レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
前段は、1つ前のスレッドで投稿した、鳥の進化に関する考察です。そのあと、本題である科学と疑似科学の判別を論じます。基本的には、過去の5年間におこなった私の投稿を整理し、一部編集を加えたものです。
私の立場は、鳥のような個別の進化をインテリジェント・デザインと見なす仮説は、正しいかもしれないし誤りかもしれないが、疑似科学ではない、というものです。つまり定説を含む、世にある科学理論群と同じです。そもそも、特定の科学理論を、まともな科学でない、などと言う人の大半は、科学への浅薄な知見しかなく、深く考えもせずそんなことを言ってるだけ。そのことが分かる文章になってます。
異論のある方は書き込まれてかまいませんが、課題設定を読むことなく、思い込みだけで、投稿するのはやめてください。もっとも、読んでも理解できず、しかも自分が理解できてないことも理解できず、同じスレッドに書き込ませろと駄々をこねる、救いようのない人は、いるのでしょうけど。
では、次の投稿から、課題設定が始まります。
私が、鳥の進化にID(意図的な品種改良)の可能性を見るのは、この進化を自然選択で説明するのは力学的な無理がある、と考えるからです。それを検証すべく、旧スレッドにて駆け上がりモデルを例に、仮説の合理性を何度も尋ねました。
jbbs.shitaraba.net/study/5329/#4
しかし、返ってきた回答は「化石や現生物の証拠がある」のような一般論ばかりで、そこを追及すると「IDは人の想念」という、論点外しの逃げ口上が繰り返されました。
この結果を受け、自然選択で鳥の進化を説明するのは、やはり無理があると考えますので、あらためて、ここで説明します。まず、駆け上がり(Wing-assisted incline running)モデルについて。私の情報源は、ウィキペディアの記事です。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Wing-assisted_incline_running
この記事にあるように、駆け上がりモデルとは、鳥の先祖の恐竜が、捕食者に追われ、木の上に逃げる時、羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる、というものです。そのような機能に優れた個体が、多くの子孫を残し、やがて飛翔できるほどの羽ばたき能力をもつ鳥に進化した、というものです。
でも、翼を羽ばたき上げて空気を上に押すのでは、鳥の飛翔と反対です。前者の進化から、後者を生じるものでしょうか?
初歩的な力学から語りましょう。仮に、翼が木の板のような剛体だと想像してください。これを、どれだけ羽ばたいても飛翔には至りません。翼を下に動かすと本体は上向きの力(揚力)を得ますが、次に上に動かせば、最初の結果を帳消しにする下向きの力を得るからです。結局、重力の影響だけが残り、物体は地に落ちます。
現生種の鳥は、翼を下に動かす時と上に動かす時で、空気の捉え方に差をつけ、この問題を解決しています。翼自体が下向きにカーブしてますし、さらに角度を調節し、翼を下に動かす時は空気を捉え、上に動かす時は空気を流すのです。これは、飛行に不可欠な要素で、この上下方向の非対称性がなければ、翼を動かす力がどれだけ強くても、飛行はできません。翼が空気に与える下向きの運動量をPd、同じく上向きの運動量をPuとすると、Pd > Puが飛行の必要条件です。飛行する鳥は、それを可能にする翼の構造をもっています。
ところが、駆け上がりモデルはどうでしょうか。空気を上に押すなら、角度調節は、今の鳥とは逆方向に行わねばなりません。Pd < Puが要求されるということです。そのような構造を獲得した個体が、効率よく木を登り、捕食者から逃れることで、繁殖します。進化が進むほど、Pdはより小さく、Puはより大きくなることでしょう。つまり飛行する鳥の構造から遠ざかることを意味します。
これで、どうして恐竜が鳥に進化するのでしょうか?
駆け上がりモデルには、もう1つの問題があります。鳥の先祖とされる恐竜は、実際にそんな行為をしたのでしょうか?
現在の鳥の幼鳥にやるものがいるから、過去の生物がやってもおかしくないといいますが、完全な鳥に進化した生物の子供と、これから進化する生物では、条件が異なります。
イワシャコの雛は、飛行する構造の翼をもって生まれてくるし、成長すれば、空を飛ぶのです。ゆえに、羽ばたきながら駆け上がることで、翼を動かす筋肉を鍛える意味があるかもしれません。
でも、鳥に進化する前の恐竜は違います。成長しても、その個体は飛行できません。ゆえに、翼を羽ばたく意味とは、木の幹を駆け上がる効率を向上させること、それだけなのです。
それなら、翼を羽ばたくよりも、前肢で木を掴むなり、幹に爪を立てるなりして、体を引き上げる方が、よほど効果的ではないでしょうか。現在の鳥とは異なり、2足恐竜なら、そのための前肢があるでしょう。四肢全部を使って木に登るのなら、四肢全部で木の幹を下に押せばよいのです。なんのために、効率が悪く、捕食者に捕まるリスクが大きいはばたきをするのでしょうか。
要するに、鳥の先祖の恐竜が、よしんば羽ばたきながら駆け上がる体構造をもってたとしても、そんな行為を行うとは考えられない、ということです。われわれ人間で考えてみましょう。人間の体構造は、四つ足で這うことも可能です。人によっては、逆立ちして歩くこともできます。でも、誰も実生活で、そんなことをやりません。移動手段として、効率が悪いからです。
しかし、駆け上がりモデルのような、走行モデルを基礎にした仮説の最大の問題は、飛行へ向かう進化が、もし起こるとして、起こってから生じるのです。旧スレッドでも述べましたが、走行生物が飛行生物に変わる進化では、
1.揚力を生む翼を大きく堅牢にする
2.体重、とりわけ飛行に不要な脚を軽量化する
3.体の重心を上げ、翼の高さに合わせる
のような構造変化が必要です。ところが、すくなくとも滑空ができるようになるには、つまり大気で体重を支えられるようになるには、このような変化が相当程度進まねばなりません。飛べるようになるまでは、その恐竜は依然として走行生物であり、地上を走って捕食し、捕食者から逃れるのです。
しかし、上記の体変化は、始まった瞬間から、走行機能を阻害します。大きな翼は空気抵抗を増やすだけだし、小さな脚はむろん走力を弱めます。また脚で走る生物が重心を高くすれば、安定を失い、失速し、最悪は転倒するでしょう。これでは、飛行能力を得て繁殖する前に、走行能力を失って淘汰されるだけです。
そもそも、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルのような、走行生物を前提にした仮説が考え出された理由は、走行モデルに力学的な無理があるからです。(参照記事)
この記事の後半に書かれるように、恐竜が走る途中で翼を広げてジャンプすれば、直ちに空気抵抗で減速するし、バランスも保持できません。この問題の解決策として、木の幹を駆け上がったり、高所から獲物に飛びかかるモデルが考案されたのでしょうが、駆け上がりや飛びかかりをやるには有利な体変化としても、基本機能である走行を犠牲にするなら、生存のためには本末転倒です。旧スレッドでも述べましたが、高所から降りる時に有利だからといって、ずっとハンググライダーを着けたままで、生活する人がいますか、ということです。
これまで述べてきたように、鳥の進化のモデルとして提唱されてる仮説には、力学的な無理があるのです。それは、自然選択が働く環境では、淘汰される体変化であることを意味します。一方、そのような変化があっても繁殖しうる条件として、観測例があるのは、飼育者がいる場合です。人間に飼育されるブタやイヌが、イノシシやオオカミ以上に繁殖するように。
むろん、鳥が発生した時代に、そのような飼育者がいた証拠は、これまでに見つかってません。言い換えれば、これまでに構築されてきた地球生物史の体系とは、整合しないということでしょう。
