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死について

1管理者:2009/03/16(月) 14:47:00

新しいスレッドの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。

hage 投稿日: 2009/03/16(月) 13:07:35
2ちゃんねるのあるスレッドで、少し議論したのですが、「人間の死」についてのスレッドはありますでしょうか?
犀角独歩さんのおっしゃる、「死への過敏症」についても聞きたいですし、皆さんの「死」についての思いを聞いてみたいです。

56幻論乙坊:2009/03/28(土) 23:50:33
人間なんてこんな生物なんでしょう。

普遍妥当的なものなんてないし、そうだと思い込んでいる物だって予備知識に拠るところ
が多く、その予備知識に振り回されている自己がある。

死の感情も私がよく使う、時間空間的に異なる訳で、日本文化における捉え方に拘っている
だけの事だと思う。

板曼荼羅なのか、仏像なのか、印刷コピー曼荼羅なのか、この様な物を取り上げ
議論が成立するのも、そこに自信意味付けをしたからであり、その物自体(曼荼羅等)
には何ら普遍的意味は存在しない。

この事を個々、頭のどこかで(無意識の領域に追いやっているのかも知れないが)
了解しているので自己の中において葛藤が有るのかも知れないのかな?
と感じていたりします。

是全幻想

57問答迷人:2009/03/29(日) 08:38:50

犀角独歩さん

>わたしはいまの坊さんを見ると、まるでバラモンのようにしか見えません。このバラモンからの脱却にゴータマブッダの道があったと考えています。

とてもよくわかります。結局、そういう事なんですね。一人一人が、自分で自分を悟ってゆくこと、その方法論を釈尊は教えたのに、時代が過ぎると、アナタ任せの信仰が蔓延ってしまう。常にアナタ任せから脱却し続けない限り、悟りから遠ざかる一方だと。

有難うございました。

58問答迷人:2009/03/29(日) 09:13:08

空即是進化さん

>現代の日本人は、過去の人類の目から見れば、すでに天界の住人

仰るとおりだと存じます。日本国憲法に支えられた僕たちの今の境遇は、人類の営々たる努力の最先端であると思います。勿論、地球上には、今も何千年前とそう変わらぬ生活を続ける人々もいるし、貧困飢餓に苦しみ、餓死する人が毎日いることも事実です。今日の経済危機により職を失い、路頭を彷徨うしかない方々がいらっしゃるのも事実です。それでもなお、総体としては、今の日本人は限りなく豊な生活をほぼ平等に享受できていますし、総理大臣の悪口を悪し様に言っても、憲兵隊に引っ張られる事も有りません。本当に奇跡のような境遇であり、天界の最上かも知れませんね。

>平均寿命が延びすぎて、死を怖れる人も減っている気がします。既成宗教が想定していなかった時代がきてしまいました。

八十才まで生きられたと言う釈尊とほぼ同じ日本人の平均余命、これはやはり奇跡でしょうね。医療制度に様々な問題を抱えるものの、日本人のほとんどの人が健康保険制度に守られて、誰でもすぐに医者に診て貰える国は、先進国の名に恥じないと思います。

>欲を捨て去ることはできません。今ここにいる幸運を素直に受け入れていいのでは。

同感です。先人と世界の人々に支えられた有り難い姿だと思います。

>神は我々を使って、宇宙の更なる進化を目指している。

人類は、遂に地球環境を脅かす存在になりました。そして、幸いな事に、そのことを人類は自覚しています。今朝の新聞によれば日米で共同研究が始まるそうです。とても素晴らしいことだと思います。効率の良い太陽電池の開発や、CO2の地中封じ込め技術が完成すれば、エネルギー危機や地球温暖化問題は、かなり解決に向かって前進するのではないかと期待するところです。

今、僕たちが享受している天界の境遇を、人類全体が享受できるようになり、しかも、その人類が地球環境を脅かさない事。そうなったときには、人類はかなり進化したな、ということになるのでしょうね。サルからヒトへの進化くらいの、大進化なのだと思います。

今の僕たちがその最先端にいる奇跡に感謝しなくてはならないなぁ、と思いました。

59問答迷人:2009/03/29(日) 09:27:56

幻論乙坊さん

>板曼荼羅なのか、仏像なのか、印刷コピー曼荼羅なのか、この様な物を取り上げ議論が成立するのも、そこに自信意味付けをしたからであり、その物自体(曼荼羅等)には何ら普遍的意味は存在しない。

道具という物は、それを使う人にとってはとても大切なものなのですが、使わない人にとっては、どうでも良いガラクタと変わり無いですね。曼陀羅も日蓮聖人を信じ、題目を唱える人にはとても大切なもの、ツールですが、禅宗の僧侶にとっては、どうでも良い偶像でしかないと思います。

日蓮聖人が何のために曼陀羅を認めたのか、その目的が大事なのだと。これは、仰る通り、ある目的における意味付けなんだと思います。

曼陀羅はお題目を唱える、という修行においてのみ意味を持つツールですから、お題目を唱えない人にとっては、たとえ日蓮聖人の真筆であっても、骨董品としての価値しか無いわけですね。

60幻論乙坊:2009/03/29(日) 19:14:32
問答迷人さん
こんばんは

ご理解戴き有難う御座います。

誤解はないと思いますが板曼荼羅、仏像、印刷コピー曼荼羅等がくだらないと述べているのでは御座いません。
人間は心の安定を求めるために何かに縋らずにはいられないのでしょうね。
その何かは時間空間的に異なりますね。

私は以前にも少し触れましたが信仰経験は一度も無いにも拘らず、
育った環境のせいで数年前まで、石山寺院以外の神社仏閣へ足を踏み入れる事が出来ませんでした。
親族のその宗教を否定しているにも関わらず、私は無意識的にその教義(神社仏閣へ足を踏み入れるな)
を受け容れてしまっていたのですね。

仕事の関係上、どうしても足を踏み入れなければならなかった場合の具体的な反応としては
一、鳥肌がたつ。
二、薄気味悪い。
三、焦燥感に駆られる。
四、近いうちに何か良くない事が起こるのでは。
五、それら敷地内の飲食物は一切口にする事が出来ない。
(自販機に拠るものも)
など等です。
現在ではそれらの場所に何とか足を踏み入れる事が出来る様に成りました。
が、一〜五までは未だに払拭出来ずにいます。
是は育った環境(文化)によるもと理解しています。

