にとって、性行為以外の自己肯定方法があまりにも希薄、というか「存在していない」事が問題ではないか?

3鎌やん:2002/08/23(金) 03:34
「(十代半ばごろの女性にとって)性行為以外の自己肯定方法があまりにも希薄、
というか「存在していない」という問題設定は、重要ですね。

連想したのですが、「規制派」の方々が言う、
「性の商品化(は問題だ)」という言葉は、
「金銭という対価でしか自分の価値を測ることができない(自己肯定できない)
こと(が、問題だ)」
という意味なのだろうなあ、と、思ったり。

4鎌やん:2002/08/23(金) 05:29
ちょっと連想したことを、ダラダラ書いてみるけど…
自己肯定は、一人だけではムリで、他者からの承認によって、得るものである。

日本は法治国家として完成していない、という、議論がある。
法律は、契約関係をベースとした社会に、基盤を置く。
(社会構成員は契約を遵守する、法律を遵守する、という合意が、承認されている)

日本は契約関係を、基盤にしていない。(とくに非近代的なムラ社会では)
契約を基盤としない日本では、馴染みに基づく同心型のムラ社会が、
基本的な社会モデルになる。
契約のない社会においては、法律は参照点にならない。
他の村人の承認を得ているか得ていないか(空気が読めるか読めないか)が、
判断の参照点となる。

判断の参照点がほとんど何もない社会に置かれている以上、個々の人々が
様々に承認を求める行動をとろうとするのは、必然である。

かつて大家族だった社会では、大家族のうちの何人かが、あるいは
地域共同体(村落)の誰かが、承認を与えた。(承認を得るチャンスが複数あった)
都市化することで、承認の枠組と、承認を与える機会が、非常に狭くなった。
(学校の成績などだけを、父母か教員だけが、承認する…条件付愛情)

という社会環境にあるのだから。
条件付愛情(条件付承認)しかないのなら、その「条件」が「性行為」だけに
転換しても、不思議ではないように思う。

5鳥山仁:2002/08/23(金) 06:03
松代さん、鎌やんさん>
この問題に関しては、様々な角度で考えられるので、
私見を幾つか述べさせていただきます。

1:自己承認について
自己、あるいは個は、自分を世界から排除しなければ成り立たない。
自己を世界からたたき出す事のみによって、個が成立する。
だから、自己とは必ずVS世間の側面を持つ。
必要なのは周囲からの承認ではなくて、
むしろ排除である。
周囲からの排除を肯定的に受け止められるようになった時に、
自己承認が成立する。
それでは、そういう作業を通過していない人間にとって、
そもそも個という概念はどのように受け取られるのだろう?

2:性について
非個人的な社会において、
性器は「子孫を残すため、あるいは所属した集団を絶やさぬ為」
に存在する。
決して性器が自己の所有物という訳ではない。
それでは、こうした社会において、性行為にはどのような意味が含まれているのだろう?

6はんてん:2002/08/24(土) 20:32
えーと、思った事を、つれづれなるままに……。

援助交際というのは、要するに売春以外の何物でもないのですが、
何故に「売春」以外の別名称が必要とされたのかというと、
その目的は自己欺瞞の為だと思われます。
援助交際をやっている少女達というのは、やはり売春婦なんですが、
自身を「売春婦」と自覚すると、問答無用で「社会的排除項」となってしまう為、
その結果、承認欲求を満たすのが困難になるのかもしれません。
だから、「援助交際」という新名称が必要だったのであり、
これは、いわば自己欺瞞用語なのかもと思ってます。

どうにも不可解なのは、
マスコミや市民団体、政府機関までもが、「援助交際」という名称を、
何の批判もせずにせっせと使用している点です。
少女達、もしくは彼女達を買春している連中だけではなく、社会の多くの人達が、
「売春」を「売春」と呼ぶのを避け、援助交際という名称を採用しているのです。
こうした自己欺瞞用語を何の批判もせずに使用する行為は、
いわば自己欺瞞に対して社会的承認を与えている事になりはしないでしょうか。
どうにも現代社会は、自己欺瞞に対し、あまりにも寛容であるような気がしてます。
良く考えたら、現代社会が自明としている「無批判な模倣行為」という物には、
自己欺瞞という側面が拭いきれず存在するような気が……。
スーパーモデルと同じファッションをすれば、
スーパーモデルと同じように綺麗になれる、と、安直に信じるのは、
「自分自身がスーパーモデルと同様の姿態をしていない」
と、いう肝心要の事実を、意図的に無視しているからこそ成立する信念です。
「援助交際」という名称によって、自身を売春婦ではないと信じようとしている少女達も、
「モデルと同様の服装」によって、自身がモデルと同様に綺麗になると信じる女の子も、
自己欺瞞という一点において共通性があるのかも……。

……取り留めが付かなくなりそうなので、この辺でやめますです。

7松代↑:2002/08/25(日) 01:28
う〜〜んとね、割と根本的な勘違いがあるんだけど、援助交際で「売ってる側の当事者」はまず間違いなく「売春」という自覚を持ってるワケ。これは、表向き「援助交際」と称している行為を、仲間うちでは「売り」と呼んでることからもわかると思う。
自己欺瞞をしているのは援交を取り巻く周囲の大人、特に「買ってる側」だったり、あるいは援助交際の実体について大して調べないままに「規制するよう主張」してるおじぃおばぁだったりするにゃ。
ただ、子どもの人権を考える側にとっても、援助交際を売春と認定できない事情はある。なにしろ、売春と認定しちゃったら「売春防止法」の定めに従い、本来なら「搾取されているはず」の売春者を「社会の秩序を乱す不逞の輩」として取り締まらなきゃならなくなるからね〜

