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死について

74犀角独歩:2009/04/05(日) 04:36:56

顕正居士さんの書き込みを拝見。カールセーガンを思い出しました。
偶然でしょうか、昨晩、DVDで『コンタクト』を見ていました。

死について、この前、振り返っていたのですが、創価学会にいたときがいちばん怖く、法華講に移ってやや恐怖は弱まり、棄教した今は恐怖は消えました。

そんなことからも「日蓮正宗創価学会」で死の過敏症に冒されていたのだと思う次第です。

以下、以前も転載したセーガンの記事です。
『NEWSWEEK』1997.4.9号の切り抜きを、私は今も大切に取ってあります。

*** 以下転載 ***

昨年、借しまれつつ早逝した著名な天文学者のカール・セーガン。
あくまで科学の人であった彼は、病に倒れても最後まで、そして誰にも、自分のために祈ってくれとは頼まなかった。
それでもニユーヨークの聖ヨハネ大聖堂には、彼の回復を祈る人々がたくさんいた。彼らの祈りは、セーガンが生涯かけて探しても見つからなかった天国に届き、セーガンがついに信じなかった神の耳にも入ったはずだ……もしも祈りが天まで、そして神の耳まで届くものであるならば。
そして、もし神が存在するならば、神は善男善女の祈りを無視してセーガンを天に召した。62歳の早すぎる死。彼が愛した地球には、妻と5人の子供、未完の仕事が山ほど残された。
だがセーガン自身にとっては、悔いのない死だったかもしれない。誘惑には、ついに負けなかったのだから。
もちろん彼も、神の国に無関心ではなかった。宇宙の起源や人間の意識、進化の謎などに自由な思索をめぐらしたセーガンは、この10年ほど、宗教界の人たちとの対話に多くの時問を費やしてきた。
神は存在するのか、とセーガンは問うた。存在する「証拠」がないかぎり、その存在を肯定するわけにはいかない、というのがセーガンの立場である。
この大胆な問いかけを受けて立ったのは、主としてリベラルな聖職者たちだった。聖ヨハネ大聖堂のジェームズ,パークス・モートン師、全米教会評議会のジョーン・ブラウン・キヤンベル師らの名前がある。またロバート・サイプルのようなキリスト教保守派の論客とも渡り合った。
キリスト教の教えは2000年も前に死んだ人たちの言行録に基づいているが、その記述の真偽は今さら立証しようもない。そんなものをなぜ、科学の恩恵に首までつかっている現代の教養人が信じるのか。


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