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鬼和尚の仏教講読会 別館2

202避難民のマジレスさん:2021/01/04(月) 08:20:46 ID:nhjeGxgM0
272   1/2
看杜詩 二首  杜詩を看る
古今詩格舊精魂 古今の詩格旧精魂
江海飄零亦主恩 江海飄零すまた主恩
仰叫虞舜一生涙 仰いでぐ舜と叫ぶ一生の涙
涙痕濺酒裛乾坤 るい痕せん酒して乾坤をつつむ

くま訳
古今の詩の風格は、詩聖杜甫の詩魂によって決まるのだ。
世界は落ちぶれ、天子の恩に報いる気持ちも廃れた。
天を仰ぎ伝説の名君虞舜の名を叫び、生涯涙する
涙と酒が、天下をおおうのだ。

*詩格:風格、品格。
*旧精魂:ここでは、詩聖杜甫の魂と解した。
*飄零・漂零(ヒョウレイ):落ちぶれること。「漂零」
*裛(ユウ):つつむ。水気がしっぽりとつつむさま。前スレ>>688 参 
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n
*濺(音セン・訓そそぐ):①そそぐ。水をそそぎかける。 ②水の流れるさま。
(´・(ェ)・`)つ

203鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/04(月) 23:16:24 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
杜甫の詩を読んで感動しているのじゃ。
今の時勢にも似ているのじゃ。
誰もが君主を忘れ争っているのじゃ。
乱世を悲しむばかりなのじゃ。

204避難民のマジレスさん:2021/01/05(火) 08:12:31 ID:EuqmL.060
273
看杜詩 二首2/2
涙愁春雨又秋風 涙して愁ふ春雨又た秋風
食頃難忘天子宮 じきけいも忘れ難し天子の宮
詩客名高天宝事 詩客の名は高し天宝のじ
寒儒忠義也英雄 寒儒の忠義また英雄

くま訳
涙して愁う春雨又秋風
片時も忘れ得ぬ天子の宮殿
詩人杜甫が、玄宗皇帝楊貴妃を詠んで名高き天宝時代の事である。
冷遇される儒者の忠義心も英雄のものである。

*食頃(じきけい・しょうけい):食事をするほどの、短い時間のこと。しばらくの間。頃は、首をかしげ
 るほどの短い時間を表す。
*詩客:詩人、ここでは杜甫のこと。
*天宝:「日本の禅語録十二 一休」の解説(P306)によると、「漂泊詩人、杜甫。かれが明主と仰ぐ玄宗
 は、楊貴妃にうつつをぬかして、天下を混乱におとし入れる。天宝とは、そんな時代の名である。それは、
 詩人の忠節心のたかまりと表裏する。杜甫をよむ一休は、応仁・文明の日本を読んでいる」とあります。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ

205鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/05(火) 23:31:32 ID:1d4drIFg0
まだ泣いているのじゃ。
食べるのも忘れて天子を想うというのじゃ。
それが杜甫だというのじゃ。
儒者でも忠義の英雄だというのじゃ。

206避難民のマジレスさん:2021/01/06(水) 10:34:26 ID:ockTUM7.0
274
臨済焼机案禪板 臨済机案禪板を焼く
此漢宗門第一禪 此の漢宗門第一の禪
奪人奪境體中玄 奪にん奪境体中玄
安心立命在那處 安じん心りゅう命いずれのところにか在る
劫火洞然焼大干 劫火どうねん大千を焼く

松本市壽先生訳
臨済義玄は机案禅板をも焼いてしまった。
この男は宗門第一の禅者だ。
弟子の主体性も客体性をも奪って、真理の何たるかを悟らせる。
しかし、何もかも奪ってしまえばそこで安心立命できるのか。待てよ。安心立命したいのも迷いというもの
だ。
最後は何もかもすっかり焼き尽くしてしまうのだ。

くま訳
臨済は机も禅板も焼き棄てた。
この男は宗門一の禅師である。
修行者を徹底的な無の境地に導き、修行で現れる真理を悟らせる。
すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しない境地何処にあるのか。
それは、虚ろな世界を焼き尽くしたとところにあるのだ。

*几案・机案(きあん):几、案とも机つくえの意
*禪板:坐禅の時労を除かんがために衆僧の蓄ふる板、手を案じたり、身を靠(もた)らす器なり。
*安心立命:安心は仏教用語,立命は儒教の用語。すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しないこと。
*奪人奪境:166の詩:人境倶奪
 四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) 前スレ31〜34の詩・参照
 臨済義玄禅師が提唱、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法。
 1、奪人不奪境:修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
 2、奪境不奪人:修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
 3、人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導く。
 4、人境倶不奪:修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。
*玄:臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、
 玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。
*洞然(とうねん、とうぜん):① 洞穴のように抜け通っているさま。奥深くて静寂なさま。また、雑念が 
 なくて心が空なさま。② ぼんやりとしたさま。
*大千:三千大千世界:一人の仏が教化する世界のこと、仏教の世界観における宇宙の単位。
(´・(ェ)・`)つ

207鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/06(水) 23:27:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
よく出来たのじゃ。

臨済は全て焼いたというのじゃ。
宗門の祖師なのじゃ。
自我も境地も奪い体に玄妙なる智慧を持っていたのじや。
安心立命すらも無いのじゃ。
全てを焼き尽くすと善いのじゃ。

208避難民のマジレスさん:2021/01/07(木) 20:17:45 ID:Obt11fUQ0
275
運庵還松源衣留頂相 運なん松源の衣を還して頂相をとどむ
這三轉痛處針錐   この三転痛処も針すい
看看宗門句裏機   看よ看よ宗門句裏の機
爭奈石渓肩上土   いかんせん石渓けん上の土
拾來脱屣號傳衣   脱しを拾ひ来って伝えと号す

くま訳
運庵和尚と松源和尚の夢を見て、頂相を書いたのである
その賛・三転語は痛い処をつく、針や錐のようだ。
看よ、宗門でこの句にまつわり説かれる禅機を。
どうしたものか、石渓和尚の頭についた土(くま注 参)
拾った草履を持って来て、正伝の証拠だと言う様なものである。

*運庵:臨済宗虎丘派松源下の運庵普巌(1152〜1226または1156〜1222)といえば、南宋中期臨済宗虎丘派 
 (松原派祖)の松源崇嶽の法を嗣いだ高弟の一人として知られ、江浙の禅林で活動し、法嗣に虚堂智愚、
 石帆惟衍という二人のすぐれた禅者を育成したことで名高い
*衣を返す(ころもをかえす):衣を裏返に着る。こうして寝ると思う人を夢に見ることができるという俗 
 信があった
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画。禅宗では,法の師資相承を重んじることから印可の証明として,師の 
 肖像画と法語を弟子に与える。北宋時代から盛大に行われ,日本にも伝来し鎌倉,室町時代に盛行した。 
 上部に師の自賛が墨書されるのが原則。
*綿上・肩上・綿嚙(わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部
分。② 後頭部。うしろ髪。
*石渓心月:南宋時代の禅僧として名高い石渓心月(円覚寺HP解説抜粋)
 円覚寺開山・無学祖元禅師がまだ中国で修行中の頃、石渓心月禅師の住持するお寺に怪石という僧がいて、
 石渓心月禅師が住持であったにもかかわらず、修行僧は誰も石渓心月禅師に参禅をせずに、その怪石とい
 うのが修行僧を煽り立てたという・・・
 それが無字の工夫をやっていたのですけれど、行き過ぎてしまいます。異常なまでに、まるで神がかりの
 ようになって、大きな「無」の字を掲げて張り出して、100〜500人の修行僧が立ったまま、あるい
 は、坐ったまま「ムームー・・・」と大声で叫びような修行をしていた。
 中には、高い崖の上から「ムー」と叫んで飛び降りて、けが人も出るは、果ては、死人まで出てくる。そ
 して、怪石は、また、言う。「本当の無字になったならば、たとえ、死んでも目だけは残る。」と。
 邪教は恐ろしいもので、それで、修行僧を煽り立てて、きちがいの集団のようになってしまった。成り切
 るということは、大事でありますが、しかし、ちゃんと教えを学んで冷静に観ていくという「観(か
 ん)」という眼(まなこ)もまた必要であります。
*肩上(献上・わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部 
 分。② 後頭部。うしろ髪。
*屣(し):わらぐつ、草履の類なり
(´・(ェ)・`)つ

209避難民のマジレスさん:2021/01/07(木) 20:20:26 ID:Obt11fUQ0
おまけ
佐藤秀孝先生 論文より
妙心寺に松源崇嶽と運庵普巌の師資を描いた対幅の頂相が存し・・賛はどちらも大応派妙心寺派)の
雪江宗深(仏日真照禅師 )1408-1486によって、拝写された。

断楊岐正脉 滅臨済綱宗   楊岐正脉を断じ、臨済の綱宗を滅す。
猿啼碧嶂 月鎖千峯    猿は碧嶂に啼き、月は千峯を鎖す。
影落于闐国 人在大遼東  影は于闐国に落ち、人は大遼の東に在り。
応縁淡泊 無分従容 縁に応じて淡泊にして、従容するに分無し。
謂是運菴真面目 是れを運菴の真面目なりと謂わば、
澄潭不許臥蒼龍 澄潭には蒼龍を臥せしむるを許さず。

右運菴祖翁自賛 右は運菴祖翁の自賛なり。
拙孫宗深 、 拙孫宗深 ,
焼香九拜謹写 焼香九拝して謹んで焉れを写す。

*雪江宗深(せっこうそうしん、1408-1486妙心寺の六祖 1462大徳寺の住持となった。乱後は後土
 御門天皇の勅命を受け、細川勝元・政元の援助を受けて大徳寺・妙心寺・龍安寺を再興した。
 一休さんが住持になったのは、1474年であります。雪江さん41世、一休さん47世である。
(´・(ェ)・`)b

210鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/07(木) 22:28:23 ID:1d4drIFg0
運庵は松源の衣を還して絵だけ留めたというのじゃ。
教えを蔑ろにして形だけのものにしたというのじゃな。
このように教えを三転したことは針で突かれたような痛みなのじゃ。
宗門の機密は言葉の裏に在るのじゃ。
石渓の頭の土はどうにもならんのじゃ。
脱ぎ捨てた靴を拾って伝来の衣というようなものじゃ。

211避難民のマジレスさん:2021/01/08(金) 18:50:36 ID:aE0R8Ro20
くま訳全面改
運庵は松源の衣を裏返して、その絵だけを残したのである。 
このように師の教えを三轉したことは、針で突かれたような痛みである。
看るべきは、宗門の言葉の裏にある禪機である。
石渓の頭の上の土は、どうにも出来ないのだ。
脱ぎ捨てられたた靴を拾って伝来の衣というようなものである。

276   1/2
洞山三頓棒   洞山三とんの棒
這棒頭宗門大功 この棒頭宗門の大功
慈明之子是黄龍 慈明の子是れ黄龍
明皇不識風流道 明皇は識らず風流の道
今夜馬嵬千歳風 今夜馬嵬千歳の風

柳田聖山先生訳
この棒で叩くのが、そもそも禅の極みである。
慈明の弟子は黄竜を措いて他にはいない。
楊貴妃を亡くした唐の玄宗は風流を知らない。
馬嵬の悔恨は尽きず、今夜も無情の嵐である。

くま訳
洞山三頓の棒 
この棒の活用こそが、宗門第一の功績である。
慈明禅師の一番弟子が黄龍禅師である。
玄宗皇帝は風流を知らなかった、
今夜も楊貴妃が処刑された馬嵬には、玄宗千年の後悔の風が吹く

*洞山三頓の棒:(堅田観光協会HP解説)洞山守初が若い頃、師の雲門分堰から「どこから来たか、どこ
で過ごしたか」などと問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者
が。三頓の棒をくれてやるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分か
らない洞山は、再び雲門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱り
つけられはった。けどその瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが
出来たというのです。
そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出し
つかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分
からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
*7臨済下七世の慈明禅師(986-1039)師匠である汾陽禅師は何も教えず、顔を見るたびに罵る、または、 
 誹って追い出した。「どうして何も御教えにならないのですか?」というと、慈明禅師を杖でもって打ち 
 のめして、追い出して、さらに慈明禅師が何かを言
 おうとしたとき、その口をぐっと押さえつけて、その瞬間、慈明禅師が悟ったそうである。。
*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069)宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍派 
 の祖。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
 慈明石霜楚円を紹介されてその弟子となった。1037年、趙州勘婆の公案より大悟する。公案を用いて宗 
 風を振るい大いに法を広めた。普覚禅師と諡された。
(´・(ェ)・`)つ

212鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/08(金) 23:38:32 ID:1d4drIFg0
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力だというのじゃ。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのじゃ。
玄宗はこれを知らないから国を傾けたのじゃ。
愛する者をこそ厳しく教育すべきなのじゃ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのじゃ。

213避難民のマジレスさん:2021/01/09(土) 08:01:22 ID:a9Oiz5LE0
くま訳全面改
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力である。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのである。
玄宗はそれを知らないから国を傾けたのだ。愛する者をこそ厳しく教育すべきなのだ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのである。

277
洞山三頓棒 2/2
遭人罵辱長嗔情 人にあってめ辱してしん情を長ず
是即眞迷道衆生 是れ即ち其の迷道の衆生
無始無終黒山下 無始無終黒ざんのもと
無明濁酒幾時醒 無明の濁酒幾時か醒めん

くま訳
人にののしられ、はずかしめられると、怒りの感情に長く苛まれる。
これがまさに、衆生の執着による迷道である。
永遠の暗黒の下にあるのである。
自我に執着する無明の濁り酒の酔いから、いつになったら覚めるのだ。

*罵辱(めじょく・めにく): ののしりはずかしめること
*瞋恚・嗔恚(しんい・しんに):①三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨うらみなどの憎悪の感情。②怒り
 恨むこと。腹立ち。いかり。
*黒山:三千大千世界をもってして、須弥界世界つまりこの仏教界宇宙が構成されているのである。 中央
 から北に向って三ヶ所に其々、三重に囲まれている黒山がある。臨済禅師「黒山の鬼窟、誠に怖畏ふいす
 べし」
(´・(ェ)・`)つ

214鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/10(日) 00:01:22 ID:1d4drIFg0
善く出来たのじゃ。

侮辱されて怒っても迷いなのじゃというのじゃ。
暗い生死の道にいて夢幻をみているのじゃ。
いつそれが覚めるのじゃというのじゃ。

215避難民のマジレスさん:2021/01/10(日) 21:33:05 ID:FZS7ebmw0
278
鰥齋      くわん齋
古佛堂中交露柱 古佛堂中露柱に交わる
斬成兩段定誵訛 斬って兩段と成してがいぐわを定む 
青山綠水一閑客 青山緑水一閑客
可咲岩頭黒老婆 わらふべし岩頭の黒老婆

くま訳
禪僧
古佛は堂中で無心を窮める
いりくんだ物事を一刀両断にして、単純にするのだ。
森羅万象生も死も、閑な客人みたいなもんだ
厳頭が撈波(エビ漁のかご)老婆と間違って伝わり、そのままもっともらしく論じられてるなど、お笑いである。

*鰥(かん)①大魚の名。「魴鰥(ホウカン)」類鯤(コン) ②やもお。妻のない男。男やもめ。 ③や
 (病)む。なやむ。
*齋:①心身をきよめて神に仕えること。また,その人。②神をまつる場所。
*古仏は露柱と相交わるという公案の精神は「露柱は無心で立っている。それと同じように古仏は無我無心
 の境涯に居る。」ということ(禅と悟りHP解説)
*青山緑水:青い山、緑の水。雄大な自然の情景。天地森羅万象との融和を意味しています。
*岩頭黒老婆:『聯燈會要』30巻南宋初(1183)晦翁悟明 編纂の『祖堂集』(おまけ 参)
(´・(ェ)・`)つ

216避難民のマジレスさん:2021/01/10(日) 21:35:32 ID:FZS7ebmw0
おまけ: 岩頭黒老婆 『聯燈會要』より
余乾道初。客建康蔣山。邂逅泉州一老僧。
有巖頭錄。因閱之。見其問僧。甚處去。
僧云。入嶺。禮拜雪峯去。
巖頭云。雪峰若問儞。巖頭如何。但向他道。
巖頭近日在湖邊住。只將三文。買箇撈波子。
撈蝦摝蜆。且恁麼過時。
因問老僧。余閱巖頭錄。他本盡作老婆。
此云撈波。何也。渠笑云。
老婆誤也。巖頭雪峯皆鄉人。
吾鄉以撈蝦竹具。曰撈波也。鄉人至今。
如是呼之。後人訛聽。作老婆字。
教人一向作禪會。・・・所謂字經三寫。烏焉成馬。
於宗門雖無利害。不可不知。
雪峰空禪師頌。有云。
三文撈波年代深。化成老婆黑而醜。
蓋方語有所不知。不足怪也。

衣川賢次先生訳〈抜粋)
乾道年間の初め、建康蒋山に滞在した時、泉州から来た老僧にめぐり逢った。
その人が『巖頭録』をお持ちだったので拝見した。その一節にこうあった。
僧に問う、「どこへ行くのか?」僧「嶺を越えて雪峯禪師に拝謁に参ります。」
巖頭「雪峯がきみに、わしはどうしているかと尋ねたら、こう言ってくれ。
近頃は湖のはたに住みついて、三文で買った撈波子で、
えびやしじみなんぞをすくって、そんなふうに日を送っておる、とな。」 
わたしはその老僧に問うた。「わたしが以前読んだ『巖頭録』はみな〈老婆〉
となっておりましたが、ここは〈撈波〉です。どうしてでしょうか。」その人は笑って
「〈撈波〉は間違いだ。巖頭と雪峯はふたりともわしの同郷人で、
わしのところではえびをすくう竹製のざるを〈撈波〉というのだ。村の者は今でも
そう呼んでおる。」となるほど、のちの人が〈撈波子〉と聴きまちがえたうえに、
禪的理解を押し付けていたのだ。・・・いわゆる「字は三寫を経て、烏焉は馬と成る」
という類で、宗門に直接の害はないけれども、注意しておくべきである。
雪峯慧空禪師は頌を作って皮肉っている。
「三文の撈波、年代深し、化して老婆と成り黒くて醜し」と。
けだし、方言を知らぬことによる誤解で、無理もないことではある。
(´・(ェ)・`)b

217鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/10(日) 23:59:49 ID:1d4drIFg0
古の仏などは堂の柱と一緒だというのじゃ。
それを拝んでも悟りは訪れないのじゃ。
公案は訛りの間違いを断じて正したのと同じなのじゃ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのじゃ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのじゃ。

218避難民のマジレスさん:2021/01/11(月) 16:27:53 ID:Ozq3PxCA0
くま訳全面改
古仏などは堂の柱と一緒なのだ。
慎みなく、錯雑して判然としない言葉の意味を断じて正すのだ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのだ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのだ。

鰥齋(かんさい)を禅僧と訳してみたのでありますが、これで良かったでありましょうか?  
    
*279〜286は、テキストに依って、ちょぴっと編集が異なってるのである。
国訳禅学大成(以下国訳大成)、寛永版 狂雲集(以下寛永)、明42.9民友社版 狂雲集(以下民友社)
民友社版は、8/8が8/4の後に置かれてるのである。

279        1/8
龍寶山大徳禪寺入寺法語 
山門
一跳直入 一ちょうじきにいる
龍寳三門 龍宝の
門々有路 もんもんみち有り
逼塞乾坤 けんこんにひっそくす

くま訳
山門(三門)
一足飛びにすぐに山門(三門)から仏国土へ入れるのだ
龍に守られた釈迦の三門
門へ通じる道はいろいろあるのだ。
て、言うか、そもそも天地はその門に守られた内側にあるのだ。既に仏国土にいるのだ。

*三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門を表すとされる。
*既にhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/で取上げた詩である。くま訳第4句を
修正してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

219鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/11(月) 23:44:05 ID:1d4drIFg0
↑よかったのじゃ。
禅僧もまたまだ病に陥っている者であるからのう。
無明の病を治すために修業しているのじゃ。

その通りなのじゃ。

220避難民のマジレスさん:2021/01/12(火) 14:00:40 ID:E.c2fM8.0
280 2/8 
佛殿
古佛堂中露柱雲雨 古佛堂中露柱雲雨
作以手分破勢云  手を以って分くる勢をなしていわく
分破後如何    分破して後如何
雲門霧露     雲門霧露 

くま訳
古佛は堂中の柱や雲雨と同じである。
直接自ら道を切り開いた経験から云うのである。
切り開いた後、さて、どうなるかというと、
雲門が言うように、いつでもどこでも霧露は霧露と言うことである。

*雲門文偃(うんもん ぶんえん、864-949年、中国の唐末から五代の禅僧。五家七宗の一つ、雲門宗の
開祖。一休さんお気に入りの師匠。
 雲門語録:「誕生したばかりの世尊は、七歩あるいて、「天上天下、唯我独尊」と言われました。この世
尊の故事を評して雲門は、「我れ当時(そのかみ)、若し見しかば、一棒に打殺して、狗子(くし)に与え
て喫却せしめて、貴ぶらくは、天下太平を図(はか)りしに」と言ったのです。「俺がその場にいたら、そ
の赤子を打ち殺して犬に食わせたものを、そうすれば、天下は太平であったのだ」というような意味で
す。」(禅文化研究所のブログ)
*露柱雲雨:雲門の示衆に曰く「古佛露柱と交わるる、是れ第幾機ぞ。」自ら代わって曰く、「南山に雲を
起し、北山に雨を下す」と。即ち釈迦も達磨も彌勒も露柱も皆同じなり。同一真理何も別はない、南山も北
山も自ら創痍ならずして雲雨の相応するの自然、具眼者須らく自得すべし。(国訳禪学大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

221鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/12(火) 22:02:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
古仏は柱と同じであり雲と雨も同一じゃな。
分別の手を以って分ければどうなるかというのじゃ。
雲門は霧露の同じ水である如しというのじゃ。

222避難民のマジレスさん:2021/01/13(水) 15:38:56 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
古佛は堂中の柱と同じであり、雲と雨も同じなのである。
分別をする方法で、
分けると、どうなるかというと、
雲門は霧露の同じ水である如しというのである。

281 3/8
土地堂
上天是梵天帝釋    上天は是梵天帝釋
下天是多聞持國護法神 下天は是多聞持國護法神
向何處見新長老    いずれのところに向かってか新長老を見ん、
新長老聻六六三十六  新長老、にい、六六三十六

くま訳
上天は是れ梵天帝釋天
下天は是れ多聞持國護法神
どちらを向けば、新長老たるわしを見れるかというと、
新長老、おぉいと呼びかければ、森羅万象がわしなのである。

*土地堂:土地神及び護法神を奉祀する堂なり
*帝釋:須彌山の頂上、忉利天の天主にして、善見城に居り、四天王及び三十二天を領して。仏法帰依の人 
 を護り、阿修羅の軍を征する天王なりといふ
*多聞・持国、四天王の2を挙げて4を兼ねる。欲界六天四方に住し、正法護持し、又世を守る
*聻(にい・ジ・セキ・セン): 1物事を指すさま。者を指すときの語なり。2鬼が死んだ後になるもの。
 この鬼とは人が死んだ後になる、幽霊や亡者のことを指す。
(´・(ェ)・`)つ

223鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/13(水) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
上の天は梵天帝釈天がおり、下の天は多聞天とかの護法神がいるというのじゃ。
それでは新たに悟りを得て死んだ長老はどこにいったのじゃ?
それらの長老は三千大千世界の全てになったというのじゃ。
天でさえも輪廻の中であるから悟れば天も超越するのじゃ。

224避難民のマジレスさん:2021/01/14(木) 19:47:34 ID:X71OGAw20
くま訳改
第3句:どちらを向けば、新たに悟りを得て死んだ長老は見れるのかというと、
第4句:新長老は、森羅万象になったのだ。

282   4/8 
祖師堂
祖師何人我何人 祖師何人ぞ、我何人ぞ
咄誰奪境奪人  咄、誰か境を奪ひ人を奪ふ。

くま訳
祖師堂で、我とは何だと問い続けるのだ
自分に全てをありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導くのは、自分しかいないのだ。
*奪境奪人:人境倶不奪にんきょうぐふだつ 修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも 
束縛されない境地に導
(´・(ェ)・`)つ

225鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/15(金) 00:18:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
祖師とは何じゃ、我とは何じゃ、と追求し続けるのじゃ。
奪境奪人をするのは誰じゃと更に追求し続けるのじゃ。
どこまでも己を追及し続けるのじゃ。
そうすれば悟りは向こうからやってくるのじゃ。

226避難民のマジレスさん:2021/01/15(金) 12:40:07 ID:X71OGAw20
283 5/8
拈衣 
小艶平生心亂絲 小艶平生心しを乱す、
慈恩先祖手中絲 慈恩先祖手のし
順老明巖衲僧 順老みょうげんの衲僧
擲袈裟云 袈裟をなげうって云く、
是甚脚下紅絲 是れ何の脚下の紅しぞ。

嗣法の儀式で衣を授かる衣
小艶詩が日頃心を乱してるのである、
けど、先祖のお陰さま、ご縁に恵まれてるのである。
順爺は鋭い洞察眼ある僧なのである。
袈裟をなげうって云ったのである、、
これ何の因縁であるか。

*拈衣(ねんえ):衣は嗣法の信として師之を弟子に授く、弟子衣を拈じて法語を挙して披す。
*順爺:一休さんのペンネームの一つ、と、どこかで読んだような気がするのである。
(´・(ェ)・`)つ

227鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/15(金) 22:33:00 ID:1d4drIFg0
糸に掛けているのじゃな。
小艶等で日頃から心の糸を乱していると、
先祖の霊が婚姻の糸を結んだりするのじゃ。
明厳の僧が袈裟を擲って言うのじゃ。
足を結ぶ婚姻の赤い糸がついていると。

まだ色情から離れていない者は直ぐにわかるというのじゃ。

228避難民のマジレスさん:2021/01/16(土) 11:38:15 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
小艶詩が日頃心の糸を乱してるのである、
先祖から、ご縁の糸を結んでもらえたりするのである。
洞察眼ある僧が、
袈裟をなげうって云うのである、
婚姻の赤い糸が見えてるぞ、色情をを離れてない者は直にわかるのだ。

284 6/8

明頭來明頭打    みょう頭來明頭打
暗頭來暗頭打    暗頭來暗頭打
四方八面來旋風打  四方八面來旋風打
虚空來連架打    虚空來や連架打
新長老 聻     新長老、にい
乾坤一箇蠚苴僧   乾坤一箇の蠚苴僧
喝一喝云      喝一喝して云く
無人來問相如渇   人の来って相如が渇を問ふことなし、
敲破梅花一夜氷 打  かう破す梅花一夜氷 打  
 
くま訳
是非分別で来るなら、それなりに対処し、
差別なく一味平等で来るなら、それなりに対処する。
四方八方から来るなら、旋風のように対処し、
虚空から来るなら、連打して対処する。
新長老は、
天下一、がさつな僧である
喝一喝して云ってやる
誰一人として司馬相如の渇(のような人間の苦しみ)を問うて来るものはいないのであるが、
叩き割るのだ、春を告げるまだ寒い朝の梅花についた氷を。(薄い氷の様な「観念」を叩き割り、ありのま
まの真実のあり様に気付きさえすれば、そこに悟りがあるのだ)

* 明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打:「明頭来」の明は大小・長短・是非・美醜などの差別の歴然として
 いること、活人剣の働きである。「暗頭来」の暗はその反対で差別がなく一味平等なことである。殺人剣
 の働きがある。「打」の一字は、「それに即応して、行動する」という意味。
*四方八面来や旋風打:殺中の活有り、活中の殺有りというように、手目を見せず千変万化して出てくるこ
 と。そして相手がこのように縦横無尽に千変万化して出てくるならば、こちらもあたかも「旋風」つむじ
 風のように、変転自在、虚実とりまぜて応対するということ。 
*虚空來連架打:「虚空来」とは、虚空のような真空無相、清浄無一物の肚から、明だの暗だの、殺だの活
 だのという一切の定石を離れ、軌格を超越して無心に出てくること。普化和尚はこれに対しては、「連架
 打」で応対するというのである。連架というのは、小豆などの脱穀に使う農具で、太い棒の先端にクルリ
 クルリと変転自在に回転する小さい棒をとりつけたもの。相手が真空無一物の場から無心に働いてくるな 
 らば、こちらもあたかも連架のように変転自在で無心で対応するということ。
*相如が渇:侍臣に文才秀れた司馬相如がいたが糖尿病を病んで苦しんでいた。帝は、それを知らぬはずの
 ないのに、豪華に設えた承露盤の露、それは不老長寿の薬であり、盃に一杯だけでも賜ろうとしなかった。
*敲破(こうは):中国語・叩割る,叩き割る
(´・(ェ)・`)つ