多くの国々でそうでしょうが、宗教は崇高なもので崇め奉るものであるから、口汚く罵ったり粗末に扱っては成らないし、疑うものではなく邪推を働いてはいけない。
その様な行為を働く者は、その者自身の心が穢れているからである。
私達、日本に於いては神社仏閣に参詣し、お賽銭を投げ込み鰐口を叩き、手を合わせれば清々しい気持ちになる人が多いらしい。
そのものそれ自体に何らかの潜在的能力を有しているのではなく、物心付いたら多くの人達がその様な振る舞いをして、
自分もそれに倣った方が安心であるからでしょう、
これは宗教とはそう言うものだと、言う共通認識の上に成り立っているものにほかならないと考えます。
でなければ「宗教なんてバカバカしい。」と無信仰者であることをある種のインテリ系のように声高に叫ぶ人に
「では、この仏像を叩き割ってみろ」と、言って易々と叩き割れる人物はそうはいないと思う。

これはその様な文化に育ち教育を受けたからに他ならない。
知識を有していなければ、それらは崇高でも崇め奉らなければ成らないとの思考にも至らない訳であるから、笑い飛ばし、邪険にも扱うし、口汚くも罵れ、叩き割る事も出来そこに足を踏み込んでも鳥肌も立たないのは言うまでもない。
しかし、その様な行為の後、「貴方が先程、バカ笑いし、邪険に口汚く罵ったものはこの辺りの多くの人が心の拠り所として奉られているものだったのですよ」
と知らされて、はじめて罪悪感(ある者は身の危険)を覚えるのですね。


私が現在よく寺院を訪れるのは私自身、宗教を否定し受け容れる事が出来なかったにも拘らず、
石山寺院と学会会館では拒絶反応を認めず、そのくせ神社仏閣に足を踏み入れた際トラウマによる
拒絶反応を起こしてしまう。
その自己矛盾を克服するためなのです。

是全幻想

61問答迷人:2009/03/29(日) 20:33:54

幻論乙坊さん

>宗教は崇高なもので崇め奉るものであるから、口汚く罵ったり粗末に扱っては成らない

日本においては、概ねそのような態度が一般的で有ると思います。海外に付いては、良くわかりませんが。

>石山寺院と学会会館では拒絶反応を認めず、そのくせ神社仏閣に足を踏み入れた際トラウマによる拒絶反応を起こしてしまう。

そうですか。これは、高校生のときに入信した僕とは少し事情が違うようです。今は、石山寺院と学会会館には拒絶反応を感じ、神社仏閣に足を踏み入れる事には大した違和感は無く、ただ、賽銭を入れることには今も抵抗感はある、と言ったところでしょうか。

まぁ、大石寺の歴史を調べれば調べるほど、金輪際参詣したくない、という気持ちが強くなります。

62空即是進化:2009/03/30(月) 23:55:34

 問答さん、独歩さん、ご賛同いただきありがとうございます。
 調子に乗って、もう少し意見表明を続けます。

 人間死んだらどうなるのか? 
 脳を離れた意識は存在しないでしょう。いわゆる`霊魂=我`は無い。
 意識体としての超越的実在(梵)もあり得ない。
 前世も来世も無い。
 
 脳の働きを知れば知るほど、そのすごさが解ります。
 生きてるときの瞬間々々の精神活動は、何らかのエネルギーとして残留するかもしれないが、
死後の魂がそれ自体で能動的な存在たることはあり得ない。
 
 土から生まれて土に帰る。それ以上を欲すれば、苦がやってくる。欲と苦は生きてる限り避け
られない。避けられなければ、あとはコントロールの問題かな。それが八正道。

 宇宙は、138億年前、時空の歪みから生じた極々高温エネルギーが、空間の拡大と低温化に
より物質転換したことから始まったらしい。最初の物質はほとんどが水素とヘリウム。それが、
融合と分裂を重ねるうちに百いくつかの天然元素ができあがった。

 地球も人間も原材料は同じである。宇宙(神)は、その材料を使って無限の可能性を試してい
る。どこまで進化できるのか、その最高傑作が人間であろう。さらに人間は自ら進化するだけで
なく、偶然の組み合わせだけではなしえない地球環境の改造(進化)まで手を出すようになった。
世界遺産は自然遺産も多いけど、人為的な美しさ(文化遺産)もすばらしい。

 話はズレますが、人類にとって本当に恐ろしいのは温暖化でなく、寒冷化です。それも近い将来
必ずやってくるという。その対策が絶対的に必要と思われるが、現実に直面するまでは無理か。


 すなわち、人間の存在理由及びその価値は、「進化」の一点につきる。

 私達は10×何百乗以上の幸運のもとに、この時代の人間として生まれてくることができました。
 宝くじに当たって、世界一周旅行しているようなものでしょうか。貧乏旅行の人もいますが。
 せっかくだから、目一杯楽しむべきですね。

 とは言え、大方解ったようなつもりでも、獄中の戸田さんの悟りのような感動は無い。まだ、
上っ面だけということなんでしょうか。毎日つまらんことで動揺しているし。
 
 「霊魂など無い」と知った日から、それまで時々感じていた夜の不気味さを感じなくなりました。
 

 かなり大胆なことを書いている割には、表現力が無くて申し訳ありません。
 諸兄のご叱責をお願いします。

63hage:2009/03/31(火) 23:06:48
空即是進化さん

霊魂があるのか無いのかは解りませんが、
意識とは何なのか??心とは何なのか??を考えると、本当に不思議です。
意識や心には形もなければ大きさもありません。あるのは変化だけなのでしょうか?
もし、変化そのものを意識、心と捉えるならば、高等生物だけが持つものではなく、
単細胞生物も心を持つかもしれませんし、鉱物にも長い長い年月で考えれば意識らしきものがあるのかもしれません。
地球や、宇宙そのものも変化しているので意識を持つのかもしれません。
素粒子の世界、原子や電子でさえ意識によって変化している、変化によって意識が起きているのかもしれませんね。

それからすると、人間の知識は、ほんの極々小さいわずかな一部分でしかないのでしょうね。

64hage:2009/03/31(火) 23:13:27
仏様は眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・未那識・阿騾頼耶識・阿摩羅識
の九識で表わされていますね。

65犀角独歩:2009/04/01(水) 13:10:45

魂といった話について、仏教ではありませんが、以下のサイトはよくまとまっています。

http://w5.abcoroti.com/~ikikata/bunrui.htm

66顕正居士:2009/04/01(水) 15:32:49
心身問題 Mind Body Problem についての現代の議論はWikipediaによくまとめられています。

心身問題 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%BA%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C

下にあります「心の哲学のトピックス」の各項目を読むと現代の議論があらかた把握できます。
この2-30年、コンピュータ科学と脳科学の進歩によって心身問題の議論に深化が見られます。

