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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

498避難民のマジレスさん:2017/03/11(土) 08:38:20 ID:nZx12wGU0
鬼和尚はよく思考や感情などは己ではなく己のものではないとおっしゃってますが、己とはなんなのでしょうか?

499としぼっくり:2017/03/11(土) 12:12:22 ID:DAY232aw0
鬼和尚すいません。
 そのような者のために方法が必要なのじゃ。
とは一体どの様な方法ですか。

500としぼっくり:2017/03/11(土) 16:01:55 ID:DAY232aw0
もう一つ質問で申し訳ないのですが、
心身を観察したり、自分を追求するのは、
自分の本心を観察していないとできないのでしょうか?

501避難民のマジレスさん:2017/03/11(土) 17:38:16 ID:GXTFMGi.0
493です。そうなんですか、でも仮にでも自我がないと生活できないってのは、その仮の自我
というのは一種のカルマとして手放す必要のないものなんですか?

仮にでも同一化の観念であるならそのままにしておくのは少し気が引けるような気がします。

502避難民のマジレスさん:2017/03/11(土) 18:28:24 ID:pgFZqdGU0
鬼和尚様
禅って、最初から認識(阿頼耶識)だけを相手にしてるような気がしますが、違いますか?
だからこそ、シンプルではあるが、逆に難しくもあるという、そんな気がしたのですが。

503鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/11(土) 22:42:38 ID:1d4drIFg0
>>495 認識と気付きは違うものじゃ。
 認識に依って気づきはあるのじゃ。
 ものごとの真実にたどり着いた時に気付いたと人はいうのじゃ。
 認識は間違っていても認識なのじゃ。
 そのように理解すると善いのじゃ。

>>496 1 そうじゃ、集中した後に観察すると善いのじゃ。

 2 自我を思い出してよいのじゃ。
   それをも観察するのじゃ。
 意志や思考が働いても自我は忘れたままで居ることもできるのじゃ。

 3 忘我とはサマーディーの要件の一つなのじゃ。
  我を忘れるほどの強い集中状態をサマーディーと呼ぶのじゃ。

>>497 そのようなものじゃ。
 知識では語れないからズバッとかいうのじゃ。
 伝えようとする言葉がたりないがのう。

>>498 それはおぬしが定義するそのままのものが己なのじゃ。
 おぬしが自分というものをどのように定義しているかでなにものであるかわかれるのじゃ。
 例えば肉体は自分で操ることが出来るから己であるとするならば、操るものが己じゃろう。
 感じるもの全てが己ならば、感じるものが己じゃろう。
 それらの主体が己であると認識するならば、主体が己じゃろう。
 それらを全て記憶するものが己であるとするならば記憶が己じゃろう。
 自分が何をもって己としているのか観察によって見極めるのじゃ。

504鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/11(土) 22:48:28 ID:1d4drIFg0
>>499 お釈迦様や目覚めた者たちが説いた方法なのじゃ。
 瞑想とか観察とか観想とかなのじゃ。
 全ての修行法はありのままに本心を観ることが出来無い者のための方法なのじゃ。

>>500 そうじゃ、本心を観なくては何もならないのじゃ。
 本心でなければ偽りの心を観ていることになるからのう。
 偽りの心を観て悟ったとか言っても全て嘘なのであるから何にもならないのじゃ。

>>501 そうじゃ、カルマも自らの心から来る観念による報いを説明するために創られたものであるからのう。
 既に観念を離れたものには無いのじゃ。 
 
>>502 禅でも己を見ることが大事なのじゃ。
 見性というのも己の性質をみることであるからのう。
 それ故に推奨されるのじゃ。

505避難民のマジレスさん:2017/03/11(土) 23:14:14 ID:Mv1H2QeE0
>>503
鬼和尚さん、ありがとうございました。
ようやく忘我と観察についてわかってきました。
まずはとにかく瞑想して集中の練習をします。
またわからないことが生まれてしまったら教えてください。
いつもありがとうございます。

506としぼっくり:2017/03/11(土) 23:19:50 ID:DAY232aw0
二つも質問お答え下さりありがとうございます。
質問ですが、
自分を追求する時は、自分の本心を観察する様にしていれば良いという事ですか?

507481:2017/03/12(日) 07:33:05 ID:3L2ZJjcQ0
鬼和尚、ありがとうございます。

「気づきがあった」の気づきではなく、よく「私という存在は気づきである」とか言いますよね。
そのニュアンスの「気づき」は認識のことを指しているのかと思いましたが…あまり違う言葉を用いると混乱しますのでやめます。すみません。
認識は認識で統一します。

ところで阿頼耶識を厭離する具体的な観察ですが、
何かを見てそれを解釈する瞬間を観察すればよいでしょうか?
思考が解釈を起こすのだと思っていましたが、観察していたところ既に思考の前に見たものを判断しているように思えます。
花を見たら「花だな」という思考のラベル付け以前に花だと判断しているような…、
それが認識なのかなと。

508鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/12(日) 20:11:17 ID:1d4drIFg0
>>505 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>506 自分を追及する時にも本心を観察しなければならないのじゃ。
 うその自分を追及しても何の意味もないのじゃ。
 自分とは何か本当に感じていることを追求すれば本心を観察して自分を追及していることになるのじゃ。

>>507 そのような言い回しは気付くことに主体を投射しているのじゃ。
 
 そのように観察できればよいじゃろう。
 思考の前に分別や認識はあるのじゃ。
 認識されたものを思考しているのじゃ。
 認識できないものは思考できないのじゃ。
 思考は認識に依ってあるものであるからのう。

509蓮恵:2017/03/12(日) 21:40:05 ID:/840N4pM0
>>503
禅僧は良くも悪くも体験主義な面があるのでしょうか、ですから、ズババッと勢いで表現してしまいますね
自分のような人間にとっては、和尚さまのように知識で解説してくださるかたに会えて幸運だったと思います

510481:2017/03/12(日) 21:59:10 ID:FpZPAQus0
>>508
鬼和尚、何度もありがとうございます。

確かに認識がなければ、思考もない。
認識があるからこそ思考も存在できるんですね。

ということは、認識が思考を作っていると言えるのかと思います。
認識がなければ、そもそも思考も存在しませんからね。
などと悟ったようなことを言ってみましたが、相変わらず認識だけを捉えるのはなかなか難しいものです。

しかし確かに思考を一切しなくとも花壇の花を「花」と認識しています。
しかし認識の作用する瞬間と言いますか、認識が立ち上がる瞬間が見えない。
これが観れれば、私という観念が立ち上がる瞬間も観れるはず。
一日二日で観れるものではないと思いますので焦らず注意してみます。
ありがとうございます。

511蓮恵:2017/03/12(日) 23:09:02 ID:/840N4pM0
和尚さま
ある物Aが消滅したとして、一なる境地た立てばこの消滅でさえ、ものの顕れ、演出、体験の一つにしか過ぎないのですか。
これが正見であり、法なのだとすれば、この法を思うと狂気に近いものを感じるのです。
この法を念じて修行すれば、我が跡形もなくぶっ飛ぶのが目に見えているから、実際に恐怖を感じます。

まさに鬼じゃ。です。

512としぼっくり:2017/03/13(月) 06:03:40 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分の本心を観察して、自分を追求して行こうと思います。

513避難民のマジレスさん:2017/03/13(月) 14:08:17 ID:GXTFMGi.0
501です。その「仮の自我」が作られる段階というのはどこらへんなんでしょうか、

無我に至る→直後に仮の自我が生成される→認識を観察する→無認識に至る

位置づけ的にはこんな感じですか?違ってたらどの段階で仮の自我が生成されるのか
教えていただけると助かります。

514避難民のマジレスさん:2017/03/13(月) 17:57:18 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚
仏教の三法印の一つに「諸行無常」があるから、認識を滅した後にある絶対不変の何かのようなのようなものを説くのは
仏教じゃないと言う意見がありますが、どうなのでしょうか

515鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/13(月) 21:48:27 ID:1d4drIFg0
>>509 善かったのじゃ。
 チャンスを逃さず実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>510 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>511 それでよいのじゃ。
 自我か消えると思えば誰でも恐れを生じるものじゃ。
 それを超えてこそ悟りもやってくるのじゃ。
 恐れを乗り越えて進むのじゃ。

>>512 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

516鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/13(月) 22:00:28 ID:1d4drIFg0
>>513 それは段階ではないのじゃ。
 悟った後に他人と話すためにつくるものなのじゃ。
 悟っても他人に教えを説かない者はつくらないのじゃ。
 無為のまま涅槃に至るのじゃ。

>>514 諸行無常とは修行者に世間の虚しさを教えるために説かれたものじゃ。
 それもまた固定した観念として受け取るべきではないのじゃ。
 いかだの例えにあるように悟りに至るには法をもいずれは捨てるべきなのじゃ。
 そしてお釈迦様も法を超えた不死の境地を説いたのじゃ。

517としぼっくり:2017/03/13(月) 22:55:05 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、まとめてみたんですが、
集中の行で、数息観して、
観察の行で、自分の本心を観察して、
心身を観察するか、自分を追求していれば
自我が観られる、自我に気付くという事でしょうか?
あと、数息観の時は、
呼吸を数えるよりも、呼吸に集中する事を意識した方がよろしいのでしょうか?

518避難民のマジレスさん:2017/03/13(月) 23:27:35 ID:GXTFMGi.0
513です。
その「仮の自我」っていうのは無認識まで至らないと自ら作ろうとしても作れないんでしょうか?
つまり、無我に至っただけでは「仮の自我」を作ろうと思っても作れませんか?

519鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/14(火) 21:32:51 ID:1d4drIFg0
>>517 それでよいのじゃ。
 呼吸に集中するために数えるのじゃ。
 呼吸に集中できるようになったならば数えなくとも善いのじゃ。 
 実践あるのみなのじゃ。

>>518 無我でもつくれるじゃろう。
 意味は無いがのう。
 悟った者が他人に話をするためにつくるものなのじゃ。 
 無我ではつくる意味も無いものじゃ。

520としぼっくり:2017/03/14(火) 22:00:57 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行こうと思います。
また何かわからない事があればすいませんがよろしくお願いします。

521としぼっくり:2017/03/15(水) 11:24:18 ID:DAY232aw0
>>519のそれでよいのじゃとは、まとめたことがそれで良いということですか?

522避難民のマジレスさん:2017/03/15(水) 15:59:07 ID:R2VeAlFU0
鬼和尚!
写経はよいものですか?修練の一環になりますか?とても興味があります

523避難民のマジレスさん:2017/03/15(水) 17:11:57 ID:4M/dQBfY0
鬼和尚さま

この方は認識を滅して大悟徹底していると思われますか。
http://dharma-winds.net/%E6%91%82%E5%BF%83%EF%BC%88%E6%8E%A5%E5%BF%83%EF%BC%89%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98/%E3%81%82%E3%82%8B%E9%9D%92%E5%B9%B4%E5%83%A7%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%82%9F/

この方がまだ大悟徹底していないとするとこれはどういう段階でしょうか。

また大悟徹底していないとすると何が足りないのでしょうか。
それはこの記述のどのあたりからわかりますでしょうか。

自分からするとこの方は記述の内容から認識を滅して大悟徹底しているように思えたのですが、
自分も悟っていない身ですのでわかりません。
記述も詳細で自分の参考にしたいと思いましたのでお聞きしました。
よろしくお願いします。

524蓮恵:2017/03/15(水) 17:13:39 ID:hu.n.GIQ0
和尚さま
最近、自分の注意力に気づけるようになりました
恥ずかしながら、煩悩の多い(笑)私には異性に対する注意力が大きく働いており、視界と聴覚の情報から女の情報が見つかれば情報を集めるために集中し、女の情報が見つからなければ不要な情報として捨てるというような感じでした(笑)

525避難民のマジレスさん:2017/03/15(水) 17:46:11 ID:GXTFMGi.0
>>519

でも「仮の自我」って意図的に作ろうとしないと作れないんですよね、いざ自分が仮の自我を
作るか作らないかの分岐点に立った場合ちゃんと作れるかわかりません、作る方法もさっぱり
わかりませんし、具体的にどうやってそれを作るんですか?詳細な手順を教えてください。

526避難民のマジレスさん:2017/03/15(水) 18:37:12 ID:czRftzgI0
和尚さん、私は大悟どころかサマーディも未経験です。HPには自分を観察し尽くして座る理由がなくなった時禅が始まるとあります。ということは私はまだ観察によって執着を取り切れていないということでしょうか。

527鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/15(水) 21:35:25 ID:1d4drIFg0
>>520 こちらこそよろしくなのじゃ。

>>521 そうじゃ、そのまとめでよいのじゃ。
 後は実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>522 集中の役には立つじゃろう。
 好きなことはどんどんやったらよいのじゃ。
 努力は無駄にならないのじゃ。

>>523 悟っていないのじゃ。
 サマーディを経験しただけなのじゃ。
 普通に自我もあるのじゃ。
 みんな自分と言っているのじゃ。
 自分が無ければみんな自分も無いのじゃ。
 
>>524 善かったのじゃ。
 それも見性なのじゃ。
 自分の性質が見えたのであるからのう。
 更に精進あるのみなのじや。

528鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/15(水) 21:46:02 ID:1d4drIFg0
>>525 それも言葉とイメージによる観念なのじゃ。
 自分の名前とイメージを使っているならば自然に慣れてくるものじゃ。
 特に作り方がある訳ではないのじゃ。む

>>526 執着があるのかもしれん。
 ただ単に姿勢が悪いからかもしれん。
 座っていられる限界近くまで力を抜くと誰でもサマーディに入れるものじゃ。
 そのためには姿勢が正しくなければならんのじゃ。
 姿勢が正しくないと力を抜いたら倒れてしまうからのう。
 姿勢をよく研究してみるのじゃ。

529523:2017/03/16(木) 01:38:42 ID:4M/dQBfY0
>>527
お答えありがとうございます。

なるほど
みんな自分という認識は自他同一で自分という認識がないのかと思いましたが、
みんな自分という認識(自分、自我)があるということでしょうか。

そのあたりの認識が滅っせられると、和尚さまの言う全て意識とか、
鈴木大拙や井上ぎえんが無限や宇宙と言ったような表現になるのですかね。

そうなるとクリシュナムルティが悟ったと言われているときの体験の描写、
以下のようなものも、この時点ではまだサマーディで、
悟ったのはこのあと認識を滅したからということになるのでしょうか。

「やがて八月十七日になると、私は首筋に激しい痛みを感じ、瞑想を 十五分に短縮しなければならなくなった。
私の容態はどんどん悪化し、 ついに十九日にそのクライマックスに達した。
私は考えることも、何 をすることもできずにベッドに横になった。
やがて私はほとんど無意 識状態になったが、まわりで起こってることはよくわかった。
私は毎 日正午頃には正気に返った。
最初の日、自分がそんな状態で、いつも より周囲のものがはっきり意識に入ってるときに、私は最初の最も不 思議な体験をした。
道を補修している人がいた。その人は私自身であった。
彼の持ってい る(つるはし※傍点が付されてあります)も私自身であった。
彼が砕 いている石までもが私の一部であった。青い草の葉も私そのものであ った。
私のそばの木も私自身であった。私はほとんどその道路補修工 のように感じたり考えたりできた。
私は木々の間を通り抜ける風を感 じ、草の上にとまった小さな蟻を感じることができた。
鳥や、ほこり、 さらには騒音までもが私の一部であった。ちょうどそのとき、少し離 れたところを車が通っていった。
私はドライバーであり、エンジンであり、そしてタイヤであった。
自動車が私から遠ざかるにつれて、私は自分自身から離れ出た。
私はす べてのなかにあり、というよりはすべてが――無生物も生物も、山も 虫も、生きとし生けるものすべてが――私のなかにあった。」

530避難民のマジレスさん:2017/03/16(木) 05:15:30 ID:GXTFMGi.0
525です。
特に作り方がある訳でもない、ですか、、しかし自ら意図しないと作れないんですよね、
どうやって仮の自我ができあがるのかのプロセスをもう少し詳しく教えていただけない
でしょうか?

531避難民のマジレスさん:2017/03/16(木) 09:18:15 ID:axbVFonA0
痔です。
瞑想中、尻が痛くて数分毎に姿勢を微調整しなければならず集中が途切れます。
何か良い方法はありますか。

532避難民のマジレスさん:2017/03/16(木) 17:21:47 ID:czRftzgI0
触覚による肉体の乖離について色々考えた結果、出た結論は以下の通りです。
背中と考えているものは、背中に服が触れる時に生じる感覚と他人の背中の視覚記憶を元に作り出したイメージである。つまりその実体は記憶と感触であり、経験の対象ないしは客体であって主体ではない。
どうでしょうか?

533避難民のマジレスさん:2017/03/16(木) 17:30:30 ID:czRftzgI0
(訂正)
Xその実体は記憶と感触 → Oその実体はイメージの記憶

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/16(木) 21:58:15 ID:1d4drIFg0
>>529 そうじゃ、まだ自分という観念が残っているのじゃ。
 その投射する所が違うだけなのじゃ。

 クリシュナムルティもその時にはまだ悟っていなかったのじゃ。
 
>>530 例えば自分の名前が呼ばれたらそれを自分が呼ばれたとして返事をするとかなのじゃ。
 自分のイメージも度々思い出したりするのじゃ。
 そうすれば慣れてきて自分の観念を上手く使えるようになるのじゃ。

>>531 治るまで横になってやってもよいのじゃ。
 しりのマッサージをするとかするとよいのじゃ。
 温冷浴などもよいのじゃ。
 治ってからやわらかい座布団などをして座ると善いのじゃ。

>>532 そのような理解でよいのじゃ。
 後は実践にょって証明するのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

535蓮恵:2017/03/16(木) 22:16:05 ID:P0oV4erc0
和尚さま
悟りを開くとはつまるところ、無我と無常の法をズバッ(笑)と体験し、無我無常を完全に理解することと言えるのではないのでしょうか
そのために止観で認識を破壊するという感じでしょうか

536523 529:2017/03/16(木) 23:00:03 ID:4M/dQBfY0
>>534
お答えありがとうございます。
納得できる部分もあり聞いてよかったです。
あとは知識としてではなく体得できるようにお答えを参考に地道に精進したいと思います。
ありがとうございました。

537避難民のマジレスさん:2017/03/17(金) 10:09:08 ID:GXTFMGi.0
530です。なんだか仮の自我を作ることはお聞きする限り結構簡単そうですね、
私はもっと複雑で難しいプロセスを必要とするのかと思っていましたが、
本当にそんな簡単なものなんですか?

538避難民のマジレスさん:2017/03/17(金) 18:40:48 ID:czRftzgI0
>>532
実践します。ありがとうございました

539鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/17(金) 22:40:48 ID:1d4drIFg0
>>535 無常は別に要らないのじゃ。
 それは世間を捨てるための法であるからのう。
 無我になり、無認識に至れば大悟徹底なのじゃ。
 止観もそのための法なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>536 どういたしまして、またおいでなさい。

>>537 そうじゃ、観念を持つだけであるから簡単なのじゃ。
 ものごとに名前とイメージをもてばそれが観念であるからのう。
 無意味とわかっていても観念をもつことはできるのじゃ。

>>538 そうじや、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

540避難民のマジレスさん:2017/03/18(土) 02:32:48 ID:GXTFMGi.0
>>537です。

ということは無我になった瞬間、(無認識になった後じゃないとダメでしょうか?)そのまま
肉体を動かさないで至福のまま死んでいくことを選択しても良いし、あるいは教えを説く目的で
この世界に残る選択をするなら、「よし、自分の名前や自分についてのイメージを思い出そう」みたいな感じで自ら意志して仮の自我を作る
、このような流れで仮の自我は作られるのでしょうか?

541避難民のマジレスさん:2017/03/18(土) 03:38:13 ID:ypqmFy8U0
鬼和尚、私を覚えていますか。
以前は、大変な無礼をしてしまって申し訳ありませんでした。
私はどうすれば良いのでしょうか。
私をお導きください。

542鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/18(土) 21:56:55 ID:1d4drIFg0
>>540 無我でも観念はあるからそのまま死なないのじゃ。
 無認識になった後に教えを説くならばそうなるじゃろう。
 実践によって証明するのじゃ。

>>541 全て忘れたのじゃ。
 懺悔告白すれば全て許されるのじゃ。
 これからは善事を積むとよいのじゃ。
 更に悟りを求めて修業するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

543避難民のマジレスさん:2017/03/19(日) 12:23:31 ID:ypqmFy8U0
>>542
はい、みんなに感謝し懺悔し感涙し、悟りを目指そうと思います。
それまで、菩薩道を歩もうと思います。

544鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/19(日) 21:32:03 ID:1d4drIFg0
>>543 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

545避難民のマジレスさん:2017/03/19(日) 22:23:04 ID:GXTFMGi.0
>>540です。

でも、無我のままでは生活できないって以前鬼和尚が書いてらっしゃったのを
見たと思います。(もし書かれてないのであれば申し訳ありません。)

生活ができないほどになるのであれば、そのまま死ぬことも不思議ではないと思いますが?
例え、観念が残っていたとしても。

546545:2017/03/19(日) 22:27:21 ID:GXTFMGi.0
訂正です

× 生活ができないほどになるのであれば

〇 生活ができないほどに何もできない状態になるのであれば

です、よろしくお願いします。

547避難民のマジレスさん:2017/03/20(月) 10:27:42 ID:tHj0j65Y0
わざと顔を火傷した美女
http://www.epochtimes.jp/2016/01/25103.html

548鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/20(月) 21:46:16 ID:1d4drIFg0
>>545 無我になればむしろものごとはうまくやれるようになるのじゃ。
 自我の邪魔がないからのう。
 実践によって確めるのじゃ。

549としぼっくり:2017/03/20(月) 22:15:18 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
3年で悟りを得ようと思えば、1日にどれくらいの時間、瞑想した方がよろしいでしょうか?

550鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/21(火) 20:36:14 ID:1d4drIFg0
>>549 それは人によって違うじゃろう。
 意欲や才能も違うからのう。
 お釈迦様は七日間座り続けて悟ったのじゃ。
 悟りを得るためならば命も要らないという熱意で座れば七日で十分なのじゃ。
 自らの熱意によって決めるのじゃ。

551としぼっくり:2017/03/21(火) 20:57:16 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分の熱意で決めようと思います。

552避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 09:37:20 ID:8VTqO4V.0
鬼和尚、自由意思について質問です。
ここで質問するような内容ではないとは思いますがご容赦下さい。

私は以前、自分には自由意思はないという気づきを得ました。
自由意思は無い、と言うと決定論が思い出されます。
お釈迦様は決定論を否定されたとのことですが、私はこの仏陀の否定に頭を悩ませました。
しかし最近、「自由意思はあると言えばある」という考えになってきています。

現象が起こる根本的な仕組みやルールはどうしようもないですが、「認識」によって様々な現象をコントロールできるのではないかと考えています。
ゲームのルールは変えられませんが、その縛りの中で自由に活動することはできる。
その仕組みを知り、あえてその中で生きるのが悟った方なのかなと思いますが、鬼和尚は自由意思についてどのようなお考えでしょうか。

553避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 17:43:47 ID:/LtJi/2c0
鬼和尚さん

鬼和尚さんはよく「自分の本心を見ないで悟った人はいない」ということを言っていますが、それはどういう意味なのでしょうか?
自分の自我を見るためには、自分に隠している部分があると、自我をすべて見ることができないので、悟れないということですか?
それとも、自分に隠している部分があると、人間はどうしても自我が見られない構造になっているのですか?

554蓮恵:2017/03/22(水) 21:45:08 ID:hu.n.GIQ0
和尚さま

動中の工夫とはいかなるものでしょうか

555鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/22(水) 21:47:54 ID:1d4drIFg0
>>551 そうじゃ、自らの意志で決めるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>552 そうじゃ、人は条件付けなどで自由意志がかなり制限されているのじゃ。
 しかしよく考えて道を選ぶことも出来るのじゃ。
 大体2%ぐらいは自由意志はあると考えてよいのじゃ。
 真実を受け入れて学べば環境や条件付けに左右されずに自分の意志を発揮できるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>553 自我の全てをみなくてよいのじゃ。
 それは瞑想によるサマーディで悟ったとしても、やはり自我を観て悟っているという意味なのじゃ。
 自我の働きを全て観なくとも厭離は起こるじゃろう。
 それが自分ではなく、自動的に起こる観念に過ぎないと気付けば善いのじゃ。
 実践によって証明するのじゃ。

556避難民のマジレスさん:2017/03/22(水) 23:51:46 ID:/LtJi/2c0
>>555
鬼和尚さん、553です。
理解できました。
ありがとうございました。

557避難民のマジレスさん:2017/03/23(木) 00:05:19 ID:4.ICUonI0
>>555
ありがとうございます。

約2%とはかなり具体的であり、かつほとんど自由意思がなさそうな印象ですね笑

悟り一歩手前の話なのかもしれませんが、人は今この瞬間、認識という選択権を持っているように思えます。
それが約2%の部分なのかもしれません。
物事に対する認識、選択によって如何様にも道筋をざっくりですが変えられる。
それさえも自由意思ではなくすでに決定されていたと言われればそれまでなのですが…。

そのような認識や選択さえも超えたところに悟りがあると思いますが、私はあえて意識の創り出す現実という夢を楽しみたいと最近思うようになってきました。
またいつ悟りへの情熱が噴出するかわかりませんが、しばらくはこのままでいてみようと思います。
お答え頂きありがとうございました。

558鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/23(木) 21:34:14 ID:1d4drIFg0
>>556 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>557 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

559としぼっくり:2017/03/23(木) 23:19:20 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
心身を観察するのも、自分を追求するのも、自我に気付くと言う目的を持って、行った方がよろしいでしょうか?

560163:2017/03/24(金) 08:22:28 ID:6ZZgOq8Y0
鬼和尚様、こんにちは。
良寛は悟っていますか?

561避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 08:48:29 ID:6ZZgOq8Y0
また、鈴木正三は悟っていますか?

