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鬼和尚の仏教購読会 別館

1避難民のマジレスさん:2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ

774鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/29(木) 22:22:36 ID:1d4drIFg0
何の修練も無く静かにしていることで人は悟れるというのじゃ。
何かになろうとするのではなく、それであることで悟りも訪れるのじゃ。
既に存在している意識に気付くだけで善いのじゃ。
それがすべてを悟らせてくれるのじゃ。

775避難民のマジレスさん:2019/08/29(木) 22:42:43 ID:LC3de7YgO
>>773
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-c(つづき)

真我探求についての疑問を取り除く

Q:瞑想者を探し出して「それ」になろうと何年も努力していますが、「それ
」を探し出すことができません。
 
 それなら、それを見つけようとしないことだ。
それなら、あなたの探求をあきらめなさい。
疲れたのなら探求をやめて「長い間探求してきた。いまだに見つけることがで
きないとしたら一体何があるのだろうか?」と尋ねなさい。

 さて、助けを求めて誰かを探さないこと、すべてをあきらめなさい。
瞑想と探求をあきらめなさい。
さて何が残っている?

Q:パパジ、私は完全に理解したわけではありません。
しかし、恩寵が差し迫っているのを感じます。
 
 なぜ未来に延期するのかね?
 それはあなたが静かでないということだ。
静かにしていることが最終的な経験だ。
これ以上何も必要ない。未来に延期して何かをしようとするならあなたは静か
でないということだ。

 静寂とは内なる静寂だ。
唇ではなくマインドが静かでなければならない。
そう、内なる静けさを保つように勤めなさい。
思考がやってくると静かにしていることはできないので思考を起こさないこと。

 静かにしているのに努力は要らない。
努力しないこと、どこからも思考が
起こるのを許さないこと。
これが静けさと呼ばれる。
これに成功したならあなたは終わりだ。
これ以上何もすることはない。

Q:マインドが「それ」そのものに向かっていく課程を説明することができま
すか。
 
 マインドの向きを変えなさい。
何が起こるか見てみよう。

 マインドが今いる状況から、型にはまって動きが取れない状況からマインド
の向きを変えなさい。
対象から、対象のないところに向きを変えなさい。
対象がないかぎり、マインドはマインドでありえない。
「ボール」がない時「バット」には何の意味もない。

 マインドの向きを変えなさい。
そうすると対象に触れることはできない。
その時何が起こるか?
マインドの向きを変えて対象から離れたそのときのマインドの状況は何か、説
明しなさい。

 私はあなたのマインドの向きを変えることはできない。
あなた自身でやらなければならない。
眠りに入るとき、毎夜、マインドの向きを変えている。
あなたのマインドを内に向けると、どんな感じがするかね。
あなたが眠るときマインドは内に向けられる。
これをどのように説明するかね。
 
 もしマインドを内に向けたなら、あなたの顔つきが変わるものだ。
もし何かを説明することができるのなら、マインドはまだ作用していて、向き
を変えていないということだ。

 マインドの向きを変えたら、ノーマインドだ。
説明者なし、説明なし、説明するものは何もない。
これがマインドを内に向けた後の状況だ。
やりなさい。やりますと言っているだけではだめだ。

 真我探求は非常に簡単だ。
あなたの好きな所ですることができる。
家で、会社で、街中で。ただ、この思考「私は誰か」をいつも持っていて理解
しようとしなさい。

 「この全てはいったい何なのか?」
「どこからこの世界がやって来るのか?」
「誰が苦しんでいるのか?」「どのようにして苦しみを取り除くのか?」

 「私は誰か?」探求しなさい。どこへ行こうともこれをするのにたいした努
力はいらない。
いつかサットサンガに出席して、探求は終わりになるだろう。
毎日、人々は2-3時間ここにやって来て恩寵を得て、彼らの国へ帰っていく。
(´・(ェ)・`)つ

776鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/30(金) 22:54:48 ID:1d4drIFg0
自分を観る努力しすぎることで見えないことも在るのじゃ。
観るという努力がその主体を遠ざけるのじゃ。
前ばかり向いて走っていては後ろが見えなくなるようなものじゃ。
その探求が無意味である訳ではないのじゃ。
一休みして振り向けば自分を観る助けになったことを知るじゃろう。

777避難民のマジレスさん:2019/08/31(土) 00:05:32 ID:LC3de7YgO
>>775
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-d

Q:「私は誰か」と言うこの質問をすると、静かにしていることができません。
疑いが起こってきます。でも心の平安を望んでいます。
 
 あなたが静かでないということは、この質問が正しくなされなかったということ
だ。
マインドそのものにこの質問をしなければならない。
この思考(私は誰か)の源にこの質問をしなさい。

 「私は誰か」という質問はどこからやってくるのかまず理解しなさい。
壁から? 本から? この「誰」はどこからやってくるのか?
 この質問をこの「誰」に尋ねなさい。

 静かにできないと話すこと自体が静寂からあなたを連れ戻す。
探求はあなたを家に連れ戻すことだ。外に連れ戻すべきでない。
 
 さて「誰」がどこからやって来るのか尋ねなさい。顔を後ろに向けなさい。
人々のマインドは前向きに働いているので問題がおこる。逆方向に働かねばならな
い。
逆戻りして「誰」がどこからやってくるか見つけなさい。

Q:源泉を見つけることができません。
 
  「誰」の以前に何がある? 何もすることはない。(パパジはテーブルの上に
ある水の入ったカップを持ち上げて)このカップはどこからやってくるのか?
 このカップはテーブルからやってくる。このように単に見つけ出しなさい。
そう、もう一度、この質問はどこからやって来るのか?

Q:それを見つけることができません。
 
 それを見つけることができないこの「私」は何か?

Q:私のマインド。
 
 マインドと「私」は同じものだ。マインドの以前に何がある?
 「私」が起こってくるとき、それはどこからか起こってくるに違いない。
どこから起こってくるのかね?

Q:わかりません。
 
 対象を捜しだすには見る人が必要だが対象には触れてもらいたくはない。後ろを
向いて欲しいのだ。
「私」が起こってくる源をただ見なさい。あなた方は対象を見ることに慣れてしま
ったが、私たちが話している「これ」は対象ではないので対象化することはできな
い。

 対象ではない「それ」にマインドを逆戻りさせなさい。対象は現われて消え去る。
あなたの肉体は対象で、「それ」は対象ではない。

Q:それを感じることができません
 
 「それ」は「私」以前にあるので、もちろん「私」はそれを知覚することはでき
ない。
だからこの「私」には触れないこと。「私」はマインド、思考だ。

 それに触れないこと。「私」に触れないで答えて欲しい。

Q:私にはできません。
 
 「私」に触れるなと言っただろ!!

Q:この真我探求をいつもし続けるのですか
 
 真我探求をいつも続けてする必要はない。それをやる必要があるのは、一度
だけだ。繰り返す必要はない。

 「私は誰か」見つけ出すだけでよい。
そして、その答えは「今」見つかるだろう。尋ねなさい!
「私は誰か」耳を傾けて聞きなさい!それについて考えないこと!ただ一度だ
け尋ねなさい。
それについて考えないこと、答えを見つけようと努力しないこと。
私が言っていることが分かるかね?
 
 どんな思考もマインドの中に保たないこと。
真我探求でさえも保たないこと。
真我探求も又思考だ。
そして、努力をしないこと。
この真我探求を維持したいというのは傲慢さだ。
一度だけ尋ねなさい、そうすると答えはそれ自身で現われる。
あなたは命令することも、要求することもできない。
 
 それが、自然と現われるのを時間をかけて待ちなさい。
それは対象でもないし、主体でもない。
どんな対象もマインドの中に保たないこと。
なぜこれが起こって来るのを、黙示を、この真実を強制するのか?
それにあなたの世話をさせなさい。
ただこの真理に降伏して、静かにしていなさい。
 
 静かにしてそれが現われるのを待ちなさい。
あなたが静かでないとその黙示は起こらない。
それは自然と現われる。
それは見せ物ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

778鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/31(土) 22:58:39 ID:1d4drIFg0
探している者が探されている目標のものである時、探求は困難になるのじゃ。
そのように探求している主体こそ見られるべきものなのじゃ。
それに気づくのはむしろ探求を休んでいる時が多いものじゃ。
蝉の声とか鳥の音とかの何かのきっかけで気付く時が来るのじゃ。
探求の努力も無意味であった訳ではないのじゃ。
そこに至るまでの集中の努力が効果をもたらしたのじゃ。

779避難民のマジレスさん:2019/09/01(日) 08:36:50 ID:LC3de7YgO
>>777
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-d(つづき)

Q:それは存在のようです。
 
 何であろうとも。「存在するもの」は黙示だ。
この「存在するもの」に無理やり何かをさせることはできない。
静かにしていると,この「存在するもの」がそれ自身で現れる。

 その名は「存在するもの」だ。
「存在していた」でもなく、「存在するだろう」でもなく、いつも「存在して
いる」。

Q:あなたが言っていることをするには努力が必要だと思いますが…。
 
 何かが落ちるのにどんな努力が必要かね?
頭にやって来る対象をただ振るい落とすだけだ!!

 暑い夏の盛りに、ある男が頭の上に100kgの岩を乗せて運んでいた。
彼はある人の所にいって助けを求めた。
その人が言うには「10kgの鉄を持っていきなさい、鉄は岩より値打ちがあ
る。」そう、今110kg。

 他の人は銅を与えた。「それは鉄より値打ちがある」しかし、今度は120
kgが頭の上にある。
このように、あなたがどこかに行く度に、彼らはあなたの頭に、あなたのマイ
ンドに、重荷を果せる。

 頭の上にどんな重荷も載せない教師は誰か?
彼らは、「この本を読見なさい」「この練習をしなさい」と、あなたのマイ
ンドに重荷を加える。
重荷とは、思考、練習、ビパサナ、ウパサナ・・これらを与える教師を受け入
れないことだ。教師としないことだ。

 本当の教師はどんな重荷も果せない。
説教師だけが重荷を果す。
あなたは以前に説教師といたに違いない。
 
 ただ静かにしていなさい。
生まれて来る前、あなたは靜かであった。
死んだ後もあなたは静かになる。
そう、なぜ今静かにできないのかね。
本当の休息は静かにしていることだ。

 苦しみがあると考えるとき、リラックスすることはできない。
リラックスして幸福であるときは、あなたは何も考えていない。
あなたの幸福は欲望の対象物を手に入れることからやって来るのではない。

 幸福は対象への欲望がなくなったときにやって来るのだ。
欲望がなくなると、思考がなくなり、幸福がある。

 ほとんどの人は、思考でさえ気がつかない。
そして、思考の流れに押し流されてしまう。
警戒していなさい。いつでも思考がやって来るときはそれを見つめなさい。
そうすると、思考は消えていく。

 考えること無しに人生の日課を終えていくとき、唯一あなたはそれを本当に
楽しんでいるのだ。
来るものは来させなさい、行くものは行かせなさい。
あなたはただ見ているだけだ。
 
   瞑想とはマインドが思考を掴まえず、自由な状態の事だ。
   思考を往来させて後を追いかけていかないことだ。
   街を歩いている誰かに顔を向けて見たらあなたは見失ったことになる。
   
   ただ行かせるのがよい。
   これが人生の幸福への道だ。
   プラットホームに汽車は行ったり来たりするが、
   あなたの目的地に行く汽車に乗りなさい。
   乗りつぎの待合室で友達を作らないこと。
   彼らはあなたが行く所には行かないのだから心が乱されるだけだ。
   この世界は人々の乗りつぎ待合所だ。
   マインドは思考の乗りつぎ場所で永遠のホームではない。
   だから、行ってしまう人々と友達にならないことだ。
   あなたと同じフライトで旅する人と友達になりなさい。
   「それ」と友達になりなさい。
(´・(ェ)・`)つ

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/01(日) 21:28:55 ID:1d4drIFg0
知識や思考が多いほど不安や苦も増えるものじゃ。
不幸なことが何でも起こる可能性があると思うからのう。
知識や思考が無い時、幸福も在るのじゃ。
今ここにあることが出来るからなのじゃ。
今ここには不安も苦も無いのじゃ。

781避難民のマジレスさん:2019/09/02(月) 08:10:43 ID:LC3de7YgO
>>779
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e

Q:私は幸福に踊り続けていたいのですが、マインドとハートが戦うのを避け
ることができません。
 
 この戦いは不可能だ。戦いが起こるのはマインドがあるときだ。
ハートがそこにあるとき、マインドは存在しないので戦いはない。
あなた自身の真我と関係をもたないとき、戦いが起こる。
その時、思考の軍隊の指揮官はマインドだ。
ハートをもう一度見てごらん。

Q:ハートを見ようとするといとも簡単に感覚機能に取り付かれて捕まってし
まいます。
ハートだけを見る為に完全にマインドの働きを止めることができません。
  
 感覚の役目とは、五感の一つを通じて、対象を観察するということだ。
感覚を通じて、対象を見るとき、誰が感覚に気づいているのか?
これをやるべきだった。誰が感覚に気づいているのか?
それを知性と呼んでもよい。知性は感覚の役目を知っている。
誰が知性に気づいているのか?

