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鬼和尚の仏教講読会 別館2
424
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/17(土) 00:06:21 ID:1d4drIFg0
>>421
寺とか宗派を捨てて母親のところにいつたからじゃろう。
まだ囚われがあったというのじゃな。
>>423
そうかもしれん。
母親のために禅を捨てたというのじゃな。
425
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/17(土) 00:12:21 ID:1d4drIFg0
また養叟の批判じゃな。
人家の男女に魔魅の禅を教えるの゛ゃ。
室内に修行者を招いて玄を悟らせるのじゃ。
近代のライ病の養叟なのじゃ。
天に満ちるほどの罪はいずれ天が然らしむことになるじゃろう。
426
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/17(土) 07:19:15 ID:YIG4xlXs0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
386
龍門亭題偈賀天龍寺再興 龍門亭に偈を題して天龍寺の再興を賀す
盡乾坤乃祖門風 じんけんこんない祖の門風
萬嶽嵯峨烟雨中 ばん岳嵯峨たりえん雨のうち
三級浪高黑雲鎖 三級浪高うして黒雲とざす
潜鱗直得化天龍 せんりん直に天龍と化するを得たり
くま訳
龍門亭に偈を捧げて、天龍寺の再興を賀すつのである。
夢窓国師の門風は既に消失してしまっている。
聖地嵯峨の山々は霧雨の中にけむる。
悟りを求めるものにとっての登竜門は、愚か者達によってとざされてしまったが、
生あるものは全て、直接悟りを得ることができるのだ。
*天龍寺:臨済天龍寺派の本山。京都五山の第一位
天龍寺龍門亭:南北朝時代の1346年に夢窓疎石・夢窓国師が選んだ「十境」のひとつ
*夢窓疎石(むそう そせき):1275〜1351南北朝時代の臨済宗の僧。9歳のとき甲斐平塩寺の空阿の弟子
となって密教を学び,18歳で得度し,奈良,東大寺戒壇院で慈観について登壇受戒した。 20歳で上京,
建仁寺の無隠円範に参じて禅に帰し,のちに中国より一山一寧が来日したとき,鎌倉に下って学んだが機
縁は契 (かな) わなかった。1325年 後醍醐天皇の勅により南禅寺の住持となるが,北条氏に請われて
鎌倉に入り,北条氏滅亡後上京して再び南禅寺に入った。京都騒乱後に足利尊氏の帰依を受け,天竜寺の
開祖となった。天竜寺船による貿易を促し、また造園芸術を発展させた。門派は夢窓派といい、五山文学
の最盛期をつくった。足利氏は末代にいたるまで疎石の門徒に帰依することを約束し,室町時代を通じて
夢窓派が隆盛することとなった。
*萬嶽:万岳・多くの山々。
*潜鱗:水中にひそんでいる魚。
おまけ・『碧巌録』第七則 茶席の禅語選HPより抜粋
三級浪高魚化龍、癡人猶戽夜塘水。 三級浪高くして魚龍と化し、癡人猶おくむ夜とうの水。
「修行者が師家のもとに参じその鉗鎚を受けると、鯉が竜門を透過すると竜と化してしまうように、おろか
な人も悟りを得て禅門の竜象となるという意。俗に毎年三月三日に鯉がその滝を遡って竜門を透過すると、
角を生やして竜になるという故事」
「竜門の三段の堰の高なみを上って魚はすでに竜となったのに、愚かものが魚を捕えようと、なお夜の淵の
水をかい出している。言葉づらにとらわれて、勘所を押さえきれない愚かさを喩える」
「鯉は疾くに龍となつて禹門の三級を上つたのに、馬鹿者が何時迄も水をかえている」
「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時鯉魚が跳び
越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知らずに、愚人は暗
夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」
*三級 … 三段になった滝のこと。
*鉗鎚(ケンツイ):「鉗」は金ばさみ、「鎚」は金づちの意。禅家で、師僧が弟子を厳格に鍛え、教え導
くことをたとえていう語
(´・(ェ)・`)つ
427
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/17(土) 23:53:09 ID:1d4drIFg0
天龍寺の再興ができた賛じゃな。
乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのじゃ。
嵯峨の万の山は煙雨の中なのじゃ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのじゃ。
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのじゃ。
要するに天龍寺で修業すれば直ぐにでも悟れるのじゃ、ということじゃな。
428
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/18(日) 06:37:40 ID:QdkMQi020
くま訳全面改
乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのだ
嵯峨の万の山は煙雨の中なのだ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのであるが、
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのだ。
*乃祖:(ない) 汝の祖父。また、一般に、祖先。だいそ。
*盡:つきる。なくなる。つくす。きわめる。なくす。ことごとく。全部。すべて。
*「三段の滝が波高く黒雲を縛る」は、天龍寺での厳しい修行をすれば、悟りを妨げる障壁を取り除くとい
う理解でよいでありましょうか?
387
滅燈齋
眞前一盞太分明 眞前の一さんはなはだ分明
乃祖靈光照太淸 ないその霊光太淸を照らす
徳嶠悟道我不會 徳けうの悟道、我ゑせず
江湖夜雨十年情 がう湖や雨十年の情
くま訳
目の前に盃があることは、はなはだ明らかなのだ。
祖師から受け継いだ尊い光は天下全てを照らすのだ
徳嶠の悟道は、わしには分からぬが、
江湖の夜雨 ともに修行した十年の情で気にかかるのだ
*中川徳之助先生解説より抜粋。()内はくま添
自戒集を見ると寛正2年(1461)6月16日、一休は大燈国師の頂相を本寺に返して念仏宗に改宗すること
を宣言する。その動機となったのは、一休会下の久参の僧が「我カ印可ト云テ年来久参タテヲシテ、一休ノ後ハ我ニ仏
法ヲ問ヘト会裡ノ人々ニ申シアエリ。」とあるような行動をとったことで、この僧を前年の6月11日に擯出し、1年
後の改宗宣言であった。
(この)擯出された僧とは、(謹白久参人・・
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>669
(にある)崇宗蔵主のことかもしれ
ない。(滅燈斎=崇宗蔵主の斎明)
(387)の頌は、龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答をふまえて作られているが、あるいはこの頌を一休
よりの印可と思い誤り、崇宗蔵主(滅燈斎)は擯出される結果になったのではありますまいか?
*齋:雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたもの
*盞(さん):盃
*太淸:天
*徳嶠:徳山のことでありましょうか?
*黄庭堅の詩(サワラ君の日誌blogより)
桃李春風一杯酒
江湖夜雨十年燈
桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒
江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
*龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答(じ・た・る先生blogより)
徳山禅師が、天下に聞こえた龍潭和尚をしたってようやく龍潭を訪ねることができたときのことである。
龍潭和尚の部屋に入って、師から懇切な教えを聴いていた徳山は、ときの経つのをすっかり忘れていた。
龍潭和尚が 「夜もだいぶ更けたようじゃ。そろそろ引き上げたらどうじゃ」 と言われたので、ていね
いに別れを告げて、簾を上げて外へ出ると、外は既に真っ暗闇だった。 しかたなく、龍潭和尚のところ
に戻ってきた徳山は、恐縮しながら 「暗くて道が分からないのですが」と申し上げた。すると龍潭和尚
が自ら紙燭(紙に油を染み込ませた物)に灯を灯して目の前に出された。ところが徳山がそれを受け取ろ
うとすると、龍潭和尚がにわかにその紙燭の灯をフーッと吹き消してしまった。そのとたん、徳山は忽然
として悟りを開いてしまった。
(´・(ェ)・`)つ
429
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/18(日) 23:20:40 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、龍は雲に乗って昇天するから黒雲が縛られたら昇天できないのじゃ。
それが悟りの障害を乗り越えることの喩えじゃな。
430
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/18(日) 23:44:56 ID:1d4drIFg0
燈明を滅する滅燈齋というから徳山じゃろう。
顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのじゃ。
祖師の霊光は天まで届くのじゃ。
徳山の悟道にわしは会っていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのじゃ。
431
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/19(月) 11:24:53 ID:5liPk8Gc0
くま訳全面改
顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのだ。
祖師の霊光は天まで届くのだ。
徳山の悟道にわしはあっていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのだ。
*盞→ 一盞明灯=狼煙、かがり火
*「世間で夜雨に遭えば十年の情がわく」とは、自分を慕って訪ねたてきた徳山に対して、龍潭和尚が、導い
て徳山自身の内側の光明に気付かせて悟らせた、その機縁についてのことでありますか?
388
賛六祖 六祖を賛す
隋身擔子鈯斧 隋じんのたんすとつぷ
不知何處山翁 知らずいづれのところの山翁ぞ
南方佛法會否 南方の佛法會すや否や
盧公老老盧公 ろ公老老ろ公
くま訳
薪を担ぎ、なたを持ち歩く、
素性の知れぬ山男とみなされていたが、
南宗頓悟禅を打ち立てて五祖の法嗣として認められることになったのだ。
六祖慧能よ!慧能老師よ!
*随身(ずいじん)1 平安時代以降、貴人の外出のとき、警衛と威儀を兼ねて勅宣によってつけられた近衛
府の官人。2 神社の左右の神門に安置される守護神。3 桃の節供に飾る雛(ひな)人形の一。4 供とし
てつき従っていくこと。また、その人。おとも。5 物を身につけること。携帯すること。
*擔子:天秤棒で担ぐ荷、責任
*鈯斧:なた、斧の類なり(大成脚注)。切れ味が鈍くなってしまった斧、鋭くない斧、不鮮明な
*南方佛法會否:五祖に参じ、八月遂に黄梅の衣法を伝持して山を下る、五祖の指示により南方に遁れ、漁
恠にかくれ、後印宗法印の非風動、非幡動の旨を断じ、遂に剃具すと(大成脚注)
六祖慧能禅師は五祖弘忍(ぐにん)禅師の法の奥義を受け伝法衣を引き継いだものの、身分なく真っ
当な出家得度者でなかったことなどから、五祖門下の承認が得られず弘忍の奨めによって、さらに修行行
脚の旅にでた。そんなあるとき広東省・法性寺の印宗和尚の「涅槃経」の講座があることを聞きつけて
法性寺を訪ねたときのことである。講座が開かれる法堂の前には幡が立てられて折からの風にあおられて
パタパタと音をさせてはためいていていた。・・風が動いているのか、幡が動いているのかという議論に
対して「風動くに非ず、幡動くに非ず、仁者(あなたがた)の心が動いているのだ」と。断じた。
(´・(ェ)・`)つ
432
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/19(月) 11:31:24 ID:5liPk8Gc0
*おまけ:
慧能(えのう)wikipediaより抜粋:638-713年南宗の六祖。父が早くに亡くなり、薪を売って母親を
養っていた。ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち、東山の五祖弘忍の下に
参じたが、文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、曹渓宝
林寺に移って布教を続け、兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなる
まで布教を続けた。
伝説
壁に書かれた詩について
慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた
者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それ
を聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)
慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提もと樹無く 明鏡亦また臺に非ず)
本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれの處にか塵あいを惹かんと)
慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってき
たが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。
思想
慧能は「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いたことは、法話集である『六祖
壇経』から明らかであるが、荷沢神会を始めとした鼓吹派が、神秀の漸修禅(北宗)に対して頓悟禅(南
宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大し・・・後の五家七宗全てがそ
の一門から出た。
(´・(ェ)・`)b
433
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/19(月) 22:22:17 ID:1d4drIFg0
>>431
そうじゃろう。
娑婆世界の苦を経て慈悲深い師匠についたということじゃな。
六祖の賛じゃな。
荷を担ぎ鉈斧を持ち歩く、
どこの山の親父かわからんような者だったが、
南方の仏法に逢うやいなや、
盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのじゃ。
434
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/19(月) 22:57:36 ID:6XTolzis0
くま訳改
第三句:南方の仏法に逢うやいなや、
第四句:盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのだ。
389
桃花浪
随波逐浪幾紅塵 ずいはちくろういくこうじんぞ
又値桃花三月春 又あたふとうか三げつの春
流恨三年六十劫 恨みを流す三年六十劫
龍門歳歳曝金鱗 龍門歳歳 金りんをさらす
くま訳
俗世で波を追い、波の中に(龍=悟りを)探す。
又、鯉が滝を登り龍になると(伝説)にいわれる桃花の3月が来た。
伝説を信じたことを、永遠にうらみつづけるだけだ。
禅門の師家は、登ってくるのが龍か魚か見分けるのだ。
*桃花浪:「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時
鯉魚が跳 び越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知ら
ずに、愚人は暗夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」
>>386
*くま注再掲
*龍門歳歳曝金鱗:「禹門三級の浪あり、三月に至る毎に、桃花の浪漲る、魚能く水に逆らひ躍つて浪を過
ぎる者は龍と化し、 風雷を起こし、其の尾を焼いて天に登る」と。之を飜出したるなり
*紅塵(こうじん):俗世の煩わしさ。
(´・(ェ)・`)つ
435
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/20(火) 21:55:53 ID:1d4drIFg0
俗世の波に随い流れをおって何年も暮らしたのじゃ。
又桃花の咲く三月になったのじゃ。
長年の恨みを流し捨て、
龍は門を出でて毎年金の鱗を曝すのじゃ。
436
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/20(火) 23:29:20 ID:Z3zUjfmQ0
くま質問
1.「長年の恨みを流し捨て」とは、鯉が滝を登り龍になるという伝説、頑なに信じることをやめると言う理解
で良いのでありましょうか?