229避難民のマジレスさん:2021/01/16(土) 11:39:47 ID:X71OGAw20
おまけ: *明頭暗闘 (普化和尚の話 瑞雲院法話のページHPより抜粋) 臨済録:勘弁 参
 奇僧として知られる普化(ふけ)和尚は、唐代の人。生没年、生地、などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の 
 盤山宝積(ばんざん・ほうしゃく)禅師に師事して深く堂奥(どうおう)に入り法を密受したが、常に狂
 をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・盤山禅師が亡くなると普化は臨済宗の宗祖、臨済禅師が住む河北省鎮州へ行き、街頭や墓場で鐸
 (たく。大きな鈴)を振りながら人々に呼びかけて言った。「明頭に来たるもまた打し、暗頭に来たるも 
 また打す」。あるとき臨済和尚が一人の僧に命じて普化を試みた。その僧は普化和尚の胸ぐらをつかむと 
 言った。「明ならず暗ならざる時は如何」。普化和尚が言った。「ありがたいことに、明日、大悲院でお 
 斎(とき。食事)の供養がある」
 また普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。 
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 ・・・滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を一枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても
 受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を一つ与えると、普化はそれを受けとって言っ
 た。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言った。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振 
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
(´・(ェ)・`)b

230鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/17(日) 00:01:07 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
聡い物には聡い教えを授け、愚昧な者には愚昧な教えを授けるというのじゃ。
さまざまな求めには、さまざまに応じ、無心の者には無心に応じるというのじゃ。
一休は気合のものであるから森羅万象に喝をいれるのじゃ。
一喝して曰く司馬相如のように誰も見抜けぬような渇を抱える者にも、氷を破って水を与えるのじゃ。

231避難民のマジレスさん:2021/01/17(日) 14:13:15 ID:X71OGAw20
285
龍寶山大徳禪寺入寺法語   7/8
退院
平生蠚苴小艶吟     平生らそ小艶の吟、
酒婬色婬詩亦婬     酒に婬し色に婬し、詩も亦婬す  
擲拄杖云        しゅじょうなげうって云く
七尺拄杖還常住     七尺の拄杖、常住に還す。
吹尺八云一枝尺八少知音 尺八を吹いて云く一枝の尺八、知音なり。

くま訳
日頃は気合で、艶詩を詠み、
酒色に耽り、詩に耽。
杖を投げ出して云うのだ、
七尺の拄杖は寺の公用物なので返還すると。
尺八を吹いて云ったのだ、一枝の尺八の風流を解する者、わしの仏道を解する者はこの寺にはおらんのだ。

286 8/8
帖 てふ (ちょう)
頂戴即是 即ち是
放下即是 即ち是

くま訳
書置き
大徳寺の住持を引受けるも是
投げ棄てるも是なのである。

入院の時に、退院の書き置きをしている法語でありました。

232鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/17(日) 22:03:02 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
入山なのに退院なのじゃ。
平静は艶詩などを詠い、酒色と詩に溺れているのじゃ。
任杖を投げ捨てて云うのじゃ。
七尺の任杖は仏性に還すと。
尺八を吹いて云うのはその意を知る者が少ないことじゃ。

233避難民のマジレスさん:2021/01/18(月) 13:58:26 ID:eA/TPUFU0
287 臨済録パロディーで山居を嘆く
山居
孤峰頂上出身途 孤峰頂上出身の途
十字街頭向背衢 十字街頭かうはいのちまた
空聞夜夜天涯雁 空しく聞く夜夜天涯の雁
郷信封書一字無 郷信の封書一字も無し

くま訳
孤峰頂上は、解脱した者の道である。
街中にあれば、迎合したり、対立したりすることもあるのである。
山居していると、空しく夜毎雁の鳴き声を聞くことになるのである。
故郷からの便りはない。封書どころか、一字とてないのである。

*出身:解脱する、解脱せしむるの両方の意味があり(円覚寺HP解)
*向背:正面を向くことと背面を見せること、迎合と背棄。(円覚寺HP解)
*昔漢の蘇武、雁の足に書をつけて故国に放つ、時の昭皇帝の上林宛てに幸ありし時、雁の足に文付け来る、
 帝の傍らに下り来る、之を取って見、蘇武の書の細々しき誠忠の程、伺わさせられて、やがて帰国叶い、 
 元の燗に復しけりと。故に音信を一に雁書ともいひ、その昔を偲ぶなり(国訳大成 脚注)

おまけ:臨済録 上堂 (沢田天瑞先生・庭園の構想に関する研究Ⅲより)
 一人在孤峰頂上無出身之路、 一人は孤峰(こほう)頂上に在って、出身の路無く
 一人在十字街頭亦無向背。  一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。
 那箇在前、那箇在後。    那箇(なこ)か前に在り、那箇かしりえに在る。
 不作 維摩詰、不作 傅大士。 維摩詰となさざれ、ふだい士となさざれ。
 珍重            ちんちょう
 
円覚寺HP解説抜粋
 孤峰頂上にあって、人を導く方便を持たない・・・、徳山禅師を念頭においていると言われます。
 峻厳一徹の徳山禅師は、誰がなんと言おうと三十棒を与えたのでした。
 しかし、臨済禅師は、そうではなく、人に応じて自在に教えを説かれました。
 否定するだけではなく、相手の境地に応じた教えを説いたのです。
 ですから臨済禅師は、この二人のありようを示しておいて、自分は後者を取ると言いたいのだと思われま 
 す。

沢田天瑞先生訳
 一人は孤峰の頂上ともいうべき悟りの絶対的な世界な世界にとどまって、その世界から出て活動する路がなく、
 もう一人は十字街道ともいうべき世俗の相対的世界にとどまって、進退の自由を失っている。
 いずれに優劣があるかといえば、いずれも取るべきものがみられない。
  維摩居士か、それとも傅大士か、などとこの二人をなぞらえて考えてはならない。
 ご苦労さま。
 
*維摩詰:維摩経に登場する主人公で、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪。学識 
 に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。
*傅大士(ふたいし):[497〜569]中国、南北朝時代の在俗仏教者。善慧大士と号し、双林寺を建て、大
 蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。俗に「笑い仏」といわれる。
(´・(ェ)・`)つ

234鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/18(月) 23:31:24 ID:1d4drIFg0
孤峰頂上の途に出る身なのじゃ。
十字の街頭には背を向けるのじゃ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのじゃ。
故郷の便りには一字も無しじゃ。

今度は字に掛けているのじゃな。

235避難民のマジレスさん:2021/01/19(火) 09:11:39 ID:eIfwtw9k0
くま訳全面改
わしは孤峰頂上に出る身なのである。 
けど、十字街頭に背を向けることはしないのだ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのである。
故郷の便りには一字も無いのだ。

288
山居僧擁葉   山居の僧、葉を擁す
孤峯頂上謝塵寰 孤峰頂上塵くわんを謝す
三十年來不出山 三十年來山を出でず
因憶南陽擁葉意 因っておもふ南陽葉を擁す意
半身暖氣半身寒 半身は暖氣半身は寒

くま訳
山居の僧、葉を抱きかかえる。
孤峰頂上に住み、俗世間から去る。
三十年來山から下りなかったと伝えられる、
南陽慧忠禪師は、長年山居して枯葉につつまれていた間は、どんな思いだったのだろう、
半身暖かく、半身寒かっただろう。

*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。①わびる。謝罪する。②感謝する。③(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*南陽慧忠禪師、唐・675年 – 775年・慧能のもとで悟りを得た後、南陽の白崖山にある党子谷に庵を結び
 40年の間隠棲した。その後、皇帝粛宗の招請により都に上り、宮廷において教えを授けた。死後、皇帝 
 は国師号を贈った。 中国では単に国師といえば、ほとんどの場合慧忠のことを指すといわれる。
(´・(ェ)・`)つ

236鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/19(火) 23:04:14 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

山の頂に居て俗世間から離れたのじゃ。
三十年も山を出なかったのじゃ。
それに因って南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったのじゃ。
半身は温かく、半身は寒いのじゃ。

三十年も山に居て南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったというのじゃ。
まだ半分仏で半分は俗人だったというのじゃ。
小悟であったのじゃな。
完全に大悟していればそんなに長く山に居る必要もないからのう。
まだ修行が必要だから長く山にいたのじゃ。

237避難民のマジレスさん:2021/01/20(水) 11:03:24 ID:0zM9Wu460
289
慈楊塔    
不是平生好境痕 是れ平生好境の痕にあらず
任他鶏足月黄昏 さもあらばあれ鶏足月くわうこん
誰氏風流我盟約 誰かうじぞ風流我が盟約
馬嵬青塚舊精魂 馬くわいの青ちょう旧精魂

柳田聖山先生訳
これは拙僧の寿塔ではなくて夫婦塚なのだ
鶏足山に眠る迦葉が弥勒の出現を臨んだが
二人が相思相愛を誓い合った盟約の記念碑
馬嵬の楊貴妃と青塚の王昭君の亡霊である

くま訳
この塔は、日頃の恵まれた境遇の記念碑ではないのだ、
夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のようなわしの心境の碑なのだ。
わしが風流な約束(三生の誓い)をした相手は誰か、
馬嵬で死んだ楊貴妃、青塚に眠る王昭君のような美女の生れ変りである、森の為の塔なのである。

*慈楊塔:1475年,一休の敬慕する宋の慈明禅師と楊岐禅師の名を取って「慈揚塔」と名付けられた。今日
の建物は「法華堂」と改称されている、宮内庁が後小松天皇落胤説に基づき陵墓(宗純王廟)として管理
している 
*鶏足山:大迦葉が、入定された地。その時お釈迦様から衣と言葉を預かり、56億7千万年の後、弥勒菩 
 薩が鶏足山に姿を現した時、それらを授けると言われている
(´・(ェ)・`)つ

238鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/20(水) 23:07:54 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。

これは平生の境地の塔ではなく、迦葉と弥勒のための塔というのじゃ。
二人の盟約の塔であり、馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔というのじゃ。
慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約の塔という意味じゃな。

239避難民のマジレスさん:2021/01/21(木) 19:28:58 ID:ZSuyUWXo0

くま訳全面改
第一句:これは平生の境地の塔ではないのである。
第二句:夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のための塔なのだ。
第三句:慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約を刻んだ塔なのだ
第四句:馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔なのだ。

290
示斬猫僧    ざんめう僧に示す
是吾會裏小南泉 是れわがえりの小南泉
信手斬猫公案圓 手にまかせてめうを斬る公案まどかなり、
錯來自悔行斯令 あやまり来って自ら悔ゆこのれいを行じて、
驚起牡丹花下眠 牡丹花下の眠りを驚起することを。

くま訳
猫を斬った僧に示す
これ、一休会派のえりの徒の、小南泉の話である。(南線禅師の真似をして、猫を斬ったのである)
無造作に猫を斬る公案は、よく出来ている。
錯って、この公案と同じ様に猫を斬った僧は後悔しているのである。
猫ではなく、自分が、夢に驚き飛び起きる破目になったのである。

*小南泉:南泉普顧禅師、座下の雲水に対する提示に類するをいう(禪学大成脚注)・
*「南泉斬猫」は『碧巌録』『無門関』に採録。東西両堂が猫の子の仏性の有無について争ったとき、南泉 
 が猫の子をとらえ会得したところを明らかにせよと迫り、返答がなかったためその猫を斬ったという故事。
*牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)牡丹の花の下に眠っていた子猫が、人の気配を感じてすぐに
 起きて逃げてしまった。この猫は眠っていたのか、寝ているふりをしていたのか。という禅問答(公案)
(´・(ェ)・`)つ

240鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/21(木) 23:50:40 ID:1d4drIFg0
公案をまねて猫を切った僧が居たというのじゃな。
公案を完成させるために根を切ったというのじゃな。
それが間違いだったと一休に懺悔したのじゃな。
それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたというのじゃ。

241避難民のマジレスさん:2021/01/22(金) 14:25:29 ID:eDempLCw0
くま訳改
第二句:公案を完成させるために根猫切ったというのである。
第三句:それが間違いだったと懺悔してきたのである。
第四句:それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたと言うのである。

291
心隋萬境轉   心はばん境に随って転ず
今日佛心猶未生 今日佛心猶ほ未だ生ぜず
衆生界地獄先成 衆生界地獄先づ成る
萬機萬境皆情識 萬機萬境皆情識
轉處能幽劍戟城 転処能く幽なり剣戟城"

くま訳
心は外界に随って移ろい行くのである。
今日仏心がまだ生じてないならば、
衆生が輪廻する六道では、先ず地獄が作られるのだ。
あらゆる機会、あらゆる境遇で、迷いが生じたら、
心を転じて執着を離れ、幽玄の境地の城を剣と矛で守るのだ。

おまけ:『景徳伝灯録』・摩拏羅尊者 の偈
心随万境転  心は万境に随って転ず
転処実能幽  転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性  流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂  喜びもなくまた憂いもなし

*承福禅寺HP訳・解説(〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜)抜粋
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き、移ろい変わりやすいものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄
なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、心中においては常に平常であり
喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主となる
ところの境地である。
喜怒哀楽はつきものである。悲しみ、喜びはあれど、実はその実体は何もなくただ、縁に随い、感に赴いて
いるにすぎないのだ。すなわち「心は縁に随って転ずる」だけなのだ。このように悟れば喜び悲しみあれど
その時その時、その場その場に応じて自ずから心のままに泣き、また悲しみ、また喜べばよい。心のままに
あって二念、三念なければ転処実によく幽の境いられよう。
*『景徳傳燈録』:北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。禅宗を研究する上で代表的な
資料であり、必ず学ぶべきものとされる。