 マインドは決定力のある知性に気づいている。
そうして、感覚、そうして対象がやって来る。
誰がマインドに気づいているのか?
それを「私」と呼んでもよい。

「私」がマインドに気づいている。
マインドは知性に気づいている。
知性は感覚に気づいている。
感覚は対象に気づいている。
誰が「私」に気づいているのか?

 今、あなたは思考のない所へ、沈黙へと、平和へと、源泉へと、戻っていく。

 これが全ての働きをとめる方法だ。
どこからエネルギーがやって来るのか見つけなさい。
いつも平和であるものは何か、決して騒がされないものは何か見つけ出しなさ
い。

 あなたが気づいているということを、どうして知っているのかね?
「私」が気づいているとどうして知っているのかね?
 「私」という思考よりももっと深いところに行かねばならない。

「私」よりも以前にあるものは何か?
あなたが「私」だと誰が決めているのか?

 あなたは5ステップ感覚より後にいる。
そこが平和の源泉だ。
あなたのホーム、自由とも、意識とも言われている。
 もう一歩後ろに、意識以前に下がることもできる。
これが思考を止める方法だ。

 あなたの源泉に向かって行きなさい。
どこに行くのか、場所はどこか、見つけ出しなさい。
これがあなたを静かにさせる。
感覚、マインド、知性、「私」を越えてあるものは何か見つけ出しなさい。
「私」を越えたものが意識だ。

Q:マインドを超えてこの意識、ハートを見つけるために、私自身にいつも「
私は誰か」と尋ねています。

 「いつも」とはどういう意味だ?
 毎日食べるようなものではない。この質問は一度だけするべきもので、そし
て、そのとき答えを見つけるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

782鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/02(月) 21:53:59 ID:1d4drIFg0
日頃から何度も何度も私は誰かと尋ねていたら、それは習慣になり、同じ答えが繰り返されるだけになるじゃろう。
記憶による観念遊戯になってしまうのじゃ。
気付くという作用が出来にくくなってしまうのじゃ。
ただ一度だけに全ての注意力を集中して私は誰かという探求をするとよいのじゃ。

783避難民のマジレスさん:2019/09/02(月) 22:57:53 ID:UlsENQx60
鬼和尚、皆さま、くまネット環境の都合でしばらくの間、バパジの講読会を休止いたします。
1ヶ月以内の再開を目指します。
宜しくお願いします。
( ̄(工) ̄)つ

784鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/03(火) 23:20:55 ID:1d4drIFg0
ご苦労さんなのじゃ。
ゆっくり休んで続けると善いのじゃ。
パパジも貴重な教えを説いているのじゃ。

785避難民のマジレスさん:2020/07/03(金) 21:39:35 ID:jevFIdqw0
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 のつづき。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>596 から一休さん の詩。

111
僧問岩頭、古帆未掛時如何。 僧 岩頭に問ふていはく、古はん未だ掛けざる時いかん。
頭云、小魚呑大魚。     頭いはく、小魚大魚を呑む。     
僧云、掛後如何。      僧いはく、掛けて後如何。
頭云、後園驢喫草。     頭いはく、ごえんのろくさを喫す。

寒温苦楽愧慙時 寒温苦楽慙愧の時
耳朶元來両片皮 じだ元来両片ぴ
一二三兮三二一 一二三 三二一
南泉信手斬猫兒 南泉手にまかせてみょうじを斬る

肝冷斎先生訳(岩頭古帆の話の部分)
「古い帆を掛けるその前は、どんな状態だったんでしょう?」
古い帆さえまだ掛けられていない時期、というのは要するに何ものもまだ始まっていない、分別以前の世界
とはどういうものなのか、と質問したのであります。
「小さい魚が大きな魚を呑み込んでいたんじゃ」
と教え諭してくれました。

くま訳
修行僧が岩頭に問う。古い帆が、まだ掛けられる前(思慮分別が始まる前)はどうなのでしょうか?
岩頭いわく、小魚が大魚を飲み込むのである。(93の詩 参)
修行僧、更に問う。では、掛けた後(思慮分別が始まった後)はどなのですか?
岩頭いわく、それは、裏庭のロバが草を食むようなものである。

寒い、暑いという事実があり、それを苦しい、楽しいと、分別するようになり、更にそのことを恥ずかしいと思ったりもするのである。
聞く事は、口先のことに過ぎない。
123 321だ。あたりまえのことである。
南泉和尚にこの質問をしたら、猫の子の首をちょん切るだろう。

*岩頭:岩頭全豁(がんとう・ぜんかつ。828〜887 95の詩 参)
*後園驢喫草:当然のことを当然にする何の不思議も無いこと。
*耳朶:耳 *両片皮:口
*南泉和尚猫を切る(碧巌録):弟子たちが猫に仏性があるかを激論している、そのバカバカしさに腹を立て、
 子猫を切り殺したらしい。

一休の解説:寒温→帆を掛ける前からある事実
      苦楽、慙愧→掛けた後生じる分別・感情・思い
ここでは、事実と観念の説明に重点を置き、小魚大魚の件(分別以前の世界)は、スルーしたようである。(93の詩 参)           
(´・(ェ)・`)つ

786うんこまん:2020/07/04(土) 00:21:56 ID:b/R.LjPg0
.
      //
    / .人
    /  (__) パカ
   / ∩(____)    やぁ!
   / .|( ・∀・)_
  // |   ヽ/
  " ̄ ̄ ̄"∪

787鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/04(土) 00:38:17 ID:1d4drIFg0
古い帆がかかる前には小魚が大魚を呑み込んでいたというのじゃ。
小魚が大きな魚を呑める筈も無いのじゃ。
それは小さな存在が、全ての存在と同一であったという比喩なのじゃ。
個人の肉体が全ての宇宙を呑み込んでいたとも言えるのじゃ。
梵我一如とも言えるのじゃ。
帆がかけられたら智慧をも失い、ロバのように小さな世界の僅かな草を食べて生きるしかないのじゃ。

788避難民のマジレスさん:2020/07/04(土) 20:04:57 ID:z51mdFvw0
112
松源和尚三轉語 1/3       の三転語
大力量人甚擡脚不起     甚(なに)によってか脚をもたげ起こさるるか

商量鬼窟黒山禪 きくつこくざんの禅商量して
神力金剛現目前 しんりきの  目前にげんず
普天之下是王土 普天のもと是 
擡脚句中公案圓 脚をもたぐる    まどかなり。

くま訳
松源和尚の三転語(迷いを転じて悟りに至らしめる言葉)
(松源の禅風は看話と黙照の対峙を越えたものといわれるらしい)

大力量の人が、どのようにして脚をあげる(立ち上がる)のか。(黙照禅)

考えて言葉で答えを出そうとするのは外道の禅である。
最上の仏の力は、目前にあるのだ。
世界は全て王土なのだ。
脚をもたげると言う転語で語られる考案は、欠けるところのない良くできたもの(黙照禅の説明)である。

*転語:迷いを転じて悟りに至らしめる言葉
*黒山鬼窟(こくさんきくつ): 不浄な苦悩に満ちた山やおそろしい鬼などの住むほらあな。転じて、蒙昧
な外道(げどう)の世界のたとえ。仏道以外の邪悪な世界。
*松源崇岳(しょうげんすうがく<1132〜1202年>)南宋時代
*松源は、禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正行為を正すため、座禅の方法を改革した。その中で一番
影響力があって後の人に高く評価されたのが「松源二転語」。つまり、「開口不在舌頭上(口を開いて物を
言うことは単に口先だけのことではない)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い人が、なぜ足を上げな
いでいるのか)」という二つの転語(てんご)から、看話禅と默照禅をそれぞれ見た。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

789鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/04(土) 23:29:04 ID:1d4drIFg0
大力量の人がなぜ脚をあげることもできないのか、一休が答えを書いたのじゃ。
神力金剛は既に目前にあると言うのじゃ。
天の下は全て既に仏国土であるというのじゃ。
つまり既に大力量の人が足を上げているからそれ以上上げられないのじゃ。
衆生基より仏陀であるということじゃな。

790避難民のマジレスさん:2020/07/04(土) 23:54:45 ID:X/mJjzWc0
>>788 訂正
甚(なに)によってか脚をもたげ起こさるるか→起こさるざるか
どのようにして脚をあげる(立ち上がる)のか→どうすて立ち上がらないのか
>>788
鬼和尚、くまにも分かる解説をありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

791避難民のマジレスさん:2020/07/05(日) 18:29:57 ID:JXZBdWr60
113
松源和尚三轉語 2/3
開口因甚不在舌頭上 口を開く、なにによってかぜっとう上にあらざる

三寸舌頭開禍門   の  か門を開く
河沙諸佛轉多言 がしゃの  うたたごん
夜來百勞五更目 やらい   五こうの
不柰聲聲崇夢魂 いかんともせずせいせいむこんにたたることを

ものを言う事は、口先だけ(言葉・観念に拘る)ことではない。(看話禅)

口先のおしゃべりは禍をまねく
あまたの諸仏は内実のある話をたくさんしている
(それを考えて)徹夜明けの明け方の目疲れには百労のつぼが効くのである
いろんな人たちの言うことが異なり、夢にたたられるようだ。

うむ。Kの言う所の、ありのままを見て、記憶と照合せずに得る、何かのことででありましょう。
d(´・(ェ)・`)b

792鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/05(日) 23:18:31 ID:1d4drIFg0
>>790 どういたしまして、またおいでなさい。

793鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/05(日) 23:26:40 ID:1d4drIFg0
口を開くのは舌先だけのことではないというのじゃな。
行いを伴わない言葉は災いを招くのみなのじゃ。
自ら実践して人に説くことが大事なのじゃ。
お釈迦様も自ら瞑想して人に説いたのじゃ。

794避難民のマジレスさん:2020/07/06(月) 20:45:13 ID:SI43rZr.0
114
松源和尚三轉語 3/3 
明眼衲僧因甚   みょうげんののうそうなにによってか
脚跟下紅絲線不断 きゃくこんかこうしせん不断なる

二三四七諸禪師 にさんししつしょ
領衆匡徒心乱絲 衆を領じ徒をただして心しをみだす
因銭有癖是和嶠 ぜにによってへきあるはこれ和けつ
娘生脚下血淋漓 にょうじょうきゃっかちりんり

くま訳
道理を良くわきまえている修行者が、
何で、子供の着物の裾上げの糸を切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)

達磨や六祖慧能は、
弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
お金(言葉)の使い方に癖があるのは、和嶠のように倹約家を通り越してけちなのだ。
そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
(子供服の糸(言葉)に拘るのは、糸をほぐすのがもったいないというけちな癖みたいなものだなのだ。)