しかし、そうなると、地球生物史の体系と整合するか、力学の体系と整合するか、どちらを優先するかが問われます。そしてその場合、優先されるべきは力学の知識体系です。なぜなら、力学は物理法則に依るもので、生物史よりも根源的な法則だからです。
実は、力学的な無理を伴わない、鳥の進化仮説が1つあります。樹上モデルです。鳥の先祖の生物が、ムササビのように樹上で暮らし、木から木へ飛び移る生活の中で、滑空から飛翔に至る能力を進化させることです。なお、この場合の樹上モデルとは、地上の生物が木に登ることもある、という意味ではありません。ムササビのような完全樹上生活者で、もはや地上を走ることはなく、飛行へ向かう構造変化で、走行機能を劣化させても問題ない、というケースのことです。
しかし、化石から分かる骨格では、鳥の先祖は地上を走る恐竜と考えられます。ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。一方で、爪の曲率が木にとまる鳥に近いとも書かれてますが、それだけでは、せいぜい「時に木に登ったかもしれない」といえるだけで、樹上モデルの必要条件である、完全樹上生活の根拠にはなりません。基本構造が、地を走る恐竜なのだから。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Arboreal_model
提唱される諸仮説の中で、唯一、力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。化石の証拠は、鳥の先祖は地上を走る恐竜だったという走行モデルを支持するが、力学的な無理がある。そこで、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルが考案されたが、依然として力学的な無理がある、というのが、私が説明してきたことです。
なら、やはり、自然選択に拘るより、化石の証拠と力学を両立させる仮説として、品種改良者を想定し、力学問題があっても繁殖できたと考えるのが私の論点です。鳥への進化は、化石が示す通り走行モデルであったが、その生物を淘汰させなかった飼育者がいた、ということです。すくなくとも、それは、疑似科学とか、科学の土俵に登らない、などと言って、切って捨てられるようなものではありません。
その、科学と疑似科学の問題を語りましょう。ここまで鳥の話をしたのは、IDが疑似科学ではないことを示すためです。スレッドの主題はここからです。
IDをめぐる議論がしばしば混乱するのは、理論の可否以前に、そもそも科学の態をなさない、という批判が寄せられることにあります。
同じ課題を扱う諸仮説に優劣がつくことはあります。1つの理論が別の理論よりも支持を集めるわけです。17世紀から続いた光の正体論争には、光粒子説が優勢だった時代と、光波動説が優勢だった時代がありますが、支持の弱い理論でも、疑似科学と呼ばれたわけではありません。理論の比較優位と、科学疑似科学は、別の問題だからです。
数年にわたって続けてきた一連のスレッドで、私は、科学と疑似科学を判別する客観的な基準が存在しうるのかを検証してきました。具体的には、議論の相手に、基準を提示させ、その基準が普遍的に適用されるのかを、調べることです。基準としては、
1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)
2.対立説の否定ではなく、自説を支持する証拠を示すべき(基準02)
3.論理的な矛盾があってはいけない(基準03〜)
といったものが提示されてきました。これに対して私がやってきたのは、これらの基準で、天地創造論やID論ではなく、熱力学第2法則のような、広く受容されている理論を判定することでした。そうする理由は、一部の理論は初めから疑似科学と、問答無用で決めつけられており、判定基準などあと付けではないか、と疑ったからで`す。
そして5年以上続けた議論の結果は「やはりそうだった」というものでした。上記の基準は一見合理的に見えますが、普遍的に適用すれば、定説を含む多くの理論を、疑似科学と判定してしまうのです。過去の投稿に編集を加えながら、説明しましょう。最初は、基準01です。
1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)
これを論じたのは2020年11月18日の投稿が最初でした。まず「反証」には本当に意味があるのか、反証された理論は本当に棄却されるのか、という問題に、元素周期表の例を挙げ、そうとはいえない、と説明しました。
そもそも、ある理論への「反証」が現れたとき、科学はどう応じるのでしょうか? 私たちはよく、「定説でも1つの反証で崩れる」などと耳にしますが、本当にそうでしょうか? 科学史の1事例で考察してみます。その事例とは元素周期表の歴史です。以下の文章の情報源はアジモフの2書、「Asimov's Guide to Science」と「Noble Gases」で、周期表の考案者メンデレーフの事績を語ります。
メンデレーフは当時知られていた元素を原子量の順に並べることから始めました。このようにです。
水素、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、シリコン、燐、硫黄、塩素、カリウム、カルシウム、(以下略)
見てのとおり、ヘリウム以下の貴ガスはまだ知られていません。こう並べると、元素の1原子が結合できる原子数を表す「原子価」が規則的に増減し、同じ原子価が何度も現れます。ここからメンデレーフは、現在の周期表の原型を考案したのです。1869年のことでした。
元素周期表は広範な支持を得ました。最大の利点は未知の元素を予言したことで、カリウムと同じ周期にアルミニウムとシリコンの同族元素があると予言し、そのとおりに1875年にガリウムが、1886年にはゲルマニウムが発見されました。1879年のスカンディウムの発見も周期表が予測したものでした。
大成功した周期表ですが、問題が2つありました。
1つは「順序を守らない元素」の存在です。原子量127.6のテルルは126.9のヨウ素より後に来るはずですが、原子価ではテルルはセレンの同族で、臭素の同族のヨウ素の前に来ます。同じく、コバルトの原子量58.9はニッケルの58.7より大きいのに、原子価ではコバルトが先に来ます。元々メンデレーフが元素を並べる基準は原子量しかなかったのだから、これは矛盾で、当時は誰も説明できませんでした。
でも、説明できないなら、それはメンデレーフ理論への反証ではないのでしょうか?
メンデレーフ自身も、1894年に発見が報告されたアルゴンを新元素と認めませんでした。アルゴンは史上初めて確認された原子価=0の元素で、そのことも疑惑を生んだのでしょう。実在するなら原子価=0のアルゴンは塩素とカリウムの間に入るはずだが、アルゴンの原子量40.0はカリウムの39.1より大きかったのです。メンデレーフは観測されたのは新元素ではなく「N3」だろうと主張しました。酸素原子が3つでオゾン(O3)を作るように、窒素原子3つの分子だというのです。
第2の問題は、周期表のある地点から、元素の化学特性が変わらなくなることでした。ランタンはイットリウムの同族ですが、ランタンの後もイットリウムの同族元素が続くのです。後に「レアアース」と呼ばれるこれらの元素も説明がつかないから、メンデレーフ理論への反証だったはずです。
今の私たちは、その後の歴史を知ってます。20世紀に電子殻の構造が解明され、原子価は原子量で決まるものでないこと、電子殻は必ずしも順番に埋まるわけではないことから、「順序を守らない元素」もレアアースも説明されるようになりました。ですが、その解明がなされたのは1910年代から20年代で、メンデレーフ理論の半世紀も後のことです。その半世紀の間、この理論にはいくつもの反証があったわけですが、当時の人は理論を棄却しませんでした。反証を反証とは考えなかったのです。
では当時の人は、どう考えたのか?
一見矛盾に見える事例も、いつか説明されると信じて、反証と見なすことを拒絶したのでしょう。では、もし彼らが反証と見なすことがあるなら、何が必要だったのでしょうか?
