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鬼和尚の仏教講読会 別館2

1避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:36:15 ID:WJISoscI0
前々スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/l50

現在:狂雲集(一休宗純)講読会・開催中であります。

245避難民のマジレスさん:2021/01/23(土) 13:06:40 ID:KIqelnRo0
304
余四十年前、秉拂僧在法堂上  余40年前、ひんぽつ僧の法堂上に在りて、
而説禪客之氏族焉。      禅客の氏族を説くを聞く     
于商于工手行僕者流      商にあれ、工にあれ、行僕者の流れにあれ、
各訐其所業。         各々其の業とする所をあばく。
甚者乃臻出手以爲模様。    甚だしきは、すなわち手を出して以て模様を為すにいたる。
吁是何爲也。即乃掩耳而出矣。 あぁ、是れなんするものぞ。すなわち耳をおおうて出づ。
因廼べ述二偈意在革弊。    因りて二偈を述ぶ。意は弊をあらたむるに在り。
凡四姓之入吾門。皆稱釋氏、  およそ四姓の吾が門に入って、皆な釈氏と称するは、
以其乞食而資姓乞法而資姓也。 其の乞食して命をたすけ、乞法して身を資くるを以てなり。
亦何貴冑望族之有哉。     亦た何の貴ちゅう望族が之れ有らん。
今世山林叢林之論人、     今の山林叢林の人を論ずる、
必議氏族之尊卑焉。      必ず家柄の尊卑の話をする。     
是可忍孰不可忍乎。      是を忍ぶべくんば、いずれか忍ぶ可からざらん。
遂寫前偈以掲示四方。     遂に前偈を写して以て四方に掲示す。
誰敢撃節。其偈曰       誰か敢えて撃節せん。其の偈に曰く、

     1/2
説法説禅挙姓名 法を説き 禅を説いて姓名を挙げる
辱人一句聴呑声 人を辱かしむるの一句 聴いて声を呑む
問答若不識起倒 問答もし起倒を識らずんば
修羅勝負長無明 修羅の勝負無明を長ぜん

くま訳
わしは、40年前、説法する僧が、法堂上で、
法談に招かれた僧の家柄の話をするのを聞いた。
商業者、工業者、仏道修行者や身分の低い人等、
各々其の業とする所をあばいた。
甚だしきは、作り話をでっちあげることまでした。
あぁ、是れは何とした事か。その場で耳をおおい、退出した。
その事ににより、二偈を述べた。意図するところは、悪しきならわしをあらたむることである。
およそ四つの身分の者が我が門に入って、皆、釈氏と称するは、
其の乞食して命をつなぎ、法を学んで身をたすけるからである。
そこにおいて、何の血筋や家柄の違いがあろうか。
今の禪寺では人を評価する時に、必ず家柄の尊卑の話をする。
そんな話を我慢して聞けるくらいなら、我慢できない話など何もないであろう。
今日に至って、前に作った偈を写して以て四方に掲示する。
誰か敢えて共感する者はいないか。その偈に曰く、

法を説き 禅を説く者でありながら、身分をあげつらう。
そのことで人を辱かしめる言を吐くのを聞いて、声が出ない。
問答における勝敗のつけ方を知らないのであれば、
醜い言い争いが、決着がつかないまま、愚かにいつまでも続くであろう。

*秉(ヒョウ・ヘイ・ヒン・とる):①いねたば。ひとにぎりのイネの束。 ②とる。手に持つ。にぎる。 
 ③まもる。心にかたく守る。④え(柄)。転じて権勢。「権秉」
*払(ホツ・はらう):1 はらいのける。はらう。2 やみをはらうように空が明ける。
*秉払の(ひんぽつ)::払子を持つ
*払子(ほっす):仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる法具である。麈尾(しゅび、しゅみ)、
 白払(びゃくほつ)ともいう。
*客僧:1 旅の僧。旅僧。かくそう。2 他の寺に身を寄せている僧。また、法談などのため招かれた僧
*修羅: 醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ。
*貴冑望族:貴族又名望家の族
*撃節;節を撃たん・意に適って、手又は膝を打ちて、同意を表すをいふ。
(´・(ェ)・`)つ

246鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/24(日) 00:53:34 ID:1d4drIFg0
後小松院廟の前に菊が供えられていたか花壇があったのかもしれん。
それを詠んだのじゃな。

天子の衣のような紺碧の空というのじゃ。
それは天皇の威徳が空一杯に広がっているということじゃな。
後小松天皇は宗門の禅に列して修行したのじゃな。
生鉄を練成して黄色い菊にしたというのじゃ。
修業を完成させたというのじゃ。
黄色い菊は皇室の印じゃな。
その菊の香りがまだ廟前に残っているというのじゃ。

247避難民のマジレスさん:2021/01/24(日) 11:06:04 ID:eGllDJ6Q0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
>> 245の詩もお願いするであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨

248鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/24(日) 23:43:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じなのじゃ。
そもそもお釈迦様は生まれに拠って四性の区別があるのではなく、行いによって四性があると説いたのじゃ。
そうであるからその弟子の筈である僧が、四性の生まれた家柄による差別を語ってはおかしいのじゃ。
一休も当然それを知っていたが、無知な僧は知らずに論っていたのじゃ。
その頃は一休はまだ若いから説教とかできなかったのじゃな。

一休が四十年前、権威のある僧が法堂上にあって他の客僧がどこの氏族の生まれであるか説いたのを聞いたのじゃ。
商家、工人の家、肉体労働者の流族であるとか暴き、酷いのは手でその生業を真似て示したりもしたのじゃ。
一休は何じゃ、これはと嘆いて耳を覆って堂から出たのじゃ。
是に因り二偈を述べて悪幣を改めるつもりなのじゃ。
およそ四性の者がわが門に入って皆、釈氏と称するのは乞食行をして、身を養うからなのじゃ。
それなのに素性の貴さを望むことなどありえないのじゃ。
今の人が僧を論じる時に必ず出身の家柄の尊卑を語るのじゃ。
このようなことを忍ばなかったら、何を忍ぶというのか。
遂に前の偈を写して四方に掲示するのじゃ。
誰か是をあえて同意する者はいないかというのじゃ。

その偈はこの通りなのじゃ。
 
法を説き、禅を説く者が氏素性をあげつらう。。
それによって人を辱める一句を聞いて声を呑むのじゃ。
そのような問答の利害がわからなければ、修羅の如く勝敗に係り患って無明を強化するのみなのじゃ。

249避難民のマジレスさん:2021/01/25(月) 18:18:36 ID:68E1el720
305    2/2
犀牛扇子与誰人 犀牛の扇子、誰人にか与えん、
行者盧公来作賓 あん者ろ公、来って賓となる。
姓名議論法堂上 姓名を議論す、法堂の上、
恰似百官朝紫宸 あたかも百官の紫宸に朝するに似たり

仏性(仏になるための性質 )をあらわす犀牛の扇子は与えるまでもなく誰もが持っているのだ。
六祖慧能は出身がいやしくとも、見出されて五祖の客となった
身分のことを法堂上で議論しているのである、
あたかも朝廷に仕える役人のようである。

*行者盧公:六祖慧能:中国の禅僧。ここでは、出身が貧しい慧能が師に見抜かれた、ということ

*おまけ①:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【本則】
 挙す。塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。
 侍者云く、「扇子破れたり。」
 官云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」侍者対うること無し。
 投子云く、「将棋出だすことを辞せざるも、恐らくは頭角全からざん」。
 雪竇拈げて云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。
 石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無からん」。
 雪竇拈げて云く、「犀牛児は猶お在り」。
 資福一円相を画き、中に一つの牛の字を書く。
 雪竇拈げて云く、「適来、為什麼にか将き出ださざる」。
 保福云く、「和尚は年尊し、別に人に請えば好し」。
 雪竇拈げて云く、「惜しむべし、労して功無し」。

 横田観風先生訳・解説抜粋
塩官というのはお師匠さんで、ある日世話係(待者)を呼んで「わしのために犀牛の骨で作った扇子を持っ
て来てくれ」と言った。すると世話係は「扇子は破れて使い物になりませんよ」と言った。
・・・すると塩官は「扇子が壊れたなら、わたしに犀牛そのものを持ってきてくれと」言った。
・・・すると世話係は何も答えられなかった。
・・・塩官が示唆した犀牛というのを、我々が生まれついて持ってきたものが隠れて無くなったものととら
えられれば、何か答え方があった訳である。
「お師匠様、いつも持っているじゃないですか」とか。
ここでは世話係が答えられなかったという事実があるので、後の世の人達がこれを禅問答の材料にしている。
投子は「犀牛を引っ張り出してくる事は良いとしても、恐らく角は完全じゃありません」と言った。
結局、犀牛とは言葉にならない世界、形にならない世界のもの、つまり仏性、それを表に見えるように出す
となると、もう完璧ではなくなる。
欠けたようにしか出せませんよと、そういう意味。
見えないものがそのまま備わっているのに、何もかたちにして見せる事ないだろうと。
雪竇は「私ならば、その不完全な頭角の犀牛児が必要なのだ」と言った。
説明するためには必要という事。
石霜は「もし、和尚に返したら無くなってしまいます。」
だいたい誰にも備わっているものを返せというのがおかしい。
説明しなければ、返したり返さないとかできないけれども、人に知らしめるためには表現しなくてはいけな
い。
表現するにはそういうものは必要だ。お師匠さんから弟子らにいっぱい話をしないといけないとか。
雪竇は「犀牛児はなお在り」と言った。
もともと誰の中にもある。在るとか無いとかの問題でないので、禅は反対の事を言う。片方が無いと言うと
、もう一方は在ると言う。どっちも正しい。
そういう世界では無い所を求めているので、こういう言い方をしている。
資福は犀牛児を円相で描いた。これは表現できないものを丸で表現して象徴化した。さらにその中に牛(仏
性)と描いた。
すると雪竇は「そんなに立派な牛がいるのなら、どうして持ち出して来なかったのだ?」と言った。
これは宇宙そのものが牛なのだという風に表現した。
保福は「和尚は随分年取ったぞ、別の人に頼んで下さい」と言った。世話係の引退宣言。
雪竇は「惜しい事だ。お前さんも長く勤めてくれたがさっぱり功が無かったなあ」と言った。
私だったら何と言うか。「和尚はすでに持っているのに、欲張りですね」とか。いろいろある。
(´・(ェ)・`)つ

250避難民のマジレスさん:2021/01/25(月) 18:28:56 ID:68E1el720
*おまけ②:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【頌】
 犀牛の扇子用うること多時、問著れば元来総な知らず。
 限り無き清風と頭角と、尽く雲雨と同に去って追い難し。
 雪竇復た云く、「若し清風の再び復し、頭角重ねて生ぜんことを要せば、請う禅客、各一転語を下せ」。
 問うて云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」。
 時に有る僧出でて云く、「大衆、参堂し去け」。
 雪竇、喝して云く、「鈎を抛って鯤鯨を釣りしに、箇の蝦蟆を釣り得たり」と。
 便ち下座す。

横田観風先生・訳・解説より
犀牛の扇子を用いる事久しくとも、どういうものかと聞いても、誰も知らない。
認識を超えて霊妙不可思議というものは知っているけれども、こういう形があるとかは誰も知らない。
知ろうとしてもわからないものだ。
塩官と世話係の問答について、五人(投子、石霜、資福、保福、雪竇)がいろいろ見解を述べて答えている
が、皆、悟っている人なので、そのものズバリとは言わないが、それぞれ答え方が清い風を受けるようなも
のだ。
雪竇が塩官の真似をして「誰か、弟子の中で答えが言える人はいるか?」と皆に言った。
するとある僧が出て来て「大衆、禅堂に帰れ」と言って、皆を禅堂に帰す働きを示した。
すると雪竇は誰かに出て来てもらって問答したかったのに、帰されてしまったので、喚いて「わしは皆に釣
り針(言葉)を投げかけて、誰か鯨みたいな大物がいないか釣り上げようと思ったのに、何と釣り上げたの
は余分な事をするちっぽけな蛙だったわい」と言ってすっと帰ってしまった。
(´・(ェ)・`)b

251鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/25(月) 23:12:40 ID:1d4drIFg0
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきかというのじゃ。
身分が低い家の出であった慧能が受けるべき賓客となったのじゃ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは役人が朝廷に集まっているのにも似るのじゃ。
俗臭紛々なのじゃ。

252避難民のマジレスさん:2021/01/26(火) 16:47:52 ID:Zd7tgxm60
306
自戒
罪過彌天順藏主 罪過彌天順藏主
世許宗門賓中主 世に許す宗門賓中の主と
説禪逼人詩格工 禪を説いて人にせまる詩格の工
無量劫來悪道主 無量劫來悪道の主

くま訳
自戒
罪過は天いっぱいに拡がるほど多いのである。
世間から禅宗門は、修行者は師よりも劣ると看做されているのであるが、
わしが禅を説く際に、聞き手に強い印象を与えるのは、言葉選びがたくみななだけである。
永遠の、悪道主でる。

*罪過弥天(ざいかみてん):弥はあまねくいきわたるという意味で、罪や過失が空一面に広がるほど大き 
 く甚だしいことを意味する。
*賓中主:飛不動HP解説 
 四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
 主は師となります。
 ① 客看主 「客、主を看る」
 修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
 ② 主看客 「主、客を看る」
 師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
 ③ 主看主 「主、主を看る」
 師も修行者も、ともに優れた者の場合。
 ④ 客看客 「客、客を看る」
 師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。
 以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
 ①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。

 ① 修行者に見破られている状態。
 ② にわか住職に見破られている状態。
 ③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
 ④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。
*詩格:1 詩の作り方の規則。詩の法則。2 詩がもつ風格。詩の品格。
(´・(ェ)・`)つ