*二三四七諸禪師 六祖慧能と達磨をさすらしい。(理由はわからず)
*和嶠(わけつ):後漢末期から三国時代の魏にかけての人物。慎み深く典雅な重々しさがあり、名家で王
公にも擬せられるほど豊かだったが、倹約家を通り越し吝嗇な人代表。
(´・(ェ)・`)つ

795鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/06(月) 23:03:10 ID:1d4drIFg0
目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのかというのじゃ。
一休はそのような言辞は心を乱すのみというのじゃ。
目利きの僧が糸を切らないならばそれは糸ではないからというのじゃ。
朽ち縄が蛇ではないと気付くようなものじゃな。

796避難民のマジレスさん:2020/07/06(月) 23:46:10 ID:mFdeOFCE0
>>795
おぉぉぉ!!いつもありがとうであります。
目利きの僧は、錯覚しないのでありますね。
くまの訳だと、目利きの僧が、錯覚を強いてることになってしまうでありますね。間違いでありました。
(´・(ェ)・`)b

797避難民のマジレスさん:2020/07/07(火) 20:25:55 ID:3XBcSUME0
一休さん15歳、吟壇デビュー
115
春衣宿花    春衣して花に宿る
吟行客袖幾詩情 吟行の客袖幾ばくの詩情ぞ、  
開落百花天地清 開落百花、天地清し   
枕上香風寐耶寤 ちん上の香風、びか寤ごか、   
一場春夢不分明 一場の春夢、分明ならず。 

*寐(び):  ねる
*寤(ご):  目がさめる

二橋進先生訳
春衣して花に宿る
花見の晴れ着を着て、桜が満開のこの地を歩くと、詩情があふれ出す。
あちこちで 桜が花びらを舞い散らしている光景は、すがすがしい。
花の下に伏すと、その香に 包まれる。
うっとりとして、夢の中で見ているのか現でか、もう分からなくなっ た。

関西吟詩文化協会HP訳
花の香りのもとで、たのしみをつくした一時の思いにふける。
あっという間に散った百花の情。
家に帰って寝ころんでみたものの、
夢かうつつか、 まだ瞼に消えず、枕もとにかけられた衣から、その香りがただよってくる。

くま訳
お洒落をして、桜の下を歩くと詩情があふれ出す。
咲いて散る、桜舞う天地の清々しさ
枕辺の残り香は、眠りの中か、目覚めているのか
夢か現かわからない。

一休さんが建仁寺における修行時代の15歳の時につくった艶詩。笹倉秀夫先生によると、洛中で愛吟され
たそうである。
15歳にして人気作家である。
(´・(ェ)・`)つ

798鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/07(火) 22:49:10 ID:1d4drIFg0
>>795 そうじゃ、このような公案は気付くことを教えているのじゃ。
 気付きが多くなればいつか自分にも気付くことが出来るからのう。
 座る自分に気付くのじゃ。
 公案を案ずる自分に気付くのじゃ。
 そして無我に至るのじゃ。

799避難民のマジレスさん:2020/07/08(水) 20:23:56 ID:0cl365bM0
一休さんによる、師家養成講座
116
経巻拭不浄 三首 1/3 経巻不浄を拭ふ
経巻元除不浄牋 経巻は元より不浄を除く紙、
龍宮海蔵弄言詮 竜宮、海蔵、言詮を弄す。
看看百則碧岩集 看よ看よ百則碧眼集
狼藉乳峰風月前 狼藉たり乳峰風月の前

くま訳
経巻は元来不浄を拭い去るための書物・紙に過ぎない。
龍宮の書庫の宝物であるといった言説を弄して有り難がるべきものではない。
見て見て、百則、碧眼録に書いてあるよと、得意がっていても何もならん
むしろ、そのようなことは、碧眼録を残してくれた雪竇禪師に対する狼藉である。

*碧眼録:雲門宗の雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が、唐代の禅者の伝記の中から百則の問答を選んだ
それぞれに頌のこと。宗旨を込めた漢詩をつけた『雪竇百則頌古』(せっちょうひゃくそくじゅこ)に圜悟
克勤(えんごこくごん)が前文と批評を加えたもの(1125年)
*乳峰:雪竇山の別名

うむ。一休さんは、経を詠んでも理解できない人のことを、心底残念に思っているようであります。
(´・(ェ)・`)つ

800鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/08(水) 23:33:37 ID:1d4drIFg0
経は心の不浄を除くための法が書いて在るのじゃ。
それを読んで心の不浄を払うことが大事なのじゃ。
徒に言辞をあれこれと解釈しても何の意味も無いのじゃ。
そのようなことは先達に対する狼藉ともいうべきことなのじゃ。

801避難民のマジレスさん:2020/07/09(木) 20:37:20 ID:4q82KXfA0
117
経巻拭不浄 三首 2/3
弓影客盃多断腸   かく盃多くはらをたつ
夜来新病入膏盲     かうくわうに入る
愧慙我不及禽獣 きざんす 我禽獣に及ばざるを、
狗尿栴檀古佛堂 くはねうす栴檀の

くま訳
古い書を読み誤ることが多いのはなんとも残念なことである。
夜来容易に直らない新たな病気を患っている。
畜生にも及ばない我が身の不徳を深く恥じ入り反省している。
犬が小便をする所になってしまった寺院である。

*杯弓蛇影: 杯中の蛇影 疑心暗鬼 して周章狼狽するたとえ。語源;酒杯に映った弓を蛇の影と 思い、恐ろ
しさのあまり病みついた人物の故事による。
*断腸:晉の武将、桓温が三峡を旅した時、従者が猿の子を捕えた。母猿は悲しんで岸を追うこと百余里、
ついに船にとびうつることができたが、そのまま息絶えた。その腹をさいて見ると、腸がずたずたに断ち
切れていたという故事
*膏肓(こう こう ・かうくわう):「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上。膏と肓の間に病気がはいり込む
と治療しにくく、容易に治らないという所。 → 病(やまい)膏肓に入る
*栴檀林(せんだんりん):寺院の異称。仏教寺院における僧侶の養成機関、仏教宗派の学問所

うむ。一休さんは、その誤解を解いてやれない、自分の師家としての力量不足を嘆いているのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

802鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/09(木) 23:47:28 ID:1d4drIFg0
病が多く慈悲が示せないことを嘆いているようじゃのう。
子を思って断腸した畜生にも及ばないというのであるからのう。
道場も荒れ果てたというのじゃ。
乱世でもあったからのう。

803避難民のマジレスさん:2020/07/10(金) 00:03:25 ID:4q82KXfA0
うむ。凄惨な情景が目に浮かぶであります。
(´-(ェ)-`)

804避難民のマジレスさん:2020/07/10(金) 20:53:08 ID:y27lq8Yo0
118
経巻拭不浄三首 3/3
信手拈來除不浄 手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂堂 
南山雲起北山雨 南山雲起こり北山は雨
一夜落花流水香       かんばし

手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂々
南山雲起こり北山は雨
      かんばし

自然にちょぴっと捻れば、不浄を除くことが出来るのである。
それが師家の面目を堂々とあらわすところであろう
南山に雲が出れば、北山に雨が降る(と雲門は)言うのだ。
一夜にして花を散らせた雨により花の香りでそこらじゅうが充たされる(と雪寶は)言うのだ。

*南山雲起北山雨:雲門露柱・・因縁を無分別心により見極める喩え。
*一夜落花流水香:宋の禅僧、雪寶智鑑(せっちょうちかん) 1105〜1192・道元の法祖父)の 「世尊有密
語,迦葉不覆藏。一夜落花雨,満城流水香」。『正法眼蔵』四十五「密語」世尊に密語有り,迦葉覆藏せず。
一夜落花の雨,満城流水香(かん)ばし。世尊(釈迦)には言葉にあらわしきれない教えがあった,それを
理解した迦葉は隠すことなく衆生に伝えた。ちょうどそれは一夜の雨が花をすっかり落とし,その水の流れ
によって花の香りが街じゅうに満ちるのと同じだ。(新ミュンヘン娘先生解説より)

うむ。一休さんは、師家の師家でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

805鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/10(金) 22:55:03 ID:1d4drIFg0
迦葉が華を捻ったお釈迦様の真意を悟って教えを伝えたというのじゃ。
禅は迦葉を二代目教祖として広まったというのじゃ。
それを華が落ちて流れて香りが広まったと表現しているのじゃ。
風流なのじゃ。

806避難民のマジレスさん:2020/07/11(土) 19:15:20 ID:j5h71ERU0
一休堂々の弥勒宣言
119
擧靈山徹翁和尚末後之垂示以示徒。 霊山徹翁和尚のまつごのすいじをこして、もって徒に示す。
其垂示云。正法眼藏無付人。    其の垂示にいはく、正法眼藏に付する無し、
自荷擔至彌勒下生噫。       自らかたんして 彌勒下生に至る。ああ

古佛靈山名不虚      名虚しからず
當來彌勒是同居 当来の   是れ同ご
兒孫一箇狂雲子 児孫一個の狂雲し
邪法大興殃有餘    大いに興ってわざわひ余り有り


霊山徹翁和尚が最後の教えを弟子たちに説いた。
其の教えにいわく、正法眼蔵に付け加えることはない。
自ら引き受けて、弥勒菩薩の下生に、今すぐから備えなければならない。ああ〜

古仏霊山の名も虚しくない。
到来するといわれる彌勒は、実は既に一緒にいるのだ。
子孫の一人がこの狂雲なのだ。
邪法が幅をきかせて、わざわいがあまた起こりたいへんなのだ。

* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世
*下生信仰:勒如来の下生が(56億7千万年などの)遠い未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えな
ければならないという信仰。戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、「弥勒仏の世」
の現世への出現が期待された。
*噫(ああ):①強く感動したり、驚いたりしたときに発する語。 ②肯定・承諾の意を表す語。ええ。 ③
人に呼びかける語。④あいづちを打ったり、生返事をしたりするときに発する語。 ⑤おくび、げっぷ
*同居(どうご)居を同じくすること。凡夫も聖者も共に住むこと。また、その国土。浄・穢 (え) の二土
があり、西方極楽は同居の浄土、娑婆 (しゃば) 世界は同居の穢土とされる。
(´・(ェ)・`)つ

807鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/11(土) 23:47:31 ID:1d4drIFg0
一休は宗派には拘らないのじゃ。
正法眼藏に付する無しという遺言もよいものだというのじゃ。
既に弥勒は現われているというのじゃ。
悟りを得た如来は既に世に出て、一休もその一人というのじゃ。
ただ衆生が悟りを求めていなければ何の意味もないのじゃ。
邪法に惑わされて災いを招くのみなのじゃ。

808避難民のマジレスさん:2020/07/12(日) 21:22:27 ID:0xIm3.lY0
前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>708 50〜59の詩 参
>>717 で言及した、徹翁義亨(大徳寺1世)の法語(くま訳なし)の後に、本日の詩。

(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)

凡参禪学道之輩須日用清浄。不可日用不浄。
所謂日用清浄者。究明一則因縁到無理會田地。
畫夜工夫不怠。時今截断根源。佛魔難窮處。
分明坐断往々埋名蔵迹。山林樹下。挙場一則因縁
時無難純一矣。謂之日用清浄人也。然而称善知識
擎杖拂集衆説法。魔魅入家男女。心良名利招学者於室中。
道悟玄旨。使参者相似模様。閑言語使教者。
片箇情也。這輩輩非人也。寔日用不浄者也。
似佛法爲度世之謀。是世上榮衒之徒也。凡有身無不着。
有口無不食。若知此理。豈衒於世哉。豈諛於官家哉。
如是之徒。三年六十劫。入餓鬼入畜生。可無出期。
或生人間。受癩病苦。不聞佛法名字。可懼可懼。

右靈山徹翁和尚示榮衒徒法語題其後云

(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)