562避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 18:43:40 ID:czRftzgI0
空の法の「りんごというものが、実はりんごではないとすれば、りんごの認識は止まる。
しかし、りんごで無いならば、他のものであるという認識もできる。
それを止めるには、さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる。
そうすれば認識の働きは、逃げ道がなく、止まる事になる。」の意味についてお伺いします。

りんごをりんごでないものと見た後、そのりんごでないものを再びりんごと見ることでどうして認識が止まるのですか?結局りんごをりんごと見ていることに変わりはないのではないですか?
特に「さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる」の意味がわからないので、よろしくお願いします。

563蓮恵:2017/03/24(金) 19:36:12 ID:QZjWADYU0
和尚さま
>>554をお願いします

564避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 22:53:01 ID:XxxP/YTE0
和尚、ごぶさたしています。
仏教関連で必読というかこれは読んどけというもの1冊(多数あるなら何冊でもよいです)勧めてくださいませんか。

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:04:47 ID:1d4drIFg0
>>559 そうじゃ、そうしていれば向こうから悟りはやってくるじゃろう。
 自分に気付くのじゃ。
 観ようとすれば観えるのじゃ。

>>560 悟っていたじゃろう。
 死ぬときは死ぬが善いのじゃとかいっていたのじゃ。
 その通りじゃ。

>>561 悟ってはいないようじゃ。
 学者じゃな。

>>562 それが認識を壊すからなのじゃ。
 記憶による認識はものごとを記憶と照らし合わせて分別するのじゃ。
 これは赤いからりんごとかのう。
 あかくてもりんなごではなく、りんごでないからりんごとすれば分別は混乱をきたして認識は止まるのじゃ。
 それは認識の仕組みに基づいて創られた方法なのじゃ。
 理解は出来なくて当然なのじゃ。
 思考の元となる認識を混乱させるのであるからのう。
 理解してはいかんのじゃ。
 常に認識を混乱させる方法として実践するのみなのじゃ。

566鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:10:00 ID:1d4drIFg0
>>563 動中の工夫とは日常生活でも集中することなのじゃ。
 掃除でも洗濯でも常に心がけて集注していれば進歩も早いというのじゃ。
 観察も日常でやれば早いのと同じことなのじゃ。
 日常の一切が修業となるのじゃ。

>>564 法句経、ダンマパダをよむとよいのじゃ。
 わからなくとも読み返せば理解できるようになるのじゃ。
 古本で買うとやすいのじや。

567としぼっくり:2017/03/25(土) 00:15:45 ID:DAY232aw0
>>565ありがとうございます。
自分に気づくように心がけたら良いと言うことでしょうか?

568避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 07:42:42 ID:XxxP/YTE0
>>566
和尚、ありがとうございますいます!
すぐに手に取ります。読み終えたら次の一冊また聞くやもしれませぬがよろしくお願いします!

569避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 08:46:05 ID:czRftzgI0
>>562
なるほどそういうわけでしたか。これは直接聞く以外に知りようのなかったことで、その機会が与えられる和尚さんの存在のありがたさと自分の幸運を改めて認識しました。
どうもありがとうございました

570としぼっくり:2017/03/25(土) 11:13:13 ID:DAY232aw0
すいません>>567スルーして下さい。
ありがとうございます。
自分に気付くのじゃ。とは
自分に気付けば良いと言うことですか?

571避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 17:06:47 ID:6ZZgOq8Y0
>>565
ありがとうございます。では、良寛の書いたものを読むことは悟りに役立ちますか?
もし役立つのなら、おすすめの本はありますか?
私は悟ることが人生の目的です。

572鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/25(土) 20:47:35 ID:1d4drIFg0
>>567>>570 そうじゃ、自分に気付くのじゃ。
 自分とは何か?
 何を自分と認識しているのか観察によって気づくのじゃ。
 それだけで変容は始まるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>568 そうじゃ、読んでみるとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>569 どういたしまして、またおいでなさい。

>>571 あまり役には立たないじゃろう。
 修行法を書いたわけではないからのう。
 ありのままの詩歌が多いのじゃ。

573としぼっくり:2017/03/25(土) 21:34:00 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か?追求すれば良いと言うことでしょうか?

574避難民のマジレスさん:2017/03/26(日) 11:13:02 ID:R./ZkTe.0
鬼和尚、481です。
こんにちは。

しばらく観察してみましたが、認識を観ることについて糸口が掴めずにいます。

認識を観察するについてですが、
例えば音を聞こうとした時、本当は「音」という認識と、「私」という認識がそれぞれ起こっており、「音」→「私」と意識が切り替わっています。
この認識が繋がり「私が音を聞いている」という分離の幻想が出来るているのかと思います。
ここまではわかりました。

今のところ、意識が音を捉えた瞬間には既に「音」として認識しているように思えますが、認識が厭離されると音を音として認識しなくなるということですよね?
音を認識した直後に「音だ」と言う思考は捉えられてはいるのですが、その一歩前の音を音と認識する瞬間がわかりません。
何かアドバイス頂けると幸いです。

575鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/26(日) 21:38:45 ID:1d4drIFg0
>>573 そうじゃ、自分とは何か観察してみるのじゃ。
 そうすれば悟りはやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>574 その私が起こることをよく観察してみるのじゃ。
 それが観察できれば私が滅するじゃろう。
 無我によって認識も観察できるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

576としぼっくり:2017/03/27(月) 00:24:36 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察して行こうと思います。

577481:2017/03/27(月) 00:47:57 ID:JtkEeVqo0
鬼和尚、ご返信ありがとうございます。

私が立ち上る瞬間を観るということですね。

音を認識した直後に、「それを聞く者」として私がイメージされます。
私の場合、ざっくりと「こちら側」だったり、頭の中心の筋肉の収縮感に「私」を投射しているようです。
またこれは非常に微かで瞬間的なイメージであることも捉えています。
そこがわかると、頭の中心には「私」の中心や、音を聞いている者いうものはないことがわかります。

しかし、これが認識を捉えた瞬間なのでしょうか?
相変わらず思考を捉えているように思えるのですが…。
それともこの無我を維持しつつ観察をしなければわからないところなのでしょうか?

578避難民のマジレスさん:2017/03/27(月) 02:30:29 ID:xETinsKE0
F1レーサーであった故アイルトンセナはあるレースで自分がマシンを操縦しているのを
ふと気が付くと体から離れて上から観察していたという有名な話があります。
小説家もいわゆるライターズハイになるとまるで自分以外の何かが勝手に
物語を書いているような感覚に陥るということですね。

これは集中力が極限に高まると起こるみたいなのですが
なぜ集中力が増すとそのような現象が起こるんでしょう?
これが瞑想の数息感と同じ効果ということなんでしょうか?

私以外の何かが常に自分を観察しているが普段は気づけない
集中力が高まるとそれを感じることができやすいということですか?

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/27(月) 21:28:15 ID:1d4drIFg0
>>576 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>577 認識は捉えていないのじゃ。
 私が観えるならばそれを更に詳しく観察するのじゃ。
 そうすれば自然に無我になるじゃろう。
 認識は私が消えた時に観えるようになるのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>578 それは意識が拡大したからなのじゃ。
 普段肉体とか思考などに限定されていた投射が弱まるからなのじゃ。
 瞑想によるものと同じなのじゃ。
 そのようなものじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

580481:2017/03/27(月) 22:46:51 ID:52V0SuOc0
鬼和尚、
なるほど、無我になればわかる時がくるのですね。
社会生活を送っているとなかなか難しいなと感じますが、できる限り一日中観察に集中してみます。
ありがとうございました。

581避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:30:24 ID:lf.lkoB20
和尚、法句経を勧めていただいた者です。
この本が聖書や論語レベルで重要なものだと訳者の説明でわかりました。
喩えがどれも秀逸で思わず膝を叩くようなこともしばしば、心が洗われるようです。
読中ですが感動したのでまずご一報をと思いまして。何度も読み返そうと思います。

582避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:43:49 ID:DIiPmWc60
はじめまして、鬼和尚さん。

いつも鬼和尚さんの記事を拝見しとても参考にしております。

今回は、修行の実習における苦の区別についてお伺いします。

2009年4月の記事では、苦の観察の実修について記されています。

そして、苦は因により生じ縁により起き、苦が次々に起き増大し、それに自我を投影して終わるという結果までが一連の展開で、これを順番に観察していくのが順観、逆から順番に観察していくのが逆観とされております。

しかし、自分が今観察して発見した苦について、苦は様々な段階で発現するので、どの苦に該当するかの区別がつきません。

ひいては苦の順観や逆観も不可能であるように思われるのですが、なにか良い方法はないものでしょうか。

ご教授お願いします。

583避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 02:06:20 ID:PlRl0u560
>>579
集中が高まると自我への投射が弱まる ということですか
ありがとうございます

584としぼっくり:2017/03/28(火) 15:06:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
悟りを得るためには、タバコをやめた方が良いのでしょうか?

585鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/28(火) 21:18:21 ID:1d4drIFg0
>>580 どういたしまして、またおいでなさい。

>>581 そうじゃ、善いものじゃ。
 どんどん読むと善いのじゃ。
 またおいでなさい。

>>582 それは観察方法の一つに過ぎないのじゃ。
 縁起によって苦を全体的に観察する方法なのじゃ。
 それが困難ならば別の方法で観てよいのじゃ。
 五つの心身の要素を観る時のように、苦を分解して詳細に観察する方法でもよいのじゃ。
 苦の要素を幾つも分解してみるのじゃ。
 或いは苦が起こり消えるままにしておくのもよいのじゃ。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。

>>583 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>584 無理に辞めなくてもよいのじゃ。
 それに囚われてしまうからのう。
 健康とかもっと集中したいからという理由でやめたくなったらやめたらよいのじゃ。
 自由なのじゃ。

586としぼっくり:2017/03/28(火) 21:29:34 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
スッキリしました。
タバコ吸いながらでも修行続けて行こうと思います。ありがとうございます。

587582:2017/03/29(水) 01:30:32 ID:DIiPmWc60
ご助言ありがとうございました。

逆観のような難易度の高い観察方法にあまり囚われず、かといって、
考えなしに観察はせずに、単純な観察を手を抜かずに丁寧にやって
いこうと思います。

588鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/29(水) 22:11:38 ID:1d4drIFg0
>>586 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>587 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

589避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 14:55:01 ID:UATLzvCM0
むのうしょうげんという方は悟ってましたでしょうか?本は面白かったです

590避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 20:46:17 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん、感覚が自分ではないということは、どうすればわかりますか?

591鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/30(木) 21:47:58 ID:1d4drIFg0
>>589 悟っていないのじゃ。
 行者じゃな。

>>590 それは観察をすればわかるのじゃ。
 目や耳や鼻や舌やひふの感覚についてそれぞれ詳細に観察すれば、それが自分ではないと気付くじゃろう。
 仏教ではそれらと心の感覚について六の感覚器官とそれぞれの感覚について観察するようにと教えているのじゃ。
 目と目による視覚について観察する。
 耳と耳による聴覚について観察するというようにのう。
 実践あるのみなのじゃ。

592避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 13:00:01 ID:ZmtoUYNs0
>>591
鬼和尚さん、ありがとうございます。

さらに教えてください。
とくに触覚の観察方法についてなのですが、例えば、手を動かして、物に触った時、その感覚はどう観察すれば良いですか?
触った時、同時に自分が存在していると感じるのですが、触った瞬間に感じることを詳しく観察すれば良いのでしょうか?
どうすれば、物に触った感覚と自分の存在を切り離すことができますか?

593避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 17:06:12 ID:czRftzgI0
身体の乖離は手を手と認識しないことなのか手を自分のものと認識しないことなのかどちらですか?
考えているうちにわからなくなりました。

594としぼっくり:2017/03/31(金) 21:34:52 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
瞑想の時間は、出来る範囲で良いのでしょうか?

数息観は20分ぐらいで良いのでしょうか?

595鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/31(金) 21:45:39 ID:1d4drIFg0
>>592 者に触ったら物に触ったと観察すればよいのじゃ。
 触らなくなったら触らなくなったとありのままに観察するのじゃ。
 感じることがあればそれもありのままに観察すればよいのじゃ。
 切り離さなくてよいのじゃ。
 触ったときに自分の存在を感じるとありのままに観察するのじゃ。
 そうすれば自分の存在は自然に厭離されるのじゃ。
 切り離そうとか、切り離さなくてはならないとか、そのように思っていると観察は不完全になり、厭離も起こらないのじゃ。
 自分が感じられるのならばそれら全てをありのままに観察するのじゃ。

>>593 おぬしが感じられるままなのじゃ。
 手を手と認識しなくなったならばそれでよいのじゃ。
 手を自分のものと感じられなくなったならばそれでも善いのじゃ。
 変容は考えるのではなく感じるものじゃ。
 観察によって明らかに変化が起こったと感じるならば更に続けて行うのみなのじゃ。
 
>>594 そうじゃ、出来る範囲でよいのじゃ。
 20分でもよいのじゃ。
 毎日続けられる範囲で行うのが善いのじゃ。

596としぼっくり:2017/03/31(金) 21:55:29 ID:DAY232aw0
すいません。ありがとうございます。

597避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 23:08:59 ID:9XP4Lp720
>>595
鬼和尚さん、ありがとうございます。
物に触った時に自分の存在を感じることも、そのまま観察していれば良いのですね。
私は触覚に自我をとても投影しているようなので、厭離されるのには時間がかかりそうですが、正しい観察の方法がわかって良かったです。
ありがとうございました。

598としぼっくり:2017/04/01(土) 07:51:05 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
1.自我に気付くと言う目的が無いと、自分とは何かを観察していても、自我に気づかないのでしょうか?

2.自分とは何かを観察していたら、自分を追求している事になるのでしょうか?

599避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 15:35:41 ID:Dp/qMVVc0
鬼和尚、
相応部経典22の「花の香りのごとし」- 無我 についてお教えください。
病床の比丘ケーマという方が、下記のように我ありと主張したもので、多くの比丘たちを承服せしめたとあります。

 「友よ、わたしが <我あり>というのは、肉体が我であるというのではない。わたしの感覚や意識をさしていうのでもない。あるいは、それらを離れて、別に我があるというのでもない。
 友よ、それは例えば パードンマやプンダリケの花の香りのごときものなのである。もし人あって、弁に香りがあるといったら、正しいだろうか? また茎に香りがあるといったら、正しいだろうか? あるいは、蕊に香りがあるといっても、正しくないだろう。
 それはやはり、花に香りがあるといわねばなるまい。それと同じように、肉体が我であると考えてはならない。感覚、意識が我であるといってもあたらない。あるいは、それらを離れて、別に我の本質があるわけでもない。わたしは、それらの統一態において<我あり>というのである。」

サマーディの時は、どこにも主体の感覚も自分のイメージも無いので、本来我は無いのかと思いつつも、非瞑想時の感覚では上記の見解がしっくりくるようにも思えます。
上記の経に関してどのように自己の追求に役立てたら良いのか、あるいは捨ててよいものなのかどうかを知りたいです。

600避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 19:00:52 ID:czRftzgI0
>>593
なるほど自分のやりやすい方でやればいいのですね。
ありがとうございました

ところで鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実の鬼和尚は和尚さんですか?

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/01(土) 21:33:50 ID:1d4drIFg0
>>596 どういたしまして、またおいでなさい。

>>597 そうじゃ、ありのままを観るのじゃ。
 またおいでなさい。

>>598 1自分とは何かを観察していれば自我に気付くじゃろう。
 自我とは自分という観念であるからのう。

 2 なるじゃろう。
  何かと観察することが追求することであるからのう。

>>599 それはその比丘がそれらの統一態を自分と思っていたと気付いたということなのじゃ。
 そうであるからみんな納得したのじゃ。
 参考にはなるが、自ら気付かなければ意味はないのじゃ。

>>600 そうじゃ、わしなのじゃ。

602としぼっくり:2017/04/01(土) 22:09:38 ID:DAY232aw0
いつもありがとうございます。
自分の本心を観察して、自分とは何か観察して行こうと思います。

603としぼっくり:2017/04/02(日) 12:24:01 ID:DAY232aw0
お礼に続けて大変申し訳無いですが、
自分とは何かを観察する時、自我に気付くと言う目的を持っていた方が良いのでしょうか?
いつも沢山の質問申し訳無いです。

604避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 14:06:07 ID:DIiPmWc60
先日はご指導ありがとうございました。

観察についてですが、自分なりに工夫しております。

まず、観察を深く行うために辛い過去の出来事の時の感情を1つだけ思い出して
他のことの連想を禁止しています。

次に、辛い過去の出来事の時の感情を思い出そうとすると、純正な感情を
思い出す前に、辛い目にあった記憶に基づく認識を先に思い出してしまいます。
これに絡み取られると怒髪天を突くように怒りの感情に絡み取られるので、
これを純正な感情と区別して、自分の認識がこれに入り込まないようにします。

このようにして、余計なものを省いて取り出した純粋な感情を自分なりの方法で
観察しているつもりです。ここでいう観察とは、観察というよりはむしろ、感じると
いう方が適当な感覚で、胸から湧き出てきた気持ちをそのまま感じ取っています。

いわゆるゴエンカ式でいう、「ラベリング」は、感情は極めて微妙なため、
言葉によるラベリングがずばりと当てはまることが困難なため、鬼和尚さんは
必ずしも肯定されていないようなので、行っておりません。

また、純正な感情を感じる前に、しばしば記憶に基づく認識が強すぎる場合
があるので、これが自然に消えない場合は、これをこの方法で観察しています。

しかし、観察によって感じる感情は、自己否定的な感情ばかりです。これが新た
な記憶による認識として生み出され、増幅されてしまいます。

理論的には、私が行う仕事は純正な感情の観察だけですので、記憶による認識
の増幅は独立しているようにも思います。しかし、記憶による認識の増幅は、
これと純正な感情との区別を困難とするのでやはり問題です。

そこで、純正な感情の観察の副産物である否定的な感情が、記憶による認識
の増幅の原料にならないように、慈悲の心を持てるような対象を探して慈悲を
実践しています。

自分なりに方法を探究しているとこの方法にたどり着いたのですが、
これで良いのでしょうか。

605避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 17:51:26 ID:Dp/qMVVc0
>>601
なるほど、その比丘が何を自分と思っていたかに気づいたということなのですか。
ということは、それを思想とか我ありとの主張だと解釈するのが間違いで、観察例の参考として捉えれば良いということですね。
思考や感情などの1機能だけでなく、統一態を自分と思い込んでいる可能性もあるということが分かりましたが、囚われずに励もうと思います。
ありがとうございました。

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/02(日) 22:17:06 ID:1d4drIFg0
>>602>>603 そのような目的はないほうがよいのじゃ。
 
 目的を持てば観念を作り出してしまうかもしれんのじゃ。
 自我はただひたすらに観察して気付くものであるからのう。
 何度でも訊くとよいのじゃ。

>>604 自分がやり易い方法でよいのじゃ。
 続けてみて進んでいくところまで行くのじゃ。
 行けなくなったら別の方法を試してみると善いのじゃ。
 そのようにして進歩していくのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 
>>605 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

607としぼっくり:2017/04/02(日) 22:27:37 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察続けて行こう思います。
また聞く時が度々あると思いますが、よろしくお願いします。

608604:2017/04/02(日) 23:10:04 ID:DIiPmWc60
度重なるご指導ありがとうございます。

了解いたしました。

ご指導の通り、自分の方法で行けるところまで行ってみようと思います。

609鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/03(月) 21:08:58 ID:1d4drIFg0
>>607 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>608 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

610としぼっくり:2017/04/04(火) 17:39:21 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さんは、悟りを得た時、
瞑想どれくらいしていたんですか?

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/04(火) 20:43:44 ID:1d4drIFg0
>>610 時間は測っていなかったのじゃ。
 好きなだけ瞑想していたのじゃ。
 あとは経を読んでいたのじゃ。

612としぼっくり:2017/04/04(火) 21:07:28 ID:6PXnZyyc0
参考になりました。
ありがとうございます。

613としぼっくり:2017/04/04(火) 21:29:44 ID:6PXnZyyc0
お礼に続けて申し訳無いですが、
鬼和尚さんは、何年くらい修行して悟りを得たのですか?

614鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/05(水) 21:08:15 ID:1d4drIFg0
>>612>>613 それも特にこの日から修行しようと決めたわけではないからわからんのじゃ。
 大体十年ぐらいじゃろう。

615としぼっくり:2017/04/06(木) 01:41:33 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さんでも十年かかったんですね。
色々教えて頂きありがとうございます。
これからより精進して行こうと思います。

616避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 17:25:51 ID:4zOm3em.0
鬼和尚、こんにちは。

密教について質問です。
あまり深いところはわからないのですが、密教って現世利益的ですよね。
これと悟りがどう繋がるのか不思議です。
そもそも密教自体、悟りとは関係ないのでしょうか。

時代を経るにしたがってただのおまじないになってしまったのか、それとも現世利益によって悟り的に得るものがあるのか。
鬼和尚は密教についてどのようにお考えでしょうか。

617避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 20:12:49 ID:2mjcL8.g0
鬼和尚さん、逃避や執着がなくなればなくなるほど、集中力が身につきますか?
それとも、集中力はそういうこととは無関係ですか?

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/06(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>615 そうじゃ、精進あるのみのじゃ。
 またおいでなさい。

>>616 密教は神仏との一体化を修行する体系なのじゃ。
 その素質のあるものには速やかにサマーディに至れるのじゃ。
 空海とかもそうだったのじゃ。
 真摯に悟りを目指せばそれでも悟りを得られるものじゃ。
 チベットのミラレパなどは密教で悟りを得たのじゃ。
 
>>617 それらは無いほうがよいが集中力とはあまり関係はないのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想によって集中力は身につくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

619避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:17:05 ID:VfhJ5ipQ0
>>618
集中力とそれらはあまり関係ないのですね。意外でした。
集中の瞑想がんばります。
ありがとうございます。

620避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:19:58 ID:2jxVV.kg0
神仏と一体化することで悟りを得られるとは、観察とは丸っきりアプローチが違うので想像もつきませんね笑

ミラレパの名前は聞いたことがありましたが、どんな人なのかは知りませんでした。
今調べてみたのですが、神通力を駆使できたようですね。

自分というものの仕組みを知り、現実という夢を夢と見破り明晰夢を自由自在に操っているかのようです。
夢を操り、夢から抜け出した先に悟りがあるのかなと考えましたが、悟りにも様々な方法があるんですね。
ありがとうございました。

621避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:59:06 ID:Rf3lgZfw0
和尚、もう一人の自分が感情に右往左往してる自分自身に気づいて、慌てながらも落ち着いてるような状態って、言うなれば何でしょうか。その状態をいう適切な熟語ありますか?

622鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/07(金) 21:09:09 ID:1d4drIFg0
>>619 そうじゃ、集中とは関係ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>620 そうじゃ、道はいろいろあるものじゃ。 
 自分にあった道を探すのじゃ。
 またおいでなさい。

>>621 乖離とか客観視とかいわれるのう。
 他にもあるかもしれん。
 調べてみるとよいのじゃ。

623蓮恵:2017/04/07(金) 21:49:14 ID:AlNqYyjs0
止観の副産物かもしれませんが、
睡眠もいつもより少ないのに、最近元気が余っています
体を動かしたりしてもあまり疲れないのですが、元気を持て余し過ぎて気持ちが悪いです。
体を動かしたら楽になるのですが、常に運動できる環境でもないです。

和尚さまはこういう時はどのように過ごされましたか?

624避難民のマジレスさん:2017/04/08(土) 17:51:42 ID:czRftzgI0
瞑想、観察などは毎日しないといけないのでしょうか?一日でもサボると戻るのですか?
一週間に一日は休みとするのはだめなんですか?

625鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/08(土) 21:49:23 ID:1d4drIFg0
>>623 歩いているのじゃ。
 おぬしも歩くとよいのじゃ。
 散歩をしながら首の運動などもすると健康になるのじゃ。
 走ると死ぬ者も居るから歩くのが一番なのじゃ。
 
>>624 五分でも毎日やったほうがよいのじゃ。
 しかし休みたいときは休んでよいのじゃ。
 休んでいるときに気付くこともあるかもしれんからのう。
 自由なのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 09:05:10 ID:czRftzgI0
>>624
はいわかりました

627避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 12:56:08 ID:g4q.zYEA0
鬼和尚、
アートマンとブラフマンの違いを教えて下さい。

もし過去に説明されているのでしたら、どなたかリンクを教えて頂けないでしょうか。

628避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 15:47:16 ID:DeodeeNs0
>>627 鬼和尚さまのブログでアートマンの解説があり
ブラフマンについても、コメント欄の最後に書かれています。
参考にしてください。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-55.html

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:07:40 ID:1d4drIFg0
>>626 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>627 アートマンとは悟りを得るための方法なのじゃ。
 アートマンを実践してブラフマンに至るのじゃ。
 月と月をさす指のようなものじゃ。
 最後には全てが一つと知れるのじゃ。

630鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:08:17 ID:1d4drIFg0
>>628 ご苦労さんなのじゃ。

631避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:46:12 ID:sRbApLlI0
>>628
ありがとうございます!
すでにしっかり説明されてますね。
じっくり読んでみます。

632避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:54:31 ID:sRbApLlI0
鬼和尚、ありがとうございます。

鬼和尚の説法で面白いところは、普段真理とされているものが実は悟りへの技術だったというところです。
縁起もそうですが、真我、アートマンもそうだったとは…。

そのように観想することにより悟りを起こすということですよね。

では、私とは一体何なのでしょうか?
やはり一人の人間なのでしょうか。
私も様々な気づきを経て、今は自分とは意識のようなものと捉えておりますが、これさえも観想のように思えてきました。

633避難民のマジレスさん:2017/04/10(月) 12:01:49 ID:KUdA8t9s0
和尚さま

上記で書かれていた無能唱元という人の本を読んでみたところ、
瞑想でトランス状態に入った時に財福が来るように祈る方法のようで、
阿頼耶識に願望を書きこむといった内容などはとても面白いと思ったのですが、

この方法と、無思考になって境地を求める瞑想とでは、
財福を招くという点で言えばどちらが効果あると思いますか?

幸福で言えば後者であることは間違いないと思うのですが、
財福となれば、やはり願望を抱いていた方がよいのでしょうか?

634鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/10(月) 21:01:09 ID:1d4drIFg0
>>632 そうじゃ、それがアートマンなのじゃ。

 おぬしとは観念なのじゃ。
 名前とイメージだけのものなのじゃ。
 それに気付けば観念は無くなるのじゃ。
 人間というのも観念なのじゃ。
 あるといえるのは意識だけなのじゃ。

>>633 どちらも効果は無いのじゃ。
 施しをしていれば財福は向こうからやってくるじゃろう。
 善という種をまかないで財福という実がなる道理は無いのじゃ。
 人の財産を奪う極悪人がそのような技法だけで財福が来る筈も無いとわかるじゃろう。
 善事を行えば自然に財福も身につくじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

635481:2017/04/10(月) 23:55:19 ID:.X2QDRbY0
鬼和尚、
アートマンの質問は481でした。
教えて頂きありがとうございます。


私とは何なのかの私とは、意識のことを指してました。
しかし「私」という概念自体が観念であり、いろいろと削ぎ落としてもなお、この意識に私を投射しているからこのような物言いになってしまうのかなと思いました。

まだ認識の正体を掴めていないのでもどかしいですが、無我を維持することを心がけてみます。
いつもありがとうございます。

636避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 00:14:36 ID:DIiPmWc60
いつもお世話になっています。

鬼和尚さんに悟りにかかる時間に質問です。

鬼和尚さんは、悟りに至るまでおよそ10年かかられたということです。

しかし、昔の修行僧はわずかな成果のために寝る間も惜しんで
修行しても、その効果は少なく悟ったものはほとんどいないとも
おっしゃられております。

一方で、鬼和尚さんは、悟るのはそれほど難しくないともおっしゃって
おります。

悟るまでにどれくらい時間がかかるかと「考える」ことが、すでに修行の
妨げになるというのは理解できます。

しかし、本当のところはどうなのか知りたいです。

昔の修行僧の必死の修行でも成果が出ないほど修行は難しいというのは、
事実ですか、それとも修行の叱咤激励としての言葉でしょうか?

また、悟のはそれほど難しくないという言葉は、真理でしょうか、それとも
そう観念しておくのが修行にとって有用だからでしょうか?

637としぼっくり:2017/04/11(火) 01:25:09 ID:bnbJ4y8w0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を知る為に、自分の本心を観察するのでしょうか?
自分とは何かを観察するのは、自分とは何かを知る為でしょうか?

638としぼっくり:2017/04/11(火) 04:03:52 ID:9dM1dU/w0
>>637スルーして下さい。
気付く為だと思いました。すいませんでした。

639避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 10:00:35 ID:KUdA8t9s0
>>634
いつのまにかおかしな考えになっていたようです。
肝心なことを見落としておりました。
あまり余計なことを考えずに善事を行っていくよう心がけます。
ありがとうございました。

640避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 10:20:38 ID:KUdA8t9s0
>>634
善事で思ったのですが、
仕事がら出歩くことがないために、
外部との接触がほとんどありません。
家で慈悲瞑想などを行う程度でも、善事にあたるのでしょうか。

641避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 12:53:48 ID:Y5LPInQE0
>>634
>善という種をまかないで財福という実がなる道理は無いのじゃ。
>人の財産を奪う極悪人がそのような技法だけで財福が来る筈も無いとわかるじゃろう。

横ですが、ネットで無料で仏教の指導をされている鬼和尚さんが、大金持ちになっていないのはどういうことなのでしょうか?

642避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 17:56:15 ID:FocWw5K20
鬼和尚さん、集中している時の状態について教えてください。

だいぶ前なんですが、鬼和尚さんは強く集中している時は、呼吸が小さくなったり止まったりするものだとこの掲示板に書いているのですが、
同時に強く集中している時の状態はリラックスしている時の状態と同じだとも書いています。

そこで質問なのですが、呼吸が小さくなっているような時もリラックスしていると言えるのですか?
集中している時に呼吸が小さくなったり止まっているような感覚はよくわかるのですが、そういう時は何となくですが、リラックスしているとは言えない気がするのです。
言葉のイメージの問題かもしれませんが、リラックスしているという状態がよくわからなくなってきました。
呼吸が小さくなっていてもリラックスしている状態とは、どんな状態なのでしょうか?
思考がなく、身体の力が抜けていればリラックスしていると言えるのですか?

643としぼっくり:2017/04/11(火) 18:10:24 ID:IOMLtO8.0
>>637>>638
気付く為だと思いましたが、気付く為でよろしいのでしょうか?

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:00:28 ID:1d4drIFg0
>>635 どういたしまして、またおいでなさい。

>>636 それは正しい修業をしているかとか、本人の熱意によるのじゃ。
 正しい止観を行い、死んでも悟りを得たいという熱意があれば三年でも悟れるじゃろう。
 しかし、正しい止観を知らず、熱意も無いならば何年修業しても悟りは得られないのじゃ。
 昔は止観の正しい方法も伝わらなかったために何十年と修業しても悟れなかった者も多いのじゃ。
 止観の止である集中の行だけでも熱意があれば十年ぐらいで悟れるものも居たのじゃ。
 既に正しい止観の方法を実践し熱意があれば簡単に悟りは得られるじゃろう。
 
>>637>>638>>643 そうじゃ、気付くためなのじゃ。
知識を得るためではなく、本心を知るためでもないのじゃ。
 気付くことで全ての厭離は起こるのじゃ。

>>639 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

645避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:09:42 ID:DIiPmWc60
>>644

ご返信ありがとうございます。

つまり、昔の日本ではサマタ瞑想である禅だけでヴィパッサナー瞑想
が伝わっていなかったので、止観の内、「観」の瞑想が不十分であった
ということですね。

646鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:13:37 ID:1d4drIFg0
>>640 善事は他人のために行うことなのじゃ。
 家族とか仕事仲間とかに優しいことばをかけたりするのも善事なのじゃ。
 無財の七施とかを実践してみるのじゃ。

>>641 わしは財福を望まないからなのじゃ。
 資産を積み上げて金持ち父さんになる実践中なのじゃ。
 それも衆生の為に試しているのじゃ。

>>642 集中が強くなるほど逆にリラックスしなければならんのじゃ。
 体にも心にも力が入っていれば集中も強くならないのじゃ。
 集中しようという意志さえもない完全なリラックスした状態が呼吸も無い集中状態なのじゃ。
 そこでは思考だけではなく自分さえも忘れているから、完全な安らぎがあるものじゃ。
 それが集中の完成であるサマーディの状態なのじゃ。
 そこに至るまで更に力を抜いてみるのじゃ。

647鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:15:02 ID:1d4drIFg0
>>645 そうじゃ、それでも無理ではないがかなり時間がかかるのじゃ。
 才能も必要なのじゃ。
 止観によってこそ悟りも速やかに得られるのじゃ。

648避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:28:29 ID:Y5LPInQE0
>>646
善事を成せば、自動的に金持ちになるというわけではないのですね。
あくまでも善事を行った本人が望めば、金持ちになると?

では、金持ち父さんの教えを使って資産を増やそうとしてるんでしたら、今行っている善事によって、
金持ちになっても、同じだと思うのですが、どうして金持ち父さんの方法を取るのですか?

649避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:39:28 ID:DIiPmWc60
>>647

ありがとうございました。

悟りにかかる時間と難しさをうかがった趣旨は、時間がかなりかかる
上に悟る難易度が高ければ、修行をする覚悟がなかったからです。

ヴィパッサナー瞑想は悟り

650避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:41:35 ID:DIiPmWc60
途中で失礼しました。

ヴィパッサナー瞑想は修行の過程で悟りに近い状態に近づけるということ
なので、悟ることができなくとも、私にとって意義のある止観の法を
やっていきたいと思います。

651としぼっくり:2017/04/11(火) 22:03:41 ID:ihwzTTG60
鬼和尚さんすいません。
本心に気付く為に、本心を観察しているということでしょうか?

652避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 00:33:39 ID:GXTFMGi.0
多くの人の場合は目覚めが起こってもまたすぐに自我が戻ってくるのに、マハルシは
最初のあの目覚めがほぼ恒久的なものでしたよね、なぜマハルシの目覚めだけ
恒久的な目覚めであったんでしょう、鬼和尚はどう思います?

653避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 20:24:50 ID:zC8GWbdY0
>>646
ありがとうございました。
できるだけ善事を心がけていきます。

654入り口の人:2017/04/12(水) 20:40:32 ID:dFAk.kvU0
何か変わった。余計な感情を抱かないというか…

655避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 21:06:34 ID:uTiUxAqg0
>>646
鬼和尚さん、ありがとうございます。
心の力も抜くのですね。
何となくわかってきた気がします。
集中の完成のサマーディーを目指してみます。

656鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/12(水) 21:30:32 ID:1d4drIFg0
>>648 今わしがしている善事で金持ちになったら、わしにしか出来ない方法になるのじゃ。
 誰にでも出来る方法でなければ人には教えられないのじゃ。
 実際に善事と報いに関係なく資産を積み上げてこそ、誰でも資産を積めば金持ちになるという証明になるのじゃ。
 そのために金持ち父さんの方法を試しているのじゃ。

>>649>>650 恐れを超えて本当に心身の観察ができれば、速やかに悟りも訪れるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>651 本心の感情とか思考とか観念に気付くためなのじゃ。
 気付けば厭離が起きてそれらの働きに囚われなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

657鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/12(水) 21:35:13 ID:1d4drIFg0
>>652 自我が戻るのは無我の小悟でとまっているからなのじゃ。
 大悟徹底すればもはや戻らないのじゃ。
 むしろ進行していくのじゃ。
 妙観察智があるからのう。
 一切の観念を捨てて涅槃に入っていくのじゃ。

>>653 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>654 善いことじゃ。
 それもおぬしの精進の成果じゃろう。
 観察して気付くことで人は本当に変容していくのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>655 そうじゃ、力を抜ききって真の瞑想は始まるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

658避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 21:53:07 ID:GXTFMGi.0
>>657

ということはあのマハルシの最初の目覚めは認識をも滅した大悟であった、と鬼和尚は
思っておられるのですか?

659としぼっくり:2017/04/12(水) 21:54:18 ID:jGbOOhtA0
ありがとうございます。
気付く為に実践して行こうと思います。

660としぼっくり:2017/04/13(木) 10:05:54 ID:IOMLtO8.0
お礼に続けてすいません。
質問ですが、
観察していたら、気付きは起こるものなのでしょうか?

661481:2017/04/13(木) 11:45:33 ID:mIFvnrFs0
鬼和尚、
今一度、無我について確認させて下さい。

思考を観察する時、「思考を観ている者」がいます。

観ている者はどこにいるのかを探すと、私の場合は視覚の手前にいると感じます。

しかし感じるだけでよく観ると、視覚の手前には何もなく、映像だけが浮かんでいることがわかります。

ここで思考も視覚も観ている者はいないとわかります。
観る者はいないのですが、五感と思考はある。

これが今の私の段階ですが、これは鬼和尚の無我と同じでしょうか。

これが無我だとしたら、この状態から認識をどのように観ていくかがわかりません。
より精妙にどこを観れば良いのでしょうか。
何度も申し訳ありません。

662避難民のマジレスさん:2017/04/13(木) 11:56:29 ID:Y5LPInQE0
>>656
例えば、過去に悪行で他人から巻き上げたような人間でも、そういうことは止めて、
金持ち父さんの方法でやろうとした場合、金持ちになれるのでしょうか?

663避難民のマジレスさん:2017/04/13(木) 19:11:41 ID:ZYtJCQg60
鬼和尚さま
いくつか質問させてください

観察するとき自我を観察しているのは自我ですか?
自我以外に自我を観察できる何かがありますか?

厭離とは、自我が自我を観察しているという主客関係が、意識から離れることですか?
厭離されても自我を観察するのは依然自我ですか?
それとも自我を自我以外の何か、例えば意識が自我を観ることができるのですか?

マハラジなどが観照者と呼んでいるものは鬼和尚さまの言葉だと何なのですか?

664鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/13(木) 20:47:48 ID:1d4drIFg0
>>658 そうかもしれん。
 或いは後に長く座っていた時に大悟したのかもしれん。
 本人以外に知りようは無いのじゃ。

>>659>>660 そうじゃ、観察していれば気付きは起こるのじゃ。
 例えば朝に鏡で自分の顔を見て今日は血色がよいとか気付く。
 それも観察による気付きなのじゃ。
 本当に観察していれば気付きは必ず起こるものじゃ。

>>661 まだ無我ではないのじゃ。
 観照も起こっていないのじゃ。
 更にそれを見ているものに自我を投射しているのかもしれん。
 自我がみえるまでどこまでも追求していくのじゃ。

>>662 なれるかもしれん。
 数学的に正しいからのう。
 しかしその後に失うかもしれん。
 それもまた検証あるのみなのじゃ。

>>663 違うのじゃ。
 自我は観念であるから何も出来ないのじゃ。
 意識によって観察するのじゃ。
 それは心の働きを感じる認識能力なのじゃ。

 厭離とは自己同一化がなくなることなのじゃ。
 自我はなにもできないのじゃ。
 
 阿頼耶識じゃろう。

665としぼっくり:2017/04/13(木) 21:14:05 ID:Z/zuQ/I60
ありがとうございます。
これからも集中と観察、止観を続けて行こう思います。

666避難民のマジレスさん:2017/04/14(金) 00:44:31 ID:GXTFMGi.0
>>664

ありがとうございました。

667避難民のマジレスさん:2017/04/14(金) 01:13:59 ID:Y5LPInQE0
>>664
ありがとうございます。金持ち父さんの方法を研究してみようと思います。

668481:2017/04/14(金) 01:15:05 ID:NXlvUsZw0
鬼和尚、お答え頂きありがとうございます。

私のはまだ無我ではないのですね。
まだ先は長そうです…。

自我は観念とのことですが、より具体的に言うと記憶という経験の束が瞬間的にイメージとして現れたものと私は認識しています。
「私」に意識を向けると、瞬間的に過去の経験が湧くのがわかります。

それを削ぎ落とし、さらにその記憶を見ている存在に意識を向けると、頭の筋肉の収縮?に私を投射しているのがわかります。
もちろん「わかります」と言っているのは思考です。
それらはすべて認識されるものであると認識しますが…
この先なんでしょうね。
おそらく、これらを分別している者が鬼和尚のおっしゃる自我なのかなと。
今のところ、これ以上は捉えられていません。
より観察を頑張ってみます。

669663:2017/04/14(金) 04:03:21 ID:MqVws1/g0
>>664
ありがとうございます。
自我を観察するのは意識なのですか。

そうなると、意識が自我を観察し、
意識に自我は自分ではないと自己同一化をやめる気づきが起き、
それで厭離になるというシンプルなことなのでしょうか?

670避難民のマジレスさん:2017/04/14(金) 18:53:43 ID:czRftzgI0
止観をしていたら過去の見聞きしたことが脳裏に次々と現れました。それらは常に決まりきった場面(同じ人が同じセリフを喋るとか)の記憶です。これは過去のそれらの経験に自己を投影して自我を形成しているからであり、ただの経験に基づく記憶にすぎないから自我自体は主体的に行動することはない。
その自我を見ることで真我とを区別し、自我を乖離する。そうしていくことで自我は脳裏に浮かばなくなり、無我に至る。という理解でいいですか?

671入り口の人:2017/04/14(金) 21:20:01 ID:dFAk.kvU0
>>657
お言葉ありがとうございます。

672鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/14(金) 22:02:24 ID:1d4drIFg0
>>665 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>666 どういたしまして、またおいでなさい。

>>667 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 実践すれば多くのことがわかるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>668 そうじゃ、更に詳しく全体を観察してみるのじゃ。
 何度も観察すれば自分というものが観念であると気付くのじゃ。
 気付くことで厭離も起こるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

673鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/14(金) 22:10:23 ID:1d4drIFg0
>>669 そうじゃ、それが観照なのじゃ。
 それほど難しいものではないのじゃ。
 ただひたすらに実践することでそれは起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>670 そのような理解でも善いのじゃ。
 真我というものはないがのう。
 ただひたすらにあるものだけを観るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>671 どういたしまして、またおいでなさい。

674669:2017/04/15(土) 05:55:20 ID:Yj2kR5xQ0
>>673
観照についてのお話ありがとうございました。
地道に実践していきたいと思います。

675避難民のマジレスさん:2017/04/15(土) 10:18:39 ID:czRftzgI0
>>670
ありがとうございます、精進します

676避難民のマジレスさん:2017/04/15(土) 17:13:48 ID:DIiPmWc60
>>670
>>673

鬼和尚さんいつもお世話になっております。

670に便乗ですが、私の観察も過去の記憶を自我として観察するという
方法によく似ています。

観察が進むからこそ、裏切られたり失ったり中傷されたときは、「行」が返された
喜ばしいことであるという表現があるのだと理解しております。

しかし、毎回自我を観察できるわけではなく、なぜか良く観察できる
心理状態とそうでないときがあります。

良く観察できるときは、電車や乗り物に乗っていたりするときや、
思考モードになっているときな気がします。

何らかの方法で思考モードとなり、次いで過去の記憶を観察して、
それを観察してお腹でどう意識されるかを感じるという手順でも
大丈夫ですか。

677避難民のマジレスさん:2017/04/15(土) 17:29:41 ID:D0EChkXk0
鬼和尚さんへ質問があります。
歩きながら観照を行なっていたところ思考が透き通っていく様な感じがし、無意識の内に行動していたとき人に呼びかけられ、それに反応したとき心の起こりというものを捉えることが出来ました。
そのとき頭が真っ白になり自我が無いことがわかりました。
それ以来普通の人と同じ様に悩んだり怒ったり欲が出たりはするのですが自我というものが本当は存在しないこともわかっている為それらに執着するということが無くなりました。
自分では預流果に至っていると考えているのですが実際はどうなのでしょうか?
またこの体験は見性と呼ばれるものなのでしょうか?

678避難民のマジレスさん:2017/04/15(土) 21:17:07 ID:.szgK0XQ0
鬼和尚、初めまして。
坐禅を組んでいて、でてきたものなのですが①記憶や実際の音などの現象によって、思考が生まれその後感情が生まれました。②また、同様に記憶などによって、思考が生まれ、自分の考え、こだわりなどを考えると、苦の感情が生まれました。

②では、例えば、不当に扱われた記憶を思考し、それに私の考えでは不当に扱われるべきではないと考えてしまうと、怒りの感情がわきます。
①では、私の考えを思わなかったので苦は感じませんでしまた。

「私の考え」とは、自分の理論や道徳について正しい、自分も他人もそうあるべきと考えている様で、そして、それを認めて欲しいという承認欲求や自尊心もある様です。また、現実では自分も他人もそのような行動はとれていないので自己嫌悪もあります。

この「私の考え」というものが自我でしょうか。またこの説明でおかしなところがありましたらご指摘ください。

679鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/15(土) 21:28:48 ID:1d4drIFg0
>>674 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>675 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>676 そのまま続けるとよいのじゃ。
 過去が本当に自我であるのか、気付くときも来るじゃろう。
 それまでただひたすらに観察あるのみなのじゃ。

>>677 見性といってもよいじゃろう。
 預流果は修行に入ったものは全てあてはまるものじゃ。
 流れに入ったものであるからのう。
 見性を何度も重ねて観照に至るのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>678 それは自我ではないのじゃ。
 思考なのじゃ。
 その思考に自分のものという観念が投射されているのじゃ。
 苦の観察はそれでよいのじゃ。
 何度も繰り返せばそれは機械的な反応であり、自分という観念や自分のものという観念があてはまらないのに気付くじゃろう。
 それによって苦の自己同一化がなくなるのじゃ。
 自我が見られるのは更に先になるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

680避難民のマジレスさん:2017/04/15(土) 22:52:55 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

金持ち父さんの本がたくさんあったのですが、鬼和尚さんが読んだ本は、なんというタイトルですか?

681677:2017/04/16(日) 09:25:39 ID:hsWKPNCU0
>>679
お返事ありがとうございました
精進します

682避難民のマジレスさん:2017/04/16(日) 09:32:15 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚さん自身は金持ち父さんの本を読んでひと財産築けましたか?

683避難民のマジレスさん:2017/04/16(日) 10:04:19 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さんは、インターネットを使ってお金を得ているようですが、何かを販売されてるのでしょうか?

684としぼっくり:2017/04/16(日) 12:18:57 ID:e3FcqxaA0
鬼和尚さん質問ですが、
自分とは何か観察する事は、自分とは何か追求している事になるのでしょうか?

685避難民のマジレスさん:2017/04/16(日) 18:13:27 ID:DIiPmWc60
>>679

ありがとうございました。

思考モードで自我を見てみます。

686避難民のマジレスさん:2017/04/16(日) 19:55:19 ID:rQj/EmIA0
鬼和尚さま

過去スレで、他人の行動への怒りが、
自己を投射しているせいであるという回答を拝見しました。
(自分が律していることを他人がすれば自分が投射されて、禁止を破られたと怒りが起こるという回答)
とても腑に落ちました。

質問です。どうして他人(の行動)に、自己を投射してしまうのでしょうか?
その投射行為は、自分の持つ苦と関わりがあるのですか?

687鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/16(日) 22:10:39 ID:1d4drIFg0
>>680 最初の本の金持ち父さん貧乏とうさんなのじゃ。
 これだけで十分なのじゃ。
 後は実践して資産を築くのじゃ。

>>681 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>682 今実践しているのじゃ。
 少しずつ進んでいるのじゃ。
 おぬしも実践あるのみなのじゃ。

>>683 健康の本とかなのじゃ。

>>684 なるのじゃ。
 それこそ自分を追及する事なのじゃ。
 自分とは肉体であるか、それとも思考であるか、感じようであるか、認識であるか。
 ことごとく観察して追求るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

688鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/16(日) 22:23:07 ID:1d4drIFg0
>>685 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>686 他人も自分のものと思っているからなのじゃ。
 自分と同じ国とか地域とかに所属し、同じ行動をとるべきと期待しているのじゃ。
 それも苦の原因になるものじゃ。
 自分とか、自分のものという囚われがあれば常に苦の原因となるのじゃ。

689蓮恵:2017/04/16(日) 22:37:52 ID:2PcDrMdY0
座禅中、自分の感覚が曖昧になったので何が自分なのかを探している働きを目にしました

690としぼっくり:2017/04/17(月) 00:12:35 ID:IOMLtO8.0
ありがとうございます。
自分とは何か観察して行こうと思います。

691避難民のマジレスさん:2017/04/17(月) 07:51:52 ID:Y5LPInQE0
>>687
ありがとうございます。
最初に出版された方を読んでみようと思います。

692としぼっくり:2017/04/17(月) 17:06:29 ID:ihwzTTG60
お礼に続けてすいません。
自分とは何か観察する事が、
自分を追求する事、自分とは何か追求する事なのでしょうか?

693避難民のマジレスさん:2017/04/17(月) 19:00:46 ID:8TunS37.0
鬼和尚、死の恐怖の症状で悩んでいます
トラウマを直視して死なないと分かり症状は改善しましたが、恐怖の感情からの逃避があります
恐怖の感情は今までの苦滅の瞑想法では難しいかもしれませんがどうでしょうか?
恐怖の感情をただ感じる(受け入れる)やり方を本で見ましたが危険だと思いました、鬼和尚はどう思われますか?
また他に良いやり方はないでしょうか?

694686:2017/04/17(月) 21:00:04 ID:rQj/EmIA0
>>688ありがとうございました。納得しました。
さらに観察を実践し、確かめたいと思います。

695鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/17(月) 21:11:58 ID:1d4drIFg0
>>689 そのような経験が多くなれば゜自我も見えて来るじゃろう。
 囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>690 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>691 そうじゃ、読んでみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>692 そうじゃ、続けていれば自分とは何か気付く時が来るじゃろう。
 ただひたすら観察すれば気付くのじゃ。
 それ以外に自分を追及する方法は無いのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>693 そのような心の働きがわかったならば、恐れから逃避が起こっていると観察するのじゃ。
 今起こっていることをただひたすらに観察するのじゃ。
 そうすれば逃避すらも厭離されるのじゃ。
 難しいと思えば難しいと思っていると観察し、危険と思えば危険と思っていると観察するのじゃ。
 何があろうとただひたすらに今ここで起こっている心の働きをありのままに観察するのみなのじゃ。

>>694 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

696としぼっくり:2017/04/17(月) 23:42:39 ID:KA4WiNrc0
何度も同じような事聞いてすいませんでした。
観察を実践して行こうと思います。
ありがとうございますございます。

697避難民のマジレスさん:2017/04/18(火) 10:14:46 ID:8TunS37.0
>>695
ありがとうございます
恐怖に対しては苦滅の瞑想はもう無理だと思っていた所でしたが
考えてみたいと思います

698481:2017/04/18(火) 18:00:26 ID:Z8tDMHt20
鬼和尚、
スピ系などでは物事へのレッテルをすべて剥がして物事を観てみるというものがあります。

これは物事の抽象度を上げていく、つまり一種の空を観想するテクニックなのかなと思います。

深くこの状態になると、物事が「何か」という分別付け難いものになります。
もちろんまだ「何か」という分別は残っていますが、私自身も「何か」と同じになります。

この状態から物事に分別を付ける瞬間を観てみる、ということを実践していますが、例えばリンゴを見た時、ほんの一瞬のうちにリンゴに対してのイメージ、映像が現れます。

これが認識というものでしょうか?
いろいろと試行錯誤しています。

699鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/18(火) 21:39:54 ID:1d4drIFg0
>>696 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 何度でも聞いてよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>697 そうじゃ、ありのままを観察すればよいのじゃ。
 修行は他人に見せるものではないから怖ければ怖いと認めてよいのじゃ。
 怖いものは怖いと認め、その反応を観ればよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>698 そうじゃ、それが阿頼耶識による認識なのじゃ。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。
 それが修行に役立つじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

700481:2017/04/18(火) 22:19:37 ID:Z8tDMHt20
>>699
鬼和尚、ありがとうございます。
観察を深め、よりはっきり認識を捉えられるよう精進して参ります。
阿頼耶識を滅却してみます。

701としぼっくり:2017/04/18(火) 23:49:00 ID:9dM1dU/w0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察するのはなぜなのでしょうか?

702避難民のマジレスさん:2017/04/19(水) 08:14:43 ID:czRftzgI0
止観をしている時次々現れる記憶は無意識の作用であり、これを止めようとしても意味がない。
その現れる記憶に対し頭の中で判断(反応)をしているなら、それは思考であるから観察する、ということですか?

703避難民のマジレスさん:2017/04/19(水) 08:15:39 ID:czRftzgI0
(続き)
そしてその思考が自我である。

704避難民のマジレスさん:2017/04/19(水) 14:14:55 ID:GXTFMGi.0
鬼和尚は以前、仮にでも同一化の観念がなければ生活することすらできない。とおっしゃいました。
ということは鬼和尚にも自我はあるということですか?

705鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/19(水) 21:17:53 ID:1d4drIFg0
>>700 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>701 本心とは偽らぬ心なのじゃ。
 偽りの心を観察しても何も起こらないのじゃ。
 嘘であるからのう。
 偽らぬ心を観察して厭離は起こるのじゃ。
 そのために本心を観察するのじゃ。

>>702 そうじゃ、反応を観察するのじゃ。
 そうすれば反応に対する自己同一化がなくなるのじゃ。
 そして厭離が起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>703 思考は自我ではないのじゃ。
 自我が投射されているだけなのじゃ。
 観察にょって投射もなくなるのじゃ。

>>704 自我は誰にも無いのじゃ。
 あると思っているだけなのじゃ。
 わしは衆生に付き合い、自我があるふりをしているだけなのじゃ。
 それが仮の自我というのじゃ。

706避難民のマジレスさん:2017/04/19(水) 21:24:32 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん。

私の記憶には恐るべき集団心理による無視や仲間はずれの記憶が
あります。しかし、仏教の教えを聞いていると、自分の臆病な気持ちや
他人への無関心を無理やり取り繕おうとした自我を見透かされた結果
であり、その集団にとっては私を無視することが「法」であるのではないか
と空恐ろしくなりました。

集団からの無視や仲間はずれを受けるような集団心理にさえも、
無我を持てば対抗できるのですか。

707としぼっくり:2017/04/19(水) 22:51:41 ID:2FIMjd/k0
ありがとうございます。
偽りの心を観察していてもなにも起きないんですね。
本心、偽らぬ心を観察して行こうと思います。
どうもありがとうございました。

708避難民のマジレスさん:2017/04/20(木) 00:24:03 ID:GXTFMGi.0
>>705

ありがとうございました。

709避難民のマジレスさん:2017/04/20(木) 07:06:43 ID:czRftzgI0
すると思考も自然に生じているだけでこれを抑えようとするのではない。「自分の」思考という部分を乖離するだけで思考による苦は滅するということですか?

710避難民のマジレスさん:2017/04/20(木) 07:21:40 ID:jm.txv/g0
悟りに近付くにつれて性欲が薄くなっていく気がするんですが、実際のところはどうなのでしょうか?
ちなみに鬼和尚は性欲はありますか?オナニーはしますか?

711避難民のマジレスさん:2017/04/20(木) 07:34:11 ID:czRftzgI0
つまり思考が自分が起こしているのではなく、勝手に起こっていると気付くために止観するということですか?

712鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/20(木) 21:41:31 ID:1d4drIFg0
>>706 そのようなことも無我になれば何も感じないじゃろう。
 しかし有我であっても人付き合いの技を知っていれば対抗できるのじゃ。
 集団といっても一人ひとりの人間であるからのう。
 たった一人のものを味方に付けるだけでも全体が味方に出来たじゃろう。
 付き合いの技を学べばよいのじゃ。

>>707 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>708 どういたしまして、またおいでなさい。

>>709 そのように自己の観念を離れれば苦もなくなるじゃろう。
 そのほうが観察するより難しいがのう。
 実践にょって証明するのじゃ。

>>710 観念がなくなれば男女の別も無く、性欲もなくなるのじゃ。
 粗食とか小食によってもなくなるのじゃ。
 わしにはすでに性欲も無いのじゃ。
 無理にしようとすればできるがのう。
 年をとれば誰でも起こる事じゃ。

>>711 そうじゃ、思考は自我が起こすものではなく勝手に起こるのじゃ。
 それに気付けば自分のものという投射もなくなるのじゃ。
 そのために観察があり、観察の為に集中があるのじや。
 実践あるのみなのじゃ。

713710:2017/04/21(金) 00:19:56 ID:jm.txv/g0
ありがとうございます
やはりなくなるのですね

714避難民のマジレスさん:2017/04/21(金) 05:57:03 ID:czRftzgI0
その説明を聞いて未だに腑に落ちないのは、自分で記憶を呼び出していると言う感覚があるときがあると考えているからです。
学校の勉強で問題を解く時は自分で「この問題はこうだからなど」と思考しています。この時思考は自然に起こっていません。
すると、思考は勝手に起こる場合と自分で起こす場合の2通りあるのではないですか?

715素人A:2017/04/21(金) 09:25:27 ID:vj28R/Y20
鬼和尚さんAIの進歩がすごくデープランニングAIで囲碁勝てない
コンピューターの応用で北朝鮮の金さんの脳内にコンピューターウイルス
侵入させれば描く角しかじかも失くなるのですか

716鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/21(金) 22:08:44 ID:1d4drIFg0
>>713 そうじゃ、永遠の意識に達すれば子を作る必要も無いからのう。
 無理に抑える必要も無いのじゃ。
 無理な禁欲もまた囚われなのじゃ。
 なんぱもしてよいのじゃ。

>>714 それもまた思考が独自に働いているのに自我を投射しているだけなのじゃ。
 思考が自我によって制御できるならば今すぐに止める事も出来る筈であるが修業していない人間は、思考をとめることが出来ないじゃろう。
 そのように自動的に動く思考が先にあり、自我はそれに投射しているだけなのじゃ。
 よく観察して観るとよいのじゃ。

>>715 そうかもしれん。
 なにやらSF漫画のようであるがのう。

717蓮恵:2017/04/21(金) 23:58:43 ID:2PcDrMdY0
和尚さま
天真独朗とはいかなる意味でありましょうか

718避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 06:47:01 ID:czRftzgI0
>>714
そうですか、これはもう観察するしかありませんね
どうもありがとうございました

719素人A:2017/04/22(土) 09:43:16 ID:vj28R/Y20
私はし今頃気がついた。生物というソフトはトーテンポールみたいに
見える仏見えない仏神様あくまでも霊が傘夏て観察といか座禅というかコンビニ
に今ま見えて宇宙も夢中も全員修行しているというか生きているのか適当。
あアンパンマンの歌が出てきた。
ぼくらはみんな生きている https://www.youtube.com/watch?v=AiieZXIUzAo

720避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 13:09:43 ID:4r9Nyxn.0
鬼和尚さん、気になることがあって、ついそのことばかりを考えてしまいます。
つねに心が動いているような感じで、集中の瞑想をしている時も心が静かになりません。
そんな時はどうしたらいいのでしょうか?

721避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 21:06:43 ID:RB87rmAY0
この下のサイトにある黄金の華の秘密の第六話に書いてある瞑想法
でも悟れますか?
http://bibourokunote.blogspot.jp/2011/04/blog-post_5538.html
個人的には思考と思考の隙間に入っていくという考えが斬新で
面白そうな瞑想法だと思うのですが?
この瞑想よりも鬼和尚が空観の方が悟りに有効でというのならそうしようと思います。

722鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/22(土) 21:25:13 ID:1d4drIFg0
>>717 それは天台の言葉なのじゃ。
 最澄が中国に行った時に口伝として告げられたというのう。
 実は天台内の和尚の中にも諸説あるというのじゃ。
 ある者は止観の修業の結果現れる天の真理を悟り、智慧によって証明した独り明朗の境地というのじゃ。
 止観の最終的な境地であり、言語を絶した不可思議の境地であるから口伝にするしかないといわれるのじゃ。
 あまり意味は無いがのう。

>>718 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>719 そうかもしれん。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>720 それもまた原因を追求して気付けばなくなるじゃろう。
 なぜ気になるのか原因を心の中に探すのじゃ。
 そしてその原因から気になり、原因が無ければ気にならないと観察するのじゃ。
 そうすれば気にならなくなるじゃろう。

>>721 無理なのじゃ。
 それはもともと悟りを得るための法法ではないからのう。
 しかし気になるならばやってみるとよいのじゃ。
 何でも試してみるとよいのじゃ。
 努力は無駄にはならないじゃろう。

723避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 21:35:05 ID:DIiPmWc60
>>712

ありがとうございました。有我であっても趣味などの話で人付き合いを
頑張ります。

724避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 21:42:16 ID:RB87rmAY0
>>721 無理なのじゃ。
 それはもともと悟りを得るための法法ではないからのう。
 しかし気になるならばやってみるとよいのじゃ。
 何でも試してみるとよいのじゃ。
 努力は無駄にはならないじゃろう。

悟りを得る為の方法でなければ何の為の修業法なんですかね?
もしかして道教のチャクラの覚醒法とかなんですか?

725避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 21:44:36 ID:DIiPmWc60
>>722

天台宗でも止観の行があるならば、日本でもヴィパッサナー瞑想
をしていた僧も多かったのではないですか?

それならば、なぜ昔の僧侶に悟りに至る、そこまでいかずとも、見性者
もほとんどいなかったのですか

726避難民のマジレスさん:2017/04/22(土) 22:09:14 ID:Jw3dzeXk0
>>722
鬼和尚さん、ありがとうございます。
気になって仕方ないです。
でも、これにも原因があるのですね。
なぜ気になってしまうのかを探ってみます。

やはり、修行中は心が動かないままで瞑想できる方が良いですか?
心が常に静かになれるように練習した方が良いですか?

727鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/23(日) 21:02:49 ID:1d4drIFg0
>>723 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>724 そのようなものじゃ。
 道教は仙人になるための道なのじゃ。
 それで不老不死になれると思っていたのじゃ。

>>725 それは観察ではなく丸暗記していただけだったからなのじゃ。
 四諦とか因縁をしりながら知識として知ればよいと思っていたのじゃ。
 それで何も起こらなかったのじゃ。

>>726 そうじゃ、心が動いていれば観察も出来ないのじゃ。
 原因を探すこともできないじゃろう。
 集中によって心をコントロールするのじゃ。
 そうすれば観察も可能になるのじゃ。

728入り口の人:2017/04/23(日) 21:25:26 ID:dFAk.kvU0
強い感情の中に置かれないと観察できない場合があるように思います。

真言は意味がありますか?

729避難民のマジレスさん:2017/04/23(日) 21:36:03 ID:mcxPUZkg0
>>727

天台宗の昔のお坊さんがきちんと止観を実践していないのが原因なのですね。

それならば、今の宗門でヴィパッサナーを実践して門人の大半が見性できている僧院はあるのですか?

730としぼっくり:2017/04/24(月) 00:26:53 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さん質問ですが、
普通の人が、悟りを得る事は出来るのでしょうか?

731避難民のマジレスさん:2017/04/24(月) 08:09:35 ID:czRftzgI0
和尚さんはただ見るとおっしゃいますが、自分を見る時俯瞰した位置(頭のちょっと後ろ後方とか)から見る意識で見るのか、そういうことを一切考えず見るのかどちらですか?

732避難民のマジレスさん:2017/04/24(月) 18:51:04 ID:Jw3dzeXk0
>>727
鬼和尚さん、ありがとうございます。
原因を追及するためには心を動かさないようにする必要があり、
心を動かさないようにするためには集中力が必要なのですね。

そこでまた質問させてください。
心が動いていない状態についてですが、
鬼和尚さんは数息観をするときには雑念を流すようにすればいいと書いていますが、
それは、心が動いていなくても、雑念が湧くということですか?
それとも、心が動いていないならば、雑念は湧かないのでしょうか?

733避難民のマジレスさん:2017/04/24(月) 19:04:32 ID:czRftzgI0
観察方法についての初歩的質問をさせてください。

1.観察は自分が考える前にどんな考えが浮かぶかをじっと注意し続けてするものか?それともリラックスした状態で、考えが浮かんだ瞬間意識を集中してその考えを見るのか?
2.浮かんだ考えはただぼーっと眺めるだけなのか、それとも考えが消えるまでどんな考えかを集中して見るのか?
3.例えば「腹が減った」という考えが浮かんだ時、「腹が減ったと考えているな」と頭の中でつぶやくのか、それともつぶやかないのか?

手探りでやっていますが、これらの点がはっきりしないのでよろしくお願いします。

734鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/24(月) 21:44:20 ID:1d4drIFg0
>>728 それもよいじゃろう。
 お釈迦様の僧団にもマントラを唱えるものも居たというからのう。
 集中の役に立つのじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>729 ないじゃろう。
 ヴィパッサナーを教えるといいながら、実際は記憶している方法を教えているのじゃ。
 四諦も因縁も記憶するのではなく、自らの心の中に観察しないと無意味なのじゃ。

>>730 出来るじゃろう。
 やる気さえあれば何でも可能なのじゃ。
 実践によって証明してみるのじゃ。

>>731 そのような方法もよいじやろう。
 おぬしの性質に合った方法でやるとよいのじゃ。
 自ら実践して法を選ぶのじゃ。

735鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/24(月) 21:56:36 ID:1d4drIFg0
>>732 心が動いていないとは雑念が出ない状態なのじゃ。
 その境地に至れば雑念に邪魔されること無く観察も出来るのじゃ。
 そこまでいかなくとも雑念を流せるぐらいでも観察は出来るじゃろう。
 雑念に惑わされること無く観察に励むのじゃ。

>>733 1 初めから何が心に起こるか注意してみるとよいのじゃ。
 2 集中してみるとよいのじゃ。
  そうすると消えていくのじゃ。

 3 つぶやかないのじゃ。
  言葉の無い観察に進歩していくのじゃ。
 更に自分のやり易いようにしていくとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

736としぼっくり:2017/04/24(月) 22:24:19 ID:jQQie9cY0
ありがとうございます。
実践によって証明してみせようと思います。

737避難民のマジレスさん:2017/04/25(火) 05:36:00 ID:czRftzgI0
>>733
これで観察についての疑問が全て解けたので修行に専念できます
またなにかあればよろしくおねがいします

738としぼっくり:2017/04/25(火) 07:07:33 ID:2FIMjd/k0
鬼和尚さんの教えで悟った人を未だに聞いた事がないのですが、本当に鬼和尚さんの
教えで、悟りを得る事は可能なのでしょうか?

739避難民のマジレスさん:2017/04/25(火) 13:25:12 ID:LstX99Vo0
>>735
鬼和尚さん、ありがとうございます。
心が動いていなければ、雑念は湧かないのですね。
心を観察するには、雑念が流せる程度でできるけれども、自我を観察するには、雑念が消えている方が良いということですか?

それから、集中しようと思って瞑想を始めるとき、人それぞれ集中するための心のコツのようなものがあるでしょうか?
上手くコツがつかめた人なら、1分未満で、すぐに集中できたりするのですか?

740蓮恵:2017/04/25(火) 18:23:18 ID:F4cyaZX20
和尚さま
質問ではありませんが、
この知恵袋の回答者は簡潔でかつ、鋭く自我と意識の性質を述べてます。
素晴らしい説明だと思います。
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1370414608

741鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/25(火) 20:48:21 ID:1d4drIFg0
>>736 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>737 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>738 出来るのじゃ。
 マハリシは方法など何も知らずに悟ったのじゃ。
 それも死を超えたいという熱意があったからなのじゃ。
 やる気があれば方法が無くとも悟りは得られるのじゃ。
 方法を知っていれば僅かなやる気がある者でも悟りを得られるのじゃ。
 おぬしが実践にょって最初の一人になるのじゃ。

>>739 そうじゃ、自我を見るには恐れも超えなくてはならないからのう。
 恐れすらも生じない心であれば有利なのじゃ。

 人の性質の違いでさまざまなコツはあるじゃろう。
 呼吸に集中するとか、胸や額に集中するとかのう。
 コツが無くともなれれば直ぐに深い瞑想に入れるのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

>>740 そうかもしれん。
 自我が観念とはわかっていないようであるがのう。

742進路探訪者:2017/04/26(水) 00:36:50 ID:DIiPmWc60
>>734

見性者が続出する僧院が存在しないとのこと了解いたしました。

いつもながらご回答ありがとうございました。
(以後ハンドルネームを付けます)

743避難民のマジレスさん:2017/04/26(水) 12:37:52 ID:Jw3dzeXk0
>>741
鬼和尚さん、ありがとうございます。
理解できました。
すぐに集中できるように練習していきます。

ところで、雑念はなぜ湧くのですか?
心の機能は雑念を出すことなのですか?
集中すると雑念が湧かなくなるのは、心の機能をとめるからですか?
つまり、例えるなら、集中するというのは、雑念を出すという習性のある、野生の動物を静めるようなものなのでしょうか?

744鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/26(水) 21:33:52 ID:1d4drIFg0
>>742 どういたしまして、またおいでなさい。

>>743 それは認識が記憶に依存しているからなのじゃ。
 何か刺激を受けたりすると記憶から連想が起こり、止められないのじゃ。
 外部の刺激が無くとも内部からの刺激でも連想は起こり、止められないのじゃ。

 集中すると刺激に無反応になるから記憶の連想を一時的にとめられるのじゃ。
 そのようなものじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

745としぼっくり:2017/04/26(水) 22:11:49 ID:jGbOOhtA0
>>741
ありがとうございます。
精進して行きます。

746進路探訪者:2017/04/27(木) 02:44:59 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、悟り判定をお願いします。

ミスチルの桜井さんは悟っていますか。

下の曲でボーカルを務めている人です。
(この曲の作詞作曲も桜井さんです)

https://www.youtube.com/watch?v=UnQnHsEWdCU

747避難民のマジレスさん:2017/04/27(木) 12:57:49 ID:kbrYSHvs0
>>744
鬼和尚さん、ありがとうございます。
なるほど、刺激によって雑念が湧くのですね。
瞑想して確認してみましたが、つまり、認識には記憶を勝手に引き出して思い出すという機能があるということでしょうか?

最近、毎日10分の集中の瞑想をしていますが、記憶を思い出してしまうことが以前より増えてしまって、以前より雑念が湧いてしまっています。
10分の間、ずっと雑念が出ているのを見ている状態です。
心を動かさないようにしているつもりですが、思考は動かなくても記憶がどんどん蘇ってきます。
これが治まるときがそのうち来るのでしょうか?
それとも瞑想の時間をもう少し長く取った方が良いですか?

748入り口の人:2017/04/27(木) 20:48:41 ID:dFAk.kvU0
和尚様、>>734 ありがとうございます。

今週に入ってから体調が悪くてお礼が遅れました。

749鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/27(木) 21:20:20 ID:1d4drIFg0
>>745 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>746 悟っていないのじゃ。
 よい歌手であるがのう。

>>747 そのような理解でよいのじゃ。
 記憶に依存している認識は刺激に対して記憶を起こしてしまうものじゃ。

 雑念が出ることを気にしなくてよいのじゃ。
 それが流せるだけでも集中しているのじゃ。
 いずれ止まるときも来るじやろう。
 時間は短くてよいのじゃ。
 毎日続けることが大事なのじゃ。
 日々続けていれば進歩して行くのじゃ。
 ただひたすら集中していればいつの間にか雑念も止まっていることに気付くじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>748 どういたしまして、またおいでなさい。
 体に気をつけるとよいのじゃ。

750進路探訪者:2017/04/27(木) 21:22:09 ID:DIiPmWc60
>>749

悟っていないというのは、大悟という意味ではなく、見性その他仏教での
いかなるステージ上にもいないということですか。

751避難民のマジレスさん:2017/04/27(木) 22:09:19 ID:t8PlW.qA0
>>749
鬼和尚さん、ありがとうございます。
認識と記憶のことがわかりました。

それから、雑念だらけですが10分の瞑想だけでいいとわかって安心しました。
このまま毎日続けてみます。
また、わからなくなったら教えてください。
ありがとうございます。

752避難民のマジレスさん:2017/04/28(金) 06:25:24 ID:czRftzgI0
自我をあれこれ考えた結果、以下の疑問が生じました。
物や人に自分を投射することが自我なのか、物や人に投射されるのが自我なのか、物や人に自分を投射する主体が自我なのか?
一体どれでしょうか?

753としぼっくり:2017/04/28(金) 14:32:47 ID:o86Ajnps0
鬼和尚さん質問ですが、
鬼和尚の言う心身を観察するとは、
自分の心身を観察すると言う事でしょうか?

754鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/28(金) 21:09:34 ID:1d4drIFg0
>>750 そうじゃ、特に修行もしていないじゃろう。
 歌手の人なのじゃ。

>>751 どういたしまして、またおいでなさい。

>>752 肉体やものに投射される観念が自我なのじゃ。
 それ以外に自我はないのじゃ。
 観念を投射する働きは心の挙動であり、自我ではないのじゃ。
 主体などは無いのじゃ。
 そのように理解するがよいのじゃ。

>>753 そうじゃ、自分の心身を観察するのじゃ。
 そうすれば心身が厭離されるのじゃ。
 自分であると思っていたものが実は自分ではないと気付くのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

755としぼっくり:2017/04/28(金) 21:25:47 ID:53Clfc.A0
ありがとうございます。
自分の心身を観察していれば、観照は起こるものなのでしょうか?

756避難民のマジレスさん:2017/04/28(金) 23:47:19 ID:czRftzgI0
>>752
なるほど心の働きであって、自我は投射される観念なのですね。
よくわかりました。ありがとうございました

757避難民のマジスレ:2017/04/29(土) 19:49:03 ID:lWDDL8yU0
悟り鑑定パート2でしたが、以前鬼和尚さんの解説では、鈴木大拙は悟っているとの話であったと思われますが、盟友と言える、西田幾多郎はどうだったのでしょうか?
かなり、坐禅等もやり込んでいた感じですふが・・・。

758鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/29(土) 21:00:53 ID:1d4drIFg0
>>755 そうじゃ、心身を観察していけばいずれは自分に行き当たるじゃろう。
 自我は心身のどれかに投射されているからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>756 どういたしまして、またおいでなさい。

>>757 悟っていないのじゃ。
 サマーディには達していたようであるがのう。
 その体験を語っているのじゃ。
 哲学者じゃな。

759進路探訪者:2017/04/30(日) 00:09:03 ID:DIiPmWc60
>>754

ご回答ありがとうございました。

桜井さんを尊敬しているので少しショックでした。

しかし、悟っていないからいつも自分とは何か追及する歌詞を
書き続けてくださってるので、逆にその方が良かったです。

桜井さんはいつまでも若々しいけど、そろそろ壮年になってきた
ことですし、桜井さんが仏縁をつかむことを祈っております。

760としぼっくり:2017/04/30(日) 00:27:24 ID:e3FcqxaA0
ありがとうございます。
実践して行きます。

761避難民のマジレスさん:2017/04/30(日) 19:00:20 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

自分の中に浮かぶ考えを否定する働きがあります。否定する心の働きが起こっている事を観察して、否定しようとする心に巻き込まれない事が肝要でしょうか?

そこから今ひとつ進歩が無いのですが、どうすれば良いでしょうか?

よろしくお願いします。

762鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/30(日) 21:28:58 ID:1d4drIFg0
>>759 そうじゃ、悟っていなくともよい歌を創り、歌えるものじゃ。
 歌手として尊敬するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>760 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>761 そうじゃ、否定する心の働きも自分のものとはせずにただ観察するだけにするのじゃ。
 そのようにただ雑念を流していれば、いずれ自然に思考が止まる時が来るじゃろう。
 それに気付けば座るたびに自然に思考が止まる境地にまでいけるようになるのじゃ。
 しかし自分でとめようとかしないようにするのじゃ。
 ただひたすら集中するだけでそれは起こるのであるからのう。
 そのような次の段階に至るまでただひたすらに集中あるのみなのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2017/04/30(日) 22:51:48 ID:Y5LPInQE0
>>762
レスありがとうございます。
ただひたすら集中して観察すれば、思考が止まる時が訪れるのですね。
頑張ります。

764蓮恵:2017/05/01(月) 18:13:49 ID:AlNqYyjs0
和尚さま 
 空間��(space) とは何ですか?

765進路探訪者:2017/05/01(月) 20:11:47 ID:mcxPUZkg0
>>762

鬼和尚さん。

ひたすら集中して観察するといいますが、それは観察ができる段階にまで座禅の修行が進んでからですよね。

しかし、鬼和尚さんがいったように、座禅で悟るのは鋼鉄の扉を手で開けるのに等しいように、座禅とは才能を非常に要するので、観察できる段階にまで座禅の修行を進める時点ですでに大きな才能が必要なのではないですか?

766鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/01(月) 21:07:19 ID:1d4drIFg0
>>763 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>764 それも観念であるのみなのじゃ。
 実際は全て同じものなのじゃ。
 物とも別に空間があるわけではないのじゃ。
 物がないことを空間と呼ぶだけなのじゃ。

>>765 雑念を流せるようになればすでに観察も出来るじゃろう。
 雑念が観察中にわいても流せるからのう。
 それまでは誰でもできることなのじゃ。
 自分を観察すれば瞑想もまた深まるように修正できるのじゃ。
 止観は互いに補い合って未熟な者も習熟できるのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2017/05/02(火) 15:33:05 ID:Kw.THjSg0
食料として犠牲になった生き物は来世はいいとこに生まれますか?
それとも身をもつものとして生まれた以上食料となることはデフォルトで
しょうがないことなのでしょうか?だとすると特に来世に影響ないですか?

768としぼっくり:2017/05/02(火) 17:26:23 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さん質問ですが、
苦を観察する時は、自分の本心を観察して
、苦を観察した方がよろしいのでしょうか?

769進路探訪者:2017/05/02(火) 19:31:29 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、こんにちは。

思竜庵というサイトで、「本物っぽい偽者、偽者っぽい本物」
というタイトルで、止観法を練り直した思想を主張し、ネット掲示板
で毎日人生相談をすることでネット教団の成立に成功した
ネット・グルについての記事がありました。

明らかにこの掲示板(群)を念頭に置いていますが、私にはどちらが
正しいか、理屈としては正直区別できません。

このサイトについて詳しくレビューしてくださらないでしょうか。

(ttp://seidaku.seesaa.net/category/6005780-2.html)

770鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/02(火) 21:27:44 ID:1d4drIFg0
>>767 少しはよくなるじゃろう。
 少しずつ向上していくのじゃ。
 慈悲の行いによって人にもなれるのじゃ。

>>768 そうじゃ、本心を観察するのじゃ。
 苦があるならば苦があると観察するのじゃ。
 それが本心を観察することなのじゃ。
 苦があるのに苦しくは無いと偽ればそれは本心ではなく、苦がなくなることもないのじゃ。
 苦のある本心を観察し、苦の原因をも見れば苦はなくなるのじゃ。
 苦は無いとすればその原因を観ることも無く、苦が無くなることもないのじゃ。
 そのように苦があれば苦があると偽らない心で観察するのじゃ。

>>769 それはおぬし次第なのじゃ。
 おぬしの心に苦があればわしが教えたとおりに観察して苦を滅することも出来るじゃろう。
 そして誰の言葉が正しいかわかるじゃろう。
 実践によって自ら確めるのじゃ。

771としぼっくり:2017/05/03(水) 03:01:08 ID:jQQie9cY0
ありがとうございます。
苦のある本心を観察して、苦の原因を観れば、苦が無くなると言う事ですね。
実践して行こうと思います。

772進路探訪者:2017/05/03(水) 15:14:48 ID:n5LGt6wU0
>>770

それならば、思竜庵では、鬼和尚は空性と空観を混同し、空性を真理でなく修行法であるといっている批判は正しいですか。

また、苦の因縁の観察は単なる観察をいうのではなく、本来面目に気づいたときの最終手引きにしかならないというのはどうでしょうか。

また、弟子の自己申告で悟り判定はできないというのはどう考えますか。

最後に、OSHOが教団を率いて失敗したように、誰彼構わず修行を勧めるのは失敗であるという批判はどう考えられますか。

たくさんの質問申し訳ありません。

773避難民のマジレスさん:2017/05/03(水) 19:40:43 ID:NrQyrS9A0
>>770
>>767 少しはよくなるじゃろう。
 少しずつ向上していくのじゃ。
 慈悲の行いによって人にもなれるのじゃ。

ありがとうございます 食べなきゃ皆死んじゃいますもんね

ところで死後に自分の体を病気の人に提供したり検体として医学の糧に使ってもらおうと
するのは慈悲になりますか?死後なのであまり関係もないでしょうか?

774鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/03(水) 20:54:53 ID:1d4drIFg0
>>771 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>772 それはおぬしが何を目的とするかによって違うのじゃ。
 観念の世界では客観的な真実は無い故に、おぬし自身の目的によって正しさも変るのじゃ。
 空性が真理とはぽったんと名乗るものも言っていたのじゃ。
 おぬしが真理を知っているといいながら他人に論破されて反論できず酒に逃避する人間になりたいならば、空性を真理と思うがよいのじゃ。
 因縁の観察が最終手引きとか語るのは麻原彰晃なども唱えていたのじゃ。
 おぬしが正しい修行法も知らずに多くの者を欺いて死刑囚になりたいというのならばそれを真実と想うがよいのじゃ。
 お釈迦様は弟子の語ることで悟りの判定をしていたものじゃ。
 悟りを求める者に修行法を薦めないならば、法慳貪の咎に当たるのじゃ。
 
 おぬしが執着を厭離して苦から逃れたいならば全ては空であると観想するがよいのじゃ。
 苦を原因から滅して二度と煩わされないようになりたいならば因縁を観察するとよいのじゃ。
 苦から逃れたい者に法を薦めるならば、自らの理解もまた進み善を行うことにもなるじゃろう。
 苦を滅して安楽と喜びの境地に至れば自ら何が正しいのかを知ることもできるのじゃ。

>>773 それは本当に苦しんでいる人を助けようとする動機からするならば慈悲であり善になるのじゃ。
 どうせいらないからとか思えばごみを捨てるのと変わりないのじゃ。
 人の役には立つから少しはよいことであるがのう。
 苦しむ他人を哀れみ、助けようとする心が慈悲なのじゃ。
 そのように自らの本心を観察して見極めるのじゃ。

775としぼっくり:2017/05/04(木) 08:39:28 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さん基本的な事がわからなくてすいません。
質問ですが、
縁起とは一体何なのでしょうか。

776避難民のマジレスさん:2017/05/04(木) 11:56:18 ID:xRMgGpgo0
>>774
おっしゃるとおりどうせ捨てるものだからあげようという気持ちがあります。
生きているうちにもっと慈悲を施すほうがいいですね。
募金などは気が付くたびにしていますが他も実践しようと思います。ありがとうございます。

777鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/04(木) 21:01:18 ID:1d4drIFg0
>>775 縁起とはお釈迦様が説いた心の観察法なのじゃ。
 人の心は刺激から起こる連想を根本の働きとしているのじゃ。
 例えばりんごを見れば、すっぱい味を思い出すというようにのう。
 りんごを見るのが縁として、すっぱい味の連想が起こったのじゃ。
 さらにその思い出したことを縁として、すきとかきらいという感情も起こるじゃろう。
 そのように次々と縁によって起こる心の働きが続くことを観察する方法なのじゃ。

>>776 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

778進路探訪者:2017/05/04(木) 21:04:05 ID:DIiPmWc60
>>774

では、思竜庵のサイト主は他に酒と武道を愛しているようですが、
このサイト主はぽったん氏でしょうか。

779としぼっくり:2017/05/04(木) 21:30:55 ID:jGbOOhtA0
ありがとうございます。
縁によって起こる心の働きが続く事を観察する方法なんですね。無知な者で大変勉強になりました。理解を深めつつ実践に取り入れさせてもらいます。

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/05(金) 21:30:32 ID:1d4drIFg0
>>778 そうかもしれん。
 ちがうかもしれん。
 いずれにしても主張することはおなじなのじゃ。
 同程度の者じゃな。

>>779 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

781避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 12:15:22 ID:czRftzgI0
ダメ押しの確認をさせてください
ニュースを見て浮かぶ何の感情の反応も伴わない自分の意見程度の考えは自動で起きているから流し、頭に浮かぶ過去の記憶も機械的の生じているから流す。
記憶または感覚を契機として現れた考えによって胸のあたりに反応(要するに感情を伴うこと)が起きた時、その考えと感情を止観の観察対象にする。
結論:観察対象にするかどうかは感情の反応を基準にする。

これでいいですか?

782避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 12:49:12 ID:czRftzgI0
まさか止観中に頭に浮かぶ考え全てを観察するわけじゃないですよね

783進路探訪者:2017/05/06(土) 19:09:32 ID:DIiPmWc60
>>780

ご回答ありがとうございました。

止観法をがんばって取り組もうと思います。

784避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 20:11:45 ID:e1blP17Y0
ヨガナンダの本に出てくるババジという不老不死の人物は実在すると思いますか?
クリヤヨガを広めるために作られた架空の存在なのでしょうか?

785鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/06(土) 20:20:13 ID:1d4drIFg0
>>781 それは感情を観察するための法なのじゃ。
 刺激による縁で図らずも起きてしまう苦に有効なのじゃ。
 何か苦があるならばそれをやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>782 考えは観察しなくてよいのじゃ。
 全て雑念として流してよいのじゃ。
 思考は過去の記憶によるものであるからのう。
 今思考しているとだけ観察するのじゃ。
 今ここにある心身を観察するのじゃ。

>>783 そうじや、実践する者だけが進んでいくのじゃ。
 またおいでなさい。

>>784 いないのじゃ。
 観念の中であれば誰でも不老不死であるがのう。
 そうじゃ、宣伝マンなのじゃ。

786としぼっくり:2017/05/06(土) 21:52:47 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さん質問ですが、
観察とは一体何なのでしょうか?

787避難民のマジレスさん:2017/05/07(日) 06:03:26 ID:czRftzgI0
>>731
HPを改めて読んでみて、私は止観を思い違いしてたようです。
もっと修行してきます

788鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/07(日) 20:33:10 ID:1d4drIFg0
>>786 観察とは今ここにあるものごとをありのままに感じ、認識することなのじゃ。
 否定することも肯定することもなく解釈することも無くありのままに受け入れるのじゃ。
 それによって観察対象が自分ではなく、自分のものではないという気付きが生まれ、厭離が起こるのじゃ。

>>787 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

789としぼっくり:2017/05/07(日) 21:19:15 ID:jGbOOhtA0
ありがとうございます。
修行に励もうと思います。助かります。

790入り口の人:2017/05/07(日) 21:33:55 ID:dFAk.kvU0
疲れてしもうて数息観ができん…
というか手応えが感じられんのです

791鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/08(月) 21:13:35 ID:1d4drIFg0
>>789 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>790 そのような者には丹田に集中するのがよいかもしれん。
 腹式呼吸をしながら、下腹へそ下三寸の中にある丹田に集中するのじゃ。
 元気が出るじゃろう。
 熱が出たり反応があれば手ごたえもあるとわかるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

792としぼっくり:2017/05/09(火) 10:08:26 ID:IOMLtO8.0
鬼和尚さん質問ですが、
修行が楽しいのですが、楽しんでいいのでしょうか?

793避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 11:10:16 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

様々な思いが湧き起こるせいか、思考停止のような状態に良く陥ります
その状態は苦しく、鬼和尚さんが言われている思考が止まる境地とは別のように思います
思考をどうにかしたくて、どうにも出来なくて、でもどうにかしようとする思考が、
そのどうにかしたいという欲求を満たせず、無力なまま立ち尽くしている…
そんな風に感じます

どうしたら良いのでしょうか?

794避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 13:39:27 ID:uTiUxAqg0
鬼和尚さん

苦を観察していたら、自分には価値がないという気持ちがあることがわかってきました。
それで、いつも自分を特別に思ってくれる人や、逆に自分とは違って価値がありそうな人に依存してしまいます。
この苦の原因は、特別でなければ価値がないと思っている親に育てられたからだと思うのですが、その原因がない状態が想像できません。
生きているだけでいいとか、そのままで価値があるとか、言葉では聞きますが、そういう考えの親に育てられていたらと思っても、まったく想像できず心の変化が実感できません。
どうしたら良いでしょうか?
特別な存在じゃなくても幸せでいられる気持ちになれる方法はありますか?

795避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 19:56:11 ID:Cm9Ixf0Q0
鬼和尚様

このサイトの方は悟っておられますか。

http://breath-awake.com/index.html

796蓮恵:2017/05/09(火) 20:12:03 ID:P0oV4erc0
和尚さま

人間は根本から変わらないといけませんね
人間は観念遊びのため頭と思考だけが発達していますが、根本的なものは何一つ成長していないのではないかと思います

797鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/09(火) 22:00:47 ID:1d4drIFg0
>>792 よいのじゃ。
 善いことじゃ。
 お釈迦様も欲に囚われるぐらいならば、むしろ瞑想に安楽を見出すようにといっているのじゃ。
 どんどん楽しむとよいのじゃ。

>>793 思考をどうにかしなくてよいのじゃ。
 ただ流れるままにしておくのじゃ。
 そうすれば自然に止まるのじゃ。
 何もしないことで逆にコントロールしているのじゃ。
 なれれば直ぐにできるようになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>794 親はどのような気持ちでそのようなたわごとを言っていたのか、考えてみるとよいのじゃ。
 子供は親を絶対的な者として見ているが、実は大抵の親は知性も浅いものじゃ。
 今のおぬしならばその親の言動の目論見や浅薄な考えがどのようなものか正確に推測できるじゃろう。
 それを詳しく観察すればその価値観も壊れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>795 悟っていないのじゃ。
 悟りは知性で捉えられないといいながら自分だけは知性で捉えたつもりなのじゃ。
 自己矛盾しているのもわからないのじゃ。
 
>>796 そうじや、自分の本性が少しでも見られれば根本から変るじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

798としぼっくり:2017/05/10(水) 00:16:25 ID:2FIMjd/k0
ありがとうございます。楽しませてもらいます。

続けて質問申し訳ないですが、
仏教における法、ダンマとは何を指しているのでしょうか?
無知な者ですいません。

799795:2017/05/10(水) 06:20:40 ID:oMua/RsM0
ご回答、ありがとうございます。

800進路探訪者:2017/05/10(水) 19:26:48 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、いつもお世話になります。

鬼和尚さんに>>673で確認を取ったうえで行っている、
あえて思考モードに入ったうえで自我を観察する方法を実践しています。

しかし、やっていて分かったのは、鬼和尚さんがおっしゃる通り、人間の
思考とその意識への投射で生ずる自我は光速であり、捉え続けることが
できません。

定石として止観を行おうとしても、サマタ瞑想をした時点ですでに思考は
なくなっており、したがってヴィパッサナーの時点では観察対象の思考
による自我はすでに存在すらしておりません。

思考を雑念として流して修行するならそれでよいのかもしれませんが、
私の実践法はあえて思考モードに入ることです。

そこで、本来ならば苦滅の道に逆行するかもしれませんが、思考モード
に入って今ある思考を出現させることから一歩進めようと思います。

つまり、あえて思考を行い続けて思考を徹底的に追及して自我をとことん
肥大化させながら、その自我の観察を同時並行により行おうと思います。

こうすれば自我を無理やり固定することができて観察ができると思うのです
が、この方法でよろしいでしょうか。

801進路探訪者:2017/05/10(水) 19:36:42 ID:DIiPmWc60
>>800の追記です。

つまり、自分が持つ思考を出現させるだけでなく、思考を増殖させて
いくということです。

802避難民のマジレスさん:2017/05/10(水) 20:52:45 ID:4nJZYcxk0
>>797
鬼和尚さん、ありがとうございます。
親の気持ちについて観察するのですね。
確かに、少しずつ効果が現れてきた気がします。
劣等感と依存心が薄れてきたかもしれないです。
苦が消えるまでもう少し続けてみます。
どうしたら良いのかわからなかったので、とても助かりました。
ありがとうございます。

803鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/10(水) 20:56:45 ID:1d4drIFg0
>>798 仏教における法とは悟りを得るための方法を指しているのじゃ。
 止観も四諦も因縁も全て悟りを得るための方法なのじゃ。
 方法であるから悟りを得るために最後には捨てられるのじゃ。
 そのように理解するとよいのじゃ。

>>799 どういたしまして、またおいでなさい。

>>800 そのような方法でも極めれば自我も見えるじゃろう。
 一つの方法を極め尽くせば悟りも向こうからやってくるのじゃ。
 どこまでも精進していくとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

804鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/10(水) 20:57:48 ID:1d4drIFg0
>>802 よかったのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

805n:2017/05/10(水) 23:01:08 ID:MNGiAyAk0
鬼和尚様

以前大変お世話になりました。
2chのほうでは遠隔操作による妨害がひどいようで、おそらく集団ストーカーの仕業でしょうが、仏法を妨げるのは6大罪のひとつ、その報いや計り知れないのに、大悪に気が付かないのは恐ろしいことです。
そこで久しぶりに質問させていただきたいのですが、誰かが臨終のとき

1.縁の深かった人のところへ虫の知らせが来る現象がよく報告されてますが、これは臨終のときアーラヤ識が肉体を離れるためだとすれば理解できますが、よくその時着ていた服やその他の状態までそのままに現れると聞きます。
身近な人から聞いた実話では、戦争中お父さんが遥か遠くシナの戦場で戦死したちょうどその日、内地の自宅の家族の元にそのお父さんが帰ってきて玄関を開けたそうです。その時、軍服を着て全身びしょぬれだったのだそうですが、後日分かったのはシナの戦場の川で最期を遂げられたのだったそうです。
このとき身や心だけでなく「服」まで空間を超えてついてくるのは、どういう仕組みなのでしょうか?

2.臨終時になると、それまでに作った「元の業の何万倍もの感覚が現れる」とのことで、そのまま化生したのが天界や餓鬼地獄道の生命になるのでしょうが、
その楽や苦が人間の想像を絶するものなのも、このためと思います。ですが、どうしてアーラヤ識が肉体を離れると「元の業の何万倍もの感覚が現れる」のでしょうか。

806n:2017/05/10(水) 23:04:15 ID:MNGiAyAk0
参照1
 松永ミルクパーラーの美喜子さん(当時十五歳)は、原町飛行場関係者のことを、当時の日記をもとにしながら『いのち  ―  戦時下の一少女の日記』にまとめている・・・

 
さびしい。今夜はどうしたわけかさびしくてしかたがない。にぎやかに皆で話していながらも。ああだれか、久木元さんか、斉藤さんか、寺田さんか、決行されたのじゃないだろう……。


 二十年一月八日の日記だが、実はこの日、寺田伍長(当時一九歳)は[単機、敵輸送船に突入し]リンガエン湾に散っていた。一九年八月から九月まで、少年飛行兵一三期の人々は原町で過ごした。同期二七人のうち戦士二〇人。当時、松永牛乳店はほそぼそとながら牛乳やアイスクリームの店をひらいていた。喫茶店などない田舎町である。彼ら少年[飛行兵]たちの外出日は、店は満員で椅子のあくことがなかった。寺田さんのグループもよくこられ、縁側に回って茶を飲みながら弁当をひらいたりしたこともあった……。(p.38)

『嗚呼 原町陸軍飛行場』

807n:2017/05/10(水) 23:07:14 ID:MNGiAyAk0
参照2

誰でも死ぬ瞬間は、身体は壊れてしまい、関係ないのです。それで、意門が直接、見たり、聞いたりする。ですから、死ぬ瞬間の現象というのは、並みの現象ではありません。ものすごく強烈なインパクトで迫ってきます。再現とか追体験などというものではなく、元の業の何万倍もの迫力で、ありありと体験してしまうのです。(p.p.318-319)

アルボムッレ・スマナサーラ 『アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学』

808蓮恵:2017/05/10(水) 23:09:02 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

最近は何も集中せず思考は放っておいて、五感は五感のままで放っておいて座っているのですが、これは止の行になるのでしょうか
やることがあるとすれば呼吸で、思考や欲から入ってくる影響を抜いて落ち着かせるぐらいです。
呼吸が深まると思考も少なくなって五感がダイレクトに来るようになります。

809としぼっくり:2017/05/11(木) 14:33:10 ID:8NYbNbgo0
ありがとうございます。勉強になりました。
またまた続けて質問申し訳無いですが、
言葉の無い観察が出来る様になるには、言葉を使わずに観察していれば良いのでしょうか?

810進路探訪者:2017/05/11(木) 21:20:23 ID:DIiPmWc60
>>803

ありがとうございます。

今後も思考に呑まれないようにしながら、思考している自分の観察に
努めたいと思います。

811鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/11(木) 21:29:06 ID:1d4drIFg0
>>805 1 それもまた観念の創るものであるからなのじゃ。
 死ぬ本人の観念が相手に届くのじゃ。
 そうであるから服も一緒にでるのじゃ。
 
 2 そのようなことはないのじゃ。
   眠る時にそれがないようにのう。
   よほど悪い事をしたものならば苦が迫ってくるような気になるかもしれん。
   そうでないものには安らかなものなのじゃ。
   他人の言葉を鵜呑みにしてはいかんのじゃ。

>>808 感覚も少なくするのじゃ。
  感覚が制御されれば更に深い瞑想に入るのじゃ。
  感覚にも囚われないようにするのじゃ。

>>809 そうじゃ、言葉の無い観察をするのじゃ。
 みたものを頭の中で言葉にせずにそのままに認識するのじゃ。
 思考を集中にょって制御できるならば簡単にできるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

812としぼっくり:2017/05/11(木) 21:41:25 ID:e3FcqxaA0
ありがとうございます。
言葉の無い観察をして行こうと思います。

813n:2017/05/11(木) 23:11:17 ID:wGsb3Xgs0
>>811
早速のご教示ありがとうございました。
確かに多くの人の臨終を観察している医師やホスピス関係者も、病気などで苦しんでても臨終の最期の最後の瞬間は安らかな顔になるケースのほうが一般的には多いそうですね。
ただアーラヤ識が肉体を離れるときは安らかでも、それが、そのあとに善いところに生まれることを意味するんでしょうか?
というのはウダーナヴァルガ26-8には次のように説かれていますがいかがでしょうか。

「善い領域(=天)におもむく人々は少ない。 悪い領域(=地獄など)におもむく人々は多い。 このことわりをあるがままに知ったならば、 安らぎ(ニルヴァーナ) に専念するものとなるであろう。」

814n:2017/05/11(木) 23:12:49 ID:wGsb3Xgs0
<参考>
・・40代のTさんという男性患者さんのことも、忘れらません。がんが全身に転移し、食事も自力では食べられなくなり、いよいよ最期のときが近づいていました。・・体調が急変し、ゆっくりと絞り出すような声で私にこう言ったのです。
「・・今まで好き勝手に生きてきたツケが回ってきたんだ。俺の人生はいったい何だったんだ?・・」・・Tさんが今までどんな人生を歩んできたのか詳しいことは知りませんが、なにかを悔いていることだけは伝わってきました。その日の深夜、Tさんは目をカッと見開いたまま亡くなりました。その顔は苦悩に満ちたTさんの生涯を物語るような険しいものでした。

中下大樹『悲しむ力』

*******************

臨終時表情調査というものがある。末期癌は最後の最後まで
苦しみ続けると言われるが癌患者の臨終時の表情が
どうなったか調査をしたら最後はいい表情になる人もいるが
苦しんだまま、すさまじい形相のままで悶絶死したという
のもあり、苦しそうな顔の人は全体の10数パーセントいる。

(『生、死、神秘体験』立花隆対話編)

815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/12(金) 20:45:53 ID:1d4drIFg0
>>810 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>812 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>813 臨終が安らかであれば死後もよいところにいくじゃろう。
 昔のインドではそのような者は少なかったのじゃ。
 悪い事をしなければ食べられなかったものも多かったじゃろう。
 山賊も居り、カースト制度もあったから差別も普通にしていたのじゃ。
 今のこの地域に住むものはそのようなことがないから善い所にいく者も多いのじゃ。

816n:2017/05/12(金) 23:31:37 ID:gwlcOSnw0
>>815
日頃の疑問が氷解いたしました。重ねてお礼申し上げます。

十数年前インドを旅して人間が同じ人間として扱われないことが当たり前のカースト制の現実を目の当たりにしたときを思い出しました。確かにあれに比べれば「今ここ」は何と恵まれていることかと・・。

しかし人の欲とは本当におぞましいもので衣食住足りているのに、まだカネや権力や性欲をむさぼり求めて多くの老若男女が集団ストーカーなるものにマインドコントロールされ覗き見やストーカーなど変態をやっているのが現実です。
つい先ほど午後10時50分頃にもあったのですが、毎日当方がトイレに座るのに合わせ、すぐ近くで車を動かし、のぞき見していることを仄めかす変態を近所が飽きもせず繰り返しています。自宅に不法侵入され金品を盗まれ壊され工作されするのも毎日のことですが、この「便所ストーカー」にしてもアメリカ滞在時現地の集団ストーカーらがやっていたのと全く同じ手口のパクリで、人間の欲を肯定し煽るのが文化のアメリカ人にマインドコントロールされているのがよくわかります。わざわざ地震大国日本に原発を作らせたのもアメリカ人ですし。

この集団ストーカーの目的は、原発反対者など罪なき被害者に極度のストレスを毎日何年でも与え続けて自暴自棄にさせ、自殺させたり、死刑になるような犯罪に走らせたりすることで殺し、非白人種の人口を減らすことだそうです。しかも自分らは手を汚さず例えば同じアジア人同士をマインドコントロールして憎み合わせ殺し合わせるのを常套手段にしています。そんな現実を鑑みれば釈尊の時代のネパール、インドも「今ここ」もたいして変わらない気も致します。

817n:2017/05/13(土) 15:37:03 ID:rE4IZw860
>>816 続き

他にも人工地震・津波・放射能汚染などで自然災害を装いながら大量殺戮、人口削減も行われていることが世界の「非白人」各国で指摘されていますが、これを公表する者を物的証拠が残りにくい手段で拷問迫害し自殺させたり精神病者の妄想の如く吹聴するのが集団ストーカーの役目です。

このように卑劣な人殺しの片棒を担いでいる者の多くはごくふつうの一般大衆で私の身近の知り合いにもたくさんいますが、自分らは「集団ストーカーに協力しなければ生きていけない」と思い込むよう一様にマインドコントロールされています。実は当のアメリカ人にしても大衆は同じようなもので彼らもまたマス・マインドコントロールされてやっているだけです。
私ども家族は集団ストーカーの拷問を数十年受け、父親を殺され、生活を破壊・妨害され、平均年収も集団ストーカーをやってる大衆の半分以下くらいですが、さして悪いこともせずちゃんと生きているのですが(笑)。

権力者による暗殺・虐殺犯罪は白色テロと呼ばれ古くから前例も多くオウム真理教のテロも実は公安犯罪者が関与し仕組まれたものだったことが心理学者苫米地英人などによって明らかにされています。麻原彰晃も死刑を待つ独房で「俺は騙されていただけなんだー!」と悲痛な叫びを繰り返していたと読売新聞の記事にも載っていたのを読んだことがあります。
ユダヤ人虐殺を指揮したナチス高官もニュールンベルグ裁判で「私は(ヒトラーの)命令に従っただけだ(だから罪はない)」と有名な言い訳をしています。いっぽうそのような命令をする側もまた「自分はそう言っただけで、実際にやってないから罪はない」と心中で言い訳していることは容易に想像できます。この心理は有名なミルグラム実験で実証されています。

そこで鬼和尚様にお尋ねしたいのですが、罪なき人を自殺、事故死、病死、災害死させる集団ストーカーに、マインドコントロールされて幇助した者もまた人殺しの報いは避けられず、一種の共業のようなものだと思うのですがいかがでしょうか。

818n:2017/05/13(土) 15:40:23 ID:rE4IZw860
>>817 続き

また集団マインドコントロールには非公開の脳科学技術も多々悪用され、脳波と共鳴するHAARP周波を大衆に照射し感覚・感情・思考を権力者に都合よく操ったり、本人の声を人工的に捏造しVoice to Skull(V2K)という技術で脳の聴覚細胞に直接送信して、それがまるで「自分の考え」のように思い込ませながら行動を操る手口などが使われていことが既に海外で報道されています。

さてこのような時代にマインドコントロールを予防するにも、鬼和尚様の説かれる法(Dharma)は大変有効だと感じ、このような報告をいたしている次第です。有効だからこそ鬼和尚様の説法を激しく妨害する者もしつこいのでしょうが、大事なのは、すなわち唯識でいう所取(思考感情感覚を通した環境)だけでなく能取(自我)もまた虚仮(観念にすぎないもの)であることを観察せよ、という教えだと理解していますが、これでよろしいでしょうか。

また以前、「マインドコントロールに罹るのは欲のせいだから、欲をかかなければ、そのような悪も取りつく島もない」と教えていただきましたが、他によき教訓などあればご教示願えませんでしょうか。

819n:2017/05/13(土) 15:45:19 ID:rE4IZw860
参照

ジョン・ホール医師は、オバマ大統領が2011年に開いたOrganized Stalkers(集団ストーカー犯罪)に関する公聴会にも列席し、被害者の訴えを医師として代弁している(Report of the U.S. Presidential Commission for Bioethical Issues )。

集団ストーカー組織によりマインドコントロールを受け、Sex Slave(性奴隷)にされたテキサス州のある被害者少女をホール医師が診た際に驚くべきことがわかった。脳の聴覚細胞をマイクロ波で刺激し人工的に幻聴を起こさせる、米空軍開発・特許登録のマインドコントロール凶器や同じく米陸軍の「Voice to Skull(通称V2K)」、 米海兵隊のMedusa作戦(マイクロ波で脳内に音を発生させる兵器『MEDUSA』)が、イラク戦争で実際に使われ、捏造された「アッラーの声」など幻聴を聞いたイラク兵士を混乱させるのに成功したことは既に報道されているが、ホール医師の診た被害者少女にも、このV2Kが使用されていることが判明した。

ホール医師が驚いたのは、マインドコントロールにV2Kを使うその手法で、脳に直接聞かせるのは、なんと機械で合成し人工的に作った「本人の声」だった。被害者はそれを「自分の考え」と思い込み、捏造された「自分の声」のとおりに行動するようになったという。 

http://cointelpromkultra.blog.fc2.com/blog-date-201702.html

820鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/13(土) 21:30:27 ID:1d4drIFg0
>>816 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>817 そうじゃろう。
 そのようなものにひっかかるのは自分も攻撃欲があるからなのじゃ。
 攻撃欲を発揮する大義名分を与えられて行うのであるから悪い報いは避けられないのじゃ。

>>818 それでよいのじゃ。
 言葉やイメージに出来るものは全て観念なのじゃ。

 常に自分を客観的に観察していれば、何かおかしなことがあれば直ぐに気づくのじゃ。
 それは修行にもなるものじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

821としぼっくり:2017/05/13(土) 22:17:34 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さん質問ですが、
言葉の無い観察をすると言う事は、観照が起こる時は言葉は無いと言う事ですか?

