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アイデンティティと被承認欲求について考える

4鎌やん:2002/08/23(金) 05:29
ちょっと連想したことを、ダラダラ書いてみるけど…
自己肯定は、一人だけではムリで、他者からの承認によって、得るものである。

日本は法治国家として完成していない、という、議論がある。
法律は、契約関係をベースとした社会に、基盤を置く。
(社会構成員は契約を遵守する、法律を遵守する、という合意が、承認されている)

日本は契約関係を、基盤にしていない。(とくに非近代的なムラ社会では)
契約を基盤としない日本では、馴染みに基づく同心型のムラ社会が、
基本的な社会モデルになる。
契約のない社会においては、法律は参照点にならない。
他の村人の承認を得ているか得ていないか(空気が読めるか読めないか)が、
判断の参照点となる。

判断の参照点がほとんど何もない社会に置かれている以上、個々の人々が
様々に承認を求める行動をとろうとするのは、必然である。

かつて大家族だった社会では、大家族のうちの何人かが、あるいは
地域共同体(村落)の誰かが、承認を与えた。(承認を得るチャンスが複数あった)
都市化することで、承認の枠組と、承認を与える機会が、非常に狭くなった。
(学校の成績などだけを、父母か教員だけが、承認する…条件付愛情)

という社会環境にあるのだから。
条件付愛情(条件付承認)しかないのなら、その「条件」が「性行為」だけに
転換しても、不思議ではないように思う。


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