矛盾を説明する理論は現れないと確信することです。これは「反証」の重要なポイントです。反証を反証とみなすには、矛盾を説明する理論は存在しないことが条件になるのです。
さて、私が、反証不可能な理論の代表例に挙げるのが、熱力学第2法則ですが、それを説明する前に、読者の理解を助けるため、次の投稿を入れました。
****************************************************************
熱力学第2法則は確率論に立脚するので、まずは確率論の反証可能性から語ります。
双六で用いる普通のサイコロがあると考えてください。このサイコロを振って「1」の目が出る確率は1/6ですから、600回振れば100回前後、6000回振れば1000回前後は「1」の目が出ることが、確率の法則から予測されます。
では、もしサイコロを6000回振って、すべて「1」が出たら? その事実を反証と見なして、私たちは確率の法則を否定するでしょうか?
絶対にそうはならないはずです。その場合は、なにかの原因があるはずと、私たちは考えるでしょう。サイコロ自体がいかさまであるのか。サイコロ師がよほど特殊な振り方をしたのか。サイコロでもサイコロ師でもない、何か環境的な原因があるのか。そういうことを考えて、原因を探すはずなのです。
問題はここからです。一定の努力を傾け時間をかけて探しても、原因が見つからないときは、どうするのでしょうか? もはや特別の原因はないと結論して、確率の法則を否定しますか?
できないはずです。数学理論を実事象の観測だけで否定することなどできません。数学理論を覆せるのは数学理論しかなく、サイコロの目のような物理現象では否定されません。よって「1」ばかりが出る原因を永久に探し続けるはずなのです。これは、言い換えれば、「このような事象が観測されたら、確率の法則は反証される」という事象を、具体的に想像できないということです。よって、確率の法則は反証不能になります。
以上の予備説明のあと、熱力学第2法則が、なぜ反証不可能であるかを、語りました。
****************************************************************
さて、熱力学第2法則ですが、まずはこの法則を解説します。非常に初歩的で冗長なものになりますが、我慢してください。
ここに3つのボールがあるとします。区別のため「A」「B」「C」と名前を入れます。3つのボールをある高さから落下させ、下に開いた箱を3つ置きます。箱には「1」「2」「3」と番号を付けましょう。ボールがどの箱に入る確率も同じ、つまり1/3です。
実験を繰り返せば、3つが同じ箱に入ることも、別の箱に分かれることもあるでしょう。その確率はどうなるでしょうか? その計算には、3つが同じ箱に入る場合と別の箱に分かれる場合が、それぞれ何通りあるかを数えます。
同じ箱に入る場合は3通りあります。
[1]ABC [2]空 [3]空
[1]空 [2]ABC [3]空
[1]空 [2]空 [3]ABC
別の箱に分かれる場合は6通りあります。
[1]A [2]B [3]C
[1]A [2]C [3]B
[1]B [2]A [3]C
[1]B [2]C [3]A
[1]C [2]A [3]B
[1]C [2]B [3]A
ゆえに、同じ箱にまとまる確率は、別の箱に分かれる確率の半分になります。この、同じ箱にまとまるのがエントロピーが小さい状態、別の箱に分かれるのが大きい状態です。つまりエントロピーが増大するとは、確率の大きな状態になることです。
わずか3つのボールと箱でも、エントロピーが小さい状態は大きい状態の1/2の確率ですが、ボールと箱が4つなら、これが1/6になります。ボールと箱が5つなら1/24、6つなら1/120と、エントロピーが小さい状態は生じにくくなり、ボールと箱が100あると、156桁もある数値分の1という奇跡のような確率になります。しかし実際の熱力学現象での分子や原子の数は到底こんなものではありません。
例えば水の分子量は18ですから、わずか18ccの水の分子の数は6.02 × 1023。こんな数だと、上記の確率を電卓ではもう計算できません。ましてや浴槽を満たす水では? 海の水では? それどころか宇宙全体の素粒子なら? こう考えると、エントロピーが減少するとは、サイコロの目が6000回すべて1になることを、はるかに極端にしたものと納得されるでしょう。熱力学第2法則は確率論そのものなのです。
では、もしエントロピーが減るように見える現象が観測されたら? 例えばコップの水に垂らしたインクが拡散せず逆に1点に集まるとか。あるいは高温の物体と低温の物体が接触し、高温側がさらに熱く、低温側が一層冷たくなるとか。私たちはそれを見て、第2法則が反証されたと考えますか?
考えないでしょう。例えば冷蔵庫は熱を低温側から高温側へ移動させますが、一見エントロピーが減ったようでも、冷蔵庫を動かす電力を作る発電所で燃料を燃やし、石油や石炭の内部エネルギーを散逸させており、結局エントロピーは増大しています。私たちはそのような理由を探すはずです。
そして、サイコロと同じで、問題はここからです。冷蔵庫の場合のような理由を探しても見つからない時は、第2法則が反証されたと考えますか?
考えません。確率論そのものである第2法則は、確率論自体を否定しない限り、否定できません。一見、反証に見える事象でも、必ずあるはずの理由の探求が永遠に続くだけで、「こういう事象が観測されたら第2法則は否定される」という事象を想像できません。よって反証不能です。
非常に重要な点なので、繰り返し強調します。熱力学第2法則は反証不可能です。「反証」に見える事象がどれだけ見つかろうが、法則を棄却することはできません。ミチオ・カクは著書の中で、宇宙物理学者で数学者だったアーサー・エディントンの言葉を紹介しています。オンラインで公開されてるので、関心があれば、290頁の2つめの段落を見てください。
archive.org/details/parallelworldsjo0000kaku_f9n4/page/290/mode/2up?view=theater
The law that entropy always increases -- the Second Law of Thermodynamics -- holds, I think, the supreme position among the laws of Nature . . . If your theory is found to be against the Second Law of Thermodynamics, I can give you no hope; there is nothing for it but to collapse in deepest humiliation.
反証不可能な理論は、第2法則だけではありません。さらに例を挙げました。
まだ終わりではありません。次はメンデルの法則を考えましょう。19世紀のメンデルがマメ科の植物を観察して得た結論です。優性遺伝子と劣性遺伝子が交配すると、「子」の世代ではすべて優性遺伝子の表現型が現れ、「孫」の世代では3対1で優性が現れるといいます。これも確率の法則に立脚したもので、「孫」の世代が受け継ぐ遺伝子の組み合わせには、
[1]父親から優性、母親から優性
[2]父親から優性、母親から劣性
[3]父親から劣性、母親から優性
[4]父親から劣性、母親から劣性
の4通りがあり、[4]の場合のみ劣性遺伝子の表現型を示すからです。高校(中学でしたか?)の授業で教える、基本中の基本です。
では、メンデルの法則の反証とはどんなものでしょうか? 「孫」の世代が3対1ではなく2対1になる事象が、十分なサンプル数で観測されたら、反証になりますか?
