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死について

67幻論乙坊:2009/04/01(水) 17:45:47
問答迷人さん
年度末でバタバタして返レス大変遅れてしまいました(謝)

問答さんは高校生の頃(自らの意志?)に入信された。

私は、これも既にこちらで記していますが、私のご受戒を受けた日は、私の出生日です(これは現実的では有りませんね。
多分、親が正確な日を忘れてしまい出生年月日としたのでしょう、いずれにせよ私の意思などそっち除けな訳です。
子は(人間の子は出生してかなりの年月を親に全面依存しなければ生きて行けませんね)親に全面依存しなければ成らないし、
親を介して世間を認識するのだろうから、私のトラウマ(何より私は信仰経験がこれまでの人生においてまるで無い)
による石山、学会系以外の寺院への拒絶反応と問答迷人さんのそれとは当然違ったものと成るんでしょうね。

ここで述べたかったのは人間は個々、感性が異なり、様々に受け取るという事でした。
死生観も様々で普遍妥当なものは存在しない。
「穏やかな顔をしていてまるで眠っているようだ、さぞ成仏された事でしょう」
とは、よく見受けられるある特定の組織内における共同幻想とそっくりだと思惟致しています。
(解りやすい例がファッションですね、そこに身を置いている者は超イケているのだろうが、
身を置かず興味も持っていないものから見れば全然イケていない様に映りますね。
この様な事は何も一部の組織とは限らず、国レベルでも見受けられますね)

成仏、穏やかな死相、死に様と、綺麗だ、楽しい、悲しい。
と言ったものは、この世にまだ生を保っている者が持つ感情ですね。
(私の前世はこれこれである。と言った方に未だ出会った経験がないので以上の様に考えています)
その様に皆で演じている「この様に受け取ろう、思おうじゃないか、幸福ってこんなものだろう」
と、人間だからどうにでも染まってしまう。

「こんな判決じゃ、あの人(あの子)が浮かばず墓前になんて報告すればいいか」とは、
あの人(あの子)が浮かばれないのではなく、貴方が許せず、悔しいく、又、納得が行かないだけである。

「きっと天国に往ってくれた事でしょう」とは、そこに自身を投影しているからじゃないだろうか。
お墓参りは故人の為に参るのではないのは言うまでもないですね。

是全幻想


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