253避難民のマジレスさん:2021/01/26(火) 18:24:52 ID:x7otsCkY0
305の詩・くま訳全面改
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきであるか。
身分が低い家の出であった慧能が弘忍に認められたて六祖となったのだ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは
役人が朝廷に集まっているのにも似るのだ。
(´・(ェ)・`)b

254鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/26(火) 23:28:50 ID:1d4drIFg0
自戒の詩じゃな。

わしの罪過は天に満ちるほど多いのじゃ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのじゃ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのじゃ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのじゃ。

255避難民のマジレスさん:2021/01/27(水) 16:29:04 ID:QvALKIzw0
くま訳全面改
わしの罪過は天に満ちるほど多いのだ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのだ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのだ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのだ。

307
大徳寺火後題大燈國師塔 大徳寺火後大燈國師の塔に題す 1283 1338 
創草百二十八年 創草百二十八年
看來今日體中玄 看來ればこんにち體中玄
正邪境法滅卻後 正邪境法滅卻して後
猶是大燈輝大千 猶ほ是れ大燈大千に輝く

くま訳
大徳寺火災後の大燈國師塔と題して
大徳寺は創建されて百二十八年で(炎上してしまったので)ある。しかし、
創建されて以来の真実は大燈國師の中に見出せるのである。
正邪、意識対象となるもの全てを滅却した大燈国師は、
これからも三千大世界に輝き続けるのである。

*三玄三要(臨済録):玄は黒を表わし、奥の深い状態を指すので、真理、真実を深く極めた人という意味  
 で捉える事ができる。89の詩 参
 1、「体中玄」とは、物事の姿や形の中に真実を見つけ出そうということ
 2、「句中玄」とは、言葉に込められた根本の意味を見つけ出そうということ
 3、「玄中玄」とは、形や言葉に囚われない真実の姿を求めること
  臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真 
  理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。265の詩 参

*大徳寺・山号は龍宝山 開基は大燈国師宗峰妙超、1325年
 1453年・60歳の時・大徳寺が炎上。
(´・(ェ)・`)つ

256鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/27(水) 23:26:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大燈国師の塔が再建されたのじゃな。
大徳寺が創建百二十八年というのじゃ。
看に来たれば体中玄なのじゃ。
正邪も滅却して後、なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くというのじや。

257避難民のマジレスさん:2021/01/28(木) 17:24:07 ID:GLxyV7yo0
くま訳改
第二句:看来れば、物事の姿や形の中に真実を見いだせるのだ。
第三句:正邪、意識対象となるもの全てを滅却した後も、
第四句:なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くのである。

308
賛鳥窠和尚   てうくわ和尚を賛す
巣寒樹上老禪翁 巣は寒し樹上の老禪翁
寂寞淸高名未空 せきばくせいかう名いまだむなしからず
諸悪莫作善奉行 諸悪まくさ善奉行
大機須在醉吟中 大機はすべからくすゐ吟のうちに在るべし

肝冷斎先生訳・解説より
そこの巣は寒くはございませんか、樹上の老いた禅じじいよ、
孤立し、清く高尚で、その名は今でも知られている。
白楽天の問いに答えて、「悪いことはしてなりません、いいことをしなさい」と(外面よく答えたが)
(悟りへの)大きな転換ポイントは酔歌する(ようなキモチ)の中にこそあるはずだ。

「酔吟」・・・白楽天が晩年に「酔吟先生」と自称しているので、それを踏まえると、(悟りへの)大きな
 転換ポイントは、白楽天の方にあるはずだ(和尚の方はヒントを示しているだけだ)。

くま訳
鳥巣(ちょうか)和尚について詠うのだ
松の木の上に住んだ鳥巣老僧は、寒かったでありましょう。
寂寞たる中で、清らかに生きたその名は、未だに思い起こされてるでありますよ。
悪事をなさず、善事をなせ。(よと、鳥窠和尚は白楽天の問いに答えて言ったのだ。)
悟りを求める実践法は、すべからく、酔吟のうちにあるのだ。

*鳥窠道林(ちょうかどうりん、741-824、唐代 白居易との交流で知られる。198 40の詩 参    
*道林和尚と白楽天の間に交わされたという有名な問答の概要・禅の視点 - life - HPより
 
 白居易来って宗要を問ふ、居易曰く、「禪師の住所甚だ危険なり」と。
 窠曰く、「居士の危険尤も甚だし。」
 居士曰く、「弟子の位、江山に鎮す、何の険なることか之れあらん」と。
 窠曰く、「薪火相交って識性停まらず、険に非らざることを得んや。」
 
「和尚さん、そんなところで坐禅をしていては危ないのではないですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の 
 危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。どうして危険がないなどということが言える 
 か」(この後に135の詩の詞書がつづく)
*諸悪莫作善奉行:一休さんお気に入りの言葉。
*寂寞(ジャクマク・せきばく):ひっそりしていてさびしいこと。また、そのさま。静かなさま。
*清高:清らかですぐれている・こと(さま)。
*大機:大乗の教えを受け、それを実践する資質。また、その資質を有する者
(´・(ェ)・`)つ

258鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/28(木) 23:38:35 ID:1d4drIFg0
鳥巣和尚の賛じゃな。
寒樹は葉の落ちた樹なのじゃ。

寒樹の上に巣を作る禅翁なのじゃ。
清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのじゃ。
鳥巣禅師は白居易に諸々の悪はなさず、善き事を奉じ行えと説いたのじゃ。
なぜならば悟りへの大いなる機会とは白居易自らの中にあらねばならぬからなのじゃ。

259避難民のマジレスさん:2021/01/29(金) 17:29:17 ID:Mq7fRKlY0
くま訳全面改
第一句:寒樹は葉の落ちた樹の上に巣を作る禅翁なのだ。
第二句:清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのだ。
第三句:鳥巣禅師は白居易に悪事はなさず、善事を行えと説いたのだ。
第四句:なぜならば悟りへの大いなる機会は白居易自らの中にあらねばならぬからなのだ。

一休さんらしいオチと言うべきでありましょうか。
309
賛靈昭女    靈昭女を賛す
笟籬賣却甚風流 さうりまい却して甚だ風流
一句明明百草頭 一句明明たり百草頭
相對無心弄禪話 相對して禪話を弄ずるに心無し
朝雲暮雨不甚愁 朝雲暮雨愁に堪えず

くま訳
賛靈昭女(りんしょうじょ)について詠うのだ。
竹かごを売って生活していた風流な女性である。
森羅万象はありのまま、(仏法の真髄、悟りの法)の一句を遺している
相対して禅話をしても、無心なのだ。
しかし、情を交わすことがあったとしても、ものわびしく感じてしまうであろう。

*靈昭女:(りんしょうじょ・れいしょう)龐居士(ほう)の娘、一家そろって禪宗に在家で歸依、竹漉籬 
 売りて父母を養ふ。 
 150の詩参
*おまけ: 龐居士VS 靈昭女 親子問答
居士一日坐次。問靈照曰。     居士一じつ坐する次いで、りんしょうに問とうて曰く、
古人道。明明百草頭。明明祖師意。 古人いう、明明たり百草頭、明明たり祖師意、と。
如何會。              如何が会す 
照曰。老老大大。作這箇語話。 照曰く、老老大大として這箇の語話をなす。
士曰。你作麼生。 士曰く、なんじはそもさん。
照曰。明明百草頭。明明祖師意。 照曰く、明明たり百草頭、明明たり祖師意。
士乃笑。 士、すなわち笑わう。

細川景一先生訳・解説抜粋
父、龐居士が娘に問いかけます。「古人いう、明々たりひゃくそうとう、明々たり祖師そし意い、如何にえ
すや」。
霊照が答えます。「老々ろ大々、お父さん、いい歳をして何をいっているのですか」。龐居士、驚いた顔を
して問います。「じゃ、お前ならなんという」。
霊照、おもむろに、「明々めいめいたり百草頭、明々たり祖師意」。
龐居士、頷いてにっこり笑います。

答えは一緒です。どう違っていたのでしょうか。龐居士は、ただ古人の言葉として取り上げたにすぎません。
霊照はこの「明々たり百草頭、明々たり祖師意」の語を、自分の見解(けんげ)として呈し、その真意を体得
したのです。そこを看て取って龐居士は頷いたのです。
「明々」とは、はっきり・・、ありあり・・としているさま。「頭」は意を強める助辞。また、文字通りの
頭、先のことと解することもできます。「百草」とは、草花に限りません。森羅万象、山河大地、草芥人畜、
一切の存在と現象を意味します。「祖師意」とは、祖師西来意・・といわれるもので、達磨大師がインドか
ら中国にやって来た本当の意ということから、禅問答の中では、仏法の真髄・・とか悟り・・とかの意に用
いられます。
「明々たり百草頭、明々たり祖師意」。私たちの目前に拡がる山川草木、禽獣、虫魚、瓦礫塵芥(がりゃく
じんかい)等一切の存在と現象一つ一つが、そのまま仏法の真理であり、悟りであるというのです。故に一
草、一木、一匹、一箇の事々に、物々の一つ一つに耳を傾け、目を凝らし、心を通わせ、その真実の姿を収
得しなければならないのです。霊照は父親の手引きで、目前の一草一木の先に輝く仏の命を学び取ったのです。
(´・(ェ)・`)つ

260鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/29(金) 23:39:43 ID:1d4drIFg0
靈昭女は竹かごを売却してはなはだ風流なのじゃ。
一切が明らかになった境地を句に表したのじゃ。
相対すれば無心で禅話を玩弄するじゃろう。
それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのじゃ。

261避難民のマジレスさん:2021/01/30(土) 17:25:12 ID:VDH662kQ0
くま訳改
第四句:それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのだ。

不甚(たえず))あまり…でない.あまりはっきりしない,よくわからない.そんなにはっきりしていない.
くまの元訳は、耐えずと誤訳してしまったのである。

310    1/2
大燈國師百年忌 二首
曩覔青銅無半文 さきに青銅をもとむるに半文無し
酬恩一句豈驚群 恩にむくゆる一句あに群を驚かさん
祖師遷化己百載 祖師のせんげすでに百さい
空拝婆年婆子裙 むなしくば年を拝すばしがくん

柳田聖山先生訳
いくら頭陀袋を探しても、半文もないのに
どうして気の利いた詩句を捧げられようか
祖師が亡くなって早や百年が過ぎた年月は、
老婆が年月を数えるように、虚しい限りだ。

くま訳
まずは、銭を探してみたが半文も無いのである
大燈國師の恩に報いたくて一句を詠んでも、多くの人の注意をひくことが出来ない。
大燈亡くなってすでに百年
虚しく老婆の様に年を数える

*半文:斎宮歴史博物館HPによると、平安時代の貨幣価値は、1文24円くらいだそうである。くまより貧 
 乏な一休さんであるが、いずれ、一休文化サロンのパトロン達から何十億円も寄付を集めて、大徳寺を再 
 建するのである。
(´・(ェ)・`)つ

262鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/31(日) 00:18:14 ID:1d4drIFg0
大燈国師の百年忌なのじゃ。

財布の中には半文の銅銭もないというのじゃ。
恩に報いるのに金は無く詩の一句だけであるがそれで群集を驚かすことなどあろうかというのじゃ。
なぜならば祖師の遷化して百年経ったことを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものであるからなのじゃ。

263避難民のマジレスさん:2021/01/31(日) 14:20:37 ID:4O1q8XE60
くま訳改
第四句:それを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものなのだ。

311    2/2
児孫多踏上頭関 児孫多く踏む上頭の関
一箇狂雲江海間 一個の狂雲紅海のあひだ
大会齋還在何處 大え齋かへっていずれのところにか在る
白雲蒸飯五臺山 白雲はんを蒸す五台山

慧智和尚 の解釈
伝統や系譜を肩にかけた頭でっかちの“お偉い”先輩弟子が公案を通るが、頭を捨て去り融通無碍に生きて
こそ本物である。

柳田聖山先生訳
弟子は皆、上へ上へと階段を昇るのだが、
狂雲子のボクだけは、海辺に、河辺に遊
百年祭など、どこで執り行われるのだろう。
白雲が湯気を立ち込めるあの五台山あたり。

くま訳
大燈の弟子たちは、どんどん出世してゆくが、
狂雲は一人海辺、川辺で遊んでいるのである。
大燈百年忌の大会斎はどこで行われるのだろう、
盛大な宴会のための炊飯の湯気が、仏教の聖地五大山を曇らせているであろう。
(´・(ェ)・`)つ

264鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/31(日) 23:55:03 ID:1d4drIFg0
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているというのじゃ。
一休だけは川海に降りて踏んでいないのじゃ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのじゃ。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くというのじゃ。

虚礼を批判して本心を尊ぶ一休らしい二首なのじゃ。

265避難民のマジレスさん:2021/02/01(月) 08:36:51 ID:EjUwW3wo0
くま訳全面改
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているのだ。
わしだけは川海に降りて踏んでいないのだ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのか。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くのだ。

312
偶作
昨日俗人今日僧 さく日は俗じんこん日は僧
生涯胡亂是吾能 生涯うろん是れわが能
黄衣之下多名利 くわうえのもと名利多し
我要兒孫滅大燈 我は要す兒孫んの大燈を滅せんことを

くま訳
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴なのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込むのだ
わしには、それが必要なのだ、大燈の後継者と称する奴等を滅ぼす為に。

*俗人:世間一般の人。利益や評判しか考えないような、くだらない人物。風雅の心がわからない人
*胡乱;確かでなく、怪しいこと。うさんくさいこと。
(´・(ェ)・`)つ

266鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/01(月) 23:30:33 ID:1d4drIFg0
昨日は俗人となり、今日は僧となる。
生涯うろんな奴となるのが我が智慧に拠って能くすることなのじゃ。
なぜならば僧の黄衣を着ているだけでも名声や利益が集まってしまうからなのじゃ。
わしには大燈の伝統を継ぐものとしての名声さえも滅することが必要なのじゃ。