およそ参禪学道のともがらは、すべからく日用しょう浄なるべし、日用不浄なるべからず。
いわゆる日用清浄とは、一則の因縁を究明して、無理えの田地に到って、
昼夜工夫を怠らず、時々に根源を切断して、仏魔もうかがい難きところ、
分明に坐断して、往々に名を埋め跡をかくし、山林樹下に、一則の因縁をこ揚し、
時に無雑純一なり、これを日用清浄の人というなり。然り而してわれは善知識と称して
杖ほつをささげ、衆を集めて法を説き、人家のなんにょを魔みし、心に名利を好んで学者を室ちゅうに招き、
玄旨を悟らしめんといふ。参ぜしむる者、相似模様の関言語、教へしむる者、
片個の情なり。しゃはんのともがらは非人なり、まことに日用不浄のものなり。
仏法を以って渡世のはかりごとと為す、これ世上の栄げんの徒なり。およそ身あれば着ずということ無く、
口あればくらはずといふなし。若しこの理を知らば、あに世にてらわはんや、あに官けにへつらはんや。
かくのごときの徒は、三しょう六十ごう、餓鬼に入り、畜生に入りて、出ご無かるべし。
或いは人間に生るるも、らい病の苦を受け、仏法の名字を聞かず。おそるべし、おそるべし。

右靈山徹翁和尚、榮衒の徒に示すの法語、其後に題すと云ふ

* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世の法語
仏法を以って渡世のはかりごとと為す(仏法を名利追求の道具にする)者のことを、「日用不浄の者」というとし、
餓鬼畜生に落ちるか、「受癩病苦」・・・という

120
工夫不是涅槃堂     これ涅槃堂にあらずんば
名利輝前心念忙   前に輝いて  忙し
信道人間食籍定 いふことを信ず    の定
羊糜一椀橘皮湯  羊び一椀きっぴとう

くま訳
仏道修行は、涅槃へ行くためのもの、死を見据えたものでなければ、
利害や名誉が前に出て、心がみだされてしまう。
人間の食籍(食って行けるか)は前世から定まってると信じるのだ。
一椀の粥と漢方薬をとってっれば充分生きてゆけるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

809鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/12(日) 21:37:54 ID:1d4drIFg0
霊山もなかなかよいことを言うのう。
名利を好んで学者を招いて玄旨を悟らしめんというのは、不浄であり人でなしとまでいうのじゃ。
昔もそのような学者の言葉を信じている者が居たのじゃな。
己の心の内に因縁を究明することが清浄というのじや。

810避難民のマジレスさん:2020/07/13(月) 20:36:54 ID:I6SFs6uk0
121
元正      げんしょう
現成公案任天眞   の  天真に任す
鳳暦開元世界春 ほう暦げんを開く世界の春
今日山僧換却眼 こんにちさんぞうまなこをかんきゃくす
堂中古佛面門新        あらたなり

くま訳
元旦
現成公案とは、は天真(諸法の本然の姿)に任せるということである。
元旦である。世界の春である。
今日、山寺の僧は、ありのままを見て悟りを開くのである。
お堂の古仏の顔も新しいように見えるのである。

*現成公案:現象界のすべてそのままが悟りの現れ=仏道
*眼睛換却:正法眼蔵第六十四巻優曇華「瞬目とは、樹下に打坐して明星に眼睛を換却せしときなり」
*元正:元旦
*鳳暦開元:元旦
*天真独朗:無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達すると
いうこと。天真とは諸法の本然のすがた
 「寶鏡三昧」「天眞而妙 不屬迷悟」 天眞は天然自然と云う意味にして、純一無雑なる境界を云う。
(´・(ェ)・`)つ

811鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/13(月) 22:52:13 ID:1d4drIFg0
一休の悟りの境地じゃな。
現生公案とは本来の意識に還ることだったのじゃ。
それに拠って全ては開かれた春が訪れたのじゃ。
自らの意識が変わることで古仏の面目も一新されたのじゃ。
それも大悟して法を理解したからなのじゃ。

812避難民のマジレスさん:2020/07/14(火) 21:16:43 ID:Q5SRQyNQ0
おまけとして、坐禅儀。
122
警念起所      念の起所をいましむ
公案工夫暮与朝     ぼとちょうと  
山堂夜々雨蕭々     あめせうせうたり 
地獄猛火百万劫    みょうくわびゃくまんごふ
満腹詩情幾日消   の  幾にちかしょうせん
 
Didier, DAVIN訳
一日中公案の事を考えても、
詩を作りたい気持ちが治まらない。
そのせいで地獄に落ちる。地獄の火は百万劫も続くが、
心にある詩情は何日燃え続くのであろうか。

くま訳
思念の起こるところ
明けても暮れても公案の工夫  
山堂には毎晩雨が寂しくシトシトと降る   
(なのに)地獄の猛火はいつ迄も燃え  
胸一杯の詩情はいつ消えることやら

*警念起所:参) 坐禅儀
寛放臍腹      寛(ひろ)く臍腹(せいふく)を放ち
一切善悪 都莫思量 一切の善意すべて思量することなかれ。 
念起即覚 覚之即失 念の起こらば即ち覚せよ、これを覚すれば即ち失す。 
久久忘縁 自成一片 久々にして縁を忘ずれば自ずから一片となる。
此坐禅之要術也   これ坐禅の要術なり。

リンク集 Hp名不明 訳
下腹をゆったりさせて、およそ善悪というものを思慮しないことだ。
念が起こったら、直ちに目覚めよ。目覚めれば、直ぐに念はなくなる。
久しく精神を統一して、外縁を忘れていくと主観と外観とが一つになって「禅定三昧」になる。
これが坐禅のもっとも大切な方法である。

垣堺玄了老師解説
「念起即覚ねんきそくかく、覚即失かくそくしつ」とそのまま読めば、念の起こるその者が覚者、悟るもの
であり、覚というのは即ち捨てること、失であると読めます。つまり、昨日もだめ今日もだめという念の起
こるその人が覚者だぞ、その念が去った時そのまま覚者だということです。これは理屈のように聞こえるか
もしれませんが念の起こるその者が仏だから修行が成就するのです。

くま訳
臍のちょぴっと下辺りをゆったりとさせるようにして、
一切の善悪等、分別思量しないこと。
思いが生じたら、それに即気づけ、気づいたら即消えるのである(ここまで「止」の行)
ある程度の時間集中して、雑念が消え、忘我からサマディ-の境地に至る。(三昧の境地へ到達)
これが、坐禅の法である。

うむ。一休さんは、念が起これば、それを詩文に起こして、昇華させるのでありますね。
これは、ある意味、起こった念を、明確に意識して、消し去る方法とも言えるでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/14(火) 23:48:00 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
誰にでもできる法ではないがのう。
詩の才能がなければ無理なのじゃ。
一休は稀に見る詩才があったのじゃ。

814避難民のマジレスさん:2020/07/15(水) 19:30:29 ID:7v7pGZw.0
123
一休さん、悟った時の思い出。
聞鴉有省      あを聞いて省あり
豪機瞋恚識情心   しんい識情の心 
二十年前在即今    ぜん即こんにあり
鴉笑出塵羅漢果 あはわらふしゅつじんのらかんか     
奈何日影玉顔吟 にちえい玉顔の吟をいかんせん 
 
くま訳
カラスの声を聞いて大悟した件に付き省みる
傲慢な思いや怒り、迷情に苦しんだ
二十年前が、つい今し方のようである。
カラスのカーという笑い声を聞き、目覚めてみれば、穢れは消え去り、阿羅漢の悟りをえたのだ
輝く朝日のなかにいるような、晴々しい思いいっぱいの詩を、さて、どうしたものか。

一休さん悟後の修業もおわり、大悟徹底して、悟ったこともどうでも良くなった心境でありましょうか。
前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>887 84の詩とほとんど同じである

*識情;事物を識別することと感情。総じて迷情による心のはたらきをさす。
(´・(ェ)・`)つ

815避難民のマジレスさん:2020/07/15(水) 19:33:10 ID:7v7pGZw.0
訂正
カラスの声を聞いて大悟した→悟った
(´・(ェ)・`)b

816鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/15(水) 23:50:09 ID:1d4drIFg0
カラスの声を聞いてかえりみることできたというのじゃ。
かえりみるということが自分を見ることなのじゃ。
一休はカラスの声をきいたことがきっかけで自らをかえりみることができたのじゃ。
省みることは自らに気付くことなのじゃ。

817避難民のマジレスさん:2020/07/16(木) 20:00:33 ID:y0myHUlI0
一休さん大悟徹底の心境か?
124
少年道心老來失 二首 1/2 少年の  ろうらいしつす
五十年前大道心    ぜん大道心
來生未隔巳忘今 らいしょういまだ隔てず すでにこんを忘ず
朝得夕死立地佛 あしたに得て夕に死すとも立地ぶつ
一旦廻心百煉金  心を廻らせば百れんの金

少年の頃の道心は、老いて失った
50年前、真理を見極めよう、悟ろうと志をたてた。
未来(来世)は今と隔てがない。そして、今は既に忘れ去られる過去の中にある。
朝真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない(と思った)。
日常的な心のありようを翻せば、真の心の宝とも言える価値を見出せるのだ。

*朝聞道夕死可矣(参):あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
*廻心(えしん):日常的な心のありようを大きくひるがえし宗教的な真実へと方向を変えること。
(´・(ェ)・`)つ

818鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/16(木) 23:00:39 ID:1d4drIFg0
昔は堅固な道心をもっていたというのじゃ。
もはやなくなったというのじゃ。
朝に悟れば夕べに死んでも善いとさえ思ったのじゃ。
そして一旦心を外から内に廻らせば悟りはそこにあったのじゃ。

819避難民のマジレスさん:2020/07/17(金) 20:31:23 ID:.xUJoNTU0
125
少年道心老來失 二首 2/2
失卻悟徹捴閑事 悟徹を 失却して総て閑事
去劫來劫又如此 きょごうらいごう又かくのごとし
金鍮正邪佛難分 きんちゅうしょうじゃぶつもわかちがたし
聞説佛魔隔一紙 聞くならくぶつ魔いっしを隔つ

くま訳
大悟徹底するとことを忘れると、総てが無用なこととなる
悠久のときの中、全てはありのままだ。
真鍮か金か、正か邪か、仏も区別できない
聞くところによると、仏と魔は紙一重の違いだそうだ。

*失却:ものをなくすこと。また、忘れること。

*閑事:( 無門関第十九則)↓参照
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、
若もし閑事かんじの心頭しんとうに掛かかる無くんば、
便すなわち是れ人間じんかんの好時節   
  
曹洞宗   京都 亀岡 曹洞宗HP 解説
春には花が咲き、秋には明月が天にかがやく、暑い夏には涼しい風が吹き、冬には雪がさえざえとしている。
春夏秋冬いつでも好時節である。「閑事の心頭に挂る無き」とは、晴れわたった大空のような本来清浄な心
境をいう。

人間のくだらない考えを差しはさまなければいつも好時節です。「ありのまま」「そのまま」の心が「平常
心」だといっても、妄想や分別心を払いのけ、閑事すなわち実生活に役立たぬ事を断ち切ることが条件です。
すなわち仏道とは容易なものではない。

820鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/17(金) 22:53:49 ID:1d4drIFg0
もはや悟りも忘れてしまったというのじゃ。
忘中の忘、悟中の悟なのじゃ。
弓の名人が弓を忘れたようなものじゃ。
行くことも去ることも無い如来なのじゃ。
差別無ければ無為なのじゃ。
傲慢に拠って天魔に陥ることも無いのじゃ。

821うんこまん:2020/07/18(土) 09:29:22 ID:b/R.LjPg0
      //
    / .人
    /  (__) パカ
   / ∩(____)    やぁ!
   / .|( ・∀・)_
  // |   ヽ/
  " ̄ ̄ ̄"∪