2.「龍は門を出でて毎年金の鱗を曝す」とは、悟った禅僧は、世間に出て禅機を発揮するのだ、みたいな理解
でよいでありましょうか?
*金鱗:勝れた禅僧の喩え
391
聞聲悟道 もんしょうごどう
見色明心 見色明心
雲門拈云 雲門ねんじていはく
観世音菩薩 観世音菩薩
将銭来胡餅 銭を持ち来たりてこびょうを買ひ、
放下手曰 手をほうげしていはく
元來是饅頭 元来これ饅頭と
即現観音奴婢身 即ち観音に現ず奴婢の身
饅頭胡餅谷精神 饅頭胡餅精神やしなふ
舊時難忘見聞境 旧時忘れがたし見もんの境
滿目山陽笛裏人 満もく山陽てきりの人
くま訳
自然の音を聞いて真実を悟り、
色を見て心のあり様を明らめる。
雲門はちょぴっとひねって、話を続けた。
観音さんが、
銭を持って来て胡餅を買った。(菩薩は自分が本来ブッタであることを忘れてるのだ。
手を開いてみたら饅頭だった。(衆生も又本來ブッタであるのだ)
これは、観音菩薩が衆生の身で現れるという意味である
饅頭か餅か(仏陀か衆生か)分別しようと囚われる
以前から知ってるつもりのことに囚われて物事を見たり聞いたりする
目を見開いて、気付けば全ての衆生は仏陀なのだ。
*
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>924
*即現観音奴婢身:三十三應身の所なり。
三十三応身【観音経】より
…元来は,単独に読まれたのを,中国で合体したもので,後代はもっとも人気ある経典として,再び独立
して読まれるようになる。観世音菩薩が衆生の願いに応じて姿を変える三十三応身と,十九の説法につい
て説き,衆生がその名をよぶことによって,あらゆる願いが満足されるとするもの。中国では,六朝以来,
種々の霊験集が編まれるとともに,唐代に密教系の千手千眼観音の信仰が広まると,各地にその霊場が出
現する
*滿目山陽笛裏人:丁度昔時の知親に逢う感がするなり。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ
437
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/21(水) 23:56:01 ID:1d4drIFg0
>>436
それより煩悩を流しつくしたというような感じじゃな。
長く修業して全て捨てたのじゃ。
2 そんな感じじゃな。
悟りを得て巣立ったのじゃ。
438
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/22(木) 00:29:00 ID:1d4drIFg0
声を聞いて悟りを得て、
色を見て心を明らかにしたのじゃ。
雲門がひねって言うのじゃ。
観世音菩薩
銭をもって胡餅を買い、
手を開いてみれば
元来これ饅頭なのじゃ。
即ち観音ではなく奴婢の身なのじゃ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのじゃ。
昔見聞した境地は忘れがたいものじゃ。
見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入するのじゃ。
439
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/22(木) 15:02:14 ID:8x8UFS8o0
>389
くま訳改
第三句:長年の修行で煩悩を流し尽くしたのだ。
第四句:悟りを得た龍は門を出て巣立っていったのだ。
>390
くま質問
1.「観音ではなく奴婢の身」とは、お金を出して胡米餅を買う時点で、菩薩であることを忘れた奴婢の身で
あると言う理解でよいでありましょうか?
2.「饅頭も胡餅も身ではなく精神を養う」とは、食べ物の値段が高いか安いかによって、身の養われ方に違
いがあるのではなく、値段にこだわる精神が卑しいみたいな理解で良いのでありましょうか?
3.「昔見聞した境地」とは、悟る前の分別心のことでありますか?
4.「見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入する」とは、ありのままをありのままに見聞きするという理解
で良いで有りますか?
44(再掲・
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>688
1/4〜3/4)
三界1/3
來往生霊六道街 らいわうすしゃうりゃう六道のがい
修羅闘諍没生涯 修羅の闘争生涯なし
人間未得諸天樂 人間いまだ諸天の楽しみを得ず
闕減娑婆事々乖 けつげんの娑婆じじそむく
くま訳
生霊が行き来する六道街
修羅道では生涯醜い闘争に明け暮れる、
人間道では、天界の楽しみを知ることはない、
もの足りない娑婆で、ひねくれて事々に背いてみたりする。
*三界:欲界・色界・無色界の三つの世界、衆生が生死を繰り返しながら輪廻す。三有(さんう)ともいう。
*六道(ろくどう、りくどう):衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこ
と。六趣、六界ともいう。天道(てんどう、天上道、天界道とも)・人間道・修羅道(阿修羅道とも)・
畜生道・餓鬼道・地獄道
(´・(ェ)・`)つ
440
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/22(木) 23:02:54 ID:1d4drIFg0
>>439
一 それでよいのじゃ。
二 それは食べ物によって悟りの道を示したと一休が書いたということじゃな。
値段は関係ないのじゃ。
三 ただ悟る前の境地であるのみなのじゃ。
四 昔、日の当たる山の中で笛の声を聞いて三昧の境地に入ったということじゃな。
悟る前にそのような境地に入れたということは、もとから仏であったからということじゃな。
441
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/22(木) 23:08:23 ID:1d4drIFg0
三界の有り様じゃな。
生霊が往来する六道の街なのじゃ。
修羅は生涯闘争に没入しているのじゃ。
人間はまだ天の安楽を得ていないのじゃ。
欠乏している娑婆の者は事毎にそむくのじゃ。
442
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/22(木) 23:41:24 ID:Y1elTGOI0
>439くま訳全面改
卽ち菩薩であることを忘れた奴婢の身なのだ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのだ。
悟る前の境地は忘れ難いものなのだ忘れがたいものなのだ。
見渡す限り陽があたる山中で笛の声を聞いて三昧の境地に入れたのは、もとから仏であったからなのだ
くま再質問「食べ物によって悟りの道を示した」とは、日常の食べ物である胡餅に対して、特別な食べ物であ
る饅頭。修行によって整えられた意識のあり様みたいな意味でありましょうか?
45(再掲・
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>688
2/4)
2/3
餓鬼畜生無菩提 餓鬼畜生菩提無し
劫空法習徹吾臍 劫空の法しふわがほぞに徹す
無色衆生涙如雨 無色の衆生涙雨の如し
月沈望帝一声西 月は沈む望ていいっせいの西に
くま訳
餓鬼畜生道には、救ってくれる菩提はいない
永遠の法を思い知らされる。
今や姿かたちなく、住人は雨のように涙する。
月が沈むのは、民に慕われた望帝がかつていた西のほうだ。
*望帝杜宇(ぼうていとう):古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望帝
の魂が鳴いて田植えの時期を教えてるのだと語り継がれた。
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。
(´・(ェ)・`)つ
443
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/23(金) 23:16:20 ID:1d4drIFg0
胡餅は衆生であり饅頭はもはや仏陀の喩えなのじゃ。
衆生はもとより仏陀であるという喩えに使われたのじゃ。
餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのじゃ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのじゃ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのじゃ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むようにのう。
444
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/24(土) 00:04:22 ID:2kJAG2Oc0
くま訳全面改
餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのだ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのだ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのだ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むように
46(再掲・
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>688
3/4)
3/3
威音那畔本去刧 ゐおんなはんもときょごふ
彌勒當來又來劫 弥勒当来又来ごふ
依草附木舊精魂 えそうふぼくの旧(きゅう)せいこん
可憐三年六十刧 憐れむべし三しゃう六十刧
くま訳
誰でも悟らせることが出来た威音王如来が居たのは、昔々お大昔であり、
未来仏である彌勒さんが来るのは、ずっとずっと遠い未来のことだ
死後成仏するまでの間は、魂は生きてたときのままだ。
憐れむべきは、三回生まれ変わり、六十刧の間待たなければならないかもしれないことだ。
*威音王如来(いおんのうにょらい):大昔の仏、誰でもを悟らせることができた仏
*依草付木(えそう ふぼく)① 死後、中有(ちゆうう)の間、人の霊魂が草木に宿っていること。
②修学者が言葉や文字にとらわれて、真理の根本を会得せず、悟りの境地に到達し得ないでいること
(´・(ェ)・`)つ
445
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/24(土) 23:13:00 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
威音王如来は大昔に去ったのじゃ。
弥勒の到来は又はるか先のことなのじゃ。
草に依り木々に付属する古い精魂は
三世六十劫の修業をせねばならぬのは哀れなのじゃ。
446
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/25(日) 00:34:13 ID:ridkw7yo0
391
三界 4/4
須参最上乗之禪 須らく参ずべし、最上乗の禅、
等妙如來豈自然 等妙の如来、豈に自然ならん。
三界無安猶火宅 三界無あんなほ火宅のごとし
三車不識在門前 三車門前に在るを識らず。
くま訳
当然為すべきこととして、最上の修行法としての坐禅をしよう。
如来の如くにありたいのなら、何もしなくてもいいはずがあるまい。
何もしなければ、三界はやすまる処無く、火事の家の中にいるようなものだ。
何もしなくても、誰かが救ってくれることなど無いのだ。
*自然(じねん):「はからいのない」
(´・(ェ)・`)つ
447
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/25(日) 22:03:57 ID:1d4drIFg0
最上の乗物の禅に是非とも参加するのじゃ。
平等妙心の如来に自然に成るのじゃ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのじゃ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのじゃ。
448
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/25(日) 22:43:52 ID:emCATIgM0
くま訳全面改
最上の乗物の禅に是非とも参加するのだ。
平等妙心の如来に自然に成るのだ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのだ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのだ。
*三車:法華経譬喩品(ひゆほん)に説くたとえ。ある長者の家が火事になったとき、家の中の子供たちに羊
(よう)車・鹿(ろく)車・牛(ご)車を与えるからと言って屋外に避難させた。長者を仏に、火事の家をこの
世に、子供を世の人に、羊車・鹿車・牛車をそれぞれ声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょ
う)・菩薩乗(ぼさつじょう)にたとえたもの。
三乗:悟りの世界に入るための3種の教え,実践あるいは道を乗物にたとえたもの。 (1) は声聞乗。苦,
集,滅,道の四諦 (→四聖諦 ) を悟り阿羅漢となるための教えあるいは実践。 (2) は縁覚乗。十二因縁
悟って独覚 (→縁覚 ) となる行き方。 (3) は菩薩乗。無上菩提を証得せんとする菩薩たちの道。
392
忍辱仙人 忍にく仙人
須成忍辱波羅蜜 須らくじゃうずべし忍辱波羅密
是如來甚深秘密 是れ如來の甚深秘密
心火焼盡菩提根 心火焼じんす菩提のこん
阿修羅王滅佛日 阿修羅王仏にちを滅す
茶の湯に親しむHP訳
とにかく耐え忍んで悟りへの修行を成就すべきことが、