一休は僧としての名声や利益さえも不要と言うのじゃ。
見上げたものじゃ。

267避難民のマジレスさん:2021/02/02(火) 18:40:58 ID:1so70pj20
くま訳全面改
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴になるのが我が智慧に拠って能くすることなのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込んでしまうのだ。
わしは、大燈の後継者ととしての名声さえも滅することが必要なのだ。

313
苦中樂
酒喫三盃未濕唇 酒三盃を喫して未だしんを潤さず
曹山老漢慰孤貧 曹山老漢 孤貧をいす
直横身火宅中看 直に身を火宅のうちに横たえて看れば
一刹那間万刧辛  一刹那かん万ごうのしん

くま訳
酒三盃をあおっても、未だ酔えない。
曹山和尚ならば、既に狐貧の境涯に達していると慰めてくれるだろうが、
直接我が身を娑婆世界に置いてみれば、
この一瞬が、永遠の苦しみのように感じるのだ。

*『無門関』第十則にある「清税孤貧(せいぜいこひん)」
 清税和尚(税闍梨・ぜいじゃり)が、 曹山本寂(ほんじゃく)和和尚に問う。
 「清税孤貧、乞う師、賑済(しんさい)せよ」 私は狐貧(本來無一物)の境涯を得たが、
                       この上、何を会得したらいいのでしょう。
 曹山云く、「・・酒、三盞(さんせん)喫し了って猶お道(い)う、未だ唇を沾(うるお)さず」と。
(´・(ェ)・`)つ

268鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/02(火) 23:04:15 ID:1d4drIFg0
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのじゃ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのじゃ。
俗世に在ればそれは刹那でも何万年の苦と感じるじゃろう。

269避難民のマジレスさん:2021/02/03(水) 17:53:25 ID:381gV8NM0
くま訳全面改
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのだ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのだ。
俗世に在れば
それは刹那でも何万年の苦と感じるものなのだ。

314
嫌抹香     抹香を嫌ふ
作家手段孰商量 作家の手段たれか商量せん 
説道談禅舌更長 説道談禅舌更に長し  
純老天然悪殊勝 純老は天然殊勝をにくむ 
時顰鼻孔佛前香 ひそかに鼻くうをしかむ仏前の香

仁先生訳
本当に悟りをえた者の境地を一体誰が思量することができるだろうね。  
悟ったように道を説き、禅をお喋りしている者たちの舌は、長すぎるよ。   
ぼくはね、天然の木偶の坊だからね、くそまじめ精神が嫌いなんだ。 
仏前の抹香臭さには、たまらず鼻を顰めてしまうよ。 

くま訳
禅宗師家が弟子を導く方法について、誰が、評価できるというのだ。
仏道を説き、禅を談じる際にはたいへん饒舌な奴らである。
わしは、ありのままを追求するのだ、本來殊勝な奴は嫌いなのだ。
仏前の抹香臭いには鼻をしかめてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

270鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/03(水) 21:33:40 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。

仏陀の法を誰が理解することが出来るのかというのじゃ。
まだ目覚めぬ者が法について長口舌するのじゃ。
わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのじゃ。
仏前に供える抹香も多すぎれば臭すぎて鼻を顰めるようなものじゃ。

271避難民のマジレスさん:2021/02/04(木) 06:31:54 ID:z5R.lv3M0
くま訳改
第三句:わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのだ。

一休さん、東福寺(涅槃図)広報の詩
315
涅槃像  1/2
作佛被毛無主賓 さぶつひ毛主賓無し
春愁二月涅槃辰 春愁二月涅槃のとき
有情異類五十二 有情異類五十二
混雑紫磨金色身 混雑す紫磨金じきのみ

中瀬祐太郎先生訳・解説
涅槃に入るお釈迦さんと、その周囲で嘆き悲しんでいる動物たちとに、主体も客体もない。
その涅槃の季節は物悲しい春の二月である。
五十二種類にのぼる一切の生きとし生ける者たちが集まって、
美しく輝く御釈迦さんの周囲をうじゃうじゃさわがしく取り巻いている。
〔語注〕
・作佛…佛になること。 ・披獣…獣になること。 ・主賓無し…自他などの相他した区別のない世界。
・五十二…入滅の際し集まった五十二種の衆生。

くま訳
佛も衆生も分け隔て無し
春愁二月涅槃のとき
五十二の人や動物が描かれている
みな集まる、金色の仏

*紫磨金(シマゴン)紫色を帯びた純粋の黄金。紫磨黄金。紫金(しこん)。
*現在では、酬恩庵一休寺に、南北朝、室町、江戸後期に製作された涅槃図が所蔵されており、釈迦(しゃ
か)の命日とされる旧暦の2月15日に涅槃会(ねはんえ)が行われ、涅槃図3幅が特別公開されているの
である。 一休さんが見に行ったのは↓
参)東福寺所蔵の8x15mの巨大図絵 (猫も描き加えられていることで有名)
http://www.rinnou.net/nehanzu/1_kaisetsu/1-1_jinbutsu/shakuson.html 
(´・(ェ)・`)つ

272鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/04(木) 23:28:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 お釈迦様が涅槃に入って一切衆生が悲しんでいる図というのじゃ。
 二月の春というのじゃ。
 52種類の衆生が描かれているのじゃ。
 金色の仏陀の体を取り巻いて混雑しているというのじゃ。

273避難民のマジレスさん:2021/02/05(金) 19:16:06 ID:TUYcrgkw0
316
涅槃像  2/2
頭上北洲脚下南 頭上は北洲 脚下は南    
前三三也後三三 前三三や後三三  
逼塞乾坤釈迦像 乾坤に逼塞す釈迦の像    
看來慧日一迦藍 看来れ 慧日の一迦藍   

中瀬祐太郎先生訳解説
頭は北向き足は南向きで、
ごろんと横たわっているお釈迦さんの周りに、あっちこっちにちらほらと数人ずつの者たちがへばりついて
いる。
天地をいっぱいにふさげているこの巨大な涅槃図を、
東福寺の佛殿へ、ぜひ見にいらっしゃい!
〔語注〕
*北洲…来倶盧洲。四大洲のひとつ。 
*前三三後三三…こちらにちらほらあちらにちらほら。『碧巌録』三十五即に出ることば。
*乾抻…天地。 
*慧日…東福寺の山号。(仏語。仏の智慧が煩悩や罪障を除くことを、太陽にたとえていう語。)
    
くま訳
頭は北向き、足は南
前に後ろに、みんないる
天地いっぱいに描かれた涅槃像、
見にいらっしゃい、東福寺へ!
(´・(ェ)・`)つ

274鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/05(金) 23:47:32 ID:1d4drIFg0
なにやら宣伝文句みたいじゃのう。
頼まれて書いたのかもしれん。

北枕でお釈迦様はねているのじゃ。
前後に衆生が居るのじゃ。
画幅一杯に書かれた釈迦像なのじゃ。
寺に来てみるとよいのじゃというのじゃ。

275避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 13:55:58 ID:Az3frn.E0
317
地獄
三界無安 三がい無安  
猶如火宅 猶ほ火宅のごとし
箇主人公 箇の主人公
瑞岩應諾 ずゐ岩應諾す

くま訳
地獄
三界(欲界・色界・無色界)は心休まることなく、
燃え盛る家の中にいるようなものである。
主人公(本来の面目)よぉぉ、と自分に呼びかけて、
瑞岩和尚の真似をして、はい!と応えてしまったら、地獄でありましょう。

おまけ:瑞巌主人公 無門関十二則「瑞巌主人」禅と悟りHPより抜粋
本則:瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。  瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、
   復自應諾。           復(ま)た自ら応諾す。
   乃云。惺惺著。喏。       乃(すなわ)ち云く、「惺惺着(せいせいじゃく)、諾。 
   他時異日。莫受人瞞。喏喏。   他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾諾」。

   瑞巌彦(ずいがんげん)和尚は毎日自分に向って「おい主人公!」と喚びかけ、
   自分で「はい」と答えた。
   その後「おい、しっかりしろよ」。「はい」。
   さらに、「どんな時でも他人に騙されるなよ」と喚びかけ、自分で「はい、はい」と応え自問自答し    
   ていた。
評唱:瑞巌和尚は、自作自演の胡散臭い一人芝居をしているわい。
   一体彼は何が言いたいのだろう。
   さあここだぞ。
   一人は喚ぶ者、一人は応える者。一人ははっきりと目覚めている者、一人は騙されない者。
   しかし、この内どの一人を容認してもダメだ。
   そうだと言って若し瑞巌和尚のまねでもしたら、それこそ野狐禅に陥るだろう。

頌:参禅修行者が真実を識らないのは、分別意識に惑わされるためである。
  過去から積もった人生の苦の本である分別意識(理知脳)を、
  本来の面目だと誤認して「本来人」と呼んではならない。

承福寺HP解説抜粋
この主人公とは、禅で言うところの「本来の面目」ということである。すなわち、
本来の自己、真実の自己ということであり、本来備わる「仏性 (ぶっしょう)」のことである。禅の目指すと
ころは「己事究明」による「見性成仏」である。己の内心を究明し究明して、生まれながらに頂いている仏
性への目覚めに修行の眼目があるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

276避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 14:03:50 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより
大徳、三界無安、猶如火宅。 大徳、三界安きこと無く、猶お火宅の如し。
此不是爾久停住處。 此は是れ汝が久しく停住する處にあらず。
無常殺鬼、一刹那間、不揀貴賤老少。 無常の殺鬼、一刹那の間に、貴賤老少を揀ばず。
爾要與祖佛不別、但莫外求。 汝は祖佛と別ならざんと要せば、但だ外に求むること莫れ。
爾一念心上清淨光、是爾屋裏法身佛。 汝が一念心上の清淨光は、是れ爾が屋裏の法身佛なり。
爾一念心上無分別光、是爾屋裏報身佛。汝が一念心上の無分別光は、是れ爾が屋裏の報身佛なり。
爾一念心上無差別光、是爾屋裏化身佛。汝が一念心上の無差別光は、是れ爾が屋裏の化身佛なり。
此三種身、是爾即今目前聽法底人。 此の三種の身は、是れ汝即今目前聽法底の人なり。
祇爲不向外馳求、有此功用。 祇(た)だ外に向って馳求せざるが爲に、此の功用有り。
據經論家、取三種身爲極則。 経論家に拠らば、三種の身を取って極則と為す。
約山僧見處、不然。 山僧(さんぞう)が見処に約すれば、然らず。
此三種身是名言、亦是三種依。 この三種の身は是れみょう言にして、亦た是れ三種の依なり。
古人云、身依義立、土據體論。    古人云く、「身は義に依って立て、土は体に拠って論ず」と。 
法性身、法性土、明知是光影。    法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ光ようなることを。
大徳、爾且識取弄光影底人、     大徳、汝しばらく光影ようを弄する底の人を識取せよ。
是諸佛之本源、一切處是道流歸舍處。 これ諸仏の本源にして、一切処是れ道流が帰舎の処なり。
是爾四大色身、不解説法聽法。    是れ汝が色身は、説法聴聞する解(あた)わず。 
脾胃肝膽、不解説法聽法。      脾胃肝胆(ひいかんたん)は説法聴聞する解(あた)わず。
虚空不解説法聽法。         虚空は説法聴法する解(あた)わず。 
是什麼解説法聽法          是れ什麼(なに)ものか 説法聴法を解(よく)くす。
是爾目前歴歴底、          汝目前歴歴底(れきれきてい)にして、 
勿一箇形段孤明、          一箇の形段(ぎょうだん)勿(な)くして孤明(こめい)なる、   
是這箇解説法聽法。         是れ這箇(しゃこ)、説法聴法を解(よく)くす。
若如是見得、便與祖佛不別。     若し是(かく)の如く見得すれば、便ち祖仏と別ならず。
但一切時中、更莫間斷、觸目皆是。  但(およ)そ一切時中、更に間断莫く、触目皆な是(ぜ)なり。   
祇爲情生智隔、想變體殊、      ただ情生ずれば智隔たり、相変ずれば体殊(こと)なるが為に、      
所以輪回三界、受種種苦。      所以(ゆえ)に三界に輪廻して、種々の苦を受く。
若約山僧見處、           若し山僧(さんぞう)が見処に約せば、
無不甚深、無不解脱。        甚深(じんじん)ならざるは無く、解脱せざるは無し
(´・(ェ)・`)
(つづく)

277避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 14:06:00 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより現代語訳
諸君、法華経に「三界は安きこと無し、猶お火宅の如し」とあるように、
火宅のようなこの世界は君達が久しく留まる処ではない。
死の殺鬼は一刹那(せつな)の間に貴賎老若を選ばず生命を奪ってしまうのだ。
君達が祖仏と同じになりたいならば、決して外に求めてはならん。
お前達の本来の心に具わる清浄光がお前達の法身仏(ほっしんぶつ)なのだ。
お前達の本来の心に具わる無分別光がお前達の報身仏(ほうしんぶつ)だ。
お前達の本来の心に具わる無差別光が、お前達の化身仏(けしんぶつ)なのだ。
此の三種の仏身とは、今わしの目前で説法を聴いているお前達そのものだ。
外に向って探し求めないからこそ、このような働きがあることが分かる。
経論の専門家は、仏の三身を仏法の究極だとしている。
しかし、わしの見地からはそうではない。
この三身仏は単なる名前で、仮りの拠り所に過ぎない。
古人も「三身仏は仏教の教義から出てきたもので、
仏国土はその概念から設定したものだ」と云っている。
法身仏とか、法性の仏国土などは、明らかに単なる思想や概念に過ぎない。
諸君よ、その思想や概念をちらつかせている本体を見て取らねばならない。
それこそ諸仏の本源であり、お前達が帰り着くべき家郷なのだ。
お前達の生ま身の肉体は、説法も聴法もできない。
胃や肝臓などの内臓も説法も聴法もできない。
また虚空も説法も聴法もできない。
それでは一体何者が説法したり聴法したりしているのだろうか。
今わしの目前にはっきりと居て、はっきりと肉体としての形体はないが
独自の輝きを発しているお前達そのもの、
それこそが説法したり聴法することができるのだ。
もし、そのように理解できれば、お前達は祖仏と同じだ。
そうなれば朝から晩までとぎれることなく、目に触れるもの全てが肯ける。
ただ情念が起こると智慧は遠ざかり、想念が変化すれば本体も変わるために、
迷いの世界に輪廻して、種々の苦しみを受けるのだ。
もし、わしの見地に立てば、全ては深遠極まりなく、
そのままで解脱しないものは無い」。
(´・(ェ)・`)b

278鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/07(日) 00:16:26 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三界に安心はなく、火事の家のようだというのじゃ。
この地獄の主人公は瑞岩が答えた者だというのじゃ。
幻想の自我なのじゃ。

279避難民のマジレスさん:2021/02/07(日) 03:15:34 ID:R5IWtaC60
318  1/2
泉堺衆絶交   泉堺の衆と交を絶つ
耽利好名天澤孫 利に耽り名を好む天澤の孫
靈光失脚大燈門 靈光失脚す大燈の門
梨冠爪履人疑念 梨冠くわり人の疑念
伎倆當機報佛恩 伎倆機の当たって佛恩を報ず

泉堺の衆と交を絶つ
名利を上げることを好む虚堂の孫弟子
大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風は失われた大燈の門
人に疑われるようなことはしない方が良いのである。絶交しても、
小手先の技で、その場に応じて佛恩に報いることもできるのである。

*靈光:大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風のことと解した。
 ・大燈国師:宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)1283-1338、1307、26歳のとき、印可を得た。嗣法の 
 後、約20年草庵にあって京都で乞食行をする。峻烈無比の禅風の故に近づく人も少なかった。 
 ・関山慧玄(かんざんえげん)1277-1361、1329雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明、1342宗峰 
 (大燈)が推挙し、妙心寺開山となった。禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専 
 念した
大燈国師宗峯妙超遺誡
 或いは儻もし一人あり野外に綿絶し、一把茅底。折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、専一に
 己事 を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の 人なり。誰か敢て軽忽せんや。勉旃勉旃。
*瓜田不納履、李下不正冠  かでんにくつをいれず、李下に冠を正たださず:人などに疑われるような事 
 はするなということ。『古楽府・君子行』瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。李すもも 
 の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われるということから。
(´・(ェ)・`)つ

280鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/08(月) 00:04:58 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

泉堺の衆は利益に耽り、名を好むのに天澤の孫弟子というのじゃ。
そんな大燈の門からは既に霊光が失脚しているのじゃ。
李下に冠を直し、瓜の畑で履を直すのは人の疑いを招くのじゃ。
技量に拠って佛恩に報いる心構えが大事なのじゃ。

281避難民のマジレスさん:2021/02/08(月) 01:34:58 ID:QDrltYHs0
319 
泉堺衆絶交2/2 
参學之徒無道心 参學の徒道心無し
紅紫朱色似鍮金 紅紫朱色ちゅうに似たる金
忠言可逆人人耳 忠言逆ふべしにんにんの耳
牛馬面前空鼓琴 牛馬面前むなしく琴を鼓す

くま訳 
参禅して仏道を学ぼうとする者に悟りを求める志が無い
紅紫朱色の法衣、真鍮のような偽物の金。名利を求めてるだけである。
忠言しても聞き入れない人々
愚か者達の前でむなしく法話、説教をしたり、音曲の宴に交わったりしていたのである。

*法衣の色:緋色(ひいろ:黄色がかった濃い赤色)や紫色を上位の色と定めていることが多い。
(´・(ェ)・`)つ

282鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/08(月) 23:14:55 ID:1d4drIFg0
泉堺の参学の者には悟りを求める心が無いのじゃ。
知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものじゃ。
忠言は耳に逆らうというのじゃ。
牛馬の面前で空しく琴や鼓を演奏するようなものじゃ。

283避難民のマジレスさん:2021/02/09(火) 12:00:18 ID:TSYbI.Qo0
くま訳改
第二句:知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものなのだ。

320
蓑笠 庵號   さりゅふ 庵号
樵客漁人受用全 せうかくぎょじん受用まつたし
何須曲椂木牀禪 何ぞもちひん曲ろくもくしょうの禅
芒鞋竹杖三千界 ぼうあいいちくぢゃう三千界
水宿風飡二十年 水宿風さん二十年" "蓑笠 庵號

くま訳
みの笠 庵号
きこり、漁師、誰でも受け入れる。
どうして、寺院で踏ん反り返って偉そに説法する禅などを用いるのだ。
わらじを履き、竹の杖をもって放浪の旅をしながら、三千大世界を廻るのだ。
大燈国師は大悟し後二十年間、師匠大應の指示に従い乞食行をしたのだ。

*曲椂(きょくろく):法会(ほうえ)の際などに僧が用いる椅子(いす)。背のよりかかりを半円形に曲げ、
脚をX字形に交差させたものが多い。

この詩は、蓑笠庵紹徳山主と関係あるのか、よく分からないのである。
この詩を印可の証と勘違いしたのでありましょうか?あるいは、 破門はしたものの、友達だったので、励
ましの詩を贈ったのでありましょうか? 
・一休さんと蓑笠庵紹徳山主は、元は仲良しだったのである。真珠庵蔵一休像に付されてる讃は蓑笠庵紹徳 
 山主の求めに応じて、一休自ら付したもの・・・だったらしい。
・しかし、ある時、一休は会下にあった曹洞宗の蓑笠庵紹徳山主を擯斥している。
 一休会下二曹洞ヨリ来ル者、アヤマラサルハスクナシ。中ニモ蓑笠庵ハ、名聞ヲコノム人ニテ、印可ヲノ 
 ソム。又、カタヲカノ太郎左衛門ト云者、仏法名聞アリ。彼等ハ、我死後ニハ、一定、一休ノ印可也ト云
 テ、クチタテヲスヘシ。我ハ華嬰ヨリノ印可ナシ壬華曼モ亦壬言外ヨリノ印可ナシ。サルポトニ、人ヲモ
 印可スルコトアルヘカラス。
 一休の会下において、自分は一休より印可を得たと称する輩が後を絶たなかった(飯塚大展先生)らしい 
 のである。
参)https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>669 崇宗蔵主絶交
(´・(ェ)・`)つ

284鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/09(火) 23:50:11 ID:1d4drIFg0
蓑笠庵は名聞を好み、一休の印可を欲しがったというのじゃ。
それを諌めているのじゃな。

樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのじゃ。
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのかというのじゃ。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのじゃ。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのじゃ。

その孫弟子達に何故名聞が必要なのかというのじゃな。

285避難民のマジレスさん:2021/02/10(水) 04:45:10 ID:4B.mEajw0
くま訳全面改
樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのに、
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのか。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのである。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのだ。

321
謹奉録呈
 一休老和尚座下  
  
  狂風徧界不曾蔵   狂風偏界かつてかくさず
  吹起狂雲狂更狂   吹き起こす狂雲 狂さらに狂
  誰識雲収風定處   誰か識る雲収まり風定まる処
  海東初日上扶桑   海東の初日 扶桑に上がらず
  
  幻住孫眞建 九拝  幻住の孫眞建 九拝

和韻
慙愧聲名不覆蔵 慙愧す聲名の覆蔵せざるを
佯歌爛醉我風狂 佯歌爛醉我れ風狂
吟懐夜夜中峯月 吟懐夜夜中峯の月
幻住僧無三宿桑 幻住の僧に三宿の桑無し

くま訳
謹んで一詩奉る
 一休老和尚様へ
  狂風は、何ものをも隠すことはない
  一休和尚が巻き起こす旋風が、世間に吹きまくる。
  この風が何をもたらし、何時やむのか、誰もしらない。
  大風がやむまで、日本國禅宗は始まらない
 
愧じているのである。名声を隠せないでいることを。
戯れ歌を詠み、飲んだくれるのが、我風狂である。
詩情を湧き立たせる夜毎の山頂の月なのである。
眞建和尚の師匠、幻住道人は桑の木の下に三泊せず、人の恩恵を受けず絶切ったとのことでありますが、か
く在りたいものである。

*和韻(わいん):他人から漢詩を詠みかけられた時などに、それにこたえて、その詩と同じ韻字を用 
 いて詩を作ること。次韻・用韻・依韻の三体がある。
*眞建和尚:中峰明本の法脈を承ける幻住派の僧
*幻住和尚中峰明本(ちゅうほう みんぽん、1263-1323)元代。臨済宗楊岐派の禅僧。智覚禅師。幻住道人。
 南嶽懐譲下の第22世。定住処を持たず、「幻住庵」と名づけた庵を各地に造って、そこに仮寓した。
 1318年には、仁宗によって宮中に召されたが、応じなかったが、金襴の袈裟を下賜され、さらに「師子 
 正宗寺」の院号を賜った。「教禅一致」や「禅浄一体」をも主張している。実際、明本は浄土信仰者で 
 あった。
*遍界不曾蔵:遍界とは遍法界のこと。「遍界、曾て蔵さず」と訓じ、この世界には、何ものをも隠すこと 
 はないこと。道理は常に顕れきっていることから、容易に形而上学的な思考を弄ぶことを諫めた言葉。
*腹蔵・覆蔵:心の中に秘め隠すこと。
*佯:いつわり・さまよう・あざむく
*爛:ただれる・あふれる
*吟懐:詩歌を作りたいという思い。また、 思いをこめた詩歌。
*韜晦(とうかい):才能・地位などを隠し、くらますこと。姿を隠すこと。行くえをくらますこと。
*僧は桑の木の下に三泊しない。人の恩恵を受けず絶ちきるの意『後漢書』裏楷伝
(´・(ェ)・`)つ

286鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/10(水) 22:09:44 ID:1d4drIFg0
一休と弟子の交流じゃな。

狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧というのじゃ。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるのじゃ。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知るじゃろうかというのじゃ。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのじゃ。

自分の名声が隠せないことを恥じるというのじゃ。
詩を詠い酒に酔う我は風狂であるのじゃ。
夜中に峯月を詠む心地なのじゃ。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのじゃ。

287避難民のマジレスさん:2021/02/11(木) 11:19:25 ID:8lHBfo7Y0
読み下し訂正; 扶桑に上がらず⇒扶桑にのぼる
くま訳全面改
眞建より一休和尚へ
狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧であります。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるでありましょう。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知ることが出来るでありましょうか。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのであります。

和韻 一休より眞建和尚へ 
自分の名声が隠せないことを恥じるのである。
詩を詠い酒に酔う我は風狂なのである。
夜中に峯月を詠む心地なのである。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのである。

322
示衆
参玄衲子道難成 参玄衲子みちじゃうじ難し
但願皈依常不輕 但だ願はくは常不きゃうに帰依せんことを
一片吟懐向誰解 一片の吟懐誰に向ってか解かん
楚雲湘水十年情 楚雲湘水十年の情

くま訳
弟子達に示す
仏道修行を完成させるのは難しい。
只、願わくは、人皆成仏するとして、会う人毎に軽んずることなく礼拝した常不軽菩薩に帰依したまえ。
この一片の詩情を誰に向って解いていると言うのか、まさに君達に向かって説いているのだ。
雲水行脚十年、師に法を追い求める情を詠っているのだ。

*参玄衲子:玄玄微妙の法を實参實究する人に意、仏道修行の人のことなり。(禅学大成脚注)
*楚雲湘水:楚山の雲、湘江の水で、楚雲湘水の辺りを行遊したこと。行脚多年、善知識に法を求むる情を 
 いふ。(禅学大成脚注)
*常不軽(ジョウフキョウ):「法華経」常不軽菩薩(ぼさつ)品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、
 会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという。
*善知識・善智識:善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、 
 教え導く教導の三種を数える。禅宗では師僧を尊んでいうことがある。
(´・(ェ)・`)つ

288鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/11(木) 22:04:08 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

仏道は成り難しというのじゃ。
ただ不軽菩薩に帰依せんことを願うというのじゃ。
一片の吟懐は誰に向かって説くのかというのじゃ。
十年師を求めてさまよう者に情けをかけたのじゃ。

289避難民のマジレスさん:2021/02/12(金) 03:16:20 ID:xZ7o5x6w0
乙石御用人・・・何者でありましょうか?やんごとなき武家のお嬢様でありましょうか?
323 
乙石御用人向妙勝寺眞前髪置賀頌 乙石御用にん、妙勝寺のしんぜんに向かひ、髪置の賀頌 
三歳生年小女兒 三歳のせい年小女児
終吾門老比丘尼 つひに我が門の老比丘尼、
壽算婆裙錦延錦 寿算婆くん綿延の錦
孾孩垂髪白如絲 えいがい髪を垂れて糸よりも白し

くま訳
乙石御用人、妙勝寺の前で髪置の儀式の賀頌を詠む。 
三歳の女児、
いずれ報恩庵の老比丘尼となり、
長寿めでたく、裾から錦の衣が見えるまで。
赤ん坊の頭に白髪になぞらえた白糸などを置いて祝う。

*妙勝寺:酬恩庵の旧称
*髪置(かみおき):幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめるときの儀式。髪立,櫛置などともいう。
 平安時代末期から行われた。綿帽子,白髪になぞらえた白糸などを頭上に置いて祝う。公家では2歳で,
 武家では3歳の 11月 15日にこれを行い,5〜6歳になると髪削 (かみそぎ) ,深曾木 (ふかそぎ) と 
 いって将来の生髪を祝う儀式を行う習慣があった。
*嬰孩(えいがい):赤ん坊。ちのみご。嬰児 (えいじ) 。
*垂髪(すべらかし);女性の髪形の一。前髪を膨らませ、後頭部でそろえて束ね、背中に長く垂らしたもの。 江戸初期まで成人の女子の髪形であったが、のちには高貴な婦人の正式な髪形となった。さげがみ。すべ 
 しがみ。すべしもとどり。おすべらかし。
*綿延(めんえん): 長く連なり延びること
(´・(ェ)・`)つ

290鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/12(金) 23:47:29 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三歳の女子が我が門の老比丘尼になればよいというのじゃ。
年を数えて老婆の腰巻が伸び、幼子の垂れ髪は糸の如く白くなるまでというのじゃ。

291避難民のマジレスさん:2021/02/13(土) 00:26:59 ID:td4//x260
324

暫時此地弄精魂 暫時此の地に精魂を弄す
臨済後身興祖門 臨済の後身祖門を興す
美譽芳聲世間外 美誉芳声世間のほか
五雲天上月林孫 五雲天上月林の孫

くま訳
ほめたたえる
しばらくの間この地で修行するのである。
臨済の後継者(月林道皎)が宗門を興した
京都五山の名誉や評判などは俗世間での話である。
天女の住むような寺で、月林道皎の孫弟子(山名宗全)が再興したのだ。

*ここで詠まれてるのは、京都五山の一つ長福寺と解してみた。
 長福寺:最初は天台宗に属していたが、1339年、月林道皎が入寺して臨済宗の寺院に改められ中興され 
 た。応仁の乱で焼失するが、山名宗全によって再興された。
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183  
 264
*五雲:五色の雲・青黄赤白黒。五色を備えた雲は、古来仙女の住むところうとされ、慶事の言葉。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
*月林道皎(げつりん どうこう/どうきょう1293-1351))松源派の僧侶。普光大幢国師。大徳寺の宗峰 
 妙超に学ぶ。後に花園上皇の帰依を受けるが、1322年に元に渡り、文宗皇帝から仏慧智鑑大師の称号を
 贈られたが、師の古林清茂が没した翌年の1330年に帰国した。梅津清景の庇護によって天台宗の寺院で 
 あった長福寺を与えられ、これを禅寺に改めて開山となった。
(´・(ェ)・`)つ

292鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/13(土) 23:06:05 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
長福寺に滞在したのじゃな。

しばらくこの寺で精魂をいじるのじゃ。
臨済の後進の者がこの寺を興したのじゃ。
世間の名声とは無縁の寺なのじゃ。
五雲天上の者の如き月林の孫弟子なのじゃ。

293避難民のマジレスさん:2021/02/14(日) 07:40:37 ID:phtihVVY0
325
心念所作
三十年來江海情 三十年來江海の情
空吟野水釣船横 空しく吟ずや水てう船の横たはるを
偶然我負子陵業 偶然に我子陵が業にそむく
興在詩非勦絶名 興は詩に在りてさう絶の名にあらず

くま訳
心のはたらきと所作(の我が実際)
三十年来俗世間を離れていた心のはたらき。
空しく吟じ、野川の釣船で横たわり過した。
たまたまわしは、子陵の生き様に反することになった。
詩作は楽しみであり、滅ぼしつくすものではないのだ。

*四念住;肉体が不浄のものであると知る「身念住」・感覚されるものは畢竟苦であると知る「受念住」・
 心は無常であると知る「心念住」・事物は無我であると知る「法念住」。常楽我浄の四顚倒を退治する修
 習法
*隋自意三昧
*江海:① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。③ 量が莫大なことをたとえていう語。
*情󠄁:1.人間の心のはたらき。こころ。きもち。意地。2.快・不快を主とする意識の主観的側面。
*勦絶(ソウゼツ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*子陵:厳光(げん こう)紀元前39 -41)後漢時代初期の隠者・字は子陵、若くして才名あり、のちの光武
 帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を
 惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、
 長安に召し出された。厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけ 
 だった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝 
 の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥 
 したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山で農耕をして暮ら 
 し、その地で没した。
(´・(ェ)・`)つ

294鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/14(日) 23:37:25 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三十年来野に暮らしたのじゃ。
川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのじゃ。
偶然子陵とは別の生業をすることになったのじゃ。
しかし、詩は楽しいからやめないのじゃ。

295避難民のマジレスさん:2021/02/15(月) 00:12:23 ID:e8HPhVb.0
くま訳改
第二句:野川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのだ。
第四句:詩は楽しいからやめないのだ。

326
佛誕生
三世一身異號多 三世一身異号多し
何人今日定誵訛 何びとかこんにちごうがを定めん
娑婆来往八千度 娑婆来往八千度
馬腹驢胎又釈迦 馬腹ろたいも又釋迦

くま訳
法報応(ほっぽうおう三身)の仏は一つであるが、異なった多くの呼ばれ方をする。
誰が、今日、この仏の現われの入り組んで、むつかしきを正しく理解できているのか
衆生教化のために、この世に来生されたことが、すでに八千遍に達すると、言われるのだ。『梵網経』
馬や驢馬の子も、万物ありのままが釈迦なのだ
あるいは、見るロバも見られる驢馬も又釈迦というのが、法身のたとえである。『従容録』第五二則

*誵訛(ごうが):聱訛とも書く。いりくんで、むつかしきこと
*三世:有為の事物は一刹那の間も止まらず、生じ終わると直ちに滅す。よって来生を未来世となし、生じ 
 たるを現在世となし、滅し終えたるを過去世となす。仏教では、時間を実体的に捉えず、つまり実在する
 ものとは見ない。変化し移ろいゆく現象や存在の上で、仮に3つの時間的な区分を立てるに過ぎないとす 
 る。
*三身:      [説明]                   [三徳]  [仏 / 如来] 
法身(ほっしん) 宇宙の真理、仏性。 法身 毘盧遮那仏
報身(ほうじん) 仏性のもつ属性、はたらき。修行して成仏する姿。般若 阿弥陀仏
応身(おうじん) この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿。解脱 釈迦牟尼仏

*井の驢を覷るが如し:『従容録』第五二則「曹山法身」に出てくる言葉で、仏の真法身は虚空のようであ 
 るが、物に応じて形を現す。その様子を徳上座が「驢の(驢馬が)井(井戸)を覷(見)るが如し」と 
 言ったのに対し、まだ不十分だとして、曹山禅師が言った言葉が先の「井の驢を覷るが如し」
 驢馬にも目があるので井戸を見れば、主観(見るもの)と客観(見られるもの)とが成立する。しかし、 
 井の驢を覷るが如しでは、目のない井戸が見るとは、無心で見るあり方を言っていると考えらる。
(´・(ェ)・`)つ

296鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/15(月) 23:39:44 ID:1d4drIFg0
仏は三世に一つの身でるが名前が違うというのじゃ。
誰がその正邪を定められるのかというのじゃ。
八千度も娑婆世界に生まれかわって法を説いているのじゃ。
馬もロバも皆釈迦というのじゃ。

三世の娑婆世界も一切衆生も皆仏ということじゃな。

297避難民のマジレスさん:2021/02/16(火) 00:38:02 ID:yHQUUtXM0
一休さんの元気がでる説法!
327
送僧行脚    僧の行脚を送る
参禪学道扣玄人 参禪学道玄をたたく人
世界蒲鞋脚下塵 世界のほあい脚下の塵
象骨老師三九旨 象骨の老師さんくの旨
常成飯頭苦心身 常に飯ぢゅうとなって心身を苦しむ

くま訳
行脚に出発する僧を見送る
参禪して、仏道を学び、奥深い道理を尋ねる人よ、
世界は足下のわらじの塵である。
象骨山に崇聖寺(すうしょうじ)を開いた雪峰義存は、投子大同(とうすだいどう)、洞山良价(とうざ
ん・りょうかい)にそれぞれ三度九度会いに行ったがなかなか大悟できなかったが、徳山の下で大悟した。
その間常に禅寺の食事係となって心身を苦しめたのである。

*玄:奥深い道理であり、あらゆる事物の根本の道。
*扣(たたく):①ひかえる。ひきとめる。 ②たたく。うつ。 ③さしひく。へらす。 ④尋ねる。問う。
*雪峰義存禪師922-908:象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。 
 三度、投に到り、九度洞山に上りて、参學甚だ黽(つと)むるも、縁遂に徳山に契(かな)ひ、祖の法を嗣 
 承す。善知識を求むるに汲々たるをいふ。
 洞山の命令で徳山宣鑑 に師事して、巖頭に諭されて大悟した。巖頭、欽山と3人で巡歴の旅が有名。
*飯頭(ハンジュウ・はんとう):禅寺で、粥飯(かゆめし)を大衆(だいしゅ)に供する役僧.
(´・(ェ)・`)つ

298鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/16(火) 23:10:48 ID:1d4drIFg0
大体その通りじゃな。

参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、世間を草履についた塵の如く捨てるのじゃ。
象骨の老師もかつては師匠に三度九度と道を尋ね、常に飯係となって苦心したのじゃ。

299避難民のマジレスさん:2021/02/17(水) 00:14:55 ID:sz5TEFYA0
くま訳改
第二句:参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、
第三句:世間を草履についた塵の如く捨てるのだ。

水葬になった庵主さんを探してみたが不明でありました。
328
學林宗参庵主水葬
参禪学道閙忽忽 参禪学道ねうそうそう
六十年來任變通 六十年來變通に任す
流水千江機輪轉 流水千かう機輪轉ず
閻浮樹下月如弓 閻ぶ樹げつき弓の如し

くま訳」
學林の宗参庵主が水葬された。
参禪学道の弟子達は騒がしくしているが、心空ろなようである。
六十年來柔軟に対処してきた方であった。
川の流れにより回る水車のように、鋭敏な禅機を働かせてきた方であった。
春の三日月を見ながら古人を偲ぶ。

*閻浮樹:印度の所在にある喬木にして、四五月頃花開き、深紫色の果を結ぶ。閻浮提州の北方に産す。
*閙(ニョウ・ドウ・ トウ・さわが-しい)
*忽忽(こつこつ・そうそう):①速やかなさま。たちまち変わるさま。②心がうつろなさま。 「心も-と 
 してどこへ行くやらん覚えぬやうなり③我を忘れて、うっとりしているさま。
*変通:その場その時に応じて、自由自在に変化・適応してゆくこと。
(´・(ェ)・`)つ

300鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/18(木) 00:51:56 ID:1d4drIFg0
どこかの庵主を水葬にしたのじゃな。

葬式に集まった僧達が騒然としながらも失意におちているのじゃ。
六十年来臨機応変に生きてきた者だったのじゃ。
流れる水が千の川を潤し水車を回すようなものじゃ。
閻浮樹の下で月が弓の如くであるのを見るのじゃ。

301避難民のマジレスさん:2021/02/18(木) 01:14:29 ID:NK3zmx/U0
329    1/2
示榮衒悪知識 二首 榮衒の悪知識に示す
参禪婆子楊花帳 参禪の婆子楊花のちょう
入室美人蘭蕙茵 入室の美人蘭けいのしとね
近代箇邪師過謬 近代箇の邪師の過びう
馬牛漢非是人倫 馬牛の漢是れ人倫にあらず

雑学の世界HP訳・解説より
女をまっ白なとばりの中に入れて参禅をさせ、
香りのいい美しい敷物をしいた室に美人を入れて、これまた参禅をさせる。
近頃のこの邪悪老師の間違ったやり方は、
馬や牛と同じであり、人間ではない

「楊花」とは、柳絮(りゅうじょ)と同じく、中国の柳の花であるが、ここではまっ白な幔幕(まんまく)を形
容したものである。
蘭蕙 とは、元来二種の香りのいい草で、それを一語にすると、漢詩文では、よく女性のイメージとして使
われる。
これは、第一句・第二句で示されるような、女性を参禅させることに対して、養叟を痛烈に攻撃している詩
である。


くま訳
名利を求め、邪法を説く悪僧に示す
参禪する女を、白いとばりの中さそい
香のいい部屋に美人を入室させる
最近この邪師が犯しているあやまちは、
畜生同然であり、人倫に反しているのである。

*栄衒:自分をひけらかして売り込み栄華を求めること。虚栄心、支配欲のかたまり。名聞利養に邁進する 
*悪知識:悪法・邪法を説いて悪に誘い込む人
*楊花(ようか):柳の花。また、なよやかな美女をたとえていう。
*蘭蕙(ランケイ):蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。
(´・(ェ)・`)つ

302鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/19(金) 00:20:55 ID:1d4drIFg0
悪い僧に示すのじゃな。

参禅する女子を楊花の帳に入れ、更にその美人を褥に入れるというのじゃ。
そのような最近の邪師の過ちは 畜生の如く人倫にもとるというのじゃ。

303避難民のマジレスさん:2021/02/19(金) 02:42:34 ID:8lHBfo7Y0
330   
示榮衒悪知識 二首 2/2
棒心自稱法王身 棒心自ら称す法王身
世上弄嘲徒怒嗔 世上弄嘲いたずらに怒しんす
一箇猢猻没巴尾 一箇のこそんはびなし
出頭大用現前人  出頭す大用現前の人

くま訳
ボウシン(職人の世話役)みたいな奴が、自称法王身とは・・・
世間からはあざけられて、本人はかんかんである
尻尾の無くした猿が、
大徳寺大用庵にて、人前に現れるのである。

*棒心:職人を指揮するもの。「世話役」
*猢猻(こそん);猿の異称。
(´・(ェ)・`)つ

304鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/20(土) 00:14:00 ID:1d4drIFg0
世間のちょっとばかり気の利いた者が法王と称するのじゃ。
世間の者は嘲笑い、怒り狂うのじゃ。
一匹の猿から尻尾を取れば、そのような者が忽ち現われるじゃろぅ。