67幻論乙坊:2009/04/01(水) 17:45:47
問答迷人さん
年度末でバタバタして返レス大変遅れてしまいました(謝)

問答さんは高校生の頃(自らの意志?)に入信された。

私は、これも既にこちらで記していますが、私のご受戒を受けた日は、私の出生日です(これは現実的では有りませんね。
多分、親が正確な日を忘れてしまい出生年月日としたのでしょう、いずれにせよ私の意思などそっち除けな訳です。
子は(人間の子は出生してかなりの年月を親に全面依存しなければ生きて行けませんね)親に全面依存しなければ成らないし、
親を介して世間を認識するのだろうから、私のトラウマ(何より私は信仰経験がこれまでの人生においてまるで無い)
による石山、学会系以外の寺院への拒絶反応と問答迷人さんのそれとは当然違ったものと成るんでしょうね。

ここで述べたかったのは人間は個々、感性が異なり、様々に受け取るという事でした。
死生観も様々で普遍妥当なものは存在しない。
「穏やかな顔をしていてまるで眠っているようだ、さぞ成仏された事でしょう」
とは、よく見受けられるある特定の組織内における共同幻想とそっくりだと思惟致しています。
(解りやすい例がファッションですね、そこに身を置いている者は超イケているのだろうが、
身を置かず興味も持っていないものから見れば全然イケていない様に映りますね。
この様な事は何も一部の組織とは限らず、国レベルでも見受けられますね)

成仏、穏やかな死相、死に様と、綺麗だ、楽しい、悲しい。
と言ったものは、この世にまだ生を保っている者が持つ感情ですね。
(私の前世はこれこれである。と言った方に未だ出会った経験がないので以上の様に考えています)
その様に皆で演じている「この様に受け取ろう、思おうじゃないか、幸福ってこんなものだろう」
と、人間だからどうにでも染まってしまう。

「こんな判決じゃ、あの人(あの子)が浮かばず墓前になんて報告すればいいか」とは、
あの人(あの子)が浮かばれないのではなく、貴方が許せず、悔しいく、又、納得が行かないだけである。

「きっと天国に往ってくれた事でしょう」とは、そこに自身を投影しているからじゃないだろうか。
お墓参りは故人の為に参るのではないのは言うまでもないですね。

是全幻想

68空即是進化:2009/04/01(水) 23:21:07
 
 タイム誌等の最新の脳科学関係記事が多数載っています。
 参考になると思われますので、是非ご覧下さい。
  
  http://saito-therapy.org/new_finding/index.htm
      (申し訳ありませんが、リンクの張り方が解りません。) 

 私も、人間がここまで進化したことを、ただの偶然とは思っておりません。
 そうなるべく、何らかの偉大な力が作用しているものと考えます。
 確率的にあり得ないことが、現実に起きている。
 進化にとって有効なものには、特に大きな援護があるのではないか? 

 地球外生命体の存在可能性を主張する人がいますが、私は全宇宙の中で地球にしか
高等生命体はいないと考えています。
 それは、最も生命発生の条件がそろっているこの地球ですら、現在存在する生命系
以外の、別系列の生命体が発生した形跡が無いからです。(ウイルスから人間に到る
まですべて共通のDNAを持っている)
 それほど地球は貴重で、とりわけ人類はすごい存在ということだと思います。

 感謝!

69いちりん:2009/04/04(土) 19:58:30
年をとってきたおかげで、死を「わがごと」として、少しずつとらえられるようになったきた。
いや、といっても、まだまだ「人ご」となんだけどもね。
昨日は、突発性間質性肺炎という病で、あと半年という友人とコンサートに出かけた。
彼女は、空咳をしながら、しんどそうだった。
「半年後にはこの世にいないので、少しずつ整理整頓している」という。
まあ、もし自分だったら、突発的な交通事故で死んでしまうより、あと半年とか、期限があるほうが心の準備、後処理のための支度ができていいのかなあと思ったり。
それにしても、死ぬというのは、やはり病を得て、身体が苦しくなっていくことになるわけだから、じわじわとくる苦しさがつらいなあと思ったり。
自分自身も、「いつなんどき……」と思うわけで、そのつもりで、なにかと準備をしておかねばと思う。

日本でホスピスを始められた先駆者の一人に、柏木哲夫先生がおられるが、こんなことを言われていた。看取った
「多くの家族が“まさか主人(妻)がこんなに早く死を迎えるとは……」と言うそうだ。
「まさか、まさか」と。

それから、「これからという矢先に亡くなる」とも。
定年になってこれから夫婦で旅をしようねという「矢先」。
子供達が巣立って、これから一緒にまたやっていこうねと話し合った「矢先」。

最後の一ヶ月、その人の人生が凝縮されている、と。
「その人が生きてきたように、亡くなる」とも。
「しっかり生きてきた人は、しっかり亡くなっていく」と。

70問答迷人:2009/04/04(土) 20:23:12

いちりんさん

>その人が生きてきたように、亡くなる

含蓄の深いお話、有難う御座います。いちりんさんの仰る言葉をかみ締めていますと、25年ほど前に亡くなった父のことが思い出されます。

父は肝臓がんで亡くなりました。判ったときは既に末期がんで、手術すら出来ませんでした。入院して1ヵ月ほどの命でした。父は生前、「死ぬ事は何も怖くないから、もしがんになったら、隠さずに教えてくれ」と言ってたので、兄が告知しました。途端に食事が取れなくなり、何も話さなくなってしまいました。ようやく口を開いたときは、「俺はがんでは無い。肝硬変なんだ」でした。余程、がんで死ぬ、という事が受け入れがたかったのだと思いました。そして又、少しずつ食事も取り出しました。しばらくしてから、「人は死んだらどうなると思う?」と問いかけてきました。最後の二日ほどは、心が安らいだような感じで、もう病気のことには何も触れずに、「ショーペンハウエルは死について色々言っていたけれど本当の事は死んで見れば判るよな」等と話していました。この時には、もう死を受け入れていたのだと思いました。そして、今にして思えば、やはり父は死はそんなに怖くなかったのだな、と思います。そういう達観したような生き方をした飄々たる父でしたが、死ぬときもやはりそんなに変わらず、飄々として死を受け入れたのだなぁ、と思います。

あと15年ほどで父が亡くなった年齢になりますが、その時にじたばたせずに死を有るがままに受け入れることが出来るのだろうかと思うと、まだそんな心境には程遠い気がします。

71再挑戦者:2009/04/04(土) 20:24:17
 68、、 >、、、、、、。

 失礼します、、。  確かに、人類は進化?しました。 わが地球こそ、一番?
 とヨイショ、、も、したくなるのはご理解可能です、。
 

 でも、はたして、? 真実の宇宙世界は、? 
 広大なる、無量なる? 無辺なる? 「、是諸世界、可得思、、、、是諸世界、、一塵一劫、、」、
と言う、教主なる釈尊様のご意見も一応は御考察されても? ないでしょうか ?
 