8鍋島祟:2002/08/25(日) 03:48
>鎌やんさん
ううむ。自己肯定が他者の承認を必要とするってのに異論が。
ワシは自分で自分を認めたクチなんで。
集団への帰属やら、その中での承認を得やすい性質ですが、何というか居心地悪くて。
本音を言うと大抵排除されるし(;´Д`)
要するに、鳥山さんが言うように「承認」ではなく「排除」によって自己肯定してるのね。
一人じゃ出来ないってのは理解できますです。

9はんてん:2002/08/25(日) 08:41
>>7

了解です。
「思った事をつらつら」と書いただけじゃ、やはり大勘違いがありましたか。
やっぱり、ちゃんと資料揃えて文章書かないと、駄目ですねえ……。

10うなぎ:2002/08/25(日) 11:59
自己肯定について、個人的に思うこと。

自己肯定するのに「他者(人でなくてもいい)からの承認」が必要な人と
「他者からの排除」が必要な人(あるいはその両方が必要な人)がいると思われ。

人間が自立してゆく過程で「段階的な保護」と「手をはなしてあげる事」が必要みたいなもので。

11鳥山:2002/08/25(日) 13:50
松代さん、はんてんさん>
私も記憶がうろ覚えなので、ミスっていたら勘弁してくださいという前提で話しますが、
『援助交際』という単語の前に『あしながおじさん』という単語があり、
初期の伝言ダイヤル等で頻繁に利用されていたような気がします。
その理由は、『売春』という単語を使ってしまうと、
モロに売防法に引っかかってしまうからだったはずで、
これを避けるために隠語的な使われ方をしていた、
つまり今のネット上でわざと誤字が使われるような感じでごじゃる。

12鳥山:2002/08/25(日) 13:58
すいません。
途中で話が度切れました。
で、援助交際という単語が一般化したのは、
黒沼克史氏が1996年に書いた、
『援助交際 女子中高生の危険な放課後』
がヒットしてからだったような気がするんですが、
この辺りの記憶が私も定かじゃないんですよね。
どういう経緯があったのかなあ。

13鳥山:2002/08/25(日) 14:02
うなぎさん>
うーん。
個人主義の世界では、一度世間から排除された自分自身を承認する事によって、
アイデンティティを獲得するというプロセスを経るので(反抗期みたいなもの)
集団によって行うイニシエーション(成人式など)は本来必要じゃないんですよね。

他者からの承認が必要なのは、よく解釈すれば前時代的なメンタリティの持ち主、
悪く言えば公私を弁えぬ甘ったれと言うことになります。
自分のことは、自分で何とかしろYOって感じです。

14鳥山:2002/08/25(日) 14:10
で、まあ、これは極めて私的な見解なので差別が入ってますけど、
やっぱり反抗期無しで大人になっちゃった人というのは、
話をしていてもヒジョーに噛み合わないと言うか、
キモイ部分が多々あったりします。

児ポ法絡みの反対運動で、
年齢差別や女性差別をしちゃうヒトなんかが、
このケースに当てはまるんですが、
文句があるなら自分のママに言えば良いわけですよ。
それができないから、理念化された母親が社会概念まで拡大して、
差別を正当化する理由の基礎付けになってるような気がします。

ありきたりな話ですが、親離れ、子離れは重要ですね。
これがないと、いつまでも個人としてのアイデンティティは獲得できません。

15うなぎ:2002/08/25(日) 18:49
 「自己肯定」という言葉を、みんな違った意味で使ってるのではないか?……と、投げかけてみるテスト。

(1)自己を(外界の価値観で)肯定する には 誰かから承認される必要がある。(不完全自己承認)
(2)自己を(心の内の価値観で)肯定する には 世界と自己を切り離す作業を必要とする。(完全自己承認)

 鎌やんさんは(1)の意味で、鳥山さんは(2)の意味で、それぞれ使用しているのではないでしょうか?
 (1)はムラ社会的で、(2)は個人主義社会とも。ムラ社会で他者からの承認を得られない者は村八分にされ、「自己肯定」ではなく「自己否定」する事を強いられます。

 個人的には、思春期前後の者は(2)の「完全自己承認」を行う事が(特に日本では)、難しいのだろうと考えます。また、大人であっても(1)の「不完全自己承認」しか持たない者が、多いのだろうと推測致します。
 そう考えると、>>4 の鎌やんさんの意見も、非常にしっくりきます。

 話を「非承認欲求」に戻しますが、自己への承認を「不完全自己承認」のみで埋めようとしてゆくと、自ずと「非承認欲求」が肥大してゆく事になるのではないかと思われます。

16克森 淳:2002/08/25(日) 20:01
うなぎさん、「非承認」ではなくて「被承認」ですが…(汗)。

17うなぎ:2002/08/26(月) 00:33
>>16
>うなぎさん、「非承認」ではなくて「被承認」ですが…(汗)。
あうう……誤字ってしまいました……

18松代:2002/08/26(月) 02:01
>>15
(1)自己を(外界の価値観で)肯定する には 誰かから承認される必要がある。(不完全自己承認)
(2)自己を(心の内の価値観で)肯定する には 世界と自己を切り離す作業を必要とする。(完全自己承認)

1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定した場合、個人は「常に外部から承認されつづける」必要があるでしょう。そのため、例えば個人で「独自の価値観」をもっていたとしても、その価値観に応じて自己決定を行うことはもちろん、個人が独自の価値観を表明することも「外部から承認されなくなるリスク」をともなうため、表現の自由は「事実上その効力を停止」するでしょう。

また、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定している個人は、おうおうにして「誰から承認されているか」によって他者の「価値を判断」します。つまり、より「大きい」かあるいはより「権威のある」集団から承認されている個人に対しては、その「個人的な能力や価値観とは無関係に」大きな価値を認め、反対に「小さな集団」や「権威を持たない集団」からのみ承認されている個人には価値を認めない事になります。