305避難民のマジレスさん:2021/02/20(土) 17:13:16 ID:.7dvj9vM0
くま訳改
第二句:世間の者は嘲笑い、怒り狂うのだ。
第三句:一匹の猿から尻尾を取れば、
第四句:そのような者が忽ち現われるのだ。

331   
思舊齋 二首 1/2 旧齋を思ふ
山陽長笛子雲吟 山陽の長笛子雲が吟
蜜漬茘子素老心 蜜茘子にひたす素老の心
熟處三年六十劫 熟處三年六十劫
一聲望帝月西沈 一聲の望帝月西に沈む

くま訳
故人を偲ぶ詩に付いて思う。 
向秀が詠んだ、山陽長笛・故人を偲ぶ詩は、漢の子雲の詩に基づいているのである。
そのままでも美味の茘子を蜜漬にするような実に度が過ぎた技巧である。
詩文の奥義は大昔からあるのだ。
望帝が杜鵑に生れ変ったことが詠まれた時代(4‐5千年前)から、月は西に沈むのだ

*齋:朝の粥に対し、午時の食をいふ。僧侶に食事を供養するをいふ。又転じて亡霊の為に読経するこをも 
 いふ。(禅学大成脚注)
*山陽長笛:晋書向鷹傳に、「秀、山陽の舊鷹を經、隣人笛を吹くものあり、聲を撥すること寥亮(りょう 
 りょう)たり、秀、乃ち思舊賦を作る」と。(禅学大成脚注)
 笛の音を聞いて故人を偲ぶ詩のパターンがあるらしい。
*寥亮(りょうりょう):声や音が澄みとおるさま。声高くほがらかにひびくさま。
*向秀(しょう しゅう:三国時代の文人。三国時代(黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から 
 西晋による中国再統一(280年)まで)
*子雲:揚雄、紀元前53年-18年漢の文人・学者(甘泉賦、長揚賦、逐貧賦)
*熟処:① よくなれたところ。住みなれた場所。② 学芸、武術などの奥深い肝要なところ。奥義
*望帝杜宇(ぼうていとう)は、古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望
 帝の魂が鳴いて教えてるのだと語り継いだ
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯
 に滅ぼされた

向秀は、竹林の七賢と呼ばれ、荘子の注釈書を書いて絶賛された。隠者仲間が「無用な人間である」という
かどで処刑された途端、役人になり、その変節を笑われると、「隠者は気難しいだけで聖王の心に及びませ
ん。敬慕するに足りましょうか。」といった人とのこと。
(´・(ェ)・`)つ

306鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/20(土) 23:40:39 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

山陽の長笛は子雲が吟じたのじゃ。
その味はれいしの実を蜜につけて素の味わいを失くしたようなものじゃ。
三年もつけて六十劫も漬けたような味を出そうとしているのじゃ。
ほととぎすが鳴けば月は西に沈むというように自然をありのままに詠むがよいのじや。

307避難民のマジレスさん:2021/02/21(日) 00:36:30 ID:hMUY06UY0
くま訳全面改
山陽の長笛は子雲が吟じたのである
その味はれいしの実を蜜につけて素の味わいを失くしたようなものである。
三年もつけて六十劫も漬けたような味を出そうとしているのだ。
ほととぎすが鳴けば月は西に沈むというように自然をありのままに詠むがよいのだ。

332   2/2
思舊齋 二首
昔年黄犬與蒼鷹 そのかみのくわう犬と蒼よう 
苦楽悲歓地獄能 苦楽悲歓地獄の能
欺得楊岐吾屋壁 楊岐を欺き得たりわが屋壁
乾坤一鉢一衣僧  乾坤一はつ一えの僧

くま訳
昔は黄犬と蒼鷹(失脚引退と鷹狩りに行けるほどの栄華)といわれた。
楽しみを知った上での苦しみ、歓びを知った上での悲しみは、地獄の思いを際立たせる事の譬えである。
わしは庵のボロさにおいて、楊岐を凌駕することが出来たのである。家のボロさこそ、誉なのである。
天下に一鉢一衣僧である。

*從(たと)い黄を牽くも蒼を手にするも:黄犬:黄犬を牽く・・故郷に退き隠栖のみとなること
 手蒼:蒼鷹を手にする・・鷹狩りができるような高貴なみとなること。『史記』に秦(前 221~前 206)の 
 時代の表現
*欺く:比較する対象を見くだしてもよいほどである。その状態の度合が高いとされるものと比べても、そ 
 れよりまさる、という意に用いる。…とまぎれるほどである。…に劣らない。…をしのぐ。
(´・(ェ)・`)つ

308避難民のマジレスさん:2021/02/21(日) 13:42:32 ID:.biVZzmM0
鬼和尚、森さんが「女性が場にいるとダラダラする」旨の発言をして会長辞職されましたが、蓮舫議員は「夫はペット以下」と発言したのにもかかわらず辞職をしていません
SNS上ではフェミスニトが意気揚々としている昨今ですが、鬼和尚は今の日本は男女平等と言えいますか?また、そうでないのならば、男女どちらが優勢ですか?

309鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/22(月) 00:17:58 ID:1d4drIFg0
昔は高僧とされたり、隠遁したりといろいろあったのじゃ。
苦から楽へ、悲哀から歓楽へと移り変わるのは地獄なのじゃ。
今は楊岐も認めずにはいられんほどの我が屋なのじゃ。
一つ衣の僧の一つの鉢に全てが入っているのであるからのう。

310鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/22(月) 00:21:17 ID:1d4drIFg0
>>308 それは人によって違うのじゃ。日本は無いのじゃ。
 森さんの頭の中はまだ平等ではないのじゃろう。
 斉藤さんは自分のほうが偉いと想うのじゃ。
 しかし今も旦那のDVに苦しめられる弱い女子も多いのじゃ。
 おぬしはそのようなものを助けてやると善いのじゃ。

311避難民のマジレスさん:2021/02/22(月) 00:30:08 ID:84uyzmOA0
くま訳改
第四句:一つ衣の僧の一つの鉢に全てが入っているのである。

333   1/2
題養叟大用庵 二首 養叟の大ゆう庵に題す
叢林零落殿堂踈 叢林零落して殿堂疎なり。
臨済宗門破滅初 臨済の宗門破滅のはじめ。
大用栴檀佛寺閣 大用は栴檀佛寺閣。  
崢嶸林下道人居 さうくわうたり林下道にんの居

『雑学の世界』HP先生訳
禅道場は皆おちぶれて、仏殿法堂の諸伽藍は、まばらである。
臨済宗の宗門は、いよいよ破滅し始めた。
しかし、大用庵のみは立派な伽藍を保っている。
ここは、一段と高くそびえたわが大徳寺内の求道人の住いなのだ

くま訳
禅宗寺院は零落し、寺に訪れる人もまばらである。
臨済宗門の破滅の始まりである。
大用庵は栴檀の立派な建物である。
高くそびえるその建物は修行僧養叟の住まいである。

*崢嶸(ソウコウ):高くけわしきことの形容(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

312避難民のマジレスさん:2021/02/22(月) 10:21:59 ID:Zf21K71k0
>>310 失礼ですが、斉藤さんとはどちらの斉藤さんのことでしょうか?

313避難民のマジレスさん:2021/02/22(月) 13:26:56 ID:r9st524s0
すみません蓮舫さんの苗字は齋藤さんでしたね

314鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/22(月) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
>>311 それでよいのじゃ。

禅の寺は零落して人もまばらなのじゃ。
臨済宗の門は破滅し始めたのじゃ。
しかし大用庵は立派な寺なのじゃ。
高くそびえた道人の居むところなのじや。

>>312>>313 そうじや、斉藤さんなのじや。

315避難民のマジレスさん:2021/02/23(火) 02:03:17 ID:DNJTu0hM0

334    2/2    
山林富貴五山衰 山林は富貴、五山は衰う、
唯有邪師無正師 ただ邪師のみあって正師なし。
欲把一竿作漁客 一竿を把って漁客と作らんと欲す、
江湖近代逆風吹 江湖近代逆風吹く

『雑学の世界』HP先生訳
この頃、山林派は富貴となり、五山は衰微している。
ただよこしまな師家ばかりおって正しい師家はいない。
そこで、自分は竿をかついで釣人となろうとするのだが、
川や湖ではこの頃逆風が強く吹くので、釣人もなかなか思うようにゆかない

くま訳
山林派は富貴になり、五山派は衰退しているのだ。
ただ、山林派には邪師のみがいて、正師がいないのである。
わしは、竿を握り釣り人になりたいのであるが、
最近の湖川には逆風吹くのである。わしの話に耳を傾けるものはいないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

316鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/23(火) 23:19:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

山林は富貴になり、五山は衰えたのじゃ。
ただ邪師あり、正師はいないのじゃ。
竿でも手にして漁師に成りたいのじゃ。
川や湖では近頃逆風が吹くのであるがのう。

317避難民のマジレスさん:2021/02/24(水) 00:40:26 ID:QQdhDUfw0
336
賀大用庵養叟和尚 大用庵養叟和尚、
賜宗慧大照禪師號 宗慧大照禪師號をたまふを賀す
紫衣師号奈家貧 紫衣師号、家の貧をいかんせん
綾紙青銅三百緡 りょうし青銅三百ミン
大用現前贋長老 大用現前がん長老
看来真箇普州人 看来たれば真箇普州の人

『雑学の世界』HP先生解説・訳 334のつづき
その後、政治的手腕に恵まれ、渡世(とせい)の才幹(さいかん)にも人一倍たけていた師兄養叟は、さらに商
業的教団演出者としての離れ技を出して、康正3年(1457)9月20日「宗恵大照(そうえだいしょう)禅師」と
いう号を手に入れた。没後の追賜は別として大徳寺の住持に禅師号を特賜されたのは、養叟が初めてである。
すなわち、彼は極度に衰微した大徳寺を紫(し)衣(え)勅許の出世道場にしあげたのである。あくどい手段で
獲得した虚名に対し、一休は「大用庵養叟和尚、宗恵大照禅師の号を賀す」という詩を以て、次のように吟
じた。
「緡」は、お金を通す糸である。「普州人」は、昔四川省の普州には盗人がたくさんいたと言われる。一休
から見れば、

紫衣や禅師号をいただいたのはいいが、肝心の養叟一家の禅風の貧しいことはどうだ。
禅師号の綸旨(りんじ)は、青銅の三百緡にも等しい価値があるそうだなあ。
にせ住職のこのたびのはたらきは、面目躍如たるものがある。
よく見たら、この老師は本物の普州の盗人である。

くま訳
紫衣師号を賜っても、禪風の貧しさはどうにもならんのである。
賜った綾紙(綸紙及び賜物)は青銅三百緡の価値があるそうではないか。
偽せ長老の面目躍如であるな。
今まで見てきたが、お前は真の盗賊であるな。

*宗恵大照禅師:養叟 宗頤(ようそう そうい)の諡号
*綾紙青銅三百緡:綸紙及び賜物をいふ、緡は銭を通す絲なり
*普州:支邦の普州は昔盗賊の集會する所として傳ふ、故に普州の人とは盗賊を意味するなり。にせ長老は
 えらい儲けものをした、丸で泥棒のようなものであると、還って大用庵の大用たる活眼の人自ら之を知る
 のみと、一休なかなかのすれ者なり。
*大用:1 大きな作用。大事な働き。2 大きな効用・効果。
*1453年8月、大徳寺山内の諸堂が焼失。浴堂と山門の庇、妙意庵と大用庵以外はことごとくを焼失。 
 大用庵を開創した養叟宗頤は、大徳寺再興に着手している。まもなくして法堂と方丈がなる。そして大用
 庵の建物を移し、雲門庵を再建している。被災5年後の1457年、宗頤は、後花園天皇より宗慧大照禅師
 の号を賜っている。これは大徳寺再興の功によるものだと考えられている。
(´・(ェ)・`)つ

318避難民のマジレスさん:2021/02/24(水) 00:47:06 ID:QQdhDUfw0
おまけ 『雑学の世界』HP先生解説・訳 のつづきである。この後、329 330 へつづくのである。
それだから、一休は養叟の号「宗恵大照」の発音を似せて、彼を「宗穢大焼」禅師と称した。
一休が、これほど師兄養叟を痛烈に攻撃するのは、その旺盛な名誉心への反感だけでなく、またその悪劣な
商法を髄から悪むからである。「得(とく)果(か)投(とう)機(き)多く人に教ふ、青銅の定価両三緡(古則公
案を種々人に教え、その代償として定価二、三緡をとる)」「金を擢(つか)む手段機輪転ず、君子果(か)然
(ねん)多く財を愛す(養叟の金をつかむ手段は、あたかもバネの輪が転ずるようにすばやい。君子ははたし
てたいそう財を愛せられるわい)」等と、一休はその悪行(あっこう)を次々に摘発し、糾弾した。彼は、
すっかりお金に目がくらんで、その儲けに疾(と)うに手段を選ばない牛馬のような人非人に堕落してしまっ
たため、一休はさらに、「栄衒(えいげん)の悪知識(あくちしき)に示す」(2首)をもって、その憤慨を噴き
出した。

↓は、330の詩(>>303)の際に省略した、訳及び解説である。

人の真似をすることしか知らぬのに、自分は一番偉い僧だといっている。
世間がそれをあざけり笑っているのに対して、ただぷんぷん怒っているのみだ。
とりえのない一匹の猿がしゃしゃり出て、
大機大用のお師(し)家(け)様だといばっている
と、一休は詠んでいた。
このように、一休の養叟批判はますます激しく、康正元年(1455)そのピークに達したのである。「年譜」に
よると、その年の「正月、泉南の(養叟に対する)嘲りの偈が京まで伝え届いた。師(一休)は、それに和韻を
し、二百首余りの偈を作り、編集して一巻となった。それに題して「自戒」という。」「自戒集」には、漢
詩のほかに、また仮名交じりの散文もかなり集録されている。「年譜」に記されたように、これはもっぱら
養叟を論難するために作った作品集だから、その数々の作品は、ほとんど具体的に養叟の悪事をいちいち指
摘して、難詰したのである。
(´・(ェ)・`)b

319鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/25(木) 00:11:17 ID:1d4drIFg0
その大用庵を養叟和尚が継いだのじゃな。
政治と金に囚われた養叟和尚を批判したのじゃな。

紫衣師号を得たが禅家として貧しいのじゃ。
綸旨は銭三百緡で得たのじゃ。
大用庵に偽和尚が現われたのじゃ。
見に来てみればほんとに盗賊だったのじゃ。

320避難民のマジレスさん:2021/02/25(木) 01:06:15 ID:9PDneoNQ0
335
拈華微笑    ねんげみせう
鷲峰會上現前辰 しうぶゑ上現前のとき
鶏足室中來劫春 鶏足しつ中來がふの春
中毒人應知毒用 毒にあたる人はまさに毒の用を知るべし
西天此土野狐身 西天しどやこの身

くま訳
鷲峰山において、迦葉が釈迦から法を授けられた時、
鶏足山の迦葉の部屋から世界の永遠の春が約束されたのである。
毒に当たってしまう人は、毒がいかに苦をもたらすかをよく知るべきである。
極楽を現世に実現しようとするのは、野狐の身である

*鶏足山は狼足山、又は尊足ともいふ。印度摩迦仏陀國伽耶の東南七哩にあり、摩訶迦葉入寂の地となり、 
 世尊の大法を鷲靈山の會に受けてより、鶏足室中生々世世の春は、この時に開かれたのである。
*鷲峰會上:霊山会上りょうぜんえじょう。釈尊がしばしば説法された霊鷲山(りょうじゅせん)の会座(え
 ざ)。滅後その仏舎利までも留められたインドの霊鷲山のこと
(´・(ェ)・`)つ

321鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/25(木) 23:18:17 ID:1d4drIFg0
拈華微笑じゃな。

鷲の峯の集会で拈華微笑が現前したのじゃ。
鶏足の部屋に春が来たのじゃ。
毒にあたれば毒の作用が知れるのじゃ。
西天がこの地であると野狐もわかったのじゃ。

322避難民のマジレスさん:2021/02/26(金) 00:11:30 ID:Iacc0dmo0
くま訳改
第三句:毒にあたれば毒の作用が知れるのだ。
第四句:西天がこの地であると野狐もわかったのだ。

337
脚下紅絲線   脚下紅糸線
持戒爲驢破戒人 持戒は驢となり 破戒は人となる
河沙異號弄精神 河沙の異號精神を弄す 
初生孩子婚姻線 初生孩子婚姻の線 
開落紅花幾度春 開落紅花幾度の春

ヴィート・ウルマン先生訳
戒を守ればロバになる、戒を破れば人になる。
河の沙の粉ほど無数のことについて考えて無駄に精神を費やした
初生の子供、婚姻の線
赤い花が何回春開いて落ちたか

くま訳
戒を守らねばならないとして、守るのであれば、ロバに生れ変るであろう、戒を破っても法を越えない様で
あって初めて人になれるのだ。
河の砂ほど数多の戒律に囚われても精神を弄するだけである。
生れたばかりの赤ん坊にも婚姻線はあるのだ。
咲けば散る花を幾春繰り返したことか。

*脚下紅絲線:脚下の纏綿、即ち修行の戒律等を云ふ、却って戒律に苦しめらるる様にては、他生は驢馬と 
 生まるるならん、戒によらず自ら戒にあたるは、蓋し人間界に生を受けんと。(大成脚注)
 纏綿(てんめん):まといついて離れにくいさま。特に、愛情が深くこまやかなさま。
*河沙異號:恒河沙の数程の数多の名目の戒、實び精魂を飜弄することである。
(´・(ェ)・`)つ

323避難民のマジレスさん:2021/02/26(金) 00:12:56 ID:Iacc0dmo0
*おまけ:壁巌録 第八十則「趙州初生孩子(趙州孩子六識)」
 挙。僧問趙州。      挙す。僧、趙州に問う。
 初生孩子還具六識也無。  初生(ショショウ)の孩子、還って六色を具すや無しや?
 趙州云。急水上打毬子。  趙州云う。急水上に毬子(キュウス)を打す。
 僧復問投子。       僧、復、投子に問う。
 急水上打毬子。意旨如何。 急水上に毬子を打す。意旨如何?
 子云。念念不停流。    子云う。 念念不停流。

 釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説抜粋
 *挙:あげる。問う、尋ねる
 *六識:分別、判断、心を生じる認識作用。 眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの認識作用。
 *毬子(キュウス):手毬、まり。
 *投子:ジョ州投子山の大同禅師の事(819-914)
 *意旨:言わんとするところ。意味。
 *念:心、想い。" "釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説

 禅問答の、ああ言えば、こう言う類のやりとりに、趙州和尚が 如何に対応されたか。
 「無我」が悟りの境地であるならば、・・・「赤ん坊」と「仏」の違いはどこにあるのか?
 その様な問題に関して何かを答えたとしたら、急流に投げた毬が、転々としながら流れに流されて、果て 
 しない議論になるだろう、という事。・・・
 そして、もう一つが、この僧とのやりとりにおける投子和尚の極めて直裁な答えであります。投子和尚の 
 答えは、「念念不停流。」です。
 念(想い)から念へ、想いというものは、流れてとどまらないものだ、という訳です。

 ・・赤ん坊に六識があるか否か、つまり赤ん坊を仏の境地と言われる「無我」と見なせるかどうか、とい 
 う問いは、まさに、「無我」という言葉に囚われて、溺死寸前の禅僧と言えるかも知れません。
 ・・・仏とは「我」を自覚認識した上で、自身を浄化させる事によって、「我」を極力減少させ、自他を 
 平等に見る眼を得た人、ここに身贔屓にとらわれない「仏知見(如実知見)」が得られる訳ですが、まさ 
 に、この様な境地を体得した人をこそ仏と言うのでしょう。
(´・(ェ)・`)b

324鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/27(土) 00:02:07 ID:1d4drIFg0
戒だけを守って心を忘れればロバとなり、戒よりも心を大事にすれば人となるのじゃ。
このようにして何度も生まれかわり河砂の如く多くの異なる名前で心を苦しめてきたのじゃ。
初めて生まれた子にも婚姻の線が在るのじゃ。
そのために花が開いては落ちるような春を何度も迎えているのじゃ。

325避難民のマジレスさん:2021/02/27(土) 01:08:53 ID:E29EzVtE0
くま訳全面改
戒だけを守って心を忘れればロバとなり、戒よりも心を大事にすれば人となるのだ。
このようにして何度も生まれかわり河砂の如く多くの異なる名前で心を苦しめてきたのだ。
初めて生まれた子にも婚姻の線が在るのだ。
そのために花が開いては落ちるような春を何度も迎えているのだ。

338    1/2
示會裏俗徒警策 詩 示會裏の俗徒に示す警策 詩
前車覆處後車驚   前車くつがえるところ後車驚く
警策怠時禍必生   警策怠る時、くわ必ず生ず
半醉半醒夜遊客   半醉半醒夜遊の客
烏啼月落夜三更   カラス鳴き、月落ちて、深三更

くま訳
会派の在家信者への警策 詩 
先人や周囲の人の失敗を見ることは、教訓となるのだ。
睡魔襲来の警策を怠る時、必ず打たれるものと心得て、修行精進を策励せよ。
怠る者は、酔っ払いの夜遊び客と同じだ
カラスが鳴き、月落ちて、深夜になるまで怠ってはならぬのだよ。

*俗徒:出家していない、在家の人々のこと
*前車の覆(くつがえ)るは後車の戒(いまし)め:「漢書」賈誼伝・前の車が覆るのを見たら、あとの車は同
 じわだちの跡を行かないようにせよという諺から、先人の失敗は後人の教訓となるというたとえ。
*警策:警覚策励・睡魔の襲不を警策し、修行精進を策励するなり。
(´・(ェ)・`)つ

326鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/27(土) 23:44:07 ID:1d4drIFg0


前の車が覆れば後車は驚くのじゃ。
警策を怠れば必ず災いを生むというのじゃ。
半醉半醒の夜遊びの者は、カラスが鳴き月が落ちる深夜まで何も気付かず遊びまわるのじゃ。

警策で叩くのは修業が疎かになって全て無駄にならないための警告ということじゃな。

327避難民のマジレスさん:2021/02/28(日) 01:04:05 ID:tYkVRNNg0
くま訳全面改
前の車が覆れば後車は驚くのだ。
警策を怠れば必ず災いを生むのである。
半醉半醒の夜遊びの者は、
カラスが鳴き月が落ちる深夜まで何も気付かず遊びまわるのだ。


339    2/2
示會裏俗徒警策 詩 示會裏の俗徒に示す警策 詩
詩歌吟詠失全功 詩歌吟詠全功を失す
天上人間軍陣中 天上人間軍陣のうち
意舞酔歌休度日 意舞醉歌して日をわたるをやめよ
飛揚跋扈爲君雄 飛揚ばっこ君が為に雄

武田鏡村先生訳・解説抜粋
詩をつくり歌をうたうなどは、いざというときには、なんの力にもならぬ。
我々人間界は、いまや戦陣の真っ只中にある。
毎日、心を乱舞させ、狂酔して歌をうたうなど、やめよ。
そんな放恣な生活は、お前自身のためにしかすぎないのだ。頭を冷やして、国のこと、民のことを考えよ。

一休は杜甫の「贈李白」の詩をふまえて、こう義政らを叱る。
一休の為政者に向ける怒りと憤りは、・・おさまらない。この乱世では、詩をよみ、うたうことが、いかに
無意味なものであるとわかっていても、一休は詩に託して、その憤怒を吐き出すしかない。
・・・『年譜』によると応仁元年、七十四歳の一休は、寓居する瞎驢庵を八月に兵火を避けるために出て、
東山の虎丘(くきゅう)庵に移ったが、九月一日に薪村の酬恩庵に入ったと伝えている。その間、瞎驢庵は
兵火に焼かれ、大徳寺もまた炎上、焼失していた。これ以降、一休はその死をむかえるまで、洛中において
寓居することはなかった。

くま訳
会派の在家信者への警策 詩 2/2
詩を詠み、歌うことなど、一切の攻を無くした。
天上人も、人間も戦陣のただ中にあるのだ。
浮ついた気持ちで、酔歌して日を送るのをやめよ
権勢を振るい思いのままに振舞うのは、君自信の為だけの蛮勇にすぎないのである。

*うむ。在家信者に擬して、足利義政等、為政者をしかったのでありますかね。
*飛揚跋扈(ひようばっこ):思うままにのさばり振る舞うこと。また、臣下が権威をほしいままにして君主 
 をしのぐたとえ。▽「飛揚」は猛禽が飛び上がる、舞い上がること。「跋扈」の「扈」は水中に仕掛けて 
 魚を捕らえる竹垣の意。「跋」は越える意で、大魚がそれを越えて抜け出ること。規制や拘束などを無視 
 して横暴に振る舞うこと。
*雄:おおしい。勇ましく強い。胆力・知力のすぐれた人。

おまけ:杜甫 李白を詠う
贈李白     李白に贈る
秋来相顧尚飄蓬 秋来相顧みれば 尚お飄蓬(ひょうほう)たり
未就丹砂愧葛洪 未だ丹砂(たんしゃ)を就(な)さずして葛洪(かつこう)に愧ず
痛飲狂歌空度日 痛飲狂歌空しく日を度り
飛揚跋扈為誰雄 飛揚跋扈(ばっこ) 誰(た)が為にか雄なる

紀 頌之 先生訳
秋になり顔を見合わせると  瓢か蓬のように頼りない
いまだ丹砂にも辿りつけず  葛洪に合わせる顔がない
飲み明かし  歌い狂って  空しく日を送り
飛び跳ねて暴れているが  誰のためにやっているのだ
(´・(ェ)・`)つ

328鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/28(日) 23:53:53 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

詩歌の吟詠などは修業の効果を失ってしまうのじゃ。
天上人も戦場のような皆苦の娑婆世界にいるのじゃ。
酔っ払って歌舞して日を過ごすのは休むと善いのじゃ。
どれほど権威を振りかざしても自己満足に過ぎないのじゃ。

329避難民のマジレスさん:2021/03/01(月) 00:08:07 ID:nxjeLtmE0
340
乙石御料人待知客歸寺 おと石御料人しかの寺に帰るを待つ
知客他行乙石愁 知客の他行乙石の愁
歸來日数在心頭 帰来日数心頭にあり
斫額天衢望晴雨 しゃく額してく晴雨を望む
愛看昔日摘星楼 愛し看る昔日の摘星楼

くま訳
乙石婦人は、接待係の僧が寺に帰るのを待っている。
接待係が他所へ行くのが乙石婦人の愁いであった。
帰って来てから幾日もたっていることを知っていた。
額に手をあてて、天への道、晴天、雨天を眺める。愛憎の思いに耽っているのだろう
愛し看る、摘星楼で紂王に正妻を殺させた寵姫、妲己のようだ。

*御寮人、御料人(ごりょうにん):中世以降用いられた、主に女性に対する敬称
*知客(しか):禅宗寺院の役職の一つ。第四位。知賓(しひん)ともいった。
 修行年数の多い修行僧の中から選ばれ、外部からの来客の接待、新たに入門した修行僧の世話などを行う。
*他行:よそへ行くこと。外出すること。
*斫額望汝(しゃくがくして汝を望まん。)額に手をかざして遙かにお前を見上げて、敬遠することであろ 
 うて)」「啓して遠ざける」
*天衢:(中国語翻訳サイト)天国への道
*殷王朝の末期、紂王が、寵姫妲己の謀略により正妻を突落して殺害したのが摘星楼である。