如来の究極の教えである。
そうしなければ、業火は悟りの心根を焼き尽くし、
阿修羅は仏や太陽までも握りつぶすのだから
くま訳
当然なすべきこととして、侮辱や迫害を耐えしのび、不動心を得る修行に取り組むのだ
これこそがまさに、悟りを得る為の如来の秘密の教である。
怒りに燃える感情は、悟りを求める心を焼き尽くす。
阿修羅王の怒りは仏の光明を滅してしまうのである。
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、
最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
参
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>858
*忍辱波羅蜜:菩薩の六種の修行徳目(六波羅蜜)の一つ。種々の外からの侮辱や迫害を耐えしのんで、心
を動かさず安らかにする行。
*心火:怒り・しっとなどで燃え立つ感情
(´・(ェ)・`)つ
449
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/26(月) 21:52:35 ID:1d4drIFg0
大体善いのじゃ。
修行者は忍耐の完成を成し遂げるべきなのじゃ。
これが如来の甚だ深い秘密なのじゃ。
忍耐がなければ怒りの火は菩提の根を焼き尽くし、
阿修羅王の如く仏や日を滅してしまうのじゃ。
450
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/26(月) 22:46:36 ID:zvxCgIyg0
393
余誡會裏徒曰。 余、会裏の徒を戒めて曰く。
喫酒必須用濁醪。 酒を喫せば、必ず須らく濁らうを用ふべし、
肴則其糟而巳。 かうは則ち其のかすのみ。
遂名之曰乾一酒。 遂に之を名づけて乾一酒といふ。
仍作偈以自笑云。 よって偈を作り以って自ら笑ふと云ふ。
醉裡衆人奈酒腸 醉裡衆人酒腸をいかんせん
醒時伎盡啜糟糠 さむる時伎尽きて糟糠をすする
湘南流水懷沙怨 湘南の流水わい沙のうらみ
引得狂雲笑一場 狂雲が笑一場を引き得たり
くま訳
余は、一休会下の弟子達に戒めをを与えたのである。
飲酒する時は、必ずにごり酒にせよ。
肴は必ず酒糟のみとせよ。と。
ついにこの規則を名づけて、さかな一品酒としたのである。
そんなことを、偈にして笑ったのである。
弟子達が酒に酔っていることに対して、はてどうしたものか(と作った規則である)。
酔いから覚めたら、芸も尽き、貧しさを噛締めることになるであろう。
湘南の流水に、懐(ふところ)に重しの石を入れて、入水自殺をした楚の国の屈原が抱いたよな怨みはなど、
狂雲なら、その場で笑いとばしてやることができただろう。
醉裡衆人奈酒腸:屈平が漁夫の辞に曰く、「世を挙げて皆濁り、我独り清めり、衆人皆酔えり、我独り醒む、
是を以って放たる。」と。漁夫の辞に曰く。「衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を食うて、其の釃(しる)を歠
(すす) らざる。」と蓋(けだ)し此れ漁夫の意に随うなり。(禅学大成脚注より)
*136漁父:
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>850
*糟糠:酒かすと米ぬか。貧しい食事の形容。"
(´・(ェ)・`)つ
451
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/27(火) 23:40:33 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。
わしは会のものにいさめて曰く
酒を飲むなら濁り酒なのじゃ。
肴はその酒糟のみなのじゃ。
これを名づけて乾一酒というのじゃ。
よって偈を作り自ら笑うのじゃ。
酔っ払った者達をどうすべきかのう。
醒めれば技も尽きて糟糠をすするのじゃ。
湘南の流水に砂を抱いて入った屈原のように独りわしは醒めているのじゃ。
わしが笑いを一つ引き受けたのじゃ。
452
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/27(火) 23:55:17 ID:Up5zCyqU0
97 (再掲
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>936
)
偶作 1/2
慧命微微懸一絲 えみょう微々として一糸をかく
分明臨済正傳師 ふん明なり臨濟正伝の師
識情名利山林客 識情名利山林の客
夜夜秋風枕上吹 ややの秋風ちん上に吹く
たまたま出来た詩
悟りの智慧など極々わずかで、その細い糸に命を懸けるのである。
誰が臨済の正傳であるかは、明らかである。
迷い、名利を求める参拝者達
毎晩、秋風が枕元を吹き過ぎるような、思いだ
*慧命:悟りの智慧を生命にたとえた語。法命
*識情:迷いの心
(´・(ェ)・`)つ
453
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/28(水) 22:03:19 ID:1d4drIFg0
正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのじゃ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのじゃ。
名利に迷う客も多いのじゃ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのじゃ。
454
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/29(木) 23:11:23 ID:mQQhlngY0
くま訳全面改
正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのだ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのだ。
名利に迷う客も多いのだ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのだ。
394
偶作 2/2
睡裡海棠春夢秋 睡裡の海棠春夢の秋
明皇離思獨悠々 めい皇離思独り悠々
三千宮女情難慰 三千の宮女情慰しがたし
更遂馬嵬泉下遊 更に馬くわい泉下の遊びをおふ
くま訳
夢の中の海棠の花のようだと美しさを喩えて詠んだ、
そんな楊貴妃との別離の思いを、英明な玄宗皇帝が悠々と詠んだのだ。
三千人の女官がいても、誰も皇帝を慰めることが出来ない。
更にその(楊貴妃の)魂は、(冨子に乗り移り、)遊び続けているのだ。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
>>103
*海棠(かいどう)の睡(ねむ)り未だ足らず」玄宗皇帝が楊貴妃を評した言葉。眠りが足りず酔いのさめ
きらない美人(楊貴妃)のなまめかしさを海棠の花にたとえたもの。
*明皇:英明な皇帝。
*離思(りし):別離のおもい。離別の情。
(´・(ェ)・`)つ
455
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/04/30(金) 23:15:31 ID:1d4drIFg0
睡る海棠の春夢は終わったのじゃ。
英君も離苦の思いに独り泣くのじゃ。
三千の官女も慰めることができないのじゃ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのじゃ。
456
:
避難民のマジレスさん
:2021/04/30(金) 23:34:18 ID:ASe9QUTg0
くま訳全面改
睡る海棠の春夢は終わったのだ。
英君も離苦の思いに独り泣くのだ。
三千の官女も慰めることができないのだ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのだ。
266(改) 2020/8/23に掲載したくま訳を、鬼和尚解説読後に改めた
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
)
>>927
。
この詩に関しては、当初、↓①を基に、くま訳しました。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・氷輪
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・水輪
③狂雲集(民友社・明治42年)・・水輪
今回、当時の鬼和尚解説に従い、全面改であります。
井 1/2
高下互看打水輪 高下互ひに看る水輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪
くま訳全面改
水車が回るように日々倦まずに精進すれば、
禅僧は禅機を発揮できるよになるのだ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのだ。
そして、天に輝く月一つを汲み尽くすのだ。(月を映す水が無ければ月も映らないのだ。)
*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
(´・(ェ)・`)つ
457
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/01(土) 21:25:44 ID:1d4drIFg0
いかすのう。
それでよいのじゃ。
458
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/01(土) 22:34:51 ID:5Egb2YzY0
395
井 2/2
吸盡西江公案圓 西がう汲み尽くして公案まどかなり
工夫不管溺深泉 工夫管せず深泉に溺るることを
不借寸繩千尺底 寸じょうをからず千尺の底
西來祖意爲人禪 西來の祖意爲人の禪
くま訳
西江の水を汲み尽くすという公案は、完璧である。
深い泉で溺れようとも、一心に禪の修行に励むとは、
短い縄を借りて、長い縄のようにしろというのではない。
達磨の意図は人が為せる禅である
*大河の水を呑み尽くす:一口に吸尽す西江の水―(『馬祖録』)
龐居士(150の詩 参)が馬祖道一禅師に質問した。「世界のあらゆる存在と与しない、独立自存の人と
は、いったいどのような人ですか」。その質問に答えた馬祖の語。「お前が西江の水を一口に飲み尽くし
たら、それを教えてやろう」ということ。禅は独脱無依の絶対主体性を確立することである。自分以外の
一切のものと与しないような完全に自立した人間になることである。
*西江(せいこう)は、中国南部流れる川、長江・黄河に次ぐ3番目の長さ。
*不管〜(都): ①「〜であろうと・・・だ」「〜にかかわらず・・・だ」②構わぬ
*水不借路路不借水
みずみちをからず みちみずをからず
水は道を借りて流れているわけではない。
道に沿って流れ、流れに応じて道ができる。
(´・(ェ)・`)つ
459
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/02(日) 22:54:26 ID:1d4drIFg0
西江の水の公案は全く正しいのじゃ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのじゃ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのじゃ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのじゃ。
要するに弟子の足りない智慧で役に立たないわからんことを言っても無意味ということじゃな。
460
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/03(月) 00:46:46 ID:W4iRKgJs0
くま訳全面改
西江の水の公案は全く正しいのだ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのだ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのだ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのだ。
396
賛仰山 二首 1/2 仰山を賛す
小釈迦唐朝出生 小釈迦唐朝に出生す
夢中兜率太分明 夢中兜率はなはだ分明
耽源體也潙山用 耽源は体や潙山は用
體用中唯開眼晴 體ゆうのうちただ眼晴を拓く
仰山を賛す
小釈迦が唐の時代の中国に生れたのだ。
夢の中で兜卒天(とそつてん)に昇り弥勒菩薩の所に行ったというのは、明らかだ。
耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得たのである。
体用の中で悟りを開いたのである。
*仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく、804- 890年):唐代の禅僧。諡は智通禅師。
17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。潙山霊祐に出会い、15年前後の間師事し
た。後に、仰山に住したので、その名となった。師の住した潙山と合わせて、その系統を潙仰宗と呼んだ。
*體用たい‐ゆう 本体とその作用。たいよう。
*碧巌録「千尺井中」(岩井茂樹先生)
ある時、仰山慧寂が耽源という老師に「井戸に落ちた人を短い縄も使わずに助けるにはどうすればいいので
すか」と尋ねた。それに対し、耽源は即座に答える。そこで放たれるのが「咄、痴漢、誰か井中にある」と
いう言葉だった。意味は「こら、馬鹿者、誰が井戸の中にいるというのだ」というものである。悟ることの
できなかった仰山は、次に潙山霊祐という老師のもとに行き、同じ問いを投げかける。すると潙山は仰山の
名である「慧寂」と叫ぶ。