そのため、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定している個人は、基本的に「自己の内面を省みることなく」また同時に「極めて権威主義的」であると想定できます。

さらに、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定することは、より「大きくて権威のある集団」が有利になるため、当然ながら「大きくて権威のある集団」であればあるほど、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定したがります。

ぶっ茶けた話、国家の中枢で権力を握っている大物から、国家権力の「末席を汚している」末端の公務員にいたるまで、ありとあらゆる権力者にとって「まことに都合の良い思想」と言えましょう。

19松代:2002/08/26(月) 02:44
全く個人的な経験ですが、世間から排除され、なおかつ自分自身を承認してアイデンティティを獲得するというプロセスを経たと主張する人々の中にも、あいかわらず「他者からの承認を求めつづける」人々が少なからず存在していて、深刻な対立と軋轢をふりまいた現場に立ち会ったことが「何回も」あります。

その具体的な事例として、トランスセクシャルの方々とレズビアンの方々について語りましょう。

A:トランスセクシャルの事例

トランスセクシャルの方々に対しては、既に様々な分類や定義付けが行われていますが、この文章においては便宜上「異性化願望」と「美少女化願望」の2つに分類します。

異性化願望:自己を(心の内の価値観で)肯定する
生物学的ないしジェンダー的女性、あるいは男性としての自己を拒否し、より「自己のアイデンティティと自己の身体やジェンダーを近づける」ための異性化を模索する願望。

異性化願望者にとって問題となるのは「自身の生物学的あるいはジェンダー的性位置づけ」なので、別に外見が「美しくなくてよい」し、特に「男装系の方々は」あえて野暮ったい格好を選択したりする(まぁ、それでも「他者から肯定的に評価される」ほうがうれしいんですけどね)。また、ドラァグクイーンの「クマ女装」のように、わざわざ「マッチョとゴージャスの融合」をアピールしたりもするなど、美的な価値観において「独自の意見」を疲労することも多い。
いずれにしても、異性化願望者は自身の「内的価値観」に重きを置いているので、異性化に対する他者からの「否定的な自己評価も意外と冷静に受け止めたり」できる。基本的には自我、あるいは自己の「アピールしたいイメージ」を確立している人々と見なしてよい。

美少女化願望:自己を(外界の価値観で)肯定する
まず、美少女化願望者は「ほぼ全てが生物学的およびジェンダー的に男性」で、自己のアイデンティティを拒否するわけでもなく、適当な瞬間に「美少女としてちやほやされたい」願望。

問題は、外部から美少女としてちやほやされるのが「大前提」なので、なにがなんでも「美しく」なければならない。また、美醜のランク付がそのまま「自己評価のランク付」になるため、美少女化願望者間での身体差別が激しい。
美少女化願望者は自我、あるいは自己の「アピールしたいイメージ」を確立していないので、もし女装に対して他者から「否定的な自己評価」を下されたらほぼ間違いなく感情的に反応し、ひどい場合には「パニック」を発生させる。

まぁ、トランスセクシャルの方々全てに対して、上記のように「単純素朴な分類」が適応可能なはずもなく、ほとんどの人々は「両方の要素を持っている」んですけど、問題は美少女化願望が暴発したときなんですよ。

とにかく「権威主義的」で「社会の目線」を気にするもんだから、当然ながら「セクシャルマイノリティの権利獲得」とか「その手の政治的、社会的活動」との相性が悪くいんですな。下手をすると「醜いトランスがいるとトランス全体が馬鹿にされる」なんてことまで公言しちゃうもんだから、もめ事が多くて大変なんですよ。
また、とにかく「権威」と「社会の目線」には逆らえないうえ、自己のアイデンティティを内的に確立していないもんだから、なんとかして「政治的、社会的な活動」からトランスセクシャルの方々を遠ざけようと画策するんだな。政治的、社会的活動に「参加しない」だけなら、それは「自己決定だから尊重する」けど、彼らの考えでは自己の所属している(と本人が思いこんでいる)集団が政治的、社会的に「異端」だと思われたら、自分まで「異端だと思われる」ので、とにかく政治的、社会的活動となると足を引っ張るったらありゃしない。

勘弁してほしい〜

続く

20松代:2002/08/26(月) 03:21
B:レズビアンの事例

レズビアンの方々に対しては、既に様々な分類や定義付けが行われていますが、この文章においては便宜上「性的レズビアン」と「政治的レズビアン」の2つに分類します。

性的レズビアン:自己を(心の内の価値観で)肯定する
性的レズビアンとは、生物学的女性とセックスするのが好きな人々。ただ、生物学的男性を断固拒否するかというと、それは基本的に「ケースバイケース」で、場合によっては「生物学的男性とセックスする」こともある。

性的レズビアンにとって問題となるのは「自身のセックスする相手」なので、別に「フェミニズム」が生活の中心的規範でなくてもいいし、中でも「男装系ナベの方々は」あえてマチズム的というか、いわゆる「ちんこくさい言動」をすることもある(まぁ、それでも「マッチョよりはフェミ」のほうがうれしいんですけどね)。また、生物学的男性に対する感覚や態度も「様々」で、場合によっては「子ども欲しさに結婚する」など、少なくともやみくもに生物学的男性を敵視したりしないと言える。
いずれにしても、性的レズビアンは自身の「内的価値観」というかセックスに重きを置いているので、フェミニズムや女性の社会的な位置づけといった「学問的な領域」にあまり関心がなかったりもする。いずれにしても、基本的には性的自我、あるいは自己の「セックスしたい相手」を確立している人々と見なしてよい。

政治的レズビアン:自己を(外界の価値観で)肯定する
政治的レズビアンは「ほぼ全てが強烈なフェミニズム信奉者」で、自己のアイデンティティを確立するために「搾取者としての男性を絶対的に拒否」する人々。