乙石なる人物が誰なのか、不明。
知客とは、一休さん自身にことではありますまいか?(乙石さんに、そう名乗ったのでありましょう。)
乙石さんは、一休さんの火遊びの相手でありましょう。
一休さんは、分かれたくて、寺を出て身を隠した。ほとぼりが冷めた頃かと帰ってみると、乙石が待ち続け
ていた。それを物陰から見て、冷や汗をかく一休さん・・という詩でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

330鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/01(月) 23:39:19 ID:1d4drIFg0
一休さんではないじゃろう。
昔坊さんと道ならぬ恋に走った、そういう名前の女子がいたのじゃろう。

知客の僧がどこかに行っているのが乙石の愁いなのじゃ。
帰る日を数えて頭の中が一杯なのじゃ。
おでこに手を当て天気を見るのじゃ。
道ならぬ恋に落ちた昔を思い出しているのじゃ。

331避難民のマジレスさん:2021/03/02(火) 00:04:23 ID:7sxj34Oc0
うむ。邪推をしてしまったであります。

341  1/2
示焚書籍僧   書籍を焼く僧に示す
始皇自然辨邪正 始皇じ然に邪正を辨ず
波旬餘殃如看掌 波旬の余あうたなごころを看るが如し
看看劫火洞然時 看よ看よ劫火洞然の時
書籍金剛不壊性 書籍金剛不えの性

くま訳
書を焼いた僧に示す
始皇帝は自ずと正邪を弁えていたのである。
悪魔も自分の悪行により子孫が報いを受けるか占う為に占は書を焼かなかったのだ。
見よ、この世の終末、劫火が激しく燃えても、
本当に価値のある書籍は、決して消失することはないのだ。

*秦の始皇、丞相李斯の言を用ひて、醫薬卜筮(ぼくぜい)種樹に關する書の外、皆之を集めて焚き、然して 
 天下の民を愚にして、上の政を議するなからしめたり、然れども遂に波旬の餘殃掌を返すが如く、萬萬代
 と豫想したりし帝業も、項羽が一火の爲に東籬の春雪の如く消え失せぬ(脚注) 
*劫火洞然時:僧、大隋法眞禪師に問ふ、劫火洞然として大千倶に壊す、這箇壊か不壊か。隋曰く、壊と。 
 此の世界の滅する時、大火ありて、壊する時をいふ、これを又臨銘終の時に比す、眞の書籍は火位では焼
 けぬ(脚注)
*臨命終時(りんみょうじゅうじ):人の命が尽きようとするとき。略して、臨終
*余殃(よおう):先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること
(´・(ェ)・`)つ

332鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/02(火) 22:01:00 ID:1d4drIFg0
本を焼いた僧が居たのじゃな。

始皇帝は邪な本を焼くと言ったのじゃ。
しかし、悪魔が掌を裏返すが如く国が破滅したのじゃ。
本を焼くのはこの世の終わりの劫火のようじゃ。
しかし、本の知識は焼くことができないのじゃ。

333避難民のマジレスさん:2021/03/02(火) 23:42:48 ID:fR/zFjE20
くま訳全面改
始皇帝は邪な本を焼くと言ったのだ。
しかし、悪魔が掌を裏返すが如く国が破滅したのだ。
本を焼くのはこの世の終わりの劫火のようである。
しかし、本の知識は焼くことができないのである。

342  2/2
示焚書籍僧  
樹下石上茅廬 樹下石上のぼうろ
詩文疏鈔同居 詩文そせう同居す
欲焚嚢中遺藳 なう中の遺かうを焼かんと欲せば
先須忘腹中書 まづ須らく腹中の書を忘るべし

くま訳
仏道修行中の身なれば、家は粗末である。
詩文や経典の写本と同居してるのである。
袋に入れてある遺稿を燃やしたいと思うなら、
先ずは、記憶の文書を忘れねばなりますまい。

*樹下石上(じゅげ-せきじょう):出家行脚あんぎゃする者の境遇のたとえ。仏道を修行する者が宿とする、 
道ばたの木の下や石の上の意から
*茅廬(ぼうろ):かやぶき屋根の家。粗末な家。転じて、自分の家をへりくだって云う語
*疏(ショ):経典の注釈。また、その書物 鈔(ショウ): 写しとる。写し。抜き書き
(´・(ェ)・`)つ

334鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/03(水) 21:55:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじや。

木の下、石の上のボロ屋でも詩文や経典が同居するのじゃ。
袋の中の遺稿を燃やそうとするならば、先ずは腹の中の書を忘れなければならんのじゃ。

本を燃やしても頭の中に書があれば無駄ということじゃな。

335避難民のマジレスさん:2021/03/03(水) 22:55:41 ID:ppWy.NFQ0
343   
紹固喝食    しょうこかつしき
四歳女兒歌舞前 四歳の女兒歌舞の前
約深難警舊因縁 約深うしていましめ難し旧因縁
葉恩入無爲手段 恩を棄てて無爲の手段に入る
座主作家誰是禪 座主作家誰か是れ禪

くま訳
紹固喝食
四歳の女児が歌舞をしていた頃から知っているのである。
古くからの因縁が深くて、過ちを犯さないようにするのが難しいのだ。
恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切り、無為の道に入るの事だけが、
座主や作家の禅というわけではありますまい。

*紹固喝食:四歳のお稚児さん。(後に一休さんから 堅岳という道号を与えられた) 森は、紹固に激しく 
 嫉妬して、そのために断食自殺を図った。
*喝食(喝食):正式には喝食行者(かつじきあんじゃ/かっしきあんじゃ)と呼ばれ、本来は禅寺で斎食を 
 行う際に衆僧に食事の順序などを大声で唱える者。本来は年齢とは無関係である。
 禅宗とともに中国から日本に伝わった。幼少で禅寺に入りした小童が務めるものとされた。
*棄恩入無為(きおんにゅうむい):恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切って、悟りの道にはいること。 
 「棄恩入無為、真実報恩者」と用いられ、出家受戒のおりに唱えられる。
*禅(梵: ディヤーナ、巴:ジャーナ、禅那:ぜんな)とは、心が動揺することがなくなった一定の状態を指 
 す。サンスクリット語の の音写である。静慮とも訳される。
*(参)御阿姑:森と出会う直前の愛人らしい。
(´・(ェ)・`)つ

336鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/04(木) 23:56:38 ID:1d4drIFg0
歌舞前の四歳の女子が婚約とかしていた相手と因縁が深かったというのじゃ。
それでも恩を捨てて仏道に入ったというのじゃ。
座主とか作家が誰であるか追及するのが禅なのじや。

337避難民のマジレスさん:2021/03/05(金) 00:52:15 ID:r3/lY5EY0
くま訳全面改
歌舞前の四歳の女子
婚約していた相手と因縁が深かったのである。
その恩を捨てて仏道に入ったのだ
座主、作家が誰であるか追及するのが禅なのだ。

344
賛端師子    端ししを賛す
弄師子處正明心 師子を弄するところ正に心を明きらむ
不托回頭口若暗 回頭にたくせず口おしのごとし
讀誦蓮經風雪燭 読じゅれん経風雪のしょく
漁歌一曲五更吟 漁歌一曲五更の吟

くま訳
白雲守端禅師を賛す
守端禅師が思い廻らすすことは、明らかに正しいことである。
考え思いを廻らすことに頼らず、沈黙することもある。
法華経を読誦することをもって吹雪の中の、目印の灯りとすることもあれば、
漁歌一曲明け方に吟じる風流人でもある。

*賛端師子:白雲守端禅師(1025-72)楊歧方会(992-1049)の弟子。五祖法演(不明 - 1104年)の師匠
*不托(ふたく):信用しない、頼まれない、頼まない(中国語翻訳サイト)
*回頭:① 頭をめぐらすこと。ふりむくこと。
*弄する:心の中をあれこれとたどってみる。思いめぐらす。
(´・(ェ)・`)つ

338鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/05(金) 23:16:42 ID:1d4drIFg0
端師子の賛じゃな。

端師子は修業に拠って心を正しく明らかにしたのじゃ。
思考を廻らさず、言葉も口にしなかったのじゃ。
風雪を灯りにして法華経を読んだのじゃ。
漁歌を朝に歌うこともあったのじゃ。

339避難民のマジレスさん:2021/03/06(土) 00:08:45 ID:PHPmkWWA0
くま訳全面改
端師子は修業に拠って心を正しく明らかにしたのだ。
思考を廻らさず、言葉も口にしなかったのだ。
風雪を灯りにして法華経を読んだのだ。
漁歌を朝に歌うこともあったのだ

345
君子財
詩人財寶是文章 詩人の財宝は是れ文章
儒雅乾坤日月長 儒雅の乾坤じつ月長し
窓外梅花吟興樂 窓外の梅花吟興の楽しみ
膓寒雪月暁天霜 はらわたは寒し雪月暁天の霜

くま訳
詩人の宝は文章である
教養深い者にとっては、世界の月日はゆったりとに流れる。
窓外の梅花は詩情を誘う樂しみである。
底冷えのするときでも、雪月や、明け方の霜などに心よせて詩を詠むのである

*儒雅:学問が深くふるまいが上品である.
*日月長(じつげつながし):時間に追われることなく悠々と人生を送ること
(´・(ェ)・`)つ

340鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/07(日) 00:13:19 ID:1d4drIFg0
よくできたのじゃ。

詩人の財宝は文章なのじゃ。
儒の雅は乾坤日月長いというのじゃ。
窓の外には梅花を詠う楽しみがあるのじゃ。
腸が寒くとも雪月や朝霜を詠むのじゃ。

341避難民のマジレスさん:2021/03/07(日) 00:27:32 ID:yVAtIrvo0
346
趙州三轉語   趙州の三轉語
泥佛不渡水   泥佛水を渡らず 
木佛不渡火   木佛火を渡らず 
金佛不渡爐   金佛爐を渡らず 

詩成小艶述愁情 詩成つて小艶愁情を述ぶ
一枕多年夜雨聲 一ちん多年や雨の聲
長笛暮楼誰氏曲 長笛暮楼たが氏の曲ぞ
曲終江上数峰青 曲終へて江上数峰青し

くま訳
趙州三轉語
泥の仏は水を渡ることはできず(水に溶けなければ、本物の仏、真の自己だ。だから、伝える事が出来る)
木の仏は火を渡ることはできず(火のような燃える煩悩は消してしまえば、仏、真の自己を発見できる)
金の仏は溶鉱炉を渡ることはできない(全てを溶かす溶鉱炉のような観念、言葉、「仏」という言葉も仏
そのものではない。溶鉱炉を打ち壊し、真の自己を見つけ出すのだ)

詩を作って、本心が伝わるようにと願いつつ、愁情を述べる。
枕辺に多年、夜雨の音のような声を聞いてきた。
長く響きわたる笛の音が、夕暮れ時の楼閣から聞える。誰の曲であろうか。
曲が終り、音が消えて、河上の峰々の暗い景色のみが残った。

*「趙州録」の法語:會元第四趙州の章「常堂に曰く、金佛爐を渡らず、木佛火を渡らず、泥佛水を渡らず、  
 眞佛内裡に座す、菩提涅槃眞如佛性、盡く是れ貼體の衣服亦は煩悩と名く、實際理地是れ何の處にか着 
 けん、一心生ぜざれば、萬ホウ咎無し云々」(大成脚注)

*碧巌録 趙州三轉語 第九十六則
(´・(ェ)・`)つ

342鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/07(日) 23:18:46 ID:1d4drIFg0
趙州の三轉語というのじゃ。
泥の仏は水を渡れないのじゃ。
木の仏は火を渡れないのじゃ。
金の仏であっても炉を渡れないのじゃ。

泥でも木でも金でも観念があれば苦が在り、彼岸には渡れないということじゃな。

小艶詩が出来て愁情を述べるというのじゃ。
一つ枕で多くの雨の夜を過ごしたのじゃ。
誰の曲か暮れの楼閣に長笛が響くのじゃ。
曲が終わると河の上に青い峯が幾つも見えたのじゃ。

343避難民のマジレスさん:2021/03/08(月) 00:08:37 ID:EG/mVQzA0
くま訳改
第二句:一つ枕で多くの雨の夜を過ごしたのだ。

347
高野大師入定  高野大師入定
生身大日覚王孫 しょう身大日覚王孫
出入神通活路門 出入神通活路門
迦葉惠持長夜魄 迦葉えぢす長夜のはく
秋月春雨月黄昏 秋月春雨つきくわうこん

柳田聖山先生訳
弘法大師入滅
生き身の大日如来で、覚王仏陀の孫である大師は
神秘な活路の門を開き、その中にお入りになった
摩訶迦葉は鶏足山で入滅され、釈迦の言葉を守り 
秋には風、春には雨、夕月夜の風情が満ちている

くま訳
空海弘法大師入滅
生身の大日如来、仏陀の子孫。
本来の自己が出入りする、禅定の道を切り開いたのだ。
迦葉が受け継ぎ連綿と伝わる釈迦の魂がそこにある。
それは、秋月春雨月黄昏のように、ありのままである。

*高野大師:空海(774-835年)平安時代初期。弘法大師諡号 真言宗開祖 佐伯眞魚(さえき の まお)
 日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換してい 
 く流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。
*大日如来:真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。
*覚王:仏陀を敬っていう語。覚帝(かくたい)。
*入定:1.禅定に入ること。2.高僧が死ぬこと。入滅。
*出入:赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。 
(´・(ェ)・`)つ

344鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/03/08(月) 22:48:41 ID:1d4drIFg0
弘法大師の入滅に寄せたのじゃな。

生身の大日如来、覚王如来の孫であるのじゃ。
活路の門に出入りし、神通自在だったのじゃ。
それは迦葉が長年維持した法の魂魄と同じなのじゃ。
春夏秋冬日月万物の全てなのじゃ。


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