ならないはずです。やはりサイコロやエントロピーと同様に、そうなる原因が探索されるでしょう。その形質に影響する遺伝子が複数あるのか。遺伝子以外の環境的要因が働いているのか。そして、結局サイコロやエントロピーと同じ問題に行き着きます。法則どおりにならない原因を発見できなかったとき、どうするかです。
結局メンデルの法則も事情は同じです。確率の法則を数学の問題として否定しないことには、メンデルの法則を否定はできず、原因の探索が無限に続くだけです。
サイコロ、エントロピー、遺伝という3つの事例にまつわる法則を考察し、事象の観測だけでは反証できないことを述べてきました。3つとも確率論に立脚しているのが理由ですが、実のところ、確率論とは関係のない法則でも、結局は同じ問題に行き着くのです。
どんな法則であれ、一見、反証と思える事象が観測されても、実はそれを説明する理由があるかもしれません。(いかさまサイコロのように)。そんな理由はないことを明らかにしなければ、反証を反証として受け入れることができません。これこそ、最初に持ち出した元素周期表で起こったことで、新しいレアアースがどれだけ見つかっても、それを説明する理由が、つまり後世の電子殻理論のようなものが、存在しないといえなければ、反証はできないことになります。その法則が確率論に立脚していようが、いまいが。
ですが、「存在しない」ことを証明するのは「悪魔の証明」です。誰にもできません。そして、ここまでくると、反証不能な理論の数は著しく増大するのです。
ID論が「疑似科学」とされる理由の1つが反証不能といわれます。以前に紹介した記事で、ドーキンスもそれを言ってます。
www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research
「それに比べて」とドーキンスは続けます。「進化は反証可能である。もし先カンブリア時代のウサギの化石が見つかったら進化は反証される」という言葉を紹介しています。
しかし、以前に言ったことの繰り返しですが、このような言い方は論理の歪曲で、ドーキンスこそ疑似科学者ではないかと、私が疑う理由なのです。IDと進化を対比させても意味がありません。進化とは生物種が時間的経過の中で変わることですが、IDはそれを否定しないからです。
IDの対立仮説は進化ではなく自然選択です。過去の進化の一部に注目し、自然選択と人為的干渉のどちらが合理的に説明するかを問うのがID論です。ドーキンスがIDを反証不能と論難するなら、彼は進化ではなく自然選択が反証可能と言わねばなりません。
でも、自然選択は反証可能ですか?
反証可能と思う人は、反証になりそうな具体事象と、それが現実になった場面を想像してみるべきです。そのとき自分は自然選択を否定するかと。
工場の煤煙のせいで黒い蛾が増えたという、おなじみの話があります。町並が黒くなり、蛾の黒い色が保護色となって、捕食されにくくなったと。では、もし、町並が黒くなる中で、白い蛾が増えたら、自然選択は反証されるでしょうか?
されないはずです。そもそも保護色だけが繁殖に有利とは限らず、孔雀の羽のように目立つことも有利になりうるから、蛾でも同じ想像をする人が現れるでしょう。また、色自体は要因ではなく、蛾の体内に何らかの化学物質が生じ、それが代謝の効率を高めたり、特定の病気への耐性を強めたので、白い色はその物質の副産物という想像がなされるかもしれません。もし、煤煙が起こす健康障害への耐性を強める物質なら、煤煙と正相関を示す形で白い蛾が増えるはずです。
そのような事情は一切ないと結論されて、初めて自然選択は反証されるのです。でもそんなことが可能ですか? 「先カンブリア時代のウサギ」に該当する、自然選択を反証する事象とはどういうものでしょうか?
結局ここでも周期表や第2法則やメンデルの法則と同じことが起こります。一見、反証に見える事象があっても、別の理由があってそうなるだけかもしれず、そのような理由は「ない」ことを証明しなければ、つまり悪魔の証明をやらなければ、反証とは見なされません。
私は以前に、クォークやモノポールのような素粒子の存在を反証できるかと尋ねたことがあります。ただ、第2法則や自然選択と比べれば、素粒子の反証はまだ望みがあるかもしれません。なぜなら対象となる素粒子に具体的な特徴があるからです。
例えば、ゲルマンが提唱したクォークなら端数の電荷という特徴があり、クォークの実観測を試みた人は端数電荷を探したといいます。存在証明はそれでよいとして、反証はどうやるのか。私には思いつきませんが、もしかしたら背理的に証明できるかもしれません。つまり陽子や中性子の内部に端数電荷が実在するなら起こりえない現象を見つけるのです。それがどんな現象なのか想像もつきませんが、一般論としては、具体的な特徴があるほど背反現象を見つける望みが出ます。
でも、反証が反証でないことを示す理由、たとえば、
*本当はエントロピーが増えてるのに減ってるように見える
*本当は自然選択で白い蛾が増えてるのに、自然選択に逆らってるように見える
このような、具体的な特徴が何もないものに、どうやって背反現象を想定できるでしょうか?
それとも、「反証」とはそこまで厳密なものではなく、「矛盾があるかもしれない」程度でも、反証と考えるのですか? 例えば、熱が低温から高温に移動することが観測され、かつ冷蔵庫のような明らかな理由が見つからない場合は、それが見つかるまでは反証と考えるのですか?
でも、そこまで反証の定義をゆるめるなら、今度はあらゆる理論が反証可能になり、反証の意味がなくなりませんか? 早い話が、天地創造論も反証可能です。『創世記』を読むと、神は昼と夜を分ける光を2度創造したことになります。初日に昼夜を分け、その後、天と地を作り、植物を作った後、4日目にもう1度昼夜を分ける光を作り、それから動物を作ったとあります。いかに全能の神でも、既に分かれている昼と夜を、どうやって分けられますか。そこを突けば反証になります。
以上の連続投稿の2年後、2022年10月23日に、総括の一環として、補足説明を入れました。
****************************************************************
もう少し深掘りと整理をしましょう。反証不可能な理論には2種類があります。1つは、観測自体が不可能なものです。
まだ第1掲示板にいた頃、私はブラックホール内部で起こる(とされる)事象は絶対に観測不可能だから、反証も不可能ではないかと述べました。ブラックホールの中心には特異点があるとか、ブラックホールの種類によっては他の宇宙への出口があるなどと主張されているようですが、観測ができないのだから、検証も反証もやりようがありません。
宇宙の熱的死も同様です。いかなる観測者であれ、熱的死が達成された状態を観測するのは絶対に不可能です。なぜなら熱的死では、あらゆる事象が止まるのだから、生物であれ機械であれ、観測者自身も活動はできません。要するに「観測」も1つの事象なのだから、一切の事象が起こらない熱的死では観測は不可能だし、観測ができる間は熱的死になってません。ゆえに、宇宙に熱的死が訪れるという理論を、検証も反証もできません。
そして、反証不可能なもう1つの種類が、以前に説明したものです。一見反証に見える事象も、実は反証ではない条件があるかもしれず、それを反証と証明するには、そんな条件は存在しないという悪魔の証明をやらねばなりません。
具体例を想像すれば納得できることです。たとえば熱力学第2法則を反証する観測事象とはどういうものですか? 高温の物体と低温の物体が接触して、温度差がさらに拡大したら、反証とみなすのですか? その事象を目にしたとき、本当に第2法則を自分の中で否定されますか? 自然選択はどうでしょうか? 街並みが黒くなる中で、白い蛾が増えるのを観測したら、自分の中で自然選択を否定しますか? このような例をいくつも挙げてきました。
もしかして、この第2種の反証不可能については、厳密な証明でなくてもよいと言われるのかもしれません。「塗り分けに5色が必要な地図」を否定するような数学の問題とは異なり、対象の仮説に疑問を呈する程度のことができれば、反証とみなしてもよいのでしょうか? 例えば、低温の物体から高温の物体に熱が移動し、かつ冷蔵庫やエアコンのような原因が見つからなければ、それが見つかるまでは第2法則の反証とみなすのですか?
でも、そんなゆるい反証でよいのなら、一転してあらゆる理論が反証可能になり、結局、科学と疑似科学を判別する基準ではなくなるでしょう。一体、どんな理論が反証不可能なのでしょうか? 天地創造論ですか? それともID論でしょうか?
天地創造論とは、神が天と地と、動植物と、人間を創造したというものですね。旧約聖書の中で、その根拠とされるのは、何人もの預言者(ノア、アブラハム、モーセ、ヨブ等)に神が語ったとされる「お告げ」です。では、そのような天地創造論は、どうすれば反証できるでしょうか?
