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鬼和尚に聞いてみるスレ part8
497
:
蓮恵
:2017/03/11(土) 07:04:26 ID:Bfk7ET5s0
以下は井上義衍老師が認識について語ったものですが、悟りを得たものの認識を説明したものでしょうか。
1.��
道元禅師が正法眼蔵 現成公案の巻に「諸法の仏法になる時節」と説いておられる。��
����一般の人が「諸法」というのは、実体としてのものを認めるのです。それが中心となってほとんどの人が諸法というておられるのですね。それでは救われんのです。��
����そういうように見(けん)を起こして、ものを認めておるような状態ですと、この身心の実相が分からんのです。自分自身の真相が。��
����「仏法なる時節」ということは、諸法といわれているものが、向うにものとして存在しておるように思われているものが、「そうじゃない、この身心の姿だよ」ということです。��
����この身心のすべての動きが、仏法でいう「諸法」なのです。次から次へ本当に自在に動く、それが仏法でいう「諸法」なのです。��
����向かえばある。見ようと思うて見えたのではない。向かえばいきなりある。それが私どもの真相です。��
����六根の働き、すべて自分の実物なんです。道そのものの実物なんです。��
����人の見解の上に持っている人間(自分)を捨てる、自己を忘ずる体験によって、「仏法なる時節」現成です。
2.��
我見をこれから離れるのではない。��
��我見の起こる前があって、その前が自分の事実です。それが本当の私どもの心の在り方です。��
����我見といわれるものは、認識作用で何も実体はないのです。��
����空(くう)にする前に空であった事実が、そのまま「ズバッ」と、みな。それだけでいいんです。それをやると、必然的に人我(にんが)の見(けん)というものが、みな離れる。それが「道(みち)」です。それが座禅の一番大切な様子です。
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