それに対して仰山は「はい」と答えたが、潙山は「よし出た」と言う。これによって、仰山は悟ることがで
きた。後に仰山は「耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得た」と回顧したという。
ちなみに、最後の部分は『景徳伝灯録』など中国の経典では「耽源老師によって名を得て、潙山老師によっ
て地を得た」となっている点が異なっている。
この公案は仰山の語録や事跡が紹介されるたびに引かれたり、禅の公案書に引かれたりして、公案の中でも
もっとも有名なものの一つとなった。日本ではやはり『碧巌録』に引かれたことが大きかった。
(´・(ェ)・`)つ
461
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/03(月) 23:22:09 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
小釈迦は唐朝で出生したのじゃ。
夢の中で兜率天に行ったのはとても分明なのじゃ。
耽源に体を得て、蕃山に用を学んだのじゃ。
体用の中で眼を開いたのじゃ。
体は悟りの本質であり、用は智慧とも言えるじゃろう。
462
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/04(火) 11:57:00 ID:MyFrn1YY0
397
賛仰山 二首 2/2
枕子夜來推出時 ちんす夜來推出する時
一宗敗闕少人知 一宗敗闕人の知ることまれなり
法身説法座主説 法身説法座すの説
黄葉一枝誑小兒 くわうえふ一枝小児をたぶらかす
くま訳
夜間、枕を手探りで探して、推し出してしまったようなものである。
潙仰一宗禪は衰えて、もはや知る人も少ない
悟りの境地を座主が言葉で説明できるという説である。
もう枯れ果てた宗門であるが、子供を騙しているのである。
*潙仰一宗禪:潙山霊祐、仰山慧寂により鼓吹された禅風。宗風には、黙照禅と称される曹洞宗に類似した
点も見られるが、家族的で、孤立的な性格があったものと思われる。その宗風が、逆に災いし、同系の臨
済宗が隆盛するにつれて、衰退して行き、宋代に至って遂に吸収同化されてしまったものと考えられる。
*"
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>665
948
* 枕子夜來推出時:夜間に手を背(うしろ)にして枕子を摸する
道元禅師は、以下のように提唱される。
道吾いはく、如人夜間背手摸枕子。いはゆる宗旨は、たとへば、人の夜間に手をうしろにして、枕
子を摸索するがごとし。摸索するといふは、さぐりもとむるなり。夜間はくらき道得なり、なほ日
裏看山と道取せんがごとし。用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を学すべし。
夜間を日裏よりおもひやると、夜間にして夜間なるときと、撿点すべし、すべて昼夜にあらざらん
ときと撿点すべきなり。人の摸枕子せん、たとひこの儀すなはち観音の用手眼のごとくなる、会取
せざれども、かれがごとくなる道理、のがれ・のがるべきにあらず。 『正法眼蔵』「観音」巻
*法身説法 :真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺HPより
密教ではこの現象世界を、真理そのものを仏格化した法身(ほっしん)である大日如来が説法している実
在の世界そのものと把える。(法身説法)
即ち、他ならぬこの現象世界を離れて真実の世界はなく(即時而真(そくじにしん))、悟りの境地も文
字や象徴的表現をかりて説く事ができる(果分可説)とする。"
(´・(ェ)・`)つ
463
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/04(火) 23:53:17 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
枕を夜に推しだしてしまうのじゃ。
一宗の敗闕は知る者も少ないのじゃ。
法身の説法は座主の説であるというのじゃ。
黄葉の一枝で子供を誑かすようなものじゃ。
464
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/05(水) 00:27:44 ID:CJJLwlm.0
398
雨滴齋 雨滴 齋名
蕭々門外是何聲 せうせう門外是れ何の聲ぞ
不會當機問鏡淸 ゑせずんば当機鏡しゃうに問へ
顚倒衆生迷逐物 てんだうの衆生迷ふて物をおふ
窓前半夜一燈青 窓前半夜一燈青し
吟魂→窓前
くま訳
門外から聞えるのは何の音であるかと、鏡清禅師が尋ねた。
師とのやり取りが理解できなくて、弟子が更に問い返すと、師は適切な指導をした。
衆生は本末転倒して、事物を追いまわして自己を見失ってしまう。自己の外側に意識をさ迷わせて、己を見失う
夜半燈火ともる窓辺である。
*斎名(さいめい・さいみん)雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたものだが、後
に俗人も用いるようになった。また、広く軒号・院号・庵号をも指す場合もある。斎号。
*蕭蕭(しょうしょう)1 もの寂しく感じられるさま。2 雨や風の音などがもの寂しいさま。
*雨滴聲『碧巌録』第四十六則 (茶席の禅語選HPより)
擧。鏡清問僧。 こす、鏡清、僧に問う、
門外是什麼聲。 門げ是れなんの声ぞ。
僧云。雨滴聲。 僧云わく、雨滴声。
清云。 清云わく、
衆生顚倒迷己逐物。 衆生はてんどうして己に迷うて物を逐う。
『碧巌録』第四十六則の頌に「虚堂(きょどう)雨滴聲」とある。誰もいない家に雨だれの音がしている
情景をさす。
『新版 禅学大辞典』には、「鏡清道怤と一僧が門外の雨だれの音について問答した公案」とある。
*鏡清:鏡清道怤禅師
(´・(ェ)・`)つ
465
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/05(水) 23:21:06 ID:1d4drIFg0
鏡清は蕭蕭と門の外の声は何じゃ、と聞いたのじゃ。
弟子は鏡清の問いに上手く答えられなかったのじゃ。
すると鏡清は顛倒の衆生は迷って物をおっているのじゃと言ったのじゃ。
窓の前には半夜一つの青い灯りがあつたのじゃ。
466
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/05(水) 23:43:03 ID:zbG8/PUw0
399
吊戦死兵 戦死兵を弔(てう)す
赤面修羅血氣繁 赤面の修羅血気繁し
悪聲震動破乾坤 悪聲震動し乾坤を破る
闘爭負時頭脳裂 闘諍負くる時頭脳裂く
無量億劫舊精魂 無量億劫の旧精魂
くま訳
戦死した兵を弔う
赤面の阿修羅、血気盛ん。
悪声を放って天下を震撼させた。
闘争に負けた時に脳天を裂かれたが、
永遠にその魂は消えないであろう。
(´・(ェ)・`)つ
467
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/06(木) 21:32:33 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
真赤な顔の阿修羅は血気盛んなのじゃ。
大声で天地を振動させて破るほどなのじや。
闘争に負ければ頭脳が裂けるのじゃ。
その精魂は地獄に行って無量億劫も出ることが出来ないのじゃ。
468
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/06(木) 23:23:48 ID:cHJhfcC60
400
確頌曰 確じゅに曰く
世間種種奯公圖 世間種々くわつ公の図
道伴知音一箇無 道伴知いん一箇も無し
夜雨蓬窓江海燭 夜雨ほう窓江海の燭
宗門零落盡工夫 宗門の零落工夫を尽くす
くま訳
世間には岩頭全奯禅師の絵が種々あるが、
岩頭の事がよく伝わる絵は一枚も無いのだ。
夜雨降る、水辺に面したあばら屋の窓辺の灯
宗門は零落したが、色々と工夫していたのだ。
*奯公(かつ公):岩頭全豁(ぜんかつ)禅師:、828- 887年)唐代の禅僧。青原行思の下で、仰山慧寂・
徳山宣鑑に
参じ、徳山の法を嗣ぐ。887年、賊に首を斬られて死す。
*知音(チイン)《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者
はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》1
互いによく心を知り合った友。親友。「年来の知音」2 知り合い。知己。「知音を頼る」3 恋人となる
こと。また、恋人。なじみの相手。
*蓬窓(ホウソウ):蓬(よもぎ)の生い茂った所に面した窓。転じて、貧しい粗末な家。
(´・(ェ)・`)つ
469
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/08(土) 00:52:03 ID:1d4drIFg0
世間には種々の岩頭全豁の図があるが、
修行者仲間と居る図は一つもないのじゃ。
夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのじゃ。
宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのじゃ。
470
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/08(土) 02:38:22 ID:isomS8To0
くま訳改
第三句:夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのだ。
第四句:宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのだ。
401
拈華微咲 拈華み笑
世尊拈出一枝花 世尊拈出す一枝の花
一代禪宗意氣奢 一代の禅宗意気奢る
金色頭陀獨傳法 金色の頭陀独り伝法
近年知識若河沙 近年知識河沙の若し
くま訳
釈迦は皆の前で一枝の花をかしげて見せたのだ。
これこそ(以心伝心、)正法の禅の始まりである。
仏法の極意が伝わったのはただ一人( 摩訶迦葉)だけであった
最近は、知識ばかり河の砂ほど増えすぎてるのである。(真理は何も伝わらないのである)
(´・(ェ)・`)つ
471
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/08(土) 21:53:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
世尊は一枝の花を捻って出したのじゃ。
禅宗一代目の祖師となった迦葉が微笑して答えて意気を上げたのじゃ。
金色の僧迦葉が独り言外の法を伝えたのじゃ。
近年では知識を集めて言外の法を失ったものばかりが河砂の如く多いのじゃ。
472
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/08(土) 23:12:59 ID:QYy2xejs0
402
會裡僧與武具 1/2 會裡の僧に武具を与ふ
説禪學道本無能 説禪學道もと無能
亂世英雄一錫僧 乱世の英雄一しゃくの僧
覿面當機若行令 てき面当機若し令を行ぜば、
鐵圍百億棒頭崩 鉄ち百億棒頭に崩れん
くま訳
一休会下の僧に武具を与えるのである
禅を説き、仏道を学ばせても役に立たないのである。
乱世においては単なる錫僧でも英雄になれるのである。
わしの指示通りにして、効果覿面の禅機を発揮すれば、
この世の最果てを取り囲む山々をも、君達は人足頭として、切り崩すことができるであろう。
*錫僧(しゃくそう):法会のとき、偈(げ)を唱え、錫杖(しゃくじょう)を振る役の僧。
*覿面(テキメン):① まともに見ること。まのあたりに見ること。親しく見ること。また、そのさま。
② (転じて) まのあたり。まとも。目前。即座。また、面と向かってじかにするさま。③ 目の前に著し
い結果が現われること。ある事柄の効果や報いが即座に現われること。また、そのさま。
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*令:①(神などの)お告げ。②上位者による指示。命令③よい事。令息、令嬢、令室、令名、令月
*鐵圍:鉄囲山てっちせん:世界の中心にある須弥山(しゅみせん)をめぐる九山八海の最も外側にある鉄で
できた山。鉄輪囲山。金剛山(こんごうせん)。
*棒頭:① 駕籠かき人足のかしら② 転じて、一般に人足のかしら。
(´・(ェ)・`)つ
473
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/09(日) 23:16:30 ID:1d4drIFg0
会の僧に武器を与えるというのじゃ。
僧兵じゃな。
禅を説き道を学ぶは本から無能力なのじゃ。
乱世の英雄は錫杖一本の僧なのじゃ。
目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのじゃ。
474
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/09(日) 23:45:59 ID:2Ox854ic0
くま訳改
第二句:乱世の英雄は錫杖一本の僧なのだ。
第三句:目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
第四句:鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのだ。
403
會裡僧與武具 2/2
道人行脚又山居 道にん行脚又山居
江海風流簑笠漁 がう海の風流さりゅうの漁
逆行沙門三尺剣 逆行沙門三尺の剣
不看禪録讀軍書 禅録を看ずして軍書を読む
くま訳
出家僧は行脚して、又山奥に住み、
海辺川辺の風流を楽しみ、みのを着て漁をする。
そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びて、
禅録は読むのではなくて、軍書を読めばよいのだ。
*道人(どうにん )1仏道の修行をする人。出家得道した人。2 道教を修めた人。神仙の道を得た人。
3 俗事を捨てた人。世捨て人。
*今川雑記ブログ(山紹先生)より抜粋
大徳寺では、一休宗純が大徳寺40世春浦宗煕に「法中の姦賊」と悪罵したことに端を発し、一休宗純と
春浦宗煕が対立していた。
一休宗純は、詩集『狂雲集』や『自戒集』で、春浦宗煕批判を展開していて、・・・
大徳寺72世東渓宗牧が、伊勢宗瑞(北条早雲)に与えた「道号頌」には、伊勢宗瑞は武勇の禅人で、大
徳寺で春浦宗煕の弟子として修行していたとある。
一休宗純が非難した、軍書を読んでばかりいた代表例が伊勢宗瑞といえる。
今川義忠の後を継いだ今川氏親を伊勢宗瑞は武によって、宗長は文によって支えている。今川氏親の許で、
一休宗純に心酔していた宗長と春浦宗煕の弟子伊勢宗瑞の間に確執はなかったのだろうか。
(´・(ェ)・`)つ
475
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/10(月) 21:57:47 ID:1d4drIFg0
ほぼそのような感じじゃな。
修行僧は諸国行脚し、又山に住むのじゃ。
川海の風に流れて蓑笠で漁するのじゃ。
逆行の僧は三尺の剣をもち、
禅録を看ず、軍書を読むのじゃ。
僧兵になっても軍書ばかり読んでいてはいかんというのじゃな。
476
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/11(火) 00:21:40 ID:32coR6eI0
くま訳改
第三句:そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びる者は、
第四句:禅録は読まず、軍書ばかりを読むようになるのだ。それではいかんのだ
404
嘆孤獨老人多欲 孤獨老人の多欲を嘆ず
千古無多富貴時 千古多きこと無し富貴の時
青銅十萬譲阿誰 青銅十萬誰にか譲る
必定後生三悪道 必定後生三悪道
老人何事不前知 老人何事ぞ前知せざる
くま訳
孤独老人の多欲を嘆く
昔は欲は多くなかった。裕福だった時には、
青銅十萬を誰に譲ろうかと思案したものだ。
年老いて欲深では、死後三悪道に堕ちるも必定である。
老人は何でその道理を前もって知ることが出来ないのだ
*三悪道・三悪趣:「道」は梵語 gati の訳語。衆生がみずからの業によっておもむくところの生存の状態、
またはその世界をいう。悪業の結果堕ちる三つの悪道。地獄道、餓鬼道、畜生道の三つ。三悪趣。三悪。
(´・(ェ)・`)つ
477
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/11(火) 21:33:55 ID:1d4drIFg0
だいたいそんなところじゃな。
孤独な老人の多欲を嘆くのじゃ。
昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのじゃ。
青銅十万銭を死後誰に譲るというのじゃろうか。
多欲であれば死んだ後に三悪道に堕ちるのは必定なのじゃ。
老人はなぜそのことを前もって知らないのじゃろうか。
478
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/11(火) 22:25:53 ID:ppWy.NFQ0
くま訳改
第一句:昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのだ。
第二句:青銅十万銭を死後誰に譲るというのだ。
405
端午
千古屈平情豈休 せんこくっぺいじょうあにきゅうせんや
衆人此日醉悠々 衆人この日酔って悠々たり
忠言逆耳誰能會 忠げん耳に逆らふたれかよくえせん
只有湘江解順流 只しょうこうの順流をげするあり
碇豐長先生訳抜粋
大昔、楚の屈原(が憂国の情のあまり、自殺したあの時)の思いはどうして休まる時があろうか。
人々は、(今日の端午の節句)の日にも、酒に酔って、ゆったりと落ち着いている。 *周りのみんなは、
憂国の情などの片鱗もなく、気楽に日を送っている。
忠告とは聞きづらいもので、(屈原の憂国の言を)一体誰が理解できたことだろうか。
ただ湘江だけが理解してくれて、素直に流れてゆくのみである。 *(屈原が彷徨ったことのある)湘江以
外は、(屈原の心を)理解しようとはしない。 ⇒そのように、わたし・一休宗純の心を理解してくれる者
もいない。ふるさとの山河だけが理解してくれようか。
くま訳
端午の節句
大昔の屈原の情を思うと、心休まることがない。
大衆は端午の節句の今日、酒を飲み悠々と過している
正しい忠告とは耳に痛いものだという事を理解できる者はいない。
ただ、屈原が身を投げた湘江の流れのみが、彼をつつみ流れてゆく
*會:さとる。理解する。動詞。
碇豐長先生解説抜粋
※端午:旧暦五月五日。屈原が汨羅に身を投げた日。秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅江に身を投げて、
自殺した命日に当たる。時に、紀元前278年の五月五日で、端午の節句の供え物の粽(ちまき)は、屈
原を悼んでのものという。この作品は、世に容れられなかった、楚の屈原を詠うことで、同時に自分の感
懐を伝えている。
屈 原(くつ げん、紀元前343 – 278年)は、戦国時代の楚の政治家、詩人。秦の張儀の謀略を見抜き、踊
らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。
端午の節句を詠んだ作品。5月5日は楚の「屈平」が「汨羅」にを投じた日。屈平の霊を祭る為に端午節が
出来た。21歳のとき人生に悲観して瀬田川に身を投じたが運よく助けられた一休、「汨羅」の江に身を投
じた楚の「屈平」に想いを馳せ、慈しんで詠ったか"
(´・(ェ)・`)つ
479
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/12(水) 21:05:59 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのじゃ。
人々はこの屈原の命日の節句の日も酒によって悠々としているのじゃ。
国を思う忠言は耳に逆らい誰が理解するじゃろうか。
ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるじゃろう。
480
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/12(水) 22:39:32 ID:6CTdDagY0
くま訳改
第一句:大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのだ。
第四句:ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるだろう。
406
百丈野狐
千山萬水野僧居 千山萬水や僧の居
甲子今年五十餘 かつしこん年五十餘
枕上終無老來意 ちん上つひに老らいの意無し
夢中猶讃小事書 夢中猶読む小事の書
くま訳
百丈野狐(不落因果、 不昧因果)
全国の山河が修行僧の住まいである
六十年周期で世が乱れるとされているが、今年で既に五十年以上経過している
うとうとしている間に気付いたら、年老いてしまうのだ。
夢の中で小事の書を読んでいる場合ではなおのである。
*甲子の年:西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年となる。
王朝交代の革命の年である辛酉の年の4年後で、天意が革(あらた)まり、徳を備えた人に天命が下され
る「革令」の年、すなわち変乱の多い年とされた(甲子革令)。それを防ぐ目的で、日本の平安時代以降
この年にはよく改元が行われた。
一休さん存命中(1394〜1481年)前後の期間の甲子の年は1384年、1444年、1504年
* 百丈野狐(無門関):野狐老人は、因果にとらわれて因果に落ちない(不落因果 )世界を妄想し、住職
として説いた為に、野狐の身に堕とされ、五百年間苦しんだ。
百丈和尚は、大修行底の人でも、因果律は免れない。因果律の中にあって、それに執らわれないことを
を「不昧因果」と説き、それを聞いた野狐老人を五百年の闇から解放された。
(´・(ェ)・`)つ
481
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/13(木) 23:53:49 ID:1d4drIFg0
千の山、万の水の野に住む僧がいたのじゃ。
甲子の今年で五十あまりなのじゃ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのじゃ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。
僧が法をわきまえず、狐になってもなお外道の法をもち続けているというのじゃな。
482
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/14(金) 02:39:51 ID:M582UHYA0
くま訳全面改
千の山、万の水の野に住む僧がいたのだ。
甲子の今年で五十あまりなのだ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのだ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。
くま質問:「今年で五十あまり」とは、何が五十あまりなのでありますか?
407
題大徳寺動亂 1/2 大徳寺の動亂に題す
禪者爭禪詩客詩 禪者は禪を爭ひ詩客は詩
蝸牛角上現安危 蝸牛角上安危を現ず
殺人刀矣活人劍 殺にん刀活にん劍
長信佳人獨自知 長く信ず佳人独り自知することを
くま訳
大徳寺動乱に付いて詠う
禅者は禅を争い詩人は詩を争う
かたつむりの角のようなせまい場所で、安危の瀬戸際を争うようなものである
禅師には修行者を導く活殺自在の力があるということを
優れた人は自ずと知るものであると、長く信じているのである。
*対酒 白居易 酒に対す
蝸牛角上争何事 蝸牛角上(かくじょう)何事をか争ふ
石火光中寄此身 石火光中此の身を寄す
随富随貧且歓楽 富に随ひ貧に随ひ且(しば)らく歓楽せよ
不開口笑是癡人 口を開いて笑はざるは是れ癡人
熊大医学部硬式庭球部の学生さんのための、格言・故事成語」『漢詩』・旺文社)訳
かたつむりの角のような小さなせまい場所で、
(人々は)いったい何を争っているのか。
(人生は)火打ち石から飛び出す火花のような一瞬のうちに、
この身をかり住まいさせているのである。
(そう思えば)貧富それぞれ分相応に、ともかくよろこび楽しんで過ごすべきである。
(くよくよと思い悩んで)大口をあけて笑うこともしないのは、まったくおろかな人である。
*「蝸牛角上の争い」:かたつむりの角の上の意で、人間世界の微小なことをたとえたもの。『荘子』に見
える話で、かたつむりの左の角に国を置く触氏と、右の角に国する蛮氏とが領地を争って戦い、
数万の死体をさらしたという寓話による
[荘子則陽]
(蝸牛の左の角に国をもつ触氏と右の角に国をもつ蛮氏とが互いに戦ったという寓話から)
大局から見ると意味のないような小さい事柄で争うこと。ささいな争いや、取るに足りない細かい議論をい
う。また、宇宙の悠久無限に対して人間世界が微小であることにもたとえる。
「蝸牛の角(つの)の争い」「蝸角(かかく)の争い」とも。
*安危:安全か危険かの瀬戸際の状態。
*殺人刀活人剣(せつにんとうかつにんけん):禅宗で、師が修行者の妄情を断ち切り、修行の完成に向
かって自由自在に導くはたらきのたとえ。
*自知:自分のことを自分で知ること。
(´・(ェ)・`)つ
483
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/14(金) 23:05:17 ID:1d4drIFg0
>>482
甲子の巡るのが五十回ということじゃろう。
甲子が十年で巡るとして五十回で五百歳なのじゃ。
狐の身になって五百歳ということじゃな。
484
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/14(金) 23:11:06 ID:1d4drIFg0
大体それでよいのじゃ。
大徳寺の動乱の題じゃな。
禅の者は禅で争い、詩人は詩で争うのじゃ。
そんなものは蝸牛の角の上での争いなのじゃ。
殺人刀を活人剣にするのじゃ。
善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのじゃ。
485
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/15(土) 02:38:41 ID:r1ozM1WA0
くま訳改
第三句:殺人刀を活人剣にするのだ。
第四句:善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのだ。
408
題大徳寺動亂 2/2
伏虎将軍是我徒 ふくこ将軍是れ我が徒
英雄不失悪魔途 英雄は失せず悪魔の途
吹毛三尺掌握内 吹毛三尺掌握の内
佛法南方一點無 佛法南方一點無し
くま訳
伏虎将軍、山名宗全は、わしの弟子である。
英雄は悪魔のように好機を逃さないのだ。
切れ味のよい三尺の剣掌中に握り
わしの佛法には南方の雪峰のような生ぬるさは全く無いのだ。
*吹毛三尺;鋭利毛を吹くべきの銘剣をいふ、機鋒鋭きに譬ふ。(大成脚注)吹きかけた毛をも、両断
してしまうほどの、切れ味のよい三尺の剣
*伏虎将軍;屏風の虎で有名な足利義満のことかと考えましたが、義満は一休14歳の時に死んでるような
ので、弟子ではないでありましょう。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
>>7
184・
>>70
212.