簡単です。神のお告げがあればよいのです。
神を自称する存在からコンタクトがあり、「天地を作ったのは私ではない」というお告げがあれば、天地創造論は否定されます。世界5分前仮説はこれの同類ですね。「世界ができたのは5分前ではなく150億年前だった」というメッセージがくればよいのです。
ID論はどうでしょうか? 一般的なID論の根拠とされるのは、必要最小限の複雑さ(irreducible complexity)というものです。比喩的な例に挙げられるのが時計で、時計の歯車、ぜんまい、針など複雑な機構がそろわねば存在の意味がありません。そして、生物の体機構にも、部分的に完成しても、それだけでは選択圧に反応しないものがあるといいます。1例に挙げられるのが鞭毛で、機械でいえば軸や歯車やクランクやモータに相当する部品から構成されるが、個々の部品が突然変異で生じても何の役にも立たないのだから、全部がそろった形の鞭毛が作られたというものです。では、その反証はどういうものでしょうか?
これも簡単です。化石なり、その他の物証を調べて、各部品の登場に時間差があることを示せばよいのです。
結局、反証に厳密な証明を求めるなら、定説を含めて多くの理論が反証不能になるし、厳密な証明でなくてもよいのなら、反証不能な理論はなくなってしまいます。世界5分前説やID論は反証不能だから疑似科学という人は、ダブル・スタンダードを用いているのです。
****************************************************************
そう。まさしくダブルスタンダード。共通の基準で科学と疑似科学を判別するのではなく、特定の理論を最初から疑似科学と決めつけ、基準など、後から考えたものだから、熱力学第2法則や自然選択は、検証対象にもなっていないのです。
次は基準02です。最初に提示されたのは、基準01と同じく旧スレッドの56でした。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56
>基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
> *)検証になる特殊な場合はある。
基準02は議論にも入っておらず、具体的にどういう理論が違反例なのかも、まだ示されていません。それに上記の言い方も「検証にはあまりならない」とか「検証になる特殊な場合はある」と、えらく曖昧な表現で、どこまでが対象なのかが分かりません。ですから、ここでは「Aと対立するBの否定がAの検証とされる」事例が、特殊でもなんでもなく、世にありふれていることを説明します。まず、地動説の話から始めましょう。
私は、地動説が支持を集めてきた歴史的経緯には、3つのステップがあったと考えます。
むろん最初はコペルニクスです。地動説が出版されたのは1543年ですが、コペルニクスは16世紀の初めから地動説を主張していたといわれます。コペルニクスの根拠は、観測される惑星の動きでした。火星や木星は「行きつ戻りつ」のような複雑な動きを見せますが、当時の天動説は、それぞれの惑星が周回運動をしており、その周回の中心自体が地球を周回するという想定をしていました。図で表すとこうなります。
これに対してコペルニクスは、地球を中心に据えるからそんな複雑な系になるので、太陽が中心で各惑星は太陽を単純に周回すると考えれば、そんな複雑な動きを考えなくてもよいと主張しました。コペルニクスが考えたのは、こういうモデルです。
第2のステップを進めたのはケプラーでした。1609年から発表された「惑星運動の法則」で、惑星はコペルニクスが想定した円軌道ではなく、太陽を1焦点とする楕円軌道を描き、かつ太陽からの距離と惑星の速度には厳密な関係がある、というものでした。ケプラーの法則が登場したことで、天体位置の予測精度で、地動説は天動説に明確な差をつけるようになったのです。コペルニクスのモデルでは天動説に差をつけることはできませんでした。ここで地動説への支持が一気に拡大します。ちなみに、私は、この時代に地動説を支持した罪でガリレオを裁いた教会の人々も、内心では地動説が正しいと知ってたと考えます。
第3のステップは1851年に行われたフーコーの実験です。高い天井から吊り下げた振り子が時間の経過とともに振れる方向が変わってゆくのは、地球が自転していることの証明です。振れる方向が変わる速度は、実験が行われたパリの緯度から予測されるとおりでした。
以上のステップを経て地動説は支持されてきましたが、では、この中で基準02に違反しない「正しい科学」の手法に沿っているのはどれでしょうか? 天動説の否定ではなく、その仮説自体の証拠があるのはどれでしょうか? 最も決定的なのはフーコーの実験でしょう。これは天文観測にも依存しない力学解析の結果ですから。
常識的な考えをする人なら、ケプラーの段階で地動説を確信するはずです。この理論で行われた精密な予測が的中するのですから、証明として十分です。
問題は、ケプラーより1世紀前に現れたコペルニクスの主張です。この時点で地動説を支持する理由は、天動説では複雑な惑星運動を想定せねばならないという、天動説の難点だけでした。これは基準02に違反するのではありませんか? 近代科学の始まりといわれるコペルニクスの地動説は、じつは疑似科学だったのでしょうか?
今回のスレッドでは、17世紀に始まる光の正体論争を論じました。最初に結論をいうと、「光粒子説」も「光波動説」も17、18世紀には基準02違反だったと、私は考えます。波動説が違反でなくなったのは19世紀で、粒子説は20世紀に違反でない形で復活しました。その歴史を語りましょう。
まず、基準02違反ではない、粒子説や波動説の証拠とは何でしょうか? 私は旧スレッドの687で「粒子は離散的なもの、波動は周期的なもの」と定義しました。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/687
光を観測して、そこに離散性を観測できれば粒子の証拠になるし、周期性を観測できれば波動の証拠になります。
まず、光の周期性が一般に認められたのは1801年のヤングの実験でした。1つの光源の光が2つのスリットを通ると、スクリーンに縞模様を作ります。これはまごうことなき周期性の現れですから、誰もが光は波動と信じるようになりました。
光の離散性が認められるのは20世紀になってからです。旧スレッドの688で述べたように、日光で日焼けしたり、光が目に見える事象は、光を離散的な「かたまり」と考え、「かたまり」の単位でもつエネルギーが、特定の範囲になければなりません。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/688
では、それらの観測が無かった、18世紀までの光粒子説と光波動説には、どんな証拠があったのでしょうか? 粒子説の根拠は、まず光が常に直進し、音のように障害物の背後に回り込まないことでした。衝立の反対側の人物と会話はできても姿は見えません。ゆえに光は波ではないというものです。これで分かるように、粒子説のこの根拠は離散性とは関係なく、波動説の否定にすぎません。もう1つの根拠だった光が宇宙空間を伝わる事象も、真空の宇宙には媒質がないのだから波動ではありえないという、対立説の否定でした。多くの人がこれに納得したので、この時代は粒子説が広く支持されたのです。
では18世紀までの、光波動説の根拠はなんだったのでしょうか? 一番の根拠は光同士がすり抜けることでした。例えば2人の人物が向き合って互いの顔を見るとします。特に相手の目を見るということは、相手の目からの光が自分の目に届いたということです。同時に自分の目も相手に見えているのだから、両者の目からの光は同じ軌道を反対方向に進むことになり、光が粒子なら衝突散乱するはずというのが波動説の根拠でした。これも、粒子説という対立仮説を否定しただけです。
一方で17世紀のグリマルディは光では起こらないと考えられた回折が、実は起こることを発見したといいます。またニュートンはプリズムによる分光を発見しました。今の私たちはこの2つは本来の定義による波動の証拠と知ってますが、当時の大半の人には理解されませんでした。ニュートンは自分が分光を発見し、グリマルディの発見も知ってましたが、彼は一貫して粒子説を支持しました。
結局、18世紀までの光の正体論争では、
粒子説の根拠は、波動説で説明できない現象
波動説の根拠は、粒子説で説明できない現象
であり、波動説の否定の方が強かったので、粒子説が支持されるという、基準02違反をやってたことになります。
第3の違反例は、鳥の進化に関する仮説です。冒頭で述べた、鳥の進化をIDで説明する試みは、これが基礎になっています。
