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鬼和尚に聞いてみるスレ part8
529
:
523
:2017/03/16(木) 01:38:42 ID:4M/dQBfY0
>>527
お答えありがとうございます。
なるほど
みんな自分という認識は自他同一で自分という認識がないのかと思いましたが、
みんな自分という認識(自分、自我)があるということでしょうか。
そのあたりの認識が滅っせられると、和尚さまの言う全て意識とか、
鈴木大拙や井上ぎえんが無限や宇宙と言ったような表現になるのですかね。
そうなるとクリシュナムルティが悟ったと言われているときの体験の描写、
以下のようなものも、この時点ではまだサマーディで、
悟ったのはこのあと認識を滅したからということになるのでしょうか。
「やがて八月十七日になると、私は首筋に激しい痛みを感じ、瞑想を 十五分に短縮しなければならなくなった。
私の容態はどんどん悪化し、 ついに十九日にそのクライマックスに達した。
私は考えることも、何 をすることもできずにベッドに横になった。
やがて私はほとんど無意 識状態になったが、まわりで起こってることはよくわかった。
私は毎 日正午頃には正気に返った。
最初の日、自分がそんな状態で、いつも より周囲のものがはっきり意識に入ってるときに、私は最初の最も不 思議な体験をした。
道を補修している人がいた。その人は私自身であった。
彼の持ってい る(つるはし※傍点が付されてあります)も私自身であった。
彼が砕 いている石までもが私の一部であった。青い草の葉も私そのものであ った。
私のそばの木も私自身であった。私はほとんどその道路補修工 のように感じたり考えたりできた。
私は木々の間を通り抜ける風を感 じ、草の上にとまった小さな蟻を感じることができた。
鳥や、ほこり、 さらには騒音までもが私の一部であった。ちょうどそのとき、少し離 れたところを車が通っていった。
私はドライバーであり、エンジンであり、そしてタイヤであった。
自動車が私から遠ざかるにつれて、私は自分自身から離れ出た。
私はす べてのなかにあり、というよりはすべてが――無生物も生物も、山も 虫も、生きとし生けるものすべてが――私のなかにあった。」
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