822避難民のマジレスさん:2020/07/18(土) 15:39:49 ID:U9p6ScNE0
126
山中得南江書  山中に南江の書を得
孤峰頂上草菴居 孤峰頂上草菴の居
三要印消功未盧 三要印消して功夫だ盧(むな)しからず
不意玄中有玄路 意はざりき玄中に玄路有らんとは
萬行裏涙一封書 万行涙を裏(つつ)む一封の書

野毛孝彦先生 解説
ある時、南江から寄せられた一通の手紙を見、相国寺の首座和尚の地位を捨て、還俗後、孤峰の頂上の草庵
に寓した彼が、自分も知らない「玄」(玄妙なる真理)の中の「玄路」「深奥の玄」の境に更に達した事を
知って賛嘆し、その人となりに思いを通わす一行ごとの文に涙をもって読むと詠じたもの

くま訳
山中で南江からの手紙を受取った
孤高の道を歩み、草庵に住まう。
還俗して寺の修行法を離れたが、境地はますます深まっている。
わしも知らない、玄妙なる真理、深奥の玄の境地に達していることを知り、
手紙の全ての言葉に、涙があふれる。

*南江宗沅(なんこう そうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で
ともに遊んだ。
*孤峰: 徒党を組まずに一人で独自の道を歩むすぐれた人。
*三要印:臨済宗為人の機関。第1,2,3要、第1,2,3玄
     機関禪:「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」修行僧達を悟りに導く手段を段
         階的に定めたものであり、段階性を強い形で示されるもの。(道元は、批判・
         否定しているらしい。)
(´・(ェ)・`)つ

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/18(土) 22:55:20 ID:1d4drIFg0
一休にも還俗した仲間が居たのじゃな。
そして共に大悟徹底の境地に邁進したというのじゃ。
実に稀有なことじゃ。
観念遊戯と化した三要印等は捨ててよかったというのじゃ。

824避難民のマジレスさん:2020/07/19(日) 21:50:08 ID:lyY6c8gM0
127
楽中苦
此是瞿曇曾所経 これはこれぐどんのかつて経し所
麻衣草座六年情 まえそうざ  の情
一朝點檢将來看 一朝点検し、もち来たって看れば
寂莫霊山身後名 せきばくたり りょうぜんしんごの名

くま訳
楽中苦
これは、悟りを開く前の釈迦(ゴータマ)が、通ったてきた道である。
(菩提樹の根元で)坐禅する前の苦行六年のことである。
坐禅して、一朝大悟したのである
霊鷲山は釈迦説法の地として、寂寞として、其の名を今に残すのである。

*瞿曇〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。悟りを開く前の釈迦。瞿曇弥(くどんみ)。
*霊山:霊鷲山(りょうじゅせん)の略称。釈迦仏が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山
(´・(ェ)・`)つ

825鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/19(日) 22:56:33 ID:1d4drIFg0
修行の道はかつてお釈迦様も通ってきた道であると言うのじゃ。
苦行をやめて座り続けて悟ったのじゃ。
そして二千五百年も名を残したのじゃ。
というような意味じゃな。

826避難民のマジレスさん:2020/07/20(月) 22:51:14 ID:uLoVuJFE0
128
祝聖         祝しん
海内太平便現前 海だい太平即ち現前
清風明月碧雲天     へき雲の天
萬年七百高祖行   しち百高祖の行
看看天龍正覚禪  看よ看よ天龍しょうがくの禪

くま訳
祝聖
天下太平であれ、ありのままの全て。
清風明月碧雲天
七百年前に高祖から伝えられた禪はこれから万年も受け継がれてゆくであろう。
看よ!天龍に守られ、仏の悟りをもたらす禪を

*祝聖(しゅくしん)祝聖 禅宗の寺院で、天皇の寿命無窮を祝い祈ること。天皇誕生日および毎月の1日
と15日に行う。
*七百高祖行:達磨が中国に禪を伝えたのが5―6世紀、日本に伝来したのが13世紀頃らしいので、700
年かなと愚考した。
(´・(ェ)・`)つ

827避難民のマジレスさん:2020/07/21(火) 19:56:59 ID:hp0r5VXk0
129
東坡山谷同㡧   とうばさんこく同たう
海内文章汝面前 海だいの  汝が
誰知鍛煉獨天然 たれか知る鍛錬独り天然
説法上堂法堂上 説法上堂はつたうの上
如來禪與祖師禪 如来禅と祖師禅と

くま訳
東坡、山谷の書画が、一幅の掛軸にある。
天下の名文が、目前にあるのだ。
誰も知らないのだ、鍛錬とは独りでするのが当たり前であることを。
説法は法堂(はっとう)の上で行うが、法堂の上には法があるのだ。
如来禅と祖師禅の法があるのだ。

*東坡(とうば):蘇軾東坡1036‐1101年  北宋の詩人、政治家
*山谷(さんこく):黄庭堅 1045‐1105年  北宋時代の書家・詩人・文学者
 不遇の役人生活をしながら、参禅に、芸術にいそしみ、詩文のやり取りをとおして思想、心境を深めて 
 いった。二人は一休さんの心の師匠かも。
*同㡧:(同とう)2人の詩人の書画が一幀(ちょう・・装丁)の内にあること。
*如来禅:①如来が実践する禅法。楞伽経(りようがきよう)に説かれる四種禅の一。(大辞林)
 ②達磨だるまの伝えた正系の禅。圭峰宗密(けいほうしゆうみつ)が分類した五種の禅のうち、最上のも 
 の。のちの禅宗では自己の禅を祖師禅と呼び、不十分な禅の蔑称として如来禅の語を用いた。如来清浄禅
*祖師禅:達磨だるまの禅宗のこと。また、六祖の慧能の系統の禅(南宗禅)をいう。(大辞林)
*この辺の分類は、論者により、まちまちである。どうでもよいよいのでありましょう。
 一休さんは、黙照禪よりも、悟りに導く修行法として優れているのは、説法や公案指導など、師家の指導
 による風流な禪(看話禪?)であるとしている詩が、147・148 で詠まれているのである。お楽しみに 
(´・(ェ)・`)b 

*おまけ;三聖吸酸:儒教の蘇軾、仏教の仏印、道教の山谷(黄庭堅)・・酢が酸っぱいという事実は皆同
 じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという意味。

828鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/22(水) 00:38:51 ID:1d4drIFg0
犀の角のように独りで歩めとお釈迦様も言っているのじゃ。
独りでいてこそ自分の本心が自分に現われるのじゃ。
他人が居ては仮面を被るからのう。
犀の角のように独り歩むのじゃ。

829避難民のマジレスさん:2020/07/22(水) 20:20:43 ID:dinx1qu20
130
再來隔生即忘    かくしゃうそくばう
講経大士喚爲誰 かうきんのだいしよんでたれとか為す
弥勒當來之導師   たうらいの
爈鞴鈍鐵出生鐵 ろはい鈍鉄しゃう鉄を出だす
利劍鈍刀鐵不知     鉄知らず

くま訳
生れ変れば前世のことは全て忘れてしまうのである。
経を講じたのは誰であるとかとなす。
弥勒菩薩が到来して衆生を導くというのか。
師家がなまくらなら、鈍らな鉄しか生れない。
法の力を及ぼせる真の師家であるか、鈍ら坊主であるかを、修行者は知らないのだ。
(鋭利な刀剣になるか、鈍ら刀になるかは、師家次第である)

*大士:① 菩薩の異称。論主(ろんじゅ)② 如来を敬っていう語。③ 大菩提心をおこした人。道心堅固
な僧を敬っていう語。
*爐鞴(ろはい):鍛冶屋、師家の室内(碧巌録・信心銘)
*利剣:鋭利な刀剣。煩悩(ぼんのう)や悪魔を打ち破る仏法の力の意
*鈍刀:なまくら刀
(´・(ェ)・`)つ

830避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:32:56 ID:b/R.LjPg0
>>828
おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

wwwww

831鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 00:33:27 ID:1d4drIFg0
再生したら全て忘れてしまうのに弥勒を待っていても仕方が無いというのじゃ。
遠い未来にしか来ないのであるからのう。
とはいえぼろい炉からはよい鉄が出来ないように、師匠が駄目なら弟子もものにならないというのじゃ。
鉄がよい剣になれるかどうか知らないように、弟子も善い師匠の導きがなければ迷うばかりなのじゃ。

832避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:35:04 ID:b/R.LjPg0
>>831
おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

wwwww

833避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:37:30 ID:b/R.LjPg0
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      ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ

馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
        :/   _ノ    ヽ、_ ヽ.:   偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
        :/   o゚((●)) ((●))゚oヽ: 
      :|       (__人__)    |:          お薬飲んでるか??
      :l        )  (      l:     
      :` 、       `ー'     /:   仏教向いてないよ、お前w 
       :, -‐ (_).        /     
       :l_j_j_j と)丶─‐┬.''´  キチガイだろwwww  
          :ヽ   :i |:     
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834避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 21:18:14 ID:tjv95wwU0
一休さん、動乱を予言?
131
題密庵和尚病起上堂後 密たん和尚病き上堂の後に題す
江山富貴是樵漁    かうざんの富貴これせうぎょ   
風雨吟身一草廬        一さうろ
七顛八倒衆生苦        衆生の苦
不耐小魚呑大魚    耐へず小魚大魚を呑む     

くま訳
密たん和尚が病が治り上堂後と題して、
国の富貴は、海山、様々な仕事をする人たちにより支えられている。
風雨を詩に詠み暮すわしは粗末な庵に住む。
衆生の暮らしは七顛八倒、大変苦しいものである。
苦しみに耐えられず、小魚大魚を呑むことが、実際に起こることもあるのである。

*病起:病から起きて・病が癒えて後
*密庵咸傑(みったんかんけつ):1118-1186南宋の臨済宗揚岐派の高僧。法語『密庵咸傑墨跡』 (国宝)  
 が日本に請来され,大徳寺の竜光院に伝わる。この掛幅のために,その茶室密庵席に密庵床が設けられた。
 墨跡の内容は、修行する上での心得を説き「長く修行を続けることができれば、夢にさえ見たことのない
 素晴らしい境涯が開ける」と記されてるとのこと。
*江山:川と山,国土,国家,国の支配権
*樵漁(ショウギョ):木を切ることと魚を捕ること。木こりと漁師。転じて、庶民。隠者の意味で使うこ
 ともある
*草廬(そうろ): 草ぶきの粗末な家。 自分の住居をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ

835避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 22:19:36 ID:b/R.LjPg0
1.漢文
 是無覆無記 触等亦如是
2.読み下し文
 是無覆無記なり。触等も亦た是の如し。
3.翻訳(中公文庫版71p)
 その(アーラヤ識)と一体になって存在している感情は、全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
 そうしてその(アーラヤ識そのもの)は(倫理的に)無性であってかつ(根本無知などにも)覆われていないのである。

漢文の文章は非常に短くとも様々な意味がその中に含意されているんですよ。
さて、

>一体となっている感情が
 阿頼耶識が所縁によって見分と相分に分析されて感情になるって事で、両者の関係は非異非同って事です。

>全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
 その所縁によって種子から現ぜられた相分である感情が、平静と見分されているんです。
 平静、つまり楽でもなく苦でもなくって事ですが、これは分別をしていない見分が現じられている、則ちこれが現量でしょ?