(´・(ェ)・`)つ

242鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/22(金) 23:40:26 ID:1d4drIFg0
心はよろずの境に従って転じるというのじゃな。
環境や境地に従って変化するというのじゃ。
今日仏心が生じていないならば、衆生の住む世界は地獄が先ず生じるというのじゃ。
全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのじゃ。
その心が転じれば攻撃的な心や自らを守る心として能くとらえられるのじゃ。

243避難民のマジレスさん:2021/01/23(土) 12:33:18 ID:KIqelnRo0
くま訳改
心は環境や境地に従って変化するのである。
第三句:全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのである。
第四句:その心が転じれば攻撃的な心(劍戟)や自らを守る心(城)として能くとらえられる(幽なり)。

292
泉涌寺雲龍院後小松院廟前菊 泉にう寺雲龍院後小松の院廟ぜんの菊
袞龍錦袖碧雲天 こんりょうきんしう碧雲の天
叡信宗門列祖禪 叡信す宗門列祖の禪
生銕鑄成黄菊意 しゃう鉄つい成すくわう菊の意
秋香未老玉堦前 秋香いまだ老いず玉かいの前

くま訳
泉涌寺雲龍院の後小松院廟前の菊
後小松天皇の威徳を讃えるような青空
宗門祖師の禅を信仰されたのだ。
鍛えられてない鉄を、仕上げよと言うのが、後小松天皇のご意志であった。
その時の秋の香が、未だに衰えることがない宮中のみはしの前であります。

*雲龍院(うんりゅういん):真言宗泉涌寺派の寺院。南北朝時代は北朝の後光厳天皇の勅願により、応安
 5年(1372年)に龍華院と共に創建された。後円融天皇、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて
 発展したとされる。文明2年(1470年)には応仁の乱の余波を受けて全焼
*袞竜の袖(こんりょうのそで):1 天子の衣の袖。2 天子の威徳のたとえ。
*叡信(えいしん):天子が神または仏を信じ尊び、従われること。また、その信じる心。天皇の信仰。
*列祖:代々の祖先。歴代の祖先。
*鑄(ちゅう):1鋳造する,鋳る.2作り上げる,形成する.
*玉階(ギョッカイ):① 宮中、または神社の階段。御階。みはし。② 広く、階段の美称。
(´・(ェ)・`)つ

244避難民のマジレスさん:2021/01/23(土) 13:00:30 ID:KIqelnRo0
一休さんの青春
303
年譜:應永十六年 師十六歳
結制日。秉拂僧喜記氏族門閥掩耳出堂。
乃作二偈呈慕喆翁。曰。今叢林頽靡。
非一柱可及。三十年後子言必行。
忍以侍之。其偈曰 

戸谷太一先生訳
師(一休)16歳、
結制の日(禅寺の行事)に、ひんほつの僧(説教をする僧)が喜んで氏族や門閥の話(家柄自慢)を記して
いるのを聞き、耳をふさいでお堂を飛び出した。
そして、詩を二つ作り慕哲翁(一休の詩の師匠)に見せたところ、翁は言った、今の叢林(当時の禅宗社
会)の頽廃は一人の人間で支えられるものではない、30年後に言ったことを実行しなさい、なので忍んで
機会を待ちなさい。
(´・(ェ)・`)つ

245避難民のマジレスさん:2021/01/23(土) 13:06:40 ID:KIqelnRo0
304
余四十年前、秉拂僧在法堂上  余40年前、ひんぽつ僧の法堂上に在りて、
而説禪客之氏族焉。      禅客の氏族を説くを聞く     
于商于工手行僕者流      商にあれ、工にあれ、行僕者の流れにあれ、
各訐其所業。         各々其の業とする所をあばく。
甚者乃臻出手以爲模様。    甚だしきは、すなわち手を出して以て模様を為すにいたる。
吁是何爲也。即乃掩耳而出矣。 あぁ、是れなんするものぞ。すなわち耳をおおうて出づ。
因廼べ述二偈意在革弊。    因りて二偈を述ぶ。意は弊をあらたむるに在り。
凡四姓之入吾門。皆稱釋氏、  およそ四姓の吾が門に入って、皆な釈氏と称するは、
以其乞食而資姓乞法而資姓也。 其の乞食して命をたすけ、乞法して身を資くるを以てなり。
亦何貴冑望族之有哉。     亦た何の貴ちゅう望族が之れ有らん。
今世山林叢林之論人、     今の山林叢林の人を論ずる、
必議氏族之尊卑焉。      必ず家柄の尊卑の話をする。     
是可忍孰不可忍乎。      是を忍ぶべくんば、いずれか忍ぶ可からざらん。
遂寫前偈以掲示四方。     遂に前偈を写して以て四方に掲示す。
誰敢撃節。其偈曰       誰か敢えて撃節せん。其の偈に曰く、

     1/2
説法説禅挙姓名 法を説き 禅を説いて姓名を挙げる
辱人一句聴呑声 人を辱かしむるの一句 聴いて声を呑む
問答若不識起倒 問答もし起倒を識らずんば
修羅勝負長無明 修羅の勝負無明を長ぜん

くま訳
わしは、40年前、説法する僧が、法堂上で、
法談に招かれた僧の家柄の話をするのを聞いた。
商業者、工業者、仏道修行者や身分の低い人等、
各々其の業とする所をあばいた。
甚だしきは、作り話をでっちあげることまでした。
あぁ、是れは何とした事か。その場で耳をおおい、退出した。
その事ににより、二偈を述べた。意図するところは、悪しきならわしをあらたむることである。
およそ四つの身分の者が我が門に入って、皆、釈氏と称するは、
其の乞食して命をつなぎ、法を学んで身をたすけるからである。
そこにおいて、何の血筋や家柄の違いがあろうか。
今の禪寺では人を評価する時に、必ず家柄の尊卑の話をする。
そんな話を我慢して聞けるくらいなら、我慢できない話など何もないであろう。
今日に至って、前に作った偈を写して以て四方に掲示する。
誰か敢えて共感する者はいないか。その偈に曰く、

法を説き 禅を説く者でありながら、身分をあげつらう。
そのことで人を辱かしめる言を吐くのを聞いて、声が出ない。
問答における勝敗のつけ方を知らないのであれば、
醜い言い争いが、決着がつかないまま、愚かにいつまでも続くであろう。

*秉(ヒョウ・ヘイ・ヒン・とる):①いねたば。ひとにぎりのイネの束。 ②とる。手に持つ。にぎる。 
 ③まもる。心にかたく守る。④え(柄)。転じて権勢。「権秉」
*払(ホツ・はらう):1 はらいのける。はらう。2 やみをはらうように空が明ける。
*秉払の(ひんぽつ)::払子を持つ
*払子(ほっす):仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる法具である。麈尾(しゅび、しゅみ)、
 白払(びゃくほつ)ともいう。
*客僧:1 旅の僧。旅僧。かくそう。2 他の寺に身を寄せている僧。また、法談などのため招かれた僧
*修羅: 醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ。
*貴冑望族:貴族又名望家の族
*撃節;節を撃たん・意に適って、手又は膝を打ちて、同意を表すをいふ。
(´・(ェ)・`)つ

246鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/24(日) 00:53:34 ID:1d4drIFg0
後小松院廟の前に菊が供えられていたか花壇があったのかもしれん。
それを詠んだのじゃな。

天子の衣のような紺碧の空というのじゃ。
それは天皇の威徳が空一杯に広がっているということじゃな。
後小松天皇は宗門の禅に列して修行したのじゃな。
生鉄を練成して黄色い菊にしたというのじゃ。
修業を完成させたというのじゃ。
黄色い菊は皇室の印じゃな。
その菊の香りがまだ廟前に残っているというのじゃ。

247避難民のマジレスさん:2021/01/24(日) 11:06:04 ID:eGllDJ6Q0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
>> 245の詩もお願いするであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨

248鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/24(日) 23:43:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じなのじゃ。
そもそもお釈迦様は生まれに拠って四性の区別があるのではなく、行いによって四性があると説いたのじゃ。
そうであるからその弟子の筈である僧が、四性の生まれた家柄による差別を語ってはおかしいのじゃ。
一休も当然それを知っていたが、無知な僧は知らずに論っていたのじゃ。
その頃は一休はまだ若いから説教とかできなかったのじゃな。

一休が四十年前、権威のある僧が法堂上にあって他の客僧がどこの氏族の生まれであるか説いたのを聞いたのじゃ。
商家、工人の家、肉体労働者の流族であるとか暴き、酷いのは手でその生業を真似て示したりもしたのじゃ。
一休は何じゃ、これはと嘆いて耳を覆って堂から出たのじゃ。
是に因り二偈を述べて悪幣を改めるつもりなのじゃ。
およそ四性の者がわが門に入って皆、釈氏と称するのは乞食行をして、身を養うからなのじゃ。
それなのに素性の貴さを望むことなどありえないのじゃ。
今の人が僧を論じる時に必ず出身の家柄の尊卑を語るのじゃ。
このようなことを忍ばなかったら、何を忍ぶというのか。
遂に前の偈を写して四方に掲示するのじゃ。
誰か是をあえて同意する者はいないかというのじゃ。

その偈はこの通りなのじゃ。
 
法を説き、禅を説く者が氏素性をあげつらう。。
それによって人を辱める一句を聞いて声を呑むのじゃ。
そのような問答の利害がわからなければ、修羅の如く勝敗に係り患って無明を強化するのみなのじゃ。

249避難民のマジレスさん:2021/01/25(月) 18:18:36 ID:68E1el720
305    2/2
犀牛扇子与誰人 犀牛の扇子、誰人にか与えん、
行者盧公来作賓 あん者ろ公、来って賓となる。
姓名議論法堂上 姓名を議論す、法堂の上、
恰似百官朝紫宸 あたかも百官の紫宸に朝するに似たり

仏性(仏になるための性質 )をあらわす犀牛の扇子は与えるまでもなく誰もが持っているのだ。
六祖慧能は出身がいやしくとも、見出されて五祖の客となった
身分のことを法堂上で議論しているのである、
あたかも朝廷に仕える役人のようである。

*行者盧公:六祖慧能:中国の禅僧。ここでは、出身が貧しい慧能が師に見抜かれた、ということ

*おまけ①:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【本則】
 挙す。塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。
 侍者云く、「扇子破れたり。」
 官云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」侍者対うること無し。
 投子云く、「将棋出だすことを辞せざるも、恐らくは頭角全からざん」。
 雪竇拈げて云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。
 石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無からん」。
 雪竇拈げて云く、「犀牛児は猶お在り」。
 資福一円相を画き、中に一つの牛の字を書く。
 雪竇拈げて云く、「適来、為什麼にか将き出ださざる」。
 保福云く、「和尚は年尊し、別に人に請えば好し」。
 雪竇拈げて云く、「惜しむべし、労して功無し」。

 横田観風先生訳・解説抜粋
塩官というのはお師匠さんで、ある日世話係(待者)を呼んで「わしのために犀牛の骨で作った扇子を持っ
て来てくれ」と言った。すると世話係は「扇子は破れて使い物になりませんよ」と言った。
・・・すると塩官は「扇子が壊れたなら、わたしに犀牛そのものを持ってきてくれと」言った。
・・・すると世話係は何も答えられなかった。
・・・塩官が示唆した犀牛というのを、我々が生まれついて持ってきたものが隠れて無くなったものととら
えられれば、何か答え方があった訳である。
「お師匠様、いつも持っているじゃないですか」とか。
ここでは世話係が答えられなかったという事実があるので、後の世の人達がこれを禅問答の材料にしている。
投子は「犀牛を引っ張り出してくる事は良いとしても、恐らく角は完全じゃありません」と言った。
結局、犀牛とは言葉にならない世界、形にならない世界のもの、つまり仏性、それを表に見えるように出す
となると、もう完璧ではなくなる。
欠けたようにしか出せませんよと、そういう意味。
見えないものがそのまま備わっているのに、何もかたちにして見せる事ないだろうと。
雪竇は「私ならば、その不完全な頭角の犀牛児が必要なのだ」と言った。
説明するためには必要という事。
石霜は「もし、和尚に返したら無くなってしまいます。」
だいたい誰にも備わっているものを返せというのがおかしい。
説明しなければ、返したり返さないとかできないけれども、人に知らしめるためには表現しなくてはいけな
い。
表現するにはそういうものは必要だ。お師匠さんから弟子らにいっぱい話をしないといけないとか。
雪竇は「犀牛児はなお在り」と言った。
もともと誰の中にもある。在るとか無いとかの問題でないので、禅は反対の事を言う。片方が無いと言うと
、もう一方は在ると言う。どっちも正しい。
そういう世界では無い所を求めているので、こういう言い方をしている。
資福は犀牛児を円相で描いた。これは表現できないものを丸で表現して象徴化した。さらにその中に牛(仏
性)と描いた。
すると雪竇は「そんなに立派な牛がいるのなら、どうして持ち出して来なかったのだ?」と言った。
これは宇宙そのものが牛なのだという風に表現した。
保福は「和尚は随分年取ったぞ、別の人に頼んで下さい」と言った。世話係の引退宣言。
雪竇は「惜しい事だ。お前さんも長く勤めてくれたがさっぱり功が無かったなあ」と言った。
私だったら何と言うか。「和尚はすでに持っているのに、欲張りですね」とか。いろいろある。
(´・(ェ)・`)つ

250避難民のマジレスさん:2021/01/25(月) 18:28:56 ID:68E1el720
*おまけ②:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【頌】
 犀牛の扇子用うること多時、問著れば元来総な知らず。
 限り無き清風と頭角と、尽く雲雨と同に去って追い難し。
 雪竇復た云く、「若し清風の再び復し、頭角重ねて生ぜんことを要せば、請う禅客、各一転語を下せ」。
 問うて云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」。
 時に有る僧出でて云く、「大衆、参堂し去け」。
 雪竇、喝して云く、「鈎を抛って鯤鯨を釣りしに、箇の蝦蟆を釣り得たり」と。
 便ち下座す。