****************************************************************
基準02の違反事例として、コペルニクスの地動説と18世紀までの光の正体論争を挙げましたが、今度は継続中の論争を例にとります。私はIDで進化した可能性が最も高いのは鳥の飛行能力の獲得と考えてますが、今それは措いて、自然選択がこれをどう説明してるかを語りましょう。情報源はウィキペディアの記事です。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight
ここで語られる飛行能力にいたる仮説は4つです。まず「走行モデル(Cursorial model)」では鳥の先祖は地上を走る小型恐竜で、ときどき跳躍し、跳躍時に羽毛を持つ腕をはばたいて推進力を加えていたのが、進化を重ねて飛行能力にいたったというものです。たしかに始祖鳥の骨格に地上を走る2足恐竜との共通点が多いことは指摘されてますから、そのような恐竜が鳥に進化したと考えるのは合理的です。この仮説には体の特徴という根拠があるから、基準02違反ではありません。
問題はこのモデルでは力学的な無理があることで、「Cursorial model」の項目の後半でそれが語られています。足で走る動物は足で地を蹴る回数を増やし空気抵抗を減らすことで加速するので、翼を広げて跳躍すれば瞬時に減速するしバランスも保持できません。本物の飛行能力を獲得すればよいとして、それまでは跳躍も羽ばたきも障害にしかなりません。もし何かの理由で跳躍しても、翼はできるだけたたんで空気抵抗を減らすのが合理的です。加えて、走るときの前肢は交互に動くが、飛ぶときの翼は左右同じ動きをするから、後者は前者の進化の結果とは思えません。
この走行モデルの対立仮説として提唱されるのが「樹上モデル(Arboreal model)」で、ムササビのように木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに、羽根があれば距離を延ばしたり運動を制御できるので、それを利点として進化を重ね飛行能力にいたったというものです。これなら走行モデルのような力学的な無理はありません。
では、樹上モデルの証拠はなんでしょうか? 鳥の先祖が樹上生物なら、樹上生物としての特徴をもつのでしょうが、始祖鳥と構造的な共通点があるのは地上を走る2足恐竜なのです。また樹上モデルの根拠になりうる観測事象として樹上にあったことを示す巣が考えられます。恐竜の中には巣が発見されているものがありますから、明らかに樹上にあった巣がみつかり、その生物が鳥につながる構造をもっていれば樹上モデルの証拠になりますが、そんな巣は発見されてません。
結局、走行モデルの証拠に匹敵するような、樹上モデルの証拠は見つかっていないのです。鳥と同構造の翼を持つのは始祖鳥で、始祖鳥と同構造の骨格を持つのが地上を走る恐竜だから、恐竜→始祖鳥→鳥という進化のラインが想定されるのに、あえて樹上モデルを唱える理由は上記の力学にあります。
でも物証がある走行モデルに難点があるから、物証のない樹上モデルを唱えるなら、あきらかに基準02違反でしょう。
第3の仮説は「駆け上りモデル(wing-assisted incline running)」というものです。地上を走る恐竜が捕食者に追われると木の幹を駆け上がり、その際に今の鳥とは反対に翼を羽ばたき上げて下向きの力を得たというのです。その力で足が木の幹をしっかりと捉え効率よく駆け上がることができたといいます。やがて翼と翼を動かす機構が進化して飛行能力につながったという話です。
このモデルを考えた人は頭がよいというべきでしょう。骨格から判断すれば鳥の先祖は地上を走る恐竜であるはずだが、地上生物が木に登ることはありえます。走行モデルの力学的問題も、樹上モデルの体構造の問題も解決できるのですから。
ですが、この仮説の証拠がないのも事実なのです。たとえば恐竜の足跡が残る木の化石とかあればよいのですが、見つかってません。少なくとも記事に記載はありません。
4つ目の仮説は「飛びかかりモデル(Pouncing Proavis model)」です。高い所から獲物に飛びかかった羽毛恐竜が、羽根を利用して飛びかかる動作を制御するうちに、より能動的な羽根の用い方をするようになり、ついには飛行能力をもったというものです。駆け上がりモデルと同じく、始祖鳥の骨格と一致するし力学的合理性もある理論でしょう。記事ではこれが最初に紹介されています。
ですが第2、第3の仮説と同様で、その証拠は見つかってません。これまた他の仮説の問題点を回避できるのが、この仮説を支持する理由です。
結局、飛行能力の獲得に至る4仮説を整理すると、
走行モデル:根拠は化石から分かる体構造
樹上モデル:根拠は走行モデルの力学的問題がなくなること
駆け上がりモデル:根拠は走行モデルの力学的問題も樹上モデルの体構造の問題もなくなること
飛びかかりモデル:駆け上がりモデルと同じ
となります。要するに物証があるのは走行モデルだが、力学的に無理があるので、想像を働かせて他のモデルを考えたのでしょう。ですが、基準02に照らせば走行モデルだけが違反せず、残る3つは違反してますから、樹上モデルや駆け上がりモデルを主張する人は疑似科学者ということになります。
結論として、対立説の否定だけではダメという基準02も、基準01と同様のダブルスタンダードになっているのです。
次は、科学理論には、矛盾が許されないという、基準です。
3.論理的な矛盾があってはいけない(基準03〜)
この基準に関して、長く議論したのが、エントロピーの起源問題です。宇宙全体のエントロピーは増大するばかりで減ることはありえない、という熱力学第2法則が正しいなら、過去のある時点で、エントロピーは極小状態になってしまう。すると「その前」は、どういう状態だったのか説明がつかず、解決不能の矛盾を生じるではないか、というものです。
diamonds8888xさんは、この矛盾の解消のために、第2法則が成立しない時間もしくは空間があると主張され、しかも、そんな時間空間がなぜ存在できるかの説明は不要と、言われました。説明不要とは、論理を断ち切ることで、矛盾が矛盾でないと強弁するものであり、それ自体が論理矛盾にほかなりません。私は、その点を追及し、答えに窮したdiamonds8888xさんは、姿を消しました。
論理矛盾については、いますこし語ることがあります。科学史において、確立された知識体系と著しく矛盾する理論が、疑似科学などと称されることもなく、仮説として認められてきた歴史を紹介しましょう。これまた、科学と疑似科学の判別が、どれだけ恣意的で、いい加減なものかを示します。
16世紀にコペルニクスが地動説を提唱し、天動説を支持するローマ教会との1世紀にわたる対立が、ガリレオ裁判に繋がったことは、よく知られた史実ですが、実は教会の教義とは関係なく、地動説には、重大な矛盾があったことを、旧スレッドで説明しました。地球が動くなら、地上で恒常的な風が吹くはずなのに、吹かないではないか、というものです。この投稿の後半に、それを語る部分があります。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1615027461/363
この矛盾のために、地動説への支持は減ったでしょうが、だからといって、科学の土俵に乗らない疑似科学と言われたわけではありませんし、ティコ・ブラーエのように、地動説を前提に惑星の動きを調べる人はいました。
もう1つの、よく知られた例を挙げましょう。光の正体論争の中で出てきた「エーテル」の問題です。光が波であるなら、媒質のない、真空の宇宙空間を光が伝わるのは、矛盾ではないか、という問題があり、光波動説を支持する人は、実は未観測のエーテルなる物質が、あらゆる空間を満たしている。と主張したのです。空間を移動する物体は、天体も、砲弾も、人間も、エーテルの中を移動している、というわけです。ところが、複屈折の発見が、重大な問題を起こしました。写真を見てください。
この写真のように、方解石を通した映像が二重に見えるのは、結晶の中で、光が2つに分かれるからです。なぜ、そんなことが起こるのか? 2つに分かれる光は、何が違うのかが考察され、考えうるのは偏光方向しかない、という結論になりました。たとえば、結晶のある部分は、上下に振動する波を通すが、別の部分は、左右に振動する波を通すので、混ざっていた2種類の光が分けられる、というものです。
ということは、光は、音のような縦波ではなく、横波ということになります。縦波と横波の違いを説明するビデオです。
www.youtube.com/watch?v=2Rsd5paHnlU
これは大問題でした。縦波は、空気や水のような流体でも、金属のような固体でも、伝わるが、横波は固体の中しか伝わらないからです。良い例が地震波で、P波(縦波)は地球の中心の流体中でも伝わるが、S波(横波)は表面に近い固体部分しか伝わりません。エーテルの存在を想定した光波動説論者は、エーテルは空気のような流体で、物体はその中を通過すると考えていたのに、エーテルが固体なら、地球も砲弾も人間も、その固体の中を動くのでしょうか? どうやって? 固体の結晶構造を破壊しながら???