ここで、現量の定義と照らし合わせると

  直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
  任運にして無分別なり
  諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う
  境に任せてこれを縁ずる

上記とまさに合致してると思いますけどね。

上記を要約すると、境に任せてこれを縁じて無分別にして事相に敵うとなるでしょが、阿頼耶識が境に任せて、つまり所縁に依って見分と相分に分析されて、無分別、平静(楽でもなく苦でもなく)であると。

836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 23:18:15 ID:1d4drIFg0
>>835 おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

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馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
        :/   _ノ    ヽ、_ ヽ.:   偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
        :/   o゚((●)) ((●))゚oヽ: 
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      :` 、       `ー'     /:   仏教向いてないよ、お前w 
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837鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 23:20:02 ID:1d4drIFg0
>>834 そうかもしれん。
 すでに戦国時代になる前からいろいろ騒乱は起きていたからのう。
 宗派の闘争などもあったのじゃ。

838避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 23:40:09 ID:b/R.LjPg0
>>836
あーあーww

壊れて自問自答か…

839避難民のマジレスさん:2020/07/24(金) 21:09:37 ID:zr.JxX7M0
132   1/2
岐岳和尚龍寶山住院時、     ぎがく和尚龍宝山住院の時、
請御所喝食、          御前喝じきを請ひ、
於看雲亭夜夜酒宴。       看雲亭に於ひて夜々酒宴す。
因一休和尚相看、        因みに一休和尚相看す、
岐岳、問一休和尚曰、      岐岳、一休和尚に問うて曰く、
汝於老僧境界知耶不知。     汝老僧が境界に於いて知るや知らずや。
答曰知。            答へて曰く、知る。
問曰、試挙看。         問うて曰く、試みにこせよ看ん。
答曰、茂陵多病後。猶愛卓文君。 答へて曰く、もりょう多病ののち、猶ほたくぶん君を愛するがごとし。
岳大笑絶倒、随後打曰。     岳大笑絶倒して、しりへに随って打って曰く、
請為老僧題無住榜。       請ふ老僧が為に無住ぼうを題せよ。
休便題曰、           休即ち題して曰く、

龍寶禪翁活眼睛  龍宝の禅翁活眼睛
孤明歴歴磊苴名  孤みょう歴々らその名
黄金詞賦文君恨  黄金の詞賦文君が恨み
師笑茂陵空薄情  師は笑ふもりょうくうはくの情

柳田聖山先生 解説・訳
岐岳和尚、夜々酒盛りをする
応永三十一年(1424)、一休、三十一才の時の事である。
大徳寺二十一世岐岳妙周にまつわる次のような話が伝わっている。
岐岳和尚は崇福寺四十三世のとき、大応国師(南浦紹明)が残していた杖を持って大徳寺にのぼり、大応の後身を自任していた。
竜宝山の住職になると、毎夜のように、方丈の南東にあった看雲亭で若い衆を呼び寄せて酒盛りをしていた。
ある時、一休が呼ばれた。和尚は一休に尋ねた。「おまえはこの老僧の心境が判るか」。一休は答えた。
「判ります」。すると「ためしに言ってみろ」と和尚は問いかけた。「前漢の詩人司馬相如は多年病に悩ん
でいましたが、妻卓文君だけは手放そうとはしませんでした」と一休は応じた。和尚は満足げに笑った。
そこで和尚は一休に、頂相(禅僧の画像)に添え書きの賛を所望した。そこで、一休は次のように書きとどめた。

さすがに大徳寺の老僧の目はきらきらと輝く。
竜宝山歴代の評判は偏に武骨で有名ですが、
黄金百斤を貰って詩文で皇后の失寵を詰るとは
老師も御存じ、相如は粋ではありませんか。

くま訳
龍宝山住院の目が輝く
個々が光り輝き、ごろごろと石の詰まった袋のような人だ
皇后から頼まれて、黄金百斤で、武帝に対する恨みの詩を書いた詩人の話を
聞いて、老師も笑う、武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう。

*孤明歴々:個々それぞれが輝くという意味
*磊(ライ):石がごろごろしているさま。「磊塊」 ②心が大きいさま。おおらか。
*詩賦(しふ)中国の韻文
*茂陵(もりょう)前漢の武帝の墓
*司馬相如(前179-117)は、前漢の文人で、「子虚賦」が機縁で武帝に召されて宮廷詩人として仕えた。富豪の娘卓文
 君との恋愛話は著名である。
 相如が武帝の皇后陳氏より黄金百斤を貰って、帝の失寵を怨む長門譜を書いた。陳氏は、黄金とともに、 
 相如夫妻に酒を贈ったと伝えられている。

実は、そのころ一休は、画賛を依頼され、何がしかの生活費を稼いでいたとも言われている。
一休さんはこの岐岳の酒宴に集まる僧たちを軽蔑していたのである。明日の詩でそれを詠んでいる。
(´・(ェ)・`)つ

840鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/24(金) 23:02:06 ID:1d4drIFg0
当時の坊主は普通に酒盛りをしていたようじゃのう。
乱世とはいえ酷いものじゃ。
信長に焼かれるのは当然なのじゃ。
今も葬式で金を受け取る破戒僧ばかりであるがのう。

841避難民のマジレスさん:2020/07/25(土) 17:41:11 ID:b/R.LjPg0
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馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
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      :|       (__人__)    |:          お薬飲んでるか??
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842避難民のマジレスさん:2020/07/25(土) 18:31:33 ID:9oI8Iaow0
133   2/2
高亭膓斷夜参僧 かうてい腸断すや参の僧
歌舞花前酒若澠 花前に歌舞して酒びんのごとし
長老雲門塔下逆       の逆
眞前雲雨五更燈 しんぜんの雲雨五更のともしび

くま訳
看雲亭に夜毎集まる僧たちは、真に残念な者たちである。
花見をしながら歌い舞い、酒に溺れる。
岐岳長老の下に集まる僧は大燈國師の真逆である
雲門庵のまん前でまぐわう、明け方の灯

*澠(びん):川の水、→酒量が多いこと
*大徳寺・雲門庵:大燈國師の墓所

134
偶作
餓鬼苦多也畜生    多しまた
人家魔魅長凡情 じんか  凡情を長ず
飢渇病苦五噎患 きかつ  五いつの患
邪師知識野狐精   の  やこ精

くま訳
たまたま出来た詩
餓鬼の苦が多い、又畜生の苦
人をたぶらかし、下衆な感情を助長する。
飢え渇き、病に苦しみ、呼吸器の病を患う。
邪師の知識は、野狐の魂によるものだろう。

*餓鬼:六道の1つ。常に飢えと乾きに苦しみ、決して満たされることがない。
*畜生道:六道の1つ。悪業の報いとして死後に生まれ変わる世界。人間として許し難い行為・生き方や、 
 肉親間の色情を意味する
*魔魅(まみ):人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*五噎患:噎气、忧噎、食噎、劳噎、思噎(中国語翻訳サイトより)
 噎气:息が詰まり、話せないこと
 忧噎:心臓、手、足の下でズキズキし、悪寒を
 食噎:食物が喉をふさいだり、食道の最初の狭い部分に詰まったり、誤って気管に入ったりして呼吸窒息 
 を引き起こすことを指します。
 劳噎:陰と陽の不調和、怒りが原因。胸部の完全な詰まり、背中の痛み。
 思噎:考えること、心臓がドキドキすること、忘れること、見ること(目)これはすべて不安と怒りであ
 り、胸部の寒さによっても引き起こされます
 (´・(ェ)・`)つ

843鬼和尚:2020/07/25(土) 23:59:19 ID:1d4drIFg0
邪師の知識は、野狐の魂によるもの
一休の言うとおりなのじゃ。
臨在坊主のいかれた有様は>>841 で自ら表現しているのじゃ。
今に続く邪師の伝統なのじゃ。

844避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 00:08:34 ID:b/R.LjPg0
>>843
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?

845避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 00:43:25 ID:SI43rZr.0
>>843
841くんは、ただの粘着荒し君ではありますまいか?
やめられずに苦しんでいるのでありますまいか?
坊主どころか、仏教徒でもありますまい。
むしろ、アンチ臨済でありましょう。

841くん、心を鎮めるのである。
自分の思いを見つめるのである。
全書き込みを読み返すのである。
人に天に羞じずに生きるのだよ。
(´・(ェ)・`)b

846避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 18:10:48 ID:6kL7WP160
大切なことを言っている、けど、最後に一言言いたい一休さん
135
白居易問鳥窠和尚、     白居易ていくわ和尚に問ふ、
如何是佛法大意。      如何が是れ仏法の大意。
窠曰、諸悪莫作、衆善奉行。 くわ曰く、諸悪莫作、衆善奉行。
白曰、三歳孩兒也解恁麼道。 はく曰く、三歳のがい児もまたいんもにいうことを解す。 
窠曰、三歳孩兒雖道得、   窠曰、三歳の孩兒もいいうると雖も、
八十老人行不得。      八十の老人も行ふことを得ずと。
霊山和尚毎曰、       りょうぜん和尚つねに曰く、
若無鳥窠一語、       若し鳥窠(ちょうか)の一語無くんば、
我徒盡泥乎本來無一物、   我が徒ことごとく本來無一物、
及不思善不思悪善悪不二、  及び不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等語。       邪正一如等の語になずんで、
以撥無因果。        以って因果をはつむし、
而世多日用不浄之邪師也。  而して世多く日に不浄の邪師を用ひん。 
故余作此偈以示衆云     故に余此のげを作り、以って衆に示すと云ふ。

學者撥無因果沈       学者因果をはつむして沈まん、
老禪一句價千金       老禅の一句値千金、
諸悪莫作善奉行       諸悪莫作善奉行、
須在先生醉裏吟       須らく先生酔りの吟に在るべし。

くま訳
白居易がちょうか和尚に質問した。
「仏法の大意とは何ですか」
鳥窠が言う「諸々の悪を為さず、善い事をすることです。」
白居易が言う「三歳の稚児でも分かりそうなことですね。」
鳥窠が言う「三歳の稚児でも分かることだが、八十の老人でも実践できないことです。」
霊山和尚が常に言っていたことがある。
「鳥窠のこの一語が無ければ、
私の弟子たちは、本來無一物、
及び、不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等の語に囚われてしまい、
結果的に世に多くの邪師を送り出してしまっただろう」と。
それで、わしは、此の偈を作り、皆に示すのである。

修行者が因果の道理を否定したら、地獄に沈む。
老禪師の一句は価千金である。曰く
諸悪莫作善奉行
当然のこととして、白居易先生の酔裏の詩にも詠まれているはずである。
(くま調べでは、来世も仏教を修めたいという詩等が見つかった。)

*泥む(なずむ):1そのことに心がとらわれる。こだわる。執着する。2 物事がはかばかしく進まない
 でいる。進むのに難渋する。とどこおる。3 なじむ。なれ親しむ。4 悩み苦しむ。病む。5 植物がし
 おれる。生気がなくなる。6 ひたむきに思いを寄せる。執心する。
*撥無(はつむ):払いのけて信じないこと。否定して排除すること
*白居易(白楽天):772-846唐代の詩人。酒の詩多数。『酔吟先生伝』という自伝を67歳のとき書いた。
(´・(ェ)・`)つ

847鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:15:15 ID:1d4drIFg0
>>844 臨済宗の者が僧侶で無いのに僧侶と嘘をつくのは金のためじゃろう。
 葬式商売で儲けてうはうはなのじゃ。

>>845 そうじゃろう。
 本当はわしに認められたくて執着しているのじゃ。
 対面があるから認めたくないのじゃ。
 哀れな者じゃ。

848鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:20:19 ID:1d4drIFg0
悪い事をせずに、善い事をするのが仏法だというのじゃ。
三歳の子でもわかるが八十の老人でも実践は難しいというのじゃ。
人はどうしても攻撃欲に囚われてしまうからのう。
観念を打破するための善悪不二という言葉に囚われて、この言葉を忘れてしまうならば邪師になるのじゃ。
お釈迦様もそのように説く六師外道を論破したのじゃ。

849避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 13:49:56 ID:b/R.LjPg0
>>848
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?