搾取者としての男性を絶対的に拒否するのが「大前提」なので、なにがなんでも「男性社会を否定」しなければならない。また、フェミニストとしての活動履歴がそのまま「自己評価のランク付」になるため、政治的レズビアンの間では知的差別が激しい。
問題は、政治的レズビアンが「社会的価値観の否定で自己を判断」しているうえ、性的には「非常に保守的」ということです。セクシャルマイノリティの中にままある「性的自己決定を広く認める」ような主張には、ほぼ間違いなく感情的に反応し、ひどい場合には「言論による攻撃」を発動させる。

まぁ、レズビアンの方々全てに対して、上記のように「単純素朴な分類」が適応可能なはずもなく、ほとんどの人々は「両方の要素を持っている」んですけど、問題は政治的レズビアンが暴発したときなんですよ。

とにかく「性的には極めて保守」だから、当然ながら「バイセクシュアル」とか「性的冒険心に富んだセクシャルマイノリティ」との相性が悪いんですな。下手をすると主婦レズビアン排除を主張した挙げ句に「男と寝るレズビアンはレズビアン全体の裏切り者」なんてことまで公言しちゃうもんだから、もめ事が多くて大変なんですよ。
また、とにかく「権威」と「社会の目線」には逆らえないうえ、自己のアイデンティティを内的に確立していないもんだから、レズビアン全体が「政治的、社会的な権利を獲得」することが自我を高めるてな事になる。政治的、社会的活動に「熱心」なだけなら、それは「自己決定だから尊重する」けどね。彼らの考えではレズビアンという「性的自我」が、自我「そのもの」というワケなんで、レズビアンでありながらフェミニストではないのは「裏切り者」ってなことになる。

勘弁してほしいよ、ほんと…

21うなぎ:2002/08/26(月) 03:35
>>20 松代さん
トランスセクシャルやレズビアンの方にも、そういった方がいるのは確かに
事実だと思いますが、「マイノリティ」に属する「不完全自己承認」型の人
全般の問題だと思われます(;´Д`)ノ

「オタク」で「不完全自己承認型の人」も同種の問題を「ゆんゆん」と
抱えておりますゆえ……(;´Д`)ノ

22松代:2002/08/26(月) 13:40
>>21
まぁ、この手の「不完全自己承認」の方々は社会の「何処にでも居る」人々なんで、ことさらにセクシャルマイノリティだけをあげつらうわけでもなく、またそのような意図も無いのですけどね。ただ、繰り返しになりますけどセクシャルマイノリティの方々は「世間から排除され」た経験を持ち、なおかつ「自分自身を承認してアイデンティティを獲得した」と主張している、あるいは「アイデンティティを獲得したことになっている」場合が多いので、意地が悪いのを承知で「自己申告と現実の違い」と言う意味から取り上げました。

自分はオタクについて「他者による自己承認を求めることを自明としている」点と、自己の「アイデンティティを獲得していない事を自明としている」点を顕著な特異点だと考えているので、ある意味じゃ「セクシャルマイノリティの対極」にある存在なんじゃないかなと思っていたんですね。
もちろん、こういう「不完全自己承認」というか、ゆんゆんでむぱ問題に心を痛めているセクシャルマイノリティの方々は非常に多くて、彼らは彼らなりに努力しているんですけどね〜

ちょっとはなしはかわりますけど、>>19で自分はトランスセクシャルという言葉を「幅広い意味」で使いました。だが、読書会でも指摘されたようにトランスセクシャルとトランスジェンダーとトランスヴェスタイトを厳密に別け、とくにトランスセクシャルとトランスヴェスタイトとの混同を嫌う方が存在しています。
個人的な見解ですが、これは「不完全自己承認」を排除したいという欲求、私の個人的な分類では「美少女化願望者」を排除したいという意図の現れなんじゃないかなと思う所なんですよ。まぁ、レッテルだの分類だのにこだわること自体はあまりほめられたことじゃないんですけど、自我を確立した人々にとって「不完全自己承認」の人々がどれだけ迷惑な存在なのかを考えると、気持ちはわかるといえますなぁ〜

23鳥山:2002/08/26(月) 22:34
うなぎさん、松代さん>
オタク全体を対象にすると私もよく分からないのですが、
少なくとも美少女系漫画家やその周辺者の何割かは、
美少女化願望のあるトランスベスタイトとほとんど同じ
メンタリティを有していると思います。

要するに、女装して美少女になるか、
絵で美少女を描くかという違いでしかありません。
もちろん、美少女になりたいという欲望を有していても、
それ自体は否定されるべき事柄ではないのですが、
その欲望が被承認に基づいたものであり、
(美少女になってちやほやされたい!)
かつそれが自明となっていると、
非常に厄介な対人関係のトラブルを誘発します。

(続く)

24鳥山:2002/08/26(月) 22:39
私自身の体験からすると、
まず彼らは美少女系漫画の作者や読者の大部分が、
自分と同じように「美少女になりたい(ちやほやされたがっている)」
と本気で信じています。
アフォか。

続いて、そうした価値観を自明に振り回すので、
自分と異なった価値観の存在にぶつかると、
1)あいつは本当は美少女になってちやほやされたいはずなのに、
漫画が描けないから我慢しているんだ。
(ルサンチマン説)

2)あいつはがさつな性格だから、
美少女になるすばらしさが理解できないんだ。
(低脳説)
等を唱え始めます。

ホントにルサンチマンを抱えて低脳なのは、
自分達自信だったりするんだけどねえ。
だって、君たちは美少女じゃないじゃん。
(続く)