 小生が危惧しますのは、「、、宇宙には、われ等だけしか ? 居ない のだ?」、と言う? のは、地球人の「思い上がり ?」 と 「独善性 ? 」の疑義が濃厚かも ?
 これからも、何億光年もの 地球の 果ての果てから、突然に” 研究望遠鏡の中に” 飛び込んでくる宇宙の未知なる物体? などが、新しいニュースとしての期待
も軽視は出来ません、ので、。 失礼、。

72顕正居士:2009/04/04(土) 23:46:59
現在、銀河系にどのくらい電波通信が可能な知的生命が存在するか?(ドレイク方程式)

http://homepage3.nifty.com/brownys_cosmos/space/drake.htm

ちなみにわたしの予想は0.5、0.75、1、0.75、0.05、0.05、10000000 で

「この銀河系内に46.88個の知的生命体がいます。
したがって、平均12943.48光年四方に存在する計算となります。」

隣人は13000光年の彼方なので現在発見できないのは無理がないことになります。

73空即是進化:2009/04/05(日) 00:05:12

 リンク、できたようです。

 再挑戦者さん。
 私もできれば宇宙人には居て欲しいと思ってます。ただ、確率的にはゼロに等しい。
 また、どこかに居るにせよ、コンタクトが取れない以上どうにもならないのでは。

 神様もまた同じ。居てくれればうれしいが、信じる者しか救われない訳だし。

74犀角独歩:2009/04/05(日) 04:36:56

顕正居士さんの書き込みを拝見。カールセーガンを思い出しました。
偶然でしょうか、昨晩、DVDで『コンタクト』を見ていました。

死について、この前、振り返っていたのですが、創価学会にいたときがいちばん怖く、法華講に移ってやや恐怖は弱まり、棄教した今は恐怖は消えました。

そんなことからも「日蓮正宗創価学会」で死の過敏症に冒されていたのだと思う次第です。

以下、以前も転載したセーガンの記事です。
『NEWSWEEK』1997.4.9号の切り抜きを、私は今も大切に取ってあります。

*** 以下転載 ***

昨年、借しまれつつ早逝した著名な天文学者のカール・セーガン。
あくまで科学の人であった彼は、病に倒れても最後まで、そして誰にも、自分のために祈ってくれとは頼まなかった。
それでもニユーヨークの聖ヨハネ大聖堂には、彼の回復を祈る人々がたくさんいた。彼らの祈りは、セーガンが生涯かけて探しても見つからなかった天国に届き、セーガンがついに信じなかった神の耳にも入ったはずだ……もしも祈りが天まで、そして神の耳まで届くものであるならば。
そして、もし神が存在するならば、神は善男善女の祈りを無視してセーガンを天に召した。62歳の早すぎる死。彼が愛した地球には、妻と5人の子供、未完の仕事が山ほど残された。
だがセーガン自身にとっては、悔いのない死だったかもしれない。誘惑には、ついに負けなかったのだから。
もちろん彼も、神の国に無関心ではなかった。宇宙の起源や人間の意識、進化の謎などに自由な思索をめぐらしたセーガンは、この10年ほど、宗教界の人たちとの対話に多くの時問を費やしてきた。
神は存在するのか、とセーガンは問うた。存在する「証拠」がないかぎり、その存在を肯定するわけにはいかない、というのがセーガンの立場である。
この大胆な問いかけを受けて立ったのは、主としてリベラルな聖職者たちだった。聖ヨハネ大聖堂のジェームズ,パークス・モートン師、全米教会評議会のジョーン・ブラウン・キヤンベル師らの名前がある。またロバート・サイプルのようなキリスト教保守派の論客とも渡り合った。
キリスト教の教えは2000年も前に死んだ人たちの言行録に基づいているが、その記述の真偽は今さら立証しようもない。そんなものをなぜ、科学の恩恵に首までつかっている現代の教養人が信じるのか。

75犀角独歩:2009/04/05(日) 04:38:20
-74からつづく-

・NASAでは変人扱い

あるときセーガンはキャンベル師に、「賢いあなたが、なぜ神を信じる?」と尋ねている。
キヤンベル師は驚いて問い返したという。誰も見たことのないプラックホールの存在を、いとも簡単に信じてしまえるほど「賢いあなたが、どうして神を信じられないのですか?」。
だがセーガンとて、最初から神を否定してやろうと意気込んでいたわけではない。こんな手紙が残っている。「全知全能で慈悲深い神に見守られているという考え方は、最初は居心地よかった。だが[信仰を支える]証拠が言い伝えでしかないことに気づいたとき、疑いが生じた。……しかし、もしも神が存在する証拠があるのなら、それを見つけるのは私の義務だと思う」。
実際、最初のうちはセーガンも積極的に神を探していた節がある。20年前、NASA(米航空宇宙局)で火星探査船バイキング号のプロジェクトに携わっていたセーガンは、地球以外の惑星に生命体が存在する可能性をしつこく説き、同僚から変人扱いされたものだ。
愛の存在も証明できない。もちろん、セーガンは「可能性」を信じていただけだ。だから火星深査機が石ころしか発見できなかったのを見届けると、セーガンはそれを「証拠」として受け入れた。
また金星に関しては、温度が高すぎて生命は存在しえないという論文を発表している。
「科学に貢献するたびに、彼の期待は打ち砕かれたの」と言うのは、仕事上のパートナーでもあった夫人のアン・ドルーヤンだ。
もしも神の存在を否定する証拠を前にしたら、信者も信仰を捨てる勇気が必要だと、セーガンは考えていた。そんな異端を是とする宗教があれば、彼も帰依していたかもしれない。
1995年の著書『悪魔に憑かれた世界』では、宇宙人に「誘拐」された人の話や黒魔術など、アメリカ社会にはびこる迷信から科学を擁護する論陣を張った。そして慎重に言葉を選びながらも、信仰の根拠とされるものも迷信と大差ないのではないか、と問いかけている。
こうした飽くなき「証拠主義」に、最初のうち宗教界は防戦一方だった。だが、ある日、キャンベル師の投げかけた一つの問いで形勢は逆転したのかもしれない。「あなた、愛を信じますか?」と師は尋ねた。
「もちろん、と彼は答えました。奥さんを心から愛していましたからね。そこで私は言ったのです。「愛の存在は立証できます?」。
最初はできると言い張っていた彼もやがて祈れ、信仰と同様に愛も証明不能だけれど、存在しないとは言えないと認めたんです」
それでもセーガンは、信仰の組織化としての宗教を認めなかった。
そして神が「全知全能」で「慈愛」に満ちているなら、なぜ祈る必要があるのか、と主張した。祈らなければ神は信者の病気に気づかず、信者を救ってくれないのか。そんな神が全能と言えるのか……。
95年冬、セーガンが骨髄異形成症候群(白血病に似た病気)と診断されたのを知るとバイトン師は彼のために祈りはじめた。
「祈りは確かに効く。どう効くのかは、私にもわからないが」とモートン師は言う。だが、少なくとも「祈りはカールを精神的に元気づけた。そして心が元気になれば、体の機能も改善されるものだ。祈りの力が体の分子構造を変化させるなどという主張は、まったくナンセンスだが」