850避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 20:17:51 ID:hdQ2/nGg0
136
漁父
學道参禪失本心     は本心を失す
漁歌一曲價千金   の一曲
湘江暮雨楚雲月 しゃかうのぼう楚山の月
無限風流夜夜吟  限り無き風流夜々の吟

くま訳
仏道修行、参禅は、本心を失わせる。
漁歌(漁夫の辞)は価千金である。
(屈原が入水自殺をした)湘江の夕暮れの雨、楚山の月を思うと
限り無く風流で夜々詩情が湧く

*おまけ:漁父辞 屈原
屈原曰挙世皆濁我独清     屈原曰はく、世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔我独醒是以見放。   衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。と。  
漁父曰    漁父曰はく、
聖人不凝滞於物、而能与世推移 聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す。  
世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。世人皆濁らば、何ぞ其の泥をにごして、其の波を揚げざる。
衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其醨。衆人皆酔はば、何ぞ其のかすをくらひて、其のしるをすすらざる。
何故深思高挙、自令放為。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。と。
屈原曰、吾聞之 屈原曰はく、吾之を聞けり。
新沐者必弾冠、新浴者必振衣 新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ。と。
安能以身之察察、受物汶汶者乎。 いづくんぞ能く身の察察たるを以て、物のもんもんたる者を受けんや。
寧赴湘流、葬於江魚之腹中、 むしろしやう流に赴きて、江魚の腹中に葬らるとも、
安能以皓皓之白、        いづくんぞ能くかうかうの白きを以てして、
而蒙世俗之塵埃乎。       世俗のぢんあいを蒙らん。と。
漁父莞爾而笑、鼓枻而去。    漁父くわんじとして笑ひ、えいを鼓して去る。
乃歌曰、            乃ち歌ひて曰はく、

滄浪之水清兮 可以濯吾纓    さうらうの水清まば 以て吾がえいをあらふべし
滄浪之水濁兮 可以濯吾足    滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし  

遂去不復与言。 遂に去りてまたともに言はず。

マナペディアHP訳
屈原は言いました。
世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中
で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。と。
漁師は言いました。
聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。世の中の人々(の心)が濁ってい
るならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。人々が酔っているならば、どうし
てその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。どういった理由で深く考え、お高くと
まって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」と。
屈原は言いました。
私はこういうことを聞いたことがあります。『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)よごれを払い、
入浴したばかりの者は、必ず衣服のほこりをふるってはらう』と。どうして清廉潔白なこの身に、(世俗
の)汚れたものを受け入れることができましょうか、いやできません。むしろ湘江に行って魚のエサになろ
うとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中にまみれされることができましょうか、いやできませ
ん。」と。
漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。そしてそのとき、次のよう
な歌を詠んだ。
滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。

とうとうそのまま去ってしまい、2人はもう2度と語り合うことがありませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

851鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:10 ID:1d4drIFg0
おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:49 ID:1d4drIFg0
>>849 おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

853鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:08:40 ID:1d4drIFg0
道を学び、参禅するのは却って本心を失うというのじゃ。
屈原に漁夫が説いたとおりなのじゃ。
一休は詩情に任せて吟ずることこそ自らの本心というのじゃ。

854避難民のマジレスさん:2020/07/28(火) 20:42:26 ID:9Bjm15Z60
137
紹鵷蔵主規地卜居 紹ゑん蔵す地を規して居をぼくす
家徒四壁立    いへいたずらに四壁立つ
扁曰土菴     扁して土あんと曰ふ
作偈以爲證云   偈を作つて以て證と為すと云ふ

夏巢冬穴一身康  夏巣冬穴一身康し
帯水拖泥萬念忙  帯水だでい萬念いそがはし
稼檣艱難若領略  稼しょく艱難若し領略せば
梅檀佛寺名利塲  栴檀の佛寺名利の場   

柳田聖山先生訳
紹鵷蔵主が、土地を探して、居を構えた。
その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、
土庵という額を掲げている。
そこで偈をつくって、タネ明しをしてやる。

夏は樹上に巣をつくり、冬は穴にもぐる鳥や虫は、身一つでさばさばしているが、
泥水をひきずって生きる人間は、あれやこれやと気疲れが多い。
畑仕事の苦労を身につけさえすれば、
栴檀造りの大寺院など、単なる名刹の場所にすぎまい。  

くま訳
紹えん蔵すが、あれこれと土地を占って居所を決めた。
家の四方には無駄に土壁を建て
土庵という扁額を掲げている。
偈を作つて、証としてやるのだ。

夏は巣を作り、冬は穴を掘って住めば気楽でよいのだ。
苦にまみれている人たちを救う為に、共に泥にまみれて生きることは、気ぜわしいであろうが、
土の働きをよく知り、農作業の苦労を身につけさえすれば、
栴檀の寺院など、名利を追う場に過ぎないことが分かるだろう。

*蔵主(ぞうす):禅寺の経蔵を管理する僧職。
*卜する(ボクスル):うらなう。うらなって、よしあしを判断する。
*領略:物事の意味を理解すること。さとること。
*帯水拖泥(たいすいだでい):苦しみにまみれている人を、慈悲の心を持って共に生活することで救済す 
 ること。
*稼檣(かしょく):東洋医学の五行論でいう、土にある”種まきと収穫”という農業上の働きのこと。

僭越ながら、柳田先生が、粗末な家としたところを、土壁に囲まれた豪華な家に読み替えてみた。
(´・(ェ)・`)つ

855鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/29(水) 00:10:32 ID:1d4drIFg0
寺などは名利のための場所に過ぎないと一休は詠うのじや。
家などはぼろでよいのじゃ。
畑仕事をしていれば気苦労も無いのじゃ。
隠遁生活が一番なのじゃ。

856避難民のマジレスさん:2020/07/29(水) 21:54:20 ID:IdZpVTSU0
138
賛臨済和尚     を賛す
喝喝喝喝喝 喝々々々々
當機得殺活 機に当たって殺活を得
悪魔鬼眼睛
明明如日月 明々としてじつげつの如し

くま訳
臨済和尚を賞賛する
喝々々々々
臨機応変殺活自在
人を見抜く悪魔のような鋭い洞察眼
明らかなること日月の如しである。

139
讀碧岩集序   碧岩集の序を読む
來山言教價千金 かつ山のごん教
一炬看來救古今 一きょみ来たれば古今を救ふ
休向寒灰成議論 寒かいに向かって議論を成すをやめよ
宗乗滅却老婆心 宗乗滅却す

くま訳
碧厳録の序を読む
來山善会の説き示されたことは価千金である。
一つのかがり火のような言説が、古今の人々を救う。
心の働きを鎮める為にと言って、議論するのはやめるのだ。
必要以上の親切心は、禅の極意を台無しにしてしまうのだ

*夾山:夾山善会(805〜881)。曹洞禅の法系
*一炬(イッキョ,いっこ): 一つのかがり火。 いっぺんに焼くこと
*寒灰(かんかい):火が燃え尽きたあとの灰。つめたい灰。転じて、心の働きがなくなった様子の形容。
*宗乗:自宗の教義。禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 00:09:27 ID:1d4drIFg0
言葉はいくら集めても悟りには至らないのじゃ。
無駄な議論はやめて実践あるのみと一休も詠うのじゃ。
実践あるのみなのじや。

858避難民のマジレスさん:2020/07/30(木) 19:45:19 ID:mNk/2S8Y0
140
示衆
割截難禁忍辱仙 かつせつたへ難しにんにく仙
捨身諸佛舊因縁 しゃ身は諸仏の旧因縁
千歳聲名断碑雨 千ざい声名断碑の雨
髑髏識盡北邙前 髑髏識尽く北ぼうの前

くま訳
釈迦の前世における忍辱仙人の修業のように、身体を切断されることは堪え難い、
他の生命を救うために身を捨てた前世の因縁で仏になったのだ。
千年前からの名声を伝える石碑も壊れて雨に濡れている。
髑髏は識り尽くしてるのだ。墓場の前にて。

*示衆:師家が学人に対して説法し指導すること
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*割截(かっせつ):ちきること。切りさくこと。
*捨身(しゃしん):命を捨てること。大乗の修行者が他の人あるいは生き物を救う為にみずからの生命を
 なげうつことは,重要なものとして評価された。
*北邙(ほくぼう):北邙山が、後漢以来王侯公卿の墓地として知られるところから、墓地、埋葬場。
(´・(ェ)・`)つ

859鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 23:01:08 ID:1d4drIFg0
無常の詩なのじゃ。
諸仏は自らの身を捨てて悟りを得たのじゃ。
いずれは朽ち果てる身ならば悟りを得るために捨てたらよいのじゃ。
身を捨てて悟りを得るのじゃ。

860避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:20:28 ID:D8qZy99Q0
一休さん47歳、華叟13回忌、途中退席事件
141  1/2
華叟老師掩光             光をおほふて
而後既洎二十餘稔也   而して後既に二十余年におよぶ
壬申秋敕諡大機弘宗禪師 壬申の秋勅して大機弘宗禪師とおくりなす。
仍製禪詩        よって禪詩を製して、
呈寄大用養叟和尚    大ゆう養叟和尚に呈寄す
且陳賀忱云       且つ賀しんをのぶと云ふ。
     
曾謝塵寰五十年 かつてじんかんを謝す五十年  
芳聲美譽是何禪 芳声美誉是何の禪ぞ
子胥晩日倒行去 ししょ日暮れて倒行し去る
覿面辱屍三百鞭  てき面屍を辱かしむ三百べん

くま訳   
華叟和尚の下で光に包まれて(悟りを得て、)
その後、二十余年が経った。
壬申の秋に、華叟は、天皇から大機弘宗禪師というおくり名を下賜された。
そこで、禪詩を作り、
養叟和尚に贈呈した。
真心からのおよろこびを述べるのである。
      
かつて、俗世間を離れて五十年を生きた(華叟)
俗世の名声、名誉が華叟の禪と何の関係があるのか
伍子胥(養叟)は日暮れて道遠い為、(華叟の禪に)逆らっているのか。
(華叟への)恨みを晴らすために、屍に三百回の鞭打ちをして辱めるているようなものだ。

*賀忱(がしん):真心からの賀詞
*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。謝罪する。感謝する。(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*芳声美誉: 誉れ高い名声。よい評判。
*覿面(テキメン): 面と向かうこと。また、そのさま。まのあたり。目前。効果・結果・報いなどが即 
 座に現れること。また、そのさま。
*子胥:次の(おまけ)の詩 参
*倒行:さからって物事を処すること。
(´・(ェ)・`)つ

861避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:28:45 ID:D8qZy99Q0
おまけ 『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝
八重樫一先生解説

春秋時代後期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、その復讐を心に誓いました。
以前楚にいたころ、伍子胥は申包胥(シンホウショ)と付き合っていました。
伍子胥が呉に逃亡する時、申包胥に次のように言った。
「自分はきっと楚を滅ぼしてみせる」と。
申包胥は言った。
「自分はきっと楚を保たせよう」と。

呉に亡命してから十四年、ついに伍子胥は祖国楚に戻ってきました。復讐すべき平王は、すでにこの世の人
ではなく、息子の昭王を捜させた。しかし昭王はすでに逃げ去った後であった。
しかたなく、平王の墓を掘り返し、死体を掘り出した。
(伍子胥は死体に)300回鞭打ちをして、やっと気が済んだ。
このとき申包胥は山中に逃れていたが、(その話を聞き)伍子胥に人を遣(や)って伝えた。
君の仇討ちは、酷いものだ。死屍(シシ)に鞭(むち)打つ、とは。
君は、もともと亡き平王の臣下であったではないか。
親しく仕えておきながら、今になって君王の死骸を辱めるとは。
天道を蔑(ないがし)ろにする極みではないか。
これに対して、伍子胥は(その使いの者に)言った。

為我謝申包胥曰、  我が為に申包胥に謝して曰(い)へ
吾日莫(暮)途遠、  吾れ日莫(く)れて途遠し、
吾故倒行而逆施之。 吾故に倒行して之を逆施(ゲキシ)せり、と。