もう1つの問題は、観測される光の速さでした。硬い媒質ほど波は早く伝わるからです。大気中の音速は330m/s、水中では1500m/s、鉄塊の中では実に6000m/s。力学的に、なぜそうなるかも、18世紀の波動理論で、解明されていました。たとえば、ばねの一端を押すと、圧縮が反対側まで伝わりますが、硬いばねほど速く伝わることは、感覚的にも納得できるでしょう。
ところが、真空中の光速の観測値は、大気中の音速の100万倍、鉄塊と比べても5万倍も速いのです。するとエーテルとは、鉄よりもダイアモンドよりも、はるかに硬い固体で、天体も我々も、その中を動いているのでしょうか? しかも、何も感じることなく??
ここで、もし科学理論に矛盾が許されないなら、18世紀の人は、
1.光波動説を棄却する
2.波動理論を棄却する
このどちらかしか選択肢はなかったはずです。しかし、現実にはどちらも起こりませんでした。18世紀は光粒子説が優勢で、もともと支持が少なかった波動説は、上記の問題でさらに支持が減ったでしょうが、依然として波動説を唱える人はいたし、疑似科学者と呼ばれもしませんでした。そして1801年に行われた2重スリット実験で大転回が起こり、19世紀は光波動説が支配したのです。ちなみに、波動説が主流になった1801年時点でも、まだエーテルの矛盾は解消されてません。その解消は、1820年代以降の、電磁場の発見を待たねばなりませんでした。
1つ前の投稿で、複屈折の写真掲載を忘れました。
en.wikipedia.org/wiki/Birefringence#/media/File:Crystal_on_graph_paper.jpg
これは前にも言ったことですが、実行者を特定できないID論は科学でないと主張する人は、エーテルが想定された歴史を学ぶべきです。直接的な証拠もないのに光は波と考えた人が、正体不明の「エーテル」なるものがあることに決めたのだから、ID実行者は宇宙から来た「エーテル星人」に決めるのと変わりません。科学とは、そのような発想を許容するものだ、ということがよく分かる事例です。
このような科学史の過去と現在をみれば、ある理論は疑似科学とか、科学の土俵に乗らないとか、そんなことを言えるものではないことが、分かるでしょう。人間の発想は多様であり、多様さを強みにして、科学は発展してきました。現実の問題に取り組む人は、それを承知してますから、基準などを設け、違反を疑似科学と呼んだりはしません。それをやるのは、実務に携わることがない、茶の間の評論家です。ファインマンの表現を使えば「カクテルパーティーの哲学者」でしょう。
問題に取り組む当事者なら、「基準」など意識することなく、自由に想像力を駆使し、考えつくアイディアはなんでも利用して、解決法を探ります。科学や技術の世界で問題解決に取り組んだ人なら、その経験があるはずです。
再度、主張します。特定の理論を「疑似科学」とか「科学の土俵に乗らない」とか「人の想念」などという人を、信じてはいけません。そういう人の多くは、科学の実務も歴史も知らず、そもそも科学的素養がなく、抽象的観念の中だけで、科学のありようを空想してるにすぎません。だから、具体的な説明を要求されても、応じることができず、抽象論に抽象論を重ねて、まともな議論を逃れようとするのです。
もし、そのような人の中に、本当の科学を知る「本物」がいるなら、それを見分けるのは、具体論を語れるかどうかです。それしかありません。
最後に、疑似科学なるものを、具体的に定義できる、唯一のケースを述べます。理論の提唱者自身が、その理論を信じておらず、意図的な嘘をつく場合です。自分の理論が正しくないと、当人が思っていながら、なお、その理論が正しいと主張することです。それは歴史に実例があり、2022年12月18に紹介しました。
今回提示された基準では科学と疑似科学を判別できないとなると、本当の意味で疑似科学とみなすべき理論はあるのでしょうか? 私は、理論自体の内容でそれを決めるのは不可能と考えます。
もし疑似科学とみなすべき科学理論があるとしたら、それはペテンのたぐいでしょう。提唱者自身がその仮説を信じておらず、意図的な嘘をつくものです。むろん、提唱者が自分で信じてるかは窮極的には本人にしか分かりませんから判別は困難ですが、それでもほぼペテンとみなせる事例はあります。
1912年に発見が報告されたピルトダウン人はその典型ですね。また、歴史上何度も、永久機関を発明したと発表し、機械の実演までやる人が現れました。実物の機械を動かしたのなら、そこには何かのトリックがあるとしか考えられません。私たちが知ってる物理法則が根本から覆らない限りは。
それよりも興味深い例を紹介しましょう。
ガリレオが地動説支持を公言したのは1610年ごろですが、1616年には教会が地動説を異端と認めて主張を禁じました。もっとも1600年にはブルーノが火刑に処せられてますので、ガリレオ以前から地動説は異端だったはずです。いわゆるガリレオ裁判でガリレオが自説の撤回に追い込まれたのは1633年でした。ところが、同じ時代にユーラシア大陸の反対側では、もう1つの事件が起こっていたのです。
当時のローマ教会は世界中に宣教師を派遣して布教に努めてました。日本にもフランシス・ザビエルたちが来て、多くの信者を獲得したことは知られてますが、宣教師は中国にも送られてました。布教自体は成功しませんでしたが、西欧の科学知識とりわけ中国で重視された天文学の知識をもたらしたことで、朝廷の高官に支持者が現れました。そのことから、中国の天文学者との対立が生じ、ついに両者で技術を競うことになりました。
時は1629年。ブルーノの処刑から29年後、地動説の異端公認から13年後、そしてガリレオ裁判の4年前になります。この年の5月に日食があることが予測されており、中国の天文学者と西洋の宣教師のどちらが正確な予測をするかを比べることになったのです。結果は宣教師たちの完勝でした。日食の時刻を正確に予測したのみか「北京では二分食、華南では皆既食、長城の北では日食なし」という精密な予測を的中させ、中国の天文学者に決定的な差をつけてみせました。
私はこの話を、中公文庫世界の歴史第9巻『最後の東洋的社会』で読みました。私の蔵書では323頁にあります。残念ながら、宣教師たちがどういう計算をしたのかは、この本には書かれてませんが、今の私たちの知識体系で判断すれば、天動説でそんな予測をできるはずがありません。宣教師たちは地動説それも1609年に発表されたケプラーの法則を利用したと考えるのが妥当でしょう。ブルーノの処刑や地動説の異端認定を中国にいた宣教師も知ってたはずなのに。
ローマ教会は本国のイタリアでは権力者であり、反対意見を暴力で封じることができましたが、それが通用しない国へ行けば、自分たちが本心から信じることを頼るしかありません。ことに中国で政治闘争に敗れると、ブルーノの火焙りなど比較にならない凄惨な処刑を受けたことでしょう。窮地に立たされた宣教師たちは、地動説に運命を託したことになります。これは言い換えれば、本国では自分たちが信じてもいない天動説を唱え、万人に強制したということです。これこそペテン、疑似科学の端的な例ではありませんか。
もっと微妙な例を挙げます。私はBBCのミニシリーズ「The Ascent of Man」の第12話で知りました。動画が公開されてるのでリンクを貼ります。メンデルの事績が語られますが、特に動画の15分からの2分間に注目してください。
archive.org/details/theascentofman12generationupongeneration
メンデルはマメ科の植物を研究して遺伝の法則を見つけました。彼は、各個体の背丈や豆の色や形など、合計7種の特性に注目して結果を得たのですが、重要な結論に、それぞれの遺伝は独立してることがあります。たとえば背丈が高いか低いかと、豆の色が緑色か黄色かは、別個の遺伝子が支配するという結論です。
ところがメンデルの時代には知られてませんでしたが、対象のマメには7対の染色体があり、彼が観察した7種の特徴を支配する遺伝子は、すべて異なる染色体にあることが、後世あきらかになったのです。もし同じ染色体に7つのどれか2つでもあれば、メンデルが認識した遺伝子の独立性は崩れていたはずです。あるいは、もし8番目の特徴に注目したら、7つのどれかと関連が見られたはずです。ちなみに、各染色体が同数の遺伝子を含むと仮定すると、7つの遺伝子が7つの染色体に分かれる確率は、
7! / 77 = 5040 / 823543 ≈ 0.006
染色体の大きさが不均一なら確率はさらに低くなります。動画では「こんな幸運を神が授けるはずがない」と言ってますが、要するにメンデルは、遺伝子が独立して働く観測結果だけを報告するという、作為的なデータ操作をした可能性が大なのです。メンデルの功績は偉大ですが、彼には疑似科学者の側面もあったことになります。
****************************************************************
以上が、スレッドの主題を設定するための、私からの投稿です。
>自然選択は反証可能ですか?