822としぼっくり:2017/05/14(日) 11:06:19 ID:IOMLtO8.0
続けて質問申し訳無いですが、
言葉無い観察をすると気付きが起こる時は、言葉は無いと言うことですか?

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/14(日) 21:46:33 ID:1d4drIFg0
>>821>>822 そうじゃ、全ての観察は言葉がなく行われているのじゃ。
 観照もまた言葉がない観察によって起こるのじゃ。
 言葉にされるのは観察が記憶になった後なのじゃ。
 
 観察による気付きを自分や他人に説明しようとすると言葉にする働きが起こるのじゃ。
 その過程も観察してみるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

824としぼっくり:2017/05/14(日) 22:03:13 ID:8NYbNbgo0
鬼和尚さんありがとうございます。
観察による気付きを説明しようとすると、確かに言葉にする働きが起こると思いました。
言葉にされるのは観察が記憶になってからと言うことを踏まえつつ実践して行こうとおもいます。

825避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 16:20:18 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

自殺した者は、自殺した後も苦しむというお話でしたが、どういう苦しみなのでしょうか?
病苦が辛くて自殺した人が居たとして、肉体はもうないわけなのですが、何故苦しいのでしょうか?

826避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 16:24:45 ID:Y5LPInQE0
>>797
思考に対して何もしなくて良いのですね、やってみます。
ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

827進路探訪者:2017/05/15(月) 19:05:49 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さんこんばんは。

先日、恐怖を観察したくて夜明かりを消してリングを見ました。

リングはリングで怖かったのですが、その後に、恐怖をより
観察したくて怖いブラクラで有名な、jeff the killerという
のっぺらぼうのお化けの画像を検索し、鳥肌が立ちました。

その後、ヴィパッサナーを続けると、jeff the killerを思い出すと、
思考や感情なしに(おそらく無意識?)条件反射的に鳥肌が
立つのが分かりました。

やはり、私の場合、体への執着が恐怖という感情を生じさせて
いると感じました。

なお、jeff the killerの観想は、よほど怖いのか何度でも何度でも
できるほど集中できておりました。

どうでしょうか。

828避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 20:42:58 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

いつも変わりたい、変わりたいと思ってきました。でも結局変われなかったです。

>>797
>そうじや、自分の本性が少しでも見られれば根本から変るじゃろう。

と仰っていますが、どうして根本から変わるのでしょうか?

829鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/15(月) 21:20:43 ID:1d4drIFg0
>>824 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>825 それは観念の苦なのじゃ。
 自らの行いを悔やんだり、失ったものに執着するために苦が起こるのじゃ。
 苦があるから自殺しても観念の苦はやはりあるものじゃ。
 肉体の痛みなどの苦も実は痛みがいつまで続くのかとか、なぜ自分がこのように苦しむのかとか、、
 想っているために起こる観念による苦が大きいのじゃ。
 自ら観察してみるのじゃ。

>>826 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

830鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/15(月) 21:31:03 ID:1d4drIFg0
>>827 そのような観察でよいのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>828 それは観察して気付くことによって間違った自己認識がなくなるからなのじゃ。
 例えば自分を臆病者と想っている者が居たとして、車の音がするたびに怯えるから自分は臆病だと認識していたりするのじゃ。
 しかし、それが過去に車に轢かれそうになった事が原因で今も肉体を守ろうとしていただけであると気付けば、自分は臆病ではなかったとわかるのじゃ。
 そして車もそれほど気にしなくてもよいと知るじゃろう。
 それによって自分のイメージや行動も変るじゃろう。
 そのように観察によって自分の行いの原因に気付けば根本から変るのじゃ。

 おぬしも自分を否定的なイメージでみているのじゃろう。
 それがどのようなものであり、どのような原因があるのか一つ一つ観察してみるのじゃ。
 そうすれば否定的なイメージが一つ一つなくなり、根本から変っていくのじゃ。

 否定的な自己イメージを持っている者は、大抵卑小な自分を確認したくないと逃避して自分を観ないようにするものじゃ。
 そのような逃避も観察して滅していけば自分のイメージを観られるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

831n (817):2017/05/15(月) 22:05:36 ID:mHPh7VzQ0
>>820 鬼和尚様

まさにベストセラー『他人を攻撃せずにいられない人』の生きた標本みたいですね、集団ストーカー犯罪をやる者は。これを書いている今日も部屋に不法侵入がありました。
これまでいろんなものを壊され盗まれ細工されて、行くところすべてにストーカーがつきまといますが、彼らは手向かうことのない無辜の民の生活を破壊し精神的・肉体的拷問を加え、告発されても「被害妄想だ」と嘘を吐いて人を騙し、逮捕されないように逃げ回っている臆病者であり、テロリストの典型ですね。テロリストのやるテロが、兵士が闘う戦争と違うのは、まさにテロリストが「臆病」で「弱い」人間だから、無関係の市民を殺したりストーカーや泥棒、強姦魔のような「卑怯」な変態に走ったりする点にあります。まともに勝負したら、まっとうな人間に勝てないからですね。
さてその彼ら変態の攻撃欲の原因は何であるかの観察も、既に2010年に鬼和尚様が喝破されておられましたね。
このベストセラー本書いた精神科医も鬼和尚ブログを読んでいるのでしょうか(笑

「劣等感が心の中にあると、他人の言葉が全て自分を批判するように思えたり、自分の観念に固執して離れられず、真実が見えなくなったりするものじゃ。
それも己の弱さを隠そうと防御する反応から来るものじゃ。

そして自らを弱いと思う事も認めず、強く見せかけるために、他人への攻撃をえんえんと繰り返したりする。
実際は弱いと言う感覚さえも、謬見ではあるが。
偽りでしかない弱さを隠すために観念にしがみつき、観念を守るためにさらに攻撃を繰り返す。」
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-85.html

聖書の「黙示録」にも地獄に堕ちる者の条件がリストされていますが、その中に「嘘つき」と並んで「臆病者」が入っているのが興味深いですね。

我々も臆病で卑怯な集団ストーカーみたいに地獄に堕ちないよう、しっかり己を観察しつづけ精進したいと思います。
では、皆さまもどうぞよい悟りを!そしてよい死後を!

832避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 22:45:06 ID:Y5LPInQE0
>>829
鬼和尚さん、レスありがとうございます。
もし、病苦が原因で自殺してしまった場合、死後も観念の苦を観察するよう修行に励めば、死後でも苦から解放されるのでしょうか?

833避難民のマジレスさん:2017/05/16(火) 06:03:19 ID:eAIt472s0
いつもありがとうございます。
今年に入ってから、毎朝20分座ることを習慣にしていますが、
一向に本心が開陳されないので質問させていただきたいと思います。
ギャンブラーは、自我はお金を儲けたいと思っていても、
本心は破滅を望んでいる可能性があると聞きました。
このギャンブラーは本心を知ることで、破滅を回避できますか?
また、本心では本心のことなど知りたくないという人がいることはあり得ますか?
その場合、その人は本心を知ることは、どのように努力しても無理ですか?

834そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/16(火) 07:48:24 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画では、生まれ変わりや自殺すると苦しむということが語られていますが、本当でしょうか。

【不思議な体験】死後の世界について記憶あるけど何か質問ある?
https://www.youtube.com/watch?v=cw0ZHYEQgUg

835n:2017/05/16(火) 19:44:25 ID:7SKackZ.0
>>831 参照

おくびょうな者、....すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである(黙示録21:8)

Sutta Nipata 661
嘘を言う人は地獄に堕ちる。
また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受け地獄に堕ちる。

836n:2017/05/16(火) 19:47:15 ID:7SKackZ.0
>>831 参照
加害者による内部告発(殺人)
2ちゃんねる掲示板に「自殺を促す仕事に関与した私の懺悔」という加害者と思われる書き込みがありました・・・

「情報収集の結果・・・・我々工作員はこの2つの情報から以下の工作を行うことにしました。・・・・ターゲットは、その後ビルの屋上から飛び降り自ら命を絶ったそうです。運悪く最後にターゲットに不幸を働きかけたのはこの私だったのです。この人を殺したという罪の意識にさいなまれここ(2ちゃねんる)へ書き込みました。多くの人達、特に若者達にこの事実を記憶の片隅にでも置いて頂いて、 殺人などの不幸を助長する仕事に手を染める悲劇を未然に防ぐ事だと 気付いたので生硬ではありますがこの文章を書きました。 この文章が官僚の目に留まり国に働きかけてこのような悲惨極まりない仕事を日本から追放してくれることを心から願っています。」

安倍幾多郎 『集団ストーカー認知・撲滅』


直接、殺害に関わっていないだけで、その背景は他殺に等しいのである・・・「勝手に自殺したんだ」「自分には関係ない」などという言い逃れは許されるべきではない。

上野正彦『自殺の9割は他殺である』

http://gangstalking-crime-databease.blogspot.jp/2016/02/p.html

837鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/16(火) 21:29:05 ID:1d4drIFg0
>>831 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>832 死後はもはや意志も弱く修行ができないのじゃ。
 ただ苦しいという観念があるのみなのじゃ。
 生きているうちに修業するのが一番なのじゃ。

>>833 回避できるじゃろう。
 あるじゃろう。
 今まで自分を偽ってきたためにもはや本心には戻れないと想っているのじゃ。
 しかし、いずれ死ぬときには本心を観るしかなくなるゆえに後悔するばかりなのじゃ。
 死を想えば本心は明らかになるものじゃ。
 全てが消え去るのに自分を偽っていても意味が無いからのう。
 おぬしも今自分が死ぬ時であるとイメージしてみるのじゃ。
 全ての偽りが消えて本心を観るしかなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>836 本当じゃろう。
 少し観念による見解が入っているがのう。

838避難民のマジレスさん:2017/05/16(火) 22:01:16 ID:Y5LPInQE0
>>837
ご回答ありがとうございます。
生きているうちに修行しようと決意しても
大して進歩できぬまま、事故か何か(自殺以外)で
死んでしまった場合、病苦のある人は、どうなるのでしょうか?

839避難民のマジレスさん:2017/05/17(水) 12:50:53 ID:Y5LPInQE0
>>830
レスありがとうございます。

私は、若い頃、不良やヤクザ連中と付き合った事が無く、当然彼らと喧嘩して勝った事もありません。
そういう理由で不良やヤクザが怖いのですが、どうすれば不良に対して恐怖を抱かずに居られるでしょうか?

彼らが間違いを犯している現場に居合わせたら、それを止めさせるのが正義であると思いますが、
自分の身を守る必要も感じるので、などと言えば格好いいかもしれませんが、要は我が身が可愛いので、
悪を見過ごす気がします。

どうすれば、我が身が滅びようと善事を成せるようになりますか?
また、そこまでする必要は、あるのでしょうか?

840としぼっくり:2017/05/17(水) 19:41:18 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分に気付けばいいのか、自分は無いと気付けばいいのか、どちらなのでしょうか?

841鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/17(水) 20:58:32 ID:1d4drIFg0
>>838 死んだら病苦はなくなるじゃろう。
 善い事をしていれば善い所に生まれるじゃろう。
 安心して修業に励めばよいのじゃ。
 自分のしたこととしなかったことをらみるのじゃ。

>>839 そのような恐れも自分の心の中に原因があるものじゃ。
 原因から観察されればその恐れも消えるのじゃ。
 
 そのように強く決意すればできるじゃろう。
 する必要はないのじゃ。
 おまわりさんを呼ぶとよいのじゃ。
 なぜ自分がそこまで考えるのか、その原因を心の中に探してみるのじゃ。
 そして原因からその観念が起こることに気付けば囚われることもなくなるのじゃ。
 
>>840 自分に気付けば善いのじゃ。
 そうすればそれが観念であり、実際にあるものではなかったとわかるのじゃ。
 無理に自分が無いものと気付こうとしても観念を追うことになるのじゃ。
 今ここにあるものごとをありのままに観るのじゃ。

842としぼっくり:2017/05/17(水) 21:25:17 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
精進して行きます。

843進路探訪者:2017/05/18(木) 00:45:53 ID:DIiPmWc60
>>830

ありがとうございます、恐怖と向き合い実践いたします。

844避難民のマジレスさん:2017/05/18(木) 08:38:04 ID:Y5LPInQE0
>>841
ありがとうございます。

以前も原因を見るように言われたのですが、それらしき原因が思い浮かびませんでした。
いえ、思い浮かんだ原因は、書物で、ある人物がそのように言っていたから、としか思えなかったのですが、
鬼和尚さんは親や友達が原因となることを言ったとおっしゃいました。

親や友達に言われると原因になって、影響力のある人物が書物に書いた事は、原因とならないのでしょうか?

また、苦の原因を見つける事と自分に気づく事とどちらが重要でしょうか?

845避難民のマジレスさん:2017/05/18(木) 08:39:58 ID:Y5LPInQE0
>>841
>死んだら病苦はなくなるじゃろう。
>善い事をしていれば善い所に生まれるじゃろう。

自殺してしまった場合、生まれ変われないのでしょうか?

846鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/18(木) 20:51:36 ID:1d4drIFg0
>>842 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>843 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>844 その者を信じていたのならば原因になることもあるじゃろう。
 苦の根本原因は自分が゛あるという想いなのじゃ。
 それを無明というのじゃ。
 苦の原因をどこまでも求めていけば自分に気付くじゃろう。
 どこまでも自分の本心を見ていくがよいのじゃ。

>>845 生まれ変れるじゃろう。
 長く苦しんだ後に自ら破壊した肉体そのままに悪い所に生まれるじゃろう。
 それも自ら望んだ故なのじゃ。
 今生きて苦を滅したほうが何倍もよいのじゃ。

847避難民のマジレスさん:2017/05/19(金) 12:16:20 ID:Y5LPInQE0
>>846
ご回答ありがとうございます。

自分が無いのに、自ら望むとはどういう事なのでしょうか?いつもこの辺りで混乱します…。

生まれ変わる自分ではない自分とは?

848避難民のマジレスさん:2017/05/19(金) 12:46:23 ID:Y5LPInQE0
>>846
>苦の根本原因は自分が゛あるという想いなのじゃ。

これは、言い換えると、自分の問題だからという思いが苦しくさせているということでしょうか?
他人の問題だったら、ここまで苦しまないと思うので。

849そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/19(金) 18:42:53 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
死んで生まれ変わる時に、パラレルワールドに生まれ変わることはあるのでしょうか。
様々なパラレルワールドの中から、その時の自分に相応しい所に。

850鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/19(金) 21:08:12 ID:1d4drIFg0
>>847 自分があると想っている仮想の上で自ら望むということもありえるのじゃ。
 苦を無くすつもりで自分を殺せばむしろ大きな苦を重ねてしまうのじゃ。
 無明の上に無知を重ね、苦の上に苦を重ねてしまうのじゃ。
 生きているうちに苦を除く道を行くものこそ賢いものといえるのじゃ。
 
 仮想の自分が生まれかわるという幻想もそれによって起こるのじゃ。

>>848 それもあるじゃろう。
 自分があれば自分の好みがあり、好むことに執着すれば苦は起こるのじゃ。
 そのような苦の縁起を観察してみるのじゃ。

>>849 そのようなこともあるじゃろう。
  人の想いの数だけ世界はあるものじゃ。
 それもまたパラレルワールドと言えるのじゃ。
 おぬしはおぬしの世界に生まれているのじゃ。

851避難民のマジレスさん:2017/05/20(土) 08:42:37 ID:czRftzgI0
サマーディは丹田の気が上に上がるのをイメージすればできるようになるのでしょか?
止観が十分に進むとサマーディになるのですか?
止観とサマーディに入るのを両方試みていいのでしょうか?

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/20(土) 20:33:09 ID:1d4drIFg0
>>851 イメージだけでは無理なのじゃ。
 正しい姿勢で丹田に圧力がかかるようにしないと、気も発生しないのじゃ。
 姿勢が大事なのじゃ。

 集中が進めばサマーディに入れるのじゃ。
 観察は要らないのじゃ。
 姿勢を正すのに役に立つこともあるがのう。

 何でも試してよいのじゃ。
 努力は無駄にはならないじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

853避難民のマジレスさん:2017/05/20(土) 21:27:29 ID:czRftzgI0
丹田に圧力は、前から背中に向けて腹筋で呼吸に合わせて押すという意味ですか?

854としぼっくり:2017/05/20(土) 21:59:43 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
心が主とは、自分の心が主と言う事でしょうか?

855n:2017/05/20(土) 22:03:39 ID:DsIwk1oU0
鬼和尚様

このような青年が鬼和尚様を尋ね夜を徹し悟りを求めたらどのようにお導きになりますでしょうか。

…原町市南町の東本願寺別院や浪江町幾世橋の大聖寺をしばしば訪問した[廣森達郎]中尉は、戦いのなかの死とはなにかを問い続け、悟りを得ようと努力に努力を重ねた。

[血書]

我、今、宿善の助クルニヨリ、己二受ケ難キ人身ヲ受ケタルノミアラズ、生死ノ中ノ景勝ナルベシ。
水ずくも燃ゆるも何をか悔いざらむ
君に捧げし命なりせば
[…]
吾人罪業深キ人間ナレバ之ガ中核ハ我執ニ依リ覆ワレアリ
サレド一度大悲願ニ接センカ我執ノ我ハ御民我トナリ本体ハ確然タリ
[…]
昭和十八年十月二十日 記 於別院 達郎
(注=この血書は、飛行学校所在の原町東本願寺別院の北上上人を尋ね、夜を徹して問答し、ある心境に達して、自らの指先を切って認めたものである。)(p.p.251-252)

856n:2017/05/20(土) 22:07:30 ID:DsIwk1oU0
>>855 <参考>

廣森達郎 原町在住日記[昭和十八年]

十月三十一日
浪江ノ青田ノ家ニ至ル。大洋ノナガメハ各別ナリ。返シテハ寄セ、寄セテハ返ス浪、コノ現象ハ神代ヨリ続キナオ無限ニ続カン。ナンゾ瞬時ノ人生ニ迷ワン


また大聖寺にあてた手紙は次のとおり。
「…西のほうに向かって大きくうたってください。耳をすまして聞きます。私の忘れられない歌は次のものです。
 うさぎ追いし かの山 こぶな釣りしかの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき故郷……。さようなら 廣森」(p.42)

[神中佐の手記より]
…説明終わると、廣森中尉は全員を集めて話をした。
「いよいよ明朝、特攻だ。いつものようにオレについてきてほしい。次のことだけは約束しよう。こんど生まれ変わったら、そして、それがウジ虫であろうと、国を愛する心だけは失わないようにしよう」(p.41)

857n:2017/05/20(土) 22:15:35 ID:DsIwk1oU0
>>855 追加の質問

同血書の冒頭には「破邪絶忠」とありましたが、どのような思いを込められた言葉でしょうか

858としぼっくり:2017/05/21(日) 00:19:26 ID:DAY232aw0
連投すいません。
調べていたら、お釈迦様は
心に従わず 心の主となれと仰っていたみたいですが、心が主なのか、心の主になるのかよく分かりません。どう言うことでしょうか?

859避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 05:50:48 ID:eAIt472s0
>>837
ご教授ありがとうございました。
真剣に切迫感を持って、今自分が死ぬときであるとイメージするのに、
よいやりかたはありますでしょうか?
たしかに全ての人は100%死ぬことは、頭では分かっているのですが
実際死が、自分の身に降りかかることになることをなぜか想像できません。

860避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 08:36:58 ID:LrkdpKD60
仕事で人物金の制約の中、やれることは決まっています。日々の段取りの中、どうにもならない事態がよく起こります。
内観すると出世のためにやっているというより、職責の全うとお客さんの納期を守る視点で仕事をしているのですが、あまりに色々なことがありすぎて心が苦しいです。
どうしていけばいいのでしょうか?

861避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 10:50:30 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

病苦が辛いので、本当にもう首を吊ろうかと思って
目覚めた朝がありましたが、特に何も変わりませんでした。
本心とは何でしょうか?私がその時思ったのは…
もう良く思い出せなくなりましたが、もうちょっと
頑張ってみようと思ったことは覚えています。

私は、あの時、本心を見る事が出来たのでしょうか?
何か思ったことは確かですが、そんな大した事でも
なかった気がします。本心とは何でしょうか?また死のうと
その内思うはずなので、その時、どうすれば良いのか教えてください。

どうすればって本心を見れば良いのですよね?確かにあの時も
自分の心を見ようとしたはず…もしかしてまだ辛くても体は
動くのに勿体無い、死ぬのは、とかだったかもしれません。
でも、そんな事が分かっても何も変わりません。
もう一度、「もう死ぬか」と思ったときどうすれば良いのか教えてください。

862そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/21(日) 11:53:30 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
病気や障害のため安楽死するのは自殺と同様に悪いことですか?

863避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 17:42:20 ID:Y5LPInQE0
>>850
>自分があると想っている仮想の上で自ら望むということもありえるのじゃ。

仮想の上で自ら望む自分とは何ですか?

>仮想の自分が生まれかわるという幻想もそれによって起こるのじゃ。

仮想の自分が生まれ変わると言うのは、どういうことでしょうか?実際は生まれ変わる自分は居ないということですか?

864鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/21(日) 21:06:53 ID:1d4drIFg0
>>853 呼吸は自然のままでよいのじゃ。
  姿勢が真に正しければ上体の重みが自然に丹田にかかるのじゃ。
 それによってサマーディも自ずから訪れるのじゃ。

>>854>>858 心の主人となるのじゃ。
 心を主人としてはいかんのじゃ。
 心をコントロールせよということじゃな。
 例えば感情の怒りが起こったならばそれに従えば、人を傷つけたりするじゃろう。
 感情をコントロールして従わせればそのようなこともおこらないのじゃ。

>>855 自らの本心を観るように言うのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>857 邪を破り絶対的な忠誠をたもつということじゃな。
 
>>859 それは心に死の恐れがあるから、考えることも避けているのじゃろう。
 おぬしが年をとってもはや死が逃れられなくなり、死の床に居ることを想像するのじゃ。
 それは確実にやってくることであるからのう。
 ただの想像ではないのじゃ。
 やがて起こることの予測として真剣に想像してみるのじゃ。

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/21(日) 21:18:18 ID:1d4drIFg0
>>860 自分の力でどうにもならないことはもはや捨てるがよいのじゃ。
 それについて悩むのは無意味なのじゃ。
 頭を下げなければならないところは下げるが良いのじゃ。
 そしてそれについてもはや悩むことは無くすのじゃ。
 もはや自分の手を離れた仕事について悩むことがないようにのう。
 それもまた社会で身に付けるべき仕事のための技の一部といえるじゃろう。
 自分自身のためのストレスマネジメントが必要なのじゃ。

>>861 本心とは自分の偽らない心なのじゃ。
 頑張ってみようと想ったのも本心じゃろう。
 怒ったときは怒った心が本心なのじゃ。
 怒っていないと思おうとすれば本心ではなくなるのじゃ。
 
 なぜ死のうかとか思えるのか、自分の偽らない心を見てみるのじゃ。
 苦が原因ならば、その苦の原因をみれば苦は無くなり、死のうという思いもなくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。
 
>>862 同じようなものじゃ。
 生きて苦を滅したらよいのじや。

>>863 自分とは観念なのじゃ。

 居ないのじゃ。
 自分の本心を観察して確めるのじゃ。

866としぼっくり:2017/05/21(日) 22:10:07 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
心の主となって、心をコントロールして行こうと思います。

867避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 06:06:28 ID:Y5LPInQE0
>>865
実際は生まれ変わる自分など居ないのならば、
>>846のこの説明はどういう事ですか?

>生まれ変れるじゃろう。
長く苦しんだ後に自ら破壊した肉体そのままに悪い所に生まれるじゃろう。
それも自ら望んだ故なのじゃ。
今生きて苦を滅したほうが何倍もよいのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 12:14:29 ID:Y5LPInQE0
自殺すると酷い状況の自分に生まれ変わるという話と生まれ変わる自分など居ないという説明が食い違っているように感じます。

869避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 12:30:37 ID:Y5LPInQE0
>>865
>>865
>苦が原因ならば、その苦の原因をみれば苦は無くなり、死のうという思いもなくなるじゃろう。

私は、心身両面病んでいるのですが、それが理由です。
原因を見ても、死のうという思いは無くなりません。

870避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 18:31:18 ID:czRftzgI0
>>853
どうも今までのやり方は正しくなかったようで(背中が曲がっていた)、ご指導の通り丹田圧を意識したら、姿勢が安定しました。さらに集中までの時間も短くなりました。どうもありがとうございました。

871避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 18:37:22 ID:czRftzgI0
どうも今までのやり方は正しくなかったようで(背中が曲がっていた)、ご指導の通り丹田圧を意識したら、姿勢が安定しました。さらに集中までの時間も短くなりました。どうもありがとうございました。

872としぼっくり:2017/05/22(月) 20:38:09 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
八正道で始めに正見せよとありますが、観察が基本にあると言うことでしょうか?

873鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/22(月) 21:00:48 ID:1d4drIFg0
>>866 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>867>>868 実際には無いが自分があると認識しているものには生があり、生まれかわりもあるのじゃ。
 おぬしも自分が無いと実際に感じていないじゃろう。
 ただわしがいう知識として記憶しているだけじゃ。
 そのような者には生があり、生まれかわりも続くのじゃ。

>>869 理由を見ても無くならないのじゃ。
 原因から観察するのじゃ。
 心の病の原因を観察し、肉体の病の原因を観察するのじゃ。
 それが消えれば生きていてよかったとか想ったりするのじゃ。

>>871 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>872 そうじゃ、正しく観察することが基本なのじゃ。
 観察から正しい厭離も起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

874としぼっくり:2017/05/22(月) 22:06:45 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
正しく観察する事が基本にあるようにしたいと思います。

875避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 02:15:42 ID:Y5LPInQE0
>>873
心の病の原因なんて知らんですよ。物心つく頃から始まったんですからね。
生まれつきじゃないんですか?

肉体の病の原因を観察するとは、どうすれば良いのでしょうか?

876としぼっくり:2017/05/23(火) 10:07:36 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、正しい観察が基本と言う事でしょうか?

877避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 12:54:58 ID:qyLdY/BE0
鬼和尚、
自我への執着の原因としては、例えばどのようなものがありますか?
だいぶ自我が見られるようになって来ているのですが、主体の生成の瞬間が見られません。

878避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 18:36:00 ID:czRftzgI0
丹田は臍下といいますが、そこのお腹の皮にあるのか背骨あたりにあるのかどこですか?

879避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 19:07:41 ID:Y5LPInQE0
>>873
良くわかりません。鬼和尚さんが言われる生まれ変わりとはどういう事なのでしょうか?

前世の自我が次の肉体に宿るという事でしょうか?でも自我は誰にも無いのだから、そんなはずないですよね?

880鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/23(火) 21:59:05 ID:1d4drIFg0
>>874 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>875 幼少からの心の病は親の言動とかが原因の場合が多いのじゃ。
 或いは命に関わる病や事件があったとかなのじゃ。
 
 肉体をよく観察するのじゃ。
 どこが痛むのかとか、そこ以外に痛んだり凝っていたりするところはないかとか、
 いろいろ観察してみるのじゃ。
 意外なところに原因があるかもしれんのじゃ。
 
>>876 言葉はどちらでもよいのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 実践がすべてなのじゃ。

881鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/23(火) 22:04:48 ID:1d4drIFg0
>>877 自我が自分を守るものであるとか、自我が無ければ死ぬとか、他人に操られるとかなのじゃ。
 人にょって違うじゃろう。
 自らの本心を観察して確めるのじゃ。

>>878 筋肉の下の辺りなのじゃ。
 そこに集中すれば気が発生するのじゃ。
 熱の気なのじゃ。

>>879 自我は観念でしかないから生まれかわらないのじゃ。
  おぬしの自我は生まれたときにはなかったじゃろう。
 成長すると自我も創られてくるのじゃ。
 成長と共に創られていくのがおぬしにも感じられたじゃろう。
 
 本来言葉に出来ないが、言うならば個我があるという想いを持つ意識が、別の肉体に宿るのじゃ。
 肉体も意識の表れであるがのう。
 全ては意識なのじゃ。

882避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 22:10:07 ID:Y5LPInQE0
>>880
幼少期の原因となった出来事を思い出せば、心の病は治るのでしょうか?でも、とても思い出せそうにありません。

肉体を観察して痛むところ、凝ったところを見つければ、肉体の病の原因が分かるんですか?それは、どうしてですか?
風邪の時、体を観察しても、だるいとか熱があるとか分かるくらいで原因は分からないと思いますが…。

883としぼっくり:2017/05/23(火) 22:45:55 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
正しい観察が基本にある様にして行こうと思います。

884蓮恵:2017/05/24(水) 08:25:08 ID:P0oV4erc0
和尚さま

分別のない心とはボケーっとしたものなのでしょうか
逆に明敏なんでしょうか

885481:2017/05/24(水) 09:23:43 ID:oLpe4ETY0
鬼和尚、ご無沙汰しております。

以前も書いたかもしれませんが、観察が明確になってきたかもしれません。

今まで物や風景などを見て阿頼耶識の機能を観察しようとしていましたが、私という観念を観察するようにしてみました。

私に意識を向けると、
自分の外見や経験、過去に思ったこと等、一瞬にして記憶として立ち上がります。
これが自我ではないかと感じました。

私という経験はすでに消え去ったものでありますが、今この瞬間では記憶としてだけ実態があるように思えます。
しかしこの記憶もすぐに消え去ってしまいます。

そう言った意味で私に実態などなく、次々と流れ消え去るものを記憶として甦らせ、私としてしまっているのだなと感じました。

これを観察したところ、スッと安心を感じたところです。
今のところこのような進捗ですが、より観察を深めて行きたいと思います。

886鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/24(水) 21:42:00 ID:1d4drIFg0
>>882 おぬしの心はそれを知っておる。
 それ故に今も反応があり続けるのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想をして、心を観察すれば次第にわかってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

 筋肉や骨の周辺に凝っている処があれば、そこで血行が悪くなり病の原因ともなるのじゃ。
 風邪の時はわしは喉や胸の筋肉に痛みやコリがあると観察したのじゃ。
 それをマッサージして治すと風邪も治ったのじゃ。
 そのように現代の医学でも原因がわからない病でも、自ら観察して治すことが出来るのじゃ。
 心臓や喘息の病なども喉や胸の辺りの凝りをとれば治ったという話もあるのじゃ。
 うつ病も首の後ろの筋肉の凝りをとれば多くが治るというのじゃ。
 おぬしの病が何か知らんが、痛みの周辺に凝りが無いか探してみるとよいのじゃ。
 無駄にはならないじゃろう。

>>883 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>884 心は無為でも、肉体は明敏じゃろう。
 危険が迫ったりすれば肉体が自然に反応したりするのじゃ。
 無為にして万能になるのじゃ。

>>885 善いことじゃ。
 かなり自我に迫っているのう。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 観照も向こうからやってくるじゃろう。
 またおいでなさい。

887416:2017/05/24(水) 22:22:49 ID:ep2Vij3g0
鬼和尚、ありがとうございます。
たぶん>>885の考えも囚われであり、ここにとどまると先に行けないのかなと思いました。

実生活が苦しくなると観察が進みます。
苦が原動力になってますね。
さらに精進致します。

888481:2017/05/24(水) 22:24:44 ID:ep2Vij3g0
>>887は481のまちがいです。
すみませんでした。

889蓮恵:2017/05/25(木) 00:13:56 ID:2PcDrMdY0
>>886
和尚さま、ありがとうございます。
>>心は無為でも、肉体は明敏じゃろう。
>>危険が迫ったりすれば肉体が自然に反応したりするのじゃ。
>>無為にして万能になるのじゃ。

そのようなものだと感じておりました。
外形は明敏な働きをなして、内面は無為自然のままが、高い境地かもと思っておりました。

これを行に取り入れるとちょうど思考や感覚を敏感に察知しながら、自身はボケーっとしているような感じですがこれで正しいでしょうか。

890避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 05:54:31 ID:eAIt472s0
>>864
ご教授ありがとうございました。
死を真剣に想像するのは瞑想中でしょうか?
瞑想中は真剣に想像するといった能動的なことが、瞑想と両立しないように感じます。
止は呼吸を意識するだけですし、観はただ観るだけだからです。

一方、本心を見ることができないのは、幼少時の親からの抑圧が原因のひとつという気がしました。
こちらからも攻めてみたいのですが、どうすればよいでしょうか?

891そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/25(木) 18:36:35 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
職場のことで相談です。
私のやっている業務で、今年4月から新しく人員が一人増えました。
仮にAさんとします。
私はベテランで、Aさんはほぼビギナーです。
座席は私の隣です。
これでこの業務をやるのは会社内では私とAさんの二人になりました。
Aさんの態度はフレンドリーな感じでした。
よく質問してきたり、雑談してきたりしました。
私は業務に関する質問に答えたり、業務上必要と思うことを伝えたりしました。
雑談は適当にスルーして相手にしませんでした。
一週間くらい過ぎたころから、Aさんの態度は変わりました。
よそよそしくして、なるべく私と関わらないようにしています。
業務に関する質問は、他にも聞ける人がいるので専らその人にしています。フレンドリーな態度で。
おそらく、質問に対する私の答えがAさんの期待するものと違っていたり、雑談が相手にされなかったからだと思います。
業務は基本的に個別の作業ですので、私とその人が関わらなくても普段困ることはありませんが、それでも関わることは出てきますので、この先うまくいかないことも起こり得ると思います。
私は悪いことをしたのでしょうか。

892避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 18:54:17 ID:tHj0j65Y0
気というものは何でしょう?
電気みたいなものでしょうか?
輪廻転生もこれがプラマイゼロにならないことから続くのではないかなどと妄想しておりますがいかがでしょうか。

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/25(木) 21:30:43 ID:1d4drIFg0
>>887 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>889 思考や感覚に注意を向けなくてよいのじゃ。
 ただ一つの対象に集中するのじゃ。
 それができたら自然にできるものじゃ。
 ただひたすらに集中するがよいのじゃ。

>>890 普段から考えているとよいのじゃ。
 常に死を想うのじゃ。
 
 その原因から本心からの逃避があり、原因が無かったら逃避も無いと観察するのじゃ。
 そうすれば本心もみえるようになるじゃろう。

>>891 よくは無いが悪いことでもないのじゃ。
 相手は優しくないと感じたかもしれん。
 やさしくしてやるとよいのじゃ。

>>892 エネルギーなのじゃ。
 熱にも電気にもなるものじゃ。
 妄想とわかって居たらよいのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 21:34:41 ID:czRftzgI0
サマーディを求めるときは、無念無想がいいのか何かに集中した方がいいのかどちらでしょう?
もし集中する方なら、具体的に何に集中するのですか?

895そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/25(木) 22:57:44 ID:ohctFj6.0
>>893
このほかの行動ができるなら初めからそうしていたと思いますし、
今後あえてしようとするなら自分の方がおかしくなると思いますし、
悪くないと教えていただきましたのでこれで終わりにします。
ありがとうございました。

896避難民のマジレスさん:2017/05/26(金) 04:15:45 ID:tHj0j65Y0
>>893
ありがとうございます。そのようにいたします。

897避難民のマジレスさん:2017/05/26(金) 11:56:19 ID:QoQZrmNc0
鬼和尚さん

昨日、自分が死ぬところをリアルに想像してみました。
死ぬときには自分というものはなかったのと同じで、そして、自分というものはもう必要ないのだと思いました。
でも、そのあと、自分というものがなくなるのは残念だなあと思っていました。
自分というものがあるうちにやっておくことがあったような気がするのです。
なぜなら、このまま自分がなくなってしまうのが、寄る辺ない感じで心もとないからです。

・・・こんな感じで自分は生まれ変わってきたような気がしました。

ところで、このとき、自我を見るためには、この「自分というものがなくなるのが残念だなあと思っている気持ち」をじっと観察すれば良いのでしょうか?
観察でこの部分も自分ではないことに気づくことはできるのですか?

それから、死ぬときは、この残念だなあと感じている部分も消えていくのですか?

898としぼっくり:2017/05/26(金) 17:37:33 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察するのも、自分とは何か観察するのも、正しく観察する事が基本なのでしょうか?
何度もしつこく聞いてすいません。

899鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/26(金) 21:18:19 ID:1d4drIFg0
>>894 集中したほうがよいじゃろう。
 呼吸とか胸の真ん中とか眉間などに集中するのじゃ。
 眉間に集中するときはあまり目に力をいれないようにするのじゃ。
 
>>895 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>896 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>897 それは感情であり、自我ではないのじゃ。
 そう想っている主体を観るのじゃ。
 それは自分ではないと気付くじやろう。
 その思いも消えるじゃろう。
 観察してみるのじゃ。

>>898 そうじゃ、正しく観察することが基本なのじゃ。
 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

900避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 05:25:05 ID:czRftzgI0
集中するときは何かのイメージを思い浮かべるのではなく無心でするのですか?

901避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 05:54:16 ID:eAIt472s0
>>893
ご教授ありがとうございました。
私にとってはなのですが、今日死んでしまう、とか、むかし親に抑圧を受けていなかった、とか
過去の記憶と矛盾する状態をイメージすることは、とても難しく感じます。
まず、イメージする力を付けるにはどうすればよいのでしょうか?

902蓮恵:2017/05/27(土) 12:06:03 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

和尚さまの仰る本心は、全ての観念を離れた所の心のことでしょうか。
修行とは観念を離れて、本心を見つけるために行うものでしょうか。

全ての観念に依存しない自己を見つける、ということでしょうか。
観念を離れるにはただ独りで座って、観察するのが良いのでしょうか

903としぼっくり:2017/05/27(土) 12:55:02 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、全てを正しく観察する事でしょうか?

904避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 12:55:45 ID:ep2Vij3g0
質問です。

鬼和尚の言う自我とは、「ただひとつの意識」から切り離された分離感覚のことをおっしゃっているのでしょうか?

これは私のもので、これは私以外という感覚。
本当は私も私以外もなく、ただひとつの意識に現れているもの。

それとも、五感と思考を観ている「観ているもの」のことでしょうか?
大いなる存在とか、すべて観ている視点とか言われているものです。
普段の感覚の自分ではありません。
これが自我なのでしょうか?

905としぼっくり:2017/05/27(土) 19:40:45 ID:DAY232aw0
>>903スルーして下さい。すいません。
正しく観察する事を基本に置こうと思います。ありがとうございます。

906避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:15:56 ID:Daf3Ag0M0
>>899
鬼和尚さん、ありがとうございます。

なるほど、感情の方ではなく主体を観察するのですね。
死ぬのを想像する時に、そのように客観的になるためには、ふと我に返る感じなのでしょうか?

じつは、昨日は死ぬのが怖かったのでうまく観察できませんでした。
死ぬことを想像すると、すべてが真っ暗になるように思えて、恐怖心が襲ってきました。
そうやって感情に飲まれてしまう時も、ふと我に返ると良いのでしょうか?

907鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:23:02 ID:1d4drIFg0
>>900 イメージを思い浮かべて集中する方法もあるのじゃ。
 例えば太陽とか月とかを体内にイメージするのじゃ。
 太陽は下丹田、月は頭頂にイメージするのじゃ。
 そのような集中はイメージを思い浮かべるのじゃ。
 イメージを使わない方法はただ呼吸とか体の一部に集中するのじゃ。

>>901 集中力が身につけばそれも容易になるじゃろう。
 イメージする集中法を実践してみるのじゃ。
 いま自分が海辺に居るとか、草原に居るとかをイメージするのじゃ。
 気分もよくなるじゃろう。
 上手くなれば自然にウミネコの声が聞こえたり、草のにおいがするとかするのじゃ。
 それまで実践あるのみなのじゃ。

>>902 本心も観念なのじゃ。
 ただ自分の今の想いをそのまま認め、受け入れて現すのじゃ。
 怒ったならば、怒った心が本心なのじゃ。
 自分は怒っていないと無理に誤魔化したりするのは本心ではないのじゃ。

 自己も観念なのじゃ。
 観察し続ければ観念も滅するじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:33:01 ID:1d4drIFg0
>>904 おぬしがその分離感覚が自分であり、主体であると認識しているならばそれが自我なのじゃ。
 そうでないならばそれは自我ではないのじゃ。
 観ているものが自分であり、主体であると認識しているならばそれがおぬしの自我なのじゃ。
 何を自分であり、主体であると認識するかは人によって違うのじゃ。
 それ故に人は自らの自我を各自で観察しなければいかんのじゃ。

 それが自分と想っているものであったとはっきり気付いたならば、観照が起こるじゃろう。
 自我と想うものがそれかもしれないとするならば詳しく観察してみるのじゃ。
 そうすれば厭離も起こり、無我もやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>905 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>906 そのような感じなのじゃ。
 恐れている自分を観るのじゃ。
 恐怖心が襲ってくるのはよいことなのじゃ。
 ちゃんと死がイメージできていることであるからのう。
 そのようなときも恐れている自分を観るとよいのじゃ。

909避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:57:53 ID:H5Bsi8Hk0
>>908
ありがとうございます。

人それぞれ自我と思っている場所が違う…すごくガツンときました。

以前私は、肉体と思考は私ではないとわかりましたが、「それらを観ている者」「大いなる存在」という概念に自我が移っただけということがわかりました。
今度はそのような自我を持ってしまっているということですね。
観照目指して観察続けてみます。

910としぼっくり:2017/05/27(土) 22:22:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
念処経で観察する法とは、どの様な法なのでしょうか?

911避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 05:57:09 ID:eAIt472s0
>>907
ご教授ありがとうございました。
イメージする集中を実践していきます。
イメージする光景は、実際や写真などでみたことのある過去の記憶からのものがよいのか、
できるかぎり想像的なものがよいのか、どちらでしょうか?
こまかい質問で恐縮です。

912避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 06:42:34 ID:czRftzgI0
>>900
わかりました、精進します

913避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 12:42:59 ID:Y5LPInQE0
>>886
鬼和尚さん、お返事ありがとうございます。

私も体の凝りが原因なのだろうかと思って、難病治療に効果を上げているというマッサージ師の
治療を受けた事がありますが、無駄でした。

数息観などの瞑想を続けて、心を観察することで、心の病から解放されたと鬼和尚さんに報告しに来た人は居ますか?

914としぼっくり:2017/05/28(日) 14:58:03 ID:DAY232aw0
連投すいません。スルーして貰ったのにすいません。
質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、どういう事でしょうか?

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:41:46 ID:1d4drIFg0
>>909 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>910 自分を身受心法を通して観察する方法なのじゃ。
 身とは肉体なのじゃ。
 受とは感覚なのじゃ。
 心とは心の働きなのじゃ。
 法とは四諦とか因縁の法なのじゃ。
 それらを通して自らを観察すればやがて無我にも至るのじゃ。

>>911 できれば実際に行ったところがよいじゃろう。
 なければ写真やイメージでもよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>912 そうじや、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

916鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:55:03 ID:1d4drIFg0
>>913 正確な原因がわからなければ無意味なのじゃ。
 自分で原因を探すしかないのじゃ。
 相談のスレで何人も報告しているのじゃ。
 何もしなければいつまでもそのままなのじゃ。
 
>>914 不正に観察しても何も起こらないのじゃ。
 手があるのに無いとか観察しても不正であるから何も起こらないのじゃ。
 手がそこにあるならは゛手があると見るのが正しい観察なのじゃ。
 全ての観察はそのように正しくなければ無意味なのじゃ。

917としぼっくり:2017/05/28(日) 21:37:45 ID:DAY232aw0
2つ質問お答え頂きありがとうございます。身受心法の教えは大変勉強になりました。ありがとうございます。
正しく観察する事を心掛けて行こうとと思います。
毎回質問に答えて頂き本当にありがとうございます。

918481:2017/05/29(月) 02:02:06 ID:Zf/J12A.0
鬼和尚、
観照と無我の違いは何でしょうか。

自我を観ている状態が観照で、ただ映像が流れている状態が無我でしょうか。

私は、ただ映像が流れている状態に簡単に入れるようになってきております。

まるで、深夜の人気のない、誰も見る者のいない山奥の自然の姿を見てしまったかのような感覚です。

919避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 10:50:52 ID:Y5LPInQE0
>>916
ありがとうございます。

>相談のスレで何人も報告しているのじゃ。

URLを教えて頂けないでしょうか?

920そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/29(月) 18:55:35 ID:ohctFj6.0
>>919
たぶんここのことじゃないでしょうか
違ってたらごめんなさい

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】57 [無断転載禁止]
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1494198815/

921避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 19:42:51 ID:kV7xIwD.0
>>908
鬼和尚さん、ありがとうございます。
まだ上手く行きませんが、死を恐れている自分を観るようにします。
何度も挑戦していれば、恐れている自分を観ることができますか?

ところで、死ぬ時のことを想像していて思ったのですが、私は何となく輪廻転生を信じていて、そのせいで自分がなくなるということを普段はあまり実感しないでいるみたいです。
それはそれで必要なことだと思いますが、ただ、やはり死というものはそんなに都合の良いものではないはずだという気もします。
これはつまり、輪廻転生という観念が死からの逃避に上手く使われているということなんでしょうか?
想像していると、実際の死というのは、輪廻転生のように連なるものではなくて、むしろ突然すべてが断ち切られるようなもののように感じてきたのですが、どうでしょうか?

922避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:30:58 ID:RB87rmAY0
鬼和尚
ニサルガの私は在るという意識に集中する瞑想(ニサルガヨガ)をする場合、
数息観も併用してやってもいいでしょうか?
ニサルガヨガを単独でやるよりも
数息観で集中力を高めたあとでニサルガヨガをした方が効果があるような
気がしますがどうでしょうか?

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 20:53:54 ID:1d4drIFg0
>>917 どういたしまして、またおいでなさい。

>>917 それは無我ではないのじゃ。
 自我は自分と思っているものなのじゃ。
 それが観られるのが観照なのじゃ。
 観照が起これば無我になり、日常でも無我の状態でいられるのじゃ。
 自分とか私とかそのような観念から考えることすらなくなるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>919 >>920なのじゃ。

>>920 ご苦労さんなのじゃ。

924避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:55:58 ID:czRftzgI0
止観中の思考の観察は、思考の内容をじっくり観察するのか内容に踏み込まず思考が起きていることを観察するのかどちらですか?

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 21:08:21 ID:1d4drIFg0
>>921 観られるじゃろう。
 意志によって恐れも克服できるのじゃ。
 
 そのように言えるじゃろう。
 全てが断ち切られるようなものでよいのじゃ。
 そのような恐れも克服できたならば、もはやこの世で恐れることはないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>922 よいのじゃ。
 そのほうが効果はあるじゃろう。
 それが本来の止観とも言えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 21:18:19 ID:Y5LPInQE0
>>920
>>923
ありがとうございます。
このスレの何番に報告がありますか?

927としぼっくり:2017/05/29(月) 21:32:35 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
仏教で言う因縁とは何なのでしょうか?
縁起と因縁は違うものなのでしょうか?

928避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 22:07:45 ID:Y5LPInQE0
紹介のスレをザーッと読んでみましたが、心の病が良くなったなんて報告は一つもありませんでした。

929481:2017/05/29(月) 22:27:03 ID:j2IV6FWs0
>>925
鬼和尚、ありがとうございます。

観照の起きた状態が無我であるのかなと理解しました。
しかし私のこれは無我ではないのが残念です。

今のところ音を聞いた時、「音を聞いている私」のイメージが起きているということ。
また音と私の間の距離感もイメージであること。
ここまでは観察しております。
このイメージが自我なのか?と思っていましたが、無我が起きていないということはまだ観るべき自我があるということですね。
より精進して参ります。

930避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 00:03:13 ID:...Cb81Q0
>>928 横レス、長文、失礼します。
私は親からの暴力やモラハラで、生きる意欲もなく自殺を考えていました。
自殺未遂も経験しています。毎日が苦しくて、不幸のどん底だったので
死ぬ前にダメ元で、数息観や苦滅の法を始めました。
1年程たったある日、夢の中で近づいてきた幽霊のようなものを
手で払いのけた瞬間、爆発が起こりました。
何が起こったのか、今でもよくわかりませんが、目覚めると
心が本当に静かになっていて、過去の記憶と苦しみを結んでいた回路が
ちぎれたように無くなっていました。トラウマからも解放されていました。
信じられない気持ちはよくわかります。私もそうでした。
でも心は本当に変わりたいを思ったときに劇的に変わります。
鬼和尚様に教わることができるこの機会を大切にしていただきたいです。

931そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 01:06:43 ID:ohctFj6.0
>>928

参考までに、前スレの919から似たようなレスがあります。

鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357/

私はあれからさらに症状が減りました。

932避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:46:29 ID:Y5LPInQE0
>>930
>>931
ありがとうございます。

私の症状の一つなのですが、文字とか言葉というものに非常に苦痛を感じます。
今も、脚を痛めたので、医者に行く為に、医者にどう説明しようか考えていた所、
スネの骨が痛いというべきだろうが、スネの骨とは何だろう?スネと骨との関係を
表しているであろう「の」とは何だろう?とか思考が始まってしまい、
身動きがとれなくなるのです。

こんな症状が本当に原因に気づくことで治るのでしょうか?

933避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:48:03 ID:Y5LPInQE0
皆さんが出してくれた例は明確に原因を認識されている場合ばかりですよね?

私には、原因なんて思い当たらないのです。生まれつきとしか思えません。
そういう状態から良くなった例はありませんか?

934そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 02:36:21 ID:ohctFj6.0
>>933の質問に対する直接の回答ではありませんが参考までに。

鬼和尚はよく「原因を探せ」「原因がわかれば解消する」などと言っていますが、
私のことについて言えば、原因がわかって解消した、と明確に言えるものはありません。
例にあげた症状のことも、特に書き込みをしていないその他のことも、
修行する前より楽になったことは幾つもありますが、そのどれもがそうです。
ただありのままを観察しようと日々努めてきましたが、
観察による気付きによって変化していったのではないかと思います。

あと、鬼和尚は「原因がなければそれは起こらないと観察するのじゃ」などと言いますが、
私の場合、無理矢理原因をあてはめて、それは起こらないと観察しました。
原因がわからないのでそういう方法をとりました。
今、その事例を思い出そうとしているのですが、思い出せません。
観察によって滅してしまったものを思い出すことは難しいです。
もう思い出す必要がないからだと思います。
だから、大事なのはそのように観察するという行為であって、実は原因はどうでもいいのかもしれません。
観察という行為によって、本来の原因と結果の連鎖が止まればいい、ということではないでしょうか。

ついでに書きますが、「観察」という言葉についてですが、これはあくまで私の解釈ですが、
鬼和尚は「観察」という言葉を二種類の行為(意味)に使っていると思います。
一つは、ありのままを観察すること、言葉によらない観察をすることです。
これは文字通りの観察です。
もう一つは、原因がなければそれは起こらない、の場合の観察です。
これは「そのように思う」「そのようにイメージする」ということだと思います。

935避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 05:48:57 ID:EVX9bf.A0
寝ているときにみる夢は、自我があるからと観ました。夢はアラヤシキの機能でしょうか?

936避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:09:48 ID:Y5LPInQE0
>>934
ありがとうございます。

私の「原因」という言葉の捉え方がおかしいのでしょうか?