>>183
264
の詩で取上げてる山名金吾・山名宗全を指すのでありましょう。←虎伏城(とらふすじょう):竹田城の
別称:築城者 :1431年山名宗全(山名政豊)西軍の総大将
義満1358年-1408年
一休1394年-1481年
*佛法南方一點無:
http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st04/st04_0201a.pdf
雪峰義存(せっぽう ぎぞん、822年- 908年
趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、778年 – 897年)
wiki解説によると、二人の禅風は、共に棒喝よりも、平易な言葉で説明する指導法だったようでありま
すが、趙州は雪峯を「ぬるま湯」(軟暖處)と呼んでいたそうであります。
(´・(ェ)・`)つ
486
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/15(土) 21:29:54 ID:1d4drIFg0
まだ大徳寺に動乱があるというのじゃ。
伏虎将軍は我が徒弟なのじゃ。
英雄は悪魔の逃げ道を見失わないのじゃ。
吹毛三尺の鋭い剣は手の中なのじゃ。
仏法は南方には一点もないのじゃ。
487
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/15(土) 22:21:10 ID:EL3.0Jps0
くま訳改
第四句:仏法は南方には一点もないのだ。
409
再住妙勝寺之次。 再び妙勝寺に住するついで、
披虚堂和尚法衣。 虚堂和尚の法えをひらく。
因合山淸衆需一偈 ちなみに合山の淸衆一偈をもとむ
書以寒其請 書して以て其のこひをふさぐ。
先祖還衣 先祖はえを還し
順老留衣 順老は衣をとどむ
斬作兩段 斬って兩段となす
是松源衣 是れ松源の衣
*くま参照のテキストの原文↑とちょっぴと異なるのであるが、多分、これ↓でありましょう。
妙勝寺で虚堂の袈裟を身につける
運庵還衣
純老留衣
載作両断
是松源衣
柳田聖山先生訳・解説
運庵は虚堂の師で松源の衣を嫌い
拙僧は今虚堂の袈裟を肩に掛ける
松源の禅は自分一人で荷担する物
なぜなら松源の袈裟は松源の所有
くま訳
再び妙勝寺に住することになったので、
虚堂和尚の法衣を開いてみた。
その際に叢林の修行僧達から一偈を求められた。
書してその願いに応えたのである。
ご先祖様(の運庵)は(松源の)法衣を返し
一休は、(虚堂の)法衣をとどめる。
どちらでも良いのである。
松源の衣は松源のものである。
*妙勝寺:南浦紹明=大応国師が中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに伝え、大燈国師も晩年
ここで暮らした。 その後酷く荒廃してしまったこの寺を大応国師を尊敬する一休禅師が、修復をし、
「報恩庵」として自らも住まわれました。
*運庵:松源に参じること十八年、その法を嗣ぐが、伝衣は引き継がなかった。寿像のみ受け取ったのであ
る。
(´・(ェ)・`)つ
488
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/16(日) 21:07:27 ID:1d4drIFg0
再び妙勝寺に住むのに
虚堂和尚の法衣を披露したのじゃ。
それに因んで僧達から一喝を求められた
それを書くのじゃ。
運庵和尚は松源の衣を返し、
わしは虚堂和尚の衣を着るのじゃ。
それを両方正しいとするのは、
それこそが松源の衣を継ぐということであるからなのじゃ。
法衣を継ぐというのは、師匠の法を正しく受け継ぐという意味が在るのじゃ。
師匠の着物を返そうと、着ようと、どちらにしても正しい法を伝えることが法衣を継ぐということなのじゃ。
489
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/16(日) 22:44:00 ID:43HwC0AI0
くま訳改
第四句:それこそが松源の衣を継ぐということであるからである。
410
不殺生戒
全體作用迸鬼眼 全體作用鬼眼をほとばしらしむ
勝負修羅英雄念 勝負修羅英雄の念
望帝一聲月三更 望帝一聲月三更
殺人刀與活人劍 殺にん刀と活にん劍と
くま訳
その本質的な意味と、この戒によりもたらされる作用、効果が激しい対立を生じさせる。
戦って勝負を付けたいというのが才知・武勇にすぐれた人の思いである。
古代神話の聖人君子の一声は、今も深夜の月の様に魅力的に輝くが
今は、殺人刀と活人劍、即ち本来の意味で人を活かす、悟りに導く道を捉えるべきである。
*不殺生戒:在家信者が守るべき五戒の一つ。 生き物を故意に殺してはならない。
*望帝・中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。その望帝が百余歳のころ、楚の国で鼈霊(べつれい)
という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。
そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活
躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責にさいなまれて
鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスと
なり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
*殺人刀…「秀れた禅匠が修行者を切磋琢磨する時の切れ味を刀劔に喩える」とある。
活人剣…「殺活自在に学人を導く師家のはたらきをたとえていう。学人をして起死回生させるはたらき。
殺人刀活人劍…「活殺自在の手段のこと。宗師家が学人を指導する自由のはたらきを刀剣を借りて示した
もの。宗師家が学人に接する場合に、奪って許さない手段が殺人刀、与えて容れる手段が活人剣である。
真の宗師家はそのいずれにもかたよらず、自由のはたらきを示す」
「悟りの一刀手にあり、活殺自在だ」
* 一休さんは、不殺生戒をどのように解していたのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
490
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/17(月) 21:13:25 ID:1d4drIFg0
全身を武器として用い、鬼のような眼力を迸らす
勝負に賭ける修羅の如く戦う者は英雄であろうとするのじゃ。
ホトトギスが鳴く夜更けの月を見て、
殺人刀を活人の剣とするがよいのじゃ。
正にこの歌の如く殺人刀を活人剣とすることこそ真の不殺生戒と思っていたのじゃろう。
気が弱いものが生き物を殺せないのは戒ではないのじゃ。
殺人も厭わない者が殺さず、生かすことが不殺生戒なのじゃ。
491
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/17(月) 21:59:12 ID:ZYc4pXP60
くま訳全面改
全身を武器として用い、鬼のような眼力をほとばしらせるのだ。
勝負に賭ける修羅の如く戦う者は英雄であろうとするのだ。
ホトトギスが鳴く夜更けの月を見て、
殺人刀を活人の剣とするがよいのだ。
鬼和尚、ありがとうであります。
>殺人も厭わない者が殺さず、生かすことが不殺生戒
厭わないもの、しようと思えばできる者がしないのと、したくてもできないものは、違うでありますね。
肉体的にも、精神的にも、できる限り鍛えろという事でありましょうか?
411
山中開藥圃 山中に藥ほを開く
要錢賣薬不修琴 せんをもとめ薬を売って琴を修めず
度世工夫貪欲深 度世の工夫貪欲深し
山堂夜雨風流榻 山堂の夜雨風流のたふ
自絶松風閑道吟 自ら絶つ松風閑道の吟
くま訳
山中に薬草園を開いたのである
薬を売って代金を得ているが、自分は不養生である。
世渡りの工夫をしているし、欲深いのである。
山堂で静かに夜雨の音を聞きながら、禅榻に坐る
そんな禅は棄てたのである。閑坐して松風を聴きながら吟じるのである
*薬圃:薬草を栽培する畑。
*修琴:人体を琴になぞらえ健康体を作るということ
*風流榻;禅榻(ぜんとう)の事でありましょう。禅定を修する時に用いる腰掛け。座禅に用いる腰掛け。
閑道: 何事もなくおだやかなこと。またそのような境地。
茶席の禅語選hpより
閑坐聽松風 閑坐して松風を聴く
閑坐 … 一切の妄念を離れて坐禅すること。
松風 … 松の木に吹く風(の音)。静寂の世界を表す。また、茶の湯では茶釜の煮えたぎる音をさす。
(´・(ェ)・`)つ
492
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/18(火) 21:04:35 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことじゃな。
努力して殺人刀を活人剣に鍛えるのじゃ。
493
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/18(火) 21:10:24 ID:1d4drIFg0
山中に薬屋を開くのじゃ。
銭を求め薬を売って琴はひかないのじゃ。
世渡りの工夫ばかりして貪欲が深いのじゃ。
山堂で夜雨が降る風流な時にも
松風に閑にあかせて詩吟をすることを自ら断つのじゃ。
494
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/18(火) 23:44:49 ID:ZOObvIOs0
くま訳改
第一句:銭を求め薬を売って琴はひかないのだ。
第四句:松風に閑にあかせて詩吟をすることを自ら断つのだ。
412 (詞書)
松源和尚上堂云。 松源和尚上堂に云く。
擧僧問巴陵、 挙す、僧はりょうに問ふ、
祖意教意是同是別。 祖意教意是れ同か是れ別か、
巴陵云鶏寒上樹。 巴陵云く鶏寒うして樹にのぼり、
鴨寒下水。 鴨寒うして水に下る。
白雲師祖云。 白雲師祖云く、
巴陵只道得一半。 巴陵は只だ一半をいひ得たり、
白雲則不然。 白雲は則ちしからず
掬水月在手。 水をきくすれば月手に在り。
弄花香滿衣。 花を弄ずれば香、衣に満つと。
師拈云。 師ねんじて云ふ、
白雲盡力道。 白雲力を尽くして云ふ、
只道得八成。 只だ八じゃうをいひ得たり、
有問靈隠只向他道。 りんにんに問ふこと有らば、只だ他に向かっていはん、
人我無明一串穿 人我無明一くわんにうがつと。
くま訳
松源和尚が上堂で説法のときに言った
ある僧が巴陵にう問うた、
「祖師直々の教え(祖意)と、経典の教え(教意)と、同じか、別か」と。
巴陵はこう答えた。「鶏は寒いときは樹に上るが、
鴨は寒いとき水にもぐる」と。
白雲師祖は言った、
巴陵は半分は云い得ている。
白雲は、ちょぴっと違う意見なのである。
「水をすくえば、月は掌にあり、
花をいじれば、衣は香で満ちるのである」と。
師(松源)は更にちょぴっとひねって云った。
「白雲は、全力で応えたのである。
だいたい、八割方良い応えである。
ただ霊隠寺の松源が問うことがあるとすれば、他者に向かって云うことでありましょうか?と云う事である。
自己について知ることが無ければ、一蓮托生でありましょう。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
495
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/19(水) 22:56:48 ID:1d4drIFg0
松源和尚は上堂でいったのじゃ。
僧の巴陵に聞くのじゃ。
師匠の教えと経典と同じか別か。
巴陵は「鶏は寒くなれば木の上に登り、鴨は水にもぐる」
そのように人に拠って違うというのじゃ。
巴陵はまだ悟りの道の半分位なのじゃ。
白雲そうではないというのじや。
水を手に掬えば月が写り、花を弄れば香りが衣につく。
そのように二つとも実践すれば何かの成果は得られるというのじゃ。
白雲は力の限り話したが、まだ悟りの道の八割程度なのじゃ。
もしこのわし松源に問う者が居ればこのようにいうのじゃ。
両方共自他の無明を滅する手段であるから串の如く一つなのじゃ。
496
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/19(水) 23:30:20 ID:lR2AhK260
くま訳改
有問靈隠只向他道 : もしこのわし松源に問う者が居ればこのようにいうのだ。
人我無明一串穿 : 両方共自他の無明を滅する手段であるから串の如く一つなのだ。
413
祖意教意別與同 祖意教意別と同と
商量今古未會窮 商量今古いまだかつてきわまらず
松源老老婆心切 松源老老婆心切
人我無明屬己窮 にん我無明己きゅうに属す
くま訳
祖師直々の教え(祖意)と、経典の教え(教意)とは、別か同じか
古今について考えてみても、思考が尽きないのである。
松源老師は丁寧に説明し過ぎたのである。
自己に付いて知ることが出来なければ、己が行き詰まるだけだと言っておけば良いのである。
うむ。直接聞いたことでも、読んだことでも、それを受取る自分について知ることから始めなさいと云う事
でありましょかね。
*老婆心切:老女が子や孫をよくいつくしむ意。慈愛の心が深く厚いこと。必要以上に世話を焼くこと。
*松源崇岳(すうがく<1132〜1202年>)は南宋。 霊隠寺(中国)日本語hpより抜粋
一、応庵禅師の教えによって悟りをひらき、臨安の白蓮精舍において本格的に出家した(三十三歳)。
二、悟りを開いたあと、密庵とともに霊隠に住職となり、また、のちに皇帝に命ぜられ、霊隠寺の住職と
なった。
霊隠寺で住職をしていた間、禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正行為を正すため、松源は座禅の方法
を改革した。その中で一番影響力があって後の人に高く評価されたのが「松源二転語」、「開口不在舌頭
上(口を開いて物を言うことは単に口先だけのことではない)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い
人が、なぜ足を上げないでいるのか)」という二つの転語から、看話禅と默照禅をそれぞれ見た。一方、
松 源禅師は「悟り」を座禅の方法論とすることを提唱し、「悟り」に重きをおき、通常の口頭表現を普
通ではなく、特別なものに表します。松源禅師の弟子たちの努力をへて、「松源系」禅法は次第に形がで
きあがり、後世の禅宗に深い影響をあたえた。
更に重要なのは、松源崇岳禅師の日本の禅宗に及ぼした影響です。蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は
松源崇岳の法の上での弟子であったばかりでなく、具体的な禅の方法に関しても松源の影響を受けた。つ
まり、「座禅」そのものに対する重視です。日本仏教への松源系の禅の方式の影響もここに確認できる。
遠く日本まで行って、松源崇岳禅師に従って仏法を学んだ学僧には:蘭溪道隆、大休正念、西澗子曇、明
极楚俊、竺仙梵仙らがあり、日本から中国へ仏法を学びに来た松源系の学僧には:南浦紹明、无象静照、
月林道皎、石室善玖らがある。
(´・(ェ)・`)つ
497
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/21(金) 00:05:47 ID:1d4drIFg0