横田観風先生・訳・解説より
犀牛の扇子を用いる事久しくとも、どういうものかと聞いても、誰も知らない。
認識を超えて霊妙不可思議というものは知っているけれども、こういう形があるとかは誰も知らない。
知ろうとしてもわからないものだ。
塩官と世話係の問答について、五人(投子、石霜、資福、保福、雪竇)がいろいろ見解を述べて答えている
が、皆、悟っている人なので、そのものズバリとは言わないが、それぞれ答え方が清い風を受けるようなも
のだ。
雪竇が塩官の真似をして「誰か、弟子の中で答えが言える人はいるか?」と皆に言った。
するとある僧が出て来て「大衆、禅堂に帰れ」と言って、皆を禅堂に帰す働きを示した。
すると雪竇は誰かに出て来てもらって問答したかったのに、帰されてしまったので、喚いて「わしは皆に釣
り針(言葉)を投げかけて、誰か鯨みたいな大物がいないか釣り上げようと思ったのに、何と釣り上げたの
は余分な事をするちっぽけな蛙だったわい」と言ってすっと帰ってしまった。
(´・(ェ)・`)b

251鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/25(月) 23:12:40 ID:1d4drIFg0
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきかというのじゃ。
身分が低い家の出であった慧能が受けるべき賓客となったのじゃ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは役人が朝廷に集まっているのにも似るのじゃ。
俗臭紛々なのじゃ。

252避難民のマジレスさん:2021/01/26(火) 16:47:52 ID:Zd7tgxm60
306
自戒
罪過彌天順藏主 罪過彌天順藏主
世許宗門賓中主 世に許す宗門賓中の主と
説禪逼人詩格工 禪を説いて人にせまる詩格の工
無量劫來悪道主 無量劫來悪道の主

くま訳
自戒
罪過は天いっぱいに拡がるほど多いのである。
世間から禅宗門は、修行者は師よりも劣ると看做されているのであるが、
わしが禅を説く際に、聞き手に強い印象を与えるのは、言葉選びがたくみななだけである。
永遠の、悪道主でる。

*罪過弥天(ざいかみてん):弥はあまねくいきわたるという意味で、罪や過失が空一面に広がるほど大き 
 く甚だしいことを意味する。
*賓中主:飛不動HP解説 
 四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
 主は師となります。
 ① 客看主 「客、主を看る」
 修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
 ② 主看客 「主、客を看る」
 師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
 ③ 主看主 「主、主を看る」
 師も修行者も、ともに優れた者の場合。
 ④ 客看客 「客、客を看る」
 師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。
 以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
 ①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。

 ① 修行者に見破られている状態。
 ② にわか住職に見破られている状態。
 ③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
 ④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。
*詩格:1 詩の作り方の規則。詩の法則。2 詩がもつ風格。詩の品格。
(´・(ェ)・`)つ

253避難民のマジレスさん:2021/01/26(火) 18:24:52 ID:x7otsCkY0
305の詩・くま訳全面改
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきであるか。
身分が低い家の出であった慧能が弘忍に認められたて六祖となったのだ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは
役人が朝廷に集まっているのにも似るのだ。
(´・(ェ)・`)b

254鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/26(火) 23:28:50 ID:1d4drIFg0
自戒の詩じゃな。

わしの罪過は天に満ちるほど多いのじゃ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのじゃ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのじゃ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのじゃ。

255避難民のマジレスさん:2021/01/27(水) 16:29:04 ID:QvALKIzw0
くま訳全面改
わしの罪過は天に満ちるほど多いのだ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのだ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのだ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのだ。

307
大徳寺火後題大燈國師塔 大徳寺火後大燈國師の塔に題す 1283 1338 
創草百二十八年 創草百二十八年
看來今日體中玄 看來ればこんにち體中玄
正邪境法滅卻後 正邪境法滅卻して後
猶是大燈輝大千 猶ほ是れ大燈大千に輝く

くま訳
大徳寺火災後の大燈國師塔と題して
大徳寺は創建されて百二十八年で(炎上してしまったので)ある。しかし、
創建されて以来の真実は大燈國師の中に見出せるのである。
正邪、意識対象となるもの全てを滅却した大燈国師は、
これからも三千大世界に輝き続けるのである。

*三玄三要(臨済録):玄は黒を表わし、奥の深い状態を指すので、真理、真実を深く極めた人という意味  
 で捉える事ができる。89の詩 参
 1、「体中玄」とは、物事の姿や形の中に真実を見つけ出そうということ
 2、「句中玄」とは、言葉に込められた根本の意味を見つけ出そうということ
 3、「玄中玄」とは、形や言葉に囚われない真実の姿を求めること
  臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真 
  理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。265の詩 参

*大徳寺・山号は龍宝山 開基は大燈国師宗峰妙超、1325年
 1453年・60歳の時・大徳寺が炎上。
(´・(ェ)・`)つ

256鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/27(水) 23:26:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大燈国師の塔が再建されたのじゃな。
大徳寺が創建百二十八年というのじゃ。
看に来たれば体中玄なのじゃ。
正邪も滅却して後、なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くというのじや。

257避難民のマジレスさん:2021/01/28(木) 17:24:07 ID:GLxyV7yo0
くま訳改
第二句:看来れば、物事の姿や形の中に真実を見いだせるのだ。
第三句:正邪、意識対象となるもの全てを滅却した後も、
第四句:なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くのである。

308
賛鳥窠和尚   てうくわ和尚を賛す
巣寒樹上老禪翁 巣は寒し樹上の老禪翁
寂寞淸高名未空 せきばくせいかう名いまだむなしからず
諸悪莫作善奉行 諸悪まくさ善奉行
大機須在醉吟中 大機はすべからくすゐ吟のうちに在るべし

肝冷斎先生訳・解説より
そこの巣は寒くはございませんか、樹上の老いた禅じじいよ、
孤立し、清く高尚で、その名は今でも知られている。
白楽天の問いに答えて、「悪いことはしてなりません、いいことをしなさい」と(外面よく答えたが)
(悟りへの)大きな転換ポイントは酔歌する(ようなキモチ)の中にこそあるはずだ。

「酔吟」・・・白楽天が晩年に「酔吟先生」と自称しているので、それを踏まえると、(悟りへの)大きな
 転換ポイントは、白楽天の方にあるはずだ(和尚の方はヒントを示しているだけだ)。

くま訳
鳥巣(ちょうか)和尚について詠うのだ
松の木の上に住んだ鳥巣老僧は、寒かったでありましょう。
寂寞たる中で、清らかに生きたその名は、未だに思い起こされてるでありますよ。
悪事をなさず、善事をなせ。(よと、鳥窠和尚は白楽天の問いに答えて言ったのだ。)
悟りを求める実践法は、すべからく、酔吟のうちにあるのだ。

*鳥窠道林(ちょうかどうりん、741-824、唐代 白居易との交流で知られる。198 40の詩 参    
*道林和尚と白楽天の間に交わされたという有名な問答の概要・禅の視点 - life - HPより
 
 白居易来って宗要を問ふ、居易曰く、「禪師の住所甚だ危険なり」と。
 窠曰く、「居士の危険尤も甚だし。」
 居士曰く、「弟子の位、江山に鎮す、何の険なることか之れあらん」と。
 窠曰く、「薪火相交って識性停まらず、険に非らざることを得んや。」
 
「和尚さん、そんなところで坐禅をしていては危ないのではないですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の 
 危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。どうして危険がないなどということが言える 
 か」(この後に135の詩の詞書がつづく)
*諸悪莫作善奉行:一休さんお気に入りの言葉。
*寂寞(ジャクマク・せきばく):ひっそりしていてさびしいこと。また、そのさま。静かなさま。
*清高:清らかですぐれている・こと(さま)。
*大機:大乗の教えを受け、それを実践する資質。また、その資質を有する者
(´・(ェ)・`)つ

258鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/28(木) 23:38:35 ID:1d4drIFg0
鳥巣和尚の賛じゃな。
寒樹は葉の落ちた樹なのじゃ。

寒樹の上に巣を作る禅翁なのじゃ。
清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのじゃ。
鳥巣禅師は白居易に諸々の悪はなさず、善き事を奉じ行えと説いたのじゃ。
なぜならば悟りへの大いなる機会とは白居易自らの中にあらねばならぬからなのじゃ。

259避難民のマジレスさん:2021/01/29(金) 17:29:17 ID:Mq7fRKlY0
くま訳全面改
第一句:寒樹は葉の落ちた樹の上に巣を作る禅翁なのだ。
第二句:清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのだ。
第三句:鳥巣禅師は白居易に悪事はなさず、善事を行えと説いたのだ。
第四句:なぜならば悟りへの大いなる機会は白居易自らの中にあらねばならぬからなのだ。

一休さんらしいオチと言うべきでありましょうか。
309
賛靈昭女    靈昭女を賛す
笟籬賣却甚風流 さうりまい却して甚だ風流
一句明明百草頭 一句明明たり百草頭
相對無心弄禪話 相對して禪話を弄ずるに心無し
朝雲暮雨不甚愁 朝雲暮雨愁に堪えず

くま訳
賛靈昭女(りんしょうじょ)について詠うのだ。
竹かごを売って生活していた風流な女性である。
森羅万象はありのまま、(仏法の真髄、悟りの法)の一句を遺している
相対して禅話をしても、無心なのだ。
しかし、情を交わすことがあったとしても、ものわびしく感じてしまうであろう。

*靈昭女:(りんしょうじょ・れいしょう)龐居士(ほう)の娘、一家そろって禪宗に在家で歸依、竹漉籬 
 売りて父母を養ふ。 
 150の詩参
*おまけ: 龐居士VS 靈昭女 親子問答
居士一日坐次。問靈照曰。     居士一じつ坐する次いで、りんしょうに問とうて曰く、
古人道。明明百草頭。明明祖師意。 古人いう、明明たり百草頭、明明たり祖師意、と。
如何會。              如何が会す 
照曰。老老大大。作這箇語話。 照曰く、老老大大として這箇の語話をなす。
士曰。你作麼生。 士曰く、なんじはそもさん。
照曰。明明百草頭。明明祖師意。 照曰く、明明たり百草頭、明明たり祖師意。
士乃笑。 士、すなわち笑わう。

細川景一先生訳・解説抜粋
父、龐居士が娘に問いかけます。「古人いう、明々たりひゃくそうとう、明々たり祖師そし意い、如何にえ
すや」。
霊照が答えます。「老々ろ大々、お父さん、いい歳をして何をいっているのですか」。龐居士、驚いた顔を
して問います。「じゃ、お前ならなんという」。
霊照、おもむろに、「明々めいめいたり百草頭、明々たり祖師意」。
龐居士、頷いてにっこり笑います。

答えは一緒です。どう違っていたのでしょうか。龐居士は、ただ古人の言葉として取り上げたにすぎません。
霊照はこの「明々たり百草頭、明々たり祖師意」の語を、自分の見解(けんげ)として呈し、その真意を体得
したのです。そこを看て取って龐居士は頷いたのです。
「明々」とは、はっきり・・、ありあり・・としているさま。「頭」は意を強める助辞。また、文字通りの
頭、先のことと解することもできます。「百草」とは、草花に限りません。森羅万象、山河大地、草芥人畜、
一切の存在と現象を意味します。「祖師意」とは、祖師西来意・・といわれるもので、達磨大師がインドか
ら中国にやって来た本当の意ということから、禅問答の中では、仏法の真髄・・とか悟り・・とかの意に用
いられます。
「明々たり百草頭、明々たり祖師意」。私たちの目前に拡がる山川草木、禽獣、虫魚、瓦礫塵芥(がりゃく
じんかい)等一切の存在と現象一つ一つが、そのまま仏法の真理であり、悟りであるというのです。故に一
草、一木、一匹、一箇の事々に、物々の一つ一つに耳を傾け、目を凝らし、心を通わせ、その真実の姿を収
得しなければならないのです。霊照は父親の手引きで、目前の一草一木の先に輝く仏の命を学び取ったのです。
(´・(ェ)・`)つ

260鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/29(金) 23:39:43 ID:1d4drIFg0
靈昭女は竹かごを売却してはなはだ風流なのじゃ。
一切が明らかになった境地を句に表したのじゃ。
相対すれば無心で禅話を玩弄するじゃろう。
それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのじゃ。

261避難民のマジレスさん:2021/01/30(土) 17:25:12 ID:VDH662kQ0
くま訳改
第四句:それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのだ。

不甚(たえず))あまり…でない.あまりはっきりしない,よくわからない.そんなにはっきりしていない.
くまの元訳は、耐えずと誤訳してしまったのである。

310    1/2
大燈國師百年忌 二首
曩覔青銅無半文 さきに青銅をもとむるに半文無し
酬恩一句豈驚群 恩にむくゆる一句あに群を驚かさん
祖師遷化己百載 祖師のせんげすでに百さい
空拝婆年婆子裙 むなしくば年を拝すばしがくん

柳田聖山先生訳
いくら頭陀袋を探しても、半文もないのに
どうして気の利いた詩句を捧げられようか
祖師が亡くなって早や百年が過ぎた年月は、
老婆が年月を数えるように、虚しい限りだ。

くま訳
まずは、銭を探してみたが半文も無いのである
大燈國師の恩に報いたくて一句を詠んでも、多くの人の注意をひくことが出来ない。
大燈亡くなってすでに百年
虚しく老婆の様に年を数える

*半文:斎宮歴史博物館HPによると、平安時代の貨幣価値は、1文24円くらいだそうである。くまより貧 
 乏な一休さんであるが、いずれ、一休文化サロンのパトロン達から何十億円も寄付を集めて、大徳寺を再 
 建するのである。
(´・(ェ)・`)つ

262鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/31(日) 00:18:14 ID:1d4drIFg0
大燈国師の百年忌なのじゃ。

財布の中には半文の銅銭もないというのじゃ。
恩に報いるのに金は無く詩の一句だけであるがそれで群集を驚かすことなどあろうかというのじゃ。
なぜならば祖師の遷化して百年経ったことを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものであるからなのじゃ。

263避難民のマジレスさん:2021/01/31(日) 14:20:37 ID:4O1q8XE60
くま訳改
第四句:それを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものなのだ。