そらいろさんや他の方の場合、思い出したくない事、トラウマなどの苦(の原因)が存在し、
自分にはそういった事は特に思い当たらないので、原因が無いと書きました。

私の思考能力が劣っているせいで、妙な事を言って、混乱させてしまっていたらすみません。

いずれにしろ観察することで、観察対象と距離が出来、是が非でも変えなければいけないのに
変えられないという苦悩が若干薄らいだようには感じています。それほどまでに苦悩して
成し遂げないとならない事なのだろうか?と思うようにはなりました。

937避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:35:29 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

丹田の位置は、下の画像の通りでしょうか?

http://丹田鍛え方.com/wp-content/uploads/2015/07/丹田.jpg

938としぼっくり:2017/05/30(火) 12:50:14 ID:DAY232aw0
連投すいません。
質問ですが、正しく観察する事が基本とは、正しく観察して行けば良いと言う事でしょうか?

939避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 19:08:07 ID:4r9Nyxn.0
>>925
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分が死ぬことの恐怖とできるだけ向き合ってみます。

今までは、自分がいつかなくなるということを考えてみたことがなかったのですが、実際に考えてみると新たな発見もありました。

私は四六時中ずっと雑念が出ている方なのですが、それらはすべて自分がなくなることと向き合うのを無意識のうちに避けるためだったように思えてきました。
自分がなくなることと向き合って見ると、今まで自分がそれを避けるために莫大なエネルギーを消費していた気がしてきました。
今はまだ、すぐに今までの思考に戻ってしまいますが、自分がなくなることと常に向き合えるようになったら、なんだか人生観も変わりそうです。

そして、鬼和尚さんの言うように、この世で恐れることがなくなったら安心できるので、さらに試してみようと思います。
ありがとうございました。

940鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:26:10 ID:1d4drIFg0
>>927 因縁とは原因のことなのじゃ。
 直接の原因を因といい、間接的な原因を縁と呼ぶのじゃ。
 
 縁起はものごとが縁によって起こる状態なのじゃ。
 因縁によって起こるということもできるのじゃ。
 そのような違いがあるのじゃ。

>>929 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>932 原因は観察を完全にするために必要なだけなのじゃ。 
 今ここにある反応だけでも観察は出来るのじゃ。
 そのようなことが起きたら今自分は思考によって身動きが取れなくなると観察するのじゃ。
 思考が無ければ身動きが取れると観察するのじゃ。
 そのように症状だけでも観察していけばよくなっていくじゃろう。
 心が落ち着けば真の原因も見出せるようになるのじゃ。

 大抵は親が虐待したり、支離滅裂な言動をしていたりするせいなのじゃ。
 混乱を乗り越えて進むのじゃ。

>>935 そうともいえるのじゃ。
 観念があるからのう。
 観念が無くなれば夢も見ないのじゃ。

>>937 少し違うのじゃ。
 自ら作り出すものなのじゃ。

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:27:53 ID:1d4drIFg0
>>938 そうじゃ、正しく観察していけばよいのじゃ。
 正しく観察できれば変容は訪れるのじゃ。
 何も変化が無いのは正しく観察できていないからなのじゃ。

>>939 善いことじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

942としぼっくり:2017/05/30(火) 21:48:24 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。大変勉強になります。
正しく観察して行こうと思います。
いつも沢山の質問お答え頂きありがとうございます。

943避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:04:00 ID:u2BbO1ug0
>>940
それは観念がなくなれば、アラヤシキも機能しないということですよね?

944避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:41:53 ID:Y5LPInQE0
>>940
鬼和尚さん

確かに親の支離滅裂さは感じて居たようにも思います。
ただそのことを今思い出そうとすると思考がブロックされて
思い出せないというのは、何が原因なのでしょうか?

この事だけでなく、あるときは、思い出そうとも思わずに
意識上に上がってくるのに、意識して思い出そうとすると
ブロックされるような感じで思い出せなくなるのです。

症状の観察方法を教えていただき、ありがとうございます。
そのように努めます。

945避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 05:00:46 ID:czRftzgI0
和尚さん>>924をお願いします

946避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 19:35:07 ID:czRftzgI0
私は思考に自己を投影していることに気付きました。思考を観察して自分が考えていないと思うことがどうしてもできません
根気よくやるしかないのでしょうか

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/31(水) 21:34:47 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>943 そう言えるじゃろう。
 阿頼耶識も観念によって総てを認識しているのであるからのう。
 実践によって確めるのじゃ。

>>944 それは思い出すと苦が起こるから無意識に逃避しているのじゃ。
 しかし、いつまでも避けられる訳ではないから時々思い出してしまうのじゃ。
 数息観により心を鎮め、少しずつ探求していくのじゃ。
 そうすればよくなっていくのじゃ。
 親も無知と無力によってそのような言動をしていたと気付く時、心の病もかなりよくなっているじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>945 最初は思考が起きているとだけ観るとよいのじゃ。
 思考に自己同一化しないでいられるようになったら思考の内容も観察してみるのじゃ。
 詳しく観察できる程、思考が自分ではなく自分のものではないと気付くことになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>946 何も想わなくてよいのじゃ。
 ただひたすらに観察していれば厭離は自然に起きるのじゃ。
 余計な想いがあれば逆に気付きは遠ざかるのじゃ。
 思考を初めてみるもののように、ただありのままに観るがよいのじゃ。

948そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 22:09:45 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画によりますと、現在の日本人の死因は、
若いころは自殺が多く、歳をとってくるとガンが増えるとなっています。
ガンは自分が死にたいと思うから、自分の細胞の一部がガン化して死ぬ、とのことです。
ガンで死ぬのは自殺と同じでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=kijvK_bI384
【永久保存版★武田邦彦】 「〜人の死に方〜」

動画は10分40秒以降は同じ内容の繰り返しになっています。

949としぼっくり:2017/05/31(水) 23:26:39 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
苦を滅するためには、自分の本心を観察して、苦があると観察して、苦の原因を観察すれば良いのでしょうか?

950としぼっくり:2017/05/31(水) 23:38:05 ID:DAY232aw0
>>949追記です。
苦があると観察して、苦の原因を追求した方がよろしいのでしょうか?

951蓮恵:2017/05/31(水) 23:42:11 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

自我とは、ただの一連の現象に対して名前をつけたものであると見えました。

952そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 23:50:01 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
瞑想中に人の形をした影のようなものが見えました。
まさしく人形で、人形自体に何かをする力はありません。
これが私の自我というものでしょうか。
それとも単にイメージを投射しただけでしょうか。
自我ならば、これがもっと明らかにはっきりと見えるようになればいいのでしょうか。

953そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:16:32 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私は、自分が被害者であるとずっと思っていた、と気付きましたが、これは正しいですか。

954そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:20:29 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人に説法することと、
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に何か言うことはまたは説法することは、
同じですか、違いますか。
そして、それはなぜですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで説法することはできますか。
それはどうやるのですか。

955そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 01:11:20 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
ブッダのことば(岩波文庫)で、
五の堅固なものの解説で、

事物のうちに堅固なものを見出さない、というのは、つまり〈空〉であるいうことである。〈空〉の思想は、最初期にまでたどることができるのである。

とあります。
私の理解では、空は思想ではなく、空観という悟るための技法ですが、空は思想ですか?

堅固なものを見出さない、というのは、確たるものはないのだからそれを探そうとはしない、というような意味かと思いますが、どうでしょうか。

956避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 06:27:43 ID:czRftzgI0
>>945
はい、ありがとうございました

957そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 20:11:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
昨年書き込んだことで、職場に嫌な人がいたけれどもだんだんと気にならなくなってきた人のことですが、
あれからその人は私の仕事ぶりを勝ってくれたり職場環境について様々な配慮をしてくれたりするようになり、
私にとってはとてもありがたい存在になりました。
しかし、その人が異動で私とは別の部署に変わりましたので、これまでのような関わりはなくなりました。
このような出来事は、私の試しが一つ終わったようなものでしょうか。

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:33:29 ID:1d4drIFg0
>>948 嘘なのじゃ。
 ストレスが多かったり、生活が荒れていればがんになるものじゃ。
 自殺と同じではないのじゃ。

>>949>>950 そこに苦があるならば、苦があると観察するのじゃ。
 そして原因を追求するとよいのじゃ。
 苦が無ければ苦がないと観察するがよいのじゃ。
 今ここにあるものだけをありのままに観察するのじゃ。

>>951 それも一つの気付きなのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>952 それはただのイメージなのじゃ。
 雑念なのじゃ。
 囚われずに捨ててしまうがよいのじゃ。
 今ここにある心身をありのままに観察するがよいのじゃ。

>>953 それによって苦が無くなったのならば正しいのじゃ。
 苦があるままならば正しくないのじゃ。
 自分だけがそれを知れるのじゃ。

>>954 説法としては同じじゃろう。
 説法であるから同じなのじゃ。
 
 出来ると思えば出来るじゃろう。
 出来ると思うことで出来るのじゃ。

>>955 思想ではないのじゃ。
 学者には思想としか捉えようが無いのじゃ。

 そのような意味でよいのじゃ。

959鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:34:40 ID:1d4drIFg0
>>956 どういたしまして、またおいでなさい。
 
>>957 そうじゃろう。
 更に善事を重ねるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

960としぼっくり:2017/06/01(木) 21:52:56 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
質問ですが、原因を追求して苦の原因に気付けば苦はなくなるのでしょうか?

961481:2017/06/01(木) 22:15:24 ID:j2IV6FWs0
鬼和尚、
自我とは言葉ではないでしょうか?
そして言葉とは記憶から。

私に意識を向けると、瞬間的に私というイメージが起こります。
私を私としているのは、言葉です。

などと言ってはいますが、未だ無我にはなっておりません。
ただの理解なんでしょうね。
観察で実際に観ようと思います。

962としぼっくり:2017/06/01(木) 22:32:02 ID:DAY232aw0
>>960追記です。
原因を追求して苦の原因が判ったら、順逆に観察したらよろしいのでしょうか?

963避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 23:32:29 ID:Em5yagvA0
仕事の苦しみを観ていく中、その原因は想定外の色々な問題が発生し、自分のイメージの通りにいかないことが多く、落ち着けないためと観ました。
原因を観ましたが、解決は一筋縄ではいきません。ここから何を観察するといいのでしょうか?

964そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 01:05:21 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

金剛経(中公文庫)に、
「この法門の中の、たとえ四句からなる詩頌(しじゅ)1つだけでも、(自ら学んで)把握し、他の人々にも詳しく示し、説明するとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より大きな功徳の集積、はかりしれない無数の(功徳の集積)を生み出すことになろう。」
とありますが、これは他人に説法すると善い、ということですか。

965避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 12:45:59 ID:SaY5JPM20
>>881
ありがとうございます。
自我への執着の原因を探してみました。
どうやら、これまで本心では本当だと信じている世界が、全て嘘であることを知ることが怖いようです。
これを苦滅の要領で滅しようとしたのですが、うまくいきません。

瞑想が深まり主体の感覚が薄まると、反射的に自我を取り戻そうとする働きがあることから、
自我への執着は未だあると思います。
また、自我を追求していると吐き気のような気持ち悪い感覚が生じることからも、正しい道を進んでいるだろうということも判ります。

何か助言をいただけますでしょうか。
自我を滅する障害になるものを取り除きたいです。

966そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 18:52:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私が他人に対して
「自殺すると死んだ後も苦しみ、より悪い所に生まれ変わる。これは真実だ。だから自殺はしない方がよい。」
と言った場合、私は嘘をついていることになりますか、それとも正しいことを言っていることになりますか。

967鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:47:09 ID:1d4drIFg0
>>960>>962 そうじゃ。
原因に気付いた後に原因から苦が起こる事を観察し、原因がなければ苦が起きないことを観察するのじゃ。
 観察が完全に出来れば苦は消えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>961 言葉もあるが、イメージもあるじゃろう。
 言葉以前にイメージが自我を構成しているのじゃ。
 それ故に言葉によっては自我は観えないのじゃ。
 言葉に囚われずに進むのじゃ。

>>963 自分のイメージ通りに行かないとなぜ落ち着けず、苦が起こるのか原因を心の中に探すのじゃ。
 ものごとが思い通りにいかないことはよくあることじゃ。
 それが苦になるのは原因があるからなのじゃ。
 原因からその苦が起こる事を観察するのじゃ。

>>964 そのことに善悪は無いのじゃ。
 慈悲の心で説法するならは゛善なのじゃ。
 怒りとか攻撃欲で説法するのは悪なのじゃ。
 そのような違いがあるとしるがよいのじゃ。

 その経を説法留守とよいというのじゃ。

>>965 更にその原因を心の中に探してみるのじゃ。
 それは自分があくまでもあるという観念からかもしれん。
 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
 何があるとき、自分はあると感じるのか、
 何がないと自分はないと感じるのか
 観察にょって明らかにするのじゃ。

968鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:48:51 ID:1d4drIFg0
>>966 おぬしがそれを真実と知っていれば正しいことじゃろう。
 嘘でも慈悲にょって言うならば善事なのじゃ。
 想いが善悪を決めるのじゃ。

969龍氣:2017/06/02(金) 21:52:01 ID:JrW3ee6Q0
すみません、鬼和尚、
もう適当なことは言いません。
名はお返しいたします。

970としぼっくり:2017/06/02(金) 22:12:47 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

971避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 23:14:06 ID:q6NCKTlA0
963です。
その原因は家族を護らなければいけないこと、
そのためには仕事できちんとした結果を残さなければならないこと、それをさらに深堀すると自身のキャリアを傷つけたくないこと、保身がキーワードのような気がします。ここからは何を観察するとよいでしょうか?

972481:2017/06/03(土) 00:29:55 ID:bSLl/kTY0
鬼和尚、ありがとうございます。
まず、ある映像が起き、それに言葉で名を付けているということですね。
例えば「私」とか。

言葉を捨てて観察してみようと思います。

973としぼっくり:2017/06/03(土) 01:01:46 ID:DAY232aw0
お礼に続けて申し訳ないです。
質問ですが、鬼和尚さんは、自分の本心を観たからこそ、自我、自分に気付いたのでしょうか?

974避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 13:03:36 ID:BVPIT6kM0
>>967 ありがとうございます。
自分があくまでもあるという観念ですが、確かに心の中にありました。
自分を実在として前提し、物事を見ていることがわかりました。
さらに詳しく観察してみます。

> 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
> 何があるとき、自分はあると感じるのか、
> 何がないと自分はないと感じるのか

とありますが、少し詳しく教えてください。
ここでの自我は、例えば座っている自分のイメージとかで、自分があるというのが、「自分」が座っている
という主体の感覚ということでしょうか。
そして、主体の感覚の有無や強弱を縁起によって詳しく観察するということでしょうか?

自分のイメージはイメージとして見られるのですが、主体は今の所イメージとしては見られず、実在する感覚として知覚されています。

975避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 20:00:22 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん

先ほど自分の行動を観察していたら、自分を守ろうとしているつもりで、自分だと思っていたイメージ?のようなものを守ろうとしていたことに気づきました。
これは、自分の一部が観念だったと気づいたことになりますか?
もし似たようなことを続けたら、自分というものは、減っていくと思うのですがどうなのでしょうか?

それから、自我を観察してそれが観念に過ぎないことに気づくのも、これと似たようなものですか?
それとも、もう少し違う感じのことですか?

976鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:16:51 ID:1d4drIFg0
>>969 返さないでよいのじゃ。
 ただひたすらに己の本心を観るのじゃ。
 それはこれから死ぬまで続ける作業なのじゃ。
 一時の感情でやめたりするべきものではないのじゃ。
 絶望を超えて進むのじゃ。

>>970 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>971 更に本心を観察するのじゃ。
 本当はもっと楽にしても家族は守れるじゃろう。
 欲に取り付かれた心が更なる執着を生み、苦を起こすのじゃ。
 そのような働きが無いか観察して観るのじゃ。

>>972 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>973 そう言えるじゃろう。
 本心を観なければ変容は起こらないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:34:05 ID:1d4drIFg0
>>974 それは言わば自分の定義なのじゃ。
 例えば肉体が自分と定義する者は肉体があればもう自分はあると認識するじゃろう。
 感覚や感情や思考が無くとも肉体があれば自分はあると認識するのじゃ。
 肉体が無ければ自分はないと想うのじゃ。
 そのような定義から自分というものを追求していけば自我も見やすくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>975 気付いたことになるじゃろう。
 減らないのじゃ。
 観念が観念と気付いただけであるからのう。
 そのような恐れが生じることで自我も見えてきているとわかるのじゃ。
 似たような気づきが増えていけば自我も滅するじゃろう。
 恐れずに進むのじゃ。

978蓮恵:2017/06/03(土) 21:50:09 ID:F4cyaZX20
和尚さま
人としてどのように生きるかという問題があります。いわゆる善悪、幸福、道徳、功利の問題です。全ての人間が求めてやまないものです。

しかしながら、それらよりも根本的な問題が存在するものと存じます。
うまく説明できませんが、己という存在そのものに対する向き合い方といいますか、受け止め方といいますか。

ここが足らないと、全ての行動が逃避で終わってしまうようなそんな気がするのです。

979としぼっくり:2017/06/04(日) 01:03:15 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

980としぼっくり:2017/06/04(日) 02:02:40 ID:DAY232aw0
またお礼続けてすいません。
質問ですが、自分の本心を観察する事によって、自分とは何か観察出来たり、心身を観察出来たり、苦を滅っしたり出来るのでしょうか?

981としぼっくり:2017/06/04(日) 07:26:44 ID:DAY232aw0
>>980スルーしてください。すいません。
ありがとうございます。

982避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 12:56:31 ID:QoQZrmNc0
>>977
鬼和尚さん、ありがとうございます。

苦を滅する時に、その原因が無意味な観念だったと気づくことは多いのですが、
今回は、それがまさに自分という観念の一部だったので、これが自我なら自我の仕組みが少し実感できた気がします。
でも、自分が減らないのは意外でした。

じつはこの気づきは、自分が無意識のうちに死を避けようとして何かを守っていることに気づき、さらにそれを守っても死は避けられないから、それは自分ではないと気づきました。
こういう観察ができるから、死を思うことは修行には良いということなのでしょうか?

ただ、どうも私は常に死を避けようとしているので、観察方法としては曖昧でキリがないかもしれません。
というか、自我が漠然としていて曖昧な感じです。
自我を滅するには、自我が限定されたはっきりとしたものになっている必要があると思うのですが、どうでしょうか?
そのために気づきを増やして自我の幻想を減らしていく必要があるということですか?

983そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 13:43:40 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画の中の【超能力を使い過ぎてしまったせいで】という話しで、
(話しの長さは動画の初めから約2分間です)
「知っているのは理解しながら、それが誰だか分からなくなっている。」
「音としては聞こえているのに、言語として意味を理解できない。」
とあるのですが、これは、記憶による認識が止まり、観念が浮かばなくなった、ということでしょうか。

このような状態なら苦は起こり得ないでしょうか。

悟る時はこのような状態を経るのでしょうか。

不思議な話 忍び寄る不思議な力
https://www.youtube.com/watch?v=8wzwipT3wV4&lc=z134f3y4wkezxnofm235epmgqp2kgrj1j

984そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 14:51:41 ID:ohctFj6.0
>>983
すみません。念のため。

オカルト注意

です。

985蓮恵:2017/06/04(日) 16:13:32 ID:AlNqYyjs0
和尚さま
根本的な問題と向き合わずに、仏道に精進しても天地の開きが生じると思います。
仏道は何かを得るとか、身に付けるプロセスではないでしょう。
滅することで本来の生が得られるといいましょうか。

986そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 16:29:41 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
毎朝起きるたびに、私とはこういうものだ、というのを作り上げていて、
それをいつのころからか、毎日毎日その都度続けている、という気がします。

987避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 18:00:09 ID:czRftzgI0
大乗仏教は間違いが多いという持論の和尚さんは、法然を悟ってないとお考えでしょうか?

988そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 20:01:10 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記のまとめサイトで(オカルト注意)

妖怪退治の仕事してるけど、何か質問ある?
http://world-fusigi.net/archives/6972808.html?p=9
――――――――――――――――――――――――――――――
265: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:06.00 ID:vVAg8PUK0
最初のほうにいったけど、式神とかを今実際に使える人はいないと思う。

表現しずらい点が多くて、俺も理解できてない部分も多いけど
とりあえず先生に聞かされたこと

なぜ使えないかというと、現代日本に住む人間なら無理な可能性が高いからだ。

入道とか道行うんぬんって話覚えているよね。
道行ってのはそのまま道を行くって感じで理解していいと思う。
つまり、実際に道を行って、その体感とか、世界に対する理解とか
そういう口では説明できないものを実感して、そして入道に至るみたいな感じかな?

しかし、その入道を一番邪魔をするもの。それは何かというと文字なんだ。

266: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:07.00 ID:vVAg8PUK0
まぁ、あと言葉もそうかな?
すごい抽象的で申し訳ないんだけど
例えば「一」って漢字があるじゃん。
これは一を表現していて、これをみると「あ、一だ。」
みたいな感じになるんだけど。実際の「いち」って概念はこんな「一」という
文字では表せない。一個とか、一枚とかいろいろあるんだけど

でも、俺たちがその一という字を知ってしって。
そうすると、俺たちは一という言葉というかそういうもので自分の見解を縛ってしまって
本当の意味で「いち」を理解することを阻害してしまう。

昔の力持ちたい人とかは、小さいころから決して文字の勉強はしなかったとか。
――――――――――――――――――――――――――――――

とあるのですが、これは、言葉とイメージによる観念に囚われてしまうことを防ごうとしているのでしょうか。
文字、言葉によらず、実践あるのみ、ということでしょうか。

989避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 20:37:27 ID:fuOAkotI0
>>977
定義から自分というものを追求するのですね。
実践してみます。
ありがとうございました。

990鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:09:31 ID:1d4drIFg0
>>978>>985 それが何なのか観察によって明らかにするのじゃ。
 自ら気付かなければ他人に話すことも出来ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>979>>981 どういたしまして、またおいでなさい。

>>982 それもあるのじゃ。
 老病死は常に人の壁となり、修行を推進する追い風ともなるものじゃ。
 
 そうじゃ、既に少しは幻想が減っているじゃろう。
 たまねぎの皮をむくように芯に何もないと気付くまで観察し続けるのじゃ。
 悟りも自ずから起こるじゃろう。

>>983 それは脳が疲れて外部からの刺激を認識しなくなったのじゃ。
 苦はまだあるのじゃ。
 自我もあるからのう。

991鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:13:47 ID:1d4drIFg0
>>986 そうじゃ、自我は毎朝毎刹那起こるものじゃ。
 朝は自我を思い出すのじゃ。
 一日の中でも何度か自我を忘れたりしているものじゃ。

>>987 悟っていないのじゃ。
 悟りを目指してもいなかったじゃろう。
 浄土を目指していたのじゃ。

>>988 そうじゃろう。
 実践によってのみ心は変るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>989 そうじゃ、常日頃意識していないが自分の定義は誰にでもあるものじゃ。
 参考にして実践するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

992としぼっくり:2017/06/04(日) 22:43:32 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察する事を元にして、自分とは何か観察したり、心身観察したり、苦を滅して行けば良いのでしょうか?

993としぼっくり:2017/06/05(月) 00:36:28 ID:DAY232aw0
>>992
苦を滅したり、して行けばです。

994そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:48:46 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
>>987に関連して
浄土宗は、南無阿弥陀仏を口に出して唱えれば、浄土に生まれることができる、ということであり、
それは悟りを目指したわけではなく、南無阿弥陀仏を口に出して唱えても悟れない、ということですね。

浄土はあると思えばあり、ないと思えばないのでしょうか。

995そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:49:44 ID:ohctFj6.0
偽和尚
すみませんが、そろそろ次スレを用意していただけませんでしょうか。

996偽和尚★:2017/06/05(月) 00:58:46 ID:???0
次スレ作っておきました。

鬼和尚に聞いてみるスレ part9
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1496591715/

しかしこの板のスレは設定で2000まで大丈夫なようになっているのでまだストップさせません。
切りのいいところまで書かれてからストップさせます。

997そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 01:07:06 ID:ohctFj6.0
>>996
ありがとうございました。

998避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 15:41:39 ID:t8PlW.qA0
>>990
鬼和尚さん、ありがとうございます。
とにかく観察して、自我の幻想を減らしていこうと思います。
できるだけ自我の幻想を減らしていけば、それが起こる瞬間を捕らえられる気がしてきました。
またわからなくなったら教えてください。

それから、以前はよくわかっていなかったのですが、最近は鬼和尚さんに出会えたことの幸運の大きさがわかってきました。
こんなにいつも質問に答えてくださって、感謝しています。
いつもありがとうございます。

999避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 18:08:22 ID:rIFRVnQI0
先日このスレの存在を知りました。
鬼和尚様、ここの皆様、管理人様、心より感謝申し上げます。

「私の主体」を探していたのですが、「主体」とは、複合的な感覚から生じた観念(感覚?)でしょうか?
物心ついてから漠然とあると感じていた「主体」とか「自分」という感じ、この「感じそのもの」でしょうか?

「感じ」があるだけで、実際に主体があるわけではないと言いますか…
少しそれがわかった気がしたのですが、この観察(理解?)は正しいでしょうか?

普段、ことある事に生じる「私」という感じ、その感覚がどのようなものか、どのように生じているか、詳細に観察していくことが、
自己の観察となりますでしょうか?

1000鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/05(月) 21:16:40 ID:1d4drIFg0
>>992>>993 そうじゃ、本心を観察することが基本なのじゃ。
 偽りの心を観察しても何も起きないのじゃ。
 本心を観察してこそ変容も自ずから起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>994 そうじゃ、それは悟りを求める法ではないのじゃ。
 サマーディにまではいけるがのう。
 
 浄土もあると思う者の心の中にのみあるものじゃ。

>>996 いつもご苦労さんなのじゃ。

>>998 何度でも聞くとよいのじゃ。
 どういたしまして、またおいでなさい。

>>999 それはおぬしがそう気付いたならばそうなのじゃ。
 おぬしの気付きによるものなのじゃ。
 肉体が主体と認識していた者には肉体であり、感覚が主体と認識していた者には感覚になるのじゃ。
 自分という観念の素となるものじゃ。
 完全に気付いたならば変容が起こり、それとわかるものじゃ。
 自ら判断するべきものなのじゃ。

 それも観察になるじゃろう。
 普段から行えばやがて観察も神妙の域に達するものじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

1001偽和尚★:2017/06/05(月) 22:01:37 ID:???0
それではこちらのスレはストップします。


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