25鳥山:2002/08/26(月) 22:48
私自身が見聞した最悪の例は、
自分の描いた漫画やイラストに女の子達が強い影響を受けて、
「私もこんな女の子になりたい!」
と言って欲しいと、本気で信じているDQ漫画家でした。

「おいおい、ホントの美少女で、
しかも周囲からちやほやされている奴が、
お前の漫画なんぞ見るわきゃねえだろ」って感じで、
完全に頭が逝っちゃってましたね。

しかし、コミケ周辺にはこんな野郎が、
ウンカのごとく存在していたのは紛れもない事実です。

で、こういう連中が反対運動に入ってくると、
被承認欲望を自明とした美少女願望を、
平気で振り回し始めるので、
そろそろ排除した方がええんとちゃうの?
と個人的にも思いますし、
実際問題としてもううざったいです。

熟女&巨乳好きの私が、
美少女になりたいとこれっぽっちも思っていない事なんて、
そろそろ気づいても良い頃だと思うんですけどねえ。

26鎌やん:2002/08/26(月) 22:58
>>23-25
ほえほえ。全員排除すると、鳥山さんと松代さんの二人くらいしか児ポ法の
運動には残らなくなるという…
…まあ、そうなったらそうなったでいいんだけど…

というのは置いといて、性嗜好は実存と抜き難く絡みついているので、
重要なのはそれを客体視する理性だと思われます。
「自分は免責されているから、批判する権利がある」と読める言説は、
かなり危ういロジックだと思われます。

27克森 淳:2002/08/26(月) 23:30
>熟女&巨乳好きの私が、
>美少女になりたいとこれっぽっちも思っていない事なんて、
>そろそろ気づいても良い頃だと思うんですけどねえ。

 失礼ですが、こういう言い方って「オレはロリペドじゃないからどう
でもいい」と言って反対運動をバカにする「関係ないさん」とあまり変
わらないような…(^^;)。

 鳥山さん、時々こわいです…。

28鳥山:2002/08/26(月) 23:34
鎌やんさん>
むー、むー、むー。
そういう風に読めますか?
最初にエクスキューズをつけても駄目か。
難しいなあ。
問題は、性的嗜好な価値観が「自明」になっている点と、
それが「被承認欲望」に裏打ちされている点なんですけど、
どう伝えたら良いのかなあ。

29鳥山:2002/08/26(月) 23:37
克森さん>
むー、むー、むー、むー。
「誰もがみんな、美少女が好きとは限らないから、
それを押しつけるのはヤメレ」
って言い方で良いですか?

というか、何でこんなナーバスな反応が返ってくるのか、
良ければ教えていただけませんか?

私の中じゃ、美少女も巨乳も性癖としては等価、
という認識しかないんですが。

30うなぎ:2002/08/26(月) 23:44
>>23-25
う〜む……難しいですなぁ…(;´Д`)

私も「美少女漫画家」であり「可愛い美少女」を書く事に魂を削ってたりしていて
しかも「絵が上手い」ではなく「絵がカワイイ」と「皆から」ほめてもらいたい
という「被承認欲求」がゴリゴリあったりしますので……(;´Д`)

自己肯定の話に戻しますと、私は「不完全自己承認」と「完全自己承認」の2本立てで
「自己肯定」をしてるクチなので、「周りからの適度な承認」が得られないと「自己否定」
しないまでも「はげしく鬱」になったりはします。

それはともかく、単に「被承認欲求がある人」というのは、多くの人が該当してしまうので
「被承認欲求がある人」と「被承認欲求が異常に強い人」は区別した方がいいと思われます。

31克森 淳:2002/08/27(火) 00:24
>「誰もがみんな、美少女が好きとは限らないから、
>それを押しつけるのはヤメレ」

 「美少女が好き」=「美少女になりたい」とは限
らないのではないでしょうか?
 少なくとも美少女系の絵を描き、発表する事だけ
では押し付けにならないですし。描き手が押し売り
したらそうも言ってられないけど。

32うなぎ:2002/08/27(火) 00:37
自分なりにまとめてみました(´▽`)ノ


「美少女になりたい(ちやほやされたがっている)」願望と、「絵で美少女を描く(ちやほやされたがっている)」行為は、どちらも「美少女に価値がある(=被承認欲求を満たしてくれる)」としている点で等価である。

一部の「トランスベスタイトの人」の価値観では「(女装で)美少女になれない者」は人間的な価値が低い事になるが、同様に、一部の「美少女に恋焦がれる、被承認欲求を自明とした者」は「美少女を描けない者・美少女の価値を認めないもの」に対しては、「人間的な価値」を低く見る傾向にある。

例1:あいつは本当は美少女を描いてちやほやされたいはずなのに、絵が描けないから我慢しているんだ。
例2:あいつは低脳だから、美少女を描く(見て楽しむ)すばらしさが理解できないんだ。

このように、「単なる美少女好き」とは違い「美少女である・美少女が描ける事」が、自らの「好み」や、「商業的価値」に留まらず、「人間的価値」にまで拡張している者が少なからず存在する。

この「美少女である・美少女が描ける事」を「人間的価値」と結びつける思考は、同一の思考形態を持つ「仲間」としか共有出来ないもののはずである。

この為「熟女スキーな者」にはその概念は通じないし、その考え方は本質的に間違いである。

33松代:2002/08/27(火) 02:21
なんだか、擦れの主旨とのズレが目立ってきたぞ〜?
まぁ、漏れにも責任はあるんだが…
とはいえ、活動に関する割と根本的な問題なだけに、軽々しく放置も出来んぞと…

さてさて、まとめありがとうございます〜>うなぎさん

ただ、個人的には「同一化願望」と「被承認欲求」との組み合わせによる「自我の無制限拡張」が問題だと思う所です。
というわけなので、少しうなぎさんのまとめに補足させてください。