はい、反証可能です。それ以外の仕組み、たとえば「デザイナーの意思による生物の変化」を実証できればOKです。
実際のところ、自然選択説は部分的に反証されてきました。
木村資生の中立説が激震を起こし、1990年代から急速に発展する発生学・形づくりの仕組みの解明により、「自然選択万能論」と呼ばれる科学理論は息の根を止められました。
生物進化の動因は自然選択「だけ」ではないというのは現代の常識ですが、「より多くの子孫を残す仕組み」についての自然選択に変更はありません。
より精密に理解できるようになったという意味で、科学理論の発展の一例です.
>問題に取り組む当事者なら、「基準」など意識することなく、自由に想像力を駆使し、考えつくアイディアはなんでも利用して、解決法を探ります。
その通りだと思います。科学のやり方というのはそういうものですからね。
だからこそ、あなたの「デザイナーがいなければ生物進化はありえない」という主張を、客観的に、科学の方法に則って示しましょうね。
わかりますか? デザイナーがどのように自然をコントロールしているのか、その様相を具体的に示せない限り、科学の土俵に登れない、ということが。
一応、別スレのレスをコピペします。
鳥類の飛翔起源に対しての意見です。
8 : とりあえず 2024/01/28(日) 20:51:42
もう一方のスレでも書いたことですが、
>羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる
と言うのは間違いです。
ダイヤルさんの論文の図でも説明されていますが、羽ばたきによって生じる前方向への推進力で斜面に対して押さえつける力とします。
羽ばたきで下方向へ空気を押さえると言うのも無い訳ではありませんが基本的に羽ばたきは推進力を生むものです。
団扇で扇ぐときどっち方向に主に風が生じるか考えれば分ると思います。もしくは飛行機のジェットエンジンが翼に垂直に付いていないことでも分ると思う。
つまり飛行も駆け上がりも翼の使い方、力の方向に特に差は無いのです。
羽ばたきながらの駆け上がりの延長上に羽ばたき飛行があることに力学的な矛盾はありませんよ。
イワシャコが雛鳥のときと成鳥で全く別の羽ばたきをするってのもおかしな話だと思いますし。
とは言え、何度も言っているように私自身は「駆け上がりモデル」は特に支持していません。
力学的問題はないですがその他の部分ではKenさんにほぼ同意してるので、「駆け上がりモデル」は面白い発想とは思いますが納得は出来ていませんね。
私は樹上滑空説支持ですね。
んで
>力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。
と言うのはどうでしょうね?
現状一番支持があるのは樹上モデルだと思います。
特に化石記録としてミクロラプトルを代表する4枚羽根を持つ恐竜が多数発見されたことでむしろ主流となってきてると思います。
>ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。
色々と説はあるようですが、私自身は始祖鳥は樹上生傾向の強い生物と思っています。
把握する対抗趾は樹上生活を支持する強力な証拠となり得ますが、特に必要なものでもありません。
そもそも把握と言うのは指掌部より細いものに対して始めて有効となるもので、そう言う枝先部分まで活動範囲があるなら必要かも知れませんが
そこまで行かない樹上生活者には別に要りません。
事実ムササビやヒヨケザルのような樹上滑空生物も対抗指は持っていません。
一足飛びで梢まで行ける鳥なら問題ありませんが木登りを考えると、むしろ進行方向に対して引っかかって邪魔になる後ろを向いた趾はないのが正しい状態だと思いますよ。
と言うことで、化石記録も力学的問題も特にあるとは思いませんので、現状、特に飼育者とか引っ張り出す必要性は感じません。
積極的に否定もしませんが今のところ肯定も無理です。
>>28
言及された旧スレッドでの投稿の後、私は尋ねましたが、回答がありませんでした。
あなたは、私の回答を求めるのか。つまり議論をなさりたいのですか? もしそうなら、そのための条件を設定します。自然発生的な形で、いわばなし崩しで、議論に入ることはありません。
議論ではなく、一方的な主張をされたいのでしたら、それもよいでしょう。ただし、私が立てたスレッドに書き込む必要はないはずです。別スレッドでやっていただけませんか? 別スレッドでも、私が述べる内容への批判・反論は可能です。
一方的な書き込みがあると、噛み合わない話が混在し、スレッドが混乱します。そういうことはやりたくありません。
>もし疑似科学とみなすべき科学理論があるとしたら、それはペテンのたぐいでしょう。提唱者自身がその仮説を信じておらず、意図的な嘘をつくものです。むろん、提唱者が自分で信じてるかは窮極的には本人にしか分かりませんから判別は困難ですが、それでもほぼペテンとみなせる事例はあります。
>1912年に発見が報告されたピルトダウン人はその典型ですね。
ピルトダウン人をペテンだと暴いたのは科学の手法ですし、たとえば骨相学を科学の土俵から引きずり降ろしたのも、科学の営為ですね。
インテリジェントデザイナー論の場合、科学的手法に基づく事実の集積を欠く、ひとことで言えば宗教的観念/信念にもとづくペテンだ、というのが私の意見です。
なにしろ事実に立脚した論理展開がありませんから。
これは私の意見ですから、返答の必要はもちろんありません。
この掲示板には、意に染まない書き込み(者)を投稿禁止にする機能があるようですよ。
調べて、そういうセッティングをされたらいかがでしょう。あなたにとって、快適な環境が得られるのではないでしょうか。
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板