そういうことじゃな。
師匠の教えも経典もそのためのものじゃ。
その骨子を忘れてはいかんということじゃな。
それでよいのじゃ。
祖意と教意とは別か同じか。
今も昔も考えは尽きないのじゃ。
松源和尚は老婆のように親切なのじゃ。
自他の無明は己が極め尽くすことが大事なのじゃ。
498
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/21(金) 00:41:54 ID:2UjGVukA0
414
大燈國師三轉語1/3
朝結眉夕交肩我何似生 あしたに眉を結び、夕べに肩を交じふ、我かじせい
透關更有一重關 透関更に一重の関有り
隨例依條不可攀 例に従い条に依るよづべからず
奇菓茘支天井味 きくわのれいし天上のみ
名從天寶落人間 名は天宝より人間に落つ
朝は眉をひそめ、夕方には肩を並べる。これはどういうことか
関門を一つ乗り越えても、又別の関門があるということなのだ。
過去の事例や規則拘ってはならないのである。
貴重な果物のレイシ(古則・公案)は、天上のあじである。
その名は天宝の昔からつたわる天の宝なのだ。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
>>58
詞書
*大燈国師・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう、1283-1338)大徳寺開山。
*結眉:眉をひそめる(中国語から訳)
*天宝(てんぽう)は、唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742年 – 756年。
*茘子:兜率従悦(1044〜1091)は清素首座に茘支を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると
清素は、只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に
到る」と謂いしことをと、とどめを刺す言葉に参ずることによって、悟りへ立ちふさがる堅固な関門に至
ると延べ兜率を導いた(禪宗史話)
*六祖慧能は、恵明に悟りの真実を教えて欲しいと問われた時、に懇切丁寧に、本来の自己、ありのままの
自己を知ることだと答えたという。
(´・(ェ)・`)つ
499
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/21(金) 21:30:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
朝には眉を結び、夕方には肩を交えるのはどえいうことじゃろうか。
関を透過してもまた一重の関があるのじゃ。
例に従い、条文に拠ってはいかんのじゃ。
奇菓のれいしは天上の味わいなのじゃ。
その名は天宝より俗世間に落ちたのじゃ。
500
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/21(金) 22:34:13 ID:souDNMZY0
くま訳改
第四句:その名は天宝より俗世間に落ちたのだ。
くま質問
「朝には眉を結び、夕方には肩を交える」とは。昼間はいがみ合ってた者どうしが、夕方には仲良く肩を並
べてるみたいに読めるのでありますが、それがどうして「関を透過してもまた一重の関がある」とつながる
のでありましょうか?
415
大燈國師三轉語2/3
露柱盡日往來 露柱尽日往来、
我因甚不動 我なにによってか動かざる
草鞋脚瘦没知音 さうあい脚瘦せてちいんなし
露柱同行伴我吟 露柱同あん我吟に伴ふ
銭有霊神十万貫 せんに霊神有り十万貫
杜鵑啼血託春心 とけん血にないて春心に託す
くま訳
大燈國師三轉語2/3
お堂の中でひねもす、行き来する、
自分ははどうして動かないでいられようか
わらじのを履いた脚は瘦せて、聞き馴染んだ足音が聞えない
無情なるものの中で、聞えるのは私の吟じる声だけだ
銭は霊験新たかな神だ、十万貫(妙勝寺再建に掛かる予算でりましょうか?)
ホトトギスは血を吐きながら鳴いて春を告げる
*露柱:むきだしの柱、目に見えている柱、燈籠、牆壁、瓦礫などの語と共に、無情又は非情の意を現はす
代表語に用ふ、「露柱に問取して去れ」といふが如き是れなり。(大成脚注)
*同行(どうあん): 信仰を同じくして仏道を修行する人々。
*妙勝寺(報恩庵)再建:三十六歳の頃に立ち寄った大応国師が建立された薪の妙勝寺が、見る影とてなく荒
れ果てていたことに心をいため、その再建を決めた。完成したのは、一休さんが六十三歳の時であった。
(´・(ェ)・`)つ
501
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/22(土) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
そのような世間の離反や仲直りもまた関の一つということじゃろう。
それがあとの文の前例や条例に従っていてはいかんということにもつながるのじゃ。
生きている限りは臨機応変にするべきというのじゃな。
502
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/22(土) 21:54:58 ID:1d4drIFg0
柱の周りを行き来して一日終わるのじゃ。
わしはどうして動かないのか。
草鞋履きの足をした友は顔を見せないのじゃ。
柱だけが伴となりわしは吟じるのじゃ。
十万貫の銭に霊神あるのじゃ。
ホトトギスが鳴いて春心に血を託すのじゃ。
503
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/22(土) 23:10:09 ID:g3I.sIL.0
くま訳全面改
終日誰も訪ねてくる事がなくても、
心を動かされる事はない
ともに行脚した友は尋ねてこない
柱だけが伴となりわしは吟じるのだ。
十万貫の銭があれば、それが霊神となり、人を引き寄せるのだ。
わしはホトトギスが鳴いて春心に血を託すように、詩を詠むのだ。
*こんな、読解で良いでありましょうか?
416
大燈國師三轉語3/3
若透得箇兩轉語 若しこの両転語をとうとくせば
一生参学事畢 一生参学のじおわんぬ
二十餘年曾苦心 二十余年かつて苦心す
乾坤誰是我般人 けんこん誰かこれ我つらの人
参來直徹幽玄底 参じ来たって直ちに幽玄の底に徹す
歇去獨登要路津 けっし去ってひとり要路のしんに登る
くま訳
大燈國師三轉語3/3
もしこの二つの転語を透得すれば、
修行はそれでおわりだ。
大燈に倣い、自分も二十余年の間、苦心した。
今の世に わしと同等な人がいるだろうか。
修行に打ち込み、玄妙な境涯に達するような人が。
煩悩の束縛を離れ独り、旅立つための港へむけて歩むのだ
*歇去(けっし去る):生死煩悩の羈絆を脱するなり。(大成脚注)
羈絆(きはん):行動する人の足手まといになるもの。束縛になるもの。ほだし。
(´・(ェ)・`)つ
504
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/23(日) 21:57:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じでよいじゃろう。
寺を修復して人を待つというのじゃな。
505
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/23(日) 22:51:11 ID:1d4drIFg0
もしこの二つの転語を透得するれば一生の参学は終わりなのじゃ。
20余年かつて苦心したのじゃ。
この世で誰かわしと同じ人が居るであろうか。
修行に入れば直ちに幽玄の底まで徹したのじゃ。
煩悩を去って独り正しい道を真っ直ぐに上ったのじゃ。
506
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/23(日) 23:07:03 ID:qnGvIGDc0
417
毀破曹洞悪見 曹洞の悪見を毀破す
曹洞今時無分別 曹洞こん時無分別
與臨濟受用遥別 臨濟の受用とはりかに別なり
野老百姓眞家風 野老百せい真の家風
曹洞臨濟受用別 曹洞臨濟受用別なり
くま訳
曹洞宗の誤った見解を破棄するのである。
曹洞宗も今時は無分別智を説くが、
臨濟宗が受入れているところとは遥かに異なるのである
野にあって百姓もするのが真の禅家の家風とするのが臨済宗である
曹洞宗と臨濟宗では何を受入れるかが全く別なのである
*悪見:種々の煩悩の中で、その最も根本的なものとして六種の煩悩をあげ、これを六大煩悩、根本煩悩、
根本随眠などとよんでいる。貪欲、瞋恚、愚痴、憍慢、疑、悪見である。この中、最後の悪見は、他の五
種の煩悩が主として人間の感情的なものに関係するのに対して、知性的な煩悩と考えられる。その点で、
この悪見を見随眠とか見濁とかよぶ。
(´・(ェ)・`)つ
507
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/24(月) 23:57:31 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
曹洞宗の悪見を論破するのじゃ。
曹洞宗は今時無分別を説くのじゃ。
臨済宗の現成受用とははるかに別なのじゃ。
民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのじゃ。
そのように曹洞宗と臨済宗の現成受用は別なのじゃ。
508
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/25(火) 01:02:20 ID:j6e/U5/Q0
くま訳改
第三句:民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのだ。
418
靈山徹應和尚百年忌 1/2 霊ぜん徹應和尚百年忌
僧運酬恩妙勝薪 僧は運んで恩に酬ゆ妙勝のしん
靈山昔日涅槃辰 靈山昔日涅槃のとき
二千四百年前境 二千四百年ぜんのきゃう
梅雨流紅五月春 ばい雨こうを流すごげつの春
くま訳
僧一休が薪の妙勝寺へ行って、師から受けた恩に酬いるのである。
霊山徳禅寺を建立した徹翁義亨が昔、涅槃堂にあって死を迎えようとしていたとき、
二千四百年前、釈迦が死を前にしていた頃のような様子であったでありましょう。
春五月だというのに、梅雨に流される真紅の紅葉のような血の涙を流して悲しんだでありましょう。
*霊山:大徳寺境内の南東に、塔頭・徳禅寺がある。かつて、大徳寺とは独立した禅寺だった。霊山徳禅寺
とも称される。山号は霊山(りょうせん)という。
*徹翁義亨(てっとう(てつおう) ぎこう)1295‐1369、五山の禅風にあきたらず,宗峰妙超(しゆうほうみ
ようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳寺を開くとこれに随い,妙超没後の
1338年より大徳寺2世として入寺し,別に寺前に徳禅寺を建立した。
一休さん、1468 75歳 霊山徹翁100年忌を、酬恩庵にて営む。
*妙勝寺:大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場を建てたのが始めである。
元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が1455〜6年、宗祖の遺風
を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八
十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、1481年八十八歳の高齢を以って当寺に
おいて示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休
寺」の通称が知られるに至ったのである。
*薪(たきぎ)京田辺市薪
(´・(ェ)・`)つ
509
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/25(火) 22:51:50 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
霊山和尚の百年忌だというのじゃ。
僧一休は薪の妙勝寺に足を運んで祖師の恩に報いるのじゃ。
霊山が昔日の涅槃の時は
二千四百年前のお釈迦様の涅槃と同じ境地であつたじゃろう。
梅雨が五月の赤い花を流す春じゃった。
510
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/25(火) 23:29:12 ID:AAHC8BY.0
くま訳改
第四句:梅雨が五月の赤い花を流す春であったのだ。
419
霊山徹應和尚百年忌 2/2
癩兒牽伴出人前 癩児伴をひいてじん前にいづ
魔魅人家常説禪 じん家を魔魅して常に禪を説く
龍寶封彊幸滅卻 龍寶の封きゃう幸に滅却す
靈山記莂瞎驢邊 靈ぜんの記別かつろへん
くま訳
癩児がお供を引き連れて人前に出る
一般大衆をたぶらかして禅を説く
幸いなことに、臨済禅の真の伝承の境は既に閉じられているのだ。
霊山徹應和尚がこの瞎驢邊、すなわち一休の承伝を予言してるのである。
*魔魅:人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*封境・封疆:くにざかい。国境。
*鈴木真弓先生ブログより抜粋
臨済義玄は、亡くなるとき、“自分の精神を絶やしてはならぬ”と言い、それを聞いた弟子の三聖和尚が
「安心してください、自分が継ぎます!」と言って師匠お得意の“一喝”を真似た。それを見た臨済は
「お前のような瞎驢(かつろ=盲目のロバ)によってわが法は滅却した」と歎いて亡くなったそうです。
・・・一休さんは「自分こそ瞎驢だ!滅法だ!」と宣言。自分の師匠からもらった印可(悟りを得た証明
書)を破り捨ててしまいました。・・・禅とは、原理原則を示した聖典があって、師匠がそれを代々受け
継いで、弟子に順を追って習得させ、お墨付きや資格証明を与える・・・という宗教ではないんじゃない
かと思います。己の内にある仏性を己の力で磨き上げていく自律の宗教だろうと。一休さんはその本質を
とらえ、形式的な嗣法を否定したのではないでしょうか。
*記莂:仏が弟子の未来成仏を明らかにすること。記は仏が未来世の弟子の仏果を予言し成仏を記すること、
別は具体的に弟子の未来世の成仏の時・国土・仏名などを分別することをいう。仏が弟子に記別を授ける
ことを授記と呼ぶ。
*瞎驢邊:盲目のロバ、愚か者、臨済の最後の言葉、一休さんのペンネームの一つ。
(´・(ェ)・`)つ
511
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/26(水) 22:24:22 ID:1d4drIFg0
ほぼそんな感じじゃな。
癩兒が伴をつれて人前に出るのじゃ。
魔魅は人家で常に法を説くのじゃ。
幸いに龍の宝ともいえる法の伝統は境界が滅しているのじゃ。
霊山の記すとおりに驢馬の名を持つわしに伝わっているのじゃ。
512
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/26(水) 23:52:58 ID:jPv4kKCg0
くま質問
「法の伝統は境界が滅している」とは正法がすでに一休により受け継がれてるので、邪師が邪法をいくら説
いても、問題ない、みたいな意味でありましょうか?