私の為に申包胥に伝えてくれ
私はもう日が暮れているのに、行く道の遠い思いである。
私はだから、あわて急いで、道理に逆らうことをしたのだ、と。

*華叟の遷化に當り、養叟は、大德寺中に大用庵を新營し、華叟の塔を建て、且つ奏請して、大機弘宗禪師 
 の追諡を得た。(龍寶山大德寺世譜)後花園天皇其道譽を聞き、勅旨して文安二年八月大德寺に入らしめ、
 其第二十六世となつた。
(´・(ェ)・`)つ

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/01(土) 00:30:23 ID:1d4drIFg0
華叟和尚に死後の名声等はいらんというのじゃ。
それはむしろ死者に鞭打つようなものというのじゃ。
本人が欲しがっている筈もないものであるからのう。
押し付けはいらんのじゃ。

863避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:28:11 ID:C5vz/wP.0
142    2/2
懶瓚辭詔也何似 らいさんみことのりを辞すまた何ぞ似ん
煨芋烟鎖竹爐裏 わいうえんさす竹ろの裏
大用現前眞衲僧 大ゆう現前真のなふ僧
先師頭面潑悪水 先じのづ面に悪水を注ぐ

くま訳
懶瓚が天子の招きを辞退する話も、またどこか似ているのである。
焼き芋を焼く煙に包まれる、竹炉の裏(天子の招請を辞退した)の話は、
事に応じて活殺自在である、真の禅僧の面目の現れである。
(朝廷に奏請して追諡(ついし)を得るなどは、)先師の頭から汚水を浴びせるようなものである。

*懶瓚(らいさん・あだ名):明瓚(みょうさん・実名)は世間のわずらわしさから逃れ、山奥に隠居し、 
 残飯を食べて懶(なま)け者のように暮らしていたことから、懶瓚(らいさん)とあだ名で呼ばれていた
*竹爐(炉):携帯用の炉
*大用 :大いなる作用・働き。殺活自在の働き
*衲僧(のうそう)破れた僧衣を纏って修行する僧侶のこと。禅僧の通称
(´・(ェ)・`)つ

864避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:52:42 ID:C5vz/wP.0
おまけ:「懶瓉煨芋」らさん芋を焼く。
懒瓚和尚隐居衡山石室中
唐德宗闻其名
遣使召之 使者至其室宣言
「天子有詔 尊者常起谢恩」
瓒方撥牛糞火 尋煨芋而食
寒涕垂颐 未嘗答
使者笑曰「且勸尊者拭涕」
瓚曰「我豈有工夫為俗人拭涕耶」
竟不起

(一財)東洋文化資料館 青山讃頌舎HP訳
懶瓚(らさん)和尚は衡山(こうざん)の石室の中に隠居していました。 唐の徳宗は其の名を聞いて、
使を遣わし之れを召します。
使者は其の石室にやって来て宣言します。
「天子の詔である、尊者はすぐに都に行って恩に応えよ」
瓚和尚はまさに牛糞の火をはらって、焼芋を掘り出して食べようとしているところで、
鼻水を顎まで垂らしたまま何も答えようとしません。
使者は笑って言います。「ともかく、尊者、鼻を拭ってはどうですか」
瓚和尚は答えて、「何でわしがわざわざ俗人の為に鼻を拭うような手間を掛けねばならんのかね」
と言って、ついにお召しに応じませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 00:38:39 ID:1d4drIFg0
天子からの招待を断った禅僧もいたというのじゃ。
俗世の名声等は出家とは無関係なものじゃ。
そのような俗世の名声を捨てるのが出家であるからのう。
死後の名声を重ねようとするのは無意味なのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2020/08/02(日) 15:59:07 ID:gYSke2Sc0
143 男一休ここにあり!

瞎驢不受霊山記 かつろは受けず霊山の記
四七二三須愧慙 ししちにさん須らくぎざんすべし
豈堕在光影邊事 あに光やう辺のじにだ在せんや
銅睛鐡眼是同参 銅ぜい鉄眼これ同参

石黒吉次郎先生解説
これは盲目の者でも、銅や鉄のような優れた眼を持っていて、仏法を会得することを説いたもの
碧厳録八十八則の玄沙三種病の話に基づく

水上勉先生訳
達磨も六祖も瞎驢に傀じるべきだ。
瞎驢は霊山の記をうけてはおらぬ。
だが、その境地は、有相の仏や浄土の光影など糞くらえ。そんな分別に堕ちてはいない。
森女がそうである。仏も、色も、光も、影もみておらぬ。一休の瞎驢は観念上のめくらだったが、森女にめ
ぐりあって、そこに本物がいることに眼を瞠っている

くま訳

盲目の驢馬(一休と森)は、霊山から将来仏になると約束されたものではないのだ。
釈迦から達磨までの28代の祖師、達磨から慧能までの6代の祖師たちは皆、過ちを恥じるべきである。
決して、光影などの分別に陥ることはなく、
優れた眼力をもつ(森と一休は)、同学の仲間なのだ。

*受記:授記とは、仏が修行者に対して将来必ず仏となることを予言し保証を与えることをいう。仏の側か
 らは「授記」であり、修行者の側から言えば「受記」となる。
*四七二三:禅宗に於ける伝灯の仏祖を数で表したもの。
 二三は東土二三(かけ算する)で6代の祖師を意味し、菩提達磨尊者から六祖慧能までの中国の祖師方を 
 意味する。四七は西天四七で28代の祖師を意味し、インドで釈尊から正法眼蔵を附法された摩訶迦葉尊 
 者から菩提達磨尊者までの祖師方を意味する。
*電光影裏:人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ。
*同参:禅宗で、同一の師について参学すること。また、その同学の仲間。同学。
*銅睛鐡:すぐれた眼力を譬える言葉
*35「唖」の詩 参  前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>663
(´・(ェ)・`)つ

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
法華経にはお釈迦様が阿羅漢以下すべての弟子に如来になることを受記したとあるのじゃ。
それも創作であるがのう。
世間にもよく修行して悟りに近いものも居るといいたいのじゃな。
眼が見えなくとも修行の妨げにはならないのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:14:26 ID:hkn8ohjE0
模擬テスト
145
不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と  
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや

くま訳
珠を飲み込んだガチョウと、それをかばった比丘は厳しく罰せられた。
明らかなことである。正不正、真と偽と。
翠巌の眉毛の話、
保福は、きっと翠巌の身内にちがいない。

*鵝珠(がしゅ):鵝鳥の飲み込んだ珠、の意。宝玉をみがいていた珠師が、乞食の比丘のために食を取り
 に行っている間に、鵝鳥が玉を呑んだ。比丘は鳥が殺されるのを哀れんで、事実を言わなかったので、玉
 のないのに驚いた珠師は、比丘を疑って責め打ち、その血を飲みに来た鵝鳥をも怒りにまかせて殺した。 
 比丘は鳥の死によって、鳥に代わって死んでもよいと決意したことも無意味になったと告げ、珠師は鳥の
 腹から出た玉を見て、泣いて懺悔したという「大荘厳論経」の話。
*翠巌令参:唐時代の禪師。
*保福従展:
*家裏(かり): 家の中。自分の家。また、家族。
*翠巖眉毛:碧巖錄第八則:翠嵒夏末示眾云:大燈が大応から与えられ、解くのに三年かかった公案(その
「関・かん」の字を見よ!・・「雲門の関」)。解いて印可を受けた。
おまけの詩↓ 参
(´・(ェ)・`)つ

869避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:21:40 ID:hkn8ohjE0
おまけ:翠巖眉毛
 一夏以來,
 為兄弟說話,
 看翠嵒眉毛在麼
 保福云作賊人心虛
 長慶云生也
 雲門云關

 野狐禅RRPG HP訳
 夏安居に入って以来、諸君のために説法をしてきた。
 誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残っているか?
 保福が言った。泥棒は、うしろめたくてビクビクする
 長慶が言った。今、眉毛が生えそろったぞ。
 雲門が言った。関門だ。

 禅と悟りHP訳
 翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
 「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
 (昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
 もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
 どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
 (言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
 保福は言った、
 「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
 長慶は言った、
 「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
 最後に雲門が言った、
 「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。

師家が、「わしはしゃべり過ぎたか?」と、弟子に尋ねる時点で、師家としてお粗末な気がするであります
が、泥棒とまで指摘できるのは、よっぽど親しい身内なのだろうと言うのでありますね。
心の中には関所はなく、どんな嘘でも、でたらめでも、信じさせてしまえば、まかり通ってしまうものであ
りますから、聞き手が、自分で真理をしっかりと見極める関所を身につけなければなりますまい。 

大燈國師は、『関の字を見よ』という公案に、何と答えて合格したのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

870避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 22:36:44 ID:hkn8ohjE0
くま訳 訂正①132の詩、:「茂陵空薄情」・・茂陵で司馬相如が卓文君を思い詩を詠んだときの情のことと思われ、
くま訳の、「武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう」誤りと思われる。薄情の意味をどのように解す
か迷うところでありますが、ここは、柳田聖山先生訳の通り、「 相如は粋ではありませんか」と訳さないと、一休の
思いは伝わらないでありましょう。
くま訳 訂正②137の詩、:「家徒四壁立」・・一休さんがよく言及する司馬相如が、卓文君と駆け落ちした後、成都
での生活は困難を極め「家は只,四つの壁の立つのみ」とのこと、これを、引用しているものと思われ、柳田聖山先生
訳の通り、「その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、」とすべきでありましょう。そもそも、家徒四壁は、窮
めて貧しいことの譬えをあらわす四字熟語でありました。
真に僭越で有りました。
(´・(ェ)・`)つ

871鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/03(月) 23:53:41 ID:1d4drIFg0
>>869 投機の偈で答えたのじゃ。
 それには既に雲関を透得し終わったと書いて在るのじゃ。
 関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
 どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。

 実は既に内に入っているのじゃ。
 一休はそれを詩にしたのじゃ。
 保福豈非家裏人というのじゃ。

872避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 01:30:52 ID:ytDvJ4Pw0
>>871
鬼和尚、ありがとうであります。
「家裏人」が、関の内側の意味とは読み取れなかったであります。
精進するであります。

宗峰妙超禅師 (大灯国師)投機の偈
一回透得雲関了  一回〈ひとたび〉雲関を透得し了(おわ)って
南北東西活路通  南北東西 活路通ず
夕処朝遊没賓主  夕処朝遊 賓主を没し
脚頭脚底起清風  脚頭脚底 清風を起す

承福寺HP訳
ひとたび雲門の関を透過し終わってみると、四方八方何のとらわれるもの無いの
自由自在の境地である。立つも座るも寝るも起きるも朝夕へだつことなく、客だ、
亭主だといった賓主なく、迷いだ悟りだの区別もない。もう頭のてっぺんから足の
先まで一点の塵穢れなく清風がかけぬけるようなすがすがしさだ。
(´・(ェ)・`)つ

873避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 20:02:23 ID:fO1sW.K20
一休さんの辞世の詩の一つ・やっぱり森が好き!
144
辭世
今宵拭涙涅槃堂  今宵涙を拭う涅槃堂  
技倆尽時前後忘  技倆尽くる時前後忘ず  
誰奏還郷真一曲  誰か奏すげんきょう真の一曲   
緑珠吹恨笛声長 りょくしゅ恨みを吹いててきせい長し

*緑珠伝(楽史(910〜1007)宋初の歴史家。西晋の大富豪として有名な石崇の寵姫緑珠の物語。笛・舞
の名手であった美妓の緑珠が、主人に純愛を捧げ通して自決するまでの物語。

柳田聖山先生 訳
今宵かぎりと涙を拭きとる涅槃堂
根も気力も使い果たして前後不覚
誰が冥土に至るまで一曲を奏でる
緑珠が恨みをこめた笛の音を聞く

くま訳
今宵涙を拭う涅槃堂
生きる為の修業も治療もやり尽くし、ちょぴっと油断したのである。
誰が吹く、故郷涅槃へ還るために必要な真の一曲
笛の名手緑珠が吹く、心残りの笛の音のようだ。(森が帰郷の為の心の準備を思い出させてくれている。)
(´・(ェ)・`)つ


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