美少女化願望者の前提:
美少女は周囲の人々からちやほやされている(美少女化願望者が被承認欲求を刺激される)

美少女化願望者の希望:
美少女になれば自分も周囲の人々からちやほやされるに違いない(美少女化願望者が同一化願望を持つ)
大好きな美少女に自分もなりたい!(単純素朴な同一化願望の表明)

これだけでも相当おかしな話なんですけど、まぁこの程度なら「笑って許せる範囲」に収まってると思います。話が本当にこじれるのは、これから一歩踏み込んだ段階からです。

美少女化願望者の混同:
人間は「誰でも美少女が大好き」だ(自他の混同1)
誰もが美少女好きなので、美少女はちやほやされる(原因と結果の混同)
人間は「誰でも自分の好きな存在と同一化したいと思っている」はずだ(自他の混同2)
誰もが美少女好きなので、人間は「みんな美少女になりたい」と思っている(自他の混同と原因結果の混同の混同)

こんなことを主張されたら、そりゃ話がこじれますよ!

これがどれだけおかしな話か、立証するまでもないのですけど、面白いから2つの例を挙げてみましょう。

男Aの前提:
マダガスカル大ゴキブリは周囲の人々から畏怖されている

男Aの希望:
マダガスカル大ゴキブリになれば自分も周囲の人々から畏怖されるに違いない
大好きなマダガスカル大ゴキブリに自分もなりたい!(単純素朴な同一化願望の表明)

男Aの混同:
人間は「誰でもマダガスカル大ゴキブリを畏怖している」のだ(自他の混同1)
誰もがマダガスカル大ゴキブリを畏怖しているので、マダガスカル大ゴキブリは尊ばれる(原因と結果の混同)
人間は「誰でも自分の畏怖している存在と同一化したいと思っている」はずだ(自他の混同2)
誰もがマダガスカル大ゴキブリを畏怖しているので、人間は「みんなマダガスカル大ゴキブリになりたい」と思っている(自他の混同と原因結果の混同の混同)

なんだか、カフカめいた話になってるナ〜
ttp://members.tripod.co.jp/dentan/other/mdsp1_02.JPG

反ポルノ論者の前提:
ポルノは人間の尊厳を損ねている

反ポルノ論者の希望:
ポルノがなくなれば人間は尊厳を取り戻すに違いない
ポルノがなくなれば自分も尊厳を取り戻せるだろう

反ポルノ論者の混同:
人間は「誰でもポルノによって尊厳を損なわれている」のだ(自他の混同1)
誰もがポルノによって尊厳を損なわれているので、ポルノは悪だ(原因と結果の混同)
人間は「誰でも自分の尊厳を損ねている存在を抹消したいと思っている」はずだ(自他の混同2)
誰もがポルノによって尊厳を損なわれているので、人間は「みんなポルノをこの世から消滅させたい」と思っている(自他の混同と原因結果の混同の混同)

あまり面白くなかった…

34松代:2002/08/27(火) 02:30
自分が問題視した美少女化願望者のように「同一化願望」と「被承認欲求」との組み合わせによる「自我の無制限拡張」を自明としている人々は、ありとあらゆる局面で多くの問題を引き起こすと断言できます。
これは美少女が問題なのではなく、あくまでも「同一化願望」と「被承認欲求」との組み合わせによる「自我の無制限拡張」が問題でしてね、例えば「嫌韓厨」は美少女化願望者と全く異なりますけど、迷惑を発生させる構造はほとんどかわんないよと。

というわけなんで、本来ならあまり美少女だけに注目しなくてよいのですが、児ポ法に関してはそうも行かないよ〜とね…

なんでかというと、美少女化願望者の前提を「十代半ばの女性が真に受けた」ら、かなり面倒なことが発生するんだな。

十代半ば女性の前提:
美少女は周囲の人々からちやほやされている(美少女化願望者が被承認欲求を刺激される)

十代半ばの女性の希望:
美少女になれば自分も周囲の人々からちやほやされるに違いない(美少女化願望者が同一化願望を持つ)
大好きな美少女に自分もなりたい!(単純素朴な同一化願望の表明)

十代半ば女性の混同:
人間は「誰でも美少女が大好き」だ(自他の混同1)
誰もが美少女好きなので、美少女はちやほやされる(原因と結果の混同)
人間は「誰でも自分の好きな存在と同一化したいと思っている」はずだ(自他の混同2)
誰もが美少女好きなので、人間は「みんな美少女になりたい」と思っている(自他の混同と原因結果の混同の混同)

松代より:ここで言う「美少女」とは、多くの人々から「セックスを要求され、その要求に応じる人」である。

ほ〜〜〜ら、怖い考えになってしまった…
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

35鳥山:2002/08/27(火) 04:33
うなぎさん、松代さん>
補足説明、ありがとうございます。
この問題に関して、誤解を招きやすいのは重々承知なんですが、
それでもなお誤解が発生するのであれば、
この問題を詳細に突き詰めた論文を発表するしかない、
という結論に到達しつつあります。
やっぱり、手抜きは許されないのねん。

36鳥山:2002/08/27(火) 05:00
松代さんの話に追加補足〜。

肉体と性的な認識が一致することを
セクシャルアイデンティティの一致と呼ぶのですが、
この一致率が最も低いのが、
中学2年生の女子という調査結果が出ています。

要するに、二次成長期で女性化する自分の肉体が、
他人事に思えたり嫌悪感を抱いたりするってことなんですが、
これは、どう考えても男性中心社会において、
女性として存在することが不利益を被る、
という実情を女子が自覚し始めるためなのはずなのですが、
これが一部の(あくまで一部のですよ)美少女願望者にかかると、
「汚い女性になりたくないためだ」
とか、それを裏返した、
「少女の時代は特別なのだ」
という理論にすり替えられてしまいます。

美少女願望者の間では、
意外とこういう理屈がまかり通っているので、
さっさと潰したいんですよね。

だから、イニシエーション理論も×です。
×!