420
自然外道 1/2 自ねん外道
大道廢時人道立 大道廃る時人道立つ
離出智慧義深入 智慧を離出して義深く入る
管絃歌吹人倫能 管絃歌吹人倫の能
風雨世間之音律 風雨は世間の音律
くま訳
自然外道 1/2
大いなる道が廃れた時に、人道が確立する
智慧を離れれば正しい道に深く入ることが出来る
音楽や歌は、人倫の為に役立つ
風雨等の自然の音は、世間の音律である。
*自然外道:「あらゆる存在(一切法、一切万物)は因縁によらないで自然に有る」(岩波仏教辞典)とする説
を唱える人を云う。
*義:条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと
「老子(老子道徳経)」の一節『大道廃有仁義』
大道廃有仁義 大道廃れて仁義有り
智慧出有大偽 智慧出でて大偽有り
六親不和有孝慈 りくしん和せずして孝慈有り
国家昏乱有忠臣 国家昏乱して忠臣有り
走るメロス先生訳
(無為自然の)大いなる道が廃れたので、仁義(の概念)が生まれた。
(悪)知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、孝行者(の存在)が目立つようになる。
国家が乱れてくると、忠臣(の存在)が目立つようになる。
(´・(ェ)・`)つ
513
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/27(木) 21:49:01 ID:1d4drIFg0
↑そういうことじゃな。
一休が既に真の法を継いでいるのじゃ。
514
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/27(木) 21:52:08 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
大道が廃れて人の道が出来たのじゃ。
知恵を離れれば法の正しい意味が深く知れるのじゃ。
管弦の笛や琴や歌は人の能くするところじゃ。
しかし自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。
515
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/28(金) 00:07:04 ID:kOUpZu5E0
鬼和尚、いつも、ありがとうであります。
くま訳改
第三句:管弦の笛や琴や歌は人の能くするところであるが、
第四句:しかし、自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ
大道とは、仏道のことでありましょうか?その仏道とされるものすらも、むしろ廃れてしまったほうがよく、人為的なものよりも、自然のありのままがよいと、一休さんは言いてるようでありますね。
421
自然外道 2/2
聰明外道本無知 聡明の外道もと無知
精進道心期幾時 精進道心幾時をか期せん
天然無釋迦彌勒 天然釋迦彌勒無し
萬巻書經一首詩 萬巻の書経一首の詩
くま訳
聡明そうに装っても、外道は無知なのである
一心に仏道修行していずれの日にか仏道を窮めたいという心が大切なのである。
天然の釋迦や彌勒などいないのである。
萬巻の仏教書や經も一首の詩と変わらないのである。
*精進:雑念を去り一心に仏道修行すること。
*道心:菩提(ぼだい)を求める心。仏道を信奉する心。
516
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/28(金) 23:05:46 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
老子の言葉を写してありのままの自然を道とすることを説いたのじゃな。
517
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/28(金) 23:12:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
聡明な外道は実は無知といえるのじゃ。
正しい道に志して精進すればいつかは悟りも得られるのじゃ。
天然には釈迦や弥勒も居ないのじゃ。
万巻の書物も一首の詩に等しいのじゃ。
518
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/28(金) 23:59:48 ID:.L624uJ20
422
黄檗禮佛 黄檗佛をらいす
麄行沙門鬼眼開 そぎゃうの沙門鬼眼を開く
身長七尺甚奇哉 身長しち尺はなはだ奇なるかな
不知何處見黄檗 知らずいずれのところにか黄檗を見ん
立法商君破法來 法を立つる商君法を破り来たる
くま訳
黄檗は何故佛を礼拝するのかと、後の皇帝、宣宗は質問した
その皇帝宣宗より麁行沙門(荒々しい沙門)の名を送られた黄檗が、鬼の様に鋭い眼を開く。
身長2メートル超で、甚だ奇怪な容貌。
その黄檗の仏法を今やどこに見ることができるであろうか、
商鞅は、自ら作った法を破り、沒したのである。
*黄檗希運(おうばく きうん)
宗派 洪州宗
生年不詳 -850年)唐代の禅僧
百丈懐海(749年 – 814年)の法嗣
髪塔を広業塔といった。
宰相の裴休(797年 - 870年)に尊崇された。
弟子に、臨済義玄らがいる
*麄行・麁行:荒々しい
麁行は黄檗禅師の異称。黄檗が塩官斉安の会下で首座となっていた折、仏に礼拝する黄檗に、塩官のもと
に寄宿していた宣宗(唐朝十九代皇帝)が、礼拝して何を求めるのかと尋ねたところ、黄檗に三度打たれ
たという。これにより宣宗は即位の後、黄檗に麁行沙門の名を贈った
*宣宗(唐朝十九代皇帝):
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>962
*商君書:戦国時代の政治家で,法家の祖の一人,商鞅 (しょうおう) の著・土地の開墾と戦功をあげるこ
とを国策の主眼とし,労働力増加のため貴族の特権を抑制し,分家を奨励し,耕作者に耕地を解放し,諸
子遊説の策謀を禁じ,学問,文学を排し,商業を押え,また厳罰主義をとり,隣保の連座制をしき,税制,
度量衡の統一を説き,酷薄な国家統治の典型を示している。
商鞅は、法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は
周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも敗れ、法の為に車裂の刑に処せられて死んだ。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
>>128
(´・(ェ)・`)つ
519
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/29(土) 22:44:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
粗暴な沙門が鬼のような眼を開くのじゃ。
身長七尺とてつもなく奇怪なのじゃ。
そのような黄檗をどこで見られるじゃろう。
法を作った商君でさえ自分で法を破りさったというのにのう。
520
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/29(土) 23:17:09 ID:mj61COcs0
くま質問
仏法は、仏法であるから価値があるのではなく、悟りを求める人ごとに、その人が悟りを得る為の方法をと
して、それを実践するときに、価値が生れるのだということでありましょうか
423
徳政
賊元來不打家貧 賊は元來家の貧しきを打せず
孤獨財非萬國珍 孤獨の財萬國の珍にあらず
信道禍元福所復 いふことを信ず禍は元福の復する所
青銅十萬失靈神 青銅十萬靈神を失す
くま訳
盗賊は元来貧しい家を打ちのめしたりはしないのである。
孤独であることが宝であると言うことはどこの国においても珍しいことではない。
世間で言われてる所を信じれば、禍は元、幸福だったのがひっくり返っただけである。
青銅十万で霊神を売ってしまうこともあるかもしれぬのである。
徳政令:1428年、一休さん35歳、風狂な生活を送っていた頃、幕府や五山の腐敗に怒った近江の庶民た
ちが徳政(借金棒引き)を求めて暴動を起こした(正長の土一揆)。暴動は瞬く間に畿内各国へ拡大、手の
施しようがなくなってしまった。これにより、畿内各国の守護や大寺社は、庶民の要求をのんで徳政令を発
令した。
(´・(ェ)・`)つ
521
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/30(日) 22:15:18 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃな。
悟りを求めない者には黄檗もただの恐ろしげなおっさんに過ぎないということじゃな。
522
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/05/30(日) 22:23:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
賊はもともと貧しい家を襲わないのじゃ。
孤独の財は万国に珍しくは無いのじゃ。
悟りの道を信じれば禍は元元福が帰ってくるところと知れるのじゃ。
銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのう。
523
:
避難民のマジレスさん
:2021/05/30(日) 22:52:48 ID:qzveYPbg0
くま訳改
第四句:銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのだ。
424
應無所住而生其心 応無所住にしょうご心
祖師禪不是如來 祖師禅は是れ如来にあらず、
接物利生尤苦哉 接もつ利しょう、もっとも苦なるかな。
明歴歴金剛正體 明歴歴金剛の正体
百花春到爲誰開 百花春到ってたがために開く
くま訳
應無所住而生其心(何ものにも囚われることなく、無心で、新鮮な意識。)「金剛經」
祖師禪は、如來禅ではないのである。
衆生を導き済度するのは、苦労が多いのである。
極めて明らかなのである、金剛経の云わんとしている事は、
春になると花が一斉に咲くのは、誰のためにというわけではない。無心に咲くのだよ、と云う事である。
*應無所住而生其心:原典・金剛経/山田無文解説抜粋(禅文化研究所)
心が無である、「応無所住」、どこにも住しない、心が空っぽであって、その時に面白いと言うて笑い、
悲しいと言うて泣いたら、それがそのまま仏心でなければならない。心に裏づけのない斬新な心が仏の心
でなければならんのであります。そういう新しさというものが私どもの心にいつもなければならん。意識
がいつも新しくなければならん。・・・心の中に魂胆がない。そういう無邪気な、無心な心、いつも新鮮
な意識で生活できることが仏心というものでなければならぬはずであります。
六祖慧能は、出家する前に、街でたまたま、この一節を聞いて大悟したそうである。
*祖師禅:祖師達磨の流れをくむ禅。教外別伝・不立文字を主張し、言語や文字によらず、直接師から弟子
へ以心伝心で悟りが伝えられることを説く。南宗禅。
如来禅:如来の教えに従い、自心は本来清浄であることを悟る禅法。もとは楞伽経(りょうがきょう)に説
くが、祖師禅が起こってからは、それよりも低次のものとされた。
(菩提達磨が伝えた禅。中国,唐代の華厳宗の僧,宗密が称したのに始る。これに対して批判が起り,教
外別伝を唱える人々は,菩提達磨の禅を祖師禅と称し,宗密のものを如来禅と風刺的に称した。・・昔
から、もめていたらしいのである。)
*接物利生:衆生済度、待機説法。
(´・(ェ)・`)つ
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