311    2/2
児孫多踏上頭関 児孫多く踏む上頭の関
一箇狂雲江海間 一個の狂雲紅海のあひだ
大会齋還在何處 大え齋かへっていずれのところにか在る
白雲蒸飯五臺山 白雲はんを蒸す五台山

慧智和尚 の解釈
伝統や系譜を肩にかけた頭でっかちの“お偉い”先輩弟子が公案を通るが、頭を捨て去り融通無碍に生きて
こそ本物である。

柳田聖山先生訳
弟子は皆、上へ上へと階段を昇るのだが、
狂雲子のボクだけは、海辺に、河辺に遊
百年祭など、どこで執り行われるのだろう。
白雲が湯気を立ち込めるあの五台山あたり。

くま訳
大燈の弟子たちは、どんどん出世してゆくが、
狂雲は一人海辺、川辺で遊んでいるのである。
大燈百年忌の大会斎はどこで行われるのだろう、
盛大な宴会のための炊飯の湯気が、仏教の聖地五大山を曇らせているであろう。
(´・(ェ)・`)つ

264鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/01/31(日) 23:55:03 ID:1d4drIFg0
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているというのじゃ。
一休だけは川海に降りて踏んでいないのじゃ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのじゃ。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くというのじゃ。

虚礼を批判して本心を尊ぶ一休らしい二首なのじゃ。

265避難民のマジレスさん:2021/02/01(月) 08:36:51 ID:EjUwW3wo0
くま訳全面改
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているのだ。
わしだけは川海に降りて踏んでいないのだ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのか。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くのだ。

312
偶作
昨日俗人今日僧 さく日は俗じんこん日は僧
生涯胡亂是吾能 生涯うろん是れわが能
黄衣之下多名利 くわうえのもと名利多し
我要兒孫滅大燈 我は要す兒孫んの大燈を滅せんことを

くま訳
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴なのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込むのだ
わしには、それが必要なのだ、大燈の後継者と称する奴等を滅ぼす為に。

*俗人:世間一般の人。利益や評判しか考えないような、くだらない人物。風雅の心がわからない人
*胡乱;確かでなく、怪しいこと。うさんくさいこと。
(´・(ェ)・`)つ

266鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/01(月) 23:30:33 ID:1d4drIFg0
昨日は俗人となり、今日は僧となる。
生涯うろんな奴となるのが我が智慧に拠って能くすることなのじゃ。
なぜならば僧の黄衣を着ているだけでも名声や利益が集まってしまうからなのじゃ。
わしには大燈の伝統を継ぐものとしての名声さえも滅することが必要なのじゃ。

一休は僧としての名声や利益さえも不要と言うのじゃ。
見上げたものじゃ。

267避難民のマジレスさん:2021/02/02(火) 18:40:58 ID:1so70pj20
くま訳全面改
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴になるのが我が智慧に拠って能くすることなのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込んでしまうのだ。
わしは、大燈の後継者ととしての名声さえも滅することが必要なのだ。

313
苦中樂
酒喫三盃未濕唇 酒三盃を喫して未だしんを潤さず
曹山老漢慰孤貧 曹山老漢 孤貧をいす
直横身火宅中看 直に身を火宅のうちに横たえて看れば
一刹那間万刧辛  一刹那かん万ごうのしん

くま訳
酒三盃をあおっても、未だ酔えない。
曹山和尚ならば、既に狐貧の境涯に達していると慰めてくれるだろうが、
直接我が身を娑婆世界に置いてみれば、
この一瞬が、永遠の苦しみのように感じるのだ。

*『無門関』第十則にある「清税孤貧(せいぜいこひん)」
 清税和尚(税闍梨・ぜいじゃり)が、 曹山本寂(ほんじゃく)和和尚に問う。
 「清税孤貧、乞う師、賑済(しんさい)せよ」 私は狐貧(本來無一物)の境涯を得たが、
                       この上、何を会得したらいいのでしょう。
 曹山云く、「・・酒、三盞(さんせん)喫し了って猶お道(い)う、未だ唇を沾(うるお)さず」と。
(´・(ェ)・`)つ

268鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/02(火) 23:04:15 ID:1d4drIFg0
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのじゃ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのじゃ。
俗世に在ればそれは刹那でも何万年の苦と感じるじゃろう。

269避難民のマジレスさん:2021/02/03(水) 17:53:25 ID:381gV8NM0
くま訳全面改
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのだ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのだ。
俗世に在れば
それは刹那でも何万年の苦と感じるものなのだ。

314
嫌抹香     抹香を嫌ふ
作家手段孰商量 作家の手段たれか商量せん 
説道談禅舌更長 説道談禅舌更に長し  
純老天然悪殊勝 純老は天然殊勝をにくむ 
時顰鼻孔佛前香 ひそかに鼻くうをしかむ仏前の香

仁先生訳
本当に悟りをえた者の境地を一体誰が思量することができるだろうね。  
悟ったように道を説き、禅をお喋りしている者たちの舌は、長すぎるよ。   
ぼくはね、天然の木偶の坊だからね、くそまじめ精神が嫌いなんだ。 
仏前の抹香臭さには、たまらず鼻を顰めてしまうよ。 

くま訳
禅宗師家が弟子を導く方法について、誰が、評価できるというのだ。
仏道を説き、禅を談じる際にはたいへん饒舌な奴らである。
わしは、ありのままを追求するのだ、本來殊勝な奴は嫌いなのだ。
仏前の抹香臭いには鼻をしかめてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

270鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/03(水) 21:33:40 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。

仏陀の法を誰が理解することが出来るのかというのじゃ。
まだ目覚めぬ者が法について長口舌するのじゃ。
わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのじゃ。
仏前に供える抹香も多すぎれば臭すぎて鼻を顰めるようなものじゃ。

271避難民のマジレスさん:2021/02/04(木) 06:31:54 ID:z5R.lv3M0
くま訳改
第三句:わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのだ。

一休さん、東福寺(涅槃図)広報の詩
315
涅槃像  1/2
作佛被毛無主賓 さぶつひ毛主賓無し
春愁二月涅槃辰 春愁二月涅槃のとき
有情異類五十二 有情異類五十二
混雑紫磨金色身 混雑す紫磨金じきのみ

中瀬祐太郎先生訳・解説
涅槃に入るお釈迦さんと、その周囲で嘆き悲しんでいる動物たちとに、主体も客体もない。
その涅槃の季節は物悲しい春の二月である。
五十二種類にのぼる一切の生きとし生ける者たちが集まって、
美しく輝く御釈迦さんの周囲をうじゃうじゃさわがしく取り巻いている。
〔語注〕
・作佛…佛になること。 ・披獣…獣になること。 ・主賓無し…自他などの相他した区別のない世界。
・五十二…入滅の際し集まった五十二種の衆生。

くま訳
佛も衆生も分け隔て無し
春愁二月涅槃のとき
五十二の人や動物が描かれている
みな集まる、金色の仏

*紫磨金(シマゴン)紫色を帯びた純粋の黄金。紫磨黄金。紫金(しこん)。
*現在では、酬恩庵一休寺に、南北朝、室町、江戸後期に製作された涅槃図が所蔵されており、釈迦(しゃ
か)の命日とされる旧暦の2月15日に涅槃会(ねはんえ)が行われ、涅槃図3幅が特別公開されているの
である。 一休さんが見に行ったのは↓
参)東福寺所蔵の8x15mの巨大図絵 (猫も描き加えられていることで有名)
http://www.rinnou.net/nehanzu/1_kaisetsu/1-1_jinbutsu/shakuson.html 
(´・(ェ)・`)つ

272鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/04(木) 23:28:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 お釈迦様が涅槃に入って一切衆生が悲しんでいる図というのじゃ。
 二月の春というのじゃ。
 52種類の衆生が描かれているのじゃ。
 金色の仏陀の体を取り巻いて混雑しているというのじゃ。

273避難民のマジレスさん:2021/02/05(金) 19:16:06 ID:TUYcrgkw0
316
涅槃像  2/2
頭上北洲脚下南 頭上は北洲 脚下は南    
前三三也後三三 前三三や後三三  
逼塞乾坤釈迦像 乾坤に逼塞す釈迦の像    
看來慧日一迦藍 看来れ 慧日の一迦藍   

中瀬祐太郎先生訳解説
頭は北向き足は南向きで、
ごろんと横たわっているお釈迦さんの周りに、あっちこっちにちらほらと数人ずつの者たちがへばりついて
いる。
天地をいっぱいにふさげているこの巨大な涅槃図を、
東福寺の佛殿へ、ぜひ見にいらっしゃい!
〔語注〕
*北洲…来倶盧洲。四大洲のひとつ。 
*前三三後三三…こちらにちらほらあちらにちらほら。『碧巌録』三十五即に出ることば。
*乾抻…天地。 
*慧日…東福寺の山号。(仏語。仏の智慧が煩悩や罪障を除くことを、太陽にたとえていう語。)
    
くま訳
頭は北向き、足は南
前に後ろに、みんないる
天地いっぱいに描かれた涅槃像、
見にいらっしゃい、東福寺へ!
(´・(ェ)・`)つ

274鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/05(金) 23:47:32 ID:1d4drIFg0
なにやら宣伝文句みたいじゃのう。
頼まれて書いたのかもしれん。

北枕でお釈迦様はねているのじゃ。
前後に衆生が居るのじゃ。
画幅一杯に書かれた釈迦像なのじゃ。
寺に来てみるとよいのじゃというのじゃ。

275避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 13:55:58 ID:Az3frn.E0
317
地獄
三界無安 三がい無安  
猶如火宅 猶ほ火宅のごとし
箇主人公 箇の主人公
瑞岩應諾 ずゐ岩應諾す

くま訳
地獄
三界(欲界・色界・無色界)は心休まることなく、
燃え盛る家の中にいるようなものである。
主人公(本来の面目)よぉぉ、と自分に呼びかけて、
瑞岩和尚の真似をして、はい!と応えてしまったら、地獄でありましょう。

おまけ:瑞巌主人公 無門関十二則「瑞巌主人」禅と悟りHPより抜粋
本則:瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。  瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、
   復自應諾。           復(ま)た自ら応諾す。
   乃云。惺惺著。喏。       乃(すなわ)ち云く、「惺惺着(せいせいじゃく)、諾。 
   他時異日。莫受人瞞。喏喏。   他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾諾」。

   瑞巌彦(ずいがんげん)和尚は毎日自分に向って「おい主人公!」と喚びかけ、
   自分で「はい」と答えた。
   その後「おい、しっかりしろよ」。「はい」。
   さらに、「どんな時でも他人に騙されるなよ」と喚びかけ、自分で「はい、はい」と応え自問自答し    
   ていた。
評唱:瑞巌和尚は、自作自演の胡散臭い一人芝居をしているわい。
   一体彼は何が言いたいのだろう。
   さあここだぞ。
   一人は喚ぶ者、一人は応える者。一人ははっきりと目覚めている者、一人は騙されない者。
   しかし、この内どの一人を容認してもダメだ。
   そうだと言って若し瑞巌和尚のまねでもしたら、それこそ野狐禅に陥るだろう。

頌:参禅修行者が真実を識らないのは、分別意識に惑わされるためである。
  過去から積もった人生の苦の本である分別意識(理知脳)を、
  本来の面目だと誤認して「本来人」と呼んではならない。

承福寺HP解説抜粋
この主人公とは、禅で言うところの「本来の面目」ということである。すなわち、
本来の自己、真実の自己ということであり、本来備わる「仏性 (ぶっしょう)」のことである。禅の目指すと
ころは「己事究明」による「見性成仏」である。己の内心を究明し究明して、生まれながらに頂いている仏
性への目覚めに修行の眼目があるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

276避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 14:03:50 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより
大徳、三界無安、猶如火宅。 大徳、三界安きこと無く、猶お火宅の如し。
此不是爾久停住處。 此は是れ汝が久しく停住する處にあらず。
無常殺鬼、一刹那間、不揀貴賤老少。 無常の殺鬼、一刹那の間に、貴賤老少を揀ばず。
爾要與祖佛不別、但莫外求。 汝は祖佛と別ならざんと要せば、但だ外に求むること莫れ。
爾一念心上清淨光、是爾屋裏法身佛。 汝が一念心上の清淨光は、是れ爾が屋裏の法身佛なり。
爾一念心上無分別光、是爾屋裏報身佛。汝が一念心上の無分別光は、是れ爾が屋裏の報身佛なり。
爾一念心上無差別光、是爾屋裏化身佛。汝が一念心上の無差別光は、是れ爾が屋裏の化身佛なり。
此三種身、是爾即今目前聽法底人。 此の三種の身は、是れ汝即今目前聽法底の人なり。
祇爲不向外馳求、有此功用。 祇(た)だ外に向って馳求せざるが爲に、此の功用有り。
據經論家、取三種身爲極則。 経論家に拠らば、三種の身を取って極則と為す。
約山僧見處、不然。 山僧(さんぞう)が見処に約すれば、然らず。
此三種身是名言、亦是三種依。 この三種の身は是れみょう言にして、亦た是れ三種の依なり。
古人云、身依義立、土據體論。    古人云く、「身は義に依って立て、土は体に拠って論ず」と。 
法性身、法性土、明知是光影。    法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ光ようなることを。
大徳、爾且識取弄光影底人、     大徳、汝しばらく光影ようを弄する底の人を識取せよ。
是諸佛之本源、一切處是道流歸舍處。 これ諸仏の本源にして、一切処是れ道流が帰舎の処なり。
是爾四大色身、不解説法聽法。    是れ汝が色身は、説法聴聞する解(あた)わず。 
脾胃肝膽、不解説法聽法。      脾胃肝胆(ひいかんたん)は説法聴聞する解(あた)わず。
虚空不解説法聽法。         虚空は説法聴法する解(あた)わず。 
是什麼解説法聽法          是れ什麼(なに)ものか 説法聴法を解(よく)くす。
是爾目前歴歴底、          汝目前歴歴底(れきれきてい)にして、 
勿一箇形段孤明、          一箇の形段(ぎょうだん)勿(な)くして孤明(こめい)なる、   
是這箇解説法聽法。         是れ這箇(しゃこ)、説法聴法を解(よく)くす。
若如是見得、便與祖佛不別。     若し是(かく)の如く見得すれば、便ち祖仏と別ならず。
但一切時中、更莫間斷、觸目皆是。  但(およ)そ一切時中、更に間断莫く、触目皆な是(ぜ)なり。   
祇爲情生智隔、想變體殊、      ただ情生ずれば智隔たり、相変ずれば体殊(こと)なるが為に、      
所以輪回三界、受種種苦。      所以(ゆえ)に三界に輪廻して、種々の苦を受く。
若約山僧見處、           若し山僧(さんぞう)が見処に約せば、
無不甚深、無不解脱。        甚深(じんじん)ならざるは無く、解脱せざるは無し
(´・(ェ)・`)
(つづく)