・自分の信念を貫いた死

モートン師よりずっと保守的なサイブルは、もっと具体的な祈りの効果を信じている。だから骨髄移植を受ける直前のセーガンに病状を詳しく尋ね、「より的確に祈る」方途を探ろうとした。「私は君のために祈っている。祈りは神と人の間の溝を埋めるものだから」。師は病床のセーガンに、そう説いたという。
昨年の夏ごろ、セーガンは一時、快方に向かっているように見えた。
そのころ夕食をともにしたキャンベル師によれば、「順調そうだね、と言って、彼はほほ笑んで「そう祈って・」と答えました」。
しかしセーガンは、放射線治療の副作用で肺炎を併発。友人たちの祈りにはますます熱がこもったが、セーガンは最後まで「神が存在する証拠」にこだわり続けた。
「死の床でも掃依しなかった」とドルーヤンは言う。「神にすがらず、死後の世界にも期待せず、私たち二人が二度と会えないことも、ちやんと認めてました」
神を信じたいとは思わなかったのだろうか、と未亡人に聞いてみた。返ってきたのは明快な答え。
「信じたいとは思ってなかったただ、知りたかっただけ」
(文・ジエリー・アドラー)

*** 転載おわり ***

この文章を読み返し、問答さんの御尊父のお話を思い合わせました。

76幻論乙坊:2009/04/06(月) 20:04:16
私は少し違っていて、こんな風に考えています。
スレッドの「死について」からは外れてしまう事、お許し下さい。

現在の日本(先進国と言われている地域など)は物資が捨てるほど溢れかえっていて、
様々な便利機器が発明され産業革命以前の人々からすれば、まるで天界の様に映るやも知れません。

しかし、これは様々な便利機器の存在を知り、恩恵を享受している者の発想ですね。
それらの存在(電子レンジ、テレビ、冷蔵庫、飛行機、自動車等々)を知らない人々にはそれら物資(機器)が無いから「不便だ」と言う発想すら浮かばないのだから現代人は天界に住む人とは言い得ないのでしょう。

万物の霊長と自ら謳う人間が、この地球環境を劣悪で住みにくいものにしている動物に他ならないでしょう。
人間自ら環境を破壊し、後その過ちに自覚し科学技術や規制を設けて現在まで乗り越えて来た。
これらの事を人類の英知の結晶だとか、人類の弛まない進歩の結果だとか、万物の霊長たる人間いったい何処まで進化し続けるのだろうか?
だとか・・・・
自らしでかした尻拭いを自らしただけの事なのに、よくもまあ様々な歯が浮くような賞賛、自画自賛が出来るものだと呆れ返ってしまう。

動物本来の種族保存、個体保存から見ればなんら意味を持たないものに囚われ、執着、固執してしまう私達人間。
文化を(哲学[哲学に宗教も含まれる])持たなければ生きて行けなく、
同一人種である人間を殺さなければ気がおさまらず、
月まで出かけなければならないと思い、
100mを10秒切った切らないで一喜一憂してしまい、
何も無いのに何かを求め危険極まりない万年雪の頂きに登らずにはすまされなかったり。

現生人類の起源は何百万年前かは存じ上げないが、その頃の私達の祖先と現在の私達を比較すれば私達は進化しているのだろうか?
進化とは環境の変化に適応するべく、その生物が持っていた機能を変化させた事と言う意があるそうだ。
何百万年前の現生人類を現代社会に放り出せば、そのもの自身では当然生きていく事は不可能でしょう。
しかし未開の地に住む現代の狩猟民族も先進国に放り出せば生きては行けないだろう。
高等生物と言う語もどうも私にはしっくり来ない。
高等生物と言うのだから何かと比較して人類を高等と定義しているのだろうが、
マグロやサンマが海洋汚染していると聞いたことは無く、
ハイエナやトムソンガゼルが大気汚染の元凶だとも聞いたことが無く、
アルマジロやミミズが土壌汚染に一役買っていると聞いた事もない。

先に挙げた如く人類は他の動物とは異なった生活様式なのだが他の動物のように種族保存、個体保存に根ざすことが出来ず、同一人種にも他の種にも多大な迷惑を掛けなければ生きて行く事の出来ない動物である事は衆目の一致する所ではないでしょうか。

その私達、人類の現代社会が「天界」、人類が「高等生物」と言えるのだろうか?
しかし一方「天界」も「高等生物」も私達人間が操る言葉であるからどの様に使用したって勝手ではある。

又、「何々汚染」や環境破壊だと言うが私達人間も動物である。
で、ある以上、自然の一部でしかないのであるから、人間が行う事は不自然なものは何一つ無く「何々汚染」も自然的なものである。
とも言えそうです。

是全幻想

77れん:2009/04/06(月) 20:36:14
皆さんの大変深い議論に、感銘を覚えています。

私自身は“死”は遅いか早いかは別として、生まれたもの、自分を含めやがて誰にでも訪れるものですから、宗教云々以前に過敏にも鈍感にもならずに、自然の摂理として受け容れています。

ただ、個人的には現代医療の一部?にある“死”は敗北的な感覚には違和感があり、スパゲッティの様なクダを沢山着けて延命を図る治療はしたくないですね。私は寧ろ、死期がはっきりしたら、鎮痛以外は、延命治療の類いは一切せずに死に臨みたいと思っております。まあ、三つ子の魂なんとやらで、善くも悪くも日蓮法華の信仰の家に生まれたので、やはり座亡ならぬ唱題亡が私の一つの理想ですね。


