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鬼和尚の仏教講読会 別館2

233避難民のマジレスさん:2021/01/18(月) 13:58:26 ID:eA/TPUFU0
287 臨済録パロディーで山居を嘆く
山居
孤峰頂上出身途 孤峰頂上出身の途
十字街頭向背衢 十字街頭かうはいのちまた
空聞夜夜天涯雁 空しく聞く夜夜天涯の雁
郷信封書一字無 郷信の封書一字も無し

くま訳
孤峰頂上は、解脱した者の道である。
街中にあれば、迎合したり、対立したりすることもあるのである。
山居していると、空しく夜毎雁の鳴き声を聞くことになるのである。
故郷からの便りはない。封書どころか、一字とてないのである。

*出身:解脱する、解脱せしむるの両方の意味があり(円覚寺HP解)
*向背:正面を向くことと背面を見せること、迎合と背棄。(円覚寺HP解)
*昔漢の蘇武、雁の足に書をつけて故国に放つ、時の昭皇帝の上林宛てに幸ありし時、雁の足に文付け来る、
 帝の傍らに下り来る、之を取って見、蘇武の書の細々しき誠忠の程、伺わさせられて、やがて帰国叶い、 
 元の燗に復しけりと。故に音信を一に雁書ともいひ、その昔を偲ぶなり(国訳大成 脚注)

おまけ:臨済録 上堂 (沢田天瑞先生・庭園の構想に関する研究Ⅲより)
 一人在孤峰頂上無出身之路、 一人は孤峰(こほう)頂上に在って、出身の路無く
 一人在十字街頭亦無向背。  一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。
 那箇在前、那箇在後。    那箇(なこ)か前に在り、那箇かしりえに在る。
 不作 維摩詰、不作 傅大士。 維摩詰となさざれ、ふだい士となさざれ。
 珍重            ちんちょう
 
円覚寺HP解説抜粋
 孤峰頂上にあって、人を導く方便を持たない・・・、徳山禅師を念頭においていると言われます。
 峻厳一徹の徳山禅師は、誰がなんと言おうと三十棒を与えたのでした。
 しかし、臨済禅師は、そうではなく、人に応じて自在に教えを説かれました。
 否定するだけではなく、相手の境地に応じた教えを説いたのです。
 ですから臨済禅師は、この二人のありようを示しておいて、自分は後者を取ると言いたいのだと思われま 
 す。

沢田天瑞先生訳
 一人は孤峰の頂上ともいうべき悟りの絶対的な世界な世界にとどまって、その世界から出て活動する路がなく、
 もう一人は十字街道ともいうべき世俗の相対的世界にとどまって、進退の自由を失っている。
 いずれに優劣があるかといえば、いずれも取るべきものがみられない。
  維摩居士か、それとも傅大士か、などとこの二人をなぞらえて考えてはならない。
 ご苦労さま。
 
*維摩詰:維摩経に登場する主人公で、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪。学識 
 に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。
*傅大士(ふたいし):[497〜569]中国、南北朝時代の在俗仏教者。善慧大士と号し、双林寺を建て、大
 蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。俗に「笑い仏」といわれる。
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