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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

599避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 15:35:41 ID:Dp/qMVVc0
鬼和尚、
相応部経典22の「花の香りのごとし」- 無我 についてお教えください。
病床の比丘ケーマという方が、下記のように我ありと主張したもので、多くの比丘たちを承服せしめたとあります。

 「友よ、わたしが <我あり>というのは、肉体が我であるというのではない。わたしの感覚や意識をさしていうのでもない。あるいは、それらを離れて、別に我があるというのでもない。
 友よ、それは例えば パードンマやプンダリケの花の香りのごときものなのである。もし人あって、弁に香りがあるといったら、正しいだろうか? また茎に香りがあるといったら、正しいだろうか? あるいは、蕊に香りがあるといっても、正しくないだろう。
 それはやはり、花に香りがあるといわねばなるまい。それと同じように、肉体が我であると考えてはならない。感覚、意識が我であるといってもあたらない。あるいは、それらを離れて、別に我の本質があるわけでもない。わたしは、それらの統一態において<我あり>というのである。」

サマーディの時は、どこにも主体の感覚も自分のイメージも無いので、本来我は無いのかと思いつつも、非瞑想時の感覚では上記の見解がしっくりくるようにも思えます。
上記の経に関してどのように自己の追求に役立てたら良いのか、あるいは捨ててよいものなのかどうかを知りたいです。


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