太陽系外の宇宙に、地球と同じ条件を満たした惑星があれば、地球のほかにも(知的生命を含めた)生命体は存在するでしょうが、当然ながらUFOのようなものは存在しないし、電波等の手段による互いの交信も一切出来ないでしょう。その意味では、生命はそれぞれの星で孤立して存在するものと考えております。



たしか“死を思え”という欧州の箴言もあったと記憶してますが、引き続き皆さんの深い御賢察を拝聴致したいと思います。

78空即是進化:2009/04/06(月) 23:46:40

 大変失礼ながら、幻論乙坊さんはかなりお若い方なのかな?
 私などは、かろうじて「飢え」というものを多少実感できる世代に属すると思うのですが、

  〈万物の霊長と自ら謳う人間が、この地球環境を劣悪で住みにくいものにしている
   動物に他ならないでしょう〉

 今の地球は、将来の不安は大いにあるものの、劣悪どころか夢のような世界だと思いますよ。
 昔の方が良かったと考えるのは錯覚でしょう。


 以前、顕正居士さんが「自殺について」のスレッドで紹介してくださったサイトに
極めて興味深い話が載っていました。「釈尊の真意」スレの方が良かったかもしれませんが、
釈尊時代の常識だった輪廻(霊魂)を否定できたことが、解脱(悟り)だったのかも。 
  http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto1.html

 宇宙のあちこちに生命体が存在し、あらゆる可能性が試されているのかもしれませんが、
やはり生命が発生し、何十億年もの間子孫を残し、人間のレベルまで進化を遂げる可能性は
確率的にはゼロに等しいと考えます。

79幻論乙坊:2009/04/07(火) 10:37:58
空即是進化さん
宜しくお願い致します。

>今の地球は、将来の不安は大いにあるものの、劣悪どころか夢のような世界だと思いますよ。

◆そうですね、様々な捉え方があるのでしょうね。

>昔の方が良かったと考えるのは錯覚でしょう。

◆私の稚拙な文によるのでしょう、申し訳御座いません。
私は昔の方が良かった等とは申しておりませんよ。

現在の様々な「物(便利機器)」の恩恵に与かっている私達はこの「物」を失うことに恐怖を覚えているのでしょう。
この「物」の発明以前(産業革命以前)の方達は無いのが世なわけで、飛行機や自動車
DVD、テレビ、MRI(現代医療技術)が無い事に嘆き悲しまないですね。
現代人が産業革命以前の時代に時間移動してしまったと想定したら「ああ!あの時代はまるで天界の様だった」
と思うのでしょう。
と、記したのでした。

この天界観の当て嵌め方ですと、常に天界であろうと言えますね。
飛鳥時代の人が弥生時代の人を見た時、鎌倉時代→奈良時代、江戸時代→室町時代
と言った図式ですね。
人間は安定を求めたがるので過去よりも現時点、身を置いている今が良いのだと思いたがる傾向が
あるのだろうと考えたりしています。

若いのか?
と言う発想も過去よりも、より現在に近いものに何らかの「幸」を見出すのか?
と考えたりしました。

是全幻想

80再挑戦者:2009/04/07(火) 22:36:33
78 さん> ,確率的に ゼロ、、、、>。

 横から、、ゴメンします。 イカナル 根拠に源因されましての、? 御断定でしょうネ、?

 われらの 人類の誕生は 時計に なぞらえますと 地球の年齢時間、に 換算では、、23時58分に相当する、ようです、。
まさしく、、地球では「まぎれも無い 新参者?」、のようです。  

 各国の 電波望遠鏡の 研究機関には、今後も 続々、? と 
 何億〜何兆年〜何兆掛ける*10の兆倍もの 光年の 最果ての、果てからの彼方から の 信号? を待機中 です、、。

 今少しの、余裕の時も 必要 でしょうか、、?

81空即是進化:2009/04/07(火) 23:10:50

幻論乙坊さん、大変失礼しました。
 余計なことを書いてしまったと、後悔してたところです。

 これ以上、言い訳は言わないほうがよいのかもしれませんが、
 ‘過去の自然はどんなに美しくても人間にやさしいものではなかった’ということに異論はないと
思います。
 環境破壊というけれど、70億近い人間が贅沢して生きていくためにはやむを得ない面もある。
 (怒る人も多いだろううなぁ。しかし、現在の自然を維持するためには、地球人の存在は2億人が
  限度という説もある。)

 何が言いたいかといえば、今これほど恵まれた世界にいながら、日本でも11年連続で3万人を越える
自殺者がおり、その予備軍が少なくとも10倍はいるということであります。
 宗教の目的が『抜苦与楽』だとすれば、いかなる教えが役に立つのか。

 釈尊本来の解脱方法が、徹底したマイナス思考の果てに生への執着を捨て去ることだった。との考えを
最近知りました。
 我々が、どれほどの幸運のもとに人間として生まれたか、を知らしめることが『抜苦』の近道ではない
かと考えているのです。

 現代日本人のほとんどが、すでに「輪廻のくびき」から解き放たれてしまっている気がします。

 また余計なことを書き込んでしまいました。 陳謝!

82空即是進化:2009/04/07(火) 23:48:30
 
 再挑戦者さん。
 根拠といえるかどうか解りませんが、地球上すべての生命体が共通のDNAを持っているということ。
 (RNA型ウイルスもいるが、先祖は同根であると推定)
 これは、地球と同じ環境であれば生命の発生はあるはずとの説に対し、地球ですら1系統の生命体しか
存在していないことを根拠としました。
 顕正居士さんに紹介いただいた「ドレイク方程式」はちょっと甘いのでは?と考えています。
 猿がワープロをたたいて、偶然にシェークスピアの作品と同じものができあがる確率は如何?とどっかで
聞いたきたことがありました。それ以下の確率ですよね。

 81について、かなり書き漏らした部分がありましたが、後日あらためて書きたいと思います。

83顕正居士:2009/04/08(水) 02:39:16
生命の起源は地球外という可能性もあります。

火星,パンスペルミア,そして生命の起源
http://park.ecc.u-tokyo.ac.jp/ea/earth/Members/Isozaki/03Panspermia.pdf

パンスペルミア説を尋ねて
http://www.asahi-net.or.jp/~FB8H-SKI/hitoshi/kayo/aka10/sakai/sakai.htm
(古典的パンスペルミア説)

84犀角独歩:2009/04/08(水) 15:24:38

顕正居士さんの、ご投稿を拝見して、少し前に再読した『宇宙からの生命』を思い出しました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51410744.html