37うなぎ:2002/08/27(火) 09:34
 同化願望といえば、「オトナ」との「安易な同化(模倣)」によって「オトナ(自己肯定)」になれるという物もありますなぁ(´Д`)ノ
 性交はその「最たる例」とも。

38鳥山:2002/08/27(火) 21:05
うなぎさん>
「大人の真似をすれば大人になれる」
という安易な模倣欲望を真に受けて、
年齢的には成人を超えても、未だに「大人」になりきれない奴は、
大量に存在すると思います。

だから、
>性交はその「最たる例」とも。
この一言はそうした大人達にも当てはまるんですよね。
こういう問題を扱った作品を、
漫画なり小説なりでもっと数多く創作する必要があるかも。
というか、個人的にはこの問題を突き詰めた作品を、
色んな場で発表していきたいですね。

39 g:2002/08/27(火) 23:10
g

40松代:2002/09/06(金) 01:57
УТП擦れにあげた記事だけど、被承認欲求が「母親によってみたされている」と、子どもは「セックスで被承認欲求をみたそうとは考えなくなる」って解釈が可能かもね。
特に、以下の部分は注目したいポイントだと思うよ。

ZAKZAK版の本文より
>ただ母親が子供にやかましく言い過ぎると、女の子の30%と男の子の45%は母親の意見を聞き入れようとせず、特に妊娠の危険や早過ぎる性交渉によって世間の評判が悪くなるなど「性に否定的な話」を母親が繰り返す場合は、子供の性行動に変化はみられなかったという。

41松代:2002/09/07(土) 00:53
ちょっと擦れの主旨からはずれるんだけど、いじめに関する興味ぶかい記事を見つけたんで貼っとくね〜

本文より
>ブース氏は『オブザーバー』紙に掲載された記事に次のように書いている。「いじめられたと言って電話してくる子どもたちによると、いじめの理由は、太っている、痩せている、頭がいい、孤独である、同性愛、黒人である、白人であるなど、きりがない。(そして、)テキスト・メッセージでいじめを受ける子どもが増えている。逃げ場が全くないようだ」
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20020905207.html

42鎌やん:2002/09/07(土) 03:17
>>41
「虐め」に関する国際比較がどの程度なされているのか知りませんが、
(たぶん全然なされていないのだろうと思うけど)
「虐め」が深刻な国は、日本とイギリスみたいですね。
(というか「虐め」に関するマジメな本だかで「虐めは日本だけでなく
イギリスにもある」という記述を見て、ほお、と、思った記憶が。
なんの本だったか忘れた。なんかのパネルディスカッションだったかも)

43鳥山:2002/09/07(土) 04:34
松代さん、鎌やんさん>
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020907-00000048-mai-soci
校内におけるいじめ問題がなかなか解決しない一因として、
教員の高齢化が考えられると思います。
イギリスの教育事情に関しては疎いので、
コメントの仕様がないのですが、
少なくとも日本の小学校では、
男女を問わず高齢の教員が学級内で自分の
「お気に入り」の生徒を作る傾向が少なからず存在し、
これが教員公認のクラス内における階級差別を成立させている、
というのが個人的な見解です。

自分自身も、同様の体験を小学生時代にしており、
またそれが原因で国内ではかなり初期に生じた、
学級崩壊も経験しております。
まあ、崩壊させたの面子の一人が私なんですけどね。
大人におもねる子どもはキモイし、
それを満足げに教授する大人もキモイっす。
被承認欲求は止めて欲しいなあ。

44通りすがり失礼:2002/09/20(金) 22:07
>> 42

>「虐め」に関する国際比較がどの程度なされているのか知りませんが、
>(たぶん全然なされていないのだろうと思うけど)

ついこないだまで私が図書館から借りていた本には、いじめは日本特有の現象とは言えない旨が書いてありました。
スウェーデンとかの国名が挙がっていたと思います。

尾木直樹氏の「いじめっ子 その分析と克服法」という本です。
手元のメモによると1996年の執筆。

45蒼海:2002/09/21(土) 19:07
イギリスは「イジメ大国」という話を聞いたことがあります。
ただ、日本のイジメとは質が違うとか(よくわかんないけど)。

46СТАЛКЕР:2002/09/28(土) 06:48
なにしろ皇太子までいじめちゃうので・・・

47СТАЛКЕР:2002/10/04(金) 05:21
数学者の藤原正彦氏のエッセイにも、
イギリスで子供が虐められたというのが載っています。

48通りすがり32号:2002/11/07(木) 23:19
>>43
私も虐められ対象だった者ですが、
「外部からは学校側に抗議するくらいで、実質的に手出しができない」
「外部の人間にとっては関わらない限り『どうでもいい』とみなされがちな問題」
「両親は直接学校に足を運ぶヒマがない事が多く、そのためクラス内部での我が子の実態を知る
 ナマの機会が少ない」
「学校は職場と違い、本人の意思で簡単に離脱する事ができないので、閉鎖的になりがち」
「クラス替えは児童や生徒本人の意思が反映されない事が多く、児童・生徒同志の人間関係の
 解決にはなりにくい」
「子供は大人の前と子供たちだけの間では態度を換える者が多く、また子供は社会常識が無いので
 簡単に残虐な行動に走る事があり、大人が居ない環境下ではしばしば大人の想像を超えた
 壮絶な虐めや、またそれが発覚した場合の復讐が発生する可能性は十分にある」
という事を、身をもって知りました。