277避難民のマジレスさん:2021/02/06(土) 14:06:00 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより現代語訳
諸君、法華経に「三界は安きこと無し、猶お火宅の如し」とあるように、
火宅のようなこの世界は君達が久しく留まる処ではない。
死の殺鬼は一刹那(せつな)の間に貴賎老若を選ばず生命を奪ってしまうのだ。
君達が祖仏と同じになりたいならば、決して外に求めてはならん。
お前達の本来の心に具わる清浄光がお前達の法身仏(ほっしんぶつ)なのだ。
お前達の本来の心に具わる無分別光がお前達の報身仏(ほうしんぶつ)だ。
お前達の本来の心に具わる無差別光が、お前達の化身仏(けしんぶつ)なのだ。
此の三種の仏身とは、今わしの目前で説法を聴いているお前達そのものだ。
外に向って探し求めないからこそ、このような働きがあることが分かる。
経論の専門家は、仏の三身を仏法の究極だとしている。
しかし、わしの見地からはそうではない。
この三身仏は単なる名前で、仮りの拠り所に過ぎない。
古人も「三身仏は仏教の教義から出てきたもので、
仏国土はその概念から設定したものだ」と云っている。
法身仏とか、法性の仏国土などは、明らかに単なる思想や概念に過ぎない。
諸君よ、その思想や概念をちらつかせている本体を見て取らねばならない。
それこそ諸仏の本源であり、お前達が帰り着くべき家郷なのだ。
お前達の生ま身の肉体は、説法も聴法もできない。
胃や肝臓などの内臓も説法も聴法もできない。
また虚空も説法も聴法もできない。
それでは一体何者が説法したり聴法したりしているのだろうか。
今わしの目前にはっきりと居て、はっきりと肉体としての形体はないが
独自の輝きを発しているお前達そのもの、
それこそが説法したり聴法することができるのだ。
もし、そのように理解できれば、お前達は祖仏と同じだ。
そうなれば朝から晩までとぎれることなく、目に触れるもの全てが肯ける。
ただ情念が起こると智慧は遠ざかり、想念が変化すれば本体も変わるために、
迷いの世界に輪廻して、種々の苦しみを受けるのだ。
もし、わしの見地に立てば、全ては深遠極まりなく、
そのままで解脱しないものは無い」。
(´・(ェ)・`)b

278鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/07(日) 00:16:26 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三界に安心はなく、火事の家のようだというのじゃ。
この地獄の主人公は瑞岩が答えた者だというのじゃ。
幻想の自我なのじゃ。

279避難民のマジレスさん:2021/02/07(日) 03:15:34 ID:R5IWtaC60
318  1/2
泉堺衆絶交   泉堺の衆と交を絶つ
耽利好名天澤孫 利に耽り名を好む天澤の孫
靈光失脚大燈門 靈光失脚す大燈の門
梨冠爪履人疑念 梨冠くわり人の疑念
伎倆當機報佛恩 伎倆機の当たって佛恩を報ず

泉堺の衆と交を絶つ
名利を上げることを好む虚堂の孫弟子
大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風は失われた大燈の門
人に疑われるようなことはしない方が良いのである。絶交しても、
小手先の技で、その場に応じて佛恩に報いることもできるのである。

*靈光:大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風のことと解した。
 ・大燈国師:宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)1283-1338、1307、26歳のとき、印可を得た。嗣法の 
 後、約20年草庵にあって京都で乞食行をする。峻烈無比の禅風の故に近づく人も少なかった。 
 ・関山慧玄(かんざんえげん)1277-1361、1329雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明、1342宗峰 
 (大燈)が推挙し、妙心寺開山となった。禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専 
 念した
大燈国師宗峯妙超遺誡
 或いは儻もし一人あり野外に綿絶し、一把茅底。折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、専一に
 己事 を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の 人なり。誰か敢て軽忽せんや。勉旃勉旃。
*瓜田不納履、李下不正冠  かでんにくつをいれず、李下に冠を正たださず:人などに疑われるような事 
 はするなということ。『古楽府・君子行』瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。李すもも 
 の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われるということから。
(´・(ェ)・`)つ

280鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/08(月) 00:04:58 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

泉堺の衆は利益に耽り、名を好むのに天澤の孫弟子というのじゃ。
そんな大燈の門からは既に霊光が失脚しているのじゃ。
李下に冠を直し、瓜の畑で履を直すのは人の疑いを招くのじゃ。
技量に拠って佛恩に報いる心構えが大事なのじゃ。

281避難民のマジレスさん:2021/02/08(月) 01:34:58 ID:QDrltYHs0
319 
泉堺衆絶交2/2 
参學之徒無道心 参學の徒道心無し
紅紫朱色似鍮金 紅紫朱色ちゅうに似たる金
忠言可逆人人耳 忠言逆ふべしにんにんの耳
牛馬面前空鼓琴 牛馬面前むなしく琴を鼓す

くま訳 
参禅して仏道を学ぼうとする者に悟りを求める志が無い
紅紫朱色の法衣、真鍮のような偽物の金。名利を求めてるだけである。
忠言しても聞き入れない人々
愚か者達の前でむなしく法話、説教をしたり、音曲の宴に交わったりしていたのである。

*法衣の色:緋色(ひいろ:黄色がかった濃い赤色)や紫色を上位の色と定めていることが多い。
(´・(ェ)・`)つ

282鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/08(月) 23:14:55 ID:1d4drIFg0
泉堺の参学の者には悟りを求める心が無いのじゃ。
知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものじゃ。
忠言は耳に逆らうというのじゃ。
牛馬の面前で空しく琴や鼓を演奏するようなものじゃ。

283避難民のマジレスさん:2021/02/09(火) 12:00:18 ID:TSYbI.Qo0
くま訳改
第二句:知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものなのだ。

320
蓑笠 庵號   さりゅふ 庵号
樵客漁人受用全 せうかくぎょじん受用まつたし
何須曲椂木牀禪 何ぞもちひん曲ろくもくしょうの禅
芒鞋竹杖三千界 ぼうあいいちくぢゃう三千界
水宿風飡二十年 水宿風さん二十年" "蓑笠 庵號

くま訳
みの笠 庵号
きこり、漁師、誰でも受け入れる。
どうして、寺院で踏ん反り返って偉そに説法する禅などを用いるのだ。
わらじを履き、竹の杖をもって放浪の旅をしながら、三千大世界を廻るのだ。
大燈国師は大悟し後二十年間、師匠大應の指示に従い乞食行をしたのだ。

*曲椂(きょくろく):法会(ほうえ)の際などに僧が用いる椅子(いす)。背のよりかかりを半円形に曲げ、
脚をX字形に交差させたものが多い。

この詩は、蓑笠庵紹徳山主と関係あるのか、よく分からないのである。
この詩を印可の証と勘違いしたのでありましょうか?あるいは、 破門はしたものの、友達だったので、励
ましの詩を贈ったのでありましょうか? 
・一休さんと蓑笠庵紹徳山主は、元は仲良しだったのである。真珠庵蔵一休像に付されてる讃は蓑笠庵紹徳 
 山主の求めに応じて、一休自ら付したもの・・・だったらしい。
・しかし、ある時、一休は会下にあった曹洞宗の蓑笠庵紹徳山主を擯斥している。
 一休会下二曹洞ヨリ来ル者、アヤマラサルハスクナシ。中ニモ蓑笠庵ハ、名聞ヲコノム人ニテ、印可ヲノ 
 ソム。又、カタヲカノ太郎左衛門ト云者、仏法名聞アリ。彼等ハ、我死後ニハ、一定、一休ノ印可也ト云
 テ、クチタテヲスヘシ。我ハ華嬰ヨリノ印可ナシ壬華曼モ亦壬言外ヨリノ印可ナシ。サルポトニ、人ヲモ
 印可スルコトアルヘカラス。
 一休の会下において、自分は一休より印可を得たと称する輩が後を絶たなかった(飯塚大展先生)らしい 
 のである。
参)https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>669 崇宗蔵主絶交
(´・(ェ)・`)つ

284鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/09(火) 23:50:11 ID:1d4drIFg0
蓑笠庵は名聞を好み、一休の印可を欲しがったというのじゃ。
それを諌めているのじゃな。

樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのじゃ。
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのかというのじゃ。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのじゃ。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのじゃ。

その孫弟子達に何故名聞が必要なのかというのじゃな。

285避難民のマジレスさん:2021/02/10(水) 04:45:10 ID:4B.mEajw0
くま訳全面改
樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのに、
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのか。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのである。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのだ。

321
謹奉録呈
 一休老和尚座下  
  
  狂風徧界不曾蔵   狂風偏界かつてかくさず
  吹起狂雲狂更狂   吹き起こす狂雲 狂さらに狂
  誰識雲収風定處   誰か識る雲収まり風定まる処
  海東初日上扶桑   海東の初日 扶桑に上がらず
  
  幻住孫眞建 九拝  幻住の孫眞建 九拝

和韻
慙愧聲名不覆蔵 慙愧す聲名の覆蔵せざるを
佯歌爛醉我風狂 佯歌爛醉我れ風狂
吟懐夜夜中峯月 吟懐夜夜中峯の月
幻住僧無三宿桑 幻住の僧に三宿の桑無し

くま訳
謹んで一詩奉る
 一休老和尚様へ
  狂風は、何ものをも隠すことはない
  一休和尚が巻き起こす旋風が、世間に吹きまくる。
  この風が何をもたらし、何時やむのか、誰もしらない。
  大風がやむまで、日本國禅宗は始まらない
 
愧じているのである。名声を隠せないでいることを。
戯れ歌を詠み、飲んだくれるのが、我風狂である。
詩情を湧き立たせる夜毎の山頂の月なのである。
眞建和尚の師匠、幻住道人は桑の木の下に三泊せず、人の恩恵を受けず絶切ったとのことでありますが、か
く在りたいものである。

*和韻(わいん):他人から漢詩を詠みかけられた時などに、それにこたえて、その詩と同じ韻字を用 
 いて詩を作ること。次韻・用韻・依韻の三体がある。
*眞建和尚:中峰明本の法脈を承ける幻住派の僧
*幻住和尚中峰明本(ちゅうほう みんぽん、1263-1323)元代。臨済宗楊岐派の禅僧。智覚禅師。幻住道人。
 南嶽懐譲下の第22世。定住処を持たず、「幻住庵」と名づけた庵を各地に造って、そこに仮寓した。
 1318年には、仁宗によって宮中に召されたが、応じなかったが、金襴の袈裟を下賜され、さらに「師子 
 正宗寺」の院号を賜った。「教禅一致」や「禅浄一体」をも主張している。実際、明本は浄土信仰者で 
 あった。
*遍界不曾蔵:遍界とは遍法界のこと。「遍界、曾て蔵さず」と訓じ、この世界には、何ものをも隠すこと 
 はないこと。道理は常に顕れきっていることから、容易に形而上学的な思考を弄ぶことを諫めた言葉。
*腹蔵・覆蔵:心の中に秘め隠すこと。
*佯:いつわり・さまよう・あざむく
*爛:ただれる・あふれる
*吟懐:詩歌を作りたいという思い。また、 思いをこめた詩歌。
*韜晦(とうかい):才能・地位などを隠し、くらますこと。姿を隠すこと。行くえをくらますこと。
*僧は桑の木の下に三泊しない。人の恩恵を受けず絶ちきるの意『後漢書』裏楷伝
(´・(ェ)・`)つ

286鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/10(水) 22:09:44 ID:1d4drIFg0
一休と弟子の交流じゃな。

狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧というのじゃ。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるのじゃ。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知るじゃろうかというのじゃ。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのじゃ。

自分の名声が隠せないことを恥じるというのじゃ。
詩を詠い酒に酔う我は風狂であるのじゃ。
夜中に峯月を詠む心地なのじゃ。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのじゃ。

287避難民のマジレスさん:2021/02/11(木) 11:19:25 ID:8lHBfo7Y0
読み下し訂正; 扶桑に上がらず⇒扶桑にのぼる
くま訳全面改
眞建より一休和尚へ
狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧であります。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるでありましょう。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知ることが出来るでありましょうか。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのであります。

和韻 一休より眞建和尚へ 
自分の名声が隠せないことを恥じるのである。
詩を詠い酒に酔う我は風狂なのである。
夜中に峯月を詠む心地なのである。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのである。

322
示衆
参玄衲子道難成 参玄衲子みちじゃうじ難し
但願皈依常不輕 但だ願はくは常不きゃうに帰依せんことを
一片吟懐向誰解 一片の吟懐誰に向ってか解かん
楚雲湘水十年情 楚雲湘水十年の情

くま訳
弟子達に示す
仏道修行を完成させるのは難しい。
只、願わくは、人皆成仏するとして、会う人毎に軽んずることなく礼拝した常不軽菩薩に帰依したまえ。
この一片の詩情を誰に向って解いていると言うのか、まさに君達に向かって説いているのだ。
雲水行脚十年、師に法を追い求める情を詠っているのだ。

*参玄衲子:玄玄微妙の法を實参實究する人に意、仏道修行の人のことなり。(禅学大成脚注)
*楚雲湘水:楚山の雲、湘江の水で、楚雲湘水の辺りを行遊したこと。行脚多年、善知識に法を求むる情を 
 いふ。(禅学大成脚注)
*常不軽(ジョウフキョウ):「法華経」常不軽菩薩(ぼさつ)品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、
 会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという。
*善知識・善智識:善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、 
 教え導く教導の三種を数える。禅宗では師僧を尊んでいうことがある。
(´・(ェ)・`)つ

288鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/11(木) 22:04:08 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

仏道は成り難しというのじゃ。
ただ不軽菩薩に帰依せんことを願うというのじゃ。
一片の吟懐は誰に向かって説くのかというのじゃ。
十年師を求めてさまよう者に情けをかけたのじゃ。

289避難民のマジレスさん:2021/02/12(金) 03:16:20 ID:xZ7o5x6w0
乙石御用人・・・何者でありましょうか?やんごとなき武家のお嬢様でありましょうか?
323 
乙石御用人向妙勝寺眞前髪置賀頌 乙石御用にん、妙勝寺のしんぜんに向かひ、髪置の賀頌 
三歳生年小女兒 三歳のせい年小女児
終吾門老比丘尼 つひに我が門の老比丘尼、
壽算婆裙錦延錦 寿算婆くん綿延の錦
孾孩垂髪白如絲 えいがい髪を垂れて糸よりも白し

くま訳
乙石御用人、妙勝寺の前で髪置の儀式の賀頌を詠む。 
三歳の女児、
いずれ報恩庵の老比丘尼となり、
長寿めでたく、裾から錦の衣が見えるまで。
赤ん坊の頭に白髪になぞらえた白糸などを置いて祝う。

*妙勝寺:酬恩庵の旧称
*髪置(かみおき):幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめるときの儀式。髪立,櫛置などともいう。
 平安時代末期から行われた。綿帽子,白髪になぞらえた白糸などを頭上に置いて祝う。公家では2歳で,
 武家では3歳の 11月 15日にこれを行い,5〜6歳になると髪削 (かみそぎ) ,深曾木 (ふかそぎ) と 
 いって将来の生髪を祝う儀式を行う習慣があった。
*嬰孩(えいがい):赤ん坊。ちのみご。嬰児 (えいじ) 。
*垂髪(すべらかし);女性の髪形の一。前髪を膨らませ、後頭部でそろえて束ね、背中に長く垂らしたもの。 江戸初期まで成人の女子の髪形であったが、のちには高貴な婦人の正式な髪形となった。さげがみ。すべ 
 しがみ。すべしもとどり。おすべらかし。
*綿延(めんえん): 長く連なり延びること
(´・(ェ)・`)つ

290鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/12(金) 23:47:29 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三歳の女子が我が門の老比丘尼になればよいというのじゃ。
年を数えて老婆の腰巻が伸び、幼子の垂れ髪は糸の如く白くなるまでというのじゃ。

291避難民のマジレスさん:2021/02/13(土) 00:26:59 ID:td4//x260
324

暫時此地弄精魂 暫時此の地に精魂を弄す
臨済後身興祖門 臨済の後身祖門を興す
美譽芳聲世間外 美誉芳声世間のほか
五雲天上月林孫 五雲天上月林の孫

くま訳
ほめたたえる
しばらくの間この地で修行するのである。
臨済の後継者(月林道皎)が宗門を興した
京都五山の名誉や評判などは俗世間での話である。
天女の住むような寺で、月林道皎の孫弟子(山名宗全)が再興したのだ。

*ここで詠まれてるのは、京都五山の一つ長福寺と解してみた。
 長福寺:最初は天台宗に属していたが、1339年、月林道皎が入寺して臨済宗の寺院に改められ中興され 
 た。応仁の乱で焼失するが、山名宗全によって再興された。
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183  
 264
*五雲:五色の雲・青黄赤白黒。五色を備えた雲は、古来仙女の住むところうとされ、慶事の言葉。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
*月林道皎(げつりん どうこう/どうきょう1293-1351))松源派の僧侶。普光大幢国師。大徳寺の宗峰 
 妙超に学ぶ。後に花園上皇の帰依を受けるが、1322年に元に渡り、文宗皇帝から仏慧智鑑大師の称号を
 贈られたが、師の古林清茂が没した翌年の1330年に帰国した。梅津清景の庇護によって天台宗の寺院で 
 あった長福寺を与えられ、これを禅寺に改めて開山となった。
(´・(ェ)・`)つ

292鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/13(土) 23:06:05 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
長福寺に滞在したのじゃな。

しばらくこの寺で精魂をいじるのじゃ。
臨済の後進の者がこの寺を興したのじゃ。
世間の名声とは無縁の寺なのじゃ。
五雲天上の者の如き月林の孫弟子なのじゃ。

293避難民のマジレスさん:2021/02/14(日) 07:40:37 ID:phtihVVY0
325
心念所作
三十年來江海情 三十年來江海の情
空吟野水釣船横 空しく吟ずや水てう船の横たはるを
偶然我負子陵業 偶然に我子陵が業にそむく
興在詩非勦絶名 興は詩に在りてさう絶の名にあらず

くま訳
心のはたらきと所作(の我が実際)
三十年来俗世間を離れていた心のはたらき。
空しく吟じ、野川の釣船で横たわり過した。
たまたまわしは、子陵の生き様に反することになった。
詩作は楽しみであり、滅ぼしつくすものではないのだ。

*四念住;肉体が不浄のものであると知る「身念住」・感覚されるものは畢竟苦であると知る「受念住」・
 心は無常であると知る「心念住」・事物は無我であると知る「法念住」。常楽我浄の四顚倒を退治する修
 習法
*隋自意三昧
*江海:① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。③ 量が莫大なことをたとえていう語。
*情󠄁:1.人間の心のはたらき。こころ。きもち。意地。2.快・不快を主とする意識の主観的側面。
*勦絶(ソウゼツ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*子陵:厳光(げん こう)紀元前39 -41)後漢時代初期の隠者・字は子陵、若くして才名あり、のちの光武
 帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を
 惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、
 長安に召し出された。厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけ 
 だった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝 
 の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥 
 したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山で農耕をして暮ら 
 し、その地で没した。
(´・(ェ)・`)つ

294鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/14(日) 23:37:25 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三十年来野に暮らしたのじゃ。
川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのじゃ。
偶然子陵とは別の生業をすることになったのじゃ。
しかし、詩は楽しいからやめないのじゃ。

295避難民のマジレスさん:2021/02/15(月) 00:12:23 ID:e8HPhVb.0
くま訳改
第二句:野川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのだ。
第四句:詩は楽しいからやめないのだ。

326
佛誕生
三世一身異號多 三世一身異号多し
何人今日定誵訛 何びとかこんにちごうがを定めん
娑婆来往八千度 娑婆来往八千度
馬腹驢胎又釈迦 馬腹ろたいも又釋迦

くま訳
法報応(ほっぽうおう三身)の仏は一つであるが、異なった多くの呼ばれ方をする。
誰が、今日、この仏の現われの入り組んで、むつかしきを正しく理解できているのか
衆生教化のために、この世に来生されたことが、すでに八千遍に達すると、言われるのだ。『梵網経』
馬や驢馬の子も、万物ありのままが釈迦なのだ
あるいは、見るロバも見られる驢馬も又釈迦というのが、法身のたとえである。『従容録』第五二則

*誵訛(ごうが):聱訛とも書く。いりくんで、むつかしきこと
*三世:有為の事物は一刹那の間も止まらず、生じ終わると直ちに滅す。よって来生を未来世となし、生じ 
 たるを現在世となし、滅し終えたるを過去世となす。仏教では、時間を実体的に捉えず、つまり実在する
 ものとは見ない。変化し移ろいゆく現象や存在の上で、仮に3つの時間的な区分を立てるに過ぎないとす 
 る。
*三身:      [説明]                   [三徳]  [仏 / 如来] 
法身(ほっしん) 宇宙の真理、仏性。 法身 毘盧遮那仏
報身(ほうじん) 仏性のもつ属性、はたらき。修行して成仏する姿。般若 阿弥陀仏
応身(おうじん) この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿。解脱 釈迦牟尼仏

*井の驢を覷るが如し:『従容録』第五二則「曹山法身」に出てくる言葉で、仏の真法身は虚空のようであ 
 るが、物に応じて形を現す。その様子を徳上座が「驢の(驢馬が)井(井戸)を覷(見)るが如し」と 
 言ったのに対し、まだ不十分だとして、曹山禅師が言った言葉が先の「井の驢を覷るが如し」
 驢馬にも目があるので井戸を見れば、主観(見るもの)と客観(見られるもの)とが成立する。しかし、 
 井の驢を覷るが如しでは、目のない井戸が見るとは、無心で見るあり方を言っていると考えらる。
(´・(ェ)・`)つ

296鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/15(月) 23:39:44 ID:1d4drIFg0
仏は三世に一つの身でるが名前が違うというのじゃ。
誰がその正邪を定められるのかというのじゃ。
八千度も娑婆世界に生まれかわって法を説いているのじゃ。
馬もロバも皆釈迦というのじゃ。

三世の娑婆世界も一切衆生も皆仏ということじゃな。

297避難民のマジレスさん:2021/02/16(火) 00:38:02 ID:yHQUUtXM0
一休さんの元気がでる説法!
327
送僧行脚    僧の行脚を送る
参禪学道扣玄人 参禪学道玄をたたく人
世界蒲鞋脚下塵 世界のほあい脚下の塵
象骨老師三九旨 象骨の老師さんくの旨
常成飯頭苦心身 常に飯ぢゅうとなって心身を苦しむ

くま訳
行脚に出発する僧を見送る
参禪して、仏道を学び、奥深い道理を尋ねる人よ、
世界は足下のわらじの塵である。
象骨山に崇聖寺(すうしょうじ)を開いた雪峰義存は、投子大同(とうすだいどう)、洞山良价(とうざ
ん・りょうかい)にそれぞれ三度九度会いに行ったがなかなか大悟できなかったが、徳山の下で大悟した。
その間常に禅寺の食事係となって心身を苦しめたのである。

*玄:奥深い道理であり、あらゆる事物の根本の道。
*扣(たたく):①ひかえる。ひきとめる。 ②たたく。うつ。 ③さしひく。へらす。 ④尋ねる。問う。
*雪峰義存禪師922-908:象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。 
 三度、投に到り、九度洞山に上りて、参學甚だ黽(つと)むるも、縁遂に徳山に契(かな)ひ、祖の法を嗣 
 承す。善知識を求むるに汲々たるをいふ。
 洞山の命令で徳山宣鑑 に師事して、巖頭に諭されて大悟した。巖頭、欽山と3人で巡歴の旅が有名。
*飯頭(ハンジュウ・はんとう):禅寺で、粥飯(かゆめし)を大衆(だいしゅ)に供する役僧.
(´・(ェ)・`)つ

298鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/16(火) 23:10:48 ID:1d4drIFg0
大体その通りじゃな。

参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、世間を草履についた塵の如く捨てるのじゃ。
象骨の老師もかつては師匠に三度九度と道を尋ね、常に飯係となって苦心したのじゃ。

299避難民のマジレスさん:2021/02/17(水) 00:14:55 ID:sz5TEFYA0
くま訳改
第二句:参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、
第三句:世間を草履についた塵の如く捨てるのだ。

水葬になった庵主さんを探してみたが不明でありました。
328
學林宗参庵主水葬
参禪学道閙忽忽 参禪学道ねうそうそう
六十年來任變通 六十年來變通に任す
流水千江機輪轉 流水千かう機輪轉ず
閻浮樹下月如弓 閻ぶ樹げつき弓の如し

くま訳」
學林の宗参庵主が水葬された。
参禪学道の弟子達は騒がしくしているが、心空ろなようである。
六十年來柔軟に対処してきた方であった。
川の流れにより回る水車のように、鋭敏な禅機を働かせてきた方であった。
春の三日月を見ながら古人を偲ぶ。

*閻浮樹:印度の所在にある喬木にして、四五月頃花開き、深紫色の果を結ぶ。閻浮提州の北方に産す。
*閙(ニョウ・ドウ・ トウ・さわが-しい)
*忽忽(こつこつ・そうそう):①速やかなさま。たちまち変わるさま。②心がうつろなさま。 「心も-と 
 してどこへ行くやらん覚えぬやうなり③我を忘れて、うっとりしているさま。
*変通:その場その時に応じて、自由自在に変化・適応してゆくこと。
(´・(ェ)・`)つ

300鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/02/18(木) 00:51:56 ID:1d4drIFg0
どこかの庵主を水葬にしたのじゃな。

葬式に集まった僧達が騒然としながらも失意におちているのじゃ。
六十年来臨機応変に生きてきた者だったのじゃ。
流れる水が千の川を潤し水車を回すようなものじゃ。
閻浮樹の下で月が弓の如くであるのを見るのじゃ。

301避難民のマジレスさん:2021/02/18(木) 01:14:29 ID:NK3zmx/U0
329    1/2
示榮衒悪知識 二首 榮衒の悪知識に示す
参禪婆子楊花帳 参禪の婆子楊花のちょう
入室美人蘭蕙茵 入室の美人蘭けいのしとね
近代箇邪師過謬 近代箇の邪師の過びう
馬牛漢非是人倫 馬牛の漢是れ人倫にあらず

雑学の世界HP訳・解説より
女をまっ白なとばりの中に入れて参禅をさせ、
香りのいい美しい敷物をしいた室に美人を入れて、これまた参禅をさせる。
近頃のこの邪悪老師の間違ったやり方は、
馬や牛と同じであり、人間ではない

「楊花」とは、柳絮(りゅうじょ)と同じく、中国の柳の花であるが、ここではまっ白な幔幕(まんまく)を形
容したものである。
蘭蕙 とは、元来二種の香りのいい草で、それを一語にすると、漢詩文では、よく女性のイメージとして使
われる。
これは、第一句・第二句で示されるような、女性を参禅させることに対して、養叟を痛烈に攻撃している詩
である。


くま訳
名利を求め、邪法を説く悪僧に示す
参禪する女を、白いとばりの中さそい
香のいい部屋に美人を入室させる
最近この邪師が犯しているあやまちは、
畜生同然であり、人倫に反しているのである。

*栄衒:自分をひけらかして売り込み栄華を求めること。虚栄心、支配欲のかたまり。名聞利養に邁進する 
*悪知識:悪法・邪法を説いて悪に誘い込む人
*楊花(ようか):柳の花。また、なよやかな美女をたとえていう。
*蘭蕙(ランケイ):蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。
(´・(ェ)・`)つ


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