85hage:2009/04/08(水) 19:46:54
山に生えている樹木を見ながら思ったのですが……

大きな樹木はどの部分が生きた木で、どの部分が生きていない木なのだろう?
剥がれかかった樹皮
地面に墜ちた枯れ葉やどんぐり。
人に踏み付けられて、ほとんど土となっている根っこ。
根っこから吸い上げられる水や養分。

樹木だけが生きているのではなく、きっとこの地面も生きている。
そけには、生と死の境界線はなく、とても緩やかに繋がって、生と死を行き来している。

樹木の臨終を思うと、やはり生と死の境界線はなく、時間と共に、とても緩やかに変化しているだけなのではないこと……
樹木には、きっと臨終がないのだろう。

86顕正居士:2009/04/09(木) 19:02:40
hageさん。

年をとった樹木は木材と変わらない死んだ部分を持っているが、その先にまた生きている部分が
あったりする。構造上は死んだ部分も含んで一つの個体であると考えられるようです。

多年生の草花と樹木には動物のような決まった寿命はない。真核生物である植物にもテロメアは
あるが、分裂細胞はテロメラーゼ活性なので、屋久島の縄文杉のように樹液に防腐効果があって、
環境も良好だと幾千年も生きられるらしい。 (*テロメラーゼ  テロメアを復元する酵素)
また樹木の中には根から新しく幹が生えてくる種類があり、樹齢10000年に近いものが発見された。

世界最古の生きた樹木、スウェーデンで発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=90025&expand

なお動物にも不老不死の変種はあります。有名なベニクラゲです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B2

87神吉信明:2009/04/11(土) 02:48:25
慶應義塾大学の環境情報学部の訪問講師をやっている佐藤芳明って法華講員が大白連って法忍寺のホームページで顕正会の事を見下してますね!

88hage:2009/04/15(水) 22:45:33
顕正居士さん

生命って本当に不思議ですね。
命が繋がっていくことと、物質が化学反応などで状態が変化していくことと
大きな違いがあるようで、宇宙規模で見ると違いは無いのかもしれないですね。

ところで、過去とは実在するのか?実在するのは今というこの瞬間だけなのか?
過去は現在とは違うどこかに実在するのか?過去は無くなっていて実在しないのか?
過去の自分は生きているのか?死んでいるのか?存在すらしていないのか?
アインシュタインは時空間を説いているが、感覚的には違うような気がするし、
いったいどうなんだろう?というような事を考えるのですが、いかがでしょうか?
過去の自分と、死んだ人を比べた時、違いが無いように思うのですが、いかがでしょうか?

89顕正居士:2009/04/16(木) 00:25:11
hageさん。コネチカット大学のタイムトラベル実験計画の動画です。

素粒子タイムマシン http://www.youtube.com/watch?v=sCUfRnQDZq8 (日本語吹き替え)

Ronald L. Mallett博士のサイト http://www.phys.uconn.edu/~mallett/main/main.htm
YouTubeに新しい動画も幾つかあります。残念ながらまだ成功しておりません。

光速に近い速度で1光年先へ行って帰って来れば、地球ではたとえば100年経っていたりします。
ということは50年/年の速度で時間を空間と同じように移動したことになります。
このことは精密な測定で確認されています。未来へのタイムトラベルには問題ありません。
過去へのタイムトラベルはパラドックスが生じます。パラレルワールドを考えれば解決すると
いう人がいますが、自分が数分過去へ移動する(ただし自分に会わない場所へ)と想定すると
自分が無限増殖するパラドックスがやはり生じます。
過去へのタイムトラベルで何が起こるのかは、どうも実験するしかわからないようです。

未来へのタイムトラベルは可能というか、高速で移動すれば僅かに日常でも生じている。
過去は不可能という理屈は困難です。つまりパラドックスは謎ですが、過去も未来も実在すると
わたしには思えます。

90hage:2009/04/16(木) 17:42:35
死についてから少し離れるかもしれませんが、素粒子の世界では不思議な時間の世界があるようですね。

素粒子の世界の時間反転
http://www.kek.jp/newskek/2005/novdec/past_future.html

K中間子で探る時間反転対称性
http://www.kek.jp/newskek/2004/janfeb/Kpimunu.html

こういう物理科学の発展は、いつか生命や死も解き明かすのでしょうか?

91空即是進化:2009/04/21(火) 21:26:14

しばらく皆さんの投稿が途絶えていますが、あえて拙論を述べれば、
 
 宇宙及び人間の存在理由、そして目的は、『進化』そのものに尽きる。「死」もそのためにある。
あらゆる可能性を極限まで追求し、あるがままを楽しめばよい。
 佐倉哲さんのエッセイ
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/masutani.html
正に 
 『劫初より造りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つうつ』

の心境にたって、この世に生を受けた証を残せれば幸いです。

92hage:2009/04/28(火) 23:03:01
自分自身の死を直視したとすれば
死後の魂のあるなしは別として、
今こうやって考えている自分との別れであり、
今までこうやって考えてきた自分が無くなるということ
感覚や意識や思考が全て無くなるということ
それはどうやっても免れることができないことだとすれば
やはり、不安であり、寂しく、悲しく思うのが普通だと思います。

皆様は、それを直視した場合、自分自身を直視した場合、どう感じられますか?
死を考えるのは、自分自身とはいったい何なのかを直視することに近いと思います。

93顕正居士:2009/04/29(水) 00:00:56
「死は、もろもろの災厄の中でも最も恐ろしいものとされているが、実は、我々にとっては
何者でもないのである。何故なら、我々が現に生きて存在しているときには、死は我々の
ところにはないし、死が実際に我々のところにやってきたときには、我々はもはや存在
しないからである。したがって、死は、生きている人びとにとっても、また死んでしまった
人々にとっても、何者でもないのである。生きている人びとのところには、死は存在しない
のだし、死んでしまった人々は、彼ら自身がもはや存在しないのだから。」
(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシャ哲学者列伝」)
http://blog.hix05.com/blog/2008/03/post_561.html

わたしたちは自分の死を経験することはない。だから死に対する恐怖というのは老衰や
死に至る病いへの不安、あとに残す人たちへの心配、やり残した人生への不満ですね。
実はすべて「生」の問題です。無数の先人の努力によって文明は築かれ生老病死の苦を
少しづつ軽減して来ました。21世紀のうちにあるていどの不老長寿が実現し、死に対する
不安の多くが更に急速に軽減されると信じます。ただしわたしはそういう方面の仕事に
従事しているわけではないので、不老長寿の実現によって大変化するであろう将来社会
のことを考えるとかしかできませんが。

94hage:2009/04/29(水) 00:42:18
顕正居士さんは、自分自身を直視したら、
今いろいろな事を考えている自分自身を思ったら
いろいろな事を考えている自分自身がいつか存在しなくなると思ったら
いつか存在しなくなる自分の思考が今存在しているということを思ったら

いったい自分とは何なのか??と思うことはないですか?
死に対する恐怖以上に自分の存在に対する妙な思いを感じることは無いですか?