そういえば以前に探偵をやとって、いじめられっ子本人には中身を知らせずに盗聴器を仕込んだ
お守り袋を持たせ、校内で起きた虐めでの全ての音声を録音し、証拠として提出したという事件が
ありましたな。そこまでしないと、さまざまな価値観を持っている人間達が居る場所で起きる
トラブルを突き止めるのは難しいのではないかと、個人的には思います。

49松代:2005/03/06(日) 12:46:20
2chの拾いもんですが、モテモテになる重要なポイントが含まれています。
まずは、こいつに目を通してください。

http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1107229547/175-180

この話のポイントは、もちろん「女装すればモテモテ」ではありません。
自己のアイデンティティを確立し、精神的に安定して、被承認欲求をセーブできるようになったら、異性からちやほやされるようになったというところです。
つまり、自己のアイデンティティを確立して自己承認ができるようになれば、自然に被承認欲求をコントロールできるようになるし、またそうなれば「モテモテは半ば達成されたも同然」ということなのです。

50:2005/03/06(日) 21:59:18
ようし。俺も持て尾だなだってオッパイが大きくなってきたから。

51:2005/03/06(日) 21:59:34
あと。何が出来る自分に。

52:2005/03/06(日) 21:59:51
とりあえず再交渉はやるけれども。

53:2005/03/06(日) 22:00:05
有給休暇をしばらく貰う予定。

54:2005/03/06(日) 22:00:18
さあ後何をすればいい?

55松代:2005/03/13(日) 23:38:00
http://ibuki.ha.shotoku.ac.jp/~kitazawa/masatsugu/imagoH810.html

自閉症児者の「こころ」を自閉症児者自身が探し求める場 ーー高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への心理療法的接近からーー

辻井正次

2.青年たちの苦悩ーー「自分は皆と違う」「みんなのように友だちが欲しい」

 青年期以降のPDD(高機能自閉症・アスペルガー症候群)の問題に関しては自閉症研究のパイオニアであるレオ・カナーの「自閉症児はどこまで社会適応可能か」(1973)というタイトルの論文が今なお一読の価値あるものである。カナーも述べているが、青年期になった彼らは、ふと自分と他者との違いに気がついて戸惑ったり、寂しくなったりする。これは、他者からみた「自分」という観点の成立である。これは学習されて得るようなものではなく、現代における青年期があらゆる青年に与えるアイデンティティをめぐる葛藤との連続性の中で成立してくるもののようである。そして、彼らは皆に「合わせる」ことが必要であることを認識する。しかし、「皆は楽しそうにやっているのに、自分が加わろうとすると皆があっちにいけという」「どうしたら友達が作れるの?」「皆と同じようになりたい」「友だちがお前なんか人間じゃないといったが、どうしたら人間になれるか?」といった深刻な問いかけには、分裂病者の共通感覚の欠如や自明性の喪失といった言葉を思い浮かべさせられるほどの重さがある。何かとんでもないことが起こるのではないかといった極度の不安もある一方で、何かもっと基本的な世界の「わからなさ」(「あたり前」の欠如、あるいは本質的な象徴的なるものとの結びつきの出来なさ)が体験されているようで、それをからくも(両親や心理療法家などの)理解してくれる他者との「つながれる」感覚でその都度埋め合わせていこうとするように思える。実際に一過性の精神病状態を呈する症例もあることも明らかになっているが、感情障害などを合併した場合に精神分裂病を疑われて入院していることも稀ではない。また、他者の視線があまりに脅威に感じられ、一過性の対人関係念慮や世界が崩壊しそうな恐怖感等にも容易に陥り、彼らの青年期は非常に危機的な側面をもつことは自覚しておく必要がある。(こうした場合には熟練した児童精神科医による投薬治療をはじめとする精神医学的治療を必要とする。)彼らに具体的な社会的スキルを教える必要があるのは確かだが、もっとそれ以上に彼らの「こころ」につき合い、集団の中の一員であるという感覚をもてていけるようにと心がけてやることが重要である。

 しかし、ここで筆者は彼らの青年期の大変さだけを強調しようという気はない。理解してくれる他者が周囲に居さえすれば、彼らは青年期にはいるとかなり自覚的に生活を送れるようになるし、彼らなりの楽しみをもつことも上手になる。彼らは自分の世界のなかでは永遠の幼さや純粋さを維持していけるかのようである。自分たちの幼児期から持ち続けてきた「こだわり」も趣味という社会的に受け入れられるような形に「合わせ」て呈示することが可能になる。学校でも「クイズ研究会」や「鉄道研究会」「アニメ同好会」など、いわゆる「おたく」的な文化系サークルでは長年の「強迫的」とカナーが記述しているほどの熱心さで知識を蓄えてきているだけに、その知識に関しては受け入れられる。「変わった奴」として受け入れられ、対人関係が問題とされて排除されなければ楽しい学生生活も可能である。(特に男性で)対人関係で最も問題になるのは異性との関わりである。彼らなりに異性に関わりたいという欲求はあるのだが、その示し方が奇妙で、相手に(相手の興味は関係なく)自分の興味のあることを延々と語りながら関わるようなスタイルをとるので、相手から気味悪がられたりする。また、仕事場での上司からの叱責の言葉づら(例えば、「しっかりやれないならやめちまえ」等)をそのままに捉えて、自分がクビになったように感じて混乱したりする。日本語のコミュニケーションでの括弧に括られ言語化されないような内容(先の例だと「しっかりやれないならやめちまえ(俺は、お前がもっとできると思っているし、期待している)」等)が読みとれず、字義通りに理解しようとしてしまったりする。そうした例は枚挙に暇がないほどである。それでもなお、他者との関係性が実感されており、失敗した際に頼れる他者がいれば、苦労しながらでも自分の楽しみをもちながらやっていける。

56:2005/03/14(月) 00:14:17
ああ。家の両親もそんな感じだ。世間体を気にしすぎてる。


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