95顕正居士:2009/04/29(水) 01:16:53
hageさん。
なぜわたしはわたしであって、あの人やこの人ではないのだろうか?
10歳の頃、そんなことを考えたのを覚えています。
以後、この主題を忘れたことがありません。哲学を職業にはしなかったので
あまり専門的な追求をしたわけではありませんが、いつもこの問題をめぐって
考えておりました。いまはおおよそ解決しました。

自己とか自我というものは個体の生存のために情報の整理をし、意思決定を行なう
機構として進化の過程で生じた。身体の機能は自動的に活動しており、意識に上る
ことはありません。それどころか今の電子計算機とは異なり、自分の脳の状態すら
まったく自我は把握できません。情報の最終的高度の整理と意思決定だけが機能
です。脳細胞間のネットワーク上を走る個体管理ソフトウェアであると考えます。
まだ意識の問題についてはわからないことが多いわけですが、将来的に意識を持つ
機械を設計することで、それらの謎も経験的に少しづつ解かれていくのではないかと
考えています。

96再挑戦者:2009/05/20(水) 19:59:48

 ドーモです、、。
 雄隣の 「正信会掲示板」に石山の某僧侶の「死相のワルサはS会をイジメた現象のバツ」だと大喜びのようです、。
 あそこは、支社・故人でさえも、遠慮なく攻撃する「憎悪の倍増の推進団体?」のよう、。

 日蓮も一応は、念仏や他の宗教者らの「死相の悪サが、その後の信仰の天気に」、なったことから、 「決して”死相”は無視も軽視も不可能と思うが、?
 あれほどの「正信会のイジメ、イヤガラセに励んだ石山の僧侶の”死相”には、、」、、無関心では居れませんです、、ハイ、、。
  時に、宇宙用の電波望遠鏡=パッフル望遠鏡の修理完了であと、5年は稼動のようです、。
 当該鏡により宇宙年齢が137億年と判明したが、今後も 期待をしたい、!

97顕正居士:2009/05/22(金) 14:31:39
>>95で述べた
「自己とか自我というものは…脳細胞間のネットワーク上を走る個体管理ソフトウェアである」
を少し説明します。
自己(自我)とは「情報の最終的高度の整理と意思決定だけが機能」である。つまり3DMMOで
プレイヤーが行使できる機能と同じです。自分のステータスを確認し、身体の移動方向を決定し、
敵に対して攻撃と防御をおこなう。移動する生物(動物)に進化の過程で統覚が生じ、それが
順次に発達したと考えます。
ここで一つの問題があります。現代人レベルの自己(自我)が発生したのはホモサピエンスの
歴史の中できわめて最近だという説です。ヒトには明晰な意識を形成する可能性がDNAに記載
されているが、それが現実的になるためには言語の習得が必要であるのは確かでしょう。
「二分心」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%88%86%E5%BF%83
対して次の問題は偽の問題であると私は考えます。
「哲学的ゾンビ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
この議論は要約すれば「意識の機能がなぜ無意識に遂行されないのか?」という矛盾した文章に
帰着します。意識とは自分が何を遂行中なのか自覚していることであり、それが意識の体験(cogito)
として記憶されると考えるべきでしょう。

98ひきこもり:2009/07/14(火) 08:35:13
死に対しては、戸田先生の「生命論」で明らかですよ。死んだら無になるという考え方は
誤りです。生まれるための因がなければ今の生はありません。死後は生まれる前に戻るわ
けですから、生の因を持っていますよ。「人生一回きり。生まれ変わりは絶対無い」なん
て馬鹿の戯言ですよ。私には前世を6歳くらいの時に思い出した体験もあります。

99ひきこもり:2009/07/14(火) 08:51:36
>>77
>UFOのようなものは存在しないし

馬鹿なことは言わないで下さい。早稲田大学の教授もUFOの存在は認めています。またそうした
現象を否定する人達は知能指数が低いとも言われています。

私はUFOを何回も見ましたよ。それは飛行機の光ではないことは、急に飛躍したことからも明ら
かです。

100管理者:2009/07/14(火) 09:16:54

ひきこもり さん

>馬鹿の戯言ですよ。
>馬鹿なことは言わないで下さい。

これらのご発言は、当掲示板の書き込みルールに抵触します。今後、言葉遣いにご注意くださるようご注意申し上げます。

101管理者:2009/07/14(火) 09:19:45

【禁止事項】

2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。

102れん:2009/07/14(火) 19:13:13
ひきこもりさん

戸田さんの生命論は、あの時代の読み物としては“面白い”ですが、今の時代からみたら、いかにも古い。この手の系統の“読み物”としましてはアメリカのブライアン・L・ ワイス氏や日本では天外伺朗氏の、初期の著作の方が、内容の是非は置いて、終戦直後の戸田さんの“生命論”よりは遥かにレベルは上だと思いますね。

103北斗:2009/07/16(木) 03:28:00
ひきこもりさん

初めまして。

実に素朴な疑問があるのですが、人の死と言うのは科学的にいうと「細胞の再生が終わる」ということらしいです。

そして「生」は、卵子と精子か結合して細胞分裂をし、外に出ても大丈夫な必要最低限の形になり生まれる。

そこに、どのように「因」という要素が絡むのでしょうか?

そして、貴方のいう「因」というものは一体なんなんでしょうか?

ふと、議論を拝見していて思いました。

お答え頂けたら幸いです。

104法隆(ホウリュウ):2009/11/04(水) 15:13:58
このたび私の祖父の他界に伴い、HNを変更致しました。
宜しく御願い致します。

私の祖父は満90歳で亡くなりました。
今までの人生で数多くの事を祖父から学びました。
しかし祖父亡き後のほうが更に教えられたことが多かったです。
人を尊ぶ精神は、信仰という名においていつしか薄れてきているように思えてなりません。
また石山周辺信仰では尊ぶ題目は上げられないとも昨今感じております。
また教団の幹部の方々も[どうせ知らないし]ということを言いながら悪口を叩く始末です。
もう教団関連については衆生無辺誓願度は失しています。
私は気がつくのが遅すぎました。
私のような人間が二次的な被害に遭わないように私はひたすら訴えて行きたいと思っております。


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